めんどくせぇことばかり 本 世界 思想
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『ブッダが説いた幸せな生き方』 今枝由郎

ニーチェ
「仏教は、歴史が我々に提示してくれる、唯一の真に実証科学的宗教である」

アインシュタイン
「仏教は、近代科学と両立可能な唯一の宗教である」

アンドレ・ミゴ(仏・東洋学者)
「ブッダは、信仰を知性に、教義を真理に、神の啓示を人間の理性に置きかえた、最初のインド人である」

ポール・ドゥミエヴィル(仏・仏教学者)
「仏教はユマニスト的であり、合理的であり、ある面ではソクラテス的であり、また別の面では福音書的であり、さらには科学的でもある」

ジャン・フランソワ・ルヴェル(仏・哲学者)
「多くの宗教が、みずから普遍的な広がりを持つと主張している。もちろんキリスト教、特にカトリックがそうだ。なにしろ、カトリックとは普遍的という意味のギリシャ語から来ている。それでカトリックはしばしば、人を無理やり改宗させる権利があると言い張る。イスラム教もまた、普遍的拡大、必要なら刀や銃の力でも、という傾向がある。というのは、これらの宗教では、信者になるには、最初に幾つかの教義を信じることを受け入れなければならない。仏教の場合はそうではない。仏教に普遍的役割があるとしても、自分の生まれた文化とは別の文化に広がっていく際、どんな形でも、新しい信徒から見て信仰への服従とか、ましてや強制を要求することがない」

叙任権闘争や宗教改革以来、キリスト教は徐々に希釈され、今ではずいぶん世俗化が進んでいる。もともと一神教世界では、超越的な特性を神という。神は、人間を超えている。

いずれも超越の場所を持っており、そこからテキスト=正典がもたらされたことになっている。正典は人間が書いたものではなく、超越した場所からもたらされたものということになっている。人間が書いたものではないから、人間が手を加えたり、勝手に解釈したりできない。人々はそこに書かれたように生きることが良いと考える。

ところがキリスト教は、旧約聖書を字義通りに読まないということを、イエスが始めてしまった。それを出発点として、新約聖書も字義通りに読まない。考え方や行動を拘束する力が、字義通りではないとしても、聖書は正典であるという信念はある。それでも現実世界を生きるのに正典の効力が届かないので、法律を作る。

同じ一神教でも、イスラム教はずいぶん違う。コーランは神の言葉が書かれたものだから、まったく変えられない。イエスのような命がけの改革者も現れないから、ムハンマドの時代のまんま。後先かまわず、7世紀のアラブを盛り込んじゃったもんだから、もう大変。


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岩波新書  ¥ 924

なにごとの 縁なるかは 知らねども ありがたさにぞ 涙流るる
一章 仏教徒は幸せ
二章 ブッダの生涯
三章 ブッダが「目覚め」たことーものごとのありのままの姿
四章 仏教徒の生き方
終章 現代と仏教
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それはそうと、仏教の無常観。それはそれは冷徹なものではあるが、日本に入ってくると、少し雰囲気が違ってくる。

鴨長明『方丈記』
「その主とすみかと、無常を争うさま、いはば朝顔の露に異ならず。或は露落ちて花残れり。残るといえども、朝日に枯れぬ。或花しぼみて露なお消えず。消えずといえども、夕を待つ事なし」

小野小町『古今集』
「花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせし間に」

蓮如『白骨の偈』
「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、即ち二つの眼たちまちに閉じ、一つの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李の装いを失いぬる」

日本の無常観は、古来、「もののあわれ」とか「世のはかなさ」というように、感傷的、情緒的に捉えられる傾向にある。ブッダが説くように、ものごとのありのままの姿、すなわち客観的心理として冷徹に認識されることはなかった。ブッダの言うところは、感傷的な次元ではなく、ものごとの本質的な事実認識である。

そう、だからブッダの言うところの無常観は、日本人には殺風景すぎる。


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テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『極上の死生観』 齋藤孝

たとえ明日終わるとしても、人生には意味がある。

還暦とはよく言ったもので、「人生100年時代」を迎えつつあるいまも、60歳は転機の年。仕事に区切りがつき、子どもは独立。そしていよいよ自分の人生の終わりも視野に入ってくる……。「50歳を境に人生をギヤチェンジしていこう」と勧めてきた著者が、いよいよ60歳を迎えるにあたり、いつかは訪れる死というものを、どのように受け入れればよいかを考えていく。「宗教家・哲学者・芸術家・文学者など古今東西の賢者たちから導きを受け、後半生をより良く過ごすために必要な「死生観」の養い方を学ぶ一冊。

著者の齋藤孝さんとは、同じの年の生まれ。早生まれなので、学年は私が一つ上かな。著者は45歳で大病を経験し、死を強く意識されたそうだ。私は逆。56歳で足の手術を受け、長く諦めていた山登りを再開した。そのことで、残りの人生をしっかり生きたいと再確認した。正反対のように思えるが、一枚のカードの裏表のようなもので、死を意識することと生を意識することは、おそらく同じことだろう。

現代は、あまりにも死を遠ざけすぎたせいだろうか、意識的に死から逃避している傾向がある。テレビに見る世間は、なぜあんなにも“若さ”にばかり引き寄せられるのだろう。あれで突然目の前に現れる死を、受け入れることが出来るんだろうか。

本来自然界においては、死は日常である。命を終えた虫の死骸に、自分の死を重ねてみることはないんだろうか。行きに、車にひかれた猫の死体を見かけても、帰りには片付けられてしまっている。片付けずに腐乱が進む様子を見れば、少しは死が分かるかも知れない。

