めんどくせぇことばかり 本 日本 思想

覚悟(覚書)『「和の国」のかたち』渡部曻一 日下公人

トランプはひどいな。選挙期間中に、ヒラリーに対して、そんなひどいことを言ってたんだ。ご存知でしたか。次のような書き込み。「夫を満足させられないくせに、ヒラリーはなぜアメリカを満足させられると思っているのか?」・・・ひどい。だから、モニカ・ルインスキーちゃんに、あんなことやこんなことをしてもらったんだろうって。

ずいぶんと長い間、“グローバル化”って風が吹いてましたよね。文科省なんか、ようやくここんところ、「あとはどうなったって、俺の知ったこっちゃね~ぞ」ってくらいの感じで、英語教育だ、アクティブ・ラーニングだと、わけの分からないことに手を出して、日本の少年少女や現場を困らせている。

グローバル化によって、国境の壁は低くなり、人々の移動が自由になる。人は、生まれ持ったバックグラウンドは問われずに、ただ能力だけで評価を受ける。唯一無二のルールが定められ、誰もがそのルールにのみ縛られる。

たしかに、グローバル化ってそういうものだからね。まさしく2000年にわたって、ユダヤ人が夢見たことが、現実の世界に実現されようとしている。グローバル化の正体は、ユダヤ系金融資本の望む、“一つの世界”化だ。

たしかに、ヒラリー・クリントンは、あっち側に立ってグローバル化の旗を振った。そのヒラリー・クリントンに対して、「そんなことよりも、自分の亭主を満足させてやることを考えたらどうだ」って、トランプは言ったわけだ。


『「和の国」のかたち』渡部曻一 日下公人

徳間書店  ¥ 1,404

「WGIP」の呪縛を解き、道徳を回復し、皇統を尊び、覚悟を決めれば・・・
第一章  日本人は覚悟を決めよ
第二章  日本の時代がやってくる
第三章  皇統はかくあるべし
第四章  「WGIP」の呪縛を解け
第五章  道徳の回復が急がれる


ドナルド・トランプがあっちこっちで角を立て、物議をかもしている。物議をかもしているが、トランプの言うことは、わかりやすくないか?単純明快じゃないか?

北朝鮮問題にしてもそうだ。核武装して、大陸間弾道弾も手にしようとしている。アメリカの脅威になるからには、その前に止める。6カ国協議では、チャイナの顔を立ててきたけど、チャイナは本気で何とかする気はないらしい。チャイナが本気で止めるつもりがないなら、アメリカがやる。アメリカ国民が危険にさらされそうになってるなら、やらざるを得ない。日本や韓国は、とばっちりがあるかもしれないよ。

アメリカで認められているジャーナリストの一人であるチャールズ・クラウトハマーは、「日本に核武装させるべきだ」という考えを持論にしているという。私もそう思う。誰が何と言おうと、すでに、北は核保有国だ。日本はその脅威にさらされ、何の手も打てずにいる格好だ。

それでなくても、日本を取り囲むようにチャイナ、ロシア、海を挟んでアメリカ、これに北を加えれば、これだけ、核兵器に囲まれた国も他にない。この状況で日本は核保有してはならないというのは、いったいどんな罰ゲームだろうか。

明治維新後の日本の悲願は、欧米列強に匹敵する力を持つことだった。今の日本でいえば、力とは、核武装だ。

ドナルド・トランプドナルド・トランプが、アメリカ大統領としてどれだけやれるかは、わからない。でも、ドナルド・トランプ大統領の登場が、日本の閉塞感漂う政治状況に一石を投じたのは確かだ。あとは、日本人に覚悟があるかどうかの問題だ。




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『もう時効だから、すべて話そうか』 一橋文哉

この本を見たとき、最初、てっきり『一橋文哉』という題名の本かと思った。著者は、通常を超えて、自己顕示欲が強いのか。・・・ムムッ、犯罪の匂いがする。

まあ、こんだけ犯罪取材の世界にどっぷりつかってりゃ、その程度の“香”は漂わすだろうし、精神的にも、こちら側の世界に軸を残すために、それなりの努力をされているに違いない。

私は、つらいことからは目をそらす。悲しいニュースは極力見ない。千葉県の小学生殺人事件を避けるために、どれだけチャンネルを回したことだろう。

だけど、この本でこれだけ読まされると、否応もなく理解せざるを得なくなる。かりにチャンネルを回してその事件から目をそらすことができたとしても、いつか現実の世界で今の日本社会の現実を突きつけられる。もうすでに、孫たちが社会の主役。孫たちの時代だからな。・・・保育園児だけど。

“血”と“地”のつながりを、ただの悪しき因習として退けてきたのが戦後の姿だった。そのなかに、新しい生き方を提示されて、多くの人がそれに飛びついていった。私もその一人だった。音頭を取ったのは、戦後民主主義を引っ張った人たち。提案された“家族からも自由に、地域にも縛られない、新し生き方”。わおぅ❢

あるいは人に秀でたなにがしかの才能を持っていたりすると、場合によっては、血だの、地だのが邪魔になることもある。“邪魔じゃないか、煩わしいじゃないか・・・ねえ”って言われて、思わずうなずいて若い頃を行きてきたけど、この歳になると、やたらと邪魔にしてきた、煩わしく思ってきたものが懐かしい。

