めんどくせぇことばかり 本 日本 思想
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『死ぬんじゃねーぞ!!』 中川翔子

36年も、教員として、学校を仕事場にしてた。

そりゃ、いろいろなものを見てきた。この本のテーマになっている、いじめにも関わった。だけど、中川翔子さんが語っているような、教室全体が峻厳なまでに序列化され、序列の上昇、あるいは維持に、学校生活に関わる神経の多くを傾けなければならないような状況は、経験していない。中川さんは、スクールカーストという言葉を使っていた。その言葉、聞いたことはあったけど、嫌な言葉だ。

インドには、宗教的な階層制度であるヴァルナと、ヴァルナを前提とする共同体であるジャーティを合わせて、白人社会からカーストと呼ばれた制度がある。古代インドに成立した制度で、宗教に裏付けされているだけに、現代のインドにも、色濃く影響を残している。カーストは、本質的には征服民族による、被征服民族差別である。

ヴァルナは職業と不可分で、しかも長い歴史の中で細分化していった。ジャーティという共同体が生活の単位になっているので、その中でなら生きていける。いや、その中で生きることを求められている。

中川さんの言う“スクールカースト”というのは、それとはまったく違う。第一、ジャーティがない。教室内の序列に従って、自分一人、素顔を晒さねばならない。

“・・・ねばならない”

これが私には、理解できない。なぜ、“・・・ねばならない”を拒否しないんだろう。還暦を迎えた私が子どもの時分にも、学校でのいじめなんていうのは、いくらでもあった。私にいじめられたという人もいるかも知れないが、私は人をいじめた記憶はない。“・・・ねばならない”を、人に突きつけたことはないが、“・・・ねばならない”を突きつけられたことはある。

父親の会社の序列を教室内に持ち込まれたり、1年上の学年の奴らの教室に呼び出されたり、いじめの入り口に立たされたことはあるが、“・・・ねばならない”ことは、すべて拒否した。

大学に入っても、高校の教員になっても、いじめはあった。そこでも、その入り口で、“・・・ねばならない”をすべて拒否した。



文藝春秋  ¥ 1,320

いじめで傷つき悩んでいる子供たち、親や教育関係者にも向けた渾身のメッセージ
第1章 わたしのいじめ体験
第2章 いまの時代のいじめについて(インタビュー)
第3章 いじめ時間をサバイブする
第4章 未来の種を見つける「さなぎの時間」


私が拒否してきたものは、理不尽な理由で私を支配下に置き、私に影響力を及ぼそうとするものだった。それはそれで、私にとっては正念場ではあった。だけど、どうも、中川さんが体験された“いじめ”は、それとは少し、質が違うような気がする。

私には、立ち向かうべきものの実体があった。いじめようとする側にも、反撃を受ける緊張感があった。中川さんの体験には、それがない、あるいはとても希薄な気がする。

まるで、いじめという定められたパターンがあって、クラスがそのパターンに自らを当てはめていっているかのように思える。そのパターンに、クラスが自らを当てはめていくときに、重要な役割を果たすのが、その時代に流行している、たとえばプリクラであったり、たとえばSNS(この言葉を私が理解しているかどうかは別にして)であったりする。

その流行からの距離、及び取り組みを一つの基準にしていくつかの集団が形成される。その後、人としての恥知らず加減、傍若無人さ加減、立ち回りの上手さ加減などにより、グループごとの序列が作られる。もちろんその時、グループ内での序列も形成されている。

一旦序列が定まると、上位の者は、下位の者による巻き返し、反撃を、徹底的に抑える必要が生じる。これが行為をともなった“いじめ”となる。

いじめる側が、弱い立場の者の人格を、頭から否定している。人の人格を否定して、人格を否定された人の序列を、低位に固定することが目的であるかのようだ。それを上位の者に強いている、“いじめ”という名の妖怪が、教室にはいるようだ。

娘が中学3年の時に、いじめにあった。高校受験が差し迫った頃だった。学校の先生から電話をもらった。「娘と話をして、場合によっては明日から休ませる」と伝えた。話を聞いてみたら、たしかにその傾向にあり、嫌な思いが増えているが、“いじめ”に取り憑かれている者もいるものの、そうでない生徒も少なくないとのことで、翌日も、ご飯をしっかり食べて出かけていった。

中川さんのように、クラス全体が“いじめ”に取り憑かれていると、やはり厳しいだろう。

私は高校の社会の教員だったが、社会か準備室で、私よりも5歳ほど上の教員と、いじめに関わる話をした。娘の話もした。彼の子どもはまだ小学生で、クラスでいじめが発生し、保護者会が開かれたことがあったということだった。彼の子どもは、積極的ではないものの、いじめる側にいたということだった。

「いじめられる側でなくて良かった」と、彼は言っていた。その場には、彼と私と、もう一人、仲の良い英語の教員がいた。その英語の教員と、彼がいなくなった席で、「あんなのが教員をやってるんだな」って、話しをした。

教員の立場からすると、いじめのある教室は、教室に入ればすぐ分かる。・・・なんだか、すえた匂いがする。それは教員の嗅覚で、教員は、その嗅覚を持つ奴と、持たない奴に別れる。・・・これ、本当。



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ジャンル : 本・雑誌

『人間の義務』 曽野綾子

先祖の墓は、本家の兄に管理してもらっている。

次兄は仕事の都合で、長く神奈川のマンションで生活したが、基本的には本家の近くに家を持っている。週末や、休みが連続するようなことがあれば、そちらで時間を過ごす。

本家は埼玉県の秩父にあり、私は同じ埼玉ではあるが、秩父は出てしまった。同じ埼玉ではあっても、秩父に行こうと思えば、隣町に行くのとは少し違う。しかも、埼玉でもジワジワ感染症が広まる中、私はお盆前に熱を出してしまった。夏風邪は馬鹿がひく。夫婦二人で、ひっそり生活していても、熱など出せば、堂々とお盆帰りというわけにはいかない。

三男の私が還暦ということもあり、三人兄弟がみんな、人生を語るときに、ただ句読点というわけにも行かない曲がり角。第二部に入るか、章くらい変えたいところで、せめて段落は変えないと、この先を語るわけにも行かないところに来た。

じつは、この1年間は、私たちにとっては嬉しい年になった。子ども世代で、独身で残っていた3人が結婚式を挙げた。もちろんそのたびに、祝杯を挙げる機会があったわけだ。それぞれ同じようなときに所帯を構え、同じような世代の子どもたちを持ったので、子どもが小さいときは、ちょくちょく本家に集まった。

母が亡くなり、父が亡くなり、子どもも成長して、次第に顔を合わせる機会も減っていった。父母の葬儀や、父や母と同じように歳を取った伯母、叔父叔母が亡くなって、その葬儀のたびに、いとこたちに会うと、「葬式くらいしかあえないね」といい合うような歳になった。兄弟であっても、会う機会は、うんと減った。

