めんどくせぇことばかり 本 世界 思想
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『天使と悪魔の絵画史』 春燈社編

人の子が栄光の中にすべての御使いたちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。そして全ての国民をその前に集めて、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らを選り分け、羊を右に、山羊を左に置くであろう。

そのとき、王は右にいる人々に言うであろう。「わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国をうけつぎなさい。あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、乾いていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに訪ねてくれたからである」(中略)それから、左にいる人々にも言うであろう。「呪われた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使いたちとのために用意されている永遠の火に入ってしまえ。あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせず、乾いていたときに飲ませず、旅人であったときに宿を貸さず、裸であったときに着せず、また病気のときや、獄にいたときに、わたしを尋ねてくれなかったからである」(中略)そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう。
《マタイによる福音書 25章31-46節》

キリスト教における“最後の審判”の捉え方ですね。とっても単純で、分かりやすいですね。最後にこう付け加えてもらえると、もっといいんじゃないかと思います。

「文句がある奴は、かかってこい!」

右側に置かれた羊さんなんてのは、まず、いるはずがありません。「自分は右側の羊さん」なんて安心している人がいるとすれば、それは記憶力がないに等しいか、よっぽど図々しいか、あるいは人の皮を被っただけの聖職者かのいずれかでしょう。

みんな、どこかに左側の山羊さんという思いがあるからこそ、この本に出てくるような天使と悪魔の絵画に恐れ入るわけでしょう。



辰巳出版  ¥ 1,430

キリスト教美術の深淵に触れる。神々しく美しい、また不気味で妖しい世界
はじめに 天国と地獄、天使と悪魔 その敬虔で魅惑的な世界
天国か地獄か!?「最後の審判」の世界(「最後の審判」の世界観 ほか)
第1章 天国と地獄(七つの大罪と天国、地獄;天国のヴィジョン ほか)
第2章 天使の系譜(旧約聖書の天使たち 天地創造と天使;天使の階級 ほか)
第3章 悪魔の系譜(反逆天使と悪魔;堕天使ルシファー ほか)


それにしても、こうしてこの本であらためて見てみると、まず100対0で悪魔のほうが魅力的ですね。

その形態も千差万別。圧倒的な存在感を持つものもあれば、いろいろな獣の特性を備えたもの、ただただ不気味なもの、どこか滑稽なもの。非常にバラエティ豊かで、個性的です。

描く側の人間にしてからが、まばゆいばかりの天上世界よりも、暗く沈んだ地獄界の方がイマジネーションが膨らむようですね。描かれている人々にしたって、喜び、幸せ、憧れ、優しさよりも、悲しみ、苦しみ、悔しさ、絶望の方が、表情が豊かです。

最後の方に出てくる、“ペストが生み出した悪魔”なんて、とっても魅力的ですね。さらには“悪魔と交わった女性”をモチーフにした絵画なんて・・・。たまりませんね。

キリスト教美術、天使と悪魔の絵画と言っても、ひたすら頭の中で作り上げたものですから、人間の世界の焼き写しでしょう。「アリもしないことを・・・」って言って、風呂敷で一まとめにするつもりは毛頭ありません。その組織も含めたキリスト教会はじめ、キリスト教世界そのものが、“文化”ですからね。そして、その土台になっている時代が中世ですよね。

その中世を持っていることが、ヨーロッパの強さだと思います。それは日本も同じです。日本もヨーロッパも、その中世を自ら否定しようとした時代がありました。でも、現代においても、私たちは自分たちの持っている文化の中に、中世が色濃く残っていることを自覚することができます。それが、おそらく今後、私たちの強さになるんじゃないかと思います。

「今世界を主導しているのは・・・」と考えれば、アメリカと“中国”を挙げざるを得ませんが、その両国が、ともに中世を持たない国であることは、現代世界を理解する上で、非常に重要なように思えます。





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『物理学と神』 池内了

今年はお盆のお休みを長く取れた人が多いそうですね。私の息子もそうで、まだ所帯を持って間もないんですが、長いお盆のお休みの前半を妻方の実家で、後半を夫方の実家で過ごし、最終日の一八日に有給で一九日を付け足して、夫婦でゆっくり休むなんてことを言ってました。そんな息子夫婦の長いお盆のお休みも今日で終わり。

