めんどくせぇことばかり 本 世界史
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『日本人が知らない最先端の世界史』 福井義高

習近平の世界観は、勘違いの上に構成されている。

彼はこんなことを言っていた。「中国人民が世界反ファシズム戦争に果たした偉大な貢献を、しっかり記憶しなければならない。」・・・笑わせようとしているのか。

外相の王毅は、さらにネタが豊富である。
「《反ファシズム戦争勝利》を打ち出すのは、世界に向け《中国は国際秩序の擁護者で、挑戦者ではない》と訴える狙いもある」
「七〇年前に日本は戦争に破れた。七〇年後に良識を失うべきではない」
「加害者が責任を忘れずにいて、初めて被害者の傷は癒える」
「日本の政権を握る者は、胸に手を当てて自問すべきだ」
「歴史の重みを今後も背負っていくのか、過去を断ち切るのか」

やはり、笑いを取るには、恥を忘れることが必要だ。

一九三二年一月、中国側の挑発に応じる形で大軍が派遣された第一次上海事変の際、日本軍は停戦交渉が五月に成立するや即座に撤収した。上海は勢力圏外であり、現地法人を保護するという目的を果たした以上、大軍を駐留させておくのは好ましくないというのが、陸軍も含めた日本の国家意思であった。満洲事変勃発以来の軍事的対立も、一九三三年の塘沽停戦協定で終止符が打たれた。蒋介石は、満洲分離独立を事実上黙認することで、共産党と対峙する道を選択した。

海軍は、国民政府の招聘により、中国海軍近代化のため、一九三四年に寺岡謹平大佐を国民政府顧問として派遣し、一九三七年まで滞在した。

一九三五年九月発行の『転換期の国際情勢と我が日本』において陸軍は、「未だ誤れたる国民党部の欧米依存、排日政策より完全に脱却するに至らない」ものの、「支那政権は昨今若干覚醒の機運に在る」としていた。

中国共産党が瑞金から延安に至る「長征」と言う名の逃避行に出たのは、日本との関係が安定したことを背景に、蒋介石の国民政府が主敵とみなしていた共産党を追い詰めていた事の証拠である。

そんな風に、中国共産党は、日本と戦うどころか、蒋介石から逃げ回っていただけだ。

スターリンは一九三〇年代、ヒトラー率いるナチス・ドイツ台頭を受け、それまでの「社会主義対資本主義」という対立軸を表向き引っ込めて、「民主主義対ファシズム」という公式に基づく人民戦線路線を掲げ、英米仏との共闘を基本方針とする。各国の共産主義者は、それまで敵対していた社会民主主義者や自由主義者と、同じ「民主主義者」として共闘することを、スターリンから命じられた。このスターリンに始まる《民主主義=反・反共主義=反ファシズム》という現代リベラルの公式は、冷戦後むしろ純化された。

スターリンは大嫌いだが、その相手に対する汚さが日本の政治家にも欲しい。



祥伝社黄金文庫  ¥ 902

歴史認識の鎖国状態を打破すべく、重要な、しかし見過ごされがちな論点を取り上げる
1 「歴史修正主義」論争の正体
2 「コミンテルンの陰謀」説の真偽
3 大衆と知識人
4 中国共産党政権誕生の真実


フランクリン・ディラノ・ルーズベルト大統領時代のアメリカが、コミンテルンのスパイの巣窟になっていたことが、次第に明らかにされている。

クラウス・フックスは、マンハッタン計画の参加していた英国人物理学者である。もともとはドイツ共産党員で、イギリスに帰化したあともソ連のためにスパイ活動をしていた。1949年にFBIから尋問されて自白している。投獄された後、釈放され、1959年に東ドイツに移住した。

ハリー・ゴールドは、フックスの自白で逮捕された。自白して、刑期30年の半分を残して1965年に出所した。ゴールドの自白で、デービッド・グリーングラスが逮捕。彼の自白で妻のルース、義兄のジュリアス・ローゼンバーグ、その妻のエセル・ローゼンバーグらが逮捕。1953年、ローゼンバーグ夫妻は二人の幼い子を残して処刑された。ローゼンバーグ夫妻は無実の罪で処刑される殉教者を演じきって処刑された。

これら、原爆に関わるスパイ活動は朝鮮戦争に大きな影響を与えた。1949年の原爆実験の成功がなければ、米国との対決に慎重であったスターリンは、北朝鮮軍の南侵にゴーサインを出さなかっただろう。

アメリカの政権に食いついて活動するコミンテルンのスパイの中でも、日本にもっとも関連の深い一人がハリー・デクスター・ホワイトだな。彼は、「ハル・ノート」に直接関わった。KGB幹部ヴィタリー・パヴロフは1941年5月にホワイトに会い、日本の対ソ連攻撃を回避すべく、アメリカが対日強硬策を進めるようホワイトに依頼し、それが最終的にハル・ノートのつながった。

背景にはスターリンがいた。それに比べれば、やはり日本人は純朴だった。

アメリカのケネス・B・パイルという日本研究者が、『新世代の国家像』という書物に、明治以降の日本のエリートたちの思想的分裂を描いている。

徳川時代前の日本では、親から教えられた価値観や伝統・文化を受け継げばよかったのに対し、明治以降の日本では西洋から入ってきた新しい文化を受け入れることを義務付けられた。近代化と称して西洋の文明を取り入れ、経済的にも軍事的にも発展していくことが、日本の独立を守るために必要だと信じた。そうしなければ、日本も他のアジア諸国と同じように、欧米列強の植民地にされてしまうという生々しい危機感がそうさせていた。

その結果、親が教える価値観や伝統・文化を受け継がないことがエリートの条件になってしまった。

ラフカディオ・ハーンは、学生たちに共通する精神的不安定に気がついていたという。ある時、学生たちの親の世代の人々が学校を訪れ、自分たちが受け継いできた先祖のこと、忠義や儀礼、古来の精神について語った。学生たちは心を打たれた様子だったが、そのあとハーンに以下のように語ったという。

「いかに古来の道徳が優れていようが、私たちはそのような道徳律に従うことはできない。そんなことをすれば、国家の独立を守ることも、進歩を達成することもできません。私たちは、自分の過去を捨て去らねばならないのです」

明治時代、まだ維新の元勲が健在で福沢諭吉のような識者もおり、急速な近代化の中で生み出された貧困問題には皇室が政府の仕事を補完するかたちで対応しようとしていた。しかし、現実にロシア革命が成功してしまった大正時代になると、貧困問題に取り組んでいたのはキリスト教とと社会主義者だった。

