めんどくせぇことばかり 本 キリスト教
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『血の福音書 上』 ジェームズ・ロリンズ

『血の福音書』という題名から、キリスト教の謎解きモノかなって思って読んでみた。もしかして、ダン・ブラウンの『天使と悪魔』の時みたいに、とんでもない掘り出し物にぶつかるかも・・・、なんてね。
始まりは、・・・“西暦七三年、春 イスラエル、マサダ” といえば、六六年に始まるユダヤ戦争の最終局面。千人に及ぼうとするユダヤ人が立てこもったマサダ要塞に、ローマ軍一万五千が突入する。ローマ兵は死に物狂いの抵抗を覚悟していたが・・・、ユダヤ人は、集団自決していた・・・というシーン。マサダ
と思ったら、あれあれ・・・、冒頭からなんともおどろおどろしい展開で・・・、この隠された記憶が現代に・・・、ってか?・・・えっペ・・・、ペテロなんで?・・・、ローマで死んだはずじゃ?
『血の福音書 上』 ジェームズ・ロリンズ『血の福音書 上』 ジェームズ・ロリンズ
(2014/08/25)
ジェームズ・ロリンズ、レベッカ・キャントレル 他

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ーThe Blood Gospelー

主人公は美人考古学者のエリン・グレンジャー、アメリカ人軍曹のジョーダン・ストーン、カトリック神父のルーン・コルザの三人。考古学者はともかくとして、なぜ “美人” かって?・・・うるさい❢ 美人と言ったら美人❢

この三人が、地震によって倒壊したユダヤ民族の歴史遺産でもあるマサダの要塞で運命的に出合う。この“運命的な出合い”というのが、極めて血なまぐさい。あんまり血なまぐさいのは好みじゃないんだけどな。・・・ねえっ、どうしてここまで血なまぐさくなきゃいけないの?

皆さんは、ご存知だったんでしょうか。私、半分くらいまで読んで、ようやく気づきました。この本、表紙をよく見ると、《血の騎士団》シリーズと書いてある。気づいていれば、少しは心構えもできたろうに・・・。
この本、“ヴァンパイヤもの”でした。血なまぐさいのも当たり前。あっさりしたヴァンパイヤなんてねぇ。私みたいに、トマトジュースが大好物なんて奴いるわけないから。
「もうダメだ」、「いくら主人公でも死ぬ」と思われるほどの危機を脱した三人、特にエリンとジョーダンはベルナルド枢機卿から隠された歴史の秘密を教えられ、ある使命を与えられる。そしてルーンと共に、ペテロがマサダ要塞に隠したとされる福音書、ある人の血で記されたという《血の福音書》を捜索するたびに出かける。

・・・下巻はどこだ?うわッ、下巻の前に読まなきゃいけない本が、まだこんなに・・・


    

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『イエス・キリストは実在したのか?』 レザー・アスラン

すでにこの本で二本も記事を書かせてもらっちゃったけど、それは、私にとってそれだけ強烈な印象を残したということだ。 

 実在したのは救世主ではない、暴力も厭わない革命家だった ・・・というのも、とっても強烈だった。この本の題名は、『イエス・キリストは実在したのか?』というもので、私はこの題名通りの興味を持って読もうとしたわけだ。そんでもって表紙をめくると、その裏に書かれていたのがこの言葉だった。
 
でもね、この言葉を見ても、私は理解できなかった。そこには、神の国を地上に実現するたに既存の勢力を力によって打倒そうと呼びかける男がいたのであって、私たちが思っているような救世主としてのイエス・キリストという男は実在しなかった。 読み始めてから分かって、けっこうのめり込んだ。

『聖書』はもともと、イエスの死後、布教に携わったイエスの使徒たちの手紙や文書を、一つに編んだもの。著者は、それぞれの弟子たちの文献、聖書以外の歴史的な資料を比較調査することにより、聖書で、なにが捏造され、なにが史実から落されていったかを明らかにしていく。

イエスとは実際にはどのような人物だったのか?
そしてイエスは何を実際に説いていたのか?
そしてそれがどのように変質して、世界宗教へと発展していったのか?
『聖書』の物語と、実際の史実の差から見えてきたものとは?

