めんどくせぇことばかり 本 近現代日本
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『バカの国』 百田尚樹

まったく、バカだね~。

土曜日に毎週やってる《男はつらいよ》のシリーズを撮りためてあって、何かの折りに見てるんだ。ったく、寅さんはバカだね~。なんて思ってるうちに、いつも間にか気持ちが元気になって、明日も何とかなりそうな気がしてくる。不思議なもんだな。

だけど、この本の著者、百田さんの基準から言えば、きっと寅さんは、“バカ”の枠から外れちゃうだろうな。だって、人を元気にして、明日を生きていく活力を与えてくれるんだもの。

これは百田さんが言ってることだけど、武漢発感染症に関して言えば、1番のバカが政府。政府は当初、まるで、これを対岸の火事であるかのように無策だった。たしかにそうなんだよね。今は“無策”とまでは言わないが、なんだか思考が停止してしまっているかのよう。GO TOトラベル止めたとき、菅首相は二階さんに呼び出されていた。なにしろ二階さんは、全国旅行業協会の会長だかんな。

2番目が野党。当初は、「桜を見る会」に夢中で、それは今も同じ。この人たちのこの1年は、それしかないまま終わりそう。1番、2番は、次の選挙で全部落とそう。レベルが低すぎる。給料下げよう。人数減らそう。

その後は、3番メディア、4番地方自治体の首長、5番マスクの転売に熱を上げた輩、6番国民と続く。ただし、5番は、バカというよりも《卑劣》、《クズ》と言っている。

3番のメディアは、叩くんなら、二階を叩けば良いのにね。

この本には、《怒りの長い長いまえがき》というのがある。上記も、そこに書かれていたことだ。そして、百田さんがこれを書いていたのは3月の半ばだという。この本の出版は4月下旬の予定で、「4月下旬にはすっかり収束しているかもしれません。その時は皆さん、大いに私を嗤って下さい。いや、私はそうなることを願っています」と書いている。

残念ながら、百田さんを嗤うわけには行かなかったし、その後の事態は、どんどん悪くなってしまった。

そこには6番目のバカである国民も、強く関与している。

「どうせ大したことにはならないだろう」と考えるのは、“正常化バイアス”と呼ばれる心理で、災害心理学で使われる言葉だそうだ。予測される悪い事態を、勝手にいい方に補正しようとする意識が働いて、必要な対策をないがしろにしてしまう。

そこには日本人特有の、言霊信仰も関与していて、悪い事態を口に出すと、その言葉が込められた魂が勢いを得て、本当のことになってしまうと考えるんだな。

事実、百田さんのところには、「大げさに煽るな」とか、「新型肺炎について何も知らないくせに」という声が寄せられているという。まずは最悪の事態を想定して、そこへの対処から、ことを始めなきゃいけないのにね。

そうそう、再度の緊急事態宣言が4都県に出された翌日、どっかのニュース見てたら、街頭インタビューで人出はどうか聞かれた人が、「まったく減ってないと思います」と憤る様子を見せていた。・・・よく分からない。


『バカの国』  百田尚樹

新潮新書  ¥ 880

ベストセラー作家がツッコミながらも警鐘を鳴らす、笑いと怒りの123篇!
第1章 クレーマー・バカ
第2章 やっぱりSNSはバカ発見器
第3章 世にバカの種は尽きまじ
第4章 血税を食べるバカ
第5章 公務員の楽園


「お祭りはうるさいからやめろ」と言う人がいるんだそうだ。

秩父でそんなことを言ったら、とんでもないことになるだろうな。1年が、いや、人生がお祭りを中心に廻っているような人は、掃いて捨てるほどいるからな。さらには祭の数が、300とも、400とも。

お祭りを全部やめたら、やることが無くなって、秩父の人は何をして良いのか分からなくなる。

花火がうるさい?盆踊りがうるさい?

必要があるから花火が上がるし、必要があるから盆踊りを踊るんだよ。

「除夜の鐘がうるさい」とか、「学校の運動会がうるさい」って、電話してくる奴もいるらしい。バカだね~。

昨年、自治会長をやって、地域の盆踊りを主催する側になった。あれは準備が大変でね。商工会や婦人会、地域にある小中学校のPTA とか、安全協会、母の会、もういろいろなところと連携して、準備をする。なかでも30人くらいの自治会長は、ほとんど人足になって、櫓を建て、花を飾り、杭を打ち、綱を張るんだ。

それもこれも、楽しみにしている人たちがいるから。それに、地域を離れた若い人たちも帰ってきて、同級生に会いに盆踊りに来るんだ。踊らなくてもさ。

そんなところにね。「訴えるぞ」とか、「騒音は人権侵害だ」とか言ってくる奴がいると、みんなのために苦労しているのが嫌んなっちゃうんだよね。

かつて勤めていた学校にも、いろいろな匿名の電話がかかってきたな~。中には、救急車を呼んだことに対する苦情もあった。

お祭りや行事は、意味があって行なわれてきて、もちろん時代に合わないものが淘汰されることはあっても、残っているものは意味があって残っている。家族や地域の絆を深めることになるし、お互いの安全や健康にも寄与するものでもある。その役割は、とても大きい。

そうやって地域のつながりが果たしてきた大きな役割を、すべて行政に肩代わりさせたら、どれだけ高くつくことになると思ってるんだろう。

“差別”と“区別”の違いって、難しい。特に、男と女に関わることが問題になることもある。あんまり細かいところをつつき始めると、スムーズに世の中が廻らなくなる。

どうなんかな~。会社のショールームの受付に男を座らせる。テレビのニュース番組のメインのキャスターを、女にしてみる。実際にあるけどね。ただ、メインを壮年の男性キャスター、サブを若くてきれいで、賢そうな女性キャスターにした方が、視聴率が上がるんだそうだ。男と女には、違いがある。その違いを無視すると、帰って不自然なことになるからな。

もう、いろいろなバカが、次から次へと登場する。本当に、よくこれだけのバカを集めたもんだって感心してしまう。

いや、ちゃんと見るべきものを見れば、バカが浮かび上がってくるに違いない。頑張って、見るべきものを見てみよう。

・・・浮かび上がるのが、自分だったりして。

さて、百田さんのサイトから出た本は、前が《偽善者》、今度が《バカ》と言うことになった。次はなにかな。《クズ》あたりかな。



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わいせつ教師『バカの国』 百田尚樹

一昨日の新聞に、わいせつ教師の記事が載ってた。

児童生徒らへのわいせつ行為やセクハラで、2019年度に処分をうけた公立小中高校と特別支援学校の教員は、273人だそうだ。18年度の282に次いで過去2番目の多さだという。

懲戒免職が153人、停職50人、減給16人、戒告9人、訓告45人だそうだ。

高校の教員を36年間やってたけど、その間、知っている教員で性的犯罪で懲戒免職処分になった人が、3人いる。2人は女性のパンツを盗んだところを、現行犯で逮捕された。もう一人は買春、相手は女子高校生だった。自分の学校じゃないけどね。