社会問題に真剣に取り組もうとしたエリートたちも少なくなかった。しかし政府は、それらのエリートを社会主義者とひとまとめにして弾圧した。そうやって、同胞の苦境に心を痛めていたエリートたちの多くを、反体制の側へ追いやってしまった。

そこでもスターリンに利用されてしまったことが、とても悔しい。

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『かわいそうな歴史の国の中国人』 宮脇淳子

《儒教ファンタジー》
支那から儒教、そして朱子学を受け入れた韓国は、支那よりもさらに尖鋭的で、原理主義的。それは朱子学が夷敵とするところの半農半牧の満洲民族によって明王朝が倒され、満洲民族が打ち立てた清に、属国として使えることになった屈折がそうさせているのだろう。

宮脇さんはこう書いている。「韓国は歴史上、自分たちが政治的に責任のある立場に立ったことがないので、儒教の教理を実際に運用することもなく、理念・哲学として教条的にそのまま取り入れた結果、リアルな部分がぜんぜん存在しなくなりました。」・・・まさしくその通り。

だから、立ち入り禁止のロープが張られてる外からキャンキャン吠えてることで、相手に対して優位に立った気分でいられるんだな。従軍慰安婦と言っちゃあ、キャンキャン。植民地支配と言っちゃあ、キャンキャン。

宮脇さんの言うとおり、「まったく現実味のない、ファンタジーの世界の住人」なんだよね。

そう、あまりにも滑稽なんだけど、あそこまで滑稽に、自らを貶める“はずがない”と、そこに何らかの“意味”を探し出そうとする人が、世界に入るんだな。それでもって、「あそこまで韓国人がキャンキャン泣いてるんだから、きっと日本が泣かすようなことをしなかったはずがない」なんてね。ったく、中途半端な理解で勝手に勘違いして韓国人に同情寄せられたら、その分、日本は悪者になるわけでね。ああ、迷惑、迷惑。・・・でも、日本人にもそういう人がいるんだよね。・・・そろそろ、ちゃんと気付いてよね。

「目くそ、鼻くそ」の部類だけど、日本人にとってはそんな韓国人よりも、支那人の方がいく分なりとも対応しやすい。支那人もおんなじように「南京だ、上海だ」ってありもしないことをでっちあげてキャンキャン言うけど、言った本人がそんなことどっちだって構っちゃいないからね。そんな教育を受けちゃった若い連中は知らないけどさ。ただ、言った方が自分にとって得だから言う。本当にそう思ってるかどうかって言うのは、まったく別の問題。

朱子学的上下関係から言って、日本人はこうであるはずだ。そういう物差しですべてが推し量られるから、キャンキャンでっちあげた事実は、彼らの頭の中で、しっかりと“事実”として認定されちゃうんだよね。・・・たまんねえな。




徳間書店  ¥ 時価

歴史を読み解けば、中国人がわかる! アジア史の泰斗による中国人解説!
第1章 あきれるほどないないづくしでかわいそうな中国
第2章 日本人はなぜ中国人を見誤るのか
第3章 ではどうやって中国人と付き合ったらいいのか
第4章 中国という国をどう見たらいいのか
第5章 「偉大なる中華文明」は決して復興しない
第6章 中国は権力闘争から崩壊していく



《中国人意識》
共通語はない。地方地方で全然違う言葉を使っている。支那の人々に話し言葉を超えた国家の紐帯やまとまりができたのは最近のことで、一九一九年の五四運動がはじまり。その四年前の二十一か条の要求に対する反対という形で支那の人々が一つにまとまった。そのあと、満州事変、支那事変と、「侵略する悪い日本を追い出せ」という反日意識が、《中国人》を創りだしていった。

しかし、長い伝統の中で言えば、漢字を知らない人たちはまず郷里で生き、郷里を離れる時も同じ郷里の人たちの中だけで暮らしてきた。違う土地の人たちとは、利害関係が対立すれば敵対するし、共通すれば手を組んだ。


《少数民族》
支那には五五の少数民族が入るとされる。しかし、問題となるのはチベットとウイグルと内モンゴル。この三民族は独自の歴史を持ち、漢字など使ったこともない。ちょっと前まで漢族とはまったく別の政治組織だった大民族を、新たに恣意的に認定した一万人以下のエスニックグループと一緒にして、彼らの問題を五五分の一に矮小化する共産党政府の企み。

支那の少数民族は全体の八%にすぎないのに、六四%の領域に住んでいる。そこには木材があり、水があり、レアアースなどの地下資源、石油や石炭もある。パンダもいる。残りの三七%にはそれがない。

支那の経済は鄧小平の改革開放によって発展したと言われるが、それだけじゃない。背景にあるのは、チベット、ウイグル、内モンゴルからの資源の収奪である。

とてもおもしろい本だった。もちろん、ブログで紹介したんだけど、覚書にして、機会があれば紹介しようと思ってたものが、そのまま残ってた。

残念ながら、この本は“時価”になっちゃったけど、古本ならKindleより安く読める。



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『古代オリエントの神々』 小林登志子

太陽神シャマシュのように、大神は眷属にあたる神や随獣を従えることがある。古くは牛人間を眷属にした。牛人間は人間の上半身と牡牛の下半身を合体し、しかも人間のように後ろ足で立っている姿で表現される。太陽神と野牛の頭とが結びついていたのが古い形であったようだ。牡牛そのものはメソポタミア北部で祀られていた天候神アダドなどの随獣であった。

次第に太陽神の随獣は牛の合成獣から馬に交代する。翼のある馬、あるいは上半身が人間で下半身は馬という合成獣、ケンタウロスが中期アッシリア時代、前1500~前1000頃の印章に見られる。馬の頭部のモチーフは、イシン第2王朝ネブカドネザル1世(1157~1026)の時代に見られる。この頃には馬がひく戦車が戦争で使われていて、太陽神にふさわしい動物として認知されたものと思われる。

牛から馬への交代は、インド・ヨーロッパ語族の影響という指摘もある。イラン起源の太陽神ミスラは馬を随獣としていた。また、インドの太陽神スーリヤは七頭の馬に、ギリシャの太陽神ヘリオスは四頭の馬に引かせた戦車で天空を行くと信じられていた。

日本の信仰の中で牛や馬って言うと、・・・あれか、午頭天王とか、馬頭観音とか。

牛頭天王は八坂神社か。7歳にして身長が7尺5寸、3尺の牛の頭って、こりゃ恐ろしい。素戔嗚尊と同一視されたり、大国主命の荒魂と考えられていたり、さらには蘇民将来の話の中でも重要な役割を果たしたりする。

馬頭観音は、サンスクリット語でハヤグリーヴァで、“馬の首を持つ者”という意味をもつ。通常、観音様といえば柔和な表情で描かれるが、馬頭観音は憤怒の表情で描かれることが多い。