『イエス・キリストは実在したのか?』 レザー・アスラン『イエス・キリストは実在したのか?』 レザー・アスラン
(2014/07/10)
レザー アスラン

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実在したのは、救世主ではなく、革命家だった❢



はじめに  実際のイエスを探る
第Ⅰ部  ローマ帝国とユダヤ教
プロローグ  テロリストよ、祭司をさせ❢
第1章  ローマ帝国と手を結ぶユダヤの大祭司たち
第2章  「ユダヤ人の王」ヘロデの実像
第3章  ヘロデ王は、赤子大虐殺などしていない
第4章  地上の革命を求める者たち
第5章  世界最強帝国に宣戦布告する
第6章  聖都壊滅という形で現実化した「世の終わり」
第Ⅱ部  革命家、イエス
プロローグ  イエスはなぜ危険視されたのか?
第7章  イエスの蔭に隠された洗礼者ヨハネ
第8章  善きサマリア人の挿話の本当の意味
第9章  無償で悪魔祓いをする男
第10章  暴力革命も辞さなかった男
第11章  イエスは自分を何者と見ていたのか?
第12章  ピラト裁判は創作だった
第Ⅲ部  キリスト教の誕生
プロローグ  「神」になったイエス
第13章  ユダヤ人ディアスポラから生まれたキリスト教
第14章  パウロがキリスト教を世界宗教にした
第15章  イエスの弟ヤコブが後を継いだに見えたが・・・
エピローグ  歴史に埋没したナザレのイエスの魅力
イエスは、当時、数多くユダヤ人に登場しては消えていったメシアの一人にすぎない。メシアとは、“油を塗られた者”、“理想的な統治をする為政者”、“神事を行うように聖別された祭司”、“神との特別な関係にある預言者”を言った。そしてイエスの時代のメシアに求められたのは、ダビデの王国を再建し、イスラエルという民族国家を再興することだった。そんなメシアのひとりとして、イエスは処刑されて死んだ。

数多く登場したメシアたちとイエスを分けたものはなんだったか。イエスだけが“復活した”ということ、そしてそれを証言する多くの者が、その証言の撤回を拒否することで、次々と残酷な死に追い込まれた。その事実が、他のメシアたちとイエスを分けた。

復活のモチーフは農耕文明の太陽信仰に発する。本質的に砂漠の宗教であるユダヤ教に、それがどこから入り込んだのか。ん~、考えられるのはすぐ近くのエジプトで、エジプト文明においては“復活”は重大なモチーフだよね。オシリスも復活するしね。そう言えば、オシリスを復活させたイシスは、冥界の王となったオシリスとの性交渉なしにホルスを生むよね。これって“処女懐胎”につながるよね。

話がずれちゃったけど、その“復活”から、それまでのイエスの物語とはまったく別個のもう一つの物語が作り上げられていくわけだ。新たな物語はそれまでの物語にも影響を与えて、都合の悪い部分、つまり“革命家イエス”という男の物語は消し去られたわけだ。

もうひとつ頷かされたのは、聖書の記述者たちが、過去に起こった“事実”を“歴史”として書き残すことを目的とはしていないということ。それぞれの“今”を生きる者たちから寄せられるイエスに関する疑問を、祖先が残したさまざまな予言を読み解き、“復活”をスタート地点として新たに構築されたイエスの地位を確立することが目的だったという点かな。


 

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神の国の到来=革命(覚書)『イエス・キリストは実在したのか?』 レザー・アスラン

紀元前一九八年



紀元前一六四年


紀元前一四〇年

紀元前六三年

紀元前四八年


紀元前三七年


紀元前四年


六年


二六年

三〇年

四八年

五二年

六六年

七〇年
エルサレムはセレウコス朝シリアのアンティオコス大王によって、プトレマイオス朝支配下から取り戻され、その息子のアンティオコス・エピファネスが、自分こそ神の化身と名乗って、エルサレムでユダヤ人の髪の崇拝を禁止。

ハスモン家マカバイ一族が蜂起。執拗なゲリラ戦によってエルサレムをセレウコス朝から奪回し、ユダヤ全土にユダヤ人のよる支配権を回復。

ハスモン王朝樹立。ハスモン家は大祭司兼ユダヤ人の王として統治。

ポンペイウス・マグヌスがローマ軍を率いてエルサレムに入城。

アンティパトロス・ヘロデがカエサルからユダヤ全土の行政管理権を与えられる。
息子のヘロデが反乱指導者のヒゼキアを斬首

ヘロデ大王、ユダヤ人の王となる。その残虐性に、皇帝アウグストゥスは「ヘロデの息子であるよりも、彼の飼う豚である方がましだ」と言ったという。

ヘロデ大王、死去。アウグストゥスはヘロデの王国を彼の息子三人に分割させる。エロデ・アンティパスはガラリアとペレアの支配を任される。以後、ユダヤ人の蜂起続発。

ユダヤが正式にローマの属州となる。エルサレムは完全にローマの支配下に置かれる。
〈ガラリアのユダ〉の蜂起

ポンテオ・ピラトがユダヤ占領統治のため、総督としてエルサレムに赴任

ヘロデ・アンティパスがヨハネを処刑

ウェンティディウス・クマヌスがユダヤ占領統治のため、総督としてエルサレムに赴任

アントニウス・フェリクスがユダヤ占領統治のため、総督としてエルサレムに赴任

ユダヤ人蜂起

エルサレム陥落
 
『イエス・キリストは実在したのか?』 レザー・アスラン『イエス・キリストは実在したのか?』 レザー・アスラン
(2014/07/10)
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実在したのは、救世主ではなく、革命家だった❢



