めんどくせぇことばかり 本 日本史
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『縄文の奇跡 東名遺跡』 佐賀市教育委員会

この本、実は三年前に一度紹介している。

東名遺跡二関しては、とにかく出土品がすごいんだ。前にも紹介したけど、象徴的なのが編みかご。最古のものは滋賀県粟津湖底遺跡から出た破片で1万200年前のものなんだそうだ。この東名遺跡は8000年前の遺跡なんだけど、それがかけらではなく原形をとどめ、模様まで確認できる。それがいくつも出てきた。もちろん同じものじゃない。用途に合わせて何種類も、さまざまな模様のものが出土している。

東名遺跡は佐賀県の有明海に面した丘の上にあったものらしいんだけど、そこで発見された貝塚は8000年前くらいから形成されたそうだ。そして、7400年前頃、急な海面の上昇で、貝塚は丘の上にあった居住区もろとも有明海に沈んだんだそうだ。彼らの生活の痕跡は有明海の粘土層の下に埋没し、貝塚の上部には5mの粘土層が堆積したそうだ。これが良かった。分厚い粘土で覆われたことで、構成の改変を受けず、極めて良好な状態で保存されていた。

貝塚はじめ、彼らの生活圏から出土する遺物、土器、石器、貝器、骨角器、木器、いずれも質量ともにすごい。前にこの本を紹介したとき、私はその遺物のすごさに圧倒されてしまった。特に編みかごだな。

結局、そこにスポットを当てて紹介してしまって、東名遺跡の価値に言及していませんでしたので、改めて取り上げてみました。

縄文時代っていうのは、非常に長く続いている。1万6000年前頃に始まり紀元前1000年頃までと、大雑把に数えて1万5000年間だからね。当初は前期・中期・後期に分けられていたようだけど、発掘や研究が進むにつれて、区分は細分化されていく。ちょっとウィキペディアを頼ると、《草創期(約1万6,000 - 1万2,000年前)、早期(約1万2,000 - 7,000年前)、前期(約7,000 - 5,500年前)、中期(約5,500 - 4,500年前)、後期(約4,500 - 3,300年前)、晩期(約3,300 - 2,800年前)》という区分になってるようだ。

新たしい遺跡の方が多く見つかるし、保存状態もいいのは当たり前。そこでこの東名遺跡はどこに入るかということなんだけど、8000年前から7400年前まで継続した生活のあとということなので、早期(1万2000年前から7000年前)に該当するわけだ。

この間の、600年に及ぶ生活のあとが、人骨を含め、上記のような遺物とともに発見されたわけだ。文字通り、質量ともにすごいんだ。

東名遺跡の価値は、そこにある。


『縄文の奇跡 東名遺跡』    佐賀市教育委員会


雄山閣  ¥ 2,860

8000年前の日本には、すでに豊かな物質文化と精神文化が存在していた
第1章  日本最古! 最多! 縄文バスケット
第2章  激変する環境を生き抜いた縄文人
第3章  縄文人の食生活
第4章  縄文人のものづくり
第5章  縄文人の外見と内面
第6章  歴史の中の東名遺跡
第7章  東名遺跡を理解する
附録  ぶっちゃけ東名トーク



この貝塚は7400年前で途絶える。だけど、ここだけじゃないんだそうだ。九州から東北北部にいたる各地で縄文早期から前期初等に貝塚の断絶がある。全日本列島的にそれが起こったことを考えると、有明海で起こった海面上昇はそこだけの特殊なものではなく、地球的規模の温暖化による海面上昇が原因と考えられるという。

これがいわゆる縄文海進というものらしい。

何しろ遺物はかなり良好な状態で出てきますので、それを作るのにどんな材料が使われたか、どんな方法で作ったかが再現できるんだそうだ。そういう意味でも東名遺跡はすごいんだな。

さらには骨角・牙・貝で作った装身具が大量に発見されていて、・・・縄文時代だよ。8000年前の人が装身具で身を飾ることに、そこまで工夫を凝らしていたかと思うとうれしくなるじゃないか。

それらと一緒に、お面が出土している。右の写真のようにお面には穴が開いていて、何かにくくりつけられてたしい。裏には縦にくぼみが走っているので棒にくく りつけられたのではないかということだ。お面
お面を棒にくくりつけてかざす。三年前にも書いたことなんだけど、実は、そういうお祭りが佐賀県にあるんだそうだ。そう、東名遺跡が発見された佐賀県に。この本にはシェーとり祭りなんて書いてあるから、三年前は「イヤミのお祭りか」なんて書いちゃったけど、ちゃんと調べた。《汐取り祭り》だった。C022_018_09_1F001.jpg
嘉納地区を流れる城原川の、海水と真水の混ざり合う地点で、榊に汐を取ってお面に振りかけるんだそうだ。そうすることで豊作祈願・災害除けなどの祈願を行うんだという。

鹿児島から出土した東名よりもさらに古い遺跡は、集落が環状に配置され、その中心に墓が築かれてるんだそうだ。祖先を中心に毎日の生活が送られていたらしい。祖先崇拝だな。

汐取り祭りの汐をかけるという行為が何を意味するか分からないが、人々が平安を祈念する対象は、ご先祖様だったんだろうな。

縄文時代、すでに人々は犬とともに暮らしていた。犬骨の発掘状況から、さまざまな関わり方があったらしい。解体痕を持つ出土例からして犬を肉、骨髄、腱、毛皮の供給源ともしていたらしい。同時にいわゆるペットとして、また猟犬としても使われていたようだ。骨の見つかり方から、どのような関わり方が成されたかが分かるんだそうだ。

昨年6月に、14年飼って死んだ猫のミィミィの遺体を、家の敷地の隅に埋めた。もう、骨になっちゃったかな。いつかあれが出土したら、どう思われるんだろう。そういや、その時、同じ場所からウサギの骨も見つかるはずだ。なんて仲のいい猫とウサギだろうということになるだろうか。




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『日本史で読み解く日本人』 井沢元彦

1月13日、成人の日に書いている。

今は1月の第二月曜日になっているが、ちょっと前までは1月15日だった。自分の時は東京にいた。地元秩父で行われた成人式には出ていない。家族も特に気にしていなかった。・・・いや、おそらく気にしていたんだろう。成人式にも帰ろうとしない息子にあきれていたかもしれない。きっとそうだ。

だけど、そのたった4年後に、そのあきれた息子は結婚をする。結婚したのが1月15日だった。

私は無意識に、大事なことと大事ではないことを分けてしまっているらしい。大事なことはとても真剣に取り組むことが出来るんだけど、大事でないことは・・・忘れてしまう。無意識に分けてしまう大事なことと大事ではないことの基準が、周りの人と一致していればいいんだけど、ちょっと違う。連れ合いとも違う。忘れてしまったことのなかに、時々彼女がとても大事にしていることがあったりする。そうすると、とても怒る。

