めんどくせぇことばかり
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虎秀山コースから大高・天覚山縦走コースへ

今回は、電車やバスの使用しないで山の計画。・・・たまたま、なんだけどね。

本当は、伊豆ヶ岳を絡めた計画を立てたんだけど、ふとんに入ってからも、どうも今一ワクワクしてこない。「こんなのはどうかな、あんなのはどうかな」って考えているうちに、いつの間にか寝てしまった。

そして朝起きたら、なぜか頭の中に、昨日とは違う、新しい計画ができあがっていた。夢の中で作ったのかな。

東吾野駅に車を置いて(¥500)、虎秀地区に入り、虎秀山に登って、尾根筋を阿寺方面に北上する。グリーンラインに出たら、顔振峠からの道を下って吾野駅に下りる。吾野駅から前坂にあがり、大高山、天覚山と縦走して、東吾野駅に下るコース。

吾野駅を7時半頃スタート。虎秀山コースはひたすら静か。虎秀山に向かって虎秀川を渡り、まもなく山に入るんだけど、山に入る、ほぼ同じ場所に、二本の道がある。以前登ったときは、先にある広めの道を入って行って、道を失い藪こぎをした。今回は、少し細めの、手前の道を入った。こちらが正解だった。
IMG_7383.jpg (虎秀谷津には、まだ日が当たらない。寒い。山の端の月)

正解とは行っても、道は細く、虎秀山は先のとがった三角形の山。登れば登るほど急になる。急登は、三度現れる。もちろん、下りも同様なので、慎重に。それ以降の道ははっきりしている。
IMG_7385.jpg (虎秀山山頂。三角点があった)

虎秀山の直下、それから448ピークを下りたところで、南西方面の景色が広がる場所がある。ずっと樹林を歩くコースだけに、とてもすがすがしい気持ちになる。まもなく、舗装道路に出て、顔振峠からの下りにぶつかる。
IMG_7388.jpg (虎秀山山頂直下より。大高山が大きい。左側に川苔山に棒の嶺。右手には長沢背稜。武甲山も見えている。月はまだ見えている)

IMG_7391.jpg (奥に御前山から武甲山までの山並み。山の国だな)

IMG_7394.jpg (顔振峠からの下山道と交差したあたりで、富士山を見た。ここから吾野駅に下りる)

IMG_7395.jpg (吾野駅。向こうの山の上を歩いてきたんだと思う)

吾野駅が10時半頃、今度は高麗川を挟んで、反対側の山に登る。急な登りを頑張って、子の権現から来る道にぶつかり、前坂までは登りが続く。前坂からは尾根道の縦走となる。大高山や、その先の天覚山へと続く道は、細かいが、急な登り下りの連続。登りはともかく、下りは慎重に進む。
IMG_7402.jpg (大高山。写真は通り過ぎてから撮ったもの。虎秀山から見たときと、まったく形が違う)

IMG_7399.jpg IMG_7400.jpg (期待してなかっただけに嬉しかった)

大高山山頂周辺では、まだきれいな紅葉が残っていた。12時をまわり、好天ながらも、そろそろ霞んできちゃうかなと思ったが、天覚山からも、長沢背稜、奥多摩、丹沢まで、よく見えていた。
IMG_7404.jpg (天覚山より 川苔山から蕎麦粒山、三つドッケ。なんだか懐かしい)

IMG_7405.jpg (大山から関東平野が広がる)

天覚山であった人と話した。途中見かけた、うんこの話。この日、虎秀山コースでも、大高・天覚コースでも、黒いうんこを見かけた。4回も見た。人間のうんこと同じくらいの太さ、大きさ。共通するのは色だけじゃなく、消化されていない、柿の種(煎餅じゃないよ)が含まれていた。

この日歩いたのは、以下のようなコース。

地図

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『食王』 楡周平

子どもの頃は、怖いものがたくさんあった。

なんだか、怖いものだらけだった。なんて言ってもノストラダムスの大予言。「1999年の7の月に人類は滅亡する」という予言。1999年と言えば、自分は39歳。40歳目前で死ぬのか。だけど、その歳なら、滅亡してもいいかな。もう結婚しているだろうし、子どももいるだろう。自分は良くても、子どもはかわいそうだな。そんなことを考えていた。

自分が大人になる頃には、お爺ちゃんとお婆ちゃんは死んじゃうだろうな。お父さんやお母さんが早く死んじゃったらどうしよう。

石油はあと30年でなくなるって言ってたな。石油がなくなっても石炭なら取れるみたいだし、いざとなったら、山に行けばいくらでも木が生えているから大丈夫だろう。

水俣病っていうのはずいぶん酷いらしい。四日市ぜんそくも酷い。向上の煙が悪いんだろう。あんなの塞いじゃえばいいのに。そう言えば、修学旅行で東京に行った真ちゃんが、光化学スモッグで息が出来なくなったって言ってたな。息が出来ないのに、東京の人はどうして大丈夫なんだろう。公害って、そのうち秩父にも来るのかな。

武甲山は、石灰の取り過ぎでなくなるらしい。酷い話だ。向こう側が見えちゃったりしたら、どんなことになっちゃうんだろう。

チクロって毒なの?だって、この間までジュースに入ってたのが、禁止になったらしいよ。発ガン性?ガンになるの?え~、もの凄いたくさん飲んじゃったよ。僕はガンになって死ぬのかな。

あんなにたくさん怖いことがあったのに、本当にそうなったのは、二つ。祖父母と父母は、たしかにみんな死んだ。武甲山は、まだあるにはあるが、向こう側が見えつつある。

さて、この本。今の日本は、さまざまな問題に直面しつつあり、その困難の度合いは、まさにこれから高まっていくことになることを、つくづく感じさせられた。


『食王』    楡周平

祥伝社  ¥ 1,980

食の世界から日本の抱えるさまざまな問題と、未来に向けての明るい展望を探る
序章
第一章
第二章
第三章
第四章
第五章
第六章
終章



北陸の小京都と称される金沢にある会席料理の老舗料亭《万石》も、大きな課題を抱えていた。それはかつて隆盛を極めた西陣の織物、京友禅などにも共通する問題であった。

私たちの生活環境は、伝統技能が隆盛を極めた頃とは大きく変わった。消費者にとってそれらの伝統技能は、その重要性は認めつつも、実生活の中に取り入れるには及ばない。つまり買わない。敬して遠ざける対象となってしまった。

