めんどくせぇことばかり 本 日本史
FC2ブログ

一寸法師『おとぎ話に隠された古代史の謎』 関裕二

金太郎こと坂田公時(金時)は66代一条天皇の時代、ちょうど1000年頃の人。

大江山の鬼、酒呑童子を退治したことで知られる、源頼光の四天王の一人。この話は山賊退治の話がおとぎ話になったという説が根強かったが、今では疫病説が有力だそうだ。疱瘡、天然痘らしい。

陰陽道では北東の方角を鬼門と称して忌み嫌う。ずいぶん早くに陰陽道が入ってきているが、日本では早くから、西北から吹く風を、悪い気を運んでくると信じられていた。菅原道真の祟りも、京の北西に現れた雷雲によってもたらされたとされているらしい。

都人にとって、大江山はまさに北西の方角にある。その大江山を通り越してさらにその先には朝鮮半島があって、実際、疫病は朝鮮半島からもたらされた。酒呑童子の説話によれば、彼らのねぐらは大江山の岩穴の先とされている。それはどこかというと、なんと竜宮だという。

竜宮の主は龍王、水の神。水の神である酒呑童子を退治するのが金太郎。陰陽五行によれば、金は水に克つ。それで公時が金時に変化したと。熊に乗っていたのはともかく、担いでいた鉞は、水に克つ金属。

金太郎は山姥の子としても知られる。山姥は人の子を喰う。だから大きな口をもっている。髪の毛の中にもう一つ口を隠している山姥もいる。山姥は多産でも知られ、さらに死んだあとは、屍から穀物やらの食べ物を生み出す。地母神の性格を持ち合わせている。

京都府福知山市大江山町に豊受大神社と皇大神社がある。祭神は、前が豊受大神、後が天照大神、つまり伊勢神宮の外宮と本宮のコンビになる。そして、こちらが豊受大神の故郷である。豊受大神は食物を司る神だから、これも地母神的性格を持っている。天から羽衣で舞い降り真名井で沐浴をした水に関わる。“トヨ”の名前は龍王の娘、豊玉姫にも符合する。水の神の“トヨ”は、食物の豊穣を表す“豊”と言うことか。

豊受大神は山姥的な豊穣の神であり、水の神でもあった。大江山の彼方の竜宮城とは、水の神であり、豊穣の神である豊受大神のいる場所だったと言うことか。




PHP文庫  ¥ 524

おとぎ話は単なる童話ではなく、古代史の真相に行き着く「民族の記憶」である
第一章 おとぎ話と古代史の奇妙きてれつな関係の巻
第二章 浦島太郎と武内宿禰の謎の巻
第三章 『竹取物語』に隠された古代史の闇の巻
第四章 金太郎伝説と酒呑童子説話の裏側の巻
第五章 一寸法師と崇る水の神の巻
第六章 ヤマト建国とおとぎ話の不思議な関係の巻
第七章 因幡の白兎に隠された邪馬台国の巻
第八章 桃太郎と謎の吉備の巻
第九章 ヤマトタケルとヤマトの謎の巻
第十章 鶴の恩返し(鶴女房)の謎の巻
第十一章 天の羽衣伝承に残された謎の巻
第十二章 カゴメ歌の謎の巻
第十三章 伊勢神宮とトヨの秘密の巻





「お椀の舟に箸の櫂」、腰には針の刀を差していたっけ。

妻が40歳になっても子に恵まれないことから、夫婦は住吉大社に願をかけて子を授かる。ところが、一寸法師と名付けられて、いつまで経っても小さいままで成長しないその子を、夫婦は化け物だろうと考える。それを悟った一寸法師は、「お椀の舟に箸の櫂」で、京都に旅立つわけだ。

一寸法師、田螺長者、豆助、親指太郎、みんな小さい。みんな不思議な誕生秘話を持っていて、鬼を退治して、立派になる。

一寸法師は住吉大社が授けた子ども。住吉大社には、住吉大神が神功皇后と夫婦の秘め事を交わしたという伝承がある。そして神功皇后が産んだのが応神天皇ということになる。住吉大社に祀られる神は、日本を代表する海の神、底筒男命、中筒男命、そして神功皇后である。

応神天皇こと八幡神が祀られるのが宇佐神宮。八幡神は三歳の童子として、笹の葉の上に出現したという。宇佐の土着の信仰だった八幡神に、後から応神天皇が重ねられたものだそうだ。

この宇佐神宮最大の祭りに相撲が奉納されるという。東軍と西軍に分かれ、東軍圧勝ののち、後から現れる住吉さまが東軍をコテンパンにしてしまう。・・・これ、”住吉さま”と呼ばれている怨霊を鎮魂している.住吉の神は、歴史上の敗北者と言うことになる。応神天皇は化け物の類いとして生まれ、神功皇后とともに、恨みを抱いて九州をさまよったのか。

鹿児島神宮は大隅正八幡と呼ばれ、神社の裏には奈毛木(なげき)の杜という社があり、蛭子、不虞に産まれたため海に流された神が漂着した場所であるという。

高貴ではあるが、化け物の類いとされた子が捨てられ、海を漂流して漂着したのが九州の南部。神功皇后と息子の応神は、九州から攻め上がり、ヤマトの政敵を倒して勝者となる。まるで神武東征。

勝者になっては怨霊化するのがおかしい。北九州で強くなりすぎたトヨはヤマト政権から疎まれるようになり、やがて悲惨な末路を迎えているはず。なにしろ、西軍が負けそうなところに現れて、東軍力士をバッタバッタと投げ飛ばすほどやっつけないと気が済まないって言うんだから。

ともあれ、一寸法師のお母さんは住吉さまということは間違いなさそう。



テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

浦島・羽衣『おとぎ話に隠された古代史の謎』 関裕二

https://www.jiji.com/jc/article?k=2020051100907&g=pol
“火事場泥棒”か、“市民”の方々のプロパガンダは中韓に習ったのかな。
「むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがおりました」

なんで~?って言うんだ。なんで、「おじいさんとおばあさんなの」って。どうして、「お兄さんとお姉さん」でも、「お父さんとお母さん」でもなくて、「おじいさんとおばあさん」なのかって言うんだ。

どうせ、子どもが生まれるんだから、「お父さんとお母さん」が一番いい。「お兄さんとお姉さん」だと、やっぱりちょっと問題だ。だけど、一番子どもからは遠いはずの、「おじいさんとおばあさん」なんだよね。

そして、おじいさんとおばあさんのところにやって来たその子が、大人の男たちでも怖がって近寄らない恐ろしい鬼を退治に行く。

意味があるんだそうだ。老人と子どもは、他の者たちよりも、生と死の境界に近いところにいる。子どもの近くにある生の向こう側、老人の近くにある死の向こう側は、まさに神の領域なんだな。それに生まれることそのもの、死ぬことそのものが、ふしぎな出来事だしね。だから、老人と子どもってのは“不思議な存在”であり、“神に近い存在”と考えられた。

しかも、日本の神様ってのは、八百万の神々ってくらいの多神教で、唯一真の世界の絶対正義であったり、絶対善であったりしない。時には恵みをもたらす神であるが、同時に祟りを成す鬼でもある。

