めんどくせぇことばかり
FC2ブログ

東学党『逆説の日本史』 井沢元彦

日清戦争は、朝鮮をめぐる日清の関係から発生する。その日清戦争が起こる直前、朝鮮で東学党の乱というのが発生している。私の頭の中では東学党の乱なんだけど、今はそういう呼び方をしていないみたいですね。

甲午農民戦争

いかにも、あの人たちらしい呼び方だな。歴史教育の世界は、一九八〇年代までよりも、それ以降の方がイデオロギー色が強くなってるんだな。八〇年代とそれ以降に分けたのは私の都合で、私が歴史教育を受けたのはその頃までだったってだけの話。私の頃も組合運動に熱心な歴史の先生もいたけど、その上の人たちがまだいたからね。その後、その人たちがだんだんいなくなっていくんだな。

左翼系の人に言わせれば、国の重税に苦しめられ、官僚の賄賂や不正が横行する封建社会においては、農民は常に苦しめられる存在であり、何かをきっかけに圧政が強まれば、農民は自動的に社会変革に立ち上がる。それがセオリーだと思ってるってのは、井沢さんの言われるとおりだと思う。実際、教科書にはそんな感じで書いてあるしね。

確かに自暴自棄の暴動は起こるかもしれないけど、国や社会を変えていこうという“戦い”は、農民側にそれを正当化する思想が波及していないと起こらないんだよね。

井沢さんは、フランス革命と明治維新を例に上げている。フランス革命が成功したのは神の下ではすべての人が平等という思想が波及していたからであり、明治維新が成功したのは天皇の前ではすべての民が平等という一君万民の思想が波及していたからということ。

ドイツ農民戦争もフランス革命同様の思想のもとに始まるけど、神の下の平等を世の中が確信するには、ちょっと早すぎた。でも、ジョン・ウィクリフやヤン・フスの頃とは違い、マルティン・ルターによる宗教改革は誰かの助けを借りなくても自力で動き、世の中を巻き込んでいた。

ルターはこの時、政治的に動いて、農民戦争の攻撃対象である領主の保護下にあった。ルターは農民の戦いを鎮圧するよう進言するが、たとえルターがそちらに回って、農民戦争は鎮圧されても、ルターの生み出した動きは、どんどん拡大してフランス革命につながっていく。



小学館  ¥ 1,674

日本はなぜ“眠れる獅子”に勝てたのか?
第一章 大日本帝国の構築Ⅲ 
帝国憲法と教育勅語ー知られざる「陰のプランナー」
第二章 大日本帝国の試練Ⅰ
条約改正と日清戦争への道ー「文明と野蛮の対決」のリアル
第三章 大日本帝国の試練Ⅱ
台湾および朝鮮統治ー「同化政策」の成功と誤算


あちら側の人たちが“甲午農民戦争”と呼ぶ動きは単なる暴動ではなく、明らかに世の中を変えていこうとしていた。あまりにも激しい身分差別に、ついに否の声を上げたのだ。しかし、士農工商という身分とそこに発生する様々な格差は当然のことであって、人間が平等などということはありえないと考える朱子学にすべての人が支配されていたならば、この変革を求める動きは起こりえない。それが起こったということは、それを否とする思想があったということだ。

それが、東学であり、その信者の集団が東学党。ということになれば、やはりこの社会変革運動は、“東学党の乱”と呼ばれてしかるべきということになる。

創始者は崔済愚。かれは厳しい身分差別と戦う思想を西学(キリスト教)には求めず、東洋思想である儒教、仏教、道教を折衷した思想で朱子学に戦いを挑んだ。だから、東学であった。

《一八九四年三月初めに、東学教団の幹部全琫準によって全羅道で結成された農民軍はまたたく間に強大な勢いとなり、全羅道の警備軍に続いて中央から派遣された討伐軍も打ち破り、四月末には道都の全州を占領した。暴動なら食糧など欲しいものを奪ったところで終わりになる。処罰が恐ろしいから逃散し軍としてまとまることもない。農民軍が戦闘を続けることができたのは、「天と人が一体になれる」つまり官も民も人として違いはないという東学の思想があったからなのである。》

崔済愚は、朱子学社会の揺るがすものとして、国家の手で処刑された。

左翼系の人たちは、特にこういうような宗教的な背景っていうのを嫌うね。本当は共産主義っていうのも、根っこのところで十分宗教的だと思うんだけど、自分はそうでも、他人のそれは許さないってところが、いかにも共産主義だな。




テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『謎解き 聖書物語』 長谷川修一

連れ合いと一緒になって三十五年もたっちゃった。子どもは二人。女の子と男の子。娘は結婚して、今は二人のこのお母さん。一時間ほどのところに住んでいる。息子は滋賀県の会社に就職して、家を出た。家は埼玉なんだから、なにも滋賀県まで行かなくてもいい会社はいくらでもあったろうに。・・・まあ、そこに行きたいっていうんだから仕方がない。向こうで大阪のいい娘を見つけて、今度一緒になるらしい。

誰でもがそうだったように、私たちは歳をとった。父母も、祖父母も、・・・なにも、アダムとイブまで逆上ることもないんだけど、せっかくこんな本を読んだんだからね。

私は父と母によって作られたんだけど、アダムは土から作られた。土のことをヘブライ語でアダーマーというらしい。アダーマーから作られたアダムには、英語のtheに当たる定冠詞がつくという。I am Adam.ではなく、I am the Adam.であれば、アダムは《アダムちゃん》とか《アダムくん》といった名前、固有名詞ではない。アダムは一般名詞、「ひと」と訳すべき言葉だって。

