めんどくせぇことばかり 日本近現代
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空は一片の雲を留めず、麦の穂青し 『特攻隊員の手記を読む』 北影雄幸

足立卓也
東京大学出身、神風特攻隊第一正気隊、昭和二十年四月二十八日南西諸島海域にて戦死、享年二十二才

父上、母上、卓也は明四月十三日、特攻隊の一員たる栄を稟け出撃いたします。
元気旺盛、闘志に燃えております。
御厚情を感謝し、御幸福を祈ります。
お身体を大切に、卓也は常にお側にあります。
桜咲く日に・・・。

妹に
立派な母になって下さい。
小生に代わって孝養を頼みます。

 
旗生良景
京都大学出身、神風特攻隊八幡神忠隊、昭和二十年四月二十八日南西諸島海域にて戦死、享年二十二才

只今より出発いたします。なにも思い残すことはありません。
お父さま、お母さま、兄さん、姉さん、御幸福に。
・・・・・・・
心爽やか、大空のごとし。こうしているのも、あと暫くです。
さようなら、お元気で。

 
淡路義二
乙飛十八期出身、神風特攻隊第六神剣隊、昭和二十年五月十一日沖縄海域にて戦死、享年十九才

お母さん、出撃です。
お元気で。
喬チャン久美チャン、お元気で。
もう一度呼ばせて頂きます。
お母さん、左様なら。
出撃五分前
義二
大村のお母様
 



『特攻隊員の手記を読む』 北影雄幸『特攻隊員の手記を読む』 北影雄幸
(2012/07/13)
北影雄幸

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特攻隊員たちは人間的にも他を絶して優れていた
その彼らが、死を賭して守らんとしたものは・・・

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阿部正弘内閣が大統領国書を回覧し、広く意見を求めた件 メモ『幕末外交と開国』

1853年 阿部正弘内閣の決断

7月14日、米大統領フィルモアの国書受理
7月31日、米大統領国書を回覧、各界から意見を求めることを決断
10月17日、大型船建造海禁
秋、台場建設着工

回覧の主な内容
  1. 親友の懇交を結び、通称の条約を定める
  2. アメリカは異国の政礼を侵さない
  3. 火輪船でアメリカより太平洋を渡り、十八日で来日できる
  4. 隣接の両国が往来すれば必ず大利益を得る
  5. 貿易をはじめても中止は可能、期間も限定できる
  6. 難破船の船員救助の取り決めをする
  7. 火輪船に石炭を供給する

仙台藩士 大月平次の意見書[7月13日付け 国書受理前日]
【「門下生」として林大学頭健の「御内意」に答えた報告】
  1. 黒船四隻の戦力は強大ですが、彼らに交戦の意図はまったくありません。わが国には自国の戦いでありますが、彼らには補給線がありませんから、戦争にはならないでしょう。
  2. 渡来の意図は、蒸気船用の石炭補給地として一島を拝借することにあり、「異国船薪水施待所」について、伊豆下田や志州鳥羽の案があり、下田の場合には韮山代官の江川英龍を登用すべきです。万里の波涛を越え、断固たる決意で渡来したからには、少しは「御聞届」の必要がありましょう。
  3. 海外の事情に通じた人が廟堂におらず、四藩による警備の費用は膨大でこのままでは疲弊してしまいます。太平の世の中に慣れすぎ、戦争のことは耳に入れるのも嫌がる風潮が蔓延しています。帰国漂流民の万次郎を召しかかえ、この度の掛合役に登用すべきです。なお、交易は許すべきではありません。
仙台藩士大月平次は、大槻玄沢の次男。江川英龍の門下生でもあった。

各界からの意見
記録に残るものは719通。大名、藩士、幕臣、学者、吉原の遊女からの意見も残されている。
  1. 現状維持
  2. 消極的開国
  3. 積極的開国
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ペリーの試練 アメリカ情報・日本情報 メモ『幕末外交と開国』

困難なペリーの使命
  1. 巨大な蒸気戦艦の石炭、千人近い乗組員の食料を準備する独自の補給線をもっておらず、アジアに強力な補給線を持つイギリスに頼らざるを得なかった。この交渉を通してアメリカが日本と交戦状態になれば、イギリスの中立は必至である。その結果、国際法の規定により、イギリス支配下のアジア諸港には寄港できなくなり、物資が絶たれる。
  2. アメリカ大統領は軍の指揮権を持つが、宣戦布告権は議会が持つ。フィルモア大統領の共和党は議会では少数派であり、民主党が多数を占めていた。そのためペリーは、フィルモア大統領からなんとしても交戦を避けるよう厳命されていた。

