めんどくせぇことばかり 本 日本史
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浅間神社『一宮の秘密』 戸矢学

うちは埼玉県東松山市の高坂っていう地区なんだけど、台風19号で都幾川の堤防が決壊し、九十九川のもあふれて、多くの地域が水につかったことは、ブログでもご紹介した。

先日、床上まで被災したあたりを夜に車で走る機会があったんですが、あたり前のことながら真っ暗なことに愕然としてしまいました。この地域の人たちの生活が旧に復するのは、まだまだ長い時間がかかりそうだ。

さて、高坂って言う地区名なんですが、その名の通り高台にある。でも、高台にあるのは半分くらい。被災した地域は、やはり低い場所で、かつそういうところが豊かな田園地帯になっている。高台の一番端っこに神社があって、その神社が浅間神社と言う。

東日本大震災の時の津波でも、神社は津波の届かない場所にあったって話があった。すごいもんだなって思ったもんだ。だけど、今になると、あれはどんなもんだろうか。

確かにそういう神社もあったんだろう。だけど、あれだけ広範に被害があったわけだから、被災した神社もかなりの数になったはずだと思う。高坂の神社でもそうなんだ。被災したところもあったんだ。

この神社の場合は、そうだった。

そういうことで、いいんじゃないだろうか。「浅間神社には、水は来ませんでした」ってことでね。

秋になると、ここの銀杏の木には“ぎんなん”がなる。子どもの頃は、“ぎんなん”を拾って、しばらく自分ちの隅に埋めておいて、しばらくして掘り出すと、周りが腐ってるんだよね。それを川に持って行って、しばらく川にさらしておく。そうして“ぎんなん”をたき火で焼いて食うのが楽しかった。パンパン、パンパン爆ぜてね。あっ、これは私が生まれ育った秩父での話だけどね。

境内に行って“ぎんなん”が落ちてるのを見ると、ついつい拾いたくなるんだけど、それを食べられる状態にするのは、くさいし、なによりめんどうだしね。


『一宮の秘密』    戸矢学

方丈社  ¥ 2,035

最も古き神々の痕跡を残す「一宮」を訪ね、縄文から続く日本人の精神文化を探る
一章 畿内の神々
賀茂社  大神神社  枚岡神社  住吉大社
二章東海道の神々
真清田神社  富士山本宮浅間大社  浅間神社  寒川神社
氷川神社  安房神社・玉前神社  香取神宮・鹿嶋神宮
三章 東山道の神々
日吉大社・南宮大社(仲山金山彦神社)  諏訪大社
一之宮貫前神社(抜鉾神社)・二荒山神社(補陀落神社)
志波彦神社鹽竈神社・都々古別神社(八槻都々古別神社)
鳥海山尾大物忌神社
四章 北陸道の神々
白山比口神社・雄山神社 若狭彦神社・氣比神宮・氣多大社
五章山陰道の神々
出雲大神宮  籠神社  粟鹿神社・宇倍神社  出雲大社(杵築大社)
六章 山陽道の神々
伊和神社・中山神社  吉備津神社  厳島神社(伊都岐島神社)・住吉神社
七章南海道の神々
日前宮(名草宮)(日前神宮・國懸神宮)  大麻比古神社  
田村神社・大山祇神社・土佐神社
八章西海道の神々
宇佐神宮  鹿児島神宮  宮崎宮・高良大社  西寒多神社・阿蘇神社






うちの近所の浅間神社だけど、祭神が何という神様かって、日頃から気にかけてなかった。だめですね。

富士宮にある富士山本宮浅間大社の祭神は浅間大神(あさまのおおかみ)と絶世の美女で名高い木花佐久夜毘売命。どんだけ美人だったかって言うと天孫ニニギノミコトが降臨していきなり一目惚れするくらい。姉も一緒にどうぞって父親が言うのに、「お姉さんはいりません」って断っちゃうくらいの美人。

ニニギの子を生んだ木花佐久夜がどうして外に出されちゃったのか知りませんが、木花佐久夜毘売命は浅間大神を奉るための巫女神でしょうね。

・・

地元の神社のことも知らないなんてことではいけないと心を改め、今調べてきた。祭神は、やはり木花佐久夜毘売命だった。やはり浅間神社を名乗る以上そういうことなんだな。でも、浅間大神の名はない。

ご利益は、安産祈願、子育大願、容姿端麗、火防守護 他とあった。

安産祈願は、産屋に火をつけさせて、海彦、山彦を生んだくらいですから、これは効き目がありそうです。子育大願は、どうなんでしょう。子育ての話は聞いたことがありません。容姿端麗は間違いのないところでしょう。さて、火防守護が問題です。

自分の貞操を立証するためとはいえ、自ら火付けに走ってしまうような、カッとなったら何をしでかすかしれないような勝ち気な女です。だけど、浅間大神に仕える巫女神としては美貌はもちろん、そのくらいの気の強さもまた必要なのかもしれません。それもあちこちに浅間神社を配置して木花佐久夜を祀り、束んなって押さえにかかんないと抑えきれないくらいに浅間大神は偉大な神って事なんじゃないんだろうか。

だから、ニニギの子を産んだ
木花佐久夜毘売命を外に出してまで押さえにかかったと・・・。

浅間山って山があって、富士山と同じ火山で、だけど浅間神社の浅間は富士山のことだという。これ、実は分かってなかったんです。「“せんげん”って読む場合は富士山で、“あさま”と読むと浅間山なんかな」って程度の理解でね。

“あさま”は火山の古語だそうです。だから長野と群馬にまたがる浅間山も激しい火山活動からそう呼ばれるようになったんだそうだ。九州の阿蘇もそうで、これに関しては阿蘇の方が先らしい。かつては富士山よりも高かったと思われる阿蘇が噴火で吹き飛んだのは9万年前で、富士山が今の姿になったのは1万年前。

