めんどくせぇことばかり 本 日本 思想

八幡神『「日本人の神」入門』 島田 裕巳

あっれー❢ アッラーはアラビア語で“神”を意味する普通名詞なんだって。固有名詞じゃあないんだ。私はてっきり、ヤハウェをアラビア語でいうとアッラーになるのかと思った。・・・ったく、まいった、まいった。

そんなことを教えてもらいつつ、この本だけど、とにかく文献をもとに淡々とかかれているイメージ。飛躍はしない。「自分でかってに飛躍してね」ってところかな。ただ、どっちの方角に飛躍すると面白いかは、しっかり押さえてもらってる感じ。

ここではとりあえず、八幡神を取り上げてみたい。
八幡神と言うのは災厄を振りまく荒ぶる神様だったんだな。

八幡神は応神天皇の霊で、欽明天皇の時代に“宇佐”に現れた。一時は心が荒れて、五人のうちなら三人を殺し、一〇人のうちなら五人を殺すほどだった。その心が和らいでから、ようやく社殿を立てて奉斎がかなうようになった。『宇佐八幡宮弥勒寺建立縁起』(『承和縁起』)

近づいた者を死なせてしまうほどの威力を発揮していたからこそ恐れられ、敬われていたわけだ。何かと反乱の鎮圧に当たっては八幡神への戦勝祈願が行われたそうだし、とくに武士たちの尊崇を集めたのも納得できる。

書かれていることだけど、当たり前っていえば当たり前なんだけど、八幡神が応神天皇なら、父親は仲哀天皇で、母親は神功皇后。武内宿禰が絡んでくるけど、そんなことは天が許さない。仲哀は熊襲討伐に向かう中、いきなり、先に新羅を打てと神託を受けるが、これを蹴飛ばしてしまう。で、神罰が下って死んでしまう。神罰を下した神は天照らしい。ということになると、八幡神にとって天照は親の仇かぁ?


講談社新書  ¥ 864

神道と仏教との仲介役を果たした、戦慄すべき八幡神
第一章  場所性をもつ日本の神 一神教との対比
第二章  怖れられた皇祖神 天照大神
第三章  戦慄すべき八幡神
第四章  日本的三位一体
第五章  出雲大社と大国主、そして出雲国造
第六章  神を祀るということ
第七章  人を神に祀る
第八章  日本的一神教


八幡神は、日本における仏教の興隆にも大きな役割を果たしている。大仏造立を八幡神がお出ましになって守護している。後の手向山八幡宮に収まって大仏造立と、それにともなう仏教興隆に大きな役割を果たす。さらには、宇佐八幡神託事件を巡っては、信託を受けに参宮した和気清麻呂の前に、身の丈三丈もの僧形の八幡神が現れたそうだ。

そういうことになれば、もちろん神仏習合のトップランナー。

那須与一は、屋島沖の船中、兵への女御の掲げる日の本の扇に狙いを定め、「南無八幡大菩薩」と唱えて矢を放つ。なな、南無八幡大菩薩。八幡神は仏教の大菩薩と崇められ、武人の守護神になった。

大仏造立のために八幡神は平城京にお出ましになって手向山八幡宮に勘定された。総国分寺たる東大寺に八幡神が守護神についたのだから、各国の国分寺でも同じ現象があったはず。
もとは渡来系の人々の神だったと言うが、それがいつしか宇佐八幡に祀られ、平城京に進出して仏教の興隆に貢献し、全国に広がっていった人々がいるということか。宇佐
この地図は、前に使ったもんなんだけど、◯は山門、△は高良山を示したもの。その中に宇佐に印をつけてみた。やはり、大和朝廷成立に関わった何某かの勢力ということだろうか。
私が生まれたのは埼玉県秩父市下影森の旭町、すぐとなり、西側にあったのが八幡町。「やはた」と読む。こんなところにまで八幡神はお出ましになっていた。ちなみに、歌手の冠二郎さんの生まれたところだよ。




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『諏訪の神』 戸矢学

この連休、孫が遊びに来ている。そんなわけで今週末は、山にも行かずに孫の子守。最近、孫1号はだいぶ思索的な子供に成長しているのだが、孫2号が孫1号の小さい頃に輪をかけたギャングで、手におえない。ジジはヘロヘロ。「孫は来てうれしい。帰って、またうれしい」っていうのは、一面、本当だな。

そんなわけで、やむを得ず前に書いた記事。中秋の名月も過ぎ、めっきり秋めいてきている。諏訪の山も、紅葉を始めているはず。

J-CASTニュース 2015/1/5 
諏訪大社カエル串刺し神事に抗議 動物愛護団体「許すことのできない残虐行為」
http://www.j-cast.com/2015/01/05224563.html?p=all
(要約)
諏訪大社で続けられている伝統ある神事に動物愛護団体が「許すことのできない残虐行為」として抗議活動を行い、地元の人たちの間で困惑が広がっている。 

団体が問題視するのは、生きたカエルを串刺しにして神前にささげる「蛙狩神事(かわずがりしんじ)」。「異常な行事は子供への影響を考えても廃止すべき」としている。
(続きを読む)に全文

蛙、たくさん殺したなぁ。ザリガニ捕るときは、蛙を地べたに叩きつけて、足だけもぎ取った。お尻にわら突っ込んで、ふくらましてころがした。わりぃ事をしたなぁ。ごめんね蛙くん。わけもなく命を奪って・・・。でもね、君たちのおかげで私、けっこうまともな人間になれたかもよ。

