めんどくせぇことばかり
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『帰れない山』 パオロ・コニェッティ

町の少年が、山で牛飼いの少年と出会い、短い夏を、何度も共に過ごします。冒険を繰り返しながら、少しずつ大人になり、やがて父と決裂します。父の望むはずもない道を歩み、やがてその死の知らせを受けて、かつて一緒に夏を過ごした山に戻ります。そこで明らかにされる若き日の父と母。かつて少年だった二人は、また山で同じ時間を過ごすようになります。ですが、人生はやはりままなりません。

なんでそんな事になっちゃうんだろうって、どうにもならないことも人生にはあります。でも、きっといつか。・・・時間が流れると、氷河だって少しは流れます。

父や母の若い頃のことを、なんにも知らなかったのは、私も同じでした。

記憶に残る一番若い父や母は、たとえば母の布団の中の暖かさ。足を擦りながら歩く後ろ姿。父のタバコの臭い。ランニング姿の盛り上がった肩。

アレルギーという言葉があったかどうか知らないけど、子供の頃、私は痒い痒いで、布団の中で背中をかいてもらわないと眠れませんでした。水仕事をしている母の手はいつでもささくれだったいて、かいてもらうのにとても都合が良かった。母が何かあって手が空かないと、父にかいてもらうんですが、水仕事をしていない父の手はツルツルで、私の背中のかゆみを和らげてくれませんでした。

そういうものと切り離した父や母の姿を思い出そうとしても、なんだか写真を探しているようで、実体感が伴いません。あとは、・・・そうですね。酔っ払ってる父。泣いている母。怒ってる父。愚痴ってる母。町の運動会で走っている父。子ども会のキャンプで、他のお母さんたちと一緒にカレーを作っている母。

母の母、祖母は私が三歳の時、秩父夜祭りの夜に交通事故でなくなったそうです。その頃のことなんか他に何一つ浮かばないのに、祖母のもとに駆けつけるために、父方の祖父母に頭を下げている母の姿が頭に浮かぶんです。その祖母は三人の子を連れて再婚していたので、嫁に来た母には辛くても逃げ帰れる家がありませんでした。死んでしまえばなおさらです。「あれば帰った」って言ってたって、兄の嫁さんから聞いたことがあります。

父は、母が死んだ時、「可哀想だった」って繰り返しまいた。まるでなんにもいいことのない一生を送ったかのような言い方に、「子どもを三人生んで、それなりに立派に育てて、三人が三人とも所帯を持って孫が七人もいるんだよ」って、私は言いました。

「それでも、お母さんは、可哀想なんだよ」と、父は言いました。

『帰れない山』    パオロ・コニェッティ


新潮クレスト・ブックス  ¥ 2,255

アルプスで出会った二人の少年、山を通じて人生を描く感動長篇 大事に読みたい一冊
第一部  子ども時代の山
第二部  和解の家
第三部  友の冬


母は、姑とのことで苦労しました。

姑、私の祖母ですが、とても強い人だったんです。貧乏ではあるが能力のある祖父を支えて畑を耕してきました。身体も丈夫で四男三女を育て上げました。霊感もあって、カリスマ性の強い人でした。

母もまた、頭のいい人だったんです。嫁に来たあと、叔父や叔母は母に勉強を教えてもらったそうです。祖母に唯一欠ける、学を、母は持ってたんです。姑のことで苦労した母は、姑が亡くなったあと、あまり長く生きてくれませんでした。母がなくなってから10年ほどして、父も亡くなりました。

数年前、私よりも若いいとこが亡くなりました。叔父も叔母も、とても落胆していました。それでも、その新盆に伺った時は、だいぶ元気な姿を見せてくれました。その時、母と結婚する前の父の話を聞いたんです。父には、結婚を誓った女がいたそうです。部落の女だったそうです。

祖父母の猛反対にあい、引き裂かれるように別れさせられたそうです。その代わりに、・・・あてがわれるように嫁いできたのが母だったそうです。

今思えば、私のうちには、どこか不自然な暗さがつきまとっていました。・・・あとから考えてみればのことですが。母は、知っていたと思います。意味はまったく分かりませんでしたが、「お父さんには好きだった人がいたんだで」って幼い頃に言われたことがあるんです。あんまり幼いので、猫か、犬でも相手にするような気持ちで話したんでしょう。

父が母を、「可哀想だ」と言ったのは、やはりそのことでしょう。

残念ながら、父母の思い出と登山が重なるわけではないのですが、私にもやはり、《帰れない山》はあるのです。おそらく、私の子どもたちにもいつか、《帰れない山》を思い浮かべるしかない日がやってくるでしょう。

彼らが関わる山の様子をとても丁寧に書いてくれているので、山好きとしてはとても嬉しいところでした。また、まだ未熟な少年の、思春期の心の動きの鮮明さには目を見張らされました。そうそう、翻訳の本ですからね。もとのイタリア語が持っていたであろうニュアンスがどんなものだったかなんて、到底私なんかには分かるはずはないのですが、きっとそれを壊さずに上手に翻訳されているんだろうって思いました。だって、本当に自然に読めましたもの。

39言語に翻訳された国際的ベストセラーだそうです。




テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『古墳解読』 武光誠

私の住む東松山は、古墳がたくさんあるところです。

家からちょっと行ったところに、野本将軍塚古墳というのがあります。前方後円墳です。墳丘の長さが115m、高さは後円部で15mあります。大きな古墳でしょ。

埼玉では、行田のさきたま古墳群が有名です。あそこは稲荷山古墳から金錯銘の入った鉄剣がでてますからね。だけど、あっちは5世紀後半なんですよ。それまでは、行田の、あの地域には目立った古墳は登場しないんですね。

3世紀前半にヤマト政権の成立を表すと思われる纏向石塚古墳が登場します。それから、それほど時間を置かない3世紀後半、現在の埼玉県域で最も早く古墳が作られるようになったのは、この東松山市を含む比企地区なんです。

