めんどくせぇことばかり 本 日本 思想

『新・世界の日本人ジョーク集』 早坂隆

日本人がジョークの世界でどのように取り扱われているかを知ることは、そのまま、世界の人々は日本人をどう見ているかをしること。『世界の日本人ジョーク集』刊行から10年後の今日、『新・世界の日本人ジョーク集』が刊行されるということは、この間の、世界の人々の日本人観の移り変わりを知るということ。

この10年間というのは、これまでの“10年間”と同じく、やはりいろいろなことがありましたよねぇ。世界も、そして日本もね。私も、40代後半でったものが、50代後半になりましたもんね。
このブログでもたびたび紹介しておりますが、世界の人々の日本人観を真っ向からあつかった本に、『逝きし日の面影』という渡辺京二さんの労作があります。

江戸後期から明治初期にかけて日本を訪れた外国人が、日本人をどう見たか、どう感じたかを丹念に調べ、一冊にまとめたものです。

日本を訪れた欧米の力は、圧倒的なものでした。その力を前に日本は開国し、欧米に習ってその道を歩むことを選択しました。

そのために、“日本人らしさ”を捨てたのです。それまでの自分たちを、無知で、野蛮で、下賤であると決めつけたのです。この本に集められたのは、そんな日本人の、無知で、野蛮で、下賤であると、捨て去られた部分なわけです。

・・・それでも、おそらく“自分らしさ”を捨てるというのは、そんなに簡単なことではないだろうと思います。日本人を日本人らしくしてしまった要因は、おそらくこの日本列島に色濃く残っているわけですから。



中公新書ラクレ  ¥ 864

AI・観光立国・安倍マリオ・・・、「不思議な個性派」日本人の魅力を再発見❢
第一章 政治&外交篇 国際社会での日本の存在感は?
第二章 技術&経済篇 メイド・イン・ジャパンは色あせたか?
第三章 観光&食文化篇 今や堂々の観光立国?
第四章 民族的性格篇 日本人は「不思議ちゃん」?
第五章 歴史&宗教篇 サムライ&カミカゼはどこへ?
第六章 ソフトコンテンツ&スポーツ篇 ジャパニーズクールとは?

10年以上のジョークが使いまわされている部分もあります。この使いまわしは許せませんので、ネタをばらしてしまいたいと思います。
神の決定
世界を創造している最中の神さまが天使に言った。
「日本という理想的な国を造ってみよう。自然豊かな国土に、美しい四季、水も豊富にあり、そこに住む人々は勤勉で穏やかな性格をしている」
それを聞いた天使が言った。
「しかし、それではあまりに不公平です。他の国の人たちから不満が出ませんか?」
それを聞いた神さまは、
「それもそうだ」
とつぶやき、こう言った。
「となりを韓国にしておこう」
たしかに、10年たっても、日本の隣は韓国だ。10年たっても、まだ笑える、それだけこのジョークが普遍性を持っているということでしょうね。

このジョークと同じように、10年の時を超えて取り上げられているが、少々、姿かたちを変えているものもあります。
プール
各国の首脳が会談を終え、リゾート地でともに休暇を取っていた。そこに妖精が現れて言った。
「皆さん、いつも世界の平和のためにお仕事をされていて大変でしょう。今日はそのお礼を差し上げます。あなたの好きなものを叫びながら、このプールに飛び込んでみてください。プールの水をその好きなものに変えてあげます」
すると、ロシアのプーチン大統領が、
「ウォッカ」
と叫びながらプールへと飛び込んだ。プールの水はウォッカに変わり、プーチンはその中を自在に泳いだ。
続いて、日本の安倍首相が、
「サケ」
と叫びながらプールへと飛び込んだ。プールの水はサケに変わり、安倍首相はその中を自在に泳いだ。
最後にアメリカのトランプ大統領が飛び込もうとした。しかし、彼は途中で石につまずいてしまった。彼は思わず、
「クソ!」
と叫びながらプールへと飛び込んでいった
これは、ジョーク自体は使いまわしだな。だけど、面白いからこそ使いまわされているわけで、おそらく今後も、何人もの人たちのあごを危機にさらすことになるのでしょう。

このジョーク、依然は民族性ジョークで、“馬鹿なベルギー人”をこき下ろした話として使われていたものですね。どうも、トランプ大統領という個人を標的にしたやり方には、あまり賛成できないですね。前の“馬鹿なベルギー人”ネタの方が質が高いと思います。

今回、私のあごを危機にさらしたのは、日本人ジョークと言うよりも、プーチンネタでした。ぜひ探してくださいね。・・・くれぐれも、あごに気を付けて。
日本人は、ネタになりやすい民族なんですね。まあ、いろいろなケースがあるわけですけど、そこにもやはり“日本人らしさ”が反映されていますよね。だけど最近私、日本人を日本人らしくしてしまった要因が、本当にこの日本列島からなくなっていくんじゃなかって、ちょっと心配してるんですけどね。






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貧乏神『生活のなかの神道』 ひろさちや

ある男のもとに、絶世の美女が訪ねて来て言うんだそうです。「私は吉祥天です。あなたに福徳を授けに来ました。」男は喜んで、彼女を家に招き入れたそうです。ところがもう一人、彼女と一緒に家に入ろうとする女がいるんですね。こちらは醜く、見るからに貧乏神らしい。男が問いただすと「私の名は黒闇天、私の行くところ必ず災厄が訪れる。」やはり、貧乏神。男が追い払おうとすると、「さっきの吉祥天は私の姉。私たちはいつも一緒。」男は結局、二人とも出て行ってもらうことにしたそうです。