そりゃ、何にだって終わりはあるけど、それを考えるのって、心底恐ろしいことですよね。

毎年毎年やってくる、夏休みの終わり。その日がヒタヒタと近づいてくることを、すでに敏感に感じ取っている皆さん。ふふふ、私は一年中お休みです。

子供の頃は、自分の父親や母親が死んだらなんて、とてもじゃないけど考えられませんでした。恐ろしすぎてね。でも、祖父母も父母も、みんな死んじゃいました。

日本という国にも終りがあるのは間違いないし、人類そのものが死に絶える日だって必ずやってきます。これまで地球上に現れた生物の種の九九パーセントは絶滅しており、その平均寿命は四〇〇万年ほどだそうです。人類の祖先が地球上に誕生してすでに六〇〇万年過ぎているから、寿命を超えてますね。それとも、ホモ・サピエンスから数えれば二〇万年ほどで、まだまだ長い時間が残されているんでしょうか。

だけど、人類が仮に生き延びたとしたって、地球が亡くなっちゃうかもしれません。太陽の寿命は一〇〇億年で、今が四六歳だから、あと半分の寿命が残されています。今から五〇億年ほど経つど太陽は膨張し始め、その表面が火星軌道くらいまで広がるそうです。それより前に地球は太陽に飲み込まれるか、それ以前に蒸発するかだそうです。

ああ、怖い。

科学者たちは、物質や定数は与えられたものとして、その運動や反応の法則を明らかにすることに取り組んできました。聖書の他に、自然を神が書いたもう一つの書物として、そこに書かれた神の意志を読み解こうとしてきました。すべては、「神がそうした」ものであって、そこには疑問は差し挟めません。

「なぜそうなのか」を求めれば確率論に踏み込むことになり、《神のサイコロ遊び》に踏み込むことになります。アインシュタインは、それを拒否したそうです。

しかし、科学は逆に神から遠ざかり、人間を作ることこそが宇宙の主目的であるなどと主張するようになったんだそうです。この主張、宇宙研究の成果を扱ったテレビ番組で、とある海外の研究者が言っているのを聞いた記憶があります。著者も書いいますが、そりゃいくらなんでも、図々しいですね。



講談社学術文庫  ¥ 1,080

「神という難問」に対峙し翻弄される科学の歴史を、名手が軽妙かつ深く語り切る
第一章 神の名による神の追放
第二章 神への挑戦―悪魔の反抗
第三章 神と悪魔の間―パラドックス
第四章 神のサイコロ遊び
第五章 神は賭博師
第六章 神は退場を!―人間原理の宇宙論
第七章 神は細部に宿りたもう
第八章 神は老獪にして悪意を持たず


宇宙を創ったのが神であろうがなかろうが、この宇宙を認識しているのが人間であることは間違いありません。もし、人間が存在しない宇宙なら、その宇宙は存在しても、影響に認識されることがありません。認識の主体である人間が生まれない宇宙であれば、それはないのと同じことです。

まあね。たしかにね。

逆に言えば、この宇宙は、人間が存在しているから認識されます。だから、人間が存在することそのものを、「宇宙はなぜこのようにあるのか」という疑問を解く条件に使えるのではないか。「宇宙がこのようにあるから、人間が存在する」と言い換えてみれば、宇宙の年齢や大きさ、宇宙の構造、基本定数の値、それらすべてが人間の存在を保証するようになっていると考えるんですね。

え~!宇宙は人間の存在を保証しているんですか?“神であろうがなかろうが”と先に書きましたが、それが“神”であるならば、神はサイコロを振って宇宙を創ったのではなく、人間が生まれ得るように細部まで設計して宇宙を創ったということですか。

また、傲慢な。

かつて西洋の科学者は、人間は自然のすべてを支配するよう神から委ねられたと考えました。自然とは支配するもの、作り変えるものという考えですね。今度は、人間は宇宙の存在意義ということになっちゃいました。

しょうがないですね。んじゃあ、ちょっと、宇宙の存在意義として、花火大会でも出かけてみましょうか。たまや~




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『エラい人にはウソがある』 パオロ・マッツァリーノ

「そんな孔子が好きだ」

この本の著者、とんでもイタリア人のパオロ・マッツァリーノさんは、そう言っています。マッツァリーノさんにとって孔子は、《愛すべき、中国最大のペテン師》という位置づけなんだそうです。しかも、そのペテンは、いとも簡単に人々から見破られ、誰ひとり引っかかってくれません。

「礼法を徹底することで、乱れた世の中に秩序が生まれる」という政治信念を持ち、自称礼法の専門家である自分こそが、政治を司るにふさわしいと、弟子たちとともに諸国に売り込んで回りました。

それでも結局、孔子の考えは受け入れられませんでした。そりゃそうですよね。時は春秋戦国時代。力のない国は力のある国に滅ぼされ、飲み込まれていくそんな時代に、「礼法を徹底せよ」だの、「父子、夫妻、長幼、君臣など、上下の別をわきまえろ」だの、それができなくなったからこそ混乱期を迎えたっていうのに。

