めんどくせぇことばかり 本 日本 思想
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『日本人は本当に無宗教なのか』 礫川全次

私が最初に体験した身内の葬式は祖父のものだった。

当然のように、自宅で行った。それから10年以上たってから祖母の、あまり時間を置かずに母の葬式となったが、いずれも自宅で行った。母の葬式は真夏だった。焼き場は程なく取れたが、やはり自宅での葬式なので、障子をはじめ、部屋の間仕切りを取っ払っているから冷房なんて効くはずがない。炎天下で会葬者を出迎えていた時は、背中を汗が流れ落ちるのが分かった。いくら冷やしてもぬるくなってしまうビールに、坊主が不満を漏らしていた。

葬式を仕切るのは隣組というのがしきたりで、お勝手ごとなどに家人は口を出してはいけないことになっていた。うちのお勝手には隣組の“女し”が陣取って母も口出しはできない。除いてみると、家人そっちのけで、自分たちでご飯を食べていたりする。アラアラ・・・。

うちは本家で、父は7人兄弟だから、祖父母の葬式に関しては叔父叔母が何かとにぎやかだった。隣組の仕切りがうまくいかなければ、叔父叔母は自分で動く。それでも隣組を立てて、不平はもらさなかった。

母の葬式から10年以上たってから行われた父の葬儀は、葬儀ホールで行われた。やはり、暑い季節だったのだが、これはきわめて快適だった。仕切りの悪い隣組にイライラする事もなく行われ、最後に直会で一杯飲んで終わりと言うだけのことだった。その時の葬式から、俗信、迷信的なことが極端に少なくなった。それでも親族は、お経の間、頭に白い三角を付けた。あれは他所の人が見るとギョッとするに違いない。

叔父や叔母からは、隣組の前で立派に振る舞うことを、しつこく諭された。尻込みでもしようものなら、「ほら早く!」と急かされた。

そういった親族、隣組の外には町会があって、さらには遠縁の親戚が連なっていた。その中で、自分がどこの誰であるかをしっかり述べなければ、存在証明ができないことになる。

ヴィンチ村のレオナルドです。

それが嫌だった。

父が7人兄弟だからいとこは多い。父には姉が一人いて、そこのうちのいとこたちは、私たち兄弟と同じ経験をしている。でも、そのあたりが時代の変わり目で、あれだけ本家の子どもに厳しかった叔父叔母も、自分の子どもたちはそれを求めていないのだ。

父の葬式もそうだけど、隣組に頼らなければならないこともなくなった。隣組の前でどう振る舞おうと、関係なくなったんだ。町会のことも行政が肩代わりしていったし、遠縁はもっと遠くなって、そのうち消えた。
著者は、三つの側面で、日本人は無宗教だと結論している。

一つ目は、宗教を特定の信仰団体と捉えた上で、そういった信仰団体に属していないという意味での無宗教。次に、通常、人間は様々な習俗・習慣に制約されながら生活しているが、そうしたものは宗教ではないという意識が強いと意味での無宗教。



平凡社  ¥ 924

かつての日本では、宗教と習俗とが人々の心を支え、社会や共同体を支えていた
第1章 かつての日本人は宗教的だった
第2章 近世における「反宗教」と「脱宗教」
第3章 本居宣長と平田篤胤の思想
第4章 幕末に生じた宗教上の出来事
第5章 明治政府は宗教をいかに扱ったか
第6章 明治期における宗教論と道徳論
第7章 昭和前期の宗教弾圧と習俗への干渉
終章 改めて日本人の「無宗教」とは


最後の一つは、日本人の多くが宗教と意識していない習俗や習慣だが、実は背景に日本人的な信仰心に裏打ちされていた。しかし、その日本人的な信仰心はすでに崩壊し、その機能を失っているという意味での無宗教。

前の二つは意識としての無宗教、三つ目は事態としての無宗教ということになる。

私は、日本人的な信仰心は、いまだに健在であると考えている。その信仰心というのは、個人的な制約という背景はあるものの、社会の秩序を良好に保つことに大きな役割を果たしてきた。それは、ただ社会の秩序を良好に保つと言うだけでなく、それを次の世代につなげていくという点においても大きな役割を果たしてきた。

その根本にあるものは、祖先崇拝とともに、自然への畏怖がある。祖先崇拝が形骸化しているとしても、自然への畏怖がある以上、日本人的な信仰心が大きく様変わりしてしまうとは思えない。

ただ、昭和の時代の戦争の悲劇も、背景に日本人的な信仰心があったと思う。その、日本人的な信仰心の負の側面というのは、私たちはなんとしても克服していかなければならないものだと思う。にもかかわらず、いまだに私たちは、それを克服できていない。

逆に私は、そのことを心配している。

戦後の変化はたしかに大きい。戦争に負けたということのトラウマは、限りなく大きい。アメリカに世の中を作り直されてしまったことも、とてつもなく大きい。

それ以降、日本社会は、徐々にではあるが、様々なしがらみから開放されていった。そのしがらみってのが、宗教を補完する習俗・習慣を裏付けていたものではないかと思う。そしてそのしがらみは、私たちが時に、絆と呼ぶもので、徐々に、そういう絆をを失いながらも、それがあった時代に培われた日本人的な信仰心というのは、そう簡単になくなるものではないと思う。

自然へ畏怖は、それくらい日本人にとっては大きな問題なんだろう。

その点に対する言及は、この本にはなかったように思う。






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国家神道『日本人は本当に無宗教なのか』 礫川全次

教皇フランシスコが来日した。

戦後、彼ほど政治的な教皇はいないだろう。政治的な問題に関する発言をためらわない。彼には“大きな政府”という意識があるんだそうだ。それは国境を超えた問題に、積極的に関与していくということのようだ。核問題、戦争の問題、貧困の問題、・・・そりゃ結構だ。ただしいずれも、誰に何かを求めようとする段階から、きわめて政治的なものになる。その危険に対する意識に欠けたところがあるように思う。