《うめよ、ふえよ、地に満ちよ》そして、“大地を従わせる”のが、神が人に与えた指名。これを自然を支配して好きに使っていいと取ることも可能である。ただこの本では、同時に、《ヤハウェは彼をエデンの園から追い出し、彼がそこから取られた土に従わせた》とあるそうです。人は大地を従え、同時に、大地に使える存在なんだな。

聖書にはいろいろなことが、いろいろな方角から書かれているから、部分を取り出して、自分の好きなように解釈することもできるわけだ。

では、イブは。イブはどうか。

イブは、アダムのあばら骨から作られた。男と女はやっぱり違うんだな。西アジアの古代において、男と女ってそう捉えられていたんだ。つまり、男のために女が作られた。イブはヘブライ語でハヴァー。意味は命だそうです。女にふさわしいと思う。

イブは賢い蛇にそそのかされて、善と悪とのを知る樹からその実をとって食べた。アダムもイブから実をもらって食べた。神に知られると、アダムは「あなたが私と一緒にいるようにと与えた女が私にその樹からくれたので食べた」と言い訳をする。

この言い訳、見苦しいね。女が悪い。もとはと言えば、その女を私に与えたあなたが悪いって言ってるんだから。なんだか最近、そんな見苦しい言い逃れを、いくらでも聞いているような気がする。

これが、彼らがエデンを追放される理由になるわけだけど、この物語を書いた人は、人間っていうのはそういうもんだっている認識を、ここに書き記す必要があると考えたんだね。


『謎解き 聖書物語』   長谷川修一

ちくまプリマー新書  ¥ 929

旧約聖書につづられた物語は史実なのか、それともフィクションなのか?
第1章 アダムとイブ―人類誕生の謎
第2章 ノアの方舟―試行錯誤する神
第3章 バベルの塔―文明へのまなざし
第4章 出エジプト―それは本当に起こったのか?
第5章 ダビデとゴリアテ―永遠のヒーロー誕生


アダムとイブの出会いのあと、聖書には、《男はその父と母とを捨てて、彼の女と結びつき、ひとつの肉となる》とあるそうです。そう、あえて「捨てる」という強い表現は、まさしく“あえて”使われたものだろう。私もかつて、今の連れ合いと一緒になって、新しい世帯を持って、親から離れたんだ。

ただ、完全に捨てられるわけじゃない。適度な距離を保ちつつ捨てたんだな。そして捨てつつも、関係を保ち、彼らが死ぬまでその関係を続けていく。最後の面倒を見るのがけっこうきついこともあるけど、家の場合は、なんとか面倒を見切った。もう、彼らはいなくなった。

娘も、そして今度は息子も、私たちを捨てていけばいい。どんな捨て方になるかは、その時代によるだろう。何でも受け入れるよ。

アダムとイブ、人と命は人類の代表。この本の著者も言ってるけど、彼らの行動、彼らの思考は、人類が誰でもそうである可能性があるということ。

仲間とあって喜ぶ
他人から誘惑されるとそれに屈してしまう
それが露見すると人のせいにしようとする

そんな存在だけど、人は神に祝福され、パートナーとともに日々自然の世話をしながら自然の産物を食べ、子どもを生み、そして人生を全うして死んでいく。

いいじゃないか。私は大半の役割は果たし、あとは人生をまっとうするのみだな。
 



テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『名山の文化史』 髙橋千劔破

お金がかかるからね、山に行くのは。高校で山岳部に入って、夏山までにこういう装備を揃えろって言われて頭を抱えたのが始まり。結局、OBを紹介してもらって、お古をいただいた。登山靴までだからね。遠征は、何回かの山小屋の歩荷とアルバイトをつぎ込んだけど、それでも東北だの関西だのってわけにはいかないし、北アルプスだって、富山や岐阜から入山だとお金がかかる。

高校一年のときの夏山合宿が、富山からの入山だった。折立から薬師に上がって、黒部五郎、双六、槍ヶ岳と歩い て、上高地に下りるコース。夢のようだったな。装備はOBから頂いたものの、合宿費は兄に頼んでもらって親に出してもらった。

そんな山の始まりだったせいか、どうも私の登山歴は貧乏くさい。まず、金計算から始まって、「だったらいいや」ってのもしばしば。登ろうと思えばどんな山だって登れたはずなんだけどね。もったいないことをした。

高校山岳部に入ってからの最初の登山は、子どもの頃から何度も登った、かつ、家の目の前にそびえる武甲山だった。入部を申し込んだ、その週末の日曜の朝、一年先輩の青野さんが、いきなりうちに迎えに来た。そして母にこう告げだ。「お母さん、おむすび五つお願いします。大きめのやつ」

私は弁当のむすびと水と汗拭き程度のものを、中学のクラブ活動で使った手提げに入れて、その手提げ部分を肩に背負って外に出た。外に出ると、同じく山岳部に入部したての二人ほどが、青野さんと一緒に待っていた。お互いに、ちょっとはにかみ気味に、手を上げて「よっ」って感じ。

いきなりの登山なのに、けっこう厳しいコースで、家は武甲山の北斜面(今では完全に崩されてしまった斜面)の麓にあるんだけど、北からの登りはきついんだ。さらに武甲山から小持山、大持山と歩いて、大持からはいったん妻坂峠に下って、武川岳に登り返し。そこから焼山を経由して二子山へ。最後は芦ヶ久保駅に下りるというコース。

今の私なら二回に分けるコース。どんな登山だったかって、今では記憶に残ってない。だけど、そのあとの高校生活の中で、《薪割り、飯炊き、小屋掃除》を一緒のやった友人との最初の登山、バテバテになりながらも、互いに励まし合って、なんとか芦ヶ久保駅にたどり着いて笑顔を交わす。そんな物語にして胸にしまっている私です。