まあ、これは宣伝でしょ。「自分たちはこんな活動してま~す」ってさ。「命大切にしてま~す」ってさ。でも、逆だったりすんだよね。それって。命の痛みっての? 奪ってみなきゃわからない重みってのもあんだよね。

そんな寒い諏訪の地で、正月っから人に嫌がらせしてないで、縁日のミドリガメ売りでもやめさせたら。あと、ひよこ売りもね。どうせ死んじゃうんだから。ついでに金魚売りもどうでしょ。・・・的屋のおじさん、ごめんなさい。

この神事、“贄”ですね。もとは蛙に象徴される人間集団が“贄”としてささげられたんだろうね。・・・この本にも同様なことが書いてあった。

『諏訪の神』    戸矢学

河出書房新社  ¥ 1,944

諏訪、御柱、モレヤ神、ミシャグジ、縄文の五大キーワードから、得意な神社、諏訪大社の信仰に迫る
第1章 「諏訪」とは何か
第2章 「御柱」とは何か
第3章 「モレヤ神」とは何か
第4章 「ミシャグジ」とは何か
 第5章 「縄文」とは何か

諏訪大社に祭られている建御名方神。出雲で建御雷神と戦って敗れ、諏訪湖まで逃げて来る。ここで諏訪からでないことを約束して建御雷神に命乞いする情けない神。しかしこの神、古事記にのみ詳細に登場する。

古事記七一二年、日本書紀七二〇年、出雲風土記七三三年と、なんだったら建御名方神が紹介されてしかるべき書物が成立しているなかで。最初に成立した古事記だけが建御名方神が諏訪に祭られた由来を紹介する。建御名方神が朝廷の正統、出雲公式見解にも登場しない。これは何を意味するのか。あとから古事記に書き込まれたのだとすればつじつまは合う。

あんまり言うと、ネタばらしになっちゃう。ただこれだけは言わせて・・・。建御名方神の名前の由来。

「タケミナカタ」・・・「建き 御名の方」  つまり 『雄々しい お名前の方』

そして、そうとしか呼べない方。本当の名を読んではいけない方。つまり本当は、神として祭ったりしちゃいけない人。・・・誰だろう。諏訪大社には拝殿のみで本殿がない。このような場合、当然拝殿の背景にある山がご神体となる。近年、諏訪大社は何らかの理由で拝礼の向きを変えてしまったが、地元の人々はもともとの方角に向かって参拝しているという。その方角にあるのは、“守屋山”。“モ・リ・ヤ”・・・・・・ごめんなさい、ごめんなさい、もう言いません・・・ 

フォッサマグナ諏訪大社の信仰は、もっと古い。もともとは硯石をご神体とするミシャグジ社。そこに『雄々しい お名前の方』が名が伏せられたまま持ち込まれて、ミシャグジ神に加えて畏れられた。さて、そこでミシャグジ神。著者はこれを濁音のないヤマト言葉に戻して“ミサクチ”としている。敬語の“ミ”を取り除いて、“サ・ク・チ”、“サク・チ”、“サ・クチ”・・・境目の地? 割く地?

左の地図、★は諏訪大社。赤い線はなんだと思います。赤い線は、フォッサマグナね。
『諏訪は縄文信仰への入り口。ミシャグジはその水先案内人』・・・著者はそうまとめています。見事なまとめ方だと思います。“日本”という歴史は確かに弥生によってはじまる。その弥生でさえ、実際には謎に包まれているわけだ。でも、その“日本”は分厚い縄文の層の上に成り立つ。その縄文の入り口が諏訪だと・・・。そして縄文の水先案内は、ミシャグジだと・・・。

蛙狩神事・・・。どうかな。私たちの祖先が、そこに託したものは、一体何だったんだろうね。この、ゆれる島で、無事に生きていけることをに、おそらく感謝したんだろうな。




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『仏教って何ですか』 池上彰

奥多摩の高水山に登ってきた。その登り口にあった高源寺というお寺が右の写真。別になんてことない、普通の山のお寺のだな。PA010011.jpg
それが、お寺の境内に入ったら、その奥の方に、何やらお宮のようなものがあるみたいなので行ってみると、なんと妙見宮。さらにその手前には鳥居。

これは神社だ。お寺に神社。どう見ても、お寺が主で、神社が住。

明らかに廃仏毀釈を波をまぬがれている。
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蘇我氏がどうの、物部氏がどうのと、すったもんだしながら日本に仏教が入ってきた。そして仏教は、最初から鎮護国家の重い役割を期待された。“最初から・・・”ということは、仏教が入ってくる以前の神々にも、当然その役割っていうのが期待されていたわけだ。

やがて、神道と仏教は融合する。神仏習合だな。だけどその形態は《本地垂迹》というもの。インドの仏・菩薩が民衆を救うため、日本においては神という仮の姿をとって現れているという立場だな。だから、どうしたってインドの仏や菩薩が主で、神は従ということになる。

だけど、それは表向きのことで、実際の信仰生活においては、日本人は神羅万象への崇敬の念を基礎とする古来の信仰を1ミリも揺るがすことがなかった。・・・「私が思うには・・・」だけどね。

だから、廃仏毀釈なんて運動、何にも必要がなかった。原理主義に踊らされた人間ってのは哀れなもんだ。何百年にもわたる祖先たちの信仰の対象が、破壊され、木くずになって火にくべられた。積み重ねられた父祖の営みに唾を吐き、汚した。バーミアンの仏像破壊なんて大したことじゃない。日本の廃仏毀釈に比べれば。

