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1)米、武漢ウイルス研を懸念 国務長官が施設立ち入り要求 2)中国の責任追及が目的の国際調査に反対、新型コロナで=外務次官

大紀元

[ワシントン 29日 ロイター] - ポンペオ米国務長官は29日、世界中に感染が拡大した新型コロナウイルスの発生源を巡り、中国湖北省武漢市にあるウイルス研究所について、米政府は今もなお懸念を持っているとした上で、施設への立ち入りを認めるよう中国側に改めて要求した。

新型ウイルス(SARS-CoV-2)の起源を巡っては、トランプ米大統領は15日、武漢市にあるウイルス研究所から流出した可能性があるか米政府が調査していると表明。一方、中国科学院武漢ウイルス研究所(WIV)は、同研究所が新型ウイルスを製造し漏洩させたとする説を事実無根として否定している。

ポンペオ長官はFOXニュースのインタビューに対し「中国の研究所について、われわれは大きな懸念を抱いていた」とし、「中国共産党は国内の研究所で何が行われているのか情報を開示していないとの懸念はなお払拭されていない」と述べた。

その上で、中国当局は今もなおウイルスに関する情報を開示しておらず、米国の専門家による視察を許可していないと指摘。「現地への専門家派遣にわれわれは尽力しているにもかかわらず、中国は隠蔽しようとし、真実を見えにくくしている。これは誤った態度で、世界に対する脅威となっている。武漢で実際に何が起こったのか、解明する必要がある」と述べた。

さらに「中国国内では依然、複数の施設で病原体の研究が行われていると考えられるが、今回のような事態を繰り返さないためにも、果たして十分に安全確保がなされているのかが見えない。中国共産党がわれわれのパートナーだと主張するのなら、情報共有は必須だ」とした。

米紙ワシントンポストは今月、米国務省が2018年に外交公電で、武漢の研究所の安全面と運営面での体制の脆弱性を警告したと報じている。

多くの科学者は新型ウイルスは自然界で発生し、コウモリやセンザンコウなどの動物が媒介しヒトに感染できるようになったと考えている。武漢ウイルス研究所は、同研究所が研究目的でコウモリから採取したコロナウイルスが事故で流出したとする説も否定している。



REUTERS

[上海 30日 ロイター] - 中国の楽玉成外務次官は、新型コロナウイルスの世界的流行に関し、中国の責任追及を目的にしているいかなる国際調査にも「断固反対する」と表明した。

同氏の米NBCとのインタビュー内容を中国外務省が30日、ウェブサイトに掲載した。サイトでは、中国批判を意図する「政治色の強い」国際調査に中国政府は断固反対するとも記されている。

テーマ : 中朝韓ニュース
ジャンル : ニュース

『逆説の日本史23 明治揺籃編』 井沢元彦

学生の時、それもか1年か2年の時だ。居酒屋で、沖縄県民に押されっぱなしになったことがある。もう、40年以上前の話だ。

沖縄がかつて琉球王国であった頃、武器すら持たない平和な国だったというのだ。当時、聞いたこともなかったバジル・ホールの航海記を持ち出され、彼が琉球を武器を持たない平和な地としてナポレオンに紹介したなどと聞かされて、大きな違和感を持ちながらなんの反論もできなかった。

彼らは、その琉球を明治政府は力で日本に編入した琉球処分は、沖縄の不幸の始まりだと言っていたのだ。

8世紀に成立した、奈良時代の日本に仏教の戒律を伝えた鑑真の伝記『唐大和上東征伝』(淡海三船著)に753(天平勝宝5)年、遣唐使一行が阿児奈波(あこなは)島に漂着したと記されており、これが沖縄という地名と同じものだと考えられる。これに対して琉球というのは中国風の言い方で、古くは屋久島を指して「流求」と記されたようだ。また、台湾とも区別されずに使われていたという指摘もある。

琉球という地名が確定したのは、明をおこした太祖洪武帝が1372年に使者として楊載を派遣して中山王察度を服属させたのが始まり。この時、明はこの国を琉球と呼び、以後、琉球は国王が中国皇帝によって任命される国になった。

察度王の時は北山、南山、中山に分かれていて、それぞれに王がいた。1429年、中山王の尚巴志が三山を統一して琉球王国として中国の冊封体制に入った。

戦国時代末期、薩摩の島津義久は全九州をほぼ制覇した。しかし、大友宗麟が豊臣秀吉がに出兵を求めたため形勢は逆転し、島津家は薩摩、大隅二カ国の領主に後退した。その時の島津家は九州制覇のために多くの武士を高録で抱えた状態にあったので、財政は破綻した。石田三成から新しい国内経済運営を学び朝鮮出兵の奮戦で日向国を取り戻し一息ついた島津氏であったが、関ヶ原で西軍に加担するという戦略ミスを犯し、再び日向国を失った。

時の当主の島津家久は琉球王国領奄美王島の砂糖を狙って、家康に許可を求めて許された。それどころか、事のついでに琉球本島まで遠征し、琉球王国を占領して日本領にしてしまえと求めてきた。

琉球国王尚寧は首里城を包囲されて二日間で降伏を願い出た。かつて明は、朝鮮まで出兵して秀吉軍と戦った。尚寧王、あるいは最高顧問の立場にあった謝名親方には、その頭があったかもしれない。しかし、明は来なかった。明は文禄・慶長の役で国力を損耗し、満州族の侵入に、自らが悩まされる立場にあった。朝鮮は陸続きだが、琉球は海によって隔てられていた。かつて秀吉軍と戦った泗川の戦いで数倍の明国軍を撃破したのは、ほかならぬ島津軍であった。

家康はなにを考えていたのか。明との貿易の利益を独占しようとすれば、朝貢貿易にしろ、勘合貿易にしろ、足利義満がやったように、中華皇帝の家臣の立場をとる必要があった。つまり、明による冊封を受け入れることである。それが嫌だということになれば、日本のかわりに頭を下げて明の家臣となり朝貢もするが、実質的には日本の一部であるという“ダミー”としての琉球王朝が必要となったのである。