さっき紹介した野本将軍塚古墳は4世紀の築造なんですが、都幾川を挟んで反対側にある高坂8号墳はそれよりも古いとされている前方後円墳です。区画整理で墳丘はないんですが、ここからは三角縁神獣鏡が発見されています。

近年、様々な科学的手法を駆使した新たな考古学的発見を通じて、古代史に関する興味深い事実が明らかにされつつあるんだそうです。それこそ、有力な古墳の発掘調査が行われるたびに、日本の古代史像が修正されるほどなんだそうです。

建国の時期の様子を伝えるなにがしかは、きっとあったと思うんです。しかし、日本古代史の勝者である藤原氏が、勝者の権限として『日本書紀』というこの国の正史を書き残したわけです。建国の時期の様子を伝えるなにがしかは、藤原氏の目についた限り、すべて失われたに違いありません。


『古墳解読』    武光誠

河出書房新社  ¥ 858

古墳を知れば、伝説上の皇室の先祖にあたる大王や王族たちの姿が浮かび上がってくる
一章  そもそも古墳とは何か、どのように誕生したのか
二章  大和朝廷の勢力拡大と前方後円墳の広がり
三章  朝鮮諸国との外交が「古市古墳群」をつくらせた
四章  古市古墳群とは別に「百舌鳥古墳群」を営んだのは誰か
五章  七世紀末、なぜ古墳は築かれなくなったのか


だから、日本は古代から現代に至るまで一つの民族、一つの言語、一つの文化が受け継がれてきているにもかかわらず、その国の起こりがわけの分からない神話の中に埋没してしまっているのです。

この本の著者、武光誠さんが四章に《古市古墳群とは別に「百舌鳥古墳群」を営んだのは誰か》という章を置いています。百舌鳥古墳群の古墳は巨大古墳で、いずれも大阪湾に面した台地に作られた、いかにも“見せるための古墳”と著者は言っています。一体誰に見せようとしたのか。それは、この時代の大王たちが盛んに使者を送った南朝の宋から訪れる外交官たちに。

百舌鳥古墳群の時代の大王たちは、『宋書倭国伝』に“倭の五王”と呼ばれる者たちだったろうということなんです。例の、“讃・珍・済・興・武”のことですね。武満さんは、この“讃・珍・済・興・武”が誰であるか、それぞれがどの巨大古墳に葬られたのかを、ほぼ特定しています。

ただしその中で、古墳から推測されることと『宋書倭国伝』の内容は一致するが、この二つと『日本書紀』に書かれていることは符合しないそうです。そう考えると、やはり藤原氏はヤマト建国に関わるなにがしかを隠さなければならなかったんでしょう。

そんな事をするから、日本人は古くから、自分の国の起こりを知ることができませんでした。それが最近、いろいろな人の努力の積み重ねで、少しずつ明らかになりつつあるんですね。ありがたい話です。だけど、私が死ぬまでに、その全貌が明らかにされるかな。自分じゃどうにもできないので、武光さんのような方々に、頑張ってもらいたいな。

吉備の最有力氏族だった物部氏が、纏向におけるヤマト政権の旗揚げに強く関わったというのは、やはり間違いないようですね。ただ、纏向という新たな土地の首長は、吉備を出てきた自分と吉備にとどまった首長たちとを区別するために、吉備時代の墳丘墓に手を加えて前方後円墳という新たな首長墓としたと、武光さんは言います。

ただ、その旗揚げに、いろいろな地域の人々が集まっています。いろいろな地域から人が集まっていることが、そこから出土する土器の種類で分かってるんですね。ヤマト以外の地域の土器の割合は、東海四九%、山陰・北陸一七%、河内一〇%、吉備七%、関東五%、近江五%、西部瀬戸内三%、播磨三%、紀伊一%だそうです。

物部氏が主導的な役割を果たしたのは間違いないでしょうが、この土器のことなどを考えると、武光さんの説はまだまだ説得力にかける気がします。




テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

万葉仮名『齋藤孝のざっくり!万葉集』 齋藤孝

《和何則能尓 宇米能波奈知流 比佐可多能 阿米欲里由吉能 那何列久流加母》

縄文以来の“やまとことば”を漢字で表現したのが万葉仮名です。その時、日本人は、けっして大陸の言葉の構造は取り入れず、漢字だけを拝借したんですね。

中国文学の専門家の高島俊男さんが、著書『日本人と漢字』の中で、「日本語と漢字はもともと似ても似つかないもの。人間の結婚に例えるなら、「性格の不一致」も甚だしい。ところが長年連れ添ってきた以上、今さら分かれることもできなくなってしまった」って書いておられるそうです。

藤原正彦さんが、『祖国とは国語』っていう本を出してますけど、漢字仮名混じり文で書かれた日本語は、まさに私たちにとって祖国です。

冒頭の漢字の羅列は、万葉仮名で書かれた万葉集の和歌の一首です。大伴旅人の歌だそうです。旅人といえば、万葉集を編纂したとされる家持の父親ですね。藤原氏に目をつけられて大宰府に左遷されて、なんだか酒に溺れた歌を残してますよね。最後は屈したものの、“反藤原”は家持にも引き継がれて、万葉集にはそんな色合いが込められているとか。

ごめんなさい。冒頭の一首ですね。著者の齋藤さんは「一字一音だし、有名な歌なので比較的読みやすい」っていうけど、私には充分難しかったです。

漢字仮名混じり文だと、次のようになります。
《わが園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも》

どうも、万葉仮名というのは、平安時代には、すでに読めなくなっていたらしいですよ。万葉集は万葉仮名で書かれているわけですよね。成立が奈良時代末でしょ。家持の時代ですから。「鳴くようぐいす平安京」で、平安京遷都が794年です。斎藤さんは10世紀には読めなくなっていたと言ってますから、百年余りの間に忘れられていったということです。

