めんどくせぇことばかり 本 世界 思想

『まんがで学ぶ 世界の宗教』 相澤理

ホテルに就職して4年目の上川ちとせが、このまんがの主人公。病気で入院した父に代わり、実家の旅館、“ひつじ屋”に帰ることになる。ひつじ屋では、父親が始めた英語のHPの影響か、外国人の客が増えていた。

そんな設定で、海外からのお客様へのおもてなしに追われるちとせは、おもてなしのためにも、お客様たちの宗教にも、正面から向かい合うことの必要を感じるようになる。そんな中、インドネシアから、イスラム教を信仰するご家族のお客様が・・・。そして、他のお客様からは、それを不安に思う声も・・・。

こんな調子で、いろいろな宗教の本質、習慣、禁忌、ものの考え方が、非常にコンパクトにまとめられている。《世界の宗教》と銘打って、同様の紹介本がいくつもあるけど、それらのなかで比べても、質が高い本だと思う。

いろいろな宗教と向かい合いながら、ちとせが、実際には、自分自身と向かい合っていく様子に、とても好感が持てる。お姉ちゃんが、かわいいしね。


あさ出版  ¥ 1,200

イスラム教は怖い?キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の神様は同じ!? 日本人は無宗教?
第1章  イスラム教は怖くない?
第2章  日本人は無宗教!?
第3章  南無阿弥陀仏の意味
第4章  日本には神様がいっぱい
第5章  宗教はなんのためにあるのか
エピローグ
一話一話の話のたびに、そこで取り扱われている宗教について、まんがだけでは描ききれない、ちょっとした解説がついている。さらに、“エピローグ”のあとにはプラスアルファの解説もついている。

啓示宗教であれば、第5章のように「宗教はなんのためにあるのか」という疑問は、通常であれば表に出ない。それを提示したのは、イギリスの雑貨商のショーンさん。イギリスの雑貨商のショーンさんもクリスチャンらしいけど、どんな宗教でも、宗教がために殺し合いをするほど馬鹿馬鹿しいことはないからね。

本編のまんがで扱われているのは、イスラム教、キリスト教、仏教、神道。200ページ弱の本で、しかも、まんがだから、これだけで宗教を理解できるわけじゃない。それは最初から当然として、あとは自分で勉強すべきことだろう。ただ、この5章「宗教はなんのためにあるのか」があることは、この本の内容を分厚いものにしている。

日本人は無宗教じゃない。そりゃ、啓示宗教なんかと比べれば、日本人の信仰心は宗教とは呼べないものになってしまうが、神様がいて、経典があってってだけが宗教じゃないでしょ。人を超越する何らかの存在を前提に、それは人と人の関係をつないだり、人と物、人と自然の関係をつなぐ。考え方や生き方そのものに大きな影響を与える。

そういうものの前で、あるいは、そういうものの前ではなくても、そういうものの存在を前提に、常に真摯であろうとし、言行を慎もうとする精神なら、おそらく日本人は、十分に持っている。

ただ、時々調子に乗って、山を削ってゴルフ場を作ったりする。・・・ゴルフ好きな皆さん、ごめんなさい。私の住んでいるところは、右を見ても、左を見ても、馬鹿と阿呆の絡み合い。ちょっと、あまりにも多すぎて




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『たとえ世界が終わっても その先の日本を生きる君たちへ』 橋本治

あれ~? 橋本治さんって、こういうものを書く人だったんだ。・・・そんなこと言ってみたものの、もとから私はこの人のことは、知らないも同然。たしかに、この人の書いたものを読んだことはある。『桃尻娘』。強いインパクトを受けているはずなんだけど、記憶にはない。橋本治さんの執筆活動をどこかで意識しながら、横目でちらちら見ながら通り過ぎてしまった感じかな。

そんな橋本さんの本に、はじめて正面から触れる機会だっていうのに、せっかくこっちはその気になったのに、「喋れば手っ取り早く本になる」ってことで、喋った本。とんだ肩透かし。肩透かしには肩透かしで返して、ななめ読みでいいか。そうは思ったものの、読み始めると、喋ったないように引き込まれた。

なにしろ、話は、アレキサンダー大王から始まるのだ。ローマで、トゥール・ポワチエで、シャルルマーニュなのだ。私が引き込まれないはずがない。この人が、こういうふうに世界をとらえることができる人だということに驚かされるとともに、確実に今につながってくる。この人の口を突いて出てくる話は、単なる歴史上のできごとじゃない。これは地政学的考察だ。

《喋り》の動機は、イギリスがEUの離脱を選択したこと。そこに彼は、《世界の終わり》を感じ取った。感じ取ったというよりも、確信したという方がいい。それは、橋本さんの中に、長く疑問符付きで蓄積されてきたものが、あふれだすように“確信”に変わった瞬間だったろう。