著者の斎藤さんは、そんな力任せの無理押しはせず、古今東西の貴人哲人の死生観、生と死に関わる宗教の教え、文学始め芸術に表された死の様相を丁寧に取り上げてくれている。

一冊を読み終える頃には、「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」と言えるようになっているかもよ。



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NHK出版新書  ¥ 935

たとえ明日終わるとしても、人生には意味がある。60歳は人生の中締め
第1章 自分で人生を作り出すということ
第2章 死といかに向き合うかー賢者たちの死生観
第3章 この世とあの世の道理を学ぶー宗教の教え
第4章 死の瞬間を表現するー文学と死生観
第5章 人はいかに生きて、いかに死ぬべきかー私の死生観
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子どもの頃、家族が死ぬことを考えると、居ても立ってもいられないほど怖かった。

それがどうだろう。還暦を過ぎて、自分が死ぬことを考えるようになった。ありがたいことに、家族や親戚に、人はいつか死ぬことを、上手に教えてもらった。予期せぬ時に死ぬこともあるということも含めて。

最初に家族の死を経験したとき、それは祖父の死であったが、私はすでに二十歳を過ぎていた。恵まれていたと言っていいだろう。続いて伯父、祖母、母、父と続く。父は7人兄弟、母は4人兄弟だったから、伯父伯母、叔父叔母は全部で18人いた。残っているのは5人だけ。その5人が準備している姿も目にしている。従兄も1人亡くなった。突然のことだった。

これだけ死なれれば、私のような馬鹿でも分かる。わりと順番に死んでくれて、ありがとうというところだ。

何人かは、その命がなくなる瞬間にも立ち会った。これは大きな体験だった。1匹のうさぎと1匹の猫が私の腕の中で死んだが、ペットであっても命が失われる瞬間を見届ける体験は、変わりなく貴重なものだった。

先に死んだ命は、残ったものにかけがえのないものを残す。それを受け取るかどうかは、残されたもの次第。その珠玉の多くが、この本に記されている。そう考えれば、お得な本だな。


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テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『地獄と娑婆のお地蔵さん』 ひろさちや

本書は著者が仏教評論家として世に出始めたころの書籍ですが、内容・文体は古くなく、むしろシャープ。「仏教名作シリーズ」の第2巻目です。村のはずれのお地蔵さん、いつもにこにこ見てござる…日本人の心象風景のなかに脈々と息づく「お地蔵さん」。お地蔵さんは仏ではなく、菩薩である…これを主題にして、「娑婆」=この世=無仏の時代にどう日本人は仏教徒として生きるべきかを提起してゆきます。
冒頭に、「本書は、一九七九年九月に(有)大法輪閣から発刊されたものを新装版として小社から復刊したものです。本文は概ねそのままですが、若干著者により加筆訂正を行いました。」とある。

著者は《第一章 お地蔵さんと現代》に、「あと五十年か百年、必ず現代社会は破滅するであろう。エネルギー危機、大気汚染、大地震、異常気象、原水爆戦争、人口増加、食糧不足・・・破滅の原因はさまざまに予想される。いずれか一つの原因、あるいは多くの原因が競合して、近いうちにきっと現代社会は破滅を迎える。それは確実であろう。」と書いている。

予測はまだ外れたわけではないが、この予測はおそらく“若気の至り”の部類だろう。だいたい43年ぶりの復刊だ。若い頃の自分が書いた文章を再度目を通すなんて、私なんかじゃ恥ずかしくってしょうがない。おそらく“若気の至り”の部類と思えるその文章も、削らずに残しているあたり、著者の誠実な人柄故のことだろう。

正しくは地蔵菩薩。菩薩は大乗仏教における求道者を意味する。出家でなければ悟りには至れないとされていた時代、仏教は出家者のための宗教だった。それでは、出家できない凡人には、仏教は無縁の教え。

しかし、出家してすべての欲望を捨てない限り真の悟りはえられないという出家の信念は、ある意味、一個の執着ではないか。独善ではないか。出家であれ、在家であれ、真剣に道を求める人は、誰でも必ず仏教の悟りがえられる。そうした大乗の教えの中に、真剣に道を求める人=菩薩という概念が生まれたようだ。


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佼成出版社  ¥ 1,980

大慈、大悲の深きこと、地蔵菩薩に如くはなし 南無大悲の地蔵尊
序章 いつもにこにこ見てござる
第一章 お地蔵さんと現代
第二章 菩薩とお地蔵さん
第三章 お地蔵さんの出現
第四章 地獄のお地蔵さん
第五章 娑婆とお地蔵さん
終章 これはこの世のことならず
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だから、菩薩は悟りを開くべく努力を続ける、未来の仏。すぐに仏になれるわけではないが、そのための努力を続ければ、在家でもすべての人が仏になることが出来る。

法蔵菩薩は長い修行を続け、阿弥陀仏と呼ばれる仏になった。

「自分は人間世界において修行を完成させて仏となり、人びとを教化する。しかし自分がいなくなったあと、世はまた無仏の時代となってしまう。次はあなたが仏となって、人間世界に行って欲しい。」そう言って釈迦牟尼仏が兜率天を去るとき、後を頼まれたのが弥勒菩薩である。

釈迦牟尼仏、阿弥陀仏、阿閦仏、薬師仏、・・・宇宙にはいろいろな仏がいるが、これらの仏もすべて、前段階において菩薩として修行を続け、その修行を完成させて仏となったのだという。