10世紀初頭に完成した古今和歌集にはひらがなが使われているので、万葉仮名はそのあたりで急速に衰退したんですね。

その万葉仮名を丹念に解読し、私たちが万葉集に触れることができるようにしてくれたのが、江戸時代中期の国学者、賀茂真淵大先生ということです。賀茂真淵が万葉仮名で書かれた万葉集を解読し、後継者の本居宣長が古事記の研究を大成させてくれました。さらに折口信夫が、漢字仮名混じり文に口語訳をつけた『口訳万葉集』を出してくれたおかげで、万葉集は広く普及していったんだそうです。



祥伝社  ¥ 1,650

令和の時代だから知っておきたい教養。古代の歴史・万葉仮名・鑑賞ポイント・万葉人の暮らし…。
第1章 仰天!国家プロジェクト―万葉集の編纂事業はこうして実現した
第2章 探訪!万葉仮名ワールド―やまとことばに漢字を当てるという「神業」
第3章 古代の歴史が透けて見える―後継者をめぐる血なまぐさい事件がてんこ盛り
第4章 恋の歌に知性キラリ―万葉人が歌で楽しんだ「恋愛ゲーム」
第5章 万葉人に共感―庶民の暮らし・思いはいまも同じ


《石激 垂見之上乃 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨》

万葉仮名は、冒頭の一首のように音読みもしますが、同時に訓読みもするんですね。そこから、漢字仮名混じり文が生まれるんでしょう。だから、上の一首なんかは、漢字万葉仮名混じり文ということになるでしょうか。志貴皇子の歌ですね。

《石ばしる 垂水の上の さ蕨の 萌え出づる春に なりにけるかも》

“激”を「はしる」ってところが味噌ですね。“激”には「そそぐ」っていう読みも、昔はあったんだそうですよ。これを「そそぐ」って読むと、垂水はちょろちょろと垂れるように流れる水ってことになります。「はしる」って読むと、やはり、小さな滝のように激しい流れになりますね。斎藤茂吉は『万葉秀歌』の中で、「ここはこう読みたい」って、そんな言い方で後者を推奨しているんだそうです。

《東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡》

これになると、もう、最初から最後まで「こう読みたい」 の連続みたいな感じですね。

《東の 野に炎の 立つ見えて かえり見すれば 月傾きぬ》

異説もあるそうですが、私もこれが好きです。それにしても、“月西渡”を「月傾きぬ」って読むのって、なんか素敵ですね。

万葉集には防人の歌や東歌があります。庶民の歌ですよね。彼らが万葉仮名を操れたなんて、到底考えられません。誰がこれらの歌を収集したのか知りませんが、収集して、後に万葉仮名としての漢字を当てたわけでしょう。漢字を当てるまでは文字になってないわけですから、覚えていなきゃいけないわけでしょう。録音器具のある今とは違いますからね。

万葉集は4500を越える和歌があるんだから、それを思うと、本当にすごい財産を、私たち日本人は持ってるもんですね。




テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『残業おかず』 金丸絵里加

今日(18日)はこれからボランティアに行ってきます。東松山市の被災地で浸水でやられた家具や畳を運んできます。

昨日、被災地の人が、まだ困った状態にあることを見たんです。私の家はなんともなかったんですが、被災した地域は私の生活圏でもあるんです。マミーマートにお昼の買い物に行ったときのことなんですが、マミーマートで買った弁当を、備え付きの電子レンジで、いくつもいくつもチンしているおばさんがいたんです。後片付けの途中で、みんなの分のお昼を用意しにきたんですね。

不自由な毎日を送っている様子が思いやられて、とてもお気の毒に思いました。

台風19号のあと、地元の山の登山道を、二ヶ所ほど見に行きました。ブログでも紹介しましたが、かなりやられています。特に沢筋はひどいです。今日(18日)、明日(19日)は、ずいぶん雨が降るみたいですね。日曜日(20日)は天気が回復するようですが、台風の大雨でやられた地域では、沢筋には立ち入らないほうがいいと思います。

私が見に行ったのは15日(火)、16日(水)ですが、崩落ヶ所の土砂は水を多く含んでいて、グズグズの状態でした。あそこにさらにまとまった雨が降ったら、・・・あれより状況がひどくなったら、ちょっと危ないと思います。

ただ、沢筋を離れると、落ち葉や落ち枝が散乱しているものの、いつもの登山道と変わりありません。コースによりけりってことですね。いいコースを選んで、どうぞ、安全で、楽しい登山を。

この本は、どうしても夜ご飯の時間が遅くなってしまう人のために書かれたものだそうです。

・・・私、ちっとも遅くなりません。毎日、7時に晩ご飯を食べて、9時に寝ます。だからと言って、私が利用するには不似合いな本ということにはならないのです。だって、夜遅くになってご飯を食べる人は、・・・そうそう、高カロリーのご飯ってわけにいかないですよね。だから低カロリーのヘルシーごはんということになります。

しかも、遅くに帰って、時間をかけて料理ってわけにもいきませんから、手間を掛けない料理ということになります。この本の基準としては、15分以内、メインの食材は3~4種類で、3ステップで作れる料理ってことです。とってもありがたい本なわけです。

ね。そういう意味合いでは、めんどくさがりの私にぴったりで、しかもヘルシーごはんということですから、ありがたい話です。


『残業おかず』    金丸絵里加

エイ出版社  ¥ 1,100

夜遅く帰っても手軽に作れて、体にやさしく、太りにくい食事を提案
PART 1  太らない夜ごはん
PART 2  胃にやさしいおかず
PART 3  簡単おかず
PART 4  元気になるおかず


すでにいくつかの料理を作ってみました。・・・とは言っても、冷蔵庫にあるものだけで作ってますから、似たようなものを作ったに過ぎないんですけど。

まずは、冒頭の《かんたん丼》から「カリカリ油揚げとしらすの香味丼」。千切りにしたきゅうりとしらすを、甘みと酸味のある醤油ダレをかけて混ぜてなじませておきます。油揚げをカリカリに焼いて細切りにし、これも前者に混ぜ込みます。これを丼によそったご飯の上に乗っけて、出来上がりです。・・・でも、都合よくしらすがなかったもんですから、ちくわを薄く切って使いました。十分うまかったです。