これぞれの話題も子から孫に移ろうとする歳になったんだもの。それは仕方がない。そんな私たちにとって、お盆の里帰りが三人そろって酒を酌み交わす年に一度の確実な機会だった。父が亡くなって以降、ここ十年くらいは、そんな感じだ。馬鹿が熱を出したせいで、今年はそれも見送りすることになった。

お盆の時期が過ぎてから、とりあえず墓参りだけしておこう。

この本は、曽野綾子さんが“人間の義務について”というテーマで『波』に書いた12話を第一部、“人間関係愚痴話”というテーマで『新潮45』に書いた9話を第二部として構成されている本。

第一部の“人間の義務について”に関しては、曽野さんご本人が「つまらない連載の題をつけてしまったものだ」と言っている。「読者の方々に謝りたい思いだ」とも。

たしかに、“人間の義務について”とは、端から見ても、「ずいぶん大上段に構えちゃったもんだな」って思わされる。特にそれが、雑誌に連載されるエッセイのテーマであるとすれば、ずいぶん重い内容になるんじゃないかと心配にもなる。なにしろ、冒頭から、もはや私の年齢や体力では、まともな答えは出てきそうにないことが分かった」と言い出してしまう。

だけど、これを読ませていただいて、曽野さんが、それなりの決意を持って、このテーマにしたんじゃないかと、そんなことを感じさせられるところがあった。

2017年に階段を数段踏み外し、鎖骨を骨折したことがあったそうだ。その鎖骨、動かし方によっては痛む場合はあるものの、歳を考えれば、あえて小さな手術をして鎖骨を継ぐ必要はないと、医者の方でも判断したのではないかと言うことだった。それを受けて曽野さんは、「要するに生きているうちだけ間に合えばいいんだ」と感じたそうだ。


『人間の義務』    曽野綾子

新潮新書  ¥ 700

人が今を生きていることは、安堵の胸をなでおろすべきことで、ドラマでさえあるはず
第1部 人間の義務
「生き続けること」だってむずかしい
「結果を受け留められる」のが大人
生きている限りは「折り目正しく」
他者への基本的な「恐れ」を抱く
成功するには「運・鈍・根」が要る ほか
第2部 人生の光景
万人に等しく訪れる「疲労」がある
人生は「数年なら我慢」できることが多い
「追い詰められた決断」が人を人にする
「量より質」の仕事は総じて怖いもの
「日記」も深読みすれば現状が見える ほか


80歳も半ばを過ぎたそうだ。

その歳なら、そういうものの考え方が出てくるのは、むしろ当然じゃないかな。死ぬのは、そんなに先のことじゃないだろうから、それまでの間だけ、持てばいい。そういうのは、還暦の私でも、場合によっては考える。

たとえば、車を買替える。今までは、1台10年って言う勘定で車を替えてきた。今の車も、来年あたりで10年になるんだけど、場合によっては、次の車が最後になるかも知れない。それなら、今の車をもう少し乗って、65歳で車を替え、行けるところまで行ってみる。・・・とかね。

ともかく、まもなく自分の人生が終わるのならば、それまで持てば良いって前提で、自分のこの先のこと全般を考える。どうやら、曽野さんは、そんな考え方をはじめたようだ。

どうやら人は、義務を意識して生きる人と、権利を意識して生きる人に分けられるらしい。もちろん、曽野さんは、義務を意識して生きてきた人だ。

「折り目正しく、人に迷惑をかけないで生きるというのは、最低限の義務」なんて感覚、今の若い人たちにどれくらいあるんだろう。自分の世代くらいまでは、確実にあったそんな感覚、今の若い人にはないんだろうか。

ずいぶん前のことだけど、担任している生徒が死んだことがある。交通事故だった。水田が広がる中に、縦横にたくさん農道が走っている。冬から春にかけては見通しの良い道なんだけど、稲が穂をつける頃になると、突然見通しが悪くなる。事故は彼の自転車と自動車の出会い頭の衝突で、それがあったのは9月だった。

連絡を受けて、すぐ伺った頃は、両親は泣くばかりだった。四十九日も過ぎた頃、両親から連絡をもらった。なにかの調査があっ時は、自分たちの死んだ子どもが大学進学をめざし、とても努力していると言うことにしておいて欲しいということだった。

そんなことはない。彼は大学を目指していなかった。かといって高校2年の2学期に入っても、就職とか、専門学校とか、具体的な進路も決めていなかった。生活もルーズで、事故に遭ったのも、夜中に近い時間だった。

だけど、大学進学をめざし、とても努力しているって学校が証明すると、慰謝料が上がるって、両親は言っていた。「そうですか」と話を終わりにしたが、結局、保険会社からそんな調査依頼はなく、以降、親とのやりとりもなかった。

感染症が蔓延する中、これは私たちの日常になりつつある。夏が暑いというだけで、多くの人が亡くなっている。雨期、あるいは台風で、多くの人が命を落とす。

マスクが届かないと、あるいはもういらないと、政治を嘆く声がある。対応が遅い。救助が来ない。お金が出ない。生きる権利を当たり前のように口にするとき、今、自分は生きているという大きな感動の理由を見失う。

歳を取っても、生きている間だけは頑張ろうって、そういう考え方も、歳を取ってこそ出来る。



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憲法『学問』 西部邁

主権とは崇高な権利のことであり、本来、神や仏のような超越的存在に宛がわれる正しさのことをさす。人民主権というように、そういうすごい権利を人民が持っているし、持つべきだと宣せられると、人民の欲望のすべてが、少なくともあらゆる切実な欲望が、権利とみなされ始める。道理において不完全たるを免れない世俗の存在は、王であれ、貴族であれ、民衆であれ、主権を有してはならない。

主権、厳密に言えば準主権にとどまるものは、せいぜいガ歴史の英知である伝統の精神が、それを授かるとするべきだ。

人間は知性と徳性のいずれにあっても、完成可能ではないと弁えておけばいい。そうすれば、自分の欲望が実現されることを、それが切実であるという理由だけで、基本的人権とみないしてはならないと了解できるだろう。

人民主権は、「神を殺した」人間が、神になろうとする傲慢の罪なのだ。

義務の観念は、人が自らを知性的にも道徳的にも不完全であると認め、その不完全さを補うために、歴史の英知としての道理には従順であろうと努めるところに成長する。

義務の本質は、禁止規則を守るというところにある。そして権利というのは、「禁止されていないことは為しても良い」という意味での許容規則から生まれてくる。「為しても良い」のは自由であるが、その自由の可能性を権利と呼ぶ。