一時の感情で仏教の破壊活動に走った彼らは、その後、どんなに悔やんだことだろう。どんなに苦しんだことだろう。



飛鳥新社  ¥ 600

誕生、伝来から、葬式や戒名の意味、新興宗教まで。仏教にまつわる疑問に池上 彰が答える

第一章  仏教って何ですか
第二章  仏教発祥の地インドへ 
        ダライ・ラマ14世との対談
第三章  仏教で人は救われるのか
        日本人にとって仏教徒は
苦しみにのたうち回って、宗教にすがる人はいくらでもいる。私の身の回りにもいる。なかには、「私は救われた。だからあなたも・・・」って声をかけてきた人も、何人かいた。・・・救われるってなんだ?

彼らを救ったのは、仏教系の宗教だった。「救われた」と称する彼らは、悟りを開いたのか?涅槃に寂静したのか?もう、輪廻して、この世に転生してくることはないのか?

お金はないけど、それなりに生活はできそうだ。女に狂って、我を失うことは、・・・間違いなく、もうない。祖父母、父母を見送った私だから、年長者を見送ることには慣れた。同じことがあっても、おそらく大丈夫だろう。年少のものを失うのは、・・・これは耐えられないかもしれない。

自分が死ぬことはどうだ?・・・やっぱり嫌だな。嫌ではあるが『ついに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを』っていう程度に行くことになるんだろう。それはそれでいい。

自分がこの世から去る日は、以前に比べ、確実に近づいているわけだし、それまでの間に、まだまだどんな苦難があるかは分からない。だけど、そんなことがあっても、宗教に救われたいわけじゃないんだよな。

神仏や、お日さまや、いろんなものに手を合わせることはあるけど、「救ってください」って言ってるわけじゃない。山に行くと、いろんなところに神さまや仏さまがいる。手を合わせるたびにお願いするほど欲深くもない。

そうだなぁ。「こんにちは」とかね。「雨ですね」とかね。手を合わせてそんなことを言ってるかな。「よろしくね」とかね。辛いことがあっても、いろいろな人の生き方に学んで、なんとかやっていくんだろう。

本書の中に、著者とダライ・ラマの対談が収録されている。600万人に及ぶチベット人の命運、さらにはチベット人の存立そのものを双肩に担い、あがき苦しむことはなかったのだろうか。著者は、ダライ・ラマの生き方を次のように言う。《後ろを振り返っても仕方がない。真実を語り、慈悲を実践することで前に進んでいくしかない》

鏡にしたい。




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葬式『仏教って何ですか』 池上彰

私の生家は、臨済宗だったな。お寺は秩父34か所観音霊場の一つ、万松山円融寺というお寺。住職をめぐり檀家が二つに割れるいざこざがあり、結果的に檀家が住職を放逐する騒ぎがあったそうで、私が子供の時分から、長く住職がいない寺になっていた。なんかの時には、同じ臨済宗の金仙寺の住職にお経をあげてもらった。

家族の死を初めて体験したのは21の時、祖父が亡くなったときだった。恵まれた方だろう。そこから、祖母、母は9年、5年くらいの間隔で亡くなった。父が亡くなったのは46の時か。実際には、それなりに間が空いているはずなのに今思うと、祖父が亡くなってから、続けざまで、葬式ばっかりやっていたような気がする。

母の時までは、家で葬式を出した。あの時は、暑い夏だった。喪服の中を汗が流れてたもんな。金仙寺の坊主が「ビールがぬるい」とか言い出しやがって、頭に来たのを覚えている。

うちの方では、坊主がお経をあげている間、親族の男は頭に白い△をつける。お化けが出てくるときにつけてるやつだな。秩父の外から参列してくれた人は、びっくりしているよ。それから、お通夜に参列してくれた人への振る舞いや、葬儀の後の直会は、完璧な飲み会になる。坊主も、喪主も飲む。まかり間違えば、何人ひっくり返るかって感じになりかねない。

私にとっては、それは紛れもない仏教の姿だった。



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誕生、伝来から、葬式や戒名の意味、新興宗教まで。仏教にまつわる疑問に池上 彰が答える

第一章  仏教って何ですか
第二章  仏教発祥の地インドへ 
        ダライ・ラマ14世との対談
第三章  仏教で人は救われるのか
        日本人にとって仏教徒は

ブッダは、悟りを開いた。生老病死の苦しみがどこからきているのかをつきとめ、その原因である煩悩をすべて消し去り、一切の苦しみから解放された。輪廻転生の繰り返しから解き放たれ、二度と生まれることのない涅槃寂静の世界に入った。
どうすれば、ブッダと同じ高みに至ることができるか。それが仏教の教えであり、修行であった。

それは当時のインドの人々の求めるものであり、それに答えたからこそ、仏教は広まった。ただ、人が変わり、時が移って人々の求めるものは変わり、それにこたえる仏教の教えも生まれた。一神教ならば、神の教えを変えることは難しかったろうが、ブッダは人である。のちの人々は、ブッダならこう考えるであろうことを類推し、教えに組み入れた。

ブッダの教えは本来、生きる人が悟りに行きつくためのものであり、葬式には関係ない。それが葬式と結びついたのは、チャイナでのことであったらしい。やはり、儒教に由来する先祖供養の思いが強いからね。仏教の僧侶が先祖供養に関わったらしい。仏壇に供える位牌も、本来、儒教の習慣に由来するんだという。