いずれも、真面目を絵に描いたような人で、それが知らされたときは、心底びっくりした。3人とも、仕事上、かなり大きなストレスを抱えていたに違いない環境にあった。

その人たちとはちょっと事情が違うけど、歪んだ性的指向の人間が教員の中に紛れ込んでいるとしたら、これは恐ろしい。以前、採用の立場の人に話を聞いたことがあるんだけど、採用試験の倍率が3倍を切ると、おそらく教員に向いていない人間を排除できなくなると言っていた。小中学校では、3倍は、とっくに切っているだろう。高校はどうなんだろう。

新聞の調査に応じた教育委員会の6割が、過去の“処分歴”の有無の明記を求めているんだそうだ。もちろん、採用、不採用の判断に使うためだろう。

“処分歴”って言うのは、一体、どの程度のことから書くことになってるんだろう。大学1年の時に、父親に、三鷹警察署にまで受け出しに来てもらったことがあるんだけど、あれも書くのかな。

まあ、仕事に関わることと言えば、わいせつ行為はすぐに思いつく。“過去のわいせつ行為の有無”っていうことなら、児童生徒を守り育てる教員になろうとする者のプライバシーの方が優先ってことはない。特に、幼い子へのわいせつ行為っていうのは、癖であり、病気だからね。実例から言ったって、何度も繰り返す。そう言えば盗みなんかもそうか。盗癖っていうからな。

実際、教育委員会が問題としているのは、“わいせつ行為”ってことのようだ。どうやら、三鷹警察署の件は、“処分歴”として申告しなくて済みそうだな。


『バカの国』  百田尚樹

新潮新書  ¥ 880

ベストセラー作家がツッコミながらも警鐘を鳴らす、笑いと怒りの123篇!
第1章 クレーマー・バカ
第2章 やっぱりSNSはバカ発見器
第3章 世にバカの種は尽きまじ
第4章 血税を食べるバカ
第5章 公務員の楽園


時代が違うかも知れないが、教員に成り立ての頃は、非常に危険だった。

当時は、飲み会っていうのが頻繁にあって、たとえば、学年、分掌、教科の飲み会が、一つの学期の始めと終わりに必ずあった。それだけでも6回。3学期合わせて12回。学校全体の飲み会が、歓送迎会、忘年会、新年会、納め会の4回。幹事によっては、その中の一つが泊まりの旅行になったりする。その他に、組合の飲み会が学期に1回はあって、部活の顧問として、外部との付き合いの飲み会が年に2回。それだけでも20回を超える。

ストレスのたまる仕事だからね。女の人もよく飲み会に参加してたな。話を聞いて欲しいって人が多かったんだろう。

その他に、身近な人たちと、個人的に飲みに行くから、もの凄くよく飲んでた。お金も使った。だけど、そういう中で、いろいろな人から、その経験を聞き、それを自分の仕事に生かすことができた。

酒の上の失敗なら数限りないくらいあるけど、先輩教師との付き合いっていうのは、とてつもなく大きな財産になった。今の若い先生方は、先輩教師からいろいろな経験談を聞く機会が、本当に少ないって聞いている。

教員になったばかりの頃は、女生徒に持てたから、そのことでもたくさん忠告されていた。その言わんとするところは、ひとつ。「女子生徒には手を出すな」ということ。教頭からは、・・・酒の席での戯れ言混じりだけど、「同僚には手を出しても、生徒にはダメだ」と言われた。何かやろうにも、怖い先輩たちの目が光っていたしね。

私のために、弁当を作って持ってきちゃう生徒がいるし、昼休みになると、準備室に遊びに来てしまう。他の先生方の手前もあって、甚だ困った。

私がはじめて担任した生徒たちは、年齢が6歳しか違わない。それでいて、教える立場と教わるだから、生徒にとって教師は仰ぎ見る立場だ。実際、競争を勝ち抜いて教員になっている。憧れの対象として見てしまうことは、不自然ではない。そんな状況にいくつかの偶然が重なれば、あこがれはたやすく恋愛感情に変わる。10歳くらいの違いまでは、たやすく射程範囲になる。

今は知らないが、概して教員になる人間というのは、真面目な人が多かった。新米教師に成り立てで、恋愛経験が豊富な人はあまりいない。女子生徒に上気した瞳で見つめられて、教員の方もその気になっちゃったケースはいくらでもある。実際に、教員で、生徒と結婚する人は、身の回りを見回しても、数多くいた。

私にも、いくつかのアプローチがあった。何かと近寄ってくる女子生徒も少なくなかった。2年後に、今の連れ合いと結婚したら、そういう女子生徒たちが、蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。

そんな環境の学校という社会に、おかしな“癖”、あるいは病的な精神性を持つ者が入ってきたらどうなるか。“処分歴”も良いけど、今でも新任には指導教官がついていると思うんだけど、指導期間と教官の権限の強化も考えてみたらどうだろう。
別に酒の席じゃなくてもいいけど、若い教員にどんどん口出しできる職場環境ってのも必要だろう。

それから、なにより必要なのは、教員って言う仕事をもっと魅力的なものにすることだな。仕事量も軽減してね。とにかく志望者を増やすことを考えるべきだ。採用試験の倍率を上げて、おかしな奴が入り込めないようにすることも考えるべきだ。

やめちゃった私が言うのもなんだけど、今の教員っていう仕事には、私は魅力を感じられない。

・・・“指導歴”のある教員って、若い奴とは限らないか。



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『いまはそれアウトです!』 菊間千乃

ダメだ。

この間、腹を立ててしまった「エビデンス」もそうだけど、横文字の言葉が、頭に定着しない。中でも、「エビデンス」は意味が思い浮かぶ前に、笑いが出てしまう。この間は、「エビと言えばタコ」と、その笑いの理由を書いてしまったが、違った。

「なんである。アイデアル」という言い回しだ。植木等のやってたこうもり傘の宣伝だ。当時は5秒CMというのがあって、本当に、植木等が傘を差して、「なんである。アイデアル」と言うだけの宣伝。どうやら、大ヒットしたらしい。

エビデンスはなんだっけ?・・・証拠とか、裏付けか。

「横文字言葉はバカの自己顕示欲」と言う人もいるくらいで、菅首相もそのうちの一人なの?もしそうなら、とても残念。ちなみに、ウザい言葉ランキングというのを公開している人がいた。

1位 エビデンス(証拠)
2位 コミットメント(約束)
3位 メソッド(方法)
4位 アジャイル(すばやい)
5位 ジャストアイデア(思いつき)

ハハハ、笑っちゃうな。横文字の言葉を使うとかっこいいように思うのかも知れないけどね。そうだとすればとても残念だな。それを分かりやすい日本語に直して、もしも該当する日本語がなければ、ふさわしい日本語を作って、日本語で意思疎通できるようにするのが、賢い人のやるべきことだろう。

高校の教員をやってる頃に、大学に行って英語の勉強をしたいという女の子がいた。さらに英語を勉強して、社会で活躍したいと言っていた。面接の練習をしたときに、「自分のためだけじゃなくて、私みたいな英語の出来ない人のために、自分の英語を役立てられるといいね」という話をした記憶がある。・・・残念ながら、おそらく通じなかった。

だいたい、国際社会にデビューしたばかりの明治日本が、列強と渡り合えたのは、諸外国の言語を翻訳して、学問の分野においても、政治、経済、社会等、あらゆる分野で世界の一線に立てるようになったから。

それをどうして今、棒に振るような傾向が見られるのか、残念でならない。

さて、この本。『それはいまアウトです!』という題名に、最初に思ったのは、昨今、よく言われるところのポリティカル・コレクトネス。これも横文字言葉だけど、「政治的正しさ」と言うことだな。

特定の人たちを害するような言動は避けるという運動で、特に言葉による差別や偏見を取り除くため、政治的に見て正しい言葉を使おうとする。



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「これくらいいいよね?」が致命傷に!社会人のための身近なコンプライアンス入門
第1章 仕事のアウト!
第2章 社会的なアウト!いまどき編
第3章 人間関係のアウト!
第4章 社会的なアウト!昔から編
第5章 お金のアウト!
第6章 家族のアウト!