それゆえに“あそ”は火山の代名詞になって、“あそ+やま”→“あさま”になったというのだ。

うちの近所の浅間神社は古墳の上に立てられている。ここは古墳の多い場所。同じく古墳の多い行田から東松山を結ぶと、その延長線上に富士山が見える。





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『神霊の国日本』 井沢元彦

悔しいなあ。

「日本がアメリカに負けるのは当然なのである」なんて言われちゃあなぁ。でも、しかたがないなぁ。たしかにその通りだもんなぁ。

日本には、言霊信仰があります。言葉は神聖なものであり、言葉には力があるという考えです。口に出したことは現実化するという意識が、頭で考えていなくても、どこかにあるんです。そのため次のようなことが起こります。四個大体なければ戦えないところに三個大体しかないにもかかわらず、帳簿には四個大体として足りない分は「欠一」と呼んで、存在しないことを明らかにしないんです。

これを評論家の山本七平さんは員数主義といったそうです。帳簿の上で数があっていれば、その数が存在することにしてしまうんです。それを追求されると、精神主義を持ち出すわけです。4対3なんですから、最初から勝てるはずがないのに、それで戦争をしてしまうんです。

しかも、その言霊信仰に加えて、怨霊信仰があります。

大東亜戦争においては、戦没者を“英霊”と呼んでいます。井沢さんは、この“英霊”を、怨霊の候補と言っています。昭和16(1941)年、アメリカが提示した日米交渉の覚書「ハル・ノート」では、日本は“中国”から一切手を引くことを要求してきました。“今”ではなく、“当時”を基準にすれば、これは非常識な要求でした。米大統領FDRにも、この「ハル・ノート」で、日本を対米戦争に踏み切らせようという意図があったのは、まず間違いありません。

FDRは、あまりにも大きな譲歩を日本に求めることで、日本を追い込もうとしたんでしょう。しかし、日本が対米戦争を覚悟したのは、迫られた譲歩の多少によるものではありませんでした。たしかに、日本は当時、“中国”に抜き差しならない権益を持っていました。・・・もちろんそれが関係するんですが、その“多少”そのものではないということです。

それらの権益は、当時で言えば、戦争を含む正当な国際関係の中で日本が手に入れたもので、そのために日本は多くの兵を失っていました。それを放棄することは、それら戦没者の犠牲を無にすることになります。戦没者の霊は怨霊となり、災いをもたらすことになります。

かつて国のために死んだ人たちを勝手に見捨てるのは、日本人の考えからすれば、一番やってはならないことです。英霊が怨霊になってしまうからです。

日本においては、人間は死んでも無にならないんです。


秀和システム  ¥ 1,540

令和の時代にあらためて読みたい。日本人の行動原理を歴史に学ぶ
第1章 日本人と神と霊
第2章 日本人と独裁者
第3章 日本人と英雄と名将


「死んで護国の鬼になる」と言って、本当に死んでいった人たちがいたわけです。せっかく護国の鬼になってもらったって言うのに、その人を裏切れますか?

楠木正成は、足利尊氏に追い詰められて自刃するに当たり、「何度でも生まれ変わって国のために尽くす」と言い残したと言います。「七生報国」って言葉がそうですね。そう書いた鉢巻を頭に巻いて、特攻隊として突っ込んでいった兵もいたわけです。

怨霊信仰が朱子学の大義名分論に補強されてしまってますね。

元寇が神風によって打ち払われたという伝説は、そうして死んでいった者たちの霊によって日本は守られているという考えと相まって、《神風特別攻撃隊》を生み出していくわけです。

たしかに、そんな考えを持ってたら、アメリカに負けますよね。明治維新から日露戦争までは、その考えを封印して富国強兵に邁進した日本でした。そういう時代もあったんです。ただ、それで油断したら、もともとの日本人を隠しきれなくなっちゃったんですね。

まったく、日本人はやっかいな信仰心を持っているもんです。

だけど、日本人の信仰心は、相手を許せない、他宗教の神の存在を認められない一神教が多数を占め、争い合う世界に、矛を収めさせるヒントを提示できるかも知れないと、井沢さんは書いています。

「天皇制を含む多神教を受け入れる日本のフレキシブルな思想需要構造は、もっと評価されていいし、特有の文化としてあぴーるしていい」って。

先日の天皇の即位正殿の儀における今上陛下のお言葉も、十分そんなヒントを提示しているように、私には思えたんですけどね。





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日本人と霊『神霊の国日本』 井沢元彦

「ある言葉を口にすると、その言葉の持つ霊力が刺激されて、その言葉通りのことが現実化する」

これが言霊信仰の、基本的な理念です。起源は計り知れないようです。万葉の宮廷詩人、柿本人麻呂は、日本は「言挙げせぬ国」、つまり、みだりに言葉を使ってはいけない国という意味ですね。軽々しく口にした言葉は、良かれ悪しかれ現実化してしまうからです。“良かれ”であるならばいいのですが。

この本では、大東亜戦争においても、この言霊信仰が大きく影響をしていると書いています。日本が戦争に負けるという言葉を口に出すと、それはどんな動機からの言葉であっても非国民の敗戦主義者にされてしまうということです。

連合艦隊司令長官の山本五十六が、「アメリカとの長期戦は絶対ダメだからやめろ」と言ったのは愛国心からであったが、それでも彼は、非国民だと命まで付け狙われる始末でした。山本五十六の主導した真珠湾攻撃とその後の戦争指導は、それこそ日本を敗戦に追い込んだと思いますが、「長期戦になればアメリカに負ける」という判断は、言霊に囚われない冷静なものだったと思います。それでは当然、最悪の事態を想定することはできませんね。

さらに日本人は穢を嫌います。古代においては、天皇でさえも武器を持って戦ったものの、支配が安定すると皇族は、さらに貴族たちも武器を捨ててしまいます。戦わなければならない時はどうするかと言うと、自分たちが蔑んでいる武士にそれを任せてしまうのも、“死の穢”、“血の穢”を遠ざけるためですね。・・・なんだか穢ってのは、現代人にとっての放射能みたい。