“中国”は、逆に、反儒家的側面を持って生まれた法家の思想を採用し、制度と法をっ徹底し、それを犯した者に厳罰で臨むことにより国力を蓄えた秦により、はじめての統一王朝時代を迎えることになる。

孔子は、お呼びでなかったわけです。

しかも孔子は、それを盛んに弟子たちに愚痴るんですね。かっこ悪いんです。そして諦めが悪い。ただし、切れて世間に背を向けるということはしないんですね。自分の価値を認めてもらいたくて、未練タラタラの悪あがきを最後までやめないんです。

マッツァリーノさんは、それこそが孔子の魅力だといいます。駄目だけど、最後まで前向きな孔子に共感したからこそ、弟子たちも孔子について言ったんだろうと、そう言ってます。

そう言われても、まだまだイメージがはっきりしません。そこに決定打を与えたのが、孔子を主役とした映画があるとすれば、誰がその役にふさわしいかという話です。

実際、“中国”の国策映画があったんだそうです。孔子役を演じたのはチョウ・ヨンファさんという香港映画のスターだそうです。日本で言えば、役所広司か渡辺謙かという大物どころだそうです。役所広司や渡辺謙では孔子を演じるにはカッコ良すぎるんだそうです。

かっこよくない小男。負け犬イメージ。強がりだけは一人前。抱かれたくない男ランキング一位。それでも仲間内からの評価は意外と高く、好かれている。

誰か思いつきますか。私は芸能界のことには疎いんですが、どうでしょうか。

マッツァリーノさんは、・・・出川哲朗さんが、孔子にふさわしいと言ってます。


『エラい人にはウソがある』    パオロ・マッツァリーノ

さくら舎  ¥ 1,512

『論語』をありがたい教え、孔子を偉大な人物と思っているようだが、本当にそうなのか?
紀元前中華電視台スペシャル大特番『ありのままの孔子』
第1章 歴史的に正しい孔子と論語の基礎知識
第2章 本当はかっこ悪すぎる孔子の人生
第3章 まちがいだらけの論語道徳教育
第4章 封印されたアンチ孔子の黒歴史
第5章 渋沢栄一と論語をめぐるウソ・マコト
第6章 孔子のすごさはヘタレな非暴力主義にあり


《巧言令色鮮し仁》

人を外見や表面的な行動で判断するなという孔子の教えですが、どういう人がこういう事を言うでしょうか。

マッツァリーノさんは、そういう切り込み方をするんです。

《己の欲せざる所は人に施す勿れ》

いじめに直面した学校の先生なんかが、クラスのみんなを前にして、こんな言葉を題材に話しをしそうですね。「自分が仲間はずれにされたら悲しいでしょ。仲間はずれにされた子がどんなに悲しかったかわかるよね」って、そんな感じでしょうか。

私も教員でしたので、何度もいじめに直面しましたが、《己の欲せざる所は人に施す勿れ》を題材にしたことはありません。そんな事を言っても、無駄ですから。いじめと言われる行為に出ている者にとって、そういう行為に出ることは、自分の当然の権利であると思っている場合が多いです。だから、差し迫った事態の場合は、強制力が必要です。

マッツァリーノさんの切込みも面白いです。「自分がしてほしくないことは他人にもするな」ではなく、「相手が嫌がることはするな」と言うべきだというんです。この注意を受けている者は、自分のやりたいことをやっているわけです。そいつに向かって、「自分がしてほしくないことは他人にもするな」では、たしかに論点がずれてますね。

この、《己の欲せざる所は人に施す勿れ》という言葉には、相手の気持よりも自分の気持を優先し、自分の考えを相手に押し付ける傲慢な思いが反映されているんだそうです。

面白いですね。他にも、《義を見てせざるは勇なきなり》なんかも取り上げられているんですが、そちらも面白いです。論語の言葉は、規定の解釈を疑うこともなく受け入れちゃいましたからね。

埼玉県日高市の五常に滝に見るような孔子観は、どうやら見直したほうが良さそうです。




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『エラい人にはウソがある』 パオロ・マッツァリーノ

もしかしたら、今、とても面白い本を読んでるのかもしれない。

二〇一五年の本で、買ったまま、読まずに眠らせておいた本です。“読まずに眠らせておいた”という部分には、あまりこだわらないでください。有り体に言えば、忘れていた本です。

だってですね。表紙のを飾る絵は中崎タツヤさんのうまへた絵。著者は、パオロ・マッツァリーノとかいう怪しいイタリア人。著者紹介によれば、このパオロ・マッツァリーノさん。イタリア生まれの日本文化史研究家とか。学歴はイタリアン大学日本文化研究科卒?