これはこの本の冒頭に出てくる話です。なんでも、“涅槃経”に出てくる話だそうです。

《良い事と悪い事》って、一体何なんでしょうね。どうやら、この涅槃経の寓話からも、良い事と悪い事って同居しているみたいですね。吉祥天のいる処には黒闇天がいて、黒闇天のいる処には吉祥天がいる。つまり、おんなじことが起こっても、吉祥天の目が出ることもあれば、黒闇天の目が出る場合もあるということ。

面白い考え方ですね。
浅田次郎の本に『憑神』ってのがありましたね。
時は幕末、処は江戸。貧乏御家人の別所彦四郎は、文武に秀でながら出世の道をしくじり、夜鳴き蕎麦一杯の小遣いもままならない。ある夜、酔いにまかせて小さな祠に神頼みをしてみると、霊験あらたかにも神様があらわれた。だが、この神様は、神は神でも、なんと貧乏神だった! とことん運に見放されながらも懸命に生きる男の姿は、抱腹絶倒にして、やがては感涙必至。


最初に取り憑かれた貧乏神が、そのうち疫病神にグレードアップして、最後は死神に取り憑かれるっていうんだから、まったくこんな不運な男もいないでしょうね。

このへんの話にしてもそうだけど、日本人はそれを涅槃経のような高尚な人生訓に仕立て上げようという気はないんですね。涅槃経の吉祥天と黒闇天の話は、どこか「人間万事塞翁が馬」を連想させますね。

日本では善い事と悪いことは同居しているわけではなくて、そこから何らかの人生訓をひねり出そうとはしていないようです。ただ、朝田次郎の『憑神』のような話が生まれるには、やはり、貧乏神や疫病神と、何だか変に面白いかかわり方を作り上げてきた日本人の姿があったからこそでしょうね。


『生活のなかの神道』    ひろさちや

春秋社  ¥ 1,863

福の神から妖怪、ご先祖様まで、日本にはたくさんの神さまがいる
1 生活の神道v.s.人生の仏教
2 「空気」のようなカミ
3 名前がついた神
4 神話の中の神々
5 ご先祖様と言う神
6 悲しき妖怪たち
7 福の神と貧乏神
8 神さまとの付き合い方
9 神社のいろいろ
10 神道は「やまと教」だ!


貧乏神とのおかしな関わり方が書かれていたので紹介しておきますね。江戸後期の南町奉行まで務めた幕臣の根岸鎮衛(やすもり)という方の随筆に『耳袋』というのがあるんだそうです。その中に書かれている話だそうです。
江戸の小石川に住む旗本が、ある年の暮れに貧乏神を画像に描いて、お神酒や洗米などをささげて祈ります。
「私はこの数年貧乏なので、思うことが叶わないのも仕方がありませんが、一年中貧しい代わりに不幸ってこともありません。ひたすら尊神がお守りくださるのでありましょう。数代の間、私たちをお守りくださる神様ですので、どうかひとつの社を建立して尊神を崇敬いたしますゆえ、少しは貧乏をのがれて福分に変わりますようにお守りください」

その結果、その旗本がご利益を得て、少しは余裕も生まれたっていう話なんですね。貧乏を貧乏神のせいにしていやがったりせず、貧乏神としてそのまま拝んで、貧乏神の方を逆に福徳の神に変えちゃうわけですね。これはすごいです。人間の方が、神さまを変えちゃうわけですからね。

『憑神』でもそうでしたよね。貧乏神でも疫病神でも、それこそ死神とも、それに抗おうとするのではなくて、そういうものとして拝んじゃうわけですね。そういうところが面白かったですね。





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『日本問答』田中優子 松岡正剛

「日本という国がどんな価値観で組み立てられてきたのか」をめぐる対談もの。これまで私が読んできたものとは、ちょっと毛色が違うかな。なにしろ田中優子さんと松岡正剛さんの対談ですからね。

田中優子さんは江戸文化の研究者。…と言うよりも、私にとっては出身大学の総長ですね。松岡正剛さんは、…何者であると言えばいいのかわからない。日本という国をつきとめようとしている人ってことなんでしょうか。

この対談の本質を理解するのが、まず難しい。「この国がどんな価値観で組み立てられてきたのか」という松岡正剛さんの言い方ではとりとめがなさすぎます。田中優子さんは、危機に目前に向かえた世界において最初にそれに直面する日本は、その向こうに新たな時代を迎えることができるのか。そのための「日本にあったはずの方法、しくみ、それを支えていた理念をこれから使うために言語化しようとする試み」だと言ってます。頭のいい人は今を置き去りにしてどっかから俯瞰しているわけですね。

「ナショナリズムに由来するものではない。いっしょに頑張ろうというオリンピック精神でもないし、運命を共にしようという共同体論でもない」と言い切ってますからね。私はと言えば、ナショナリズム以外によって立つ場を持たず、一緒のがんばろうと励ましあい、運命を共にすることになる。俯瞰される立場の私は、そうせざるを得ないのです。