そういう観点から、その言葉を使うことは、『いまはそれアウトです!』という本かと思ったわけだ。

そしたら、違った。

“ポリコレ”ではなくて、“コンプラ”だそうだ。・・・ポリティカル・コレクトネスでさえなくなって、“ポリコレ”。コンプライアンスでさえなくなって、“コンプラ”。日本人は今に、階層によって、言語による意思疎通が出来なくなるかも知れないな。

コンプライアンスとは「法令遵守」だけではなくて、「法令遵守など」なんだそうだ。法令遵守なんて当たり前のことで、法令を破れば捕まる。会社は利益を最優先する組織だから、ついつい、そのへんが緩みがち。「そういうのダメよ!」と、利益優先の会社の行動にたがをはめる。

私は、その程度に理解していた。

“など”に含まれる社会的なルール。法令の解釈により、アウトになるような部分。グレーゾーンというかな。昭和の時代には大目に見られていたことが、弱者を含むすべての人の人権意識が高まり、女性の社会進出が進み、SNSが当たり前になった今の世の中では、グレーから、明確なブラックになってきてるんだな。

だけど、あげられている例を見ていくと、結構、当たり前に思えるようなことが並んでる。

性的な冗談でからかう。

のろのろ運転の車に何度もクラクション。

会社の宴会で若手に余興をさせる。

SNSでデマ情報を流す。

映えスポットを求めて、線路に立ち入る。

同棲を一方的に解消する。

これらは、状況によってはアウトだって言うけど、普通やらないよね。若手が宴会で余興をするなんてのは、私たちが若手の頃は常識だったけど、いやいやそんなことをさせたって、酒がまずくなるだけだしな。

1字が並んだ行列に、友人数人が合流。

ああ、これよく見かけたな。この本の中でも、際だって“やったことあり”率が高い。なんと68パーセント。やられた方は不愉快なんだよね。

先日のニュースで、スーパーのレジをしている人が、年配の男性から怒鳴りつけられるような事件が起こっているという。反撃されなそうな人に大きな声を出すって、卑劣だよ。

もちろん、私がやってたことも含まれている。

ネ子どもが悪いことをしたら、私は叩いた。お金を賭けた。資源ごみに出ていた雑誌を持ち帰った。野良猫に石を投げた。酔っ払って、道路で寝た。殴り合いの喧嘩をした。

そんなところかな。もっともっとたくさんあるかと思ったけど、以外と納得できることが多いな。“ポリコレ”に比べれば、よっぽど納得できる。



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ジャンル : 本・雑誌

『数字の嘘を見抜く本』 田口勇

地球温暖化は、二酸化炭素のせいだということで、脱炭素社会に向けて、世界中が慌ただしく動き始めた。

菅義偉首相は、所信表明演説で、脱炭素社会の実現に向け、2050年までに温室効果ガスの排出を全体としてゼロにすると表明した。なんて馬鹿な話だろう。地球温暖化に関しては、あれだけ疑問が提起されながら、誰もそれに答えていないのに、なんの問題もないかの如く、世界中が動き出した。

これだけの動きは、脱炭素、つまり石油エネルギー依存態勢からの離脱を意味することになる。大損をするはずのエクソン・モービル、ロイヤル・ダッチ・シェル、BP、シェブロン、スタンダード・オイルといった国際石油資本までが再生エネルギーへの投資を増大させているって言うんだから、この流れはもう止まることはないだろう。

ただ、その国土から石油が産出されると言うだけで、ゆとりのある経済運営をして来た国にもある。それらは見捨てられるわけか。

2050年までに、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにすることに日本が成功したとしても、どれだけの予算を傾けてそれを達成したものであったとしても、地球の環境に目に見えるような変化はないだろう。

温暖化、寒冷化に、決定的に大きな影響を与えるのは、まずは太陽の活動。それに何らかの理由で、たとえば雲量が急激に増えるとか、火山の噴火とかで、温暖か、寒冷かというのは、すぐに影響を受ける。地球の歴史は、それを数限りなく繰り返してきたのに、なぜそれを見ようともしないのか。

私の生活の中に見える脱炭素の動きは、あちこちへの太陽光パネルの設置だ。原子力はまだ良い。福島原発事故で被災した人には、腹を立てる人がいるかも知れないが、あれは有無を言わさず建った施設じゃない。

太陽光パネルは違う。ある日突然、木が切り倒され、そこに太陽光パネルが並ぶ。地主の判断だから仕方がないと言う人がいるかも知れない。誰の土地であるかと言うことは、・・・くそ食らえだ。

日本人は、自然とともにあることで、日本人になった。高度経済成長やバブル景気といった流れの中で、日本人は自然を切り崩して大きな利益を得てきた。関東平野のヘリには、よくその状況が現れる。山が切り崩されて、ニュータウンという新たな町が生まれた。ゴルフ場が作られたのも、そういう場所。今そういう場所に、太陽光パネルが並べられるようになった。

再生可能エネルギーで地球温暖化を防ぎ、自然環境を守る?・・・私には新たな自然破壊にしか思えない。

私が見た中で一番ショックだったのは、奥武蔵の登谷山の斜面。あれは酷かった。住所を見てまたビックリ、茨城県皆野町って書いてあった。それをやったのは、そこが埼玉県とも知らない人だった。



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世の中に溢れる数字はデタラメばかり! 知らない人は騙される
第1章 社会にまつわる数字の嘘
第2章 健康にまつわる数字の嘘
第3章 お金にまつわる数字の嘘
第4章 暮らしにまつわる数字の嘘
第5章 自然にまつわる数字の嘘


脱炭素社会に向けて、世界中が慌ただしく動き始めたという状況は、未来は嘘を前提に展開されていくことを意味する。

私は、そう思っている。そのせいで、『数字の嘘を見抜く本』という題名に、飛びついてしまった。「ああ、私と同じように考えている人が、他にもいたのか」と思ってしまったわけだ。

全然、違った。この本は、地球温暖化とも、脱炭素とも、エセ環境団体とも、気候変動に関する政府間パネルとも、なんの関係もないものでした。

ただ、世の中に嘘の数字が溢れているのはたしかなことのようだ。

著者の田口勇さんはもと厚生労働省のキャリア官僚で、安全衛生部というところで情報分析を担当していたという。安全・安心名国民生活を脅かす情報がないか、調査するのが仕事だったとか。

