めんどくせぇことばかり 本 日本史

『新史論4 天智と天武 日本書紀の真相』 関裕二

4巻は、おそらく新史論の革新と言えばいいだろうか。乙巳の変→白村江の戦い→壬申の乱→天武政権と続いていく。でも、それで終わりじゃない。司馬遷の史記は、武帝の支配の正当性をうたい、だからこその繁栄を寿ぐのが目的。だから、武帝の支配を記述して終わる。

日本書紀は天武の意志により編纂が始められるが、記述は天武の時代で終わらない。さらに続く。この行き着く先に、日本書紀が書かれた本来の目的が存在することになる。つまり、この段階でわかっていることは、日本書紀は、天武政権の正当性を主張するために書かれたものではないということだ。

では、日本書紀の最後に語られているのは何か。持統が、その在位の最後に、天皇の位を皇太子に禅譲する。そして、日本書紀は終わる。皇太子というのは、軽皇子。持統から禅譲されて皇位につき、文武天皇となる。

日本書紀は、文武天皇が皇位につくことの正当性を明らかにするために書かれた。

日本書紀の編集を宣言したのは、天武天皇である。天武天皇には、日本書紀を編纂して、自分の支配の正当性を訴える必要があった。なにしろ天智天皇の後継者である大友皇子、おそらく即位していたであろうから弘文天皇と言った方がいいか。そういうことなんだよね。即位していたであろうから、その天皇を滅ぼして、大海人皇子は皇位を手にするわけだ。

だからこそ、自分の正当性を訴える必要があった。自分が皇位につくのが本来の姿であることを主張するためだ。弘文天皇の父、天智天皇こそが、本来、自分が就くべき皇位を簒奪した張本人であることを明らかにするために。天智天皇、中大兄皇子こそが、反改革勢力を利用して蘇我入鹿を暗殺し、蘇我本宗家を葬り去って、蘇我本宗家の力を背景に時期天皇位を約束された漢皇子から、その位を簒奪した。そのことを歴史に残すために。そして、その漢皇子こそ、中大兄皇子の“兄”、大海人皇子ということであれば彼は訴えないではいられない。



小学館新書  ¥ 799

正史『日本書紀』が古代史から消し去ったこと、そしてその理由を暴く
第一章  乙巳の変と朝鮮出兵
第二章  天智天皇と天武天皇
第三章  壬申の乱の謎
第四章  天武天皇と持統天皇
第五章  伊勢神宮と藤原不比等

それでは、文武天皇の即位の正当性には、何がしかの問題があったのか。もちろん、ある。文武に天皇位を禅譲した持統は、蘇我入鹿を暗殺して漢皇子から天皇位を簒奪した中大兄皇子の娘だからだ。その地位を支えている藤原不比等は、中大兄皇子を欲で引き回して操った中臣鎌足の息子だからだ。

持統天皇は、夫である天武の意思を継承しているかのように考えられている。そう考える人々は、この政権を「天武・持統朝」と呼ぶとこの本の中に書かれているが、たしかにそうだよね。ごく自然の流れで古代史に触れていくと、そのように受け止めてしまうように流れが作られている。でも、違う。

《持統・不比等》政権というのは、白村江の戦いと壬申の乱の敗戦で、完全に政治の世界から消滅したはずの《天智・鎌足》政権の再来だからだ。かつて私利私欲のために、日本を滅亡の淵に立たせた《天智・鎌足》政権が、天武天皇系の顔を持たままで復活したのだ。

彼らは私利私欲のために、天武亡き後、天皇となる立場にあっただろう大津皇子を抹殺した。持統時代に、最大の実力者となっていた高市皇子も、おそらく彼らが死に至らしめた。

その事実を、歴史のひだの中に、完全に封じ込まなければならない。隠すだけではない。女帝の地位について、孫に支配を受け継がせるのは、天照大神が地上界の支配を孫のニニギノミコトに任せた姿そのものだ。神々の姿に自分を似せたのではない。自分が孫に政権を受け継がせる姿を、神話にしたのだ。神の行いこそが、自分たちの行為の焼き直しなのだ。

天照は伊勢神宮に祀られているわけだが、あれは、持統・文武の継承を焼き直した神話の神を、無理やり当てはめたものだ。伊勢神宮に祀られた本当の神は、実は男だ。

・・・このあたりの話、ワクワクする。




にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

あかねさす(覚書)『新史論4 天智と天武 日本書紀の真相』 関裕二

私もそうでしたよ。万葉集にひかれるようになったのは、中学校の時に、なんかの機会に読んだこの歌がきっかけ。国語の授業かなって思ったんだけど、考えてみると、中学校の国語の授業で、こんな色っぽい歌を扱うかなって思ってね。

あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る

紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも


よく言われるように、この歌は宴席の戯れ歌だと思っていました。かつての妻は、さまざまな確執を経て、いまは権力者である兄の妻となって、有力者の集う宴席でもそつなく振る舞っている。宴席に停滞が漂い始めた時、女は人に緊張を強いるかのように、思いもよらぬ歌を披露する。投げかけられたもと夫は、その意図を心得て、歌を返す。現在の夫も、二人の意図を心得て、・・・。

大海人皇子と額田王の関係を知り、日本の歴史の中でも、もっとも激しい歴史の荒波に、人々の人生が翻弄されていく中の、ほんの一こまなのかもしれないけど、それがこんなにも鮮やかに・・・。なんてね。そんなふうに言えばかっこいいんだけど、多感な中学生の私には、そんな上品な言い回しはできるはずもなく、ただ、いけないと分かっていながら溢れ出す思いを持て余す男と女の姿に、私までがある種の感情と体の変化を持て余すばかりでした。

小学校の時、クラス内の班で、班名を決める時、「白虎隊」を提案して、「あかとんぼ」に敗れました。中学生になった私は、同様に、「あかねさす」を提案して「ピノキオ」に敗れました。どちらのときも、同じ班に、大好きな女の子がいました。「白虎隊」はともかく、「あかねさす」を提案した私は、その対象として、その娘を意識していました。・・・敗れて当然ですね。