『たとえ世界が終わっても その先の日本を生きる君たちへ』 橋本治

集英社新書  ¥ 821

崩壊に近づくEU、トランプ、云々総理 「世界がばかになっている」時代に染まらないために
序章  イギリスのEU離脱を見ながら考えた
第一章  バブルになるとどうなるのか
第二章  「ヨーロッパ」という謎を解く
第三章  経済は飽和したら終わるものだ
第四章  バブルを経て「社会」が消えた
第五章  なにを言ってもㇺダな人たち
第六章  世界が終わった後に
終章  不思議な王子様のモノローグ


そういう言い方はしていないけど、ヨーロッパというのは半島だ。地政学的に考えて、半島は、その根元をおさえられると窒息してしまう。しかも、その根元というのはオリエント世界なのだ。東欧から、ロシア、シベリアへと続く領域は通路ではあっても、その先に世界は広がらない。ヨーロッパ人にとって外に広がる世界は、オリエントの先にあるのだ。しかも、地中海のはるかな対岸をおさえたイスラム勢は、ジブラルタルを超えてイベリア半島までも、ヨーロッパから奪い取った。

ヨーロッパという半島は、そうして締め上げられた。

しかし、15世紀以降、半島の蓋は、思わぬところから開き、1000年ころから圧縮されてきたヨーロッパが、シェイクシェイクされたコーラのように、世界にあふれだした。

世界が多様であることを知らない者はいない。古くから影響を与え合って来た。しかし、長らく根元をふさがれ、頭を押さえつけられてきたヨーロッパがあふれ出してきたとき、彼らは多様な世界から何かを受け取ろうとはしなかった。

彼らは自分の望むすべてを手に入れようとしただけだ。そして、実際そうしてきた。日本も、そんな流れの中に巻き込まれてきたのだ。

EUは、ヨーロッパが相対的な力の低下を免れなくなったとき、何とか今まで通りの拡大の道を進みたいととった苦肉の策。イギリスのEU離脱は、それにさえ疲れ果てたイギリス国民の選択であった。

橋本さんは、イギリスのEU離脱を、さらにはアメリカ国民のトランプ選択を、大きな歴史の変わり目、《世界の終わり》として捕まえているようだ。それはそれ、そういう認識の中に身を置くのも一つの見解だと思う。

題名は『・・・その先を生きる君たちへ』だが、橋本さんは、本当に若い連中を頭に、この本を書いたのだろうか。なんか、どうも、終わる世界と運命をともにする私たちに向けて書かれているような気がしてね。それはそれでいいんだけど、わけの分からない新しきものに腹を立てながら朽ちていくのは、なんとしても口惜しい。そこは日本人。どうせ散るなら、いっそ潔く、せえの❢ってね。




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『世界のへんな肉』 白石あづさ

二児の母となった娘の生きる領域は、十二分に良識の範囲内であった。そんな娘に対しても、かつて私は、「一体何を考えているのか」と疑いを持った。「ちょっと、インドに行ってくる」とか、「職人になるので弟子入りする」とか・・・。しかし、その程度の行動なら、「私の血を引いているから」という一点だけで説明できる。明らかに、著者とは違う。

全編を通して予測不能の行動に、なかなか自分との接点を見つけられなかった。後半に至って、ようやく、少しだけ、「著者を捕まえられるかもしれない」と感じた部分があった。著者がかつて、北アルプスの山小屋でアルバイトをしていた時、「雷鳥を捕まえて食おう」と仲間たちとはしゃいだという部分だ。

結局、著者はその希望をスウェーデンで果たすことになるのだが、私事ながら、若かりし日に山小屋に入り浸っていたことがあり、そこに著者のようなとらえどころのない女性がいた。けっこうな美人さんだったので、最初はウキウキした気分でその姿を追ったのだが・・・。

発電機が故障して、しばらく風呂も入れない生活にも顔色一つ変えず、食には人一倍の好奇心を持ち、男を男とも思わず、小屋の親父の無理難題もそれなりにこなす。制御装置のネジが三つ四つ緩んでいて、とても私なぞが太刀打ちできる女性ではなかった。なにしろ、ある日、腐った肉を食った私は腹を下し、彼女は平然としていた。

著者もおそらくそうだ。まあ、いい。しょせん器が違う。推し量ろうとせず、受け入れることに専念しよう。

『世界のへんな肉』    白石あづさ

新潮社  ¥ 1,296

“かわいい”と思っていたレストランのメニューに・・・、もしかしたら、すごくおいしいのかも
ユーラシア篇
アフリカ篇
中南米篇
ヨーロッパ篇
アジア篇
日本篇


インド人のおっさんたちとともに牛を食い、イラン人の少女の勧めに従って羊の脳髄をすすり、スーダンのお父さんには、ラクダを結納金代わりに贈られそうになる。いったい何をやっているのか。そのうち、ふと気づく。どこに行っても、そこの食い物を食える奴は強い。第一、間違いなく喜ばれる。この娘は、喜ばれ上手なのだ。

ケニアのサバンナで観光用のジープに乗り込んだ彼女は、サバンナの天使インパラに近づく。しかも、近くの茂みに隠れていたチーターが観光客の前で、インパラを追いかけ始める。「いや~、逃げて~」と、彼女はいきなりインパラに感情移入。

