めんどくせぇことばかり
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敗北『国家と教養』 藤原正彦

大学を出て一年浪人。仕事をするようになったのは一九八三年です。

プラザ合意が一九八五年です。あそこで円高ドル安誘導が始まって、たった一年で一ドル一五〇円ですからね。そうして日本はバブル景気を迎えることになりました。

高校で仕事をするようになったわけですが、学校での仕事の分担は進路指導部というところでした。新設校でしたが、就職する生徒もけっこう多くいましたね。それが、バブルの頃は、ものすごい数の求人が学校に来たんです。求人票が処理しきれないほどでした。

高校への求人の解禁日は七月一日なんですが、ちょうど期末試験の時期と重なります。試験を実施して、採点して、成績つけて、・・・なんてことをやってる時期です。だいたいどこの学校でも、期末試験の最終日あたりから求人票を生徒に公開します。生徒は、公開された求人票から良さそうな会社を選び、進路指導部に申し出て、履歴書を持って見学に行くわけです。就職試験は九月一六日からと決められているのですが、どこの会社でもだいたい、この見学の際に生徒の人柄を見ます。中には適性検査をやってしまうところもあります。

本来、選考は九月一六日以前にやってはいけないんです。それに夏休み中はあくまで見学なんですから、行ってみて向かないと思えば、生徒には断る自由があります。このあたり、企業と学校の間に阿吽の呼吸というのがありまして、企業は夏休み中の企業見学で、九月一六日以降の採用試験を受けた場合の合否を教えてくれます。「ぜひ受けてもらってください」とか、「他の会社を考えられた方がよろしいかと・・・」とかです。後者の場合、それを生徒に伝えて、違う企業を探すんです。

高校からの就職の場合、大学と違って、受験する会社は一人一社という了解がありました。大多数は地方の中小企業ですから、大きな会社の人事のような対応はできませんからね。

だから、九月一六日から始まる採用試験で落とされると、“残り”の求人の中から会社を探すことになります。これは大変なんです。だから、私たちにしても、一度目の採用試験で受かる会社を受けさせたいわけです。だから、会社から、なんとなく手応えを教えてもらうというのは、ありがたいことでした。

今は、ハローワークからの指導で、それができなくなっているので、とても厳しいようです。

求人票は郵送も多かったんですが、人事担当の人が学校に持ってきて、いろいろと仕事の説明をしていくケースも多かったんです。進路指導室では捌ききれず、大会議室にいくつか席を設けて、進路指導部に属する教員が総出で話を聞きました。大会議室前には列ができてましたね。

ただ、求人の解禁は七月一日なんですが、求人はこのあと、それこそ翌年の三月まで断続的に入ります。大半の就職希望社は夏休み中に採用試験を受ける会社を決めますので、実は求人票の研究は五月、六月に前の年の求人票でしておく必要があるんです。

仕事をするようになって五年目だから、一九八八年、まさにバブルど真ん中ですね。八月の後半になって求人票を持ってきた会社がありました。ずいぶん砕けた感じの担当者で、この時期だと大半の生徒は受験する企業が決まってしまっていることをお話すると、「誰でもいいから」と言い出しました。

「誰でもいいからいませんか。成績なんてどうでもいいから、日本語が話せれば、イラン人に日本語を教える手間が省けるから。他のことはこっちで仕込むから、行儀が少しくらい悪いやつでもいいから」って言ってました。


 『国家と教養』    藤原正彦

新潮新書  ¥ 799

教養なき国民が国を滅ぼす 教養こそが大局観を磨く 大衆文学も教養である
第一章 教養はなぜ必要なのか
第二章 教養はどうやって守られてきたか
第三章 教養はなぜ衰退したのか
第四章 教養とヨーロッパ
第五章 教養と日本
第六章 国家と教養


バブルが崩壊して、日本の富がアメリカに吸い上げられていきました。キーワードは「グローバル・スタンダード」か。まさにその通り。

アメリカの格付け会社が、日本の銀行や証券会社を格下げして、日本の会社の信用を意図的に落としていきました。トヨタ自動車も、終身雇用制度を採っているという理由で格下げされたそうです。力づくで日本型の会社経営、日本型の資本主義をやめさせよう、自分たちのやり方に従わせようとしたんですね。

この本を読んでいて、自分の仕事人生と照らし合わせて、しみじみ振り返ってしまいます。

金融ビッグバン、BIS規制、郵政民営化、商法・司法・医療制度の改革、労働者派遣法の改革、そういった大改革の背景には、いずれもアメリカの要求があったんですね。

一九九四年から《年次改革要望書》が、毎年、アメリカ側から日本に送られるようになりました。このことは、ずっと国民に隠されていて、二〇〇九年にやっと知らされました。

日本の富をアメリカが吸い上げられるようにするのが、グローバル・スタンダードの本質ですね。小泉純一郎首相、竹中平蔵郵政民営化担当大臣のときが、まさにその真っ只中なんですね。

中小企業が追い込まれ、駅前商店街がシャッター通りと化し、長く続く不況が人身を蝕みました。「人の優しさ、穏やかさ、思いやり、卑怯を憎む心、献身、他社への深い共感と、日本を日本足らしめてきた誇るべき情緒までをも」蝕み始めたと藤原さんは嘆きます。

成果主義が入ってきました。「教育に成果主義はそぐわない」って言われ続けたけど、教育もグローバル・スタンダードに降参しちゃいました。教育も、目に見える成果を求められるようになっちゃったんですよ。そんなわけで、私はバイバイしちゃいました。敵前逃亡って言われりゃそのとおりなんだけど、徒手空拳の年寄じゃどうにもなりません。