小学館新書  ¥ 799

正史『日本書紀』が古代史から消し去ったこと、そしてその理由を暴く
第一章  乙巳の変と朝鮮出兵
第二章  天智天皇と天武天皇
第三章  壬申の乱の謎
第四章  天武天皇と持統天皇
第五章  伊勢神宮と藤原不比等
この本を読んで、認識を新たにしました。宴席の戯れ歌なんて考えていたら、この歌がもったいなかったですね。ものすごい力を持った歌でした。

中大兄皇子と中臣鎌足は、女を人質とするやり方を多用している。どうも、日本書紀で語られる様々な陰謀にはある共通性があって、やられる側があまりにも淡白すぎると感じていた。なにも、そうやすやすと死を受け入れなくてもいいものをってね。

蘇我倉山田石川麻呂は嵌められて、一族皆殺し。唯一助かったのは、中大兄皇子に嫁いだ遠智娘で、持統天皇の母に当たる人物だけど、塩漬けにされた父の生首をみせられて、気が触れてしまう。なんともやるせない。遠智娘は、嫁いだのではなく、誘拐されて、人質となっていた。そう考えると辻褄が合う。

本書ではさらに、百済救済の遠征に、多くの女たちが同行させられていることの不自然を訴えている。たしかに、出陣に《熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな》という歌を送った額田王も同行していた。だいたいが、天皇である斉明もまでが人質だったと。つまり、百済救済に、大勢は熱心じゃなかった。それを、女たちを人質代わりにしてまで、強引に行った。その前に、難波宮に取り残されて憤死した孝徳天皇も、みんなが孝徳天皇を置き去りにしたのは、人質を取られたからじゃないかと。

そう考えると、大海人皇子との間に子までなしたにも関わらず、天智天皇の妻となった額田王にも、それ相応の事情があったことが伺える。そして、“あかねさす”の歌だ。

この歌が歌われた時、強引に勧めた白村江の戦いに敗れて、天智天皇は日本を危機に突き落とした。権力を維持するために、彼は最大の政敵であるはずの弟、おそらく本来は兄の、大海人皇子に6人の娘を嫁がせてまで妥協し、和解した。乙巳の変で排除された漢皇子こそ大海人皇子で、天智天皇の娘たちを妻として受け入れることで政界に復帰した。そのために大海人皇子も、妻の額田王を差し出し、額田王との間に生まれた十市皇女は天智天皇の子の大友皇子に嫁いだ。

多くの女たちが政治に利用された様子に、額田王は命がけの抗議をしたのではなかったか。大海人皇子が自分を思う気持ちを試すとともに、新たな夫である天智天皇に、思い切りあてつけたのではなかったか。・・・痛快だな。・・・すごく怖いけど。




にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

乙巳の変と日本書紀(覚書)『新史論4 天智と天武 日本書紀の真相』 関裕二

聖徳太子が聖者であればあるほど、蘇我入鹿は大悪人になっていく。その視点の役割を担っていたのが山背大兄王であり、聖徳太子と山背大兄王はどちらも架空の存在である。聖徳太子という虚像に蘇我入鹿の業績を担わせたので、聖徳太子の末裔の一族には、蒸発するかのように、歴史から消えてもらう必要がある。その役割を蘇我入鹿に行わせることによって“入鹿悪人像”を確立し、「討たれて当然」という錯覚を作り出す。

3巻でも語られたところであるが、見事なしくみである。

本来、歴史というのは、自分の正当性を主張するために書かれた。ヘロドトスが『歴史』という題名で、ペルシャ戦争におけるギリシャの正当性を訴えたように。司馬遷が『史記』で武帝の支配の正統性を訴えたように。

にも関わらず、「日本の正史とされる『日本書紀』に書かれたことは正しい」という錯覚は、日本には王朝交代という実態がなかったからだろう。

しかし、『日本書紀』という歴史が書かれている。その理由は・・・。壬申の乱で勝利した天武天皇が自らの正当性を訴えるために。・・・たしかに。

たしかに、シナに強力な統一王朝が成立しつつある状況から始まった東アジア動乱のなかで、大和朝廷も白村江の敗戦という一大事を経て、壬申の乱によって新体制を整えつつあった。そこで、壬申の乱の勝者である天武天皇が、その正当性を訴える必要性が、『日本書紀』が編纂される理由であったことは間違いない。

しかし、それが世に出る時、天武天皇は、すでにこの世になかった。その時、権力の地位にあったのは藤原不比等であった。

「日本には王朝交代という実態がなかった」から、それ以前の歴史を捻じ曲げてまで自らを正当化しなければならない必然性はなかった。自らの正当性を主張する可能性のあるのは天武天皇であるが、それがために大きく真実を歪めているあとは見られない。
そのように考えて、『日本書紀』を正史ととらえる。

だけど、日本には、王朝の交代に匹敵する政変があった。その立役者となったのは、中大兄皇子と中臣鎌足であり、中臣鎌足の息子が藤原鎌足である。『日本書紀』が世に出る時、権力の地位にあったのは、藤原鎌足であった。 



小学館新書  ¥ 799

正史『日本書紀』が古代史から消し去ったこと、そしてその理由を暴く
第一章  乙巳の変と朝鮮出兵
第二章  天智天皇と天武天皇
第三章  壬申の乱の謎
第四章  天武天皇と持統天皇
第五章  伊勢神宮と藤原不比等

だけど、日本書紀による歴史の捏造は、すごい大胆だ。あったことをなかったことにし、なかったことをあったことにしている。これは単に、藤原不比等の権力に、周りは何も言えずに口をつぐんだというのとはちょっと違う。

藤原家ににらまれるのが恐ろしいということもあるにしろ、それだけで、これほどまでの歴史を捏造することは不可能だ。口をつぐまなければならない、何かほかの理由があったんだろう。

それは、中大兄皇子と中臣鎌足のやったことを、洗いざらい世に問おうとすれば、自然と自分や、自分の父祖の行為を世に問うことになるということだろう。つまり、積極的なものであるかどうかはともかく、自分たちも加担者でらるということ。

入鹿を当主とする蘇我本宗家は、東アジア世界新秩序に対応するための国家改革の旗振り役であり、原動力だった。大和朝廷最大の勢力を持つ物部氏との間においても、双方血を流しつつも、なんとか改革勢力に取り込むことに成功し、まさにここから改革は新たな段階に入るというところまで来ていた。