平安時代、庶民の間では、河原や海岸、林の中に遺体を捨てることが一般的だったという。自然に返す、インドのやり方に近い。やがて、河原に捨てるにしても、供物を施すようになり、死者の送り出しに僧侶が関わるようになっていく。

鎌倉仏教を生み出した法然、親鸞、日蓮、道元といった僧侶たちは、仏教が国家に奉仕した時代にあってはドロップアウト組。どうしても国家よりも、庶民に目を向けるようになる。その庶民は、僧侶たちに葬儀を望むんでいた。

当時、大流行していた浄土信仰によれば、「南無阿弥陀仏」と唱えれば浄土に行ける。成仏できる。それに加えて僧侶がきちんと葬式をしてくれれば、より確実に成仏できる。庶民は、葬式に最後の救いを求めたんだな。

母の葬式の時、父が母の顔にささやいてた。「先にいいところに行ってろいな」って。

そうして、葬式を出して送り出してもらえらば、万々歳で成仏していくわけだ。葬式仏教の何が悪い。よかったよかったって、酒を飲んで何が悪い。




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魔羅『さすらいの仏教語』 玄侑宗久

梵語の“マーラ”は「善法を妨げ、修行を阻むもの」のことで、それに漢字を当てたのが魔羅となる。自分の内側から生じるものが内魔、外からやってくるのが外魔。内から生じる内魔の代表的なものが性欲で、親鸞聖人もそれに打ち勝つことはできなかった。性欲の強さは人によりけり。親鸞上人もよほどの内魔を抱えていたらしい。おそらく私もダメだ。
 
そんなことはともかく、その性欲の象徴としての男性器を魔羅とよんだわけだ。もちろん、もともとはお坊さんたちの言葉。・・・というよりも、隠語。その隠語がいつの間にか外に出ちゃったわけだな。

“シャリ”と言えば、お寿司屋さんのご飯のことですよね。これもお坊さんたちの隠語から生まれた言葉で、漢字で書けば舎利で、お釈迦様の骨のこと。各地に分け与えるために細分化されて、「ご飯粒みたい」ってことらしい。

“踊り子”っていうのは何でしょう。なんか、エッチな隠語を期待しているかもしれませんが、これは飲食の禁忌から生まれた言葉のようです。よく跳ねるから、“ドジョウ”をそう呼んでいた。

“御所車”は、中に貴い方が居るという発想から、“たまご”のこと。

お坊さんには戒律があるからね。やっちゃいけないことね。お坊さんにとってこれは、本来は絶対的なこと。だから、口にだすこともはばかられた。でも、ときとともに、それから人によりけりで、だいぶルーズになった面もあった。それでも表面だけは繕った。だから、隠語を使った。

親鸞聖人じゃないけど女犯は本来重罪。でも、江戸時代になると、だいぶ緩まってたらしい。檀家の方でもそれを承知で、見て見ぬふりだったみたい。ただ、お坊さんが“女房”だとか、“妻”だとかはまずいので、隠し妻のことは“大黒”と呼んでいたらしい。有名なところでは、“酒”は“般若湯”ですよね。般若は智慧のことだから、「智慧のわくお湯」とは味のある命名ですね。


中央公論新社  ¥ 821

諸行無常、物事は変化する。内実が変わったのに言葉が変わらないと、言葉そのものの意味が変質する

はじめに
Ⅰ 師子身中の虫/莫 迦/ホラ吹き/魔 羅/どっこいしょ/皮 肉/貧者の一燈/観 念
   娑 婆/退 屈/大丈夫/分 別
Ⅱ 餓 鬼/素 性/阿弥陀クジ/油 断/うろうろ/ないしょ/工 夫/がたぴし/めっぽう
   ふしだら/ご開帳/祇 園
Ⅲ 三千大千世界/女 郎/お陀仏/砂 糖/台無し/つっけんどん/爪弾き/あまのじゃく
   けげん/おっくう/説 教/袈 裟
Ⅳ 利 益/藪と野暮/ゴタゴタ/ご馳走/出 世/自 由/一大事/老婆心/不思議/おぼん
   彼 岸/玄 関/後生と一蓮托生
Ⅴ えたい/微 塵/金輪際/有頂天/奈 落/功 徳/冥 利/愚 痴/閻 魔/般 若/微 妙
   檀那と坊主
Ⅵ 言語道断と自業自得/上 品/実 際/権 化/極 微/念 仏/挨 拶/講 堂/伽 藍/邪 見/徹 底
   啖 呵/中 有/瓦/閼 伽/補陀落
Ⅶ 南 無/七 難/荼 毘/聖/道 場/塔 婆/無 念/露 地/愛 嬌/方 丈/菩 提
仏教語索引

だけど、さっき行った戒律の中でも女犯は重大な罪となる。ここで話に出すのは、歴史的にも評判の宜しくない道鏡のことなんだけど、よく、称徳天皇と男女の関係にあって、その巨根を持って称徳天皇をとりこにしたとか言われる。だけど、これはないと思う。

お坊さんになるということは、本来の意味で言えば、それまでの生を改めること。それまでの生をやめて、違う生を生き直すこと。そのために与えられる戒めが戒律。真剣に出家した者で、それこそ通常の精神であれば、戒律を破るということは生をやめることを意味する。後の、緩くなった時代とは違う。

