めんどくせぇことばかり
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『おやじ飯』 昼めし旅 テレビ東京

実はこの本、結構古い。

平成二七年に出された本。もう七年も前になるのか。その割りにこの本、まだ時価になってないみたい。内容が充実していて、人気があるということだろう。

テレビ東京で、月曜から金曜の午前一一時四〇分からやってる《昼めし旅》という番組がある。放送が始まったのが二〇一四年と言うから、もうずいぶん長くやっている。

お昼時は無責任にニュースを紹介する番組が多い。・・・それは、お昼時に限らないかな。だいたいニュース自体、不愉快な内容のものが多く、ご飯時に見たり聞いたりする気になれない。NHKラジオの《ひるのいこい》見たいな番組が、ごはんを食べるときにはいいんだけどね。実際、《ひるのいこい》に合わせてご飯にすることもある。

テレビをつけてお昼ご飯にするなら、断然、《昼めし旅》だな。ずいぶんな長寿番組になるから、この間、いろいろと変化はあったようだ。内容も、時間も、人もね。

最初の頃、“おやじ飯”というコーナーがあった。番組の最後の方で、主に東京都区内にある料理店のまかない昼飯を、「おやじ飯」として紹介していた。今はもう、このコーナーはなくなったみたいだな。

ほんの短い時間のコーナーで、かつ内容が充実していたから、好きだったんだけどね。短いコーナーの割りに、情報収集や取材が大変だったんだろうな。

分かるよ。

その“おやじ飯”のコーナーで紹介されたまかない昼飯も、放送開始以来、平成二七年一〇月段階で三六〇のレシピが積み重なった。

それを機に、「ササッと簡単に作れて、マンネリ化しないようにワンポイントがある」おやじ飯から厳選されたレシピを、一冊にまとめたのがこの本ということ。


『おやじ飯』    昼めし旅 テレビ朝日

KKロングセラーズ  ¥ 1,100

平日お昼放映「昼めし旅〜あなたのご飯見せてく ださい」の人気コーナー「おやじ飯」
一章 おやじの丼
二章 おやじの肉
三章 おやじの魚
四章 おやじのタマゴ
五章 おやじの野菜
六章 おやじのパスタ
七章 おやじの米


たしかに、三六〇レシピから厳選されただけはある。

正直、片っ端から全部作りたくなる。ちなみに、無造作に開いた九六ページは「特製海鮮茶漬け」だ。
  1. ラップの上にカンパチを置き、昆布茶と塩を混ぜたものをまぶし、三〇分ほど寝かせる。
  2. 大根おろし、砂糖、わさびを混ぜる。
  3. カンパチを切り、ご飯の上にのせ、とろろ昆布と大根おろしをのせる。
  4. 水に白だしを加え、ひと煮立ちさせる。
  1. ご飯に温めた白だしをかけ、お好みでねぎや海苔をのせる。
カンパチじゃなくても、身近にある海鮮なら何でもいいだろう。私の内でも昆布茶ととろろ昆布は多用しているが、汁ものにする場合多い。海鮮に昆布茶をまぶして、とろろ昆布ものっけたら、昆布のうま味が濃くなるだろうね。

次も無造作に三〇ページ。「焦がしバターのほっけ丼」だ。
  1. ほっけの半身をグリルなどで焼く。
  2. ほっけの粗熱を取り、骨を取って身をほぐす。
  3. ほぐした身にブラックペッパーをまぶす
  4. ほぐしたほっけの身をバターで炒め、しょう油で味をつける
  1. ご飯に刻んだサニーレタスを敷き、ほっけの身をのせる。
ほう。私はほぐしたほっけの身に、塩もみしたキューリを合わせて、それをそのままご飯に乗せて食べるのが好きなんだけど、こっちの方が力になりそうだな。

ずいぶん前に出された本なのに、未だに時価になってないだけのことはある。



テーマ : 料理の本
ジャンル : 本・雑誌

『月の王』 馳星周

馳星周さんも、山の話を書くことがある。だから、時々勘違いしてしまう。

まあ、今回は表紙にもあるとおり“狼”が登場する。そう言えば、北海道大雪山系にエゾオオカミが生き残っているということを書いた話があった。『分水嶺』だ。・・・あれ?

違った。今、確認した。『分水嶺』はたしかに、絶滅したとされるエゾオオカミの影を追いかける話なのだが、あれは笹本稜平さんの本だった。

すでに絶滅したとされるエゾオオカミがそこで生き残っている痕跡を追いかけている男が物語を引き回していく話が『分水嶺』。人間と自然の関わりを、真っ向から取り扱う物語。

『月の王』は、そんな『分水嶺』とは、少々趣が違う。少々ではない。まったく違う。

帝国陸軍特務機関所属の伊那雄一郎は、田辺少佐から緊急招集を受ける。伝えられたのは、駆け落ちした華族令嬢・一条綾子の身柄を、各国の特務機関や蒋介石隷下の藍衣社に先んじて確保せよという密命だった。しかも、皇室から直接派遣された謎の男・大神明と共に遂行せよという。

上記はAmazonにも知るされた、『月の王』の宣伝文章。しかし、これを読んでも、この物語の中で、伊那雄一郎が主役か、主役とはいわないまでも、重要な役割を果たすのだろうと思っていた。たしかに大神は、物語の冒頭で、華族令嬢一条綾子の身柄を確保するための切り札として送り込まれた、“陛下の護衛”として登場している。“陛下の護衛”となれば、突出した能力の持ち主に違いない。