改革は、どうしたって“痛み”を伴う。それを覚悟で、大和朝廷は皇極天皇を中心に、国を上げて改革を推進するというところまで来ていた。そこへ中大兄皇子と中臣鎌足のコンビが登場する。その望むところは、改革云々にはない。それぞれ単に、私利私欲である。ただし、私利私欲を満足させるためには、どうしても蘇我入鹿を倒す必要がある。「疎外の入鹿がいなければ・・・」、その一点で、彼らは改革に反発を抱く者たちの口をつぐませたのだ。

日本書紀が世に出たとき、彼らがその、あったことをなかったことにし、なかったことをあったことにしている日本書紀に何も言えなかったのは、蘇我入鹿が倒されたときに、蘇我派の側に立って糾弾の声を上げなかったから。改革派の原動力である蘇我本宗家が倒されたことで、旧来の自分の権益が守られると、改革派の抗議の声を押しつぶした段階で、何も言えない存在になってしまっていたのだろう。




にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

『井沢元彦が教える戦国時代の兵法』 井沢元彦 小日向えり

この間、小川町にある青山城址ってところに行った。そこを目的に行ったわけじゃないけど、山歩きのコース上に、それがあった。この本にも出てくる“山城”、“平山城”、“平城”の分類からすれば、完全に“山城”だったな。山の地形をうまく使って堀が掘ってあって、元の地形にいろいろに手を加えた跡がみられて面白かった。

ああいうの見ると、本気だったってことが分かりますよね。“死ぬか生きるか”、“殺るか殺られるか”。油断や慢心が、そのまま死に直結するからこそ、殺られないための準備をする。殺る側に回るべく工夫を凝らす。

本書のガイド役の小日向えりさんは、“歴ドル”だそうです。いくらなんでも、私でも分かります。“歴史好きアイドル”の略なんでしょ。でも、“歴女”とは何が違うの。“歴女”はただの女?女であれば何でもよくて、“歴ドル”は、かつアイドルでなければならないってことか。“歴史好き”には誰でもなれるけど“アイドル”はそうはいかないもんね。・・・どうでもいい話題だね。

さて、たしかに、最も日本らしくない時代だった。おそらく、この火山の多い、地震列島に住み着いたことから始まった、信仰と言っていい“和”への思い。それをすべて、かなぐり捨てた時代ですからね。それを追及して、究極まで高めたのが織田信長で、信長が暗殺された後、日本はまた、“和”によって成り立つ社会に戻っていくわけですよね。

そんな特異な時代だったけ、それがのちの日本に残したものって、とても大きいよね。なにより大きいのは、“記憶”だと思うけど・・・。



宝島社  ¥ 1,296

戦国時代を生き抜く武将と軍師の知恵 英雄たちの生きた時代とその戦い方
1章  戦国時代ってこんな時代
2章  もっと知りたい戦国時代
3章  戦国武将辞典
4章  戦国時代をもっと楽しもう 
そういえば、去年の春、3月だったかな。連れ合いと滋賀県に行った。途中で犬山城を見学して、翌日には彦根城を見学した。やったことと言えば、それだけだな。実は、一人息子が滋賀県の企業に就職して、寮生活を始めたのね。で、滋賀県っていうのがどんなところか、一様、見に行ったわけ。琵琶湖沿いのホテルを取って、車で行った。
DSCF3464.jpg犬山城は、この本の中でも取り上げられていた。現存する日本最古の天守閣で、戦国時代の息吹の感じられる城なんだって。天守閣からの眺めも良かったですね。廻り縁っていうんですか。外で出て一周できるんだけど、外側に傾いているような気がして怖かった。木曽川にせり出しているような城でね。
翌日は、彦根城。人気のひこにゃんはよっぽどひどい目に合わされたのでしょうか。決められた立ち位置で、ゆらゆら揺れているだけでした。この時は手術前で、杖を使っての歩行。天守に登るにも、いろいろと気を使っていただきました。ひこにゃんはじめ、関係者の皆様、ありがとうございました。DSCF3456.jpg
たまたま行ったところにお城があれば見学に行くっていう程度だからね。そういう人が多いんじゃないかな。熊本城、松山城、広島城、名古屋城、松本城、江戸城くらいのものか。ああ、でも城跡ならもっとあるな。

それから、戦国合戦ベスト10。これなら、さすがに、ベスト1から10まで全部知ってた。

それから、それに加えて面白かったのが、“陣形”の話。川中島で武田軍が持ちこたえた理由は陣形にあった。三方ヶ原の陣形とか、関ヶ原の陣形とか。それからそれぞれの陣形の特徴ね。鶴翼がどんな戦い方に適しているか、魚鱗がどんな戦い方に適しているか。今それを知ったところで使い道があるわけじゃないけど、それを知ることで、戦国武将たちが死と隣り合わせに生きていたことを肌で感じられるよね。

あとは戦国武将ベスト10。もうこれは歴ドルさんたちの独壇場。何も言うことはありません。だけど、私のベスト1は小日向えりさんのベスト10には入ってませんでした。( ノД`)シクシク…・・・(続きを読む)の方に入れときます。文句があったら、おとといにしてね。




にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

『縄文の奇跡 東名遺跡』 佐賀市教育委員会

バスケットがぞろぞろ出たんだ。それもすごいね。装飾性に富んだ上物ですね。今あっても決しておかしくないものを、8000年前に作って、使ってたんだ。

日本で一番古いものは滋賀県粟津湖底遺跡から出た破片で1万200年前のものなんだそうだ。だけど、それは破片で、この東名遺跡のものは原形をとどめてますからね。模様のはっきりしたものも数多いしね。