一寸法師は、子どもの出来ない老夫婦が住吉大社に願掛けをして、やっと授かった一粒種。だけど、何年経っても背が伸びない。老夫婦は不気味に思い、「こいつは化け物の類い」と思って、体よく家を追い出してしまう。一寸法師は小ずるい才覚を発揮して、やがて鬼を退治することになる。

ヤマトタケルは手のつけられない人間離れした乱暴者で、父の景行天皇は「化け物かその類い」と考えたのか、厄介払いよろしく敵対勢力の討伐に向かわせる。九州に出かけた彼は日本童男(やまとおぐな)と名乗って熊襲建を殺し、熊襲を平定する。童男とは子ども。子どもとして恐ろしい敵である鬼を倒す。

敵の鬼を倒すのは、「化け物の類い」、つまりこちらも鬼ってことだ。

おとぎ話の形がここにある。




PHP文庫  ¥ 524

おとぎ話は単なる童話ではなく、古代史の真相に行き着く「民族の記憶」である
第一章 おとぎ話と古代史の奇妙きてれつな関係の巻
第二章 浦島太郎と武内宿禰の謎の巻
第三章 『竹取物語』に隠された古代史の闇の巻
第四章 金太郎伝説と酒呑童子説話の裏側の巻
第五章 一寸法師と崇る水の神の巻
第六章 ヤマト建国とおとぎ話の不思議な関係の巻
第七章 因幡の白兎に隠された邪馬台国の巻
第八章 桃太郎と謎の吉備の巻
第九章 ヤマトタケルとヤマトの謎の巻
第十章 鶴の恩返し(鶴女房)の謎の巻
第十一章 天の羽衣伝承に残された謎の巻
第十二章 カゴメ歌の謎の巻
第十三章 伊勢神宮とトヨの秘密の巻





蘇我馬子と物部守屋が、仏教の導入をめぐって争い、果ては大きな戦となってしまった。

その大戦、守屋を館の追い込んだものの、武人守屋の敢闘の前に、馬子の軍は攻めかかっては退却を繰り返す。この戦いに、厩戸皇子、後の聖徳太子も15か16くらいの歳で参加していた。束髪於額(ヒサコハナ)と呼ばれる童子の髪型で参戦し、願掛けをして守屋を倒したという。

童子が、大人の男たちも尻込みする恐ろしい敵を倒す。鬼を倒す子ども、鬼を倒す力をもった「化け物の類い」、つまりは鬼。聖徳太子も鬼か。

片や、おじいさんも、大事なところで出てきて、常人にはない知恵を発揮する。塩土老翁(しおつつのおじ)は兄の釣り針を失って途方に暮れている山幸彦に語りかけ、彼を誘って海神の宮に連れて行く。山幸彦はそこで、海神の娘である豊玉姫と結ばれる。そして3年を海神の宮で過ごした後、地上に戻る。

・・・浦島太郎の話につながっていく。

豊玉姫もそうだけど、古代史には“トヨ”と呼ばれる女性が、これまた重要なところで登場する。豊玉姫の産んだ山幸の子は、神武天皇のお父さん。伊勢神宮の外宮に祀られる豊受大神は、もとは丹後半島に舞い降りた。丹後半島は浦島伝説の故郷だという。舞い降りた豊受大神が沐浴しているうちに、羽衣をおじいさんに隠されちゃうんだよね。

本当は誰が隠したのかというと、・・・。

春過ぎて夏来るらし白妙の衣乾したり天香具山

白妙の衣が天の羽衣で、天香具山から羽衣を盗んだのは、持統天皇ということか。持統天皇は藤原不比等の悪知恵を利用して大津皇子を殺し、天武天皇の改革を藤原不比等に売り渡した。

その天武天皇の政治は、蘇我馬子、蝦夷、入鹿と続いた蘇我氏全盛期の改革路線だったんだろう。壬申の乱でようやく政権を取り戻した改革派は、羽衣を持統に盗まれるんだな。


邪馬台国の卑弥呼の宗女の台与も、大事なところで登場する“トヨ”の一人。台与は魏にヒスイを送ったヒスイの女王。女性ではないが、トヨトミミと呼ばれた人がいる。聖徳太子である。

九州北部の宗像大社に伝わる神功皇后に関する伝承によれば、北九州から朝鮮に渡ろうとした神功皇后は、竜宮城の海神に妹を差し出して協力を求めたという。その名が豊姫であるという。

魏志倭人伝は、「卑弥呼亡き後男王が立つも混乱し、よって女王台与が立てられた」と記録している。

卑弥呼に神功皇后、台与に豊姫、・・・伝承は何を語ろうとしているのか。

その時長く滞在した場所は、「トヨの港の宮」という意味で豊浦宮(とゆらのみや)と呼ばれたという。豊浦宮と言えば、蘇我系の女性天皇である推古天皇の宮も豊浦宮だった。飛鳥は内陸なのにね。

推古を支えた宰相が、蘇我馬子。その別名が嶋大臣(しまのおおおみ)と言った。豊浦宮に嶋の大臣。『丹後國風土記』には、藤堂する浦島太郎は、浦嶋子と呼ばれていたそうだ。



テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『日本を創った12人』 堺屋太一

すでに時価の本ではあるが、外出を控える日々を送る中、ずいぶん前に読んだ本を引っ張り出してみるのもいい。

“日本を創った12人”を選抜するっていうのは、すさまじく難しい。自分だったら誰を選ぶだろう。そのあたり、人によってだいぶ変わってくるだろう。誰が、どういう観点から、誰を選ぶかってのはとても興味深いところだ。

堺屋さんが選んだ12人の人となり、業績、後の日本人にどのような影響を与えていったのか、それが書かれているのがこの本。前編と後編の2冊に分かれる。

前編で取り上げられているのが、聖徳太子、光源氏・・・光源氏?、源頼朝、織田信長、石田三成、徳川家康。そして後編で取り上げられているのが、石田梅岩、大久保利通、渋沢栄一、マッカーサー、池田勇人、松下幸之助。

もしも私が選んだとしても、源頼朝と石田梅岩は入れると思う。それ以外は、たぶん重ならない。光源氏は絶対選ばない。

堺屋さんの選抜基準は、現代の日本の社会構造と私たちの発想の始祖であるということ。マッカーサーに関しては、“発想の始祖”というよりも、東京裁判史観を洗脳したというにとだな。敗戦から75年経っても、いまだにあの洗脳から解けない者も多い。なにそろマスコミと学問の世界をその戦後史観の利得者で押さえてあるから、少年少女の人生は、洗脳された状態で始まる。現代の日本に与えた影響力から考えても群を抜いている。

そんな中でも、池田勇人、松下幸之助らに牽引されて、経済で一流になることを目指し、戦後の高度経済成長を遂げ、まさに世界の経済を引っ張ってきた。しかし、・・・

この本は1997年第一版なんだけど、バブルが弾けて、その後長く続く日本経済低迷期真っ只中。真っ暗なトンネル中で、出口の明るささえ感じられないような時代。

グローバル化が叫ばれる中、経済不況から脱出できない日本は多くのものを失っていった。そのような状況であるからこそ、日本は大きな変革を迫られていた。そんな中で、堺屋さんはこの本を著した。