結婚式を1月15日にしておいたことは、後の私をとても助けてくれた。成人の日だからね。忘れないでいられた。

成人式には出ておけば良かったと思う。テレビなんかで見たことはあるけど、あれは式のごく一部、全体は知らない。始まる前も、終わったあとも知らない。出ておけば良かったなぁ。

だけど、今の成人式は出ても出なくても、実際にはなんの変化もない。これが少し前だと違ってくる。何しろ徴兵検査だからね。大人になったら戦争に行く。戦争に行って国を守る。分かりやすい。もっとさかのぼれば元服。大人になったら戦に行く。戦に行って家と家族を守る。さらに分かりやすい。

物事は、分かりやすいのがいい。

分かりやすいのがいいという点で言えば、この本はとてもいい。とても分かりやすい。『逆説の日本史』は第一巻から読んでいる。ほぼ、1年に1巻のペースで出版されて現在24巻、副題は『明治躍進編 帝国憲法と日清開戦の謎』とようやく明治中頃までやってきた。平成初期に始まったシリーズは、平成をはみ出て続けられている。

そのエッセンスを一冊にまとめたのがこの本と言えばいいか。普通、そこまで濃縮しちゃうと、なんだか苦くなったり、辛くなったりして、とても口に出来なくなっちゃったりするんだけど、この本は違う。おそらく今までで、一番分かりやすい。





PHP研究所  ¥ 1,540

日本人は無宗教ではない。世界には見られない独自の宗教観を持っている
第一章 なぜ、日本人は何事も話し合いで決めるのか
第二章 なぜ、日本人は「和」を乱すのを嫌がるのか
第三章 なぜ、日本人は独断専行のリーダーを嫌うのか
第四章 なぜ、日本人はアメリカ型M&Aを避けるのか
第五章 なぜ、日本人は「汚れ」と「ケガレ」を分けるのか
第六章 なぜ、日本人は過ちや恨みを「水に流す」のか
第八章 なぜ、日本人は憲法を改正できないのか


何が書かれているかと言えば、上記の目次を見たとおり。

章を越えて強調されるのは、日本人はなによりも“和”を尊ぶ者たちであると言うこと。日本はかつて、“中国”大陸の王朝から“倭”と呼ばれたいた。音は“和”と同じ「わ」である。この本の中で井沢さんが、そのことに触れている。大陸は朝貢に来た国の名前に漢字を当てる。その際、相手をさげすんだ漢字を当てる。“倭”は、取るに足りないとか、小さなとか、背の曲がったとか言う意味があるらしい。

自分たちの名前に漢字を当ててもらった「わ」の人々は喜んで、“倭”を大事にした。「やまと」を名乗るようになってからも、“倭”の字を「やまと」と呼んで使っていた。“倭”に悪い意味があることを知ったときは悲しかっただろう。「やまと」には、改めていい漢字を当てることにしたんだろう。もちろん、本来持っていた意味を取り戻せる漢字として選ばれたのが“和”。これを強調して“大和”と言うことではなかったか。

井沢さんは、日本人が自らを「わ」と呼ぶようになったのは、吉野ヶ里遺跡など弥生時代の遺跡に見られる環濠集落が始まりだろうと言っている。輪のような深い堀に取り囲まれた集落を「わ」と呼んでいたのではないかと書いている。そして環濠集落の内部の結束を保つ共同原理として“和”を重んじたのではと書いている。

とすると、“和”の原理が強く意識されたのは弥生時代と言うことになる。だけど、その起源はもっと前じゃないかな。

日本固有の“和”の精神と言うことで考えれば、そこに影響を与えているのは、この日本列島の特殊性に由来するものだろう。古代史を考えるときにつきものの天災・疫病・飢饉だけど、なかでも天災に関して言えば、世界でもとびきり多いのが日本列島の特徴だろう。

恵みとともに天災の脅威を与えるこの列島の自然は、人々にとって自分たちの生殺与奪を左右する崇敬の対象であったろう。繰り返される天災に、人々は助け合って生きることを学び、その“和”を乱す者、乱す行為を忌み嫌うようになったってことは納得がいく。起源は古く縄文に、日本人の“和”を尊ぶ由来がありそうだ。

弥生時代は環状集落を作らざるを得ないような、言わば荒れた時代だった。そんなときだからこそ、“和”という意識が、逆に強く意識されるようになったのかもしれない。

ちょっと思っていたことと違う方向に、話を進めてしまった。

井沢さんは、依頼されて、何度も講演会を行なってきたそうだ。そこで、自説を語ってきた。その講演録を元にして書いたのがこの本だそうだ。文字に残すときよりも、講演会で話す内容ってのは、しっかり吟味するんだそうだ。書いたものなら読み返しも効くけど、講演の話を聞き直すわけにはいかないからね。

だから、一度聞いただけで分かるだろうかと言うことに気を遣いながら、講演内容を練り直すんだそうだ。この本は、その内容を元にして書かれたものだから、ここまで分かりやすいんだろう。

駅で成人式に向かう若者を見た。私は今年、三度目の成人式だな。




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『歴史への遺言』 渡部昇一

渡部昇一さんが亡くなって2年半か。

実は、渡部さんには大恩がある。私は意識して人を近寄らせないようなところがあって、同時に自分から人に近寄っていくのが嫌いだ。もちろん、必要があればする。しかも、自分で言うのもなんだけど、人の間合いに入るのがかなりうまい。でも、平素はそれはしない。

だから必然的に、私の師は本であった。

高校の頃から左翼系の思考に引っ張られた。だんだんいい歳になってきて、行き詰まった。暗中模索から抜け出せたのは、渡部昇一さんの本のおかげだった。だけど人間関係もあって、そちらの組織と縁を切るまでには、また時間がかかったけどね。渡部さんの本を、渡部さんを師と仰いでもう四半世紀になる。

編集後記の最初にある。
『渡部昇一先生は日本を愛し、日本人であることに強い誇りを持っていた。それだけに、戦後GHQ(連合国軍総司令部)の手で植え付けられ、左翼マスコミによって広められた「日本罪悪史観」を見過ごすことができず、そうした歪んだ見方を正すべく、長い間、「日本の主張」(いいかえれば、日本人として知っておくべき歴史の真実)を繰り返し説いて止むことがなかった。』