父は九州男児で国際スパイ、母はナポリの花売り娘、弟はフィレンツェ在住の家具職人。本人はイタリア語で話しかけられると、何故か聞こえないふりをする。ジャズと立ち食いそばが好き。

そんなわけで、どっちを先に読もうかなって時に、いつも後回し、後回しになって、いつのまにか、どっちを先に読もうかなっていう対象としても取り上げられなくなってしまったわけです。そんなことをしているうちに、その上に読み終わった本が、ドサッ、ドサッと積み重なって、買ったことすら忘れてしまったわけです。

それがこの間、一四年飼った猫のミィミィが死んだことで、そのミィミィの身辺整理をしていたら、その余波が押入れに及び、乱雑に積まれた本を片付けているうちに、この本の発掘に至ったわけです。

みんなに押しつぶされていたから、日に焼けることもなく、ほぼ新品の姿で発掘されたこの本。「ごめんね」と声をかけながらめくってみれば、儒教の始祖、孔子を取り上げた本じゃないですか。

ええっ? 孔子は儒教の始祖なんかじゃない? いったいこりゃ、どうなっているんでしょうか。


『エラい人にはウソがある』    パオロ・マッツァリーノ

さくら舎  ¥ 1,512

『論語』をありがたい教え、孔子を偉大な人物と思っているようだが、本当にそうなのか?
紀元前中華電視台スペシャル大特番『ありのままの孔子』
第1章 歴史的に正しい孔子と論語の基礎知識
第2章 本当はかっこ悪すぎる孔子の人生
第3章 まちがいだらけの論語道徳教育
第4章 封印されたアンチ孔子の黒歴史
第5章 渋沢栄一と論語をめぐるウソ・マコト
第6章 孔子のすごさはヘタレな非暴力主義にあり


冒頭、第一章の前にある《紀元前中華電視台スペシャル大特番〈ありのままの孔子〉》は、しっかり二〇ページも割いて書かれています。内容はと言えば、それがもう、いいたい方だって感じなんです。

五年連続“抱かれたくない知識人”ナンバーワンに選ばれて殿堂入りしたとか。

ひどいことを言いますね。このイタリア人。

でも、孔子は実際、「みんながマナー(礼)を守れば犯罪も戦争もない平和な世界になります。そんな世界を作るため、私は政治家になります」って、一生懸命就職活動をしていた人物です。考えてみれば、変なやつに間違いないですね。

一部では、YDKってこき下ろされてたとか。やっぱり、駄目な孔子。

ひどいことを言うな。この変なイタリア人。

論語の冒頭を飾る一編は、「人不知而不慍、不亦君子乎」。「人知らずして慍みず。また君子ならずや」ですね。「世間の人たちが認めてくれなくても怒ったり、恨んだりしない。それが君子ってもんだからな」って、それ、孔子本人のことじゃないですか。

自分には犯罪も、戦争もない世の中を作る力があるのに、その自分を政治家として採用してくれる国はない。結局、世間は認めてくれない。だけど、私は世間に怒りを向けたり、恨んだりはしない。君子だからな。

自分には政治家としての力があることと、君子であることは、孔子の中では揺るがない前提なんですね。

面白そうだな。このイタリアン大学卒。

これから、本腰入れて読みます。





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『本当の知性を身につけるための中国古典』 守屋淳

“中国”の古典なんていうと、あまりにも茫洋としすぎていて、掴みどころがない。

今の中華人民共和国は、中国共産党という政党による一党独裁体制で、強引に一つにまとめている国。力によって強引に一つにまとめているっていううことにおいては、清王朝までの王朝時代とまったく同じ。力で強引にまとめないと、まとまらないのが、この“中国”っていう場所なんだな。

まとまらない、ばらばらになった状態を“分裂”というけど分裂した個々っていうのが、“中国”っていう場所の、例えば一つの民族であったり、一つの言語集団であったりするわけだ。

かつては利益を集中させるために、それらが互いに争い合って、統一に向かった。

“中国”では統一が達成されてしばらくの安定期は治安も安定し、人口も増加する。やがて人口が増えすぎて無軌道な開発が行われ、土地が力を失い生産が落ちる。自然のリズムが崩壊して災害が発生し、時には蝗害が人々を襲う。腹を減らした者が流れ始め、治安が崩れ、闘いが始まり、王朝は衰弱していく。大きな戦いが起こり、多くの人々が巻き込まれて人口が減少する。王朝が滅び、“中国”は分裂期に入る。