ジョン万次郎の語るアメリカ
  1. 【地理と歴史】土地広く、産物多く、人口は増えつつあり、大船に乗って漁業の他に海外諸国との交易が繁盛し、富穣の国である。七、八十年前まではイギリスの所属であったが、人民その政令に服さず、ついにイギリス所属を離れ、独立の国となり、共和の政治を建て・・・一三州から三四州となった[ペリーの時三一州]
  2. 【食事と酒】朝昼晩の三回、朝夕は麦を粉にして作ったパンを砂糖入りの茶とともに食べ、昼はパンと牛豚鶏などの塩漬けや蒸し焼きを食べる。米はインドから入ってくるが、粥にして病人に食べさせるくらいで、常食にはしない。酒は多種あるが、下賤の者が飲み、身分のあるものは飲まない。捕鯨の際などに戦中では飲むが、帰国すれば飲まない。
  3. 【アメリカ人】人物丈高く、力量強く智巧豪邁の者が多い。ただし相撲には弱く、自分は二、三人を投げ飛ばした。
  4. 【大統領】アメリカ共和国には国王はおらず、国政を司るのは「大統領フラッデン」という人であり、彼は国中の人民の入れ札で登職し、在職四年で交代する。なお人物が格別に良いか、または軍国の大事などで交代しにくい事情があれば、八年間の在職も可能である。・・・大統領は平生は供の者をわずか一人だけ召連れ、乗馬にて通行し・・・自分もあるとき行きあい、立ったまま対話したことがある。
  5. 【日本について】日本からの産物が直接くることはないが、外国を経由して入る物の中では漆器が珍重され、これは天下無双と評判である。日本の貨幣の品質は世界最悪と言われている。
  6. 【江戸について】江戸は世界で最も繁盛の所と諸国で評判が高く、彼国の人々は見物したがっている。江戸、北京、ロンドンの三都は世界第一の繁盛の地である。

アメリカの得た日本情報

シーボルト『日本(Nippon)』
「・・・日本は一五四三年、ポルトガル人により偶然に発見されたが、その時、すでに二二〇三年の歴史を持ち、一〇六代にわたる、ほとんど断絶のない家系の統治者のもとで、一大強国になっていた・・・[美馬順三のオランダ語論文『日本古代思考』からシーボルトが自身の見解として引用]」

アメリカ人宣教師ブリッジマンが上記『日本(Nippon)』の抄訳につけた解説
「日本人は、原始時代以来膨大な数の船舶を有し、中国人と同様に商人たちは近隣諸国を往来・交易し、その足跡ははるかベンガルにまで及んでいた。ポルトガル人との接触時期に、すでに日本国は優れた文明を有しており、これはキリスト教の平和的・禁欲的な教えの影響を受けずに到達しうる最高位の文明段階といえる・・・」

『日本(Nippon)』に影響を受けたペリーが書いた自分の使命
この特異な民族が自らに張り巡らせている障壁を打ち砕き、我々の望む商業国の仲間入りをさせる第一歩、その友好・通商条約を結ばせる任務が、もっとも若き国の民たる我々に残されている」

イギリスの日本分析―ギュツラフ(香港総督)所見―
 清朝中国の周辺にある朝鮮、日本、シャム、アンナンの四カ国の現状を分析、これら諸国との戦争を伴わない開国・開港を展望し、どの国の可能性が高いかを論じている。このなかで、日本は経済(主に商業)が発達しており、いちばん条約に応じる可能性が高いと述べ、さらに「選ぶべき開港場は大坂と江戸、南では薩摩、北では仙台か加賀」と具体的にあげている。
 またアヘン戦争の影響を考慮し、日本に派遣する平和的使節は第一に「対等の原則の下に処遇される」よう女王の正式使節とすること、第二に「我々の有している諸手段を認識させる最良の方法」として、「蒸気船を一または二隻、先行させると良い」とも述べている。

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華人コミュニティーが「白人女性も慰安婦にされた」と反日啓蒙活動を推進

華人コミュニティーが「白人女性も慰安婦にされた」と反日啓蒙活動を推進-米国
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120829-00000013-rcdc-cn

慰安婦問題訴えるポスター 主要都市に3千枚掲示
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120731-00000041-yonh-kr

支那人や韓国人が世界のあちこちで歴史を捏造し、日本人を悪玉に仕立てあげようとやっきになっている。まったく卑劣な連中だ。彼の地にも、道をわきまえた多くの方々がおられるであろうことを信じているが、それにしても嫌なことをやってくれる。

いま、少しづつ変化の兆しを見せつつある日本の歴史認識、敗戦と東京裁判で捏造された歴史を取り戻そうという動きに、正面から牙をむき出しにするのは、捏造された歴史によって国を立てた支那・韓国、樺太・千島列島・北方領土をかっさらったロシアくらいのものだ。この捏造の主力は米・英だったわけだが、19世紀から20世紀、そして21世紀という歴史の流れの中で、成熟した精神構造を持つ国の人間なら、日本が歴史に果たした役割を見つめなおそうとする動きに文句をつけるわけにはいかないだろう。

ただしアメリカには多少の疑いを持つ。日本が本来の歴史を取り戻す動きの中で、彼らは自らの行った日本人に対する無差別殺戮を追求されることを恐れている。日本にしてみれば、軍民合わせたあらゆる戦没者に手を合わせつつ、明日の世界の平穏を祈るばかりだが、彼らの中にはその思いが必ずある。それが上記のような卑劣な行動に、彼ら特有のチンケな正義感が煽られないとも限らないし、現にあった。

日系アメリカ人でカリフォルニア州シリコンバレー選出のマイク・ホンダ下院議員が主導した「アメリカ合衆国下院121号決議」、いわゆる「慰安婦に対する謝罪要求決議」もその一つである。マイク・ホンダはいまだに韓国と足並みを合わせた反日行動に忙しいらしいが、アメリカにはそれに賛同してしまう“うしろめたさ”の裏返しの幼稚な正義感がかいま見られることがある。日本を信じて、冷静に物の本質を見極めて欲しいもんだ。
aikoku369azさんから借用