続いて《スピード麺》から「柚子こしょう焼きうどん」は、ごま油で豚肉と小松菜を炒めます。そこにうどんと和風だしの素、または鶏ガラスープのもとと酒と水を加えて蒸し焼きにします。最後に柚子こしょうを加え、塩で味を整えて出来上がり。・・・でも、私はこれを、コンソメスープのもとで作りました。洋風の焼きうどんになりました。とてもうまかったです。

さらに、《10分おかず》から「納豆オムレツ」は、連れ合いのお好み料理になりました。作り方なんて、ここに書く必要さえないでしょう。ただ、卵の方に刻みネギを混ぜ込んでおくのが肝です。納豆の方ではなく、卵の方です。全然違います。

先に書いたように、この本で紹介されている料理は、15分以内、3~4の食材、3ステップでできるものばかりなんです。だから、この本を読んで、「すぐやってみよう」って気になるんです。3~4の食材のうちの一つが無くても、代わりになりそうなものは、すぐ思いつきます。

そこが、この本の、一番いいところだと思います。

料理の幅が、確実に広がると思いますよ。意外と、掘り出し物の料理の本でした。

そうそう、最後に、日曜日に山に行く予定の人は、どうぞ十分気をつけて、楽しい登山にして下さい。




テーマ : 料理の本
ジャンル : 本・雑誌

『あたらしい森林浴』 小野なぎさ

ピンとこなかったんです。

ずっとピンとこなかったんですけど、今はもうはっきりと、自分の体でわかるようになりました。・・・はい、森林浴というものについてです。

「森には癒やしの効果がある」なんて言われても、癒やされる必要が、こちらにはなかったもんですから、それでピンとこなかったんでしょう。あるいは、癒やされていたにもかかわらず、それを森の効果と感じる能力が、こちらになかったのかもしれません。

生まれた家は埼玉県の武甲山の麓でした。当時は、すでに山の北面西側の石灰岩の採取が行われていて、家は武甲山の北面を正面に見るように建ってました。だから、昼の一二時と、夕方四時にサイレンを鳴らした上で発破をかけていたんですが、その様子がよく見えたんです。サイレンが鳴ると、まもなく山に爆発による白い煙が上がり、少しだけ時をおいてドカーンという音が響きます。その音とほぼ同時に家の窓ガラスがビリビリ振動していました。

家からは、ほんの少し歩けば、いつの間にか森の中でした。人家が無くなり、炭焼小屋を通り過ぎると、山の神の祠があって、その先は森というよりも、山そのものでした。川に落ちたり、ふくらはぎをえぐったり、けっこう大きな怪我をしたこともあったんですが、一人でも森の中で遊ぶことが多かったですね。・・・癒やされていたのかもしれないですね。そういえば、受験の重圧に負けて、山に逃げたこともありました。

知らず知らず、癒やされていたのかもしれませんね。

今は医学的な治験の進歩と測定技術の発達から、森林浴の結果、ストレスホルモンが減少し、リラックス効果が上がるという科学的な根拠が得られているんだそうです。今では一歩進んで、森林浴による生理的効果が解明されるようになり、森を活用した健康増進の取り組みが全国で行われ、海外からも注目されるようになってきているんだそうです。

実際、森林環境では都市環境と比べて、活気の気分が上がり、怒りー敵意、緊張ー不安、疲労、混乱の気分が有意に下がり、血圧・脈拍が下がり、自律神経のバランスが整い、ストレスホルモンが減少するそうです。さらに悪い細菌をやっつけてくれる細胞が増えるそうです。

そんな、人間の体にいい影響を及ぼしてくれているのは、樹木から放出されるフィトンチッドという物質だそうです。自分の葉や幹をかじる害虫を遠ざけるため、他の植物が根の周りに近づかないようにするため、他の植物の発芽を抑えるため、樹木は、高尾フィトンチッドという物質を放出するんだそうです。この物質が、人間にとってはいい効果があるんだそうです。

『あたらしい森林浴』    小野なぎさ

学芸出版社  ¥ 2,310

森林浴事業で起業した女性フロントランナーによる、現場発信型・実践ノウハウ
1章 森林浴は今、可能性がある。
2章 森林浴の医学的効果
3章 海外が注目する日本発祥のShinrin-yoku
4章 地域と人を元気にする! 森林浴の可能性
5章 ヘルスケア事業としての森林浴
6章 人を成長させる森林浴


自然の中に、森の中にいると、なんかいい匂いがするじゃありませんか。あれがフィトンチッドだそうです。一般的には、広葉樹よりも針葉樹のほうが多く放出し、時間帯は正午前後がピークだそうです。

若い時は、森林浴なんて考えるまでもなく山に登ってましたし、子どもの頃から自然の中にいることが好きでしたから、その効果なんて考える必要もありませんでした。

その後、変形性股関節症で山からは離れてしまい、二〇一六年一〇月に手術を受けて二十数年ぶりに再開しましたが、森の効果を自覚したのは手術の前です。その二年ほど前かな。手術を意識した頃から、術後、「もう一度山に登りたい」ってことを意識してました。それもあり、それからちょうどその頃、『気力を奪う「体の痛み」がスーっと消える本』っていうのを読んだんです。

最初は、ある意味で、「なんちゅう無責任な題名だろ」って思いました。でも、当時は、その手の本は何でも読みました。その中で、《廃用症候群》という言葉を知りました。痛みで動かさないでいれば、その機関は不要であると身体が判断して、さらに動かなくなるということのようです。当時の私の股関節は、まさにそれに近い状況にありました。