なぜ、こうも難しいんだろう。きっと、難しい人同士の対談だからだろう。

 『日本問答』  田中優子 松岡正剛
岩波新書  ¥ 1,015

日本はどんな価値観で組み立てられてきたのか。なぜそれが忘れられてきたのか

1 折りたたむ日本
2 「国の家」とは何か
3 面影の手法
4 日本の治め方
5 日本儒学と日本の身体
6 直す日本、継ぐ日本
7 物語とメディアの方法
8 日本の来し方・行く末


「むずかしい、むずかしい」って、イチャモンつけちゃいけませんね。第一私は、けっこうおもしろく読ませてもらったわけですからね。こういう対談ものって、結局、突き詰めないから、読んでて楽ですよね。

それが一人になると、そうはいかない。「不正確なことは書いちゃいけない。中途半端なことは書いちゃいけない。そんなことをしたら、どっから突っ込まれるかわかったもんじゃない」って頭が働くから、細かいところまできっちり、くどくなっても詳細に、誰からも突っ込みようのないことを第一に書いちゃいますから、結局はつまらなくなる。

だから、ぎりぎりのところの知見を無責任にぶつけ合う対談は、どこか危うげで、その分だけ限りなく面白くなりますね。

論語・孟子・大学・中庸に詩経・易経・書経・礼記・春秋か。私が無理やり読んだ四書・五経を軽々使いこなし、古代史・中世史・近代史と駆け巡り、日本儒教の輪郭をなぞり、はては神仏、キリスト教、国学に国体、おまけと言っちゃあなんだけど、きものや文芸にまで話題は及びます。

私あたりの知識じゃあとてもついていける処じゃないけど、それを持ち出す意義、そこから何を解き明かそうとしているのかは、何とか理解できた。全編を通して知的好奇心を刺激され、田中優子さんの思想的なところは除外して、面白く読ませてもらった。

だけどそれが、田中優子さんの言う“危機感”、「・・・事態への準備がなにもできていない」リーダーをいただいていることの危機感の解消に方向性を与えることくらいはできたかどうか。どうも怪しい。・・・と言うよりも、田中優子さんの言うところの危機感に、私はねじれのようなものを感じる。 




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『遺言』 養老孟司

意味を求められないからこそ今の仕事に憧れて、それなりに努力をしてこの仕事についたんです。ちょっと仕事柄、はっきりしたことを言うわけにいかないんですけど、そんな仕事にも、少しずつ、“意味”を求められるようになったんです。本当なら、あの時やめるべきだったんですね。でも、まずいことに、悪あがきしたら、相手が少し引いたんですよね。・・・それで、「なんとかなるかも」とかって思っちゃったんですね。

それでも、“意味”は追いかけてきました。だから、逃げたんです。・・・転勤ね。人があまり望まない、ちっぽけな職場なんですけど、嫌なこともたくさんあったんですけど、仕事に“意味”を求められることはなかったんです。私には、それが何よりだったんです。だから、最後までそこで勤めようと思ってました。

それなのに、その職場、閉鎖されちゃったんですよ。6年前です。それで、元の職場に戻って、・・・“意味”のある仕事をして、疲れ果てているわけです。
私の身の回りには遺言を残した死んだ人はいません。そのせいか、遺言がどういうものかわかりません。だけど、遺言である以上、残された者がそれを理解できなかったら仕方ありませんからね。もっとわかりやすく、原稿用紙2・3枚にまとめてもらった方がいいと思うんですけどね。

でも、そしたら本にはなりませんね。


『遺言』  養老孟司

新潮社  ¥ 778

これだけは言っておきたかった 80歳の叡智がここに❢
1章  動物は言葉をどう聞くか
2章  意味のないものにはどういう意味があるか
3章  ヒトはなぜイコールを理解したのか
4章  乱暴なものいいはなぜ増えるのか
5章  「同じ」はどこから来たか
6章  意識はそんなに偉いのか
7章  ヒトはなぜアートを求めるのか
8章  社会はなぜデジタル化するのか
9章  変わるものと変わらないものをどう考えるか
終章  デジタルは死なない

1章から始まって、その個々の章で養老孟司さんが言わんとしていることがわからないってわけじゃあないんです。もとから養老さんは、あらゆることは事実を踏まえて思考される方で、非常に分かりやすい考え方をされる方ですからね。

1章で養老さんの言ってることはわかります。2章も、3章もわかります。だけど、遺言でしょ。養老さんが、何を二十数歳年下の私に伝えようとしているのか、個々の章を理解するだけでは汲み取れなかったんです。

だけど、読み進むうち、後半に入っていく頃には、ようやく養老さんが伝えようとしていることの概要がつかめるようになっていきました。もしこれから読まれる方がいたら、そう思って読み進むことをおすすめします。

そのようにして理解したこの本の概要をもとに、冒頭の、私の有り様を書きました。定年まで残り少ないんですが、もう一度、意味を求めずに仕事をしてみようと思います。・・・それが許されなかったら、・・・もう、・・・ねえ。

ソーラーパネルについて、養老さんが終章に書いている。私はソーラーパネルを見るたびに、腹が立って仕方がない。そのたびに、呆れ返る。どうして一方を悪と決めつけて、勝手な善を押し付けようとするのか。

ソーラーパネルを見るたびにそう思う。




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『歌謡曲から「昭和」を読む』 なかにし礼

これまたずい分前の本なんだけど、面白かったな~。

題名に入っている「昭和」という言葉に惹きつけられました。平成に入って30年たちました。30年前っていうと、私28歳ですよ。私は昭和よりも平成を長く生きてるんですね。昭和は28年。平成は31年。その先、どんだけ長く生きたとしても、私は昭和の人間です。なによりも、私の心が昭和です。

