『特攻の真意-大西瀧治郎 和平へのメッセージ』 神立尚紀
まったく過去記事の焼き直しばかりでお恥ずかしいんですが、仕事が忙しくって本が読めない。来週いっぱいそんな状況が続きそう。この季節外れのクソ暑さのなかで・・・。って、言い訳のあとで・・・
2011年10月の記事に加筆修正したものです。
中央公論 2006年10月号に掲載された、「世界の海軍にあって最も下劣 なぜ、今、戦争責任の検証か 渡邉恒雄(読売新聞・主筆)」 の中で、渡邉氏は次のように語る。
渡邉氏の不見識を指摘したくて取り上げたわけじゃなくて、仮にわずかながら時代を共有しても真実に迫ることがいかに難しいかを示す一例にさせてもらった。
ましてや、敗戦国日本はみずからの歴史を語ることを戦勝国アメリカによって禁じられた。 前に立った者たちは公式の場から追放され、アメリカに追随する者たちがそれに代わった。 渡邉氏はいかなる立場だったか。真実に迫るべき学問や報道が率先してアメリカの検閲に屈していく時代だった。 今の日本は、未だにその延長線上にある。
でも、「真意」は受け継がれてきていた。あまりにもか細い流れではあるが、それでも日本中のあちらこちらで、ひっそりと生きる者たちの胸のうちに。多くが失われたに違いないが、ときには伏流水のように、後世の人ののどを潤すこともある。そんな本だ。
大西瀧次郎は十字腹を切り、喉を突き、胸を突いて、なおみずからの血の海に十五時間のたうちまわった挙句に亡くなったという。それが、大西らによって望み多き前途を絶たれ、空に、海に、散っていった若者たちの御霊を慰めるものであったかどうかはわからない。
しかし、日本人は、そうやって責任をとってきた。そして歴史を作ってきた。
終戦時及びその後、醜態を晒した将官もいた。 牟田口廉也、源田実、瀬島龍三のごときは・・・。 自分の作戦でどれだけの若者の血が流されようが気に留めないような奴はごちゃごちゃいた。
問題の本質はそういうところにあるだろうし、実は、そういう連中が戦後日本構築の深い部分に関わっている。それはそれは、どんな死に様であろうと、大西瀧治郎のしわ腹一つで済む話では、土台ない。大西瀧治郎は多くの若者を特攻に送り出した責任を、一人の日本人としてはそれ以上にはない方法でとった。







一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
2011年10月の記事に加筆修正したものです。
中央公論 2006年10月号に掲載された、「世界の海軍にあって最も下劣 なぜ、今、戦争責任の検証か 渡邉恒雄(読売新聞・主筆)」 の中で、渡邉氏は次のように語る。
特攻隊の編制は、形式的には志願で始まったが、間接的強制、そして実質的な命令に進んだ。その結果、未来ある若い学生出身の下級将校たちが、肉弾となって意味もなく殺された。特攻はあの戦争の美談ではなく、残虐な自爆強制の記録である。イスラム原理主義者の自爆は宗教上の妄信や、指導者のマインドコントロールによる自発的自爆だが、『特攻』はほとんどが実質的には『命令と強制』であった点で、イスラム・テロリストのケースとはまったく違う。悪い意味で合理的な計算に立ち、こういう非道、外道の作戦を考え、実行した軍の参謀や司令官、さらには、人間を物体としての兵器と化した軍部当事者の非人間性は、日本軍の名誉ではなく 汚辱だと思わざるを得ない。 |
![]() | 『特攻の真意-大西瀧治郎 和平へのメッセージ』 神立尚紀 (2011/08/04) 神立 尚紀 商品詳細を見る 終戦時、醜態を晒した将官もいた。そのなかで・・・ |
ましてや、敗戦国日本はみずからの歴史を語ることを戦勝国アメリカによって禁じられた。 前に立った者たちは公式の場から追放され、アメリカに追随する者たちがそれに代わった。 渡邉氏はいかなる立場だったか。真実に迫るべき学問や報道が率先してアメリカの検閲に屈していく時代だった。 今の日本は、未だにその延長線上にある。
でも、「真意」は受け継がれてきていた。あまりにもか細い流れではあるが、それでも日本中のあちらこちらで、ひっそりと生きる者たちの胸のうちに。多くが失われたに違いないが、ときには伏流水のように、後世の人ののどを潤すこともある。そんな本だ。
一日も早く講話を結ばなければならぬ。マリアナを失った今日、敵はすでにサイパン・成都にいつでも内地を爆撃して帰れる大型爆撃機を配している。残念ながら、現在の日本の国力ではこれを阻止することはできない。それにもう重油、ガソリンが、あと半年分しか残っていない。・・・半年後には、仮に敵が関東平野に上陸してきても、工場も飛行機も戦車も軍艦も動けなくなる。 そうなってからでは遅い。動ける今のうちに講和しなければ大変なことになる。・・・一度でよいからこのレイテから追い落とし、それを機会に講和に入りたい。敵を追い落とすことができれば、七分三分の講和ができるだろう。 これは九分九厘成功の見込みはない。これが成功すると思うほど大西は馬鹿ではない。では何故見込みのないのにこのような強行をするのか。ここに信じて良いことが二つある。 《あとは読んでね》 |
大西瀧次郎は十字腹を切り、喉を突き、胸を突いて、なおみずからの血の海に十五時間のたうちまわった挙句に亡くなったという。それが、大西らによって望み多き前途を絶たれ、空に、海に、散っていった若者たちの御霊を慰めるものであったかどうかはわからない。
しかし、日本人は、そうやって責任をとってきた。そして歴史を作ってきた。
終戦時及びその後、醜態を晒した将官もいた。 牟田口廉也、源田実、瀬島龍三のごときは・・・。 自分の作戦でどれだけの若者の血が流されようが気に留めないような奴はごちゃごちゃいた。
問題の本質はそういうところにあるだろうし、実は、そういう連中が戦後日本構築の深い部分に関わっている。それはそれは、どんな死に様であろうと、大西瀧治郎のしわ腹一つで済む話では、土台ない。大西瀧治郎は多くの若者を特攻に送り出した責任を、一人の日本人としてはそれ以上にはない方法でとった。


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