めんどくせぇことばかり 本 日本史
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『秩父の地名伝説の虚実』 髙田哲郎

私は秩父出身で、しかも山好きなので、群馬との県境にある太田部という集落を、何度か通ったことがある。
スクリーンショット 2024-02-18 104010地図の上部にあるのが神流川で、ここが埼玉と群馬の境界になっている。

秩父側から見て吉田の太田部集落は、城峯山から西に延びる尾根の向こう側にある。吉田の石間から、太田部峠を越えて行くことになる。

橋を渡れば群馬の神流町なので、生活の上ではこちらとの付き合いが深い。

ここには、平将門の伝説が残されている。
城峯山から藤原秀郷に追われた将門は、かねて親しかった太田部の豪族である新井氏に助けられて、人知れず山中に潜んでいた。

新井家の姫である桔梗は、将門のもとに通って花を飾り、琴を弾き、舞を舞って、潜伏生活を慰めた。ある日、追っ手の武将、藤原秀郷が兵を連れて太田部にやって来る。姫は裏口から抜け出して、将門に急を告げ、山中の窟屋に案内した。

秀郷は姫を捉えて厳しく責め立てた。姫はどんなに攻められても口を割らなかった。三日三晩の責め苦を受けて、やつれきった姫は、ようやく口を開いて「将門さまは、私が手引きをして上州に逃がした」と偽りの供述をし、将門を助けた。

追っ手が去ったと聞いて、将門は新井家に駆けつけた。姫はすっかり衰弱して、そのまま帰らぬ人となった。その年から、城峯山には桔梗が咲かなくなったという話だ。


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東京図書出版  ¥ 1,980

「秩父が解れば日本が分かる」地形・地質・歴史・風俗・方言から解明した地名解説
西行の戻り橋    岩殿沢
寄保        鬼ヶ沢の土橋
豆焼沢       弘法様の一杯水
一位ヶたわ     子は清水
黒草・平草     般若
お舟観音      小鹿坂峠
定林寺を建てた人  穴部
雁坂峠・三峰山   猪狩山
猪鼻        箸立て杉
両神山       出牛
城山        赤柴
比丘尼ヶ城     十二御前
大血川       子の神さま
雨乞いの宮     蒔田
お牧桜       甲冑塚
熊倉山の戦い    光源院と三山座敷
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昭和18(1943)年に、太田部の小学校に新任の女性教師が赴任した。石間戸照子さんである。石間戸さんの証言が残されている。

「18年の3月に学校を卒業すると上吉田村立の上吉田小学校に採用され、太田部分校に勤務することになりました。上吉田村といえば隣村ですが、分校のある太田部はバスで塚越まで行って、そこから小川峠やらいくつも山を越えて2時間余りも歩かなければなりませんでした。細い山道を歩いていると、突然足元から山鳥がバサバサ飛び立ったり、目の前をリスが横切ったりしました。

赴任するときは、何人かの村人が峠まで迎えに来ていて、荷物を持ってくれました。ここまで来ればもうすぐですと言われたのですが、村は向こうに見えても、なかなかつきません。やっと村に入って学校に着くと、村の人たちがみんな集まっていて、教室にはご馳走がいっぱい並べてあり、大歓迎を受けました。

私は一八神社という村の神社のすぐ下の空き家をあてがってもらって、そこで自炊をすることになりましたが、土地の人が何かと野菜や煮ものなどを届けてくれました。

太田部分校は1年生12人ほどでしたから、1、2年の複式学級でした。私はその1、2年の24人を担任することになりました。子どもたちはみんな素朴で、純朴でした。

太田部は上区、下句、奈良尾と3地区に分かれていましたが、中心部に大きな構えの家があって、村の人たちからお殿様と呼ばれていました。姓は新井でしたが、女中を2人くらい使っていて、派手な暮らしをしていました。お殿様は財産家で、ほとんど定まった仕事もなく、毎日のように学校へ来ていました。

お殿様は村人すべてを呼び捨てにしていました。その子も村人を呼び捨てにしていました。その子は1年生で私が担任でした。そんなこともあって、私はお殿様に大事に扱われましたが、お殿様の家に行くと、お殿様は一段高い座敷に座っていて、たいそうな威勢でした。

太田部のすぐ下には神流川が流れていて、橋を渡ると群馬県です。だから、買い物は皆群馬県でした。遠足の時も、群馬県の三原小学校へ行ったものです。秩父の側から見れば、余りにも人里離れた地域なので、その頃は太田部に務める女教師は1年交替ということになっていましたので、私も翌年には上吉田村の石間小学校に転勤を命ぜられました。


マスコミの発達や自動車道ができる前の閉ざされた山地には、昭和になってもまだまだこのような封建遺制が根強く残っていた。ただ、地域の有力者は威勢を誇りはしたものの、地域の人々と共にあり、村の人々もそのような古くからの関係を受け入れていた。

村人にとっても、地域に伝統ある名家が存在することは誇りであったのだろう。だからこそ、将門伝説に名を借りた、新井家のお姫様の伝説が、脈々と語り継がれたのに違いない。

(『秩父の地名伝説の虚実』の内容をもとにまとめました)


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テーマ : 読んだ本。
ジャンル : 本・雑誌

『日本史の中の埼玉県』 水口由紀子

埼玉県の歴史・文化・特徴を、文化財・史跡を中心に紹介し、一方で、各地域における中央や世界とのつながり(交流)を重視した項目を多く掲載。紹介する文化財・史跡は、地域史の要素を深める目的で国指定・未指定にかかわらず選定。いままでにない地域史の新シリーズ・第一弾。