最近は死刑制度にまで言及しているらしい。死刑制度は容認できないということだ。なにかとリベラルと波長の合う教皇でもあるらしい。

焼き場に断つ少年の写真に感銘を受けて広島、長崎を訪問したという。結構なことだ。核兵器が廃絶されることに、尽力しているという。いろいろな意見があるが、それ自体は文句を言うつもりはない。だけど、唯一の核被害国である日本に、なんらかの働きを求めるというのは間違いだ。なぜ核爆弾を、多くの人間を一気に皆殺しにするために使用したのかを、究明するのが先だ。なぜ日本人には核爆弾を使っていいと考えたのか。それを究明する前に、唯一の被爆国なんだから日本も率先してなにかやれというなら、責任者を連れてこいと言うしかない。根本的なことを考えれば、背景にあるものが、少しは見えてくるだろう。

イエズス会だそうだ。行動するカトリック。ラテンアメリカへ、アジアへ布教の為に乗り込んだカトリックの冒険者の系譜に属する。彼らの多くは思慮に欠けた。だから、行った先で揉め事を起こした。その揉め事を収めるために、スペインの軍隊がやってくるんだ。そして、新大陸の半分は、ラテンアメリカと呼ばれるようになった。その流れが、日本に原爆を落とすんだ。

なんだか、日本人の中にもフランシスコ教皇の来日を喜ぶ人が多いようだけど、カトリックなんだろうか。それとも、ハロウィンやクリスマスに大騒ぎの渋谷の若者だろうか。
伊藤博文が憲法調査のために向かったプロイセンで、彼はハインリヒ・フォン・グナイストから憲法講義を受けている。グナイストは、教育のもとになるのは宗教で、宗教に基づいた教育により人は善になると説いた。学問のみによって成り立つ国家は、死活の状態が常に動揺するのを免れない。日本においては仏教を国教とすべきであるという考えを持っていたらしい。

それに対してオーストリアのローレンツ・フォン・シュタインは、日本には開闢以来の神道があるのに、渡来した儒教や仏教に侵食され、神道は根本が枯れ、枝葉が栄えている状態のようだと、かなり正確な理解を持っていたようだ。そのうえで、日本は国体を維持するために神道を立てて国家精神の向かうところ示すのが良いとした。ただし、神道は宗教の外に立つものとして、儒教、仏教、キリスト教などの選択は、人々の自由に任せればいいと考えていた。



平凡社  ¥ 924

かつての日本では、宗教と習俗とが人々の心を支え、社会や共同体を支えていた
第1章 かつての日本人は宗教的だった
第2章 近世における「反宗教」と「脱宗教」
第3章 本居宣長と平田篤胤の思想
第4章 幕末に生じた宗教上の出来事
第5章 明治政府は宗教をいかに扱ったか
第6章 明治期における宗教論と道徳論
第7章 昭和前期の宗教弾圧と習俗への干渉
終章 改めて日本人の「無宗教」とは


《宗教の外に立つ》という理解が難しいが、国家儀礼の典礼を神道によって行うということのようだ。そうすることで、人々を知らず識らずのうちに神道に帰依させる。宗教という意識さえ持たせる必要がない。仏教やキリスト教などを信仰することとは別問題ということだな。

実際、明治政府はこの方針をとっていくことになる。不思議なのは、シュタインがどのように異国である日本の宗教問題に関して、ここまで実際的な提案をすることができたのか。この本の著者礫川さんは、シュタインを尋ねた日本政府関係者、中でも伊藤博文あたりが重要な情報源だったのではと書いている。

前提には廃仏毀釈がある。神仏分離令に端を発する廃仏毀釈によって、民衆の伝統的信仰生活はかなりの程度破壊された。たしかに仏教は、江戸時代、民衆を管理する体制の側にあった。だがそれに対する反発だけではなく、明治維新という神道の“復古”という立場からも、西洋文明導入という立場からも、神仏習合をもととする、長い伝統を持つ民衆の生活は、愚昧で迷信深く、猥雑なものに見えたというのだ。

筑摩県権令の永山盛輝は教育を立県の指針とする説明で次のように言っているという。

《因果応報の邪説にこだわり、地獄・極楽などの詭説を信ずるのか。中には心得違いの者もおるだろう。そもそも仏教は死んだあとのことが大事なのであって、お寺に布施することはあっても、いま、行きている人間を教育するための学費は出さない。学校のために尽力しない。生きているより死んでいる方が楽しいのだろうか。あまりに道理に外れていて、憐れですらある》

《来世より現世》って刹那的な、きわめて短絡的な考えではあるが、そちらの方が神道の復古、西洋文明の導入というご時世にあっていたんだな。

「捨てなきゃいけない。壊さなきゃいけない」っていう、衝動のようなものだな。

そんな前提があったから、グナイストよりも、シュタインの考えが採用されることになる。さらにシュタインは、智識が発達した今日、道徳はもちろん安心立命もまた宗教によらず、哲理に帰着させるべきだと言う考えを持っていた。その哲理を、神道を国家の典礼とすることによって確立しようとしたわけだ。

ある意味では思った以上にうまく行った。ただ、戦争が始まって、戦況が厳しくなっていくに従って、天皇のもとに無理を通そうという風潮が抑えようも無くなってしまった。・・・国家神道ってやつだ。




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『貴乃花 我が相撲道』 石垣篤志

この間書いたことなんだけど、大相撲九州場所12日目、白鳳と遠藤の相撲はひどかった。

遠藤がひどいわけじゃない。白鵬の相撲だ。日刊スポーツは《白鵬かち上げで遠藤圧倒 初の「日本人優勝」見えた》と題名をつけているものの、「パタリと前に落ちた遠藤は、鼻の上を抑えながら土俵の上で数秒動かず、KOされたようのも見えた」とも書いている。

白鵬は、「まず(相手を)起こしてから攻めたいというね。最終的にはたき込みになりました」とわけのわからないことを言っていたようだが、これは誤魔化しだ。相手の体を起こした上で、カウンターの張り手を顎に入れた。最初からの狙いに違いない。