〈ガラリアのユダ〉と呼ばれる反徒が台頭してきたのは六年のことだったという。かつて斬首された反徒のリーダー、ヒゼキアの息子であったという。

一世紀、ローマ帝国占領下のユダヤ人には“終末”への期待に関連した敬神の念が強く、「今の体制がやがて消滅し、神の王国がもうすぐやってくる」という思いがあった。その思いは、ローマ人や割礼を受けていない大衆、ローマ人に服従するユダヤ人に対して、必要であれば暴力をふるう人々を生み出していく傾向にあったという。ガラリアのユダ、彼の父と言われるヒゼキアの蜂起に他にも、前後して、ペレアのシモン、羊飼いのアスロンゲスらの蜂起が発生している。

洗礼者ヨハネの処刑に続いて、ナザレのイエスの処刑。しかし、ユダヤ人の蜂起、その先導は以後も続く。三六年には「サマリア人」としか知られていないメシアを名のる男がピラトの派遣したローマ軍によって粉砕された。ピラト以後の四四年、テウダはローマ軍を出動されて首をはねられている。四六年にはガラリアのユダの二人の息子、ヤコブとシモンが十字架刑に処せられた。

四八年にエルサレムに赴任したウェンティディウス・クマヌスは火に油を注いだ。ユダヤ人の叛意は暴動へと変わった。クマヌスに変わって派遣されたアントニウス・フェリクスも同様だった。

そのよう流れの中で、六六年にユダヤ人蜂起が起こる。ナザレのイエスも、このような流れの中で処刑された一人のユダヤ人と捉えれば、聖書の言葉も違って聞こえてくる。
 貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
 悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。
 柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。
 義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。
 あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。
 心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。
 平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。
 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
「山上の垂訓」(マタイ5-3~10)より


 

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革命家イエス(覚書)『イエス・キリストは実在したのか?』 レザー・アスラン

 貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
 悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。
 柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。
 義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。
 あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。
 心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。
 平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。
 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
「山上の垂訓」(マタイ5-3~10)より

たしかになぁ。こりゃ、革命だなぁ。たとえばこの「山上の垂訓」は、“屈従と外国支配からの差し迫った解放の約束”というふうに、本書の著者は捉えているわけだ。

そんな立場からすれば、イエスが言う「神の国」とは、正義と公正に対して心のありようを変えることを要求される“国”であるにとどまらない。現在の政治、宗教、経済の体制に完全な方向転換を求められる“国”ということになる。

ということは・・・。


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(2014/07/10)
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実在したのは、救世主ではなく、革命家だった❢



ということは・・・、政治、宗教、経済の体制の完全な方向転換により、貧しい者は満たされ、悲しむものは慰められ、柔和なものはその土地に迎えられ、義に渇く者は潤され、憐れみ深いものは哀れみを受け、清い者は神を実感できるようになる。

これって、上と下がひっくり返るということ。上と下がひっくり返るような体制の変革のことを“革命”と呼ぶよね。『あとの者は先になり、先の者はあとになる(マタイ20-16)』ってのは、“革命”ってことだよね。
飛んでいる人たちは災いだ。慰めを受けてしまっているからだ。
満腹している人たちは災いだ。飢えるようになるからだ。
笑ってる人たちは災いだ。悲しみ泣くようになるからだ。
「山上の垂訓」(ルカ6-24~25)
山上の垂訓
権力者は無力な者たちに取って代わられる。どうやって?それは、“平和を作る者”によって。やがて、“神の子供”と呼ばれる者たちによって、その地位から引きずり降ろされる。もちろん、暴力的に・・・。これは、“革命”だから。

『神の国は近づいた』、『神の国』はまもなく地上に樹立される。しかし、そのためには現存する秩序は破壊されなければならない。現存する指導者たちが一掃されなければ、神の支配は樹立されない。


 

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なぜキリスト教は広まったのか(覚書)『はじめて読む人のローマ史1200年』 本村凌二

《キリスト教徒は増えなかった》

・・・、えっ? 増えなかったんだって、キリスト教徒。

B.C.4頃
A.D.6
30
64
イエス・キリスト誕生
ユダヤがローマの属州となる
イエス・キリストの磔刑・・・ティベリウス帝時代

ローマ市の大火・・・ネロ帝時代
この本にも書かれていることなんだけど、十字架にかけられたイエスが復活したと信じ、十二使徒と言われるイエスの弟子たちが、イエスこそメシアであると広め始める。そこにパウロが加わって、徐々にユダヤ教から離れたキリスト教としての教えが整備されていく。パウロはネロによる迫害で死んだとされるので、この間はおよそ三十年。この間、キリスト教徒は急速に増加して、支配者に脅威を抱かせた。それがネロによる迫害を呼ぶが、迫害にもかかわらずキリスト教徒は着実に信者を増やした。・・・そう、思ってたんだけど・・・。

そうじゃないんだって。増えなかったんだって、しばらくの間、キリスト教徒は・・・

『はじめて読む人のローマ史1200年』 本村凌二『はじめて読む人のローマ史1200年』 本村凌二
(2014/06/02)
本村 凌二

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ローマの歴史 ―起・承・転・結―



この本の中で書かれているように、《ローマがキリスト教を弾圧した理由は、ローマの側ではなくキリスト教の方にある》というのはよくわかる。ローマは、ユダヤ教徒に対してそうであったように、キリスト教徒に対してもその信仰そのものに対する干渉はしなかった。