そう、かつて、“血”や“地”は、世間の大半の人間を保護し、おそらくは必然的に生まれてくる“鬼”を封じ込める役割も担わされていたんだろうと思うんだけどな。



小学館  ¥ 1,728

グリコ森永事件 3億円事件 宮崎勤連続幼女誘拐殺人 酒鬼薔薇聖斗 八王子スーパー射殺
第1章  身勝手過ぎる凶悪犯罪に喝!
第2章  女心ほど不可解なものはない
第3章  未解決に陥るには理由がある
第4章  絶対正義をうたう司法の裏切り
第5章  グリコ森永事件こそ私の原点だ
第6章  スクープのコツはここにあり
第7章  アスリートと芸能人を支配する闇
第8章  少子高齢化社会は病んでいる

1998年か。もう、ずいぶんと昔の事件なんだな。和歌山県の毒入りカレー事件。結局、決定的な証拠があるわけじゃない。《疑わしきは罰せず》ってところから考えれば、有罪、死刑は難しいんじゃないかくらいに思ってた。でも、警察の“捜査”ってのはすごいもんですね。この事件、林眞須美が犯人であることを立証したんじゃなくて、林眞須美が犯人でないことはありえないことを立証したんだそうです。つまり、複雑なジグソーパズルの周囲をすべて埋め尽くして、最後に林眞須美というピースを残して完成させた。

ものすごいね。

さて、死刑っていうのは平日の午前中、9時ごろに執行されるんだそうだ。その告知は、朝食後の8時ごろ、つまり、執行のおよそ1時間前に行われるという。いつもと違う刑務官が房の扉を開け、外に出るように命じた瞬間、死刑囚たちは運命を悟ることになるんだという。
刑場はカーテンで半分に仕切られ、手前に阿弥陀如来像と十字架が安置された祭壇があり、奥には天井から太さ3センチのロープが吊り下がる。奥の中央に、ボタン操作で下に開く約1メートル四方の踏み板がある。

目隠しと手足を縛られた死刑囚がその前に立ち、首にロープをかけられる。数秒後、別室で3~5人の刑務官が一斉にボタンを押すと、その中の一つと連動した踏み板が開き、死刑囚が大きな音を立てて落下する。

踏み板から下の床まで4メートルある。十数分後、医師が脚立を上がって死刑囚の左手首の脈と心音を確認し、心停止を宣告して刑の執行が終了する。
本書p123

2001年に大阪教育大付属池田小に乱入して児童8人を殺害した宅間守は、「死ぬことは快楽だ」とかほざいて、多くの犯罪嗜好者が憧れるカリスマだったんだそうだ。その宅間も、いざ刑場に向かうときには、腰が抜けて一人で歩けず、大勢の刑務官に腕を抱えられて、引きずられていったんだそうだ。

連続幼女誘拐殺人の宮崎勤は、最後まで死刑の執行を免れようとしていたんだそうだ。幻聴に苦しめれらていると向精神薬を服用していて、弁護士はそれを理由に精神鑑定を依頼し、状況によっては再審請求する予定だったそうだ。精神障害を装っていたのに、ついつい焦って、死刑廃止派の弁護士に悲壮感漂う手紙を送ってしまったんだそうだ。それを知った法務省は、逆に彼が正常で、死刑の意味を理解し刑を受ける資格を有すると判断したんだそうだ。

彼の刑の執行は、けっこう執行順位を飛び越えて行われたんだそうだ。

彼の房の前に刑務官が立ったとき、彼は「あっ」っという声を漏らしたそうだ。

どんなにそこに近づいても、その向こうに行く人と、とどまる人の差は、きわめて大きい。もともと、そういう人って、いるんだと思う。だけど、それでも大半は、こっちにとどまっているはず。

世の中には、その人たちの背中を押してしまっているできごとが、おそらく毎日毎日起こっているんだろう。

“穢れ”思想は、同時に、さまざまな歴史的不合理を生み出してきた。しかし、小さな“穢れ”を遠ざけることで、大きな災いを免れる知恵ってのが、こういう出来事をも対象にしていたのかもしれない。

最近の、国内のニュースを見ていると、ついついそんなことを考えてしまう。




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酒鬼薔薇聖斗(覚書)『もう時効だから、すべて話そうか』 一橋文哉

日テレNEWS24 2017/04/13
首引きちぎられたハト死骸 埼玉・東松山市
http://www.news24.jp/articles/2017/04/13/07358896.html
(全文)
12日、埼玉県東松山市の住宅街で首を引きちぎられたハトの死骸が見つかった。

警察によると、12日昼前、東松山市松風台で、「家の前に首のない死んだハトが置かれている」と近所の住民から交番に届け出があった。ハトの死骸は1羽で、首は刃物を使わず引きちぎられていたという。現場に血痕はなかった。

また先月末、この現場から600メートルほど離れた住宅の鳥小屋で、インコやウズラなど23羽の鳥とウサギ1羽が首の骨を折られるなどして死んでいた。警察は器物損壊事件として2つの関連性を調べている。
どうも、うちの近所には、酒鬼薔薇聖斗が住んでいるのかもしれない。

当初は、四国に住んでいるという話があったが、なんか写真を撮られていて、それが東京の足立区だと特定されたとか。知らないうちに、自分の後ろに立っているとか。・・・ぞっとする。

上記のニュースのようなことをする奴、世間に二人といないと思ってた。思った通り二人といなくて、A君本人か。それともA君に憧れるB君、C君は、いくらでも出てくるのか。

それは私だって、生き物を殺しましたよ。ずいぶんひどいことをした。だいたいが昆虫類と両生類と爬虫類。人類はもちろん、哺乳類の括りでも、猫一匹だけ。それも、今でも心の中で手を合わせている。・・・悪かったね~って。