何が嬉しくて、なにが悲しくて、なにが楽しくて、なにが悔しいか。心の動きの全ては昭和に作られましたからね。親の死に目をのぞけば、泣くほどのことは昭和で終わりました。・・・最近、涙が流れるのは、ひとえに涙腺の緩みが原因。

石狩挽歌
作曲者 : 浜圭介  作詞者 : なかにし礼

海猫が鳴くから ニシンが来ると
赤い筒袖の やん衆がさわぐ
雪に埋もれた 番屋の隅で
わたしゃ夜通し 飯を炊く
あれからニシンは
どこへ行ったやら
破れた網は 問い刺し網か
今じゃ浜辺で オンボロロ オンボロボロロー
沖を通るは 笠戸丸
わたしゃ涙で
にしん曇りの 空を見る

燃えろ篝火 朝里の浜に
海は銀色 ニシンの色よ
ソーラン節に 頬そめながら
わたしゃ大漁の 網を曳く
あれからニシンは どこへ行ったやら
オタモイ岬の ニシン御殿も
今じゃさびれて オンボロロ オンボロボロロー
かわらぬものは 古代文字
わたしゃ涙で
娘ざかりの 夢を見る
・・・歴史は専門分野ですからね。笠戸丸のことは知ってます。もとはと言えばロシアの船で、日露戦争で捕獲して、《笠戸丸》と命名されたわけです。笠戸丸の最後は、1945年、元の主であったソ連によって沈められて終わります。だから、沖を航行している笠戸丸は、この歌が歌われる時点では、沈んだ船、幽霊船ということになりますね。「ああ、この歌は能と同じで、思いを残して逝った者たちへの鎮魂の歌だ」と、そう思いました。“オンボロロ オンボロボロロー”は、呪文の言葉ですね。


NHK出版  ¥ 756

兵制に時代が変わって27年 歌謡曲=流行歌はいま、どこへ行ってしまったのか
序章  歌謡曲の終焉
第1章  日本の「うた」をさかのぼる
第2章  流行歌の誕生
第3章  哀しみのリアリティ
第4章  戦争を美しく謳った作家たち
第5章  戦後歌謡と二人の作曲家
第6章  音楽ビジネスに起きた革命
第7章  すべての歌は一編の詩に始まる
第8章  歌謡曲という大河
終章  歌謡曲の時代のあとに

歌謡曲というのは、「歌詞と曲と歌い手が一体となって、ヒットを狙って売り出される商業的歌曲」と、なかにし礼さんは定義付けている。その点、歌謡曲と呼べる第一号は《カチューシャの唄》なんだそうです。

「カチューシャ可愛や/別れのつらさ/せめて淡雪とけぬ間と/神に願いをララかけましょか」

いいですよね。「ララ」がいいですよね。

いい歌謡曲には力がある。力があるからヒットする。なかにし礼さんは、歌謡曲の全盛期をヒットメーカーの一人の作詞家として、その人生の盛期を過ごしたわけですね。

その人生の始まりは満州だったそうです。昭和13年生まれだそうです。家族で住んでいたのは牡丹江だそうです。1945年8月11日のソ連軍機の空爆を皮切りに敗戦に伴う引き揚げが始まったわけですね。お父上はソ連軍に徴用され、2ヶ月で戻されたものの、その間の酷使がもとで年の暮れに亡くなられたそうです。・・・・・・・。それから1年余後、本土に引き揚げることになったようです。その引揚船の中で、「リンゴの唄」を聞いたそうです。なかにし礼さんは、「リンゴの唄は残酷な歌だった」と言ってます。

“満州で生まれた”ということは、なかにし礼さんの原点。・・・原点って言う言葉はよく使うけど、これって歳を重ねても薄まらないんだよね。逆にある時期以降は、逆に人生がその原点に支配されていくような気がするんですが。・・・私の場合ですけどね。

いい歌謡曲には力がある。軍歌も、その歌謡曲の一分野として生まれたんですね。いい軍歌は、いい歌謡曲なわけですね。だから、いい軍歌にも力があるんですね。力がある軍歌は、若者たちを戦争に駆り立てたわけです。

作曲家も作詞家も、いい歌謡曲が書ける人ほどいい軍歌を書いたわけですね。なかにし礼さんは、避けて通ること無く、この本の中でそのことに触れています。

戦後の歌謡曲の移り変わりは、昭和35年生まれの私の人生にも重なります。ただ、ある時期から、テレビから流れてくる流行歌に、私はまったく関心を失うんですね。失ったということ自体、この本を読んで気がついたんですけどね。

分かりました。そのある時期、歌謡曲が終わってたんですね。
昭和という時代に生まれ、昭和という時代に翻弄され傷つけられながら、一方で、昭和によって拾われ育まれ生かされてきた人間の、私は一人だった。昭和日本を憎み、しかしより以上に愛されたいと心から願い、その願いからほとばしり出た思いを書き連ねたのが、私の歌だった。・・・その昭和という時代が遠く去った以上、私は私で別の道を歩んでいかなければならないと思ったのである。
本書p174