仏は超越者で、因果律が支配するこの世界を越えたところに存在している。したがって、仏となることは、この世界を超越することである。超越してこの世界から消滅することになる。

ところが修行が完了しても、なおかつ仏にならない菩薩がいる。力量不足の故ではない。力量も資格も十分なのに、自分の意思でもって仏となることを拒否している。迷い苦しむ衆生に同情し、憐れみ、憂うるが故に、みずから仏となることを放棄して、この世に留まっておられる。それが地蔵菩薩である。

田舎の家の庭を出て、すぐの辻に子守地蔵があった。外から来れば、家の入口となる場所だ。その家を18歳で出るまでは、私もお地蔵さまに見守られていた。年に一度は、お坊さんが来てお地蔵さまの前でお経を上げていく。在の人がみんな集まって、お経のあとで飲んだり食べたりする。お地蔵さまのお祭りみたいなもんだな。紙芝居のおじさんが自転車を止めるのも、このお地蔵さまの辻だった。小学校の集団登校も、この辻に集合した。夏休みの肝試しも、このお地蔵さまの前が拠点となっていた。あの時、いつもいつも、お地蔵さまは子どもと一緒にいたんだろうな。

本書の一番最後に「賽の河原地蔵和讃」が掲載されている。なによりも、子どもを救ってくれるお地蔵さま。子を失った親は、どうぞわが子を助けてくれと、家の近くの辻にお地蔵さまを祀った。「

だからね。お地蔵さまが立っている辻のそばには、昔、子を亡くして悲しんだ親がいたんだ。もしも、みんなの学校の行き帰りにお地蔵さまがいたなら、そんなことを考えてみて」

高校の教員をしていた頃、生徒にそんな話をした。


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テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『タリバン復権の真実』 中田考

20年間に渡るアメリカによるアフガニスタンの支配は終焉を迎えた。タリバンの復権は何を意味するのか?日本にはどんな影響があるのか? そして大きな歴史の流れのなかでアメリカの終焉を決定づけるきっかけになったと語るのが、イスラーム法学者の世界的第一人者・中田考氏。中田氏は現在のタリバン指導部との親交も深く、世界でも稀に見るタリバンの思想と政治組織に精通した人物。

はじめて語られる「タリバン復権の真実」に読者は驚愕と衝撃を受けるにちがいない。今後の国際情勢を見極める上で必須の教養書の一冊。

タリバン政権の復活を“アメリカの世紀の終焉”と、嬉しそうに捉えるのは勝手。たしかにアメリカは手順を間違えた。それはバイデン政権失策であり、米民主党の時代錯誤がもとになっている。

本来、米軍のアフガニスタン撤退は、厳密な見極めの元に行われるはずだった。アフガニスタンからの米軍撤退が決まったのは2020年2月29日、トランプ政権下の成果だった。アメリカ政府とタリバン代表者がカタールのドーハで署名したことから、ドーハ合意と呼ばれる。

ドーハ合意では、タリバンにアフガニスタン政府と和平交渉をすること、アルカイダとの関係を絶ち、テロの温床にさせないことなどが決められ、引き替えにアフガニスタンから米軍の完全徹底を2021年5月1日までに完了させることが約束された。

アフガニスタンに駐留する米軍は、ピーク時には10万人規模となったが、トランプ政権末期までに2500人までに削減されていた。アフガニスタン政府とタリバンの和平交渉は始まっていたが、タリバンがイスラム政体を譲らなかったため、和平が成立する兆しはなかった。

ところがバイデンは、2021年4月14日にとんでもない発表をした。米軍が9月11までに完全撤退するというのだ。さらに7月には、8月末に完全撤退期限を早めることを発表した。

2021年8月16日、タリバンが制圧したカブール近郊の空港での惨事を、中田考は「ドタバタ喜劇」と受け止めていた。真っ先に逃亡したガニ大統領は別として、逃げ惑って空港に押し寄せ、米軍機にすがりついたアフガニスタンの群衆の映し出された映像を、中田考は「ドタバタ喜劇」として見ていた。




ベスト新書  ¥ 990

内田樹、橋本大三郎、高橋和夫推薦 タリバンは恐怖政治なのか?
序 タリバンの復活とアメリカの世紀の終焉
第Ⅰ部 タリバン政権の復活
第1章 タリバンについて語る
第2章 アフガニスタンという国
第3章 アメリカ・タリバン和平合意
第4章 イスラーム共和国とはなんだったのか
第5章 タリバンとの対話
第6章 タリバンとは何か
第7章 タリバンに対する誤解を超えて
第8章 タリバンの勝利の地政学的意味
第9章 タリバン暫定政権の成立
第10章 文明の再編とタリバン
第Ⅱ部 タリバンの組織と政治思想
第1章 翻訳解説
第2章 「イスラーム首長国とその成功を収めた行政」
第3章 「タリバン(イスラム首長国)の思想と基礎」
跋 タリバンといかに対峙すべきか


あの時、オーストラリアの軍用機でタリバンによる死の恐怖から逃れた者たちの中に、アフガニスタンの女子サッカー代表選手たちがいた。彼女たちはそのまま、オーストラリアに亡命した。
2023/08/02  CNN
サッカー女子W杯のもうひとつの戦い プレーの権利求めるアフガニスタン女子代表
https://www.cnn.co.jp/showbiz/35207339.html
(抜粋)
今、ハーリダ・ポパル氏はサッカーの最高機関である国際サッカー連盟(FIFA)に強く働きかけている。女子の選手たちがアフガニスタン代表として、再びピッチの上を駆けまわることができるようにと。