完全にそうなってしまってから慌てても遅い。伝統技能が自ら変わっていかなければならない。しかし、そこには数多くの抵抗が予想される。

抵抗があっても、今始めなければ、もう間に合わない。

2011年3月11日、あの地震の時、私は定時制高校の職員室にいた。前の晩に、その歳の卒業式を終えたばかりだった。その後、テレビで見た津波に言葉を失った。被災の様子が明らかにされるに至って、自分のその後の人生が、この出来事によって決定づけられたと感じた。

被災地の復興は進んだが、町がもとの活気を取りもどしたわけではない。若者は仕事を求めて都会へ移住し、仕事のない被災地を去って行った。その傾向が現れ始めると、徐々に速度をあげていく。

今、何か手を打たなければ、もうその流れは止められない。

割烹料理の老舗料亭《万石》の花板を務める森川順平。彼は築地で仲卸を仕事にする桶増の次男に生まれ、料理人を志して《万石》の門をくぐった。

3・11の津波は、小学校6年生だった滝沢由佳の町にも押し寄せた。高台の学校で難を逃れた由佳だが、3歳年下で、早い時間に下校していた弟と、祖父母が自宅にいて、津波にのみ込まれた。由佳は父母の頑張りで東京の大学に進み、バイトをこなしつつ就職活動の年を迎えていた。

二人をつなぐことになるのが、梅森大介。彼は全国に110店舗を展開する外食チェーンのオーナー社長。成功を収めた彼も、人生の終盤を迎えて、事業の新たな展開を必要としていた。

森川は父を通して梅森に結びつき、由佳は森川の店舗の一つでアルバイトをしていた。

生き馬の目を抜くような世界で事業を成功させていくためには、甘いことは言っていられない。だけど、義理人情を抜きにして、世の中を語っても意味がない。


テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

VANK『日本VS韓国』 池上彰

韓国にはVANKという民間団体があるそうだ。

《サイバー外交使節団》を自称しているという。大韓民国の正しい姿を世界中に広めるため、インターネット等を介して情報工作宣伝活動を行なう民間団体であるという。民間団体と言いながら、韓国政府から公金が支出されている。

公金の支出が始まったのはずいぶん前からのようだ。李明博が大統領だった時代、大統領がそれを打ち切るという噂が流れて、大統領は慌てて支出の増大を決めたそうだ。その時は、5000万ウォンの予算を配分されたそうだ。日本円で500万弱ってところろ。

“韓国の正しい姿”というのは、“反日”ということ。世界を反日に導くのが、VANKの目標と言うことだ。ディスカウントジャパン、つまり、国際社会における日本の価値や評判を引き下げて、日本の地位失墜を目ざす運動を続けていくことを、VANKは宣言している。「日本の嫌がることは何でもやる」と、そういう団体だな。

ドイツはベルリンのミッテ区というところに、韓国系市民団体が中心となって慰安婦像が設置されたんだそうだ。日本側の抗議により一旦は撤去が決定されたものの、その後、韓国やドイツ国内から撤去に対する抗議の声があがり、現在は保留状態。行政裁判所の判断が待たれているという。

こういうのも、VANKのお仕事。やり方は巧妙で、慰安婦像として反日を煽ることを当面の目的とせず、“平和の少女像”として、戦時下における女性の人権を前面に押し立てた。

反日感情を元にする歴史の歪曲。本質的に慰安婦問題というのはそういう問題なんだけど、「親日か、反日か」という基準で、ドイツ人に理解してもらうのは難しい。ドイツ人にとって、慰安婦像が“平和の少女像として、女性の人権問題としてとらえられてしまっているようだ。

だいたい、ドイツの地元当局の発表では、この像は「戦時下の女性への性暴力に抗議の意思を示す芸術作品」という説明があり、設置を許可したとのことだ。該当地区の区長は、問題かして以降の説明の最後に、「ミッテ区役所は時代、場所、行為者を問わず、女性への性暴力、特に戦時下における性的暴力を非難します」とコメントしている。

こういう動きの背景にも、VANKが関わっている。
image-51.jpeg 
これはVANKの作った、撤去に反対するポスターで、慰安婦像の隣に座るのは、湯代や人慰霊塔の前にひざまずいてドイツの反省を表明したブランド首相だ。


『日本VS韓国』    池上彰

文藝春秋  ¥ 1,320

池上彰が緊急現地取材!「反日のなぜ?」を分かりやすく解説。
はじめに―日韓の対立はいつまで続くのか
第1章 なぜ日本に厳しく、北朝鮮に甘いのか
第2章 反日の象徴「不買運動」のその後
第3章 意外と知らない!?徴用工問題
第4章 若者世代に変化のきざし
第5章 「反日種族主義」と嘘の歴史教育
第6章 日本と韓国がわかり合うために
池上彰からのラストメッセージ



VANKは、東京でオリンピックが開かれることが、嫌でたまらない。

とくかく、国際社会において日本が高い評価を受けることが嫌でならないのだ。だから、2013年のオリンピック招致活動の段階から、国際オリンピック委員会やアメリカの大手メディアに、「平和と博愛というオリンピックの精神に反する反韓国デモを黙認している日本に五輪を開催する資格はない」という内容の“告発文”を送りつけるなどの妨害工作を行っている。

さらに今年の1月6日、韓国の日本大使館工事現場に張り出された、VANKが作ったポスターが次のようなもの。
徴用工1 
本当に悪辣だな。防護服の聖火ランナーを描いたポスター。東京オリンピックは放射能まみれというアピールだ。五輪のマークは勝手に使ってはいけないものなんだそうだけど、お構いなし。

韓国人ってそうなんだよね。自分の偏った正義を貫くことを妨害するものがあれば、それが秩序だった法や規則であったとしても、そっちが間違っていると考える。

従軍慰安婦やいわゆる徴用工問題、旭日旗、竹島領有権問題、日本海の呼称などで、日本に対する誹謗、中傷の限りを尽くし、日本を世界から孤立させようとする。

彼らにとっては、それこそが正義だからね。日本にしてみれば、隣に韓国があるってこと自体が身の不幸なわけだけど、あるんだから仕方がない。隣に韓国があることを前提に、物事を考えざるを得ないってことだな。