“違いない”とは思ったものの、ここまですごいとは思わなかった。ここまで凄いと、特務機関員をまとめる立場にある伊那雄一郎とは言っても、すっかり霞んでしまう。大神は、杜龍の部下である四天王の一人と戦ったあと、こう言っている。

「どれだけ鍛え上げたところで、所詮、人は人だ」


『月の王』    馳星周

角川書店  ¥ 1,980

「月」を背負う男・大神明の大活劇、直木賞作家のハードアクション大作!
大戦の暗雲が迫る、魔都・上海。蒋介石は中国の農民を軽視し、彼らから物資を強引に挑発した。軍事作戦の必要に応じて、村々を水没されることもためらわなかった。

蒋介石の手足となった藍衣社の異能戦闘集団を率いる杜龍は、中国拳法の奥義を究めた男と言われる。神出鬼没で、人知を越えた強さは、鍛え上げられた兵士や特務機関員も足元にも及ばない。


“月の王”こと大神明は、まさに狼男。いや違う。大神明は、狼だ。それも、並外れた力を持った狼。あまりの力に欲望の果てのむなしさに絶望し、人の足では踏み入ることも難しい険しい山にこもり、ただ一人生きようとした。

しかしそれでも人は山に分け入り、大神を山の神と畏れ、崇め、称えた。大神は自分を敬う者たちだけに、恩恵を与えた。飢えるものには獣肉を与え、迷うものには人里に通じる道を教えた。そうするうちに、山を暮らしの糧とする民の守護者として生きるようになった。

持統天皇の時、山の神は朝廷と契約する。朝廷が山の民を守る代わりに、山の神は天皇と天皇の末裔の“護衛者”となる。

馳星周さんはこれまでに、『比ぶ者なき』、『四神の旗』で、持統朝の政治を仕切った藤原不比等やその子の時代を書いている。その時代、律令制の導入により、すべての人民は政治的に把握され、納税、兵役、雑徭の対象となっていく。

律令の導入は、山の民を厳しい立場に追いやることになる。この時、山の民を守るために、山の神は朝廷と契約を結ぶことになるという話だ。

あの時、確かに軋轢があった。

あの時、山の民を象徴する立場に立ったのは、役小角だったかな。なにしろ鬼を従えているんだからな。

鬼を従えた役小角でも、山の神、大神明ほどの力はなかった。でも、そんな事どうでもいいや!だって、大神明はものすごすぎるんだから。

ハードアクション大作として、楽しく読んで。そういう本よ。



テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『これでいいのか登山道』 登山道法研究会

山の自然というのは過酷なもので、良かれと思って人間の施した整備が、逆に登山道を荒廃させる原因になることもある。

この間、久しぶりに白谷沢を使って都県境にある棒の嶺に登った。沢を越えて未舗装の林道に出ると、そこからは通常の山登りになる。まずは白谷沢上流部の脇を急登し、水の涸れたところで滝の平尾根に向けてトラバースする。トラバースに移ってすぐのところ、まさに白谷沢最上流部なのだが、二〇一九年の台風一九号で崩落を起してから、それが癖になったかのように崩落を起した。その都度新しい道は崩落現場の上に再建されたが、現在の道はもとの道よりだいぶ上につけられている。

トラバース道が尾根にぶつかった場所に岩茸石があり、そこから権次入峠までは、これもかなりの急登となる。ここには横に渡した丸太の両脇を縦の丸太で留めた木段が設置されていた。下は赤土で、濡れているときはかなり滑る。おそらく、滑りやすい赤土の急坂での事故を防ぐために、設置された木段だったろうと思われる。

以前から、丸太が濡れているときの木段の利用は、濡れた赤土以上によく滑るので、私は利用しなかった。しかし、今では、新たな事態が発生した。雨水がこの急斜面を流れ落ちる勢いで、丸太の打ち込まれている土台の赤土ごと木段が動かされてしまっている。そのため、木段と木段の幅は広かったり狭かったり、時には三つ四つが隙間なくくっついていたりする。横になっていたはずの木段が縦になっているところもある。

ついに先日登ったときには、「危険なので木段は利用しないで下さい」というような、奇妙な注意喚起が掲示される事態となった。

実は、この本の《第5章 登山道利用の多様化と課題ー登山道の実態ー事例写真から見える現状と課題》にも《4⃣浸蝕に弱い登山道》として、同様のケースが紹介されている。そこには以下のようにある。

「登山道の階段工は、しばしば雨水により周囲が激しい浸蝕を受けて障害物となる。登山者は階段工を避けて登るため、ますます浸蝕が進行することになり、悪循環となる」

まったく、その通りのことが起きている。

ここはかなりの急坂なので、浸蝕に強い石畳というわけにも行かない。石階段を組むほどの石が、周囲にたくさんあるようでもない。赤城山黒檜山・駒ヶ岳間のような木段はどうだ?あそこもかなりの急坂だったよね。下の土の具合とか、条件が同じとは限らないけど、各地の成功例を参考にして良い道を作れないもんかな。



『これでいいのか登山道』    登山道法研究会

ヤマケイ新書  ¥ 1,100


誰が設置し、管理しているのか、あいまいなまま。それが日本の登山道の現状です
第1章  登山道の現状と課題
第2章  各地の事例に見る登山道の状況
第3章  登山道と遭難対策
第4章  登山道の裁判事例と「登山道」に関わる法令整備
第5章  登山道利用の多様化と課題
第6章  登山道の歴史と今後の活用
第7章  「登山道法」法制化に向けて