義務はルールを守る行為であり、権利はルールが守られたあとで補償される行為である。あえて言えば、義務は重く、権利は軽いということになる。

人民主権などと自ら主権者を名乗り、自らの不完全性に盲目となって道理を忘れれば、やがて権利が肥大化して義務を屈服させることになる。


『学問』    西部邁


講談社  ¥ 時価

人生に必要なもの、一人の女性、一人の親友、一つの思い出、一冊の本。その一冊。
第1章 政治を問う
第2章 国際関係を観る
第3章 道徳を学ぶ
第4章 社交を察する
第5章 「生きる」を考える
第6章 歴史を想う
第7章 哲学を思う
第8章 実利を計る


政治の本質は、未来の不確実性へ向けての決断という点にある。

政治の決断は、古き制度を破壊しつつ未来に進み続ける。しかし、一般に、破壊が常に良い事態の創造のためのものであるとは限らない。破壊が進歩であるためには、政治を古き道徳につなぎ止める慎重さが要求される。

ただし、それは一般論である。今、破壊しなければならないのは70年以上前に、戦争で日本に勝ったアメリカ合衆国から強制された憲法である。その憲法こそが日本を古き道徳から切り離してしまった根源であった。

日本人は借り物の律令よりも、御成敗式目のように道理をもとに生きてきた。その道理は、歴史、慣習、伝統の中で構築された社会的価値観であり、アメリカによって押しつけられた日本国憲法は、それを無視して、さらには否定して作られたものだった。

だから、日本国憲法と、それをもとにした法は建前で、本音の部分では道理に従って、ものを考えてきた。しかし、それもそろそろ限界に来ているんだと思う。建前を突き崩し、本音を前に出さなければならない。一気にそこまで持っていくのは難しいだろう。とりあえずは憲法9条だな。

自分の気持ちを前に出しすぎた。

国民は今の厳しい国際状況から判断して、自分たちの憲法を作らないといけないと思っている。それが安倍晋三首相に対する支持になって現れている。今の日本国憲法は、アメリカに押しつけられ、強制された憲法であり、特に憲法9条の改正は厳しい国際情勢を勘案すれば、なんとしても安倍首相に成し遂げてもらわなければというのが国民の思い。

しかし、安倍首相が孤軍奮闘して何とかしようとしても、多くの自民党議員が、議席を失うことを恐れて全然動かない。率先して憲法審査会に誘導しようものなら、朝日新聞はじめマスコミによってたかって叩かれる。改正案を出して強行採決という形は見え見えで、タカ派、右翼とレッテルを貼られる。そうなると選挙を心配しなければならなくなって、結果、火中の栗は拾わない。

いま、自民党に所属する国会議員の多くは、自民党員であることが国会議員を続けていくために有効であるから、自民党に所属しているわけで、彼らにとって政治家というのは職業だからだ。生きていく糧を得るための、職業としての政治家を、政治屋という。

彼らの決断は、日本の未知なる未来に向けての決断ではない。日本の将来よりも、自らの保身である。しかし困ったことに、政治屋に過ぎない彼らが、日本の国政を担う議会という場に、政治家として議席を有している。

その彼らが自分の保身に走るとき、日本の将来が、ドブに捨てられてしまうことになる。


テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『骸骨巡礼』 養老孟司

そう、「何ごとも理解でき、説明可能である」なんて考えるから、面倒なことになる。

異常な犯罪は、“動機を追求中”と言っても、そもそも異常なのだから分かるはずがない。追求して分かったとしたら、異常であると思っていたが、調べ上げたところ、納得できる動機があったということになるなら、異常ではなかったと言うことだ。

よく分からないものを追求するのが学問である。いろいろと半端な知識を抱えつつ、いつも宙ぶらりんで居心地の悪さの上にいる。ああでもないこうでもないと、いろいろと本を読んでいると、瓢箪から駒、思いもよらないところから答えの糸口が見つかったりする。

そこまで居心地の悪さに堪えなければならない。でも、養老さんが言うように、現代人はそれを待つ辛抱が不足しているんだろう。無理やりこじつけた答えは、多くの場合、なんの解決にもつながらない。

今、世界が直面している武漢発の感染症なんて、まさにその通りに思える。

サンタ・マリア・デッラ・コンチェッツィオーネ・デイ・カプチーニ教会の納骨堂にはカプチン・フランシスコ会の修道士や神父3700人分の骨が納められている。しかも、「インテリア・デザインが得意な」イタリアなんて養老さんはふざけてみせるが、実際骨で飾り立てられた納骨堂の写真を見ると、それも本当のことじゃないかと思わせられる。

出入り口に掲げられた墓碑銘にはこうあるそうだ。

「かつて我々は、あなた方だった。あなた方はいずれ、我々になるだろう」

同じようなのが他にもある。サンタ・マリア・デッロラツィオーネ・エ・モルテ教会の地下墓地は、16~19世紀まで8000体の遺骨が納められているそうだ。入り口正面の柱には羽の生えた骸骨が描かれていて、骸骨がこう言っているという。

「今日は私に、明日はあなたに」

中世のヨーロッパでは、教会の中庭は住民の集会所であり、市場であり、墓地でもあったという。教会が墓地になったのは、人々が聖人の近くに埋葬されるのを望んだからだという。

聖人を崇拝しているわけだ。養老さんも、「キリスト教を一神教と決めつけるのは難がある」と言っている。特に、イタリアでは街ごとに守護聖人がいる。ベネチアならサンマルコ、ローマならサンピエトロか。

それに守護聖人っていうのは、職業によっても違うんだよね。魚屋や漁師ならサンタンドレ、建築家ならサントーマス、警察官はサンミカエル、報道関係者はサンガブリエル。私の職業上の守護聖人はサングレゴリウス。


『骸骨巡礼』    養老孟司


新潮文庫  ¥ 781

骨と墓だけの欧州旅行!死体と格闘する修行を通じて、辿りついた解剖学者の新境地
第1章 死者は時間を超越する
第2章 イタリア式納骨堂
第3章 ウソ学入門
第4章 フィレンツェと人体標本
第5章 ポルトガルの納骨堂
第6章 王の最後の姿
第7章 墓とはなにか
第8章 感覚の優位


教会に入ると、もちろん正面に貼り付けになったイエスの遺体があって、その脇にはマリアの礼拝堂がある。地元の守護聖人も祀られている。そのへんは、なんだか日本の神社みたいだな。