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世界から見た大東亜戦争 

アメリカ
ダグラス・マッカーサー(日本占領連合軍最高司令官・元帥)
「日本の潜在労働者は、量においても質においても、私がこれまで知っている中の最も立派なものの一つである。しかし、彼らは労働力はあっても生産の基礎素材を持たない。日本には蚕のほかに取りたてていうべきものは何もないのだ。日本人は、もし原材料供給が断たれたら(経済封鎖されたら)一千万から一千二百万が失業するのではないかと恐れていた。それ故に、日本が第二次世界大戦に赴いた目的は、そのほとんどが、安全保障のためであった。」(1951年5月3日米上院の軍事外交合同委員会の聴聞会における発言)

ハミルトン・フィッシュ(政治家)
ルーズベルト大統領は、その絶大な権力を使って遂に米国を日本との戦争に巻き込むことに成功した。そのことは、米国を欧州における戦争に参戦させるという彼の最終的な目的を達成させた。
 


ジョージ・S・カナヘレ(政治学博士)
日本占領軍がインドネシア民族主義のために行った種々の仕事の中で、最も重要なものの一つは、正規軍及び准軍事組織を創設して、それに訓練を与えた事である。(中略)
インドネシア人が軍事訓練を受けたことの意義は極めて重要なものであった。

これが後のインドネシア革命軍の大部分の将校と何千の兵士となり、復帰してきたオランダ勢力と独立戦争を戦う際の基盤となった。
日本によって与えられたこのような機会がなかったならば、戦後のインドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう。


イギリス

H・G・ウェルズ(歴史学者)
「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。」

アーノルド・J・トインビー(歴史学者)
「第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。」(1965年十月二十八日、英紙「オブザーバー」)

英国最新最良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈されたことは、特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。それはまた永続的な重要性を持つ出来事でもあった。なぜなら1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵でないことを決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである。(昭和43年三月二十二日「毎日新聞」)

インド
ネール(初代インド首相)
彼ら(日本)は謝罪をする必要とすることなど、我々にはしていない。それ故、インドはサンフランシスコ講和会議には参加しない。講和条約にも調印しない。

ラグ・クリシュナン氏(元大統領)

インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈もした。驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。(昭和44年「日本経済新聞」)

ラダ・ビノード・パール氏(極東国際軍事裁判判事)
要するに彼ら(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の17年間(昭和3~20年、東京裁判の審理期間)の一切を罪悪と刻印する事が目的であったに違いない。

私は1928年から1945年までの17年間の歴史を2年7ヶ月かかって調べた。この中にはおそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文の中に綴った。

その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということがわかるはずだ。それなのに、あなた方は自分らの子弟に、「日本は犯罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」を教えている。
満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。

日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない。あやまられた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。あやまられた歴史は書き換えなければならない。(昭和27年11月5日、広島高等裁判所での講演)


グラバイ・デサイ(インド弁護士会会長)
インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のおかげで30年早まった。この恩は忘れてはならない。

これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。

インド国民は、日本の国民の復興にあらゆる協力を惜しまないであろう。他の東亜諸民族も同様である。


インドネシア

ブン・トモ氏(元情報宣伝相)
我々アジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。インドネシアの場合は、三百五十年間も失敗が続いた。それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。


我々は白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。

一度持った自信は決して崩壊しない。日本が敗北したとき、「これからの独立は自力で遂行しなければならない。独力でやれば五十年はかかる」と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取ることができた。
 
モハマッド・ナチール(インドネシア共和国元首相)
大東亜戦争というものは、本来なら私たちインドネシア人が、独立のために戦うべき戦争だったと思います。

 

もしあの時私たちに軍事力があったなら、私たちが植民地主義者と戦ったでしょう。大東亜戦争はそういう戦いだったんです。


戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。日本は戦争に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、「聖なる戦争」であった。


二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。(昭和42年10月)



オランダ
サンティン(元アムステルダム市長)
あなた方日本は、先の大戦で負けて、勝った私どもオランダは、勝って大敗しました。今、日本は世界一、二位を争う経済大国になりました。私たちオランダはその間屈辱の連続でした。勝ったはずなのに、世界一の貧乏国になりました。戦前のオランダは、アジアに本国の36倍もの大きな植民地インドネシアがあり、石油等の資源産物で本国は栄耀栄華を極めていました。今のオランダは日本の九州と同じ広さの本国だけとなりました。

あなた方日本は、アジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない、諸民族に大変迷惑をかけたと自分を蔑み、ぺこぺこ謝罪をしていますが、これは間違いです。あなた方こそ自らの血を流して東亜民族を解放し、救いだす。人類最高の良いことをしたのです。なぜならあなた方の国の人々は、過去の歴史の真実を目隠しされて、今次大戦の目先のことのみ取り上げ、あるいは洗脳されて、悪いことをしたと、自分で悪者になっているが、ここで歴史を振り返って、真相を見つめる必要があるでしょう。