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ジャンル : 本・雑誌

『王家の遺伝子』 石浦章一

遺伝子もまた、歴史を紡いでいるんですね。

言語による歴史というのは、勝者のみに、綴るのとが出来るものです。敗者には、言語で歴史を綴ることはできません。でも、遺伝子は、勝者であっても、それに手を加えることはできません。

シベリアや南洋でなくなった戦没者の遺骨収集も進みません。二四〇万人の戦没者のうち、今でも一一二万人分の遺骨が現地に残されているそうです。これまでの遺骨収集では、細かすぎて身元が判明できない遺骨は、現地で焼却した上で持ち帰り、千鳥ヶ淵に埋葬されるんだそうです。最近のニュースで、焼却した遺骨はDNA鑑定ができなくなってしまうという話を聞きました。

アメリカが共同の作業を日本に呼びかけているそうですね。アメリカは焼かずに調べるそうですよ。そして、遺骨を家族のもとにかえす。今も世界で戦争を続け、戦死者を出し続けるアメリカは、それが絶対に必要なんでしょう。このアメリカの呼びかけには、乗っかるべきではないでしょうか。

戦争が終わって七四年ですよ。これは、やる気が無いとしか言いようがないんじゃないでしょうか。やはり、避けては通れないんじゃないでしょうか。あの戦争でなにがあったのか。戦争になってしまったことは、残念ではあるが、やむを得ない。なにしろ相手のあることですから。どうしても日本と戦争しないと収まらないというアメリカのことだからね。

だけど、日本が国家なら、犠牲になった国民の骨くらいは拾ってくれなきゃおかしい。つらい思いをした女の人はそれを言い出さないから、好都合で知らんぷりじゃ国じゃない。戦災孤児は一二万人もいたそうだ。戦争が終わったあの段階で親がないなんて。

焼いてしまうとDNA鑑定ができないとすると、DNA鑑定によって遺伝子が綴ってくれた歴史を読み解いていくという方法は日本では難しいということになるんでしょうか。それこそ天皇家だって、持統天皇依頼、ずっと火葬してるでしょう。

火葬しちゃいますからね。


ブルーバックス  ¥ 1,080

!?「勝者の歴史」が覆い隠した「王家の真実」を、最新生命科学が解明する!
プロローグ 欺かれたシェイクスピア
第1章 駐車場から掘り起こされた遺体 行方不明だった国王の秘密
第2章 DNAは知っている 遺伝子で何がわかるか、何ができるか
第3章 リチャード3世のDNAが語る「身体改造」の未来 デザイナーベイビー
第4章 「ツタンカーメンの母」は誰か? ミイラに遺されたDNAからわかった
第5章 「エジプト人」とは何者か? DNAが語る人類史
第6章 ジョージ3世が患っていた病 歴史は科学で塗り替えられる
第7章 ラメセス3世殺人事件 DNAによる親子鑑定の可能性とその限界
第8章 トーマス・ジェファーソンの子どもたち DNAだけがすべてか?


ちょっとこの本の趣旨からは外れますが、《日本人はどこから来たのか》ってのは、やっぱり興味があります。この本でも、分量は少ないんですが、そのことに触れてくれています。

まずは、四万~四〇〇〇年前、旧石器時代から縄文時代にかけて、日本列島にさまざまなルートから人が渡ってきています。北から、南から、あるいは朝鮮半島を経由しての流入のようです。この人たちは、現在の東ユーラシアに住んでいる人たちとは異なる民族だそうです。

続いて四〇〇〇~三〇〇〇年前、朝鮮半島を経由して別の民族が渡ってきているそうです。この人たちとそれ以前に渡ってきた人たちとの混血は、琉球を除く西日本だけで起こったそうです。

さらに続いて三〇〇〇年前以降、朝鮮半島から稲作民族が渡ってきたそうです。この人たちは、現在の東アジア人と殆ど同じ遺伝子を持った人々で、しだいに先住民と混血して現在の日本人を形成してきたと考えられるそうです。

・・・ちょっと簡単過ぎて、興味深いところまでいかないな。

私たちが、どこから渡ってきたものであったは、たしかに興味深いし、出来ることなら知りたいもんです。だけど、今をしっかりやっていくってことは、それよりももっと大事です。戦争が終わって七四年。でも、八〇年からろうが、一〇〇年かかろうが、付けるべきけじめは、やっぱり付けないとね。




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ジャンル : 本・雑誌

『俳句必携 1000句を楽しむ』 宮坂静生

ご先祖もこの台風で足止めか

ずいぶん大きな台風で、しかも、お盆を直撃とあって、盆休みの帰省であるとか、旅行であるとかに大きな影響が出てしまいました。娘の家族は娘婿の実家である徳島に飛行機で帰ると行っていました。だけど、今朝のニュースでは四国、中国地方への飛行機はみんな欠航になると行っていました。どうするんでしょう。

一三日に迎え火でお迎えしたのはいいけれど、明日の一六日にお送りできないと、いったいどうなるんでしょう。釜の蓋が閉まってしまっては大変です。

帰省する息子のために梨を買う

最近は、冷凍技術が上がって、夏の始まりの頃まで、そこそこ美味しい林檎が食べられます。だけど、ぎりぎり梨には間に合いません。朝、起き抜けの果物は、うちでは欠かせません。この間をつなぐのが、キウイフルーツ。最近は、ニュージーランドのものが安く出回るようになりました。

それでもお盆には梨が間に合いました。もう、うちの方の梨は美味いんですよ。爽やかな歯ざわりと、あのみずみずしさはまるで水の玉。

滝一つ越えた鼻先の蜻蛉かな

夏は沢登り。いやいや、二〇〇〇メートルを超えれば涼しいんだけど、そこまで行くのにお金がかかります。たまにはそんな贅沢もいいけれど、普段の遠出は控えましょう。かと言って地元の低山ではあまりにも暑いので、沢を歩いて、滝でもよじ登りましょう。誰もいない沢。時々、上の林道を走る車の音が聞こえる程度です。沢を誰から歩いていようとは、誰も知りません。