私の故郷の秩父神社には、八意思兼命、知知夫彦命、天之御中主神、秩父宮雍仁親王が祀られているぞ。それだけじゃなく、妙見さまとして拝んでいる人もいるぞ。

マリアの処女懐胎は、オシリスが冥界に行ってからイシスが妊娠した話に関与するし、マリアという存在自体がヘレニズム以前からの地母神信仰でしょう。

歴史の中でも、時にイデオロギーを統一しようという教皇が現れたりする。インノケンティウス3世とか、ホノリウス3世とかは、実は教義そのものよりも、権勢を誇示したいようなところが強い。そういうのが出てくると、世の中全体がえらく窮屈になって、カタリ派の大虐殺なんて言うのが起きたりする。一神教が頑なになれば、正規の解釈以外は許されない。

だけど、のちに出てくるプロテスタントに比べればおおむね適当で、同じ教会に知知夫彦命が祀られても、おそらく大丈夫だろう。

さて、骸骨に戻る。

「お前も、すぐこっちに来るんだよ」って、骸骨が言うわけだ。これに該当する日本語が、「明日は我が身」

これに養老さんがこだわっているのが面白い。骸骨に出会って、骸骨を見た“私”が死を感得するのが日本。骸骨が“私”に告げるのがヨーロッパ。骸骨が語りかけてくるのがヨーロッパで、こちらが骸骨からなにかを感じるのが日本。ヨーロッパには、骸骨になっても人格の残余があり、つまり他者である。日本の場合、それがない。ヨーロッパでは、相手が骸骨でも自分との間に切れ目がある。ヨーロッパは客観的で、日本は主観的。

相手が骸骨ではなくても、日本人は相手から感じ取る。だから、相手を取り込んでしまう。手前、おのれ、自分は、いずれも第一人称でありながら、時として第二人称にもなり得る。

ヨーロッパに端を発する近代社会では、自分は独立した人格で、自己同一性を有し、他と異なることを当然としている。しかし、日本社会においては、多くの場合、無意識に共感を求められ、なによりも“思いやり”を大切にする。

近代社会の原則を“建前”と受け止めるいい加減さがあればいいけど、そうじゃないと悩んじゃうよね。

だけど、自他を明確にしないと、責任は宙に浮いてしまう。戦争責任も、原発事故の責任を論じても答えが出てこない。答えがないことは誰でも知っていて、じゃあ、何があるかというと、責任を取る主体の代わりに“状況”が存在する。

ううん、養老さん、ずいぶん深いところに切り込んできた。



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『骸骨巡礼』 養老孟司

解剖を専門にしていた人だからな、養老孟司さんは。

死体について、なんだかんだと考えない方がおかしい。ヨーロッパを訪れた際も、ついつい墓地だの、納骨堂だのを覗いたんだそうだ。そんな中から、遺骨の扱いや、墓のありようが、日本とは感覚的に違うことに気がついたんだそうだ。

たしかに、骸骨で部屋を飾り立てたりしていれば、こりゃなんだと思う。そういう写真が、冒頭にたくさん紹介されているんだ。頭蓋骨も、その他の骨も、教会内部を飾る素材として使われている。

ああ、なんて言うんだろうな。私には、それは、たくさんの死体にしか見えないんだけど、これを飾り立てた人は、それを死体と認識して飾り立てたんだろうか。死体と認識して、それが出来るだろうか。

養老さんは、日本とヨーロッパの違いの背景には、身体観の違いあるんだろうと、そう思っていろいろと調べ始めたんだそうだ。

ただし、調べてみようと思っても、何をどう調べれば突き止められるのか分かって調べるわけじゃないって、養老さんは言う。たしかにね。何を知らべればそれを突き止められるのか、それが分かってりゃ楽だよね。結局、納骨堂だの、お墓だのをふらふらすることになったらしい。

いずれなにか分かるかも知れないし、分かる前に死ぬかも知れない。

ミラノのサン・ベルナルディーノ・アッレ・オッサ教会の外の柱にはすり減った絵が残っていて、頭蓋が二つ額を寄せ合っていて、そこに「与えよ、さらば与えられん」と書かれているんだそうだ。どうして骸骨がそれを言うのか。それが身体感の違いにつながるのかどうか、調べにかかれば時間はいくら合っても足りない。

そういうものに対する養老さんの態度には感心した。

《世界は詳細に満ちていて、ゾウムシを調べているだけで十分すぎる。それだけで生涯がつぶれてしまう。》

いつか、たまたま見えてくるものがあるかも知れない。見える前に死ぬかも知れない。


『骸骨巡礼』    養老孟司


新潮文庫  ¥ 781

骨と墓だけの欧州旅行!死体と格闘する修行を通じて、辿りついた解剖学者の新境地
第1章 死者は時間を超越する
第2章 イタリア式納骨堂
第3章 ウソ学入門
第4章 フィレンツェと人体標本
第5章 ポルトガルの納骨堂
第6章 王の最後の姿
第7章 墓とはなにか
第8章 感覚の優位


そう言えば、フランシスコ・ザビエルの遺体はインドのゴア州にあるボム・ジーザス教会でミイラ化されて保存されている。10年に1度は一般公開され、たくさんの人が集まるんだそうだ。

ただ、片腕だけ切り取られて、マカオに送られ、聖アントニオ教会に展示されているという。んんん、死体だよ。まあ、レーニンなんかがサイボーグみたいに部品を取り替えられて、防腐剤につけられて保存されるよりはマシかも知れないが。

それにザビエルは最後の審判の時には身体が必要だろうしね。おっと、レーニンは宗教はアヘンと考える共産主義者だからな。どうせ地獄に落ちるんだろうから、身体なんかあってもなくても良かろうにね。

毛沢東や金日成、金正日もか。そのうち金正恩もそうなるのか。なんだかわけが分からない。

そうだ。レーニンはじめ、防腐剤漬けになっている人たちのことはどうでもいい。

だいたい、キリスト教徒のことを考えてみれば、彼らが通う教会の正面にある十字架には、しばしば、イエス・キリストが彫刻されている。あれは、死んだイエス・キリスト。イエス・キリストの死体が彫刻されているわけだ。

吉備から十字架を下げている人もいる。そこでは省略されているが、本来は、そこにイエス・キリストの死体があるはずなんだろう。あの人たちは、首から死体をぶら下げているわけだな。

キリスト教が問題にするのは、救済だろう。

結局は、死んだあとのことだ。死んだあとのことが問題なのであって、死なんてものは、そのずっと手前、入り口に過ぎないんだから、問題にするまでもない。誰にでも、もうすぐ起こること。明日かも知れないし、・・・今日かも知れない。

少なくとも、遠ざけるべきものではない、・・・そういうことなんだろうか。

まだ、読み終わってもいない、半分くらいしか読んでないのに、この段階で、頭がクラクラしてくるようだ。・・・とりあえず、読み進もう。



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『うおつか流 食べつくす』魚柄仁之助

食べ物は、捨てたくない。

特に、誰かが私のために作ってくれたものは、ことさらに捨てたくない。それでも、何度も捨てたことがある。作っておいたことを忘れちゃって、ふと冷蔵庫を開けてみたら、ふと鍋のふたを取ってみたら、・・・そこには愛する彼の無残な姿が・・・。