ところが、同じジープの中から、違う意味で興奮した声が湧きおこる。「ひゃっほー、いけー、いけー❢」と、完全にチーターに感情移入するフランス人の一団。その間、わずか10秒、逃げ遅れたインパラのお尻にがぶりとかみつくチーター。「やったー❢」という歓声を上げるフランス人。

やはり、これは肉食民族と草食民族の違いなのか。著者は、ここで、もう一つの面白い体験談を披露している。イタリアで、人を襲うゾンビの映画を見ていたら、まわりの観客は、人間じゃなく、ゾンビに感情移入しているというのだ。

「そりゃあ、言い過ぎやで。そんなわけあるかい。お前、腕上げたやないかい」という、大木こだまのセリフが聞こえてきそうな話。

ちなみに、この後、彼女はおいしくインパラのお肉をいただいたというおちがつく。

いや、おもしろい。この本おもしろい。おもしろい上に、ちゃんと、“食”を通して、世界の様子を紹介している。いろいろな肉を食って生きている人間が、いろいろな生活をしてるってことを紹介している。

私のような、つまらない常識人は、「文化人類学的な価値がある」などと、取ってつけたような褒め言葉で、この本を理解したような事を言うのだ。でも違う。著者は、この小娘は、本当に、いろいろな世界の、動物の肉が食いたいだけなのだ。そのための小遣い稼ぎ。おそらく、それがこの本なのだ。

どうだ、買ったぞ。おもしろかったぞ。もっと、おもしろい話を聞かせてくれ。




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『マンガでわかる 西洋絵画の見方』 池上英洋監修

絵画?・・・もう、あきらめた。

神話をモチーフにした絵の謎解きとかは、とても面白くて好きだけど、なかなか興味の対象が、そこから膨らんでいかないんだよね。だから、興味の対象は、ルネサンス期の作品が中心。時間をかけて、しっかり踏み込んでいけば、面白いに違いないんだけど、そのための気力と体力を絵画鑑賞に割こうって気持ちに、今はなれない。そういうことだな。

それから、この手の本を読んでいて、結局、最初の3分の1くらいで飽きてしまう。すると、ちょうどルネサンス期が終わったあたりなんだよね。だから、ルネサンス絵画ばかりに詳しくなって、なぜかそこから先へ進むとさっぱりという、わけのわからない状況になっている。

しかし、そんな私にも例外がある。汲めども尽きぬ泉のように、その手の作品については興味がどんどん湧いてくる。それに関しては、ルネサンス期も何も関係ない。若い頃から、・・・中学、高校生の頃からそうだったけど、その頃はそんなことおくびにも出せずにいた。・・・何かって? ・・・女の裸。・・・文句あっか❢



誠文堂新光社  ¥ 1,728

絵画は意外とおしゃべり、名画が発するメッセージを楽しむちょっとしたコツ
第1章  ルネサンス
第2章  バロックとロココ
第3章  新古典主義とロマン主義
第4章  写実主義から印象派へ
第5章  世紀末芸術
第6章  20世紀の美術
ウルビーノのヴィーナス左はティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス』に、右はジョルジョーネの『眠れるヴィーナス』。いいですね。二人とも、ベネチアの人ですよね。眠れるヴィーナス
当時のベネチアは、皇帝に対しても、教皇に対しても、突っ張るだけの力を持っていた。そんな地域性が背景にある、・・・何てこと、私にはどうでもいいんです。
バロック? 大歓迎ですよ。狙いすぎているのが多くて、いかがなものかと思いますけどね。だけど、ベラスケスの『鏡の前のヴィーナス』は最高ですね。キューピッドの存在でヴィーナスにかこつけてるけど、あくまでも狙いは性愛にありますよね。鏡の前のヴィーナス
スペインはカトリックの盟主を名のる国だからね。大変だったろうね。そんな中で、こんなHな絵を書いてくれたんだからね。そういう意味で、大好きだ。

そのあたりの時代から、その辺のハードルをどんどん乗り越えていくよね。《オダリスク》や、《マハ》だって、相当な状況で書かれたんだろうけど、ありがたい話です。現代に生きる私は、十分すぎるほどの恩恵にあずかってます。

そのあとの時代も含めて、女の裸を追っていくだけでも、それなりの美術史になりますね。

すみませんね。こんな絵画鑑賞しかできなくて・・・。でも、この本は、それだけの本じゃありませんからね。1ページ、1ページ、マンガで絵画鑑賞の“ツボ”が分かりやすく書かれています。だけど、導入だけで、《そこからさらに一歩》ってのは自分で、・・・ですね。




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『誰も知らない世界のことわざ』 エラ・フランシス・サンダース

“世界のことわざ”

とは言ったものの、紹介されているのはたったの51個。だけど、その一つ一つがすごい。ん~、説明しにくい。・・・たとえば、ポルトガルの《ロバにスポンジケーキ》ということわざ。