しかし、そのようにして手に入れた琉球王国という貴重な存在を、幕府は貿易面においては有効活用しなかった。家康が、武士の基本理念として取り入れた朱子学の弊害である。家康は、明智光秀や豊臣秀吉のように、さらには自分自身のように、主を平気で裏切る人間をこの世から根絶し、武士の世界に忠誠という道徳を確立しようとした。

たしかに朱子学にはそういった効用があった。しかし同時に、商業軽視という、それまでの日本には全くなかった効用も含まれていた。日本には古来より商売や貿易を悪いことだとは、まったく考えていなかった。平清盛、足利義満、大内氏や織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と、貿易を悪とする発想はなかった。

ところが、家康が朱子学を武士の基本理念として取り入れたことで、江戸時代の武士たちは商売を悪だと考えるようになってしまった。長崎を通じてのオランダとの交易も、本来、幕府に莫大な利益をもたらすはずなのに、それを長崎商人に丸投げしてしまった。この構造にメスを入れようとした田沼意次は、商業を悪と考える松平定信に引きずり降ろされた。

まさに朱子学こそが、せっかく家康が手に入れた琉球王国という打ち出の小づちを、有効活用できずに終わる原因であった。そのかわり、琉球王国は薩摩藩によって有効活用された。

1609年の薩摩藩による征服以来、琉球王国は3つの側面を持つことになる。第一に、薩摩藩を実質的管理者として幕藩体制の一環に編成されていた。第二に、清国との間に伝統的な外交・貿易関係を持ち、国王は皇帝の冊封を受け、定期的に朝貢を行っていた。第三に、独自の王国体制をもって領内を直接経営していた。




小学館  ¥ 1,760

沖縄が、どこか韓国に似ているように思われるのはなぜだ?
第1章 近現代史を考察するための序論 
近現代史を歪める人々―日本を蝕み続ける「バカトップ」問題
第2章 大日本帝国の構築1 
琉球処分と初期日本外交―朱子学という亡国の「毒酒」
第3章 大日本帝国の構築2 
廃元毀釈と宗教の整備―「平和ボケ」ニッポンを「内教」で立て直す


明治維新によって日本が近代国家に生まれ変わるにあたり、琉球王国もその存在の曖昧さを抱えたままではいられなかった。世界に向けて開国した日本にとって、貿易の道具としての琉球は必要ない。そこで明治政府は1871(明治4)年、廃藩置県を断行し鹿児島藩を廃止した際に琉球を鹿児島県管轄とした。その上で、翌1872(明治5)年、明治天皇は琉球国王尚泰を琉球藩王とし、侯爵として華族に叙し、琉球王国を琉球藩とする旨宣告した。

1872(明治5)年、前年台湾に漂着した琉球宮古島の住民の生存者12名が送還されてきた。彼らは生き残りで、54名が台湾原住民に殺されていた。大久保利通はこれを巧妙に利用した。大久保はまず清国に抗議し、謝罪と賠償を求めた。清国がこれに応じれば、宮古島島民を日本国民と認めたことになるので、当然琉球が日本領であることを認めたことになる。ところが、清国は、台湾原住民を「中華皇帝の徳化の及ばない化外の民」であるからその行動については関知しない旨、日本側に通達してきた。大久保利通は清国の主権を侵さないなら自ら台湾原住民を討伐すると軍を差し向けた。不平士族の不満がたまっていたこともあり、そのガス抜きもかねて西郷隆盛の弟従道を司令官に義勇兵3000で台湾を攻めた。清国は主権の侵害であると抗議し、即時撤兵を要求してきた。大久保は清国と交渉して、撤兵に応じる代わりに賠償金を獲得することに成功した。つまり、清国に琉球は日本領であると認めさせた。

1878(明治11)年、大久保利通は暗殺されたが、内務卿を引き継いだ伊藤博文の命により、警官約160名と陸軍熊本鎮台から一個大隊約400名が首里城を接収し、琉球藩の廃止と沖縄県の設置を通達した。これが琉球処分である。

琉球がほとんど非武装状態だったので流血の惨事は免れたが、琉球の上流階級は琉球処分に強く抵抗した。日本は、それを無理やり断行した。

伊波普猷は『沖縄歴史物語』のなかで、「琉球処分は一種の奴隷解放」と述べている。尚王家とそれを取りまく上流階級は、清国と同じ朱子学を根本道徳とした身分制秩序に支えられた国家を指向していた。士農工商が基本であり身分の壁を乗り越えようとすることは“悪”であった。足軽上がりの伊藤博文が内務卿を務める日本など野蛮国家に過ぎず、その取り組む近代化諸政策の導入など許せるものではなかった。彼らに支配された琉球王国は、「300年に及ぶ奴隷制度国家」だったのだ。


テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『陰陽五行で分かる日本のならわし』

埼玉県東秩父村大内沢に二日連続で行ってきた。

先日のブログで紹介したけど、この大内沢の花桃がすごかったって言ってたら、連れ合いも行きたいってことになった。重ねて、20日のお彼岸の中日に、孫を預かることになって、18日に行くことになって、「なら、そのあとに大内沢に寄ってみよう」ということ。

お墓は埼玉県の鳩山町にある霊園で、30年以上前に義父と連名で建てた。今は、生きて会うことのできなかった私たちの娘と、義父母が眠っている。中日の二日前と言うことでお参りの人は多くなかったが、お互いに声を掛け合って、鶯の声に耳を傾けた。