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『逆襲される文明 日本人へⅣ』 塩野七生

塩野七生さんの観察眼は、なにしろ日本のあり方をヨーロッパ各国のあり方と相対化して説明してくれるのでありがたい。日本では、頭の良さそうな人ほど、・・・良さそうに振る舞っている人ほど・・・かな。・・・とにかくそれっぽい人ほど日本の政治家をこき下ろす。政治家をこき下ろせば、頭が良さそうに見えるとでも思っているに違いない。

最近は少しは良いように思うけど、それに反するような意見は、それこそ“軍国主義”だの、“右翼”だのとレッテルを貼られる。私もかつては、なんか発言するときは、「ちなみに私は軍国主義者だと思ってもらってもいいんだけど・・・」、「・・・民族主義者だけど・・・」、「・・・少なくとも左巻きじゃないけど・・・」などと前置きをして話をすることもあった。

そんな私のことなんかどうでもいいんだけど、情報源を国内にしか持たない私のような人間にとっては、与党の政治家をこき下ろせば“知識人”っていうような浅薄な世間では、時に自信を失いそうになることも少なくない。

そんな時、塩野七生さんの《日本人へ》のシリーズはありがたい。

政治の世界である。◯と☓できれいに割り切れるものじゃない。正義と悪ではさらさらない。つまり絶対的なものじゃなく、相対的にとらえた上でバランスが重要になる。「悪くない」は上々の部類だろうし、「ちょっとはまし」なら十分とするべきだろう。そういう目は、国内の情報源だけでは育たない。ヨーロッパで生活している塩野七生さんにしてみれば、政治を見る目は相対的になるのが当然。そんな人の観察眼を通して日本の政治を見ると、“知識人”の取ってつけたご意見に惑わされずに済む。

少なくとも私は、《日本人へ》シリーズのおかげを受けている。塩野七生さんや、川口マーン惠美さんの書いたものを読むことは、書かれている事実以上に身になるものがあるように思う。

・・・ちなみに、どちらも女の人をあげているのは、やはり私が男だからなのだろう。

文春新書  ¥ 994

「危機」という言葉を発明した古代ギリシャ人はこの言葉にもう一つの意味を込めた。それは「蘇生」である
Ⅰ 国産で来た半世紀 イタリアの悲劇 帰国してみて ほか
Ⅱ 一神教と多神教 ローマに向けて進軍中 テロという戦争への対策 ほか
Ⅲ 「保育園落ちた日本死ね」を知って EU政治指導者たちの能力を問う ほか

この、《日本人へⅣ》では、しきりに“難民”のことが話題にされている。『逆襲される文明』という題名の由来もそこにある。たしかにイタリアは難民問題の表舞台だ。

イラク・シリア・パレスチナ、それに中央アフリカが加わって、これらの国からの難民が地中海を渡ろうと集まるのがリビア。ジャスミン革命に揺れた中東も、内戦に突入していまだに無政府に近い状態を続けているのがリビア。行き場を失ったISISまで集まって、混迷は極まるばかり。それ故に不法出国もしやすい。それに目をつけた無法者が、高い渡し賃を取って、ボロ船に難民をすし詰めにして地中海に送り出す。舟がひっくり返ろうが、沈もうがお構いなし。リビア領内からSOSでも発せられれば、助けに向かわなければ、イタリア政府はなにを言われるかわからない。

ひどい時には、一日千人がイタリア沿岸に流れ着いた。しかもイタリアを目指す百万人以上の難民候補者がリビアに集結していたという。

諸悪の根源は各地で発生している内戦だとしても、それを止める手立てがない。軍事力がない。それだけの力をつけたとしても、腰を上げればNGOなり、NPOなりから内政干渉だのといちゃもんつけられるのが関の山。

なにしろ難民たちは、ヨーロッパに入り込むなり、元からそこに住んでいる人たちと同じ権利を求めるもんだから、当然元からそこにいる人たちの反発を受ける。

彼らの不満は、“何人たりとも人権は尊重されるべき”で、享受する権利も同等というところから来ている。“人類社会の進歩”と彼らが信じてきた理念が、逆に自分たちを危機に貶めている。

そういうわけで、《逆襲される文明》という題名につながるわけだ。

それにしても、塩野七生さんの、“難民の流入”に対する危機感はかなりのもの。読んでいても、いよいよヨーロッパ社会が切迫している様子を感じる。

「我が祖国日本がこの難問に直面する時期が、なるべく遅く来てほしい」という言葉にも、その切迫感が思い知らされる。




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安倍政権『逆襲される文明 日本人へⅣ』 塩野七生

そうだね。塩野七生さんを最初に知ったのは『コンスタンチノープルの陥落』だったかな。んんん、『ルクレティア・ボルジア』だったかな。ルネサンスものが最初だったような気がするな。そんで、あとは、出てる本は全部読んだ。『ローマ人の物語』あたりから同時性に読んでいって、今に至る。・・・お世話になりました。

たしかに、古代の多神教の時代と中世の一神教の時代のヨーロッパと格闘してきたわけだ。

そんな塩野七生さんに言わせれば、宗教が幅を利かせる時代とは、《人間が自信を失った時代》なんだそうだ。「宗教は、人間が自信を失った時代に肥大化する」というのは確かに理解できる。肥大化した宗教は、人を救うという本来の姿の殻を破って、逆に人を従わせ、命がけで奉仕させるようになる。

だからローマの人々は、自分に自信を持っていたということになる。「ローマの神々は自ら努力する人のかたわらにあってその人を助ける守護神」であった。それに対してキリスト教の神様は人に、「こう生きよ」と命令する。イエスが死んでから300年間、自信をもって生きていたローマ人は、「こう生きよ」と生き方まで命じてくる神を必要とするほど自信を失ってはいなかったということだ。