PHP新書  ¥ 時価

何を守り、何を切り捨てるか。その選択が日本と日本人の未来を決める
石田梅岩
大久保利通
渋沢栄一
マッカーサー
池田勇人
松下幸之助


これまで通りの日本では、もはや、立ちゆかない。

かといって、アメリカの求めるグローバル化を受け入れるということは、さらにアメリカナイズされた日本、・・・いや、アメリカそのものにならざるを得ない。それはもはや、日本ではない。

ハンチントンは『文明の衝突』の中で、日本を他に類例のない独自の文明として、西欧文明、ラテンアメリカ文明、アフリカ文明、中華文明、ヒンドゥー文明、東方正教会文明、イスラム文明、日本文明と、八大文明の一つに数えた。日本をそのような独特の国にした先人たちの代表として、堺屋さんは、この12人を選抜したわけだ。

聖徳太子が発想した同時多宗教信仰は、たしかに日本を除く地域ではあり得ない。それが日本であり得たのはなぜか。ユダヤ教徒とイスラム教徒が、イスラム教徒とキリスト教徒が、各宗教の原理主義が、宗教と宗教が、宗派と宗派が、民族と民族が、国と国が、お互いの違いばかりをあげつらう中、日本人が今に引き継ぐ聖徳太子の発想は、もしかしたら世界を救えるかも知れない。

源頼朝が作り上げた権力の二重構造、権力と権威の二重構造は、堺屋さんは“世界に例のない”というが、イスラムにおいて、アッバース朝のカリフがセルジューク朝にスルタンの称号を与え、政治権限を譲って、カリフは権威だけの存在になったという時期があった。後に、イスラムの盟主であるオスマン朝が、国王の権威を強化するためにスルタン・カリフ制を前面に出すことになる。どうも、イスラムにおいては、その方が座りがいいらしい。

郷土の先輩、渋沢翁が押し進めた合本主義、いわば官民協調と業界談合制度。官と民は、日本の場合、欧米のように対立項ではないんだな。談合も、いかにも日本らしい。

従来の日本らしさを活用し、新しい発想と合致させることで、先人たちは道を開いてきた。だけど、その反面、いつだって多くのものを失ってきたことも事実。

私たちの生きる現代に近いところでも、明治維新とその後の明治期、日本は新しい世に対応できる大変革を成し遂げたが、失ったものも大きい。まさに、渡辺京二さんの『逝きし世の面影』に書かれたところだ。

戦後の国際政治優先の時期を経て、日本は高度経済成長期に入る。いくつもの要因が指摘されているが、なによりも日本人の意識が変わった。政治よりも、精神性よりも、豊かになることを、日本人は優先した。

いま、世界が感染症流行に見舞われている。感染症対策にしても、日本は独自の対策を試みている。その先に、きれいな虹を見せてくれるリーダーが登場すれば、日本はこの感染症の流行を、変革の好機に出来るかも知れない。



テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『縄文探検隊の記録』 夢枕獏 岡村道雄

題名に注目。

『縄文探検隊の記録』だって。・・・“探検隊”に興味はそそられるものの、“縄文”の“記録”と言われて、私は尻込みした。縄文研究の専門家の“記録”を読んで、私に分かるとは思えなかった。それで、その書架の前を通過しかかったとき、背表紙に夢枕獏の名を見つけた。

手にしてみれば、対談ものらしい。登場する縄文の専門家は岡村道雄さん。獏さんの、“縄文の師匠”なんだそうだ。その獏さん、今、縄文人が信仰していた神々の神話をでってあげようと企んでいるという。

獏さんの書く話には、怪しいものが多い。そういうのを伝奇小説と言うそうだ。その起こりは、“中国”の唐や宋王朝時代にあって、仙人、仙女の登場する怪しい話が書かれるようになったそうだ。そう言えば、唐王朝時代、道教や、それに関わる仙神思想が大流行した時代のはず。

獏さんが、そのルーツとしてあげている『捜神記』はさらに古く、儒教一辺倒の漢が滅びて、政治的には大混乱期を迎えるが、その分、文化は多様化して、仏教や道教も盛んになったという。その頃から動物や仙人や神様を登場させる短い話がたくさん作られたんだそうだ。

ちょっと前の、日本の伝奇小説としてあげているのが、芥川龍之介の『杜子春』、半村良の『黄金伝説』、『妖星伝』、吉川英治の『鳴門秘帖』。なんだ、ずいぶん前のことになるけど、全部読んでる。と言うことは、私は伝奇小説が好きなのか。

そのジャンルを突き詰めたきた獏さんだが、最後には「日本人とはなにか」「記紀神話以前の神々とは」という問いにたどり着いたという。それが獏さんにとっては、縄文だったと言うことのようだ。

さらにもう一つ企みがあって、旅する縄文の運び人「わたり」なるものが、行く先々で縄文の神とであう物語。・・・縄文の神々のでっち上げでも、縄文の車寅次郎でも、私はどちらでもいい。

この“あとがき”が書かれたのは、2018年とある。そのなかで、「2019年のどこかで」それをスタートさせるとある。すでにスタートしているようだ。

まもなくお目にかかれる。楽しみでならない。


『縄文探検隊の記録』    夢枕獏 岡村道雄


インターナショナル新書  ¥ 946

日本列島に住んだ祖先たちはどのような生活を送り、どんな精神文化を築いていたのか
第1章 日本人の食の源流
第2章 住まいとコミュニティー
第3章 翡翠の道をたどる
第4章 土偶と諏訪信仰
第5章 生命の木「クリ」
第6章 漆文化のルーツ
第7章 天然の接着剤「アスファルト」
第8章 縄文の神々


世界最古の漆製品は北海道の垣の島Bという遺跡の墓穴から出土したシャーマンが身に着けていたもので、素材は糸で帯状にして漆で固めたもの。これはその時期の本州にはない独特の作り方である。また本州の縄文漆器は中国にもない塗りの独自性を持ち、特徴の一つが現在の漆器と同じ重ね塗り技術であると。ウルシの木そのものは縄文草創期の福井県鳥浜貝塚などから出土しているが、縄文時代より前のウルシの木の化石は見つかっていない。そして日本に生えているウルシは遺伝的に中国、朝鮮半島のものと同一であると。本来、日本列島に分布していない植物でありながら、利用は大陸よりもかなり先行している。


垣の島Bから発見された漆製品は9000年前のもの、“中国”最古のものは8000年前。さらに古いものが、今後、“中国”から発見される可能性はある。ウルシの木が、縄文より前の日本にはない植物であったとするなら、起源は大陸にあると言う説が有力であるが、その後の利用の広がりと、現在、日本で行なわれている漆器技術につながる高度な技法を考えると、日本起源も捨てられないと言うことのようだ。

今後の発見によりけりだそうだ。“中国”からもっと古い漆製品が発見されること。あるいは、日本の縄文より前の地層から、ウルシの木の化石でも、花粉でもいいから見つかること。そうすりゃ分かるって。

ウルシの木が、縄文より前にはなかったって言うのは知らなかった。2018年なら現役の教員として、漆器は日本起源と生徒に伝えていた。勉強不足って言うのは、あとから知ると恥ずかしい。

発見された遺物の古さってことだけで片付けられるもんじゃないけど、漆器も土器も、日本列島は世界最古のグループに入ることは間違いない。すごい場所だったんだな。

ちなみに、アスファルトの章は地味そうだから飛ばそうかと思ってた。あぶない、あぶない。

土偶は、その多くが壊れた状態で発見されることから、「壊すことに意味があった」と言われていた。それを壊すことによって、災いを土偶に背負ってもらう。“ひとがた”だね。それが、どうも、そうではなかったようだ。