墓参りを終えて、東秩父村に向かった。前の日以上に温かい日和で、人出も多く、駐車場はギリギリだった。平日にこれじゃ、週末は大変だろうと思わされた。

花は、日を追って、ますます見事だった。

桃は邪気を払うという。“中国”から伝わった話だろうが、孫悟空は西王母の桃を食べてすごい力を手に入れた。花にも力があるという。桃の花を杯に浮かべて飲めば、邪気を祓い、寿命を延ばすらしい。杯に浮かべずとも、これだけの桃の花に囲まれれば、ずいぶん寿命も延びたろう。それとも私をおおう邪気が多すぎて、それを払うので手一杯だったかも知れない。なにせ、天邪鬼を自認する私だ。

験を担ぐなんてのは迷信だと切り捨てるのは、とても容易なことだ。だけど、そういうものを全部切り捨ててしまうと、分からなくなってしまうことがある。人がいかに世代をつなぐために、多くのものを犠牲にしてきたかということだ。迷信は人を苦しめていることが少なくないが、その多くは、かつては社会に恩恵をもたらす天与の法則だった。

迷信への憎悪をあからさまにする人を見ると、理解しつつも、私はちょっと悲しい。

日本人は言葉に敏感で、日頃から言葉に戯れ、言葉で遊ぶ。業界用語と言いながら、芸能界では言葉をひっくり返す。だけど、これは日本人の言葉遊びの特徴で、昔からやっていたらしい。

“験を担ぐ”の“験”は、考えてみればよく分からない。これ、もともと担いだのは“えんぎ(縁起)”だったようだ。それを言葉遊びの好きな業界人が、“ぎえん”とひっくり返して“げん”になったようだ。


『陰陽五行で分かる日本のならわし』    長田なお


淡交社  ¥ 1,320

なぜ、節分の鬼は牛のような角で、虎柄のパンツをはいているの?
陰陽のはなし
陰陽五行のはなし
付録 易のはなし


お祝いの席で使う箸に、柳を素材としたものが使われる。真白い柳の木肌が清浄を表す。祝い箸は丸い橋で両端が細くなっている両細箸。これは一方で神様が召し上がり、もう一方で私たちがいただくという神人共食のための神聖な箸。

柳は“家内喜”と書いて、言霊の意味からも喜ばれていた。反対に割り箸の“割る”は、祝い事では嫌われ、形状が四角いのも、四が死に通じ、かつ陰陽の陰を表す数字であることからも遠ざけられた。

“割る”は、特に結婚式では嫌がられたことから、結婚式のお祝いには割り切れないと同時に陰陽の陽にあたる奇数のお金を包む習慣がある。

おせち料理は、年神さまに捧げる供物。神様の前から下げて、家族で食べる直会の食べ物。

黒豆の黒は、魔除けの役割を果たし、邪気を払ってマメに暮らせるように。

かずのこは子宝に恵まれるように、子孫繁栄を願って。

ごまめ田作りは、五万米と書いて、ごまめと読む。片口鰯で五穀豊穣を願う。

金団は黄金色の塊で財運を祈る。

蒲鉾は、紅白の蒲鉾の形が日の出に似ているから、元旦の初日の出を祝う。

昆布巻は、「よろこんぶ」と喜ぶに通じる。

「迷信だ」と吐き捨てるのは簡単だけど、そう考えて、身近な者たちとともに、いつまでも健やかに暮らしていきたいと切に願った人々の思いまで捨ててしまうのは、やっぱり間違っていると思う。

ただ、その迷信が人を悲しませることもある。時には命さえ奪ってしまう場合もある。背景にある“思い”が、いかに身近な者のためを図るものであるとしても、それは排除しなければならない。

いろいろなことを“知る”ってことは、そういう意味で大事なんだと思う。



テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『簡単おつまみ』 ei cooking編集部

また、白鳳は穢い相撲を取った。穢い手に、穢い手で対抗しない力士たちが、なんだか可哀想。

山に行かない日の朝は、走るようにしている。

朝7時過ぎにはご飯にしたいので、遅くても、6時までには走りきりたい。10キロ走りたいんだけど、私はまだ、1時間で10キロを走りきれない。10キロ走ると1時間10分近くかかってしまう。4時半くらいに目を覚ませれば行けるんだけど、“春眠暁を覚えず”の時期に入ったようで、年寄りのくせに、最近朝眠い。

今朝(3月9日)は5時15分の走り出し。西の空には満月が浮かんでいる。うちは関東平野の西の端。さらに西にある丘陵地帯から東へ向けて、関東平野が広がっていく。今日は関東平野に駆け下ろうと思ったが、月の引力にあらがえず、沈みゆく月を追いかけて西側の丘に駆け上がった。

この季節、5時半を過ぎると、もう東の空が明るさを増す。月が力を失って、私は我に返る。今日は関東平野に駆け下ろうと思っていたんだった。坂道を駆け下って自宅前を通過、さらに下る。2キロほど行って都幾川の土手が見えてくれば、ほぼ関東平野の懐の中。

そのあたりから家に帰ると、6キロくらいの距離になる。病み上がりの今は、そんなところがせいぜい。時間は6時ちょっと前ってところだ。一休みしたら、朝ごはんの準備をする。

ここのところ、暖冬のせいか、野菜が安い。数年前から、意識して野菜を多く食べている。恥ずかしながら、この歳にして野菜に目覚めた。これまでも、別に野菜嫌いというわけではないが、今になって野菜が食いたいというのは、年相応と言うことなのかも知れない。

昨日、冷蔵庫を開けたら、二人暮らしとは思えないほどの春菊が目に入った。「どうしたの?」と連れ合いに聞いたら、「安かった」と返ってくる。安いと無条件に買ってしまう。それが連れ合いの行動パターン。必要量一袋のところ、一袋130円が三袋300円で売ってれば、迷わず三袋買う。同様の商法で、冷蔵庫にはキノコがいっぱい。