数字というのは、嘘をつかない。本来、数字というのは客観的なもので、1は、かってに2になったり、3になったりすることはない。

数字は嘘をつかないんだけど、数字を使って嘘をつく奴はいる。数字そのものは客観的なものなのが厄介なところで、数字で示されると、そこには嘘のつけいる隙はないかのように錯覚してしまう。

第2章では、健康にまつわる“数字の嘘”が紹介されている。「乳酸菌100億個」と言われて、すごい数だなって驚いてしまう。通常私たちの生活の中に100億なんて言う数字はない。だけど、菌類の世界では珍しくもなんともない数字だそうだ。100億個を持ち出した人は、嘘をついているわけではないが、「すごく多い」と思い込ませる。その“思い込み”を利用して、設けようと企んでいる。

「プリン体ゼロ」、「レタス○○個分の食物繊維」、「野菜を1日に350グラム」、「水を1日2リットル」、「効果が2倍の育毛剤」

嘘とは言い切れないが、無意味。売らんがために、無意味な数字を持ち出して、人の思い込みや錯覚を引き出そうとしている。健康に関わる場合、時には切実な思いで手を出してしまう場合もある。

たとえば私の場合、「効果が2倍の育毛剤が欲しい」と思ってしまう。いままで、あの会社の利益に、どれだけ貢献してしまったかと思うと、くっ、くっ、・・・くやしい!

人を見たら、泥棒と思え。コマーシャルを見たら、嘘と思え。

「売り手良し、買い手良し、世間良し」なんて、かつては近江商人の倫理観のようなものがあったかも知れない。しかし、残念ながら今の日本にはそれは望めない。どうせ、嘘を前提にした未来しかないんだから、仕方がない。

でも、「嘘から出た実」というのも、あるかも知れない。


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『太平洋戦争の名将たち』 歴史街道編集部編

イギリスの海軍提督を務めたホレ-ショ・ネルソン。

21歳に満たずに艦長となり、戦死した47歳の時の戦いが、あのトラファルガー海戦であったそうだ。あまたの海戦で赫々たる戦果を上げ、その過程で隻腕・隻眼となる大けがもした。彼が戦死する3週間前、最後の誕生日に指揮下の艦長たちを集めてこう訓示したそうだ。

「旗艦が見えず戦闘の処置に困ったときは、敵艦に横付けして死闘を行なえ。それが私の意図に合致している」

ハワイ作戦が承認された昭和16(1941)年10月末、士官たちを集めて以下のような訓示をした男がいる。

「時局は重大な転機を迎えている。10年兵を養うのは一にその日のためである。緊褌一番、実力の涵養に務めよ。戦場においては混戦となり、信号の届かない場合もあろう。その時は躊躇なく敵に向かってもう進撃すべし。それが司令官の意図に沿うものである」

この訓示をしたのは、空母飛龍に登場する第二航空戦隊の司令官であった山口多聞である。彼が、ネルソン精神の継承者であったことが分かる。

ちなみに、“多聞”という名は、楠木正成の幼名多聞丸から採ったものだそうだ。効果的な作戦を意見具申するものの、無能な建武朝廷から却下され、数万の足利高氏の軍勢に、700の手勢で立ち向かって自刃した男の死に様も、彼には特別のものではなかった。

だけど、山口多聞の生き様、死に様に強く感化されて、“何が何でも”の思いで日本を守ろうと、自分の命を省みなかった下士官や一兵卒は数限りなくいた。

私はだから、全体が官僚化した軍という組織が許せない。

海軍兵学校というのは、難関中の難関だったという。だから、そこに入学を許された者たちは、エリート中のエリートということになる。さらには、そこでの席次が、そのまま海軍の中での席次につながっていった。つまり、海軍兵学校を優秀な成績で卒業した者たちが、アメリカとの戦争の時に、指導的な立場にあった。

ハワイ作戦において、小さな勝利に満足して、ハワイ作戦の本来の目的を達成できないまま引き上げを決定した南雲忠一司令官もそう。優秀な人だったんだろうが、戦う気迫の欠けていた。山本五十六連合艦隊司令長官は、情と年功序列の原則を重んじる海軍という“お役所”の中で、名によりも勝つための軍の運用が出来なかった。

官僚化、お役所化していたと言うことにおいては、陸軍においても、大きな違いはない。

『太平洋戦争の名将たち』    歴史街道編集部編

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父祖たちが残した激闘の軌跡から、現代の我々が受け取るべきものとは。
第一章 山本五十六と真珠湾攻撃
第二章 山口多聞とミッドウェー海戦
第三章 角田覚治と南太平洋海戦
第四章 中川州男とペリリュー島の戦い
第五章 栗林忠道と硫黄島のサムライたち
第六章 今村均と日本の敗戦、責任の果たし方


第一章の山本五十六を除く、山口多聞、角田覚治、中川州男、栗林忠道、今村均は、そんな官僚化、お役所化といった現象からは、無縁の人たちだった。

角田覚治は、ミッドウェー海戦以降、日本機動部隊の最後の勝利となる南太平洋海戦を指揮した。この時戦った第三艦隊は、司令長官には南雲忠一が就任していた。しかし、旗艦翔鶴がホーネット攻撃隊に襲われて、飛行甲板が使用不能となった。翔鶴の戦線離脱にともない、角田が機動部隊の指揮を任されたのだ。

角田の戦いは、壮烈な反復攻撃で、叩けるだけ敵を叩くと言うことに尽きた。この戦法で、敵に甚大な損害を与えたが、味方にも大きな被害があった。その被害を、角田は兵らに強いた。戦争だから、勝たなければならなかった。

中川州男、栗林忠道は、米軍に対してみれば圧倒的に小さな戦力で、いかに相手に大きな被害を考え抜いた作戦を採った。当然ながら、多くの兵士を死地に送り込むことになった。兵士たちは飢餓に苦しみながら、もがくようにして死んでいった。

中川州男がペリリュー島、栗林忠道は硫黄島。

その戦いは、終戦の様子を大きく変えたと、私は思う。だけど、どちらも万を超える日本兵が死んでいる。なぜそんなことになったのか。そこのところを、その本当のところを、本気で研究していかないと、日本はどうにもならない。『それでも日本人は戦争を選んだ』だけで済まされたんじゃ、たまったもんじゃない。

修正すべきものは、修正するのが当たり前。

なかでも、今村均という人は面白い。今村均のあり方を考えると、当時の陸軍に、根本的に足りないものが見えてくるような気がする。

あれだけの敗戦だ。その戦の中の名将を顧みることに、どれだけの意味があるだろうか。名将を挙げることにより、あまたの愚将の、さらには愚かな軍の責任を明らかにしていくことにつながらなければ、何の意味もない。

戦争だから、勝たなければ意味がない。名将は、兵士たちの戦意を鼓舞し、どれだけ勇猛に死地に向かわせたかを言う。それだけに戦闘を離れれば、一番に兵を大事にする人であったはず。あの戦争を振り返ると、そうでない愚将があまりにも多すぎる。名将はさておいて、今度は『愚将列伝』を企画してみたらどうだろう。