本当は私ども白人が悪いのです。百年も、三百年も前から、競って武力で東亜民族を征服し、自分の領土として勢力下にしました。植民地や属領にされて、長い間奴隷的に酷使されていた東亜諸民族を解放し、共に繁栄しようと、遠大崇高な理想をかかげて大東亜共栄圏という旗印で立ち上がったのが、貴国日本だったはずでしょう。本当に悪いのは侵略して権力をふるっていた西欧人の方です。

日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現しました。すなわち日本軍は戦勝国のすべてを東亜から追放して終わりました。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成しました。日本の功績は偉大です。血を流して戦ったあなた方こそ最高の功労者です。

自分を蔑むのをやめて、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきです。(平成3年、日本傷病軍人会代表団が戦時中敵国であったオランダを訪問した際のアムステルダム市長のあいさつ)


韓国
朴 鉄柱氏(韓日文化研究所)
大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。
彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。

戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。日本は戦争に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、「聖なる戦争」であった。

二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。
(昭和42年10月)

タイ
ククリックド・プラモード氏(タイ国元首相

日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。


今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。


十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。
我々はこの日を忘れてはならない。(十二月八日、現地の新聞「サイアム・ラット紙」)


ビルマ

バー・モウ(ビルマ元首相)
約50年前ビルマは3回にわたる対英戦争の結果その独立を失えり、英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり。

愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流謫、拷問及びしばしば死そのものを甘受して突進して来れり、これらの英雄はビルマの生存のため苦難を受け遂には斃れたり。

ビルマ人はアジアを結合せしめアジアを救う指導者を待望しつつありしが遂にこれを大日本帝国に発見せり。

 

ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり。(独立宣言より)

マレーシア
ラジャー・ダト・ノンチック(マレーシア元上院議員)
私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓喜の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍を見た時に、今まで感じたことのない興奮を覚えました。

しかもマレーシアを占領した日本軍は、日本の植民地としないで、将来のそれぞれの国の独立と発展の為に、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育を行ってくれたのです。


サンバス(元復員軍人省長官)
特にインドネシアが感謝することは、戦争が終わってから日本軍人約1000人が帰国せず、インドネシア国軍と共にオランダと戦い、独立に貢献してくれたことである。

日本の戦死者は国軍墓地に祀り、功績をたたえて殊勲賞を送っているが、それだけで済むものではない。
 
 


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終戦の詔勅[玉音放送]

朕深ク 世界ノ大勢ト 帝國ノ現状トニ鑑ミ 非常ノ措置ヲ以テ 時局ヲ収拾セムト欲シ 茲ニ 忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ 帝國政府ヲシテ 米英支蘇 四國ニ對シ 其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨 通告セシメタリ

抑々 帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ 萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ 皇祖皇宗ノ遣範ニシテ 朕ノ拳々措カサル所 曩ニ米英二國ニ宣戦セル所以モ亦 實ニ帝國ノ自存ト 東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ 他國ノ主權ヲ排シ 領土ヲ侵カス如キハ 固ヨリ朕カ志ニアラス

然ルニ 交戰巳ニ四歳ヲ閲シ 朕カ陸海将兵ノ勇戰 朕カ百僚有司ノ勵精 朕カ一億衆庶ノ奉公 各々最善ヲ盡セルニ拘ラス 戰局必スシモ好轉セス 世界ノ大勢亦我ニ利アラス
加之 敵ハ新ニ残虐ナル爆彈ヲ使用シテ 頻ニ無辜ヲ殺傷シ 惨害ノ及フ所 眞ニ測ルヘカラサルニ至ル

而モ 尚 交戰ヲ繼續セムカ 終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス 延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ
斯ノ如クムハ 朕何ヲ以テカ 億兆ノ赤子ヲ保シ 皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ
是レ 朕カ帝國政府ヲシテ 共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ

朕ハ 帝國ト共ニ 終始東亜ノ開放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ 遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス
帝國臣民ニシテ 戰陣ニ死シ 職域ニ殉シ 非命ニ斃レタル者 及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ 五内為ニ裂ク
且 戰傷ヲ負ヒ 災禍ヲ蒙リ 家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ 朕ノ深ク軫念スル所ナリ

惟フニ 今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ 固ヨリ尋常ニアラス
爾臣民ノ衷情モ 朕善ク之ヲ知ル
然レトモ朕ハ 時運ノ趨ク所 堪ヘ難キヲ堪ヘ 忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ萬世ノ為ニ 大平ヲ開カムト欲ス

朕ハ茲ニ 國體ヲ護持シ 得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ 常ニ爾臣民ト共ニ在リ
若シ夫レ 情ノ激スル所 濫ニ事端ヲ滋クシ 或ハ同胞排儕 互ニ時局ヲ亂リ 為ニ 大道ヲ誤リ 信義ヲ世界ニ失フカ如キハ 朕最モ之ヲ戒ム

宣シク 擧國一家子孫相傳ヘ 確ク神州ノ不滅ヲ信シ 任重クシテ道遠キヲ念ヒ 總力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ 道義ヲ篤クシ 志操ヲ鞏クシ 誓テ國體ノ精華ヲ発揚シ 世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ
爾臣民 其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ
 
参考 
ポツダム宣言
(1945年7月26日署名、同年8月14日日本受諾)

