めんどくせぇことばかり 支那

文化大革命の再来・・・習近平氏の〝ありがたい文芸講話〟

産経ニュース 2014/11/07
「興奮して眠れなかった」 習近平氏の〝ありがたい文芸講話〟は文化大革命の再来か
http://www.sankei.com/premium/news/141107/prm1411070003-n1.html
(抜粋)
中国の習近平国家主席(61)が最近、中国国内の小説家、俳優、歌手、画家など72人の有名文化人を対象に行った「文芸講話」が大きな反響を呼んでいる。「文芸は市場の奴隷になってはいけない」「文芸は社会主義のために奉仕しなければならない」といった内容は、政権による文化、芸術分野への介入強化を強くにおわせるからだ。「毛沢東が起こした文化大革命再来の兆しを感じさせた」と感想をもらす知識人もいた。

あの時の傷は、そう簡単に癒えるものじゃない。現代の支那がかかえる困難な問題のいくつかは、あの時の傷に原因しているだろう。それをまた、・・・習近平は・・・
以下、過去記事です。
『ほんとうの中国の話をしよう』 余華
『ほんとうの中国の話をしよう』 余華
同じ年の著者、私も支那に生まれていれば・・・

著者の余華氏は支那の作家。1960年生まれといから、私と同じ歳。私も支那に生まれていれば、同様の体験をした可能性があるということか。1992年の「活きる」、2005年の「兄弟」という二つのベストセラーを著し、両作品は翻訳されて日本でも出版されているという。まだ読んでないが・・・。

6才から17才までが文化大革命に重なり、改革開放後、29歳で天安門事件。そしてその後のいびつな経済成長。作家活動の中で精神の危機もあったようだが、考えてみればそれも当然のことと思える。この本は、そんな支那近現代史とともに生きてきた著者が、自らと、自らの生きた支那を振り返り、支那社会の本質をえぐったた随筆。

次の文章には背筋に電流が走りました。同時に、今の支那社会の激変の一端がかいま見えたような思いがしました。
なぜ私は、今の中国を語るとき、いつも文化大革命にさかのぼるのだろう?それは二つの時代が密接につながっているからだ。社会形態はまったく違うが、精神の中身は驚くほど似ている。たとえば、国民総動員で文化大革命を行った我々は、またも国民総動員で経済発展を進めているではないか。

ここで強調したいのは、民間経済の急激な発展が文革初期に突如登場した無数の造反司令部に類似しているということだ。一九八〇年代の中国人は、革命の熱狂を金儲けの熱狂に置き替え、またたく間に無数の民間会社を登場させた。(中略)数えきれないほどの民間会社は一方ですぐ消滅するが、また一方ですぐ登場する。革命と同じで、先人の屍を乗り越え、勢いよく前進を続けた。唐の白居易の詩句を引用するなら、「野火焼けども尽きず、春風吹いてまた生ず」である。中国経済の奇跡は、このようにして引き起こされた。

文化大革命が完全に終わって改革開放が始まったことは、支那がまったく正反対の方向へ進み始めたことを意味している。これまでそう信じきっていた。そのように見えて、“革命の熱狂が金儲けの熱狂に置き替えられた”のであり、本質は変わらないという著者の考えは、大変新鮮である。たしかに現在の“金儲けの熱狂”のいびつさは、文革のいびつさを引きずっていないか。そういえば、二つのイメージはピッタリ重なるように思える。
失業生活を長く続けている夫婦が幼い子供を連れて、帰宅途中に露天の果物屋の前を通りかかった。息子は多くの果物のうち値段の安いバナナに目をつけ、両親に一本だけでいいから買ってくれと頼んだ。しかし貧しい両親は有り金を全部はたいても、バナナ一本買うことができなかった。子どもを強引に露店の前から連れ去るしかない。子供は大声で泣いた。もう長いことバナナを食べていないので、どんな味だったかも忘れかけていた。

両親に家まで連れ戻されても、子供の悲しげな泣き声は止まらなかった。泣き止まないことに腹を立て、父親は子どもを殴打した。母親が駆け寄って父親を押しのけ、夫婦喧嘩が始まった。次第に言い争いが激しくなり、子どもは「バナナ」と泣き叫んだ。

突然、父親は悲哀を感じ、悲哀はすぐに憎悪に変わった。父親は自分を憎悪し、自分の無能さを憎んだ。仕事も収入もなく、バナナを食べたいという息子の願いをかなえることすらできないのだ。憎悪の気持ちが彼をベランダに導いた。彼は振り返ることもなく身を躍らせ、マンションの十数階から飛び降りた。

妻は大声を上げてドアから飛び出し、階段を駆け下りた。夫はコンクリートの上の血だまりの中に横たわっていた。妻はひざまづいて、夫を抱き起こそうとした。夫の名前を呼んだが、なんの反応もない。しばらくして、妻は夫の命が尽きたことを知った。

突然、冷静さを取り戻し、もう泣き叫ぶこともなく、夫をそのままにして立ち上がり、マンションの方へ引き返した。家に戻ると、幼い息子は何が起こったのかわからず、なおもバナナを欲しがって泣いていた。

母親は息子が泣きながら見ている前で、一本の縄を探し出し、踏み台を部屋の中央に運んだ。踏み台の上に立つと、落ち着いて縄を室内灯の釣り鉤に結びつけ、縄の輪の中に自分の首を入れた。息子は泣きながら、当惑した様子でこちらを見ている。

母親は縄から首を出し、踏み台から降りて、息子のところへ行った。そして息子と息子が座っている椅子の向きを逆にして、背中を向けさせた。その後、母親はまた引き返し、踏み台に上がり、あらためて縄を首にかけた。泣いている息子の後ろ姿を悲しそうに見つめながら、踏み台を蹴り、首吊り自殺を遂げたのだ。