『名山の文化史』     高橋千劔破

河出書房新社  ¥ 時価

日本の山々の文化と歴史を、山男であり歴史・文芸評論家である著者が、渾身の名文で綴る
第1章 東北の名山
恐山―本州最果ての死者の山
太平山―おいだら山の山鬼
安達太良山―噴火と鬼女伝説
飯豊山―伝説と信仰の深山
第2章 関東の名山
谷川岳―歴史を秘めた魔の山
武尊山―日本武尊伝説の山妙義山―奇岩怪石の山塊
両神山―仏法僧の鳴く秩父の霊山
金峰山―巨石立つ奥秩父の名峰
第3章 中部・北陸の名山
甲斐駒ヶ岳―黒駒伝説の白き山
北岳―歌枕の山甲斐の白根
鳳凰三山―岩峰と女帝伝説
天城山―踊子の峠と森林の山
笠ヶ岳―静かなる飛騨の名峰
八海山―甦った修験の名山
妙高山―失われた仏教浄土
剱岳―本邦随一の岩の殿堂
薬師岳―水没した信仰の村
第4章 信濃の名山
飯縄山―秘法と忍法の山
蓼科山―牧歌の山麓と伝説
霧ヶ峰―古代遺跡と神事の高原
木曾駒ヶ岳―木曾山脈の最高峰
穂高岳―安曇族と穂高の神
常念岳―安曇野から望む伝説の山
有明山―失われた寺院と謎の神社
第5章 近畿以西の名山
金剛山―役行者と楠木一族
高野山―弘法大使の聖地
英彦山―彦山派修験の一大道場
九重山―山名争いと失われた寺
祖母山―神話のふるさとの山


東北の山は、こん中では安達太良、飯豊だけ。関東は全部。中部・北陸の中では、八海山は登ってない。信濃は有明山は登ってないや。近畿以西は全滅。結局、行きやすいところしか行ってないわけだな。

私は、興味を持てないことはてんでだめなんだけど、興味を持てることになら、かなりのめり込んでしまう方。自分で制御しないと人に迷惑をかけてしまう恐れがある程度。興味を持てることには、ある意味では律儀なんだな。だけどその律儀さは、「百名山を端から全部登ってみよう」っていう律儀さとはまた違うんだな。まだ登ってない山への興味はあるにはあるけど、そこに登るのがめんどくさかったりすると、「う~ん、格さんや、もういいでしょう」と、もうよくなっちゃうんだな。

それよりも、ただひたすら、山の中に身をおくことができれば、それで満足してしまう、そういう私なんだな。

日本百名山の深田久弥さんとか、この本の著者の高橋千劔破さんなんかは、その両方なんでしょうね。つまりは、欲張りな人たちなんだ。私は、そんなに欲張りではないということだ。

そんな欲張りな高橋千劔破さんのこの本を読めばわかる。日本人は山に神を感じてきたんだ。“神”というのは安直すぎるか。山は山。山に山を感じてきた。「そんなことは決まっとる」(砂の器 丹波哲郎風)。山というだけで、神に対すると同じような崇敬の対象だったんじゃないか。役行者がそこに蔵王権現を感得する前から、山というだけで、畏れていたんじゃないか。人は、死ねば山に帰ったんじゃないかな。

だからかな。山に対する日本人の思いは強かった。今でも時々、その片鱗を感じることはある。毛呂山の奥、阿諏訪から山に入ってしばらくのところに《苔地蔵》と呼ばれるお地蔵さまがある。ああいうのを見ると、山は生活の場でもあって、人がそこへ入っていけば、

今は、私にしてみれば、死んだら山に帰ろうにも、帰るべき山がない。

とっても素敵な本でした。・・・時価だけど。




テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

高校生の山行について行ってみた

なんだか、また高校生の山行に、一緒に行くことになりました。

八高線毛呂駅に集合して、鎌北湖、宿谷滝、物見山、日和田山という、行きなれた、歩きなれたコースです。

朝八時の集合に、いきなり一人、しかも三年生が遅刻です。チーフの方には先にみんなを連れて行ってもらって、私が駅に残って、あとから遅刻者と一緒に一行を追いかけることになりました。
毛呂駅 
(毛呂駅)
遅刻くんは、八時二十五分に現れました。仕方がありません。一緒に走ります。
走れ
(走れ)
春の穏やかな風景が広がるところなんですが、残念ながらこちらは荷物を背負った上で走ってますから、楽しむ余裕はありませんでした。
鎌北湖への途中から 
(鎌北湖への途中から)
鎌北湖で直前に一向に追いつきました。二五分の遅刻を、およそ四キロちょっとの道のりの中で取り返しました。最初からヘロヘロです。息と身なりを整えて登山開始。

以前、花の時期に、宿谷滝で滝に打たれている行者にあったことがありました。そういう場所だったんですね。この日はいらっしゃいませんでしたが。
宿谷滝 宿谷滝横から
(宿谷滝)
宿谷滝までは、人には会いませんでした。ですが、一番いい次期の週末ですからね。宿谷滝)から物見山への登りは、実はけっこう急なんです。足元も少しざれた感じの登りなんですが、さすがのおしゃべり高校生も、声が聞こえなくなりました。日和田山への途中から
(物見山に登る途中から)
物見山に登り、奥武蔵を南北に走るメインのルートに出ると、あとは人が途切れることはありませんでした。もちろん、私たちこそ、一行十五名ですから、遠慮しがちに歩かないとですね。

物見山から日和田山に向かう途中に駒高という山上集落があります。この区間、舗装された道路で、日和田山から来たハイカーと物見山から来たハイカーが、ここで出会う場所です。南西が開けているのですが、その中心に奥多摩の大岳山、御前山がいい形です。この日は富士山は見えませんでした。ここでお昼にして、日和田山に向かいました。