それに、ツヅラフジやテイカカズラと、素材もはっきりしていて、技法までわかってるんだって。

この遺物を見ても、欲しいもんね。

かご作りの技法は、基本的に今と同じで、素材をよく理解して、加工方法や使用目的が考えられていたっていうんだからね。ものづくりのルーツは、とても古いですね。

おっと、・・・****んん千年の歴史とかって言わないでね。お隣の方と間違われちゃうからね。
kago1.jpg

第1章  日本最古! 最多! 縄文バスケット
第2章  激変する環境を生き抜いた縄文人
第3章  縄文人の食生活
第4章  縄文人のものづくり
第5章  縄文人の外見と内面
第6章  歴史の中の東名遺跡
第7章  東名遺跡を理解する
附録  ぶっちゃけ東名トーク

東名遺跡の発掘は平成5年から始まって、一次調査で終わるはずのものが、貝塚の発見によって二次調査が開始され、国内最古の湿地性貝塚として、出るわ出るわ、国内最古級の遺物がぞろぞろ。それらの発見は、8000年前の物質的、精神的文化において、これまでの縄文観をぬりかえることにつながった。この本は、その状況を広く知らせるための、第二次調査の報告書みたいなものらしい。

貝塚の写真も出てるんだけど、貝塚ってすごいね。そうそう、この東名遺跡、竪穴住居の跡が見つからないんだって。つまり、柱を立てたはずのくぼみがないんだって。本書では、住居だけ別な場所にあったとか、近くにあったけどのちの時代に削られたとかの可能性が上げられているけど、竪穴住居ではない住居に住まってた可能性が高いんだって。平地式住居っていうらしい。

じつは九州では、東名遺跡に時代の遺跡からは、竪穴住居跡がまったく発見されていないんだそうです。この本に出ている図で見ると、確かに平地式住居の方が、作りさえしっかりしていれば、機能的に優っているように思える。

驚いたのは、面の遺物。その形状から、棒の先に括り付けて祭りなどに使われたものではないかと考えれれたが、国内ではほかに出土例がなく、不明木製品に分類されたんだそうです。ところが、足元の佐賀県内のお祭りに、そういうのがあったんだそうです。佐賀県の有明海が満潮になると潮が遡上してくる地域で、有明海の潮水を天狗の面に振りかけ氏神に迎え入れることで、地区の安泰を祈願するお祭りが、今もあるんだって。「シェーとり祭り」っていうんだって。主役はイヤミか?

もし、もう一つ二つ似たようなものが発見されて、関連が明らかにることがあるとしたら、これはすごいね。《佐賀県、8000年の祭り》って、堂々言えるね。お隣の、“半万年”っていうわけのわからない年の数え方の“歴史”の上を行っちゃいますね。




にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

『新史論 書き換えられた古代史 3』 関裕二

|2014年に出てたんだ。あ~あ、もう。『新史論』は2巻まで読んで、その後、気がつくたびに、「ずいぶん次が出るのが遅いな」とかって呑気に思ってたら、どんどん出てた。もう、6巻まで進んでた。あ~あ、もう。

そんなわけで、新鮮味にかけると思われる方も多いでしょうが、私としては、止まっていた時が、ようやく動き出したかのような、・・・そんな大層なことじゃないか。

3巻でスポットライトが当てられているのは、雄略天皇、継体天皇、そしてその時代を引き継ぎ、二人の天皇が成し遂げることができなかった新体制への改革を双肩に担って登場する“聖徳太子”ということになる。
大和朝廷の歴史ってのは、その成立段階から、北九州、出雲、瀬戸内、丹波、東海、越など、各地の勢力の絡み合いだった。その壮大な物語は、もはや、邪馬台国はどこにあったかなんてさしたる問題とも思えないほど。もちろん、それも、壮大な物語の中の一現象なわけだけどね。
雄略天皇こと、ワカタケルオオキミ。私、けっこう馴染みにしてました。埼玉県行田市の《さきたま古墳公園》に、よく行ったのよ。子供が、子供の頃。古墳の上走り回ったり、そこにあるお店で、埴輪作らせてくれるのよ。確か1000円。焼き上げて送ってくれるの。今でもうちの玄関先には、何体か転がってるよ。もちろん、資料館で鉄剣も見ました。ワカタケルオオキミって、書いてありました。ハイ・・・鉄剣
雄略は、今でいう関東にまで支持されていた。関東は大和朝廷の技術で荒れ地を開墾し、人口が急増した。関東の急速な発展が雄略を支えた。それによって、瀬戸内・東海によって運営されてきた大和朝廷の時代に変化が起きた。

日本海・関東が大きな力をつけたことを証明したのが、継体の登場。継体は中央集権体制への移行、百済一本の外交の転換など、体制の大転換に挑戦する。しかし、彼は、やがて旧勢力に取り込まれ、改革は頓挫する。

それを受け継ぐ世代で、改革への期待を双肩にになったのが、“聖徳太子”ということになるのだが・・・。

ここからが面白いところだよね。

瀬戸内海を握り続けた吉備の勢力こそが、物部氏。大和朝廷の成立にあたり、現在の大阪に根拠地を持った物部氏は、日本列島に広大な所有地と富を所有した。さて問題です。こののち行われる改革こと中央集権化は、隋・唐の律令制導入というかたちをとる。眼玉は“公地公民制”。「あらゆる土地を天皇に帰す」ってことですね。豪族たちの私有地を取り上げるところから始まるわけだ。さて、その時問題となる勢力は・・・?


小学館新書  ¥ 778

《聖徳太子と物部氏の正体》・・・雄略、継体。物部氏の衰退と蘇我氏の勃興
序章  出雲とはなんだったのか
第一章  古墳時代と瀬戸内海
第二章  古代版織田信長・雄略天皇の謎
第三章  継体天皇の出現と二つの日本
第四章  物部氏と蘇我氏、聖徳太子の密約

上記のような情勢に絡んで、“聖徳太子”の頃の大きな出来事と言えば、仏教導入のいざこざをきっかけとする蘇我氏と物部氏の戦いで、物部守屋が滅んだこと。いったいこれの意味するところはなんだろうか。

物部氏っていうのは全国各地に根拠地を持ち、それだけに物部氏の決意なしに、改革への道はなかったはず。蘇我馬子は物部守屋の妹を妻としていた。つまり、蘇我と物部は、手打ちをしていた。しかし、あまりにも大きな物部氏という団体の中には、それをよしとしない勢力もあった。そういうことか。物部守屋しかり、中大兄皇子しかり・・・。

