『先祖返りの国へ』 エバレット・ブラウン エンゾ・早川
ブッダガヤのとある村にある日本の寺で、日本庭園を前にして座禅を組み、はじめて日本の身体感覚に出逢ったというアメリカ人。
その後、エバット・ブラウンさんは、東北の小さな漁村を皮切りに日本を旅してまわり、禅寺を訪れ、鍼灸師や整体師に出会い、武術家、能楽師、茶人など、鋭敏な身体感覚を持つ人々と交わる。多くの経験や出会いを通して、彼は日本の身体感覚と伝統文化のつながりを、ありありと感じることができるようになっていったという。
やがて、言霊信仰、万葉集、東洋医学に関心を持ちつつ日本語を習得する過程で、彼は身体感覚を含む日本語に、とても敏感になっていった。
幕末から明治に日本を訪れた外国人は、日本人を世界一幸せな民族だと感じたという。物質的な豊かさや富の獲得からはほど遠かった日本人は、なぜそんなにも幸せそうに見えたのか。彼は、日本人の持つ自然を感じ取る豊かな感性が、それに大きく関係していると考える。
その感性は、あるいは身体感覚は、今でも日本人のからだの記憶に眠っているのか。つまり、先祖返りできるのか。
その解答への糸口を、和の履き物を通じて、人間本来の身体の使い方、食事の仕方などを探求している日本人、エンゾ・早川さんとの対談で探り当てようとする試みが、この一冊にまとめられた。
エンゾ・早川さんの作る和の履き物とは、足半(あしなか)と呼ばれるもので、わらじが前半分で終わっているような履き物。これにエバット・ブラウンさんが興味を持ったのが、二人を引き合わせることになったようだ。
この履き物だと、当然、かかとは地面につかずに、前のめりの感じで歩くことになる。前のめりになる分、膝が前に出て少し曲がり、その分だけ腰を引き、胴体は前掲していくぶん猫背になる。
これって、昔の絵に描かれている日本人の姿じゃないかな。


私は、かかとを地に着けて歩く。
だけど、平素はぞうりを履いている。仕事に行くのも、これで行っていた。車もこれで運転していた。群馬県では条例で、ぞうりで運転することは禁じられているという。
還暦を迎えた私の年代では、180cmを越える身長の私は、けっこう目立って背の高い方だった。秩父の冬はとても寒いんだけど、やがて私の足首から先は重たい掛け布団の外にはみ出すようになっていった。寒い冬でも、足首から先はふとんの外だった。
そのせいか、靴を履かなければいけない時を除き、靴下は履かない。家にいるときは、冬の寒い日でも靴下を履く必要はない。そうすると、足裏は、いろいろなものに触れることになる。当然、敏感になる。足裏に土の感覚を覚えさせたいところだけど、この時代ではなかなかそうも行かない。
山を歩くときは登山靴を履くことが多いが、夏の暑い時期は、地下足袋で歩く。足裏は薄いゴムだし、表も布一枚におおわれているに過ぎない。たしかに岩につま先をぶつければいたい、角張った石を踏んでも痛い。
人から見れば、良くそんなもんで登山が出来るものだという風に感じるらしいが、それが結構そうでもない。登山靴なら足首の高いものでも低いものでも、実際の足よりも前後左右にはみ出している。だから、実際の足感覚よりも、少し広めに足場を確保する必要が出てくる。しくじって、登山靴のかかと5mmを岩にでもかけようものなら、身体全体がバランスを失って、前に投げ出されてしまう。
地下足袋の場合、ほぼ、実際の足感覚で歩ける。さらに、足半を使った二人の対談にも出てくるんだけど、足元をよく見るようになる。つま先で岩を蹴ったり、岩角を踏んだりしないように、丁寧に歩くようになる。しかも、足半を履いたときのようにかかとを上げて身体を前傾させれば、身体全体がサスペンションになったようなもんで長く歩いても疲れないだろう。
身体の感覚からものを考えるって、心の中にすとんと落ちるような、そんな納得感がある。
子どもの頃、二人の兄たちと違って、私は畑仕事が好きだった。休みの日の午前中は畑仕事を手伝い、午後はごみだの、枯葉だの、端材だのを燃やして過ごした。
鍬を振るのは、下ろすときに力を入れると、あっという間に疲れてしまう。力を入れるのは鍬を上げるときだけ。それも腕の力で上げるのではなく、身体を後傾させつつ、背中の力で上げる。これは、祖父に教わった。長く農作業を続けるコツ。
日本人にあった身体の使い方は、農作業の方法と、この歩き方以外は何も知らない。そんな私にとっては、とても刺激的な一冊だった。
