『ほんとうの中国の話をしよう』 余華
![]() | 『ほんとうの中国の話をしよう』 余華 (2012/10/13) ![]() 商品詳細を見る 余華氏は1960年生まれ。文革の中に少年期を送り、青年として天安門事件を経験。今まさに、責任ある年齢で支那に生きる文学者。 |
6才から17才までが文化大革命に重なり、改革開放後、29歳で天安門事件。そしてその後のいびつな経済成長。作家活動の中で精神の危機もあったようだが、考えてみればそれも当然のことと思える。この本は、そんな支那近代史とともに生きてきた著者が、自らと、自らの生きた支那を振り返り、支那社会の本質をえぐったた随筆。
次の文章には背筋に電流が走りました。同時に、今の支那社会の激変の一端がかいま見えたような思いがしました。
なぜ私は、今の中国を語るとき、いつも文化大革命にさかのぼるのだろう?それは二つの時代が密接につながっているからだ。社会形態はまったく違うが、精神の中身は驚くほど似ている。たとえば、国民総動員で文化大革命を行った我々は、またも国民総動員で経済発展を進めているではないか。
ここで強調したいのは、民間経済の急激な発展が文革初期に突如登場した無数の造反司令部に類似しているということだ。一九八〇年代の中国人は、革命の熱狂を金儲けの熱狂に置き替え、またたく間に無数の民間会社を登場させた。(中略)数えきれないほどの民間会社は一方ですぐ消滅するが、また一方ですぐ登場する。革命と同じで、先人の屍を乗り越え、勢いよく前進を続けた。唐の白居易の詩句を引用するなら、「野火焼けども尽きず、春風吹いてまた生ず」である。中国経済の奇跡は、このようにして引き起こされた。
文化大革命が完全に終わって改革開放が始まったことは、支那がまったく正反対の方向へ進み始めたことを意味している。これまでそう信じきっていた。そのように見えて、“革命の熱狂が金儲けの熱狂に置き替えられた”のであり、本質は変わらないという著者の考えは、大変新鮮である。たしかに現在の“金儲けの熱狂”のいびつさは、文革のいびつさを引きずっていないか。そういえば、二つのイメージはピッタリ重なるように思える。
この本の中に紹介されている“金儲けの熱狂”が生み出すいびつさは、あとで、別記事で紹介したいと思う。たしかにそこに見られるいびつさ、社会の歪みは、文化大革命の時に表現された生徒が先生を、年少者が年長者を、子が親を、愚者が賢者を引きずり下ろして袋叩きにしたあの頃に、見事なまでに重なるように思える。
周恩来が死に、毛沢東が死に、四人組が引きずり降ろされて文革は終わったはずだった。でもまだ、あの頃の熱狂の本質が今も引きずられているなら、支那は一体どこまで走り続けるのだろう。その先にもう、道が続いているようには思えないのだが・・・。

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