どう?・・・なんか、思い浮かぶことわざがない?・・・そう、《豚に真珠》、それから、《猫に小判》ですよね。そのものの価値や本来の扱い方を分かっていない人、それを得るに値しない人に何かを与えることの無意味さを表すことわざですね。それが、ポルトガルでは、《ロバ》であり、《スポンジケーキ》なんですね。なぜ、《ロバ》なのか。なぜ、《スポンジケーキ》なのか。そこには、そのまま、ポルトガルという国の歴史社会が存在しているわけですね。

これを読んだ時、なんか、昔、同じような感覚、ワクワクするような感じを抱いたような気がしたんだ。なんだっけな~って、しばらく考えて思い出した。はじめて、『民族ジョーク』の本を読んだ時の感覚だ。あの時の、「もっと読みたい」、「もっと知りたい」って感じ。おそらく、いや、まちがいなく、《世界のことわざ》にも、《民族ジョーク》並の奥深さ、ディープな世界が広がっているに違いない。

『誰も知らない世界のことわざ』   エラ・フランシス・サンダース
創元社  ¥ 1,728

文化によって食べるものや着ている服が違うように、ことわざだって違うのです


それにしてもな~。《ガレージにいるタコのような気分》って言われてもな~。私はいったいどうしたらいいんでしょう。な~んて思ってたら、英語では、To feel like a fish out of water.・・・つまり、「水の外にいる魚みたいな気分」ってことで、そういうことなら日本だって、《陸に上がった河童》って、立派なことわざがあるじゃないですか。

肌の色や、話す言葉が変わっても、けっこう考えることは、おんなじなんでしょうかね。なんて思っていると、イタリアには《頭のなかにコオロギがいっぱい》という言い回しがあるそうで、・・・どうしたらいいんでしょう。これは難しい。「ナンセンスと呼ぶのにふさわしいもので頭が一杯だ」ということだということなんだけど、・・・困りましたね。

だけど、なんだか、全否定ではないみたいね。だって、コオロギだもんね。とりとめは、・・・全く無いかもしれないけど、だけど、そこから誰も考えつかなかった、素晴らしいものが生まれるのかもしれない。

ラトビアの嘘つきは、口から小さなアヒルを吹き出す。ドイツ人は死ぬとラディッシュを下から見ることになるらしい。スウェーデンの上流階級はエビサンドにのったような人生を過ごす。気分のいいアイルランド人は豚の背中に乗ったような気分。イタリア人はオオカミの口の中に入るつもりで頑張るらしい。

いずれも、背景にとてつもない時間の流れと、もしかしたらとてつもなく馬鹿馬鹿しい歴史が眠っているのかもしれない。

日本もね。ほら、本当は悪いことを考えているのに、それをさとられないようにしようとしている人は、変なものをかぶったりするじゃないですか。他所の国の人からすれば、「なんだそりゃ?」ってことになると思うよ。

ヘブライ語のことわざに「目から遠ざかれば心からも」というのがあるそうです。英語なら、Out of sight,out of mind. 日本なら、「去る者は日々に疎し」・・・やっぱり通ずるところもありますね。

この本、装丁も素敵だし、“本”として、とても素晴らしいと思います。




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『新 怖い絵』 中野京子

その絵に隠された歴史的、社会的、そして文化的背景。画家はどんな思いを、その絵にかけたのか。発注者はどんな思いを、画家に託したのか。人の心を動かすのは、生きること、そして死ぬことをめぐる葛藤。当然、絵が描かれた背景にもそれが関連していることが多い。

しかし、多くの場合、表立って訴えられないだけに巧妙に隠されている。

そうでなくても、かつての切実な事情は、時間とともに忘れ去られる。そんな状況では、切実な事情が分かるからこそ鑑賞された絵は、訴える力を失ってしまう。

この本の中には、かつて何処かで、何かの機会に見たものも少なくない。でも、私は事情も知らず、絵柄の斬新さと研ぎ澄まされた筆致に感嘆のため息を漏らすだけで、わずかに記憶にとどめたに過ぎない。
さて、『怖い絵』のシリーズも4冊目。表紙のオフィーリアから、胸のドキドキが止まらない。

『新 怖い絵』    中野京子
角川書店  ¥ 1,944

コンセプトは「絵を読む」こと そして作品のはらむ怖さに気づいたとき
ヴァイオリン弾き
眠るエンディミオン
ブナの森の修道院
オフィーリア
ローマのペスト
落穂拾い
鰯の埋葬
折れた背骨
自画像
思いがけなく
パウルス三世と孫たち
ダンテとウェルギリウス
懐かしい我が家での最後の日
テルモピュライのレオニダス
あなたの子供を受け取ってください旦那さま
世の栄光の終わり
ルシファー
ぶらんこ
死の床のカミーユ
洗礼者ヨハネの斬首
 
ba.jpgシャガールの『ヴァイオリン弾き』

不気味でね。顔が緑で。とりあえずは屋根の上のヴァイオリン弾きか。シャガールはロシア。圧政に耐える不屈の魂、それとも不安定はユダヤ人の立場そのものを現すか。

・・・屋根の上のヴァイオリン弾きでロシア。・・・なんだ、この絵の衝動は“ポグロム”か。そう言えば、向こうの方にいる人は、明らかに何かから逃げてる。この絵のなかで殺戮が行われていたんだ。