そう、まさに私は、GHQの手で植え付けられ左翼マスコミによって広められた「日本罪悪史観」に踊らされた。分別のつくいい歳になって行き詰まった頃は、とても大変だった。歴史教員だからね。いくらイデオロギーで飾り立てようと、嘘は嘘。渡部さんが、そんな「日本罪悪史観」を見過ごすことが出来ず、日本人として知っておくべき真実を繰り返しといて止むことがなかったおかげで、私は本当のことを知る勇気が持てた。


『歴史への遺言』    渡部昇一


ビジネス社  ¥ 1,650

歴史というものは虹のごときものである。近くによれば、その正体は水玉にすぎない
第一章 「重要史書」解読
「リットン報告書」は日本を批判していない
満州国は日本の傀儡国家ではなかった
東條英機「宣誓供述書」はマッカーサーの証言と一致する
第二章  日本のこころ
「古事記」は神話と歴史が地続きであることを証明している
「令和」命名者・中西進氏の誤謬
日本文化は自然に感謝する文化である
第三章  歴史の見方
歴史は「虹」に似ている
朝日人・杉村楚人冠は「朝日」の体質を見抜いていた
団体が変わっても不動だった「天皇」の本質
真の戦闘者・徳森蘇峰


それなりに人間関係を作ったから、それからも苦しかった。言い合いにもなり、飲みに行っては皿が飛んだこともある。人間関係はどんどんちぎれた。組織を抜けるまでにはさらに時間がかかった。それなりの責任を果たして、抜けた。残ったのは、イデオロギー抜きで付き合える関係だけだった。

イデオロギーを捨ててからは、歴史の授業は、とてもやりやすくなった。本当のことを言っていればいいんだから。だけど、学校ってところは、ここのところ日教組の力は弱まっているものの、色合いとしては、いまだにリベラルが強い。日本史の教科書なってひどいもの。はっきり言って、嘘が書いてある。

なぜそれが嘘と言えるのか。・・・例えば、一番わかりやすい例の一つが、《日本は無条件降伏した》ってやつ。生徒にポツダム宣言の本文を提示して、それを否定した。

“あちら”の方から、「授業を見せてくれ」というのもあった。もちろん見せてやった。何にも言わずに帰って行った。その後も何度か、「授業を見せてくれ」と言ってくる“あちら”の方がいたが、それ以降は、「ただで?」とお聞きすることにした。こちらから見にに行ってやろうかと思ったが、めんどくさいからやめた。

こっちからは一切動かなかった。正味で、授業を参考にさせて欲しいという若い人もいた。請われれば応じ、どういう風に授業を展開すればいいか語り合った。質問されるのは、だいたい専門の世界史についてだったが、それは大変楽しい時間だった。年齢差は25歳くらいあったと思うが、ほぼ同じ地平でやり合えた。

教員として歴史の授業をしていた時は、とにかく歴史を面白いものと捉えられるように教えることを心がけた。“歴史は虹のようなものである。それは近くによって、くわしく見れば見えるというものではない。近くによれば、その正体は水玉に過ぎない。”・・・だから、ほらほら、こっちに来て、ここから見てみ。ほらあそこ、虹が出てる。

私の声は大きくない。それほど多くの人の耳には届かない。でも、きれいな虹が見られるようになった奴も、何人かはいるかもしれない。

渡部昇一先生のおかげです。


 


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映画界五社協定『掟破り』 大下英治

奥武蔵の山々には、かなり山の奥の方に集落がある。

林業に関わった人たちの集落だろうか。それらの集落への道があり、集落と集落をつなぐ道があり、林業の道があって、奥武蔵の山中にはたくさんの林道が延びている。

中には山上集落と呼ばれるところがあって、独特の、とてもいい雰囲気を醸し出している。それらの山上集落の一つにユガテというところがあって、ハイカーに人気がある。

この間、木曜日のこと。鎌北湖から上がって奥武蔵を歩いたとき、目的地を出る時間になっても11時半、ゆとりがあったのでいったんユガテに下りて、そこから北向地蔵を経て、車をおいた鎌北湖に戻ることにした。ユガテについたのは12時を少し過ぎた頃じゃないかと思います。そこまでは順調だった。

ユガテにつくと、ベンチなどがある場所に数人の人がいるようだったので、そちらには寄らず、山上集落の雰囲気だけ味わわせてもらって、早々に北向地蔵に向かうことにした。すると、ユガテを抜けるあたりで、向こうから年配のハイカーが数人やってくる。道を譲って通過を待つが、どうも勝手が違う。だいたい、道を譲っているこちらの存在に、まったく意識が向いていない。たっぷり汗をかいているのに、薄めながらもダウンジャケットを来たまま歩いている。

当然、そのままやり過ごし、ユガテを出て、最初はしばらく下っていく。すると、また、向こうからやってくる人がいる。三人、いや、その後ろにも何人か続いている。断続的に20人近い人が、道を譲る私の傍らを通り抜けてユガテに向けて登ってくる。先ほどの方と同じ年配者もいれば、比較的お若く見える方もいる。ただ、いずれも、山を歩くことになれている方には見受けられない。20人近い人に道を譲るというのは正直苦痛なんだけど、・・・「済みません」という人がいないわけじゃないんだけど、私を先に通らせるなんて思いもよらない感じ。

何なんだろう。

沢まで下りきって、登りにかかる。ここでもどんどん人が下りてくる。先ほどの人たちは、山は登り優先なんて理解はありそうになかった。今度はどうか。・・・やはり同じ。断続的に、後から後から続いている感じなので、この登りで道を譲りたくない。譲らず登っていくと、すれ違おうとする。すれ違える場所はいいけど、危ないには違いない。すれ違えない場所でこっちが譲る気配を見せないでいると、向こうが止まった。脇を通過。そんなことを繰り返す。

また、向こうが止まって道を空けた。だけど、その人は谷川に足を下ろして道を空けている。私のザックがぶつかれば落ちるかもしれない。仕方がないから、山側によけて、先に行ってもらった。

イライラしてきていた。

細い道で、また、何人もの人が下りてくる。譲らずに登っていったら、相手もそのまま進んできた。お互いに立ち止まってしまった。

「山は登りが優先ですよ」って言ったら、慌てていた。

また下りになって、ようやく、すれ違う人に道を譲ったけど、釈然としない。しばらく行ったら、トランシーバーを持った人がいた。・・・なんかの企画だと分かった。その人に声をかけて、いろいろと分かってもらった。

山には山のルールがある。


『掟破り』    大下英治


水王舎  ¥ 1,650

日本社会を形作る掟のメカニズムと反逆者たちの行動原理に迫る
第1章 やくざ同士の安全保障
第2章 岸信介の密約
第3章 高倉健
第4章 広島やくざ戦争
第5章 小池百合子
第6章 孫正義
第7章 田中角栄と竹下登