とっても嫌なことだけど、やらなければならない。だけど、そんなこと、国会ではまったく話し合われていない。


テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

2020年11月 『スプートニク』に登場する北方領土

2020年 《スプートニク》に登場する北方領土

11月1日 時事通信
与党が勝利宣言 旧ソ連ジョージア議会選
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020110100422&g=int
旧ソ連構成国のジョージア(グルジア)で10月31日、議会選(定数150)の投票が行われ、中央選管は1日、与党「ジョージアの夢」が得票率約48%で優勢とする結果を発表した。地元メディアによると、同党のイワニシビリ党首は10月31日、出口調査の結果を受けて勝利宣言した。

11月2日 産経新聞
サハリン島の1945年の戦場で日本兵の装備品が見つかる
https://jp.sputniknews.com/life/202011027901207/
沿海地方の合同調査団体アビアポイスクは、1945年8月に日本との戦争で激戦が繰り広げられたサハリン島の北緯50度線周辺における野外調査で、日本兵の装備品を発見したと発表した。

11月6日
シベリア抑留死 新たに11人特定
https://www.sankei.com/world/news/201106/wor2011060021-n1.html

11月6日
英紙「プーチン氏に健康不安」 ロシア大統領府は全面否定
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020110601279&g=int

11月10日 時事通信
菅首相、北方領土「全力で取り組む」 道知事らが要望書
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020111000901&g=pol
菅義偉首相は10日、北海道の鈴木直道知事らと首相官邸で会い、北方領土問題の早期解決を求める要望書を受け取った。首相は「領土問題を解決して平和条約を締結するという政府の基本方針にのっとり、全力で取り組んでいきたい」と応じた。

11月17日
まもなくロシアで公開の日露合作映画「ソローキンの見た桜」オンラインJ-Festで先行無料上映
https://jp.sputniknews.com/culture/202011177942312/
昨年春に日本で公開され、今年12月17日にはロシアでの公開が決定している日露合作映画「ソローキンの見た桜」(井上雅貴監督)が、11月21日にオンラインで先行上映される。上映は一度限りで、ロシア人に日本文化を紹介するイベント「J-Fest」の枠内で行われる。この映画は、日露戦争時における愛媛県松山の捕虜収容所を舞台にした、ロシア人少尉と日本人女性との愛の物語だ。

11月23日
田中角栄首相、「4島」明記迫る 73年の首脳会談、ソ連側は一蹴
https://jp.sputniknews.com/politics/202011237959709/
1973年にモスクワで3日間行われた田中角栄首相とブレジネフ・ソ連共産党書記長の首脳会談のソ連側記録が22日までに判明した。

ナゴルノ・カラバフは、とりあえず決着がついたようだ。

9月27日に始まった戦闘は、1994年の停戦合意以来、最大の衝突となり、アルメニアの敗北で終わった。ここは古くから、アルメニア人とアゼルバイジャン人の領土紛争の舞台だった。国際的にはアゼルバイジャンの領土と認められているが、事実上、ナゴルノ・カラバフ共和国として独立しているが、アルメニアの保護国のような状態で、国際的な承認は得られていなかった。

ソ連時代、共産党も扱いに困っていたようだが、アゼルバイジャンの帰属となっていた。ソ連崩壊にともない独立を宣言してナゴルノ・カラバフ共和国を名乗る。すぐに始まったアゼルバイジャンとの戦争では、アルメニアの全面的な支援を受けた。戦いは1万7000もの死者を出し、ロシアの仲介で停戦した。アルメニア側が優勢な状態で停戦したため「ナゴルノ・カラバフ共和国」は、旧ナゴルノ・カラバフ自治州だけでなく、その周辺も実効支配している。元々の「領土」を超えてアルメニアと陸続きになった。その面積はアゼルバイジャン全土の約16%を占めると言われる。

1990年代の紛争においては、ロシアはアルメニアに肩入れした。しかし、今回の紛争では、ロシアの積極的な介入はなかった。中央アジアにおける“中国”の台頭を背景に、ロシアはアゼルバイジャンとの間に良好な関係を築いておきたいという判断があった。アゼルバイジャンも、それが分かっているから、ロシアの介入はないと考えたようだ。

1994年の決着で、ナゴルノ・カラバフからアゼルバイジャン人がいなくなった。民族浄化、エスニッククレンジングである。民族問題は民族浄化では解決しないといわれるが、民族問題はたいていの場合、民族浄化化暴力によって解決される分かりやすい例となった。

今回の決着は、とられた領土は戦争で取り戻す分かりやすい例になるんだろうか。


テーマ : 領土・領海・・経済水域
ジャンル : 政治・経済

堂平山と笠山を新しいルートで

昨日、山から帰って、夕方の報道番組を見ていたら、男のニュースキャスターも、女のニュースキャスターも、ニュースを解説する人も、やたらと「エビデンス」という言葉を連発する。

「エビデンスってなに?」って連れ合いに聞いたら、調べてくれた。証拠、裏付けのことだそうだ。菅首相も、国会の場でそう言ってるんだそうだ。キャスターにしろ、首相にしろ、どこの国の人だ。覚え立ての新しい言葉を使いたいのか。なんだか、国会の質疑を見ていても、報道番組を見ていても、・・・。

私なんか、エビと言われたら、タコしか思い浮かばない。そういえば、昨日録画しておいた「男はつらいよ」を見た。タコ社長が出ていた。

東秩父の最奥、白石車庫に向かうバスは、その手前の皆谷バス停で折り返し運転になっていた。昨年の台風19号の影響だ。1年もの間止まっていたバスが、10月23日に運行を再開した。

東秩父村のHPを見ていたら、白石地区であじさいを育てているらしい。あじさいを見に来る人向けに駐車場が準備されているようなので、そこを利用させてもらって、堂平山と笠山に登ってみようと、前から考えていた。

皆谷にあるヤマメの里駐車場に車を置いて、大霧山、定峰峠、堂平山、笠山と馬蹄形の尾根を廻ってヤマメの里駐車場に下りると、距離が20キロ近くなってしまう。あじさいの道駐車場に車を置かせてもらうと、白石車庫から定峰峠に登り、少しこじんまりした馬蹄形を廻って、笠山から萩平に向かわずに、直接駐車場に下山できる。