日和田山頂 
(日和田山山頂)
天気はいいんですが、少しもやってる感じです。日和田山山頂は、もはや混雑しているという状況で、小さなお子さんの泣き声が響きます。通過します。

神社前は少し落ち着いた雰囲気。ゆっくりと山にいることを楽しみました。高校生くんたちは、景色にもあまり関心がないのかな。おかげで私は特等席で存分に風に吹かれることができました。
日和田山神社 
(日和田山神社)
神社前でゆっくりして、今日は下山です。男坂の鎖場を下山したいという高校生がいたのですが、「自己責任でどうぞ」と言ったら、みんな女坂に来てしまいました。
日和田山下 
(日和田山下)
日和田山から巾着田に向かう道路に出たところで、一行は高麗川駅に向かうということなので、高麗駅に車をおいている私は、ここで一行とはお別れです。

高麗駅に向かう途中、日和田山が、なんだかちょっと膨らんで見えました。高麗駅への途中から日和田山
(高麗駅への途中から)
そうそう、新しく一年生くんが一人、仲間に加わったそうです。

今日歩いたのは、以下のようなコースです。
4月20日宿谷滝地図




テーマ : 登山
ジャンル : スポーツ

『ホットサンド倶楽部』 大林千茱萸

もう、三七年も前の話。

当時、交際していた女の子が、小田急線で新宿から1時間位のところから市ヶ谷にある大学に通っていた。私は中央線の武蔵境に兄と一緒に住んでいて、兄が大学を卒業するのを機に、新しくアパートを探すことになった。当然のように小田急線沿線にね。結局、下北沢の格安アパート・・・当時、四畳半、共同トイレで1万3千円・・・に一年間住んだんだけど、デートはいつも新宿だった。

私は、大学一年から二年の真ん中ころまで、とある劣等感から、ひたすら山に逃げ込んでいた。そのため、四年とは言っても授業はビッシリ。おまけに教職も取ってたから、夜まで授業を受けていた。採用試験の準備もしてたから、自分で言うのもなんだけど、とにかくよく勉強した。

大学からの帰り、交際していた女の子と待ち合わせをして、新宿に行って、アルタの前を左手の方へ回り込んだあたりの地下にあった喫茶店によく入った。女の子はいつも紅茶だった。私が頼んだのは、いつもコーヒーとホットサンド。ホットサンドというものを、その店で初めて食べて、その旨さに驚いた。

三六年働いた教員を早期退職したばかりなんだけど、退職してこそ気づいたことが数多い。仕事に出かければ晩まで帰ってこないわけだから、専業主婦の連れ合いは、家事も忙しかろうけれども、私のことを気にせず、私の面倒に煩わされずに半日過ごせる。仕事から帰った私が居間で場所をとってだらけているのも、また次の日になれば昼間はいないと考えれば我慢もできる。それが退職して一日中となるとどうか、・・・。

家には、連れ合いを煩わすことなく、かつ私が気ままに過ごせる場所は、実は、なかった。

それを作るために、いろいろなものを捨てた。“これは大事”と思っていたものも、教員であった私がそう思っていただけだったものが大半で、それらは全部捨てた。もはや教員ではない私にとっても大事なものだけ残した。そしたらなんとか自分の場所ができた、・・・ような気がする。

そんなドタバタの中で、かつて、山で使っていた道具をしまった箱が出てきた。三〇代で山を諦めたときに、多くの道具は捨てたんだけど、もとがいい加減なのか、捨てきれないものもけっこうあって、その箱も捨てきれなかった山道具の一つだった。その中に、ホットサンドメーカーが入っていた。


シンコーミュージック  ¥ 1,620

著者の大林千茱萸さんは「マツコの知らない世界」にホットサンドの第一人者として登場
CHAPTER 1 ホットサンドのきほん
ホットサンド解体新書 つくり方のきほん 冷蔵庫にあるものでつくってみよう
ホットサンドメーカーの使い勝手と焼き比べ
CHAPTER 2 いろんなシーンでつくってみよう
山バーベキュー 海バーベキュー 畑バーベキュー
お祭り お誕生日会 鍋パーティー
CHAPTER 3 テイクアウトの惣菜でつくってみよう
和食 洋食 中華エスニック
CHAPTER 4 カレー! カレー!! カレー!!!
カレー好きの小宮山雄飛さんとカレーとホットサンドについて語る
カレーホットサンドで1ヵ月
CHAPTER 5 食パン以外のパンでつくってみよう
イングリッシュマフィン バゲット ベーグル コッペパン
クロワッサン ぶどうパン チョコマーブルパン
CHAPTER 6 パン屋さんのスペシャルパンでつくってみよう
熱いパントーク付き! 沖縄・「宗像堂」がホットサンドに合うパンをつくってくれました
巨大パンで巨大ホットサンドをつくってみた ドリンクペアリング
COLUMN
1, 部長の器具コレ 2,部長の道具箱 
3,ホットサンドに塗るものの話 4,精進ホットサンドのススメ





喫茶店で食べたホットサンドがとってもうまかったので、それを自分で作って食べるという感覚を持てなかった。でも、自分も大学を卒業して赴任地へ引っ越すことになり、ホットサンドともおさらばになっちゃった。

下北沢からの引っ越しは、女の子が手伝ってくれた。部屋に鍵をおろした時、なぜか涙が・・・(財津和夫風に)・・・女の子は今も近くにいるので、歌のようにはならなかったんだけど、女の子はいつまでも女の子ではなかった。

ホットサンドメーカーは、その後、その女の子がプレゼントしてくれたもの。それ以来、山に行くときは、必ず持っていった。これが威力を発揮するのは、やはり朝。コンビーフ挟んで焼き上げたホットサンドの美味いこと。しかも、飯を炊くよりも圧倒的に早い。ホットサンドメーカーは、そのまま私の山道具の一員になっちゃったので、連れ合いにホットサンドを作ってやったことはなかった。