統一期が“中国”っていう場所の常態なのか、分裂期が“中国”っていう場所の常態なのか。これってけっこう微妙な問題なんだな。ともあれ、最初にこれを統一しちゃったのが秦王政こと、始皇帝ということ。

秦王朝だとか、漢王朝だとか、初期の統一王朝はすべてが最初の体験で、しかも匈奴という大敵に虎視眈々と狙われている状況。武帝の頃までは死に物狂い。その後、せっかくの統一王朝が潰れちゃって、その後の混乱っていうのも初体験。だけど、“中国”ってのが何かを創造したのはそのあたりまでで、勉強していても、やはりワクワクするのはそのあたりまで。その後の“中国”っていう場所の歴史は、惰性で勉強した。

この本に登場するいろいろな言葉やエピソードも、そのあたりまでのものが大半なんだよね。

“中国”っていうのはその場所を現していて、これが一つの領域と捉えてしまえば、それは茫洋とした掴みどころのない対象になってしまう。分裂した個々の地域の切磋琢磨の中に、大きなエネルギーがあったんじゃないかな。


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「東アジア的な知性」を、楽しみながら深められるような言葉やエピソードを紹介
はじめに 高い視座から「原理原則」を語る
第一章  孔子、孟子、老子ー思想家や文人
第二章  舜、劉邦、武帝ー王や皇帝、支配者まで
第三章  孫武、呉起、王安石ー宰相、将軍から盗賊まで
第四章  曹操、鄭芝、司馬仲達ー『三国志』の群雄たち


漢が滅んで三国時代からは、延々と続く分裂期。数百年後に隋という王朝が“中国”を統一するが、漢までとは人も文化もまったく別物。ちょうど日本という国家が誕生する時代の話になるけど、“中国”は同じパターンの繰り返しに入っていく。惰性で勉強したところだね。

隋が登場するよりもずっと前、分裂期の真っ只中、北方から様々な異民族が侵入し、漢時代の系統を引き継ぐ人々は南部に押しやられていた。南に押しやられた始まりが東晋で、そのあとに宋斉梁陳と続く。最後の陳が、北方から入ってきた鮮卑族の作った隋に滅ぼされて、漢時代の系統を引き継ぐ人々の歴史は終わる。

その東晋から宋の時代にかけて生きた文人に陶淵明がいる。隠遁の詩人というイメージが強いけど、役人として仕えたこともある。《帰去来の辞》くらいしか知らないけど、「歳月人を待たず」っていうのも、陶淵明の詩の中に出てくる言葉なんだそうだ。

その詩というのは《雑詩》。以下のようなもの。
人生は根蒂無く
飄として陌上の塵の如し
分散し風を追って転じ
此れ已に常の身に非ず
地に落ちて兄弟と為る
何ぞ必ずしも骨肉の親のみならん
歓を得ては当に楽しみを作すべし
斗酒 比隣を聚む
盛年 重ねて来たらず
一日 再び晨なり難し
時に及んで当に勉励すべし
歳月 人を待たず
人生なんて拠り所のないもので、風に吹かれて身を保つのもおぼつかない。そんな人生なんだからみんな兄弟みたいなもので、何も血の繋がりばかりを頼りにするには及ばない。嬉しいときは大いに楽しむために、酒を沢山準備して近くの者たちを集めよう。若い時期が長く続くわけでもない。今日の日は二度とこない。それだけに、そういう時は思いっきり楽しもう。歳月な人を待ってはくれないのだから。

そう、《少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず》みたいに、「勉強しろよ!」ってことじゃないんだな。そこがいい。《勉励すべし》は「思いっきり楽しめよ!」なんだからね。

まあ、陶淵明の人生への向き合い方といい、この詩といい、どっか、北方異民族に頭を押さえつけられた漢族の、厭世観みたいなものが背景にあるように思う。でも、今の私には、これでいいな。《一日 再び晨なり難し 時に及んで当に勉励すべし 歳月 人を待たず》なんて、まさにそのとおりだ。




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『中国人のこころ』 小野秀樹

まったく、恥ずかしいったらありゃしない。

連れ合いの思いつきに付き合うと、時として、あとからとんでもなく後悔することになります。そうそう、サングラスを買うときがそうでした。山用以外にサングラスは持ってたんですが、ちょうど視力が低下して、度付きのものを買うことになって、連れ合いに選んでもらったんです。

連れ合いが強く進めるものを買ったんですが、何かとこだわりの強い女じゃないんですが、その時は強く進められました。大好きな沢田研二が同じものでもかけていたんでしょうか。二の足を踏む私に、「絶対かっこいい」って言ってましたからね。