小学館  ¥ 1,728

グリコ森永事件 3億円事件 宮崎勤連続幼女誘拐殺人 酒鬼薔薇聖斗 八王子スーパー射殺
第1章  身勝手過ぎる凶悪犯罪に喝!
第2章  女心ほど不可解なものはない
第3章  未解決に陥るには理由がある
第4章  絶対正義をうたう司法の裏切り
第5章  グリコ森永事件こそ私の原点だ
第6章  スクープのコツはここにあり
第7章  アスリートと芸能人を支配する闇
第8章  少子高齢化社会は病んでいる


Aが何をやったか、あらためてこの本で読んで、本当にゾッとする。そんな世界にしか生きていられない人間がいるんだな。どうやらわずかながら、ほんの数パーセントの確率で、間違いなく存在するって。

『言ってはいけない 残酷すぎる真実』って本の中でも触れられていたが、安静時心拍数の低い人が反社会的行為に走る確率が高いという話があった。A君も安静時心拍数、低いんだろうな。

通常、人にはそれぞれ最適な覚醒度があって、心拍数が低いとなかなかそこに到達できず、必然的により強い刺激を求めて反社会的行為に走りやすいというような話だった。その求める刺激の傾向が、A君の場合、小動物や年少者をいたぶることに偏っていたということだろうか。

Aは首を絞めながら性的に興奮し、相手がエビぞり状態になると自分も勃起して《満足感でいっぱいになった》という。翌日、再つがい現場で首を糸鋸で切断。頭部は自宅浴室でゴシゴシ洗い、自室において何度も観察した。《J君はあおむけで目は開いていた。抵抗はありませんでした。僕が殺した死体であり、いわば僕の作品だったからです》。《人間首を切っていると思うと、エキサイティングな気分になり、首の皮一枚になったとき、左手で髪の毛を掴んで引っ張り、首の皮を伸ばし一気に切りました》。Aは「自分の最高傑作」である男児の首を母校の正門に飾る晴れの舞台に感激し、《性的興奮は最高潮に達し、性器に刺激を与えていないのに何回もイッた》のだ。
本書P35

関東医療少年院でも、やるだけのことはやった。既存のプログラムを超えて、法務省の口利きで、精神科医三人とベテラン法務教官らでチームを結成した。A君の母は、A君が期待に応えなければ体罰を課したそうだ。精神鑑定で母との信頼関係の欠如を指摘されたA君に、チームは男性主治医を父親役、女性副主治医を母親役として“疑似家族”を作り、育児段階からやり直す特別治療更生教育プログラムを実施した。法務省幹部は、これを“国家プロジェクト”と呼んだそうだ。

“国家プロジェクト”を経たのだから、もはや、A君には退院しかありえないことになったんですね。これ以上、もう何もやれることはない。それはメンツをかけた“国家プロジェクト”として実行されたわけだから、これ以上のことをやってはいけない。そういう意味で、“退院しかない”ということなんですね。

その後も、日本のどこかで、気持ち悪い猟奇事件が起こるたびに、医療少年院関係者、法務省の担当者たちは、A君の所在を確認して、ドキドキしているんだそうだ。・・・つまり、本当は世間に出せるような状態じゃないってことを、彼らが一番知っているわけだな。
私のところの近所で、鳩、インコ、うずら、ウサギが殺されている事件、それが酒鬼薔薇聖斗であろうがなかろうが、しばらくの間、うしろから心拍数の低いのが近づく気配に、敏感でいることにしよう。・・・全国の真っ当な毎日を過ごす心拍数の低い人、ごめんなさい。




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『お盆のはなし』 蒲池勢至

私の家は本家で、父が7人兄弟だったので、お盆といえば、親戚がたくさん集まって、とても賑やかだった。うちの方のお盆は8月で、3人のおばは、いずれも長男に嫁いでいて、自分のところも本家だったけど、いとこたちは遊びに来た。一緒に叔父に連れられて、川に魚捕りに行ったり、川遊び、山遊び、スイカ食って、夜は花火で、本当に楽しかった。

あの頃、お盆が近づくたびに、どうにも納得出来ないことがあった。その年の夏になってから捕まえた各種、数々の虫たちを逃してやらなきゃならない。ご先祖様が帰ってくるから、あの世に行った人たちの供養のために、殺生は禁止。虫取りもダメだし、捕まえてあった虫もみんな逃してやるってのが、親からの無理難題だった。・・・どうして魚釣りはいいん?池の金魚はいいん?卵は食っていん?

自慢の強くて赤っぽいカブトも、貫禄のあるハエトリカン(ミヤマクワガタのことをそう呼んだ)も、水槽に放り込みっぱなしのタガメもゲンゴロウもミズカマキリも、みんなダメなん? 隣の地区の子は、そんなこと言われてねーで。

そんな餓鬼の頃の怨念はともかく、お盆の話。お盆は仏教の行事で、根拠になるのは“盂蘭盆教”というお経だそうで、シナでは西晋の時代に翻訳されたとか。盂蘭盆はサンスクリット語では“ウランバーナ”。一説にはイラン語の“ウルヴァン”に由来し、その意味は「死者の霊魂」とか。それはそれでピッタリ来ますね。

ところが、シナ翻訳の盂蘭盆教をとおすと、死んで地獄・餓鬼・畜生道に落ちた親族を救うために、生きた人間が供養をするなんてことになる。供養をすれば、あの世で親族が救われるなんて、なんてシナらしい、生々しいお経なんでしょう。

自分は三男で、お寺づきあいをする必要はなかったんだけど、お盆には惣領が“施餓鬼”に行くね。この、お寺で行われる施餓鬼と、あの世から帰ってくるご先祖様をお迎えしてお祭りするという二本立てで、お盆という行事が構成されているように思う。

施餓鬼が表で、ご先祖様が裏。施餓鬼が外で、ご先祖様が内。施餓鬼が公で、ご先祖様が私。施餓鬼が新で、ご先祖様が旧。・・・そんな感じ。じゃあ、施餓鬼が仏教で、ご先祖様は・・・日本?