その後、エバット・ブラウンさんは、東北の小さな漁村を皮切りに日本を旅してまわり、禅寺を訪れ、鍼灸師や整体師に出会い、武術家、能楽師、茶人など、鋭敏な身体感覚を持つ人々と交わる。多くの経験や出会いを通して、彼は日本の身体感覚と伝統文化のつながりを、ありありと感じることができるようになっていったという。
やがて、言霊信仰、万葉集、東洋医学に関心を持ちつつ日本語を習得する過程で、彼は身体感覚を含む日本語に、とても敏感になっていった。
幕末から明治に日本を訪れた外国人は、日本人を世界一幸せな民族だと感じたという。物質的な豊かさや富の獲得からはほど遠かった日本人は、なぜそんなにも幸せそうに見えたのか。彼は、日本人の持つ自然を感じ取る豊かな感性が、それに大きく関係していると考える。
その感性は、あるいは身体感覚は、今でも日本人のからだの記憶に眠っているのか。つまり、先祖返りできるのか。
その解答への糸口を、和の履き物を通じて、人間本来の身体の使い方、食事の仕方などを探求している日本人、エンゾ・早川さんとの対談で探り当てようとする試みが、この一冊にまとめられた。
エンゾ・早川さんの作る和の履き物とは、足半(あしなか)と呼ばれるもので、わらじが前半分で終わっているような履き物。これにエバット・ブラウンさんが興味を持ったのが、二人を引き合わせることになったようだ。
この履き物だと、当然、かかとは地面につかずに、前のめりの感じで歩くことになる。前のめりになる分、膝が前に出て少し曲がり、その分だけ腰を引き、胴体は前掲していくぶん猫背になる。
これって、昔の絵に描かれている日本人の姿じゃないかな。
『先祖返りの国へ』 エバレット・ブラウン エンゾ・早川 晶文社 ¥ 1,980 本来の身体感覚とそこから派生する文化へ戻らんとする「先祖返り現象」とは? |
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私は、かかとを地に着けて歩く。
だけど、平素はぞうりを履いている。仕事に行くのも、これで行っていた。車もこれで運転していた。群馬県では条例で、ぞうりで運転することは禁じられているという。
還暦を迎えた私の年代では、180cmを越える身長の私は、けっこう目立って背の高い方だった。秩父の冬はとても寒いんだけど、やがて私の足首から先は重たい掛け布団の外にはみ出すようになっていった。寒い冬でも、足首から先はふとんの外だった。
そのせいか、靴を履かなければいけない時を除き、靴下は履かない。家にいるときは、冬の寒い日でも靴下を履く必要はない。そうすると、足裏は、いろいろなものに触れることになる。当然、敏感になる。足裏に土の感覚を覚えさせたいところだけど、この時代ではなかなかそうも行かない。
山を歩くときは登山靴を履くことが多いが、夏の暑い時期は、地下足袋で歩く。足裏は薄いゴムだし、表も布一枚におおわれているに過ぎない。たしかに岩につま先をぶつければいたい、角張った石を踏んでも痛い。
人から見れば、良くそんなもんで登山が出来るものだという風に感じるらしいが、それが結構そうでもない。登山靴なら足首の高いものでも低いものでも、実際の足よりも前後左右にはみ出している。だから、実際の足感覚よりも、少し広めに足場を確保する必要が出てくる。しくじって、登山靴のかかと5mmを岩にでもかけようものなら、身体全体がバランスを失って、前に投げ出されてしまう。
地下足袋の場合、ほぼ、実際の足感覚で歩ける。さらに、足半を使った二人の対談にも出てくるんだけど、足元をよく見るようになる。つま先で岩を蹴ったり、岩角を踏んだりしないように、丁寧に歩くようになる。しかも、足半を履いたときのようにかかとを上げて身体を前傾させれば、身体全体がサスペンションになったようなもんで長く歩いても疲れないだろう。
身体の感覚からものを考えるって、心の中にすとんと落ちるような、そんな納得感がある。
子どもの頃、二人の兄たちと違って、私は畑仕事が好きだった。休みの日の午前中は畑仕事を手伝い、午後はごみだの、枯葉だの、端材だのを燃やして過ごした。
鍬を振るのは、下ろすときに力を入れると、あっという間に疲れてしまう。力を入れるのは鍬を上げるときだけ。それも腕の力で上げるのではなく、身体を後傾させつつ、背中の力で上げる。これは、祖父に教わった。長く農作業を続けるコツ。
日本人にあった身体の使い方は、農作業の方法と、この歩き方以外は何も知らない。そんな私にとっては、とても刺激的な一冊だった。