映画の《翔んで埼玉》は映画館に行って見たんだけど、2本目の《翔んで埼玉 ~琵琶湖より愛をこめて~》は、テレビで放映するのを待とうかと思う。

最初の《翔んで埼玉》は、先にマンガで読んでいた。「埼玉県人にはそこら辺の草でも食わせておけ」という、県民にとっては鞭のように痛いあの言葉に直接晒される喜びに、映画館で浸ってみたかった。

しかも私は、その一般埼玉県民からも白い目を向けられる秩父の生まれ。いや、元を辿れば秩父郡影森村。山の影にある村で、冬場は3時台に日が落ちる。

生まれながらの脚の故障で、親におぶわれて飯能の病院に通ったが、まだ西武鉄道は秩父に届いていなかった。だから秩父鉄道で寄居に行き、そこから八高線で東飯能、西武線で飯能到着。親というのはありがたい。西武鉄道は小学校4年の時に、ようやく秩父まで伸びた。はじめて乗り換えせずに、東京につながった。つながった先は池袋。それ以前、乗り換えて到着する東京は上野だった。北関東や東北の人と同じように、上野に東京を感じていた。

そう、八王子構造線を境に、西は山地、東は平野。平野が3分の2を占めるのだが、人間形成に重要な18歳までを山の中で過ごした影響は、私という人間に染みついた。若い頃は、人から秩父人といわれるのに反発したが、たしかに自分は外の人たちとは違うと、そのうち自覚した。

人の目というのは、結構正確に相手を見抜く。“そこら辺の草”が埼玉県人には相応しいというのも、あながち・・・


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山川出版社  ¥ 1,940

多様な特徴から、他地域や世界とのつながりを知る
口絵 文化財で見る日本史のなかの埼玉県
埼玉県の歴史講座
1章 原始 埼玉にも海があった
2章 古代 東国と古墳文化
3章 中世 武蔵武士の時代
4章 戦国 関東大乱と埼玉
5章 江戸 江戸を守る
6章 江戸 江戸を支える
7章 幕末 開国、近代への胎動
8章 近代 埼玉県の誕生
9章 近代 近代化の礎・渋沢栄一の足跡
10章 近代 近代日本の戦争と埼玉ー軍歌のひびき
11章 現代 産業と観光ー地域活性化の核として
12章 災害史 埼玉県と災害
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目次にあるように、《1章》は“原始”で始まり、《2章》“古代”は弥生から始まる。そしてこの東国も、ヤマト政権の成立に大きく関わっていく。しかも東国は、徐々に国家としての体制を整えていく西の政権に、長く縄文的要素を注ぎ込んでいく。

行田で発見された稲荷山古墳出土の鉄剣。これには“獲加多支鹵大王”と、雄略天皇の名前が金象眼で刻まれている。この行田から、今私が住んでいる東松山界隈は古墳だらけ。ほんの2キロほどのところにある高坂の古墳からは、三角縁神獣鏡も出ている。

平安中期、この地に成長した地元勢力が秩父平氏や武蔵七党などの武蔵武士団となり、日本の歴史に大きな躍動感を与えたのも、この東国に受け継がれた縄文的な要素だっただろう。

それこそ東国武士団など、平安貴族には物の数にも入れてもらえなかった。まさに、「そこら辺の草でも食わせておけ」だ。その東国武士が、自らの実力で時代を切り開いていく。・・・たまらない。まさに“翔んで埼玉”なのだ。

室町中期、政治は停滞する。そんな停滞から、まずは東国が戦国へとが飛翔する。八王子構造線を境に、山は平地に姿を変えていく。その末端では河に削られた谷と平野に伸びた尾根が、特異な地形を形成していく。その地形を利用して闘いを有利に進めようと、城が築かれる。東松山界隈も、生きるか死ぬかの城だらけ。

日本の元となるヤマト政権の誕生、貴族政権の平安から武士政権の鎌倉へ、室町時代の停滞から戦国へ、江戸時代から近代へ、大きく時代が移り変わろうというときに、この武蔵が躍動する。そして今、停滞した日本に、縄文的要素を注ぎ込む。

そんな埼玉の位置づけを、《翔んで埼玉》を描いた魔夜峰央は見抜いていた。恐ろしいほどの慧眼と言わざるを得ない。


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テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『昭和という過ち』 原田伊織

明治という時代は、長州閥と薩摩閥を中心とした、討幕運動を主導した藩が政治権力を独占した時代だった。この政治のあり方は藩閥政治と呼ばれる。

ところが明治10年の西南の役で薩摩閥の柱であった西郷隆盛と彼の一派が滅びることによって、政治権力の中心は長州閥へと移り、ここから日本の政治は長州閥によって動かされていくことになる。

明治新政府とは、尊皇攘夷をスローガンとし、王政復古による天皇親政を企図した政権であった。しかし、目的は討幕と、その結果としての政権の奪取であって、尊皇攘夷はその目的を達するためのプロパガンダ、政治的宣伝に過ぎなかった。

「目的のためには手段は問わない」・・・後に、共産主義者がこの手を使って、世界を不幸のどん底に落とすことになる。明治政府の主流となる薩摩と長州は、それ以前にこの手を使っていた。

しかし、この大成功は、明治以降の日本に、とんでもない後遺症を残すことになる。この尊皇攘夷というプロパガンダの本質は天皇原理主義であって、明治期以降、狂信的な天皇絶対主義になっていってしまうのである。

それがまんまと成功したのが、明治維新だった。

明治政府は、本質的に、復古主義的な天皇親政を藩閥政治が支える形に成っていた。それに対して、啓蒙主義的自由民権論が起こり、明治維新後の立憲君主制がどうあるべきか、試行錯誤されていた。明治の啓蒙思想家福沢諭吉は、保守的自由主義の立場に立って官民調和論を主張した。