遠藤は、白鳳のはたきで落ちたのではなく、カウンターの右を顎に食らって脳を激しく揺さぶられ、土俵上にダウンしたんだ。行事は白鳳に軍配を上げるのではなく、カウントを数えるべきだった。10秒以内に遠藤が立ち上がれば、試合は継続だ。

気をつけろ。白鵬がここ一番で狙っているのは、右カウンターだ。

本当にモンゴル勢は汚い相撲を取る。

伝説の武蔵丸との一番の後、貴乃花は膝の手術とそれに続く長いリハビリによる休場が続く。どんなやっかみがるのか知らないが、世間は貴乃花に、必要以上に厳しい対応を取る。手術から一年経った2002年7月場所のあと、横綱審議委員会は貴乃花に、翌9月場所の“出場勧告”っていうのを出したんだそうだ。・・・呆れる。

稽古総見でも土俵に上がれないような状況で、貴乃花は9月場所に臨んだ。それでも10日目までに勝ち越しを決め11日目の朝青龍戦になったんだそうだ。これはよく覚えている。さっき動画でも見直した。



文藝春秋  ¥ 1,650

私がずっと内に秘めていた心境をここまで詳らかに語ったことはありません
第一章 父・貴ノ花との絆
第二章 「貴花田」誕生
第三章 千代の富士と激突
第四章 宮沢りえとの婚約と破局
第五章 曙との死闘
第六章 綱取りと嫁取り
第七章 若乃花との兄弟対決
第八章 洗脳騒動の真相
第九章 武蔵丸との伝説の一番
第一〇章 “絶縁”の母へ
第一一章 死に場所を探して
第一二章 現役引退を決断
第一三章 横綱相撲の極意
第一四章 早すぎる父の死
第一五章 我が師匠論
第一六章 決起!貴の乱
第一七章 野球賭博と八百長
第一八章 “営業マン”貴乃花
第一九章 日馬富士暴行事件の内幕
第二〇章 角界引退
最終章 家族のこと、弟子のこと、そして…






この場所に向かう貴乃花は、稽古場においても四股とすり足、それに鉄砲に専念し、実践的な稽古はまったくできていなかった。不完全な状態で場所に入っていたわけだ。そんな状態で迎えた朝青龍戦だ。

その相撲の様子は、この本でも詳しく取り上げられている。1年4ヶ月前の小結の時の初対戦では、横綱に格の違いを見せつけられている。しかし、この日はの朝青龍は次世代を担う新大関として、貴乃花を上回る9勝を上げて、初対戦の雪辱を果たすべく挑戦した。

朝青龍はとうしむき出しに貴乃花に挑んでいく。強烈な喉輪に突っ張り、張り手を繰り出すさまは、その後も長く続くモンゴル勢の相撲そのものだ。貴乃花はそれらの攻撃をすべて受け流した上で朝青竜を両上手で抱え込むように捕まえた。この大勢、通常ならもろ差しで有利な局面にも関わらず、朝青龍は身動きが取れず苦し紛れの外掛けにいってバランスを失い、ざいごは右上手で土俵下に叩きつけられた。

朝青龍は負けて引き上げる花道で、場内に響く「ちくしょう」という捨て台詞を上げて支度部屋に戻り、「怪我をした(横綱の右)足をガーンと言っとけばよかった」と言い放ったという。

稀勢の里が一矢報いてくれたものの、今でもそのモンゴル相撲の時代が続く。

宮沢りえとの婚約と破局が世間を騒がせた。兄である若乃花との確執が取り沙汰された。それと関わって、整体師に洗脳されているという親方の発言があった。・・・当たり前だったら、とっくに潰れている。

それでも潰れずに、横綱相撲を取り続けた。

貴乃花という相撲取りに関する、それが真実だ。

親方になってからも、“貴の乱”、野球賭博問題、八百長問題と、常に貴乃花はもう一方の側にいた。その“もう一方の側”を相撲協会は受け入れられなかった。そして日馬富士暴行事件をきっかけに、貴乃花を大相撲から排除した。貴乃花は、弟子たちの相撲人生を守るためにそれを受け入れたのであって、弟子たちを捨てたのではない。

貴乃花に関しては、あれだけの逆境においても、横綱相撲を取り続けた。それが真実だ。




テーマ : 料理の本
ジャンル : 本・雑誌

『日本人として』 倉本聰

朝、走ってる。

5時頃、まだまだ暗い町に出て、今年になってLEDライトに付け替えられた街灯に照らされた道を、できる限り選んで走る。その白い光はずいぶん遠くまで届く。しかし、明け方の、まだ暗い町には、オレンジ色の灯りもある。家の玄関先を照らしている、ホッとするような優しい灯りである。

白い光とオレンジ色の灯りの中を走る。たまには最低限の明るささえないところを走ることもあるので、懐中電灯を持っていく。懐中電灯は、自分の足元を照らすことももちろんあるが、それ以上に、自分の存在を車の運転手に伝えることに、より高い必要性がある。

大きな交差点が近づいた。私がそこに到着する頃、信号はちょうど青で、私はそこで止まらずに交差点を渡ることができそうだ。信号が青に変わった、向こう側でそれを待っていた車が二台、信号を直進し私とすれ違う。交差点に踏み出す。斜め後ろから右折車が来ている。私は懐中電灯をそちらに向けて上下させ、私の存在を伝える。ところがその車は、止まろうと減速するどころか、先に行こうとアクセルを踏んだ。横断歩道のちょうど真ん中あたりでたたらを踏んだ私の前を車が通り過ぎる。私は悔し紛れに懐中電灯を運転手の顔に向ける。懐中電灯と言ってもサイクリング用の強力ライトなので、横から当てられてもそれなりに眩しかったはず。若いお姉さんだった。さらに走り去る車の後ろ姿に、懐中電灯を向けた。