映画の世界にもルールがあったそうだ。

《五社協定》というきつい縛りだったそうだ。五社というのは松竹・東宝・大映・新東宝・東映が結んだ協定。

主な内容は、専属の監督・俳優の引き抜きを禁止する、監督・俳優の貸し出し特例も廃止するというものだったそうで、日活の引き抜き攻勢に対抗して作られた協定だったそうだ。結局、その日活が協定に仲間入りし、新東宝が潰れて、五社協定はそのまま。「スターを借りない。貸さない。引き抜かない」なんて標語まであったそうだ。

山本富士子と田宮次郎は、その掟を破って映画界から干されたんだそうだ。

山本富士子と言えば第一回ミス日本。彼女は大映の専属だった。その山本が10年契約の満期でフリーとなった。途端に映画界から干された。女優引退を考えるまで追い込まれたが、その彼女を救ったのはテレビだった。

田宮次郎も大映専属だった。勝新太郎と共演した『悪名』で一躍スターダムにのし上がった田宮次郎だったが、いつまで経っても扱いは大部屋俳優のまま。これで社長ともめて大映を辞めた。五社協定で映画界から干され、テレビに活躍の場を求めた。

結局、映画界はテレビによって追い込まれ、五社協定は自然消滅する。

この掟はつまらない。こんな方法で弱いものいじめをしないで、映画界は切磋琢磨すべきだった。いい映画を作るべく、努力すべきだった。

石原裕次郎の『黒部の太陽』は、その五社協定に挑戦して作られた映画だったという。好きな映画の一つなんだけど、映画界は『黒部の太陽』を作らせないように努力していたわけだ。

それが世に出た背景には、兄である石原慎太郎の助力があったんだそうだ。

黒四ダムに関連の深い関電や、黒部に参加した大手の建設会社を巻き込んで、フリーの映画館と上映装置のある公共施設を抑えて映画を配給できる段取りを整え、五社を脅迫したんだそうだ。

掟が自らの地位や利益を守るため作られたものなら、それはいつか必ず崩れる。・・・だけど山のルールは、そうじゃない。




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重要史書『歴史への遺言』 渡部昇一

埼玉県の飯能市に名栗という地区がある。

その一番奥には飯能駅からバスで1時間以上かかる。今は舗装道路もあるが、妻坂峠を越えて横瀬、秩父に通じる。もちろん山伝いにも行ける。高校の頃、山岳部だった私にとって奥多摩という場所は、山を越えていくところだった。

二つのルートで奥多摩に入ったことがある。一つは三峯神社から雲取に行き、雲取から奥多摩に下りる。もう一つは、武甲山から小持・大持を越え、鳥首峠・有馬山を経て、棒の嶺から向こうは奥多摩。

私の家は、武甲山の北斜面の登山道が庭先を通るようなところにあったので、当然後者、武甲山から奥多摩に入るルートが便利。そんなことを言っても、奥多摩に行っても、結局、交通手段を使って秩父に帰ろうとするとすごく不便。奥多摩駅から青梅に行き、青梅から拝島、拝島から東飯能に行って、ようやく西武秩父線だからね。

だから、奥多摩が見えるところまでいっても、奥多摩には下りない。飯能までバス一本でいける名栗のバス路線に下りる。だから、名栗っていうところは峠を越えた向こうなんだけど、けっこうなじみが深い。

この間の台風19号で氾濫した入間川の源流は、この名栗にある。名栗の山に降った雨があちらこちらの沢から集められて入間川になる。そのどん詰まりが名郷というところだが、一番奥の方に白岩渓流園、つづいて大鳩園というキャンプ場がある。いつも大鳩園の管理する駐車場に車をおいて近隣の山を歩く。先日、山から下りて帰り支度をしていると、大鳩園の主人らしき人が集金に来ていて話をした。

下山途中にも見たが、河原のバンガローや炊事施設がだいぶやられていた。来年のシーズンまでになんとかなるのかと聞いたら、どうもそのつもりになれないらしい。温暖化の影響で気候が変わってしまい、こんな大きな台風が毎年来るのなら、川沿いのキャンプ場は整備してもどうにもならないという。父親の頃から、どんな大水が出ても、施設まで水が来たことはなかったんだそうだ。

彼の中では、キャンプ場がながされたのは、人間が二酸化炭素を慣れながしすぎたことを原因とする地球温暖化の仕業ということになっているらしい。

地球温暖化対策を話し合う国連の会議「COP25」が12月2日からスペインのマドリードで始まっている。それに合わせて、いろいろな情報が寄せられている。

北欧の山の上で30度を超える日が続き、山火事が起きた。・・・それで山火事が起こるなら、日本の山は丸裸にならないか。牛は鶏や豚に比べてメタンガスのゲップをたくさんするので、もう食べない方が良い。温暖化のせいで鳥の体が縮んでいる。暑くなると、長距離の移動が負担になる体というんだけど、・・・。大鳩園の主人の言ってることが一番まともに聞こえる。

二酸化炭素排出による地球温暖化をなんとか食い止めなければならないという論調は、もはや逆らうことのできない異常な流れのようだ。台風のあと、橋の下を流れる濁流に恐怖を感じたが、その流れのようだ。


『歴史への遺言』    渡部昇一


ビジネス社  ¥ 1,650

歴史というものは虹のごときものである。近くによれば、その正体は水玉にすぎない
第一章 「重要史書」解読
「リットン報告書」は日本を批判していない
満州国は日本の傀儡国家ではなかった
東條英機「宣誓供述書」はマッカーサーの証言と一致する
第二章  日本のこころ
「古事記」は神話と歴史が地続きであることを証明している
「令和」命名者・中西進氏の誤謬
日本文化は自然に感謝する文化である
第三章  歴史の見方
歴史は「虹」に似ている
朝日人・杉村楚人冠は「朝日」の体質を見抜いていた
団体が変わっても不動だった「天皇」の本質
真の戦闘者・徳森蘇峰


やはり世間では、リベラルってのが人気がある。

だけど、NHKが取り上げていたスウェーデンの16歳の少女のことはどうしよう。未来がないのに学校に行っても意味がないんだそうだ。だから、スウェーデン議会の前で一人でプラカードを掲げてストライキをしたんだそうだ。そのうち毎週金曜日に、少女と一緒に学校を休む子が増えて、「未来のための金曜日」運動は世界に広がってるという。

ほら、もともと温暖化対策ってのは、アル・ゴアみたいな怪しいリベラリストや原発推進団体が進めてきたが、最初は平然と嘘をついていた。IPCCだってそう。偽のデータをでっち上げて温暖化の脅威をあおってきた。

