めんどくせぇことばかり 本 キリスト教
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『よくわかる一神教』 佐藤賢一

それが現代であれば、イエスの教えは、さほど特別なものではない。

律法は否定しないが、その遵守を掲げるはずのファリサイ派は否定する。実際のユダヤの律法は、口伝によって生活の隅々にまでわたっていた。後に『タルムード』という書にまとめられるが、まさに、一冊の本になってしまうくらい事細かな決まりがたくさんあった。ファリサイ派にいわせると、かかる律法を遵守することこそが、信仰の実践であった。

そうは言っても、それらをすべて覚えるところから、すでに大変で、ましてやすべてを守るのは困難を極める。できるとすれば、よほど生活に余裕のある裕福な人だけとなる。日々の仕事に追われる庶民には望むべくもない。そのような裕福な人こそ「選ばれた人」となり、最後の審判においても救われる。そういう選民思想につながりかねない。

ファリサイ派は律法を通してユダヤ教の主導権を握り、さまざまな既得権を手に入れつつあったということか。

イエスは既得権を重んじるファリサイ派のような組織、ないし人々は非常に厳しく弾劾するが、そうでない普通の人々には、ただ神を信じなさいというだけだった。何かをしなければいけないというようなことは、あまり言わない。

たとえば、『新約聖書』にマグダラのマリアという女性が出てくる。《ルカによる福音書》では、「罪深い女」と同一視され、娼婦だったとされることが多い。娼婦であるとすれば、ユダヤ教では絶対に救われない。神殿に入ることもできない。ところがイエスは、そういった社会的弱者に対しても、赦しを与えていった。

閉鎖的で選民的なユダヤ教から、開放的で人間を選ばないユダヤ教を説いていった。律法に縛られず、洗礼にもこだわらず、もっぱら隣人愛や、どこにでもいるような人々への救いを説く。当時としては前衛的な改革だった。しかし、現代であれば、ごく当たり前の考え方だ。しかし、ペテロによって開始された布教の過程で、現代であれば当たり前の“イエスの教え”が、現代ではあり得ない奇想天外なものに変化していったようだ。

ペテロをはじめとする12使徒は、活動の拠点をエルサレムに置いた。ここにエルサレム教会ができる。もう一つ、小アジアのアンティオキアにもイエスの教えを信奉するユダヤ人が、アンティオキア教会を建てていた。この時点では、ユダヤ教の枠内での活動だった。

大きな転機はイエスが処刑された2年後、起源34年に訪れた。パウロ(ヘブライ名サウロ)という人物が、アンティオキア教会に加わった。パウロはイエスにあったことはなく、イエスの教えを知ったのも死後のことだった。元は厳格なファリサイ派で、イエスの信者たちを迫害する立場だった。

ファリサイ派であることから、裕福であったことがわかる。親の段階でディアスポラの民であったことから、エルサレムに縛られる発想がなかった。さらに、ローマ市民権を獲得しており、広く伝道活動を展開することができた。


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集英社  ¥ 1,760

歴史の中に鍵がある。一神教から俯瞰する約三千年の世界通史
第一部 古代の一神教
第一章 ユダヤ教の誕生
第二章 キリスト教の成立
第三章 イスラム教の出現
第二部 中世の一神教
第一章 祖国なきユダヤ人
第二章 俗化するローマ・カトリック
第三章 繁栄のイスラム
第三部 近代・現代の一神教
第一章 プロテスタントの分離
第二章 イスラムの遠い近代
第三章 イスラエルの建国
第四章 現代の一神教
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ユダヤ教から脱してキリスト教が成立したのは、アンティオキア教会発のパウロの伝道だったと思われる。イエスの教えにはユダヤ人以外の入信が増え、もはやユダヤの国における、ユダヤ人のためのユダヤ教ではなく、世界宗教として歩み始める。

“キリスト”はヘブライ語の“メシア”をギリシャ語にしたものだが、ローマ帝国の時代になっても、国際言語はギリシャ語だった。パウロもイエスの教えを異邦に伝えるにあたり、ギリシャ語を使っていた。ゆえに、メシア教ではなく、キリスト教として、イエスの教えが広まっていく。

一方、12使徒はパウロの伝道に批判的で、ユダヤ人の他にイエスの教えを広めようという発想がなかった。しかし、44年、ユダヤの国の統治者ヘロデ・アグリッパによって、大ヤコブが斬首刑に処され、ペテロも捕えられる。ペテロは難を逃れたものの、エルサレムに危険を感じ、アンティオキア教会に逃れる。そこでペテロはパウロの伝道に理解を示すようになり、自らも異邦人の伝道に乗り出す。

パウロの伝道は、起源60年頃にはローマに達していた。ローマのキリスト教徒は、ローマ市民から得体の知れない存在とみられていた。教会の中で行なわれるキリスト教徒の信仰の様子が、外から見えないだけに、何か企んでいるのではないかと思われた節がある。誤解を受けて弾圧されるようになると、官憲の目を逃れてカタコンベのような地下墓地で礼拝をするようになるので、ますます気味悪がられる。

起源64年、ネロ帝の治世にローマの大火が起り、キリスト教徒が弾圧される。ネロが残虐な処刑を科した背景には、放火の罪というよりむしろ、人類敵視の反社会的集団、危険な集団と見なされていたがことある。

この時、パウロはローマにいた。パウロは逮捕され、斬首刑に処された。ペテロもまたローマにいた。ペテロは迫害を逃れるべくアッピア街道に向かった。そこにイエスが現れる。ペテロは「クオ・ヴァディス・ドミネ(主よ、どこに行かれるのですか)」と尋ねる。イエスは、「お前が私の民を見捨てるから、私はローマに行って十字架にかけられるのだ」と答えたという。そこでペテロはローマに引き返して、官憲に捕えられ、殉教を遂げる。その殉教の地が、現在のサン・ピエトロ大聖堂であるという。

処女の女から生まれるとか、死んで生き返るとか、キリスト教がさまざまな伝説に彩られていくのも、パウロによって始められた異邦人への布教の為でもあったようだ。


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テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『いまさら聞けない キリスト教のおバカ質問』 橋爪大三郎

《33の質問が導く人生の道案内!》

その三三の質問の、一番最初が「1 神さまはいますか」だからね。まったくキリスト教は二〇〇〇年もかけて、理屈を作ってきたわけだ。そして、整然とした理論体系を築き上げた。だけど、どんなに理屈を整えようと、宗教であれば必ず、証明不可能な一点がある。キリスト教の場合、それが《神の証明》ということになる。

キリスト教徒がいくら「神さまはいる」と言っても、その部分は「いる」、「いない」、「いる」、「いない」という水掛け論になる。キリスト教徒にしてみれば、「神さまは、本当はいない」なんて思いながら信仰を続けることなんてできないから、「いる」と信じるしかない。・・・まあ、それが信仰というものだ。