なぜか。破壊説は、腕や足、首がよく壊れていて、“ひとがた”に代表されるような呪術的儀式の結果とするもの。しかし、壊れた状態で発見された土偶の中には、アスファルトで接着補修したものが少なからずあり、壊すことを目的に作られたという破壊説は疑わしくなってきた。

アスファルトでくっつけて大事に使っていたのが事実ではないか、ってことのよう。・・・なんか、こっちの方が納得できる。

縄文に関しては、ここのところの調査技術の進歩によって、どんどん新知識が登場してる。私なんかじゃとても追いつきそうもない。獏さんの縄文小説に期待して、雰囲気だけでも味わうことにしよう。



テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

調略『反日プロパガンダの近現代史』 倉山満

第二次世界大戦における日本には、高度なプロパガンダはまったく感じられない。

生きることそのものがプロパガンダ、口から出る言葉のすべてがプロパガンダであるかのような“中国人”。自ら放ったプロパガンダに自分がだまされ、正義の鎧を身につけるアメリカ人。同じ枢軸国だったはずなのに、いつの間にか日本に宣戦布告しているイタリア人。あっという間にドイツにたたきのめされて、大戦中9割方、被占領状態だったにもかかわらず、なぜか五大国に食い込むフランス人。

恐るべし。おかげで日本は、彼らの付けを全部肩代わりさせられてしまった。

だけど、日本にも、このプロパガンダが飛び交った時代があったそうだ。・・・戦国時代。戦国時代と言えば合戦の時代と考えてしまうが、これは間違いだそうだ。戦いは戦いでも、真っ向から力でやり合う合戦はまれなことで、戦いは基本的に間接侵略とプロパガンダ。合戦に至ったとしても、それは最後のセレモニーで、そこに至るまでの間接侵略とプロパガンダで勝負は決する。

この間接侵略とプロパガンダを合わせて、戦国時代はこれを調略と読んだそうだ。調略と言えば、豊臣秀吉か。この本の著者、倉山満さんに言わせると、信長、秀吉、家康の中で、秀吉こそが本物の天才だそうだ。倉山さんは例をあげて論証するのがうまい。この間は、“ウルトラマンエースに出てきた悪魔怪獣ヤプール人を改心させる”という話を取り上げていた。

それに続いて今度は、三人の性格の違いを表したホトトギスの俳句を取り上げた。鳴かないホトトギスを、“殺す”信長、“鳴かす”秀吉、“待つ”家康。・・・たしかに、天才は秀吉だ。




アスペクト  ¥ 時価

国内外の反日勢力が仕掛ける情報戦&謀略戦に負けないために知っておきたいこと
はじめに  ――もう反日プロパガンダには騙されない!
第一章 現代日本を取り巻くプロパガンダ
第一節 歴史問題
第二節 アメリカのプロパガンダ
第三節 中国のプロパガンダ
第四節 朝鮮のプロパガンダ
第二章 プロパガンダが得意だった戦国日本人
第一節 戦国時代の基本はプロパガンダ戦
第二節 織田信長
第三節 豊臣秀吉
第四節 上杉謙信
第五節 毛利元就と徳川家康
第六節 石原莞爾と武藤章
第七節 世紀のザル法! 特定秘密保護法
第三章 近代日本のプロパガンダ
第一節 強力だった明治の外交
第二節 明石元二郎
第三節 石井菊次郎
第四節 満洲事変 プロパガンダ戦敗北まで
第五節 正論が通らなくなる謎
第四章 世界史におけるプロパガンダ
第一節 四面楚歌が世界最初のプロパガンダ?
第二節 異教徒を改宗させる宣教委員会
第三節 イギリスを世界大戦に勝たせた近代プロパガンダ
第五章 反日プロパガンダに勝つ方法
第一節 ユーゴ紛争にヒントがある
第二節 外国人参政権
第三節 「北朝鮮に拉致された中大生を救う会」の戦い
第四節 アベノミクス vs. 日銀の死闘






調略渦巻く戦国時代。

東奔西走の末、信長は、どうやら戦国時代を終わらせる目星をつけつつあった。そのさなかに起こった本能寺の変。その時、極めて重大なプロパガンダが仕掛けられていたんだな、これが。

大河ドラマ『麒麟がくる』。久し振りに大河ドラマを面白がって見ている連れ合いの隣で、ついでに見ている私だが、明智光秀を中心に、信長、秀吉、家康が錯綜するが、その切り口がずいぶん新しそうで、期待している。

秀吉は中国方面司令官、柴田勝家は北陸方面司令官、滝川一益は関東、丹羽長秀は四国。なのに明智光秀は京都周辺に留め置かれたことから、信長から能力を認められていなかったなんて説があるらしいけど、倉山さんの言うとおり、一番便りにしているやつをそばに置いておくに決まってるよね。

あの段階で、信長は光秀が裏切るなんてことは、100%想定していなかったと言っていい。なにしろ、謀反を知ったとき、信長はまず、息子の信忠の裏切りを考えたらしい。

光秀の裏切りを知った信長が、「是非に及ばず」と言ったそうだ。信長は何を思ったものか。ものによれば、「仕方がない」という人がいる。さらに進んで、「ああ、やっぱり」という人もいる。いずれも、光秀の裏切りを心のどこかで“あり得る”と思っていた場合に出る言葉だ。

これはあり得ない。信長にとって光秀は、まさに親衛隊。だからこそ、そこにいたんだから。それが裏切ったと聞いて「是非に及ばず」であれば、「こりゃ、終わったな」だろう。

しかしそこで、信長は最後の謀略に出る。遺体を隠すと言うこと。僧侶が持ち去ったという説があるが、一番簡単なのは、本能寺に火をつけて他の遺体と判別できないようにすること。遺体を持ち去るとか、燃焼し尽くす必要はない。信長の遺体が特定できなければそれで十分。

秀吉はそれを生かした。「信長さまは生きている」とプロパガンダを流しまくって、光秀に味方する者を牽制した。案の定、光秀は仲間を集められず、秀吉に討たれる。

その後、織田家の天下を乗っ取るまでのプロパガンダも見事なもの。まさに、鳴かないホトトギスを、秀吉は天才的調略で鳴かしたことになる。

さて、『麒麟がくる』。いったいそのあたりを、どう描いてくれるのか。ここで易きに走ったら、私はもう、二度と大河ドラマを見ないかも。



テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

ドングリよりも栗『縄文探検隊の記録』 夢枕獏 岡村道雄

よく栗を拾いに行った。

兄たちに連れられて、幼なじみとかと一緒に、学校帰りに突然思い立って、時期になると我慢できずに栗を拾いに行った。山の中を歩き回って山栗を広い、ポケットがパンパンになるまで拾って、うちに帰る。帰ってからお勝手に行って、流しにポケットからバラバラ出して、母に煮てもらって食べた。

だけど、山栗は小さいから、ずいぶん拾って帰っても、腹一杯になるわけじゃない。その上、むくのがすごくめんどくさい。できれば大きいのが良いけど、それは栽培されているやつで、畑の中に入って取ると怒られる。何度か続くと、追いかけられる。