『脳は喜びを感じると痛みの抑制に関係する内因性オピオイドを分泌。痛みを感じにくくなり、歩行距離が無理なく伸びていくはず』ともありましたので、「好きな森の中でも歩こう」と思ったわけです。すぐに補助用にストックを買って、近くにある市民の森というところを歩きました。

最初は、連れ合いについて来てもらいました。最初は、本当に少しだけでした。それでも、森を歩いたことで、長い間、感じたことのない、なんとも言えない幸福感を味わいました。徐々に距離も伸び、一人で歩くこともありました。痛くて、車での救援を頼んだこともありますが、森の中にいることの効果は確実にありました。

手術を受けて、・・・私の場合、その手術がとてもあっていたようで、まったく痛みがなくなり、山登りを再開しました。今は、「こうして山の中を歩いているだけで、自分は嬉しいんだ」ということを、実感しています。

先日、たまたま一緒に山を歩いた若い女性の方から、「苦しいことも多いのに、なんで山に登るんでしょう」って聞かれました。「私の場合は、気持ちがいいからですよ」とお応えしました。




テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

黒山三滝周辺の登山道を歩いてみた

今日は、黒山三滝周辺の登山道を歩いてみました。

結論から先に言えば、昨日の伊豆ヶ岳周辺よりも、こちらの黒山三滝周辺のほうが事態は深刻です。

水量は多いですね。川越で氾濫した越辺川の上流ですが、山がものすごい量の水を含んでしまってます。道路にも、あちこちの小さい沢からの土石流のあとがあります。天狗滝は流木が引っかかって、そちらには入れなくなってます。その少し先から、雄滝・雌滝の上に出る道に入り、猿岩林道を目指します。越生周辺_191016_0002 (越辺川上流部。まだまだ水量が多い)

越生周辺_191016_0003 (土石流のあと。いたるところにあります)

猿岩林道に出ると、ここも、あちこちに小さな沢からの土石流のあとがあります。道路を水が流れているところもありました。さらに、変な場所に木が生えてると思ったら、木が立ったままの状態で土砂崩れに乗って流されていました。その土砂が舗装道路を完全に塞いでいます。向こうにそのまま舗装道路が続いています。
越生周辺_191016_0005 (土石流は、猿岩林道も同様)

越生周辺_191016_0006 (道の真ん中に木が・・・。道がない)

越生周辺_191016_0007 (斜面が完全にえぐられています)

舗装道路を登山靴で歩きたくなくて、ズックで踏み込んだら、ズブズブって沈んで、靴がドロドロです。越生周辺_191016_0012

なんとか乗り越えて、日照水の分岐から関八州見晴台を目指します。ここも登山道を水が流れています。日照水の岩場は、いつもなら水が染み出している感じなんですが、今日は岩から水が吐き出されてきます。越生周辺_191016_0008 (関八州見晴台に向かう登山口)

越生周辺_191016_0010 (日照水の染み出す岩)

その先で、登山道が沢から離れると、ところどころ落石があるくらいで、ようやく道が落ち着きました。関八州見晴台まで問題なく登れました。西吾野から登ってきた人に聞いたら、何の問題もなかったということです。越生周辺_191016_0011 (沢から離れると、多少の落石はあるものの、道は落ち着いて・・・)

越生周辺_191016_0013 (関八州見晴台 西吾野からの道は山の西斜面ということもあるかな)

越生周辺_191016_0014 

越生周辺_191016_0015 (山が蒸気を上げているように見える)

昼ごはんを食べて、傘杉峠に向かいます。傘杉峠まではなんの問題もありませんでした。傘杉峠から黒山三滝までの道です。グリーンラインには通行止めの表示がありましたが、登山道にはありませんでした。正直言って、今このコースは、登山道として使える状態ではありません。下り始めは表土が流されて岩がむき出しになっていたり、流れに土が削られて大きな穴かあいていたりする状態でした。それ以外でも全体に荒れていて、一歩一歩に気を使いました。
越生周辺_191016_0018 (グリーンラインは通行止め。傘杉峠から下る道はOK?)

越生周辺_191016_0019 (道のマン化に深い溝)

越生周辺_191016_0020 (穴ぼこや浮石で歩きにくい)

越生周辺_191016_0023 (川の向こう側に土砂崩れ)

越生周辺_191016_0024 (下手な写真では伝わらないが、きれいな滝が、・・・前からあったっけ?)

最初はそんな程度だったんですが、しばらく行くと、大きく崩落したところがありました。幅10mくらい、深さはかなり深い3mは超えていると思います。木もたくさん一緒に巻き込まれていました。崩落先はそのまま川に落ち込んでいて、川がすごい勢いで流れています。
越生周辺_191016_0028 (こんなの見ると、登山道を整備するのは時間がかかりそう)

なんとか通過できそうな場所を探して先に進みましたが、その先も倒木が道を塞いでいて、そこは上を回りました。しばらく川の左岸を藪こぎしましたが、どうやら本来の道は右岸のようです。崩落が右岸への渡渉路を一緒に流したんですね。

なんとか渡渉できそうな場所を探して右岸に、また左岸に、また右岸、また左岸・・・、全部橋が流されて、流れが岸を削ってるので、道から流れまで下りて、渡れそうな場所を探しての渡渉です。
越生周辺_191016_0030 (こんなのを何度も何度も、繰り返し繰り返し)

私は夏に、この藤原入っていう沢を歩いてますが、本来、沢を歩いても登れるようなところですから、水量が落ち着けば両岸に道を付けることはできると思いますが、あの大きな崩落は、けっこうやっかいだと思います。
越生周辺_191016_0032 (雄滝・雌滝はすごい水量)