これはうれしいところで、冷蔵庫に野菜がたくさんある時って、なんだか心が豊かになる。

私は酒を飲む。もちろん、つまみを取る。当然、自分で作る。ご飯のおかずと違って、つまみとなると、それを前にしている時間が長い。長い時間、箸を伸ばすことになる。冷蔵庫の豊富な野菜を消費するには、つまみとして食べるのが効果的だ。それは一体、誰に対する言い訳だろう。野菜をつまみに、酒を飲みたいと言えば済むはず。

冷蔵庫の野菜を思い浮かべながら、今日はどんなつまみで攻めようかと考えることが、まず楽しい。これは、『簡単おつまみ』という本。



『簡単おつまみ』    ei cooking編集部

エイ出版社  ¥ 1,320

本書は、最短で3分から作れる、スピードおつまみを中心に集めたレシピブックです
Part1 3分で作れる!人気おつまみBEST20
Part2 メイン食材で選ぶ簡単おつまみ
Part3 飲んでいる間に完成!ほったらかしおつまみ
Part4 事前に仕込めばすぐ飲める!簡単作りおきおつまみ


人は、料理の本をどう読むのだろう。

連れ合いに聞いてみた。「私はこれだけ」と、辰巳浜子の『娘に伝える私の味』という本を渡された。実はこの本、知っている。池波正太郎の書生を務めた佐藤隆介さんが書いた本に、浜子さんの娘さんの芳子さんを取材された話が書いてあった。その中に出ていたような記憶がある。

連れ合いは、それを母親からプレゼントされたそうだ。ペラペラめくってみたが、“安い、早い、うまい”を旨とする私の料理方針とは違い、ほとんど哲学書と言っていい。丁重にお返しした。

私は料理の本をペラペラ見る。もちろん、これはという料理を、そのままに再現してみることも、・・・あるにはあるが、滅多にない。料理の本に紹介されている料理を、そのままに再現することは滅多いないな。でも、最初から最後まで、作り方を興味深く、・・・サッと読んで積んでおく。

料理の本を読むのがお金の無駄なんて、思ったこともない。料理には世相が反映されている。当然、料理の本にもだ。二人用のレシピ、お一人様レシピ、忙しいお母さんのレシピ、定年後のお父さんのレシピってな具合よ。

それに、数多く積んでおくことで、確実に料理の幅が広がる。孫に「チーズ入り卵焼き作って」なんて言われるとうれしいよ。

腹がへってきて、なんか作ろうと思い立って、納戸や冷蔵庫の食材を見て、・・・そうするとあの本の真ん中あたりに書いてあったあの料理の引き出しが、脳みその中で開くんだな。そんなとき、調味料の分量みたいな細かい部分は適当に済ます。料理の核心部分は記憶にあるから、結局、本を引っ張り出して確認することはない。記憶に残らない料理は、もともと縁がなかったものと思うほかない。

連れ合いに出す料理は、そんな思いつきで失敗すると悪いから、一度、自分で試しておく必要がある。そんなとき、つまみとして試しておくのがいい。連れ合いは、私と一緒には飲まないから、つまみとしてなら、自分で痛い思いをすればそれで済む。

このつまみの本の特徴は、つまみとしてだけではもったいない料理が多いというところだな。十分、おかずになり得ると言うこと。特別な食材は一切なし。うちの冷蔵庫にあるもので十分。しかも、調理の手間が一つか二つ。うれしいじゃないか。

“安い、早い、うまい”を旨とする私にぴったり。私にすれば、それも立派な哲学なんだけど。



テーマ : 料理の本
ジャンル : 本・雑誌

『薬膳』 ちづかみゆき

野菜ジューズを毎日飲んでいる。

キャベツとタマネギとにんじんとカボチャを鍋で煮て、冷ました後でミルサードロドロにして、トマトジュースを混ぜてペットボトルに保存。それをことあるごとに飲んでいる。

ご近所の鈴木さんから、時々お野菜をいただく。鈴木さんの奥さんが育てた野菜は、それはおいしい。買った野菜といただき物が重なると、それも野菜ジュースに混ぜてしまう。ピーマンの香り高い野菜ジュース。ミニトマトやキュウリは、そのまま粉砕して絞って飲んだ。キュウリにショウガを加えると、とてもうまくてびっくりした。

さて、うちの野菜ジュースの基本になっている4つの食材。キャベツとタマネギ、にんじんにカボチャね。それらの正確を、この本で調べてみた。

まずはキャベツ。春の野菜だけど、最近は一年中ある。キャベツといえば、キャベジンだな。日本ではすっかり薬として知られた名前だけど、これはキャベツから発見されたビタミンUのことなんだな。胃腸に効くんだそうだ。胃の働きが良くなると、気力が上がって血を作る働きが高まるから、体力がない人に良いんだそうだ。

次はタマネギ。これも春野菜なのか。これは気力を高め、血を巡らせる働きがある。血中コレステロール、中性脂肪、血圧の値が気になる人におすすめだそうだ。

カボチャは梅雨の時季の野菜だそうだ。これは気を補うとある。なんだか、気というのが大事みたいだ。胃の働きを高める働きがあると気が高まる。胃に働きかけたり、優しかったりして、ご飯をおいしく食べられると気が高まるということのようだ。さらにカボチャにはβーカロテン、ビタミンEが豊富だそうだ。それがなにかというと、βーカロテンは目・皮膚・粘膜にいい。え~、粘膜?・・・ビタミンEは酸化を防ぎ血流を良くする。

にんじんは秋の野菜か。やっぱり胃の働きを高め、消化を促す。ということは、気を高めるな。それから血を養い、目と関わりの深い肝の働きを高めるって。にんじんもβーカロテンが豊富だそうだ。・・・ということは、粘膜だな。



『薬膳』    ちづかみゆき



翔泳社  ¥ 1,980

食べることで心身をいたわり、毎日心地よく過ごせる。そんな薬膳を紹介します
1 季節の食材図鑑(季節ごとの食べ方)
2 知っておきたい薬膳の基礎(薬膳のこと;陰陽五行説? ほか)
3 毎日のかんたん薬膳 5色のごはん 青(緑)   