時代背景として、これと前後するできごとのなかに、歴史の真実が眠ってるのは間違いないだろうな。そして、蘇我氏と物部氏の手打ちの生き証人としての子供。この人物がカギを握ることになる。

最後に、馬子の子供に関して、次の覚書を残して、終わります。
先代旧事本紀
宗我嶋大臣
  |       →豊浦大臣(入鹿)
物部鎌媛大刀自連公
元興寺伽藍縁起起并流記資材帳
巷奇有明子(蘇我馬子)
   |        →善徳
大々王(物部氏の出)
日本書紀
蘇我馬子    善徳
  |    →
物部守屋の妹 蝦夷ー入鹿

これ、間違いなく《聖徳皇太子》ですよね。この間、弓立山登山の報告で出した写真です。その登山口にある八幡社境内の脇の道にありました。八幡社の境内には武内宿禰を祀られていることが多いそうだけど、ここにもあったかどうかは確認してない。

神功皇后の子の応神天皇は神武にも比定される天皇で、武内宿禰はその出生にも関わる。つまり、大和朝廷の成立にも関わる。

武内宿禰と言えば、蘇我氏の祖とされる人物ですよね。聖徳太子は、後に天下を握る藤原氏の都合により、《蘇我氏を悪人に見せるための虚像》ということ。
聖徳  

ここは埼玉県のときがわ町。どうしてここに、《聖徳皇太子》の石碑があるんだろう。



にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

『世界史までわかる日本史』 島崎晋

多くの場合、歴史を支配するのは“偶然”であって、“必然”ではない。“たまたま”、こんなんなっちゃったんだ。そして多くの場合、人生も、またそう。“たまたま”、こんなんなっちゃったんだ。力があれば、違う道があったかもしれないけど、力が足りなかったんだったら、仕方がない。人のせいにすることじゃない。今を土台に、やるべきことをやっておくことだ。

『世界史までわかる日本史」という題名以外は、中身をめくりもせずに買ってしまったが、時系列を追って、その時代層のなかで、日本や世界にどのような歴史が展開されていたかを提示している本。これまでにも、何度かこういう本を読んだ気がする。取り組み自体は面白いと思う。新しい切り口で、それだけの新鮮味もある。

それだけに、しっかり読んでいけば新しい発見もあるだろうし、シナプスによる情報伝達で立体的な知識が構成される場合もあるだろう。だけど、いつか訪れるかも知れないそういった悦びを期待して最初から読み始めるには、私の忍耐力は弱小過ぎる。だから、ついつい「このあたりは・・・」ってつまみ食いのような読み方になってしまう。

そうだな。面白い取り組みなんだけど、私みたいなパターンもあるし、場合によっては、《一挙両得》と受け取ってもらえず、《前門の虎、後門の狼》みたいに攻められてる気分になっちゃう人もいるかも。ブームのようだけど、歴史は、・・・とくに世界史は、けっこう敬遠されてると思うよ。



SB新書  ¥ 864

大化の改新の頃、ササン朝が滅んだ 「タテ」「ヨコ」つかんで歴史を一挙両得
第一章  古代よりアジア世界から影響を受けてきた日本
第二章  花開く日本の平安文化と世界宗教の広がり
第三章  中世世界を席巻したモンゴルに対峙し揺らぐ日本の武家政権
第四章  室町幕府の盛衰と大航海時代の到来
第五章  膨張するヨーロッパ社会と日本との交流
第六章  行動的なヨーロッパと鎖国体制をとる江戸幕府
第七章  ヨーロッパの帝国主義と開国へ転換する日本

気候変動ってのは、いつだって地球規模の問題だから、それに影響された歴史は、時には“必然”性をたかめる。最終氷期の終了であるとか、古墳寒冷期であるとか、ラキ火山や浅間山の噴火がフランス革命の背景にあったとかね。

・・・ったく、人間社会が気候変動に影響を受けるのは当たり前のことで、それは太陽活動や火山活動に原因があること。二酸化炭素は無罪だよ。・・・それなのに・・・。
NHK NEWS WEB 2017/01/27
カーボンプライシング 本格導入に向けて検討へ
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170127/k10010855061000.html
(抜粋)
排出した二酸化炭素に価格をつけて、企業や家庭に排出量に応じたコストを負担してもらう「カーボンプライシング」と呼ばれる制度について議論する、初めての会合が開かれ、国内で本格的に導入するための課題について、今後、検討を進めることになりました。
(続きを読む)に全文
(ウワッ❢ すごく横にそれましたね。ほとんどビーンボールに近い。もとに戻します。)

気候変動から来る必然性は、特別取り上げられてないみたい。それから、第五章以降に関しては、もう世界が一体化しているから、日本史を世界史の中の“地域史”と位置づけて、そこから世界に関連させていくことができるよね。でも、特に、意識してそれを狙っているようでもないですね。

だから、古代から近代までを網羅した、日本史と世界史の“同時代史資料”としての役割を意識したものだろうと思う。それなら、そういうものとしての活用法もあると思う。

それから、各章の最初に“まとめ”があり、その“まとめ”の方向性にそって章ごとの、各項目が設定されている。だから、“まとめ”だけを抜き出して読んだだけで、古代から近代までの、世界史の流れと日本の状況がわかることになる。これはやってみました。簡潔で、いい内容でした。

それから、各章の最後には“人物比較”というコラムがあって、「清盛とサラディン」とか、「信長とフリードリヒ2世」とか・・・。これもけっこう面白いよ。




にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

『「日本書紀」の呪縛』 吉田一彦

【本と日本史】というシリーズが始まる。
《本のあり方から一つの時代の文化や社会を考え、その時代のものの考え方や世界観・価値観、さらには知の枠組みがどのようなものであったのかを考えてみようという企画》ということです。ん~、なんだか難しそう。ついていけるかな。

その第一巻が、この本。『「日本書紀」の呪縛』という題名。この間、日本書紀に関して書かれた本を読んだ。それによれば、シナの『漢書』や『後漢書』と同様、これは『日本書』であろうと言うことでした。『日本書』は“紀”だけが書かれて終わってしまったということでした。たしかにそうでしょうね。