大三郎先生は、「神がいると思って生きる」か、「神がいないと思って生きる」かは、良い悪い、優劣のある問題じゃないとおっしゃるが、だってそちらの神さまは唯一絶対の方。この二〇〇〇年の間、逆らう者を皆殺しにして来た。

あれだけ皆殺しにしてきたんだから、もし「いる」のなら、その証明を試みようという姿勢を見せてもバチは当たらないと思うんだけどな。まあ、バチを当てるのは、うちの方の八百万じゃなく、キリスト教徒にとっては怖ーい唯一神だからね。これは当然、命がけということになる。

聖櫃をあけて、中の砂をかき混ぜて見せてよ。遠くで見てるから。

だいたい、キリスト教の成立に先行するヘレニズム時代は、ギリシャ以来の哲学から自然科学を中心にさまざまな学問が充実期を迎えていた。

そんな中、キリスト教は、「マリアは処女のまま妊娠した」だの、「イエスは十字架刑で死に、その後復活した」だの、わけの分からないことを言いだした。懸命に学問に勤しむ者にすれば、相手にするのも馬鹿馬鹿しいというところだったろう。世の中は、まともだったんだな。

ところが、そのキリスト教が、後にヨーロッパ精神世界を完全に牛耳ることになる。ヘレニズム以来、充実期を迎えた文化は、キリスト教会の復讐を受けることになる。

エピクロス学派なんて、徹底してやられた。エピクロスが“快楽”とした「徳と不可分な、節制に基づく、心の平安」を、後のキリスト教の教父たちは「放埒な生活を肯定する思想」と攻撃した。

まともな学問を踏み潰した。


『いまさら聞けない キリスト教のおバカ質問』    橋爪大三郎

文春新書  ¥ 880

キリスト教のことを考えると、いまさら聞けない質問・疑問がいくらでも出てくる
1 神さまはいますか
2 神さまはなぜ、世界を作りましたか
3 神さまは、男ですか、女ですか
4 神さまは毎日、何をしていますか
5 ユダヤ民族は、どういう人びとですか
6 モーセの十戒とは何ですか
7 預言者とは、どんな人たちですか
8 人間は、罪があるのですか
9 人間は、なぜ不完全なのですか
10 重い病気になるのは、罰ですか
11 なぜイエス・キリストが十字架で死ぬと、救われますか
12 新約聖書と旧約聖書は、なぜ一冊になっていますか
13 天使は、どんな存在なのですか
14 地獄は、どんなところですか
15 天国は、どんなところですか
16 死んだら、天国に行くのですか
17 本当に、復活するのですか
18 誰が救われて、誰が救われないのですか
19 洗礼を受けると、救われますか
20 神父と牧師は、どう違いますか
21 どの教会に行けばいいですか
22 教会に来るのは、よいひとですか
23 盗んだお金を、献金するのはいけないことですか
24 なぜある人は、天才ですか
25 科学の時代に、キリスト教は意味ありますか
26 クリスマスは、どんな日ですか
27 千年王国は、本当に来ますか
28 福音派は、どういう人びとですか
29 ユニタリアンは、キリスト教ですか
30 モルモン教は、キリスト教ですか
31 ユダは、悪い人だったのですか
32 なぜ日本では、キリスト教が広まりませんか
33 聖書はなぜ、世界のベストセラーなのですか


「1 神さまはいますか」で引っかかってちゃ、残り三二の質問が死んじゃうからね。

そういう面倒な話は、ちょっと棚の上に置いといて、先に進む。すべての“おバカ質問”を、上記の目次に紹介した。とても興味深い。これが“おバカ”であれば、私なんか、まさに“おバカ”。

《「おバカ」とは、とっても基本的で、大事で、勇気ある質問のこと。なにをいまさら、と思われがちなので、敬意を込めて、「おバカ」と呼びました。「おバカ」な質問ができるのは、立派なことです》

大三郎先生が「まえがき」に、このように書かれている。“おバカ”は立派だとのこと。素直に受け入れよう。

「22 教会に来るのは、よいひとですか」では、フェデリコ・フェリーニ監督の「道」という映画の話が出てくる。若い頃に見たんだけど、全然理解できてなかったな。ジェルソミーナは、神がザンパノに使わした天使なのだという。神はザンパノのような人間も身捨てていないというメッセージなのか。

「23 盗んだお金を、献金するのはいけないことですか」が面白い。

出来心で盗んだのなら、すぐ持ち主に返すべき。ただし、プロの泥棒なら返すはずがない。なにしろ泥棒を仕事にしているのだから。泥棒にしてみれば、それが収入ということになる。それが収入であるならば、そこから献金するのは当然のことになる。

人間生きていくために、さまざまな職業に就く。なかには、ちょっとどうかという職業もある。献金は、どういう手段で手に入れた収入であるかを問わない。収入があるなら、出さなきゃいけない。

「24 なぜある人は、天才ですか」も面白い。たまたま番号が並んだけどね。人間が生きることの、本質に迫っている気がする。ここではこれ以上述べないけど、圧倒的な唯一神という存在があればこそなんだな。そして、この部分、なぜか日本人も同調できるところがまた不思議。

キリスト教をかてにして生きている人が、世界にはまだたくさんいる。その人たちを理解するためには、“おバカ質問”を問い続けることが必要。

もちろん、相手を理解しようと努めるのは、お互い様のことであってほしいけどね。


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『ドロドロの聖書』 清涼院流水

聖書は、通して全部読んだことはない。

いろいろな本で紹介されている、おもしろそうな所をつまみ読みして、つまみ読みとつまみ読みを、できる限り繋げるように心がけた程度だな。巻末付録に《聖書を読みたくなった方のための読書ガイド》というのがあって、いく種類かの聖書が紹介されている。

私が今持っているのは、日本聖書協会出版の『口語聖書』ってやつで、これで二代目になる。一代目はずいぶん昔、まだ一人暮らしをしている頃だな。アパートの自分の部屋で、確かに少々酔っ払っていたんだけど、突然、こたつを挟んで向こうの壁に出現したゴキブリに、手にしていた聖書を投げてしまった。・・・これ以上は書けない。いくら本当のことでも、「買いてはいけない」と、誰かの声が聞こえる。

もしこれがコーランだったら、殺されちゃう程のことだからね。まあ、そんなわけで、二代目が必要になった。

著者の清涼院流水さん、はじめて聖書に挑戦したのは二〇〇九年だというから、そんなに前のことじゃない。それもなかなか頭に入ってこなくて、読みこなせるようになったのは二〇一六年あたりからということなので、それこそ“ついこの間”。その間、“聖書ガイド本”を片っ端から読んで基礎知識のベースが形成されていったこと、それからYou Versionという無料アプリとの出会いも大きかったそうだ。