一人ですから危険は避けますが、大丈夫と踏めば、頭から水を浴びるような滝を思い切ってよじ登ります。「越えた」とは言え、まだ両手は岩を掴んでいます。そんな私の鼻先に蜻蛉。こっちが手も足も出せないのを知っているかのようです。



平凡社  ¥ 3,024

古今を行き来し、句の背景や作者の個性、日本の自然・文化・ことばの奥深い世界を紹介
新年 冬 春 夏 秋 冬
一月一日 二月二日 三月一日 四月一日
五月一日 六月一日 七月一日 八月一日
九月一日 一〇月一日 一一月一日 一二月一日
炬燵 雪 梅 雛 花・桜 時鳥 虹 蛍 七夕 盆
秋の風 望月 かなかな 秋分 小鳥来る 林檎
秋の暮 小春 切干 枇杷の花 一二月八日
聖夜・クリスマス 行く年 
[季語の橋]
新年から冬へ 冬から春へ 春から夏へ
夏から秋へ 秋 晩秋から歳晩へ


この本の著者の宮坂さんは、日本農業新聞に俳句鑑賞のコラムを書いているんだそうです。

この本は、平成二一年から一〇年の間に、宮坂さんがそのコラムに取り上げた一五〇〇余句の中から一〇〇〇余句の俳句鑑賞コラムを一冊にまとめたものだそうです。

日本農業新聞には週に三回掲載されているそうです。その中で、宮坂さんは、新聞を朝、手にする農家の人たちに「おはよう」と呼びかけるようなつもりで書いているものだそうです。実際、農業や農業を取り巻く自然に関する俳句が比較的多くなっているそうです。俳句は、もともと季節の移り変わりにともなう心の動きを表すことが多いものです。

宮坂さんは、そのあたりを、「もとより俳句は、こころの表現である。私の思いや考えが季節の移ろいや社会の変化に触発され、ことばにいのちが託される」とおっしゃってます。

時々、思うんですよね。私もその時時のこころの動きを俳句にしてみたいって。季節の移ろいを感じるのは、私だって感じるんです。農業で暮らしていれば一番なんでしょうが。農業を職業としてない私では、農業に触れるのはスーパーの野菜置き場くらいのものです。出来る限りスーパーで農業に触れて、季節のものを食べるようにしたいと思います。季節外れのものが並んでいることも少なくありませんが。

山に行くのに季節を感じますね。そんなときのこころの動きを言葉で表せばいいんでしょうけど、言葉にこだわる習慣を持たずに来ちゃいましたので、なかなか難しいですね。せめて、人の読んだ良い句に触れて、なんとなく真似でもしてみましょうか。

それにしても今日は八月一五日

これじゃ俳句とは言えないのかな。この日付だけで、どうしたってこころが動くのは間違いないんですけど。




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『万能[お酢]レシピ』 重信初江

ちょっと前の本を引っ張り出してみたら、やっぱり時価でした。

夏ですからね~。お酢の本です。もう、毎食毎食、必ず酢を使ったおかずを用意しています。ちなみに今朝は、豆腐ともずく酢の和え物と、ほぐした鯵ときゅうりの酢の物。なんで二つも用意したかって言うと、朝、どうしようかなって冷蔵庫開けたら、昨夜焼いて、一枚残ってた鯵の干物と、水切りした豆腐があったからです。・・・そう、たまたまです。

豆腐ともずく酢の和え物はいいですよ。豆腐は一丁買って、いつも半分をやっこで食べて、半分を水切りしておくんです。水切りした豆腐は、いろいろなものに使えて便利です。その豆腐を手で握りつぶして、それに三つセットで売ってるもずく酢を合えるだけです。もずく酢のヌルヌルで、ご飯にかけて、書き込んで食べてください。

ほぐした鯵ときゅうりの酢の物は、そのまんまです。きゅうりを塩もみしてもいいんですが、めんどくさいのでそのまま甘酢をかけました。この本には《鯵の干物のおろし甘酢和え》が出てますが、魚は意外と酢に合うんですね。

もちろん肉にも合います。肉をにて食べるなら、まず酢で煮るのが、私は一番好きです。この間、たまたま買ってきたスペアリブ、すでにて食ったら、とてもうまかったです。なぜたまたま買ってきたかと言うと、半額になってたからです。定年って本当にいいですね。一一時ころにスーパーに行くと、たまにそういうのがあるんです。

酢と水を一対一。あと醤油を少しと砂糖を少し入れて煮ただけ。うまかったですよ。

もちろんそれも、ずい分前にこの本から付けられた知恵なんですけどね。



高橋書店  ¥ 時価

味つけに、たれに、ドレッシングに、ドリンクにと、使い方はいろいろ。お酢のチカラを実感
サラダスペシャル
酢のパワーで元気おかず
基本の合わせ酢
日替わり寿司レシピ
日替わり麺レシピ
酢でストックレシピ
ヘルシー度100%ドリンク


レシピだけじゃなく、酢の持つ健康に有効な力の説明もあります。例えば、カルシウム・鉄、それからマグネシウム・亜鉛といったミネラル類の吸収率を上げる働きがあるんだそうです。それから、食べ物をエネルギーに変える処理効率を上げてくれるそうです。だから、疲れたときに酸っぱいものが欲しくなるんでしょうか。