シナの歴史書は、勝者の正統性の主張なんですね。それに似せて編纂された『日本書』も、当然そういった目的を持っていたはず。ただ、シナでは唐代以降、滅亡した王朝の歴史をあとの王朝が書くのが定着した。日本では、『日本書』を書いた王朝が、そのまま続いている。勝者が自ら歴史を書き、その王朝は、今もそのまま存在する。

具体的に言えば、『日本書』の編纂を始めたのは天武天皇である。天武天皇は、大海人皇子時代に壬申の乱で近江朝廷を敵に回して戦い、勝利を収めて天皇となる。近江王朝を主宰する弘文天皇は、天智天皇・中臣鎌足路線を継承していた。大海人皇子は、内乱の勝者となった。その正統性を主張するためにこそ、天武天皇は『日本書』の編纂を命じた。それは単に、壬申の乱の理由付けと言うだけではない。それは、神代から連綿と自分にまで続く支配の正統性の主張となる。

そんな『日本書』を、天武天皇は編纂しようとした。そして完成したのは、天武天皇のあとを継いだ持統天皇の時代。しかし、天武の妻として、我が子草壁皇子を皇位につかせるべく大津皇子を殺すことまでした持統天皇は、夫の思いを裏切った。それは中臣鎌足の子、不比等を重用していることでも明らかである。つまり、持統政権は、天武天皇を継承するように見えて、実は、天智天皇・中臣鎌足路線を継承していたのである。

『「日本書紀」の呪縛』っていう本だから、日本書紀以降の日本人は、持統天皇・中臣鎌足路線の正統性の主張に縛られて来たということになるね。

どんなだろ。亀甲縛り? 縛られちゃったの?




集英社新書  ¥ 821

歴史学の最前線から明らかにする「神話と歴史」の事実!
第一章  権威としての『日本書紀』
第二章  『日本書紀』の語る神話と歴史
第三章  『日本書紀』研究の歩み
第四章  天皇制度の成立
第五章  過去の歴史
第六章  書物の歴史、書物の戦い
第七章  国史と《反国史》《加国史》
第八章  『続日本紀』への期待、落胆と安堵
第九章  『日本書紀』の再解釈と偽書
第十章  『先代旧事本紀』と『古事記』
第十一章  真の聖徳太子伝をめぐる争い
第十二章  『日本霊異記』ー仏教という国際基準
終章  『日本書紀』の呪縛を越えて


梅原猛が『隠された十字架』を書いたのは、今から40年以上前だ。そのなかで梅原猛は、法隆寺は聖徳太子の怨霊を封じ込めるために建てられたと書いた。天智天皇・中臣鎌足路線に対する強烈な朝鮮である。にも関わらず、歴史学者の方々は、「それを確実に裏付ける文献が発見されない限り、推測の域に留まる」と退けた。

完全に、呪縛されてますよね。可哀想なほどに。

梅原猛の系列からは、様々な日本書紀研究が発展しているし、歴史学者の先生たちの研究は、それを後追いしているだけのように思えるような、倒錯した状況が日々甚だしくなっている。そのへんは大丈夫なんだろうか。心配になる。

それでも、神々の世界の中心に君臨するアマテラスは持統をモデルとし、その孫として葦原中津国を統治するニニギは、持統の孫の軽皇子をモデルとして造形された。それはそのまま、元明天皇と孫の首皇子に投影されている。そこまで書かれていれば、そうしたのは不比等なんだから、不比等の立場で、なぜそれが必要かということになるはず。

持統女帝に合わせて女神アマテラスが登場するなら、それまで伊勢神宮に祀られていたのは男神だったはず。非主流派の研究は、どんどん先へ行ってるのに、歴史学会の歩みはいかにもまどろっこしい。

それでも、歴史学会の先生方はお分かりなんだろうか。日本書紀に一番縛られてるのは、歴史学会の先生方なんだってこと。呪縛から抜け出せば、非主流派の研究と補完しあって、古代史研究は急激に進むことになると思うんだけど。まだ、縛られていたいんだろうか。もしもそんなに縛られるのがお好きなら、私が縛って差し上げてもいいんだけど。ちょっとだけ、前に実践してたことがありますので。




にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

朝鮮通信使(覚書)『日本に外交はなかった』 宮崎正弘・高山正之

そうだねぇ~。なにが良かったって、韓国人じゃなくてよかったな。最近の様子を見るに、・・・見るまでもなく、つくづくそう思うよ。そんなの、みんなおんなじか~。

今日は、朝鮮通信使について、覚書に残しておこうと思う。というのは、このこと、必ず近いうちに話題になる。なぜかというと、以下のような動きがあるから。
産経ニュース 2016/01/30
「朝鮮通信使」記憶遺産申請へ 日韓合同で2017年登録目指す
http://www.sankei.com/life/news/160130/lif1601300030-n1.html
(抜粋)
 江戸時代、朝鮮王朝が日本に送った外交使節「朝鮮通信使」の関連資料を、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に申請することが29日、正式に決まった。日本と韓国の民間団体がこの日、国境の島・長崎県対馬市で共同申請書に調印した。資料は外交文書、絵巻など日韓合わせ111件333点。3月に申請し、2017年の登録を目指す。

(続きを読む)に全文


初詣は、毎年、高麗神社に参ります。高句麗王若光をまつった神社です。周辺の開拓に帰化人が果たした役割は大きく、併合時代には政治にかかわる人々も、多く参拝しています。最近、朝鮮色を強めているのが気になるけどね。若光王は子孫がこの日本の国に溶け込んで、半島北方にいた頃以上に穏便に暮らしていけることを見守っているに違いないと思うのだが・・・。

さて、そんな私からしても、『朝鮮通信使』の世界記憶遺産登録ってのは、どうも、いかがなものかと考えてしまう。南京事件がすでに登録されているけど、シナは登録されているのに、登録されるべき資料を、いまだに明らかにしていないそうだ。資料がないのに、いったいユネスコはどうやって世界遺産にふさわしいと判断したのやら。