栗畑の垣根からはみ出しているのは取ってもいいと、子どもは勝手に決めつけて拾った。それで怒られたことはないから、それは子どものすることだからと勘弁してくれていたのかも知れない。

まだ完全に弾けていないのは、両足で踏んで、脚を広げるようにしていがを左右に割る。私はけっこう、いがを割るのがうまかった。台風のあととかに行ってみると、垣根の外側にずいぶん落ちている。中にはまったく弾けていない、完璧にいがの鎧をまとった栗まで落ちていた。

その場合、上下を見分けて、このあと弾ける予定だった場所を真ん中にして上から両足で踏み、靴の中の親指に力を入れて左右に開く。時々、まだ栗色になってない、白いままの栗まで出てきたりしてね。

なぜか私の中の栗の記憶は、運動会に結びつく。それも地区の運動会。数日前の台風が、周辺の雲を巻き込んで北東に去って行った。天気は快晴、見事なまでの秋空が広がっている。

朝ごはんの準備と片付けが終わった母は、今度は私にせがまれて栗を煮る。「まだだよ」って言って、私はお勝手から追い出される。そのうち、近所の友達が迎えに来てしまう。どうしようと思っていると、母が煮上がったばかりの栗を紙の袋に入れてお勝手から出てくる。

私はそれを受け取り、ナップサックに入れて、友達と一緒に学校に向かうんだ。ナップサックに入れた煮上がり立ての栗で、背中が少々温かすぎるのを感じながらね。


『縄文探検隊の記録』    夢枕獏 岡村道雄


インターナショナル新書  ¥ 946

日本列島に住んだ祖先たちはどのような生活を送り、どんな精神文化を築いていたのか
第1章 日本人の食の源流
第2章 住まいとコミュニティー
第3章 翡翠の道をたどる
第4章 土偶と諏訪信仰
第5章 生命の木「クリ」
第6章 漆文化のルーツ
第7章 天然の接着剤「アスファルト」
第8章 縄文の神々


縄文時代の基本料理は、鍋だったそうだ。

遺跡からはおびただしい数の縄文土鍋が出てくるんだそうだ。その土鍋で、おそらく何でも鍋にして煮て食べていた。毎日が寄せ鍋と言うことだな。うらやましい。味は食材から出た出汁と、塩、山椒などの香辛料も使われたという。

春は、昼間に大潮の干潮がくる。アサリやハマグリが捕りやすくなる。潮干狩りだな。貝の入った鍋か。いい出汁が出るだろうな。魚も捕れるだろうしね。今みたいな、焼き魚って言う食い方はなかったみたいよ。だからみんな鍋に入れて食べたようだ。

なんでそんなことが分かるかというと、遺跡からは魚の骨やひれも出てくるんだそうだ、それらの中に、焦げたものが見当たらないんだって。そんなところまで見て、研究するんだ。

刺身も分からない。刺身にするなら、三枚におろすでしょ。そうすると中骨に三枚おろし独特の切り口ができるらしいんだけど、そういう骨は見つかっていないんだって。

陸のものは何を食べていたか。獣肉は狩り次第だから、やはり頼りになるのは植物。私はずっと、縄文人はドングリを上手にあく抜きして食べていたんだと思っていた。

たしかにドングリを食べていた。実際に地下の室のような穴に貯蔵された状態でドングリが出土することがあるそうだ。だけど、今の研究では、量的には圧倒的に栗のほうが多かったらしいんだ。

順番で言うと、栗、次が胡桃、トチの実、ドングリって言う順番だそうだ。そんなに栗を食べていたんだ。

栗はあく抜きの必要がなく、甘くておいしい。土に入れておけばより甘くなるし、春まではそのまま貯蔵することができるそうだ。乾燥させて、いわゆるカチ栗にすれば、いつまででも持つ。

より大きな実のなる木を残していったらしく、縄文時代も時間の経過とともに栗の実が大きくなるんだって。ただし、甘くておいしい栗を食べるようになったことで、どうやら縄文人は虫歯になってしまったらしい。歯周ポケットにかなりの虫歯が見られるんだって。

縄文に関する研究は、まさに日進月歩だな。



テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『日本を創った12人』 堺屋太一

2019年7月に、日本政府による韓国向け輸出管理の強化措置に対して、釜山の日本領事館に不法侵入して抗議を行なった韓国人学生7人に対し、韓国の裁判所は事実上の無罪判決を下したそうだ。

その理由が面白い。彼らの行動が《国民の共感を得た》というのだ。国民全体が罪人根性か。

一連の裁判では、被告らは日本がいかに悪辣であるかをアピールし、「青年として、しなければならない正しい行動をしただけだ」と犯罪行為を正当化したそうだ。傍聴席のほとんどを占有したのは被告らの支援者で、被告らの発言のたびに拍手や歓声を送っていたそうだ。裁判官が退廷を命じるでもなく裁判は続けられたそうだが、そんな裁判があり得るのは、おそらく韓国だけだな。
https://www.fnn.jp/articles/-/27862


国民性というものがある。

それは歴史の中で、さまざまな国民的経験の中で形成されてきたものだろう。それは時に、国際関係の中で強みとして働くこともあり、また、弱みとして働くこともある。だから、できることなら、強みとして働く部分は生かしつつ、弱みとして働く部分を修正していきたいもんだ。

それをしてこそ、歴史を学ぶ意義がある。

仏教は、鎮護国家の宗教として日本に入った。やがて貴族たちの宗教となり、知識階級の宗教となり、広く民衆を巻き込んだ宗教となっていく。その過程で、浄土建築の阿弥陀堂を建てることのできる貴族たちだけでなく、仏教の修行に邁進する僧侶だけでなく、誰だって仏になれる素質を持っているという考え方が取り入れられていく。

もとは、“中国”の道教の思想と仏教が融合したものらしいが、それが日本で受容、発展していくことになる。なにしろ、“草木国土悉皆成仏”っていうんだからすごい。「誰もが仏性をもっていて、成仏できる。草や木、さらには石ころまで」ですからね。





PHP新書  ¥ 時価

何を守り、何を切り捨てるか。その選択が日本と日本人の未来を決める
石田梅岩
大久保利通
渋沢栄一
マッカーサー
池田勇人
松下幸之助


戦国から江戸初期の僧侶、鈴木正三も、“悉皆仏性”の人。その仏性に磨きをかければ、誰だって成仏できる。僧侶は僧侶なりに、百姓は百姓なりの磨き方がある。もちろん、職人にだって職人なりの磨き方があるわけで、高い技能を身につけるために、ひたすら、「汗を流す」わけだ。

石田梅岩が生きた江戸時代、戦国が終わり幕藩体制が確立されていく。当初、戦争に傾けられた人財や資源が、民政のために使われるようになり、民政産業が急速に発展する。武士の社会を考えれば、戦いのない時代に入ったので、もはや成長は考えられない。一方、最初の百年、経済社会は急速に発展する。武士の子弟にも経済界に転身するものがあり、さらなる成長を促進した。

しかし、海外に商品を輸出する余地のない時代、生産は必ず行き詰まる。石田梅岩が生きたのは、ちょうどそんな時代だった。

梅岩が説いたのは、勤勉と倹約を両立させることだった。その根源は、彼独自の考えである“諸業即修行”にあるという。勤勉に働くことは、そのまま人生の修行であるという考え方。諸業、つまり百姓なら農業、商人なら商い、職人なら物作り、それを賢明に取り組めば自らの人格が形成される。