両親が亡くなったあとも、子供は泣き続けた。子供はもはや、バナナが欲しくて泣いているのではなかった。

これは、いびつな“金儲けの熱狂”が生み出したあるちっぽけな事件である。そこに見られるいびつさ、社会の歪みは、文化大革命の時に表現された生徒が先生を、年少者が年長者を、子が親を、愚者が賢者を引きずり下ろして袋叩きにしたあの頃に、見事なまでに重なるように思える。

周恩来が死に、毛沢東が死に、四人組が引きずり降ろされて文革は終わったはずだった。でもまだ、あの頃の熱狂の本質が今も引きずられているなら、支那は一体どこまで走り続けるのだろう。その先にもう、道が続いているようには思えないのだが・・・。



    


にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

本当に残酷な支那

産経ニュース 2014.6.24
「暴力テロ」動画を公開 中国、残酷さ強調
 中国国家インターネット情報弁公室は24日、新疆ウイグル自治区などで暴徒が市民を切りつけたり建物を燃やしたりしている様子を収録した動画を公開した。「暴力テロ」の残酷さを強調する内容となっている。中国メディアが伝えた。・・・
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140624/chn14062423300002-n1.htm

残酷が服を着て歩いているような国があれば・・・。“・・・そんな国はない”と言われる方もおかろうけど、ありますね。以下のニュース、魚拓からいただいたものだけど、・・・当時、身の毛がよだつ思いをした。
愛媛のニュース 2010/10/20
犯行後室内物色か 強殺も視野に捜査 西条男性刺殺
 西条市明屋敷の独居男性殺害事件で、殺人容疑で逮捕された中国籍の元実習生孔祥猛(コン・シャンモン)容疑者(28)が、三並清さん(64)を殺害後に三並さん方を物色した可能性が高いことが19日、県警特別捜査本部による血痕のDNA鑑定などで分かった。被害者方の実況見分などで預貯金など無くなった物はないかどうか資産関係の捜査もしており、強盗殺人容疑や窃盗容疑の可能性も視野に捜査を進めている。
 捜査関係者らへの取材で、遺体発見時に三並さんの心臓が取り出されていたことも判明。特捜本部は孔容疑者が強い殺意を持っていたとの見方を強めている。
http://megalodon.jp/2010-1025-1209-20/www.ehime-np.co.jp/news/local/20101020/news20101020585.html

飢饉や戦乱時には、普通に人肉食が行われた支那にしてみれば、伝統的方法といえるかもしれないが、胸を切り裂いておいて下腹部をドンと踏むと心臓が飛び出すと書いたものを昔読んだ。“まさか・・・”と思ったけど、それを日本人に対する犯罪で見せつけられるとはね。どうもこの方法、いまだに人民解放軍の中で受け継がれているらしい。


それにしても、まさか支那人がよその民族を“残酷”呼ばわりするとはね。まあ、さんざっぱら中共侵略国家から“侵略者”扱いされてきた日本にすれば、めずらしくもなんともないか。ただ、そう言う国だってだけだな。

以下、過去記事(2012/4/30)です。
中国がチベット、ウイグルで電気棒を口や肛門などに入れ拷問
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120419-00000012-pseven-int

中国各地の「大気の質ランク」発表 
29 北京 
30 ウルムチ(新疆ウイグル自治区)
31 蘭州(甘粛省)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120420-00000055-scn-cn

独VWが中国ウイグル自治区に新工場、180億円投資へ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120424-00000035-reut-bus_all

太陽光発電産業製造基地を計画 新疆ウイグル自治区
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120429-00000011-fsi-bus_all


フォルクスワーゲンがウイグル自治区のウルムチに新工場を建設するというニュースは衝撃だ。しかし、ウイグル自治区には日本企業も進出している、サッポロビールだ。
http://www.sapporobeer.jp/news_release/0000001062/index.html?xtmc=%e3%82%a6%e3%82%a4%e3%82%b0%e3%83%ab&xtcr=1
この記事の最後にこうある。
『サッポロビールは同社を通じて、中国内陸部の新疆ウイグル自治区の発展に寄与し、中国ホップ市場でのシェア拡大を図っていきます。』 

サッポロビールファンの皆さん。サッポロビールは美味しいですか。


    

にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

テーマ : 支那
ジャンル : 政治・経済

支那は侵略国家


Record China 2014年6月6日
テロ撲滅に本腰の新疆、5月に続き公開判決実施=81人が裁かれ、死刑などが言い渡される―中国

http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=89238&type=0
清朝皇帝は、漢人にとっては伝統的な皇帝であったが、満洲人にとっては部族長会議の議長であった、モンゴル人にとってはチンギス・ハーン以来の大ハーン。チベット人にとっては仏教の最高施主。東トルキスタンのイスラム教徒にとっては保護者だった。大清帝国の本質は、五大種族の同君連合国家だった。

この時代、明の旧領だけが支那で、満洲は旗人の土地、旗地と呼ばれる将軍が治める特別行政区域だった。

モンゴル草原、今の青海省・四川省西部を含めたチベット、回部と呼ばれた新疆は、清朝時代には「藩部」と言った。藩部に対しては種族自治を原則とし、種族ごとに現地で使用される言語も法律も異なった。

明の支配下にあった地域と、満洲、万里の長城以北のモンゴル草原は分けて支配した。あとから清朝の版図に入った北モンゴル、青海草原とチベット、新疆にも漢人農民の移住を禁止し、商人も一年を超えて滞在することはできず、家も持てず、結婚もできなかった。  (岡田英弘著 『康熙帝の手紙』より)