You Versionというこのアプリは、聖書を日本語も含めて世界中の言語で読め、翻訳バージョンによっては音声が無料でついているんだって。朗読するのを気楽に聞き流すことができるという。これはいいね。世界中の言語で聖書に挑戦する気は、おそらく最初から持ってはいらっしゃらないだろうから、やはり朗読を聞けるというのが良かったんだろうね。

もう少し歳を取って、すべてに諦めがつくことがあったら、最後にこのYou Versionっていうやつを使って、聖書の朗読を聴いてみようかな。


『ドロドロの聖書』    清涼院流水

朝日新書  ¥ 869

それはどろどろの愛憎劇だった!世界を理解するために必要な教養としての聖書入門
第1章 イスラエルの族長たちの愛憎劇
第2章 イスラエル建国以前の愛憎劇
第3章 ダビデとソロモン時代の愛憎劇
第4章 王国分裂と捕囚時代の愛憎劇
第5章 救世主をめぐる愛憎劇


『どろどろ聖書』とは、おかしな題名をつけたもんだ。

でも確かに、聖書に書かれている内容は、どろどろだな。どろどろだし、ドタバタだし、グズグズだし、グタグタだ。まったく、どうしようもない。民族の英雄ダビデにしてグタグタなんだから、一般大衆がどうだったか、“推して知るべし”というところだ。

事実、世話になった神さまを平然と裏切って、牛を拝みはじめる。自分の身を守るために、妻を妹と嘘をついて、王様に召し上げられてしまう。有能な部下の妻に懸想して懇ろになり、部下を戦死するように仕向ける。父親に酒を飲ませて眠らせ、泥酔している間に交わって妊娠する娘。母親違いとはいえ、妹を手込めにする兄。弟を殺そうとする兄。臨終近い父親を騙して、兄に譲られるべき家督を横取りする弟。

神さまの疑い深さにも辟易としてしまうけど、あれだけ人間に好き放題やられると、あのぐらい用心しないとね。神さまが人間に足元すくわれてちゃ、話にならないからね。だけど、そう思わされるくらいに、人間っていうのは、どろどろだし、ドタバタだし、グズグズだし、グタグタ。

ローマ帝政時代の神学者で、キリスト教信仰を確立した教父アウグスティヌスの言葉が紹介されている。

《新約は旧約の中に秘められ、旧約は新約の中で解き明かされる》

どうも、分かるようで、分からない言葉だな。清涼院流水さんはそれを、「推理小説に当てはめるなら、旧約聖書は世界のありとあらゆる謎が提示される“問題編”であり、新約聖書は中心的な事件の真相が解き明かされる“解答編”」と言っている。どうやら、どろどろだし、ドタバタだし、グズグズだし、グタグタな愛憎劇にも、その向こう側に、神の教えが隠されているんだな。

この本は、「どろどろの聖書の愛憎劇の中から、特にインパクトのあるものばかりを厳選して五一本集めた、いわばベスト・セレクション」だそうだ。「どろどろの愛憎劇だけを集めた聖書ガイド」というのは、他にないそうだよ。

そうそう、もう一つ、清涼院流水さんの姿勢が、この本に現わされている部分がある。なじみのない人名や地名がたくさん登場することが、聖書に挫折する原因ではなかったかと、そこに注意を払っているということだ。

たとえば、ヨハネ、パウロ、ルカ。これを英語読みすると、ジョン、ポール、ルークとなる。ジョンとポールならザ・ビートルズ。ルークならスターウォーズ。そう連想することができれば、それまでになかった親しみが、聖書に対して湧いてくるのではないかと考えたようなのだ。

他にも、拾ってみる。
リベカ→レベッカ ラケル→レイチェル ダビデ→デイヴィッド アブラハム→エイブラハム イサク→アイザック ヤコブ→ジェイコブ イエス・キリスト→ジーザス・クライスト

なるほど、だいぶ近くなった気がするぞ。


テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『キリスト教から読みとける世界史』 内藤博文

国会議員で議員辞職するやつが出たらさ。その分の議員を補うのをやめて、議員定数を削っていくっていうの、どうかな。議員どうしで助け合うようになったりしてね。

以前読んだ本で、ローマ教会が“平和”を定義していることを知った。

それは、ローマ教会が1965年の第2バチカン公会議で採択した《現代世界憲章》の一節で、ローマ教会による平和の定義と考えて良いものだそうだ。以下のようなものである。

『平和とは、人間社会の創立者である神に寄って社会の中に刻み込まれ、常により完全な正義を求めて人間が実行に移さなければならない秩序の成果である。』

どうやらそれは、すでに神によって、人間社会に刻み込まれているんだそうだ。しかし、不完全な人間には、社会に刻まれているはずの平和の完全な姿を、社会に実現することは出来ない。だからこそ、常に追い求めなければならないものだと言うことのようだ。

それは、ほとんど、プラトンのイデアだな。

完全無欠の創造主という想定を、なんかの理由で受け入れてしまった人間は、その代理人が、いかに無理難題をふっかけてこようと、決してそれを拒否することは出来ない。

エピクロス派が笑い飛ばした天地創造を、処女懐胎を、イエスの復活を、最後の審判を受け入れてしまった以上、それを上回る無理難題は、もはや地球上には存在しない。そうなるともはや、平静な心を“快楽”として追い求めたエピクロス派を、肉体的な快楽を追い求める怠惰な快楽主義者と貶めた、ローマ教会の側に立つしかなくなる。

いったい何でこんなことになってしまったのか。

その理由は、ローマ帝国の混乱であった。キリスト教がローマ帝国亡いに浸透していくのは3世紀のことであった。紀元前8世紀に源を求めることが出来るローマは共和政体で力をつけ、拡大し、拡大したがゆえに共和政体では維持出来なくなっていた。しばらくの混乱の後、紀元前1世紀にカエサルというカリスマの登場をきっかけに、ローマは帝政に移行する。

皇帝の、突出した力による支配が、ヨーロッパからアフリカ、アジアにまで拡大したローマを、安定に導いた。ローマ皇帝は、軍事指揮官として力を発揮し、民衆に「パンとサーカス」という食料と娯楽を、つまり充実した人生をもたらした。皇帝は、民衆にとって、人生の喜びを約束する存在であった。


KAWADE夢新書  ¥ 968

キリスト教から世界史のトピックを読み直せば歴史の核心がわかる!
1章 弱小だったキリスト教が、なぜローマ帝国の国教になれたのか
―迫害からの出発編
2章 「カールの戴冠」で優越を示すもローマ教皇の受難は続く
―教会権力の確立編
3章 神聖ローマ皇帝の枷がはずれ、教皇は“神の敵”排撃へと向かった
―絶頂の十字軍編
4章 フランスの干渉・ペスト・腐敗で凋落するカトリックと勃興する新教
―教会大分裂~宗教改革編
5章 “国家の時代”に抗った教皇は愛想をつかされ、自ら「囚人」に
―イタリア統一と政教分離編
終章 世界は、なぜ再びローマ教皇を必要としつつあるのか
―「平和の使徒」編