老化防止にもいいんだそうですよ。黒酢やバルサミコ酢の色って、あれ、ポリフェノールなんだそうです。ポリフェノールには抗酸化作用がありますから、活性酸素による身体の酸化を防いでくれるようです。黒酢とかバルサミコ酢とかってなんか高そうですけど、そんなこと全然ありません。もともと酢って、とっても安いじゃないですか。その安い酢よりは少し高いですけど、たかが知れてます。

それから、・・・。やめましょう。なんだかくどくなりそう。

連れ合いは、夏になるといつも、しそジュースを作ります。この間、テレビの《ケンミンショー》って番組で、愛知県でよく飲まれているものとして紹介されてましたが、家ではずいぶん前からこれを飲んでます。「ずい分前から」って言っても、この本で知ってからですけど。

昨日、この夏二回目のしそジュースを仕込んだので、実は今日、家には酢がありません。連れ合いが全部使っちゃって、今、買い物に行ってます。今朝作った酢の物は、《カンタン酢》を使いました。いや、それくらい、しそジュースには酢を使うんです。これ、汗かいて疲れて帰った時なんか最高ですよ。

孫一号、二号も大好きです。

時価の本なんか紹介して申し訳ないんですが、本当に重宝する本なんです。なにが重宝するって、あらゆる料理に、酢を使えばうまくなるってことなんです。そう、使っちゃえばいいんです。煮物に酢、焼き物に酢、炒め物に酢、マリネにしてつけ物に酢、刺し身に酢、何でもいいんです。そう、何だっていいことを教えてくれる本という意味で、重宝しています。

何だっていいんなら、この本がなくてもいいんじゃないかと思われますか? ・・・それを言っちゃあお終えよ。




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ジャンル : 本・雑誌

『地図で楽しむ すごい埼玉』 都道府県研究会

日本列島の歴史の中には、縄文と弥生という二項対立があるようです。

本来これは、決定的な二項対立ではなかったはずです。しかし、戦いを好み、その内部に対立を抱えた弥生は、その内部対立に縄文を巻き込みました。日本古代史の最終勝者は、縄文と手を組んだ弥生の対立勢力でした。激しく対立した弥生を滅ぼした最終勝者は、対立した勢力を支えた縄文を恐れ、そして憎みました。

最終勝者に滅ぼされた弥生の残存勢力は、縄文とともに東国を形成していきました。東国は、蔑まれながらも力をつけ、古代史の最終勝者の末裔も、もはや彼らの助けを借りなければならないような状況になっていました。東国が、世の中を大きく動かし始めました。

東国は、あえて戦いを求めたわけではないのに、平将門は敵と決めつけられました。敵であることを受け入れると、東国は強大な力を発揮しました。平将門がそうしようとしたように、東国は違うものになり得る存在だったんでしょう。それこそが、東国の民の望むところだったんでしょう。だからこそ、東国武士団は、頼朝を決して鎌倉から出そうとしなかったんでしょう。

東国が結束すれば、もはや、蔑まれてすむ存在ではなくなっていました。東国こそが、時代を動かし始めました。武士の時代に突入しました。

この頃、武蔵こそが日本社会を動かしていました。

その武蔵国は、現在の行政区画からすると、埼玉と東京と神奈川の横浜と川崎からなり、国府は現在の東京都府中市に置かれました。しかも、東海道に属するということですから、武蔵国の表舞台は東京と横浜で、埼玉県の領域はその後ろ、完全におまけのようです。

ですが、違うんですね。律令制が取り入れられた頃、畿内七道が設置され、各道ごとに、それぞれの国府を結ぶ官道が整備されるんです。その時、武蔵国は東山道に属していたんです。


『地図で楽しむ すごい埼玉』    都道府県研究会

洋泉社  ¥ 1,620

そうは言っても、もはや武蔵を名乗れるのは埼玉くらいのものじゃないかな
奇岩が続く景勝地・長瀞は学術的に貴重な「地球の窓」!
秩父のシンボル武甲山は南洋の火山島だった!
埼玉県東北部を流れる見沼代用水と通船堀とは?
第1章 地形や地質で見る埼玉県
第2章 地図でひもとく埼玉の歴史
第3章 埼玉県の交通地図
第4章 地図で辿る埼玉の暮らしや産業
もっと知りたい埼玉県
埼玉の県民性
地図と数値でわかる埼玉県
埼玉県全73市区町村ガイド


ですから、国府を結ぶ官道は、上野国の国府の置かれた前橋市から南下して武蔵国の国府に至り、さらに北上して下野国の国府の置かれた栃木市に向かいます。ですから、東山道は、上野国、武蔵国、下野国の国府を結ぶ時、Y字を描く形になっているんです。

群馬の前橋市、東京都府中市、栃木県栃木市と官道が通るわけですから、その道は、ほぼ埼玉県を貫通しているわけです。古代において、埼玉県の領域こそ武蔵国の主要地域だったわけです。

後に、武蔵国は七七一年に東海道に編入されることになりますが、「鳴くよ鶯平安京」、平安時代が進むにつれて、この地域は大きく時代に関わります。

平忠頼と平将門の娘の間に生まれた平将恒は、武蔵国秩父郡を根拠地として秩父氏を称しました。当時、秩父は良質の馬や銅の産地として注目され、栄えたそうです。その平将恒の孫に当たる秩父重綱の子が秩父から武蔵野に進出し、畠山、河越、高山、江戸といった各氏を名乗っていきました。
頼朝が挙兵した際、もちろん彼らは頼朝追討の立場で動きます。しかし、その後は頼朝に服属し源氏方として平氏と戦い、鎌倉幕府設立に力を尽くした。この後、北条氏によって秩父氏の流れは力を失うが、大きな流れの中では些細なできごとと言っていいと思います。
なによりも、日本の時代の変わり目に、縄文の流れをくむ東国の代表勢力として秩父氏は力を尽くしました。縄文の流れをくむ東国が、日本の歴史の表舞台に躍り出ます。それがまさに、埼玉だったんですね。