キリスト教徒は、ローマ人の、あるいはローマに服する諸民族の信仰する神を、すべて偽物と非難した。そして、ローマ人とローマに服する諸民族の信仰を、誤りであるとして許さなかった。許さずに干渉したのは、ローマではなく、キリスト教徒の方だった。

やな奴らだなぁ~、キリスト教徒は・・・。これじゃあ、嫌われるわ。まあ、たしかに一神教の立場からすれば、そう言う主張になるけどな。本当、一神教ってのは、“寛容”の正反対の側に誕生したんだな。・・・でも、キリスト教にはユダヤ教っていう大先輩がいたはず。

・・・ユダヤ教は、そうじゃなかったんだって。これもよくわかる。ユダヤ教の神はユダヤ人だけを救う神だから、「お前たちも私たちの神を信じろ」という事にはならなかったんだって。たしかにね、選民思想を特徴とする信仰だもんね。そうか、イエスの思想はそこから飛び出して、自らの死を持って“すべての人の罪を贖った”わけだから、そのイエスの犠牲を無にするなんてことは、民族の枠を超えて許せないと・・・、そういうことか。
迫害でも、嫌われようと、その数がたかが知れたものならば、迫害する必要さえなかった。ネロ帝の場合は、迫害というよりもキリスト教徒をスケープ・ゴートに利用したのである。スケープ・ゴートとして使えたということは、彼らが嫌われていたからこそであったが・・・。
キリスト教がその信徒を爆発的に増やし、ローマが帝国全土を挙げてキリスト教徒の迫害に乗り出すのは、三世紀半ばのデキウス帝の治世(二四九~二五一)です。
本書P254

とあるが、結局、著者が言っているように、ローマがキリスト教に染まっていったのは、ローマの国力が低下し、不安定な社会の中で、古来からの人間関係がゆらぎ、人々が個々に救いを求めた結果、ということになってしまうのか。
  1. 神の子が人々の犠牲になるという物語のわかりやすさ
  2. 抑圧された人々の怨念
  3. 心の豊かさを求める際のローマ人の禁欲的意識
著者は、そんな不安定なローマ人の心をつかんだ理由として、上の三つをあげている。でも私、そこに伝染病の流行が絡んでると思ってる。

キリスト教の本質は、「イエスが自らの命で人々の罪を贖った。だからイエスとその復活を信じる者は救われる」というものである。パウロの教えだ。でも、人々がキリスト教に惹かれたのは、おそらくおまけの方だろう。別に本当はどうでもいい、病人を助けたとかの、イエスが生きている時の様々な逸話の方だろう。

パルティアに遠征したマルクス・アウレリウス・アントニウス率いるローマ軍が天然痘をローマにはやらせたのが一六五年。以来十五年間、ローマは苦しめられたというから、マルクス・アウレリウス・アントニウスが亡くなる一八〇年まで流行して、犠牲者は全人口の1/3にも上ったという。

人々をつないが絆が断ち切られ、多くの患者が置き去りにされ、または放り出されて路上で死んだ。そのような中で、キリスト教徒たちは自分が感染することも恐れず、病人の世話をしたという。そういうことがあって、そして、ローマ帝国の国力が低下して社会が不安定化し・・・、というつながりになるんじゃないかな。

「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」とかさ、イエスが何を言ったかなんて、キリスト教の本質には、本来関係ないよね。“博愛”ってキリスト教のおまけでしょ。でも、おまけのほうが魅力的なことって、よくあるよね。


    

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『キリスト教の創造』 バート・D・アーマン

2011年10月にこの本を読んでの記事を書いている。
副題は「容認された偽造文書」

著者のバート・D・アーマンは、キリスト教関連の偽造文書の研究者。そのメスは聖書そのものにも及ぶ。

「その研究成果を一般向けにわかりやすく解説したのが本書」という立ち位置の本。だけど、私なんぞは聖書すらまともに呼んでないのだから当然だけど、全般を面白く読めたというわけには行かなかった。だけど、初期キリスト教の置かれた立場。文書の偽造が必要であったことの歴史性。そういった点に関しては、とても面白く読ませてもらった。

キリスト教徒の非キリスト教ユダヤ人に対する恐れが、いかに歴史に大きな傷跡を残してきたか。キリスト教徒の異教徒に対する恐れが、いかに歴史に大きな傷跡を残してきたか。

キリスト教徒の恐れは、キリスト教に対するすべての攻撃が、それへの防御をおろそかにすれば、キリスト教そのものがあっけなく雲散霧消してしまうことを理解していたからこそのものだろう。だからキリスト教は、他者に対して常に攻撃的であり、容赦なかった。