この人の緑色の顔。この人、死人なんじゃないかな。

殺した相手と一緒に写真を取ったというポグロム。昨日まで挨拶を交わした隣人が、今日は棍棒や鋤鍬で襲い掛かってくるポグロム。雪の上に残る足跡は、ユダヤ人の家から出てくると、血の赤い色に変わる。

やはり、二・三の背景を教えてもらっただけで、絵の見方が変わる。・・・さて、ルシファーは、・・・オフィーリアは・・・



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『はじめての哲学』 石井郁男

子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順ふ。七十にして心の欲する所に従ひて矩を踰えず

本書で取り上げられている14人の哲学者。それぞれ、《何歳の頃にどんなことを・・・》ってことが紹介されていて、一人ひとりの生涯を、孔子の人生観に照らし合わせて見てみたらどうかっていうんですね。そう言われて気になるのは、「自分がどうか」ってことですよね。

どうだったかなぁ~、私は・・・。学に志した覚えはないし、立った憶えはない。惑いっぱなしの人生ながら、50で天命は知った。・・・ような気がする。「どうだ、デカルト」って、デカルトに勝負を挑んでも無駄か。整然とした学問の再統一の原点こそ「我思う。故に我あり」であると目を輝かすようなやつだからな。

哲学者って呼ばれる連中が、時代に新しい視点を与え、そこから見つめなおすことで、人は新しい世界認識を得る。まるで上手に焦点を合わせた双眼鏡を与えられたように、細部まで世の中が見えるようになったって感じかな。それが哲学者たちの役割でしょ。

あすなろ書房  ¥ 1,512

哲学って、「いろいろ考えるのが好きだった人たちの歴史」ってことでしょ?・・・まぁ、そうね
第1章  古代ギリシャの哲学
タレス  ソクラテス  プラトン  アリストテレス
第2章  イギリス経験論と大陸合理論
ベーコン  デカルト  カント
第3章  ドイツ哲学の全盛期
ヘーゲル  ショーペンハウエル  ニーチェ
第4章  現代世界への挑戦
ダーウィン  マルクス  デューイ  サルトル
哲学者たちの役割が、世界の本当の姿を人々に明らかにするための視点を与えることにあるとしても、それが妥当なものであって、そこから見えた世界がたしかに世界の本当の姿であるとは限らない。もしも人々が、哲学者の歪んだ目によって誤った視点を与えられ、それを本来の世界と勘違いした者たちが、その勘違いをもとにして新たな世界をつくりあげようとしたならば、人々は無駄に、本来は味わう必要のなかった悲劇に叩き込まれることになるだろう。

哲学者たちってすごいと思うんだ。頭よくてさ。必死になって“知の格闘”に身を置いて、世界の解釈に道標をつける。ヨーロッパキリスト教社会には幾多の優れた哲学者が登場し、優れた業績を残した。にも関わらず、彼らの仕事はヨーロッパキリスト教社会を幸福に導いたのか。

世界の、他の地域を支配下に置き、その犠牲のもとにいい生活を送ったってことを幸福と呼ぶならば、哲学者たちの仕事は大成功だったわけだ。・・・、そんな結果から、哲学者の仕事をさかのぼるやり方は邪道かな。

そんな視点で考えたなら、マルクスの仕事はどういうことになるのやら。

「いったい人間が大事なのか、木が大事なのか。人間の権利は、木の権利の前に屈してはならないし、人間が木という偶像の前に敗れて、その犠牲になってはならない」とマルクスは語ったそうだ。この話、ドイツなら簡単なことなのかもしれないが、日本ならそう簡単には片付かない。
つまらない方向へ話を持って行ってしまいました。ごめんなさい。一杯やりながら書いているもんですから、なにが何のことやら。

そうそう、この本。「はじめての・・・」ということだから、そういうものとして購入してね。この本を読んだからといって、デカルトのなにがしかが分かるとか、そういう本じゃあありません。哲学と歴史との関連とか、古代から現代に至る哲学や思想の流れとか、そういうものを期待して読んでもらう本でもありません。

「はじめての・・・」なんですからね。“はじめて”なんだから、「ああ、プラトンという名前を教えてもらってよかった」と、「カントという哲学者がいたのか」と、そういうことが分かって「良かった、良かった」っていう本なんだから、そういうものとして考えてください。




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アクティブ・ラーニング(覚書)『はじめての哲学』 石井郁男

この間もちょっと書いたんだけど、こと教育に関する限り、私は安倍首相のやってることに懐疑的、いや否定的な立場です。《教育再生実行会議》、・・・これって安倍首相の私的諮問機関って言う位置づけですよね。その開催趣旨は・・・。
21世紀の日本にふさわしい教育体制を構築し、教育の再生を実行に移していくため、内閣の最重要課題の一つとして教育改革を推進する必要があります。このため、「教育再生実行会議」を開催しています。
っと言うことのようです。