食べ物を粗末にしちゃいけないと、ごく当たり前に育てられた。当然のように父母、祖父母は戦中戦後の食糧難を知っていて、父の6人の兄弟姉妹にも、さまざまな意味でかわいがられたので、より一層、食べ物を粗末にしちゃいけないという意識は強かった。

日本が豊かになって、飽食の時代になれば、飽食をも食べつくさなければならないと考えていた。健康のために食べ残した方がいいという新しい考え方には、結局なじめなかった。

しかし、その新しい考えの方が、今の時代では常識となっているだろう。そんな中で、先進国の廃棄食糧の問題が取り上げられるようになった。背景には、世界には、同時に、栄養不足で満足に成長できない子どもたちが少なくないことがある。一方に飢餓があって、一方に廃棄食料がある。大きな問題だ。

かつての日本にだって飢餓があったわけで、その理由は戦争だの部族対立だのさまざまで、もちろん一通りではない。一通り出ないからここで論ずる余裕はないが、私たちの社会が抱える廃棄食糧の問題を放置していいはずがない。

食い過ぎて身体を壊していいはずはないが、手に入れた食い物を食べつくすことによって、健康に生きていく知恵を持つべきだ。スーパーで自分と家族に適切な量の食糧を購入して、災害時の保存食料も考えて、それに継ぎ足し継ぎ足ししながら、その都度すべてを食べつくして、健康に生きていく。そういうバランスの取れた、食生活が送りたい。

魚柄師匠は、それを“「食べつくすためのモラル」教育”と言っている。そのモラルを徹底するためには、あらゆる食材を食べつくせる状態に調理加工できる技術。これに知恵を絞ることが、今の私たちには必要だと言っておられる。





農山漁村文化協会  ¥ 1,650

「食のスキル」で格差社会を生き抜け!「できる!自分」の作り方
其の1 朝採れ胡瓜・月100本との闘いの巻
其の2 古漬け野沢菜・沢庵の再生法の巻
其の3 大豆deチーズとマヨネーズin 70’sの巻
其の4 路上自炊のばんごはん参加記録in 80’sの巻
其の5 不人気・タイ米を引き受けるin 90’sの巻
其の6 ブロイラーが地鶏、ムネ肉がサラダチキンに!?
其の7 「時短・無駄無し・省エネ料理」と「保温調理」
其の8 「できる!自分」の作り方


この間、胡瓜のことを書いたけど、茄子は油味噌だったな。胡瓜同様、一時に、大量に食べ頃になるからね。

私は茄子の皮のプリプリ感が苦手で、あれを歯で噛んで、キュっていう感じが嫌。そこまでではないが、窓に爪を立てた時の嫌さに類似する。それが完全になくなり、ねっとりになるまで炒めた油味噌。あれを、ドチャっと丼ごはんに乗せてかき込むのが好き。くしくも、胡瓜も茄子も、味は味噌だな。

この本の中では、いろいろな食材の食べつくし調理加工技術を求めて、師匠は時空を越えて調査のたびに出かける。古漬け沢庵の再生に関しては、明治36年の本には、小口切りにして水の中でもんだ沢庵をおろし生姜と生醤油で食べればうまいと書かれているそうだ。さらに大正3年の本には、短冊に切って水につけて塩抜きし、みりんと醤油に漬け込めば4日ほどで食べられるとか。さらに沢庵のソース漬けは昭和13年、鯖の沢庵まぶしは大正13年と昭和11年の本に出ていたと。

それこそ戦中戦後の食糧難には、いろいろな代用食品が考えられていた。もともと、それでなくても、ご先祖さまたちは食い物で苦労をしてきた。そういう先人の知恵に、師匠は目を向けておられる。

以降、師匠の変幻自在の食遍歴が語られるが、私が注目したのは、安い鶏肉を地鶏以上のうまさにして食べつくす技。それから、放っておくだけの《保温調理法》だ。

鶏肉に関しては、現在実践中。《保温調理法》に関しては、おそらく、師匠は以前にもこれを紹介したことがあり、覚えはないんだけど、私はそれを読んだんだろう。実践している。ネタバレすれすれで済むと思う。私がこれに使っているのは、高校山岳部時代に使っていた、今のものとは比べものにならないくらい重たい寝袋だ。

沸騰したら火を止めて、鍋を寝袋で巻いて、それっきり忘れてれば、とてもおいしいアレが出来る。・・・なんと、これも昭和22年に発表されたもので、当時は《火なしコンロ》と呼ばれていたそうだ。

そうそう、この本のカテゴリなんだけど、当然、《本 料理》でいいかなと思ったんだけど、読み終わってこれを書いていて気持ちが変わった。《本 日本 思想》のカテゴリにした。



テーマ : 料理の本
ジャンル : 本・雑誌

月100本の胡瓜『うおつか流 食べつくす』魚柄仁之助

《週に1回の介護+援農帰省》で、そのたびに要介護者が畑で育てた野菜を持ち帰る。

胡瓜、トマト、茄子、冬瓜、夕顔、枝豆、小豆、大根、人参、南瓜、ジャガ芋、オクラ、ズッキーニ、茗荷、ブロッコリー、玉葱、白瓜、西瓜、トウモロコシ。

一人の要介護者が、動ける範囲で作った農作物が、都会生活者何十人でかかっても食べきれないほどになる。すごいもんだな、日本農業の底力。

食べきれないからと収穫しなかったり、そのまま耕作放棄地になっちゃうと、何でもかんでも生い茂って、すぐに薮になってしまう。そういうところがたくさんある。魚柄さんの言うとおり、薮になって人手が入らなくなると、イノシシやシカ、タヌキなんかの隠れ蓑になって、鳥獣害が広がる。それに連れて、熊まで人里に下りてくる。

食べきれないほどの野菜を送られて、「宅配料金よりも買った方が安いから、送らないで」って、田舎の母親に断るような真似をしてはいけない。その前に、食べきれない自分を恥じなきゃいけない。

そうだそうだ。その通りだ。

でも、どうかな。《朝採れ胡瓜・月100本との戦い》か。

子どもの頃、うちでも野菜を作ってて、主に畑をやってたのは、役場を退職した祖父で、祖母に母が随時、手伝っていた。芋を植える準備に、畑を掘り起こしたり、畝を切ったり、実際に芋を植えたり、各種野菜の収穫をしたり、草むしりにかり出されたりしたが、畑仕事は嫌いじゃなかった。