こんな早くに仕事に行くんだろうか。それとも始発電車で出かけた家族を駅まで送っていった帰りだろうか。お父さんを駅まで送ったお母さんかも知れない。家には子どもがひとりで寝ているのかも知れない。だいたい、こんな明け方に走っているやつなんて、暇に決まっている。私が止まって、先に車を通せばよかった。いい歳をして、私のやっていることは、薄らみっともなかった。今日は、家に帰って玄関先の落ち葉掃きをする時、両隣の分も掃いておこう。
倉本さん同様、《お笑いタレントが席巻する騒がしく軽薄なおふざけ番組》が、私も嫌いです。

倉本さんは、《俗悪タレント、俗悪プロデューサー、俗悪ディレクター、俗悪テレビ局が、あたかもこの国をどこまで下げられるかと競い合うかの如く、言葉・行動・態度・礼儀、あらゆるこの国の良俗を破壊》している状況に、同じ放送人として穴があったら入りたいと思っているそうです。私は放送人ではありませんが、本当にひどいもんだと思っています。



財界研究所  ¥ 1,650

日本人は一体どうなってしまったのだろう。絆という言葉はどこへ行ったのだろう
覚悟
馴れる
ゴミに非ず
一億総懴悔
70センチ四方
断捨離
夜鳴きゼミ
マグロ
卑怯の原点
不都合な真実
ほか


だけど、相容れない部分も少なくない。

とても残念だけど、倉本さんのものの考え方は、イデオロギーが先行しているように思います。

日本国憲法第九条が、ノーベル平和賞の候補としてノミネートされたという事に関する見解には、まさにそれを感じさせられました。ノーベル賞というものそのものに関しても、考えるべきことは数々あると思いますが、中でも平和賞というのはひどすぎます。

アル・ゴアが受賞したときは呆れ果てましたが、その後もオバマ米大統領が受賞したり、核兵器廃絶国際キャンペーンとかっていう団体が受賞したり、政治的にはリベラルの立場が優先されているようです。

九条のノミネートに関しては、神奈川県の主婦が思いつき、ノーベル委員会にメールを送ったのが発端らしいと倉本さんは書いています。候補となったことだけで、倉本さんはワクワクするんだそうです。憲法九条を見直そうという動きのある日本の識者がどんな顔をし、どんな発言をし、どんな行動を取るかを想像するだけで、ワクワクするんだそうです。

もしも受賞した場合、安倍首相はオスロで授賞式に出席することはできないだろうから、「天皇陛下に言っていただくしかあるまい」と“不敬の民”である倉本さんは結論を出したんだそうです。

大変残念です。ものすごく、政治的なお考えだと思います。

そして、そのコラムの最後で、《絶対的な座標軸として不戦の記録を更新すべきである》と雄々しく宣言します。

どうも、一つお忘れです。前の時の戦争にも相手がありました。そして、再び日本が戦争に巻き込まれることがあるとしたら、その時も、必ず相手があるということです。

そこことと憲法九条の関係を考えるなら、九条が戦争を避けるために有効に作用するであろうというお考えは、妄想です。お隣の玄関先でも掃いていた方がよろしいかと思います。




テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

祖先崇拝『日本人は本当に無宗教なのか』 礫川全次

次兄の長男の結婚に際し、親族で集まって食事会を催した。

私は男だけ三人兄弟の三番目。私たち兄弟には合わせて七人の子があり、ここに来てバタバタと結婚が続き、これから披露宴を催す二組を合わせて、すべてが結婚したことになる。すでに孫世代は4人で、どんどん増えるだろう。その4人でさえ、宴席を走り回り、大人を引きずり回している。・・・この先どうなることやら。

前にも書いたが、私たち父母が、私たちの子どもが、父母の孫がまだ幼い頃、勢揃いしてはしゃぎまわるのを見て、「こういう楽しかったことを覚えてくれていればいい」と目を細めていたのを思い出す。

父母も、食事会の、あの場にいて、喜んでいてくれていたと信じる。これが私の信仰だ。

その食事会に出席するために、滋賀県の会社で働いている長男が、連れ合いを連れて埼玉まで帰ってきていた。そして食事会の翌日、また滋賀県に帰った。帰る前に、夫婦で仏壇に手を合わせていった。以前から、事あるごとに、仏壇の前に座らせていたので、今では自然にそうしている。長男の連れ合いの行動も不自然さはない。

あれらがもし、宗教を問われる機会があったら、無宗教であると答えるんだろうか。私から見れば、十分宗教的な行動に見えるんだけど。

さてこの本、まだ読み終わってないんだけど、私の中で予想外の展開を見せている。当初、日本人の持つきわめて宗教的な一面を立証していく本であろうと思っていた。しかし、読み始めてみると、戦国時代あたりからの、日本人の宗教感の移り変わりを追いかけていっている。様々な文献を取り上げてね。

その中で、本居宣長の皇国史観や、平田篤胤の復古神道、さらには水戸学が明治だけでなく昭和にまで影響を与えていることなども取り上げられている。それが私には、思わぬ展開だった。それについては、また、読み終わってからまとめてみたい。



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かつての日本では、宗教と習俗とが人々の心を支え、社会や共同体を支えていた
第1章 かつての日本人は宗教的だった
第2章 近世における「反宗教」と「脱宗教」
第3章 本居宣長と平田篤胤の思想
第4章 幕末に生じた宗教上の出来事
第5章 明治政府は宗教をいかに扱ったか
第6章 明治期における宗教論と道徳論
第7章 昭和前期の宗教弾圧と習俗への干渉
終章 改めて日本人の「無宗教」とは


今昔物語に、あの世に行って戻ってきた男の話があるそうだ。男はあの世で地獄の責め苦に会う父にあっている。なぜそんな責め苦にあっているのか尋ねると、父が言うんだ。「自分は生前、詐欺に、ゆすりたかりのような真似を働いた。人のものを奪い取ったり、他の女を犯しもした。父母に孝行もせず、目上の者を敬いもしなかった」

さらに続く。「だからこんな、いつ終わるとも知れない責苦にあっている。お前は帰って、私のために仏像を作り、お経を写して、私の罪を除くようにしてもらいたい」

どの面下げてそんなことが言えるんだと思ってしまう。

平安末期の仏教説話というものだそうだ。仏教は、日本人の信仰心象に大きな影響を残したが、仏教以前の日本人の信仰を塗り替えることは、結局できなかった。本来の仏教からはかけ離れた“日本的仏教”になったわけだ。たとえば、これも日本人に古くからあった先祖祭祀が取り入れられている。そう言った仏教以前の日本人の信仰を取り入れなければ、仏教は根づけなかったわけだ。