私がそれをかけていたら、娘が泣きました。高いものでしたから今でも使ってますが、今やスキンヘッドになってしまった私がそれをかけていると、周囲の雰囲気が変わります。

もう一つが、今の車にした時に、語呂合わせのナンバーを進められたこと。《25-25》です。だけど、《25-25》の人はたくさんいるじゃないですか。恥ずかしいですよ。たまたまですが、《25ー25》の人と前後になっちゃうこともあります。あれは、恥ずかしいですよ。しかも、スキンヘッドに柄の悪いサングラス男が、なにが「ニコニコ」なんでしょう。

《11ー22》で、「いい夫婦」っていうのも困りますね。喧嘩することだってありますもの。《31-03》で「佐藤さん」なんかいいですね。《 7ー76》で“当たらない”→“事故に合わない”なんて洒落てますね。

“中国”では、数字というと、ひたすら吉凶にこだわるところがあるんだそうです。縁起が良いとされる数字は「6・8・9」で、概ね金運と長寿に関連しているそうです。分かりやすいって言えば、分かりやすいですね。そう、“中国”の人たちっていうのは、分かりやすいもの、目に見えて、はっきりしてないとだめみたいなんです。


『中国人のこころ』    小野秀樹

集英社社新書  ¥ 929

グローバル化が進み、中国人との日々の接点が増えている現代日本人にとって、必読の一冊
序章  「ことば」は人を造り、人を現す
第1章 対話における反応
第2章 人間関係とコミュニケーション
第3章 中国語の伝達機能と受信感覚
第4章 中国人の価値観
第5章 言語システムに侵食する思考と感覚

“中国”の人は、形あるもの、現に存在し確認できるもの、外観や数値によってその物量や価値を認識できることが重要なんですね。まあ、一言で言えば現実主義ということになります。プレゼントやお土産なんて、単純に大きいものが喜ばれるんだそうですよ。

日本とは、ずいぶんな違いですね。私たちは、その人らしさとか、想いや感性が慮られるようなものを好むじゃないですか。プレゼントやお土産を選ぶって、とっても難しいですよね。現実にあるものじゃなくて、頭の中にあるもの、心の中にあるものをもとにして、それにできる限りふさわしいものを、現実にあるものの中から選び出すんですから。

プラトンのイデアみたいですね。

表に現れているものがすべての中国人ですから、人間に価値に関しても表に現れているもので判断されるみたいです。権力、財産、名声、人脈、それらを総合した能力。そういう物を持っている人が偉い人で、偉い人は威張る人なんだそうです。

ここも、日本人の嗜好とは、ずいぶんな違いですね。私たちは、権力、財産、名声、人脈のある人であっても、それは独りの人間の価値とは完全に無関係ですよね。なんでもない、通りかかりに人が、実は大きな会社の大社長で、大金持ちで、とても有名な人物で、政財界に多くの知り合いがあってってのが、好ましいですね。

越後のちりめん問屋の隠居の光右衛門が、実は天下の副将軍水戸光圀公で、「控え、控え~い。この紋所がめに入らぬか」、「ははー」なんてことは、“中国”では最初からありえないんですね。

そんなことを教えてくれる、面白い本でした。

ただ、著者の小野秀樹さんは中国語の学者さんで、だからこそ、この本の副題は《「ことば」からみる思考と感覚》というもので、言葉の研究の中から感じられる“中国人”って位置づけなんですね。社会現象から解明される“中国人”、歴史から解明される“中国人”ではないんです。中国語の勉強をしている人なら、もっと面白く読めただろうなって思いました。




一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

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『中国人のこころ』 小野秀樹

中国人とのやり取りは初めてで、かつちょっと内気な性格のコンビニエンスストア店長の尾野さん(五三歳、仮名)と、中国人で新人アルバイトの王利鴻さん(二一歳、仮名)とのやり取り
尾野:「あ、王くん、王くんは今週の金曜日もシフトに入っているよね?」
王利鴻:「(ぼそっと)うん↘」
尾野:「・・・え~と、(少し小声の早口で)その日はね。特発のお彼岸のおはぎが入って来るんだけど」
王利鴻:「ア~↗?¡」
尾野:「え、いや、あの、おはぎ・・・。ま、いいよ、それは」

これから仕事の指示を出そうというときに、「(ぼそっと)うん↘」はないですよね。少なくとも、そんなの、目上に仕える言葉じゃないんだから、二一歳のアルバイトが五三歳の店長に返す言葉としては、まあ、言語道断ってところです。