ただ、品物を市場に運ぶのが、いやだったな。基本的には家で食べる野菜栽培で、出来のいいのだけ市場に出していた。リヤカーで引いていくんだけど、知り合いに見られるのが嫌でね。

「採ってきて」って言われて、夏場のその時期に、朝の畑に行くと、もう胡瓜や茄子が、こっちを向くんだ。「出来たよ。採って」ってニコニコしているんだ。「こっちもこっちも」って。畑に長く居ると蚊に喰われるから、もう、「いい加減にしろ」って言いたくなるくらい。





農山漁村文化協会  ¥ 1,650

「食のスキル」で格差社会を生き抜け!「できる!自分」の作り方
其の1 朝採れ胡瓜・月100本との闘いの巻
其の2 古漬け野沢菜・沢庵の再生法の巻
其の3 大豆deチーズとマヨネーズin 70’sの巻
其の4 路上自炊のばんごはん参加記録in 80’sの巻
其の5 不人気・タイ米を引き受けるin 90’sの巻
其の6 ブロイラーが地鶏、ムネ肉がサラダチキンに!?
其の7 「時短・無駄無し・省エネ料理」と「保温調理」
其の8 「できる!自分」の作り方


さて、そして胡瓜をどう食べるか。魚柄さんは、本当にいろいろと工夫して食べている。

基本的に、長持ちさせるためには、塩に漬ける方法がある。もちろん、魚柄さんもそれはやっている。浅漬けからのさまざまな転用や、長期保存漬けからの転用も工夫されている。ここにはなかったけど、胡瓜のキューちゃん風にしても、日持ちがするよね。今、ご近所の方からそれをたくさんもらって食べている。

胡瓜に火を通すというのは、子どもの頃の私はダメだった。みそ汁の具になって出てきたときは、悲しみを覚えた。

だけど、うちにはある特殊な食い方があった。この食い方で、“月100本”は、おそらく軽くクリアーしていたんじゃないかと思う。

ここに紹介されている食べ方に、《下ろし胡瓜の冷や汁》というのがある。埼玉県中部、比企地方には冷やしたみそ汁、冷や汁というのがあって、これには輪切りの胡瓜が使われている。地元じゃこれで素麺を食べたり、昼の汁代わりにしたりしている。これをすり下ろした胡瓜で作ったらと言うのがこの料理。

定時制に勤めていた頃、食堂のマスターが、郷土料理として作って生徒や職員に出してくれた。その時、地元の職員が、「秩父でも冷や汁食べるの」って聞かれて、実は、少し答えに詰まった。

秩父のそれにあたる料理は、冷や汁とは比べものにならないくらい素朴で、野趣あふれる料理だから、「はじめて食べました。おいしいですね」って行っておいた方が、当たり障りないと思ったもんだから。

秩父のそれは、《胡瓜揉み》といって、できあがりの見た目は似たようなものなのだが、野趣が違う。まずは、ごまを当たって、そこに薄く輪切りにした胡瓜と適量の味噌を入れる。あとは、手を突っ込んで、味噌と胡瓜を一緒にして、ひたすら揉む。徹底的に揉む。

実は、連れ合いが、この《胡瓜揉み》を気に入って、夏になると東松山の自宅でも作っている。連れ合いの作る《胡瓜揉み》は胡瓜が輪切りにされた存在感を残している。《胡瓜揉み》を気に入ってくれた以上、私はその《胡瓜揉み》に満足しているが、本当は違う。胡瓜が、なんとなく胡瓜としての存在感は残すが、輪切りの体裁が感じられないところまで揉み込む。・・・飲めるくらいまで揉む。

そこまで揉むと、胡瓜だけで、ものすごい水分量になって、それこそ素麺に欠けてもかまわない。だけど一番は、暑い夏休みの昼飯に、丼ごはんにこの《胡瓜揉み》をかけて食べる。これに限る。

そう言えば、そろそろ胡瓜が安くなってきた。


テーマ : 料理の本
ジャンル : 本・雑誌

『切ない曲がききたい』 川井龍介

これはたしかに盛り上がるだろう。

いや、著者の川井龍介さんが“はじめに”の冒頭に書いているんだけど、「あなたにとって切ない曲とは?」っていうことを酒の席の話題にしたという話なんだ。しかもそれが、同じ時代を生きてきた者たちであれば尚更だろう。「あの曲がいい」とか、「いやこっちの曲の方が泣けた」とか。酒の席の次は、間違いなくカラオケだな。

もちろん、“切ない思い”っていうのは、ごく個人的な思い出を背景に持っていたりする。そうなると、もはや心のひだの話になってくる。

思いを打ち明けることもできなかったあの子

がむしゃらに気持ちをぶつけた、年上の人の伏し目がちな表情

家を出るときの、母の心配そうな顔

歯を食いしばって耐えていた男の子

夏の真っ青な空を流れる雲

手に入らないんだな。それは二度と。川井さんは切なさのエッセンスを言葉で並べる。「望郷」「別れ」「青春」「旅情」「時の流れ」「思慕」「喪失」「後悔」「健気さ」「卒業」「旅立ち」

やはり、二度と手に入らない。歳を取ると、その分だけ、手に入らないものが多くなる。手に入らないものが多くなる分だけ、人間として分厚くなっていてくれればいいんだけど、その辺はどんなもんだろう。





旬報社  ¥ 1,650

きいているだけなのに、なぜか、・・・・・・・・・泣き出してしまいそうだ
1 なごり雪       2 卒業写真    3 さくら
4 十九の春       5 制服      6 津軽海峡冬景色
7 駅          8 雨に泣いてる  9 真夏の果実
10 八月の濡れた砂    11 サトウキビ畑  12 月のあかり
13 クリスマスイブ    14 夜空ノムコウ  15   さよなら
16 黒の舟歌       17 すろーばらーど 18 こんな風に過ぎていくなら
19 タクシードライバー  20 学生時代    21 島に吹く風
22 横浜ホンキートンクブルース   23 黄昏のビギン  24 見上げてごらん夜の星を
25 オリビアを聞きながら 26 One more time One more cyance 27 JAM
28 津軽じょんがら節   29 サボテンの花  30 日だまりの歌
31 悲しい色やね     32 バラが咲いた  33 化粧直し
34 赤とんぼ       35 五木の子守歌  36 雪の降る町を
37 月の沙漠
1 ホテル・カリフォルニア       2 ミッシェル       3 忘却
4 君の瞳に恋してる   5 スタンド・バイ・ミー   6 オールド・ラング・サイン
7 アンフォゲッタブル       8 夏の日の恋    9 愛の語らい
10 スペイン革のブーツ      11 枯葉       12 ミスター・ロンリー
13 ザ・ロードアウト         14 サウンド・オブ・サイレンス  15 青春の輝き
16 マイ・ファニー・バレンタイン     17 ノー・ウーマン ノー・クライ  18 グラン・トリノ 
19 サマータイム        20 ヒロシマ      21 ハレルヤ
22 ラストダンスは私に      23 フラジャイル     24 ドック・オブ・ザ・ベイ
25 アランフェス協奏曲  
       