私は歴史オタクで、すでに中学校の頃、帝政ローマ期の“五賢帝”を、すでに暗唱していた。“ネルヴァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニウス・ピウス、マルクス・アントニウス・アウレリウス”と念仏のように唱えて、ニヤッとしていた。

その五賢帝”最後の皇帝、マルクス・アントニウス・アウレリウスのあと、コモンドゥスが即位した180年頃から、すでにローマの不安定化は始まっている。

すでにハドリアヌスの頃から酷くなりつつあった北方ゲルマン民族の侵入は、もはや押しとどめようもなくなり、アジア方面でもパルチアやササン朝ペルシャとの国境紛争も激化していた。敗戦は皇帝の権威を失墜させた。およそ100年後、ディオクレティアヌスが即位して一時的に混乱を収束させるまでに、28名のローマ皇帝が入れ替わった。

次第に、キリスト教は、人々に人生の喜びを提供する存在ではなくなっていったのだ。それに入れ替わるように、キリスト教が人々の心を支え始めた。

キリスト教は、イエスの復活を信じるものは救われるという、パウロが広めた教えだが、精神的な支えになったのは、イエスの生涯であった。イエスは常に、弱き者、貧しき者、小さき者の立場にたった。ローマに浸透していったキリスト教も、貧しい者や女性をいたわり、病人を看護し、死者を手厚く葬った。

3世紀、外から持ち込まれたマラリアをはじめとする病が、ローマの人々を苦しめた。キリスト教は、病人の治療に当たり、路上に放置され、誰も近づきたがらない遺体を手厚く葬ったのだ。次第にローマ人も、そんなキリスト教を受け入れ、逆に神を信じなければ天罰が当たると、恐れもした。

ローマ教会の権威が確立向かうのは10世紀以降である。実はそれにはわけがある。

この時期、実はローマ教皇は、大きな力を持ったドイツのオットー大帝の風下に立たされた。ヨーロッパはヴァイキングの襲来で、恐怖のどん底に陥れられた。その恐怖が、キリスト教信仰を深化させていった。

ヨハネの黙示録には、イエスの処刑後1000年間はイエスと聖人の時代であり、その後、サタンが獄から解放され、天から火が降ってくると預言されていた。全てが焼き尽くされた後に、最後の審判が待っている。

ヴァイキングの襲来は、まさにサタンの時代の到来ととらえられた。

あれ?

釈迦の入滅ののち、正法、像法の時代を経て、仏の教えが衰退する末法の時代を迎え、56億7000万年後に弥勒菩薩が現れるまで続く。

やはり、ヘレニズムで古代の思想はシャッフルされている。

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『謎解き 聖書物語』 長谷川修一

新型コロナウイルスに感染すると、高齢者ほど重症化しやすいそうだ。古い方からいなくなるのは順番通りではあるが、弱いものいじめのようにも感じる。

古い人たちは、昔のことを知っているというだけですばらしい。聞けば、私が入居する前の、この町のことをよく話してくれる。伝えておきたいことがある。十字路の、交差する大きな道を斜めにつなげる小さな道がある。左折車が、正面が赤信号に変わりそうだと、その斜めの道に入って、信号待ちを回避するのに使ったりする。ところが、この自治会が始まった頃は、その小さな道こそが本来の通りだったんだという。小さな道しかなかった当時は、駅に出るのも大変だったとか。

知ってることは、あとから来る者に伝えておきたいものだ。小さな自治会でも、そんな記憶はいくらでもある。人類の記憶となると、それは計り知れない。

最古の物語の一つに『アトラ・ハシース』というのがある。紀元前一八世紀に記されたもので、アッカド語が楔形文字で書かれている。「最高の賢者」という意味がある。神々による宇宙と人間の創造、人口を減らすための干ばつや飢饉、そして洪水の物語が記される。

数が増えすぎて騒々しくなった人間を減らそうとする神々、中でも最高の力を持った神エンリルは、洪水を起こして人間を滅ぼそうとした。しかし、知恵の神エアは、このことをアトラ・ハシースに教え、方舟を作らせる。アトラ・ハシースはできあがった方舟に家族と動物たちを乗せる。洪水は七日間続き、水が引いたあとに、アトラ・ハシースは生け贄を神々に捧げる。



『謎解き 聖書物語』   長谷川修一

ちくまプリマー新書  ¥ 929

旧約聖書につづられた物語は史実なのか、それともフィクションなのか?
第1章 アダムとイブ―人類誕生の謎
第2章 ノアの方舟―試行錯誤する神
第3章 バベルの塔―文明へのまなざし
第4章 出エジプト―それは本当に起こったのか?
第5章 ダビデとゴリアテ―永遠のヒーロー誕生


『アトラ・ハシース』よりもさらによく知られる最古の物語に『ギルガメッシュ叙事詩』がある。ギルガメッシュはウルクという都市国家の王で、三分の二が神、三分の一が人間という英雄として描かれる。物語はギルガメッシュと親友エンキドゥの出会い、二人の冒険、そしてエンキドゥの死へと続く。

エンキドゥの死に衝撃を受けたギルガメッシュは永遠の命を探す旅に出る。その旅でギルガメッシュは、大昔に起きた大洪水を生き残り、神々のように不死の存在になったウタ・ナピシュティのところにたどり着く。

ウタ・ナピシュティは大昔に自分が体験した大洪水のことを話す。その話は、『アトラ・ハシース』で語られる洪水の話とほぼ同じ。洪水の水は七日目に引き、方舟は山に漂着する。ウタ・ナピシュティはハトを飛ばすが、ハトは戻ってきてしまう。次にツバメを、ツバメが戻ってくると、次はカラスを飛ばす。カラスは戻ってこない。ウタ・ナピシュティは神々に捧げ物をする。

ギルガメッシュは洪水の話の後で、ウタ・ナピシュティから若返りの草の話を聞き、その草を手に入れる。しかし、ギルガメッシュが水浴びをしている間に、一匹の蛇にその草を奪われてしまう。

旧約聖書のノアの方舟の話は、古くから西アジアに伝わっていた物語を基礎として、それを自分たちの物語として書き直したものと思われる。

紀元前一二世紀以降に書かれた『ギルガメッシュ叙事詩』が最もよく知られると書いたが、これを標準版と読んでいる。最初に標準版が記された粘土板が発見されたのは、紀元前七世紀に西アジアの広い地域を収めていたアッシリア王アッシュール・バニパルが首都ニネヴェに建設した図書館の遺跡であるという。