とりあえず、しばらくは、この登山道はないものと考えたほうがいいと思います。

この日歩いたのは、以下のようなコース。
黒山三滝周辺地図




テーマ : 登山
ジャンル : スポーツ

伊豆ヶ岳の登山道を歩いてみた

台風で、あちこちの山の登山道が荒れてしまっているでしょうね。

地元の山、とりあえず、週末には訪れる人もいるであろう人気の山の一つ、伊豆ヶ岳の道を歩いてみました。

正丸駅から舗装道路を20分ほど歩き、正丸峠との分岐の馬頭尊から山道に入ります。あれだけの台風のあとですから、やはり登山道は荒れています。IMG_5324.jpg (まだまだ水量は多いけど、水は澄んできている)

IMG_5325.jpg (正丸峠はまっすぐ、伊豆ヶ岳は左の山道に入ります)

道を流れた水が泥を削って、大きな溝を作ってるところもありましたが、名栗げんきプラザとの分岐までは、通行に支障はありませんでした。どっちに行こうか迷ったんですが、2年前、台風の1週間後に歩いたら、ずいぶん荒れていたことのあった五輪山に直接向かう道、沢沿いに進む道を行くことにしました。

分岐からすぐ、大きな岩の下にあるはずの道が、川になっちゃってました。そのまた少し先、倒木があって、そのへんになんだか泥が溜まってる感じです。近づいてみると、右側斜面、川の左岸の斜面から、川に向かって泥が流れ出したようです。さらに大きな泥のかたまりかと思ったのは岩で、泥と一緒に流れ出したもののようです。泥はまだ水気をたくさん含んでいて、足を乗せると埋まってしまいそうです。足跡があったので、昨日ここを歩いたんでしょう。ずいぶんめり込んでました。
IMG_5332.jpg (“岩混じりの泥流、倒木付き”が発生したときのことを思うと恐ろしいですね)

IMG_5333.jpg (この泥、けっこう深いようです)

さらに斜面を見ると、大きな岩が、気に引っかかって止まっています。その上には、まだ岩がゴロゴロしていて、この上、一雨降ったら、あれは次の落石になりますね。
IMG_5334.jpg (落石予備軍 上の方には岩がゴロゴロ)

こっちのコースは二度ほど渡渉がありますが、二度ともとても判り難い状態です。ちょっとどうかなと思う場所では、時間をかけてルートを確認したほうが良さそうです。
IMG_5339.jpg (仮設の橋上を水が流れる)

沢から離れて急登に向かうあたりからは、いつもと変わりありません。尾根上に出て、五輪山、伊豆ヶ岳に向かう道も、落ち葉や落ち枝が散乱しているばかりで、特に変わりありません。
IMG_5344.jpg (尾根に上がったところから、そこまでの急登を見下ろしたところ)

IMG_5345.jpg (二子山 秩父から見ると、きれいなお尻に見えるんだけど)

IMG_5346.jpg (奥の一番高いところが丸山かな)

IMG_5347.jpg (五輪山 少し秋の粧 この辺に雨の影響はなし)

IMG_5349.jpg (男坂下 ここもいつもどおり)

IMG_5351.jpg (伊豆ヶ岳山頂直下から武川岳と前武川岳が見える ・・・前も見えたっけ?)

IMG_5353.jpg (山頂 ついこの間きたばかりだけど ずいぶん秋が進みました)

IMG_5352.jpg (伊豆ヶ岳山頂から 子の権現と左に伸びるのはスルギ尾根 こんなに良く見えたっけ?)

二週間ほど山に登ってなかったんだけど、この間にずいぶん冷えてきましたね。ラーメンでも食ってあたたまろうかと思ったら、ボンベ忘れちゃった。ああ・・・。しかたがない。おむすびだ。
IMG_5354.jpg (伊豆ヶ岳むすび ペットボトルはみそ汁 ポカリよりもこっちが好き)

だいぶ、道が悪いので、もう一つの道も確かめることにします。こっちの道のほうが歩く人、確実に多いしね。本当は正丸峠から、沢沿いの道を下ろうと思ってました。多分、沢沿いの道じゃなくて、沢そのものになってるだろうって思って。そっちも楽しみだったんですけどね。

大蔵からさっきの分岐に向けて下ります。こっちの道に入ったら、なんだか落ち葉や落ち枝がさっきまでよりも圧倒的に多くなりました。亀岩あたりからは、大小の石が登山道に散乱しています。水が石を巻き込んで、登山道を流れたんですね。それらがみんな浮き石になってますので歩きづらいです。

「亀岩がズルズル動いたりしないだろうな」なんて怖いことを考えながら二子岩を過ぎ、まもなく分岐というところで、斜面の崩落がありました。登山道の少し上から10mくらいの幅で深さは大人一人分くらい。長さは30mを超えて流れたようです。向こうの登山道に直線的に崩落部を渡った足跡と、10mくらい下を渡った足跡がありました。崩落部の上がいいと思ったんですが、それがかなり大変そうなので、10mくらい下を渡りました。
IMG_5359.jpg (向こうに道が続いているのが分かると思います)

IMG_5361.jpg (ボケた写真ですみません あの上部に迂回路をつけるといいですね)

考えてみれば、ここは尾根一つ置いて登りの時の岩混じりの土砂崩れ現場のすぐそばです。斜面に立つ木の根のあたりから、どんどん水が滲み出してきて、登山道を流れています。これに加えてもう一雨あったら、もっと厳しい状況になるかも知れません。人気の山ですが、週末はどうでしょうね。

*写真がボケボケでごめんなさい




テーマ : 登山
ジャンル : スポーツ

『管見妄語 知れば知るほど』 藤原正彦

《悪い奴》

そう言った場合、日本では、相手を否定したことにならない場合が、往々にしてあります。男が男に対してそう言った場合、それによって人に被害を与えることを非難しつつも、それを思いついた発想力、行動に移した決断力を評価しているようにも受け取れます。女が男に対して、「悪い男(ひと)ね」なんて言った日には、意味は完全に逆立ちしてしまいます。・・・連れ合いから役立たず扱いされている私にすれば、憧れの言葉でさえあります。

これが、《きたねぇ奴》ということになると、完全に相手を否定したことになります。意味合いの逆立ちはありえない、これ以降の付き合いは、まったくありえないことになります。