この本を読みながら、You Tubeで実際にその曲をきいてみた。

「いや、切ないな~」

ただ、上記の目次を見てもらえば分かるとおり、今年還暦の私にしたら、もう少しでいいから時代をさかのぼって欲しかった。

小林旭の『北へ』なんて切ないよ。恋に破れ、夢を捨てて、「北へ流れる」んだから。それから、三橋美智也の『赤い夕日の故郷』。二度と帰ることのできない満州の赤い夕日。切なさの粋を感じるな。

上記の目次に載ってる曲だけじゃなく、それに関連する曲、同じ人が作った曲なんかが紹介されているので、結局、関連でいろいろな曲を聞くことになる。

自分でも意外だったのは、何もまったく洋楽ファンというわけでは無いんだけど、洋楽に“切なさ”を感じるものが多いことに驚いた。『夏の日の恋』という曲がテーマに使われていた『避暑地の恋』から、『思い出の夏』っていう映画を思い出した。たしかテーマ音楽が切なかったような気がして、その曲を聞いたら、胸が泡立つような、心臓をきゅっとつかまれたような感覚にとらわれた。

思い出したのは、小学校4年の時の担任、千鶴子先生だ。先生のことをめぐって、ある級友とけんかをしたんだ。ずいぶん早熟だったんだな。・・・参ったね。

『ミスター・ロンリー』は、ジェットストリームの城達也の格調高い声を引き出してくるが、同時に、映画『グローイングアップ』のラストシーンが脳裏によみがえる。ドアを開けると、好きな女の子が他の男と抱き合っている。女の子は主人公の存在に気がつくんだけど、あらためて男の胸に頬を埋めるんだ。『ミスター・ロンリー』が流れる。主人公はドアを閉め、パーティ会場を抜け出し、一人、背を向けて街に消えていくんだ。

『スタンド・バイ・ミー』は、もちろんいい。だけど、それを聞いているうちに、シカゴの『素直になれなくて』を思い出して聞いてみた。・・・せ、切ないよ。コモドアーズの『スティル』は?・・・切ない、切ない。

そんなことをやってるうちに、今日も一日が終わろうとしている。

ああ、いい時間が過ごせた。いい本だった。


テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『本当は怖い仏教の話』 沢辺有司

お釈迦様は出家して、なにか本当に良いことなんかあったんだろうか。

中でも、これは心が痛い。お釈迦様の出身部族、シャカ族は滅んだ。根絶やしにされた。ガウタマ・シッダールタと呼ばれた王子時代、彼は世界の王となる人物と嘱望されたにもかかわらず、父を捨て、妻を捨て、子を捨て、国を捨てて出家する。

苦行の果てにたどり着いた真理とは、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静。

世の中のあらゆる出来事や物質は常に変化し、お互いに影響を与え合う相互関係にある。それにも関わらず人間はありとあらゆる物事へ不変を望み、そこへ執着してしまう。しかし世の中はすべてが無常であると言うことが真理であるから、なに一つ思い通りになるものは無く、望んでもなにも手に入らない。それを理解すれば、自分を通り過ぎるあらゆる現象に一喜一憂することはなくなる。

じゃあ、あの時もそうだったのか。あの、シャカ族が根絶やしにされたときも。

お釈迦さまは35歳の時に悟りを開いてブッダとなり、80歳で入滅するまで各地で伝道活動を行なった。マガダ国のビンビサーラ王がすぐに帰依し、竹林精舎の寄進を受けたことで、ブッダの教えは世に知られるようになっていった。

またコーサラ国では、パセーナディ王が帰依し、スダッタという長者がジェータ太子から買い取った土地をブッダに寄進した。この土地は「ジェータの園」と呼ばれ、“祇園”と漢訳された。これが祇園精舎である。

このようにブッダとコーサラ国のつながりは強かったのだが、すでにこの頃、両者の間には恐ろしい事態が発生していた。パセーナディ王が位に就いた頃、王は妃を、服属するシャカ族から迎えようと、大臣を派遣した。しかし、シャカ族首脳は大臣の高圧的な態度に腹を立て、マハーナーマという男は容姿端麗な自分の下女を着飾らせ、自分の娘だと言って王の下に差し出した。

パセーナディ王は何も疑うことなくその女を第一夫人として受け入れ、まもなく生まれた男児がヴィドゥーダバ太子である。太子が8歳になった頃、夫人の実家マハーナーマのもとに送られたときのこと、城の中にある完成したばかりの獅子座に登ったところ、獅子座は神々や王族だけが登るところだとして引きずり下ろされた。さらに門外に追放されて、「お前は下女の産んだ卑しい子だ」とむち打たれた。ヴィドゥーダバ太子は父と母とシャカ族を恨んだ。

ヴィドゥーダバ太子には兄がいたが、その兄を差し置いて王位に就いた。どうやらパセーナディ王を退けて王位を奪ったようだ。王位に就いたヴィドゥーダバはシャカ族を滅ぼそうと軍を動かした。ところがその道中にブッダが現れ、ヴィドゥーダバはブッダのために軍を引揚げた。

しかし恨みを忘れることができず、再び軍を動かすと、またブッダが現れた。ヴィドゥーダバはまたしても、ブッダのために軍を引揚げた。

それでも恨みは忘れられず、ヴィドゥーダバは三度軍を動かした。これを弟子たちから聞いたブッダは、「シャカ族は自分がした悪い行いの報いを受けるときが来た」と言って、シャカ族を見放した。






彩図社  ¥ 1,000

仏教とは、仏になるための教え。それがどうして、こうも怪しげに変貌したのか
第一章 仏教の怖い教え
第二章 仏教の過酷な修行法
第三章 仏教の知られざる歴史
第四章 仏教に残る日本の風習


城に乱入したヴィドゥーダバ王の兵士たちは、シャカ族を片っ端から切り倒し、暴れ象を放って踏み潰した。あたりには大量の血が飛び散り、川のように流れたという。

この悲劇を招いた張本人のマハーナーマは、「私が水に潜っている間だけ、シャカ族の者を逃がして欲しい」と懇願し、水に潜った。彼は、いつまで経っても浮かんでこなかった。水底を調べると、木の根に紙をくくりつけて、死んでいたという。

ヴィドゥーダバ王は城を焼き払い、シャカ族の女500人を捉え、もてあそぼうとした。しかし、女たちは、「下女の産んだ者と、なぜ交わらなければならないのか」と断った。王は群臣に命じ、500人すべての女の手足を切って、深い穴に放り込んだ。