大霧山からの景色を棒に振ることになるけど、ほぼ同じ景色を堂平から見ることが出来る。今度、大霧山入れた気楽なコースを作ってみよう。

そんなわけで、7時半登山開始くらいの気持ちで、6時過ぎに自宅を車で出発。東秩父に向かった。皆谷を過ぎて白石地区に入ると、「50m先あじさいの道入り口」の標示があり、そちらへ。バス通りから左折して急な林道を少し上ると、その通り沿いがあじさいの道らしい。5分ほど走ると、駐車場とおぼしき場所があり、そこに入る。

10台ほどの車が止まれるスペースがあり、東屋とトイレがある。トイレは行き帰りに使わせてもらった。清潔な水洗トイレ。

そのまま林道を少し登ったところから、白石車庫バス停に下りる道が分かれている。いったん白石車庫バス停に下ると標示があり、気温は2度だという。長袖の下着に長袖シャツ、その上にヤッケを着てちょうどいい。この日は、終始、その格好で歩いた。

白石車庫バス停から、定峰峠に向かう。舗装道路をつなぐように山道が延びている。駐車場から小一時間で定峰峠。ここから川木沢の頭の間には、何度か急登が現れるので、ここで食べておく。食パンにイチゴジャムをたっぷり塗って持ってきたのを頬張る。これは結構いける。
IMG_7362.jpg (定峰峠を過ぎて少し登ったあたりから、これから向かう堂平山と笠山が見える)

この間まで、紅葉を目的の一つに歩いたが、もうここは、すっかり冬枯れの道。季節は、先に進んだ。
IMG_7363.jpg (完全に紅葉は終わっていた)

川木沢の頭から白石峠への下りは、相変わらず急坂。ここを前傾して駆け下りることが出来るのは、ルパン3世以外にはいないだろう。白石峠でラーメンを食べ、堂平山へ。山頂をしばらく独り占め。浅間はもう雪が降ったんだな。
IMG_7371.jpg (堂平より 丘陵地帯の向こうが関東平野)

IMG_7372.jpg (堂平山頂)

IMG_7373.jpg (浅間には雪が見える。手前のボコボコは、東西の御荷鉾山)

IMG_7374.jpg (両神山の左手、奥秩父越しに八ヶ岳が顔をのぞかせる。ポコッと突き出ているのは赤岳)

IMG_7375.jpg (南を見ると、特徴のある形の大岳山。左奥は丹沢の山々)

IMG_7376.jpg (両神山から浅間山まで。秩父の町も見えている)

IMG_7378.jpg (奥秩父の山並み)

IMG_7379.jpg (少し歩くと、長沢背稜も見えてきた。一番左が蕎麦粒山だな)

堂平から笠山へ。半年前にも歩いた道。堂平と笠山周辺は、何度も歩いているんだけど、実は、笠山から白石車庫バス停に下りる道は、一度も歩いたことが無い。道は笠山から堂平に向けて少し戻る。ガレた下りが始める直前に、右手に下りる道がある。何度も歩いているんだけど、そこに道があることを知らなかった。

ただ、堂平と笠山を結ぶ道ほど歩かれていない。道には落ち葉が降り積もっていて、かなり歩きにくい。いったんダートの林道に出て、それ以降は、味わい深い道になる。さらに20分ほど下ると、舗装された林道に出て、この道はそのまま、あじさいの道駐車場に続く。
IMG_7381.jpg (舗装された林道を駐車場近くまで来たところで景色が広がった。あの稜線を歩いてきた)

途中にかなり大きな崩落があって、舗装道路が完全に削られているので、ここを歩く人は気をつけて。

皆谷からの大きな馬蹄形に比べると、ずいぶんお手軽な、小さな馬蹄形だった。

この日歩いたのは、以下のようなコース。
地図 

テーマ : 登山
ジャンル : スポーツ

『数字の嘘を見抜く本』 田口勇

地球温暖化は、二酸化炭素のせいだということで、脱炭素社会に向けて、世界中が慌ただしく動き始めた。

菅義偉首相は、所信表明演説で、脱炭素社会の実現に向け、2050年までに温室効果ガスの排出を全体としてゼロにすると表明した。なんて馬鹿な話だろう。地球温暖化に関しては、あれだけ疑問が提起されながら、誰もそれに答えていないのに、なんの問題もないかの如く、世界中が動き出した。

これだけの動きは、脱炭素、つまり石油エネルギー依存態勢からの離脱を意味することになる。大損をするはずのエクソン・モービル、ロイヤル・ダッチ・シェル、BP、シェブロン、スタンダード・オイルといった国際石油資本までが再生エネルギーへの投資を増大させているって言うんだから、この流れはもう止まることはないだろう。

ただ、その国土から石油が産出されると言うだけで、ゆとりのある経済運営をして来た国にもある。それらは見捨てられるわけか。

2050年までに、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにすることに日本が成功したとしても、どれだけの予算を傾けてそれを達成したものであったとしても、地球の環境に目に見えるような変化はないだろう。

温暖化、寒冷化に、決定的に大きな影響を与えるのは、まずは太陽の活動。それに何らかの理由で、たとえば雲量が急激に増えるとか、火山の噴火とかで、温暖か、寒冷かというのは、すぐに影響を受ける。地球の歴史は、それを数限りなく繰り返してきたのに、なぜそれを見ようともしないのか。

私の生活の中に見える脱炭素の動きは、あちこちへの太陽光パネルの設置だ。原子力はまだ良い。福島原発事故で被災した人には、腹を立てる人がいるかも知れないが、あれは有無を言わさず建った施設じゃない。

太陽光パネルは違う。ある日突然、木が切り倒され、そこに太陽光パネルが並ぶ。地主の判断だから仕方がないと言う人がいるかも知れない。誰の土地であるかと言うことは、・・・くそ食らえだ。

日本人は、自然とともにあることで、日本人になった。高度経済成長やバブル景気といった流れの中で、日本人は自然を切り崩して大きな利益を得てきた。関東平野のヘリには、よくその状況が現れる。山が切り崩されて、ニュータウンという新たな町が生まれた。ゴルフ場が作られたのも、そういう場所。今そういう場所に、太陽光パネルが並べられるようになった。