フランシスコ・ザビエルが友人に送った手紙に、日本人の信仰心象について語ったものがあるそうだ。キリスト教では、一旦地獄に堕ちた人はもはやそこから救われることはない。ザビエルにあってキリスト教に帰依した日本人の信者たちは、キリスト教に帰依することなく亡くなった、つまりは地獄に堕ちているはずの両親はじめ、妻子や祖先への愛ゆえに、嘆き悲しむ。その悲しむ様子があまりにも哀れで可愛そうだと、ザビエルが友人に書き送っているそうだ。

哀れな信者たちがザビエルに頼むんだそうだ。なんとか、地獄に堕ちたものを助ける方法はないかと。ザビエルは、助ける方法はないと答えるばかりだと書き送っているそうだ。なんだか意地悪だな。

だけど、ザビエルはカトリックだから、煉獄があるはずだ。地獄は神から永遠に離れ、永遠の責め苦を受ける状態。煉獄はちょっとだけ悪いことをしちゃったやつが、お清めのために行くところ。そのあたりを上手く利用して、信者の死んだ家族くらい救ってくれればいいのにね。

日本人は、神さまよりも死んだ父や母に見守られてると思ったほうが、心安らかでいられるんだからさ。




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『ひとりで生きる 大人の流儀9』 伊集院静

6月に猫が死んだ。

娘が高校3年の時、学校帰りに拾ってきてしまった。生き物の好きな娘で、死にかけた雀の子や、巣から落ちた燕の子を拾ってきたこともあった。雀の子はまもなく死んだが、巣立ち間近を巣から落ちたらしく、燕の子はベランダに出してやったら、親が迎えに来て、一緒に飛んでいった。

存命だった連れ合いの母親が、生き物がダメだったので、捨てられていても拾ってきてはいけないと言ってあったのに、入れられていて袋から這い出して道の真ん中にいた。次にここを走る車に轢かれて死んでしまうと、拾わずにはいられなかったらしい。ポスターを作ったりして、誰かにもらってもらう努力をしたものの、そのまま家で飼うことになった。

以来、12年間、家にいた。いろいろと難しい時期もあったんだけど、猫はいつも私を必要としていた。必要とされる以上、しっかり応えてやることに喜びを感じている間に、難しいことも乗り越えられた。

4月下旬、準備した水が足りなくなることが気になった。連れ合いが、水を大量に飲むようになったら病気で、もう長く持たないなんて話をどこかから聞いたきた。案の定、5月に入ってしばらくしたら、ごはんの食いが急に落ちた。心配しているうちに食べなくなった。医者に行ったり、ご飯を変えたりして、一喜一憂することはあったものの、結局食べなくなった。水もほとんど飲まなかった。

それを受け入れて、夫婦で看取ると医者には告げた。そこから猫は、ひと月近く生きた。猫はその不快を敵の接近と直感し、誰の目にもつかないところで死ぬという話を聞いたことがある。だけど、違った。猫は、私たち夫婦の近くで、徐々に力を失っていった。

その時が近いこと思われた夜、朝まで一緒にいようと話をしてまもなく、猫は全力を振り絞って身体を起こし、喉の奥から吹き出すように血のようなものを吐いた。すぐに抱きかかえると、猫はハーと、これまでに聞いたことのない太い息を三度吐き、そのまま絶命した。すべては私の腕の中で、連れ合いが頭を両手で支えている中でのことだった。

翌朝、庭の片隅に大きめの穴を掘り、猫は今でもそこに眠っている。私たちが一日のうちで一番長く時間を過ごす居間から、ほんの3mほどの場所である。

《大人の流儀》では、伊集院さんの愛犬、バカ犬のノボの話がたびたび出てくる。伊集院さんは、去年が限界だと予測していたと言っている。


講談社  ¥ 1,000

ひとりで生きることは、一見淋しいものに思えるが、実は美しい人間の姿であるのかもしれない
第一章 孤独を知る
第二章 とても好きだった
第三章 あなたならやっていける
第四章 それでも生きなさい


「そうじゃねえよ」と思うことはいくらでもある。

伊集院さんの話の中に、天気予報士のことがたびたび出てくる。これも確かに、「そうじゃねえよ」の一つだ。天気予報に関わるなら命がけでやれ。相撲の行司と同じように、腰に短刀を差せ。間違えたら腹を切るつもりでやれ。その気持ちで予報するなら、多少なりとも確率は上がるだろう。コンピューターの計算したものを読み上げるだけなら、バカでもできる。せめて、予報を外したコンピューターは叩き壊せ。

温暖化がどうのこうのなんて、裏がある話に決まってる。IPCCの予測がイカサマなのは、もう決着がついている。あとは政治の話。国籍をこえて、世界の若者たちが動き始めていると言うが、若い奴らのほうが未熟なのだ。いちいちニュースで偉そうに取り上げるな。

でかい台風なら昔もあった。大雨被害に苦しめられたから、それなりの名前をつけて、そこが水の出る場所であることを後の人に伝えた。ところがそこは今、住宅地になっている。水の出る場所であることが分かっては売れないので、あかね台とか、旭ヶ丘とか、歴史や土地性になんの関係もないキラキラネームになっている。

でかい台風や大雨被害も温暖化のせいだと平然と言う。だからパリ協定だと言う人がいるが、今起こっていることに対策するのが、人間にせいぜいできるところだ。

だけど、勤め人という立場だと思ったとおりには行動できないし、口に出すこともできない場合もある。「そうじゃねえよ」と否定している流れに乗っかんなきゃならないことだってあった。この戦いは、きわめて孤独なものだった。これ以上、仕事を続けていると、もうバカに取り込まれざるを得ない。それもあって、仕事はやめた。