この本は、野菜の本って訳ではない。

とはいうものの、食材としては圧倒的に野菜が多く紹介されている。食と健康の関連に興味を抱くのは、やはり肉中心の食生活をする若い人たちよりも、そこからの転換を図ろうとする中高年世代だろうからね。こういった本に手を伸ばすのは私たち向けには、野菜を多く取り上げた方が良いだろうね。

PART2には《薬膳の起訴》ってのがあって、“陰と陽”、“五行”なんてことが説明されている。理屈は分かるが、、体を温める食材と体の熱を取る食材くらいを大まかに頭に入れておけば良いだろう。

あとは、できれば旬の食材を、・・・ていうのは、その時期のものってのは、それなりに力があるような気がする。たくさん、肉や魚ももちろん取り混ぜて食べるのが良いね。

今日の朝ご飯は、ご飯とみそ汁。これはいつもそう。朝はご飯とみそ汁。みそ汁は季節外れのサヤインゲンと豆腐のみそ汁。なんか久しぶりでうまかった。おかずは、焼き鮭の大根おろし和え、長いものすりおろし、大根とベーコンの天ぷら、らっきょうの漬物、たくあん。

鮭は4切れで売ってたのを昨日焼いて連れ合いと一緒に食べて、残りの二切れをほぐしてポン酢を混ぜた大根おろしで和えた。長いものすりおろしは白だしで味を付けて、青のりをまぶした。漬物は、毎食、二種類は出す。漬物は、値引きになってるのを買っておいて、次から次へと食べていく。

朝ご飯が決まると、その日が良い一日になるような気がする。そんな朝ご飯に、薬膳という意識はなくても、その野菜の特色を意識して取り入れられたら、・・・ってところまでは、一冊や二冊じゃ行かないか。




テーマ : 料理の本
ジャンル : 本・雑誌

『漢字で読み解く日本の神さま』 山口謠司

「漢字で読み解く」というレベルも、しっかり甲骨文字、文字の起こりのところまで立ち戻って読み解いていますので、内容はけっこう深いものがあります。

例えば、《神》です。左側の「示」は、祖先の霊を祀る祭壇の形を表すそうです。右側の「申」は稲妻が伸びる形を描いた象形文字だそうです。これを合わせて「神」とは、祭壇に祀られるような、稲妻のように不可知な自然の力や、人智では把握できない不思議な力を持つもの、さらに目に見えない心の働きなどの意味があるそうです。

私は最初、「そういう内容の本であればいいなあ」と思いながらも、この本の表紙の雰囲気から、そこまででもないだろうと思ってたんです。

神には名前があったわけです。人は、その神の名を読んでいました。でも、書いてなかったわけです。字がありませんでしたから。字がなくても、その名には、当然、意味がありました。それに文字を当てる時、それはそれは必死で考えて、これがいい、あれがいいって、紆余曲折があって、今私たちが目にするものになったんでしょう。それでも、いくつかの文字で書き表されている神様もいますよね。

漢字を利用することで日本語を文字で表す時、まず、日本語の「ア」という発音に、「亜」「阿」「安」など、漢字でも同じような発音をするものを当てて各方法を《音借》と言うそうです。もう一つ、漢字の意味を借りて表す方法を《訓借》と言うそうです。「たべる」には、それと同じ意味を持った漢字である「食」の字を当てるというやり方です。

《万葉仮名》と呼ばれる表し方ですよね。そこで問題です。万葉仮名で現された次の万葉秀歌を読みなさい。

①熟田津尓  船乗世武登   月待者   潮毛可奈比沼  今者許藝乞菜

②渡津海乃  豊旗雲尓    伊理比紗之 今夜乃月夜   清明己曽

③茜草指   武良前野逝   標野行   野守者不見哉  君之袖布流

④春過而   夏来良之    白妙能   衣乾有     天之香来山

万葉仮名、面白いですね。
(続きを読む)に解答


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知られざる名前の由来から、神様の個性を解き明かすミステリー神話
第1章 開運・厄除けの神様(天照大神;倭建命 ほか)
第2章 縁結び・子宝の神様(木花佐久夜毘売命;菊理媛神 ほか)
第3章 金運・商売の神様(大物主神;天之常立神 ほか)
第4章 健康・長寿の神様(伊邪那岐命&伊邪那美命 ほか)
第5章 学問・技芸向上の神様(天児屋命;久延毘古神 ほか)

そんなやり方で、《猿田毘古神》を考えてみれば、《猿》と《田》は訓借、《毘古》は“ひこ”の音借のようですね。そのうえで《猿田毘古神》のページを確認してみましょう。

「袁」は「長く遠くまで伸びる」ということを意味する漢字で、「犭」がついているので、長くて足を伸ばしている動物ということでサルを意味するんだそうです。「田」は「田んぼ」を意味する感じですが、猿の田んぼじゃわけが分かりません。そこで、「田」という漢字を調べてみました。

どうやら、「田」に関わるさまざまな思い入れが、意味の中に含まれているようなんです。川を治め、山を開き、土を耕し、水を導き、先祖代々守ってきた、生きていくための作物を実らせるための場所、そのための行為、愛情。命を育む場所、愛情、そして尊敬の念。この辺までは、やはり「田んぼ」から派生する意味のようなのですが、それ以外に、頭を意味しているようなんです。

「囟」

この字は頭を上から見た様子から生まれたもののようなのですが、これが「田」に転化し、意味が融合して、尊敬を集めるような大きな頭という意味を持つようになったようです。「そんな大きな頭に猿のような長い手足」、それが「猿田」の表すところのようです。