再生可能エネルギーで地球温暖化を防ぎ、自然環境を守る?・・・私には新たな自然破壊にしか思えない。

私が見た中で一番ショックだったのは、奥武蔵の登谷山の斜面。あれは酷かった。住所を見てまたビックリ、茨城県皆野町って書いてあった。それをやったのは、そこが埼玉県とも知らない人だった。



彩図社  ¥ 1,430

世の中に溢れる数字はデタラメばかり! 知らない人は騙される
第1章 社会にまつわる数字の嘘
第2章 健康にまつわる数字の嘘
第3章 お金にまつわる数字の嘘
第4章 暮らしにまつわる数字の嘘
第5章 自然にまつわる数字の嘘


脱炭素社会に向けて、世界中が慌ただしく動き始めたという状況は、未来は嘘を前提に展開されていくことを意味する。

私は、そう思っている。そのせいで、『数字の嘘を見抜く本』という題名に、飛びついてしまった。「ああ、私と同じように考えている人が、他にもいたのか」と思ってしまったわけだ。

全然、違った。この本は、地球温暖化とも、脱炭素とも、エセ環境団体とも、気候変動に関する政府間パネルとも、なんの関係もないものでした。

ただ、世の中に嘘の数字が溢れているのはたしかなことのようだ。

著者の田口勇さんはもと厚生労働省のキャリア官僚で、安全衛生部というところで情報分析を担当していたという。安全・安心名国民生活を脅かす情報がないか、調査するのが仕事だったとか。

数字というのは、嘘をつかない。本来、数字というのは客観的なもので、1は、かってに2になったり、3になったりすることはない。

数字は嘘をつかないんだけど、数字を使って嘘をつく奴はいる。数字そのものは客観的なものなのが厄介なところで、数字で示されると、そこには嘘のつけいる隙はないかのように錯覚してしまう。

第2章では、健康にまつわる“数字の嘘”が紹介されている。「乳酸菌100億個」と言われて、すごい数だなって驚いてしまう。通常私たちの生活の中に100億なんて言う数字はない。だけど、菌類の世界では珍しくもなんともない数字だそうだ。100億個を持ち出した人は、嘘をついているわけではないが、「すごく多い」と思い込ませる。その“思い込み”を利用して、設けようと企んでいる。

「プリン体ゼロ」、「レタス○○個分の食物繊維」、「野菜を1日に350グラム」、「水を1日2リットル」、「効果が2倍の育毛剤」

嘘とは言い切れないが、無意味。売らんがために、無意味な数字を持ち出して、人の思い込みや錯覚を引き出そうとしている。健康に関わる場合、時には切実な思いで手を出してしまう場合もある。

たとえば私の場合、「効果が2倍の育毛剤が欲しい」と思ってしまう。いままで、あの会社の利益に、どれだけ貢献してしまったかと思うと、くっ、くっ、・・・くやしい!

人を見たら、泥棒と思え。コマーシャルを見たら、嘘と思え。

「売り手良し、買い手良し、世間良し」なんて、かつては近江商人の倫理観のようなものがあったかも知れない。しかし、残念ながら今の日本にはそれは望めない。どうせ、嘘を前提にした未来しかないんだから、仕方がない。

でも、「嘘から出た実」というのも、あるかも知れない。


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『地名で読み解く世界史の興亡』 宮崎正勝

妙高山、「妙なる高みの山」という意味だそうだ。

古代インドの世界観の中で、その中心にそびえる聖なる山であるスメル山。その世界観はバラモン教、仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教に受け継がれる、インド全体で受け継がれているという。

それを漢字で音訳したのが須弥山で、意訳したのが妙高山。日本にはスメル山があるということだ。ジャワ島にもある。スメル山とそのままの名前で呼ばれている。チベット仏教ではカイラス山をそれに当て、聖地としている。

9世紀のジャワ島で、シャイレンドラ朝がスメル山に模して作ったのが、ボロブドゥールだそうだ。さらには、カンボジアのクメール人が建てたのがアンコール朝。アンコールワットの中心となる仏塔もスメル山に模したものだそうだ。

ものに名前を付けるとき、いろいろなことが動機になる。

ヨーロッパで最大面積の国は、ウクライナだそうだ。フランスよりも大きい。ただ、その名前の由来は、あまり良いものではない。「辺境」だそうだ。ウクライナが辺境ならば、その中心はどこにあったのか。当時の東欧の中心はポーランドだそうで、ポーランドから見るとそこは僻地で、ウクライナ=辺境としか呼びようがなかったと言うことのようだ。

15世紀の中央アジアで、サマルカンド(古ペルシャ語で「人の集まる町」の意)を中心に、モンゴル帝国を再興しようとしたのがティムール帝国。ティムール帝国はそれを達成することが出来ないまま、南下してきたウズベク族に滅ぼされるが、その残党が北インドに侵入して建てた国がムガル帝国。このムガルとは、モンゴルのことだそうだ。

ヨーロッパの地名を見ていくとき、地中海周辺に関しては、まずはフェニキア人に由来する地名が多い。

キプロスは「糸杉」、マルタは「避難所」という意味だそうだ。さらに、地中海最大の島であるシチリア島は、フェニキア人が農業移民を送ってエジプトに次ぐ穀倉地帯にした場所だったんだそうだ。そんなこともあって、シチリアは「農民の島」という意味だそうだ。

フェニキア人は地中海貿易を掌握して、その沿岸に彼らの痕跡をたくさん残した。徐々に力を付けたギリシャは、彼らの地盤であるエーゲ海とさらにその奥の黒海に向かった。のちのコンスタンティノープル、当時のビザんティオンはギリシャ語で「船溜まり」という意味だそうだ。ボスポラス海峡は風と海流の影響が強く、そこは航海の好機を待つ船溜まりだったと言うことだ。

その後、アレクサンダー大王の東征により、フェニキア人の後ろ盾でもあったアケメネス朝ペルシャが滅びることになる。この東征を、ギリシャ人商人たちは支援していた。そして、フェニキア人とギリシャ人の力が逆転し、地中海沿岸にギリシャ風の地名が残されていくことになる。

ヘレニズム時代を代表する彫刻に、『サモトラケのニケ』というのがある。勝利の女神が翼を広げた様子が彫刻されたものだ。ナイキのかっこいいマークは、その勝利の女神の翼をモチーフにしているという。さらにナイキという企業名は、勝利の女神ニケそのものだ。