種明かしは簡単で、その時のユネスコの事務局長が、ブルガリア出身のイリナ・ボコバという女で、ブルガリア共産党の札付きの左翼。その年(平成27年)の9月に北京で開かれた抗日戦争勝利70年に出席して、天安門で習近平と一緒に写真を撮ってた女。たぶん、たくさんお金をもらったんだろうって、高山さんが言ってる。

それに、もともと資料なんかないのだ。シナが捏造したもの以外にはね。だけど、シナでもなければ、資料は表に出されるもの。人目に触れるもの。たしかに朝鮮通信使が両国の親善に果たした役割というのは、小さからぬものがあるよ。だけど、それだけを表に出すわけじゃあない。みんな表に出す。・・・こんなことも、あんなことも、み~んな。


『日本に外交はなかった』    宮崎正弘・高山正之

自由社  ¥ 1,080

二人のジャーナリストが語る、外交から見た日本の混迷
上 古代から明治維新
「日本に外交はなかった」という言葉
日本文化を花開かせた「遣唐使」廃止
足利義満の屈辱の外交
鎖国は賢明な外交政策
江戸の外交
研ぎ澄まされた聖徳太子の外交感覚
元寇に見せた北条時宗の外交
とんでもない朝鮮通信使
キリスト教排除
幕末に見る日本人の気概外交
下 明治維新から現代
ロバート・バウン号と榎本武揚
お雇い外国人エミール・ベルタン
外交官試験に通った堀口九萬一と白鳥敏夫
日英同盟と日露戦争
日米対立
真珠湾奇襲
アメリカのエージェントとなった外交官
ノンキャリアをいじめる外務省
慰安婦問題で朝日と共犯になった外務省
三島由紀夫が乗り移ったストークス
朝鮮問題で引きずり込まれた日清戦争
お雇い外国人ヘンリー・デニソン
三国干渉とドイツ
対華二十一箇条の要求
日米開戦
「最後通知」手交延滞
外交官試験廃止
教育主権を中国、韓国に手渡した
南京事件が世界遺産になった


通信使は、徳川幕府の発明品じゃなくて、すでに義満や義教の頃から来てたんだって。室町時代の通信使は聖宗の派遣した短期留学生のようなもので、灌漑用水車の作り方とか、メッキの仕方とか、紙の漉き方、染色の仕方と、いろいろなものを習いに来た。つまり、そういうことが、李氏朝鮮時代の半島ではできなくなってた。木を丸めて車輪を作ることもできなかったという。

高山さんは、そこで、《漢字かな混じり文》に接したことが、聖宗をして諺文づくりの発想につながったんじゃないかというけど、高麗時代に、半島にはモンゴルが入ってるからね。ハングル文字はパスパ文字に似てるっていうしね。でも、発想自体は、もしかしたらそうかもね。大概の技術は、日本の方が高かったんだよね。陶工だって、日本は粘土の山まで与えて、畑付きで待遇もよかった。絵付けの技術とかは日本が教えた。色がないからね。向こうには。向こうでは、技術者は大事にされてないからね。だからみんな仲間を呼んで、結局、帰らなかったんだよね。

徳川幕府の始めた朝鮮通信使は、秀吉時代の関係を改善し、貿易を再開しようというもの。あと、シナの王朝が行う“朝貢”ですね。琉球王朝の使節もやってこさせて、徳川将軍にあいさつする。

これは招待旅行で、ずいぶんお金がかかった。400人くらいがやって来て、全部、顎足つき。行く先々で、宿の食器から掛け軸でも、何でもかんでも持ってきちゃって、全部、幕府が払って回った。
本の中で高山さんが話題にしてた絵が右のもの。《朝鮮聘礼使淀城着来図》という絵で、京都市歴史資料館は、“盗んでいる”とは限らないって言ってるそうだけど、朝鮮人に棒で殴りかかってる日本人がいるからね。300px-Chosenjintsushinshi.png

朝鮮人は、みんな真っ白ね。洗いざらしの木綿服で、染色の技術がなかったそうだ。きれいな衣装の朝鮮通信使ってのは、みんなウソってことになる。大丈夫ですか。世界遺産登録を推進している人。きれいな服にすると、シナと一緒になっちゃうよ。

家宣の時代、新井白石が何の知的刺激もなく、1回100万両の浪費をやめるべく献策。なのに、老中の土井正直が継続を主張したらしい。ただし、接待は質素、宿屋には高価なものは隠すように指示して、経費を半分にした。

家斉の時代、松平忠信が、対馬で接待すればそれでいいってことにした。易地聘礼(えきちへいれい)っていうらしいけど、朝鮮側はぶーぶー言ったらしいが、1811年が最後の12回目で、これで終わったらしい。

心配だからもう一回いうけど、世界記憶遺産に登録すると、本当のことが全部明らかになるんだからね。隠したり、嘘ついたりすると、それこそ、「シナか、お前は・・・」って言われるんだからね。




にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

続きを読む

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

キリシタン禁制(覚書)『日本に外交はなかった』 宮崎正弘・高山正之

BBC NEWS JAPAN 2016/02/19
【米大統領選2016】「キリスト教徒ではない」 ローマ法王がトランプ氏発言を非難
http://www.bbc.com/japanese/35610162
(抜粋)
ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は18日、米大統領選に立候補しているドナルド・トランプ氏がメキシコとの国境に不法移民を防ぐ壁を建設すると発言していることについて、キリスト教徒らしくないと述べた。
(続きを読む)に全文
やりましたね。大統領就任を目前にして明言しておりました。「米墨国境に壁を作り、その費用をメキシコに請求する」と。さて、壁を作るだけじゃないんです。その費用をメキシコに請求するっていうんですから、なおのこと《キリスト教徒ではありません》よね、教皇様。“破門”ですよね。

《異例の発言》ということなら、ドナルド・トランプどころではない。フランシスコ1世は、そのドナルド・トランプを“破門”にするって言った。あるいは、ウソだったのか。

2013年9月、フランシスコ1世は、「教会は人々の実質的な生活条件を理解しなければならない」としながら同性愛者、離婚した人、中絶女性に慈悲を施すことを促す言及をした。それからほんのわずかの間に、同性愛は世界中で認知が広がっている。実際には、“同性愛”などという簡単なことではない。性的嗜好は千差万別だ。性にかかわる問題であるだけに、たいていの人間は口には出さずに世間と折り合いをつける。それを簡単に“同性愛”など、問題の矮小化も甚だしい。・・・まあ、いいや。今はそれを問題にしたいわけじゃない。