最初は、登山道そのものに関する本だと思って読み始めた。

たしかに、そういう側面も十分にある。ただ、それだけの本じゃない。登山道のかかえている問題を通して、日本人と山の向き合い方を問い直している本とでもいえばいいだろうか。

私は高校山岳部で登山を始め、単純に計算すれば五〇年近い経験があるのだが、実際には途中、脚の故障で二〇数年のブランクがある。現在の登山ブームは、ちょうど私のブランク期間に始まった。そのため、近場の山で登山を再開したとき、私は少々、浦島太郎の気分を味わった。そして、しみじみ考えた。

かつて山に入ってくる人は、誰かから、何らかの指導を受けた人がほとんどだった。昭和の登山ブームは知らないが、学校の山岳部、ワンゲル、職場の登山サークルや地域の山岳会等で登山経験を重ねた人、あるいはそういう人と一緒に登る人が多かった。そういう人たちは、下界と違う、いろいろな山での常識を指導されている。その常識が通用しない人が山に入っていることに、当初、違和感を感じた。

だけど、この登山ブームは、なにかをきっかけに山に入ることで、山の素晴らしさを体感した人が増えただけのことなんだろう。決して悪いことじゃない。ただ、多くの人が山に入るようになることで、日本の山にはさまざまな問題があることが明らかになりつつある。それだけのことだ。
彼らの知らないことは、何らかの方法で補う道を作ればいい。

考えてみれば、かつて日本人は、高山には登らないものの、みんな山を歩いたのだ。山を歩くのが自然なことだった。山を歩くことは生活であり、日常だった。この本にも書かれているが、欧米には「歩く」という行為が、人間活動の本源であることを踏まえ、登山道の整備に関わる法律が整えられている例が多いという。

山の自然を享受することによる感動、精神的保養、自然への畏敬など霊的教化。そんな山歩きの効用を考えれば、周辺環境を整えて国が山歩きを慫慂すべき理由は十分にある。

本書はそんな観点から、「登山道」を国民に必要不可欠な公共営造物として捉え、法に基づいて整備、維持管理すべきだという考えに立っている。

応援しなくちゃいけないな。


テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『陽だまりに至る病』 天祢涼

天祢涼さんという作家さんの本を始めて呼んだ。

あらためてあちこち見てみると、カバーのそでに、《『希望が死んだ夜に』で子どもの貧困問題に、続く『あの子の殺人計画』で子どもの虐待に迫った〈仲田・真壁〉の神奈川県警刑事コンビが、次は“コロナと貧困”の陰で起こった事件に挑む。話題の社会派ミステリー第3弾!》とある。

なんとなく、刑事の登場とその関係に唐突なものを感じたが、その唐突さは第1弾、第2弾と順に読んでいれば、感じることのなかったものだろう。

まあ、いい。この第3弾は面白かった。機会があったら、第1弾、第2弾も読んでみたい。


『陽だまりに至る病』    天祢涼

文藝春秋  ¥ 1,870

あなたのお父さんは、殺人犯なの?ネグレクト,貧困,コロナが少女たちを追い詰める
咲陽の章
真壁の章
咲陽と真壁の章
小夜子の章

『希望が死んだ夜に』で子どもの貧困問題、『あの子の殺人計画』で子どもの虐待を扱ったそうだ。この『陽だまりに至る病』 でも、貧困や虐待がテーマの一つになっている。さらには貧困に“性”や“コロナ”などを絡めて、社会で話題になっていることが、自然な形で織り込まれている。

小学五年生の咲陽は、「父親が仕事で帰ってこない」という同級生の小夜子を心配して家に連れ帰る。だが、コロナを心配する母親に小夜子のことを言いだせないまま、自分の部屋に匿うことに。翌日、小夜子を探しているという刑事が咲陽の家を訪ねてくる。

小夜子の父親が、ラブホテルで起きた殺人事件の犯人ではないかと疑念を抱く咲陽だが――。

当初、咲陽と小夜子の不思議な関係が描かれていく。思いもよらず、親に内緒で自分の部屋に小夜子を匿うことになった咲陽。小夜子に貧困の事実を突きつけられて、それだけで動揺しているところへ、神奈川県警捜査一課の刑事が尋ねてくる。小夜子の父親が、殺人事件に関わった可能性があるらしい。

設定の緊迫感が、話に緊張感を与えている。当初、咲陽の家、そして咲陽の部屋における咲陽と小夜子の様子が、児童の貧困や虐待を感じさせながら綴られていく。

ああ、こんな感じで、話が展開していくのかと思ったら、時間が巻き戻されてしまうのだ。

時間が巻き戻されて、仲田や真壁が咲陽の家を訪れる様子が、こんどは仲田や真壁の目で綴られていく。同じ時間の中で咲陽と小夜子、仲田と真壁の様子が綴られるのではなく、咲陽と小夜子の時間をある程度まで進行させて、その時の仲田や真壁の見方があとを追っていく形になる。

こういう物語の進行は、ちょっと記憶にないな。おもしろい。

「タイトルの真の意味に、きっと胸が熱くなる」というラストは、少し前の段階で想像できた。想像はできたが、上を行かれた。上を行かれて、かなり胸を熱くされてしまった。

ちょっと、悔しい!


テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『世界史で深まるクラシックの名曲』 内藤博文

フェリックス・メンデルスゾーンは一八〇九年に生まれて、一八四七年に亡くなった。一九世紀前半を生きたドイツの作曲家である。モーツァルトと並ぶ神童と言われていたんだそうだ。残念ながら、なんと三八歳の若さで亡くなっている。

いいよなぁ、メンデルスゾーン。ヴァイオリン協奏曲なんか大好き。交響曲は三番のスコットランドもいいけど、四番のイタリアが好きだな。誰だったかな。第一楽章の冒頭に「スパゲッティ、スパゲッティ、スパゲーエエッティ」って歌詞をつけて歌ってるって言ったの。NHKFMの《かけるクラシック》って言う番組で司会をやってる市川紗椰さんか。たしか、山を歩いている途中、ラジオで聞いたんだ。

同時代のドイツにはシューマンも活躍していたそうだ。この時代、つまり一九世紀前半のドイツの音楽は、音楽世界の“器楽王国”を目指そうという意識があったようだ。それはクラシック音楽芸術の総本山たらんとする動きだったようだ。

どうやら、ナポレオン戦争の影響か、音楽の世界にもナショナリズムの機運が影響を与えていたようで、国ごとの個性というのがはっきりしてくる時代だったようだ。

たとえば、フランスはロッシーニの「ウィリアム・テル」の成功あたりから、壮大なグランド・オペラ大人気になる。フランスでは「ギョーム・テル」か。オーストリアはウィンナ・ワルツだな。イタリアは前述のロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティ、そしてヴェルディと続く系譜から確立されていった、声の良さ、歌の美しさが際立つように作曲されたベルカント・オペラ。

そんな中で、ドイツは器楽だったわけだね。なにしろ、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ハイドンと、器楽音楽の達人がぞろぞろいる中に、シューマンやメンデルスゾーンが出てきているわけだから、それはすごく自然な流れだな。

しかも、その継承者たちもすごい。ブラームスが登場し、オーストリアのブルックナーやマーラーに受け継がれると言うんだからね。

ナショナリズムというのは、抗いがたいほどに強い情動なんだな。強いがゆえに、その影響も大きい。他者に向けられると、あまりいい事は起こらない。うちに向いても、少数排除につながりかねない。しかし、その分多くの人びとをつなぐ力になるし、働く力が大きいだけに、大きな業績を残すことにもつながる。


『世界史で深まるクラシックの名曲』    内藤博文

青春出版社  ¥ 1,155

クラシック音楽をより深く味わえるようになる「名曲×世界史」魅惑のエピソード
1 バッハと狡猾なるフリードリヒ2世
2 ヘンデルとイギリス・ハノーヴァー朝の始動
3 モーツァルトとフランス革命の勃発
4 ハイドンと将軍ナポレオンの台頭
5 ベートーヴェンと皇帝ナポレオンの暴風
6 ロッシーニとパリ七月革命の衝撃
7 ウェーバーとプロイセンの充実
8 ショパンとポーランドの亡国
9 メンデルスゾーンと国民国家の目覚め
10 ヨハン・シュトラウス父子とパリ二月革命の余波
11 ヴェルディとイタリア統一運動
12 オッフェンバックと皇帝ナポレオン3世の帝政
13 ワーグナーと統一ドイツの誕生
14 ブラームスとウィーンの黄昏
15 チャイコフスキーと皇帝アルキサンドル2世の改革
16 ドヴォルザークとヨーロッパ各地の独立運動
17 プッチーニとグローバル化する世界
18 ストラヴィンスキーと第一次世界大戦前夜
19 ショスタコーヴィチと全体主義の時代
20 カラヤンと東西冷戦


ナポレオン戦争でナショナリズムがかき立てられ、国民意識が芽生えたとき、自分の国を誇りたくなる。いいところを見つけたくなる。文化、特に音楽に目が向けば、たとえばフランス人なら、グランド・オペラを誇りたくなる。イタリア人なら、ベルカント・オペラを誇りたくなる。オーストリア人ならウィンナ・ワルツを誇りたくなる。

一九世紀前半、ドイツはまだ分裂していた。プロイセン、ザクセン、バイエルン、オーストリアなどの多くの領邦があり、ナショナリズムの対象となりうる統一された国家意識は持ち得なかった。だからこそ、ドイツの音楽は、“ドイツ人”を結びつける紐帯となった。“ドイツ人”は、器楽音楽に誇りを持った。

統一された国がないと言うことでは、イタリアも同じ。ベルカント・オペラを愛するイタリア人であるという意識を強く持てば持つほど、オーストリアからの独立とイタリア統一を願わないではいられない。

音楽だって、血なまぐさい世界と、無縁ではいられない。

少し後になるとチャイコフスキー、ムソルグスキー、リムスキー・コルサコフ、ボロディンなど、ロシアに音楽の花が咲く。その流れはラフマニノフ、ストラヴィンスキー、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチとつながっていく。二〇世紀に巨人を輩出したのは、やはりロシアに思える。

ロシアが誇るべきものって、この本の話題に上がってないんだけど、バレエかな。アメリカではいろいろな人間集団からいろいろな音楽が生み出されてくる。だけど、アメリカン・ナショナリズムの対象としての音楽というと、やはりミュージカルと言うことになるかな。

分野ではなく曲そのものになるが、チェコ人はスメタナの「ブルタバ」に国民意識をかき立てられるという。フィンランド人はシベリウスの「フィンランディア」だ。

じゃあ、日本は何だろう。日本人ナショナリズムの対象としての音楽文化、あるいは曲?