仮に彼らの言うような対策を施さなければならない事態なら、16歳の少女の行動は非の打ち所がない。非の打ち所はないが、結局行き着く先は優性論にたどり着く。たどり着いたその先で見つけるのは、おそらく人種差別だろう。

温暖化云々問題の背景に、私は人種差別を感じる。

さて、本当のことを知るって難しいですね。リベラルは平気で嘘をつく。・・・あっ、これ、社会主義者のことを言ってます。レーニン、スターリン、毛沢東、・・・彼らは目的のためには手段を選ばないどころじゃなく、平気で数千万人を地獄に突き落とした。

だけど、戦前の日本を考えるとき、これは動かせないという重要史書が三つある。渡部昇一さんは、最晩年に、三つの重要な本を残してくれた。

リベラルがいくら濁流のごとき流れで押し流そうとしても、これらに書かれたことは曲げられない。・・・はずなんだけど、まあ、いずれにせよ、できるだけ多くの人に読んでもらえると良いですね。

あっ、そうそう、NHKはポツダム気候影響研究所の所長さんの弁も取り上げていたぞ。「地球が灼熱地球に変化してしまう危険があります」

NHKは日本にも16歳の少女のいることをお忘れか。報道した以上、NHKにも責任はあると思うぞ。無責任な大人のいる限り、16歳の少女の耳は塞いどいた方がいいぞ。


 


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『一宮の秘密』 戸矢学

埼玉県北部にある金鑚神社は、御室山をご神体とし、拝殿はあっても本殿のない珍しい神社の一つ。どうやら、この地域に古くから力を持っていた武蔵七党の一つ丹党との関わりが深いという。

北関東、北武蔵から上野にかけて、丹生神社が多いが、丹党の氏神であるそうだ。その中心となるのが金鑚神社で、現在の祭神は天照大神、素戔嗚尊、日本武尊となっているが、これは後世に取って付けたもんだそうだ。

丹党の発祥は紀伊国造家から出て、古代から、秩父から群馬にかけて栄えてきた。その紀伊国の最古の神社に丹生都比売神社がある。背後の山上にある高野に降臨する神、高野神を信仰したという。高野神は縄文以来の古い神だったらしいが、その後、真言宗の霊山となって、本来の信仰は失われた。

丹党の繁栄の源が産出される豊富な“丹”、すなわち辰砂とも呼ばれる水銀と硫黄の化合物だった。そして丹党は、一族の結束を図るため各地に丹生都比売を祀った。その中心が金鑚神社で、古くは金佐奈と記され、由来は「金砂」だという。

しかし、前述の通り、金鑚神社は祭神を天孫族の祖先神に帰られた。丹生神社も祭神を丹生都比売から変えてしまっているところが少なくないんだそうだ。

《一宮から古代が見える》と、著者の戸矢学さんが書いている。一宮とは律令制の一つの国ごとに最上位の神を第一の宮と呼称したものと言うことだが、もともと公的保証のあるものではなく、自然発生的に各地で唱えられたものだそうだ。

だが、理由もなく第一位と称えられることはない。その理由をたどっていけば、神社という独自の存在が、背景にある歴史や文化を明らかにしてくれるだろうということなんだけど、上記のようなこともある。政治的理由で本来の姿を変えられてしまっていると言うことだ。

それを前提に、一宮の秘密を探れば、日本人の信仰の秘密、もっとの古き神々の痕跡に迫れるという。


『一宮の秘密』    戸矢学

方丈社  ¥ 2,035

最も古き神々の痕跡を残す「一宮」を訪ね、縄文から続く日本人の精神文化を探る
一章 畿内の神々
賀茂社  大神神社  枚岡神社  住吉大社
二章東海道の神々
真清田神社  富士山本宮浅間大社  浅間神社  寒川神社
氷川神社  安房神社・玉前神社  香取神宮・鹿嶋神宮
三章 東山道の神々
日吉大社・南宮大社(仲山金山彦神社)  諏訪大社
一之宮貫前神社(抜鉾神社)・二荒山神社(補陀落神社)
志波彦神社鹽竈神社・都々古別神社(八槻都々古別神社)
鳥海山尾大物忌神社
四章 北陸道の神々
白山比口神社・雄山神社 若狭彦神社・氣比神宮・氣多大社
五章山陰道の神々
出雲大神宮  籠神社  粟鹿神社・宇倍神社  出雲大社(杵築大社)
六章 山陽道の神々
伊和神社・中山神社  吉備津神社  厳島神社(伊都岐島神社)・住吉神社
七章南海道の神々
日前宮(名草宮)(日前神宮・國懸神宮)  大麻比古神社  
田村神社・大山祇神社・土佐神社
八章西海道の神々
宇佐神宮  鹿児島神宮  宮崎宮・高良大社  西寒多神社・阿蘇神社






一つぐらいネタバレしておいた方が、本書の特徴が分かりやすいものになるだろう。

丹生都比売の続きなんだけど、・・・。

古くから丹生都比売神社を祀る紀伊国に、伊都郡という群名がある。《丹生都比売神社史》によれば、丹生都比売神社の社家を受け継ぐ丹生家の故知は筑前の伊都だったという。そういうことになると伊都国だな。故郷を離れたきっかけは、ヤマト朝廷の成立に関わる混乱かな。

丹生氏は、淡路から紀伊に入り、紀ノ川上流を拠点に勢力を広げた。そこが伊都郡。そして、紀伊国における主要な水銀の産地だそうだ。その採掘による財力で紀伊半島を中心に大きな力を持ったが、その鉱脈が細ってきたことで、一族の中には新たな鉱脈を求めて移住するものが現れる。一部は播磨、一部は東に移って三重、岐阜、長野、静岡、千葉、埼玉、群馬と丹生都比売を神として祀った人々をたどることができる。

丹生都比売神社は古い神社だけど、紀伊国の一宮は日前宮で、祀られる日前大神、國懸大神は記紀にも神明のない神だそうだ。天照が日の神であるのに対して、日の前の神だからね。かなりのもんなんだろう。ここの宮司を務めるのが紀氏ということだ。


紀氏と丹生氏の関係は深く、紀氏のうちの辰砂の採掘に関わったのが丹生氏と言うことか。いや違う。紀氏はアメノミチネを祖神とするが、アメノミチネは、ニギハヤヒの降臨に同行した神だが、この紀氏が同行したのが丹生氏、丹生氏こそが紀氏の主なのではないかという。