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『あのころ、うちのテレビは白黒だった』 平野恵理子

昭和の時代と言っても、昭和は長い。

まだまだ昭和を懐かしむ人は多くても、もはや戦前を知る人は少ない。やはり、今懐かしがられる昭和とは、戦後の経済成長期、1960年代、70年代あたりだろう。1960年生まれの私が、今年還暦。団塊の世代よりも一回りちょい下。私から何年か下までは似たようなもんだろうけど、あまり下過ぎるとオイルショック後の低成長期に入ってしまう。

それに、場所の違いも、だいぶ大きい。都会と田舎では、時代感がかなり異なる。

小学校4年生の時に、西武秩父線が開通し、飯能を廻って東京の池袋に行くことができるようになった。それ以前、東京に向かう鉄道は、秩父線で熊谷に行き高崎線で上野に行くルートしかなかった。

道路にしたって同様で、熊谷から秩父に向かう140号線が一般的で、入間から秩父を通る299号線は正丸峠越えで、大きな車は通れなかった。

つまり、とにかく物流が悪かった。そのせいか、生活習慣であるとか、遊び方であるとか、そういうものにずれがある。秩父の外の都市圏の人とはずれがあって、同世代の人よりも、一回り上の世代の人との方が話があう。

映画もだいぶ遅かった。東京で封切られた映画を、秩父の映画館で見られるのは1年後だった。1973年封切りの映画『燃えよドラゴン』を、私たち秩父の中学生は、当時、町唯一の映画館《革新館》で、1年後に見た。

高校に入って知り合った荒川村の友人は、テレビはNHKしか映らないと言っていた。小鹿野の坂本から出てきた男は、ほとんどテレビも見たことがなかった。

高度経済成長の恩恵が秩父に及ぶのも、だいぶ、外の地域からは遅れたようだ。西武鉄道が秩父まで延びたのも、ほかの地域よりもちょっと遅れて、秩父にも高度経済成長の影響が及んだと言うことなのかも知れない。

この本の著者、平野恵理子さんは静岡生まれの横浜育ちだという。静岡は知らないが、1960年代の横浜と秩父では、環境が激しく違う。うちは祖父母が畑を耕し、乳は会社勤め。生活様式と根性は、百姓のものだった。

この本は身の回りに置かれた用具や調度品、1960年代当時、私たちの周りにあったさまざまなものが紹介されている。とても懐かしい。懐かしいんだけど、私から見ると、どれもちょっと小綺麗で品がある。



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明日は今日より明るい感じ。・・・ビンボーだけど幸せな時代がよみがえる
玄関
居間
客間
子供部屋
台所
寝室
洗面所
浴室とトイレ
縁側

年中行事とお祭り

忘れられないものたち


第一章の玄関からして違う。

私が生まれた頃にはもういなかったが、かつて家には馬がいて、玄関を開けると、とてつもなく広い土間があった。今に入ると天井はなく、そのまま屋根を支える太い柱が縦横に走っている。ごはんを食べているとき、柱からなんかの都合で足を滑らせた蛇が、ちゃぶ台の上に落ちて大惨事となったことがあった。

台所にも土間があって、そこには大きな竈があって、煮炊きは全部、そこでしていた。お風呂の焚き口もそこにあった。火を使う場所は、その一カ所に限定してあったんだろう。

一度、ボヤを出したことがある。

雪が降った火の夕食時、部屋の中に煙が流れ込んできた。かなりの積雪だったようで、積もった雪で煙突が屋根下で折れてしまい、そこから火が出てしまった。運が良かったのは、背戸のひいおばあさんの葬式の日で、母がはだして助けを呼びに走り、たくさんの男手があったことだ。

お勝手の屋根を焼いただけで火を食い止めることが出来、そのあと、きれいで使いやすいガスレンジが入った。母が嬉しそうだったことだけ覚えている。

平野さんが会社勤めをしていた1980年代、同僚の間で幼少期の写真を見せ合うことが流行ったことがあるそうだ。一日一枚ずつ勝負写真を持ち寄り、輪になって一斉に見せ合ったんだという。その瞬間、全員で弾けるように笑い合うのが常だったそうだ。

これは分かる。私の生まれは戦争が終わって、まだ15年しか経っていない。戦争の匂いはまだ残っていたし、父の友人は酔っ払っては戦争の話を聞かせてくれた。お祭りで人が出る日には、必ず傷痍軍人の人たちもいて、アコーディオンを弾いていた。

写真に写る幼い頃の“自分”は、みんなふつうに貧乏だった。『巨人の星』が教えてくれるとおり、つぎあてが当たった服を着ていても、清潔なものであれば何も恥ずかしがる必要はないと信じていた。そう信じていながら、虫を求めて山を駆けずり回り、よその大人や親たちから逃れるために縁の下に隠れた私たちは、見るも無惨に汚らしかった。

ところが、私は違った。

二人の兄は、どこかの山岳民族の習俗を後世に残すために、先進国の民俗学者が奥山には行って撮ってきたような写真が何枚でもある。

しかし、私はと言うと、人より遅れてようやくたち歩きを始めた頃に見つかった股関節脱臼で、しばらくの間ギブスを当てて生活していた。その分、足の弱い子だった私を不憫に思ったのか、二人の兄に比べて、私の子ども時代の写真は極端に少ない。

その後、写真に登場するようになるのは、小学校に入ってからで、何かの記念があると、親はわざわざ私の特別な写真を撮ってくれた。兄たちとは、着ている服が違うのだ。おそらく、そのへんにも高度経済成長の進行がある。180センチ越えの身長の私に対し、160センチと少しの身長の長男は、これも高度経済成長のせいだといつもぼやいている。

懐かしい時代、懐かしい人たちを思い出させてくれる本でした。


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山本五十六は名将か『太平洋戦争の名将たち』 歴史街道編集部編

空母を集中運用し、その艦上機を主兵力として艦船を攻撃する《航空主兵》。

空母は戦艦の補助的存在で、海戦の帰趨はあくまで戦艦の優劣によって決まるという“常識”があった。その“常識”を覆したのが、《航空主兵》による真珠湾攻撃だった。

南雲忠一司令長官率いる第一航空艦隊は正規空母6隻、艦上機350機をもって、米戦艦群を瞬く間に撃沈して見せた。これは、海戦における、作戦の革命だった。この作戦を主導したのが、山本五十六だった。

山本は、パイロット養成機関である霞ヶ浦航空隊教頭を皮切りに、航空本部技術部長、海軍航空本部長を歴任する中で、航空機のプロになった。それが、《航空主兵》の発想につながった。

山本五十六は、アメリカとの戦争に反対の立場を取っていた。それでも開戦となったとき、山本は連合艦隊司令長官の地位をかけて、真珠湾攻撃を主張した。

「開戦劈頭、敵主力艦隊を猛襲、撃破して、米海軍および米国民をして、救うべからざる程度にその士気を阻喪せしむる」と、主力艦隊を壊滅させて、それをもとに講和を図るしかないという作戦だった。

