やっぱ野菜『ごはんのきほん』 有元葉子
ここんところ、料理の本の紹介のたびに行ってますが、私、このいい歳になって、野菜をたくさん食べることを心掛けることで、食生活を変えようと思ってるんです。そんな私にとってこの本はうってつけ。なにしろ、この本の半分は、野菜を食べることを主題にしているんですから。
飛びぬけて貧乏というんでもないけど、経済的に豊かな家庭ではなかったですね。学校の給食がどうのこうのという話になると、私の世代の給食に関しては、あまりいい思い出を語る人は少ないようです。ですが、私は、給食の時間が一番好きでした。二人の兄たちと争うことなく、アルマイトの食器に取り分けられた自分の分が確保されているんですから。さらに頑張って他の人よりも早く食べれば、たいていの場合はお変わりができるんですから。
脱脂粉乳?・・・美味しくいただきました。
中学校では脱脂粉乳が牛乳に変わりました。部活が終わってから、誰かが飲まずに残っている牛乳を、たいてい2~3本飲んで帰りました。
家では、ご飯が十分じゃなかったこともあって、必ず夕ご飯にはうどんがつきました。うどんは子どもの時分から、ずいぶんこねましたね。製麺機、生地を入れて取っ手を回すと切れて出てくるのを買って、その後はずいぶん楽になったような記憶があります。
そうそう、いつだったか、祖母が亡くなったときだから、もう30年以上前だな。葬儀を終えた次の日かな。お勝手の戸棚から製麺機を引っ張り出して、兄貴たちと一緒に久しぶりにうどんを打って喰いました。母にお下地を作ってもらってね。うちのお下地は酒が多めでね。うまいんです。昔みたいに、天ぷらは野菜だけ。こんときは、ねぎの天ぷらでした。そのうまいこと。昔を思い出して、涙がこぼれそうでした。
肉は、ときどき、しょうゆ味の焼き肉を食いました。本当にときどきです。それも、小学校も高学年になってから、だいぶ後の記憶の様です。油断すると兄貴たちに取られてなくなるんです。泣く泣く、しょうゆのたれでご飯を食べました。


私の小学生時代ってのは、微妙な時間差で、高度経済成長の恩恵が私の家にもやってきて、ちょっとずつ日が差す様に、生活にゆとりが生まれていったようです。カレーの肉が、魚肉ソーセージから豚コマに変わっていったのは象徴的な出来事です。
しかし、私より5歳上の長男は、その恩恵をしっかり受けきれないままに少年期を終了し、大学に入学して家を離れました。長男の肉に対するコンプレックスはすさまじく、成人後はすっかり肉喰い妖怪に身を落としてしまいました。
私がそうならずに済んだのは、私は少年期の終盤に、肉を食ったからだと思います。私より20cm身長の低い長男は、今でも、親の仇でもあるかのように、肉を食いちぎっています。
そこまでではないにしても、やっぱり、肉が喰いたかった。だから、やっぱり私も、肉は食卓の中心です。なにも考えずにご飯を食べれば、その中心にあるのは、やっぱり、肉なわけです。肉喰い妖怪に身を落とした兄は、もう救うことはできないでしょうが、私は野菜をたくさん食べることで、食生活を変えようとしています。・・・なんども書きましたね。
野菜をうまく食べる工夫が、この本にはたくさんあります。
《春野菜は水分が多いので、生に近い状態でフレッシュに食べる》
でも、生で食べるのは、私、苦手なんですよ。そしたら、「サッとお湯に通す」とか、「熱湯にくぐらせる」とか、そういう表現の料理方法があるんですね。そうしてキャベツを梅和えで食べるとか、きぬさやをごま醤油和えにするとか、これはうまそうですね。
《茹でるよりも早いし、蒸すのはいいことずくめ》
新じゃがやアスパラガスのは蒸すのが断然うまそうですね。
《きのこは網で焼くとうまみが増す》
これも、たしかにうまそう。サラダや和え物に入れたり、マリネにするにも、網で焼いたものを使った方がうまいそうです。最近、菌床栽培できのこの値段がだいぶ下がって、きのこも庶民の味方になりましたからね。いっぱいいただきたいところです。
《茹でて梅干しで合えるだけ、蒸してマヨネーズをつけるだけ。野菜のおかずは凝らない方がおいしい》