一 吾等合衆国大統領、中華民国政府主席及「グレート、ブリテン」国総理大臣ハ吾等ノ数億ノ国民ヲ代表シ協議ノ上日本国ニ対シ今次ノ戦争ヲ終結スルノ機会ヲ与フルコトニ意見一致セリ

二 合衆国、英帝国及中華民国ノ巨大ナル陸、海、空軍ハ西方ヨリノ自国ノ陸軍及空軍ニ依ル数倍ノ増強ヲ受ケ日本国ニ対シ最後的打撃ヲ加フルノ態勢ヲ整ヘタリ右軍事力ハ日本国ガ抵抗ヲ終止スルニ至ル迄同国ニ対シ戦争ヲ遂行スルノ一切ノ聯合国ノ決意ニ依リ支持セラレ且鼓舞セラレ居ルモノナリ

三 蹶起セル世界ノ自由ナル人民ノ力ニ対スル「ドイツ」国ノ無益且無意義ナル抵抗ノ結果ハ日本国民ニ対スル先例ヲ極メテ明白ニ示スモノナリ現在日本国ニ対シ集結シツツアル力ハ抵抗スル「ナチス」ニ対シ適用セラレタル場合ニ於テ全「ドイツ」国人民ノ土地、産業及生活様式ヲ必然的ニ荒廃ニ帰セシメタル力ニ比シ測リ知レザル程度ニ強大ナルモノナリ吾等ノ決意ニ支持セラルル吾等ノ軍事力ノ最高度ノ使用ハ日本国軍隊ノ不可避且完全ナル壊滅ヲ意味スベク又同様必然的ニ日本国本土ノ完全ナル破壊ヲ意味スベシ

四 無分別ナル打算ニ依リ日本帝国ヲ滅亡ノ淵ニ陥レタル我儘ナル軍国主義的助言者ニ依リ日本国ガ引続キ統御セラルベキカ又ハ理性ノ経路ヲ日本国ガ履ムベキカヲ日本国ガ決意スベキ時期ハ到来セリ

五 吾等ノ条件ハ左ノ如シ吾等ハ右条件ヨリ離脱スルコトナカルベシ右ニ代ル条件存在セズ吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ズ

六 吾等ハ無責任ナル軍国主義ガ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序ガ生ジ得ザルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレザルベカラズ

七 右ノ如キ新秩序ガ建設セラレ且日本国ノ戦争遂行能力ガ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ル迄ハ聯合国ノ指定スベキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スル為占領セラルベシ

八 「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州、四国及吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ

九 日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルベシ

十 吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非ザルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルベシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ

十一 日本国ハ其ノ経済ヲ支持シ且公正ナル実物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルガ如キ産業ヲ維持スルコトヲ許サルベシ但シ日本国ヲシテ戦争ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルガ如キ産業ハ此ノ限ニ在ラズ右目的ノ為原料ノ入手(其ノ支配トハ之ヲ区別ス)ヲ許サルベシ日本国ハ将来世界貿易関係ヘノ参加ヲ許サルベシ

十二 前記諸目的ガ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府ガ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルベシ

十三 吾等ハ日本国政府ガ直ニ全日本軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス


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米国務省報道部長ベントレル氏の「慰安婦」発言について

慰安婦問題「深刻な人権侵害」=米
http://news.nicovideo.jp/watch/nw307109?marquee

【ワシントン時事】米国務省のベントレル報道部長は9日の記者会見で、旧日本軍の従軍慰安婦問題について「深刻な人権侵害であり、被害者に対して衷心より同情を申し上げる」と述べた。

同問題をめぐって韓国紙・朝鮮日報(電子版)は、クリントン国務長官が「慰安婦」という言葉は誤りで「強制的な性的奴隷」と表現されるべきだと指摘したと報道。これに関して同報道部長は「米政府がどちらの言葉を選択しているのかは分からない」と述べるにとどまった。

この記事を読んで、以前、『株式日記と経済展望』さんhttp://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/7253a111def132e53dc3d00f01e92977が書かれた記事を思い出し、以下に部分的にお借りいたします。かといって責任はおえませんので、ぜひ『株式日記と経済展望』さんのブログで原文をお確かめください。
我々も2世紀以上に亘って性的に奴隷にされたアフリカ系アメリカ人慰安婦を認める必要がある。(ジョナサン・ジマーマン)

2007年3月15日 木曜日

◆日本を批判する前に考えるべき時がきた ニューヨーク大学教授 ジョナサン・ジマーマン 2006年5月6日 今日の覚書、集めてみました


歴史の教科書が、貴方に国を愛させるだろうか?殆どの人々は「させる」と言うだろう。また、だからこそ、教科書は過去を歪曲せざるを得ない…ここ、我が母国アメリカですら。アメリカ人は彼等が自分達の歴史を評価していると考える傾向があるかも知れないが、その一方で、他の国々はプロパガンダと歪曲に陥ったままだ。アメリカ人は再考すべきだ。

先日の日本の歴史教科書に関するもめ事を考えてみよう。先月、中国人と朝鮮人の抗議者達が新しい日本の中学校向け教科書を非難すべくデモを行った。これらの教科書は日本人が第二次世界大戦中に性的奴隷の境遇を強制した約20万人の女性(殆どが朝鮮および中国出身)「慰安婦」についての記述を省略した。