それだ慌てた店長は、ついつい自信を失ったビクついた状態のまま、小さな声で、しかも少々早口で、次の指示を出そうとしてしまいました。それを王利鴻くんが聞き取れなかったのも、たしかに無理はありません。


だからと言って、だからと言ってですよ。「ア~↗?¡」はないじゃありませんか。「ア~↗?¡」ですよ。

コンビニの出入り口付近でウンコ座りで輪になってペットボトルのなんかを飲んでる四人の不良に、「そこ、邪魔だよ」って注意したときに、後ろ向きだった奴が、振り向きざま、私を斜めに見上げるように発した言葉が、・・・「ア~↗?!」ですよ。

「ア~↗?!」に続く言葉と言ったら、「よく聞こえね~よ。もう一回言ってくれよおっさん」ってことでしょう。

それを、中国人で新人アルバイトの王利鴻さん(二一歳、仮名)が、コンビニエンスストア店長の尾野さん(五三歳、仮名)に対して、「ア~↗?!」は、そりゃいくら何でもおかしいでしょう。王利鴻くんも、尾野さんに対して、「よく聞こえね~よ。もう一回言ってくれよおっさん」と言いたかったわけでしょうか。

『中国人のこころ』    小野秀樹

集英社社新書  ¥ 929

グローバル化が進み、中国人との日々の接点が増えている現代日本人にとって、必読の一冊
序章  「ことば」は人を造り、人を現す
第1章 対話における反応
第2章 人間関係とコミュニケーション
第3章 中国語の伝達機能と受信感覚
第4章 中国人の価値観
第5章 言語システムに侵食する思考と感覚


そうではないんですね。王利鴻くんは、実際、本当に店長の指示が聞き取れなかったので、困ってしまっていたのです。

まず、最初の尾野さんの呼びかけに対する王利鴻くんの「うん↘」です。日本人の常識ってのを考えれば、たしかにここは、「はい」、あるいは「ええ」と応じるところです。

これは日本語の「うん」ではなくて、中国語にも似たようなニュアンスで、「ん↘」ってのがあるんだそうです。意味は肯定や応諾。しかも、“中国”の場合、目上に使ってもさしっ使えないっていうんです。だからこのケースでも、“中国”であれば、当たり前に使える言葉なんだそうです。

こうなると難しいですね。

だとしても、「ア~↗?!」はないですよね。いくらなんでもこれはまずい。だって、いかにも後ろに、「よく聞こえね~よ。もう一回言ってくれよおっさん」って、続きそうじゃないですか。尾野さんは、それを察知して、この仕事の指示を出すことをあきらめてしまったようです。

でも、これも、じつは誤解のようなんです。

たしかに“中国”の人は、私が、先ほど例としてお出しした私のコンビニ入り口での体験のような、「ア~↗?!」というものの効き方をします。いや、するそうです。

それは聞き返し、もしくは相手の発話の再現を促す意味を持っているという意味では、日本における、「え?」に近い言葉ですね。もちろん、「え?」であれば、日本人でもそこに攻撃的な、あるいは敵対的なにおいをかぎ取ったりいたしません。

でも、“中国”においては、「ア~↗?!」であっても、そこに攻撃的な、あるいは敵対的な意味はないんだそうです。

難しいもんですね。

「人は、言葉によって造られる」とは、この本の教えてくれるところでありますが、私もそう思います。日本語は、この島国の気候風土に合わせて語られる言葉で、その言葉によって、私たち日本人は造られています。日本語は、日本語を勉強している他所の国の人からすると、ずいぶん難しい言葉なんだそうですね。

それはこの島国の気候風土が、他の国からすると特別で、この気候風土に合わせて語られる言葉も、同じく特別なものになってしまったんでしょう。

もちろんそれは、どこだって大なり小なりそうなんでしょうけどね。そして、ことさらにそれを感じてしまうのが、同じような行動原理や、同じようなものの考え方をするのではないかという幻想を、ついつい抱いてしまう近隣に国家なんですよね。近いからこそ、よけいに“違う”ということが大きな問題に感じられるんですね。

まだ、読み始めたばかりなんですが、“中国”の言葉は、どんな中国人を作り上げているんでしょうか。





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『一神教と戦争』 橋爪大三郎 中田考

対談ものの本なんですけど、橋爪大三郎さんと中田考さんっていう組み合わせです。・・・私には、それだけでものすごい。

このご時世では、どうしても「中田考さんの方が受けて立つって感じになるのかな」なんて考えていたんですけど、決してそんなことないんです。相手の発言に対して、とっても純真に自分の知識のありったけをぶつけてみて、そこに化学反応が起こるのを、お互いが期待しているかのようなやり取りなんです。