しかし、他者を完全に排除してまで守るべきキリスト教とは、いったい、それに見合う価値を持っていたのだろうか。

『キリスト教の創造』 バート・D・アーマン『キリスト教の創造』 バート・D・アーマン
(2011/09)
バート・D. アーマン

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容認された偽造文書


この間、塩野七生さんの『皇帝フリードリヒ二世の生涯』を読んで、この本のことを思い出した。一神教で、しかも寛容性を書いたそれが、いかに人々を苦しめるか。前述の過去記事の中で、最後に私は、「しかし、他者を完全に排除してまで守るべきキリスト教とは、いったい、それに見合う価値を持っていたのだろうか。 」と書いているが、やっぱり今でも同じだな。
キリスト教の本質はパウロの言ったことにあるわけで、「人の罪をすべて背負ってイエスは十字架上で死んだと、だからイエスの復活を信じるものはすくわれる」と、これを信じるか否かが、キリスト教の本質。復活という奇跡を補うために、生前のイエスまでが書きかえられたわけだ。

『キリスト教の創造』では、キリスト教徒の“非キリスト教ユダヤ人への恐れ”が歴史に残した傷跡に触れているが、その“非キリスト教ユダヤ人”への引け目を言うなら、それは非キリスト教同時代人すべてに向けての感情だったろう。『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』も前に読んだ本だけど、真理の探求を最上の喜びとしたエピクロス派は、同時代人としてキリスト教の《奇跡》に呆れ果てている。エピクロス派が耽美的快楽主義に仕立てあげられたのは、キリスト教会の腹いせでしかない。

以下は、その時書いた記事の一部です。
キリスト教は数々の嘲笑を浴びた。“イエスは不倫で生まれた子だった。父親はどこの馬の骨とも分からない男だ。イエスには神の威厳があるという主張も、彼の貧しさと、恥ずべき末路によってあきらかに否定されている。”エピクロスは神々の存在を否定しなかった。しかし、神の概念がいかなるものであれ、それが人間の祈りや儀式に耳を貸すなどと考えるのは幻想だ。なぜ神が他の生き物ではなく“人間の姿で現れる”などと考えなくてはならないのか。しかもなぜユダヤ人の姿で現れたのか。なぜ分別ある人間が神の摂理などという考えを信じなくてはならないのか。なぜ神の屈辱と苦痛に対する賛美が、傲慢な勝利主義と結びつくのか。エピクロス派の科学的原子論からすれば、また感覚からとらえた事実から考えても、受肉だの復活だのはあまりにも馬鹿げていた。

キリスト教は、その地位を完全に確立したとき、このような敵対的な嘲笑を示す表現の大部分を破壊することに成功した。エピクロス学派の初期キリスト教徒に対する嘲笑と異議が、その後、エピクロス学派が完全に消滅するきっかけとなった。キリスト教徒は、自らが学問を捨てて信仰を選択した引け目から、真理を追求することを喜びとするエピクロス派からの嘲笑を恐れた。それ以上に、魂が死すべきものであるというエピクロスの主張を認めれば、キリスト教理念の基本構造が崩壊することを恐れた。「至高の善は喜びの追求と苦痛の低減」という倫理観は、それだけでキリスト教を否定していた。

エピクロスは愚か者で、豚のような大食漢で、頭がオカシイ人物に仕立てあげられた。信奉者で『物の本質について』の作者ルクレティウスも愚かで、豚のように放縦で、正気ではなく、最後には自殺したと際限なく繰り返した。名声を傷つけるだけでは十分ではなかった。そうすることによって彼らの著作を読むことを禁じ、関心を示す人々に屈辱を与え、写本づくりもやめさせた。 

エピクロスの痕跡は丹念に消されていった。それでもそれを辿ろうとするものは、耽美的快楽主義者にしか行き着くことはできなかった。キリスト教徒は救い主の苦しみ、人間の罪深さ、父なる神の怒りについて説き、人々は、喜びは愚かで危険な悪魔の罠であると思い込むことになった。

そのようなキリスト教世界に変化をもたらしたのが、ポッジョ・ブラッチョリーニが一四一七年にその古写本を発見した、ルクレティウスの『物の本質について』であった。
 

さてと・・・、そして最初に戻る。「しかし、他者を完全に排除してまで守るべきキリスト教とは、いったい、それに見合う価値を持っていたのだろうか。 」
 

    

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ライフガーデン東松山で『聖書』を買う

近くに大型商業施設ができて、行ってきました。少し二日酔い気味だったし、持病の股関節が傷んだりで、ちっとも行きたくなかったんだけど・・・。先着300名にスヌーピーのタオルを配ってるとかで、お母ちゃん(妻)が眼をキラキラさせて、「お父さんも一緒に並んで」とか。ここは無理をしても行っとかないと・・・。結局、タオル三枚もらっちゃってお母ちゃんもご満悦。良かった、良かった。