真珠湾攻撃は成功と言われるが、主力艦隊を壊滅させることは出来なかった。たしかに米太平洋艦隊の動きは封じた。日本はその間に、戦略的に価値の低い南方の島を大量に占領していく。山本に対して好意的に、広域の領土を占領しておいて、それを早期講話の外交カードにしたかったのではないかという捉え方もある。

しかし、真珠湾攻撃で講和を引き出すことは出来てないし、南方の島々の占領は、戦線を拡大して自ら墓穴を掘ってしまっている。

真珠湾攻撃の際、第二航空戦隊を指揮する山口多聞が、アメリカの戦艦群に打撃を与えた後、さらに海軍工廠や燃料タンクなど、陸上施設への攻撃を南雲司令部に意見具申した。しかし、南雲司令部はこれを黙殺して帰途についている。

山口多聞は、緒戦のハワイ作戦で、日本海軍の総力を挙げて米海軍を叩かなければならないと考えていた。山本五十六もそうだったはずだが、山本の作戦に懐疑的な南雲忠一に司令官を任せてしまっている。真珠湾攻撃の許可を得るための引き換えだったというが。

陸上施設を破壊し、体制が整わないうちに、真珠湾で沈めれなかったエンタープライズとレキシントンを叩き、陸軍を動員してハワイを占領するくらいまでやればよかった。そのくらい徹底的に出来ない体制であったのなら、真珠湾は無駄だった。



『太平洋戦争の名将たち』    歴史街道編集部編

PHP新書  ¥ 968

父祖たちが残した激闘の軌跡から、現代の我々が受け取るべきものとは。
第一章 山本五十六と真珠湾攻撃
第二章 山口多聞とミッドウェー海戦
第三章 角田覚治と南太平洋海戦
第四章 中川州男とペリリュー島の戦い
第五章 栗林忠道と硫黄島のサムライたち
第六章 今村均と日本の敗戦、責任の果たし方


真珠湾攻撃に日本の命運をかけるというのが本当の思いなら、山本五十六は南雲忠一を第一航空艦隊の司令長官にすべきではなかった。自分を支持する山口多聞を抜擢すべきだった。

山口ならば、海軍工廠や燃料タンクなど、陸上施設への攻撃を徹底したはず。そうすれば、エンタープライズもレキシントンも身動きが取れなくなる。米太平洋艦隊を沈黙させることができた。そこまで行けば陸軍を動かして、ハワイ攻略は難しいことではなかったはずだ。

山本五十六は、人事で甘さが出た。

ミッドウェー海戦の運命の判断。索敵機から「空母らしきもの」という連絡に、陸用爆弾に兵装転換中の空母艦上機に、再度、艦船攻撃用への兵装転換を急がせるという愚を犯す。この状況に山口多聞は「現装備のまま攻撃隊直ちに発進せしめるを至当と認む」と意見具申する。これを南雲司令部は、またも黙殺した。

・・・虎の子の空母4隻を失った。

その責任を、南雲司令部は誰も取っていない。司令部参謀長の草加龍之介は山本に、「敵を乗らせて下さい」と申し入れたという。山本は涙を浮かべて「わかった:」と応じたという。

日本海軍の総力をかけるといいながら、山本を乗せた大和は、この時ずっと後方に待機した。総力をかけるというなら、山本が乗った大和をおとりにして敵空母をおびき出せばよかった。この甘さが、敗因だ。

南雲忠一を司令長官として受け入れることは出来ないと突っぱねればよかった。山口多聞を司令長官に出来ないならと、真珠湾攻撃をやめるべきだった。蘭領インドシナを攻略し、最初の段階から絶対防空圏を設定し、小さく固まる手もあった。敵艦隊に長い遠征を強い、日本近海で壊滅的な打撃を与えることも出来た。

フランクリン・ディラノ・ルーズベルト米大統領は、ヨーロッパの戦争に参戦することを熱望していた。そのためにもドイツと軍事同盟を結ぶ日本を追い込んだ。蘭領インドシナを攻略しただけでは、アメリカは日本との戦争を始められない。後付けと言われるかも知れないが、アメリカの弱みを見つければ、やり様はいくらでもあったということだ。

当初の冒険的な作戦である真珠湾攻撃を、勝っていながら、腰が引けて、徹底できなかった。

山本五十六は名将と呼ぶに値するんだろうか。



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『沖縄から貧困がなくならない本当の理由』 樋口耕太郎

沖縄経済の基地依存度は5パーセント?

沖縄の基地関連収入は県民総所得の5パーセントで、現在の沖縄経済はほとんど米軍基地に依存していない。そういうことにしたい人たちがいるらしい。沖縄県庁や沖縄県知事、さらには有識者やマスコミがそう繰り返すから、沖縄ではこの考えに疑問を持つ人はいないらしい。

基地に依存していながら、基地反対というのも言いづらいだろうからね。

基地関連収入を、軍用地料、軍雇用者所得、米軍等への財・サービスの提供の合計と定義すると、たしかに5パーセントくらいなんだそうだ。だけど、米軍基地があることによって沖縄が受けている恩恵には、おそらくそれを上回るものがあるはず。有形無形の補助金、税の優遇、政治的配慮から来るイベントやプロジェクト、その他を合わせた沖縄関連予算は年間3000億円を超えるそうだ。

本来の基地依存型経済の規模は、正確な統計はないそうだ。筆者の“感覚”では、少なく見積もっても県民総所得の25パーセント。それによって生み出されたさまざまな雇用等を考えれば、50パーセントに近いのではないかと。

一つの例として、酒税軽減措置が紹介されている。沖縄で生産・販売される酒類について、泡盛は35パーセント、ビール等は20パーセントの酒税減免措置が続いているそうだ。軽減された酒税の合計額は、復帰から2016年度までの累計で1287億円になるという。ビールに関してはオリオンビールの独壇場で、42年間で700億円の税を免れている。本土復帰以来のビール販売による利益の合計は520億円。

売り上げによる利益の合計より、国が減免してきた税金の合計の方が多い。・・・オリオンビールの経営陣は、会社としての事業力を向上させることよりも、酒税の優遇措置を国から勝ち取ることが、より重要な仕事になっている。

何かが間違っている。

人気の観光地である沖縄。美しい海や豊かな自然にあるれている沖縄。独自の言葉、独自の食の文化を持つ沖縄。その土地柄に憧れ、移住を決断する人も多い沖縄。

人はのんびりと暮らしていて、あくせくすることがない。地域の人々のつながりが強く、困ったときはお互いに助け合って生活している。内地の人間にも分け隔てなく接してくれる。沖縄は、癒やしの島。

でも、何かが間違っている。



光文社新書  ¥ 990

誰もなしえなかったアプローチで、沖縄社会の真実に迫る。沖縄問題は日本の問題
はじめに 沖縄は、見かけとはまったく違う社会である
第1章 「オリオン買収」は何を意味するのか
第2章 人間関係の経済
第3章 沖縄は貧困に支えられている
第4章 自分を愛せないウチナーンチュ

第5章 キャンドルサービス
おわりに これからの沖縄の生きる道


沖縄の人たちは、車を運転していても、クラクションを鳴らさないそうだ。

私は時々鳴らすな。信号待ちしていて、青になったのに前の車が気づかず発進しないとき。駐車場とかで、バックをはじめた車が、後ろの人や車に気がついていなそうな時。高速で、私の車に気づかず、目前の車が車線変更を始めた時。