そう、日本人は美醜で物事を判断しています。善悪において悪であろうと、力の強弱において弱であろうと、能力の高低において低であろうと、その人が排除されることはありません。しかし、美醜を基準にして醜と判断されれば、多くの場合その人は排除されます。

何が《きたねぇ》という判断につながるかと言えば、嘘つき、強欲、卑怯、浅ましい、えげつない、さもしい、そういった諸々が一人の人間の言行ににじみ出る時、日本人はその人を「きたねぇ奴」と切って捨てます。

著者の藤原さんは、白鳳の汚い立合いを取り上げて、「それが白鵬には理解できない」と言ってます。理解できないままに、彼は今年の9月に日本国籍を取得しました。「相撲の発展のために頑張りたい」と言っているそうですが、日本人の心のあり方を理解できないままにこの先の長い人生を日本人として生きていくことは、彼にとっても相撲界にとっても不幸なことにならなければいいんですが。



新潮文庫  ¥ 539

国民が知らされる情報には常に偏向がある。私目を凝らして実像を見抜かねばならない
第一章 現代文明にすがって生きる寄生虫
第二章 これからが、これまでを決める
第三章 正義が正しいとは限らない
第四章 教養を積むとは無知を知ること
第五章 紳士にあるまじき行為


週刊新潮に掲載されている藤原正彦さんのコラムを、一冊にまとめたのがこの本です。

この『知れば知るほど』は第7弾、この本は、主に2016年の週刊新潮に掲載されたものだそうです。この年はベッキーの不倫、甘利大臣の収賄、ショーンK経歴詐称、清原選手の覚醒剤などの出来事があった年だそうです。

そして、私が足の手術をしたのも、この年です。10月の末に手術を受けて、11月の米大統領戦でトランプが勝利した顛末は、リハビリを繰り返す病院の待合室のテレビで知りました。その5ヶ月前の6月には、イギリスがEU離脱を決めました。そうそう、そのEU離脱。ブレグジット期日は10月31日。もう、まもなくです。

東日本大震災における原発事故で、イギリスは事故発生の3日後には専門家チームを編成して、在日イギリス人向けに危険度を科学的かつ具体的に説明していったそうです。

この事故はチェルノブイリとは本質的に違うこと、最悪のケースを考えたとしても、東京で二日間ほど家にこもっていれば大丈夫であること、東京都の支持に従って水は摂取しても良いことなどを伝えていたそうです。

それとは対象的な反応を示したのがドイツだったそうです。“第二のチェルノブイリ”と決めつけ、「それ以上」と人々を煽ったそうです。花粉症のマスクを付ける日本人を放射能に怯える人々と伝え、大使館員や特派員を大阪やソウルに避難させたそうです。

イギリスが専門家チームの情報を流し始めた事故から3日後の翌4日後には、メルケル首相は国内17基の原発のうち8基を稼動中止とし、その後、原発完全廃止を全政党指示のもとに決定しました。

今、ドイツの美しかった田園の多くに太陽光パネルや風車が並べられているそうです。うちの近所にある東京電機大学みたいなことをやってますね。

3年前の、イギリスのEU離脱決定は、僅差によるものでした。それは経済的損失があるからで、本音では大多数のイギリス人が、ドイツの支配するEUから離れたがっているという藤原さんの意見は間違いないところでしょう。

私も、かなりの経済的損失があったとしても、ドイツから距離を置くことに賛成です。「ドイツ人はどんな小さな過ちも犯さない。犯すのは最大級の過ちだけだ」というのは、歴史の証明するところです。

《管見妄語》の連載は、残念ながらすでに終了してしまいました。単行本化は『知れば知るほど』に続き、第8弾の『失われた美風』が出ています。でも、第7弾までを文庫本で読んでるもんですから、第8弾も文庫が出るのをまとうと思います。




テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

都幾川・九十九川氾濫

今日の晴れ上がった青空を見上げると、一体昨日の台風が本当にあったことなのかと、なんだか不思議な気持ちがしてしまいます。

でも、本当のことなんですよね。うちは雨漏りしたくらいで住みましたが、実際大きな被害がたくさん出ています。亡くなった方もいらっしゃるしね。

私の家は埼玉県東松山市にあります。思ったほど風が吹かなかったのは良かったのですが、雨はちょっと怖かったです。近くを流れる都幾川や高麗川、入間川、もっと小さな河川で九十九川なんてのが流れてて、大雨が降るとたびたび水が出る、・・・心配をさせられるところです。

危険水域に達しているとかいうニュースが流れて、「大丈夫かな」なんて思っているうちに、夜の9時を過ぎたあたりから徐々に風雨が弱まってきて、安心したら眠くなって、寝てしまいました。

朝になって、きれいな青空が広がっているのを見て、だけど外に出てみると、前の通りが吹き飛ばされた葉っぱだらけ。それを片付けて一息ついたら、上記の川に近い、低い地域に水が溢れているというニュースを聞きました。知り合いがいることもあり、ちょっと自転車ででかけてみました。
防災地図  
高坂というのは、東松山市の南部で、東部を川島町、南部を坂戸市と接しています。東松山南部の高坂と、坂戸と川島の接点あたりで、都幾川、高麗川、九十九川が合流する場所なんです。

今回水没したのは、上記ハザードマップのまるで囲った部分の浸水地域です。家は、氾濫した九十九川の、もう少し上流に隣接しています。そこからまずは、都幾川を目指しました。途中、関越高速を越えたら、車が一台もありません。晴れている日にこんな様子を見るのははじめてです。都幾川氾濫_191013_0001 (遠くに見えるのは赤城かな。なんか、おかしな光景です)

都幾川氾濫_191013_0002 (A地点の橋上から都幾川の上流を見たところです。奥の山、とがって見えるのが笠山、その左手が堂平山)

都幾川氾濫_191013_0003 (B地点から富士山、大岳山、御前山)