うまくいったことも、まったくうまくいかなかったこともある。どんどん力をつけている部分も、まるで変わらない部分もある。

しかし、総合的には、近代国家として世界と渡り合っていく上で、日本はまだまだ未熟だった。



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『昭和という過ち』    原田伊織

SB新書  ¥ 990

あの戦争を煽った寝の戦犯は誰か?明治維新が生んだ昭和維新の狂気
序章  三島由紀夫自決と「昭和元禄」
第一章 「昭和維新」とは何か
第二章  暴走する関東軍
第三章  神性天皇の時代
第四章  象徴天皇の時代
終章  外交と戦争~隷属国家の未来~
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五・一五事件、二・二六事件は、共に、天皇絶対主義者の青年将校たちが首謀したクーデター未遂事件。

昭和初期、問題を抱えていたのは日本だけではない。日本以上に困難な問題を抱えていた国もある。しかし、同じように困難を抱えたとき、この時期の日本人にとって、明治維新は一番身近な成功例と思えたのかも知れない。

彼らは「昭和維新・尊皇斬奸」をスローガンに、明治維新への回帰を意味する昭和維新の断行を、“第二の維新”と呼んで決行しようとした。しかし、冷静に考えれば、その“第一の維新”にこそ、数々の問題が内包されていた。

幕末、長州と土佐を中心とする尊王攘夷派は、復古主義に傾いた公家たちを操り、偽勅を乱発するなど、“尊皇”を口にしながら天皇の権威を利用していた。

その後、紆余曲折があるが、上記のような天皇の権威を巧妙に利用したことが功を奏して幕府が倒れ、薩長藩閥政権が誕生することになる。

昭和維新とは、天皇原理主義に染まった国粋主義軍人たちによる、天皇親政を目指した明治精神への回帰運動であった。幕末動乱期に薩長過激派を中心とした討幕テロリズムに走った輩が、しきりに喚いた尊皇攘夷というスローガンと、まったく同類の政治スローガン尊皇斬奸を掲げ、それを実行に移した天皇絶対主義運動だった。

この尊皇攘夷というプロパガンダの本質は天皇原理主義であって、明治期以降、狂信的な天皇絶対主義になっていってしまう。原理主義は思考の停止である。問題を解決する道を、必死になって探さなければならないときに、原理主義を持ち出して、それを放棄した。周囲にも放棄することを強いた。

それが日本を亡国に導いた。


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テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『日本国紀 下』 百田尚樹

肥前佐賀藩の鍋島直正は、文政13(1830)年、15歳の若さで藩主となった。破綻していた財政を立て直すため、磁気・茶・石炭などの産業振興に力を注ぎ、農民には小作料を免除して農村を復興させた。また教育予算を拡大し、藩校「弘道館」を拡充させ、有能な者を積極的に登用した。

嘉永3(1850)年、鋳物や鍛冶の優れた職人を集め、反射炉を作った。何度も失敗を繰り返し、担当の家老は切腹を申し出たが、これを押しとどめ、成功するまでやり抜くよう命じた。ついに西洋の最新式大砲であるアームストロング砲を、日本人だけの手で完成させた。

嘉永(1852)5年、黒船来航の前年、直正は独自に理化学の研究実験をする施設である精錬方を設置し、蘭書を研究させて、火薬、弾丸、ガラス、石炭、石鹸、写真機などを作っている。

直正は天然痘ワクチンの普及にも貢献した。嘉永2(1849)年、オランダ商館の医師から入手した牛痘ワクチンを、当時4歳だった長男に接種した。このワクチンが後に、大阪の緒方洪庵などに分与されて、各地に種痘所が開設され、日本での天然痘撲滅に大きな役割を果たす。

薩摩藩の島津斉彬は、西洋式軍艦「昇平丸」を建造し、佐賀藩に先駆けて、日本初の蒸気船「雲行丸」を建造した。これは中浜万次郎の知識をもとに作った越通船(おっとせん)と呼ばれる和洋折衷船に蒸気機関を搭載した実験船だったが、これを見たオランダ海軍軍人ヴィレム・ホイセン・ファン・カッテンディーケをして、「簡単な図面を頼りに蒸気機関を完成させた人物には非凡な才能がある」と驚嘆させしめている。

伊予宇和島藩の伊達宗城も蒸気船の建造に成功しているが、これを作ったのは、無学な仏壇職人で提灯屋の前原嘉三という男だった。宗城に蒸気船を作れと命じられた家臣らが、困り果てた末に、起用だという評判だけで連れてきた職人だったという。

この前原嘉三が、藩医の村田蔵六の翻訳したオランダの本と図面だけで、不眠不休で蒸気船の模型を作り上げ、後に実際に小型の蒸気船を作り上げた。

本気になった日本人は、とんでもないことを成し遂げる。


『日本国紀 下』    百田尚樹

幻冬舎文庫  ¥ 825

ベストセラー作家による壮大なる日本通史、大幅加筆により待望の文庫化!
第八章 明治維新
第九章 明治の夜明け
第十章 世界に打って出る日本
第十一章 大正から昭和へ
第十二章 大東亜戦争
第十三章 敗戦と占領
第十四章 日本の復興
終章 平成から令和へ


慶応(1865)元年、佐賀藩は日本で初の実用蒸気船「凌風丸」を完成させた。この時大きな役割を果たしたのが「からくり儀右衛門」の異名を持つ田中儀右衛門だった。

彼は非常に高度なテクノロジーを用いたからくり人形を作って全国を興業して人気を博した発明家だったが、五十代で佐賀に居を移し、鍋島直正の精錬方に入った。田中はそこで蒸気機関車と蒸気船の模型を作り、反射炉や大砲の製造にも大きな役割を果たした。