“道鏡に崩御崩御と称徳言い”とか、“道鏡に根まで入れろと詔”とか。

でも、そんなことは、おそらくなかった。称徳天皇が道鏡に位を譲ろうとしたというのは、藤原氏にがんじがらめにされた皇室のあり方に絶望してのことだったろう。だったら尊敬に値する道鏡に位を譲り、御仏の精神を政治に活かし、仏国土を実現してもらいたいと考えたのだろう。“崩御崩御”だの、“根まで入れろ”とかは江戸時代のものでしょうけど、それにつながる罵詈雑言は、藤原氏の情報操作によるものでしょうね。

私も連れ合いに、“崩御崩御”と言わせてみたいところだけどね。




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『ミステリーな仏像』 本田不二雄

「日本人が仏像に何を求めたのか」っていうことですよね。

それは、仏教が入ってくる前から日本人が持ってた思いだよね。思いは変わらないはずなのに、仏教以前、それをそのまま神にぶつけていたとは思えないな。それをするには、神はすこし曖昧だし、掴みどころがないし、漠然としているし、大きすぎるし、小さすぎるし、水のように流れていっちゃうし、風のように吹かれちゃうしね。

その点、ほら、仏教は仏像と一緒に入ってきたから、すでに擬人化されていて、まあ、思いをぶつけやすかったんでしょうね。それまでぶつけられなかった分だけ、堰を切ったように仏像文化が花を咲かせましたね。

私にも、印象に残るいくつかの仏像がある。なかでも、中学校の修学旅行で東大寺南大門の金剛力士像をはじめて見た時の衝撃は忘れられない。それから神護寺の薬師如来像。・・・まあ、あまり知らない中から選んだって、仕方ないね。



駒草出版  ¥ 1,620

こんな仏像見たことない❢ 比類なきお姿に込められた祈りと信仰を読み解く
第一章  仏像が秘めていたもの
第二章  ありえない仏像
第三章  霊木からの化現
第四章  奇仏をめぐる旅
第五章  女神像の秘奥
第六章  神々を発見する
お地蔵さままあ、なんといってもこれかなあ。私の生まれた家の近くの辻に立つお地蔵さま。子供の頃はここに紙芝居が来たり、坊さんが来て私たち子供の相手をしてくれたりしてね。大人たちにとっても、何かと集まると言えば、この辻のあたりだったんだな、きっと。
さて、この本なんだけど、まあ、よくもこんだけいろいろな仏像があるもんだな。振り返ろうとしている仏像ってのがあるんだね。木の洞に、そのまま彫り込まれた仏像とかね。聖母としての仏像ってのもすごいですね。それから鬼子母神。うわっ、ガリガリに痩せ細った仏像。人に触られて、ツルッツルになっちゃった仏像。

仏教以前の神に対する思いも含めて、いろいろな思いが仏像に投影されているんだな。
聖母としての摩耶夫人像ってのは、一つの形式となっているんですね。それにしても、お釈迦様が、摩耶夫人の右の脇の下からダイブしてきてるよ摩耶夫人
こんな、いろいろな仏像が紹介されています。とりあえず、本屋さんでペラペラしてみるといいと思う。



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『山の怪奇 百物語』 山村民俗の会

私は秩父の生まれで、奥秩父は高校以来のホームグラウンド。今はなき雲取ヒュッテ、雁坂峠小屋、甲武信小屋とも、なぜか親父さんは、夜になるたびに怖い話をして高校生の私たちを怖がらせるのが大好き。ひとしきりそんな話をして高校生をいたぶったあとは、決まって最後、小屋まわりやテント場の見回りを言いつけられたりする。一度、そんな時間に登ってきた大馬鹿野郎に出くわして、腰が抜けるほど怖い思いをしたことがある。

知っている場所が多いんだよね。・・・というのも、この本に乗っている怪奇譚の語られる現場のこと。奥秩父、寄居、越生、顔振峠。いずれも勝手知ったる庭のごとく、よく歩いている場所だ。

ということは、このあたりに《山村民俗の会》の会員が多いということなのか。

私の生家は武甲山山麓で、何かと伝奇・伝説の多いところ。しかも、嫁はロクサン様に仕える役割を担うというのが生家の習わし。祖母は、思いっきり雰囲気を持った人で、暗いところで気配を消してしまうから始末が悪い。遊んで薄暗くなった庭先で、遅くなった言い訳を考えていると、ふと気がつくと、すぐそばに祖母がいたりすることがあった。・・・もう、やめてよ、おばあちゃん。夜中に意を決してお便所にいこうとすると、なぜか暗い廊下に祖母がいる。・・・ばう、勘弁じでよ、ぼばあじゃん。

夕方、徐々に暮れゆく中、少し先にある小山の上の大木の梢あたりを祖母が見ていれば、多分そこには何かがいるんだろうということが、子供の私にもなんとなくわかった。祖母がダメだと言ったことを、ことごとく踏みにじった私だから、どこかで罰が当たるとは思っていた。・・・予想通り、罰当たりな人生だった。