まさに鈴木正三の成仏への道が、人格の形成に置き換えられたもの。良い人生を生きる道を説いたものとなった。

キリスト教社会やイスラム教社会の勤勉は、やがて財を成し名をあげて、人生を楽しむという目的を持つ。朱子学の勤勉は、知識や学問に取り組む勤勉であって、かえって生産活動を低く見た。

清貧はカトリックの中心思想だが、あくまで神に仕えることを重視するのであって、懸命に働くことを求めるものではない。やがて、勤勉を優先して清貧を捨てるのがカルヴァン派だ。

「生産活動に勤勉であれば人格が形成される」という考えは、「人格が立派であれば勤勉に仕事をしているはず」という推論を産む。人格を、仕事で証明する必要が生まれ、細部まで心遣いの行き届いた仕事を志すことになる。日本人の仕事に対する信頼が高くなるという点に関しては、強みである。強みであるが、そこまで仕事をすれば値段が上がる。値段を上げてまで、細部にこだわる必要があるのかということにもなる。

さらに、「丁寧でない仕事をする人間は人格が下劣だ」という考えにつながる可能性がある。細部にこだわるよりも価格の安さを優先したのかも知れないのに、それを人格と結びつけるのは、相手に対する失礼な侮りを産む。

石田梅岩の思想が日本人に与えた影響は大きい。その良いところと悪いところ、しっかり見つめ直す必要がありそう。


韓国の人たちも、自分たちの国民性を見つめ直してもらいたいところだけど、その希は薄そうだ。


テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『天皇の日本史Ⅱ』 井沢元彦

今年から天皇誕生日は2月23日。

陛下は還暦になられた。実は、ちょうどひと月遅れで、私も還暦になる。同じ昭和35年の生まれで、ちょうどひと月早く生まれた陛下を、他の皇族方とは違って、なんだか身近な存在のように感じてきた。

毎年、年が明けて3学期となり、寒の入りの時期が過ぎて立春を過ぎ、春が近づいて来たと感じる頃が陛下の誕生日で、いよいよ春本番を迎える頃が私の誕生日となる

今年は、安定的な皇位継承に向けて、政府が検討を始めることになる。それについて、陛下も誕生日の記者会見で、《現在,男性皇族の数が減り,高齢化が進んでいること,女性皇族は結婚により皇籍を離脱すること,といった事情により,公的活動を担うことができる皇族は以前に比べ,減少してきております。そしてそのことは皇室の将来とも関係する問題です。ただ,制度に関わる事項については,私から言及することは控えたいと思います》と述べられた。

ぜひ、井沢元彦さんの『天皇の日本史Ⅰ』「天皇の日本史Ⅱ』あたりを国民が読んでおいて、良識を持っておかしな“有識者”を監視できるようにしたいもんだ。

そう、井沢さんの言うとおり、私たちは勇気を持って乗り越えなければならない過去がある。敗戦だ。なにしろ大日本帝国という国が崩壊し、310万人がこの戦争で死んだ。これによって精神的に強い衝撃を受けた世代が生まれた。

井沢さんはそれを「昭和ヒトケタ」生まれの人に多いと言うが、これはしっくりこない。おそらくもっと後だ。昭和3年生まれの父は、16歳で敗戦を迎え、その年の12月に17歳となる。このくらいの歳なら、ショックながらも戦争に至る道筋も理解していたわけで、GHQのWGIPにそうそう簡単にかかるようでもない。

わずかな差ではあるが、昭和11年生まれの白川英樹さんは9歳で敗戦となる。この間、白川先生の本を読んでみたが、周辺諸国のことよりも日本に対して手厳しい。今でもほどよくWGIPが効いているようなんだ。おそらく、“強い精神的な衝撃”によって、「日本が大嫌い、天皇の価値など一切認めない」となってしまったのは、「昭和ひとけた」ではなく、昭和8年以降に生まれた世代だろう。

天皇不信、国家不信になる気持ちも分からないでもないけど、いつまでもそれを引きずられても、周囲は困る。そんな嶺として井沢さんがあげている話がすごい。「・・・大丈夫なんかな」って心配になるレベル。・・・こんな話。

《たとえばここに集団レイプの被害者である女性がいるとしよう。その女性が「オトコなんてケダモノだと思っています」と主張しても、その女性にとってそれは事実なのだから仕方のないことだ。もちろん人間には思想の自由もある。しかしその女性が生物学者となって、生物学の教科書に「人間の男性はすべてケダモノである」と書くといったら、「それはマズイですよ」と言わざるをえない。個人的思い込みと客観的事実とは違う》


たしかに、天皇の存在を軍部が悪用して、国全体を引っ張ろうとした時期がある。しかしそれは、日本がかなり追い詰められた状況になってからの短い期間である。それは、天皇という存在を有する日本という国の歴史的特徴からは、ほど遠いものである。

その短い期間を除いて、日本という国の本質はケダモノではない。むしろケダモノは、違うところから日本を狙っていないか。



『天皇の日本史Ⅱ』    井沢元彦


KADOKAWA  ¥ 1,980

「令和」に必読の歴史講義。本当の日本史は、「天皇」なくして語れない!
天皇とは何か  欠史八代(第二代~第九代)
垂仁天皇(第一一代)  景行天皇(第一二代)
仁徳天皇(第一六代)  雄略天皇(第二一代)
継体天皇(第二六代)  欽明天皇(第二九代)
敏達天皇(第三〇代)と用明天皇(第三一代)  推古天皇(第三三代)
元明天皇(第四三代)と元正天皇(第四四代)  平城天皇(第五一代)
嵯峨天皇(第五二代)  文徳天皇(第五五代)と清和天皇(第五六代)
陽成天皇(第五七代)と光孝天皇(第五八代)  後三条天皇(第七一代)
長慶天皇(第九八代)  後奈良天皇(第一〇五代)
後水尾天皇(第一〇八代)  東山天皇(第一一三代)
大正天皇(第一二三代)  平成の天皇(第一二五代)


信長は、恣意的に地名を変えることが好きだったそうだ。

美濃を我が物とした信長は、その首府の井之口を岐阜と解明した。周王朝を起こした武王の父文王が都を置いたのが、この岐山。周は岐山に本拠を構えて力をつけて殷王朝を滅ぼす。その岐山にちなんで“岐”を用い、金華山を“阜”、すなわち大きな岡に見立てて“岐阜”としたという。

これにならって秀吉は、近江国今浜を長浜に改め、家康は遠江国曳馬を浜松と改めた。ところがこの家康、江戸を改めていない。江戸は穢土に通じる。汚れた地である。それは家康も分かっていて、旗印に「厭離穢土、欣求浄土」を使っている。汚れたこの世を離れて浄土に行きたいという旗印。

なぜ、そんな穢土を解明しなかったか、それを井沢さんが解説している。

江戸から今日に向かう東海道は五十三次。峠や難所があって宿場は等間隔ではないが、それでも異様に間隔の小さいところがあり、むりに五十三にあわせた節がある。

五十三に意味がある。

華厳経に登場する善財童子という悟りを求める旅人は、途中、五十三人の賢人に出会って、ようやく悟りを開く。成仏するわけだ。江戸という現世から出発して、幾多のポイントを通過して、五十三番目にたどり着く京は、悟りを開いた仏の住む浄土の世界。京はあの世、つまり死者の住む世界、その栄光は過ぎ去ったかこのものでしかない。