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『日本楽名山』 サライ編集部

地元にあるお寺さんの参道を灯籠で飾り立てる“とうろう祭り”というのがありまして、案内をいただいたので、お祝いに行ってまいりました。

それが九日、金曜日のことです。一〇日、一一日の土日は盆踊りです。市民活動センターの中庭にやぐらを組んで行うんですが、地元三〇自治会の会長は主催者側ですので、準備の段階からお仕事です。

土曜日は、まず午前中、炎天下に提灯を飾って、テントを立てて、来賓や子どもたちへのお土産を準備しました。お昼ごはんを食べたら、二時から始まるニュータウンのお祭りにお祝いに行ってきました。他の会長たちも来ていて、来賓席でビールをいただきました。

夕方は五時に、再度、市民活動センターに集合し、盆踊りの直前準備。六時半に開始して八時半まで盆踊り。・・・ああ疲れた。日曜日、午前中はグタっとして過ごしました。そして再び、五時集合。八時半まで盆踊りで、その後、市民活動センター中にはをなんにもない状態にまで片付けて、一〇時解散になりました。・・・ああ疲れた。

けっこう、合間合間に無駄な時間があって、これが仕事なら、すぐ口出して段取りするんですが、地区の仕事ではそれもめんどくさい。そんなわけで、時間の合間は地域のいろいろなサークルの活動報告なんか読んでました。

なかに、登山サークルの活動報告があって、合間合間に隅から隅まで熟読しました。

山行は月二回、年二四回。日帰りが中心で、ワゴン車借り上げて林道の奥まで入り、山を下りたところにワゴン車に来てもらうって、ものすごく羨ましいことをやってるんです。何回かは遠出もするみたいで、大峰山系や佐渡ヶ島まで出かけているみたいでした。一日の行動時間はそれほど長くなく、山を下りたあと、必ずどこかでお風呂に入って帰ってきているみたいです。


『日本楽名山』    サライ編集部

小学館  ¥ 時価

「ストイックな山歩き」とは対極の「楽に豊かに安全に!」をキーワードにした山歩き術
阿寒岳  八甲田山  空吹湿原
温身平  駒止湿原  御前山
至仏山  三国山  白山
斑尾高原  釈迦ヶ岳  池ノ平湿原
奥裾花自然園  乗鞍岳  藤原岳
御在所岳  武奈ヶ岳  箱館山
ポンポン山  大台ケ原  中山連山
大山  剣山  霧島山


ワゴンを借り上げて、林道の奥から登山を開始して、下山する林道の奥まで迎えに来てもらうというのが、とってもいいですね。これを単独でやったら、ものすごくお金がかかってしまいます。だから、私のような単独の山行は、どうしてもルートが限定されるところがあります。地図を見ながらルートを検討していても、「そうできたらいいな」って、よく思います。会員は二〇名前後で、七〇代が中心のところ、昨年五〇代の入会者があったことを喜んでいる状況でした。

自分がもし入会したら、そんな事を考えてしまいました。

話は聞いてみたいと思いますが、入会はしないと思います。人と歩調を合わせている内に、ニコニコしながらもストレスを貯めてしまいそうな予感がしますので。

この本はずい分前のものですが、古本屋で見つけました。至仏山登山が紹介されていますが、鳩待峠から小至仏を超えて至仏にいたり、山の花に下るルートです。今、至仏から山ノ鼻への下りは禁止されてますので、それ以前のものですね。

コースは目次に上げたものだけです。私はあまりお金をかけた登山ができる状況じゃありませんので、参考にできるのは関東甲信越といったところですね。だけど、ゆっくり登って、花を楽しんで、楽しくお昼を食べて、時間をかけて歩いて、下山したらお風呂というコースばかりです。

一般のコースタイム以上に時間をかけて歩きます。「梵天丸もかく有りたい」、いやいや、いつか私もそうしたいです。

その登山サークルの山行も、そういうコースが多かったです。低山を時間をかけて、楽しんで歩く。平均年齢の上昇とともに、そういう山行が増えたと書かれていました。でも、それもある意味で、羨ましい登山の形です。

「梵天丸もかく有りたい」

そうは思うものの、私はわがままな人間だからなあ。




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『諡』 野村朋弘

甲子園児の名前が面白い。

高校生が変わってるんじゃなくて、その親ですね。面白い名前を付けたのは。今の高校生の親だから、五〇歳くらいの人たちでしょうか。

東海大相模の遠藤成くん。花巻東の西舘勇陽くん。そうそう、岩手大会決勝で花巻東に破れた大船渡の一六三キロ右腕、佐々木朗希くん。今大会優勝候補筆頭に挙げられる大阪履正社の野口海音くん。前橋育英の梶塚彪雅くん。春夏五期連続出場となる智弁和歌山の黒川史陽くん。同じ智弁和歌山の一年生四番バッター、徳丸天晴くん。八戸学院光星の武岡龍世くん。日本文理の小林未来雄くん。熊本工業の江川輝琉亜くん。《(続きを読む)に読み方》

貿易センタービルに、ウサマ・ビンラディン率いるアルカイダの構成員が、乗っ取った飛行機で突っ込んだのが二〇〇一年。あの年に生まれた子が、今の高校三年生ですね。そんな世相が影響しているわけでもないでしょうけど、甲子園を見ているだけで、これだけ“特別”な名前に出くわすんだから、なんかありそうですね。