田中の作った「弓曳童子」は、現在のエンジニアが見ても驚嘆するほど精巧なものだった。また、「万年自鳴鐘」という時計は、一度ゼンマイを巻けば、一年間動き続けるというもので、しかも太陽と月の動き、二十四節気、曜などを同時に標示するなどを、当時としては驚異的な時計だった。

田中は明治になって東京に移り住み、75歳の時に工場兼店舗を構える。これが後に、東京芝浦電気株式会社を経て、現在の株式会社東芝になる。

2023/09/21 ブルームバーグ
TOB成立で東芝新体制の検討本格化へ、元副社長の復帰も
(抜粋)
東芝が投資ファンドの日本産業パートナーズ連合による株式公開買い付け(TOB)の成立を発表したことで、今後の焦点は新生東芝の体制づくりに移る。経営の自由を縛ってきた物言う株主は非上場化により退場することになる

東芝が喘いでいる。これがギリギリのところだろう。本気になった日本人の底力を見せて欲しい。

テーマ : 歴史関係書籍覚書
ジャンル : 本・雑誌

『マンガでめぐる考古遺跡・博物館』 今井しょうこ

遺跡や博物館めぐりは、こんなにも面白い!

前著『マンガでわかる考古遺跡発掘ワーク・マニュアル』で、発掘の現場と考古学の世界を存分に伝えた著者が、今度は全国の博物館や資料館を訪問し紹介。

国立歴史民俗博物館や吉野ケ里歴史公園など有名で大きな博物館から、千葉市加曽利貝塚博物館、板付遺跡、唐古・鍵考古学ミュージアム、橿原考古学研究所、國學院大學博物館、中津市歴史博物館などの個性的な資料館をロードムービータッチに描く、コミックエッセイ。資料も充実。
著者の今井しょうこさんは、この本の前に、『マンガでわかる考古遺跡発掘ワーク・マニュアル』という本を出されているという。なんでも、ハローワークで見つけた遺跡発掘調査事務所の求人をきっかけに、遺跡発掘の仕事にはまっていったようだ。それが考古学に対する興味の始まりか。・・・普通は逆なんじゃないかと思うが。
そして自ら発掘に携わった、・・・なんだろう、線刻画が現れたそうだから弥生土器かな。それが市の博物館に年代別に展示され、解説されている様子に触れて感じてしまったようだ。それを創作していた人から自分まで、ずっと連続した時間が流れてきたことを。

日本は、歴史に断裂がない特別な国だからね。過去の遺物に対する思いが、より強くなるのはよく分かる。それを一番に感じることが出来るのが、遺跡そのものであったり、博物館だな。




創元社  ¥ 1,540

過去の人々が作り上げてきたものの中で、現代の私たちは生きている
プロローグ
はじめに
第1章 さあ、行こう博物館!~どこに、どう行く? 
第2章 大きな博物館に行こう!~歴史の流れがわかる~
第3章 縄文時代に行こう!~謎多き時代からわかること~
第4章 弥生時代に行こう!~ニューウェーブがやってきた~
第5章 古墳時代に行こう!~遺跡をめぐる人々~
第6章 奈良・平安時代に行こう!~都をめぐる~
第7章 中世に行こう!~庶民の暮らしを訪ねる~
第8章 近代に行こう!~街歩きと遺跡を楽しむ~
最終章 博物館、そこにあるもの
おわりに


この本は、著者の今井しょうこさんが、全国各地、いろいろな遺跡や博物館を回って、遺跡や遺物から、そこに生きていた人、それを使っていた人の存在を感じてきた記録。またそれらの遺跡や遺物を、さらに後世に残すべく、精一杯の知恵を絞ってくれている全国各地の学芸員、遺跡発掘の仕事に従事する人たちに思いを寄せてきた記録。

その博物館を見学するために時間をかけて訪れるというのは、普通であれば、なかなか難しい。せいぜい仕事等の都合で、たまたま訪れた場所に興味を持てる博物館があれば、そして時間が許せば見学をする程度だろう。

私の場合は、仕事が高校の教員だったこともあり、修学旅行でいろいろな遺跡、博物館等を見学することが出来た。広島や長崎の原爆資料館、佐賀の吉野ヶ里遺跡、雲仙普賢岳の災害記念館なんてのも思い出深い。あげれば切りがない。日本って、全国津々浦々に遺跡や博物館がある。

だからこそ、地元の遺跡や博物館を丹念に訪ねてみるのもいい。私の住んでいるのは元武蔵国の埼玉県。埼玉県立嵐山史跡の博物館は、「鎌倉殿の13人」の中でも重要な役割を果たした畠山重忠の館跡に作られている。さらに戦国末期に掘りや郭が作られて城館として使われていたらしい。

行田のさきたま古墳公園は大和朝廷に仕えたと思われる豪族たちの古墳が集中するところ。公園内の博物館には、稲荷山古墳から出土した金象嵌で文字の刻まれた鉄剣が展示されている。公園内にある「はにわの館」では、500円で埴輪を作ることが出来る。ほど近い吉見には、吉見の百穴というのがある。古墳時代後期の横穴墳墓だという。他にもたくさんあるぞ。

読んでいて大笑いしたのは、《「行ってみたら休みだった」は割りとよく聞く》という話。友人のYさんは、青森まで行ったのに休みだったとかで、滂沱の涙。「青森まで行ったのよ」と繰り返していた。青森というとあれか、・・・三内丸山か。

私もつい最近、せっかく倉敷の美観地区に行ったのに、大原美術館が休みだった。よく確認してから出かけよう。

博物館めぐりっていうのも、なかなかいい趣味だな。


テーマ : 史跡
ジャンル : 学問・文化・芸術

『新発見でここまでわかった!日本の古代史』

「縄文人は実はブタを飼い、戦闘も行っていた」「日本最古の人類の石器はユーラシア文化の特徴を持っていた」「奄美群島の石器文化開始時期が7000年、遡った」。日本全国で進められている発掘調査や木簡などの出土文字資料によって、日本古代史像は日々変貌していきます。本誌では、最新の調査&研究発表の情報を多彩なビジュアルとともに掲載し、これまでの常識を覆す最新の「古代日本像」を紹介します。