アルファベットと違い数百の文字からなる楔形文字に習熟するのは大変なことで、正確に読み書きするには長い時間をかけて学習する必要があった。その習熟のために、メソポタミアの古典文学が教材として使われていたと考えられている。メギドという古代遺跡からは、紀元前二〇〇〇年記の『ギルガメッシュ叙事詩』の刻まれた粘土板が発見されている。

メソポタミアという言葉には、二つの川の間の土地という意味がある。ティグリス川とユーフラテス川である。ともに今日のトルコ東方の山岳地帯に源流がある。この山岳地帯は三〇〇〇メートルを越え、冬には雪が積もる。それが春になると解け、川は水量を増し、時には洪水となってメソポタミア地方を襲った。当時の都市国家は、両河川の流域にあり、これらの洪水の影響を受けていたものと考えられ、同時に洪水は、上流の森林地帯の肥沃な土を運んだ。しかし、現在までのところ、メソポタミア地方全体に影響を与えるような大洪水が発生した証拠は見つかっていないそうだ。

二〇〇〇年記に書かれた『ギルガメッシュ叙事詩』の中に書かれた洪水伝説も、遠い昔の大災害の記憶として語られている。研究者の中には、これを氷河時代の終わりの海面上昇と結びつける人もいるという。

洪水は、人類を滅ぼしてもおかしくなかった。しかし、ごくわずかに神に認められた者がいて、その者だけが神の恩恵にあずかって助かった。そこからまた、新しい人類の歩が始まった。だから語られるのは、神に認められたという自分たちの正当性であって、災害への注意喚起とは違う。

基本的に神話は、そのようにして語られる。



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創世記『謎解き 聖書物語』 長谷川修一

『旧約聖書』は、イスラエルの人たちがある時代に征服したといわれる都市の名を列挙してるけど、それらの都市の遺跡を発掘したという。ある都市では確かに破壊された痕跡があったけど、多くの都市では破壊の痕跡はまったく見つからなかったそうだ。ときには、その時代には、そこには人が住んでいなかった場所もあったそうだ。つまり、聖書に書かれたことは、必ずしも過去に実際に起ったことではないということ。

聖書に書かれた史実ではないできごとは、史実ではなくても、書いた人にとっては、そこに書いておくことが必要だった。聖書の研究っていうのは、そういう見地でやっていくもんなんですね。

旧約聖書においては、まず“創世記”が冒頭にある。私たちは、そこで神によって創造された世界の成り立ちをしり、まるで歴史を追いかけるようにして、人類がこの世界に広がっていく様子を見る。

でも、本当はそうじゃない。旧約聖書のなかで創世記が最古の書物であるわけではない。そんなことを言われると困ってしまう。いったん、旧約聖書の物語を歴史を追いかけるように理解してしまうと、「最初の話はあとから書かれた」なんて言われると、「“最初”がなければ“あと”が生じるはずがない」なんて、頭が混乱してしまう。

つまりは、「出エジプト記」が古い時代に書かれていて、新しい時代、なんかしらイスラエルの人々に大きな出来事があって、その出エジプト記よりも前に、出エジプト記以降の内容に食い違いが出ないように、創世記を付け足すことになった。・・・そういうことか。
この世界と人間は神様が作ったんだよ。

でも、人間は悪いことばっかりやってたので、神様は一度、ノアの家族以外の人間を滅ぼしたんだ。

かつて人間は広く世界に広がらず、協力してバベルの塔を作ろうとしたが、神様が人々の言葉を乱し、お互いの言葉が通じないようにしたので、広く世界に広がることになったんだよ。

人々の中でもずっと神への信仰を忘れなかったアブラハムから、また新しい神と人との関係が作られていったんだよ。

そして、イサク、ヤコブ、ヨセフと神と人との物語が続けられていったんだよ。
・・・とした上で、第二章《出エジプト記》に続くってことになるんだけど、実は上記の創世記は、出エジプト記やその後の話に矛盾を来さないように、あとから書かれて一番最初に置かれたと。


『謎解き 聖書物語』   長谷川修一

ちくまプリマー新書  ¥ 929

旧約聖書につづられた物語は史実なのか、それともフィクションなのか?
第1章 アダムとイブ―人類誕生の謎
第2章 ノアの方舟―試行錯誤する神
第3章 バベルの塔―文明へのまなざし
第4章 出エジプト―それは本当に起こったのか?
第5章 ダビデとゴリアテ―永遠のヒーロー誕生


なんでそんな、めんどくさいことになったのか。その景気になったのは、《バビロン捕囚》っていう出来事のようですね。

紀元前五八六、強国新バビロニアのネブカドネザル二世によりエルサレムを破壊され、支配層は軒並み新バビロニアの首都バビロニアに連行された。幽囚生活は紀元前五三九にアケメネス朝ペルシャが新バビロニアを滅ぼすまで続くんだけど、バビロニアで幽囚生活を送るユダヤ人はビックリしちゃったわけだ。なにしろそこは、メソポタミア文明の中心地だからね。

自分たちは異なる、思いもよらない高度な文明が、そこには展開されているわけだ。自分たちの故郷であるエルサレムなんか比べ物にならないくらい物にあふれている。人々は都会人で、立ち居振る舞い、物の考え方もスマートで、いかにも自分たちがみすぼらしい。宗教だってそう。自分たちの信仰が煤けて見えてくる。

あまりに高度な文明に圧倒されて、すっかりバビロニアの色に染められて、ユダヤ人がユダヤ人でなくなっていく。どうやら一部の人たちが、そのことを恐れたようだ。

これまでユダ王国の人々が信仰してきたのは、自分たちの民族の神。昔から自分たちの神だったヤハウェという神。この時点で、ヤハウェは唯一神ではない。ユダ王国の、イスラエル人の神であるに過ぎない。

国が負けて滅びるというのは、神の敗北も意味した。ヤハウェという神を消滅させないためには、ヤハウェは自分たち民族だけの神ではなく民族を超えた神と昇華させなければならない。そうすればヤハウェへの信仰を守れるし、ヤハウェがバビロニアの神であるマルドゥクに負けたと考えなくても済むようになる。

ただそれだと、ヤハウェへの信仰を維持しているイスラエル人の国が異教の神を信仰するバビロニア人に負けたのか、説明がつかない。そこで導き出されたのが、自分たちがヤハウェの教えを守らなかったから罰を下した。バビロン捕囚の苦難は、これを乗り越えて本来に信仰を取り戻すまで、イスラエル人にヤハウェから与えられた試練である。そういう考えだな。

神に選ばれて、祝福されるが、未熟ゆえに神の教えに背き罰を与えられる。《これまでもそうだった》って話が、創世記として、前に付け加えられたわけだ。「今度の試練も、選ばれた民だからこそ、ヤハウェから与えられた」ってね。





テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『謎解き 聖書物語』 長谷川修一

連れ合いと一緒になって三十五年もたっちゃった。子どもは二人。女の子と男の子。娘は結婚して、今は二人のこのお母さん。一時間ほどのところに住んでいる。息子は滋賀県の会社に就職して、家を出た。家は埼玉なんだから、なにも滋賀県まで行かなくてもいい会社はいくらでもあったろうに。・・・まあ、そこに行きたいっていうんだから仕方がない。向こうで大阪のいい娘を見つけて、今度一緒になるらしい。

誰でもがそうだったように、私たちは歳をとった。父母も、祖父母も、・・・なにも、アダムとイブまで逆上ることもないんだけど、せっかくこんな本を読んだんだからね。

私は父と母によって作られたんだけど、アダムは土から作られた。土のことをヘブライ語でアダーマーというらしい。アダーマーから作られたアダムには、英語のtheに当たる定冠詞がつくという。I am Adam.ではなく、I am the Adam.であれば、アダムは《アダムちゃん》とか《アダムくん》といった名前、固有名詞ではない。アダムは一般名詞、「ひと」と訳すべき言葉だって。

《うめよ、ふえよ、地に満ちよ》そして、“大地を従わせる”のが、神が人に与えた指名。これを自然を支配して好きに使っていいと取ることも可能である。ただこの本では、同時に、《ヤハウェは彼をエデンの園から追い出し、彼がそこから取られた土に従わせた》とあるそうです。人は大地を従え、同時に、大地に使える存在なんだな。

聖書にはいろいろなことが、いろいろな方角から書かれているから、部分を取り出して、自分の好きなように解釈することもできるわけだ。

では、イブは。イブはどうか。

イブは、アダムのあばら骨から作られた。男と女はやっぱり違うんだな。西アジアの古代において、男と女ってそう捉えられていたんだ。つまり、男のために女が作られた。イブはヘブライ語でハヴァー。意味は命だそうです。女にふさわしいと思う。

イブは賢い蛇にそそのかされて、善と悪とのを知る樹からその実をとって食べた。アダムもイブから実をもらって食べた。神に知られると、アダムは「あなたが私と一緒にいるようにと与えた女が私にその樹からくれたので食べた」と言い訳をする。

この言い訳、見苦しいね。女が悪い。もとはと言えば、その女を私に与えたあなたが悪いって言ってるんだから。なんだか最近、そんな見苦しい言い逃れを、いくらでも聞いているような気がする。

これが、彼らがエデンを追放される理由になるわけだけど、この物語を書いた人は、人間っていうのはそういうもんだっている認識を、ここに書き記す必要があると考えたんだね。


『謎解き 聖書物語』   長谷川修一

ちくまプリマー新書  ¥ 929

旧約聖書につづられた物語は史実なのか、それともフィクションなのか?
第1章 アダムとイブ―人類誕生の謎
第2章 ノアの方舟―試行錯誤する神
第3章 バベルの塔―文明へのまなざし
第4章 出エジプト―それは本当に起こったのか?
第5章 ダビデとゴリアテ―永遠のヒーロー誕生


アダムとイブの出会いのあと、聖書には、《男はその父と母とを捨てて、彼の女と結びつき、ひとつの肉となる》とあるそうです。そう、あえて「捨てる」という強い表現は、まさしく“あえて”使われたものだろう。私もかつて、今の連れ合いと一緒になって、新しい世帯を持って、親から離れたんだ。

ただ、完全に捨てられるわけじゃない。適度な距離を保ちつつ捨てたんだな。そして捨てつつも、関係を保ち、彼らが死ぬまでその関係を続けていく。最後の面倒を見るのがけっこうきついこともあるけど、家の場合は、なんとか面倒を見切った。もう、彼らはいなくなった。

娘も、そして今度は息子も、私たちを捨てていけばいい。どんな捨て方になるかは、その時代によるだろう。何でも受け入れるよ。

アダムとイブ、人と命は人類の代表。この本の著者も言ってるけど、彼らの行動、彼らの思考は、人類が誰でもそうである可能性があるということ。

仲間とあって喜ぶ
他人から誘惑されるとそれに屈してしまう
それが露見すると人のせいにしようとする

そんな存在だけど、人は神に祝福され、パートナーとともに日々自然の世話をしながら自然の産物を食べ、子どもを生み、そして人生を全うして死んでいく。

いいじゃないか。私は大半の役割は果たし、あとは人生をまっとうするのみだな。
 



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ジャンル : 本・雑誌

『ゼロからわかるキリスト教』 佐藤優

《フランダースの犬》で、ネロがアントワープ聖母大聖堂で、どうしても見たかったルーベンスの絵を見ることができたとき、彼は神の愛に満たされていることを実感していたろう。神を信じてるわけでもないのに、ネロがそういう状態にあることは、疑えなかった。

イスラム国につかまって殺された後藤健二さん。佐藤さんと同じ、日本基督教団に属しているんだそうです。そういう立場で、佐藤さんが後藤さんに言及しているのね。

ジャーナリストとしての実績もあり、その前に拘束された湯川さんのことも前から知っている。日本政府も、NPOも助けに行けない。マスコミも世論も、どこか湯川さんを「しょうがねぇな」扱いにしている。

ちょっと変わったところのある人だけど、日本から遠く離れた砂漠の中で、一人殺されようとしている。放っておけば、誰からの手も差し伸べられないまま、間違いなく殺される。万が一の可能性しかないけど、自分が交渉に立てば、この人を助けられるかもしれない。だけど、自分が殺されたら残された妻や、生まれたばかりの子をどうする。

佐藤さんは、《後藤さんは召命を受けた》と言うんです。神に召し出されたと。召命は、《外部から、超越的な声が聞こえる》って言うんです。そして、召命に従うことは、《義務なのだ》と。

あの時の、後藤さんの、悲壮感にあふれながら、しかも堂々とした、・・・武士のような表情。ネロと同じく、後藤さんも、神とともにあったということか。

佐藤さんにも、聞こえたことがあるって。そうあの時、鈴木宗男さんとのできごとの時。



新潮社  ¥ 1,296

神の居場所を知っていますか? 全日本人の弱点・キリスト教の核心を早わかり!
第一夜  神はどこにいるか?
第二夜  神の声が聞こえるとき
附録  ヘーゲル法哲学批判序説 カール・マルクス


《宗教がアヘン》であるなら、宗教がある以上、人はそれに酔わせられ続けることになる。酔った人間は、自分が鎖につながれたことさえ気づくことができない。しかし、アヘンは取り上げられた。それは、鎖につながれた現実に絶望させるためではなく、鎖から解き放たれる希望に奮い立たせるため。