日本史上未曾有の危機と言われる元寇を撃退することができたのは、ひとえに鎌倉武士の健闘のおかげです。ところが朝廷はそれを認めず、亀山天皇が筥崎宮に奉納した《敵国降伏》の御宸筆にかけた願いに神が応え、風を吹かせたことで日本は守られたと、これを公式の見解としました。「大丈夫、現代の日本人には憲法9条があるから」ってところでしょうか。

明治以来、欧米列強の圧力に力をつけて対抗するしかないと、現実的な対応をした日本でしたが、アメリカとの戦争に苦しんで《神風特攻隊》なんてものを編成してしまいます。「お前ら、死んでこい」では、武士を卑下した貴族たち以下です。



秀和システム  ¥ 1,540

令和の時代にあらためて読みたい。日本人の行動原理を歴史に学ぶ
第1章 日本人と神と霊
第2章 日本人と独裁者
第3章 日本人と英雄と名将


「テクマクマヤコンテクマクマヤコン看護婦さんになーれー」と言って看護婦さんになっちゃうのはひみつのアッコちゃん。アッコちゃんが「ラミパスラミパス ルルルルル」と唱えると、もとに戻ります。「テクマクマヤコン」は「テクニカル・マジック・マイ・コンパクト」を略したものだとか。「ラミパス」は「スーパーミラー」の逆さ言葉。だけど大事なのは、「看護婦さんになーれー」なんですね。言葉にしたことが現実化するんです。

言ったことが現実化するってのは、ひみつのアッコちゃんにも反映されていたんでしょうか。こういうのを呪文っていいますが、日本人にとっては、日頃使っている言葉自体が呪文ってことになるでしょうか。

同じ時期に魔法を使っていたのが、魔法使いサリー。サリーの呪文はマハリクマハリタヤンバラヤンヤンヤン。実はこれ、魔法使いサリーのテーマ曲を作曲した小林亜星さんが生みの親なんだそうです。

もともとがスキャットの好きな方で、テーマ曲の作曲の最中に、導かれるように降ってきた魔法のフレーズなんだそうです。こりゃすごい。さらにすごいことに亜生さん、《暮らし安心クラシアン》とか、《あなたとコンビにファミリーマート》なんて呪文を生み出して、言葉にしたことを現実化させているんだそうです。

呪文の中の呪文と言えば、アブラカタブラ。2世紀のローマ皇帝カラカラ時代の医師にサンモニクスの残した書物が、このアブラカタブラが現れる最古の資料だそうです。サンモニクスは、この言葉が三角形に書かれた御札を、病気から身を守るお守りのように使っていたそうです。由緒の正しい呪文ですね。ただその先の由来はいまいちはっきりしないそうです。

一説には、これはアラム語で、その意味は「私は言葉のごとく物事を為せる」とするものがあります。また一説には、これはヘブライ語で、その意味は「私が話すように物事が創造する」とするものがあります。どちらも、《言葉にしたことは現実化する》に通じないでしょうか。

言霊信仰という、まさに地域限定のガラパゴス的信仰形態でありますが、古代においては人類普遍のグローバルなものの考え方だったのかも。・・・あるいは、言葉を現実化する強さを、もしかしたら古代人たちは持っていたのかも。




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『古墳解読』 武光誠

私の住む東松山は、古墳がたくさんあるところです。

家からちょっと行ったところに、野本将軍塚古墳というのがあります。前方後円墳です。墳丘の長さが115m、高さは後円部で15mあります。大きな古墳でしょ。

埼玉では、行田のさきたま古墳群が有名です。あそこは稲荷山古墳から金錯銘の入った鉄剣がでてますからね。だけど、あっちは5世紀後半なんですよ。それまでは、行田の、あの地域には目立った古墳は登場しないんですね。

3世紀前半にヤマト政権の成立を表すと思われる纏向石塚古墳が登場します。それから、それほど時間を置かない3世紀後半、現在の埼玉県域で最も早く古墳が作られるようになったのは、この東松山市を含む比企地区なんです。

さっき紹介した野本将軍塚古墳は4世紀の築造なんですが、都幾川を挟んで反対側にある高坂8号墳はそれよりも古いとされている前方後円墳です。区画整理で墳丘はないんですが、ここからは三角縁神獣鏡が発見されています。

近年、様々な科学的手法を駆使した新たな考古学的発見を通じて、古代史に関する興味深い事実が明らかにされつつあるんだそうです。それこそ、有力な古墳の発掘調査が行われるたびに、日本の古代史像が修正されるほどなんだそうです。

建国の時期の様子を伝えるなにがしかは、きっとあったと思うんです。しかし、日本古代史の勝者である藤原氏が、勝者の権限として『日本書紀』というこの国の正史を書き残したわけです。建国の時期の様子を伝えるなにがしかは、藤原氏の目についた限り、すべて失われたに違いありません。


『古墳解読』    武光誠

河出書房新社  ¥ 858

古墳を知れば、伝説上の皇室の先祖にあたる大王や王族たちの姿が浮かび上がってくる
一章  そもそも古墳とは何か、どのように誕生したのか
二章  大和朝廷の勢力拡大と前方後円墳の広がり
三章  朝鮮諸国との外交が「古市古墳群」をつくらせた
四章  古市古墳群とは別に「百舌鳥古墳群」を営んだのは誰か
五章  七世紀末、なぜ古墳は築かれなくなったのか


だから、日本は古代から現代に至るまで一つの民族、一つの言語、一つの文化が受け継がれてきているにもかかわらず、その国の起こりがわけの分からない神話の中に埋没してしまっているのです。

この本の著者、武光誠さんが四章に《古市古墳群とは別に「百舌鳥古墳群」を営んだのは誰か》という章を置いています。百舌鳥古墳群の古墳は巨大古墳で、いずれも大阪湾に面した台地に作られた、いかにも“見せるための古墳”と著者は言っています。一体誰に見せようとしたのか。それは、この時代の大王たちが盛んに使者を送った南朝の宋から訪れる外交官たちに。

百舌鳥古墳群の時代の大王たちは、『宋書倭国伝』に“倭の五王”と呼ばれる者たちだったろうということなんです。例の、“讃・珍・済・興・武”のことですね。武満さんは、この“讃・珍・済・興・武”が誰であるか、それぞれがどの巨大古墳に葬られたのかを、ほぼ特定しています。

