『欲望の名画』 中野京子
図書館に行ったら、“秋の本”という特集を組んで本を紹介していました。読書の秋ということでしょうか。
私にとって、秋と言ったら何でしょうね。スポーツの秋、・・・スポーツって言ったって山に登るくらいか。食欲の秋、・・・これは大いにあり得る。さんまを食いましたよ、先日。徳島の親戚から送ってもらったすだちを絞ってね。芸術の秋、・・・絵も、音楽も、映画も好きだけど、すべて受け手側ですね。
まあ、それらの本が並べられていたわけですが、芸術の秋代表には、中野京子さんの本も含まれておりました。この本は、一冊にまとめられた本としては、中野京子さんの最新作じゃないでしょうか。
なんでも、文藝春秋に時々書いている《中野京子の名画が語る西洋史》というコラムがあって、それを大幅に加筆修正してまとめたのがこの本ということです。
表紙の女性、正面にある鏡を見ながら真珠の首飾りをつけようとしています。口は半ば開き、瞳を輝かせてうっすら笑みをたたえているのは、思う人にでも会いに行くんでしょうか。フェルメールの《真珠の首飾りの女》っていう絵ですね。
中野京子さんが書いているんですが、彼女の前方に広い空間があり、そこには何も描かれずに、ただ向こう側の壁があるんですね。それがいかにも意味ありげです。
俵屋宗達の風神雷神図屏風の、風神と雷神の間の空間を思い起こさせます。風神雷神は千手観音の眷属だそうですから、背景には千手観音千体が並んでいるのを思わせるわけでしょう。三十三間堂みたいに。・・・勝手にそう思ってたんですが。背景が金色だし・・・。
そう言えば、この絵も前から金色の光が注いでいませんか。そのあたり、面白い解釈があるんだそうです。それを読んで、もしそうなら、本当にすごいなって思いました。


本書の最初に登場するドラクロアの《怒れるメディア》。
この絵を見た人に、どんなシーンを描いたものか質問したことがあったんだそうです。大半の人は、「悪者に追われた母親が子どもを守ろうとしている」と答えたそうです。
それにしては二人の子どもの様子が変です。二人ともなんとか母親の手から逃れようとしているようにしか見えません。そう、この二人の子は、このあと母親に殺されます。
エウリピデスのギリシャ悲劇、『王女メディア』ですね。高校の世界史の教員でしたから、こういうのをよく読みました。高校生は教科書の勉強よりも、こういう話を遥かに喜ぶんですよ。ギルガメッシュ叙事詩、エジプト神話から始まって、ギリシャ神話、旧約聖書なんて話してると、そのうち一学期は終わりです。
二番目のジェロームの《フリュネ》。フリュネが裁判にかけられたのには「諸説あり」とあります。不敬罪ということらしいんですが、ある本には、年寄と結婚してその夫のを殺し、遺産を自分のものにすることを繰り返したと言う説が書かれていました。
裁判の形勢が不利になると、フリュネは法廷で裸身を晒し無罪を勝ち取ります。
老裁判官たちはよだれを垂らして判決に手心を加えたかと言えばそうではなく、古代ギリシャに於いては完璧な肉体美はそれ自体が神にも等しいと考えられており、彼らはフリュネを通して美の女神を見たわけです。
有罪判決なんか出せるわけがありません。
男子生徒は大受け間違いなしです。
ですが、女子生徒に口を利いてもらえなくなりかねませんので、この絵を授業で使ったことはありません。
一つ一つの絵に、素人にはなかなか捕まえにくいポイントがあるんですね。ただ単に言われ曰くを知ることよりも、やはり作者は細部に神を宿らせているので、そういうところにこそ、その絵の本質が隠されているんですね。
面白い本でした。
私にとって、秋と言ったら何でしょうね。スポーツの秋、・・・スポーツって言ったって山に登るくらいか。食欲の秋、・・・これは大いにあり得る。さんまを食いましたよ、先日。徳島の親戚から送ってもらったすだちを絞ってね。芸術の秋、・・・絵も、音楽も、映画も好きだけど、すべて受け手側ですね。
まあ、それらの本が並べられていたわけですが、芸術の秋代表には、中野京子さんの本も含まれておりました。この本は、一冊にまとめられた本としては、中野京子さんの最新作じゃないでしょうか。
なんでも、文藝春秋に時々書いている《中野京子の名画が語る西洋史》というコラムがあって、それを大幅に加筆修正してまとめたのがこの本ということです。
表紙の女性、正面にある鏡を見ながら真珠の首飾りをつけようとしています。口は半ば開き、瞳を輝かせてうっすら笑みをたたえているのは、思う人にでも会いに行くんでしょうか。フェルメールの《真珠の首飾りの女》っていう絵ですね。
中野京子さんが書いているんですが、彼女の前方に広い空間があり、そこには何も描かれずに、ただ向こう側の壁があるんですね。それがいかにも意味ありげです。
俵屋宗達の風神雷神図屏風の、風神と雷神の間の空間を思い起こさせます。風神雷神は千手観音の眷属だそうですから、背景には千手観音千体が並んでいるのを思わせるわけでしょう。三十三間堂みたいに。・・・勝手にそう思ってたんですが。背景が金色だし・・・。
そう言えば、この絵も前から金色の光が注いでいませんか。そのあたり、面白い解釈があるんだそうです。それを読んで、もしそうなら、本当にすごいなって思いました。
『欲望の名画』 中野京子 文春新書 ¥ 1,078 隠された意味を紹介し、画家の意図や時代背景を読み解いてきた中野京子の最新刊 |
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本書の最初に登場するドラクロアの《怒れるメディア》。
この絵を見た人に、どんなシーンを描いたものか質問したことがあったんだそうです。大半の人は、「悪者に追われた母親が子どもを守ろうとしている」と答えたそうです。
それにしては二人の子どもの様子が変です。二人ともなんとか母親の手から逃れようとしているようにしか見えません。そう、この二人の子は、このあと母親に殺されます。
エウリピデスのギリシャ悲劇、『王女メディア』ですね。高校の世界史の教員でしたから、こういうのをよく読みました。高校生は教科書の勉強よりも、こういう話を遥かに喜ぶんですよ。ギルガメッシュ叙事詩、エジプト神話から始まって、ギリシャ神話、旧約聖書なんて話してると、そのうち一学期は終わりです。
二番目のジェロームの《フリュネ》。フリュネが裁判にかけられたのには「諸説あり」とあります。不敬罪ということらしいんですが、ある本には、年寄と結婚してその夫のを殺し、遺産を自分のものにすることを繰り返したと言う説が書かれていました。
裁判の形勢が不利になると、フリュネは法廷で裸身を晒し無罪を勝ち取ります。
老裁判官たちはよだれを垂らして判決に手心を加えたかと言えばそうではなく、古代ギリシャに於いては完璧な肉体美はそれ自体が神にも等しいと考えられており、彼らはフリュネを通して美の女神を見たわけです。
有罪判決なんか出せるわけがありません。
男子生徒は大受け間違いなしです。
ですが、女子生徒に口を利いてもらえなくなりかねませんので、この絵を授業で使ったことはありません。
一つ一つの絵に、素人にはなかなか捕まえにくいポイントがあるんですね。ただ単に言われ曰くを知ることよりも、やはり作者は細部に神を宿らせているので、そういうところにこそ、その絵の本質が隠されているんですね。
面白い本でした。