だが、アメリカ人が学校で使っている教科書を徹底的に調査しても、我々自身の慰安婦についての真剣な議論は全く見付けられないだろう。勿論、アフリカ系アメリカ人女性奴隷の事を言っているのだ。

(性的虐待の歴史)

確かに、先のバージョンとは異なり、今日の教科書にはアメリカの奴隷制度に関する長々とした説明と非難が含まれている。だがしかし、私が知る限り、この制度の最も残虐なポイントの一つについて、一般的に使われている教科書の一冊として説明していない。つまり、強制的性的関係の事だ。また、賭けても良いが、殆どのアメリカ人が現状維持をするだけだろう。

1813年にノースカロライナで奴隷の家庭に生まれたハリエット・ジェイコブズの例を挙げてみよう。彼女は12歳の時にジェームズ・ノーカムに売られ、彼はほどなく彼女に対して性的交渉を持ち始めた。その後ジェイコブズが彼女のメモワールで回顧しているように、ノーカムは彼女に「私は彼の持ち物だった;全てにおいて彼の意志に服従しなければならない」と告げたのだ。そして、彼女はそうした。ジェイコブズは時には所有者の手をなんとか逃れる事が出来たとはいえ、彼は確かに彼女を所有していた。彼女とセックスをする為に、ノーカムは時には彼女に新しい洋服や他のプレゼントを約束した。時には単純に彼女の喉元に剃刀を突き付けた。そしてそれは、我がアメリカの同胞よ、我々がレイプを呼ぶ行為だ。

算数をしよう。1850年から1860年の間に、黒人奴隷の数は約20%増加した。だが、歴史家のジョエル・ウィリアムソンが計算した通り、奴隷にされた「ムラート(混血奴隷)」の数は驚きの67%も増加したのだ。もっと率直に言えば、黒人奴隷の肌は色が薄くなっていった。白人の所有者達が彼等をレイプしたからだった、という事だ。本当に単純な事だ…そして、酷い事だ。

偉大なるアフリカ系アメリカ人奴隷廃止論者フレデリック・ダグラスが自伝で物語った通り、黒人女性奴隷は「彼女の所有者の父親、息子、もしくは兄弟のなすがまま」だったのである。黒人女性は奴隷商人にも虐待され、彼等は次の白人に彼女達を売り飛ばす前によくレイプした…そして、次の性的強制劇に入る。疑いの余地もなく、所有者とセックスする為に選ばれたかもしれない奴隷はいただろう。だが、間違った選択肢が自分を売り飛ばしたり、酷い時には殺されたりすると知っている場合に、セックスを「選択する」とはどういう意味なのか?

所有者の中には生活スペースを共有したり、この関係から産まれた子供達を可愛がったりして、奴隷を伴侶のように扱った所有者達も中にはいるようだ。だが、もっと頻繁には、彼等は何事もなかったように振る舞っただけだった。自分達の鼻先で起こっている事態を無視した所有者の白人の妻や娘も同じだった。 


(幾つかの明らかな糊塗)

そのようなわけで、我々もやっている。何人のアメリカ人の子供が独立宣言の父であるトマス・ジェファーソンが彼の奴隷に子供を産ませた事を知っているだろうか?そして、どれだけのアメリカ人の両親が子供達にこれを知って欲しいと思っているのだろうか?

西アフリカ諸国連合、例えばガーナ、シエラ・レオネ、コート・ジボワールがアメリカの歴史教科書に反対し、黒人に対して行われた性的強制の忌まわしい歴史を本に入れるよう要求するデモを行うのを想像してみよう。殆どのアメリカ人は「外部の干渉」を嘲り嗤って、自分達の愛国的義務を行使するだろうと考える。

言い換えてみれば、彼等は丁度日本人のように振る舞うだろう。教科書から慰安婦を削除する事を弁護する事で『日本の歴史教科書をつくる会』は他の国々が日本の過去を定義する権利はない、と主張したのだ。この会の声明は、歴史は「我国への愛を深める事」を目的にしているので、日本人だけがそれを行う事が可能だ、と言っているのである。

そして、それこそが正に問題なのだ。勿論、日本人は1937-1945年に中国人と朝鮮人の慰安婦に対して行ったおぞましい害悪を白状すべきだ。だが、我々も2世紀以上に亘って性的に奴隷にされたアフリカ系アメリカ人慰安婦を認める必要がある。我々を愛国的な気分にはさせないかも知れないが、少なくとも本当だろう。

ジョナサン・ジマーマンはニューヨーク大学のSteinhardt School of Educationで歴史の教鞭を取る。
アメリカが、朱子学的原理主義にもとづいてわけの分からない倫理的優位性を振り回す支那や南北朝鮮のように、正邪の審判者であるかのように振舞おうとするなら、日本には言いたいことがある。たくさんある。

