『物理学と神』 池内了
今年はお盆のお休みを長く取れた人が多いそうですね。私の息子もそうで、まだ所帯を持って間もないんですが、長いお盆のお休みの前半を妻方の実家で、後半を夫方の実家で過ごし、最終日の一八日に有給で一九日を付け足して、夫婦でゆっくり休むなんてことを言ってました。そんな息子夫婦の長いお盆のお休みも今日で終わり。
そりゃ、何にだって終わりはあるけど、それを考えるのって、心底恐ろしいことですよね。
毎年毎年やってくる、夏休みの終わり。その日がヒタヒタと近づいてくることを、すでに敏感に感じ取っている皆さん。ふふふ、私は一年中お休みです。
子供の頃は、自分の父親や母親が死んだらなんて、とてもじゃないけど考えられませんでした。恐ろしすぎてね。でも、祖父母も父母も、みんな死んじゃいました。
日本という国にも終りがあるのは間違いないし、人類そのものが死に絶える日だって必ずやってきます。これまで地球上に現れた生物の種の九九パーセントは絶滅しており、その平均寿命は四〇〇万年ほどだそうです。人類の祖先が地球上に誕生してすでに六〇〇万年過ぎているから、寿命を超えてますね。それとも、ホモ・サピエンスから数えれば二〇万年ほどで、まだまだ長い時間が残されているんでしょうか。
だけど、人類が仮に生き延びたとしたって、地球が亡くなっちゃうかもしれません。太陽の寿命は一〇〇億年で、今が四六歳だから、あと半分の寿命が残されています。今から五〇億年ほど経つど太陽は膨張し始め、その表面が火星軌道くらいまで広がるそうです。それより前に地球は太陽に飲み込まれるか、それ以前に蒸発するかだそうです。
ああ、怖い。
科学者たちは、物質や定数は与えられたものとして、その運動や反応の法則を明らかにすることに取り組んできました。聖書の他に、自然を神が書いたもう一つの書物として、そこに書かれた神の意志を読み解こうとしてきました。すべては、「神がそうした」ものであって、そこには疑問は差し挟めません。
「なぜそうなのか」を求めれば確率論に踏み込むことになり、《神のサイコロ遊び》に踏み込むことになります。アインシュタインは、それを拒否したそうです。
しかし、科学は逆に神から遠ざかり、人間を作ることこそが宇宙の主目的であるなどと主張するようになったんだそうです。この主張、宇宙研究の成果を扱ったテレビ番組で、とある海外の研究者が言っているのを聞いた記憶があります。著者も書いいますが、そりゃいくらなんでも、図々しいですね。


宇宙を創ったのが神であろうがなかろうが、この宇宙を認識しているのが人間であることは間違いありません。もし、人間が存在しない宇宙なら、その宇宙は存在しても、影響に認識されることがありません。認識の主体である人間が生まれない宇宙であれば、それはないのと同じことです。
まあね。たしかにね。
逆に言えば、この宇宙は、人間が存在しているから認識されます。だから、人間が存在することそのものを、「宇宙はなぜこのようにあるのか」という疑問を解く条件に使えるのではないか。「宇宙がこのようにあるから、人間が存在する」と言い換えてみれば、宇宙の年齢や大きさ、宇宙の構造、基本定数の値、それらすべてが人間の存在を保証するようになっていると考えるんですね。
え~!宇宙は人間の存在を保証しているんですか?“神であろうがなかろうが”と先に書きましたが、それが“神”であるならば、神はサイコロを振って宇宙を創ったのではなく、人間が生まれ得るように細部まで設計して宇宙を創ったということですか。
また、傲慢な。
かつて西洋の科学者は、人間は自然のすべてを支配するよう神から委ねられたと考えました。自然とは支配するもの、作り変えるものという考えですね。今度は、人間は宇宙の存在意義ということになっちゃいました。
しょうがないですね。んじゃあ、ちょっと、宇宙の存在意義として、花火大会でも出かけてみましょうか。たまや~
そりゃ、何にだって終わりはあるけど、それを考えるのって、心底恐ろしいことですよね。
毎年毎年やってくる、夏休みの終わり。その日がヒタヒタと近づいてくることを、すでに敏感に感じ取っている皆さん。ふふふ、私は一年中お休みです。
子供の頃は、自分の父親や母親が死んだらなんて、とてもじゃないけど考えられませんでした。恐ろしすぎてね。でも、祖父母も父母も、みんな死んじゃいました。
日本という国にも終りがあるのは間違いないし、人類そのものが死に絶える日だって必ずやってきます。これまで地球上に現れた生物の種の九九パーセントは絶滅しており、その平均寿命は四〇〇万年ほどだそうです。人類の祖先が地球上に誕生してすでに六〇〇万年過ぎているから、寿命を超えてますね。それとも、ホモ・サピエンスから数えれば二〇万年ほどで、まだまだ長い時間が残されているんでしょうか。
だけど、人類が仮に生き延びたとしたって、地球が亡くなっちゃうかもしれません。太陽の寿命は一〇〇億年で、今が四六歳だから、あと半分の寿命が残されています。今から五〇億年ほど経つど太陽は膨張し始め、その表面が火星軌道くらいまで広がるそうです。それより前に地球は太陽に飲み込まれるか、それ以前に蒸発するかだそうです。
ああ、怖い。
科学者たちは、物質や定数は与えられたものとして、その運動や反応の法則を明らかにすることに取り組んできました。聖書の他に、自然を神が書いたもう一つの書物として、そこに書かれた神の意志を読み解こうとしてきました。すべては、「神がそうした」ものであって、そこには疑問は差し挟めません。
「なぜそうなのか」を求めれば確率論に踏み込むことになり、《神のサイコロ遊び》に踏み込むことになります。アインシュタインは、それを拒否したそうです。
しかし、科学は逆に神から遠ざかり、人間を作ることこそが宇宙の主目的であるなどと主張するようになったんだそうです。この主張、宇宙研究の成果を扱ったテレビ番組で、とある海外の研究者が言っているのを聞いた記憶があります。著者も書いいますが、そりゃいくらなんでも、図々しいですね。
『物理学と神』 池内了 講談社学術文庫 ¥ 1,080 「神という難問」に対峙し翻弄される科学の歴史を、名手が軽妙かつ深く語り切る |
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宇宙を創ったのが神であろうがなかろうが、この宇宙を認識しているのが人間であることは間違いありません。もし、人間が存在しない宇宙なら、その宇宙は存在しても、影響に認識されることがありません。認識の主体である人間が生まれない宇宙であれば、それはないのと同じことです。
まあね。たしかにね。
逆に言えば、この宇宙は、人間が存在しているから認識されます。だから、人間が存在することそのものを、「宇宙はなぜこのようにあるのか」という疑問を解く条件に使えるのではないか。「宇宙がこのようにあるから、人間が存在する」と言い換えてみれば、宇宙の年齢や大きさ、宇宙の構造、基本定数の値、それらすべてが人間の存在を保証するようになっていると考えるんですね。
え~!宇宙は人間の存在を保証しているんですか?“神であろうがなかろうが”と先に書きましたが、それが“神”であるならば、神はサイコロを振って宇宙を創ったのではなく、人間が生まれ得るように細部まで設計して宇宙を創ったということですか。
また、傲慢な。
かつて西洋の科学者は、人間は自然のすべてを支配するよう神から委ねられたと考えました。自然とは支配するもの、作り変えるものという考えですね。今度は、人間は宇宙の存在意義ということになっちゃいました。
しょうがないですね。んじゃあ、ちょっと、宇宙の存在意義として、花火大会でも出かけてみましょうか。たまや~