ただしその中で、古墳から推測されることと『宋書倭国伝』の内容は一致するが、この二つと『日本書紀』に書かれていることは符合しないそうです。そう考えると、やはり藤原氏はヤマト建国に関わるなにがしかを隠さなければならなかったんでしょう。

そんな事をするから、日本人は古くから、自分の国の起こりを知ることができませんでした。それが最近、いろいろな人の努力の積み重ねで、少しずつ明らかになりつつあるんですね。ありがたい話です。だけど、私が死ぬまでに、その全貌が明らかにされるかな。自分じゃどうにもできないので、武光さんのような方々に、頑張ってもらいたいな。

吉備の最有力氏族だった物部氏が、纏向におけるヤマト政権の旗揚げに強く関わったというのは、やはり間違いないようですね。ただ、纏向という新たな土地の首長は、吉備を出てきた自分と吉備にとどまった首長たちとを区別するために、吉備時代の墳丘墓に手を加えて前方後円墳という新たな首長墓としたと、武光さんは言います。

ただ、その旗揚げに、いろいろな地域の人々が集まっています。いろいろな地域から人が集まっていることが、そこから出土する土器の種類で分かってるんですね。ヤマト以外の地域の土器の割合は、東海四九%、山陰・北陸一七%、河内一〇%、吉備七%、関東五%、近江五%、西部瀬戸内三%、播磨三%、紀伊一%だそうです。

物部氏が主導的な役割を果たしたのは間違いないでしょうが、この土器のことなどを考えると、武光さんの説はまだまだ説得力にかける気がします。




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『仕組まれた古代の真実』 関裕二

徳島の親戚から、今年もまた、すだちと鳴門金時を送ってもらいました。

すだちはとりあえず晩酌の焼酎に浮かべて、鳴門金時は、連れ合いが炊飯器で蒸している途中です。どうやら炊飯器で時間をかけて蒸すと、ねっとりとしたふかし芋に仕上がるらしいんです。以前は、さつまいもとかぼちゃは、食い物の種類に入れていなかった私ですが、歳のせいでずいぶん変わりました。美味しくいただきたいと思います。

それからあとは、あれだな。干し芋にしてもらうんです。これは山で食べるのにとてもいい。そんなこと考えてると、早く山に行きたいな。六日の日曜日が地区の体育祭で、これが終わってから、最初の天気のいい日に出かけよう。干し芋を持って。

一万年を超える縄文は、一人突出せず、他者に手を差し伸べることを、この列島に生きる人々に染み込ませてきたんだろうと思います。“日本人の特殊性”に否定的な反応をする人もいますが、昨今の自然災害への対応を見ても、この列島に生きていくなら持ち合わせていなくてはならないものが、やはりあるんだと思います。

ただ一人藤原氏だけが、それを持ち合わせていないかのようです。突出することを望むべきではない、手を差し伸べねばならないという思いから、唯一藤原氏だけが自由であるかのようなのです。

三世紀の後半にヤマトが成立したのなら、蘇我氏が実験を握った六世紀後半は、まさにヤマト建国以来の大改革に着手しようとしていたわけです。優秀な若者たちを隋に派遣して律令体制の何たるかを学ばせ、ただそのまま焼き写すのではなく取捨選択し、自分たちの大切な社会を壊さないように取り計らって導入しようという試みは、千年以上後の明治維新の試みに似ています。

戦乱の果に勝ち残り、大権を持って律令体制を敷いた隋ならいざしらず、平和裏に律令制を導入しようという試みは至難の業だったでしょう。律令制の根幹は公地公民制にあるわけですから。ヤマト建国以来の有力豪族も、地方豪族も、その土地を国家に差し出さなければならないわけですから。有力であればあるほど、多くのものを国に奪われるわけですから。

反対するものの声は、とてつもなく大きなものだったに違いありません。それでも、なんとしてもこの改革を成し遂げなければならなかったなら、当時の為政者の苦労は大変なものだったでしょう。

律令制の導入を進めていたのが蘇我入鹿で、中大兄皇子をそそのかして、蘇我入鹿を殺させたのが中臣鎌足であったことは、まず間違いありません。こんなことがまかり通ってしまったのは、これまで通り自分たち一族の土地を保全できることに胸をなでおろす思いだった豪族が少なくなかったからでしょう。 

そんな時に、唯一、あの一族だけは、自分たち一族のことだけを考えていました。律令制導入に関わって様々な思惑が渦巻く中で、その思惑を操って人を踊らせることに異様に長けたあの一族は、ここを好機と古くからの有力豪族の力を奪っていきます。



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日本史、特に古代に真実を知らずにいる日本人は不幸である
第1章 古墳から読み解く古代の真実―前方後円墳とヤマト建国の謎
第2章 縄文から読み解く古代の真実―縄文人と現代人はつながっていた!
第3章 天皇から読み解く古代の真実―天皇と縄文の海人との意外な関係
第4章 女性から読み解く古代の真実―古代は女性が牛耳っていた!
第5章 記紀から読み解く古代の真実―『古事記』と『日本書紀』、そして『万葉集』の秘密
第6章 神社から読み解く古代の真実―神社と豪族はどう関わっていたか
第7章 事件から読み解く古代の真実―事件はこうして歴史をつくった


藤原不比等が実権を握って以降は、律令の意義そのものが変わります。古くからの有力豪族は、結局、国にすべての土地を差し出すことになりました。今度は、その土地を時間をかけて、藤原氏が自分のものにしていったわけです。律令とは、藤原氏による、藤原氏の、藤原氏のための制度になったのです。

「敗れ去った者は歴史を残すことはできない」

これは鉄則です。一人勝ちした藤原氏が、自分を正当化する歴史を残したのです。そんな藤原氏を、なんとか政治の場から排除したと思ったからこそ、称徳はその位を道鏡に譲りたいと考えたのでしょう。