『山の怪奇 百物語』    山村民俗の会

河出書房新社  ¥ 1,296

山村民俗の会は、どなたでも入会できます。あなたの仲間入りを、・・・お待ちしています
榛名山加護丸稲荷の霊異
上州奥多野山地の妖怪
奥那須安倍ケ城の怪
奥秩父の妖怪ばなし
寄居冬住山浅間の怪
奥武蔵越生地方の妖怪ばなし
顔振峠の呪詛地蔵
仙元様のお怒り
丹沢の山霊・あとおいこぞう
八ヶ岳マモノ沢の犬隠し
上信越・山の怪奇ばなし
北アルプスの怪異伝説
梓川の水神の祟り
北アルプスの山麓の怪異譚
飛騨宮川村の蛇変化
美濃徳山村のモノ達
火の玉・トンネル・片手の幽霊
京都北山怪奇噺
四国山地・惣川の不思議な話

《山村民俗の会》会員の方々が丹念に拾い集めた話は、創られたものではなくて、伝えられたもの。そんな感じの話ばかりで、怪談ばなしというよりも、民俗ばなしの趣さえある。ほんのちょっとデコレーションすれば、いくらでも怖ーい話にもなるのに、そういう盛り付けはされていない。

そのくらいに素朴な話ばかりなんだけど、それだけに、“物語”の宝庫とも言える。こういうふうに拾い集められた話から、物語は作られていくんだろうな。

ロクサン様は、祖母から母に引き継がれた。その母が死んだのは、祖母が死んでからたったの4年後のことだった。ずい分前に、母はロクサン様を引き継いでいたが、自分はその仕事を全うしたものの、長男の嫁には引き継がなかった。最初から、自分で終わりにする覚悟があったようだ。

母にも、山の大木の木の梢にいた何かが見えたんだろうか。祖母は母に厳しかったけど、どうも私には、祖母と母が本質的に似ていたからこそ、祖母は母に厳しかったようなきがする。・・・たぶん、母にも見えていたんだろうと、私は思う。




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『先生、日本ってすごいね』 服部剛

《戦場の知事 島田叡=沖縄の島守》
兵庫県神戸市出身。内務省のエリート官僚で、昭和二〇年を迎えた段階で大阪府に勤務。前沖縄県知事泉守紀が出張を装って内地に引きこもってしまったのを受けて、次の沖縄県知事の委託を受ける。推薦したのは沖縄守備軍司令官牛島満。かねてから島田と親交があった。昭和二〇年一月一一日、島田は沖縄県知事になってほしいと、大阪府知事を通して要請された。

島田:私が行きます
府知事:君、家族もあるのだから三日ほどよく考え、相談したうえで返事してもいいんだぞ。断ってもいいんだぞ。
島田:いや、これは、妻子に相談することじゃありません。わたしが決めることです。

妻:朝からなにか良いお話でしたの
島田:沖縄県知事の内命やった。もちろん引き受けて来たわ
妻:なぜ、あなたが?
島田:誰かがどうしても行かなならんとなれば、言われた俺が断るわけにはいかんやないか。俺が断ったら誰かが行かなならん。俺は行くのは嫌やから、誰か行けとは言えへん。これが若いものなら、赤紙一枚で否応なしにどこへでも行かなならんのや。俺が断れるからということで断ったら、俺は卑怯者として外も歩けんようになる。

「君、一県の長官として、僕が生きて帰れると思うかね。沖縄の人がどれだけ死んでいるか。君も知っているだろう」

「それにしても、僕くらい県民の力になれなかった県知事は、後にも先にもいないだろうなあ。これはきっと、末代までの語りぐさになるよ」


高木書房  ¥ 1,512
授業づくりJAPANの気概ある日本人が育つ道徳授業
1 「戦場の知事 島田叡~沖縄の島守」役割と責任
2 「やまと心とポーランド」恩を忘れない
3 「エルトゥールル号遭難事件」感謝の心
4 「ペリリュー島の戦い」崇高な精神
5 「焼き場の少年・一片のパン」人間の気高さ
6 「海の武士道~敵兵を救助せよ」生命の尊重
7 「日本マラソンの父・金栗四三 三度のオリンピック」努力を続ける
8 「佐久間艦長に遺書」役割と責任
9 「柴五郎中佐」勇気ある行動
10 「上杉鷹山 為せば成る」誠実・責任
11 「ユダヤ人を救え 樋口少将と犬塚大佐」差別偏見の克服
12 「特攻隊の遺書」先人への敬意と感謝
13 「昭和天皇とマッカーサー」強い意志
14 「空の武士道」利他の精神・人間の気高さ
15 「日本ミツバチの団結力と日本人の美徳」集団生活の向上
16 「坂東捕虜収容所 松江豊寿中佐とドイツ人捕虜」寛容の心
17 「台湾人に愛された八田與一」公正公平
18 「絆の物語~アーレイ・バーク」日本人の伝統精神と集団生活
19 三年間、服部道徳を受けて生徒の感想


《ポーランド孤児を救った日本》
一九一九(大正八)年、第一次世界大戦が終結し、ヴェルサイユ条約によってようやくポーランドは一三〇年ぶりの独立を果たすことになる。ロシアの支配下でシベリアに流刑にされたポーランド人は十数万人。彼らは長い間、肩を寄せあい、寒さと飢餓と伝染病と闘いながら生き抜いてきた。

しかし、一九二〇年春、ロシア革命で誕生したソ連がポーランドとの戦争を始める。そのため、シベリアのポーランド人は、唯一の帰国ルートであったシベリア鉄道が使用できなくなる。ウラジオストックに住むポーランド人の作った「ポーランド救済委員会」は、かわいそうな孤児たちを救おうとヨーロッパやアメリカに救援を求めた。しかし、欧米諸国はこの救援要請をことごとく拒否した。