ガリレオ・ガリレイらの時代、神は居場所をなくしたんだって。カトリックは、新知識に圧力を加えて、見ないふりをしたけど、プロテスタントはフリードリヒ・シュライエルマッハーによって、神の居場所を外部から“人間の心の中”に転換することに成功した。

さらに、カール・マルクスは、神に対する観念の分水嶺になる。「宗教が人間を作ったのではなく、人間が宗教を作った」というマルクスの宗教批判は、現代の神学者が神を語るときの前提で、当たり前のことなんだって。
・・・どうも最近、読んでみると、「書かれていることが思ってたのと違う」ってことが多い。“神”に関して、いろいろな人の考えが引用されてくるんだけど、カール・バルト、ディートリヒ・ボンヘッファーなど、ほとんどの神学者は、名前さえ知らない。

もともと、佐藤さんはわかりやすく書ける人で、“セクハラ・パワハラ”へのたとえであるとか、“妖怪ウォッチ”のたとえであるとか、“アダムとイブの原罪”であるとか、おもしろく書いてくれるので何とかついていったって感じ。ただ、《キリスト教がゼロからわかった》っていう実感はない。これじゃあ、本の紹介になってないな。その点、題名が張ったりかまし過ぎ。 ・・・お前の方に原因があるんじゃないかって? ・・・ごもっともで。

カトリック世界という枠組み、共産主義社会という枠組み、そしてイスラム国という枠組み。その世界にはその世界特有のルールがあって、“民主主義社会”という枠組みのルールは、そこでは何の意味も持たない。ときには“独裁”が称賛され、異教徒の処刑は合法であり、異教徒の女を奴隷のするのは当たり前である。こういう考え方は、甘えを取り去ってくれるね。

「民主主義は嫌いだけど、ほかの方法よりも、まだまし」って、チャーチルがそんなこと言ってたっけ。




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『キリスト教と戦争』 石川明人

キリスト教の大きな転機は、やっぱりコンスタンティヌス帝によるミラノ勅令と、テオドシウス帝による国教化だよね。変な話だけど、それ以前のキリスト教は、ローマ帝国の中で、時には迫害を受けながらも、だからこそキリスト教徒であることを貫くことができた。
キリスト教徒がローマの軍団にいたことを示す証拠のもっとも古いものは、一七三年のものだそうだ。危機に貧したマルクス・アウレリウス・アントニウス帝時代のローマ軍の中に、キリスト教徒がいた。そのキリスト教徒の祈りによる雨で軍団は危機を脱し、敵は稲妻によって敗走したという記録があるんだそうだ。
しかしその後、ローマの軍団の中での、キリスト教徒の殉死が問題になっていったようだ。それは、キリスト教徒の兵役の拒否という問題でもある。彼らがローマ軍兵士として戦うよりも殉死を選び、または兵役を拒否して死を選んだ理由は、けっしてキリスト教徒としての愛ゆえに、戦いを由としなかったということではなく、どうやら、「軍隊の誓い」によって神格化された皇帝を崇めることを拒否したらしい。
ところが、ミラノ勅令の翌年、三一四年になると、すでに兵役はキリスト教徒にとって何の違和感もないものになっていたようだ。逆に、キリスト教徒の兵士の脱走は非難の対象になったらしく、教会から破門の罰をくだされたらしい。
いずれにしろ、“愛の教え”は、キリスト教徒にとって、大したことではなかったようだ。

『キリスト教と戦争』    石川明人
中公新書  ¥ 886

アウグスティヌス、十字軍、ルター・・・、キリストの兵士よ 戦え❢
序章  キリスト教徒が抱える葛藤と矛盾
第一章  ローマ・カトリック教会のとく「正当防衛」
第二章  武装するプロテスタントたち
第三章  聖書における「戦争」と「平和」
第四章  初期キリスト教は平和主義だったのか
第五章  戦争・軍事との密接な関係
第六章  日本のキリスト教徒と戦争
終章  愛と宗教戦争


“キリスト教徒は、本質的に戦闘的である”というのは、たしかに、思い返してみれば著者の言うとおりだ。イスラム教もそうだしね。一神教であるということ自体が、戦闘的でなければならない原因になっているのだろう。
キリスト教社会が、信仰を盾に正義を主張し、残虐な振る舞いに及んだ事実を歴史に求めようとすれば、それこそきりがない。本書で具体的に取り上げられているのは十字軍だけだけど、キリスト教と暴力の問題を考えるなら、それだけでも十分ということか。たしかに、それはそうだ。
カタリ派や魔女狩りなどの異端審問、ユダヤ人の弾圧、レコンキスタ、インディオやインディアンの虐殺、奴隷貿易・・・。キリスト教社会の歴史は、いつも神の正義を貫いてきた。神の正義を貫くための戦いが信仰なら、信者の生活は様々な戦いに彩られている。

《信仰は精神的な闘争》
《キリスト教徒にとってこの世は、病気や死、そして悪魔から襲撃されている戦場》
《修道士はキリストに従う兵士》
《兵士が武器を捨て修道士や聖職者になることは、彼が戦死をやめるということではなく、より高いレベルの戦士となることを意味する》
《修道院の禁欲生活は軍務の一形式としてイメージされ、厳格なルールのもとで“共に闘う”ことにおいて、明らかに軍隊との類似性がある》
武器を捨て、暴力を禁止された聖職者においてすら、戦闘的精神は、信仰と全く矛盾することなく生き続けた。だからと言って、キリスト教だけがことさら血なまぐさいというわけでもない。一神教が対立の一因となりうるのは否定できないが、多くの場合、原因は他にある。人の都合で神さまの許可が偽造されるので、悪いの神さまではなく、その許可証を偽造した人間の方だ。
偽造した人間にしてみても、“信仰”にそれだけの価値がなければ、偽造すること自体なんの意味もなくなってしまう。だから、素晴らしい神さまでいてもらわなきゃいけないし、素晴らしい信仰であってもらわなきゃいけない。だから、《キリスト教は愛の宗教です》という看板は、おろすわけにはいかない。




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聖別せよ(覚書)『キリスト教と戦争』 石川明人

直ちに、[敵の]子供たちのうち、男の子は皆、殺せ。男と寝て男を知っている女も皆、殺せ。女のうち、まだ男と寝ず、男を知らない娘は、あなたたちのために生かしておくがよい。
(民数記31:17)
ヘト人、ギルガシ人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人をあなたの前から追い払い、あなたの意のままにあしらわさせ、あなたが彼らを撃つときは、彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。彼らと協定を結んではならず、彼らを憐れんではならない。
(申命記7:1)
行け。アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない。
(サムエル記上15:3)
主が課せられた勤めを  おろそかにするものは呪われよ
主の剣をとどめて  流血を避けるものは呪われよ
(エレミア書48:10)