《縄文時代といえば、長らく「定住化したものの、食べるだけで精一杯」という貧しいイメージがあった。こうしたイメージはもはや過去のもの》だそうだ。

食糧確保のために、たえず生活技術の革新が行われていた。そう、変化に乏しい時代ではなかったようだ。動植物資源を確実に管理しつつ利用するため、社会も徐々に高度化していったのだろう。そういうことになれば、「なかった」といわれてきた身分や貧富も、徐々に顕現していっただろう。

格差が大きくなれば、争いが生ずる。北海道からは、縄文晩期の遺跡から、傷跡の残る頭蓋骨が発見されているそうだ。後の環状集落を営まなければならない程ではないだろうけど、小競り合いはあったんだろう。

沖縄本島南端で発見された人骨、港川人と呼ばれている人骨をDNA解析したという。その結果によれば港川人のミトコンドリアDNAは、現代日本人や縄文人、弥生人に含まれるか、非常に近いものであることが分かったそうだ。港川人は、現代日本人の直接の祖先ではないとしても、日本列島に住んだ人間の集団には、それなりの連続性があったわけだ。

いろいろなものが、徐々に明らかになるね。


『新発見でここまでわかった!日本の古代史』

宝島社  ¥ 時価

祝・世界遺産登録! 北海道・北東北のじょうん遺跡群 自然の楽園だった北の大地
発掘ニュース最前線
北海道・北東北の縄文遺跡群
第1章 旧石器時代・縄文時代の最新研究
第2章 弥生時代の最新研究
第3章 古墳時代の最新研究
第4章 飛鳥時代の最新研究
第5章 奈良・平安時代の最新研究



纏向遺跡、出雲をはじめとする山陰の遺跡、大分県日田市の遺跡、いずれもヤマト建国に関わる地域の遺跡が、次々に新しい情報をもたらしてくれている。邪馬台国はじめ、ヤマト建国時の謎が明らかにされる日も近いかも知れない。

聖徳太子から蘇我入鹿の時代、大陸を統一した隋王朝の出現は、東アジアに強い衝撃を与えた。聖徳太子や蘇我入鹿は、その衝撃を受け止めて、時代を変えようとしていた。その努力を台無しにしたのが乙巳の変であったことも、そろそろ明らかにされたようだ。

いろいろな事実が確かめられつつあるが、この本で一番驚いたのは、稲作の起源。かつては水稲稲作の伝来が、弥生時代の始まりのように言われてきた。しかし、今は、とてもそうは言えないようになっている。

福岡県の板付遺跡からは、縄文晩期の土器をともなう地層から灌漑水田が見つかったことで、上記のような常識が覆された。縄文晩期、およそ3000年前の段階で、稲作は始まっている。

それが持ち込まれたルートは諸説あるものの、考古学や植物学の分野では“中国”の江南地方が有力視されているという。呉や越のあったあたりだな。そう言えば日本には、呉も越もある。

日本列島における稲作は北部九州で始まり、そこからおよそ600年かけて各地に広まる。この本には「高温多湿で水が豊富という水稲栽培に適した土地が多かったので、いつしか稲作は生活の中心になった」としているが、ちょっと引っかかる。

そこまで適しているなら、600年かかるだろうか。ゆっくりすぎるように感じるのだが。縄文の生活を続けながら、それを崩さないように工夫しながら、少しずつ稲作文化を受け入れていったのではないだろうか。

この本が出たのは2022年の6月。この手の本は、すぐ“時価”になっちゃうんだな。その分、1100円の本を500円で買えたけど。・・・新しい本が読みたいな。


テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『スサノヲの正体』 関裕二

アマテラスの弟スサノヲは、天上界では乱暴狼藉を働いて追放される悪玉だが、地上界では八岐大蛇を退治して 人々を助ける善玉になる。そのキャラクターは『古事記』と『日本書紀』とで大きく異なり、研究者の間でしばしば論争となってき た。ヤマト建国への関与、祭祀をめぐる天皇家との関係、縄文文化のシンボル……。豊富な知識と大胆な仮説で古代史の謎を追って きた筆者が、スサノヲの正体に鋭く迫る。

玄関先には2体、花壇に2体、丑寅にある柊の根元に2体と、うちの庭には計6体の埴輪が鎮座している。埼玉県行田市にある“さきたま古墳公園”内の「はにわの館」で、かつて作ったものだ。二人の子どもを遊びに連れて行って、妻と娘と息子が作った。私は、まだ幼かった息子の手伝いをした。そんなことが二度あって、6体の埴輪ができあがった。

先日、20数年ぶりくらいで、今度は孫を連れて行った。粘土を600円で買って、それなりの指導を受けて、だいたい90分から120分くらいで作り上げる。「はにわの館」でおよそひと月の間乾かし、焼き上げてもらい、受け取りは50日くらい後になる。送ってもらうことも出来るが、自分で受け取りに行くつもりでいる。

これで庭の埴輪は8体となる。孫の埴輪は、孫の家の庭に置かれるだろう。この時いなかった孫2号が、この話を聞いて「私も行きたい」と涙目で訴えてきた。庭の埴輪は、もう少し増えそうだ。

JAFの会員になっていると、100円引きになって500円で埴輪を作ることが出来る。妻と私と孫1号の3人で1500円で、埴輪を3体作った。たった1500円で、とても楽しい2時間を過ごすことが出来た。周辺の古墳を回れば1日過ごせる。なんて安上がりな休日の過ごし方だろう。