その商業施設の中に大きな本屋さんがあって、お母ちゃんのお買い物の間、本を見てた。で、買ったのがこれ、聖書。私にとっては二冊目の聖書。

『聖書』『聖書』
(1996/11)
日本聖書協会

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小型聖書 JC44―口語訳



一冊目は大学生の時に買った。なんだか、聖書を持てたことが嬉しくて、自分の聖書を読めることが嬉しくてね。持ち歩いて、ちょっとでも時間があくと、できるだけ人目につかないところで読んだ。なんだか気恥ずかしくて・・・。

過去に見た映画、読んだマンガや物語が、聖書に出てくるお話をもとにしていることが分かって、もう興奮して興奮して仕方がなかった。ああ、手塚治虫さんもこれを題材にして火の鳥を書いたんだな、とかってね。

でも、もちろん、読めば読むほど、疑問が膨らんでいったんだけどね。今よりも、よっぽど“純”だったからね。理解しようとしてたから・・・。

すっかり手に馴染んだ一冊目。トリスを飲みながら読んでいて、腹が立って、壁に投げつけたこともあった。なにしろ、迷える子羊だからね。その一冊目がなくなっていることに気づいたのは、五年ほど前か。私の家ではよく物がなくなる。きっと小人さんが住んでいるんだろう。

一年に一度か二度、なんとなく聖書をめくりたくなって、その都度、二冊目を買おうかなって思ってたんだけど、小人さんが返してくれることもあるかもしれないし・・・。思い入れのある本だったんで、なかなか二冊目に手が伸びなかった。今回その気になったのは、まあ、それだけ時間がたったってことかな。
この時、主はつむじ風の中からヨブに答えられた。
「無知の言葉をもって、神の計りごとを暗くするものは誰か。あなたは腰に帯して、男らしくせよ。私はあなたに訪ねる、私に答えよ。
私が地の基をすえた時、どこにいたか。
・・・
あなたはプレアデスの鎖を結ぶことができるか。オリオンの綱をとくことができるのか。あなたは十二宮をその時にしたがって引き出すことができるのか。北斗とその小星を導くことができるか。あなたは天の法則を知っているか、その法則を地に施すことができるか。」
ヨブ記 より

時間の経過を受け入れるっていうのは、やっぱりいいことだよね。身近な人間も何人も死んじゃったけどさ。カッとなることも、まずない。 だから今、ヨブ記あたりを読んでも、聖書を壁に投げつけなくても済む。いい言葉、知ってるからね。

『それを言っちゃあ、おしめ~よ』

そう言いつつも、私は読みます。


    

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『聖書を読む』 中村うさぎ 佐藤優

中村
私は昔、原罪というのはセックスのことだと教えられてきたの。でも、善悪の木の実を食べたアダムとエバが最初にしたことは、自分たちの性器を隠すことだった。それはセックスを意味するのではなく、他者から性器を見らることを恥じた・・・すなわち、「自意識」の獲得を意味していると思うの。
佐藤
それは、ウサギさんの持論ですよね。
中村
だってさ、セックスが罪だというなら、動物だってセックスしてるわけじゃん。でも神様は動物たちを追放してないよ。

『聖書を読む』 中村うさぎ 佐藤優『聖書を読む』 中村うさぎ 佐藤優
(2013/08/29)
中村 うさぎ、佐藤 優 他

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神はなぜ、人が知性を持つことを嫌うのか?

この世にあるありとあらゆるものは、極めて単純な成り立ちをしている。内容が膨大であるとはいえ、たかが一つの物語がそんなにわかりにくいはずがあるか。エッ?聖書のことだよ。少なくとも、その後の人類が2000年もの歳月をかけて解釈するようなもんじゃないだろう。

間違えたのは・・・?
使徒?中でもパウロ?コンスタンティヌス?それともみんな?

今さらそれが間違いだったとも言えないけどさ、仮に間違いでなかったとしたら、研究しても研究しても研究しきれなくて、いかようにも解釈のしようがあるなんて、“聖書”のほうがおかしい。

佐藤優さんの関心は、聖書の解釈そのものよりも、その解釈に人類が2000年の歳月をかけた方へ向けられているように思う。っていうのは、聖書をどう読むかをめぐって西洋人の思考のシステムが確立されて、それを分析することで彼らの考えそうなことが予想できる。どうも佐藤優さんの関心はそこにしかないみたい。
創世記を読む
創世記を読み解くために天地の創造アダムとエバ
蛇の誘惑エデンの園からの追放             カインとアベルの物語               
ノアの方舟バベルの塔アブラハムの物語
ソドムとゴモラロトの娘たちイサクの誕生
アブラハム、イサクを捧げるサラの死と埋葬エサウとヤコブの物語
リベカの計略ヤコブの結婚ヤコブの工夫
ペヌエルでの格闘エサウとの再会シケムでのできごと
ラケルの死、イサクの死ヨセフの物語夢を解くヨセフ
ヨセフの死ユダとタマル          創世記を読み終えて
使徒言行録を読む
なぜ、使徒言行録なのか約束の精霊信者の生活
アナニアとサフィラステファノの殉教サマリアで福音が告げ知らされる
フィリポとエチオピアの高官サウロの回心ペテロ、ヤッファで幻を見る
アンティオキアの教会バルナバとサウロ、宣教旅行に出かけるアテネで
エフェソの長老たちに別れを告げるパウロ、エルサレムへ行く
ヨハネの黙示録を読む
黙示録の世界を訪れる前に女と竜天使とラッパと災い           
二匹の獣第五の天使がラッパを吹いた子羊の婚宴
大淫婦が裁かれる白馬の騎手千年間の支配
(巻末対談)『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読む