上記のように、清帝国を正しく理解すれば、辛亥革命とは、漢族の満州族からの独立であり、それによる清帝国の滅亡により、伝統的な支那も、モンゴルも、チベットも、東トルキスタンも独立したことになる。その後の支那が軍閥割拠による内乱に突入したのは、彼らの勝手。
ただし、東トルキスタンは、清末期のムスリム大反乱が清の漢人の左宗棠による討伐を受けて後、新疆省が置かれて漢人官僚による支配を受けていた。そのため、辛亥革命後、新疆省を通じて東トルキスタン全体が中華民国に合流する形となるが、中華民国事態が軍閥割拠の内戦状態となり、東トルキスタンは事実上の独立状態にあった。さらに、1944年から46年にかけては、ウイグル人主体の独立政権が登場していた。

内モンゴルは、日本の敗戦によって、やがて自然と中共政権の手に落ちるが、東トルキスタンとチベットは、毛沢東が大陸を制したのち、中共軍による軍事侵略を受けた。

現在の支那が、かつての大清帝国とは異なり、ただ収奪を目的にした侵略国家である事は歴然である。清朝は、末期こそその志を失うものの、地域に安定をもたらす機構として存在し、最良の方法を模索した。現在の支那、中華人民共和国は、各地に漢人農民を入り込ませ、土地を収奪し、混血を奨励し、文化を衰退させ、圧力を加え、逆らうものを踏み潰し、彼らを消滅させようとしている。 支那は裁く立場にはない。裁かれるべきこそが支那である。




にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

テーマ : 中国問題
ジャンル : 政治・経済

一九八九年六月四日 天安門事件

また6月4日がやってきた。今年の天安門は、異例の警戒ぶりであるという。中共政府は、警察や武装警察を総動員して厳戒態勢を敷いたという。支那の民衆は、“中国共産党こそが人民の敵”という認識を強くしているように思える。6・4の警戒ぶりにも現れて言うように、もはや、力で押さえ込む以外に、中共の延命ははかれない、そういう状況に支那はあるようだ。
「中国が世界に従うか世界が中国の横暴なルールに屈するかだ」 天安門事件学生リーダー、ウアルカイシさん
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140604/chn14060407440005-n1.htm

<中華ボイス>国民の敵は誰か?それは日本でも米国でもない、国をむしばむ汚職官僚だ!―ネットユーザー
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=89075&type=0

この記事は、二〇一二年十二月二六日の記事を加筆修正したものです。
動画はkakuouzan7さんから借用

支那においては、社会に対する不満が蔓延している状態であることは、先ごろの反日暴動が示すとおりです。その原点がここにあります。

この時の学生を中心とする“反政府デモ”は、経済の自由化とともに政治的自由を求める健全なものだった。世界中の共産国家が変革を求められ、実際に動乱を経て新たな時代を迎えた。

中国共産党政権だけが、国民の声を力で押しつぶし、体制を維持した。

いびつな開放政策を推し進め、経済的繁栄のモデルとして豊かな経済生活を保証した。同時に多数の不満層には“日本”という攻撃対象を用意した。目論見は見事に成功した。

共産党政権は、“日本への怒り”がとどまることが無いよう、つねにその材料を不満層に与え続けている。その背景には、つねに『天安門事件』がある。
『私はなぜ「中国」を捨てたのか』 石平『私はなぜ「中国」を捨てたのか』 石平
(2009/08/18)
石 平

商品詳細を見る
中国に幻滅した中国人エリートの魂の叫び
「日本に来たことが私の最大の幸運」共産党による思想教育、文化大革命、天安門事件を経て祖国に幻滅し、日本に帰化した著者の“魂の変遷の記録”。「中国は共産党の“政治的道具”でしかない」と、著者が絶望した中国の内情とは?そして、著者が見惚れ安息の地を求めた日本の美しさとは?祖国を捨てた男の覚悟と哀しみに触れる。

祖国を愛し、祖国を信じた石平氏。しかし、彼の祖国は、天安門で彼の同志たちを踏みにじった。戦車のキャタピラでミンチにした。石平氏のそれまでの人生のすべてが、同時に粉砕された。そして彼は、海を渡った。
以下の記事は、二〇一二年九月十六日の記事を加筆修正したものです。
支那 反日暴動 王朝末期の民衆の乱? 

支那では、王朝の衰退期、または直接の滅亡の原因として、民衆の反乱が関係してくる。秦の陳勝・呉広の乱、漢の黄巾の乱、元の紅巾の乱、明の李自成の乱、清の太平天国の乱。

天安門事件以降、鄧小平に引っ張り上げられた江沢民総書記は、民衆の共産党政権への不満をかわすため、民衆に対する徹底した反日教育を実行した。支那民衆は、自らの後進性の原因を日本の侵略によるものと考え、さまざまな怒りをすべて日本に帰した。同時に、鄧小平の始めた改革開放政策を推し進め、いびつな経済成長を実現した。 

共産党政権は政治的自由を要求した民衆を天安門で踏みつぶし、彼らの不満をいびつな経済成長でごまかした。ごまかしきれない連中の怒りには、日本という矛先の向け場所を用意した。経済成長というニンジンを鼻先にたらされた民衆は、我先にあぶく銭をつかもうと踊り狂った。経済成長の背景で、自分たちが何ら政治的自由を有していないことなど、忘れ去られたかのようだった。気がつけば、立場を巧妙に利用した共産党員とおこぼれに預かった者たちを除いて、明るい未来への扉は閉ざされていた。ごまかしきれない連中は、その数を増し、怒りの程度も高まった。ということで、やれ!反日暴動だ。
この暴動に、毛沢東の写真が掲げられている。一枚や二枚ではない。と言うことは、人々は、改革開放にNOを、ひいては共産党政権にNOを突きつけたことを意味する。これは軍と傾向を同じくする。この傾向が高まった時、果たして、第二の天安門がおこった時、軍は毛沢東の写真を掲げる人々を戦車のキャタピラにかけることができるのか。その瞬間、共産党政権の命脈がつきる可能性がある。