「再生する」って言う趣旨は、「日教組によってぶち壊された教育を立て直す」って意味だと思うんだけど、そこで持ち込まれたのが“アクティヴ・ラーニング”ということになる。じゃあ、そのアクティブ・ラーニングとは何か。ということですが、なかでも“学び合い”の推進者のひとりである西川純さんと言う方が上越教育大学教職大学院にいらっしゃるそうです。その人の意見が、《教育zine》というHPにありましたのでご紹介します〈http://www.meijitosho.co.jp/eduzine/opinion/?id=20150946〉。
今回のアクティブ・ラーニングは文部科学省主導で動いているのではありません。教育再生実行会議発であり、それらは経済・産業界から発しています。そのため、アクティブ・ラーニングの真意を文部科学省の中でも、教育再生実行会議に出席する副大臣や審議官レベルの人、そしてその人達から直接指示を受けている人しか理解していません。ましてや教育委員会の人が不安になるのも当然です。

今回の改革を一言で言えば、「少子高齢化の日本において30年後、40年後の国民が飢えないようにするためには、国際的にも活躍できる国民を早急に育成する」ための改革です。
「日教組に壊された戦後日本の教育を立て直す」というのとは少し違うみたい。経済・産業界の要望から発していて、官邸主導で進められているということですね。〈国民が飢えないようにするためには・・・〉という部分は、これを書いた西川純さんご自身の言葉なのか、西川さんと志を同じくするお仲間との間で交わされる言葉なのかは分かりませんが、どうにも、現状にとてつもない危機感を持っているようですね。

ブラウン大学、コロンビア大学、コーネル大学、ダートマス大学、ハーバード大学、ペンシルベニア大学、プリンストン大学、イェール大学の8大学をアイビーリーグって呼んでいて、そこで行われているのがアクティブ・ラーニングって学習方法ってことみたい。そういう学習方法で学んだ人しか相手にされなくなるから、それこそ、「アンテナの高い子どもたちは東京大学を見放し始めているのです」とまで言ってますからね。そこまで行くと、脅しにしか聞こえませんけど。

なんだか、ずいぶん以前に、同じような”脅し”を掛けられたことがあるような気がしませんか。あん時は、《ディベート》でした。あん時も推奨者という人が出てきて、いろいろとなんだかんだやってましたが、日本人には向いてませんでしたね。

《アクティブ・ラーニング》も、日本人には向いてないと思います。でも、そういう視点がないから、《ディベート》失敗も省みられることなく《アクティブ・ラーニング》なんでしょうね。・・・もしかしたら、《ディベート》は”失敗”と位置づけられていなかったりして。・・・持ち込んだ誰かさんの立場を慮って。そうでなきゃ、《アクティブ・ラーニング》を持ち込んで、あえて「同じ轍を踏む」ってのは、あまりにも愚かしいもんね。

ただし、《アクティブ・ラーニング》の導入は、《ディベート》の導入とはわけが違います。《ディベート》はいつの間にか淘汰されましたが、《アクティブ・ラーニング》の導入は、学校教育の土台からの総とっかえです。

教員の仕事に関して言えば、《アクティブ・ラーニング》はこれまでの教員の延長線上にはありません。授業の組み立てだけの問題じゃなく、評価の方法や、それに即した入試方法まで変わってしまいますからね。

あすなろ書房  ¥ 1,512

哲学って、「いろいろ考えるのが好きだった人たちの歴史」ってことでしょ?・・・まぁ、そうね
「そもそも、《アクティブ・ラーニング》とは?」ってところから考えると、中央 教育 審議会(2012年8月28日)の報告書は次のようにあります。
「生涯にわたって学び続ける力、主体的に考える力を持った人材は、学生からみて受動的な教育の場では育成するこ とができない。従来のような知識の伝達・注入を中心とした授業から、教員と学生が意思疎通を図りつつ、一緒になって切磋琢磨し、相互に刺激を与えながら知 的に成長する場を創り、学生が主体的に問題を発見し解を見いだしていく能動 的学修(アクティブ・ラーニング)への転換が必要である。すなわち個々の学 生の認知的、倫理的、社会的能力を引き出し、それを鍛えるディスカッションやディベー トといった双方向の講義、演習、実験、実習や実技等を中心とした授業への転換によって、学生の主体的な学修を促す質の高い学士課程教育を進 めることが求められる。学生は主体的な学修の体験を重ねてこそ、生涯学び続ける力を修得できるのである」
・・・こういうの読むと、《ディベート》も失敗とは位置づけられていないみたいですね。「実践できなかった教員の質が悪い」くらいのところかな。