内地の人間が、いつもの調子でクラクションを鳴らすと、沖縄では一斉に周囲の注目を浴びることになるそうだ。それも、決して肯定的とは受け取れない注目を。多くの場合、クラクションを鳴らすのは、せまりつつある危険を知らせるため。必要に迫られてやむを得ず鳴らしたクラクションに、非難の注目が浴びせられる。

沖縄では、必要に迫られてやむを得ず警告を発することは、波のない静かな高原の湖に石を投げ込むようなことであるらしい。沖縄社会は現状維持が鉄則で、同調圧力が強く、あえて波風を求める者を許さないんだという。心豊かでやさしい沖縄の人たちの間では、せまりつつある危険を知らせる行為、善意をもって改善を求めること、部下に誠実な仕事を求めること、友人の欠点を指摘することは、あってはならないこと。クラクションを鳴らさない人の間で成立する心豊かさであり、優しさなんだそうだ。

それを行なうことは、そこに存在する人間関係を拒絶する行為で、その人間関係に生きる者を裏切ることになるんだそうだ。それだけではない。沖縄では“出来る”者がいじめられる。弱い者いじめではなく、出来る者いじめ。個性的な人物。何でも一生懸命取り組む人物。スポーツ万能の人物。優等生。目立つことは悪いこと。

そんな沖縄社会では、労働者が昇進や昇給を望まない。経営者が報酬を支払わない以上に、従業員が昇給を望まない。パートが正社員になりたがらないから、雇用者はそれに甘んじてしまう。

コンビニで待たされても誰も怒らない。レストランで後回しにされても、文句を言い出すものはいない。待ち合わせは遅れてくるのが当たり前。誰もが同じ店で同じようなものを買い、新たな優れた商品が登場しても手を出そうとしない。

高校に入った男の子がかっこつけてサロンにでも行こうものなら、おばぁがやんわりと「いつもの床屋に行ったらいいさ」とつぶやく。おばぁの言うことを聞かない子は、家族や親戚、近所の人たちの間で特別な存在になる。

さまざまな問題が、まるでないことのように扱われ、そのままいつも通りの毎日が続いていく。

「なんくるないさ」




*「なにもしなくてもOK」という意味を持ってしまったこの言葉、本来は、「人事を尽くして天命を待つ」という意味を持っているそうです。

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ニート『上級国民/下級国民』 橘玲

仕事に必要な「読解力」「数的思考力」「ITスキル」を測定する国際調査で、日本人はほぼすべての分野で1位。

すごいじゃないか。だけど、労働生産性ではとても低い。世界でいちばん長時間労働をしていて、それにもかかわらず労働生産性が低い国日本。

失われた30年、雇用破壊によって正社員が減り、非正規雇用が増えた。それが、当たり前のように言われてきた。だけど、どうも、現実には違うようだ。

通説とは異なり、年功序列、終身雇用といった日本型雇用慣行は温存された。若い女性では非正規雇用が増えているが、その多くはもと専業主婦で、新たに労働市場に参入する際、“パート”として雇用された。大手金融機関が次々と破綻し、リストラが流行語になった時期にも、実は正社員の割合は大きく減少していない。

しかし、若い男性の就労状況を見ると、大きく変化した部分がある。20代男性の正社員比率は1982年で72パーセント、高卒・大卒の4人に3人が正社員だった。1992年のバブル期の77パーセントから下がりはじめ、2007年には62パーセントまで落ちている。若い男性はバブル崩壊で、正社員比率が明らかに下がってくる。その代わり増えたのが非正規率で、1992年には4パーセントだったものが、2007年には15パーセントになっている。

日本の労働市場では、若い男性の雇用を破壊することで、団塊の世代の雇用が守られた。

私は昭和35年生まれで、今年は還暦。団塊の世代というと、だいたい一回り上ということになる。一回りとなれば、一昔+2年ということになるから、だいぶ世の中の雰囲気も変わる。

高校を出るまでは、団塊の世代に関わったことがない。大学に入ったとき、ごくわずかに全共闘時代の雰囲気が残っていた。今思えば、あれが団塊の気配だった。大学の時は気配だけですんだけど、仕事をするようになると気配だけでは住まない。実体化する。

私は大学卒業後、1年おいて県立高校に勤めたんだけど、団塊は30代後半に入ろうというところ。学校の仕事の上でも脂がのってくるところだな。私等新米は、直接その人たちに仕事を教わった。中でも一番世話になったのは、超がつくほどアクの強い人だった。

ただ、団塊がみんなそうだったわけじゃない。団塊は人数が多いだけなんだけど、人数が多いと言うことが社会にとっては、周囲にとっては、それだけで大きな圧力なわけだ。そしてそれが、団塊のすべて。




小学館新書  ¥ 902

「下級国民」に落ちてしまえば、「下級国民」として老い、死んでいくしかない
1 「下級国民」の誕生
平成で起きたこと
令和で起きること)
2 「モテ」と「非モテ」の分断
日本のアンダークラス
「モテ」と「非モテ」の進化論
3 世界を揺るがす「上級/下級」の分断
リベラル化する世界
「リバタニア」と「ドメスティックス」
エピローグ 知識社会の終わり


バブルが崩壊して日本経済が急減速したとき、日本企業にとって最大の重荷はバブル期に大量採用した人員だった。いったん正社員にしてしまうと、簡単に首にできない。だぶついた社員を年功序列・終身雇用で養っていかないといけないから終身雇用で養っていかないといけないから、これはもう大変。

だけど人件費を削らなきゃいけないから、とりあえず新卒の採用を大幅に絞り込んだわけなんだな。続いて、年功賃金のカーブを抑える。組合も、雇用を守る前提で、人件費の抑制に応じた。その背景で、多くの若い男性に対し、会社は門を閉ざした。

閉ざされた門の前で正社員の道を諦めた若い男性は、希望を1ランク、2ランクと落として仕事を求めた。あるいは、非正規社員として働き始めた。

日本経済が低迷している間に、生産性の格差は製造業とサービス業のような産業間ではなく、同じ産業内で拡大していたんだという。同じ産業、同じ地域、同じ企業規模の会社で働いていて、同じ性別、同じ年齢・勤続年数、同じ学歴、同じ職種だったとしても、賃金の高い会社と低い会社の差が拡大してしまったという。

同一労働・同一賃金という原則が徹底されていれば、同じ産業、地域、企業規模で同じような仕事をすれば、給与も同じ水準になるはずなのに、日本では会社間の差が広がってしまったんだという。

日本のサラリーマンの人生は、たまたま新卒で入った会社がどうかという運不運に左右されてしまう。

同じ仕事をすれば、身分や性別、人種などの違いにかかわらず、同じ賃金が支払われるのが自然な流れ。ところが日本の労働組合は、「同一価値労働・同一賃金」を主張した。正社員と非正規社員では、同じ仕事をしても労働の価値が違うというなら、それは正社員と非正規社員の人としての価値が違うということになる。・・・筆者の言うことは、もっともだ。