『キリスト教と戦争』    石川明人
中公新書  ¥ 886

アウグスティヌス、十字軍、ルター・・・、キリストの兵士よ 戦え❢
ある町を攻撃しようとして、そこに近づくならば、まず、降伏を勧告しなさい。もしその町がそれを受諾し、城門を開くならば、その全住民を強制労働に服させ、あなたに使えさせねばならない。しかし、もし降伏せず、抗戦するならば、町を包囲しなさい。あなたの神、主はその町をあなたの手に渡されるから、あなたは男子をことごとく剣にかけて撃たねばならない。ただし、女、子供、家畜、および町にあるものはすべてあなたの分捕品として奪い取ることができる。あなたは、あなたの神、主が与えられた敵の分捕品を自由に用いることができる。このようになしうるのは、遠く離れた町々に対してであって、次に上げる国々に属する町々に対してではない。あなたの神、主が嗣業として与えられる諸国の民に属する町々で息のあるものは、一人も生かしておいてはならない。
(申命記20:10)
角笛が鳴り渡ると、民は鬨の声を上げた。民が角笛の音を聞いて、一斉に時の声を上げると、城壁が崩れ落ち、民はそれぞれ、その場から町に突入し、この町を占領した。彼らは、男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くした。
(ヨシュア記6:16)
五人の王がヨシュアの前に引き出されると、ヨシュアはイスラエルのすべての人々を呼び寄せ、彼とともに戦った兵士の指揮官たちに、「ここに来て彼らの首を踏みつけよ」と命じた。彼らは来て、王たちの首を踏みつけた。ヨシュアは言った。「恐れてはならない。おののいてはならない。強く、雄々しくあれ。あなたたちが戦う敵に対して主はこのようになさる」ヨシュアはその後、彼らを打ち殺し、五本の木にかけ、夕方まで晒しておいた。
(ヨシュア記10:24)

ここにあげてあるのは、本書第三章《聖書における戦争と平和》で紹介されている聖書の言葉。その前半部分には敵を根絶やしにするまで破壊することを命じる神の言葉が、後半には限りない愛を説くイエスの言葉が並ぶ。

しかし、イエスの愛も、戦争や暴力の完全否定に言及はしていない。つまり、キリスト教は、「愛」と「暴力」が矛盾するものとは考えていないのである。

読めば読むほど不愉快になるね。しかも、申命記(20:10)に至ってはさあ。これは、主の民が降伏を勧告し、攻め込もうとしているのは、“日本”じゃないか。これから主の民たちは日本に対してポツダム宣言を発表する。「男は皆殺しにし、女は慰みものにされる」っていうのは、昔からそうなんだな。インディアンに対してやフィリピンでやったのがはじめてじゃないんだな。そんな降伏を受け入れられるわけがない。

ヨシュア記にあるように、彼らの神には、的に対して敬意を払うなんて考えはさらさらない。日本ではそういうのこそ、野蛮と言うんだけどね。結局負けちゃったから、本当にその野蛮にさらされることになる。本音を言えば、神の言うとおりに“男は皆殺し”、“女は慰みもの”、“天皇はさらし首”にしたかったんだろうけどね。やっちゃったら、戦後世界をまとめられなくなるからね。
  1. われわれ、米合衆国大統領、中華民国主席及び英国本国政府首相は、われわれ数億の民を代表して協議し、この戦争終結の機会を日本に与えるものとすることで意見の一致を見た。
  2. 米国、英帝国及び中国の陸海空軍は、西方から陸軍及び航空編隊による数層倍の増強を受けて巨大となっており、日本に対して最後の一撃を加える体制が整っている。この軍事力は、日本がその抵抗を止めるまで、戦争を完遂しようとする全ての連合国の決意によって鼓舞されかつ維持されている。
  3. 世界の自由なる人民が立ち上がった力に対するドイツの無益かつ無意味な抵抗の結果は、日本の人民に対しては、極めて明晰な実例として前もって示されている。現在日本に向かって集中しつつある力は、ナチスの抵抗に対して用いられた力、すなわち全ドイツ人民の生活、産業、国土を灰燼に帰せしめるに必要だった力に較べてはかりしれぬほどに大きい。われわれの決意に支えられたわれわれの軍事力を全て用いれば、不可避的かつ完全に日本の軍事力を壊滅させ、そしてそれは不可避的に日本の国土の徹底的な荒廃を招来することになる。
  4. 日本帝国を破滅の淵に引きずりこむ非知性的な計略を持ちかつ身勝手な軍国主義的助言者に支配される状態を続けるか、あるいは日本が道理の道に従って歩むのか、その決断の時はもう来ている。
  5. これより以下はわれわれの条件である。条件からの逸脱はないものする。代替条件はないものする。遅延は一切認めないものとする。
  6. 日本の人民を欺きかつ誤らせ世界征服に赴かせた。すべての影響勢力及び権威・権力は永久に排除されなければならない。従ってわれわれは、世界から無責任な軍国主義が駆逐されるまでは、平和、安全、正義の新秩序は実現不可能であると主張するものである。
  7. そのような新秩序が確立せらるまで、また日本における好戦勢力が壊滅したと明確に証明できるまで、連合国軍が指定する日本領土内の諸地点は、当初の基本的目的の達成を担保するため、連合国軍がこれを占領するものとする。
  8. カイロ宣言の条項は履行さるべきものとし、日本の主権は本州、北海道、九州、四国及びわれわれの決定する周辺小諸島に限定するものとする。
  9. 日本の軍隊は、完全な武装解除後、平和で生産的な生活を営む機会と共に帰還を許されるものする。
  10. われわれは、日本を人種として奴隷化するつもりもなければ国民として絶滅させるつもりもない。しかし、われわれの捕虜を虐待したものを含めて、すべての戦争犯罪人に対しては断固たる正義を付与するものである。日本政府は、日本の人民の間に民主主義的風潮を強化しあるいは復活するにあたって障害となるものはこれを排除するものとする。言論、宗教、思想の自由及び基本的人権の尊重はこれを確立するものとする。
  11. 日本はその産業の維持を許されるものとする。そして経済を持続するものとし、もって賠償の支払いにあつべきものとする。この目的のため、その支配とは区別する原材料の入手はこれを許される。世界貿易取引関係への日本の、将来の 参加はこれを許すものとする。
  12. 連合国占領軍は、その目的達成後そして日本人民の自由なる意志に従って、平和的傾向を帯びかつ責任ある政府が樹立されるに置いては、直ちに日本より撤退するものとする。
  13. われわれは日本政府に対しすべての日本軍隊の無条件降伏の宣言を要求し、かつそのような行動が誠意を持ってなされる適切かつ十二分な保証を提出するように要求する。もししからざれば日本は即座にかつ徹底して撃滅される。




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こんな本、あんな本
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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。

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中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。

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高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。

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今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本
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