やはり、牛も馬も、オリエントに起源を持つものが、日本にまで影響を与えてるんだな。



中公新書  ¥ 1,015

さまざまな文明が興り、消えゆくなか、人がいかに神々とともに生きたかを描く
序章 神々が共存する世界―古代オリエント史の流れの中で
第1章 煌く太陽神、霞む太陽神
第2章 地母神が支配する世界
第3章 死んで復活する神々
第4章 神々の王の履歴書
終章 「アブラハムの宗教」が対立する世界


ミトラス神は、バラモン教ではミトラ神、ゾロアスター教ではミスラ神と呼ばれる。ギリシャ人はミトラス神、ローマ人はミトラ神と呼んだ。インド・イラン語族に属する人々がオリエントに持ち込んだ神と考えられる。

古くは「交換」、「契約」を意味した言葉らしい。始まりは契約の神だが、「すべてを見、すべてを知る」という特性を持つことから、派生して太陽神となった。


ゾロアスター教の最高神アフラ・マズダは「全知」「知る者」「知恵主」といった意味で、アケメネス朝やササン朝の守護神であった。伝統的なアーリア人の神々の中には存在しなかったはずの神で、ゾロアスターの改革によって創造された神という説、またバラモン教のミトラと並ぶ最高神ヴァルナに起源を求める説もある。

アフラ・マズダは善きものの創造者で光明と密接な関係を持つことから伝統的な光明神のミスラと対立することになる。本来、ミスラこそ、光明神であり、闇と戦う軍神であった。

ゾロアスターによる改革で一時脇に追いやられ、他の一段低い善神と同じレベルに下げられた。しかし、ミスラはやがて、アフラ・マズダと並ぶペルシャ王朝の守護者として復権する。


ゾロアスター教では、ミスラは、アフラ・マズダと后妃アナーヒター女神の子神として、三神は聖家族として一体となって祀られた。

ミスラはアナーヒターの体内からではなく、岩の洞穴から十二月二十五日に誕生したと信じられた。幼児神として表されたミスラが、キリスト教に“神の子イエス”という発想を与え、クリスマスのもとになったといわれている。


一方、中央アジアに広がったゾロアスター教の土台の上に仏教が流入し、ミスラは遠い未来に出現する救世主のであるマイトレーヤ・ボッディサットヴァの誕生を促した。これを“中国”では弥勒菩薩と漢訳した。

ミスラがギリシャ語化したミトラス、ローマ語化したミトラは、当地で太陽神として信仰を集め、様々に習合して幅広く信者を集めた。帝政ローマにおいては、ディオクレティアヌス帝は“帝国の恩恵者”“不敗の太陽神”としてミトラスを祀っている。

しかし、313年のミラノ勅令でローマがキリスト教を公認するとミトラス教は衰え始め、テオドシウス帝が異教禁止令を出すに及んで、ミトラス教は5世紀初頭を最後にその姿を消した。

この多様な神々の物語は、とてつもなくダイナミック。それがつまらないルサンチマンにより、味気ない一神教に取って代わられていったのは、返す返すも残念。



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輪廻転生『逆説の世界史3』 井沢元彦

炎鵬は阿炎の悪くしている膝を取った。そしたら、阿炎が飛んだ。

インドには歴史がない。

そんな話が出てくる。インド古代史においては、編年体で書かれた記録がないんだそうだ。編年体の記録というのは、歴史を過去から現在、そして未来へと続く線のように捉えるからこそ成立するもの。私も歴史という学問に携わって生きてきたが、確かにその感覚を持って歴史に関わった。そういう点からすると、四大文明に数えられるインダス文明はあまりにも捉えどころがない。

どうやら時間を過去から未来に流れる直線的な流れではなく、円を描くように何度も何度も繰り返されるものとして捉えていたのではないかという。輪廻転生のサイクルこそが、まさにそれだと言う。

アーリア人が侵入してドラヴィダ人を征服してから、歴史は徐々に前に進むようになったと言うんだけど、だと知れば輪廻転生はこそがインダス文明以来の、変わらない現地のものの考え方と言うことになる。

ドラヴィダ人を征服したアーリア人は、当地の輪廻転生の思想を取り入れて、それに基づくヴァルナを再構成してバラモン教と呼ばれる宗教を生み出したのか。

アーリア人の神々は、彼らの移動先でさまざまに根付いてその関連性を感じさせる。同じように雷を操るインドのインドラとギリシャのゼウス。イランにおける善い神はアフラ、インドの悪い神はアシュラ。・・・ひっくり返っている。

ペルシャでは善神アフラの長がアフラ・マズダ。片や、アシュラを管理するヴァイローチャナは日本ではビルシャナと呼ばれる華厳宗の一番の仏様。奈良の大仏は毘盧遮那仏だな。毘盧遮那仏は真言宗では大日如来。ということになると、大日如来はゾロアスター教のアフラ・マズダに相当する。

そういや、ゾロアスター教は拝火教として日本に入ってるからね。二月堂のお水取りは、まさにその行事。

神々の系譜を見ても、もとはアーリア人として同じような習俗を持っていたと思われるのに、輪廻転生の思想はインドにしか現れない。ということは、それこそインドに移動したアーリア人が受け入れた、インダス文明圏特有の文化だったのではないか。

だとすれば、その後、ペルシャに根付くゾロアスター教は、アーリア人の習俗をもとに砂漠の文明の影響の元に成立したということだろうか。ゾロアスター教は、善悪二元論をもとにして、終末思想、最後の審判、天使、悪魔など、後の一神教に受け継がれるものの考え方をさまざまに生み出している。面白いもんだな。


『逆説の世界史3』    井沢元彦


小学館  ¥ 1,870

日本とインドには一神教に負けない「強い多神教」がある。その強さの秘密とは? 
序章 多神教社会に生きる日本人
第一章 インダス文明の滅亡とヒンドゥー教の誕生
第二章 ブッダの生涯と仏教の変容
第一話 ブッダが追求した「完全なる死」の境地
第二話 禅宗がもたらした日本型資本主義
第三話 仏教はなぜ発祥の地印度では衰退したのか
第三章 オリュンポスの神々とギリシア文明の遺産
第一話 キリスト教に敗北したギリシア神話の世界
第二話 民主主義のルーツとしてのポリス
第三話 アレクサンドロス大王の偉業とマケドニア帝国の興亡
第四話 ギリシア・ヘレニズム文明の賢者たち)