   

にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

テーマ : 中国問題
ジャンル : 政治・経済

一九八九年六月四日 天安門事件

この記事は、二〇一二年十二月二六日の記事を加筆修正したものです。
動画はkakuouzan7さんから借用

支那においては、社会に対する不満が蔓延している状態であることは、先ごろの反日暴動が示すとおりです。その原点がここにあります。

この時の学生を中心とする“反政府デモ”は、経済の自由化とともに政治的自由を求める健全なものだった。世界中の共産国家が変革を求められ、実際に動乱を経て新たな時代を迎えた。

中国共産党政権だけが、国民の声を力で押しつぶし、体制を維持した。


いびつな開放政策を推し進め、経済的繁栄のモデルとして豊かな経済生活を保証した。同時に多数の不満層には“日本”という攻撃対象を用意した。目論見は見事に成功した。

共産党政権は、“日本への怒り”がとどまることが無いよう、つねにその材料を不満層に与え続けている。その背景には、つねに『天安門事件』がある。
『私はなぜ「中国」を捨てたのか』 石平『私はなぜ「中国」を捨てたのか』 石平
(2009/08/18)
石 平

商品詳細を見る
中国に幻滅した中国人エリートの魂の叫び
「日本に来たことが私の最大の幸運」共産党による思想教育、文化大革命、天安門事件を経て祖国に幻滅し、日本に帰化した著者の“魂の変遷の記録”。「中国は共産党の“政治的道具”でしかない」と、著者が絶望した中国の内情とは?そして、著者が見惚れ安息の地を求めた日本の美しさとは?祖国を捨てた男の覚悟と哀しみに触れる。

祖国を愛し、祖国を信じた石平氏。しかし、彼の祖国は、天安門で彼の同志たちを踏みにじった。戦車のキャタピラでミンチにした。石平氏のそれまでの人生のすべてが、同時に粉砕された。そして彼は、海を渡った。
以下の記事は、二〇一二年九月十六日の記事を加筆修正したものです。
支那 反日暴動 王朝末期の民衆の乱? 

支那では、王朝の衰退期、または直接の滅亡の原因として、民衆の反乱が関係してくる。秦の陳勝・呉広の乱、漢の黄巾の乱、元の紅巾の乱、明の李自成の乱、清の太平天国の乱。

天安門事件以降、鄧小平に引っ張り上げられた江沢民総書記は、民衆の共産党政権への不満をかわすため、民衆に対する徹底した反日教育を実行した。支那民衆は、自らの後進性の原因を日本の侵略によるものと考え、さまざまな怒りをすべて日本に帰した。同時に、鄧小平の始めた改革開放政策を推し進め、いびつな経済成長を実現した。 

共産党政権は政治的自由を要求した民衆を天安門で踏みつぶし、彼らの不満をいびつな経済成長でごまかした。ごまかしきれない連中の怒りには、日本という矛先の向け場所を用意した。経済成長というニンジンを鼻先にたらされた民衆は、我先にあぶく銭をつかもうと踊り狂った。経済成長の背景で、自分たちが何ら政治的自由を有していないことなど、忘れ去られたかのようだった。気がつけば、立場を巧妙に利用した共産党員とおこぼれに預かった者たちを除いて、明るい未来への扉は閉ざされていた。ごまかしきれない連中は、その数を増し、怒りの程度も高まった。ということで、やれ!反日暴動だ。
この暴動に、毛沢東の写真が掲げられている。一枚や二枚ではない。と言うことは、人々は、改革開放にNOを、ひいては共産党政権にNOを突きつけたことを意味する。これは軍と傾向を同じくする。この傾向が高まった時、果たして、第二の天安門がおこった時、軍は毛沢東の写真を掲げる人々を戦車のキャタピラにかけることができるのか。その瞬間、共産党政権の命脈がつきる可能性がある。

   

にほんブログ村 本ブログへ一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

テーマ : 支那
ジャンル : 政治・経済

仕かけられた盧溝橋 人民解放軍総政治部発行ポケット版 『戦士政治課本』

人民解放軍総政治部発行ポケット版『戦士政治課本』は、兵士教育用の初級革命教科書として配布された。その中に盧溝橋事件への劉少奇をはじめとする抗日救国学生の関与について、次のように記されている。
七・七事変(盧溝橋事件)は劉少奇同志同志の指揮する抗日救国学生の決死的行動を持って党中央の指令を実行したもので、これによってわが党を滅亡させようと第六次反共戦を準備していた蒋介石南京反動政府は、世界有数の精強を誇る日本陸軍と戦わざるを得なくなった。その結果、滅亡したのは中国共産党ではなく、蒋介石南京反動政府と日本軍であった。
(『新資料 盧溝橋事件』葛西純一編・訳 成祥出版社)
『大東亜戦争は昭和50年4月30日に終わった』より

 
大東亜戦争に関する、いやそれ以前、東京裁判により歪められた歴史に対する掘り起こしが様々な形で実現している。しかし、どれだけの努力が積み重ねられようが、教科書には乗らないし、学校では教えられない。学問の世界が、・・・報道の世界も・・・政治の世界以上の戦後レジームに染まりきっているからだ。染まっているというより、戦後レジームそのものであるからだ。私は高校生にガンガン教えて、大学の送り込んでやる。
にほんブログ村 本ブログへ一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