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地名の語源を探れば、世界の移りも明らかに。地名はまさに歴史の化石だった!
第1章 文明発祥の秘密がたどれる「エジプト・西アジア」の地名
第2章 「古代地中海」を舞台にした商業民の活躍がわかる地名
第3章 諸民族が興亡を繰り広げた「ヨーロッパ」の地名
第4章 “豊かな辺境”の歴史を物語る「インド・東南アジア」の地名
第5章 独自の世界観を誇示する「中華帝国」の地名
第6章 アラブとモンゴル、二大遊牧民が駆け巡った「ユーラシア」の地名
第7章 「大航海時代」、新たに地図へ書き加えられた地名
第8章 19世紀、「大英帝国」の世界戦略がわかる地名
第9章 現代の覇権国家「アメリカ」の成り立ちを示す地名


地中海を除くヨーロッパの原型を作ったのは、ケルト人だった。ケルトとは「卓越する者」という意味がある、ケルト人の自称だったそうだ。前9世紀、すでに鉄製の両刃の剣を持ち、戦車をいち早く導入していたという。中央アジアから、馬と馬車でライン川、ドナウ川中流域に移動していった。

中央アジアからヨーロッパに、馬と馬車で出ていった。しかも、かなり早い段階で鉄器を使っていたとなると、ケルト人というのは、スキタイに起源があると言うことだろうか。

そのケルト人のうち、ベルガエ部族が住み着いた土地が、現在のベルギーだそうだ。ベルガエには「輝く者」という意味だそうだ。「卓越した者」と言い、「輝く者」と言い、どうもケルト人というのは、ずいぶん自意識の高い人たちだったようだ。

そのケルトが作ったヨーロッパの原型に、ローマが進出していく。すべての道はローマに通ずという勢いで領域を拡大し、ヨーロッパに覇権を確立した。そして、各地にローマ軍の駐屯地が作られていく。ロンドンは、ケルト人の好戦的な神ルッドが転化したロンドからロンデニウムと呼んだ。「勇者の土地」という意味だそうだ。パリは、そこに住むパリシー人からついた名だが、これは「乱暴者」という意味で、ローマ人がそう呼んだもの。ケルンは、植民市を意味するコロニアが転化したもの。

さらに、そこに、ゲルマン民族が移動してくる。

フランク族、ブルグンド族、ゴート族、ヴァンダル族、ランゴバルド族が入り乱れ、ヨーロッパ各地にその痕跡を残す。まるで、この間テレビで久し振りに放映した『ルパン三世 カリオストロの城』じゃないか。

さらに、東ヨーロッパを中心に、スラブ人が拡散していく。

かくしてヨーロッパは、フェニキア、ギリシャ、ケルト、ラテン、ゲルマン、スラブが入り乱れる。

先日、日本の地名の謎を解く本、『秩父の地名の謎 99を解く 秩父が解れば日本が分かる』という本を読んだ。やはり、地形から刳る地名が多いんだけど、それは世界中にある。

アイルランドの首都ダブリンは、「黒い池」という意味。北アイルランドのベルファストは、「砂州の渡し場」という意味。 スコットランドのグラスゴーは、「緑の窪地」という意味。ウェールズのカーディフは、「暗い川に面した城」だそうだ。

ただ、日本との違いは、おそらく彼らは、危険な場所に住む必要はなかった。

南木曽(なぎそ)は、土石流災害が発生する場所であることを教えている。鳴滝塾の鳴滝は、水害が発生する場所であることを教えている。日本の地名は、それがあまりにも多い。

先祖たちは、地名に託して、子孫にそれを教えてくれている。そんな動機で付けられた地名が多いってことだ。無駄にしないようにしないとね。


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『骸骨巡礼』 養老孟司

昨日の調べでは、新型コロナウイルスで、新たに8人死んだ。

そんな報道を見て、なんだかおかしな気持ちになる。今日は何人死んだ。昨日は何人で、明日は何人。そんな風に、この感染症で死んだ人の数を数えていく毎日に、なんだか不思議なものを感じる。

昨年1年間で、137万6000人死んでいる。1日平均にすると、3770人。毎日3770人が死んでいる。「そのうち、新型コロナウイルスで死んだ人は8人でした」という報道なら分かる。

それが、「新型コロナウイルスで8人死にました」と言われても、おかしな気持ちになるばかり。「オレは言った。言ったからな。もう、伝えたからには、オレには責任はない」と突っぱねられているようで、感じるのは・・・、そうだ。寂しさだ。放り出されたような、寂しさだ。もともと守られてもいないのに、放り出されるはずはないのに、それなのに放り出され角は理不尽だ。

別に、自分の死に方を、謂われもなく誰かのせいにしようとは思わない。だから、毎日毎日、さほど取り立てて多いとも思えない感染症の死者数を、まるで天気予報でも伝えるかのようにニュースに載せるのはやめてもらえないか。

先日、叔母が亡くなった。

埼玉大学で行なわれた教員採用試験を受けるとき、秩父からでは朝が忙しいと、父の弟夫婦、叔父叔母の家に厄介になった。父は7人兄弟で、一番下の弟で、夫婦で若々しく、きれいな叔母だった。叔父はすでに10年ほど前に亡くなり、この秋、叔母も逝った。残念なことに、感染症流行の折から、長男に代表してもらい、自ら見送ることは出来なかった。

父母に兄弟が多かったこともあって、すでにずいぶん見送った。祖父母、父母の時も合わせて、見送るたびに教えられた。ここまで来れば、後は身内の者に、死んでみせればいいってことが。

『フランス史』を著したジュール・ミシュレが、死について、次のように述べているという。

「信仰が活発であった初期キリスト教徒の時代には、人々は苦しみに対して忍耐強かった。死は短い別離であって、再びまみえるために人と人との別れさせるのだと思われていた。霊魂とその再会に対するこのような信仰の証しとして、12世紀までは肉体ー遺骸ーは今ほど重要性を持っていなかった。それはまだ、壮麗な墓を要求してはいなかった。教会の一隅に埋められ、一枚の敷石がそれをおおっていただけである。復活のためには、次のように記すだけで十分だった。《此処から彼女は甦り・・・》。」