私なりに思うところはあるが、それが日本人の紐帯になるかというと、・・・どうもね。



テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

大高取山再訪 夏至前日の日の出鑑賞

春せみの声を聞きに武川岳辺りまで登に行こうと思ったんだけど、朝、起きた時点で思い直した。

急に暑くなった。一九日(日)から完全に変わったようだ。暑さに慣れていない年寄りの身体に、無理は禁物。かといって、週末を除き二〇(月)が貴重な晴れ間であることも確か。

暑くなるのは覚悟の上で、それでも朝早いうちに、近場をちょこっと歩いてこよう。そうそう、そう言えば明日は夏至。夏至近く、越生町世界無名戦士の墓から見た日の出は、東松山市平和資料館展望塔の近くから昇るはず。

近いから、日の出には十分間に合う。この間、物足りなかった大高取山のコアジサイも確認したい。こちらにコース変更した。
地図

無名戦士の墓につくと、東の空が赤い。雲が多いようだ。低いところは薄い雲がついていて難しいかと思ったが、日の出時刻を過ぎて、平和資料館の左手に赤い太陽が浮かび上がる。

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いつもとは少し趣の違う、赤い日の出が見られた。

IMG_3562.jpg大高取山山頂。

少し早いと思ったコアジサイを見るのが目的のひとつだったのだが、終わっていた。

六月一〇日には早すぎたと感じたコアジサイが、完全に終わっている。この間に咲いて、そして終わったのか?・・・どうやらそうではないらしい。一〇日の段階で、つぼみと思ったのは花の落ちた“がく”で、花を落した後の状態だったようだ。つまり、一〇日の時点で、遅い花が残っている程度で、身頃を過ぎていたということ。・・・ううう、残念。でも、棒の嶺で見頃のすごい群生を見られたからな。

その分、桂木観音に回ったら、あじさいが見頃を迎えていた。

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桂木観音から、いつものごとく、あちこちふらふらしたが、やはり、つい先日とは暑さの質が違う。

テーマ : 山登り
ジャンル : 趣味・実用

『シナプス』 大木亜希子

SDGsという運動がある。《持続可能な開発目標》という意味らしい。

二〇一五年九月の国連サミットで加盟国の全会一致で採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に記載された、二〇三〇年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標のことだそうだ。一七のゴール・一六九のターゲットから構成され、地球上の「誰一人取り残さない」ことを誓っている。

そんな国連の常任理事国であるロシアがウクライナに侵略戦争をふっかけ、中華人民共和国は周辺諸民族へのジェノサイドを進行させている。いったい何をやっているんだろう。

《地球上の「誰一人取り残さない」ことを誓っている》というが、可能だとでも思ってるんだろうか。小学校の学級会でも、こんな恥ずかしい目標は立てない。でも、あえてこの目標が立てられているのは、LGBTQも“取り残さない”という暗示だろう。

LGBTQとSDGsは、とても親和性が高い。

一七項目の目標の五番目に「ジェンダー平等を実現しよう」とあるのもそう。ジェンダーに関する差別の撤廃や、暴力の排除は、セクシュアル・マイノリティの総称であるLGBTにも適応される。一〇番目の「国内及び各国家間の不平等を是正する」も、一六番目の「平和と公正をすべての人に」もLGBTにも適応される。

SDGsにLGBTが明記されなかったのは、LGBTを含めたらSDGsが国際的な論義にならなかったからだろう。

私もレズだろうが,ゲイだろうが、人に迷惑をかけない範囲で幸せにやってって欲しいと思う。それは、レズやゲイでなくても同じ。なんか学校でもそういうことを取り上げているらしいけど、それよりも、大事なことがあると思う。

男と女が愛し合って、結婚して、家庭を築く。やがて愛情の中に子どもを授かり、慈しんで育てていく。そして子どもは成長し、有意の人となる。そう思えば、男と女が結婚して、子どもを産み慈しんで育てるって、ものすごい社会貢献になってるんだな。

学校においては、なによりそれを大事に教えていくべきだろう。

「女の自立」は、実際上、保護の喪失という形になる場合が多い。選択肢の少ない状況で、社会における自立を求められ、男たちが築き上げた“仕事社会”に入っていく。理不尽な日常の中で平衡感覚を保つことは、至難の業と言えるだろう。一度、自分を失えば、それを取り戻すためには、なにかを捨てなければいけなくなる。

『シナプス』    大木亜希子

講談社  ¥ 1,815

常識、嫉妬、欲望、理想。今の自分を束縛するものと訣別したとき、世界が変わる

シナプス
風俗嬢A
MILK
海の見えるコールセンター


それぞれが関連付けられた四つの話からなる短編集。

「シナプス」
幼い頃から心の支えだった作家・宮原の担当編集者になった塔子は、彼との不倫関係が会社にバレて退職を選択する。新天地の週刊誌編集部で待っていた過酷な現実とは?