唯一、ポーランド孤児の救援に乗り出したのが日本だった。

日本赤十字とシベリアに出兵中の陸軍兵士が、機敏な行動を起こした。彼らは極寒のシベリアの地に入っていって、親を亡くした孤児だけでも助けようと悪戦苦闘した。救出した孤児たちをウラジオストックまで連れて行き、そこから船で日本へ送り出した。日本政府が救済を決定した二週間後には、すでに五六名の孤児を東京の宿舎まで送り届けた。日本は、以後三年間で合計七六五名の孤児を救出した。

飢餓と伝染病で衰弱しきっている孤児も多かった。もはや手遅れと思われた腸チフスの少女の看護にあたった二一歳の看護婦松沢フミは、「死を待つほかないなら、せめて自分の胸で」と毎晩少女のベットで添い寝をした。その甲斐あって少女は奇跡的に命を取りとめた。しかし、その様子を見届けた松沢さんは亡くなった。腸チフスに感染していた。

《日本に収容されたポーランド孤児たちは、日本国民朝野をあげて多大の関心と同情を呼んだ。慰問の品を持ち寄る人々、無料で歯科治療や理髪を申し出る人たち。学生が音楽会の慰問に訪れ、婦人会や慈善協会は子どもたちを慰安会に招待した。寄付金を申し出る人は後を絶たなかった。一九二一年四月六日には貞明皇后も日赤本社病院を訪問され、孤児らと親しく接見された。皇后陛下は三歳の女の子を召されて、その頭をいくども撫でながら、健やかに育つようにと、お言葉を賜られた。(ポーランド在住松本照男氏の証言)》

こうした献身的な看護によって、子どもたちは次第に健康を取り戻していった。そこで回復した子供から順次、八回に分けて祖国ポーランドに送り届けることになった。子どもたちをポーランドに送り届けた日本人船長は、毎晩、一人ひとりの毛布を首までかけては、子どもたちの頭をなでて、熱が出ていないかを確かめた。「その手の暖かさを忘れない」と孤児の一人は回想している。

《日本は我がポーランドとはまったく異なる地球の反対側に存在する国である。しかし、我が不運なるポーランドの児童にかくも深く同情を寄せ、心より憐憫の情を表してくれた以上、我々ポーランド人は肝に銘じてこの恩を忘れることはない。我々の児童たちをしばしば見舞いに来てくれた裕福な日本人の子供が、孤児たちの服装の惨めなのを見て、自分の着ていた最もきれいな衣服を脱いで与えようとしたり、神に結ったリボン、櫛、飾り帯、さては指輪までとって、ポーランドの子どもたちに与えようとした。こんなことは一度や二度ではない。しばしばあった。ポーランド国民もまた高尚な国民であるがゆえに、我々はいつまでも恩を忘れない国民であることを日本人に知っていただきたい。ここにポーランド国民は日本に対し、もっとも深い尊敬、もっとも深い感銘、もっとも温かき友情、愛情を持っていることをお伝えしたい。(ポーランド極東委員会副会長ヤクブケヴィッチ氏)》




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女にもてたい『げんきな日本論』 橋爪大三郎 大沢真幸

「女の子にもてたい」

みんなそう思ってた。それがために、自分には本来関係ないことまで努力して、考えてみれば、何とも涙ぐましいことだ。あんなこともやったし、こんなこともやった。ときには犯罪すれすれのこともあった。そんなきわどさは、今ではみんな犯罪そのものとされてしまうんだから、若い人は可哀そうだ。

この時代なら、私も歌を、女に送ったんだろう。
歌は、時には異性との交流に重要な役割を果たした。文字がなかった時代に口語表現で歌が詠まれた。貴族の時代となり、時に女性は、簡単に顔を見せないことで自分の価値を高めた。そんな時代、まず男女のあいだをつないだのが歌だった。歌を詠んで届けるなら、字に書かなければならない。男性も女性も字を読み書きしなければならないことになった。女性たちに広まったひらがなであったが、瞬く間に男性の間にも広まった。
本書


教科書にも、ぜひそう書いてもらいたい。

娘は年頃になると、両親のいる母屋から離れた離れのような場所に移る。そこに男が通ってくる。一人とは限らない。娘は、そうやって、自分のパートナーを見つける。子供が生まれても、しばらくのあいだは親元に居続ける。ある程度子供が大きくなってから、子供を連れて、娘は夫のもとに移り住む。父親は娘と孫を保護し、結婚したあとは婿の後ろ盾となる。

婿は、有力な後ろ盾が欲しい。舅は、有望な婿が欲しい。まあ、女は父が望む男の子を孕むことになるわけだ。微妙な線ではあるが、世の中は、うまい具合に回っていたんだな。

女が、「あの人がお父さん」って言った人がお父さんなんだ。それは、どうにも変えられない。どうも、本当のお父さんがだれかってことには、あんまりこだわらないのかな。こだわらないってことはないけど、まあ、世の中をうまい具合に回すことの方が、もっともっと大事だもんね。

シナでも、ペルシャでも、その後のトルコでも、世襲の王や皇帝なら、その子供が次の王や皇帝になる。その時、子供が本当に王や皇帝の子であることを証明するために、後宮、ハーレムが作られた。

日本の場合、王宮にハーレムはない。天皇の奥さんは天皇と同じ居宅に住んでいて、そこに行政官が出入りする。奥さんに仕える女性たちもたくさんいて、そこに男女のコミュニケーションが成立する。