現在、アフガニスタンの女性たちは、サッカーはおろか、学校に行って勉強することもできなければ、職場に行くことさえできない。多くの女性たちの収入源であり、駆け込み寺であった美容院も閉鎖された。外出には男性である保護者の同伴が必要であるという。

この本の中にも、女子教育に関わるタリバンの立場、イスラム主義の立場が紹介されている。

女子であれ、男子であれ、イスラム教育は義務であり、タリバンが女子教育を禁ずるはずがない。タリバンの統治下で女子生徒がいる学校が閉鎖されたり、女子生徒が学校に行けなくなったり、あるいは女子生徒が通う学校の建設が許可されなかったりしたことがあったとしても、それはタリバンが女子教育を禁じているからではない。それらの学校の運営や教育内容がイスラムに反していたり、国が貧しく優先順位が低い女子教育に割くだけの予算がなかったからである。

中田考はこれについて、「タリバンにとっての女性とは、信仰における姉妹、また社会における母、妻として敬愛され、庇護奉仕されるべき存在である。タリバンの女性観は典型的に家父長的であり、それを女性蔑視と考えるのは、西欧の偏見に過ぎない」と言っている。

まあ、タリバンが家父長的であるというより、ムハンマド時代のアラブが家父長的で、その女性観がイスラム教の中に固定されてしまっているわけだ。そして中田考は、その中の人間だから、彼も、女は男に庇護されなければ生活できない存在と捉えているわけだ。

イスラムの男というのは、何もしなくても女よりも上位にある。だけど、女っていうのは強いからね。上位を約束されて、その地位に甘んじているような男は、一時でも自由を味わい、男社会で頑張っている女に負けるよ。

男に庇護されなければ生活できない女がお好みなら、ムハンマドの時代のアラブにでも行けばいい。

ちなみに、アフガニスタン最高裁で判事を務めていたアフガニスタン人女性ファウジア・アミニは、「タリバンは女性に対する差別を制度化し、私たちの基本的な権利を否定している。彼らは女性を社会から抹殺し、私たちを家の中の囚人にしようとしている」と言っている。


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『ブッダが説いた幸せな生き方』 今枝由郎

暗く厭世的に思われがちな仏教。しかし、その開祖ブッダはそんなにマイナス思考の人だったのだろうか。若いころから仏典に触れ、パリで研究をする一方で、仏教国ブータンに長年生活し、チベットの人々の間に生きる仏教に親しんだ著者ならではの、ユマニスムにも通じるブッダの教えの読み解き。
??・・・なんだろう、“ユマニスム”って。調べちゃった。そうしたら、なんてことない。ヒューマニズムのフランス語発音みたい。

生きることは“苦”である。輪廻を断ち切って、二度とこの世に生まれてこない状態が理想。たしかに、人生のすべてを否定しているかのよう。池上彰に言わせれば、仏教という言葉から思い浮かべるのは、苦、無常、死、葬式、お墓・・・ウワーって感じ。

仏教の開祖であるブッダが日本仏教の現状を目の当たりにしたら、間違いなく「私は仏教徒ではない」と言うだろうと、著者の今枝由郎さんは言っている。

それはまあ、ブッダが教えを説いた時代から、2500年もの歳月が経過していることも、変質してしまった原因の一つにはなるだろう。ただ、それ以上に、ここが日本であるという原因が大きい。

日本では、クリスマスやハロウィンが大はやり。神前や仏前で結婚式を挙げるより、教会においてゴッドに愛を誓う人の方がはるかに多いだろう今日この頃だ。この状況をイエス・キリストが見れば、間違いなく「私はキリスト教徒ではない」と言うだろう。

もともと仏教は、鎮護国家を期待されて、国をあげて導入されたものであった。その前から鎮護の力に期待する信仰心が存在していた。それに仏教をかぶせたわけだな。さらにそれが貴族へ、武士へ、庶民へ取り入れられていく過程で、その都度変質した。近世、戦国時代から中央集権制に移行する中、政治に協力することを求められて、ここでも仏教は変質していった。

それが悪いとは思わないが、当然のように日本の仏教は、仏教が本来持っていた、“よりよい人生を生きるための指針”としての本質を失ってしまった。

この本は、“よりよい人生を生きるための指針”としての本質を教えてくれている。


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岩波新書  ¥ 924

なにごとの 縁なるかは 知らねども ありがたさにぞ 涙流るる
一章 仏教徒は幸せ
二章 ブッダの生涯
三章 ブッダが「目覚め」たことーものごとのありのままの姿
四章 仏教徒の生き方
終章 現代と仏教
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先日、大原千鶴さんの『茶呑みめし』というエッセイ集を読んだ。肩の力の抜いて、ゆったりと自分とその周辺を見つめ直して書いたような本で、やはり話の中心は家庭料理に置かれている。その中に、「“自分らしく無理せず、命を無駄なく使い、毎日を機嫌よく”そんな暮らし方が軸になっている」と書かれていた。女と男では違うが、世代が近いこともあり、ほぼ共感できた。

私も大原さん同様、親は逝き、子どもは育ち、仕事はやめた。今はただ、なんだかんだと心配したり、こうすれば良かったとクヨクヨせず、ただ気持ち良く、ご機嫌でいられるように心を整えようと決めた。