法蔵館  ¥ 1,296

宗教を語る本ではありません 実は、今の日本にはなくなった家族を語る本です
「盆」は仏教行事か
盆行事の歴史と成立
盆行事の諸相
真宗と盆
お盆の行方ー死者と聖者の交流


人間が生きていくのって、とても大変なことだったから、みんないろいろな工夫をしてやってきた。お盆はご先祖様と生きている人の交流で、それを通して日本人は家を守ってきた。家を守ることが自分を守ることであった。親族が連帯し、家を守り、家族を守るってことは、本当に大変なことだった。

昭和初期生まれの父や母の人生を思うと、たいへんさが身に染みる。だけど、若いころは、それを呪った。最も避けたい生き方だったし、頭から否定してかかった。

長男が家を継いだので、18で家を出た私は、たまに親に顔を見せるの程度で、親が死んだあとは、冠婚葬祭の付き合いくらいのもの。いつしか自分が家庭をもって、おそらく私の子供は、私が若いころに感じたような家庭観はもってない。

私は反発したし、否定もしていたけど、今になると、なぜか、あの家が懐かしい。むやみやたらと、懐かしい。

私と同じような家庭観を持たないであろう私の子供たちは、おそらく私と同じような“懐かしさ”も、持たないのではないだろうか。

子どもにとって、もう少し、居心地の悪い家庭を作らなきゃいけなかったかなと、反省している。

お盆は、毎年、秩父の実家に帰って、二人の兄と酒を飲む。父や母は、いつもそれを見ているんだろうと、確信している。




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『不屈の日本人』 関厚夫

著者は、産経新聞の編集委員で、私と同じ世代だな。高度経済成長真っただ中に生まれ、過去の日本の挫折と、その後の日本の挫折に挟み撃ちにされて、もがき苦しんだ世代。どうやら、もがき苦しんだ時代を抜けて、本当の自分を探すべく、長い旅に出たようだ。

自分探しの旅は、本当の日本人にせまるたび。そこで彼が出会うのは・・・?

岡本太郎、棟方志功、藤沢周平、清川八郎、成田亨、園井恵子、阿弖流為、坂上田村麻呂、斉藤実、後藤新平、大谷翔平、吉田松陰、柴五郎、円谷幸吉、円谷英二、田中路子、メキシコ五輪銅メダルイレブン、幸田文、安藤昌益、宮沢賢治、新渡戸稲造、石川啄木。

最初は戸惑った。著者は、いったい何を言おうとしているのか。意図を図りかねた。東北がどうした、縄文がどうしたと、そのこだわりに辟易としかけた。

《不屈》であるためには、誰もが屈するような経験に耐え抜かなければならない。かすり傷の一つや二つじゃ、人は決して屈しない。でも、住むところを失い、蓄えた富を失い、愛する者を失ったとしたらどうだ。東北の人々は、多くの人が、そんな体験をした。ほんの6年前に。だから東北なんだろうね。「ほら、君たちの先人は、不屈の人であった」と。

『不屈の日本人』    関厚夫

イースト・プレス  ¥ 1,620

震災後、東北特派員を志願した産経新聞編集委員、渾身の健筆 
第一章  独立自尊のロマン
第二章  悲運を越えて
第三章  忘れじの日本人
第四章  日本の原風景
第五章  寄り添う心
屈してはいられなかった。たとえ、どんなにつらいことがあっても。
この本も、そんな日本人をとらえたものだった。天明三年の浅間山大噴火時の実話を背景に書かれたもので、あんまり切なくて、涙をおさえることができなかった。ぜひ、読んでみてね。
不屈の人になるべく、何かがなされたわけじゃない。ただ、不屈でなければ、生きていくことができなかっただけ。壊れたら、また作ればいい。死んだ者も、また生まれてくる。残された者は、生きなければならない。ただ、それだけのこと。

それを受け入れたものだけが、この島で生きてきた。

ちなみに、天明3年は、西暦でいえば1783年。同じ年にアイルランドのラキ火山も噴火して、世界は寒冷化する。ベルサイユ行進で、パリの女将さんたちが求めたのは、家族に食わせるためのパンだった。天明の大噴火は、フランス革命にも関係している。

弥生人は、縄文人を排斥してこの島を奪ったのではない。インディアンに対する白人だったわけではない。縄文人は弥生人を受け入れて、新たな技法を学んだ。混血が進むことは、弥生の血が濃くなっていくことを意味したが、この島で一万年受け継がれた縄文の記憶は、薄まることなく、心の基礎部分として受け継がれていった。

だから、縄文なんだな。東北であり、そして縄文である。おまけに地理的に、弥生が遅れて入った東国人は、エミシと呼ばれて、より強く縄文を香らせていたわけだ。

日本と言う国の物語は受け継がれてきた。それは、敗戦という経験で書き換えられてしまった。しかし、決して屈することのない人々によって、誤りは正されつつある。震災から6年、私たちは復興途上の人として、この物語に加わっていくことになる。