《天皇家を過去に封じ込める》というメッセージ。同じ世代だった後水尾天皇は教養があり学問に通じた方で、その意味が分からなかったはずはないと、井沢さんは言う。

絶世の権力者となった家康でさえ、そこまでのことをして封じ込めようとした。条件さえ整えば、天皇が大きな脅威となりかねないことを、家康は良く承知をしていたんだな。

ところが、家康は自分でその種をまくことになる。そのことも、この本には詳しく書かれている。

テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『「日本国紀」の天皇論』 百田尚樹

相変わらず穢い相撲を取る。・・・白鳳ね。あれは張り手じゃなくて、掌底。旭道三がやってたやつだ。

本当だ。文科大臣が替わるたびに、教育勅語に関する質問をして、虎視眈々と揚げ足を取ろうとしているんだ。

昨年9月に行なわれた萩生田光一文科大臣の就任記者会見でも、教育勅語に関する質問を受けていた。大臣の回答を紹介しておく。

《教育勅語はもう既に日本国憲法及び基本法の制定をもってですね、法制上の効力は喪失をしている、その内容について政府としてコメントするのは差し控えたいなと思っています。私個人がどうかと言えば、今申し上げたように既に効力を失った文章であります。ただ、現代文に直したときに、例えば、親孝行だとか友達を大切にするとか、日々の暮らしの中で一つ参考になることもあるなと個人的には思います》

残念、本当の気持ちを聞かせてよ。

教育勅語は、いいことが書かれている。いいことが書かれているが、道徳の問題を君主が命令したことが問題だというのが、教育勅語を廃止に追い込んだ羽仁五郎の言い分だ。いいことが書かれているんだよ。なんて言ったって、「父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ、恭儉己れを持し、博愛衆に及ぼし、學を修め、業を習い、以て智能を啓發し、德器を成就し、進て公益を廣め、世務を開き、常に國憲を重し國法に遵い、一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壤無窮の皇運を扶翼すべし」だからね。「夫婦相和し」なんて、長く日本をむしばんだ儒教道徳さえ克服している。

いいこと言ってるんだよ。羽仁五郎の言うとおり。あとは、これが君主の命令であったかどうか。その部分、有本さんが言っている。まずは明治初年の欧化主義思想が取り入れられて従来の儒教道徳と衝突したんですね。地方長官会議でも徳育の根本方針を示して欲しいという要望が出る。

政府がこれに応えるんだけど、最初の勅語はあまりにもキリスト教に偏ったもので、結局、井上毅が原案を起草することになったそうだ。原案を起草した井上毅は、この教育に関する勅語を君主の個人的な著作扱いにすべきだとし、さらに、権力を背景とした、上からの押し付けにならないように配慮した。立憲国家においては、君主は臣民の良心や自由に干渉しないのが建前。新たな立憲国家を立てた明治の日本は、そのことにこだわりを持ってたんだな。だから、他の勅語と違って、教育勅語は政治的勅語という形を取ってない。大臣の副書もつけず、内閣や文部省を経由していないんだな。

だから、これは明治天皇の気持ちなんだ。「こういう国を、私は臣民とともに作りたい」ってね。そんなわけで、決して道徳の問題を君主が命令して押しつけたわけじゃないんだな。この教育勅語って言うのは。

頭のいい人だから、羽仁五郎はそんなこと分かっていて、日本をそれまでの日本ではない外国のような国にしようと思って、教育勅語をつぶしたんだろうけどね。





産経セレクトS16  ¥ 968

『日本国紀』の著者が、日本の歴史に浮かび上がる「天皇」について語り尽くす
序章 日本にとって「天皇」とは何か
第1章 天皇の権威と万世一系
第2章 万世一系のすごさ
第3章 歴代天皇の大御心
第4章 消された絆
第5章 天皇を教えない教科書
第6章 令和の国体論
第7章 聖域と祈り


戦後の占領の中、日本政府はなんとか教育勅語を守ろうと必死になっていた。敗戦という未曾有の危機の中でこそ、教育勅語の重要性はより増していると考えていた。

しかし、GHQは10月13日指令に端を発して、日本の教育制度に手を突っ込んでくる。日本軍の武装解除を待って、日本を根底から作り替えようという暴挙に出た。12月にかけての教育に関する四大指令では全教育従事者の思想調査と排除、教育内容の大幅な変更が行なわれた。四大指令が破壊したのは、軍国主義ではなく日本の「歴史・文化・伝統に基づいた教育」であった。

教育勅語は、廃止前にズタズタにされていた。にもかかわらず教育勅語が廃止されたのは、そのような状態が占領終了後も永続されることを目論んでのことである。

教育勅語は追い込まれていく。

昭和21年7月10日、民間情報教育局(CIE)宗教部WKバンスが同局教育部ジョージ中尉に対し、教育勅語の『危険性』に言及した。

「教育勅語は日本人のラジカル(即ち民主的)な傾向を押さえ込む目的で書かれた儒教的な文章である」
「国家神道の聖書だ」
「軍国主義者たちや国粋主義者たちは、この勅語から(戦争遂行の)精神的弾薬を得ていたのだ」
などと私見を述べた上で、教育勅語の廃止を提言している。
「どんなに広く解釈しても、教育勅語は新しい憲法草案の精神から外れている。・・公立学校で読み上げられるべきではないし、ましてや、教科書に入れられるべきではない。大学では歴史的文書として組み入れられてもよいが・・。」

GHQの情報教育局(CIE)教育部アイリーン・ドノバン(婦人教育担当)は、8月6日、オア教育部長に「教育勅語廃止」を提言した『ドノバン・メモ』を送った。

『ドノバン・メモ』
「教育勅語をどう扱うべきかについて、日本民族の心の中に、そしてGHQにも混乱が生じている。これは直ちに解決されるべき重大問題だ。我々の勅語政策の発表が九ヶ月も遅れたことで、既に難しい事態が生じている。・・この勅語は、極度の西洋化に対する恐怖感から生まれたものである。・・百三十語の漢字からなる勅語は日本民族主義のマグナ・カルタ(大憲章)であり、軍国主義者や超国家主義者の行動の源になったものである」
「より直接的な危険は、“一旦緩急あれば義勇公に奉じ以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし”という言葉の中にある」
「日本人の道徳・倫理の目的は皇室の繁栄のためだけにある」
「これは新憲法の精神である一個人の権利という考え方と完全に食い違うものだ」


最後に教育勅語にとどめを刺したのが、GHQ民政局課長のチャールズ・L・ケーディスである。日本をニューディールの第二実験場にしようという傍らで、鳥尾鶴代という愛人と楽しくやっていていたことがアメリカの奥さんにばれて、離婚されちゃった奴だ。


テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

“徳”のつく天皇『天皇の日本史Ⅱ』 井沢元彦

自治会からの退会が二件あった。

いずれも私が自治会長を務めている今年度のことだ。理由は分かる。自治会長になりたくないからだ。それが一・二年の間に求められてもおかしくないお宅だった。

この自治会は50数年前に売り出された団地で、その第1世代は70代~80代になっている。子どもと同居しているところもあるが、老夫婦二人、あるいは連れ合いを失った一人住まいも何軒かある。