都幾川氾濫_191013_0004 (B地点の少し下流。川がカーブしていて水が滞留している感じ。向こう岸の堤防の向こうが水没地)

都幾川氾濫_191013_0005 (あの橋を渡って水没地を見に行きます。富士山がきれい)

都幾川氾濫_191013_0006 (C地点まで来ると、・・・うわっ、水没してる。この間体育祭をやった正代グラウンドも水の中。富士山がきれいなのが悲しい)

都幾川氾濫_191013_0007 (こっちは早俣の集落。だいぶ水が引いているようには見えますが・・・)

都幾川氾濫_191013_0008 (今渡った橋を下りていった先は、・・・水没しています)

都幾川氾濫_191013_0010 (北路を戻って、一つ上流の橋を渡ったところがD地点です)

都幾川氾濫_191013_0011 (通れる道を探りつつE地点まで来ました。水没地の向こう側が坂戸市です)

都幾川氾濫_191013_0012 (E地点から九十九川上流を見たところ)

都幾川氾濫_191013_0013 (さっきより少し上流に来ました)

半ばが水没した家もありました。床上に浸水すると、あとが大変です。床下浸水だけだって大変なんですよね。流された車も少なくありませんでした。でも、この地域では、今のところ、人的被害があったとは聞いておりません。

秋のいい時期になって、しかも三連休ということで、いろいろなイベントが計画されていたと思います。事故でもなく、人為的なものではないのに、折角の努力が自然災害でふいになることも、日本では少なくありません。

そういうことが、日本独自の精神の形勢に影響を与えているんでしょうね。

*その後のニュースで、水没した車から、男性が死亡しているのが見つかったと報道しているのを知りました。ご冥福をお祈りします。




テーマ : こんなとこ行ってみました。
ジャンル : 日記

『日本の食卓 秋』 幕内秀夫 野崎洋光

まったく、すごい台風ですね。うちは地元のハザードマップで確認しても、浸水地域じゃありませんが、東から吹き付ける風で打ち付ける雨のおかげで、玄関で雨漏りが始まってます。おお、ついに災害に強いはずの埼玉にも、特別警報が出ました。まったく、ゴジラの襲来か!こうなったら、神頼みしてやる!

2019年10月2日(水)~3日(木)の二日間、元アメリカ副大統領アル・ゴア氏が来日し、気候変動問題について学ぶトレーニングプログラム“Climate Reality Leadership Corps Training”が行なわれたんだそうです。

暑いにつけ寒いにつけ、帰ったときのことを考えて、エアコンをつけっぱなしで出かけるアル・ゴアに、一体日本人が何を学ばなければならないんでしょう。馬鹿も休み休み言ってほしいもんです。

この問題、いつの間にか地球温暖化問題から気象変動問題と言い換えられるようになってきているみたいです。どちらでもいいんですが、この問題の本質は、利益をどこに誘導するかです。どうやら、それを主導している一人が、アル・ゴアであるようです。

だいたい、厚かましいアル・ゴアを見ているだけで、暑苦しい。せっかく残暑も収まったというのに、・・・。

そうそう、残暑もおさまり、過ごしやすい時期になりました。“****の秋”を一つだけ選べと言うなら、なにを選びますか。私は断然、“食欲の秋”です。夏だって、春だって、冬だって、いつだって食欲はあるんですが、やっぱり秋は、この時期ならではのうまいものがいっぱい登場するじゃないですか。

サンマは食いましたか。安くて138円だったかな。私は、そこまで待って食いました。すだちを絞ってね。さらに下回ったら、二度目だな。

さつまいもは、連れ合いが炊飯器で蒸したらとっても美味しく出来上がりました。さらにそれを新聞紙にくるんで、冷蔵庫で一晩寝かしたら、なんとこれが芋ようかんのような味わいになるっていうんだから驚きです。

栗ご飯はもう食べました。うまかった~。今夜が二度目になるんですが、楽しみです。だけど、できれば栗むきはしないで、栗ご飯を食べる手はないもんでしょうか。


『日本の食卓 秋』    幕内秀夫 野崎洋光

アスペクト  ¥ 1,650

食の賢人たちによる、この時代だからこそ伝えたい「本当に大切な」季節の献立帖
第一章  秋の食事と健康
第二章  秋の1週間献立表
第三章  秋の食材レシピ


著者のお二人、幕内秀夫さんは、『粗食のすすめ』の人ですね。私も大きな影響を受けました。野崎洋光さんは、言わずと知れた《分とく山》のご主人です。

『日本の食卓 今だから伝えたい旬の献立表』のシリーズは、秋に始まり、秋→冬→春→夏と季節をめぐりました。2012年、2013年に出されて、“夏”だけは時価になってしまったようですが、秋・冬・春は現役です。大したもんですね。春夏秋冬に分けたのは、夏は夏らしく、秋は秋らしく食べると、しっかりその季節にあったご飯を食べることで健康を維持するという意味があるようです。

そうですね。ちょっと前までは、その季節にはその季節のものしかありませんでしたが、今はそれがわかりづらくなってるところがあります。まずは秋からこのシリーズが始まったってのも、やはり意味があると思います。秋は今でも、季節を感じやすいですからでしょう。

第二章の《秋の1週間献立表》なんか、そのまま今週1週間の献立表に採用したいくらいです。これ見ながら、サンマはもちろん、イワシも秋がうまいです。これ見て今日スーパーに行ったら、イワシがありませんでした。残念。

野﨑さんは、料理は小学校三年最低どの理解力があれば十分作れるって言ってます。そうですよね。今、仕事辞めて、台所に立つ時間も以前よりも増えています。山に行かない時は、朝昼を、私が作ります。下手ですけど、本当に料理は楽しいです。

ただ、下処理はめんどくさいですね。なんとか、栗むきをせずに栗ご飯を食べる手はないもんでしょうか。




テーマ : 料理の本
ジャンル : 本・雑誌

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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本
































































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