この本の《一章 仏教徒は幸せ》の中に、次のような文章を見つけた。

ブッダの弟子たちが、シンプルで静かな生活を送っていながら、顔色が輝いているのはどうしてかと訪ねられたとき、ブッダはこう答えました。
「彼らは過去を悔やまず、未来のことで気を病まない。彼らは現在を生きている。だから彼らの顔色は輝いている」

大原さんの生活態度、私が日頃感じていることは、仏教における“よりよい人生を生きるための指針”に近づいているようだ。ここまで来るのに、すでに親は死に、子どもは旅立ち、仕事を離れた。身体は若い頃のようには動かず、いろいろなことを諦めて生きてきた。今は、毎日適度に身体を動かし、本を読み、ものを考え、料理をして、時々山に登る。

そうか、私の日頃の生活は、出家に近い。

この境地を、若い人に求めるのは難しい。親は生きているし、子どもは可愛い。体は頑強だし、やりたいことはたくさんあって、欲しいものは数知れない。

いろいろなものを失ったことが、今の私の幸運か。あっ、まだ失っていないものがある。・・・向こうの部屋に。


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テーマ : 読んだ本。
ジャンル : 本・雑誌

『仏教のことば・考え方』 ひろさちや

釈迦牟尼仏である釈尊は、生身の体を持った人間であった。それゆえ、その生命にも限りがあった。釈尊は八十星霜の生涯を終え、この世を去って行った。あとには、その思い出と、彼が四十五年にわたって説き続けた教えが残された。

釈尊の教え、釈迦牟尼仏の教えが仏教にほかならない。彼は自らが悟った真理=真如を人々に説いたが、人々の思い出の中で、やがて彼は真如と同一視された。釈迦牟尼仏は真如を説き、真如そのものであり、真如の世界からしばしばこの世に来現し、そして再び真如の世界に帰還していった。人々は、釈迦牟尼仏について、そう考えはじめた。そこで釈迦牟尼仏は「如来」と呼ばれるようになった。「真“如”より“来”たりし者」の意である。

釈迦牟尼仏が真如に世界に帰還していったあと、出家者を中心とする教団の人々は、在りし日に仏が説いた教えを忠実に守ることによって、その法灯を守り続けていった。

その道は間違っていない。ただ、それだけでは在家を満足させることは出来なかった。


『仏教のことば・考え方』    ひろさちや

佼成出版社  ¥ 1,980

仏教のことばを手掛かりにして、仏教の考え方を明らかにしようと考えた
輪廻転生   業と宿業   苦
無分別の心  般若の智慧  中道
愛      仏の本願   慈悲
六道輪廻   地獄・極楽  解脱
諦める    廻向     縁起
空      戒と律    無我
応病与薬   涅槃     方便
不可思議   布施     倶会一処
「仏教者である」ことと「仏教者になる」こと


名もなき在家の大衆たちは釈迦牟尼仏を追憶しつつ、徐々にもう一つの仏教を作り上げていくのである。それは釈迦牟尼仏への追憶の念を主軸とした、新しい仏教運動となっていった。そこでは仏は釈迦牟尼仏ただ一人ではなく、十万世界に多数の仏が満ちていなければならない。

なぜなら、釈迦牟尼仏は真理の世界から迷いのこの世に来現し、真理を説き、再び真理の世界へ帰って行った仏である。したがって釈迦牟尼仏は真理そのものにほかならないわけだが、仏がイコール真理であれば、真理は時間と空間を超越しているはずである。それが真理の普遍性である。つまり真理は、一時期、一場所においてだけの真理ではなく、いかなる時代においても、いかなる場所においても真理でなければならない。それと同様、仏もまた普遍的でなければならず、あらゆる時代とあらゆる場所に存在していなければならない。

かくて、仏は釈迦牟尼仏ただ一人ではなくなった。釈迦牟尼仏が来現される以前にも、無数の仏たちがこの世に来現して真理を説いたに違いない。そして釈迦牟尼仏の以後にも、多数の仏がこの世に来現されるはずである。その通り、多数の仏が生み出され、人々の苦しみを癒やすさまざまな性質を付与されていった。

大乗仏教の誕生である。仏教は時代に合わせて、人々を苦しみから救っていった。それはどんな宗教でも同じだ。頑なに教祖の時代を守ろうとする宗教もあるが、教条的なその態度は、すでに本質を見失っている。

あの有名な弥勒菩薩は、この次、今から五十六億七千万年後に、この世に来現される未来仏である。今現在、弥勒仏は、弥勒菩薩として兜率天に住しておられる。

菩薩とは、仏が仏になられる以前の呼び名、つまり修業時代の仏である。ともあれ、過去ー現在ー未来の三世に渡って、あらゆる時代に仏は存在しているのである。

そして空間的にも・・・。東西南北、四方八方に上下を加えた十方世界に、仏は偏在し充満している。西方十万億仏土の彼方、あの極楽浄土には阿弥陀如来がおられる。東方浄瑠璃浄土には薬師如来、東方妙喜世界には阿閦如来、毘盧遮那仏の蓮華蔵世界、弥勒菩薩の兜率天など、仏の世界が偏在する。

残念ながら、現在、日本の仏教は力を失っている。人々の苦しみを癒やし、生きることに意味を持たせる役割を、果たしているとはいいがたい。現代の日本人が、歴史上、最も深い不安を感じていることになるのかも知れない。


テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『仏教のことば・考え方』 ひろさちや

猿と山犬と獺と仲良く暮らしていた兎がいた。そこへ帝釈天が、旅人に姿を変えてやってくる。猿と山犬と獺は、それぞれの蓄えで以てこの客人をもてなすことができた。しかし悲しいことに、兎は一物をも持たなかった。猿と山犬と獺から歓待の精神を要求された兎は、敢然とためらうことなく火中に身を投じ、自らの肉で以て旅人へのご馳走とした。

作られた宗教説話というのは、どうも胡散臭い。その点、イソップ物語はいい。イソップは、紀元前6世紀の、ギリシャの奴隷であったといわれているアイソポス。その英語読みがイソップになる。寓話を得意にしていたという。イソップ物語には、アイソポスの寓話に古代メソポタミア、後世のものがつけ加えられたものだという。

池に石を投げ込む子どもたちに、蛙が懇願する話がある。「止めてくれ、あなた方には遊びかもしれないが、自分たちには命の問題だ」


表面的には、アイソポスはここで憐憫の情を説いているのであるが、残念ながら、子どもたちはやめないだろう。だからこそ遊びは、ますます面白くなるのだから。・・・たしかに、私はもっと酷いことを蛙たちにした。


『仏教のことば・考え方』    ひろさちや

佼成出版社  ¥ 1,980

仏教のことばを手掛かりにして、仏教の考え方を明らかにしようと考えた
輪廻転生   業と宿業   苦
無分別の心  般若の智慧  中道
愛      仏の本願   慈悲
六道輪廻   地獄・極楽  解脱
諦める    廻向     縁起
空      戒と律    無我
応病与薬   涅槃     方便
不可思議   布施     倶会一処
「仏教者である」ことと「仏教者になる」こと


仏教はあきらめの哲学

「あきらめる」を漢字で書けば、「諦める」と書く。この「諦」は、仏教語では「真理」を意味する言葉である。サンスクリット語の「サティヤ」を漢字に訳したものである。仏教のいう苦諦、集諦、滅諦、道諦からなる四諦は、釈尊が弟子たちに説いた「四つの真理」のことである。

つまり、「諦める」とは、言葉の本来の意味において、「審理を明らかにする」ということである。すなわち「諦める」は、「明らめる」ことである。

たとえば四諦の始まりにある苦諦は、一切皆苦、すべては苦であるという真理である。この世は無常の世界であって、そこには永遠に続く楽は存在しない。だから、いっさいが苦であることを認識することが、真理を明らめることになる。

現世が苦の世界であることを知ること。苦であることが分かってみれば、もはやどうしようもない。そう諦めるのが、仏教である。

集諦は、欲望の尽きないこと、煩悩が苦の原因であること。滅諦とは欲望のなくなった状態、涅槃寂静のこと。道諦は苦の滅を実現する修行方法、八正道のこと。

「あきらめる」に、「諦」の字を当てたのは誰なんだろう。「たい」したもんだな。


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『仏教のことば・考え方』 ひろさちや

《グノーティ・サウトン》

この言葉は、本来はギリシャのデルフォイ神殿の入り口に掲げられた箴言だそうだ。

「身の程を知れ」ほどの意味で、神ならぬ人間はその分を知り、つつましやかに暮らせと勧める、神が人間に与えた助言であった。ソクラテスはこの箴言を、「汝自身を知れ」と読みかえて、自分の哲学探究のモットーとした。

ソクラテスが哲学探究のモットーとした「グノーティ・サウトン」と、デルフォイの神が人間に与えた助言としての「グノーティ・サウトン」は、すでに微妙に意味の含むところが違う。

だが、ローマの貴族たちにとっては、これが別の意味になったようだ。ローマ人の間で、饗宴の席の装飾画に骸骨を描くことが流行したことがある。そしてその骸骨のモザイク画の下に、ギリシャ語で「グノーティ・サウトン」と書き入れたそうだ。

「やがては死んで骸骨になる身、生きている間は大いにやろうぜ」という、刹那主義を伴う言葉となった。

ヨーロッパ人に刹那主義が広がるのは、14世紀のペスト大流行が大きなきっかけになっている。しかし、古代ローマにおいても、ユスティニアヌス帝の時代、541年にペストによるパンデミックが起きている。ピーク時には、1日に1万人が死んだというから、「どうせ骸骨になるんだから・・・」という気持ちも理解できる。

それに古代ローマ時代、「ローマはマラリアの友」という言葉もあったそうだ。


『仏教のことば・考え方』    ひろさちや

佼成出版社  ¥ 1,980

仏教のことばを手掛かりにして、仏教の考え方を明らかにしようと考えた
輪廻転生   業と宿業   苦
無分別の心  般若の智慧  中道
愛      仏の本願   慈悲
六道輪廻   地獄・極楽  解脱
諦める    廻向     縁起
空      戒と律    無我
応病与薬   涅槃     方便
不可思議   布施     倶会一処
「仏教者である」ことと「仏教者になる」こと


《キサーゴータミー》

コーサラ国の首都舎衛城に、愛児の骸を抱えて、右往左往する女がいた。名をキサーゴータミーという。

ひとり子を失ったこの母親は、どうしてもその子の死が受け入れられず、あちこちと薬を求めてさまよっているのである。やがて骸は死臭をたてはじめ、彼女の神経は徐々に狂いかけていった。

