『やさいの常備菜』 庄司いずみ
秋が深まった。
・・・たしかにそんな感じがする。だけど、ちょっと待って。まだ身の回りに紅葉は下りてきていない。そう、奥武蔵の紅葉は、例年11月に入ってから。中旬以降でも十分楽しめる。
深まった秋っていうのは、冬の直前に感じる秋。どこかに冬を感じさせる秋。色が変わりきった葉が、落ちればそこを、木枯らしが駆け抜ける。それを予感させる秋。
今は、まだ違う。ただ、たしかに気温は、少し先に進んだような気がするが・・・。
“おひたし”という野菜の調理法がある。
古い文献では、“浸物”と書かれているそうだ。「ひたしもの」と読むのだろう.“おひたし”は、その美称か。江戸時代には煎り酒や酢で味をつけた物が多かったそうだが、明治以降は煮た野菜にしょうゆをかけて食べるのを“おひたし”と呼ぶようになったそうだ。ほうれん草が思い浮かぶな。鰹節をかけても美味しいよね。
家での食事は、もっぱら、連れ合いと二人っきり。朝は、だいたい毎日、“おひたし”を出す。うちの“おひたし”は、明治期のものでも、江戸期のものでもない。煮汁にそのまま浸しておくので、戦国時代以前の、“浸物”に近いだろう。
ただし、煮汁は、おそらく当時と違って、出汁に醤油と砂糖、酒、みりんで、甘辛く味をつけたもの。これで、その時ある野菜をちょちょいっと煮て、汁ごと器に移して出す。ちなみに今日は、白菜、ニラ、エノキダケ、シメジのおひたし。
それからゴボウと蓮根のみそ汁。これにもエノキダケとシメジを入れた。たくさん買いすぎたんだ。蓮根は半分甘酢漬けにした。めざし1尾に、卵焼きはネギ入り。これはタマゴ一つで作って二人で分けるの。それに納豆。漬物はいつも見切り品。今日は白菜漬けに沢庵。ごはんは今、新米だからうまいね。
朝ごはんの紹介になってしまった。“おひたし”に戻る。食べたあと、器に残った汁は、取っておく。野菜ごと余っちゃって取っておくこともある。今日はこのパターン。この汁で、鶏肉を煮て、卵でとじて、今日のお昼はちょっと変わった親子丼になるかも知れない。
そんなことを、日頃やっていたわけなんだけど、もっともっと野菜を有効に使いたいと思って、この本を読んでみた。そしたら、この本の基本的な姿勢は、私が“おひたし”において、日頃やっていたことと同じだった。


たとえば、マリネ、ピクルス、なますに浅漬け、ナムル、塩漬け。
おひたし同様、そのまま食べて美味しくて、ちょっと手を加えても、もっとおいしい。面白いのは、野菜はわりと、パンに合う。今日の朝食べた蓮根の甘酢漬け。ほんの少しだけど残った。そこで、実験のつもりで、パンを一枚焼いて、のせて食べた。これはうまい。・・・しまった。この本では、さらに蓮根も焼いていた。
キャベツの浅漬けで、焼きそばを作っているな。浅漬けにした野菜は、火を通してもいいのかな。焼きそば以外でも、パスタに使ったり、焼いてパンに合わせてもいいそうだ。ナムルだったら、なんだってパンにはさみたくなる。
野菜っていうのは、シャキシャキした食感が魅力だけど、そう思ったまんまだと、なかなかたくさんは食べられない。そこに塩をしてしまう、焼いたり煮たりして、火を通してしまう。そうすることで、野菜は一気にたくさん食べられるようになる。
もちろん、シャキシャキ感はなくなるけど、しっとりした野菜は甘みも増して、また美味しい。
スープにするのは、遠慮しちゃいけない。昨日、お昼のスパゲッティに合わせたほうれん草のスープは、お気に入りの梅干しだけで味をつけたものだった。これはうまかった。
仕事を辞めて、よく分かった。比較の話だけど、仕事を辞めたから、それなりに時間がある。さらに、仕事をしているときは、効率を重視していた。効率を重視するというのは、特に人と一緒に、協力して仕事をしているものにとっては、絶対に必要なことだと思っていた。
効率を重視していると、野菜は食べられない。ごはんや肉類と違って、野菜は適当に噛んで飲み込んでしまうわけにもいかない。食卓に、何種類ものやさいの数を並べれば、それだけで食事の時間は長くなる。おそらく、それも、野菜を食べることの効用の一つだろう。
さて、冷蔵庫の野菜室が、寂しくなってきた。
・・・たしかにそんな感じがする。だけど、ちょっと待って。まだ身の回りに紅葉は下りてきていない。そう、奥武蔵の紅葉は、例年11月に入ってから。中旬以降でも十分楽しめる。