やはり面白いのは中村うさぎさんの感覚です。たぶん、あたってるんじゃないかな。パウロ観に関しては、間違いありませんね。
『なんか、すごく政治的で嫌なやつじゃない、パウロって。俺のおかげでキリスト教は広まったんだぜ、みたいな傲慢さがあって、私は嫌いだな』
『革命のため?それはまた斬新な。私は、ユダは愛ゆえにイエスを裏切ったと信じているけどね』
『だってペテロもイエスを裏切ったし、はっきり言ってあんまり出来のいいやつじゃないじゃん』
『でも、ヨハネはゲイだからね。私がそう決めつけているだけだけれど。だって、イエスが最後、女たちをヨハネに任すんですよ。母マリアとそのまわりにいる女信者たちを、お前に託すと言って。女見るとチンコ立つような若者に託すわけないじゃないですか。』




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エヴァ以前の女リリス(覚書) 『聖書を読む』 中村うさぎ 佐藤優

中村うさぎさん、一時は心肺停止状態にまでなったとか。ギランバレー症候群が疑われるが、現在も原因は不明らしい。9月には二度の心停止を乗り越えた。現在は一般病棟に移っているという。 原因なんかわからずとも、まぁ、このまま元気になってくれればね。そのうちきっと臨死体験でも語り出すだろ。それはそれは楽しみだ。うさぎ
『聖書を読む』 中村うさぎ 佐藤優『聖書を読む』 中村うさぎ 佐藤優
(2013/08/29)
中村 うさぎ、佐藤 優 他

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神はなぜ、人が知性を持つことを嫌うのか?

カインがアベルを殺して、神はカインを追放する。二人の兄弟がアダムとイブから失われて、二人の血は三男のセトと姉妹たちに受け継がれていくってことでいい。でも、カインは遊牧民の祖となるってことになってるけど、カインの子を生んだ女は誰?年をとってからセトの娘が現れるの?それともアダムとイブの子孫の他にも、人間がいるの。神はこっそり、別系統の人間を作っておいたの?それとも神にも別の神がいて、それぞれが人間を作っていたの?昔から不思議だったんだ。 それに追放される時、カインは誰かに殺されることを心配してるけど、やっぱり誰か、他の人間がいたんじゃないかな。
ムーピー ロミ
手塚治虫の『火の鳥 望郷編』を読んだ時から。望郷編の中では、哀れなロミ(望郷編の登場人物)のために火の鳥が何にでも姿を変えられるムーピーという生物に依頼して、女の姿になってセトの前に現れる。さらにそうして生まれた娘がカインの前に現れるっていう設定だったように記憶している。

あっ、でも十代目がノアで、他の連中はみんな死んじゃうわけだから、カインの子孫も生きてないか。いったいどうなってるんだろう。・・・って、ただの神話に整合性を求めようとするのが間違いで、そんなもの求めようとすると、かえってわけの分からないとんでもない教えが出来上がってしまう。そうして生まれるのが“トンデモ教”。聖書は大丈夫?

この本読んだら、やっぱりそういう疑問は古くからあったみたい。
中村






佐藤
最初に「光あれ」と言って光と闇にわけた時、神もまた光と闇にわかれた。そこでサタンが生まれたのだとしたら、サタンは神の暗転なわけで、ある意味黒い鏡像と言ってもいい。そして、鏡像は絶対に同じことをするわけです。そうすると神が人間を作ったなら、サタンもまた人間を造らないとおかしいでしょ。で、そのサタン系の人類がいて、そのうちの誰かに殺されるのではとカインが恐れたんじゃない?ちょっとファンタジックすぎるかな?


ファンタジックでもなんでもなくて、そういう説は三世紀ころから「ネオプラトニズム」という形で現れるんです。


そうそう、もう一つ前から思ってた疑問。 創世記の第一章で創造される女と第二章でアダムの骨から創造される女は、違う女ではないのか。
第一章
神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。
第二章
主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。
そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。
これについてはウサギさんが面白いことを教えてくれます。
人類最初の女性はリリスだったという伝承というか、説があるんです。創世記の第二章で肋骨からエヴァが生まれるのに、すでに一章で名前無しの女が生まれているでしょ。この最初に創造された女性の名前がリリスだという説。そのリリスがなんでエヴァに取って代わられたのかというと、セックスの時リリスは自分が上になろうとした。つまり女性が主導権を取ろうとした。それをアダムが嫌ったために追放されるわけですよ。そして追放されたリリスはあらゆる魔物を産んで、悪の女王になる。




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“使徒”あるいは“キリストの貧者”  『カタリ派』 アンヌ・ブルノン