「毘古」の「毘」の字は、「ひ」の音を表すための漢字ではありますが、そこにも「田」が含まれていて、大きな頭をした者に「ならぶ」ことを表すために選ばれたようです。

「毘古」の「古」は、「十」と「口」から成りますが、「口」は頭を表し、「十」は頭部の飾りや、人とは異なる特徴を示すそうです。

そんなことから、《猿田毘古神》は、「長い手足を自在に使うことができ、畏敬の念を持って使えるべき特徴的な頭部を持った神様」ということになるんだそうです。

・・・ちょっと疲れた。




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テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『ロシアを知る。』 池上彰×佐藤優

先週、町の図書館に行くと、いつもと違って駐車場が一杯になっています。

いつもガラガラのはずなのに何だこりゃと思ったら、図書館の二階が期日前投票の投票所になっているんです。ずいぶん期日前投票の人が多いんですね。驚きました。

私は二一日に、朝ごはん前に行ってきました。投票のたびに思うんです。日本共産党って、どうして党名を変えないんでしょう。だってもともとは天皇制の解体をうたい、ブルジョワ革命を通してプロレタリア革命につなげようとしたわけです。ロシア革命を由とする人たちですから、皇族は殺され、有産者は奪われ、スターリンの手先がすべての日本人の生殺与奪の権を握ったわけです。

そんな日本共産党が、なぜ未だに、その名を名乗って恥じないのか。その理由の一端は、次のようなことであったかもしれません。

日本共産党は、ソ連崩壊の時、ソ連を見放して生き延びたんだそうです。

赤旗は「(ソ連共産党の)終焉を歓迎する」と大見出しを打ち、宮本顕治は党員に、ロシア革命とかソ連共産党とかから離れた、日本共産党員としての自分の物語を語らせたんだそうです。

佐藤さんが、ソ連の功罪というか、ロシア革命とソ連という巨大な実験の失敗の総括がされていないということに触れています。ロシアの功罪と言って、私なんかじゃ罪ばかりを並べ立ててしまうでしょう。でも、ロシア革命の衝撃っていうのは、その共産主義の非人間的な側面だけじゃなかったわけですよね。佐藤さんは、ソ連という巨大な実験の“功”の部分がとても大きかったことを指摘しています。

“教育の無償化”、“社会福祉”、“女性の労働参加”、いずれも、まずソ連で行われ、それに対抗するために資本主義国で取り入れられたものです。修正資本主義なんて言われますけど、修正が行われたのは、ソ連という存在があったればこそです。

宇宙開発については、ずっと、ソ連がアメリカをリードしてきました。一九五七年に人工衛星スプートニクを打ち上げて、有人宇宙飛行でもソ連のガガーリンに先を越されました。「地球は青かった」にまさる言葉を、アメリカは未だ宇宙開発史に刻めていません。一九七〇年代までは、社会福祉や医療でも先を行っていたようです。


『ロシアを知る』    池上彰×佐藤優

東京堂出版  ¥ 1,728

北方領土問題、プーチン、ソ連について最強の二人が語りつくす異色のロシア本
序章  動き始めた北方領土交渉のゆくえ
1章  蘇る帝国「おそロシア」の正体
2章  「ソビエト連邦」の遺産
3章  ソ連社会の実像ー繁栄から崩壊へ
4章  独裁化する国家権力
5章  ソ連・ロシアの幻影を追う日本
6章  帝国の攻防ー諜報と外交の舞台裏


逆に、“罪”は以外に少ないと言うんです。

そのまず最初にあげたのが、スターリン時代のソ連では三〇〇〇万人の国民が死んだのに対して、東条英機首相の日本では三〇〇万人の国民が死んでいます。佐藤さんは、これは程度のであるととらえています。

ちょっと違うような気がしますね。日本の死者数は、ほぼ全て、戦争で死んだもの。しかも、無様な戦争指導による死者は二三〇万ですね。八〇万は、アメリカの卑劣な銃後への無差別攻撃による死者です。スターリン時代のロシアの死者には、戦争指導による死者だけで二〇〇〇万人でしょう。しかも、三〇〇〇万の中には、スターリンの性格を根拠とする、多数の粛清による死者が含まれているはずです。

これは程度の差ではないと思います。

ロシア人の特質はとても興味深く読みました。一年間を通して、日本人が三五五日分積み上げたものを、ロシア人は最後の一日だけで三六六日分積み上げるだけの能力があるという話。それだけの能力と集中力があるということですね。だけど、民族ジョーク等によく出てくる話ですが、雑な仕事はロシア人の特徴のようにも言われているところです。そのへんのところはどうなんでしょうね。

この本は、池上彰さんと佐藤優さんとの対談物です。このコンビ、最近何冊か読んでます。それらの本と比べても、今回のこの本はちょっと異質。『ロシアを知る。』は、完全に池上さんが聞き役に回っています。同調する役割といえばいいんでしょうか。それにしても、池上さんの《笑い》とあるところに、なんだか本心を隠した“笑い”を感じるんです。

それに、全般を通して、佐藤さんはロシアに甘いように思います。ロシアに対して甘くて、日本に厳しい。沖縄のご出身ということからくる日本への厳しさかと勘ぐりたくなるくらい、日本に厳しい。かなり手厳しい。沖縄県民の被った悲劇は極めて残念なことですが、ロシアへの甘さを考えると、日本への厳しさが際立っているように思えます。なかでも、安倍政権に対してもは、ずいぶん厳しい。それも、これまでの佐藤さんと政権の関わりと関係するんでしょうか。

時には教条主義的かなと思われるほど、基本的な部分をものすごく大事にしながら現状を分析される方なので、よく著作を参考にさせてもらっています。ただ、今回は、上記のバランスが気になりました。







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『神は詳細に宿る』 養老孟司

生きそびれないようにすること

情報化社会と言われるけど、「情報とは、すなわち過去である」と、養老さんの言われる通りです。その朝配達された新聞を読んで、朝食の時間帯のNHKのニュースを聞いて、新しいなにかを自分のものにしたように感じるけど、それは全部終わったことばかりです。その上、情報を流す側が、その情報を流そうとした段階で、その情報は情報を流す側によって選択されています。