《アクティブ・ラーニング》の一つの形態で、西川純さんもご推奨の〈学び合い〉。“実践者が多く、経験知が蓄積されていてマニュアル化も可能”ということのようです。ただ、方向性としては、これも〈ディベート〉と同じ。“同じ”というより、〈学び合い〉、〈ディスカッション〉、〈ディベート〉って言ったところが《アクティブ・ラーニング》の方法論なんだから、“同じ”なのは当たり前。
デューイと言うと、・・・あまり良く知らない。プラグマティズム哲学の人って認識しかないんだけど、「経験、実験を重視し、試行錯誤しながら有益性を求める哲学」って認識は間違ってるかな。

この本を読んでて、デューイが教育にも深く関わってることを知りました。教育をactivity(活動)、process(過程)、growth(成長)の三要素でとらえ、経験の不断の改造と未熟な経験を、知的な技術と習慣を備えた経験に発展させていくことを目的としていくもの。デューイの教育理論は、いまの《アクティブ・ラーニング》の説明とほとんど変わらない。

どうして、アメリカのやり方が好きなんかな~。こういう言い方はなんだけど、雑多な人間が集まってできたアメリカ。デューイは、そこでのコミュニケーションという経験が想像を刺激し、多様性に富んだ進歩を生み出すと考えたようだが、日本は違う。すでにある程度の共通性を前提として、みんなにとって有益なその先を考えられる環境にある。

デューイは来日しているが、日本での受けがあまり良くなかったのは、そのへんが原因ではないか。デューイ自身も当時の日本社会に奇異の目を向けたそうだ。ところが、シナではとても受けが良かったんだそうだ。時代的には、五四運動に始まる日本製品不買運動が盛んな時だったそうだ。デューイ自身ご満悦で、シナには2年間も滞在したそうだ。

大体アメリカの教育って、あんまりいい状況じゃないよね。エリート層を除けば・・・。やっぱり《アクティブ・ラーニング》は、やめにしませんか。




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人種間知能格差(覚書)『言ってはいけない残酷すぎる真実』 橘玲

人種間知能格差だって。・・・大変だろうね。アメリカでそんなことを言い出したら・・・。でも、実際に、しっかりした裏付けのある発表がなされているし、予想される反応もあったし、今でも水面下ではけっこう難しい問題になっているんだそうだ。

貧困はIQを下げる。黒人は貧困だからIQが低い。そういうことなら貧困対策が検討されるべきだって流れになる。じゃあ、本当に貧困を解決すれば、黒人のIQは上がるのか。貧困に関係なく、黒人のIQが低いんじゃないのか。それを確かめた人達がいる。白人と黒人の貧困度を揃えて比較する。簡単なことだ。

それぞれを経済力によって五つの階層に分け、それぞれの階層における黒人と白人の、IQ75以下(アメリカにおける知能障害の基準)発生率を比較する。
階層白人黒人
富裕層 10.53.1
      20.814.5
      32.122.8
      43.137.8
貧困層 57.842.9
ただし貧困以外にも、外的環境がIQに影響をあたえることはある。

子どもは、自分に似たものに仲間を求める。人種混交の社会なら人種ごとに集団をつくる。これは、人種差別ではなく、進化の過程で人間に身についた安全を確保する方法に過ぎない。結果として、人種をもとにした集団が構成されると、当然他の集団との差別化が行われる。差別化はそれぞれの集団の特殊性をもとにして行われ、対抗する集団が高い価値を置くことを禁ずる。分かりやすい例が、“勉強”である。

子供であれば、学校での成績を上げようとするのがごく当たり前の姿勢である。しかし、理由のいかんは問わず、黒人の子供たちは相対的に知能が低い。白人の子ともたちが、ごく当たり前に勉強してよい成績をめざすことに対抗して上回る可能性は極めて低い。そのため白人の子のように、「勉強してよい成績をめざす」こと自体を禁じてしまう。

そんな集団に属してしまったとしたら、多少知能が高くてもどうにもならない。


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遺伝、見た目、教育にかかわる「不愉快な真実」 気安く口外しないでください

たしかに、ユダヤ人すごいよね。著名な科学者の中でユダヤ人の占める割合は、欧米の人口比率から予想されるよりも10倍も高い。世界人口の600分の1にも満たない彼らが、科学関連ノーベル賞の4分の1を獲得した。20世紀のチェスチャンピオンの半数はユダヤ人。アメリカ人口の3%にも満たないユダヤ人が企業CEOの5分の1を占める。

古代ギリシャ・ローマの時代、ギリシャ人の知能の高さは持て囃されたが、ユダヤ人の知能が高いという話はどこにもなかった。さらに、現代においても、知能が高いとされるのはアシュケナージ系ユダヤ人であって、スペイン出身のセファルディーや中東・北アフリカのミズラヒムにその傾向はない。

アシュケナージは、ヨーロッパにおけるユダヤ人差別で人口の増加が抑えられた。キリスト教で禁じている金融業で生計を立てるものが多かった。ユダヤ人特有の他民族との婚姻の禁忌があった。

そのため、アシュケナージは数的能力を求められた。かつ、繰り返される虐殺と追放で、高い知能のユダヤ人が追放されてたどり着いた地で先に成功し、成功者を中心に婚姻が進められて一族が形成された。これが繰り返されることで、アシュケナージ系ユダヤ人の血筋はより高い知能を追い求めることになった。同時に彼らは、狭い範囲内の婚姻が進められることで、他のヨーロッパ人の100倍の発症率という重篤な遺伝病を抱え込むことになった。