『カタリ派』 アンヌ・ブルノン『カタリ派』 アンヌ・ブルノン
(2013/08/26)
アンヌ・ブルノン

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中世ヨーロッパ最大の異端
970年ころブルガリアの司祭コズマがボゴミール派を激しく批判
10世紀後半領主の暴政や略奪に対し、キリスト教を精神的支柱として抵抗した民衆の“神の平和”運動が始まる
1000年ころ黙示録の予言が成就するのではないかという風聞がキリスト教世界に広まる
11世紀頃この世は絶えず、善と悪とが対立する世界という世界観(善悪二元論)が浸透する
1022年オルレアンの司教座聖堂参事会員12名が、聖体の秘跡を否定したため、異端として火刑に処せられる
11世紀半ば三位一体論の解釈の違いにより、西のローマ・カトリック教会と東の正教会に分裂する
11世紀後半教皇グレゴリウス7世が原始キリスト教会の理想を掲げ、聖職者の綱紀粛正をはかる
11世紀末以降異端と並んで、イスラム教徒などが敵視されるようになり、十字軍の結成につながっていく
12世紀初頭ボゴミール派のバシレイオスという医師が、皇帝アレクシオス1世の命で火刑となる
1135年前後神聖ローマ帝国領リエージュで、司教命令により異端者の一斉捕縛、火刑が行われたという記録
1145年ベルナルドゥスや教皇特使がアルビやトゥールーズを訪れ、反教権主義を唱える民衆に説得に乗り出す
12世紀半ばアルビやトゥールーズで福音主義を唱える異端者が男女混成のコミュニティを形成する
ラングドック地方では、カタリ派教会が公然と黙認され、精力を広げる
1165年ロンベールにカタリ派のミュニティがあらわれ、カトリック高位者とカタリ派代表の公開討論が行われる
1194年トゥールーズ伯レーモン6世が、カタリ派教会に対するあらゆる強圧的行為を中止させる
1208年教皇特使ピエール・ド・カステルノーが暗殺される
教皇インノケンティウス3世はトゥールーズ征伐のためアルビジョワ十字軍を招請する
1209年アルビジョワ十字軍がこののち20年にわたり、ローヌ渓谷からケルシーに至る地域を蹂躙
1215年インノケンティウス3世の命で第4ラテラノ公会議開催
1229年トゥールーズ伯レーモン7世が十字軍を率いるフランス国王ルイ9世に降伏。パリ条約を結ぶ
1242年アビニョネでの異端審問官惨殺を機にレーモン7世が民衆暴動を引き起こして再起、戦争に突入
1243年レーモン7世、ルイ9世に降伏。
1244年カタリ派の牙城、モンセギュール城が陥落し、200名以上のカタリ派完徳者が火刑となる
1300年オクシタニアに生き残ったカタリ派が異端審問官の捜査、処刑で完全に消滅
14世紀末ブルガリアやボスニアのカタリ派も姿を消す
15世紀初頭イタリアのカタリ派が、完全に一掃される
1950年以降カトリックによって語られたカタリ派に対し、その本来の姿を研究する動きが活発化
佐藤賢一の書いた『オクシタニア』

13世のフランス南部。ピレネー山脈を望むこのオクシタニアの人々は、古くからの秩序にもとづいて生きていた。独自の文化に根付いた福音主義的キリスト教はインノケンティウス3世に目をつけられ・・・

フランス南部、中でもイタリアからオクシタニアガスコーニュ地方にかけての地域は独自の文化を保持してきた。村人の家は、丘の頂に立つ領主の城館を取り巻くように並んでおり、その家々を囲む形で城壁がめぐらされていた。こうした形態の村をカストルムといい、南ヨーロッパでは要塞化した村を意味した。カストルムは住民から選ばれた執政官が行政を担当し、貴族階級も活気にあふれていた。

このような村の形態のせいか、この地域では、村人が気軽に役人や騎士と交流した。ローマ起源の慣習法を残すこの地域では、分割相続が続けられ、時期に貴族も麓の村に住んだ。村人に混じって生きたのである。だからこそ、貴族階級にカタリ派が広がれば、それはすぐに村人の間にも広まった。
モンセギュールカタリ派が、同じようにローマ教会の腐敗への嫌悪から生まれたフランシスコ会やドミニコ会のように、修業者の生き方を求めるものであるなら、カトリック教会も黙認できる部分があったろう。しかし」、カタリ派は妥協しなかった。だから追い詰められ、吊るしあげられ、根絶やしにされた。

←モンセギュール城
現在わかっているカタリ派は、想像以上にカトリック教会に近い考え方をしていた。カタリ派信徒や修道者の真の姿は、ごくふつうのキリスト教徒だった。ただ、教権主義的なカトリックに対して、彼らは福音にそった非暴力や清貧を貫いた集団でしかなかった。

    

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火山の噴火、土石流に土砂崩れといった災害は、人々の目を山の高見に向けさせた。
それ故に山は、恵みと共に、畏怖の対象でもあった。
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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本


























































































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