退会したのはどちらも夫婦二人のところ。初期の入居で50年間ここで暮らしてきた70代だ。これまで自治会長を任される機会は何度もあったはずだ。なにしろ30年前に入居し、まもなく還暦を迎える私が二度目の会長を引き受けているんだから。何らかの理由で、これまでは会長を引き受けなかった。そのつけを払う前に、自治会から抜けた。


聖徳太子以降の、諡号に“徳”憑く天皇は、ことごとく異常な死に方をしているそうだ。憤死であったり、暗殺の疑いのある突然死であったりする。そんな非業に倒れた天皇に“徳”のつく良い名を贈ることによって祟りを防ごうとしたからだという。

孝徳天皇は中大兄皇子の権力欲の犠牲になる。妻の間人皇女を中大兄皇子に奪われたうえ、難波宮に置き去りにされてしまう。家臣の大半は中大兄皇子に従い飛鳥に戻ってしまったため、難波宮で憤死する。

称徳天皇は藤原一族を排斥するため、志貴皇子の血を引く弓削一族の道鏡を天皇位を譲ろうとするが、宇佐八幡宮神託事件で頓挫し、このあと称徳天皇自身が急死して果たせなかった。暗殺説もある。

文徳天皇は最愛の第一皇子、愛する紀静子の産んだ惟喬親王を皇太子にしたかった。しかし、藤原良房から、無理に押しつけられた明子の産んだ惟仁親王を皇太子にする子を強制された。しかも、臣下である良房からの嫌がらせで、内裏に住むのを許されなかった。文徳天皇は32歳の若さで急死する。良房による暗殺と考えられている。

崇徳天皇は父親の鳥羽から叔父子なんて呼ばれてね。あんまり可哀想。近衛への譲位を迫られ、しかも院政を開く機会も奪われて、保元の乱を起こすことになる。戦いに敗れて讃岐に流された崇徳は、軟禁生活の中で仏教に帰依し、五部大乗教の写本を作り、戦没者の供養にと京都へ贈った。しかし、保元の乱で崇徳と争って勝った後白河は、この受け取りを拒み、崇徳に送り返した。これに激しく怒った崇徳院は、舌を噛み切って写本に「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」と血で書き込み、天皇家を恨んで憤死した。

安徳天皇は平清盛の孫。源義経の軍に追われて、壇ノ浦の戦いに敗れて滅亡した平家一門と運命をともにする。最後は二位の天に抱かれたまま海中に消える。

順徳天皇は後鳥羽上皇とともに、武士政権の打倒を掲げて承久の乱を起こす。しかし、鎌倉方に敗れて佐渡へ流される。佐渡島では21年過ごした。その間、都への帰還を切望しながら、果たされず、憤死。

方や、後鳥羽上皇は隠岐に流された。流されて18年後に60歳で、やはり憤死。顕徳という名を贈られるが、結局、祟って出る。三浦義村や北条時房の死を顕徳院の怨霊が原因と書いた公家の日記がある。“徳”の時を贈っても効果はないと言うことになったのか、後鳥羽という名を贈り直し、佐渡に流された順徳を最後に、“徳”の名を贈られた天皇はいない。



『天皇の日本史Ⅱ』    井沢元彦


KADOKAWA  ¥ 1,980

「令和」に必読の歴史講義。本当の日本史は、「天皇」なくして語れない!
天皇とは何か  欠史八代(第二代~第九代)
垂仁天皇(第一一代)  景行天皇(第一二代)
仁徳天皇(第一六代)  雄略天皇(第二一代)
継体天皇(第二六代)  欽明天皇(第二九代)
敏達天皇(第三〇代)と用明天皇(第三一代)  推古天皇(第三三代)
元明天皇(第四三代)と元正天皇(第四四代)  平城天皇(第五一代)
嵯峨天皇(第五二代)  文徳天皇(第五五代)と清和天皇(第五六代)
陽成天皇(第五七代)と光孝天皇(第五八代) 後三条天皇(第七一代)
長慶天皇(第九八代)  後奈良天皇(第一〇五代)
後水尾天皇(第一〇八代)  東山天皇(第一一三代)
大正天皇(第一二三代)  平成の天皇(第一二五代)


だいたい、聖徳太子っていうのが不思議な存在。次の天皇と約束されながら、推古の長命で即位できなかった。さらには子の山背大兄王が蘇我入鹿に滅ぼされたことで、その血筋を受け継ぐ者が絶えてしまった。天皇位に即位できなかったことに対する諡号なのか、血筋が絶えてしまったことまで、全部含んでの諡号だったのか分からないが、“徳”に加えて“聖”だと言うんだから、これはすごい。

聖徳太子は存在しなかったという説も、それなりの説得力がある。宗教の面では聖人で、政治の面では聡明にして鋭敏で、文化においては深淵で、あれだけの業績を残した人物ならば、たかが代が一つ代わっただけで、痕跡さえ残さずに一族が絶えるというのは考えづらい。

しかし、本当に消えている。

この時代の有り様を伝える日本書紀は、藤原不比等が権力を掌握している時代に完成した。日本書紀は乙巳の変で蘇我本家を滅ぼした、中大兄皇子と中臣鎌足の立場の正当性を主張する目的で書かれた。だとすれば、後の藤原氏の立場からすれば、蘇我本家は滅ぼすに値する悪役でなければならない。しかし、蘇我氏の歴史的役割は極めて大きなものがある。

そこで蘇我氏の業績を肯定的な側面と否定的な側面の二つに分ける。肯定的な側面は、まるで古代史のヒーローであるかのような架空の人物を作り上げて、彼の業績とする。これが聖徳太子である。そのようなヒーローを作り出した以上、歴史の中から消滅させる必要がある。否定的な側面である。これを実在の蘇我本家に押しつける。ヒーローが亡くなったあと、その一族は蘇我本家によって根絶やしにされるのだ。

この時代、律令の導入が進められていて、蘇我氏はそれに邁進していた。公地公民化への反対勢力は、非常に大きなものだったはずだ。古くからヤマト朝廷を支えた豪族たちの土地を、その豪族たちに拠出させるんだから当然だ。その困難な仕事に、蘇我本家は取り組んでいた。

日本書紀は、その律令導入の障害となっていたのが、その蘇我本家であると、正反対のことを書いている。乙巳の変を大化の改新と言い替えて、蘇我本家を滅ぼした中大兄皇子と中臣鎌足によって律令導入が進められたと、蘇我本家の業績を乗っ取って正反対のことを書いている。

聖徳太子架空説、私けっこう好きなんだ。

どちらにせよ、日本書紀の嘘は間違いない。嘘をつくときは、そこまで大胆に、恥ずかしげもなくつかなければならないという、歴史的証明だな。

テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

ありがとうございました



「《めんどくせぇことばかり》は、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。」
よくお越し下さいました

イーグルス16

Author:イーグルス16

息も絶え絶えです、ぜひ応援してください


現代とはなぜこんなにも棲みにくいのか。
前近代から近現代へと変貌し続ける世相の本質をつかみ生き方の支柱を示す。
カウンター
カテゴリ
こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































リンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
最新記事