話は急展開する。呉王家の始祖となる太白は、周王家と同じく公禝を始祖とするから姫姓。読みは「き」。・・・これ以上は私の口からは・・・。

ここまで言っといて、いまさら・・・

この分だと、日本人の信仰の秘密、最も古い神々の痕跡ってのも、あながち・・・。




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浅間神社『一宮の秘密』 戸矢学

うちは埼玉県東松山市の高坂っていう地区なんだけど、台風19号で都幾川の堤防が決壊し、九十九川のもあふれて、多くの地域が水につかったことは、ブログでもご紹介した。

先日、床上まで被災したあたりを夜に車で走る機会があったんですが、あたり前のことながら真っ暗なことに愕然としてしまいました。この地域の人たちの生活が旧に復するのは、まだまだ長い時間がかかりそうだ。

さて、高坂って言う地区名なんですが、その名の通り高台にある。でも、高台にあるのは半分くらい。被災した地域は、やはり低い場所で、かつそういうところが豊かな田園地帯になっている。高台の一番端っこに神社があって、その神社が浅間神社と言う。

東日本大震災の時の津波でも、神社は津波の届かない場所にあったって話があった。すごいもんだなって思ったもんだ。だけど、今になると、あれはどんなもんだろうか。

確かにそういう神社もあったんだろう。だけど、あれだけ広範に被害があったわけだから、被災した神社もかなりの数になったはずだと思う。高坂の神社でもそうなんだ。被災したところもあったんだ。

この神社の場合は、そうだった。

そういうことで、いいんじゃないだろうか。「浅間神社には、水は来ませんでした」ってことでね。

秋になると、ここの銀杏の木には“ぎんなん”がなる。子どもの頃は、“ぎんなん”を拾って、しばらく自分ちの隅に埋めておいて、しばらくして掘り出すと、周りが腐ってるんだよね。それを川に持って行って、しばらく川にさらしておく。そうして“ぎんなん”をたき火で焼いて食うのが楽しかった。パンパン、パンパン爆ぜてね。あっ、これは私が生まれ育った秩父での話だけどね。

境内に行って“ぎんなん”が落ちてるのを見ると、ついつい拾いたくなるんだけど、それを食べられる状態にするのは、くさいし、なによりめんどうだしね。


『一宮の秘密』    戸矢学

方丈社  ¥ 2,035

最も古き神々の痕跡を残す「一宮」を訪ね、縄文から続く日本人の精神文化を探る
一章 畿内の神々
賀茂社  大神神社  枚岡神社  住吉大社
二章東海道の神々
真清田神社  富士山本宮浅間大社  浅間神社  寒川神社
氷川神社  安房神社・玉前神社  香取神宮・鹿嶋神宮
三章 東山道の神々
日吉大社・南宮大社(仲山金山彦神社)  諏訪大社
一之宮貫前神社(抜鉾神社)・二荒山神社(補陀落神社)
志波彦神社鹽竈神社・都々古別神社(八槻都々古別神社)
鳥海山尾大物忌神社
四章 北陸道の神々
白山比口神社・雄山神社 若狭彦神社・氣比神宮・氣多大社
五章山陰道の神々
出雲大神宮  籠神社  粟鹿神社・宇倍神社  出雲大社(杵築大社)
六章 山陽道の神々
伊和神社・中山神社  吉備津神社  厳島神社(伊都岐島神社)・住吉神社
七章南海道の神々
日前宮(名草宮)(日前神宮・國懸神宮)  大麻比古神社  
田村神社・大山祇神社・土佐神社
八章西海道の神々
宇佐神宮  鹿児島神宮  宮崎宮・高良大社  西寒多神社・阿蘇神社






うちの近所の浅間神社だけど、祭神が何という神様かって、日頃から気にかけてなかった。だめですね。

富士宮にある富士山本宮浅間大社の祭神は浅間大神(あさまのおおかみ)と絶世の美女で名高い木花佐久夜毘売命。どんだけ美人だったかって言うと天孫ニニギノミコトが降臨していきなり一目惚れするくらい。姉も一緒にどうぞって父親が言うのに、「お姉さんはいりません」って断っちゃうくらいの美人。

ニニギの子を生んだ木花佐久夜がどうして外に出されちゃったのか知りませんが、木花佐久夜毘売命は浅間大神を奉るための巫女神でしょうね。

・・

地元の神社のことも知らないなんてことではいけないと心を改め、今調べてきた。祭神は、やはり木花佐久夜毘売命だった。やはり浅間神社を名乗る以上そういうことなんだな。でも、浅間大神の名はない。

ご利益は、安産祈願、子育大願、容姿端麗、火防守護 他とあった。

安産祈願は、産屋に火をつけさせて、海彦、山彦を生んだくらいですから、これは効き目がありそうです。子育大願は、どうなんでしょう。子育ての話は聞いたことがありません。容姿端麗は間違いのないところでしょう。さて、火防守護が問題です。

自分の貞操を立証するためとはいえ、自ら火付けに走ってしまうような、カッとなったら何をしでかすかしれないような勝ち気な女です。だけど、浅間大神に仕える巫女神としては美貌はもちろん、そのくらいの気の強さもまた必要なのかもしれません。それもあちこちに浅間神社を配置して木花佐久夜を祀り、束んなって押さえにかかんないと抑えきれないくらいに浅間大神は偉大な神って事なんじゃないんだろうか。

だから、ニニギの子を産んだ
木花佐久夜毘売命を外に出してまで押さえにかかったと・・・。

浅間山って山があって、富士山と同じ火山で、だけど浅間神社の浅間は富士山のことだという。これ、実は分かってなかったんです。「“せんげん”って読む場合は富士山で、“あさま”と読むと浅間山なんかな」って程度の理解でね。

“あさま”は火山の古語だそうです。だから長野と群馬にまたがる浅間山も激しい火山活動からそう呼ばれるようになったんだそうだ。九州の阿蘇もそうで、これに関しては阿蘇の方が先らしい。かつては富士山よりも高かったと思われる阿蘇が噴火で吹き飛んだのは9万年前で、富士山が今の姿になったのは1万年前。

それゆえに“あそ”は火山の代名詞になって、“あそ+やま”→“あさま”になったというのだ。

うちの近所の浅間神社は古墳の上に立てられている。ここは古墳の多い場所。同じく古墳の多い行田から東松山を結ぶと、その延長線上に富士山が見える。





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『神霊の国日本』 井沢元彦

悔しいなあ。

「日本がアメリカに負けるのは当然なのである」なんて言われちゃあなぁ。でも、しかたがないなぁ。たしかにその通りだもんなぁ。

日本には、言霊信仰があります。言葉は神聖なものであり、言葉には力があるという考えです。口に出したことは現実化するという意識が、頭で考えていなくても、どこかにあるんです。そのため次のようなことが起こります。四個大体なければ戦えないところに三個大体しかないにもかかわらず、帳簿には四個大体として足りない分は「欠一」と呼んで、存在しないことを明らかにしないんです。