さて、このさきたま古墳公園にある稲荷山古墳から発見された鉄剣には、金象嵌で刻まれた文字が確認された。それによれば、この古墳に埋葬された“乎獲居臣”はヤマトの“獲加多支鹵大王”に仕えていたようだ。


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新潮新書  ¥ 836

荒ぶる悪神か、救いの善神か?日本書紀の企みを古代史研究の鬼才が暴く!
序章 スサノヲはどこに祀られているか
第二章 ヤマト建国の立役者は誰だったのか
第三章 天皇家の祖神はスサノヲなのか
第四章 なぜスサノヲは「抹殺」されたか
終章  甦る縄文の魂とスサノヲ
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吹き荒れる暴風雨。大音響を響かせて光り、はしる雷、濁流と化し、すべてを押し流す河川の氾濫。大自然の猛威の前に、太刀打ちするすべもなくかしこまる人々。その猛威を、人々は神と崇めた。恐ろしい神を祭りあげることで、少しでも“災い”を小さなものとし、出来れば“幸”をより多くもたらして欲しいと願うことしか、人々には出来なかった。

「母の国へ行きたい」と泣きわめき、イザナギの命に服さず怒りを買って追放される。姉に合うと高天原へ行けば、我まま放題に暴れまくってアマテラスを困らせ、結局そこも追放されてしまう。そうかと思えば出雲へ下ると、八岐大蛇を退治する英雄的な行為によって人々に安寧をもたらす。そう、スサノヲのこと。

スサノヲこそ大自然のごとく人々を恐れさせ、そして恩恵を与える神そのものだった。たしかに、関裕二さんの言うとおり、スサノヲには縄文を感じる。

そんなスサノヲに、日本書紀は悪のレッテルを貼り、「賤しく穢れている」と貶めた。それは、ヤマト建国の古くから力を持った豪族や、目障りな皇族を罠に嵌め、排除して、一人勝ち状態に持ち込んだ藤原不比等の仕業である。多くの恨みを買った藤原不比等は、歴史を改竄し、政敵を鬼に仕立て上げ、神話に封じ込めた。

この本の著者、関裕二さんは、その代表がスサノヲで、スサノヲの正体を探り出すことによって「闇に葬られた敗者の歴史」が明らかになると言う。その画期的な試みが、この本に収められている。

その大きな助けになっているのが、考古学的な裏付け。考古学の分野における新たな発見が、日本書紀や古事記、その他の文字で残された史料による推理を、力強く後押ししてくれるようになった。

なかでも纏向遺跡の解明だ。それはまさにヤマト建国の瞬間だった。誰が、どの地域の勢力がヤマト建国に、どのように関わったのか。その中心に、スサノヲがいた!

これまで読んだ関さんの本の、集大成のようなところがあった。関さんの本を手にするのは久しぶりだっただけに、最後までワクワクしながら読んだ。


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ジャンル : 本・雑誌

『蛇神をめぐる伝承』 佐佐木隆

伝承や神話の中には、古語を知ることによって理解が深まるものが多い。この本は、そういった手法で伝承や神話に迫っている。

たとえば、《虬みつち》。虬・蛟と書いて、「みつち」あるいは「みずち」。古くはミツチで、「ミ」は水に通じ、「ツ」(転訛後にズとなる)は連体修飾をつくる上代の格助詞で現代の格助詞「の」に相当し、「チ」は「霊力」などを意味する語尾と説明される。つまり、水の霊力ということになる。

このような語源の例は、他に雷(いかずち)がある。厳(イカ)つ霊(チ)、威厳のある霊力である。また、カグツチは、「迦具土」と当てられることが一般的であるが、がかぐ(輝く)つ霊(チ)に由来する。このような例は、記紀の神々や神霊の名に広く見られる。

みつちの「つ」が、現在の「の」に当たる用法は、まつげ、「目の毛」にも見られる。

他にも神話や伝承に現れる名前に触れておく。

天羽々斬(あまのははぎり)は、スサノオが出雲国のヤマタノオロチを退治した時に用いた神剣、天十握剣(あまのとつかのつるぎ)の別名である。古語では蛇を「羽々」と言い、羽々斬とは、大蛇を斬るという意味である。

古代、人々は鏡にひとたび自分の姿を映せば、鏡の中に自分の霊魂がそのまま籠もり続けると考えたので、男女が別れるときに、一方が他方に鏡を送るということが行われた。

真十鏡(まそかがみ) 見ませ吾が背子 吾が形見 持てらむ時に 会はざらめやも

「形見」というのは特定の人の「形」、つまり姿や様子を偲ぶために「見る」ものという意味の複合名詞である。

「鏡」という語は、「影見」という複合語に由来する。「影かげ」という語は、そのあとに別の語を続けて複合語を作るとき、「影かが」という音に変わる。「雨あめ」が「雨傘あまがさ」に、「酒さけ」が「酒杯さかづき」に変わるのと同様である。


『蛇神をめぐる伝承』    佐佐木隆

青土社  ¥ 1,980

怪異な姿と独特の習性のゆえに、古代の人々が「神」と恐れあがめた蛇
序章 毒気を吐いて人を殺す蛇神
第一章 美男に変身して女に近づく蛇神
第二章 四つ目の「三輪山説話」と蛇神
第三章 刀剣でもあり雷でもある蛇神
第四章 「三輪山伝説」の影響と蛇神・雷神
第五章 皇子を執拗に追いかける蛇女
第六章 人間に制圧され排除される蛇神
第七章 英雄に退治される「八岐大蛇」
第八章 連想を呼ぶ「陰突き」と蛇神
終章 神性・霊威を失っていく蛇神たち