関裕二さんの本は、ずっと追いかけてますけど、この本は凄まじく分かりやすい。

《「ヨコ+タテ読み」せず、「タテ読み」のみで古代史を解説》っていうところに味噌があるみたいです。日本の古代史は本当に謎めいていますから、それを様々なテーマをフォロー(=ヨコ読み)しつつ、時系列で順に学習(=タテ読み)していく方法を捨てたわけですか、今回は。

その上で、これだけは抑えておきたい重要テーマを七つに絞り、そのテーマだけを順を追って解読(=タテ読みのみ)していく方法にしたんだそうです。

たしかに、私はその能書きに触れる前に、「今度の本は今までになく分かりやすい」と感じました。私はそれを、今まで数多く本を出して、いろいろな方面から真実に迫ってきた結果、いよいよご本人が、自分のたどり着いた真実に確信を持ったからじゃないかなって考えていました。その確信には、考古学の発見が大きく寄与しているので、それもご本人には力強いところでしょう。




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前方後円墳『仕組まれた古代の真実』 関裕二

考古学により確かめられたことで言うなら、三世紀後半、現在の奈良県桜井市、三輪山麓の纏向に前方後円墳の箸墓古墳が作られました。四世紀になると前方後円墳は各地に伝播し、埋葬文化を共有する緩やかなつながりの連合体が出現しました。

これが、ヤマト建国であったようです。

“前方後円墳はヤマト建国のシンボル”と著者の関裕二さんは言ってます。ヤマトという緩やかなつながりの連合体に連なるものは、前方後円墳に首長を葬るという方法を取ることで、その証としたということのようです。

当時、移動の際、人は食器を携えて行ったそうです。食器は土器です。時には地域による特徴があって、纏向に、どこから人が集まってきたか分かるそうです。この間読んだ関さんの本の紹介でも書きました。

纏向にもたらされた外来土器の内訳は、東海四九%、山陰・北陸一七%、河内一〇%、吉備七%、関東五%、近江五%、西部瀬戸内三%、播磨三%、紀伊一%だそうです。東海と関東で過半数を超えます。東国は、ヤマト建国に強く関わっていたんですね。

さらに、纏向には九州の土器がほとんどないんだそうです。つまり、九州はヤマト建国に関わっていない。そうなると、日本書紀に書かれた「初代神武天皇は、九州からヤマトにやってきた」という神武東征の話は、一体どうなるんでしょう。



辰巳出版  ¥ 1,188

日本史、特に古代に真実を知らずにいる日本人は不幸である
第1章 古墳から読み解く古代の真実―前方後円墳とヤマト建国の謎
第2章 縄文から読み解く古代の真実―縄文人と現代人はつながっていた!
第3章 天皇から読み解く古代の真実―天皇と縄文の海人との意外な関係
第4章 女性から読み解く古代の真実―古代は女性が牛耳っていた!
第5章 記紀から読み解く古代の真実―『古事記』と『日本書紀』、そして『万葉集』の秘密
第6章 神社から読み解く古代の真実―神社と豪族はどう関わっていたか
第7章 事件から読み解く古代の真実―事件はこうして歴史をつくった

前方後円墳というのは、お墓なんですからそんなはずないんですが、どこかふざけた形してませんか。

誰でも思うのは、鍵穴の形ですね。でも、最初にその形ありきじゃなくて、原型は円墳だったそうです。その周りに溝を掘ってあちらの世界とこちらの世界を分けました。さらに、円墳部分に葬られた被葬者を参拝するために、溝を越える通路を作り、この通路が前方後円墳の“前方部”に発展したということのようです。

さらにそこには、各地の埋葬文化が寄せ詰められているんだそうです。墳丘上に並べられる特殊器台形土器は吉備から、墳丘をおおう葺石は出雲の四隅突出型墳丘墓から、古墳周りの周濠は近畿の方形周溝墓からというふうに。そう考えると、まさに前方後円墳は緩やかな連合体として成立したヤマト政権のシンボルということになりそうです。

土器で纏向に足跡を残した地域は、銅鐸文化圏に重なります。一方、一部地域を共有して西側に広がるのが銅矛文化圏です。銅鐸文化は、ほぼヤマト政権が成立したと思われる頃に突然消滅し、それに替わって前方後円墳が登場します。

これを、西の銅矛文化の一部が東征して銅鐸文化を滅ぼし、前方後円墳による祭祀を始めたという説があります。北九州が朝鮮半島南部で取れる鉄を独占して発展していたことを考えれば、うなずけないでもありません。

しかし、土器による足跡は、明らかにそれを否定しています。逆に、東の土器が北部九州にどんどん流れ込んでいたこと、考古学の発見によって証明されているんだそうです。

どうやら、北九州が独占したかに見えた鉄が、独自の航路を開拓した但馬、丹波によって近江、そこから近畿、東国に流され、銅鐸文化圏を勢いづけ、纏向への集結につながったようです。彼らは結束を示すために前方後円墳という新たな祭祀を始め、それまでの銅鐸による祭祀を捨てます。そして、軍を西に進めて吸収に圧力をかけたのです。

繁栄を誇った北九州が危機を迎えます。ヤマトが大きな脅威となった頃、北九州は外構に活路を見出そうと、朝鮮半島に進出してきたばかりの魏に朝貢の使者を送ったのです。

しかし、それでも、ちょうど三世紀後半から四世紀にかけて、北九州でも前方後円墳が作られていったそうです。

卑弥呼の邪馬台国、神武東征の真実、日本書紀編集の最終責任者は、一体何を隠そうとしていたんでしょう。




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『地名は語る 埼玉の歴史と伝承』 埼玉新聞特別編集委員室

秩父という地名にはいろいろな説があるんだそうです。

鍾乳洞説は鍾乳石が乳房のように垂れ下がっている「ちちいし」から。イチョウ説は、秩父に多いイチョウは古語で「ちちのき」と呼んだことから。織物説は、秩父は織物が盛んで、「布が千々ある」から千々布。連峰説は、たくさんの峰々が千々に連なっていることから千々峯。アイヌ語説は、きれいな水が湧き出しているという意味。魚説は、「ちちぶ」という川魚(ハゼの仲間)がたくさんいた。