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関東大震災の歴史在日コリアンに学ぶ

東京新聞
関東大震災の歴史在日コリアンに学ぶ 滋賀の中学生、都慰霊堂で

都内へ修学旅行中の滋賀県・近江八幡市立八幡西中学校の3年3組の生徒たちが8日、都慰霊堂(墨田区横網)を訪れ、関東大震災時の朝鮮人虐殺など、大震災の歴史を学んだ。

生徒に説明したのは、在日コリアン3世で朝鮮大学校(小平市)理工学部2年、金華暎(キムファヨン)さん(19)。人権教育に力を入れる八幡西中は、地元の朝鮮学校を通じて東京での案内役の紹介を依頼。歴史ツアーのガイド経験を持つ金さんが、大学校から推薦された。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20120609/CK2012060902000108.html
金華暎さんは八幡西中学校の生徒達に、「関東大震災で『朝鮮人が暴動を起こした』というデマが流れ『朝鮮人狩り』も行われた。『十五円五十銭』をきちんと発音できないと朝鮮人とみなされ、日本人も殺された」と解説。現在もさまざまな在日コリアン差別があると話し、「みなさんと会えて幸せ。私ももっと学びたいので、みなさんもしっかり勉強してください」と語ったという。

「高校授業料無償化」が朝鮮学校に適応されないことに関しては、良心的日本人の意思表明、日本政府の方針、朝鮮高校及び日本人シンパの反応と、すでに二周目に入った感がある。いまだにこのことに関する理解を持たない成人日本人はほとんどいないだろう。

その上で、この中学は、東京での案内役を地元の朝鮮学校を通じて朝鮮大学校に在籍する十九歳の在日朝鮮人三世に依頼することにしたわけである。同校担当者にとっては、東京大震災時における“朝鮮人虐殺”は疑いの入れ用のない事実であったのかもしれない。さらに在日朝鮮人に案内を頼むことで日朝の関係をクローズアップしたい意図があったのだろう。

おそらく衝撃を受けたであろう八幡西中学校の生徒達と同校担当者には、ぜひ、自分の頭で考えていただきたい。阪神・淡路大震災、東日本大震災における日本人の行動と較べて関東大震災時における“朝鮮人大虐殺”の行動は、その落差が大き過ぎはしないか。『朝鮮人が暴動を起こした』は本当に根も葉もないデマか?

人を“虐殺者”と呼ぶのである。しかも私たちの祖父母、曽祖父母時代の人たちだ。自分で納得のいく懸賞をするべきである。

滋賀県・近江八幡市立八幡西中学校の3年3組の生徒の皆さん。この本を読んで見ませんか。自分の頭で考える一助になるはずです。


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テーマ : 歴史
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あの戦争の真実  日本人への第一歩

戦後、欧米諸国から袋叩きにされるなかで押し付けられた歴史。それを進んで受け入れることによって学会やマスコミ界のリーダーシップを握った者たち。NHKなんぞはいまだに朝の人気ドラマの中に、戦争で亡くなった方々や苦労された方々を貶めるシーンやセリフを挿入している。教科書なんかまだまだ。

国民一人一人のレベルからその意識を変えていき、いつまでも既得権益にしがみついて変わらない彼らの無様を笑ってやろう。


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テーマ : 大東亜戦争の本当のこと
ジャンル : 政治・経済

大東亜戦争回避は可能であった 駐日イギリス大使ロバート・クレイギーの見解

《クレイギーの最終報告書とは・・・》
1942年交換船で帰国したクレイギーは、アンソニー・イーデン外相あてに報告書(1943年2月4日付)を提出し、英国政府の極東政策を痛烈に批判したのである。この報告書を読んだチャーチルは激怒し、厳秘を命じて国王を含むイギリス政府内部のごく少数者にしか閲覧の機会を与えずクレイギーの報告書を封殺した。そしてクレイギー自身も1945年に在日大使時代(1937ー1941年)の経験を綴った回顧録『BEHIND THE JAPANESE MASK』を世に送るが、報告書に一言半句もふれることなく、報告書で示唆した点については屈折した表現でしか述べるところがなかった。

そのような背景を経て報告書はイギリス公文書館の中で埃をかぶり、1971年にイギリスの戦時中の文書が30年ルールにより一括公開されるまで歴史家の目に触れる事はなかったのである。同報告書が世に初めて紹介されたのは1972年7月15日の『デイリー・テレグラフ』であり、「対日戦争は必然であったのか」とする論文をイギリスの外交史家ドナルド・キャメロン・ワットが同紙に寄稿し掲載した事によるものである。同論文は太平洋戦争は回避が可能であったとするクレイギーの見解に与するワット教授自身の立場を明らかにした上で、「チャーチルはアメリカを戦争に引き入れるべく、極東で戦争を意図的に引き起こそうとしたのではなかったのかとの疑念を提起し、イギリスが戦争によっyてアジアで支払った高価な代償は、チャーチルの政策を誤りを立証するものである」と、暗にチェンバレンの宥和政策を肯定し、チャーチルを批判したのである。
[wikipediaより]

《「最終報告書」にみられるクレイギーの見解》
1941年の年間を通じて、本職から送った警告は、要するに、日本の軍事攻撃が外交的手段によって回避できなければ、それは、多くの英国当局が予期していたように思われるものよりも、大きな規模で、かつ早い時期になされるだろう、ということだ。[wikipediaより]
イーデン外相、チャーチル首相は、「多くの英国当局が予期」したことに基づいて政策決定をしたわけだから、それはわれわれが知っている歴史の実際であろう。では、「予期」しえなかった「大きな規模で、かつ早い時期になされ」たことは何だろうか。