“血と血の結びつき”によって親の特性が子に引き継がれる。これが遺伝である。とある集団で“血と血の結びつき”が行われるとき、それが何らかの同じような事情の影響の下、何世代にもわたって継続して行われた時、そこにあらわれた特性は、その集団の特性となる。黒人の知能は低い。アメリカにおいては、それが黒人たちの特徴の一つである。・・・恐ろしい話だな。




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『言ってはいけない残酷すぎる真実』 橘玲

人の左脳の役割は、自己正当化。自分に都合のいい嘘をでっち上げることにあるんだそうだ。無意識に捏造された気分のいい嘘は、「意識」というスクリーンに映し出される。意識は無意識が生み出す幻想なんだそうだ。

《あとがき》にある話なんだけど、かなり怖ろしいよね。意識というスクリーンに映し出されたものを支配するのは無意識なわけだから、その意識に映しだされた自己欺瞞を指摘して、その矯正を働きかければ、意識は本来自分にないはずの責任を取らされることに、強く反発することになる。

「だから、・・・」と、著者が取り上げる例は「イスラム国のテロリストを構成させられない」というつながりなんだ。私なら、「だから、もう、韓国人に君たちの歴史の見方は間違っていると諭すのはやめよう」ということかな。
いいんだよ。『言ってはいけない残酷すぎる真実』とは言ってくれてるけど、あらかたは気づいていたからね。そりゃ、だれだってそうでしょ。・・・、「わたしみたいな、いい歳こいた奴は・・・」って前置きが必要だったかな。わたしあたりの歳にならなくても、それなりに多感な時期を乗り越えた奴なら、・・・ね。どっかで分かってたよね。確かに残酷ではあるけどさ。

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遺伝、見た目、教育にかかわる「不愉快な真実」 気安く口外しないでください
Ⅰ 努力は遺伝に勝てないのか
① 遺伝にまつわる語られざるタブー
② 「頭がよくなる」とはどういうことかー知能のタブー
③ 知識社会で勝ち抜く人、最貧困層に落ちる人
④ 進化がもたらす、残酷なレイプは防げるか
⑤ 反社会的人間はどのように生まれるか
Ⅱ あまりに残酷な「美貌格差」
⑥ 「見た目」で人生は決まるー容貌のタブー
⑦ あまりに残酷な「美貌格差」
⑧ 男女平等が分ける「女性の幸福」について
⑨ 結婚相手選びとセックスにおける残酷な現実
⑩ 女性はなぜエクスタシーで叫ぶのか?
Ⅲ 子育てや教育は子どもの成長に関係ない
⑪ わたしはどのように「わたし」になるのか
⑫ 親子の語られざる真実
⑬ 「遺伝子と環境」が引き起こす残酷な真実



蛙の子は蛙。

おお、この本、おおよそ250ページを、たった五文字で、しかも、8割方言い表してしまった。・・・どうしよう。

音楽家の子は音楽家。これは顕著だね。音楽の遺伝率が一番高くて92%っていうんだから、「やっぱりね」ってところだな。料理研究家の子供が料理研究家っていうのも目立つ気がするんだけど。だいたい、料理研究家って肩書で食っていけることがおかしいように思うけどね。

うちの子の場合、一人は貧乏な張り子作家で、一人はけっこう大手の技術職。貧乏な張り子作家は、美術を嗜んだ連れ合いの系統か。技術職の息子は、隠れた職人志望だった私の系統。いずれにしろ、高台のお屋敷のご主人の血が混ざっているということはなさそうだ。・・・良かった、良かった。

ビックリしたのは、「育ち」の方なんだ。大きく関係するのは《言語》と《酒と煙草》くらいのもんで、あとは《学力》面でいくらかね。それ以上に重要なのは、遺伝と親以外の生育環境ね。
でも、悲劇はできるだけ避けたいもんだな。努力しても逆上がりできないのもいれば、勉強できないのもいる。逆上がりできないのは大したことじゃないけど、勉強できないのは人生に関わる。できない奴までできるようにしようとするから無理が生じる。

平等に教育を受ける権利は、正直、小学校、中学校で十分よ。その先、できない奴、やりたくない奴まで追い掛け回して勉強させるからややこしいことになる。高校中退すると、公立の定時制に行ったりする。公立の定時制をやめると、・・・行くとこなんかあるのか?・・・あるんですよ、これが。私立の単位制の定時制・通信制なんてのは、単位そのものが、実質、金で変えます。

高校でてからもそう。《教育》という名のもとに、どんだけの大人が児童、生徒、青少年を食い物にしていることやら。・・・行けない、行けない。・・・私もその端くれ。

えっ?「うちの場合は、鳶が鷹を産んだ」って。・・・そりゃ、お父さん、もしかしてその子、高台のお屋敷のご主人に似てたりしません?




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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
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