やはり、いずれもピンときませんね。

秩父市文化財保護委員の千嶋壽さんの見解がこの本にあるんですが、それがとても興味深いんです。ある意味ではなんの問題にもなっていませんが、完全に的を射抜いているように思うんです。千嶋さんは以下のように言ってらっしゃいます。

『「秩父」という言葉、地名は、今は「武甲山」と呼ばれている、この山を指している地名ではないか』

それは千嶋さんが、秩父の歴史や地理、文化、祭りなどを研究してきて、そう感じたということのようです。札所二三番は音楽寺というお寺です。その近くにある展望台からは秩父盆地が一望できるんですが、そこから見ると武甲山あっての秩父ということがわかると言うんです。

『この山以外に、ここの地名を発生させる理由はない』

こう言われちゃあ、秩父人としては逆らう理由はなにもありません。

ちなみに二三番の音楽寺。秩父事件のとき、一揆勢はこの寺の鐘の乱打を合図に大宮郷と呼ばれた秩父盆地になだれ込んでいった場所です。また、その名前から、歌手の方がヒット祈願に行くそうです。

音楽寺は荒川の左岸にあります。荒川に沿って長尾根と呼ばれる丘陵地帯が続くんですが、音楽寺から荒川左岸を三キロほどさかのぼったところに札所二四番法泉寺があります。長い石段の上に寺があるんですが、高校生の頃、秩高山岳部の練習場所で、ここまで走ってきて、この石段でね。・・・いろいろと激しいことをやってね。今思うと、ゾッとしますね。


『地名は語る 埼玉の歴史と伝承』    埼玉新聞特別編集委員室

埼玉新聞社  ¥ 972

「地名は歴史であり、地域の文化財である」 地名を知れば、見えてきます。
第一部 秩父地域以外一八町
鳩山町 神川町 吉見町 美里町 毛呂山町 越生町 伊奈町 
小川町 川島町 上里町 松伏町 杉戸町 宮代町 嵐山町 
寄居町 ときがわ町 滑川町 三芳町
第二部 秩父地域
秩父の由来 地形・地質と地名 小鹿野町 長瀞町 横瀬町 
東秩父村 旧秩父市 旧吉田街 旧荒川村 旧大滝村
第三部 さいたま市
浦和区 緑区 南区 桜区 大宮区 北区 西区 見沼区 中央区 岩槻区


この本は、埼玉新聞地域面に連載されている『地名は語る 埼玉の歴史と伝承』という人気コラムをまとめたものだそうです。

だけど、第一部は〈秩父以外の一八町〉、第二部は〈秩父地域〉、第三部は〈さいたま市〉じゃ、それ以外の三八市が頭にきちゃいますよね。大丈夫。この本にまとめられた分は、二〇一五年から二〇一六年までに掲載された分で、それ以外の三八市分に関しては、すでに二〇一八年から連載が始まっているそうです。だったら、そろそろその連載も終わって、そこから一年後ぐらいには一冊にまとめられることになるんじゃないでしょうか。

編集委員は五名で編成されていて、各地区の市史、町史編纂室や教育委員会、図書館長や資料館長といった地元の専門家や地元の資料に取材して書かれています。

かつ、たんに地名の由来だけでなく、その歴史性や伝統も同時に書かれているので、内容に厚みがあるような気がします。一例が、最初に上げた秩父のケースです。地名の由来は解明されていませんが、秩父人に共通するであろう思いは明らかにされています。

川島町は元は五四村あったそうです。それが明治の大合併で川越編入の七村を除いて四七村が六村に、さらに昭和二九年に六村が合併して川島村、のちに町制施行で川島町になったそうです。こんな大きな大改革を混乱なく成し遂げた背景には、四方を川に囲まれ、堤防で守られているという一体感があってのことだったそうです。川島の旧家には、家の中に船がくくりつけられているうちがあるそうです。堤が切れて、何度もつらい思いをしてきたんでしょうね。

ね。こういう風に、そこに住む人々の気質や風土が説明されていると、内容そのものに厚みが増すように思えます。

その地域を知るためには、字が重要なんだそうです。合併だの、開発だので、古い地名がやすやすとかっこいい地名に変えられてますけど、なかには字になって残されるケースもあるみたいです。

私の生まれた家は、大字下影森字田の沢小字藪といいます。なんだかジメジメしてて、蚊がいっぱいいそうでしょ。





テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『台与の正体』 関裕二

纒向遺跡の発掘が進んで、ヤマト建国が渡来系の征服王によってなされたものでないことが明らかにされてきました。各地域の首長がヤマトに集まり、そこから緩やかな連合体が生まれていったもののようです。そこにおいては、東日本の勢力が大きな役割を果たしていたことも明らかにされつつあります。

弥生時代後期の日本列島は戦乱の時代で、まさに“倭国大乱”。しだいに地域ごとに集約された勢力が、中でも鉄の流通を巡って争っていたはずです。ところが三世紀初頭に、纏向に各地の人々が集まります。食事のために持ち歩いた土器の種類から、様々な地域の人たちが集まってきたことが分かります。

様々な地域の埋葬文化を取り入れた前方後円墳が出現し、四世紀になると、ヤマトに生まれた前方後円墳という祭祀の形態を、様々な地域の首長が受け入れていったことが分かります。

しかし、纏向は邪馬台国ではありません。《魏志倭人伝》に書かれた“城柵”が纏向にはありません。さらに“邪馬台国は狗奴国と争った”と書かれていますが、纏向に戦争の痕跡はありません。

つまり、多くの地域の人々の纏向への集結はヤマト政権の誕生であっても、それは邪馬台国ではないということでしょう。

上述した、纏向で発見されている様々な地域の土器を、割合の多い順に示すと、東海系、北陸・山陰系、河内系、吉備系、近江系、関東系、播磨系、西部瀬戸内海系、紀伊系となるそうです。なかでも東海系は四九%と突出しているそうです。さらに関東系が五%、近江系が五%で、畿内よりも東国で五九%になります。

