アダム・スミス『絶対世界が日本化する15の理由』 日下公人
私は英語が不得手です。話せないし、読めません。英語だけっていうんじゃなくて、日本語の会話しかできないし、日本語で書いたものしか読めません。もちろん、今さら何とかするつもりもありません。
外国の方にもえらい方が一杯いらっしゃるのは分かりますが、残念ながら、その人の話を生で聞いてもなにがなんだか分かりません。その人の書いた本を手にしても、チンプンカンプンなだけです。
だから、その人について、日本人の人から聞くしかありません。日本語に翻訳された本を読むしかありません。だから、外国の方の業績や書いたものについて、とんだ誤解をしていることが、たまにあります。
そういう事に気がついたときは、本当に恥ずかしいです。
今回、日下公人さんの書いたこの本を読んで、そんな思いをいたしました。


白人列強が世界分割をめぐってやりあっていた時代に関する話の中で発覚しました。ちょうど、産業革命が進行している時代に重なります。産業革命による経済社会の激変を、ヨーロッパの人たちがどのように捉えていたかという事に関する部分です。
それは、『諸国民の富』で自由主義経済思想の先駆けとなったとされるアダム・スミスに関する見方についてです。
「見えざる手が働いて、市場では君主の規制がなくても均衡が実現する。均衡実現への推進力は市場参加者の営利精神でそれしかないが、それでも社会に貢献する働きをするのが市場の不思議なところだ」
私は、それに尾ひれをつけられたアダム・スミスの方を頭に入れてしまってました。つまり、「アダム・スミスは強欲を推奨している」という認識です。しかも、日下さんが言ってらっしゃいますが、《見えざる手》に“神の”をつけて、強欲が蔓延する市場であっても《神の見えざる手》によって予定調和が達成されるというふうにです。
学生の時、原書講読の授業で『諸国民の富』を読みました。私の英語能力では読み切れやしないのに、その後、翻訳されたものを読まずに、非常に輪郭のあやふやなアダム・スミスを頭に住まわせてしまいました。
だから、あとから入ってきた“尾ひれ”を拒否することができなかったんですね。逆にそれらの“尾ひれ”をつけることで、私のアダム・スミス観は完成していったようです。・・・ああ、恥ずかしい。
アダム・スミスは、社会や経済全般にわたる君主からの規制を承認している人物だったんですね。それによって社会的な信用を確立している人物だったそうです。そんな彼が、市場における不特定多数の営利追及が社会にいい影響を及ぼすと認めたからこそ、『諸国民の富』は新鮮味をもって受け入れられたわけです。
アダム・スミスさん、本当にごめんなさい。でも、実際に、《見えざる手》は《神の見えざる手》として流布されてしまってるし、資本主義的自由競争提唱の先駆けであるアダム・スミスは、その延長線上にある帝国主義定昇の先駆けでもあるという認識は、かなり深く、そして広く根を張ってしまっているように思います。
場合によっては、現在の新自由主義という名の強欲資本主義も、その先駆けはアダム・スミスなんてことになりかねないかと心配してしまいます。
それにしても、ああ、恥ずかしい。穴があったら、・・・。言葉を選んじゃうな。それもまた恥ずかしい。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
外国の方にもえらい方が一杯いらっしゃるのは分かりますが、残念ながら、その人の話を生で聞いてもなにがなんだか分かりません。その人の書いた本を手にしても、チンプンカンプンなだけです。
だから、その人について、日本人の人から聞くしかありません。日本語に翻訳された本を読むしかありません。だから、外国の方の業績や書いたものについて、とんだ誤解をしていることが、たまにあります。
そういう事に気がついたときは、本当に恥ずかしいです。
今回、日下公人さんの書いたこの本を読んで、そんな思いをいたしました。
『絶対世界が日本化する15の理由』 日下公人 PHP研修所 ¥ 1,836 日本の商品、文化が世界の人々を魅了する。そして、いよいよ世界の「日本化」が始まる |
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白人列強が世界分割をめぐってやりあっていた時代に関する話の中で発覚しました。ちょうど、産業革命が進行している時代に重なります。産業革命による経済社会の激変を、ヨーロッパの人たちがどのように捉えていたかという事に関する部分です。
それは、『諸国民の富』で自由主義経済思想の先駆けとなったとされるアダム・スミスに関する見方についてです。
「見えざる手が働いて、市場では君主の規制がなくても均衡が実現する。均衡実現への推進力は市場参加者の営利精神でそれしかないが、それでも社会に貢献する働きをするのが市場の不思議なところだ」
私は、それに尾ひれをつけられたアダム・スミスの方を頭に入れてしまってました。つまり、「アダム・スミスは強欲を推奨している」という認識です。しかも、日下さんが言ってらっしゃいますが、《見えざる手》に“神の”をつけて、強欲が蔓延する市場であっても《神の見えざる手》によって予定調和が達成されるというふうにです。
学生の時、原書講読の授業で『諸国民の富』を読みました。私の英語能力では読み切れやしないのに、その後、翻訳されたものを読まずに、非常に輪郭のあやふやなアダム・スミスを頭に住まわせてしまいました。
だから、あとから入ってきた“尾ひれ”を拒否することができなかったんですね。逆にそれらの“尾ひれ”をつけることで、私のアダム・スミス観は完成していったようです。・・・ああ、恥ずかしい。
アダム・スミスは、社会や経済全般にわたる君主からの規制を承認している人物だったんですね。それによって社会的な信用を確立している人物だったそうです。そんな彼が、市場における不特定多数の営利追及が社会にいい影響を及ぼすと認めたからこそ、『諸国民の富』は新鮮味をもって受け入れられたわけです。
当時は社会の基盤にまだ倫理や道徳があり、人間は道徳的であらねばならないという大前提で暮らしていた。そうした規範があった上での「営利精神はあってよい」というのがスミスの本意で、野放図な強欲を肯定したわけではない。 本書p147 |
アダム・スミスさん、本当にごめんなさい。でも、実際に、《見えざる手》は《神の見えざる手》として流布されてしまってるし、資本主義的自由競争提唱の先駆けであるアダム・スミスは、その延長線上にある帝国主義定昇の先駆けでもあるという認識は、かなり深く、そして広く根を張ってしまっているように思います。
場合によっては、現在の新自由主義という名の強欲資本主義も、その先駆けはアダム・スミスなんてことになりかねないかと心配してしまいます。
それにしても、ああ、恥ずかしい。穴があったら、・・・。言葉を選んじゃうな。それもまた恥ずかしい。


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