これを評論家の山本七平さんは員数主義といったそうです。帳簿の上で数があっていれば、その数が存在することにしてしまうんです。それを追求されると、精神主義を持ち出すわけです。4対3なんですから、最初から勝てるはずがないのに、それで戦争をしてしまうんです。

しかも、その言霊信仰に加えて、怨霊信仰があります。

大東亜戦争においては、戦没者を“英霊”と呼んでいます。井沢さんは、この“英霊”を、怨霊の候補と言っています。昭和16(1941)年、アメリカが提示した日米交渉の覚書「ハル・ノート」では、日本は“中国”から一切手を引くことを要求してきました。“今”ではなく、“当時”を基準にすれば、これは非常識な要求でした。米大統領FDRにも、この「ハル・ノート」で、日本を対米戦争に踏み切らせようという意図があったのは、まず間違いありません。

FDRは、あまりにも大きな譲歩を日本に求めることで、日本を追い込もうとしたんでしょう。しかし、日本が対米戦争を覚悟したのは、迫られた譲歩の多少によるものではありませんでした。たしかに、日本は当時、“中国”に抜き差しならない権益を持っていました。・・・もちろんそれが関係するんですが、その“多少”そのものではないということです。

それらの権益は、当時で言えば、戦争を含む正当な国際関係の中で日本が手に入れたもので、そのために日本は多くの兵を失っていました。それを放棄することは、それら戦没者の犠牲を無にすることになります。戦没者の霊は怨霊となり、災いをもたらすことになります。

かつて国のために死んだ人たちを勝手に見捨てるのは、日本人の考えからすれば、一番やってはならないことです。英霊が怨霊になってしまうからです。

日本においては、人間は死んでも無にならないんです。


秀和システム  ¥ 1,540

令和の時代にあらためて読みたい。日本人の行動原理を歴史に学ぶ
第1章 日本人と神と霊
第2章 日本人と独裁者
第3章 日本人と英雄と名将


「死んで護国の鬼になる」と言って、本当に死んでいった人たちがいたわけです。せっかく護国の鬼になってもらったって言うのに、その人を裏切れますか?

楠木正成は、足利尊氏に追い詰められて自刃するに当たり、「何度でも生まれ変わって国のために尽くす」と言い残したと言います。「七生報国」って言葉がそうですね。そう書いた鉢巻を頭に巻いて、特攻隊として突っ込んでいった兵もいたわけです。

怨霊信仰が朱子学の大義名分論に補強されてしまってますね。

元寇が神風によって打ち払われたという伝説は、そうして死んでいった者たちの霊によって日本は守られているという考えと相まって、《神風特別攻撃隊》を生み出していくわけです。

たしかに、そんな考えを持ってたら、アメリカに負けますよね。明治維新から日露戦争までは、その考えを封印して富国強兵に邁進した日本でした。そういう時代もあったんです。ただ、それで油断したら、もともとの日本人を隠しきれなくなっちゃったんですね。

まったく、日本人はやっかいな信仰心を持っているもんです。

だけど、日本人の信仰心は、相手を許せない、他宗教の神の存在を認められない一神教が多数を占め、争い合う世界に、矛を収めさせるヒントを提示できるかも知れないと、井沢さんは書いています。

「天皇制を含む多神教を受け入れる日本のフレキシブルな思想需要構造は、もっと評価されていいし、特有の文化としてあぴーるしていい」って。

先日の天皇の即位正殿の儀における今上陛下のお言葉も、十分そんなヒントを提示しているように、私には思えたんですけどね。





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日本人と霊『神霊の国日本』 井沢元彦

「ある言葉を口にすると、その言葉の持つ霊力が刺激されて、その言葉通りのことが現実化する」

これが言霊信仰の、基本的な理念です。起源は計り知れないようです。万葉の宮廷詩人、柿本人麻呂は、日本は「言挙げせぬ国」、つまり、みだりに言葉を使ってはいけない国という意味ですね。軽々しく口にした言葉は、良かれ悪しかれ現実化してしまうからです。“良かれ”であるならばいいのですが。

この本では、大東亜戦争においても、この言霊信仰が大きく影響をしていると書いています。日本が戦争に負けるという言葉を口に出すと、それはどんな動機からの言葉であっても非国民の敗戦主義者にされてしまうということです。

連合艦隊司令長官の山本五十六が、「アメリカとの長期戦は絶対ダメだからやめろ」と言ったのは愛国心からであったが、それでも彼は、非国民だと命まで付け狙われる始末でした。山本五十六の主導した真珠湾攻撃とその後の戦争指導は、それこそ日本を敗戦に追い込んだと思いますが、「長期戦になればアメリカに負ける」という判断は、言霊に囚われない冷静なものだったと思います。それでは当然、最悪の事態を想定することはできませんね。

さらに日本人は穢を嫌います。古代においては、天皇でさえも武器を持って戦ったものの、支配が安定すると皇族は、さらに貴族たちも武器を捨ててしまいます。戦わなければならない時はどうするかと言うと、自分たちが蔑んでいる武士にそれを任せてしまうのも、“死の穢”、“血の穢”を遠ざけるためですね。・・・なんだか穢ってのは、現代人にとっての放射能みたい。

日本史上未曾有の危機と言われる元寇を撃退することができたのは、ひとえに鎌倉武士の健闘のおかげです。ところが朝廷はそれを認めず、亀山天皇が筥崎宮に奉納した《敵国降伏》の御宸筆にかけた願いに神が応え、風を吹かせたことで日本は守られたと、これを公式の見解としました。「大丈夫、現代の日本人には憲法9条があるから」ってところでしょうか。

明治以来、欧米列強の圧力に力をつけて対抗するしかないと、現実的な対応をした日本でしたが、アメリカとの戦争に苦しんで《神風特攻隊》なんてものを編成してしまいます。「お前ら、死んでこい」では、武士を卑下した貴族たち以下です。



秀和システム  ¥ 1,540

令和の時代にあらためて読みたい。日本人の行動原理を歴史に学ぶ
第1章 日本人と神と霊
第2章 日本人と独裁者
第3章 日本人と英雄と名将


「テクマクマヤコンテクマクマヤコン看護婦さんになーれー」と言って看護婦さんになっちゃうのはひみつのアッコちゃん。アッコちゃんが「ラミパスラミパス ルルルルル」と唱えると、もとに戻ります。「テクマクマヤコン」は「テクニカル・マジック・マイ・コンパクト」を略したものだとか。「ラミパス」は「スーパーミラー」の逆さ言葉。だけど大事なのは、「看護婦さんになーれー」なんですね。言葉にしたことが現実化するんです。