創造主ヤハウェに対する信仰を説くユダヤ教に始まる一神教、キリスト教もイスラム教も、ペルシャのゾロアスター教の影響を受けている。インドと同じようにアーリア人の移動の影響を受けて成立していったものだろうが、ものの考え方がまったく正反対の宗教観を持つようになる。

この違い方がはなはだしい。

“永遠の生”は多くの宗教の最終目標である。キリスト教でも、イスラム教でも・・・。最後の審判でイエスが降臨し、あらゆる魂が裁きを受ける。審判に合格したものだけが神の国に入り、“永遠の生”を与えられることになる。

ところがインドにおいては、“永遠の生”はものごとの大前提。それは輪廻転生と呼ばれ、輪廻転生が絶対の事実である以上、人間は永遠の“本当の死”を迎えることは出来ない。一神教の信徒が最終目標であるものが、インドにおいては逃れることが出来ない大前提なのだ。

多くの宗教が目標とする“永遠の生”は、インド思想においてはすでに達成されたものであるばかりではない。それは、克服しなければならないもの、そう考えられている。

ゴータマ・シッダールダ、仏陀は、“本当の死”を迎えることの出来ない“永遠の生”は、《苦しみ》であると考えていた。生老病死の四苦に加えて、もう四つの苦しみが加わって四苦八苦。愛するものと分かれる苦しみが愛別離苦。怨み憎んでいる者に会う苦しみが怨憎会苦。求める物が得られない苦しみが求不得苦。身体と気持ちが思うままにならない苦しみが五蘊盛苦。

生きることは苦しみばっかりで、“永遠の生”は永遠の苦しみでしかない。

バラモン教においては、自分つまり“我”を宇宙の原理である“梵”と一致させる境地に至ることによって、その苦しみを克服できると考えた。

バラモン教の世界に生まれた仏陀は、その教義に疑問を抱き、“我”に対して“無我”、すべて空と悟ることこそ本当の解脱だと考えた。“梵”と一体化するよりも、そういったものは実在せず、永遠の不滅も存在しないなら、それに執着することは愚かと悟ること。その境地こそが本当の解脱であり、輪廻転生で巡る“永遠の苦”からの解脱としたわけだ。

そう考えると、やはりインドは深い。






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インダス文明『逆説の世界史3』 井沢元彦

インダス文明がどんな文明だったのか、実ははっきりしたことはまったく分かっていないらしい。

私も分からない。この間まで世界の歴史を教える立場だったのに、申し訳ないけど分からない。エジプト文明、メソポタミア文明、黄河文明と、いわゆる四大文明と並び称される他の文明は、かなり詳しいところまで解き明かされつつあるというのに、である。

なぜ分からないのか。理由は三つ。文字が読めないばかりか文書と言えるものがほとんどない。そして、突然滅んでしまった。それから、その後インド亜大陸に成立したヒンドゥー文明との連続性が見当たらない。

だけど、インダス文明が起こったのは紀元前2500年。メソポタミア文明やエジプト文明よりも500年~1000年遅れる。なら、何らかの影響を受けていると思うのが当たり前だけど、それがあれば手がかりになるが、残念ながら見当たらないそうだ。

さらに他の三つの文明に見られる王権や神の存在を示す遺物がまったく発見されていないという。これは困るな。四大文明は、それに近い呼び方で四大河文明とも呼ばれる。ギリシャの歴史家ヘロドトスが、エジプト文明を“ナイルのたまもの”と喝破したが、インダス文明は“大河文明”でもないとも言われるようになってきているんだそうだ。

河川の氾濫がもたらす肥沃な土砂が食料増産を促し、社会性を高め、氾濫への対応が権力を生み出した。同時に、知識や、技術、さまざまなものがその影響の元に高められた。宗教だってその過程で高度化したはずだ。授業では今でもそう教えているだろう。私もそうしていた。

実際、ハラッパー、モヘンジョダロの両都市国家こそインダス川の近くにあるものの、その他の都市国家は大河に関与せず、全体としてのインダス文明は大河に依存する文明ではなかったという考え方になっているらしい。

そう、多くの遺跡は砂漠にある。それらは川の豊富な水量に頼るのではなく、雨期に集中的に降る雨を利用した農業を行なっていたと考えられるようになってきているらしい。大河文明ではなくモンスーン文明ということだ。作物は、われわれ日本人にはおなじみのイネ、キビ、アワなどのモンスーン作物。



『逆説の世界史3』    井沢元彦


小学館  ¥ 1,870

日本とインドには一神教に負けない「強い多神教」がある。その強さの秘密とは? 
序章 多神教社会に生きる日本人
第一章 インダス文明の滅亡とヒンドゥー教の誕生
第二章 ブッダの生涯と仏教の変容
第一話 ブッダが追求した「完全なる死」の境地
第二話 禅宗がもたらした日本型資本主義
第三話 仏教はなぜ発祥の地印度では衰退したのか
第三章 オリュンポスの神々とギリシア文明の遺産
第一話 キリスト教に敗北したギリシア神話の世界
第二話 民主主義のルーツとしてのポリス
第三話 アレクサンドロス大王の偉業とマケドニア帝国の興亡
第四話 ギリシア・ヘレニズム文明の賢者たち)



モヘンジョダロは、インダス川が流域を変えたことで衰退した。

モヘンジョダロに関してはそう言えるかもしれない。私は、それをインダス文明全体に当てはめて理解していた。「インダス文明は、インダス川が流域を変えたことで衰退した」と。不思議とも思っていなかった。

しかし、モヘンジョダロが広大なインダス文明圏の一都市文明で、その他の多くの遺跡においては雨期に集中して降る雨を利用したモンスーン作物栽培が行なわれていたということになれば、インダス川が流域を変えようが、それが文明が衰退した理由にはならない。衰退の理由は今のところ分からないようだ。

紀元前15世紀頃、中央アジアからカイバル峠をこえて侵入したアーリア人が、インダス文明を滅ぼしたという説もある。しかし、アーリア人の侵入以前にインダス文明が衰退していたというのは、ずいぶん前から言われている。

いずれにせよ。アーリア人がインダス川流域に侵入したとき、かつて隆盛を誇ったインダス文明を支えたドラヴィダ人が細々と生活をしていたんだろう。だけどアーリア人との抗争にあっけなく敗れ、後にカースト制と呼ばれるようになる階層制度の最下層に組み込まれていったらしい。それはそのまま、彼らの宗教であるバラモン教の中にまで組み込まれ、支配の揺るぎない根拠となる。