すでに終わってしまっている事柄の中から、他人によって選び出された情報を与えられている私たちです。それは、自分の生きる指針とできるようなものとは違います。

じゃあ、なんなんでしょうね。自分らしく生きるっていうのは。

養老さんは、“真に生きる”という言い方をしています。「それは案外難しい」とも。そりゃそうかな。過去に起こったことの中から人に選んでもらった情報を与えられて、「だいたいこんな生き方でどうでしょう」ってところに合わせて生きていけば、まあ、大きな間違いではないでしょうというところなんでしょうか。

大きかろうが小さかろうが、間違いは間違いですからね。大きく間違ってれば開き直ることもできるけど、小さな間違いではそれもできません。あとは「これでいいのだ!」って、バカボンのパパ風に誤魔化すしかありません。「真に生きていない」としても、・・・です。

それが、私にしたところで「真に生きてはいない」ということなら、私は仕事人生三六年の後ろ半分は、真に生きてはいませんでしたね。

自分に向いているという確信があってこの仕事についたわけですが、往々にしてそうですが、仕事のほうが変わっちゃうってことがあるじゃないですか。

変わりました。とっても、変わってしまいました。なにしろ、本気になっちゃいけないって言うんですから。


『神は詳細に宿る』    養老孟司

青土社  ¥ 1,512

私たちはこれからどこへ向かうのか? ニヒリズムに陥らないための現代社会の手引き
1 煮詰まった時代をひらく
2 世間の変化と意識の変化
3 神は詳細に宿る
4 脳から考えるヒトの起源と進化
5 「科学は正しい」という幻想
6 面白さは多様性に宿る
7 虫のディテールから見える世界
8 ファーブル賛歌

私の職場は“高校”でした。学校という組織の中で三六年間仕事をしてきました。

学校で行われることはシステム化されていて、生徒が変わっても、教師が変わっても、毎年、同じようなことが行われていきます。人が変わっても、学校自体は同じ形で存続していくんですね。

大概のことはマニュアル化されていて、それを見て、読んで、理解できる人間なら、誰がやっても昨年、一昨年と同じような事が行われていくんです。最近の教師で、それを見て、読んで、理解できないのは、まずいません。子供の頃からそういうふうに訓練されてますからね。

だけど、子どもの方は、まだまだいびつな奴もいて、そういう子どもは教師から嫌がられます。嫌がられた子どもは、できる限り当たり障りないように対応されて、できる限りベルトコンベアーにのせたまま、出っ張りを少しずつ削って矯正します。

養老さんの言う“具体的な事物”、ここではその他大勢と違う“具体的な一人”ですね。本来、“具体的な一人”は時を超えて同じであることはできない、諸行無常です。諸行無常はシステムを崩壊させてしまうんですね。・・・あぶない、あぶない。

《金にもならなきゃ、GDPも増えない。傍で見ている私は、あいつらは馬鹿じゃないかと思うのだが、本人たちは嬉しくてしょうがないのである》

そう、養老さんが言っているような生き方は、少々、いびつなくらいじゃないと、ちょっと難しいんでしょう。

せめて、此処から先の人生は、生きそびれることがないように、やっていきたいもんです。




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『新しいストレッチの教科書』 森本貴義 阿部勝彦

実は先日、家族のことで緊張する場面があったんです。

正座。正座です。まあ、しばらくして、連れ合いの口添えで足を崩すことができたんですが、そこまでは、ここは一番、正座で頑張ろうって、頑張っちゃったんです。股関節のお医者さまから、「正座は避けるように」って言われてたにもかかわらず、・・・です。

でもね。大丈夫だったんですよ。・・・股関節はね。

だけど、翌日気がついたんですが、膝がいかれてました。その場面というのは大阪でのことだったんですけど、埼玉に帰る新幹線の中で、座ってるだけで、なんだかジンジンと痛むんです。立っても大丈夫なんですが、座って姿勢を固定していると、次第にジンジンしてくるんです。

まあ、もともと故障している膝ですけどね。

「そんな、あなたのような人が読む本ではないでしょう」という声が聞こえてくるようです。・・・でもね。そうじゃないんです。私みたいな者こそが、読むべき本なんです。だってね。書いてあるんです。
  • 股関節に痛みや違和感がある
  • スポーツ競技のトレーニングの成果がなかなか出ない
  • どちらかの腕を上げると肩関節が痛い
  • 首を寝違えやすい
  • ねんざをしやすい
  • 筋トレを続けているが動きがスムーズに行えない
  • 柔軟性はあるはずだが肩こり、腰の張りがある
  • 姿勢が悪いと指摘される
  • こうした悩みは「関節の可動域」を広げれば解決する

ね。どっちかって言えば、なんかで大きな成功を収めたってわけじゃないって人ですね。できる限り頑張ってやってきて、それなりに評価を受けることはできた。だけど、ここでもうひと踏ん張りしたいって、そんな人向けって感じがしませんか。

だったら、その中に私も入れてもらってもいいような気がするんです。もうひと踏ん張り、私もしたいし。


『新しいストレッチの教科書』    森本貴義 阿部勝彦


ワニブックス  ¥ 1,998

柔らかいことよりも、大切なのは、体の関節の本来の動き、機能を取り戻すこと
1章  柔軟性と可動性の違いを知ろう
2章  機能的な可動性を手に入れよう
3章  身体の自由度を向上させよう
4章  身体を動かす前に基本ポジションをチェックしよう
5章  エクササイズの前に知っておきたいこと
6章  実践エクササイズ


この本を書いたお二人は、それこそトップレベルのアスリートのトレーナーを務めているんだそうです。そのトップレベルのアスリートの指導に使われているのは、「関節の可動域を広げ、自分の身体を自在にコントロールできるようにする」エクササイズなんだそうです。