「若い者はこらえ性がないから、すぐ仕事を辞めてしまう」と言われるが、たしかにこれはかわいそう。なにしろ門を閉ざされて、希望する会社に入ることが出来なかったんだから。やむを得ずフリーターとなり、いつもまにかニートと呼ばれ、いつまでも親と同居して、引きこもった。

前に、定時制で働いたことがある。大半の生徒は、アルバイトをしながら、夜、学校に通ってくる。大卒、高卒の前に、何らかの理由でつまずいた生徒たちだった。定時制で関わった生徒たちは、もうみんな20代の後半から上の年齢になっている。厳しい思いをしているだろうな。でも、同一労働・同一賃金の原則が貫かれるようになれば、少しは状況が改善するかも知れない。

ただ、団塊は労働市場からは退場していったけど、まだ、日本社会の大きな重しになっている。


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『沖縄から貧困がなくならない本当の理由』 樋口耕太郎

昨日、連れ合いと一緒になんかのテレビ番組を見ていたら、韓国の《愛の不時着》という題名のドラマのことが話題になった。

もう私は、その題名だけで、腹がよじれるほど笑い転げてしまった。どうも、それが連れ合いの不興を買ったようだ。「これ、見たいと思ってた」と言ったその声に、《愛の不時着》という題名で笑い転げた私に対する抗議のようなものを、私は感じ取った。

取り繕うように、「いったいどこに不時着したんだろうね」と言った私に、連れ合いは「北朝鮮、・・・韓国の人は、北朝鮮と一緒になりたいのかな」と返してきた。

私は、「そんなのただの、ひねくれた反日意識の裏返しだよ」という言葉を飲み込んだ。連れ合いは最近、韓国の若い人たちの音楽への興味から、韓国のいろいろな分野に関心を持っているらしい。そのうちきっと、韓国の抱えるさまざまな問題を、自分で考えていくことになるだろう。

韓国人は、韓国の抱える問題に関して、何かと日本を引き合いに出す。併合時代のこと、南北分断のこと、“朝鮮人従軍慰安婦”のこと、“徴用”のこと、さらには現在の韓国の政治、経済、社会について。それらすべてについて、現状の韓国に関する原因のすべては、韓国人に由来する。

日本にその原因を求め、日本の責任を追及したい気持ちも分からないではないが、そう思うこと自体がいかにも韓国人らしいところだ。

こんなこと当たり前で、どの国だって国内にさまざまな問題を抱えているが、その問題の原因は自分たちにある。それをあたかも、他者の作った原因によって生じた問題であるかのように考えて、さらにはその責任を追求しようなんて、甘えでしかない。そんなところに関係づけられた日本の方が、いい迷惑だ。

さて、久し振りに沖縄に関わる本を読んだ。

沖縄に関しては、なかなか事が進まない。いつまでも同じところを堂々巡りしているような感じで、糸口さえ見つけ出せないようないらだちを感じさせる。だいたい、沖縄に関する問題ってなんだろう。

米軍基地問題、米軍政時代の問題、沖縄戦の問題、さらにその前の琉球処分の問題。米軍基地問題を除けば、過去のことであるから、沖縄に関する問題を考えようとすると、やはり基地問題が前面に来る。沖縄の問題とは、基地問題の集約されてしまうのか。

筆者の樋口耕太郎さんは、沖縄大学の教壇に立つ教育者という顔を持っている。この本の内容も、そこからの問題提起として始まっている。

大学進学率、中途退学率、学力、就職率、高卒・大卒無業者率、高卒・大卒離職率、小中不登校、暴力行為発生件数、いじめの認知件数、教員病休率、給食費未納率、刑法犯の少年割合、再犯率、共犯率・・・、沖縄の教育関連のさまざまな指標は、沖縄が全国でも大きな問題を抱えていることを示しているそうだ。

やさしい沖縄人、癒やしの島と呼ばれながら、自殺率、重犯罪、DV、幼児虐待、依存症、飲酒、そして貧困といったさまざまな問題に沖縄人は苦しんでいる。



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誰もなしえなかったアプローチで、沖縄社会の真実に迫る。沖縄問題は日本の問題
はじめに 沖縄は、見かけとはまったく違う社会である
第1章 「オリオン買収」は何を意味するのか
第2章 人間関係の経済
第3章 沖縄は貧困に支えられている
第4章 自分を愛せないウチナーンチュ

第5章 キャンドルサービス
おわりに これからの沖縄の生きる道


沖縄は米軍基地問題を抱えている。

もうずいぶん前のことになるが、1995年9月4日の米兵少女暴行事件のことは、良く覚えている。米兵3人が、沖縄本島北部の商店街から12歳の少女を拉致し、粘着テープで顔を覆い、近くの海岸で強姦した事件だった。

日米地位協定から、沖縄県警は米兵を逮捕するどころか、取り調べなどの捜査をすることも出来なかった。この事態に沖縄県民の怒りが高まり、反基地感情が高まった事件だった。

在日米軍が沖縄に占める割合はおよそ25パーセントで、よく言われる70パーセントとは大きな開きがある。70パーセントというのは米軍専用基地のことで、日本には多くの米軍と自衛隊の共用基地がある。ただ駐留する兵力から言っても、沖縄に偏りがあるのは事実で、本土には、そのための贖罪の意識を持っている人が多い。

だけど、どんなもんだろう。沖縄が抱えるさまざまな問題から考えてみても、そのすべての原因が基地問題に求められるだろうか。ただ、空気としては、存在しているな。沖縄の問題の大半の原因は、沖縄戦や米軍基地問題、それらに対する日本政府の姿勢に起因するという空気が。

その空気を無視して、「沖縄県民が直面する問題の原因は、沖縄県内にある」とする論調は、沖縄社会ではタブーだそうだ。

沖縄県民が抱えるさまざまな問題、教育に関わる諸問題、自殺率、重犯罪、DV、幼児虐待、依存症、飲酒、そして貧困といった問題の原因を、リアリティを持って、沖縄社会から抽出しようとした取り組みは、筆者の知る限り存在しないそうだ。

たしかに、私がこれまで読んできた、沖縄に関わる本も、基地問題をはじめとした政治の分野から沖縄を取り上げた本ばかりだった。沖縄県民が、日常生活の中で、日々直面しつつある問題を取り上げ、その原因を探り出し、解決につなげていこうという本は、これまで読んだことがなかった。

そういった側面から沖縄を取り上げたのは、この本がはじめてだ。

約3割に達する子どもの貧困率(1位、全国平均の2倍)、給食費未納率(1位)、一人あたりの県民所得(最下位)、非正規雇用率(1位)、失業率(2018年まで1位)、離職率(1位)、若年離職率・失業率・高大卒後の無業率(1位)、高大進学率(ワースト1位)、航行中対立(1位)、10代婚姻率(1位)、10代出産割合(1位、全国平均の2倍)、離婚率(1位)、デキ婚率(1位)、シングルマザー世帯出現率(1位、全国平均の2倍)一人親世帯の子どもの貧困率(1位、約59パーセント)

どうして、こんな状態になるまで放っておいたんだろう。


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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本
























































































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