そのローマがキリスト教を受け入れるようになる。その流れを受け入れて、コンスタンティヌス帝が公認し、テオドシウス帝が国教化する。政治・軍事・経済が機能しなくなり、自信を失ったローマ人は、「こう生きよ」と命令されなければ、不安でたまらなくなったのだ。

今はどうなのかな。


文春新書  ¥ 994

「危機」という言葉を発明した古代ギリシャ人はこの言葉にもう一つの意味を込めた。それは「蘇生」である
Ⅰ 国産で来た半世紀 イタリアの悲劇 帰国してみて ほか
Ⅱ 一神教と多神教 ローマに向けて進軍中 テロという戦争への対策 ほか
Ⅲ 「保育園落ちた日本死ね」を知って EU政治指導者たちの能力を問う ほか


グローバル化の進行は、確実に人々を不安に陥れているよね。それに対して宗教というのは、ある意味では究極のローカルだ。
イスラム教の世界があそこまで大混乱したのは、アメリカがグローバルを無理やりねじ込もうとしたからでしょ。

だけど、グローバル化の進行に苦しめられているのはイスラム教の人たちだけじゃないよね。塩野七生さんの報告にあるイタリアの現状は、けっこう深刻なようだ。実際、日本だって大きな影響を受けている。・・・とは言っても、諸外国ほどではないか。

移民、女性、歴史、価値観、・・・なにより皇室。

でも、日本はなにもグローバル化を受け入れてないわけじゃあないんだよね。ただ、昔からの得意技で、受け入れやすい状態にかみ砕いて受け入れる。受け入れられないものは受け入れない。・・・そのあたりで踏ん張らないと、イタリア同様になってしまう。

塩野七生さんの政治家の味方が面白い。帰国して安倍晋三首相の顔を見て、「イイ顔になった」と感じたそうだ。憲法改正を明言したあたりから、安倍バッシングがひどくなって、毎日そればかり聞かされているような気がする。森友・加計問題ってのも、その流れで出てきたもんだろう。

塩野さんが「イイ顔になった」と言ってるのは、それよりもずいぶん前の時期だろうけど、海外の政治家の様子をよく知っているだけに塩野さんの味方の方がバランスが取れている。この間読んだ『カエルの楽園』ではないが、日本のマスコミによる“安倍バッシング”は文字通り、「井の中の蛙大海を知らず」に等しい。

国際政治の大きな流れなんかそっちのけで、「改憲は悪、護憲こそ正義」は、もはや宗教の領域。しかも、社会・共産主義の崩壊過程で自信を失ったリベラルは「こう生きよ」と命じてくれなければ、不安でたまらないのだ。「改憲は悪、護憲こそ正義」という神は、もはやリベラルを従わせ、命がけで安倍政権を崩壊させようとしているのだ。




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『声に出して活かしたい論語70』 三戸岡道夫

ずいぶん前に買って、読むってわけじゃないけど、けっこう頻繁にペラペラ開いて読む・・・というか、見る・・・というか、味わっている。

なぜ今さら取り上げようと思ったかと言うと、先日、高校の先生をやってる人と飲んだ時に話をしたことが頭にあったから。どんな話をしたかと言うとね。

学期末になると、最後の1時間を持て余すことがあるらしい。試験で成績をつけた後なら生徒も乗ってこないし、教科書を進めても中途半端になるばかりで、結局、新学期にやり直すことになる。“だったら・・・”ということで、授業に関連付けられるような映画やアニメを見せることがあるらしい。

聞いただけでも、生徒が喜ぶだろうと思う。ところが・・・。と言うことなんだ。最近の生徒は、映画や漫画を見せても、「分からない」と言って、興味を持たないらしいんだ。

映画の中にはそういうものもあるだろうけど、アニメならそんなこともないだろう。って思ったら、「ジブリでさえも分からない」って言うんだ。せめてみられるのは、《となりのトトロ》あたりだってさ。「天空の城ラピュタ」や「風の谷のナウシカ」なんて難しくて興味を示さないって。

そこで、その話題で盛り上がった。彼らには、学業の土台となるべき、自然と身についているはずの知識がないって。・・・たしかにその通りかもしれない。まえに、定時制の生徒たちと交わりを持ってた頃、クイズを出したんだ。「母さんが夜なべをして編んでくれたものはなに?」って。そしたら、14人の生徒たちはきょとんとしたまま、誰一人答えられなかった。

学校で歌ってないってだけじゃなくて、テレビでも、ラジオでも、父も母も、叔父も伯母も、兄も姉も、祖父も祖母も、そんな歌うたってくれたことはなかったんだ。

ああ、これじゃあ年配の先生は大変だ。学校で習うってわけじゃなくて、いつの間にか自然に身についていなければならないことが身についてない人には、たしかに、それを身につける所から始めないと、それに追加して身につけなければならないことが、身につくはずがない。もちろん、平均以上の学校ではそんなことはないんだろうけど。

僕たちの世代には、《論語》にも、そんな学業の土台みたいなところがあった。



栄光出版社  ¥ 1,404 “続”は¥ 時価

一度は耳にしたことのあるもの、昭和に適したもの140章

子曰く、
吾れ十有五にして学に志す
三十にして立つ
四十にして惑はず
五十にして天命を知る
六十にして耳順う
七十にして心の欲する所に従へども、矩を踰えず
参ったな。もう耳順が近い。
にもかかわらず、そんなに人間ができてない。
不惑に至るに時間がかかり過ぎたな。