「風俗嬢A」
花屋でバイトをしながら人気女優を目指す31歳の紗英は、同業の彼氏とも崩壊の危機。そんな崖っぷちな彼女に与えられた役は、名もなき風俗嬢だった。

「MILK」
営業成績優秀ながら、部下の俊太郎と報われない恋を続ける楓。俊太郎の家族とあい、心に傷を負った彼女が目にしたのは、レズビアン風俗のサイトでーー 。

「海の見えるコールセンター」
有名映画プロデューサーとの不倫をスクープされたアイドル・早瀬マリカは、引退後、新潟で平凡な暮らしを送っていたはずだった。しかし、そこにも週刊誌の魔の手は伸びて......。

なかでも、「シナプス」と「海の見えるコールセンター」が、ひときわ強く関連する。なにしろ「シナプス」の塔子の再就職先《週間富士》は、「海の見えるコールセンター」の元アイドル早瀬マリカのスキャンダルをすっぱ抜いたお色気満載ゴシップ系週刊誌。

スキャンダルをすっぱ抜かれてアイドル界に居場所を失ったマリカは、経歴を隠して務めた「海の見えるコールセンター」でも、“上司との不倫”というスキャンダルネタを他紙に提供していた。

その記事によれば、引退後、新潟県上越市のコールセンターで、マリカは元アイドルという事実を伏せて働いていたという。そして、男性社員に露骨に色目を使い、上司と不倫関係に陥っているというもの。顔にモザイクをかけた女性社員の証言付きという、ほとんどクロに近い書き方。

取材班は、彼女の婚約者にも直撃し、「早瀬マリカ時代のスキャンダルを知っているか」と尋ねるが、彼は無言で立ち去った。・・・

他紙の記事を追いかけた塔子は、その記事とは違う真実を知ることになる。しかし、マリカ・・・、いや安倍和恵は、毅然とした表情で「消えない十字架を背負っていきていく」と、塔子の前から去って行く。

誰も、生き方を教えなくなった。かつては、たくさんいたはずなのに。生き方を教える人が、若い人の周囲から消えた。親も、年長者も、教師も・・・。


テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『これでいいのか登山道』 登山道法研究会

冒頭、「自分が今歩いている登山道は、いつだれが作り、整備したのだろうかと考える人は、それほど多くないだろう」とある。

確かに、たまに山に登る人は、そうなのかも知れない。私は条件が合えば、土日を避けて、週に二度は山を歩く。時々気分転換に遠出をするが、地元の奥武蔵を中心に歩いている。年に何度か同じ道を歩いたりすると、変化に気づく時がある。

山開きや、山頂にある神社のお祭りがはっきりしている山では、それに合わせて登山道が整備されていたりする。台風の後で道が分かりづらくなっていたり、土砂崩れがあったり、橋が流されていることもあった。

二〇一九年の台風一九号で、奥武蔵の林道や登山道は、あちこちで大きな被害を受けた。台風の翌々日に伊豆が岳に登り、二ヵ所の崩落を見つけた。たまたまあった人が、飯能市役所から依頼された人で、山中で情報交換をした。

さらにその翌日は越生の山に入ってみた。猿岩林道の日照水少し手前が、崩落で道が完全に塞がれていた。それをなんとか越えて日照水から関八州見晴台に向かい、少し戻って傘杉峠からの下りで、大きな崩落にぶつかった。さらにその下の登山道は藤沢入と何度か交差して続いているが、すべての橋が流され、河岸が大きく削られていた。帰って役場のに連絡すると産業観光課の方が対応してくれた。あとから、傘杉峠への登山道はすぐに閉鎖すると連絡が来た。

ときがわ町でもやはり、産業観光課が登山道の管理を担当しているらしい。やはり台風一九号後の登山道のことで質問の電話をしたとき、対応してくれたのは産業観光課の方だった。

東秩父村でも登山基地となる駐車場は村の管轄下にあり、コロナ禍の緊急事態宣言下、駐車場の使用を禁止していたことがある。ハイカーの来村を観光とし、駐車場や登山道を観光施設と捉えているのだろう。

こういうケースは多いようだ。

自然公園なら、その公園指定により国や地方公共団体が登山道の管理を行なうんだろう。それ以外でも、ハイカーという観光客を集める視点から、地方公共団体が管理を行なう場合が多い。越生やときがわ町で産業観光課がそれに対応しているのが、典型的なケースかな。

民間の山小屋がある山域では、山小屋が営業上の都合や登山者の便宜を図るために、自主的な奉仕として登山道の整備に当たるケースも多いようだ。

国立・国定自然公園、都道府県立公園の登山道でも、しっかり管理されているのは一部なのだそうだ。公園内でもその他の場所、また自然公園地外の山岳地登山道では、明確な位置づけや管理体制がないまま放置されているのが現状のようだ。


『これでいいのか登山道』    登山道法研究会

ヤマケイ新書  ¥ 1,100


誰が設置し、管理しているのか、あいまいなまま。それが日本の登山道の現状です
第1章  登山道の現状と課題
第2章  各地の事例に見る登山道の状況
第3章  登山道と遭難対策
第4章  登山道の裁判事例と「登山道」に関わる法令整備
第5章  登山道利用の多様化と課題
第6章  登山道の歴史と今後の活用
第7章  「登山道法」法制化に向けて


もともと日本には、登山を趣味として楽しむという習慣はなかった。

明治以降、切り開かれた登山道もあるだろうが、それ以前から宗教上の理由で開かれた道もある。そして、今、登山道として使われている多くの道は、何らかの理由から来る往来の道だ。