その後、アーリア人は先住民族の文明を破壊し、それに変わる新たな文明を築き上げたため、先行するインダス文明は“わかりにくい”ものとなってしまった。

インダス文明は、他の三つの文明に照らし合わせて理解することが難しいのは確かなようだ。ただ、他の三文明は民族が入れ替わっても、その本質的部分は受け継がれた。インダス文明だけ、アーリア人に滅ぼされたあとにまるで起源の違う新しい文明としてヒンドゥー文明が生まれたんだろうか。

井沢さんは、「最新の考古学的知見によれば、むしろ強固なインダス文明の土台の上にアーリア人たちの文化が混合したと考えた方がよさそうだ」といっている。

そしてその“わかりにくさ”こそが、ヒンドゥー教に受け継がれたインダス文明の土台ではないかと言うんだけど・・・。こりゃ、分かりにくい話になりそうだな。神道と同じように。

話は変わっちゃうけど、バラモン教の聖典であるリグ・ヴェーダで最も称えられている神にインドラがいる。雷を使う神様で、ギリシャならゼウス。起源はアーリア人の天空神か。仏教はインドラを帝釈天として取り入れた。寅さんに出てくる柴又の帝釈天は、インドラのことか。





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『欲望の名画』 中野京子

図書館に行ったら、“秋の本”という特集を組んで本を紹介していました。読書の秋ということでしょうか。

私にとって、秋と言ったら何でしょうね。スポーツの秋、・・・スポーツって言ったって山に登るくらいか。食欲の秋、・・・これは大いにあり得る。さんまを食いましたよ、先日。徳島の親戚から送ってもらったすだちを絞ってね。芸術の秋、・・・絵も、音楽も、映画も好きだけど、すべて受け手側ですね。

まあ、それらの本が並べられていたわけですが、芸術の秋代表には、中野京子さんの本も含まれておりました。この本は、一冊にまとめられた本としては、中野京子さんの最新作じゃないでしょうか。

なんでも、文藝春秋に時々書いている《中野京子の名画が語る西洋史》というコラムがあって、それを大幅に加筆修正してまとめたのがこの本ということです。

表紙の女性、正面にある鏡を見ながら真珠の首飾りをつけようとしています。口は半ば開き、瞳を輝かせてうっすら笑みをたたえているのは、思う人にでも会いに行くんでしょうか。フェルメールの《真珠の首飾りの女》っていう絵ですね。

中野京子さんが書いているんですが、彼女の前方に広い空間があり、そこには何も描かれずに、ただ向こう側の壁があるんですね。それがいかにも意味ありげです。

俵屋宗達の風神雷神図屏風の、風神と雷神の間の空間を思い起こさせます。風神雷神は千手観音の眷属だそうですから、背景には千手観音千体が並んでいるのを思わせるわけでしょう。三十三間堂みたいに。・・・勝手にそう思ってたんですが。背景が金色だし・・・。

そう言えば、この絵も前から金色の光が注いでいませんか。そのあたり、面白い解釈があるんだそうです。それを読んで、もしそうなら、本当にすごいなって思いました。


『欲望の名画』    中野京子

文春新書  ¥ 1,078

隠された意味を紹介し、画家の意図や時代背景を読み解いてきた中野京子の最新刊
第一章 愛欲
第二章 知的欲求
第三章 生存本能
第四章 物欲
第五章 権力欲
欲望の果てに


本書の最初に登場するドラクロアの《怒れるメディア》。

この絵を見た人に、どんなシーンを描いたものか質問したことがあったんだそうです。大半の人は、「悪者に追われた母親が子どもを守ろうとしている」と答えたそうです。

それにしては二人の子どもの様子が変です。二人ともなんとか母親の手から逃れようとしているようにしか見えません。そう、この二人の子は、このあと母親に殺されます。

エウリピデスのギリシャ悲劇、『王女メディア』ですね。高校の世界史の教員でしたから、こういうのをよく読みました。高校生は教科書の勉強よりも、こういう話を遥かに喜ぶんですよ。ギルガメッシュ叙事詩、エジプト神話から始まって、ギリシャ神話、旧約聖書なんて話してると、そのうち一学期は終わりです。

二番目のジェロームの《フリュネ》。フリュネが裁判にかけられたのには「諸説あり」とあります。不敬罪ということらしいんですが、ある本には、年寄と結婚してその夫のを殺し、遺産を自分のものにすることを繰り返したと言う説が書かれていました。

裁判の形勢が不利になると、フリュネは法廷で裸身を晒し無罪を勝ち取ります。

老裁判官たちはよだれを垂らして判決に手心を加えたかと言えばそうではなく、古代ギリシャに於いては完璧な肉体美はそれ自体が神にも等しいと考えられており、彼らはフリュネを通して美の女神を見たわけです。

有罪判決なんか出せるわけがありません。

男子生徒は大受け間違いなしです。

ですが、女子生徒に口を利いてもらえなくなりかねませんので、この絵を授業で使ったことはありません。

一つ一つの絵に、素人にはなかなか捕まえにくいポイントがあるんですね。ただ単に言われ曰くを知ることよりも、やはり作者は細部に神を宿らせているので、そういうところにこそ、その絵の本質が隠されているんですね。

面白い本でした。




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カリエール『欲望の名画』 中野京子

物事の主題となる様々な出来事は、すでに私から遠ざかっていきました。父母を思おうにもすでに亡く、故郷さえ遠ざかって、もう思い出の中にしか存在しません。子らはなんとか無事育ち、すでに手元には居りません。楽しいことも、苦しいこともあったけど、全部、通り過ぎたこと。

そうは言っても、今日取り上げた、死を間近にした子を描いた絵なんか見ると、やはり心が締め付けられる。そうそう、キャンプ場から消えてしまった子は、一体どうしちゃったんだろう。

ウジェーヌ・カリエールという画家のことを、私は知りませんでした。

「靄のかかったような独特の絵画手法」で知られる画家さんだそうです。彫刻家のロダン、作家のドーテらと親交があり、著名人の肖像画を多く書いたことで知られる人物なんだそうです。彼の残した肖像画には、ロダン、ドーテに加え、詩人のヴェルレーヌ、政治家のクレマンソーのものもあるそうです。

インターネットで彼の作品を見ると、それらの肖像画にしても、たしかに靄のかかっったような、なんとなく輪郭をぼやかしたような絵です。そして彼が好んで書いたもう一つのモチーフが、母子像だそうです。

この本で取り上げられているのは、『病気の子供』という作品です。
《黒髪の若い母は、涙をこぼすまいとするように固く目をつぶる。病気の子の背にまわした左手の美しさと結婚指輪が際立つ。病気は重い。どんどん悪化してゆく。神さま、どうか私からこの子を取り上げないでくださいまし。カリエール
この絵を見るたびに胸が疼くのは、伝統的絵画に於いて腕をだらりと下げた表現が「死」を表すからだ。眠りと死を区別する一種の絵画用語で、ピエタに典型的に見られる。