何と言ってもね。子供が独立してくれたのは大きいよ。孫はかわいいし、息子には早く身を固めてもらいたいもんだけど、所詮は役割は終えた身だ。あとはやりたいことをできる範囲でやるだけだ。

耳従うしかないし、いつか矩を踰えることもできなくなる。それでも、この歳になれたことは良かった。もう、なにかあっても、子どもたちに決定的な影響が及ぶことはない。少し前まで足が悪かったこともあってやりたいこともできなかったけど、これからはやる

《未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん》


論語の言葉って、習ったときはもう、聞き覚えがあった感じがした。そりゃ、全部が全部じゃないけどさ。部分的ではあっても知ってると、全体の理解も早くなるよね。

この夏に、山から帰った後、ポッケに入れたままズボンを選択してしまい、携帯がお陀仏になった。買ったスマホのことがいまだに使いこなせない。この間一緒に山に行った高校生は、上手にスマホを使いこなしていた。彼らはスマホを手にする前に、それを使いこなす土台を持っていたのだろう。それは私にはない。私はいずれスマホを使いこなせるようになるようになるが、彼らは学業の土台を手に入れることができるだろうか。

私の好きな孔子の言葉を上げておしまい。

《人の己を知らざることを患えず、己の能なきを患う》




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八幡神『「日本人の神」入門』 島田 裕巳

あっれー❢ アッラーはアラビア語で“神”を意味する普通名詞なんだって。固有名詞じゃあないんだ。私はてっきり、ヤハウェをアラビア語でいうとアッラーになるのかと思った。・・・ったく、まいった、まいった。

そんなことを教えてもらいつつ、この本だけど、とにかく文献をもとに淡々とかかれているイメージ。飛躍はしない。「自分でかってに飛躍してね」ってところかな。ただ、どっちの方角に飛躍すると面白いかは、しっかり押さえてもらってる感じ。

ここではとりあえず、八幡神を取り上げてみたい。
八幡神と言うのは災厄を振りまく荒ぶる神様だったんだな。

八幡神は応神天皇の霊で、欽明天皇の時代に“宇佐”に現れた。一時は心が荒れて、五人のうちなら三人を殺し、一〇人のうちなら五人を殺すほどだった。その心が和らいでから、ようやく社殿を立てて奉斎がかなうようになった。『宇佐八幡宮弥勒寺建立縁起』(『承和縁起』)

近づいた者を死なせてしまうほどの威力を発揮していたからこそ恐れられ、敬われていたわけだ。何かと反乱の鎮圧に当たっては八幡神への戦勝祈願が行われたそうだし、とくに武士たちの尊崇を集めたのも納得できる。

書かれていることだけど、当たり前っていえば当たり前なんだけど、八幡神が応神天皇なら、父親は仲哀天皇で、母親は神功皇后。武内宿禰が絡んでくるけど、そんなことは天が許さない。仲哀は熊襲討伐に向かう中、いきなり、先に新羅を打てと神託を受けるが、これを蹴飛ばしてしまう。で、神罰が下って死んでしまう。神罰を下した神は天照らしい。ということになると、八幡神にとって天照は親の仇かぁ?


講談社新書  ¥ 864

神道と仏教との仲介役を果たした、戦慄すべき八幡神
第一章  場所性をもつ日本の神 一神教との対比
第二章  怖れられた皇祖神 天照大神
第三章  戦慄すべき八幡神
第四章  日本的三位一体
第五章  出雲大社と大国主、そして出雲国造
第六章  神を祀るということ
第七章  人を神に祀る
第八章  日本的一神教


八幡神は、日本における仏教の興隆にも大きな役割を果たしている。大仏造立を八幡神がお出ましになって守護している。後の手向山八幡宮に収まって大仏造立と、それにともなう仏教興隆に大きな役割を果たす。さらには、宇佐八幡神託事件を巡っては、信託を受けに参宮した和気清麻呂の前に、身の丈三丈もの僧形の八幡神が現れたそうだ。

そういうことになれば、もちろん神仏習合のトップランナー。

那須与一は、屋島沖の船中、兵への女御の掲げる日の本の扇に狙いを定め、「南無八幡大菩薩」と唱えて矢を放つ。なな、南無八幡大菩薩。八幡神は仏教の大菩薩と崇められ、武人の守護神になった。

大仏造立のために八幡神は平城京にお出ましになって手向山八幡宮に勘定された。総国分寺たる東大寺に八幡神が守護神についたのだから、各国の国分寺でも同じ現象があったはず。
もとは渡来系の人々の神だったと言うが、それがいつしか宇佐八幡に祀られ、平城京に進出して仏教の興隆に貢献し、全国に広がっていった人々がいるということか。宇佐
この地図は、前に使ったもんなんだけど、◯は山門、△は高良山を示したもの。その中に宇佐に印をつけてみた。やはり、大和朝廷成立に関わった何某かの勢力ということだろうか。
私が生まれたのは埼玉県秩父市下影森の旭町、すぐとなり、西側にあったのが八幡町。「やはた」と読む。こんなところにまで八幡神はお出ましになっていた。ちなみに、歌手の冠二郎さんの生まれたところだよ。