やっぱりあれでしょうか。あの、キラキラネームの流れ。ただ、単純なキラキラネームとは、なんだか違いますね。さらにそこから一ひねり、二ひねり加わった感じ。体操で言えばE難度が、F難度か、G難度になった感じ。

キラキラネームはキラキラネームで、独自の進化を遂げているそうですね。そっちはもう、ひたすらお子さんが哀れでね。よく児童虐待のニュースを聞きますが、それに近いものがあるように思います。

さて、“諡ーおくりな”ですが、人が死んだあとに送られる名前、特に王侯や皇帝が死んだあと、生前の業績や人生そのものに基づいて送られる名前です。



中央公論新社  ¥ 1,728

諡号の果たした役割、天皇が古代から現代まで存続し得た理由について考察する
第1章 天皇家はなぜ存続してきたのか
第2章 諡号とは何か
第3章 日本の諡号の種類
第4章 日本における諡号制度の展開
第5章 諡号の変容―追号・遺諡の成立
第6章 南北朝の危機と諡号
第7章 漢風諡号の復活


これも、もとは“中国”のものですね。

ただ、“中国”は易姓革命によって王朝が変わっていきますから、前の王朝を滅ぼした新しい王朝は、自らの正当性を明らかにするために、先代をこれ以上ないってくらいひどい名前を贈ります。

中でもひどいのが、《煬帝》です。文帝楊堅の跡をついだ煬帝楊広ですね。《煬》っていうのはひどい意味の漢字らしいです。なんでも、「去礼遠民衆」であるとか、「好内怠政」であるとか。「去礼遠民衆」は、礼節を行わずに民衆に親しまないという意味。「好内怠政」は、内に多淫を好んで、外は政治を荒らすという意味。どちらにしろ、これ以上ないような不名誉な諡だそうです。確かに、大運河の建設や高句麗遠征で人々が苦労したというのは、なんだか納得させられるような話ですが。

まあ、大運河の建設にしろ、高句麗遠征にしろ、皇帝である楊広を殺し、新たに唐王朝を立てた李氏がばらまいた悪帝説を前提に考えなきゃいけない話でしょうけどね。

それがですね。“中国”の歴史には、もうひとり、《煬》の字を贈られた皇帝がいるんだそうです。その人物とは、陳王朝の最後の皇帝、陳叔宝。
陳王朝と言えば、南朝最後の王朝です。南部に続いた漢民族の王朝と言えば、呉・東晋・宋・斉・梁・陳の陳です。

その南朝最後の皇帝が陳叔宝で、政治を顧みず、日々歌舞音曲にふけり、張麗華という鬼道を用いる妃を寵愛したんだとか。五八八年に、陳は北朝を統一した隋に攻め込まれ、皇帝は捕虜となっています。暗愚ゆえに殺されなかったとか。陳叔宝は殺されることなく六〇四年に亡くなったそうです。そして贈られた名が、《煬公》だったそうです。

そして、五八八年に隋が陳に攻め込んだ時、隋軍の指揮をする大将が、楊広、つまり煬帝だったそうです。

日本の場合、易姓革命がありません。だから、基本的に、先代を悪い名前でこき下ろす必要がないんですね。

それから、神武天皇から元正天皇までの諡は、八世紀の中頃に淡海三船によってまとめて贈られたものです。その際、生前の事績を把握して名付けたとされています。ということに成ると、淡海三船という人は、すごい人だったんでしょうね。

そう考えてみると、易姓革命がないから、あえてこき下ろす必要もないとは言え、「生前の事績を把握」して贈った名前ということになると、意味深そうな名前もあります。

仲哀、反正、雄略、武烈、継体、なんてところは、一体何があったんでしょうね。そして、淡海三船がその名を贈った、ほとんど同時代であるはずの持統天皇。その時代になにがあったんでしょうね。




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『激変する世界を先読みする』 佐藤優 副島隆彦

そうですね。日本国憲法は、マッカーサーに押し付けられたものとは言え、多くの日本人がありがたがってますね。その多くの日本人がありがたがってる日本国憲法は、「平和を愛する世界中の皆さんとともに歩みます」なんて言ってるわけですから、夢でも見ているかのような憲法なわけです。

だけど、皇室典範によれば、天皇の位に付けるのは「男系の男子が皇統を継ぐ」とあります。皇室典範は女性差別ということです。

そう、世界基準から見たら、女系の天皇を認めない法律は、男女平等に反しています。もちろん憲法違反ですから、法務省人権擁護局が動かなければいけない事案ということになります。

もちろん、皇族は“国民”じゃありませんから、それはあたりませんけど。

マッカーサーがおかしく作り変えちゃったから、前と後ろ、上と下が逆転しちゃってるんですね。皇室典範というのは、本来、皇室の家訓みたいなもんですから、法律でどうのという話じゃないわけです。家の中の家族の問題まで自由にできないわけですから、それこそ人間扱いされていませんよ。

いずれにせよ、そんな話が交わされています。危ないったらありゃしません。特に危ないのは副島さんです。

「松岡が騙されたときに、昭和天皇も一緒に騙された。だから昭和天皇がもう少し頭がよければ、あと、一歩踏み」こんで「ソ連を攻めていたら、世界史は変わっていました」なんてことを言ってます。

そんな危険な会話がかわされる背景には、二人の間に共通する、危機感があるんだと思います。

世界の歴史を調べると、どこの国もだいたい八〇年に一度、戦争をしているんだそうです。副島さんは世界体制の変動が五年後の二〇二四年に起きると見立てていて、それが戦後八〇年目にあたるんだそうです。