こういうのが定年を機にして出てくるというのも、なんかめぐり合わせというしかないですね。さっそく、自慢のコンビーフサンドをごちそうしました。反応は? ・・・バッチリです。なんとか、この家の居場所を確保できそう。
1_20190419091215582.jpg23
このブログ用になんか作ってみますね。パンはバケットしかなかった。具になりそなものは、昨夜のジンギスカンの残り。こんな感じで、とにかく挟んで焼くだけ。
 4  56 
山ではバーナーで焼いたり、焚き火があれば、焚き火に突っ込んで下りたりしました。今、思い出しました。このメーカーは、確か二代目だ。焚き火の熾火に突っ込んまま寝てしまって、柄の持つところが溶け落ちちゃったんだ。このジンギスカンサンドは上出来でした。ジンギスカンの味がパンに染み込んで、それでいて表面はカリカリ。その美味いこと美味いこと。

幸せな時が、一つ増えた。




テーマ : 料理の本
ジャンル : 本・雑誌

《小江戸 女流 張り子展》

 
はがき1今更なんだけど、娘が張り子作家をやってます。

まえに、「春に二人展をやる」ってことを言ってたんだけど、それが今日からだったんです。4月19日(金)~4月24日(水)、場所は川越の《gallery RooM》というところです。

もしも、もしも、近隣にお住まいの方で、なおかつこの間に時間が取れるようでしたら、寄ってやっていただけると、ありがたい次第でございます。
はがき2今日、連れ合いと一緒に行ってきたんですが、久しぶりに娘の作品を見たら、ずいぶんと腕を上げていて、とてもとても私なんかが口を挟むようなもんではなくなっていました。しかも今、娘は子育て真っ只中で、怪獣二匹を抱えて毎日奮闘している中なんです。
それが、かたわらにある袋の中に、案内のはがきがどっさり。どうしたのかと思えば、二人展を前に体調を崩し、知り合いたちに声をかけることさえできなかったらしいんです。・・・まったく、もう。

そんなわけで、微力、超微力、極小力ながら、紹介してみようかと、そんなわけでブログにあげさせていただきました。ああ、自分の勝手で、ブログ訪問者を極端に減らしている中、・・・なんてこったい。
張り子 (21) 張り子 (19) 張り子 (18) 張り子 (17)
張り子 (16) 張り子 (15) 張り子 (14) 張り子 (13)
張り子 (12) 張り子 (11) 張り子 (10) 張り子 (9)
張り子 (8) 張り子 (7) 張り子 (6) 張り子 (5)
張り子 (3) 張り子 (2) 張り子 (1)
張り子 (20) 場所は、上のはがきに地図がありますが、川越駅で下りたら、クレアモールをまっすぐ行って、本川越よりも向こう、小江戸蔵里ってところのちょっと向こう。武銀の裏手です。川越駅方面を背に、左側。

左の写真、マリアっていう衣料品店の脇の階段を登った二階です。
娘の作品を買ってくれとは言えません。なんせ高いですから。いやいや、それだけの物ってのは分かるんですよ。なにしろ精魂傾けて作ってますから。・・・私は五月に退職金が出るらしいので、それから考えます。

川越の近隣にお住まいの方、お運びいただければ本当に嬉しいところですが、もしも、お知り合いの中に、その手の趣味を持つ方をご存知であれば、是非、「川越でこんなことをやってるらしいよ」なんてね。図々しいお願いですね。


テーマ : 伝えたいこと
ジャンル : 日記

『知りたくないではすまされない』 江崎道朗

戦争に負ける前の日本は、日本を取り囲む複雑怪奇な国際関係に翻弄されながらも、その複雑怪奇な化物に、自分の力で立ち向かっていた。

帝政ロシアを打ち負かしたんだよ、かつての日本は。友人の小室さんのおじいさんは二〇三高地の生き残りだったそうだ。赤化したソ連の東方への拡大を一手に引き受けて食い止めていたのは日本。

“中国”や韓国については、もう言われ尽くした感さえある。それでも分かってもらえないのは悲しいけれど。朱子学の毒にやられきった“中国”に近代化の示唆を与え続けたのは日本だよ。韓国も含めて、日本人が侵略しただの、差別されただの言うけど、あの状況で、あの程度で済んだのは、過ぎるほどの日本人の人の良さを証明するものでしかない。

その朝鮮半島は相手にもされなかったけど、“中国”はまさにアジアの火薬庫。イギリス、フランス、ロシア、アメリカが入り乱れる中で、日本も自力で立ち回ってた。

それが今じゃあ、どうよ。

北朝鮮のミサイルが日本に向けて発射されたら、アメリカ軍にやっつけてもらうの?

“中国”が尖閣諸島を狙ってきたら、アメリカ軍に追っ払ってもらうの?