やめた仕事は教員だった。優秀な人が多かった。ただ素直すぎる。彼らは受け入れる。自分の頭で考えたとは思われないのに、それでも容易に受け入れる。新人なのに老成しているかのような者もいた。あの人たちは、その方が楽なんだろうか。

仕事をやめた今、勝負はこれからだと思う。

うちの各部屋のドアは、猫が通るので完全には締めてない。朝、暗いうちに起きると、猫は気配を感じて下りてきた。下りてきてご飯をねだった。朝、暗いうちに起きると、時々、今でも何故か締めてないドアが、ギィといって開くことがある。




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ひとり『ひとりで生きる 大人の流儀9』 伊集院静

伊集院静さんにしてみれば、「先生と呼ばれる人種は、表ではそれなりに振る舞うが、密室に入れると何をしでかすか分からない輩」だそうだ。

十把一絡げにそう言われるのは心外だ。たしかに、そういう“先生”もいる。比較的近いところにも、18歳未満の女性と淫らな行為を行いお金を渡した数学の“先生”がクビになった。人のうちの軒先にぶら下がったパンティーを手にかけて、家人に追いかけられて取り押さえられた体育の“先生”もいた。パンティー泥棒でクビになったのは、二人いた。

破廉恥なやつはいくらでもいる。世間にバレるケースもいくらでもある。だけど、“先生”が、そういう破廉恥な事件を起こすとニュースになる。そして、間違いなくクビになる。何かと目立つんだな。

“先生”と呼ばれる昼間の生活からの落差が激しいから面白い。足の引っ張りがいがあるんだろう。

高校の若い男性教員なんてのは、本当に大変だ。17・18の、ちょっと前であれば適齢期の健康な女性が、無防備な状態で、たくさんいるんだから。高度化した現代社会においては、彼女たちは、確かに社会的には未熟であるが、身体的には成熟期に達している。そしてその本能から、より能力の高い子孫を残すために、能力の高い遺伝子を欲する段階に至っている。

教員は教える仕事なので、中でも若い男性教員は、彼女たちにとって“より高い能力を持った遺伝子”なのだ。

かつては、自分の教え子と結婚をした高校教員が多かった。その多くは、真面目に勉強をしてきた方々で、恋愛経験は比較的少なかったろうと思われる先輩方だった。そんな彼らの方から、18歳未満の女性とのみだらな行為に及んだのか。それとも、18歳未満でないことを確認した上で、みだらな行為に及んだのか。お聞きしたことはない。

そんな事を言っている私でも、若い時分には、何度か危険な状況に陥ったものだ。そんな教員に、少しは思いやりを持って接してもらいたい。政治家の“先生”とは違うんだから。

30年をこえて教員として働いてきたが、学生の様子もずいぶん様変わりした。大きな変化の一つは、みんな誰かと一緒なことだ。誰かと一緒なことが、とてつもなく大事なことで、誰かと一緒でないということは、ものすごく大変なことと認識されているらしいということだ。



講談社  ¥ 1,000

ひとりで生きることは、一見淋しいものに思えるが、実は美しい人間の姿であるのかもしれない
第一章 孤独を知る
第二章 とても好きだった
第三章 あなたならやっていける
第四章 それでも生きなさい


教員になりたての頃は、それほどでもなかった。

自分たちの頃同様、おかしな奴がけっこういた。“つっぱり”がどうのこうのという時代だったかな。そういう意味で面倒な奴はいたけど、最近に比べると、きわめて分かりやすい時代だった。何しろこちらの声が、彼らにはとどいた。・・・そう私は思っている。彼らにも、信用できる相手の言葉なら受け入れようというゆとりがあった。そのゆとりを、最近の学生からは感じられないことが多くなっていた。

“古いやつだとお思いでしょうが”、一対一で腹を割って話せば、大抵のことはなんとかなるって思ってた。大抵のことはなんとかなった。どうにもならないこともあったけど。言葉尻よりも、腹の中が大事だった。

最近、上司は、学生と一対一にならないことを求めてきていた。女学生に対しての問題ってこともあるが、実は男子に関してももんだいがあった。腹の中なんておよびも付かない。問題は言葉尻。言葉にどんな尻が付いているか知らないが。

彼らは小学校の時分から、言葉の尻に左右されて生きてきていた。そんな彼らに、人の言葉を受け入れるゆとりを求めるのは難しいのかも知れない。

私は、今年の春で教員をやめるにいたる数年間、彼らにひとりになることを求めてきた。「学校生活を始めた幼い頃から、君たちはひとりで生きていく力を身につけるために学んできた。協力するのはいい。だけど、もう、つるむのはやめろ」

今の彼らに受けいられるはずがない。彼らにとって大事なことは、ひとりにならないことなんだから。それは分かっている。だけど、それだけじゃどうにもならないことを、彼らは近い将来に知ることになる。その時に、思い出してくれるかも知れない。

もちろん、それでひとりでやっていけるようになるわけじゃない。ずい分前の話だが、父親に聞いたことがある。世間でやっていける自信がついたのはいつ頃かと。父親は、「自分の父親の葬式を出してからだ」と答えた。




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ジャンル : 本・雑誌

『日本の民族信仰を知るための30章』 八木透

自治会長にとって、神社の行事はとっても大変です。

おそらく少し前まで、自治会の活動と神社の関わりは密接不可分だったんです。だから、会計を一つにしていても、何ら問題なかったんでしょう。でも今はどんなもんでしょうねえ。古くからの人はそれを当然のこととしていますから、自治会費から神社の運営や行事に支出するのは当然のことなんです。そこで神様を祀ることが、地域の紐帯そのものなんですから。

だけど、新しく越してきた人たちなんかにしてみれば、それはけっして当たり前のことじゃないわけです。この地域では、表立った反対の声が上がっているわけじゃありませんが、このご時世から言えば、時間の問題でしょう。でもねぇ、神社の行事なんて言ったって、その紐帯を受け継いでいくことが行事の目的そのものなんですよ。お父さんたちは酒のんで赤ら顔して、お母さんたちはお喋りの興じて、子どもたちにはおみやげを渡して遊ばしておくんです。それそのものが目的なんです。

神さまは、みんながそうしているのを眺めて、「これなら大丈夫」ってにこにこしてるんだと思うんです。・・・ダメですか?