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『震災後の不思議な話 三陸の〈怪談〉』 宇田川敬介

昨年、手術のために入院する直前に、この本を読んだんだ。実は、なんだかんだ言って、怖かった~。いやいや、病院でね。入院中、夜は眠れなかったんですよ。夜の病院なんて、考えただけでもゾッとするでしょ。半分眠って、半分覚めたような状態で、自分の体がベットに沈んでいくような感覚を、毎日味わいました。「これが、金縛りっていうのかな」って思いました。この本のことは思い出すわ、トイレには行きたいわでね。

次の3・11には、再度、この本を紹介しようと思っていて、昨日は、すっかり忘れてしまいました。1日遅れになりますが、・・・。

あれだけの人たちが亡くなったんだから、そこには無数の霊との関わりが語られるだろうことは、むしろ当然。「いろいろな話があるんだろうな」とは思ってたけど、取り扱い方によっては限りなく不謹慎なこと。たとえば、それを題材にした物語というレベルで考えても、小説にしろ、映画にしろ、まだまだ難しいだろうね。いまだに戦争のことを語れない日本人だからね。

3・11後の被災地で語られた「幽霊」の噂を丹念に取材。亡き人を身近に感じ、ともに生きる “スピリチュアルな復興"の記録! 昔話や民間伝承と重ねつつ「死者の声」に寄り添う試み。
・・・という本です。

亡くなった人たちとのつながりを切ることなんてできないから、つながっていたいから、そんな思いは、人の心を土足で踏み荒らすようなことにならない範囲内で、静かに語られているんでしょうね。

その、“静かな語り”というのが、とても大事なことだと思うんです。この本は、そんな“静かな語り”を集めたものです。
飛鳥新社  ¥ 1,296

「生きてほしい」・・・そんな亡くなった人たちの思いに応えたい
第一幕  迫りくる危機と虫の知らせ
前段  荒ぶる神々と予知能力
第一段  「虫の知らせ」とは
第二段  生死を分けた不思議な出来事
第二幕  「助けて」という願望
前段  海の中の出来事
第一段  「私に気づいて」という訴え
第二段  「この子だけでも」という切なる願い
第三幕  あの日にかえりたい
第一段  帰るべき場所
第二段  止まった時間
第三段  生きている人を引き込む霊
第四幕  見守っています
第一段  死者を祀る
第二段  復興が気になる霊たち  

祖母が霊感の強い人で、人には見えないものが見えたり、聞こえないものが聞こえる人だった。私の生まれた家は、長男の嫁が《ロクサンさま》に通ずる“巫女”みたいな役割をすることになっていて、数字を使って《ロクサンさま》の言葉を推し量り、近所の女たちの悩みに答えていた。母親は、そういうのが嫌だったらしく、自分の長男の嫁には《ロクサンさま》に仕える方法を伝えずに死んだ。とにかくそんな家だったんで、なんか周りにいろいろなものがいるみたいで怖かった。

中でも祖母は怖かった。かつて私もいろいろなものを見たり聞いたりしたけど、高校を卒業して家を出てからは、そんなこともなくなった。きっと、祖母のそばを離れたからだ。

もう、祖父母も、父母も見送った。たまには出てきてくれればいいのにと思うんだけど、さっぱりだ。完全に成仏してる。きっともう、個性を失い、おおきな勾玉の集まりみたいな渦巻きの中で、この世とあの世の秩序を支えているんだろう。


一時は、遺体が流されてたどり着いた山際のあたりから、タクシーで帰ろうとする霊が多くいて、運転手さんは大変だったらしい。私の経験では、霊は昼も現れるから、きっと昼間も普通にタクシー拾ってたでしょうね。ときには、自分の家に帰ろうとする霊が街角を歩いていたに違いない。もしかして、バスや電車で帰った霊もいるかも。

復興ボランティアに紛れて、瓦礫の中から思い出の品を探してた霊もいたって。見つけ出して成仏したでしょうか。仲間で流された人は、霊になっても仲間と一緒に行動してたって。

会いたいのに、ちっとも出来きてくれないから、こっちから会いに行っちゃう人も、きっといたでしょう。ダメだよな~。だから、お母さんは、お父さんの帰りを待ちわびる子に、お父さんはずっと見守っているって、お話をする。子どもは、どこからか自分を見つめる温かい目を感じながら大きくなるんだ。・・・霊とつながることは、生きることにつながるんだな。




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『諭吉に訊け❢』 奥野宣之

すごい人物だよね。

適塾で苦労して蘭学を治め、オランダ語もペラペラになったわけでしょう。それがある日、横浜に出向いてみると、居留地にあふれる外国語を一切理解することができない。なにしろそこでは、共通の言語として英語が使われいるわけですから。当時、最初から蘭学を学ぶ人間なんていないわけで、諭吉も当然論語から入っているわけ。それが漢学も蘭学も通じない世界が、目の前に広がっている。

ショックだな。普通ならね。もちろん、福沢諭吉だってショックだったはず。でも、福沢諭吉はショックを受けたってへこまない。なすべきことが見えているから、漢学ではどうにもならないから蘭学、蘭学がどうにもならないなら、英語ができるようになればいい。それだけ。どうすればできるようになるかは、ただの方法の問題。大したもんだよね。さすがは一万円だよね。


福沢諭吉に訊ねたいこと? そりゃいっぱいあるよ。適塾でのこと。あの頃の幕府のこと。会津のこと。明治政府における薩長の連中のこと。朝鮮のこと。金玉均のこと。・・・

じつは、そういう本だと思ったんですよ。そういう本だと思って、買ったの。そしたら、違いました。

『諭吉に訊け❢』    奥野宣之

光文社  ¥ 1,404

現代人のモヤモヤした悩みを晴らす『学問のすゝめ』
第1章  「働き方」の悩み
第2章  「心と体」の悩み
第3章  「人間関係」の悩み
第4章  「生き方」の悩み