こういう考え方が、好きだな。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
飛びぬけて貧乏というんでもないけど、経済的に豊かな家庭ではなかったですね。学校の給食がどうのこうのという話になると、私の世代の給食に関しては、あまりいい思い出を語る人は少ないようです。ですが、私は、給食の時間が一番好きでした。二人の兄たちと争うことなく、アルマイトの食器に取り分けられた自分の分が確保されているんですから。さらに頑張って他の人よりも早く食べれば、たいていの場合はお変わりができるんですから。
脱脂粉乳?・・・美味しくいただきました。
中学校では脱脂粉乳が牛乳に変わりました。部活が終わってから、誰かが飲まずに残っている牛乳を、たいてい2~3本飲んで帰りました。
家では、ご飯が十分じゃなかったこともあって、必ず夕ご飯にはうどんがつきました。うどんは子どもの時分から、ずいぶんこねましたね。製麺機、生地を入れて取っ手を回すと切れて出てくるのを買って、その後はずいぶん楽になったような記憶があります。
そうそう、いつだったか、祖母が亡くなったときだから、もう30年以上前だな。葬儀を終えた次の日かな。お勝手の戸棚から製麺機を引っ張り出して、兄貴たちと一緒に久しぶりにうどんを打って喰いました。母にお下地を作ってもらってね。うちのお下地は酒が多めでね。うまいんです。昔みたいに、天ぷらは野菜だけ。こんときは、ねぎの天ぷらでした。そのうまいこと。昔を思い出して、涙がこぼれそうでした。
肉は、ときどき、しょうゆ味の焼き肉を食いました。本当にときどきです。それも、小学校も高学年になってから、だいぶ後の記憶の様です。油断すると兄貴たちに取られてなくなるんです。泣く泣く、しょうゆのたれでご飯を食べました。
『ごはんのきほん』 有元葉子 SBクリエイティブ ¥ 1,620 大好評を得た『レシピをみないで作れるようになりましょう。』第二弾です |
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私の小学生時代ってのは、微妙な時間差で、高度経済成長の恩恵が私の家にもやってきて、ちょっとずつ日が差す様に、生活にゆとりが生まれていったようです。カレーの肉が、魚肉ソーセージから豚コマに変わっていったのは象徴的な出来事です。
しかし、私より5歳上の長男は、その恩恵をしっかり受けきれないままに少年期を終了し、大学に入学して家を離れました。長男の肉に対するコンプレックスはすさまじく、成人後はすっかり肉喰い妖怪に身を落としてしまいました。
私がそうならずに済んだのは、私は少年期の終盤に、肉を食ったからだと思います。私より20cm身長の低い長男は、今でも、親の仇でもあるかのように、肉を食いちぎっています。
そこまでではないにしても、やっぱり、肉が喰いたかった。だから、やっぱり私も、肉は食卓の中心です。なにも考えずにご飯を食べれば、その中心にあるのは、やっぱり、肉なわけです。肉喰い妖怪に身を落とした兄は、もう救うことはできないでしょうが、私は野菜をたくさん食べることで、食生活を変えようとしています。・・・なんども書きましたね。
野菜をうまく食べる工夫が、この本にはたくさんあります。
《春野菜は水分が多いので、生に近い状態でフレッシュに食べる》
でも、生で食べるのは、私、苦手なんですよ。そしたら、「サッとお湯に通す」とか、「熱湯にくぐらせる」とか、そういう表現の料理方法があるんですね。そうしてキャベツを梅和えで食べるとか、きぬさやをごま醤油和えにするとか、これはうまそうですね。
《茹でるよりも早いし、蒸すのはいいことずくめ》
新じゃがやアスパラガスのは蒸すのが断然うまそうですね。
《きのこは網で焼くとうまみが増す》
これも、たしかにうまそう。サラダや和え物に入れたり、マリネにするにも、網で焼いたものを使った方がうまいそうです。最近、菌床栽培できのこの値段がだいぶ下がって、きのこも庶民の味方になりましたからね。いっぱいいただきたいところです。
《茹でて梅干しで合えるだけ、蒸してマヨネーズをつけるだけ。野菜のおかずは凝らない方がおいしい》
こういう考え方が、好きだな。