そんなわけ、あらへんやろ!(大木こだま調)



KADOKAWA  ¥ 1,512

知りたくないけれども、これを学ばなければ日本と世界の未来は見抜けない!
第1章 国家は同盟国を見捨てることがある
第2章 海外メディアの報道を信じてはいけない
第3章 日本人が知らない、もう一つのアメリカ史
第4章 国際情勢を先取りする米インド太平洋軍
第5章 インテリジェンスが国際政治を揺るがす
第6章 政治を左右する経済・景気の動向
第7章 アメリカは敵と味方を取り違える天才だ
第8章 未来を読み解く「DIME」という考え方
終章 日本だけが手にしている「三つのカード」


著者の江崎道朗さんは、二〇年以上前に、七〇歳過ぎの米軍の元情報将校と知り合いになったんだそうです。その元将校から、こう聞かれたそうです。

「原爆のことをどう思っているか」

私はこれまでに、五回ほど広島の原爆資料館に、一回長崎の原爆資料館に生きました。館内で白人の入館者を見た時、怒りがこみ上げて、下を向いてしまった記憶がある。・・・上記のように聞かれた江崎さんは、次のように答えたそうだ。

「あんなひどい戦争犯罪は許せない。同胞をむごたらしく殺されたのだから、いつか復習したいと思っているが、今は同盟国なので我慢している」

元将校によれば、「過去のことだから忘れよう」とか、「そもそも日本が悪かったのだし、戦争中のことなんだから仕方がない」というような答えばかりなんだそうだ。元将校にすれば、自分はいざとなれば、日本のために命をかけることを義務付けられている立場なのに、日本人は自分たちを仲間だと思っていないから、本音を語らないのだと、そうおもったそうだ。

もうすぐ還暦を迎える私よりも上の世代がそう答えたのなら、可能性として、アメリカ人には本音を語らないということもあったと思う。でも、私よりも下の世代がそい答えたとすれば、それはおそらく本心だろう。

広島、長崎が原爆で焼かれ、東京が大空襲で焼き尽くされた。いずれも民間人を対象にした残虐な殺戮行為だ。かつてインディアンに対してやったことを、日本人にもやったのだ。「過去のことだから忘れよう」としているのは、自分をやった側に立てているんじゃないか。やられた側でそんなきれい事が出てくるもんか。結局は、本音を語っていないとしても信用できないし、本音を語っているとしても信用できないということだ。

たとえ同盟関係があったとしても、日本人を守るためにアメリカ人が死ぬのは、おかしな話だ。死にものぐるいで戦う日本を助けることが、アメリカにとって将来とても大事なことである場合のみ、それはありうる。

死んだ人の悪口は言いたくないが、この人は例外にすべきだという人が何人かいる。フランクリン・ディラノ・ルーズベルトもその一人だけど、彼にしたって、ヨーロッパの戦争に首を突っ込んだのには理由がある。

結局、ニューディールでもアメリカの景気を支えることができなかった彼は、戦争にかけた。事実、戦争が始まると、アメリカは未曾有の好景気を迎える。戦後の世界秩序の構築に当たり、国際連盟によるヨーロッパ中心の世界体制を葬り去り、United Nationsに多くの国を吸収して、自分が世界を牛耳っていく。彼はそのためなら、スターリンにさえ媚を売った。あれは、ヒトラーの戦争じゃない。フランクリン・ディラノ・ルーズベルトの戦争だ。・・・なんて私は思うんだけど。

興奮して、話がシッチャカメッチャカになってしまった。つまるところ、自分の国は自分で守るんだ。それ以外はない。よく、カルタゴが例に挙げられる。国防を傭兵に頼ったカルタゴは、新興国家のローマに滅ぼされた。それでも、ハンニバルはローマをギリギリまで追い詰めたいたんだ。自分の国を守るために、自分の意志で戦うものは強いということだ。




テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『あなたへ』 森沢明夫

夫婦の物語ですよね。

何年か前から、夫婦だけの暮らしになって、しかもこの春で退職して毎日仕事に行く生活ではなくなった。それこそ場合によっては、一日中一緒にいるって日々が延々と続くってことにもなりかねない。そう、ここで、この後の人生におけるお互いの距離感を測っていかないといけない。

今は自治会長の仕事があって、この仕事は夫婦で一組みたいな前提になっているから、距離感のすり合わせは、四月当初のすったもんだが一段落してからになるだろう。

映画でも、心が優しく満たされていくような感覚を味わった。小説ではどうか、と思って呼んでみた。物語が終わって、一枚ページをめくると、そこに次のように書かれていた。

《本書は、映画「あなたへ」(脚本・青島武)を原作に創作された小説です》

「もしそれを先に知っていたら、本を読まなかったかもしれない」って、原作を尊重する方も多いと思う。たしかに、同名で物語を綴るなら、原作を壊す訳にはいかない。じゃあ、同じことを書くのかと言えば、そこはそういうわけでもない。映画には映画の、小説には小説の制約と良さが、当然あるわけだから。

小説が売れて、映画化するってのはよくあるパターン。だけど、この逆のパターンもかなりいいよ。難を言えば、映画の役者に引っ張られるところは確かにある。倉島英二は高倉健だった。倉島洋子は田中裕子だった。杉野輝夫はビートたけしだった。南原慎一は佐藤浩市だった。田宮裕司は草なぎ剛だった。

読んでいるこっち側だけではなく、書いているあっち側もそういう点はあったろうと思う。でもそれも悪くない。なにしろ私の頭の中の役者さんたちは、なにしろ理想的な演技をしてくれているんだから。

『あなたへ』    森沢明夫

幻冬舎文庫  ¥ 時価

ある日、亡き妻から一通の手紙が届く。夫婦の愛と絆を綴った感涙の長編小説。
第一章 それぞれの夏の夜
第二章 受け取れない手紙
第三章 羊雲のため息
第四章 嘘つきの果実
第五章 便箋に咲く花
第六章 優しい海
第七章 かぜかぜ吹くな
第八章 あなたへ
第九章 空気のような言葉


映画でここまで語らせたらくどくなるってところも、小説ならくどくない。そのへんは心に秘めて、頭の中の役者さんは背中で十分語ってくれるわけだ。

《他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる》

この物語の核となる言葉。私はこの話を、再生の物語として読んだ。それは、“もう一度生き直す”ってことが、私にとっての当面のテーマ、おそらくこれから先の人生を通じてのテーマだと意識しているからかな。