言ったことが現実化するってのは、ひみつのアッコちゃんにも反映されていたんでしょうか。こういうのを呪文っていいますが、日本人にとっては、日頃使っている言葉自体が呪文ってことになるでしょうか。

同じ時期に魔法を使っていたのが、魔法使いサリー。サリーの呪文はマハリクマハリタヤンバラヤンヤンヤン。実はこれ、魔法使いサリーのテーマ曲を作曲した小林亜星さんが生みの親なんだそうです。

もともとがスキャットの好きな方で、テーマ曲の作曲の最中に、導かれるように降ってきた魔法のフレーズなんだそうです。こりゃすごい。さらにすごいことに亜生さん、《暮らし安心クラシアン》とか、《あなたとコンビにファミリーマート》なんて呪文を生み出して、言葉にしたことを現実化させているんだそうです。

呪文の中の呪文と言えば、アブラカタブラ。2世紀のローマ皇帝カラカラ時代の医師にサンモニクスの残した書物が、このアブラカタブラが現れる最古の資料だそうです。サンモニクスは、この言葉が三角形に書かれた御札を、病気から身を守るお守りのように使っていたそうです。由緒の正しい呪文ですね。ただその先の由来はいまいちはっきりしないそうです。

一説には、これはアラム語で、その意味は「私は言葉のごとく物事を為せる」とするものがあります。また一説には、これはヘブライ語で、その意味は「私が話すように物事が創造する」とするものがあります。どちらも、《言葉にしたことは現実化する》に通じないでしょうか。

言霊信仰という、まさに地域限定のガラパゴス的信仰形態でありますが、古代においては人類普遍のグローバルなものの考え方だったのかも。・・・あるいは、言葉を現実化する強さを、もしかしたら古代人たちは持っていたのかも。




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『古墳解読』 武光誠

私の住む東松山は、古墳がたくさんあるところです。

家からちょっと行ったところに、野本将軍塚古墳というのがあります。前方後円墳です。墳丘の長さが115m、高さは後円部で15mあります。大きな古墳でしょ。

埼玉では、行田のさきたま古墳群が有名です。あそこは稲荷山古墳から金錯銘の入った鉄剣がでてますからね。だけど、あっちは5世紀後半なんですよ。それまでは、行田の、あの地域には目立った古墳は登場しないんですね。

3世紀前半にヤマト政権の成立を表すと思われる纏向石塚古墳が登場します。それから、それほど時間を置かない3世紀後半、現在の埼玉県域で最も早く古墳が作られるようになったのは、この東松山市を含む比企地区なんです。

さっき紹介した野本将軍塚古墳は4世紀の築造なんですが、都幾川を挟んで反対側にある高坂8号墳はそれよりも古いとされている前方後円墳です。区画整理で墳丘はないんですが、ここからは三角縁神獣鏡が発見されています。

近年、様々な科学的手法を駆使した新たな考古学的発見を通じて、古代史に関する興味深い事実が明らかにされつつあるんだそうです。それこそ、有力な古墳の発掘調査が行われるたびに、日本の古代史像が修正されるほどなんだそうです。

建国の時期の様子を伝えるなにがしかは、きっとあったと思うんです。しかし、日本古代史の勝者である藤原氏が、勝者の権限として『日本書紀』というこの国の正史を書き残したわけです。建国の時期の様子を伝えるなにがしかは、藤原氏の目についた限り、すべて失われたに違いありません。


『古墳解読』    武光誠

河出書房新社  ¥ 858

古墳を知れば、伝説上の皇室の先祖にあたる大王や王族たちの姿が浮かび上がってくる
一章  そもそも古墳とは何か、どのように誕生したのか
二章  大和朝廷の勢力拡大と前方後円墳の広がり
三章  朝鮮諸国との外交が「古市古墳群」をつくらせた
四章  古市古墳群とは別に「百舌鳥古墳群」を営んだのは誰か
五章  七世紀末、なぜ古墳は築かれなくなったのか


だから、日本は古代から現代に至るまで一つの民族、一つの言語、一つの文化が受け継がれてきているにもかかわらず、その国の起こりがわけの分からない神話の中に埋没してしまっているのです。

この本の著者、武光誠さんが四章に《古市古墳群とは別に「百舌鳥古墳群」を営んだのは誰か》という章を置いています。百舌鳥古墳群の古墳は巨大古墳で、いずれも大阪湾に面した台地に作られた、いかにも“見せるための古墳”と著者は言っています。一体誰に見せようとしたのか。それは、この時代の大王たちが盛んに使者を送った南朝の宋から訪れる外交官たちに。

百舌鳥古墳群の時代の大王たちは、『宋書倭国伝』に“倭の五王”と呼ばれる者たちだったろうということなんです。例の、“讃・珍・済・興・武”のことですね。武満さんは、この“讃・珍・済・興・武”が誰であるか、それぞれがどの巨大古墳に葬られたのかを、ほぼ特定しています。

ただしその中で、古墳から推測されることと『宋書倭国伝』の内容は一致するが、この二つと『日本書紀』に書かれていることは符合しないそうです。そう考えると、やはり藤原氏はヤマト建国に関わるなにがしかを隠さなければならなかったんでしょう。

そんな事をするから、日本人は古くから、自分の国の起こりを知ることができませんでした。それが最近、いろいろな人の努力の積み重ねで、少しずつ明らかになりつつあるんですね。ありがたい話です。だけど、私が死ぬまでに、その全貌が明らかにされるかな。自分じゃどうにもできないので、武光さんのような方々に、頑張ってもらいたいな。

吉備の最有力氏族だった物部氏が、纏向におけるヤマト政権の旗揚げに強く関わったというのは、やはり間違いないようですね。ただ、纏向という新たな土地の首長は、吉備を出てきた自分と吉備にとどまった首長たちとを区別するために、吉備時代の墳丘墓に手を加えて前方後円墳という新たな首長墓としたと、武光さんは言います。

ただ、その旗揚げに、いろいろな地域の人々が集まっています。いろいろな地域から人が集まっていることが、そこから出土する土器の種類で分かってるんですね。ヤマト以外の地域の土器の割合は、東海四九%、山陰・北陸一七%、河内一〇%、吉備七%、関東五%、近江五%、西部瀬戸内三%、播磨三%、紀伊一%だそうです。

物部氏が主導的な役割を果たしたのは間違いないでしょうが、この土器のことなどを考えると、武光さんの説はまだまだ説得力にかける気がします。




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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本




































































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