ヤマト政権の成立に、東国が重要な役割を果たしのは間違いないでしょう。


河出書房新社  ¥ 1,728

卑弥呼をついだという台与に着目し、歴史作家・関裕二が古代史最大の謎に迫る!
第1章 台与と邪馬台国と神功皇后
第2章 ヤマト建国と近江
第3章 ヤマト建国の真相
第4章 神功皇后と近江
第5章 神功皇后と台与の正体


しかし、日本書紀は、ヤマト建国に関わる東国の役割を、まったく書いていません。日本書紀が書いているのは、出雲の国譲り神話。その後、天孫ニニギは日向に天下りし、その曾孫に当たる神武天皇が東征し、ニギハヤヒから譲られてヤマトに入っています。出てくるのは高天原という架空の場所、出雲、日向、ヤマトの四ヶ所です。東国、中でも東海の勢力は完全に無視されています。この東海の勢力こそ、古代豪族の尾張氏だと関さんは言ってます。

尾張氏と言えば、ヤマトタケルは尾張でミヤズヒメと結ばれます。草薙の剣をミヤズヒメに預けたヤマトタケルがそのまま亡くなったため、草薙の剣をは今でも熱田神宮に祀られています。

出雲の国譲りの前、出雲の神の大物主は三輪山に祀られていますから、出雲はヤマト建国よりも前にヤマトに入ってるんです。その後、天上界からニギハヤヒがヤマトに舞い降りています。ニギハヤヒは物部氏の祖で、物部氏が拠点を構えた場所から吉備系の土器が出土していることから、物部氏は吉備からやってきた勢力のようです。

物部氏は“モノ”に対する仕事をする氏族ですから、ヤマト朝廷における祭祀形態を整えた氏族で、政権の中枢にあったはずです。前方後円墳の原型は、吉備の楯築弥生墳丘墓にあるそうです。

出雲神話で、国譲りを強要するために、最後に送り込まれたのが経津主命と武甕槌神です。経津主命は物部系、武甕槌神は尾張系の神と言われるそうです。たしかに、経津主命と武甕槌神といえば、千葉県の香取神宮、茨城県の鹿島神宮の祭神。まさに東国の神ですね。ということは、ヤマトまで手中にしていた出雲に対して国譲りを迫ったのは、物部と尾張ということになるんでしょうか。

ヤマト建国に関わる物部と尾張というあまりにも大きすぎる存在をなかったことにするために、高天原というわけの分からない架空の場所が想定されたというわけですか。

誰がって、藤原不比等がです。

あまつさえ成り上がりの藤原氏は、藤原氏の氏神である春日大社に経津主命と武甕槌神を、藤原氏の守護神として祀っています。

もし関さんの謎解きが事実に近いような気がするんですが、もし本当にそうなら、恥知らずにもほどがあります。




テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『覇王の国日本』 井沢元彦

ラグビーのワールドカップが始まりますね。

先日の対南アルプス戦は残念でした。パントキックとラインアウトで差が出てしまいました。パントの方は風向きやボールのバウンドなど、運もあるけど、ラインアウトの差は明らかでした。スローインする選手が出場できなかったこともあるでしょうけど、選手が変わることで大きな差が出てしまうというのも、力の差なんじゃないでしょうか。でも、ここは負けどきだったかもしれません。問題は、本番ですからね。

実は、熊谷ラグビー場のチケットがあるんです。あるというか、抑えてもらったんです。一〇月九日の、アメリカ対アルゼンチン戦です。ビール飲むぞー!

さて、この本に関しては、すでに二度、聖徳太子と北条時政に焦点を絞ってご紹介しました。なのに、全体としてどんな本なのかを紹介するのを忘れておりました。そんなことで、あらためて、この本に関して書かせてもらいます。

この本は二〇〇七年にKKベストセラーズから刊行された『封印された日本史』に加筆修正し、再編集されたものだそうです。最初から一通り読んでみて、最後のページにそう書かれていました。

そう言われてみれば、・・・読んだような気がします。ハハハハ、すみません。その程度のやつなんです。「坂本龍馬暗殺の黒幕は西郷か大久保だ」っていうのは、私がたどり着いた持論だと思っていたんですが、どうやらこの本の受け売りだったかもしれません。


『覇王の国日本』    井沢元彦

秀和システム  ¥ 1,512

学校では教えない日本史の法則によれば、信長は死すべき運命にあった
第1章 誤解された日出づる処の天子
第2章 歴史の神が導いた鎌倉という時代
第3章 連綿と続く戦国の思想
第4章 覇王信長が歴史に投げかけた波紋
第5章 ビジョンを持たなかった秀吉の不幸
第6章 悪玉にされた平和希求者・家康
第7章 江戸の泰平を揺るがす二つの変革


井沢さんの本にお世話になるようになってから、もうずいぶん時間が立ちます。『逆説の日本史』のシリーズなんかもね。それを書きつつ、同時に、この『覇王の国日本』のような、もとは『封印された日本史』のような、日本史のエキスを絞り出したような本を書いてくれているんで、とても助かります。

それぞれの時代における、それぞれの歴史的事象っていうのは、それこそ無数にあります。ですが、井沢さんの書かれていること、特に、世界における歴史の捉え方とは違う日本史の特殊性、日本史を考えるときには、ここに気をつけないといけないってことは、無数にあるわけではありません。

たとえば、常にその時代の事情でものを考えることなんかもそうですね。現代に生きる日本人は、自分たちのものの考え方が当たり前のものと考えがちです。どうも、頭のいい人ほどそういう傾向があるような気がします。

それと関わって、怨霊信仰、言霊信仰といった日本人独特の信仰意識、本来これを無視して歴史なんか語れないはずなのに、それに対しての自覚がないですからね。さらには資料偏重主義が強すぎて、道理で物事を考えられなくなっている点なんかも挙げられるでしょうか。これも、頭のいい人ほどそういう傾向があるんじゃないでしょうか。