つまり本作の子どもにも、すでに死は定められているのだ。幼いながら、いや、幼いだけにいっそう鋭く本能的に死を悟った子どもは、すでに生存のための戦いから身を引いている。母も敏感にそれを感じ取っている。母の服は喪を想起させる黒、子は死装束の白を身にまとう。

そしてーそれがまたいっそう哀切なのだが、ー半ばもう天使となったこの幼い子は、母の悲しみを少しでも慰めようとして、小さな手でそっと彼女の頬を撫でる。母が子を思う以上に、子はいじらしいまでに母を思いやり、懸命に伝えようとするのだ。ママ、泣かないで。大丈夫だよ。死ぬのは怖くない・・・。》

こんな風に解説されたら、この絵を見たくてたまらなくなってしまいます。・・・うう、オルセー美術館。フランスか。日本でもカリエール展をやってたことがあるようです。二〇一六年ですか。


『欲望の名画』    中野京子

文春新書  ¥ 1,078

隠された意味を紹介し、画家の意図や時代背景を読み解いてきた中野京子の最新刊
第一章 愛欲
第二章 知的欲求
第三章 生存本能
第四章 物欲
第五章 権力欲
欲望の果てに


この絵が描かれた一八八五年、カリエールの第二子で、長男のレオンが三歳で病死しているんだそうです。その子と、その母を、カリエールは描いたんですね。

絵をご覧いただいてもお分かりの通り、やはりこの絵もカリエール独特の靄で、その輪郭はぼやかされています。著者は、この神秘的な靄は、慈雨のように母子を包んでいるといっています。

「抱」という字は手偏に「包」と書きます。「抱く」ということは、手で「包む」こと。さらに「包」という字は、子宮の中に胎児がいる形からできています。子宮の中で「包まれ」て生きてきたいのちは、親たちによって「抱かれ」て育てられます。これももちろん、この本からの受け売りです。

神秘的な靄に、カリエールはそんな思いをかけていたんでしょうか。

長生きすれば、その分だけ悲しい思いをたくさんすることになります。でも、楽しい思いもたくさんすることになります。少しでも楽しいことを増やして、悲しいことを減らしましょう。

子どものことは、今でも心配です。いくつになっても子は子ですからね。その子どもも人の親になって、子育ての大変な様子を見ていると、なんとかしてやりたいと思うんですが、でも、我慢をしています。

おじいちゃんは論外ですが、おばあちゃんが子どもを抱いていている婆子像に人が心を動かされることも、おそらくないでしょうから。




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『ブルボン朝』 佐藤賢一

一七日に、地域敬老会というのがあるんです。

敬老会は、もともとは市役所が、公民館にお年寄りを招いて開催していたんです。だけど、遠方では参加できないとか、座って話を聞いたり、出し物を見てるだけで物足りないという意見があったらしく、地元の自治会単位で開催して、市はそれに助成金を出すという形になったらしいんです。地元自治会で開催するなら、いつものお友達と、ビールでも飲みながら、お昼ごはんをごちそうになりながら、お話に花を咲かすこともできるでしょう。

ただ、役員は、段取りを付けなきゃいけなくてね。助成金は、七〇歳以上の参加者に対して、一人あたり一五〇〇円。弁当に、お茶菓子、飲み物を用意して、ゲームは景品を準備してのビンゴ、あとはマジックのボランティアさんをお願いしてあります。

準備はしたので、あとは皆さんに楽しんでもらえれば、それでいいんです。だけど、参加者全員が私より年長の方だけですから、いろいろと気遣いで、・・・ああ、早く終わんないかな。

八月下旬に、この本を題材にアンリ四世の事をブログに書きました。ホッとして、ちょっと他の本に手を伸ばしたら、この本に戻ってくるのが遅くなってしまいました。新書とは言え四四九ページのボリュームです。書かれているのはブルボン王朝史なわけですから、この読み応えにはゲップが出ちゃうほどでした。

だってそうですよ。このブルボン朝の王様たちは、初代のアンリ四世にしてもそうだけど、あんまりにも濃い人たちばかりなんです。

今、大学入試で世界史を選択する人は減少しているようですが、あたり前のことですね。馴染みというものがありませんから。にもかかわらず、これまでの長い間、世界史が必修で、日本史は必修から外されてたんですよね。これ一つとっても、文科省ってのが、ひいては官僚組織ってのが、なにか根本的な問題を抱えているってことが分かっちゃいますね。

そんな中でも、ルイ一四世は知ってるでしょう。ルイ一六世は知ってるでしょう。マリー・アントワネットは知ってるでしょう。この頃、まさに世界は、・・・世界って言っても西ヨーロッパっていう狭い世界には違いないんですけど、それはフランスを中心に回っていたわけですから。

そのぐらいの期待はしちゃうわけですけど、残念ながら、《ベルサイユのばら》は遠い過去の漫画。それを、再放送ではあってもやってるうちは、たしかにルイ一六世、マリー・アントワネット、フェルゼン様なんて言えば、多くの女子生徒が反応していましたが。今の高校生には通じません。ましてやルイ一四世においておや。

『ブルボン朝』    佐藤賢一

講談社現代新書  ¥ 1,080

フランス王朝史の白眉、 3つの王朝中、最も華やかなブルボン朝の時代を描く

はじめに ブルボン家とは何か
第1章 大王アンリ四世(一五八九年~一六一〇年)
第2章 正義王ルイ十三世(一六一〇年~一六四三年)
第3章 太陽王ルイ十四世(一六四三年~一七一五年)
第4章 最愛王ルイ十五世(一七一五年~一七七四年)
第5章 ルイ十六世(一七七四年~一七九二年)
第6章 最後の王たち
おわりに 国家神格化の物語


ブルボン朝ってのは、フランスをフランス為らしめた時代ということでいいでしょうか。

カトリックとユグノーの間で、血で血を洗うかのように殺し合った時代。フランス人であるよりも、カトリックであるか、ユグノーであるかが優先していた時代。そんな時代にあって、大王アンリ四世は、なによりもフランス人であることを優先しました。フランスのためであるならば、カトリックであろうが、ユグノーであろうが、躊躇はありませんでした。だからこそ、ヴァロア朝の末期を大混乱させた宗教戦争に終止符を打つことができました。

ルイ一三世時代の宰相リシュリューもそう。なによりもフランスを優先しました。それがフランスのためと思うなら、うちにユグノーと戦いながら、そとではカトリックを敵に回しました。