『骸骨巡礼』    養老孟司


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骨と墓だけの欧州旅行!死体と格闘する修行を通じて、辿りついた解剖学者の新境地
第1章 死者は時間を超越する
第2章 イタリア式納骨堂
第3章 ウソ学入門
第4章 フィレンツェと人体標本
第5章 ポルトガルの納骨堂
第6章 王の最後の姿
第7章 墓とはなにか
第8章 感覚の優位


さらに、ジュール・ミシュレの弁を続ける。

我々がその歴史を書いている時代(15世紀)には、明言されないものの、それだけ一層奥深いところで変化がすでに始まっていた。見た目の形式は同じでも、信仰は活気を失いつつあった。意識はされないものの、心の奥深くにおいて希望は弱まっていた。苦しみが未来の約束によって癒やされることはもはやなかったのである。敬虔なる慰めに代えて、苦しみはヴァレンティナ(オルレアン公未亡人)の言葉を対置する。《つと敵の大将を殺し私にはもはや何もなく、来世も私には無でしかない》。

彼女になにかが残されていたとすれば、それは悲しき遺骸を飾り立て、その亡骸を褒め称え、その墓を礼拝堂に、教会に変え、死者を神として祀るくらいであろう」

死をどう受け入れるかは、時代により変遷する。それにしても、「死は短い別離」という慰めが、儚い希望に過ぎなかったと、心の奥底で受け入れ始めたとき、人は死を特別なものとして扱わざるを得なくなっていったわけだな。

個人的なものとしての死が意識されたのは近代のことで、そもそも“個人”はルネッサンスによって発生した。そういうものがなければ、死は別に何でもない。自分にとっては、死はそもそも存在しない。自分の死を、自分の死後に確認することは出来ないからである。

生きているうちに成し遂げたい仕事があるかも知れないが、自分が死んでも、それが必要なものであるならば、やがて誰から成し遂げる。死は、いつか成し遂げられるべき業績の障害にはならない。

日本では、このような状態がさらに長く続いた。死が、明確に個人的なものとして捉えられないまま、日本は近大に突入した。75年前までは、日本人の間に暗黙の了解があった。「人生は自分のためのものではない」。だから、神風特攻隊だった。戦後はそれが逆転した。アメリカから、“個人”という考え方が流れ込んできた。自己実現、本当の自分、個性を追求するようになった。

多くの日本人が、個人や個性、自分探しに勤しむようになった。自分探しという以上、現存する自分は仮の自分ということになる。本当の自分ではない自分が、自分として生きている。そして、もっと価値の高い本当の自分を探しながら生きている。そのように“仮の自分”を設定すると、人生そのものが仮のものとなってしまう。そして、本当の自分ではない自分が、本当に送るべき人生ではなかった価値の低い人生を送って、年老いて、死んでいく。

このようにして人を訪れる死は、かなり残酷なものになるな。


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竹取物語『おとぎ話に隠された古代史の謎』

『竹取物語』のクライマックスシーン、かぐや姫を迎えに来た月の都の天人たちが、かぐや姫に向かって言う言葉。

「いざ、かぐや姫、穢きところにいかでは久しくおはせん」

かぐや姫に言い寄った五人の貴公子たちは、いずれも実在の人物だという。それは8世紀初頭の朝堂を牛耳っていた高級官僚たち。

石つくりの御子、右大臣あべのみむらじ、大納言大伴のみゆき、中納言いそのかみのまろたり、くらもちの皇子。それがそれぞれ、文武5年(701)の政府高官、左大臣多治比嶋、右大臣阿倍御主人、大納言大伴御幸、大納言石上麻呂、大納言藤原不比等。

この“くらもちの皇子”については、「心たばかりある人にて(謀略好き)」と書いている。実際、くらもちの皇子はかぐや姫から与えられた課題である「蓬莱の玉の枝」を、蓬莱山に行くように見せかけて職人を雇い、それを作らせておいて報酬を払わなかった。

くらもちの皇子が、できあがった見事な「蓬莱の玉の枝」をもってかぐや姫に結婚を迫る。かぐや姫は嫌で嫌でたまらなかったのだが、くらもちの皇子の雇った職人たちがかぐや姫に報酬を要求したことから、くらもちの皇子の嘘がばれる。かぐや姫は「愉快でたまらない」と叫んで職人たちに褒美を与える。腹を立てたくらもちの皇子は職人を待ち伏せして血の出るほど打ちのめし、報酬を巻き上げた。

他の4人は、こんなにも酷い書かれ方はしていない。くらもちの皇子だけが悪人として描かれている。

『竹取物語』の作者は、時の権力者藤原氏を深く恨み、“くらもちの皇子”という偽名を使って、平安朝廷を「穢きところ」とののしらせた。

紀氏は紀州に地盤を持った一族で、古くからヤマト朝廷に影響を与えた名門氏族。その祖は、武内宿禰の子、紀角宿禰とされるから、蘇我氏の遠縁に当たる。

紀氏は蘇我本宗家滅亡後、この穴を埋めるように中央政界に参画してくる。特に奈良時代末に即位した光仁天皇の母が紀氏出身であったことから力をつけ、平安時代になると藤原氏最大のライバルとなる。




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おとぎ話を手がかりに古代史の謎を探る新たな関ワールドを作り出した意欲作
おとぎ話と古代史の奇妙きてれつな関係の巻
浦島太郎と武内宿禰の謎の巻
『竹取物語』に隠された古代史の闇の巻
金太郎伝説と酒呑童子説話の裏側の巻
一寸法師と崇る水の神の巻
ヤマト建国とおとぎ話の不思議な関係の巻
因幡の白兎に隠された邪馬台国の巻
桃太郎と謎の吉備の巻
ヤマトタケルとヤマトの謎の巻
鶴の恩返し(鶴女房)の謎の巻
天の羽衣伝承に残された謎の巻
カゴメ歌の謎の巻
伊勢神宮とトヨの秘密の巻


『竹取物語』の幕切れでかぐや姫が付きに帰るとき、天人がかぐや姫に羽衣を着せようとすると、かぐや姫はそれを遮り「羽衣を着れば人ではなくなってしまう」と言ってそのその前に、帝への手紙をしたため、不老不死の薬を残す。ところが、のちに帝は、かぐや姫のいないこの世で不死は無用と、薬を焼いてしまう。