テーマ : 支那
ジャンル : 政治・経済

支那の貧困 『ほんとうの中国の話をしよう』 余華

失業生活を長く続けている夫婦が幼い子供を連れて、帰宅途中に露天の果物屋の前を通りかかった。

息子は多くの果物のうち値段の安いバナナに目をつけ、両親に一本だけでいいから買ってくれと頼んだ。

しかし貧しい両親は有り金を全部はたいても、バナナ一本買うことができなかった。

子どもを強引に露店の前から連れ去るしかない。

子供は大声で泣いた。

もう長いことバナナを食べていないので、どんな味だったかも忘れかけていた。

両親に家まで連れ戻されても、子供の悲しげな泣き声は止まらなかった。

泣き止まないことに腹を立て、父親は子どもを殴打した。

母親が駆け寄って父親を押しのけ、夫婦喧嘩が始まった。

次第に言い争いが激しくなり、子どもは「バナナ」と泣き叫んだ。

突然、父親は悲哀を感じ、悲哀はすぐに憎悪に変わった。

父親は自分を憎悪し、自分の無能さを憎んだ。

仕事も収入もなく、バナナを食べたいという息子の願いをかなえることすらできないのだ。

憎悪の気持ちが彼をベランダに導いた。

彼は振り返ることもなく身を躍らせ、マンションの十数階から飛び降りた。

妻は大声を上げてドアから飛び出し、階段を駆け下りた。

夫はコンクリートの上の血だまりの中に横たわっていた。

妻はひざまづいて、夫を抱き起こそうとした。

夫の名前を呼んだが、なんの反応もない。

しばらくして、妻は夫の命が尽きたことを知った。

突然、冷静さを取り戻し、もう泣き叫ぶこともなく、夫をそのままにして立ち上がり、マンションの方へ引き返した。

家に戻ると、幼い息子は何が起こったのかわからず、なおもバナナを欲しがって泣いていた。

母親は息子が泣きながら見ている前で、一本の縄を探し出し、踏み台を部屋の中央に運んだ。

踏み台の上に立つと、落ち着いて縄を室内灯の釣り鉤に結びつけ、縄の輪の中に自分の首を入れた。

息子は泣きながら、当惑した様子でこちらを見ている。

母親は縄から首を出し、踏み台から降りて、息子のところへ行った。

そして息子と息子が座っている椅子の向きを逆にして、背中を向けさせた。

その後、母親はまた引き返し、踏み台に上がり、あらためて縄を首にかけた。

泣いている息子の後ろ姿を悲しそうに見つめながら、踏み台を蹴り、首吊り自殺を遂げたのだ。

両親が亡くなったあとも、子供は泣き続けた。

子供はもはや、バナナが欲しくて泣いているのではなかった。

余華氏の『ほんとうの中国の話をしよう』に出てくる、現在の支那の貧困を語る物語である。この本の中には、他にも現在の支那の、そのままの姿が紹介されている。ぜひ読んでいただきたい本です。


『ほんとうの中国の話をしよう』 余華『ほんとうの中国の話をしよう』 余華
(2012/10/13)
余 華                  ミィ21 

商品詳細を見る
余華氏は1960年生まれ。文革の中に少年期を送り、青年として天安門事件を経験。今まさに、責任ある年齢で支那に生きる文学者。


   



テーマ : 支那
ジャンル : 政治・経済

本好きの皆さん、これが文革時代の読書  『ほんとうの中国の話をしよう』 余華

文化大革命の中、人びとはどう日常生活を送っていたのでしょう。人々は壁新聞を恐れた。反革命の告発は、この壁新聞で行われていたといいます。
私は学校の友達の父親が何人か打倒されるのを目撃した。「資本主義の道を歩む実権派」というのが罪名で、造反派に殴られて顔が腫れていた。胸の前には大きな札を下げ、頭には紙で作った三角帽子をかぶっている。彼らは一日じゅう箒を手にして、おどおどしながら通りを清掃していた。通行人はいつでも彼らを蹴飛ばしたり、彼らの顔に唾を吐いたりしてよかった。彼らの子供にも当然類が及び、たえず学校の友達から侮辱と蔑視を受けていた。
これは『ほんとうの中国の話をしよう』に書かれている、著者余華氏の体験である。
いったい、このような状況で、本好きたちは、どうやって本を読んでいたのでしょうか。

余華の『ほんとうの中国の話をしよう』に、文革時代、著者たち読書好きが、必死にその読書欲を満足させた様子が書かれています。
私の家には当時、両親が仕事で使う十数冊の医学書を除くと、四巻本の『毛沢東選集』と赤い宝の本と呼ばれる『毛沢東語録』しかなかった。赤い宝の本は、『毛沢東選集』から抽出された言葉を集めたものである。私は元気なく、それらの本のページをめくった。読書欲という化学反応が起こることを期待したが、いくらページをめくっても、まったく読む気になれない。
(中略)
私は赤い宝の本を選択せず、『毛沢東選集』の第一巻を手に取り、じっくり読み始めた。そして、読書の新大陸を発見した。『毛沢東選集』の注釈に引きこまれたのだ。それ以降、私は片時も休むことなく『毛沢東選集』を読んだ。
(中略)
しかし、私は毛沢東思想を学んでいたわけではない。読んでいたのは『毛沢東選集』の注釈だ。歴史的事件や人物に関するこれらの注釈は、町の図書館の小説よりもずっと面白かった。注釈の中に感情はないが、ストーリーがあり、人物もいた。
(中略)
2つ目の読書体験は中学時代で、私は毒草とされた一部の小説を読み始めた。これらの焼却の運命を免れた生き残りの文学は、ひそかに我々の間で流通していた。おそらく、本当に文学を熱愛する人たちが慎重に保管し、その後こっそり回し読みされるようになったのだろう。どの本も千人以上の人の手を経て、私のところに回ってきた時にはもうボロボロだった。最初と最後の十数ページが欠けている。私が当時読んだ毒草の小説は、一冊も完全な形を保っていなかった。書名も作者名もわからない。ストーリーの始まりと結末も、わからなかった。