『学問のすゝめ』は明治5年から9年にかけて、シリーズ全17編が刊行され、初編20万部、シリーズ累計70万部を超える大ベストセラー。その『学問のすゝめ』を、著者の奥野宣之さんは、現代の若者たちにも読んで欲しいと、ちょっと前に『現代語訳・学問のすゝめ』という本を出したのだそうです。だけど、読んでくれた人の多くは40代以上の人たちで、若者への浸透度に疑問があった。そこで、20代、30代の人にも読んでもらうために、“とっつきやすさ”最優先で書いたのがこの本ということです。

『学問のすゝめ』は、冒頭の「天は人の上に人を作らず人の下に人を作らずといえり」をしっかり覚えて、国語のテストで点数取って、「はい、おしまい」という人が結構多い。私の周りの若い連中は、そこまでが精いっぱいで、『学問のすゝめ』を読んだという奴は、この10年で一人もいない。

「天は・・・」だけを読んだ奴は、この本を“平等”を訴えた本であるかと誤解したまま一生を終える。「生まれたときは平等なのに、世の中に貧富や地位の差がある。それは学問をしたか、しなかったかの差だ」と続き、学ぶことの意義を訴える。そしてさらに、前半の「国家論」から、・・・
  • 職業人としての成長のヒント
  • いつか大きな仕事をするために必要な準備
  • 組織で人望を集めるために大切なこと
  • 腐らず毎日を楽しく生きるための心得
というふうに、後半の「生き方論」へとつながっていく。鍵になる言葉は、《独立》だろう。「国家として独立を維持するには、個人の独立が必要である」という作りなんだろう。私は、あんまり、“生き方論”とした呼んだっていう記憶がないんだよなぁ。

この本は、後半の「生き方論」が重視されている。若い人向けの“とっつきやすさ”最優先ということならやむを得ない。でも、欧米列強の包囲された中で“独立”を維持していくという、当時の“日本人の気概”は残念ながら希薄になっている。次は、そこを狙った本を出してほしいな。




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『あのくたらさんみゃくさんぼだい!』 堀尾清一

なんせ、題名が『阿耨多羅三藐三菩提』ですからね。皆さんおなじみ、レインボーマンだもんね。

子供のころから、なにかと仏事の多い家なもんだから、それこそ、「門前の小僧習わぬ経を読む」ってところで、般若心経を覚えてしまった。仏様の下の引き出しが、私たち三人兄弟にあてがわれたたんだけど、ビー玉やパース(メンコのこと)に交じって、金仙寺がその都度持ってくる“心のともしび”っていう般若心経の冊子が何冊も押し込まれてた。たしか裏側は、“白隠禅師坐禅和讃”だったような気がする。

あれ、題名は『あのくたらさんみゃくさんぼだい』の間違いでした。平仮名ね。なんとなく気になって買ったけど、読み始めてみたら思っていた内容と違うので、放置しておいたものです。平仮名であることもあり、仏教の教えを易しく解説したものかなと思ったんですね。実際には、現実の生活の中で抱えたいろいろな問題を、自分がどう乗り越えてきたか、乗り越えようとしているか。そんな経験が、語られているものです。主催は、“在家仏教こころの会”。そこの機関紙、『大きな乗りもの』に、会員たちから送られた経験談が掲載されたものだそうです。

なお、一巻、二巻、同時に紹介してますが、実は読んだのは、一巻だけです。二巻が出てるみたいなんで、ネットで注文しようと思ったら、“時価”になってました。内容はさほど違うものでもないようなので、一緒に紹介します。



在家仏教こころの会  ¥ 時価

宗教ににかかわる団体の本 でも、怖がるようなものじゃありません

第一巻
お釈迦さまからのメッセージ
第一章  夫婦・・・妻の場合
第二章  夫婦・・・夫の場合
第三章  親子・・・親の場合
第四章  親子・・・子の場合
第五章  震災
第六章  自分と向き合う
第二巻
おまじない
第一章  あっ、そうか!・・・気づく
第二章  こころがほどけた・・・聞く、語る
第三章  やってみるか・・・行い
第四章  ありがとう・・・伝える
第五章  こころ穏やかに・・・幸せ

自分にもそれなりに苦しい時期があったから、この本を読んで、腑に落ちるところはいくつもありましたよ。やはり、妻とのこと、子供とのこと、近しい家族とのことが多いですね。自分の親とのことは、完全に昇華してしまった。もう、あっちの世界に行っちゃったしね。

私が苦しかったのは、どこからどこまでとは言えないけど、股関節症で山をやめたことが関係してた。心の中に、やっぱり鬼を住まわせてしまったな。いつもいつもじゃないんだけど、どこかで心が弱くなると、そいつが顔を出すんだ。そういう時は家族と一緒にいても、いや、一緒にいるからこそ苦しかった。

鬼を追い出すことができたのは、股関節症が進行して、ときどき、妻に支えられるようになってからだな。病気の進行が、自分自身を見つめなおすことにつながった。素直に、妻に頼れるようになった。決定的だったのは、妻から杖を進められて「お前、杖して歩けるかよ」って言ったとき、いとも簡単に、「歩けるよ」と言われた時だな。実際、そのあとウォーキングポールで一緒に歩いたしね。

手術で股関節症は治った。とりあえず、暖かくなったら、平日に休みを取って、筑波山でも一緒に登ろうと思う。
こういうものが、機関紙としてではなく、一般書として発行されることは意義深いですよね。仏教っていうのは、その第一の仕事は、葬式を取り仕切るものではないでしょうからね。