「私がその薬を作ってあげよう」と、釈尊は静かに言う。

「なに、芥子粒をもらってくればいいのだよ・・・。しかしね、キサーゴータミーよ。これまで死者を出したことのない家の芥子粒でないとだめなんだよ」

母親は家々を訪ねまわる。死者を出したことのない家。芥子粒。それで薬を作ってもらえる。しかし、どの家もどの家も、死者を出した家ばかり・・・。どこにも、彼女の探す家はない。そう分かったとき、彼女の狂喜は自ずから鎮まっていった。

この話は、教員だった頃に、歴史の授業でよく使った。

高校生には、特別な場合を除いて、“死”は身近にはない。それだけに、彼らに“死”を感じさせることは、とても大切なことである。祖父母の死に接することは、若い人にとってとても大切な体験になる。ただ、それに意味を持たせることが、肝心である。

父や母にそれが難しい場合、教師は若い人たちに“死”を考えさせる、非常に重要な位置に存在する。歴史の教員だったから、授業の中で“死”に触れる機会は、掃いて捨てるほどある。

掃いて捨てるほどあるその機会の中でも、キサーゴータミーの話しはとても上質なものだった。


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『法句経の世界』 中山慧照

ちょっと前に、『お寺の掲示板』という本を読んだ。

“お寺の掲示板”には、お寺の行事や講話会に関する檀家さんへの呼びかけが張り出されているほか、仏教の真理に関する一言を見受けることがある。旅先で見知らぬ街を回るとき、予期せぬところでお寺を見かけることがある。そんな時、つい掲示板を探してしまう。そこに、「ほう」と唸らされるような一言を見つけると、それだけで旅の印象が変わったりする。

『お寺の掲示板』を読んでいて気づいたのだが、“法句経”の一節をいかした言葉が多いようであった。“法句経”に関する知識は何もないままに、おそらく、たくさんあるお経の中の一つなのだろうと考えていた。

しかし、どうやら“お経の一つ”というだけでは済まないもののようだ。その原題は『ダンマパダ』、ダンマはダルマで、法、真理、教理、規範などの意味を持つ。パダには言葉という意味があって、合わせて「真理の言葉」が法句経の本質のようだ。上座部仏教圏の教えが北上して、漢訳されて法句経と呼ばれるようになったらしい。

前に、中村元さんの『ブッダのことば』って本を読んだけど、原題は『スッタニパーダ』で、セイロンに伝えられた南伝仏教の経典だそうだ。

どちらも上座部仏教系のかなり古い経典で、釈迦が実際に説かれた教えに近いものと考えられている。『ダンマパダ』は『スッタニパーダ』に比べて、短い詩節の形でより平易に書かれているため、初心者にも比較的分かりやすくなっているという。

なるほど、それで“お寺の掲示板”に多く利用されているわけか。


『法句経の世界』    中山慧照

第一書房  ¥ 時価

その原題は『ダンマパダ』。偽らざる人間釈迦の言葉に接することができる
第一品 双叙 ひとくみ
第二品 不放逸 はげみ
第三品 心意 こころ
第四品 華 はな
第五品 闇愚 おろかびと
第六品 賢哲 かしこきひと
第七品 阿羅漢 ひじり
第八品 述千 せんということ
第九品 悪行 あしきわざ
第一〇品 刀杖 つるぎ
第一一品 老耄 おい
第一二品 自己 おのれ
第一三品 世間 せけん
第一四品 仏陀 さとれるもの
第一五品 安寧 やすけさ
第一六品 好喜 よろこび
第一七品 忿怒 いかり
第一八品 塵垢 けがれ
第一九品 住法 ただしさ
第二〇品 道行 みち
第二一品 雑 さまざま
第二二品 地獄 ちのはて
第二三品 象 ぞう
第二四品 愛欲 あいよく
第二五品 比丘 びく
第二六品 婆羅門 ばらもん


見開き二ページが、一つのセットになっている。右側のページ上部に、一つの詩節が書かれている。そのページの下部には、その詩節が生まれた謂れであるとか、背景であるとかの解説が付けられている。そして左側のページには、日本各地の石仏の写真が掲載されている。

それらの石仏の中に、埼玉県のものもたくさん使われていた。寄居町少林寺、川越市喜多院、妻沼町聖護院、秩父氏金昌寺の石仏には見覚えがあるものもあり、嬉しかった。

仏教におけるバイブルとまで称される法句経の、詩偈それぞれにわたり詳しい解説をつけ、その内容にふさわしいと思われる石仏写真を掲載。拝誦し、ながめわたすことで、釈迦の教えを直接感じ、心に安寧を与えられる本。

書は『法句経』の詩偈それぞれにわたり詳しい解説をつけ、その内容にふさわしいと思われる石仏写真を添えている。

《おのれこそ おのれのよるべ おのれを措きて 誰によるべき よくととのえし おのれにこそ まことえがたき よるべをぞ得ん》
信心深い長者の娘は結婚後も出家の念やみがたく、夫に許されて出家し比丘尼となる。しかし、まもなく妊娠していることが判明する。デーヴァダッタは教団から追放しようとするが、釈尊はそれを「懐妊は出家以前のことである」と押しとどめ、許した。比丘尼は月満ちて男児を産んだ。児は宮殿に引き取られて王の下で育てられ、後に釈尊のもとで出家してクマーラカッサバ比丘となる。生別以来十二年、比丘尼ははじめて見るわが子への愛しさから息子に駆け寄ったが、今ここで母に優しい言葉をかけたら興奮のあまり死んでしまうのではないかと思ったクマーラカッサバは、「愛情さえも断てぬのか」と、わざと厳しく言った。このため彼女は一度は息子を恨んだが、その後、愛情を滅することができて、阿羅漢となった。これを見た釈尊は「比丘らよ、己をおいてほかに、道を修める助けとなるものは何もない。己こそが“よるべ”である」と仰せられた。