戦争の記憶が希薄になって、悲惨さが受け継がれなくなり、また戦争を始めてしまうような、人間っていうのはその程度の生き物であると、副島さんは言います。



日本文芸社  ¥ 1,620

衝突する超大国、北方領土交渉の行方。時代の先を読む最強の近未来予測
第1章 世界エネルギー覇権と日本の安全保障
第2章 北朝鮮問題から解読する極東のパワーバランス
第3章 安倍政権と忍び寄るファシズム
第4章 平成から新時代へ天皇と近代日本の実像
第5章 これからの世界潮流を読み解く


「歴史は繰り返す」という言葉がありますが、今の出版界に戦前とよく似た状況があるんだそうです。

これは佐藤さんの話ですが、戦前の日本の出版界にも、同じように「日本すごいぞ本」が氾濫していたんだそうです。現代の日本人のナショナリズムが、排外的なヘイト本や、自己愛あふれる「日本すごいぞ本」で形成されるのは、かなり危険な兆候であると言ってます。

まあ、戦争っていうのは、一人で出来るものでもないですから、日本の状況だけを見て危険だっていうのは、いかがなもんでしょう。日本国憲法を支える精神にもある通り、あの戦争がまったく日本の侵略意図によって行われたものであると信じるのであれば別ですが。

戦後の日本っていうのは、ある時期まではけっこうまともだったと思うんです。でかい戦争をして、ハデに負けて、日本の国は潰れました。本来の日本を取り戻すには、何百年かかることかという負け方です。

だけど、稚拙な対応で国を潰したものの、なぜそこに至ったかをみんな知っていました。知ってる人たちが世の中を支えていました。大きな変化は、その人たちが世の中の一線を退いてからでしょう。七〇年代、あるいは八〇年代以降。左翼系の勢力がとても力をつけました。それを支えたのが、まさに日本国憲法をありがたがる世代でしょう。

GHQの意思も教育を通して浸透し、あの戦争は日本による侵略戦争で、あんな戦争をした大人たちは馬鹿だったんじゃないだろうかと、そんな時代ですね。出版界もやりたい放題に日本をこき下ろしてました。佐藤さんの言うような現象の、まさに正反対ですね。

今もし、出版界の状況に目に余るものがあるとすれば、それはかつての、逆な意味でひどかった時代の揺り返しでしょう。・・・私は、今が、佐藤さんが言うほど悲惨な状況だとは思いませんが。

それに、戦争に負けた日本が、日本人が、世界からどんな目に合わされたのか、本当の意味で言い尽くされたでしょうか。満州から引き上げた人々は、どんな目に合わされたでしょうか。東京大空襲は、広島、長崎の悲劇の責任は、日本なんでしょうか。

日本人は、負けた側ですから、よく語り継いでいる方だと思います。本当に心配しなければならないのは、違うことのように思うんですが。




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ジャンル : 本・雑誌

やっぱり暑いので、越生の沢を歩いてきた

七日・八日で、奥日光にキャンプに行こうって予定してたんです。それがなんだか、連れ合いが首の筋を痛めてしまって、自重することになりました。まあ、いつでも行けますから。

この「いつでも行けます」っていう余裕がいいですね。無職って本当にいいですね。「一泊でどこか行ってくれば」って言われたんですが、相手が弱ってるときに、・・・ねえ。

近場でさっとどこか行ければそれがいいけど、暑いですからね。そんなわけで、沢歩きです。

埼玉県の越生に黒山三滝っていう景勝地があります。三滝川はそれなりのボリュームを持ってその上に続きます。滝の上、少し行ったところで沢に下りました。あまり沢歩きの対象になってないのか、人が歩いたあとが感じられません。どうにもならないくらい藪が覆いかぶさっているところや、堰堤は、途中まで沢に沿っている猿岩林道に上がります。
P8080063.jpg (黒山三滝の無料駐車場 写真は帰りに撮りました。朝は私の車だけだったんですが)

P8080060.jpg 
(黒山三滝の女滝 帰りに撮りました)

P8080036.jpg
(黒山三滝に向かう道)

P8080037.jpg (黒山三滝に向かう道)

P8080039.jpg (左は滝に向かう道。右は滝上に出る道。右に進みます)

P8080041.jpg (滝上から猿岩林道に出て、適当なところで沢に下りました。すぐ上に林道)

P8080042.jpg (小さな滝が連続しています。・・・楽しい)

P8080044.jpg (正面に堰堤。林道に上がります)

P8080045.jpg (堰堤の上で、また沢に下ります)

P8080046.jpg (ひどい藪が覆いかぶさるところも林道に上がりました。行ったり来たりしたところもありました)

P8080047.jpg

日照水っていう水場があります。ここで猿岩林道と別れ、花立松の峠に向かう山道に沿って沢が続いています。そちらに少し入ったところに狼岩っていう大岩があって、日照水はその岩から大量に染み出していました。

この沢を歩く人は、やはりあまりいないみたい。なんとなく沢に入る道はあるんですが、沢に入ってしまうと、人が歩いた気配はありません。でも、日照水から上は、程よい滝が連続しています。もちろん、私の手には負えない滝もありました。

しばらくすると、登山道からも離れてしまいます。最上流では、以前に歩いた四寸道の尾根道に這い上がれそうなので、そのまま沢を詰めます。
P8080056.jpg (花立松の峠に向かう登山道です。ここで登山道と別れます)

P8080057.jpg (こちらの沢を進みます)

沢も細くなって、倒木が入り乱れます。水音だけで、流れがなくなります。そのうち、音もなくなりました。いったん離れた猿岩林道に出合い、そのまま林道を横断して枯れた沢が上に続いています。前方に見える尾根が四寸道です。
P8080049.jpg
(水ともそろそろお別れかな)