戦後まもなく、イギリスをはじめとするヨーロッパ諸国の、アジアにおける植民地はつぎつぎに独立し、その波はアフリカにも波及した。結果、大英帝国は瓦解し、世界におけるヨーロッパの相対的地位は急速に低下した。さらに、共産主義の猛威はドイツ、日本という歯止めを失い、数十年にわたり世界を脅かし続けた。それこそが、クレイギーが「予期」し、イーデン外相、チャーチル首相が「予期」できなかった世界である。[もちろんクレイギーが、ここまでドラスティックな変動を予期していたかどうかは疑問だが・・・]

〈日本の南部インドシナ進駐、それに対する米英蘭による経済制裁を経て、日米交渉が始まった時、英国政府がこの交渉に直接噛まないことにしたことに私は批判的であった。〉私が英外務省に、成り行きがよろしくないと指摘し、交渉がうまく行かなかった場合に攻撃の矢面に立つのは米国よりむしろ英国であると考えられることから、英国政府はこの枢要なる交渉に関し、〈せめて〉その詳細を完全に〈米国から〉教えてもらうべきだと訴えた時、私はこれに同情的な回答を得たが、結局のところ、英国政府は、〈日本との〉議論は、全幅の信頼を寄せているところの、米国政府の手にだけ委ねられるべきであるというものだった。[wikipediaより]
この時アメリカには、イギリスとは明確に違うアジア戦略である“日本に軍事的方法によって打撃を加えることで支那の市場から完全に排除し、アメリカ主導の支那市場を再構築する。日本がふたたび支那市場に進出することを許さない”という意志を強固にしていた。いわばそれは、アジアにおけるイギリス以上の地位である。しかも、その過程において、日本の攻撃の矢面に立つのはイギリスやオランダである。つまり、アメリカのアジア戦略遂行のために、イギリスはうまく利用されたことになる。

〈1941年〉11月20日に日本政府は妥協的提案をした〈が、〉・・・それは、南インドシナからの撤退の提案であって、少し前の現状への復帰を意図したものだった。 私は、英国政府に対し、一定の修正を施す・・それについて、日本政府の同意を得ることを信じるに足る理由があった・・ことを前提に、この提案の線における一時的妥協がなされるべきことを強く促した。私の見解では、日本軍部隊を、南インドシナから撤退させ、北インドシナにおいて1~2個師団に制限することは、日本の陸軍のマライ、あるいは更なる南方への前進のための諸計画を完全に脱線させるものであったので、日本の戦争能力を文字通り増進させるには不十分な分量の石油その他の天然資源を〈日本に〉供給するという代償を払ってでも追求する価値があったのだ。〈米国務長官の〉ハル氏は、実際、この線に沿った日本への回答案を準備した。それは、一定の外形的な修正を施せば、日本政府にも受容できるものにすることができた。 しかし、この建設的な反対提案は、どうやら支那政府の反対があったためのようだが、日本政府に提出されることはなかった。[wikipediaより]
「支那政府の反対」は、もちろん強く行われていた。しかし、クレイギー自身も見誤っているが、ルーズベルト大統領、ハル国務長官は、アメリカのアジア政策を実行したに過ぎない。このころのアメリカは、完全に日本のコントロールに成功していた。それは、「太平洋で日本と闘う準備が整った段階で、日本から先に手を出させる」というものであった。
 
〈ドイツとの〉2年と4分の1年にわたる闘争を経て、英国とその連合諸国は、東京から見ていると、ようやくドイツに対する優位を得つつあった。すなわち、ドイツ軍前線に向かってロシア軍は着実に圧力をかけつつあったし、我々のリビアにおける軍はベンガジを越えて押し出しつつあったし、米国からは我々は既に気前良く、物資と積極的な支援を得ていた。〈この最後の点だが、〉それは、我々にとって最も枢要なこと、つまり、〈米国による、〉大西洋を横切る〈英国の〉船舶群の護衛及びドイツの潜水艦群や水上襲撃船群に対する「宣戦なき」戦争だった。東京から見ている限り、我々は大西洋における戦いに勝利を収めようとしており、他の諸前線では防勢から攻勢へと転じつつあった。すなわち、この戦争は、初めて、日本人の偏見を持った眼から見てさえも、ドイツの勝利の展望に疑問符が付くという段階に達していたのだ。もちろん、これは危険な段階でもあった。というのは、日本の軍事主義者達は、ドイツの攻勢力が明確な崩壊の兆候を示す前に彼等の効果的軍事介入の最後の機会が訪れると自覚するであろうからだ。[wikipediaより]
ドイツの劣勢が明らかになりつつある段階で、つまり、ヨーロッパ戦線へのアメリカの本格的介入を待たずに、イギリスは勝利の手応えを手にしつつあった。つまり、アジアにおいてアメリカに一辺倒に追随する危険を回避すべき段階に来ていたと言うことだろう。「イギリスのアジアにおける植民地をすべて失う危険を侵してまでも、アメリカをヨーロッパにおける戦争に荷担させる」ことに何の意味があるのか。それをクレイギーは訴えたわけだが、クレイギーの「予期」した未来は、イーデン外相やチャーチル首相を動かすことができなかった。

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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本


























































































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