『武蔵武士団』 関幸彦
最後に系図を出しといたんだけど、ちょっと見て。・・・・・
当初は最初に紹介しようと思ったんだけど、広がり方がすごすぎてね。このままじゃ、系図見るだけで本の紹介なんか読んでもらえないと思って、最後に回した。頼もしいな、秩父平氏。
熊谷の村岡にいた良文、忠頼の子、将常が秩父の中村にうつって「秩父三郎」、あるいは「中村太郎」って呼ばれるのか。中村に根拠地を構えたんだ。中村はすごいんだな。中村には母方の親戚がいるんだよな。うちは影森なんだけどね。影森にも人がいたのかな。
時代的には、秩父武基の子武綱や従兄弟の豊島常家が前九年の役(一〇五一~六二)で源頼義に従ったって言うから、それが今からちょうど千年くらい前。その武綱の子重綱から通字を“重”に変えるよね。本書にそのへんの説明があって、重綱が秩父盆地を出て鎌倉街道上道にそって畠山、平沢、菅谷、大蔵と、街道沿いに展開する。
どうも、一一〇八年の浅間山の大噴火が関係しているらしい。上野から荒川以北の北武蔵がこの噴火で被災したらしい。秩父氏は秩父から北武蔵に広がる牧全体を管轄していて、北部は噴火の痛手を受けたらしい。重綱はその立て直しのために、奥まった秩父盆地を出て、交通の要衝である菅谷に進出したらしい。
うお~❢ 菅谷館も高蔵館も、この間行って来たばっかりだよ。
この本を読んでみてもそうだった。これだけの広がりがあり、歴史が地層のように重層的におり重なり、かつ深く、さらに長い。さらに、時代資料も豊富であるにもかかわらず、実はそんなに知られていない。そう考えれば、こんなにも大河ドラマにふさわしい題材はない。


一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
当初は最初に紹介しようと思ったんだけど、広がり方がすごすぎてね。このままじゃ、系図見るだけで本の紹介なんか読んでもらえないと思って、最後に回した。頼もしいな、秩父平氏。
熊谷の村岡にいた良文、忠頼の子、将常が秩父の中村にうつって「秩父三郎」、あるいは「中村太郎」って呼ばれるのか。中村に根拠地を構えたんだ。中村はすごいんだな。中村には母方の親戚がいるんだよな。うちは影森なんだけどね。影森にも人がいたのかな。
時代的には、秩父武基の子武綱や従兄弟の豊島常家が前九年の役(一〇五一~六二)で源頼義に従ったって言うから、それが今からちょうど千年くらい前。その武綱の子重綱から通字を“重”に変えるよね。本書にそのへんの説明があって、重綱が秩父盆地を出て鎌倉街道上道にそって畠山、平沢、菅谷、大蔵と、街道沿いに展開する。
どうも、一一〇八年の浅間山の大噴火が関係しているらしい。上野から荒川以北の北武蔵がこの噴火で被災したらしい。秩父氏は秩父から北武蔵に広がる牧全体を管轄していて、北部は噴火の痛手を受けたらしい。重綱はその立て直しのために、奥まった秩父盆地を出て、交通の要衝である菅谷に進出したらしい。
うお~❢ 菅谷館も高蔵館も、この間行って来たばっかりだよ。
吉川弘文館 ¥ 2,700 中世武士団の典型とされる武蔵武士 平安から室町期にわたるその盛衰 |
その秩父重綱の子孫が畠山、小山田、稲毛、榛谷、河越、小林、江戸って展開していくのか。すげー❢ 私は秩父の生まれで、今、暮らしてるのは東松山。嵐山の菅谷館なんて、ほんの十五分よ。千年前、躍動していたんだな、ここは。
前九年、後三年の役、さらにそこから大蔵合戦。保元、平治の乱、源平合戦、奥州合戦。さらには鎌倉時代そのものの表舞台が、まさにここだったんだよね。
前九年、後三年の役、さらにそこから大蔵合戦。保元、平治の乱、源平合戦、奥州合戦。さらには鎌倉時代そのものの表舞台が、まさにここだったんだよね。
ちょっと前に、ここを題材にした『武蔵野燃ゆ』という本を読んだ。とても面白かった。鎌倉幕府創立の時代の武蔵を描いたものだったけど、変な言い方だけど、それを書いて、つまらないものになるはずがない。『武蔵野燃ゆ』を紹介した時も書いたんだけど、ぜひ、大河ドラマに使ってもらいたい。 |



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