先日の、御即位関連行事。ずいぶんと政教分離の原則っていうのに神経を使ってますね。上皇様の即位のときには、だいぶ裁判沙汰に持ち込んだ人が多かったんだそうですね。政教分離の原則に関わる捉え方が間違ってます。人間の言うこと為すこと背景にゴッドとの関連があることは、ゴッドを信仰するすべての人の常識ですから、ゴッドを政治の場から排除しろなんて誰が言いますか。この原則は、けっして新教を信仰することを禁止しない、相手の信仰を邪魔しないというのが本意でしょ。

新しく入ってきた人たちも、赤ら顔での飲み会に、お喋りの場に、なんとか参加してくれないかな~。今はもう、かつての村のように外の人をどうこうするなんてことはまったくありません。一緒に神社ごとをやっていきたいって思ってるんです。神社ごとってのは、仲間になろうって思いそのものなんですから。



淡交社  ¥ 1,980

四季のまつりや、年中行事を通して、その背後に見え隠れする仏や神について
春(旧暦と新暦;めぐり巡礼と御朱印 ほか)
夏(茅の輪くぐりでケガレを祓う;祇園祭をめぐる二つの謎 ほか)
秋(津軽岩木山信仰とお山参詣;重陽は菊花の節供 ほか)
冬(師走の仏名会と節季候;討伐され祀られる鬼たち ほか)

端午の節句に鯉のぼりをあげますが、言われてみれば、魚に空を泳がせるっていうのは、どうも不思議な風習ですね。

3月3日の上巳の節句、桃の節句は女の子の成長を祝う節句で、端午の節句は男の子の成長を祝う節句ですね。粽を食べたり、武者人形を飾ったりします。うちの長男には、団地用の鯉のぼりしか揚げてやれなかったので、武者人形はそれなりのを飾りました。それから菖蒲を風呂に浮かべましたね。

どうもこの日、かつては「女の家」と呼ばれていたらしいんです。旧暦の5月は田植えのための重要な月で、田植えを行う早乙女たちがHな田の神を迎えるための忌み籠もりして精進潔斎する日、女は働かなくてもいい日だったらしいんです。それがどうして男の子の成長を祝う日になったんでしょう。

節句は、奇数が重なる厄が強くなる日なので、強い植物の力を借りて厄を払う日です。上巳の節句では桃の、端午の節句では菖蒲の力を借りるんですね。結局、その菖蒲の節句が勝負の節句、さらには尚武の節句にすり替えられたということなんです。そうして、もとは女の日であったものが、男の子の節句に置き換えられてらしいです。

日本らしいですね。ここにも“言葉の力”が働いてます。

だけど、まだまだ、魚が空を泳ぐことにはなりません。鯉のぼりが生まれたのは、江戸時代の末だと言います。いつしか尚武を事とする武士の子の成長を祈る日になった端午の節句には、武士が戦場に掲げた幟旗が掲げられるようになったそうです。同時にこの日に掲げられた武者絵には滝を遡って龍になると言われる龍の絵が、縁起がいいと飾られたのかも知れません。この鯉の絵を鯉のぼりに結びつけたのは、戦場で軍の陣地を表す標識とされた吹き流しだろうと言います。吹き流しは今でも鯉のぼりたちの第一番目に掲げられますね。

そう、宗教には関係ないかに思われる端午の節句だって、民間信仰にほかならないんですから。




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ジャンル : 本・雑誌

『山の神々』 坂本大三郎

なんと言っても、だいぶ過ごしやすい気候になってまいりました。

朝、寝ぼけながら、少しずつ目を覚ましていくのが気持ちいいです。これが、この間までの気候だと、こうはいきません。眠りが浅くなると、最初に感じるのが不快感なんですから。それから無理に眠ろうとして、短時間に不快感を繰り返すと、もう寝ていられません。起きてからも、眠りが足りていませんから、どこか中途半端な一日を過ごしている感じがつきまといます。

それがここのところ収まりました。早朝の走り込みも、ゆったりと様子を見てから始めましょう。仕事をしてないって、本当にいいですね。

この本には、「伝承と神話の道をたどる」という副題が付けられています。山の民俗学を扱った本といえばいいでしょうか。書いているのは、山伏としての経験を持つイラストレーターで、文筆家で、芸術家の方なんですが、テーマから来る印象よりもお若いことに驚かされました。四四歳の方です。

この方、山伏という一面を持ちながら、山伏にありがちな霊的、または神秘的な側面には、興味を向けておられません。ただ、山伏は古くから民間信仰の一翼を担い、日本の文化の支え手であったことは事実です。そんな山伏の観点から、古い由来のある技術や知識を得ることで、祖先の心に触れてみたいということのようです。

柳田國男は、「今残っている以前の技術の中には、その基礎となった知識は消えてしまって、何のことだか解らずに、ただ技術のみが惰性でもってわずかに残っているものが多い」と述べているそうです。

著者の坂本大三郎さんは、山伏として日本各地を巡って山の物語を拾い集め、「惰性でわずかに残っているもの」であっても、各地の話を比較することで、《前代の人生観》をあぶり出すことを、この本に於いて試みようとしたもののようです。

明治以降、日本に広まった近代登山。今、登山ブームと言われますが、日本人にとっての山に登るってことは、いわゆる近代登山とは、どこか違うところがあるように思うんです。山には、“縄文”が残っている。それを感じたいんじゃないかなって、そんなふうに思うんです。

『山の神々』    坂本大三郎

A&FBOOKS  ¥ 1,836

ここには日本の山について知らないことがいっぱい書かれていた。私たちはどのように山と向き合うのか
第1章 山岳信仰の始まり
第2章 民俗と山
第3章 山岳信仰以外の山
第4章 金属と猫と狼
第5章 海の山
第6章 北の山岳信仰
第7章 柱と綱とモリ