ルイ一四世の幼少期、宰相マザランはリシュリューの戦争を引き継ぎ、そのすべてをフランスにとって有利に終わらせました。しかし、それでもフロンドの乱という内乱は起こりました。古い時代にあぐらをかいた勢力は、すべてのことがフランスという国家に結び付けられていくことを拒んだのです。

親政を始めたルイ一四世は、《フランスの栄光》のもとに人々を結集させる道を進みました。一つには対外戦争を戦い続けました。しかし、それだけでは、なし得なかったのです。対外戦争だけで話し得なかったものを、ルイ一四世は文化を高めることで成し遂げようとしました。ヴェルサイユ宮殿はまさにその象徴で、そこには面白い文学も、最先端の学問も、おいしい食事も、憧れのファッションも、まさに魂を奪われるような文化がありました。「フランス人で良かった。こんな素晴らしい国に生まれてよかった」とフランス人に思わせることになったのです。

ルイ一五世の時代、寵妃ポンパドール婦人の権勢に並ぶものはありませんでした。しかし、そのポンパドール婦人はフランスのために国政をとりました。そして、この時代も、フランスは文化の最先進国でした。ポンパドール婦人が文化を保護し、最高の文化をヴェルサイユに集めたからです。啓蒙思想家の保護にも、彼女は積極的でした。百科全書派の『百科全書やモンテスキューの『法の精神』が発禁になれば、その取消にも尽力しました。『社会契約論』のルソーに逮捕状が出れば、その撤回の運動をしました。たとえ王家の否定に通じるものでも、それが優れた文化として光を放つなら、受け入れなければならない。受け入れなければ、フランスは文化大国としての求心力を維持できなくなり、フランスの輝きが失われると考えたのです。

ルイ一六世時代は、・・・

フランス革命には、・・・あそこまで過激化しない、もっと穏便な道はなかったでしょうか。異常気象による食糧不足ってことが大きく絡んでるんだと思うんですが。

ナポレオン戦争後、王政復古以降、三人のブルボン朝の王が交代しています。著者の佐藤さんは、フランス人が自信を持って共和制を行えるまでの中継ぎ、あるいは一次避難というのが三人の王に求まられた役割だと言っています。・・・まさにそうですね。

近代的な国家が成立していく過程で、多くの試行錯誤が繰り返されました。日本もそうでしたね。かと思うと、アメリカみたいにそうじゃない国もあります。本国イギリスに反抗して独立しただけの話ですから。だけど、かつての試行錯誤が、次の大きな転換点において、それを乗り越えるための大きな力に、きっとなってくれると思います。

アメリカには悪いけど。




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ドイツ『国家と教養』 藤原正彦

アメリカは、自分の意志でヨーロッパを捨てた者たちによって作られました。

ここで彼らが捨てた《ヨーロッパ》には、そのヨーロッパに受け継がれてきた伝統とか知性、教養といったものが含まれていると藤原さんは書いています。アメリカはヨーロッパとともに、それらの伝統とか知性、教養も捨てたんだということです。だからアメリカは、知性を軽視する傾向があると。

この伝統とか知性、教養という部分の多くは中世と呼ばれる時代に形成されてきています。そう考えると符合します。アメリカに中世はありませんから。

アメリカは、そういったヨーロッパ的なものと決別し、新たな未来を開くための指針として、功利性、実用性を重視しました。そこから生まれてくるのが新自由主義、金銭至上主義といった浅ましい経済思想です。

そう、役に立たないものって重要なんですね。ケンブリッジ大学では一九六〇年代まで大学入試にラテン語があったそうです。実生活の役に立たない教養で情緒を養っておかないと、資本主義のもたらす醜悪さに飲み込まれてしまいます。

しかし、近現代に決定的な影響を与えた第一次、第二次世界大戦はヨーロッパを震源として起こった戦争です。第二次世界大戦は第一次世界大戦の余震のようなものですから、なんと言っても第一次世界大戦ですね。アメリカと違って教養の伝統のあったヨーロッパでそれは起こっています。戦争は相手のある話ではありますが、あの時、主役を務めたのは、やはりドイツです。知性と教養の最高峰とも言うべきドイツが第一次世界大戦の主役でした。

ということで、この本の中で藤原さんは、欧州における教養の質を一つのテーマとして取り上げています。その部分がとても興味深かったので、ちょっと取り上げてみたいと思います。

第一次大戦期のドイツは、世界でも有数の文化国家でした。しかし、少し過去を振り返ると、一六世紀の農民戦争、一七世紀の三十年戦争で人口が激減し、国土も荒れ果てました。そのため、他の西欧諸国のような国家形成が進まず、オーストリアとプロイセンの二つの中心軸を持った三〇〇をこえる領邦国家群といった状況でした。

お隣のフランスでは、中央集権化を達成したブルボン朝がフランス革命で倒されていました。周辺の王政国家はこれを許さず干渉戦争を仕掛けます。共和制フランスは祖国防衛に萌えた国民皆兵軍を組織して、対フランス同盟軍を打ち破ります。このフランス国民皆兵軍を率いていたのがナポレオンでした。

ナポレオンに蹂躙されたドイツでは、国家存亡の危機の中で果敢な政治改革、軍政改革、教育改革が断行されていくのです。ドイツの教養主義の根幹には、このときのフランスへの対抗心があったんです。


 『国家と教養』    藤原正彦

新潮新書  ¥ 799

教養なき国民が国を滅ぼす 教養こそが大局観を磨く 大衆文学も教養である
第一章 教養はなぜ必要なのか
第二章 教養はどうやって守られてきたか
第三章 教養はなぜ衰退したのか
第四章 教養とヨーロッパ
第五章 教養と日本
第六章 国家と教養

国家主義を背景に育成されていったドイツの知識層は一%です。一%の知識層が社会の中心となりドイツを率いていきました。その体制は一般大衆にとってもごく当たり前のこととして受け入れられ、一%の知識層が国をリードするばかりか、九九%の大衆を見下す構図ができあがってしまったんだそうです。

ちょうどそれがビスマルクの時代に集約されていきます。普墺戦争、普仏戦争と周辺の大国を打ち破り、統一ドイツが成立していきます。「あの人たちに任せておけば間違いない」と、大衆が思い込むのもわかります。

イギリスの上流階級、貴族とジェントリーは働きません。しかし彼らにはノブレス・オブリージュの伝統がありました。その地位にあるものは、それに応じた義務を追わなければならないわけです。ですから彼らは地方の行政や司法の仕事を無給で引き受けるそうです。慈善事業に取り組んで地方に貢献します。戦争があれば率先して戦場に赴きます。

イギリスの上流階級はドイツと違って、一般大衆との間に分断がないんですね。そして高い品性と教養は、上流階級には当たり前のことで、しだいにイギリス人一班の手本になっていったようです。