人生を踏み誤った杉野にとっても、妻の裏切りと向き合えない田宮にとっても、偽名を使って生きざるを得ない南原にとっても、倉島との出会いは“もう一度生き直す”ための、大きなきっかけとなった。もちろん、それを活かせるか、活かせないかは、それぞれの心の持ち方次第なわけだけど。

それぞれが、変わる転機となった。だけど、本当にそれが活かせるかどうかは、この物語の論じるところではないわけだ。ただ、生きている以上、やり直すことはできるってことを伝えるだけ。

倉島にとっても、杉野や、田宮や、南原との出会いは“もう一度生き直す”ための、大きなきっかけだった。倉島自身が、もはや生きていなかったのだから。妻の死を、受け入れてなかったのだから。

亡き妻から生きている夫へ当てられた手紙は、“もう一度生き直す”気持ちを夫に持たせるために書かれたものだった。その、切実な夫への思いが、夫と出会った者の心までも変えた。

さて、夫婦の距離感がどうなるかは、向こうの考えもあるところだから、時間をかけてすり合わせていくんだろう。まあ、ぐずぐず言わずに、私は私なりに毎日を楽しんで朗らかに生きよう。

映画以上に面白かった。




テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

慈光寺に花を見に行ってみた

昨日、四月十五日、月曜日。家の近所では、折からの風で桜の花吹雪が舞っている。今年は、四月に入ってからの寒の戻りで、花が長持ちした。長く楽しめたという話も聞くが、楽しもうと言うほどの暖かさには恵まれたような気がしない。

でも、昨日は暖かかった。前から、慈光寺の桜の花の話を連れ合いにしていたので、この機会に一緒に行ってみた。 

車で慈光寺入口のバス停まで行く。そこにハイカーのための無料駐車場がある。ときがわ町は、《都幾川トレッキングコース》っていうのを設定していて、そこがトレッキングコースのスタート地点になってる。ゴールは堂平山頂の天文台。

そんなところまで連れてったら、連れ合いが死んじゃうからね。霊山院の上にある冠岩まで行ったら霊山院に下りる。

“慈光寺の桜の花の話”っていうのは、下の道から慈光寺、さらには霊山院にかけて、ソメイヨシノだけじゃなくて、いろいろな種類の桜が植えられているってこと。
慈光寺下2 

慈光寺下

ときがわ町の公式サイトの中の《慈光寺里さくらコレクションhttps://www.town.tokigawa.lg.jp/forms/info/info.aspx?info_id=28447》では多くの種類の花の開花情報を公表している。今は"一葉”というさくらが満開だった。
 
松前早咲

慈光寺3 

他にも、シャガ、ツツジなんかも楽しめるが、今はまだ、ちょっと早いだろう。

慈光寺だけでなく、霊山院まで、ずっと舗装道路が続いてるが、山道の並走しているところそちらを優先。慈光寺まで、ずっと花を楽しみながら歩く。桜だけじゃなくて、菜の花もきれいだし、走りだけど、シャガも咲いてました。シャガが群生しているところがあって、これが全部咲くとすごいんだよね。五月に入ってからだろう。
菜の花 

シャガ 

お地蔵さまや板碑、石碑、墓石が立ち並び、往時の勢いを感じる寺で、越生の大築山頂の城跡は、この慈光寺を攻めるためもの。激しい時代の中心に、この慈光寺もあったわけだ。
お地蔵さま 

板碑 

お地蔵さま2 

慈光寺についたのは一〇時三〇分を過ぎた頃。まだ人はいない。まずは立派な銅鐘だと思えば、まさに文化財。そこから階段を登って本堂、さらに登って観音堂に至る。本堂から観音堂への間の花々も、とても美しかった。
銅鐘

 慈光寺

観音院手前 

観音院

慈光寺の観音院でパンにジャムを付けて食べて、観音院の裏手から都幾山に登る。熊さんが出そうなので、けっこう頻繁に声を出しながら、山椒の葉っぱの香りを楽しみながら進む。尾根筋に出ると、いきなり強い北風にさらされる。「寒(さむ)」

この、形容詞の、「い」を省いた言い方を、孫が多用する。「遅(おそ)」、「早(はや)」、「上手(うま)」、「美味(うま)」、「馬(うま)」

トレッキングコースは山道と林道を繰り返して、最後に堂平山の急な山道を登ることになる。だけど、すこし薄い道だけど、山道だけで山頂に至ることもできる。機会があったらどうぞ。

この日は、トレッキングコースの尾根道を冠岩まで歩いたら、そこから霊山院方面に下りる。南斜面に入ると、打って変わって暖かい。

霊山院に差し掛かると、また花の見事なこと。なんていうのかな。調和が取れているっていうのか、その場を歩けることが嬉しい。そう言えば、霊山院には勅使門というのがあった。その手前の石像は一休さんが木魚に持たれて居眠りしているもので、いたずらネズミが背中に乗ってた。
霊山院1

 霊山院3

霊山院2

慈光寺に戻ると、車での参拝者がたくさんいた。「ずる」

この日に歩いたのは、こんなコース。全部で六キロくらい、二時間半ほどのハイキングでした。4月15日慈光寺地図






テーマ : アウトドア
ジャンル : 趣味・実用

『ヒトは7年で脱皮する』 黒川伊保子

昨日の14日(日)まで、ぶっ続けに続いた自治会の仕事が、ここでちょっと間が空く。まあ、昨日の日曜日に関しては、自治会館の備品である掃除機を買い替えにケーズデンキに行ったのと、地元の敬老会の総会にちょっと顔を出しただけなんですけど。

地区区長会であるとか、自治体の仕事であるとか、またそれらの付き合いごと、さらには地元自治会の雑多な仕事とお付き合いなんて、ずーっとやってませんでしたからね。昨日みたいな細かいことでも、なんかあるってだけで、気遣いになっちゃうんですね。