ストーリーの始まりがわからないのはまだ我慢できるが、結末がわからないのは大変つらかった。いつも頭と尻尾のない小説を読んで、私は熱い鍋の上のアリのようにのた打ち回った。人にこの物語の結末を尋ねたが、誰も知らない。彼らが読んだのも、頭と尻尾のない小説だった。(中略)

結末のない物語が私を苦しめても、助けてくれる人はいない。私は自分で物語の結末を考えることにした。(中略)毎晩、明かりを消してベッドに入ってから、私は暗闇の中でまばたきして想像の世界に浸った。あれらの物語の結末を考えると同時に、自分の創作に感動して熱い涙を流した。

後に少年は、完全な形のこの小説に巡りあうのです。しかし、彼にはわずかな時間しか与えられませんでした。友人が人から借りたその本は、翌日が返却の約束日。彼と友人は、世を徹して一文字一文字をノートに書き写すのです。写本です。彼らは、こうして“本”を読んだのです。

これが文化大革命という革命なんですね。あの郭沫若でさえ、それまでの自分の文学活動を「今日の基準からいえば、私が以前書いたものにはいささかの価値もない。すべて焼き尽くすべきである」と全否定しなければならなかったそうです。 
われわれは、左右いずれのイデオロギー的立場をも超えて、ここに学問芸術の自由の圧殺に抗議し、中国の学問芸術が(その古典研究も含めて)本来の自律性を快復するためのあらゆる努力に対して、支持を表明するものである。・・・学問芸術を終局的には政治権力の具とするが如き思考方法jに一致して反対する。

これは、文革の“文化弾圧”に対する川端康成、安部公房、石川淳、三島由紀夫連名の抗議声明である。
(※これに関してはウィキペディアを参考にしました)

『ほんとうの中国の話をしよう』 余華
『ほんとうの中国の話をしよう』 余華
(2012/10/13)
余 華                      ミィ18

商品詳細を見る
余華氏は1960年生まれ。文革の中に少年期を送り、青年として天安門事件を経験。今まさに、責任ある年齢で支那に生きる文学者。

テーマ : 支那
ジャンル : 政治・経済

愛知 蟹江町母子3人殺傷事件  犯人は支那人

三重の窃盗容疑者とDNA一致 愛知親子3人殺傷事件

2012.12.7 12:49
愛知県蟹江町で平成21年5月、会社員の山田喜保子さん=当時(57)=ら親子3人が殺傷された事件で、現場の遺留物のDNA型が、三重県警に窃盗容疑で逮捕された中国籍の男(29)のものと一致したことが7日、捜査関係者への取材で分かった。愛知県警蟹江署捜査本部が、男から事情を聴く。

事件は21年5月1日夜から2日未明にかけ、山田さんの自宅で発生。山田さんと次男、雅樹さん=当時(26)=がモンキーレンチで殴られるなどして殺害され、三男も刃物で刺されて重傷を負った。

捜査関係者によると、男は、津市の駐車場で男性会社員の車を盗んだとして、10月19日に窃盗容疑で鈴鹿署に逮捕された。

捜査本部によると、犯人は21年5月2日午後、蟹江署員に目撃されて逃走するまで10時間以上、山田さん宅にとどまっていた。床には血をふき取った跡があり、証拠隠滅を図っていたとみられる。一方で食事をとっており、食器に付着した唾液などからDNAが検出されていた。http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/121207/crm12120712410009-n1.htm



概要
2009年(平成21年)5月2日土曜日の昼、愛知県蟹江町蟹江本町の会社員山田喜保子さん(57)方で、首を刃物で刺され両手を電気コードで縛られた三男の会社員勲さん(25)が保護され、1階和室で次男の洋菓子店員雅樹さん(26)が刺殺されているのが見つかった。駆け付けた蟹江署員は室内でうずくまる若い男を目撃したが、署員が無線連絡をする間に男は勝手口から逃げた。翌3日午後、1階押し入れから鈍器で殴り殺された喜保子さんが遺体で発見された。

産経ニュースより
2009.5.16
【衝撃事件の核心】犯人が15時間も現場に居座ったのは…浮かび上がる世田谷一家殺害事件との共通点
犯人は家人らを殺害後、15時間近くも現場に居座っていた。愛知県蟹江町で母子3人が殺傷された事件。現場にあった作り置きの夕食を食べ散らかし、意識を取り戻した被害者のひとりと会話を交わすなど、犯人の「余裕」ともいえる不可解な行動が浮かび上がってきた。なぜ、顔を見られた可能性が高い被害者にとどめを刺さなかったのか。現場に長時間、“滞在”しなければならなかったのは…。その理由を知る犯人とみられる男は、現場に臨場した捜査員のスキをみて、まんまと逃走してしまった。

 
「まだやることがある」…居座った目的は?