この古事から富士山は不老不死と結びつき、不死山=不二山から、鎌倉時代に富士山と表記されるようになる。

藤原氏と対決した聖武天皇が敗れ去り、その娘の称徳天皇が、「藤原氏のための天皇ならいっそ」と、物部氏の系列に属する弓削氏出身で、志貴皇子の落胤という噂のある道鏡を、新たな天皇として擁立しようとした。

あえて不老不死の薬を飲むことをやめて焼いてしまうという行為は、連綿と続いた天皇の血筋を放棄する称徳天皇の決断を連想させる。

『竹取物語』は、その話の中に、強烈な藤原氏への反発と、藤原氏が支配する世を唾棄するかのような嫌悪感を感じさせる。

平群氏、葛城氏、物部氏、大伴氏、巨勢氏と、さまざまな豪族がいた。

ヤマト朝廷成立前後の古代史を考えるとき、やはり大きいのは、隋・唐王朝との関係で、焦点は律令の導入。

かつて、中大兄皇子と中臣鎌足は、反対勢力であった蘇我氏を乙巳の変で倒し、律令を日本に導入したと考えられていた。しかし、最近は、蘇我氏は律令導入に積極的であったと言われるようになった。そうなると、乙巳の変は単なるクーデターに過ぎなくなる。

律令の根幹は公地公民。すべては隋王朝の皇帝のもの。隋は、あまたの戦いを制して“中国”を統一した。皇帝は絶対的な存在となった。それくらいの力がなければ、豪族たち持つ土地を、そして豪族たちの抱える民を、国のために差し出させるなんてことは出来るわけがない。

その苦難を、蘇我氏は引き受けた。それ以前に行なわれた蘇我馬子と物部守屋戦争も、その大変革をめぐる対立が関係するだろう。一般には仏教導入をめぐる対立が原因とされるが、律令導入は、それ以上の大問題だったはず。あえて、それを前に出さないのは、当時の豪族たちに、そういう合意があったからだろう。

豪族たちは、表向きはどうだったかはともかくとして、出来れば土地を手放したくなかったはず。結果として、乙巳の変を容認したんだろう。

このあと、日本でも大きな戦いが起こっている。壬申の乱。それに勝った天武天皇は絶大な力を持った。蘇我入鹿の成し遂げられなかった律令を、天武は成し遂げた。

しかし、その直後、権力は藤原不比等に掌握され、律令は藤原家のための制度となり、古代豪族の力は、すべて藤原氏に吸い上げられた。



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大平山・正山、低くてもなめちゃいけない!

三連休は、孫1号2号のお守りでヘトヘト。

一息ついて、木曜日は天気が良さそうだって言うことで、山を歩いてこようと計画。感染症が再々拡大する中、やはり、遠出は控え、公共交通機関の利用は最小限に。他人はともかく、私は年寄りだし、隠れぜんそくもある。今、新型に感染したら重傷者のベッドを一つ占有してしまうかも知れないからな。土日の登山は避けて、人混みには入らない。

そんなことを考えているうちに、面倒くさくなって、とりあえず6時発で、吾野か名栗方面とだけ決めて寝た。そんな根性だから、案の定寝過ごして、最初からケチがついてしまった。使い古しの登山計画をパパッと提出して出発。サングラス忘れて取りに戻り、再出発。・・・10分ほど走って、また忘れ物に気がついた。・・・登山靴。

もういいや、嵐山渓谷の紅葉でも見て、周辺の低い山に登って帰ろう。

嵐山渓谷の駐車場から、まずは大平山に登る。わずかな車道が嫌で、地図にある古い道をつなげて山頂をめざす。ところがこの道、だいぶ古い道と見えて、不明瞭なばかりじゃなく、笹藪化して久しいみたい。藪こぎになってしまった。しかも、ズックで。藪こぎすら難しい場所を大きく迂回して、何とか一般登山道へ。この道ならズックでも歩ける。大平山は低い山だけど、道にはそれなりの風格がある。山頂近くから、嵐山町を見下ろす景色もなかなかのもの。
IMG_7350.jpg (山頂から少し外れたところからの景色)

山頂から下り、嵐山渓谷へ。私よりも前に、数台の車があったが、どうやら紅葉の写真を撮りに来たお年寄りたちのようだ。コンパクトなバズーカかというような、大きなカメラを抱えた年配の人たちが数名、紅葉にカメラを向けていた。嵐山渓谷の紅葉は、今が盛り。見事なものだった。
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紅葉の素晴らしい場所から、少し槻川を遡ったところに、石伝いに向こう岸に渡れるところがあって、そこを渡る。危険ではない。水量が安定していれば、年配の観光客が当たり前に渡っている。
IMG_7361.jpg

今度は正山を目ざす。嵐山渓谷から、いったん正山の南側に回り込んで登ることにいなる。登山口の目安になるお寺から徐々に登りが急になり、一番最後の民家を過ぎると山道になるが、軽トラが走った形跡が残るくらいの広い道。それがだんだん細くなる頃には、山頂も近い。山頂とおぼしきところは薮でおおわれている。山頂標示もない。「な~んだ」と思ったら、右手に進める。ほんの少し進んだところに、三角点があった。ビックリ。そう言えばこの山、何が正しい山なんだろう。

ここから、正山の北西の斜面を下る。下ったところが嵐山渓谷の突端の対岸になる。この下りがもの凄い。・・・まずは、道を外さないように注意。ピンクのテープはダミー。正しい道を示すテープはない。私はダミーに引っかかり、いったん山頂付近まで戻った。急な北西尾根を下る道。細いが、確認しつつ下れば外すことはないと思う。だけど、それだけじゃない。本当に急。ズックはまずい。ほとんど、パーマン2号と化したかのように、樹木を頼りに下っていった。

嵐山渓谷の突端、その対岸に下り、ここからは小倉城趾を抜けて、駐車場を目指した。駐車場に戻ると、車があふれて、周囲の道に並んでいた。平日だって言うのに。

この日歩いたのは、以下のようなコース。
地図

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Author:イーグルス16

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「沖縄の人は優しい」と皆が口をそろえる中、なぜ、自殺率やいじめ、教員の鬱の問題は他の地域を圧倒しているのか。
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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本






















































































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