勢夜陀多良比売(せやたたらひめ)は、大物主神に見初められる。比売が小用で川に行くと、大物主が丹塗矢になって上流から流れてきて比売のホト、女性器を突いた。その矢を持ち帰って床におくと、大物主が現れて比売に子を産ませる。意味からすると、本来、当てられるべき漢字は征矢立姫、「征矢を立てられた姫」ということのようだ。

富登多多良伊須須岐比売(ほとたたらいすすきひめ)は、勢夜陀多良比売の娘に当たるが、母が自分を身ごもった由来により、その名を与えられた。本来の意味からすると、本来、当てられるべき漢字は陰立震姫、「陰部に矢を立てられ震える姫」ということのようだ。比売は、名前に「富登」が使われるのを嫌がって、比売多多良伊須気余理比売に改名したという。

倭迹迹日百襲姫命(やまとととももそひめ)は、夜ごと訪ねてくる男性に「ぜひ顔をみたい」と頼む。男は「絶対に驚いてはいけない」という条件つきで、朝、小物入れをのぞくよう話した。朝になって百襲姫が小物入れをのぞくと、小さな黒蛇の姿があった。驚いた百襲姫が尻もちをついたところ、置いてあった箸が陰部に刺さり、この世を去ってしまったという。

「ももそ」は「百衣」の意。「百衣」という複合名詞は、蛇が何度も脱皮を繰り返すことを表わす「多くの着衣」の意であり、蛇神の妻がもつ名にふさわしい。

櫛名田比売(くしなだひめ)は、古事記ではこう書かれるが、日本書紀は「奇稲田姫」と書く。さらに日本書紀別伝には「真髪触(まかみふる)奇稲田姫」と書かれている。日本書紀には、素戔嗚尊が娘を櫛に変身させて自分の髪に挿す場面が書かれているので、「真髪触る」は「奇し」と「櫛」、両方にかかいることが分かる。

その父と母に当たる足名椎(あしなづち)手名椎(てなづち)であるが、これは古事記の表記で、日本書紀では《脚摩乳、手摩乳》。「ち」は神格を表す「霊ち」、「摩」は「さする」「こする」などの意を表す字を、「撫ず」に充てたもの。《あしなづち・てなづち》は、「脚を撫でたり手を撫でたりする人」を意味した。日本書紀は奇稲田姫の両親の様子を、「中間(なか)に一(ひとり)の少女(おとめ)を据えて、撫(かきな)でつつ哭(な)く」と描写している様子を名前にしたものらしい。


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『日本国紀 下』 百田尚樹

月曜から金曜までの夜9時15分から15分間、NHKラジオで《朗読の世界》という番組が放送されている。

今年の夏は7月の下旬からつい8月の下旬まで、24回にわたって野坂昭如の「戦争童話集」の朗読が放送されていた。私は毎日録音しておいて、猛暑が始まる前の朝涼しい時間、ラジオ体操の前にこれを聞いた。多くの日本人にとって8月は、やはり特別なひと月だ。

考えなければならないことが、多すぎる。「なぜ負けたのか」、それもそのうちの一つ。

日本軍がパレンバンの油田を占領したと聞いた東條英機首相は、「これで石油問題は解決した」と語ったが、油田を占領することと石油を手に入れることは同じではないということに気づいていなかった。日本はせっかく奪った油田から、多くの石油を国内に輸送することができなかった。

日本は、インドネシアの石油やボーキサイトを日本に送り届けるため、輸送船を民間から徴用することを決めていた。国内の流通への影響を抑えるため、「半年だけ」という条件で、無理やり徴用していた。

ところが、インドネシアから石油などの物資を運ぶ輸送船が、アメリカの潜水艦によって次々と沈められる事態となる。それでも海軍は、輸送船の護衛など一顧だにせず、聯合艦隊の誇る優秀な駆逐艦が護衛につくことはなかった。「聯合艦隊はアメリカの太平洋艦隊を撃破するためのものであって、鈍足の輸送船を護衛するためのものではない」という上層部は考えていた。

海軍では、船舶の護衛任務を「くされ仕官の捨て所」と呼んで軽侮した。陸軍にも「輜重輸卒が兵隊ならば、蝶々トンボも鳥のうち」と、輜重兵を馬鹿にした戯れ歌があった。このように、戦争が、輸送や生産も含めた総力戦であるという理解が、欠如していた。

身を守るすべのない輸送船は、大量に撃沈された。「半年だけ」という約束は反故にされ、軍による民間船の徴用が続いた。そのため戦場では勝利を収めながら、国内経済は行き詰まっているという矛盾した状況に陥った。

公益財団法人「日本殉職船員顕彰会」の調べによれば、大東亜戦争で失われた徴用船は、商船3575隻、機帆船2070隻、漁船1595隻、戦没した船員と漁民は6万人以上に上る。損耗率43%は、海軍兵士の損耗率20%、海軍兵士の損耗率16%を遙かに上回る。


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『日本国紀 下』    百田尚樹

幻冬舎文庫  ¥ 825

ベストセラー作家による壮大なる日本通史、大幅加筆により待望の文庫化!
第八章 明治維新
第九章 明治の夜明け
第十章 世界に打って出る日本
第十一章 大正から昭和へ
第十二章 大東亜戦争
第十三章 敗戦と占領
第十四章 日本の復興
終章 平成から令和へ
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敗戦後、日本兵は国外で悲惨な目にあった。

東南アジアでは、約1万人の兵士が戦犯容疑で、米英仏蘭の軍に逮捕され、連日、筆舌に尽くしがたい激しい拷問と虐待を受け、多くの者が亡くなったり自決したりした。彼らは、戦後に処刑された戦犯リストにも入っていない。