王や皇帝の血筋は大事なことだけど、その証明に、さほど関心がない。外の世界ほどには関心がない。

『げんきな日本論』 橋爪大三郎 大沢真幸

講談社新書  ¥ 918

「不思議なキリスト教」でおなじみの二人が語りつくした日本論
第1部  はじまりの日本
第2部  なかほどの日本
第3部  たけなわの日本

言葉が交わらなければ、人が交わることはない。

中世ヨーロッパ社会では、社会の上層階級と庶民階級の間の言語がラテン語と“土着語”に分断されていた。だから平等の実現など不可能だった。

近代以降のヨーロッパ諸国で社会的平等が徐々に実現されていったのは、国語の整備や国語に基づく公教育の普及が大きな要因だった。経済的にもラテン語を操る一部の上層階級だけがより高い所得を得るような時代を脱し、大衆が国語で自ら学び、あらゆる分野で先進的な取り組みをするようになったことで、社会全体が活性化し、技術革新も多く生まれ、次第に社会の構成員全体の所得が向上していった。

一方、現代でも、植民地になった経験を有するアジア、アフリカの新興諸国では、言語の分断が残存している。
 
こうした地域では、上層階級は英語やフランス語など旧宗主国の言語を使い、庶民はもっぱら土着語を使って暮らしている。
 
そのような社会では、高い収入が得られる職業は旧宗主国の言語が使えることが求められる。それが使えなければ、高等教育や専門教育も受けられないため、庶民にとってこうした職業に就くことはハードルの高いものとなる。

・・・「グローバル言語」などと称して、母語以外の言語を偏重するようになってしまえば、人々の平等に生きる権利や学ぶ権利が奪われてしまう。

なによりも、言葉が交わらないところに、男女の交わりわない。・・・例外を除けば・・・。




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『人を奮い立たせるリーダーの力』 平尾誠二

2006年、宿沢広朗さんは56歳の若さで亡くなった。その頃、これからの日本ラグビー界を背負って立つ逸材と言われた。平尾誠二さんは53歳だよ。いくらなんでもさ。若すぎるよね。戦い続けた彼の死は、“戦死”と呼ぶにふさわしい。・・・御託に聞こえるか?

私は、自分よりも年長の松尾雄治に憧れた。衰えを見せ始めた松尾雄治に、引導を渡すかのように現れた年下の怪物に、最初に抱いた感情は嫉妬だった。嫉妬する程度の意地はあったものの、彼の前に進もうとするひたむきさに、いつしか励まされている自分を感じるようになっていた。

《ラグビーとともに生きた平尾氏の目の向こうには、いつも日本ラグビー界の未来があった》
前書きにそうある。私は、ラグビーファンではあるが平尾誠二ファンでもあり、ラグビーを通して彼を知ったわけだが、ラグビーの世界における彼の生き方に感銘を受け、ラグビーとは無関係に、彼のファンになり、今後の彼の生き方に強い関心を持った。

「次、平尾誠二はなにをやるんだ」・・・彼がラグビーの将来のために生きることは、受け取る私たちにすれば、一つラグビーの問題だけじゃない。日本の青少年、いや、馬鹿野郎。・・・おやじたちのために生きていてくれているということなのだ。

もし、53歳が彼の人生の半分であったなら、きっと日本は変わっていたよ。・・・それとも、その分を、彼は53年間に凝縮して生きたということなのか。


マガジンハウス  ¥ 1,296

リーダーの強い意志が伝われば、それが間違った判断でも、成功する可能性は高い
第1章  強い組織をつくる
第2章  強いリーダーをつくる
第3章  強い個を育てる
第4章  強い日本人になる


「全部、出し切らないと、その先の成長なんかない」・・・平尾さんの師、京都市立伏見高等学校ラグビー部監督、山口良治さんの言葉だそうだ。あの「スクール・ウォーズ」見てたのは、いつ頃のことだったろう。

本書に、山口良治さんの、平尾誠二さんの死に対する思いが、“特別寄稿”として載せられている。山口先生は、すでに中学ラグビーでその名を知られていた平尾さんをスカウトに行ったのだそうだ。でも、公立だからね。運動ができるだけで、“合格ね”なんて、市立みたいなことはできないので、しかも、伏見工業は、テレビでやってた通りの不良高校だから、あきらめていたんだそうだ。

ところが、平尾さんは、山口良治という“人”に魅せられて、伏見工業を受験した。彼は、中学3年で、人が生きていくうえで何が一番大事なのか、直感的に知っていたのだろう。

そのうえで、彼は言葉だけでなく、行動で示すタイプのリーダーだったそうです。その姿勢を、彼は高校だけでなく、大学でも、社会人でも、代表でも貫いたそうです。

でも、なによりも大きいのは、その“意思”だろうと思う。私には、リーダーとして、周囲を引っ張ろう。そして共に、より高い次元を目指そうという“意思”がない。なぜかと言えば、“めんどぃせえ”からだ。・・・「その前に、お前には、その力量がないだろう」・・・いま、右肩後方から、不愉快な声が聞こえた。

平尾さんの師である山口良治さんが、平尾というラガーマンについて、こう言っています。

「平尾は唯一無二の選手だった」・・・と。

当然、ご家族にとっても、仲間たちにとっても、・・・ファンにとっても、彼は“唯一無二”だった。
合掌




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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
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