山と谷にさえぎられた日本の風土だが、人びとは山にさえぎられようと、谷にさえぎられようと、縦横に往来した。集落と集落をつなぐには峠を越えた。峠から峠を稜線でつないで遠方を目指した。

ハイカーを観光客であると捉えれば、登山道は貴重な観光資源である。その観光資源を現代に残してくれたのは、そこを往来した先人たちである。そう考えれば、登山道は、私たち現代人と先人をつないでくれるタイムカプセルでもある。

奥武蔵でいえば、外秩父と秩父をつなぐ道。外秩父と秩父は経済的にも依存し合う状況にあり、峠を通じての往来は盛んだった。秩父と多摩にも、同様の関係にある。そこにはもちろん、文化面での親和性も生まれてくる。そのようにして、道が刻みつけられていく。

越生と秩父を結ぶ道は幾つかあるが、四寸道もそのひとつ。四寸道はその途中途中を、猿岩林道に分断されている。そのせいか、四寸道にはオフロードバイクが入っているところがある。オフロードバイクに入られると、さすがに登山道は荒れる。四寸道を登り詰めたところが関八州見晴台なのだが、その最上部にも、今まで見なかったバイクのタイヤ痕を、つい最近見つけた。

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この道、下部は岩場、それを過ぎるとつづら折りの登りで、オフロードバイクでもかなりの技術を持った人だと思われる。オフロードバイクは技術と人格は関係ないのかも知れないが、やめて欲しいものだ。


テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『四神の旗』 馳星周

『四神の旗』は二〇二〇年の本。ちょっと、買ってあったんだけど、ちょっと長く眠らせてしまった。

馳星周さんは、二〇一六年に『比ぶ者なき』を書いている。“同等に比べられない”程優れた者、つまり“不比等の物語だな。その不比等が死んだところから始まる、子どもたちの話が、この『四神の旗』。

当時、豪族は、氏の上が氏族を代表して政界に入った。ところが不比等は、自分の四人の男児、武智麻呂、房前、宇合、麻呂をそれぞれ独立させ、四人共を太政官入りさせることを目指した。四人が太政官入りすれば、藤原氏は太政官を思うように動かせる。不比等はそれを成し遂げることができないままに亡くなった。

不比等は、四人が協力して首(おびと)皇子と安宿(あすかべ)媛をもり立て、藤原氏による政治を確立することを臨んでいた。首皇子が玉座につくとき、大極殿には四神の旗が立てられる。四神とはすなわち、青龍、白虎、朱雀、玄武。首皇子と安宿媛は、共に藤原の血をひいている。藤原氏の血をひく天皇の治世を、藤原氏が守護神として守るという国の形を、不比等はこの国に作り上げようとしていたのである。

かつて不比等は、息子のライバル大津皇子を殺してでも草壁皇子を皇位に就けることを望んだ鵜野讃良につけいって、政界進出の糸口とした。藤原不比等は人の欲望に敏感で、その欲望を刺激して人をコントロールする。根っから政治的な人物で、感情に流されることがない悪魔のような人間。この時代には、不比等に貶められた者たちの、怨嗟に満ちた魂が充満している。だからこそ、ろくな事が起こらない。

『比ぶ者なき』の感想に、次のように書いている。

不比等は悪すぎますから、読んでいるだけで、苦痛でした。読んでいるだけで苦痛を感じる物語を、よく書き上げたもんだと感心してしまいます。

壬申の乱の敗北で、息を潜めて生きなきゃいけないところまで落ちました。最低のところまで行った不比等が、自分を最低のところまで突き落とした天武の家系の中に寄生虫のように取り付きます。そして天武系の家系の血をすすりながらのし上がり、やがて宿主に取って代わっていく人生に、馳星周さんは爽快感でも感じたんでしょうか。

どう読んでも、あまり好意的な感想とは言えない。そんな感想をかいておいて、なんで同様におどろおどろしい物語が紡がれると分かっている『四神の旗』を読んでしまったのか。

・・・そうか。だから、買ってあったのに、ちょっと長く眠らせてあったんだ。それを忘れて、今回読んでしまったわけだ。そして、ほぼ同じような感想を書くと、そういうことになったようだ



『四神の旗』    馳星周

中央公論新社  ¥ 1,870

皇族と藤原家。両者の野心がぶつかり合い、謀略が交錯する。古代史上最大の闇
国の中枢で渦巻く謀略、忍び寄る疫病の影 一三〇〇年前の惨劇を、この国は繰り返すのか?

武智麻呂、房前、宇合、麻呂の四兄弟は、父・不比等の意志を受け継ぎ、この国を掌中に収めるため力を合わせる。だが政の中枢には、不比等が唯一畏れた男、長屋王が君臨していた。


不比等の、人の欲望に敏感で、その欲望を刺激して人をコントロールする能力は、長男の武智麻呂に引き継がれたものとして、物語は描かれていく。その能力を縦横に駆使して、武智麻呂は長屋王を倒していくことになる。

ただ、今度の『四神の旗』は、武智麻呂、房前、宇合、麻呂が天然痘で死ぬところで終わる。

それで溜飲を下げるという話ではない。大極殿に建てられるはずの四神の旗が倒れたことで、物語の最後は、皇后という立場に立った安宿媛、いや光明皇后が、その「皇后という立場を思う存分利用して、私を罰しようとする運命に闘いを挑みます」と宣言しているのだ。