満州では、ソ連軍が武装解除した日本軍兵士を、57万5000人も捕虜とし、厳寒のシベリアで何年にもわたって、満足な食事も休養も与えずに、奴隷的労働をさせた。その結果、5万5000人の兵士が命を落とした。

近代になって、戦勝国が敗戦国の兵士に、これほど残虐な仕打ちをした例はない。そして、白人の黄色人種への差別意識に加えて、緒戦において日本軍に完膚なきまでに打ち破られたことへの、報復という意味合いもあった。

悲惨な目にあったのは兵士だけではない。満州や朝鮮半島にいた日本の民間人は、現地人に財産を奪われただけでなく、虐殺、暴行、強制連行などにあい、祖国の地を踏めない者も少なくなかった。最も残酷な目にあったのは女性たちで、現地人やソ連兵による度重なる強姦を受け、そのために自殺した女性も多かった。

戦後、朝鮮半島を経由して帰国した女性の多くが、強姦によって妊娠、あるいは性病に感染させられていた。日本政府は、昭和21(1946)年3月に福岡県筑紫郡二日市町に二日市保養所を設置し、引揚げ女性の堕胎手術や性病の治療を行なった。保養所は翌年秋に閉鎖されたが、その間に、500人以上の女性が堕胎手術を受けたという。なお聞き取り調査によれば、女性らを強姦して妊娠させた加害者は、朝鮮人が圧倒的に多かった。

9月に入っても暑い日が続いている。敗戦の年の9月、まだ結婚前だが、父は16、母は17歳だったはず。このひと月を、どう生きていたんだろう。

《『日本国記 下』の内容を使わせてもらいました》


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『明解 埼玉の地名』 高田哲郎

素戔嗚尊が八岐大蛇を退治したところ、大蛇の尾から、天叢雲剣が現れた。天叢雲とは、天に湧き立つ群雲、つまり雷雲のこと。素戔嗚尊は、動く度に大海原は浪が吠え滾り、山は鳴動する。どうやら素戔嗚尊は、雷神であったと考えられる。

雷神であった素戔嗚尊は、水を司る神でもある。当然、治水の神の側面も持っている。出雲の簸川は「ひかわ」と読む。関東ではこれを氷川と書き換えて、利根川、荒川、多摩川筋の水の安全を願い、氷川神社が各地に祀られた。埼玉県大宮にある武蔵一宮と称された氷川神社が総社で、延喜式に載る古社である。

素戔嗚尊が奇稲田姫を娶ったときに、「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を」と詠んでいる。「稲に夕立雲」が湧き立っている。

奇稲田姫は、素戔嗚尊が八岐大蛇から守り切った姫。奇しき稲田の姫。つまり、霊妙な力に守られたいなだの女神。夏の晴れた暑い日、夕方になるとその向こうの入道雲が湧き立っている。ちょっと前であれば、誰でもが持っていた心象風景の一つ。

夕立は洪水を引き起こす元凶であるが、その時に発する稲妻がないと稲は育たない。稲妻が落ちることで、稲は孕む。稲に実が入るのだ。

氷川神社は適度な夕立を讃え、夕立の抑制を願って祀られた。


『明解 埼玉の地名』    高田哲郎

埼玉新聞社  ¥ 1,980

普段、当たり前に口にしている土地の呼び名。その由来は何か。

悪土・阿久戸・肥土・明戸・秋津―“圷”に集約される川沿いの浸水地帯
我孫子―「網引く子ら」で漁民の住むところ
荒木・新開・新久・荒田・開発・弥開・泰楽・新志・針ヶ谷・原市・原宿
―みんな同じ開拓地名
五十子―水害多発地域を示す地名
伊賀袋―河流が袋状に湾曲している地形を指す
雷・雷電神社と天神宮―雷信仰の二つの流れ
伊古地名―池田・江戸袋・五十子と同じ水溜まり
牛ヶ谷戸・牛久保・牛子・牛島・田出牛・牛沼・牛重
―牛は濁流の力強さのシンボル
内手・内出・内而・宇知手―城郭や砦、武将の館跡の存在を示す地名
大畑―畑は端に通じて、崖っぷちを表す事も〔ほか〕


雷神信仰には、素戔嗚尊を祖とする雷神と、菅原道真を祀る天神の二つの流れがある。天神を祀る神社は全国に約1万2000社を数える。素戔嗚尊に比べれば、あまりにも新しい信仰対象である菅原道真にしては、ずいぶんたくさんある。

実はこれにはわけがある。菅原道真が幼少の頃より学問を好み、文章博士を務める当代一の秀才であった。このことから天神として祀られると同時に、学問の神として崇拝された。特に、江戸時代に盛んになった寺子屋で崇敬されたことで、全国に広まったようだ。

雷神としての素戔嗚尊の系統にも、雷電神社の系統と、氷川神社の系統がある。雷電神社は素戔嗚尊の雷神の側面を受け継ぐ、火雷大神、大雷大神、別雷大神の三神を祭神として雷電、稲妻や降雨を司る。水難除けと、五穀豊穣にも結びつく。氷川神社は治水の側面を主として、洪水を防いで五穀豊穣をもたらす神社である。

雷は、雷光によって稲に実を入れる。雷光と稲が交接することにより、結実すると考えたのだ。

雷・雷電を小名とする地名は、各地の数多い。雷神社もかなりの数になる。分布を見ると、すべてが川沿いの低湿地で、雷雨、洪水よけ、豊穣祈願に結びつくものだろう。

素戔嗚尊の神格は氷川神社と雷神社となって、各地の地名にも取り入れられた。それに比べて天神に由来する地名はほとんどない。氷川、雷、八幡、諏訪、稲荷信仰は古代からのものであり、天神が広まったのは江戸時代からという差から生まれた違いだろう。


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こんな本、あんな本
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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。

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中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。

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高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。

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今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本
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