・・・とまあ、こんな感じだよ。

教訓めいて抹香くさい詩節も少なくないが、同じくらい味わい深いものもある。


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『仏教のことば・考え方』 ひろさちや

なんと、この本は、一九七九年に大法輪閣から出版された本を、佼成出版社から、ほぼ旧版のままに復刊したものだそうだ。

一九七九年の“ひろさちや”さんは三十代で、二〇二二年の“ひろさちや”さんは八十代。考え方に大きな違いがあるのは当たり前のことながら、それを旧版のままに復刊したというのもすごいことだな。

私なんか、仏教の勉強なんて言葉を使うのもおこがましい人間。それでも、仏教というのがいったい何なのか、少しでも近づきたいと思って、“ひろさちや”さんの本も何冊か読んだ。だけどさすがに、一九七九年、十九歳の時の私は、まだ仏教に興味を持っていなかった。

一九七九年に大法輪閣から出版された本は読んでいない。だから、《ひろさちや仏教名作選①》として、この『仏教のことば・考え方』を読むことができたことは、とてもありがたいことだった。

私が子どもの頃、生まれ育った秩父の山里には、生活の中にさまざまな信仰の姿があった。大叔母はよく、うちの仏壇に向かって念仏をあげていた。時々、夜だというのに、母が「講が立つ」と言って、遅い時間に出かけていくことがあった。高校受験で夜遅くまで、一人起きて勉強しているとき、街灯もない真っ暗闇の向こうから、“ドンツクドンドンツクツク”と題目の太鼓の音が流れてきた。

遊び場にしていた寺の和尚は、時々子どもを集めて話をした。話を聞くと菓子をくれるので、上手に話を聞いているふりをした。何かの折りに和尚がうちに拝みに来て、そんな時も、お経のあとで話をしていた。もちろん熱心に聞いていたわけではない。

ところが大人になってから気がついたのだが、仏教が出所の話しを、習ったわけでもないのに、私はなぜか知っていたのだ。我が身を焼いて、旅人のご馳走に差し出した兎の話。死んだわが子を生き返らせろとお釈迦さまに迫った母親の話。これらがそう。後に高校の歴史教師になった私は、授業の中で、これらの話を何度も使った。

朝起きて、学校に行って、家に帰って、遊びに行って、ちょっと勉強して、夕ご飯を食べて、ちょっとテレビを見て寝る。そんな一日の、いろいろな隙間に、生活に溶け込むように信仰があった。


『仏教のことば・考え方』    ひろさちや

佼成出版社  ¥ 1,980

仏教のことばを手掛かりにして、仏教の考え方を明らかにしようと考えた
輪廻転生   業と宿業   苦
無分別の心  般若の智慧  中道
愛      仏の本願   慈悲
六道輪廻   地獄・極楽  解脱
諦める    廻向     縁起
空      戒と律    無我
応病与薬   涅槃     方便
不可思議   布施     倶会一処
「仏教者である」ことと「仏教者になる」こと


三十代の“ひろさちや”さんがこの本で目ざしたのは、仏教のことばを手掛かりにして、仏教の考え方を明らかにしようというところにあったようだ。その際、いちいち解説が必要な仏教用語に頼らずに、”私たちの使うことば”で思索をすすめたという。

たしかに、そうしないと仏教がみんなのものにならないからね。

文章を読んでいて分かる。未完成ではあっても、思索が若々しい。旧版のままの再刊には、八十代の“ひろさちや”さんの、旧版への郷愁というだけではなく、若々しい思索の持つ引きつける力への期待があったんじゃないだろうか。

一九八〇年代半ば、最初に赴任した高校のベテラン歴史教員が、「最近の先生方は、宗教をしっかり教えようとしない」ということを嘆いていた。あれは私が、日本史の研究授業を行なったあとに開かれた反省会のあとだ。私は日本神話を取り上げた。何人かの先生から、否定的な意見をもらった。私は「自分の授業はおかしくない」と思いつつも、結構へこんだ。

その反省会が終わり、先生方が退席されたあとに、教頭と倫理の授業を兼ねていたベテランの先生が一人残り、話をした。へこんでいる私を慰めるつもりだったのだろう。その方は戦前の教育を知っている方だった。教訓めいた会話があったわけではないのだが、「宗教は先生方から敬遠されているし、それも神道を教えようとはしないからね」というような話が、妙に耳に残った。

じつはその頃、家で不幸が続いて、そのたびに、和尚の唱和で般若心経をあげた。その意味よりも先に、ことばだけが入ってくるようだった。まさに門前の小僧状態。

結局、私は、その後の経験で、宗教を抑えずに、歴史教育はあり得ないという結論に達した。だけど当時、どんな宗教にしたって、分かりやすい解説書というのは多くなかった。だからけっこう苦労した。般若心経は半分くらいソラであげることができたのに、意味は知らなかった。“ひろさちや”さんが、やさしい文章で書いている仏教の本を見つけたときは、嬉しかった。般若心経の意味も、“ひろさちや”さんの本で理解したんじゃなかったかな。

それでも、この本は見た覚えがない。私が、宗教のことをしっかり勉強しようと思った頃には、もう本屋に並んでなかったのかな。

世界史専門の高校の歴史教師になった若いときの私に、ぜひこの本を読ませたかったな。


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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。

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中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。

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高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。

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今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本
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