《関節の可動域を広げる》ことで、動きの選択肢が増え、ギリギリでおこなていたプレーに余裕が生まれ、故障のリスクを少なくすることができるんだそうです。

これを、アスリート対象ではなく、普通の人対象に行われたと考えるとどうなるでしょう。「階段を上り下りする」、「戸棚の高い位置のものを取る」、「歩く」、「しゃがむ」といった当たり前の動作が、見違えるほどスムーズになるそうです。ほ~ら、私向きじゃないですか。

さらに言えば、山歩きを続けていく時、怪我をしない、対応力の高い身体にしていきたいんです。

もともと身体の柔軟性には自信があったんです。とは言っても、小学生の時分の話ですけどね。学校で計測をしたじゃないですか。立位体前屈と上体そらしでは、女子を含めても、二番の人に大差をつけて一番でした。

ああ、・・・夢のようだな。今のこの身体を思うと。年をとると、ストレッチをして柔らかくなっても、ちょっと忘れてると、すぐに油の切れた工作機械みたいに、身体がギコギコ言い始めるじゃないですか。

この本ね。なにも過激なポーズっていうんですか?体位っていうんですか?体位なんていうと、・・・うっ、恥ずかしいけど、そういうんじゃないんです。「えっ、これがストレッチなの?」って思ってしまうようなものも、たくさんありました。

でも、写真とともに説明を読んで、時分でそれをやってみると、その、ちっとも激しさの感じられない、少し物足りないように思えるストレッチが、理にかなったものであることがわかるんです。そして、これなら無理せず続けられる気がするんです。

今、写真を見て、説明を読みながら、体を動かしているところですから、その効果がどうのこうのと言える段階じゃありません。だけど、なんか確信に近いものがあります。あと三ヶ月もすれば、きっともう少し《自由な身体》が手に入る。




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『青山に在り』 篠綾子

何度か書かせてもらいましたけど、私の読書は、なんといいますか、行き当たりばったりというか、その場しのぎというか、「面白そ」って直感的に手に入れますが、実際読んでみてどうかってのは、また別なんですね。「面白そ」って感じたことに、誰も責任を負えないんです。そう、この私自身も・・・。「面白そ」って感じること自体、まったくその場限りの感情なわけですから。

いつもながら、言い訳がましい話で始まってしまいましたが、書いた人の名前を覚えてないってことなんです。そりゃ、とても有名な作家さんなら、いくら私だって忘れませんよ。・・・言い訳をすればするほど、語るに落ちるというか、馬脚を露すというか、こんな言い方をしたら、この本の作家さんが有名じゃないって様ですよね。・・・ああ、困った、困った。

ということで、この本の著者の篠綾子さんのことです。今回は、この本を手に入れたときの直感が間違ってなかったと確信したのは、読み始めて30分ほどたったころですね。だけど、そう思っても、なんていう人が書いたのかってことには、私の場合、関心が向かわないんです。ひとえに、このお話の先に進みたい一心です。

だけど、そのうち、お話の先への関心以外に、不思議な感覚を覚えたんです。「前に、この人の書いた本を読んでいる」

それが、『武蔵野燃ゆ』であったことは、まもなく気がつきました。この本は面白かったんです。鎌倉幕府が開かれたあたりの話なんです。秩父平氏から広がった各氏の地盤であるこの武蔵野は、まさに鎌倉幕府の後ろ盾であったわけです。しかし、開幕後、支配を安定させていく中で、鎌倉は、鎌倉幕府のために尽くした有力氏族を葬り去っていくんですね。比企氏も、畠山氏も・・・。

まさに、《狡兎死して走狗烹らる》 というところですね。

じっくり腰を据えて描いていけば、NHKの大河ドラマとしても十分に楽しめる話になると、確信した物語でした。そんなにも思い入れの強い作品だったのに、情けない話ですね。なんどもなんども、作家さんの名前は見てるのに、気がつかないんですからね。


『青山に在り』    篠綾子

KADOKAWA  ¥ 1,728

まっすぐ生きようとする若者たちを清冽に描いた青春時代小説のスタンダード、誕生!
川越藩筆頭家老の息子・小河原左京は、学問剣術いずれにも長け、将来を嘱望される13歳の少年。ある日、城下の村の道場で自分と瓜二つの農民の少年と出会ったところから、運命の歯車が大きく動き出す―。


なにが、そう感じさせたんでしょう。

いやいや、さっきの話。私は、この本を読んでいて、どんなところに『武蔵野燃ゆ』の人が書いた本じゃないかという感覚を抱いたんでしょう。

あらためてそう考えてみると、・・・あまりよく分からない。

共通するのは、同じ武蔵国、埼玉県のそれも中央部ですね。そのあたりを舞台にした話であるということは共通します。『武蔵野燃ゆ』は武蔵嵐山から、川島、川越あたり。今回の『青山に在り』は川越から三芳野あたり。どちらも、一様の史実を土台に、どの時代の移り変わりに翻弄されてる人々を描いています。

まあ、武蔵野をすがすがしく描いている様子と、時代の移り変わりに影響を受けながらも凛として生きていこうとする者を描いているってところだったかもしれません。

「青山あり」は、実は、「男児志を立てて郷関を出ず、学若し成る無くんば復還らず、骨を埋むる何ぞ墳墓の地を期せん、人間到る処青山あり」の方を想像してました。幕末の攘夷僧、月性の言葉ですね。熱血坊主で、吉田松陰なんかとも交流があったらしいです。この言葉も、いかにも熱血漢という感じで、ちょっと人を駆り立てすぎかな。

こちらは、「家青山に在り道自づから尊し」という言葉で、明代の孫一元という人の作った歌の一節だそうです。意味は、「今自分のいる場所を死処と思い定めていれば、その道は自ずから尊いものになる」ということだそうです。

「どこで命を落とすことになろうが、死ぬまで前向きに生きよ」

「今自分のいる場所で出来る限りのことをせよ」

今の私には、後者の方がピッタリ来ます。歳が行ったせいでしょうか。




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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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