深まった秋っていうのは、冬の直前に感じる秋。どこかに冬を感じさせる秋。色が変わりきった葉が、落ちればそこを、木枯らしが駆け抜ける。それを予感させる秋。
今は、まだ違う。ただ、たしかに気温は、少し先に進んだような気がするが・・・。
“おひたし”という野菜の調理法がある。
古い文献では、“浸物”と書かれているそうだ。「ひたしもの」と読むのだろう.“おひたし”は、その美称か。江戸時代には煎り酒や酢で味をつけた物が多かったそうだが、明治以降は煮た野菜にしょうゆをかけて食べるのを“おひたし”と呼ぶようになったそうだ。ほうれん草が思い浮かぶな。鰹節をかけても美味しいよね。
家での食事は、もっぱら、連れ合いと二人っきり。朝は、だいたい毎日、“おひたし”を出す。うちの“おひたし”は、明治期のものでも、江戸期のものでもない。煮汁にそのまま浸しておくので、戦国時代以前の、“浸物”に近いだろう。
ただし、煮汁は、おそらく当時と違って、出汁に醤油と砂糖、酒、みりんで、甘辛く味をつけたもの。これで、その時ある野菜をちょちょいっと煮て、汁ごと器に移して出す。ちなみに今日は、白菜、ニラ、エノキダケ、シメジのおひたし。
それからゴボウと蓮根のみそ汁。これにもエノキダケとシメジを入れた。たくさん買いすぎたんだ。蓮根は半分甘酢漬けにした。めざし1尾に、卵焼きはネギ入り。これはタマゴ一つで作って二人で分けるの。それに納豆。漬物はいつも見切り品。今日は白菜漬けに沢庵。ごはんは今、新米だからうまいね。
朝ごはんの紹介になってしまった。“おひたし”に戻る。食べたあと、器に残った汁は、取っておく。野菜ごと余っちゃって取っておくこともある。今日はこのパターン。この汁で、鶏肉を煮て、卵でとじて、今日のお昼はちょっと変わった親子丼になるかも知れない。
そんなことを、日頃やっていたわけなんだけど、もっともっと野菜を有効に使いたいと思って、この本を読んでみた。そしたら、この本の基本的な姿勢は、私が“おひたし”において、日頃やっていたことと同じだった。
『やさいの常備菜』 庄司いずみ 世界文化社 ¥ 1,650 毎日の食卓に少しでも欲しいのが野菜料理。でも意外に手間がかかるもの。 |
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たとえば、マリネ、ピクルス、なますに浅漬け、ナムル、塩漬け。
おひたし同様、そのまま食べて美味しくて、ちょっと手を加えても、もっとおいしい。面白いのは、野菜はわりと、パンに合う。今日の朝食べた蓮根の甘酢漬け。ほんの少しだけど残った。そこで、実験のつもりで、パンを一枚焼いて、のせて食べた。これはうまい。・・・しまった。この本では、さらに蓮根も焼いていた。
キャベツの浅漬けで、焼きそばを作っているな。浅漬けにした野菜は、火を通してもいいのかな。焼きそば以外でも、パスタに使ったり、焼いてパンに合わせてもいいそうだ。ナムルだったら、なんだってパンにはさみたくなる。
野菜っていうのは、シャキシャキした食感が魅力だけど、そう思ったまんまだと、なかなかたくさんは食べられない。そこに塩をしてしまう、焼いたり煮たりして、火を通してしまう。そうすることで、野菜は一気にたくさん食べられるようになる。
もちろん、シャキシャキ感はなくなるけど、しっとりした野菜は甘みも増して、また美味しい。
スープにするのは、遠慮しちゃいけない。昨日、お昼のスパゲッティに合わせたほうれん草のスープは、お気に入りの梅干しだけで味をつけたものだった。これはうまかった。
仕事を辞めて、よく分かった。比較の話だけど、仕事を辞めたから、それなりに時間がある。さらに、仕事をしているときは、効率を重視していた。効率を重視するというのは、特に人と一緒に、協力して仕事をしているものにとっては、絶対に必要なことだと思っていた。
効率を重視していると、野菜は食べられない。ごはんや肉類と違って、野菜は適当に噛んで飲み込んでしまうわけにもいかない。食卓に、何種類ものやさいの数を並べれば、それだけで食事の時間は長くなる。おそらく、それも、野菜を食べることの効用の一つだろう。
さて、冷蔵庫の野菜室が、寂しくなってきた。