イスラム教
宗教っていうのは、どんなにその理論が精密に構築されても、その核心部分に、絶対説明できないものがあるじゃないですか。
まあ、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教みたいな一神教は、その成立の時点において、多くの敵をかかえたはずですから、徹底的に精密な理論を構築したわけでしょう。でも、どこまで行っても、その核心部分だけは説明できないわけです。
だけど、一神教が敵に回したその他の民族宗教は、そこまでの理論武装をしていませんでした。なにしろ私たちの神と彼らの神は違って当たり前ですから、なにもそれを理由に喧嘩をする必要はなかったわけです。喧嘩を望んだのは、一神教の方です。そして、蹴散らしていったわけですね。
キリスト教は、のちに権力と結託して行きました。それによって世俗化していきましたね。それはキリスト教社会にとって良かったですね。
そうならなかったのがイスラム教。どうも、こちらの方が、現代社会においては、数多くの困難を抱えているように見えます。
アラブで生まれた宗教ですからね。一神教とはいえ、多分にアラブ的なんです。女に、むやみやたらと厳しいじゃないですか。日本だって、女に優しいってわけじゃないですけど、アラブの女は立つ瀬がありません。日本の女にはそれがあります。
ムハンマドの妻の一人、アーイシャは、ムハンマドの戦いに従軍した際、軍の引き揚げに遅れ、ひとり砂漠に取り残されました。幸い、居合わせたイスラム兵に救われムハンマドのもとに送り返されたが、予期せぬ事とはいいながら、砂漠で夫以外の男と一夜を過ごすことになっちゃいました。姦通を疑われただけで罪は成立です。杓子通りなら、石をぶつけて殺すことになります。
父がアブー・バクルでもあり、ムハンマドは姦通を否定し、ことを丸く収めました。誰もがムハンマドとアブー・バクルを憚ったが、一人、アリーだけが、アーイシャとの離婚を主張しました。アリーとアーイシャの関係は険悪になって、アリ-が第4代カリフになると、アーイシャは反乱を起こしました。失敗に終わったが、罰せられることなく、のちは隠遁生活を送ったそうです。
ジハードで斃れた男たちが行く天国ってのは、とってもいいところだそうです。此の世では飲んではいけない酒も、あの世では飲んでいいんですね。
酒はいくら飲んでも頭が痛んだり、酔って性根をなくしたりしないんだそうです。果実は好みにまかせ、鳥の肉なぞ望み次第。眼涼しい処女妻は、そっと隠れた真珠さながら。豚肉はどうなんでしょうね。天国でも食っちゃいけないのかな。美味いのにね。
処女妻は、アッラーが特に新しく創っておいたもの。この女たちは、両親から生まれたのではなく、この目的のために特別に新しく作られた処女ばかりで、愛情細やかに、年齢も頃合い。アッラーって神さまは、面白い配慮をするんですね。
イスラム女性のベール。『お前(ムハンマド)男の信仰者たちに言っておやり、慎み深く目を下げて(女をじろじろ見ない)、陰部は大事に守っておくよう(不倫な関係に使わぬよう)、と。その方が自分でもずっと道にかなう。(『コーラン』「24 光り」の章第30節)
チャドルやそれに類するものは、本来、女性蔑視ではなく、女性保護のためのもの。文化人類学的には、日射量の多い砂漠地帯で肌を守るものであったようです。イスラム法は、あと付けで、その伝統にアッラーの意思を見出しちゃいました。・・・男にとって都合のいいように。
・・・そうとしか考えられないんですけど。