四寸道に出ると、一度歩いていますが、ものすごい急登です。以前は、あまり急過ぎて巻道に逃げ、逆に進路を失いました。ここはまっすぐ急登が正解です。

我慢して我慢して、行き着く先は関八州見晴台です。
P8080054.jpg (関八州見晴台から南方)

P8080055.jpg (関八州見晴台ラーメン)

帰りは、登山道を下りました。日照水まで下りてくると、ちょうど林道に出る辺りに人が倒れています。「こりゃまずい」と思って近づくと、動きました。・・・お年寄りが、ゴザを敷いて寝てました。

直ぐ側で日照水が染み出しているところですから、本当に涼しいんです。林道に出ると車が止まっていて、その奥様とお嬢様がいらっしゃいました。「すみません。ここが涼しくていいって言うんです。おかしいですよね。」ってあやまっておられました。私は、「死体だと思いました」って答えました。
P8080061.jpg (三滝の一つ、天狗滝。その先が藤原入。今度はこちらを歩きましょうか)

P8080064.jpg (お世話になった地下足袋とすね当て)

この日歩いたのは、以下のようなコース。
三滝川沢歩き地図




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時政『覇王の国日本』 井沢元彦

平清盛は、何が何でも頼朝を殺すべきでしたよね。

殺そうとは思っていた。だけど、結果として殺さなかった。これが清盛の弱さでしたね。敵を打ち倒した時、打ち倒した敵の子弟は必ず皆殺しにするというのが、古今東西を問わず歴史の鉄則です。それを曲げてしまったんですから、弱さとしか言いようがありません。

原因は清盛の継母である池禅尼の命乞い。池禅尼は、「いくさで亡くなった我が子家盛に生き写し」と言って、頼朝を処刑しないように清盛に泣きつきました。これは不自然ですね。

実際には、清盛への当てこすり、あるいは嫌がらせでしょう。池禅尼の生んだ清盛の弟に当たる家盛は、極めて優秀な人物だったようです。家盛は清盛の指揮するいくさで、勇猛果敢に戦って亡くなっています。

池禅尼は知っていたのでしょう。清盛が心のどこかで、家盛の死を望んでいたことを。そして、その池禅尼に泣きつかれてそれをい受け入れてしまった清盛は、やはり池禅尼に引け目を感じていたんでしょう。清盛が、家盛を死に追いやったということです。

さらにもう一人、源義朝の女だった常盤御前の色香に迷って、義朝の子である今若、乙若、牛若を殺しませんでした。三番目の牛若こそ、平家を滅亡に追い込んだ源義経ですね。

すでにこの時、清盛は平家滅亡への道を開いていたわけです。

しかし、このあと、「平家にあらずんば人にあらず」と、ついつい口に出したくなるほどの栄華を手にした平家です。日本のほぼ半分を直轄領とする平家です。その平家を滅ぼして幕府を開くなど、伊豆に流刑された身の頼朝が考えていたはずもない。

頼朝は、あまりにも迷惑な“以仁王の令旨”、平家追討の令旨が出されたことで、殺されるべき運命となりました。彼はただ、その運命に抗おうとしただけです。

この時、頼朝のそばに、一人の天才がいたんですね。妻である政子の父親、北条時政です。


『覇王の国日本』    井沢元彦

秀和システム  ¥ 1,512

学校では教えない日本史の法則によれば、信長は死すべき運命にあった
第1章 誤解された日出づる処の天子
第2章 歴史の神が導いた鎌倉という時代
第3章 連綿と続く戦国の思想
第4章 覇王信長が歴史に投げかけた波紋
第5章 ビジョンを持たなかった秀吉の不幸
第6章 悪玉にされた平和希求者・家康
第7章 江戸の泰平を揺るがす二つの変革


平家の天下には、大きな構造的矛盾がありました。平安時代は律令制のもとにありました。律令制は、公地公民制に支えられます。しかし、権力を独占する藤原氏が率先して公地制に風穴を開け、税金を払う必要もない、役人の立ち入りもない私有地である荘園を拡大していきました。

地方を開拓した開拓地主は、地方官に任命された役人の横暴から逃れるために、自分の所有地に《藤原農園》の名前を出しました。藤原氏に名義上の所有者になってもらうわけです。寄進ですね。もちろん、《藤原農園》の看板代は安くはありません。

自分の土地は自分で守ろうとする開拓地主こそが武士の起こりです。でも彼らは、自分で開拓した土地の正当な所有者にはなれないんですね。武士が政権を握る背景には、そんな武士たちの悲哀がありました。

平家が大きな力を持ったってことは、そんな武士たちの期待を背負ったものだったわけです。ところが、藤原氏を追いやって天下を取った平家は、藤原氏と同じような立場で政治を行いました。

時政は、そんな平家の政権の危うさを感じていたんでしょう。娘の政子が頼朝とできてしまった段階で、いずれ頼朝が大きな役割を担うことになる可能性を見出していたんでしょう。

平家のように、朝廷の中で大権を握って政治を動かすのではなく、蔑視されてきた武士のために立ち上がり、武士による武士のための政権、つまり鎌倉幕府を開かせることになります。

その幕府の構想には、大江広元や三善康信といった公家の出の知恵が生きているでしょう。しかし、あくまでも京都には進出せず、東国にとどまって、そこに武士の立場を守る政治勢力を作り上げようというのは、やはり時政の直感だったでしょう。

結局、頼朝は鎌倉中心に、東国だけで通用する武士の権益を確立し、それを全国に拡大していくという道をたどることになります。さらに、その幕府という組織が確立すれば、その核になるのは、なにも頼朝やその子孫でなくても成り立つだろうというのも、時政の感じたところだろう。

頼朝は謎の死を遂げ、その子である頼家は時政に殺されます。





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なぜ、弱くても生き残れたのか?

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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本






























































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