『日本に外交はなかった』    宮崎正弘・高山正之

自由社  ¥ 1,080

二人のジャーナリストが語る、外交から見た日本の混迷
上 古代から明治維新
「日本に外交はなかった」という言葉
日本文化を花開かせた「遣唐使」廃止
足利義満の屈辱の外交
鎖国は賢明な外交政策
江戸の外交
研ぎ澄まされた聖徳太子の外交感覚
元寇に見せた北条時宗の外交
とんでもない朝鮮通信使
キリスト教排除
幕末に見る日本人の気概外交
下 明治維新から現代
ロバート・バウン号と榎本武揚
お雇い外国人エミール・ベルタン
外交官試験に通った堀口九萬一と白鳥敏夫
日英同盟と日露戦争
日米対立
真珠湾奇襲
アメリカのエージェントとなった外交官
ノンキャリアをいじめる外務省
慰安婦問題で朝日と共犯になった外務省
三島由紀夫が乗り移ったストークス
朝鮮問題で引きずり込まれた日清戦争
お雇い外国人ヘンリー・デニソン
三国干渉とドイツ
対華二十一箇条の要求
日米開戦
「最後通知」手交延滞
外交官試験廃止
教育主権を中国、韓国に手渡した
南京事件が世界遺産になった

取り上げたいのは、この本でも紹介されている、イエズス会士たちの宣教とバテレン追放令の話。

あの頃、宣教師たちは、一般的に神仏を悪魔とみなし、仏像や神体を破壊すべき偶像と考えていた。キリシタンによる寺社の破壊、神仏に対する冒清の記事は、探せばいくらでも見つかるというし、イエズス会がそれらの行為を自分たちの布教成果として重視していたと考えられる。秀吉が、寺社破壊についてコエリョに詰問したところ、熱心な日本人信徒の自発的行動であり、宣教師が直接指導にあたってはいないと責任逃れをしているが、しかし、これらの行為は、イエズス会の意図であることは間違いない。オルガンティーノもヴァリニャーノあての書簡で、寺社の償却を強く希望している。

寺社勢力は、何といっても日本社会における一大勢力であった。その説くところは、戦国の混乱に惑う人々を救うのに十分ではなかった。戦国時代に、キリスト教の教えにすがろうとする日本人がいたのは、そんなところにも理由があるだろう。大名たちの中には、南蛮貿易の利を目当てに、キリシタン大名と呼ばれた者もいた。高山右近の信仰心がどうのこうのと問題にするつもりはない。その前に、まず、宣教師たちの、前述のような姿勢があったということだ。

このころのキリスト教は、“寛容”からは程遠い、対極に位置する宗教といっていい。イエズス会士も、その姿勢に揺るぎはない。スペインの軍事力に頼ることも、目的のためであれば、ためらわない。結果として、日本にその方法を取ることが効果的ではないと判断しただけの話だ。

教会領と称して日本を蚕食するわ、日本人を奴隷として売り飛ばす片棒は担ぐわで、イエズス会ってのは、日本にとって大変危険な組織だった。高山右近はそれが見抜けなかったか、そういった高い見地を持つことができなかっただけ。

「日本人を奴隷として売り飛ばすようなことはするな」、「宗教対立を持ち込むな」というのが、秀吉のバテレン追放令。高山右近は、秀吉のような危機感を持つことができなかった。・・・その高山右近が列福されるそうですね。
バチカン放送局 2016/01/22
高山右近福者に
http://ja.radiovaticana.va/news/2016/01/22/%E9%AB%98%E5%B1%B1%E5%8F%B3%E8%BF%91%E7%A6%8F%E8%80%85%E3%81%AB/1202930
(全文)
2016年1月21日、教皇フランシコは教皇庁列聖省長官アンジェロ・アマート枢機卿と会見し、同省から提出されていた11件の文書に承認のサインをされた。その中の1件は400年前の日本のキリシタン大名ユスト高山右近の殉教を承認するもので、これで日本カトリック教会の長年の悲願であったキリシタン大名、高山右近の列福に決定的な一歩がしるされた。
(続きを読む)に全文
高山右近の列福は、2月7日、大阪城ホールで行うそうです。もちろん主催は教皇庁。

《信仰の迫害》という側面だけを取り上げて高山右近を持ち上げるが、彼が日本にとって危険な存在であったことは間違いない。彼を危険な存在したのは、イエズス会であり、ローマ教会である。その視点を欠いて高山右近を持ち上げようとするなら、最近ローマ教会が盛んに使う“寛容”という言葉は、白人社会の中だけで通用するものという、そういうただし書きがついていることなのだろう。




にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

続きを読む

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

ありがとうございました



「《めんどくせぇことばかり》は、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。」
よくお越し下さいました

イーグルス16

Author:イーグルス16

息も絶え絶えです、ぜひ応援してください
人気ブログランキングへ にほんブログ村 政治ブログへ

「歴史修正主義」とは、戦前の日独をことさら評価する史観ではない。
米英両国の外交に過ちはなかったのか。
あったとすればそれは何だったのか。
それを真摯に探ろうとする歴史観だ。
英米独露の外交と内政を徹底検証し、二つの世界大戦が、実は「必要」も「理由」もない戦争だったことを明かす。
これから出る本










































当ブログ内人気図書 
















































カウンター
カテゴリ
ブロとも一覧
アジシオ次郎の時事原論
はりこのはやしや 
ハシビロコウ
素足のアイドル達
うさぎ屋の四方山話
わくわく株式投資
プロモデラー林哲平のジャンクロボット創作ブログ『ケルバーダイン』
京童ノ口ズサミ十分ノ一ヲモラスナリ
大好き!グラビアアイドル!
伊織のブログ
Re:BAD TASTE♥
QWERT 5w1h
「伝わる技術」オトデザイナーズ・坂本真一
歌と知恵でハッピーライフ^^
こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































検索フォーム
リンク
RSSリンクの表示
最新記事
応援して下さい