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『諏訪の神』 戸矢学

この連休、孫が遊びに来ている。そんなわけで今週末は、山にも行かずに孫の子守。最近、孫1号はだいぶ思索的な子供に成長しているのだが、孫2号が孫1号の小さい頃に輪をかけたギャングで、手におえない。ジジはヘロヘロ。「孫は来てうれしい。帰って、またうれしい」っていうのは、一面、本当だな。

そんなわけで、やむを得ず前に書いた記事。中秋の名月も過ぎ、めっきり秋めいてきている。諏訪の山も、紅葉を始めているはず。

J-CASTニュース 2015/1/5 
諏訪大社カエル串刺し神事に抗議 動物愛護団体「許すことのできない残虐行為」
http://www.j-cast.com/2015/01/05224563.html?p=all
(要約)
諏訪大社で続けられている伝統ある神事に動物愛護団体が「許すことのできない残虐行為」として抗議活動を行い、地元の人たちの間で困惑が広がっている。 

団体が問題視するのは、生きたカエルを串刺しにして神前にささげる「蛙狩神事(かわずがりしんじ)」。「異常な行事は子供への影響を考えても廃止すべき」としている。
(続きを読む)に全文

蛙、たくさん殺したなぁ。ザリガニ捕るときは、蛙を地べたに叩きつけて、足だけもぎ取った。お尻にわら突っ込んで、ふくらましてころがした。わりぃ事をしたなぁ。ごめんね蛙くん。わけもなく命を奪って・・・。でもね、君たちのおかげで私、けっこうまともな人間になれたかもよ。

まあ、これは宣伝でしょ。「自分たちはこんな活動してま~す」ってさ。「命大切にしてま~す」ってさ。でも、逆だったりすんだよね。それって。命の痛みっての? 奪ってみなきゃわからない重みってのもあんだよね。

そんな寒い諏訪の地で、正月っから人に嫌がらせしてないで、縁日のミドリガメ売りでもやめさせたら。あと、ひよこ売りもね。どうせ死んじゃうんだから。ついでに金魚売りもどうでしょ。・・・的屋のおじさん、ごめんなさい。

この神事、“贄”ですね。もとは蛙に象徴される人間集団が“贄”としてささげられたんだろうね。・・・この本にも同様なことが書いてあった。

『諏訪の神』    戸矢学

河出書房新社  ¥ 1,944

諏訪、御柱、モレヤ神、ミシャグジ、縄文の五大キーワードから、得意な神社、諏訪大社の信仰に迫る
第1章 「諏訪」とは何か
第2章 「御柱」とは何か
第3章 「モレヤ神」とは何か
第4章 「ミシャグジ」とは何か
 第5章 「縄文」とは何か

諏訪大社に祭られている建御名方神。出雲で建御雷神と戦って敗れ、諏訪湖まで逃げて来る。ここで諏訪からでないことを約束して建御雷神に命乞いする情けない神。しかしこの神、古事記にのみ詳細に登場する。

古事記七一二年、日本書紀七二〇年、出雲風土記七三三年と、なんだったら建御名方神が紹介されてしかるべき書物が成立しているなかで。最初に成立した古事記だけが建御名方神が諏訪に祭られた由来を紹介する。建御名方神が朝廷の正統、出雲公式見解にも登場しない。これは何を意味するのか。あとから古事記に書き込まれたのだとすればつじつまは合う。

あんまり言うと、ネタばらしになっちゃう。ただこれだけは言わせて・・・。建御名方神の名前の由来。

「タケミナカタ」・・・「建き 御名の方」  つまり 『雄々しい お名前の方』

そして、そうとしか呼べない方。本当の名を読んではいけない方。つまり本当は、神として祭ったりしちゃいけない人。・・・誰だろう。諏訪大社には拝殿のみで本殿がない。このような場合、当然拝殿の背景にある山がご神体となる。近年、諏訪大社は何らかの理由で拝礼の向きを変えてしまったが、地元の人々はもともとの方角に向かって参拝しているという。その方角にあるのは、“守屋山”。“モ・リ・ヤ”・・・・・・ごめんなさい、ごめんなさい、もう言いません・・・ 

フォッサマグナ諏訪大社の信仰は、もっと古い。もともとは硯石をご神体とするミシャグジ社。そこに『雄々しい お名前の方』が名が伏せられたまま持ち込まれて、ミシャグジ神に加えて畏れられた。さて、そこでミシャグジ神。著者はこれを濁音のないヤマト言葉に戻して“ミサクチ”としている。敬語の“ミ”を取り除いて、“サ・ク・チ”、“サク・チ”、“サ・クチ”・・・境目の地? 割く地?

左の地図、★は諏訪大社。赤い線はなんだと思います。赤い線は、フォッサマグナね。
『諏訪は縄文信仰への入り口。ミシャグジはその水先案内人』・・・著者はそうまとめています。見事なまとめ方だと思います。“日本”という歴史は確かに弥生によってはじまる。その弥生でさえ、実際には謎に包まれているわけだ。でも、その“日本”は分厚い縄文の層の上に成り立つ。その縄文の入り口が諏訪だと・・・。そして縄文の水先案内は、ミシャグジだと・・・。

蛙狩神事・・・。どうかな。私たちの祖先が、そこに託したものは、一体何だったんだろうね。この、ゆれる島で、無事に生きていけることをに、おそらく感謝したんだろうな。




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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
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