書いてあるのは、いずれも大したことじゃあないんです。大したことじゃあないけど、それでも生きていれば、ちょっとしたことで鬼を住まわせることはあるからね。大したことじゃあないことを読んでみる価値は、けっこう大きいと思うな。

でも、所詮は宗教団体ですから、私がお付き合いするのは、“この本を読む”というところまでです。ここから一歩踏み込むと、何かとめんどくさいからね。
 



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『弓と禅』 オイゲン・ヘリゲル

ドイツの哲学の先生だよ、この人。略歴によれば、1924~29年の足掛け6年間を東北帝大講師として、日本での生活を体験している。1884年生まれだから、40歳から45歳にかけて日本にいたわけですね。

冒頭にあるのが、『ヘリゲル夫人より日本の知人へ』と題する手紙。1955年4月18日に博士が亡くなって、この手紙の日付が5月10日。夫を見送って一段落して、夫人が最初にしたのが、日本の友人たちに手紙を書くことだったんですね。交流の深さが感じられますね。

この間、日本と同様、いや、それ以上の敗戦という体験の中に、ドイツはあった。米軍は、博士の私物の接収を行い、それはまるで掠奪さながらだったようです。《彼が愛した弓の道具や、日本の思い出となる品々も、ことごとく奪い去られた》そうだ。

・・・く、悔しい!

《日本の文化と禅とが密接につながっており、日本のいろいろな芸術、武士の精神的態度、日本人の道徳的、美的、知的生活も、その特性を、禅的基礎に負うている》とは、鈴木大拙の言葉だそうだ。つまり、いかなる芸術、たとえば弓矢の道さえも、自己自身でもって内面的に何事かを遂行するという意味を持つのであって、弓と矢は、たとえそれらがなくても獲得しうるあるものに対しての、いわば一種の方便にすぎない。

つまりヘリゲル博士は、禅を体得するための方便として、弓矢の道を選んだわけだ。

今、実際、日本の禅がブームだという。困ったな。“禅”だって。まったく説明できない。とは言っても、一応、秩父34ヵ所の26番円融寺の檀家で、円融寺は建長寺の方の臨済宗だからね。・・・だけど、禅についてなんて、なんにも説明できないことに変わりはないけど。

さらに輪をかけて、“弓”だからな。一時期、高校の弓道部に関わったことがある。素人指導者は“当てる”ことを意識しすぎて、練習を見ていた外部の方に叱られたことがある。「当てることを意識するな」、「型が早すぎる」って。“えー!! ・・”実は、「もっと早くやれよ、まどろっこしいな」とかって思っていたもんですから。・・・折を見て、その世界から逃げ出しました。

『弓と禅』    オイゲン・ヘリゲル
福村出版  1,512

著者は大正の終わり頃に、日本に大学教授として滞在したドイツ人哲学者

師匠が、ヘリゲルさんに弓の指導をする言葉があります。《弓を射ることは、筋肉を強めるためのものではないと言うことに注意をしてください。弓の弦を引っ張るのに全身の力を働かせてはなりません。そうではなくて、両手だけにその仕事を任せ、他方、腕と肩の筋肉は、どこまでも力を抜いて、まるで関わりのないようにじっと見ているのだということを学ばねばなりません》。次に呼吸法では、《息を吸い込んでから、腹壁が適度に張るように息を緩やかに押し下げなさい。そこで暫くの間、息をぐっと止めるのです。それからできるだけゆっくりと、一様に息を吐きなさい。そして少し休んだのち、急に一息で空気を吸うのです。こうして呼気と吸気を続けて行ううちに、その律動は、次第にひとりでに定まってきます》

すごい師匠だな。わけが分からない。

師匠が、ヘンゲルさんに弓を引かせる。その発展段階に合わせて、ひとえに虚心坦懐に・・・。形であるとか、呼吸法を伝授するものの、それはあくまでも、ひたすら弓を引かせることを通して伝えられる。ヘンゲル博士は、懸命にそれに従いつつも、師匠の指導法に疑問を抑えられないこともある。それを承知で、師匠はなおも、ひたすら弓を引かせる。

そんなことを4年も続けたある日、その時がやってくる。《ある日のこと、私が一射すると、師範は鄭重にお辞儀をして稽古を中断させた。私が面食らって、彼をまじまじと見ていると、「今しがた、“それ”が射ました」と、彼は叫んだ。》その一射こそ、「あなたが射たのではなく、“それ”が射たのだ」と、師匠は言うのだ。さらに、その後がいい。

《さあ、何でもなかったように、稽古を続けなさい》・・・これが“禅”か。




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受け入れる(覚書)『元気な日本論』 橋爪大三郎・大沢真幸

《可口可楽》って、わかりますか? 別に四文字熟語ってわけじゃありませんよ。ただの、中国語。そう、コカ・コーラね。

日本列島の話し言葉の世界に、漢字のシステムが入ってくる。たしかに橋爪さんが言う通り、最初に行われたのは固有名詞を漢字で表記してみることだったろう。大学の時に、第二外国語で中国語を取ってる女の子に、自分の名前を中国語読みするとどうなるのか聞いたけど、丁度その正反対だな。

前5世紀にの動乱で、呉や越の人が稲作文化を引っ提げて日本列島に入ってるとはいっても、漢字を習得しているのは、かなり限られた人たちだったろうからね。なかったとは言えないだろうけど、少なくとも定着はしてなかった、。実際に、大きな規模でシナから漢字が入ってきたのは呉・東晋・南朝の時代で、次の大きなうねりが遣唐使による持ち帰り。初期のものを呉音、後期のものを漢音と呼んで、だいぶ発音に違いがある。