お釈迦さまの教えは、バラモン教の教えの中から生まれた。バラモン教が成立した頃とは社会環境が激しく変わり、身分の高くない者たちの中にも、世の中を支えるほどに力をつけた者たちが現れていた。

にもかかわらず、バラモン僧らは何もしないで世に影響力を行使していた。片や生まれながらに身分が低く、ろくな仕事にもありつけず、成人するまで生きていくのも難しい者たちもいた。

しかし、クシャトリアという階級に生まれながら、お釈迦さまは思っていた。恵まれたヴァルナに生まれようが、低いヴァルナに生まれようが、人として生きることの苦しみは変わらない。

お釈迦さまの思想の原点には、平等思想がある。言うならば、苦の前における平等である。面白いもんで、平等思想を掲げるときには民族性というものが出る。ユダヤ人なら、神の前に平等。ギリシャ人なら哲学において平等。ローマ人なら法の下の平等。日本人なら歌の前には誰もが平等。インド人なら、苦の前に平等と言うこと。

だとすれば、ヴィドゥーダバ王こそ、お釈迦さまと同じ苦しみを背負っていた。シャカ族は、その対極にいて、お釈迦さまを苦しめる側だったわけだ。

ならば、ヴィドゥーダバがその屈辱を晴そうとすることを、お釈迦さまが止めなかった、シャカ族を見放したのも、分からなくはない。

「仏の顔も三度まで」という言葉は、この時のことを言ったものだそうだ。ちょっと回数が変わっちゃったようだけど。

面白い話を、たくさん読ませてもらった。私たちが小さい頃から聞かされてきた話の中には、仏教による刷り込みと考えられるものが、けっこう混ざっているようだ。



テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『元気に下山』 五木寛之

高齢運転手による事故が相次いでいる。

6月15日には、80代運転手の起こした事故が2件あった。どうも、80歳になると運転は無理みたいだな。そう言えば、以前、同僚が困っていた。「もう運転はやめてくれって頼んでいたのに、80代の父親が、内緒で新車を買っちゃった」って。あれから1年少し経ってるけど、どうしてるかな。

五木寛之さんは、63歳の時に運転をあきらめたそうだ。これは辛かったという。五木さんは車好きで、五木レーシングチームというチームを作っていて、海外のレースにも挑戦していたという。それじゃあ、車の運転をあきらめるのは辛かっただろう。

きっかけは、新幹線に乗っているとき、通過駅の駅名の看板が読めなくなって、動体視力が落ちていることを感じたんだそうだ。それに加えて、皮膚が緩んで上瞼が下がってきて、視覚が狭くなったと感じたんだそうだ。顔を上げないと目前の信号が確認できなくなったって。

これは分かる。私は目が大きい方で、人からよくそれを羨ましがられた。自分じゃあ見えないから、分からないけどね。私の父はと言えば、私には怖い印象ばかりが強い人で、目が三角形をした怖い顔だった。

それが今、自分の顔が父の顔そっくりになった。ちょっと前に連れ合いからいわれた。「どうしてそんな怖い顔なの。外でそんな顔しない方がいいよ」って、酷い言い方だよね。「しょうがねぇだろ。こういう顔なんだから」って言ったら、「以前はそんな顔で私を見ることはなかった」って、これまた酷い言い方。

だから今、瞼を引揚げるために、目の体操をしている。顔は正面を向けたまま、目玉だけ思いっきり左側を見る。そのまま少しずつ視線を上に上げていき、ぐるっと回って、思いっきり右側を見る。そこから今度は逆回り。これを何度か繰り返す。

そうすると、まあ、どうでしょう。少し目が大きくなる。ヤッター!・・・だけど、ぼーっとしている間に、瞼は下がって元に戻る。

だけど、私はあきらめない。私は外でも、こんな顔をさらして歩くしかないんだ。私に、「そんな顔」と言ったあの女を見返してやるんだ。それまではあきらめない。左を見て、ぐるっと回って右を見て。ヤッター!・・・だけど、ぼーっとしている間に。

『元気に下山』    五木寛之


宝島社新書  ¥ 814

海図も羅針盤もないまま、家族、仕事、健康、人間関係は大きく変貌しつつある
第1章 「人生100年」時代を生きる
第2章 人生後半の問題
第3章 晩年期の家族
第4章 新時代の日本社会
第5章 生きること、死ぬこと


歳を取ることによって、できなくなることがある。これを、どう受け止めるか。

五木寛之さんと違って、私は宮仕え。その仕事を辞めて、分かったことがある。

「ちゃんとした仕事っていうのは、時間に追われてはできない」

だけど、勤め人っていうのは、そうはいかない。定められた時間の中で、人を納得させるだけの仕事を、どれだけこなすことができるか。それが“仕事”っていうものだと思ってた。私は自分が納得できる仕事をしたかった。40歳くらいまでは、それが許容される職場の状況があったんだけど、残念ながら、仕事の方が様変わりしてしまった。

もちろん、それでも、自分が納得できる仕事を目指した。仕事量も減らさなかったけど、なんだかイライラしてることが多かったかな。

仕事を辞めて、何をしたかっていうと、玄関先の掃き掃除をした。なにせ、隣のうちが、敷地内に森林を抱えているから、1年を通して落ち葉がすごい。それを掃く。道路は掃きやすいけど、うちの敷地に落ちた葉は、箒じゃ上手に掃けない。イライラしたけど、イライラしたのは、私自身が時間に追われていたからだと気がついた。箒で掃けなければ、手で拾えばいい。

できなくなったことは、工夫して、時間をかけてやればいい。

おかげさまで、日本っていうのは、かなり面白い国。不思議な歴史と、不思議な文化にあるれている。しかも、周辺を奇異な国に囲まれていて、その対照がまたおもしろい。

不思議な歴史と不思議な文化をたぐっていくと、エキゾチックな異文化が顔を出す。かつて、シルクロードの東の終点と言われた日本列島は、異文化の混ざり合った混沌を、「こおろこおろ」とかき混ぜて、持ち上げた沼矛の先から滴り落ちた塩の雫がしだいに積もり固まって形となったのが、日本という国らしい。

そんなかけらを拾い集めて時間を過ごすのも良し。また、周辺の奇異な国の動静を笑って過ごすのも良し。

高校の時、物理の先生に言われた。お前たち山岳部は、山に登って下りる。仕事量はゼロだと。

いや、うれしいな。山に登って、そして下りて、そのゼロを繰り返して、人生を下山する。「・・・文句あっか」は、荒井注の決めぜりふだったな。

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Author:イーグルス16

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水害に苦しむ日本。
辛苦から生まれた様々な名言から治水に関する知恵や教訓を学ぶ
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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本




















































































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