四兄弟が、長屋王の祟りで次々天然痘にかかり死んでいったと思われている状況で、こう宣言しているのである。長屋王告発は誣告であったという認識は早くからあった。それを承知で、政治的謀略で敵対勢力を殺した兄たちの行為を受け入れているわけであれば、光明皇后は母親である県犬養橘三千代の力量以上に、藤原不比等の悪魔性を色濃く相続していたことになる。

実際、次世代から仲麻呂の力量を見込み、引き立てたのは光明皇后だろう。実際、仲麻呂は、存分に悪魔性を発揮する政治家となる。不比等の悪魔性は、光明皇后を通して仲麻呂に受け継がれる。

ならば、『比ぶ者なき』から『四神の旗』に引き継がれるテーマは、藤原氏の持つ“悪魔性”にこそあったということか。

この物語の大半は安宿媛として描かれているわけだが、冒頭の聡明な描かれ方に比べ、光明皇后としての立ち位置が単純なのだ。光明天皇もそうだけど、聖武天皇も、とても単純に描かれている。

私は、母親である県犬養橘三千代も、もっと複雑な政治性をかかえていた人物だと思っている。その娘の光明皇后も、おそらくは藤原氏の政治に不信を持った聖武天皇の妻としての立場もあり、もっと複雑な政治性を持っていたと思われる。

また、聖武天皇の母である宮子のことに、ほとんど触れてない。後の聖武天皇を出産したものの心的障害となり、長く皇子に会うことはなかったというのも不可解だ。なにしろ、後に治っちゃうんだから。

しかし、そういうことをそぎ落としてまで、藤原氏の持つ“悪魔性”にこそ、物語を描く価値を感じていたということか。作者の馳星周さんは。

だったら、「不比等は悪すぎるから、読んでいるだけで苦痛」などと言わず、その悪魔性こそ、快感を感じるようにならなきゃいけないな。

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ジャンル : 本・雑誌

白谷沢 水多かったな

一六日(木)は晴れると天気予報が言うから、山を歩いてくることにした。暑くなるというから、早く出て、暑くなる前に下山しよう。

春せみの声でも聞きに行こうかと思ったんだけど、白谷沢から棒の嶺に登ることにした。そのあと、仙岳尾根を使って落合に下山し、有間渓谷観光釣り場で駐車場を使わせてもらえるか聞いてくる。OKしてもらったという他の人のレポートを読んだけど、ついでに駐車場も確認してこよう。

そんなわけで、さわらびの湯第三駐車場に車を置かせてもらい、五時半頃歩き出しで出発。ちっとも晴れてないけど、「そのうち晴れるんだろう」と思いつつ。

歩き始めると、観光釣り場の看板があって、「増水のため臨時休業」とある。お休みで人がいないと、話もできない。それに、仙岳尾根を下りたところは川の右岸。左岸に渡る橋がどんな状況だか心配になる。歩きながら考えよう。
IMG_3418.jpg天気予報では、晴れ!

そのうち晴れるんだろう。なんか最近、このパターンが多いような。
登山口。

そこの階段に腰掛けて登山靴を履いていたら、目の前を猿が・・・。この界隈で猿を見たのは始めて。

こっちを気にしているくせに、まったく視線を向けずに、右から左へと通過していった。
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IMG_3420.jpg いつもながら立派な杉の木。神さまがやどっているのは疑いない。入渓は、もう少し先。

時間をかけて、白谷沢の写真を撮りながら登る。今日の沢は、水が多い。何年か前、台風のあと登ったときに近い。経験上、二番目の水の多さだ。いつもは何でもない徒渉だが、足を置く岩が水をかぶっているので注意深く渡る。二番目のゴルジュのところは、斜めに置かれた倒木に足をかける。いつもなら足を滑らせて水に踏み込んでも大したことないのだが、今日は膝までいってしまいそう。でも、水が多い分だけ、楽しいのも確か。


東屋までにずいぶん時間をかけた。そこまで空模様を気にしてなかったが、沢を抜けても、日は出ていなかった。でも、山頂からは良い景色が見られるに違いない。天気予報は晴れなんだから。

岩茸石から上は、コアジサイの群生。ちょうど見頃を迎えている。すごい群生だな。名前の通り、小さな花なのに、この群生には圧倒される。

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山頂到着。天気は曇り。景色は、奥武蔵の範囲まで。それも日和田山から丸山に至るグリーンラインの稜線は見えているが、その手前は雲の下。伊豆が岳、古御岳、子の権現の山頂部分だけが見えている。奥武蔵の向こうの山は、たまたま赤城山だけ姿を見せてくれていた。筑波山は鬼の角のよう。
IMG_3530.jpg 中央が関八州見晴台。向こうから棒の嶺を見ることの方が多い。向こうから見えるんだから、こっちからも見えるよね。手前は子の権現。
IMG_3532.jpg 赤城の手前は丸山らしい。その手前、雲から頭を出しているのは伊豆が岳、古御岳か。

天気予報は、少なくとも午前中に関しては外れ。なんか、つい最近、尾瀬で同じような経験をした。山頂で昼寝をして天候の良化を待つ。目を覚ましたら、見える景色が減少。筑波山の鬼の角も雲に埋まった。

落合には行かないことにした。このまま、北東尾根を使って下山する。

地図

下山を開始すると、こちらにもコアジサイの群生。またまた圧倒される。
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テーマ : 山登り
ジャンル : 趣味・実用

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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本














































































































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