イギリスの上流階級は、ドイツの知識層と同様、国民を寡頭支配し高い教養を持ち合わせていました。しかし彼らは、ドイツの知識層のように大衆から遊離していたのではなく、むしろ大衆のお手本となっていた点で大きな違いがあったんですね。そして彼らの品性と教養を支えるのが、バランス感覚とユーモアです。

ドイツはなにか美しい原理や原則に陶酔すると、国を上げてその方向に突っ走ってしまいます。第一次世界大戦、第二次世界大戦、戦後の贖罪、シリア難民の受け入れ、いずれも一種の陶酔が感じられるというのですが、たしかにそうかも知れません。

その点、イギリスは何かあっても、その状況を俯瞰してみようとしますね。EU離脱も、イギリス人のそんな物の考え方、バランスのとり方が影響していると、藤原さんは言ってます。

「現実を見てバランスを取る、ということができないドイツと同じ船に乗っていては、生きた心地がしないと考えたからです」

歴史を振り返れば、イギリス人のドイツに対する、そんな恐怖感、・・・なんだか分かりますね。





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アンリ4世『ブルボン朝』 佐藤賢一

もと神奈川県民だった連れ合いに言わせると、“秩父顔”というのがあるようです。これは私が父や祖父、また兄弟たちとにているというレベルの話ではなく、秩父生まれの、特に男たちの顔には特徴があるというのです。眉毛がはっきりしていて眼光が強く、目尻は歳とともに垂れるんだけど、柔和になるどころが険しくなるというものなんです。まあ、秩父は山国ですから、その中で通婚が繰り替えされていけば、何らかの特徴が現れておおかしくありません。

《ベアルン男》って、そういう呼び方があるんですね。

ベアルンはフランス南西部、もうスペイン国境に近いというピレネー山麓にあるそうです。後の大王アンリ四世は、ここベアルンで生まれました。

ベアルンは、もう少し広い括りで言えばガスコーニュ地方、そのガスコーニュに暮らす人々ガスコーニュ人をフランス語でガスコンと言うそうです。山がちな厳しい自然環境、いくさの絶えない過酷な政治環境にあって、このガスコンの猪突猛進の熱血漢は有名なところだそうです。

底なしの勢力で疲れを知らずに動き回り、頭の中まで例外でなく、狡知に長けた食えない連中というのは、やはり後ろに回って囁かれる悪口というところでしょう。

このガスコーニュ、語源はバスコニアという言葉だそうです。バスコニアと言えば、バスク人の国。バスク人がここに住み着いたのは六世紀のことだそうで、ゲルマン民族の移動以来の西ヨーロッパにおける民族のシャッフルが終わりかけた頃でしょうか。

言語も文化もスペインともフランスとも起源が違うそうで、ずっと大国に挟まれた山中にあって、独自の文化を失わずに現代に至るんだそうです。ベレー帽、あれの起源はバスクのものだそうです。

日本にも縁があって、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルはバスクですね。「以後よく広まるキリスト教」、一五四九年のことです。だから、アンリ四世よりも二世代ほど前の人。なにしろ、ザビエルが海外への宣教活動に乗り出したのは、宗教改革に対するローマ教会の巻き返しですね。対抗宗教改革の主役になったのが、イエズス会を設立したイグナティウス・ロヨラにフランシスコ・ザビエル。二人ともバスクだったっていうんだからすごいじゃありませんか。その力の原動力はガスコン、猪突猛進の熱血漢というところでしょうか。

彼らは一様に、頭髪も眉も黒々と、目鼻の作りもあくが強く、いうところのバスク顔をしていたようです。


『ブルボン朝』    佐藤賢一

講談社現代新書  ¥ 1,080

フランス王朝史の白眉、 3つの王朝中、最も華やかなブルボン朝の時代を描く

はじめに ブルボン家とは何か
第1章 大王アンリ四世(一五八九年~一六一〇年)
第2章 正義王ルイ十三世(一六一〇年~一六四三年)
第3章 太陽王ルイ十四世(一六四三年~一七一五年)
第4章 最愛王ルイ十五世(一七一五年~一七七四年)
第5章 ルイ十六世(一七七四年~一七九二年)
第6章 最後の王たち
おわりに 国家神格化の物語


ただ単にヴァロア朝の血筋が血筋が絶えたから、さかのぼって分家の血筋に当たる中でもその筆頭の、ブルボン家にお鉢が回ってきたという話じゃないんですね。

なにしろフランスを真っ二つに割ったユグノー戦争の真っ只中。親の影響で新教徒となったアンリ・ド・ブルボンだったが、生き抜くためには何度も宗旨変えをしています。
なにしろ、サン・バルテルミの大虐殺は、アンリ・ド・ブルボンとマルグリット・ドゥ・ヴァロアとの結婚を期に発生したもの。マルグリット・ドゥ・ヴァロアといえば、あの“王妃マルゴ”のこと。

この渦中に、まさしくアンリ・ド・ブルボンがいたわけです。
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カトリック派によるユグノー虐殺は宮廷にも及び、若夫婦の部屋も血まみれの様相だったそうです。それでもマルゴの部屋にいれば安全なところ、あえてアンリは国王シャルル九世に保護を求めています。王がアンリに改宗を迫ると、さもなくば虐殺の現場に放り出すと迫ると、アンリは陛下の仰せに従いますと、あっさり改宗を受け入れています。

アンリにはどちらでもいいのです。アンリは旧教であるとか、新教であるとかの前に、フランス人でなければならないという意識がなによりも大事なことだったんです。

アンリに改宗を迫ったシャルル九世が亡くなり、あとを継いだアンリ三世が跡継ぎを残さずに亡くなった時、アンリ・ド・ブルボンは再度再度ユグノーに戻っていました。ユグノーの国王など迎えられないと、パリを始めとするカトリックの抵抗は凄まじく、フランスは分裂したままでした。ここから先が、アンリ四世の八面六臂の大活躍。

カトリーヌ・ド・メディシスの嫡孫イザベルをフランス国王にと介入してくるスペインを向こうに回して、もしもアンリ四世というガスコンでなければ今のフランスはなかったでしょう。

彼自身が自らカトリックに改宗してナントで戴冠し、すべてのフランス人の父たるフランス王になりました。さらにナントの勅令でフランスを一つにしました。

ベアルンは、歴史の大きな転換点に、極めて重要な人物を送り出してくれます。

アンリ四世が生涯に抱えた愛人、一定期間続いた女だけで、七三人を数えるそうです。私なんかじゃ、ゾッとするばかりです。





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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本




















































































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