まあ、とりあえず、それも途切れて、今週は自治会長の仕事は入ってこない、・・・予定。

掃除機を買い替えて、前のやつはスイッチを入れて吸引を始めると、《ギャー》っと凄まじい音を発するようになっていたんで、クリーンセンターに捨てに行きました。家の粗大ごみと一緒に。最初に車ごと鉄板に乗って重量測って、廃棄するものを所定の場所におろして、また鉄板に乗って、必要があれば重量の差の分の料金を払う。

行ってみたら、ズラッと車が並んでる。この間は一台もいなかったのに。

・・・そうか、みんな働いているから、日曜日しか来れないんだ。哀れな奴らめ。もう日曜日には、私は来ない。

さて、ちょっとだけ早期に退職した私は、一九六〇年生まれ。三月生まれなので、学年は一九五九年生まれの多くの人と一緒。この本の著者も一九五九年ということなので、おそらく学年が一緒。

著者の黒川伊保子さんという方の紹介をする。本の一番最後の方に書いてあるやつを“そのまま”だけどね。
1959年長野県生まれ。奈良女子大学物理学部物理学科卒。(株)感性リサーチ代表取締役。(株)富士通ソーシアルサイエンスラボラトリにて、14年間にわたり人工知能(AI)の研究開発に従事。その後、コンサルタント会社や民間の研究所勤務を経て、2003年(株)感性リサーチを設立。04年脳機能理論とAIの集大成による語感分析法「サブリミナル・インプレッション導出法」を発表。サービス開始と同時に化粧品、自動車、食品業界などの新商品名分析を相次いで受注し、感性分析の第一人者となる。著書に、『妻のトリセツ』『英雄の書 すべての失敗は脳を成長させる』『成熟脳 脳の本番は56歳から始まる』『女の機嫌の直し方』など多数。

《感性分析の第一人者》なんだそうです。時代の流れを先読みして、どんな商品が、商品名が人々に受け入れられるのか。そういう事を考える専門家ということでしょうか。実際、そういうお仕事をなさっているようですし。

朝日新聞出版  ¥ 810

脳周期(ブレイン・サイクル)、「7年目の浮気」さえも理論づける、ブレを許さぬ脳の働きとは
はじめに
第一章  脳には感性の周期がある
第二章  感性トレンドで時代を読み解く
第三章  「今」を読み解く
おわりに  〜時代は私の前で裸になった?


この本でも後半、いや、第二章、第三章は、ずっとそういう話が続く。《感性トレンドは二八年周期で、簡潔期と複雑期を繰り返す》って話。車の形も、直線を重視したスラッとした車の時代と、丸みを強調したボリュームのある車の時代と繰り返す。それは化粧、ファッション、芸能、人々の生活、人の生き方そのものにも及んでいくってことだ。

なにしろ“第一人者”ですから、その先端にいて、常にその動向に神経を配ったいらっしゃるんだろう。そして自ら確立した七年理論を前提に新しく始まる時代に意味を与えていくんだろう。

車の話も、化粧の話も、モーニング娘及び同じようなグループの話も、面白く読んだ。読んでいって思ったんだけど、そのあたりの話は、数限りなくある事象の中から、自分に都合のいいものを取り上げることも可能だなって気がついてしまった。

ただ、その七年理論には説得力がある。

それは、著者の七年理論が、かつて著者が関わった脳科学に基づいているから。

六歳まで、“神の領域”にあった脳は、七歳で勘とセンスと空間把握と身体制御を司る小脳が完成する。小脳に付随する言語機能も八歳で完成する。七歳から一四歳まではおとな脳の完成期。特に一二歳から一三歳の間に脳のデータベースがおとな型に変わる。一三歳、一四歳の二年で脳はおとな型にデータを変換する。変換は寝ている間に行われるので、中学生はよく寝なければならない。中学生の不安定さの原因はここにある。

一四歳で脳は完成する。勉強もスポーツも仕事も、がむしゃらにやる時期だ。二一歳までの七年間は脳が昨日を取り揃える仕上げの時期で、二一歳になれば他者への理解力や忍耐力を備えるようになる。記憶力のピークを迎える二八歳まで脳は著しく成長する。

二九歳からは、脳は回路の優先順位をつける。とっさに使うべき回路を識別し、やがて、瞬時に本質を見抜く脳に変わっていく。そのためには失敗が必要で、失敗が脳を進化させる。三七歳までは失敗適齢期。四二歳までは惑いの時期。それからは物忘れが始まるとともに迷いも惑いも消えていく。四九歳で生殖のための人生を終え、次の人生への準備期間に入る。

そして五六歳、出力性能最大期に入り、人生の大団円を迎える。

脳に関わる話は著者の記述をまとめたものだけど、なんか自分の経験からしても、当てはまるような気がする。




テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

ありがとうございました



「《めんどくせぇことばかり》は、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。」

リンク

よくお越し下さいました

イーグルス16

Author:イーグルス16

息も絶え絶えです、ぜひ応援してください


なぜ名山から寺院が消えたのか?

近代アルピニズム以前の日本の山々の文化と歴史を、山男であり歴史・文芸評論家である著者が、渾身の力をこめ名文で綴る。
カウンター
カテゴリ
ブロとも一覧
アジシオ次郎の時事原論
はりこのはやしや 
ハシビロコウ
素足のアイドル達
うさぎ屋の四方山話
わくわく株式投資
プロモデラー林哲平のジャンクロボット創作ブログ『ケルバーダイン』
大好き!グラビアアイドル!
伊織のブログ
Re:BAD TASTE♥
QWERT 5w1h
「伝わる技術」オトデザイナーズ・坂本真一
歌と知恵でハッピーライフ^^
こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本




























































検索フォーム
RSSリンクの表示
最新記事