事件が発覚したのはゴールデンウイークまっただ中の5月2日午後0時20分ごろ。愛知県蟹江町の会社員、山田喜保子さん(57)宅を、次男の雅樹さん(26)が勤務するケーキ店の上司と同僚が訪れた。前日の夜から雅樹さんと連絡が取れないことを不審に思い、あらかじめ蟹江署員を同行させていた。

インターフォンを押しても応答がない。玄関ドアや勝手口は施錠されていた。自宅のまわりを一周したところで、首などを刺され、電気コードで両手首を体の前で縛られた三男の勲さん(25)が突然、玄関から飛び出してきた。

「助けてください! 強盗です。2人死んでいます。犯人は逃げました」

臨場した蟹江署員からの連絡で、現場に駆けつけた愛知県警捜査1課の捜査員はあまりの惨状に目を見張ったという。

玄関を入り、左側の和室では雅樹さんが上半身裸の状態で背中を刺され、うつぶせで倒れていた。周囲には血だまりが広がり、すでに息絶えていた。凶器は洗面所に残されていた自宅の包丁と判明。よほど強い衝撃が加えられたのか、刃と柄が外れていた。

喜保子さんも翌5月3日、和室の押し入れの下段で毛布にくるまれ、変わり果てた姿で見つかった。下半身は何も身に着けず、上半身のシャツはまくり上げられ、顔や頭に激しい暴行を受けた痕が残っていたという。

凶器は玄関付近に落ちていた鉄製のスパナとみられ、頭蓋骨(ずがいこつ)が割れるほど頭を何度も殴られていた。さらに、喜保子さんの遺体のそばにはかわいがっていたという子猫が首を絞められ、死んでいた。

一家は喜保子さんと4人兄弟の5人家族。夫は10年以上前に他界した。長男と四男は別居しており、雅樹さんと勲さんと3人暮らしだった。

蟹江署捜査本部は、喜保子さんの胃の内容物などから犯行時間を5月1日午後9時から10時ごろと推定している。勲さんは同日午後8時ごろに勤務先から帰宅したが、すぐに外出。自宅には喜保子さんしかいなかったとみられる。

雅樹さんは午後9時半ごろ、勤務先のケーキ店を出て10時前に帰宅。和室で犯人と鉢合わせになり、襲われたようだ。その後も犯人は現場に残り、日付が変わった2日午前2時すぎ、泥酔状態で帰った勲さんが玄関で靴を脱ごうとしたところを背後から襲いかかったという。

捜査本部によると、勲さんは犯人ともみ合いになった後に意識を失った。意識を取り戻したときには両手首をコードで縛られ、粘着テープで口をふさがれた上、上着で目隠しされたという。

「もう帰ってくれ」。ようやく口のテープが外れた勲さんは犯人にこう懇願したが、犯人は「まだやることがある」と現場に居座り続けた。

夜が明けると、新聞配達員や心配して訪ねてきた雅樹さんの同僚も呼び鈴を鳴らした。勲さんはその度に「出ていいか」と尋ねたが、犯人は「だめだ」と拒否、頭から布団をかぶせられたという。

喜保子さんと雅樹さんを惨殺した犯人は、勲さんにとどめを刺さなかった。犯行現場に居合わせ、顔も見られている可能性が高いのに…。

 
証拠隠滅?われに返った?

凄惨な事件現場で交わされた会話。勲さんには犯人と交渉する余地が残されていたようにもみえる。

捜査本部の調べに対し、勲さんは犯人について「一瞬しか見えなかったが、見覚えはない」と話しているという。

「やることがある」といった犯人が何をしていたのか。勲さんは布団をかぶせられていたため、その後のことは「見ていない」と捜査本部に話しているというが、室内の音や犯人の動きについては、けがで意識が朦朧(もうろう)としていたのか、「話がつながらない部分もある」(警察幹部)という。

警察幹部は「犯人がけがをしていた可能性があり、自らの血痕を洗い流すなど証拠隠滅を図っていた可能性もある」と分析する。

確かに捜査本部の調べでは、1階居間の床には大量の血をふき取ったような跡があった。浴室では水を張った浴槽に衣類やタオル、毛布が入れられ、水は血がにじみ出てピンクに染まっていた。発見された3つの凶器のうち、喜保子さんを殴打したスパナの血をふき取り、雅樹さんを刺した包丁は洗面所で血を洗い流していた形跡が確認された。

ただ、付着した汗や血液などの微物から犯人特定につながりかねない凶器を放置し、着てきたパーカを現場に脱ぎ捨ててもいた。

現場から採取した血液や毛髪などをDNA鑑定した結果、殺傷された3人のほか、別居している長男と四男とも異なるDNA型が検出されたという。

犯人のいう「やること」が証拠隠滅だったとするには、あまりにずさんだ。犯人は蟹江署員が現場に到着するまでの15時間近くにわたって現場に居座り、何をやっていたのか。

被害者3人の財布からは紙幣が抜き取られていた。勲さんは犯人から「金はないか」と聞かれたというが、これまでの捜査本部の調べでは、室内を物色した形跡はないという。

捜査関係者は「殺傷方法を見れば被害者への強い恨みを感じるが、財布に紙幣が見当たらず、強盗目的の線も消せない」と話す。

新潟青陵大大学院の碓井真史教授(臨床心理学)は「強盗目的であれば、殺害し、現金を奪って逃走すればいい。喜保子さんを襲い、異常な興奮状態のまま雅樹さんまで殺害した。そこである種の高揚感や達成感にひたっているうちに時間がたってしまったのかもしれない。勲さんが帰宅したころにはわれに返り、何が何でも殺さなければという精神状態にはなかったとみることもできる」と推測する。

ただ、犯人が言ったという「やること」はまったくみえてこない。

 
現場で食事…「あの事件と似ている」

「状況があの事件にそっくりだな…」

ある警察OBはこうつぶやいた。

「あの事件」とは9年前に発生した東京・世田谷の宮沢みきおさん=当時(44)=一家4人殺害事件のことだ。

20世紀最後の日にみきおさんと妻の泰子さん=同(41)、長女、にいなちゃん=同(8)=が刺殺され、長男、礼君=同(6)=が窒息死させられているのが見つかった。みきおさんら3人は刃物で執拗に刺されており、室内は血の海と化した凄惨な現場だった。