あっ、頭のいい人が日本の歴史を、わけの解らないものにしているってことですね。

さすがに、これだけ井沢さんの本を読んでると、そのエキスがだいぶ体に染み込んだでしょうか。まあ、これだけ時間も経てば、「坂本龍馬暗殺の黒幕は西郷か大久保だ」っていうのは、私がたどり着いた持論っていうことで、もういいでしょう。

『封印された日本史』は、二階の押し入れの奥で、他の本に押しつぶされていると思います。




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ジャンル : 本・雑誌

『攻める山城50城』 清野明

笑点の司会の春風亭昇太さんの城好きは有名ですね。

私もそこそこの城好きだけど、この城好きってのが、なかなか分かってもらうのが難しい。手っ取り早いのは一緒に行って見てもらうことでしょう。天守閣の残ってる超有名なお城なら、理解してもらえる可能性がかなり高いですね。私の連れ合いなんか、これで城好きへの理解が深まりました。三年前かな。滋賀県の会社に入った息子の工場見学に行く途中、犬山城と彦根城を訪ねました。ずいぶん熱心に見学していました。まあ、写真はお城よりも、ひこにゃんをたくさん撮ってたみたいですが。

天守閣がなくなると、理解してもらう難易度はとても上がってしまいます。それが山城となると、なおさら難しい。だけど、一緒に行っても分かって貰える確率が少し上がる程度。山城では分かってもらえなかった場合、罵倒される可能性すらあります。

「なにこれ!こんなところまで連れきて、ふざけないでよ!」ってことになりかねません。気をつけましょう。

埼玉県には関東平野と関東山地の際があります。この際っていうのが重要で、この際を制することが関東を制することにつながったんでしょうね。だから、私が歩き回る山の中には、あちらこちらに城跡があります。そこを通るたびに思います。「本気だったんだ」って。「こんなところに城を構えるなんて、本気でやる気だったんだ」ってことが分かるんです。

越生と都幾川の間にある大築山は城山とも呼ばれていて、北条氏の家臣である松山城主の上田朝直の築いた城があった山です。当時、一山七十五坊を有する天台宗関東別院の慈光寺を攻略するために築かれたんだそうです。確かに慈光寺はその時代に焼き討ちされていて、かつての七十五坊がほとんど残っていないのも、そのためと言われているそうです。城跡からは都幾川方面が見渡せて、上田朝直もそうして見ていただろうと思わせられます。残念ながら、この山城はこの本には載ってませんでした。
 松山城は載ってました。たまたま、先日の日曜日、吉見の百穴(右の写真)に行ってきたんですが、松山城は、そのすぐ隣です。百穴で埴輪造りをすれば、もう午後になります。百穴
吉見観音に行って御朱印帳書いてもらって、一〇月だったらコスモス祭りに行きましょう。見渡す限りのコスモス畑。そう言えば百穴の売店のおじさんが、そのコスモスを持って帰れるようなことを言ってました。その際は、コスモスは弱いから、バケツかなんかに水を入れて、コスモスに水を吸わせたほうがいいって言ってました。


山と渓谷社  ¥ 1,620

いにしえの時代に思いをはせながら、日帰りで楽しめる山城トレッキングに行ってみませんか
東京都の山城
1.滝山城、2-3.辛垣城・桝形山城、4.八王子城、5-7.勝沼城・藤橋城・今井城、
8.戸倉城、9.網代城、10.小野路城、11.浄福寺城
神奈川県の山城
12.足柄城、13.石垣山城、14.津久井城、15.河村城、16.衣笠城、17.浦賀城、
18.土肥城、19.鷹取山烽火台、20.鉢岡山烽火台、21.嵐山烽火台
埼玉県・千葉県の山城
22.腰越城、24.青山城・小倉場、25.虎ヶ岡城、26.松山城、27.杉山城、
28.佐貫城、29.久留里城
山梨県の山城
30.要害城、31.岩殿城、32.駒橋御前山砦、33.大倉砦、34.鶴島御前山砦、
35.綱之上御前山砦、36.四方津御前山砦、37.斧窪御前山砦
その他の県の山城
38.金山城、39.足利城、40.唐沢山城、41.多気城、42.山中城、43.岩櫃城、
44-45.山名城・根小屋城、47.笠間城、48-49.金山城・三津城、50.春日山城


埼玉県内にも多くの城があります。戦いに巻き込まれた城も数々あります。中でも松山城は何度も戦いに巻き込まれた城ですが、戦国の末期の戦いでは、のぼうの城の忍城と鉢形城でしょうか。

今年に入って六月六日に、北武蔵の山を歩いてきたんですが、まず最初に訪れたのが鐘撞堂山でした。鐘撞堂山は北条氏の拠点である鉢形城を監視する場所で、なんかあれば、鐘をついで知らせる場所だったそうです。たしかに、荒川が光って見えました。鉢形城はあの荒川の、お満が淵の断崖絶壁の上に立つ堅城です。

鐘撞堂山を下りて、今度は虎ヶ岡城址から陣見山をめざしました。虎ヶ岡城址はこの本でも取り上げられている山城です。この虎ヶ岡城は、鉢形城の支城だったようです。小田原征伐においては、ここ、北武蔵の山も激しい時代に巻き込まれていたんですね。(写真は虎ヶ岡城址から本庄方面)tora.jpg

北条に仕えた猪俣範綱の築城だそうです。この地方で猪俣といえば武士団発生時の武蔵七党の一つ。その猪俣一族がこの城にこもって、豊臣勢と奮戦したようですが、残念ながら鉢形城とともに落城したそうです。ああ、往時を思えば・・・。

そう言えば、この日、私は虎ヶ岡城址への登りで猪に遭遇しました。気がついたのは私が先。あとから私の存在に気がついた猪は、これから私が進もうとしている方向に、ものすごい勢いで走り去っていきました。それはまるで、《もののけ姫》のオコトヌシ様のようでした。

私はいったん山を下り、ルートを変えて虎ヶ岡城址に登り返しました。こんなところに山城に理解のない人を案内していたらと思うと・・・。




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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本
































































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