『俳句、やめられません』 岸本葉子
金子兜太さんが亡くなって、ついこの間、以前に読んだ金子さんの『中年からの俳句塾』っていう本を引っ張り出してみました。その件は先日のブログに書かせていただきました。《無為に流れず、俳句に取り組むことを助けとして自分を、あるいは自分を取り囲む世界を見つめ直そうと考えた》わけでした。
以上、うそ偽りはございませんが、まったく取り組んでない。いや、ですから、何にも俳句なんか作っちゃいないわけです。いつも通り、変わらぬ私、・・・という顛末でございました。ああ、情けないったらありゃしない。
俳句なぞ、一日一句わけもない。わけもないはずだったけど、できません。いけません、これまで通りの私では。それならば、何か工夫をいたしましょう。動機づけ、本でも読んでみましょうか。
ということで、今この本を手にしているわけです。
著者の岸本葉子さんは「やめられない」という。1961年生まれなら、私より一つ下。俳句歴10年なら40代後半で俳句を始めたことになりますね。それこそ、金子兜太さんの『中年からの俳句塾』を地で行ってるわけですね。しかも、それを生涯の友として、いまや「やめられない」とまで・・・。
「やめられない」と言うくらいだから、俳句というのは気持ちのいいものに違いない。やっていて気持ちのいいものって考えると、あれと、あれと、あれと、あれ。そうそう、あれを忘れちゃいけない。
人間は、あれをやっている時、その脳内で大量のドーパミンが分泌されているわけですよね。だから、あの時はとっても気持ちがいいじゃないですか。
著者の岸本葉子さんが「やめられない」と言うほど気持ちがいいなら、きっと俳句をやっているとたくさんのドーパミンが分泌されるんでしょうね。



五七五に言葉をなれべりゃいいんだろう。・・・追い詰められると、なぜが心が落ち着かなくなって、言葉まで乱暴になることはよくありますね。「やりゃあいいんだろう!やりゃあ」って感じです。でも、そんな気持ちで考えても、ちっともドーパミンが出てきてる感じがしないです。
・・・だめだ。思い浮かばない。仕方がない。楽しいことを考えよう。
花見だ。春ですからね。きっと季語でしょう? Iのおっさんを誘って、あのおっさんは暇人だから、同じ暇人のSちゃんとSさんに連絡とってもらって、忙しいかもしれないけどJちゃんには来てほしいなぁ。それからYっちゃんね。管理職もえらい方になったから、下の連中とはつきあえないなんて顔したら、昔の悪行をばらしてしまおう。場所はどこがいいかな。都幾川がいいかな。あそこの堤の桜は見事だからな。それよりも、巾着田はどうだろう、・・・日高の。去年行ったときは菜の花の盛りと桜の散り頃が一緒になってまさに別天地だったっけ。どうだろう。今週末には咲いているだろうか。あそこの近くはYっちゃんか。聞いてみようかな。
川岸の花は二・三分咲きにけり
だめだ。なんだか、定時の連絡かなんかのようだ。ドーパミンは少し出た気はするが、この程度の句が出来上がるまでになんだか息切れしてしまっている。この間、肺気腫用に買った酸素でも吸っておこう。
そう言えば、昨年末に他界した叔父も、定年後俳句をたしなみ、斎場にも叔父の詠んだ句が飾られていた野を思い出しました。やはり、相当魅力のあるものらしい。さて、叔父貴の域はともかくとして、とりあえずドーパミンの分泌が実感できるところまで行けるでしょうか。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
以上、うそ偽りはございませんが、まったく取り組んでない。いや、ですから、何にも俳句なんか作っちゃいないわけです。いつも通り、変わらぬ私、・・・という顛末でございました。ああ、情けないったらありゃしない。
俳句なぞ、一日一句わけもない。わけもないはずだったけど、できません。いけません、これまで通りの私では。それならば、何か工夫をいたしましょう。動機づけ、本でも読んでみましょうか。
ということで、今この本を手にしているわけです。
著者の岸本葉子さんは「やめられない」という。1961年生まれなら、私より一つ下。俳句歴10年なら40代後半で俳句を始めたことになりますね。それこそ、金子兜太さんの『中年からの俳句塾』を地で行ってるわけですね。しかも、それを生涯の友として、いまや「やめられない」とまで・・・。
「やめられない」と言うくらいだから、俳句というのは気持ちのいいものに違いない。やっていて気持ちのいいものって考えると、あれと、あれと、あれと、あれ。そうそう、あれを忘れちゃいけない。
人間は、あれをやっている時、その脳内で大量のドーパミンが分泌されているわけですよね。だから、あの時はとっても気持ちがいいじゃないですか。
著者の岸本葉子さんが「やめられない」と言うほど気持ちがいいなら、きっと俳句をやっているとたくさんのドーパミンが分泌されるんでしょうね。
『俳句、やめられません』 岸本葉子 小学館 ¥ 1,512 「これから一生、俳句を続けていきたい」という岸本葉子さんの「俳句愛」に溢れる一冊 |
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五七五に言葉をなれべりゃいいんだろう。・・・追い詰められると、なぜが心が落ち着かなくなって、言葉まで乱暴になることはよくありますね。「やりゃあいいんだろう!やりゃあ」って感じです。でも、そんな気持ちで考えても、ちっともドーパミンが出てきてる感じがしないです。
・・・だめだ。思い浮かばない。仕方がない。楽しいことを考えよう。
花見だ。春ですからね。きっと季語でしょう? Iのおっさんを誘って、あのおっさんは暇人だから、同じ暇人のSちゃんとSさんに連絡とってもらって、忙しいかもしれないけどJちゃんには来てほしいなぁ。それからYっちゃんね。管理職もえらい方になったから、下の連中とはつきあえないなんて顔したら、昔の悪行をばらしてしまおう。場所はどこがいいかな。都幾川がいいかな。あそこの堤の桜は見事だからな。それよりも、巾着田はどうだろう、・・・日高の。去年行ったときは菜の花の盛りと桜の散り頃が一緒になってまさに別天地だったっけ。どうだろう。今週末には咲いているだろうか。あそこの近くはYっちゃんか。聞いてみようかな。
川岸の花は二・三分咲きにけり
だめだ。なんだか、定時の連絡かなんかのようだ。ドーパミンは少し出た気はするが、この程度の句が出来上がるまでになんだか息切れしてしまっている。この間、肺気腫用に買った酸素でも吸っておこう。
そう言えば、昨年末に他界した叔父も、定年後俳句をたしなみ、斎場にも叔父の詠んだ句が飾られていた野を思い出しました。やはり、相当魅力のあるものらしい。さて、叔父貴の域はともかくとして、とりあえずドーパミンの分泌が実感できるところまで行けるでしょうか。


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