凶器の包丁、トレーナー、ジャンパー、ヒップバッグ…。現場には多くの物証が残されていた。さらに、犯行後に半日近くも現場に居座り、朝になって隣接する家族がインターフォンを鳴らしたところで逃走したとみられる。冷蔵庫のアイスクリームを食い散らかし、書類を浴室に散乱させるなど不可解な行動も、今回の事件と重なる点ともいえる。

大人の被害者が執拗に刺されたり、殴打されるなど残忍な手口で殺害されているのに対し、子供の礼君や猫など「弱い存在」に対しては刃を向けていないことも不思議に共通している。

世田谷事件の捜査に携わった警察OBは犯人像をこう推察する。

「犯行後、長時間現場に居座り、食事までする行為は犯人が“普通の人間”であることを意味している。精神状態が異常な犯人ならば、犯行後に騒ぐか、すぐに逃げるケースが多い。犯人はどこかで普通の生活を送っているはずだ」

その上で、こうも言った。「現場で時間稼ぎをしていたのは誰かを待っていた可能性がある。つまり、共犯がいる可能性もあるということ。あるいは、誰かに殺害を頼まれたのかもしれない」

 
署員は“犯人”を見ていた…最後は被害者が自力で脱出

自宅を最初に訪れた蟹江署員が犯人の疑いが強い男を取り逃していた事実が事件から6日後に明らかになった。

県警の立岩智博捜査1課長は「初動捜査にミスはなかったと判断している」と弁明したが、ジャーナリストの大谷昭宏さんは「現場に居合わせた関係者を一斉に足止めにするのは捜査の常識だ。現場を離れるというのは考えられず、その場で応援を呼べばいいだけの話。県警の初動捜査の教育に疑問を抱かざるを得ない」と指摘する。

ことの顛末はこうだ。捜査本部によると、勲さんが助けを求めて外に出てきた後、蟹江署員がドアのすき間から中をのぞくと、玄関先の廊下で若い男がうずくまっていたという。署員は男に「大丈夫ですか」と声を掛けたが反応はなく、ひとまず勲さんを近くの路上に保護し、2分後に現場に戻ると、男は消え去っていた。

“捜査ミス”とは別に浮かび上がるのは、それまで身動きが取れない状態にされていた勲さんが、そのときは外に逃げられる状態にあったという点だ。

勲さんは捜査本部に「玄関のインターフォンが鳴ったとき、犯人は近くにいないようだった。力を振り絞って逃げ出した」と説明しているという。

それまで、新聞配達員らが何回かインターフォンを鳴らした際は、「出てはいけない」と言ったり、勲さんに布団をかけるなどしていた犯人は、その時だけは勲さんの動きを気にかけていなかったことになる。そのとき犯人は屋内のどこで、何をしていたのか…。


いつも参考にさせていただいているブログがあります。
外国人犯罪の増加から分かること
http://taiyou.bandoutadanobu.com/


テーマ : 刑事事件・裁判関連ニュース
ジャンル : ニュース

ウイグルの子らはこんな目に合わされている。中国人にだ・・・新疆の子供ら2274人救出=誘拐され、都市で窃盗に従事―中国公安省

新疆の子供ら2274人救出=誘拐され、都市で窃盗に従事―中国公安省ミィ1

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121121-00000043-jij-int

支那はウイグルの子らをこんな目に合わせている。しかも、これは公安が出した数字、どんだけのウイグルの子らがこんな目に合わされえいることか。

次の映像を見て・・・

ウイグル人の住む“東トルキスタン”は支那では“新疆”と呼ばれる。これは「新たな征服地」という意味で、それだけでも、ここが本来の支那の領地であることは明白。

だから、「私たちは支那ではない」と独立を求めるウイグル人をテロリストと呼ぶのは、まったく間違っている。「征服地」の人々が独立を叫んでなにが悪い。責められるべきは「侵略者」である支那だ。
(題名では、あえて人目を引くように“中国”という言葉を使いました)

この映像を紹介するのは三度目です。何度でも紹介します。東トルキスタンがニュースで取り上げられるたびに、何度でも何度でもこの映像を紹介します。


支那人が泣き叫ぶ6歳のウイグル少年を蹴り指を折り集団で暴行する映像
東トルキスタン・・・テロリストはどっちだ
東トルキスタンは戦っている

  

テーマ : 支那
ジャンル : 政治・経済

ありがとうございました



「《めんどくせぇことばかり》は、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。」
よくお越し下さいました

イーグルス16

Author:イーグルス16

息も絶え絶えです、ぜひ応援してください
人気ブログランキングへ にほんブログ村 政治ブログへ


言葉は人の心をあらわします。
「歌は世につれ世は歌につれ」と言いますが、言葉についても同じことが言えるでしょう。
これから出る本


































当ブログ内人気図書 
















































カウンター
カテゴリ
ブロとも一覧
アジシオ次郎の時事原論
はりこのはやしや 
ハシビロコウ
素足のアイドル達
うさぎ屋の四方山話
わくわく株式投資
プロモデラー林哲平のジャンクロボット創作ブログ『ケルバーダイン』
大好き!グラビアアイドル!
伊織のブログ
Re:BAD TASTE♥
QWERT 5w1h
「伝わる技術」オトデザイナーズ・坂本真一
歌と知恵でハッピーライフ^^
こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本












































検索フォーム
リンク
RSSリンクの表示
最新記事
応援して下さい