戦後、《家》というのが悪役に仕立てられて、《家》によって受け継がれてきた多くのものが、失われてしまいました。私の生まれた家でも、長男の嫁によって受け継がれてきたある風習がありました。祖母はまるで、その風習の権化のような人でした。祖母と一緒にいることは、私も色々なものを見ました。母は新しい世の中を感じて、その風習を長男の嫁には伝えませんでした。そんなことをやってる時代じゃなかったんです。

そういったものが、どんどん失われていると思うんです。《家》と同時に、いや、それ以前に《ムラ》も崩壊して、受け継がれないものがたくさんあります。私が住んでいる地域には、わらで編んだ“ふせぎ”を竹竿にかけて辻に立て、部落を守る風習ががあります。ですが、それを受け継ぐべき若者がいないのです。

だからこそ、坂本大三郎さんの試みは、とても大事なことだと思います。しかし、この試みはあまりにも壮大です。ご自身も、まえがきで言ってらっしゃいます。

「各地の山をめぐる中で痛感したのは、ひとつの山のことを本当に知りたいと思うならば、その山に人生のすべてをかけるくらいの熱量で向かい合わなければ解らないという思いでした」

山はそこにあるだけなのですが、太古から、実は多くの人がその山に関わり合ってきて、多くの人の思いがその山にまとわりついています。私も山に登りますが、何度か足を運んだだけでは、その山のことなんか分かりません。坂本さんも、「この本で紹介できているのは各地の山の、ほんの一面です」と言ってらっしゃいます。

だけど、この本を読んだだけでも、感じられることがたくさんありました。その一つが、今の日本の登山ブーム。みなさん、山に残されている、“縄文”を感じようとしているんじゃないかということなんです。

小河内ダム、奥多摩ダムですね。その水の博物館の周辺に、石碑を集めた小道があります。ダムに沈んだ地域にあったものが集められたもののようです。山に関わる思いも、ダムに沈みました。石碑もすべて持ち出されたものではないでしょう。

たとえ、破片であっても、それを各地の破片とつなぎ合わせることから、《前代の人生観》をあぶり出す。ぜひ続けていただきたいと思います。




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『国家と教養』 藤原正彦

明治中期生まれの知識人は、大正デモクラシーの時代の主役です。芥川龍之介、武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎、里見弴などなど。

やはり彼らは、欧米列強の圧力に抗して、だからこそ西洋文明の吸収に奔走した明治主役の知識人とは違います。直接海を渡り、そうでないとしても洪水のように流れ込む圧倒的な西洋文明に接し、自らの内に日本の伝統を濃厚に抱えながらも、ある意味でそれを否定せざるをえなかった明治主役の知識人と違い、大正デモクラシーの主役たちは伝統を否定するという葛藤を知知りません。

葛藤もなく近代を受容する新しい世代を、例えば夏目漱石は痛烈に批判します。

「日本の開化は西洋からの圧力に対抗するためにやらざるを得なかった、外発的で無理を重ねたものだ。軽薄で虚偽で上滑りしたものであり、それは子どもがタバコを咥え、さもうまそうな格好をしているもの」「上滑りは悪いからおよしなさいというのではない。事実やむを得ない、涙をのんで上滑りに滑って行かなければならないというのです」

漱石にしてみれば、大正デモクラシーの時代の知識人は、葛藤もなく無邪気に舶来の教養を身に付けた世代で、日本という根を持たない。自分たちの獲得したものが西洋崇拝に発した借り物の思想であることに気づかず、その危うさも自覚しない者たちということです。

大正デモクラシーを謳歌しているうちにロシア革命が起こると、彼らはあっさりマルクス主義にかぶれ、昭和に入ってはナチズム、そして軍国主義に流されて、さらに戦後はGHQを礼賛し、思惑通り左翼思想にかぶれ、昨今では新自由主義やグローバリズム。

危ないですね、日本の教養人。


 『国家と教養』    藤原正彦

新潮新書  ¥ 799

教養なき国民が国を滅ぼす 教養こそが大局観を磨く 大衆文学も教養である
第一章 教養はなぜ必要なのか
第二章 教養はどうやって守られてきたか
第三章 教養はなぜ衰退したのか
第四章 教養とヨーロッパ
第五章 教養と日本
第六章 国家と教養


義理、人情、忠義、名誉、勇気、正義、惻隠、涙。心にすとんと落ちてくるこれらの言葉。かつては講談本を通して自分に流れる血の中に、それらの日本的情緒を確信したようです。一九六〇年生まれの私は、活字に合わせて漫画がそれを教えてくれました。今の若い人たちには、漫画の影響力が圧倒的なんでしょうね。

葛藤なく、無邪気な西洋崇拝を基に構築された教養は、身体感覚を持たないがゆえに、新たなブームに流されやすい。これは違うと、私の中の惻隠の情がストップをかけるとか、卑怯なことはするなと私の中の義理人情が涙を流すってことが起こらないんです。

だから、本当に信用すべきは、漫画はじめ、日本ならではの文化に触れて、自分の中の日本的情緒を育てた庶民の感覚なんでしょう。

じゃあ、日本ならではの文化ってどうやって形成されてきたもんなんでしょう。やっぱり、自然環境、気候風土だと思うんです。もちろん自然災害の危険が大きい場所だったことも含めてね。

小さい頃から川や海で遊んで、山を歩き、風に吹かれるってことが、とても大事なんでしょうね。春の新緑の季節、秋の紅葉の季節は山がいいなあ。この季節に山を歩くと、頭で気持ちがいいって考える前に、身体が喜んでいるのが分かります。夏は川や海がいい。日本の夏は暑い。だけどきれいな川があります。海もあります。冬は雪で大変だけど、冬には冬の良さがあります。

その自然を切り崩して、自然からは切り離された快適さ、人工の快適さを手に入れてきたけど、もしも身体感覚に裏打ちされた日本人らしい教養ってものがあるならば、このへんでやめておこうって私の中の“朝日に匂ふ 山さくら花”が囁いてくれるでしょう。




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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本
































































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