雄略天皇は、〈ワカタケル〉って音で呼ばれていたらしい。漢字の教養のあるものが、おそらくシナから渡ったものが、その音に、《獲加多支鹵》っていう漢字を当てはめた。それに続く漢字が《大王》。《大王》は〈オオキミ〉に当てられた漢字なので、日本では集団の長のことを〈キミ〉と呼んでいたらしい。つまり、《王》は〈キミ〉ということになる。

面白いですね。〈キミ〉に《王》という字をあてることによって、シナにおける《王》の持つ意味を〈キミ〉が装うことになる。

本当は、歴史を学ぶ最初のところで、こういう話を聞いておくべきだったんじゃないかな。

そして、〈カミ〉ね。それに《神》という字をあてた。易姓革命のシナでは、皇帝に権力の正当性を与えているのは天命であり、《天》がそれを下すわけだよね。皇帝は特定の氏族の《王》を超えて天下を支配する。《天》は特定の氏族の《神》を超える、最上級の概念である。

ところが、〈オオキミ〉に支配の正当性を与えているアマテラスは、〈オオキミ〉の属する氏族の〈カミ〉であって、上下の差をつけることができるとしても他の氏族の〈カミ〉と次元は同じである。同じ次元の中における上下の違いだけで、〈オオキミ〉は、他の〈キミ〉の上に立つ。〈カミ〉たちの手前、上位の次元にある天を設定するってことになっていたら、結構ややこしいことになったでしょうね。

なるほどね。だから、脆弱な部分を補うために、『日本書紀』にみられるような、様々な装置が必要だったわけだ。

この件。第一部に書かれてるんだけど、とても面白い。ぜひ読んでみて・・・
『元気な日本論』    橋爪大三郎・大沢真幸
講談社現代新書  ¥ 994

日本列島で起こったあれこれの出来事が、人類史の中でどういう意味を持つのか
第一部 はじまりの日本
 1 なぜ日本の土器は、世界で一番古いのか
 2 なぜ日本には、青銅器時代がないのか
 3 なぜ日本では、大きな古墳が作られたのか
 4 なぜ日本には、天皇がいるのか
 5 なぜ日本人は、仏教を受け入れたのか
 6 なぜ日本は、律令制を受け入れたのか
第二部 なかほどの日本
 7 なぜ日本には、貴族なるものが存在するのか
 8 なぜ日本には、源氏物語が存在するのか
 9 なぜ日本では、院政なるものが生まれるのか
 10 なぜ日本には、武士なるものが存在するのか
 11 なぜ日本には、幕府なるものが存在するのか
 12 なぜ日本人は、一揆なるものを結ぶのか 
第三部 たけなわの日本
 13 なぜ信長は、安土城をつくったのか
 14 なぜ秀吉は、朝鮮に攻め込んだのか
 15 なぜ鉄砲は、市民社会を生まなかったか
 16 なぜ江戸時代に、儒-国-蘭学が学ばれたか
 17 なぜ武士は、尊王思想に取り込まれたか
 18 なぜ攘夷のはずが、開国になるのか 

天を受け入れなかった日本が、仏教は受け入れた。たしかに、隋という強大な統一王朝の登場という脅威もあるけど、それ以上に重大だったのは、仏教徒は、すでに一思想体系というだけでなく、建築、暦法、漢字、衣料など、文化全般を網羅する体系となっていた。それを拒否することは、先進文化を拒否することに等しかった。

日本は仏教の取入れへの投資を本格化させた。それまでの古墳築造への予算を一切やめ、仏教の取入れに回された。ところが、本質的に仏教は難解な思想であり、さらに、日本人は思想的必要性から仏教を取り入れたわけではなかった。精神的には、従来の神々への信仰があり、それが農耕はじめ、生活全般をおおいつくしていた。

経典は、漢訳されたもの、つまりは漢字で書かれたものが入ってきた。日本の僧侶はそれらの経典を読むことができて、意味を取ることもできた。しかし、経典が日本語訳されることはなかった。

一般の人々は、お経を漢訳のままで、音として聞いていて、意味を取ろうとはしていない。音は受け入れているが、意味は受け入れていない。だから、日本人は仏教の教えの意味をつかんで、それを内在化するということをしていない。たしかにそうだね。本で受け入れられているのは、元来の日本人の宗教心と対立しない仏教の形式だけである。

ヨーロッパにおけるキリスト教も、もともとはそういうところがあって、なにしろ改宗したゲルマン人は、キリスト教を理解してなんかいなかった。教会だって、わざわざ聖書をラテン語のままにして、ゲルマン人にはわからないままにした。しかも、仮に読めるようになったとしても、解釈することは許されなかった。

のちの宗教改革は、聖書をゲルマン民族の俗語に訳した。俗語に訳すことで、ゲルマン民族にも神の言葉を内在化することが求められるようになった。

仏教が入ってきたからと言って、日本では、それ以前の宗教世界が壊されずに残ったからね。身近な精神世界は普通の日本語で表現され、そこには以前からの神様たちがいたんだね。それとは別に、当時日本が必要とした形式としての仏教というものも、それはそれで併存し、日本人の精神世界を形式面から重層的にしていったんだな。




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「歴史修正主義」とは、戦前の日独をことさら評価する史観ではない。
米英両国の外交に過ちはなかったのか。
あったとすればそれは何だったのか。
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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































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