この対談、まず、対談している二人が一番楽しんでいるのが分かります。

この本は、戦争を一つのテーマにしています。題名が『一神教と戦争』ですから、イスラム教徒にとっての戦争ってだけじゃなくて、キリスト教徒にとっての戦争も取り上げられるわけですが、どうしてもこのご時世から、“イスラム教”の方に重み、厚みがかかって来るんじゃないかって思ってたんです。

だけど、決してそうじゃないんです。キリスト教に関して、あらためて教えられることが、この本にはたくさんありました。

《キリスト教徒はなぜ戦争がうまいのか》

これはこの本の主たるテーマでもあります。《複数の主権国家が競い合い、社会変革、技術革新と結びついた強大な軍事力が、ナショナリズムをともなって戦争の規模を拡大させていった》ということになるわけですが、では、「主権国家とはなにか」、「ナショナリズムとは何か」ってことを考えていくと、けっこう深く掘り下げなければならないもんなんですね。そしてその中で、主権国家としてまとまりやすいキリスト教社会と、主権国家になじまないイスラム教社会ってあたりが見えてきます。


『一神教と戦争』    橋爪大三郎 中田考

集英社新書  ¥ 929

これほど緊張感に満ちた、火花の出るような対談を読んだのは、実に久方ぶりであった

第1章  戦争観の違い イスラームvsキリスト教
第2章  ナショナリズムと戦争
第3章  キリスト教徒はなぜ戦争がうまいのか
第4章  ヨーロッパのシステムは普遍的なのか
第5章  核の脅威と国際社会
第6章  イスラームは国際社会と、どのように調和するのか
第7章  破滅的な核戦争を防ぐ智慧を持てるか


「問題は、イスラム教社会にある」

それが前提ではないんですね。むしろ、「キリスト教社会にある」と考える方がはるかに自然です。なにしろ、キリスト教国家群が、近代以降の世界をリードして、今の世界があるわけですから。

中でも気になるのが、非キリスト教文明に対する猜疑心ですね。「理解できない」、「疑わしい」、「危険だ」という目を向けられる側は大変です。

だからこそ、相手に差別的な条約を押し付けて、自分の安全と利益だけは確保しようとしますよね。「受け入れなければ、力づくで」っていうのに対する危機感が、日本社会を押し流したのが明治維新でした。

今の世界、ヨーロッパやアメリカで、イスラム教徒に向けられている“目”も、同じですね。ヨーロッパ的な市民主義の原則に合致しない指向の原理や行動様式を持っているってことに対して、大きな猜疑心が向けられています。

ヨーロッパからしてみると、ロシアもそう、インドも、“中国”もそうですね。・・・もちろん、日本もです。日本は第二次世界大戦でやっつけましたけどね。

自分を基準にして、その基準に合致しない者たちに猜疑心の目を向け、警戒していくわけです。ぎすぎすしない筈がありません。

でも、ヨーロッパやアメリカにおいて、その基準を押し付ける力が弱まってきています。それだけに、今の世界は安定感に欠けますね。19世紀の上下関係は圧倒的で、対有色人種であれば、人間扱いさえしていないほどでした。

今は、“テロとの戦争”が流行りですね。アメリカのブッシュ大統領が、“テロとの戦争”という大義名分で戦争を始めました。これは使い勝手のいい言葉で、喜んだのはロシアと“中国”でしたね。ソ連崩壊以降、独立の機運を高めるチェチェンを叩き潰したロシアは、この戦いを“テロとの戦争”と位置付けることができました。

“中国”はもっとひどい、東トルキスタン、ウイグル人に対する民族浄化を、“テロとの戦争”として正当化しようとしてますからね。果ては、アサドまでが、毒ガス攻撃を“テロとの戦争”と・・・。じつはこの事態も、欧米が自分の基準を、自分が猜疑心を抱く者たちに押し付けてきたってことの延長線上にあるんじゃないでしょうか。しかも、その責任を、いまや彼らは取れないでしょう。

ああ、この記事を書いていてもそう。他の本を読みながらなんですけど、この本はずいぶん時間をかけて詠みました。二人の対談のおこす化学反応は、読者にも影響を与えておりました。私なんか、もろにそれを食らってしまったんですが、いちいち立ち止まって、考えさせられてしまうんです。・・・上記のようなことを。

そして、お二人は、何の結論も出していません。ただ、考えさせられる種だけ植え付けてね。 




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テロ『一神教と戦争』 橋爪大三郎 中田考

イスラーム教徒は、アダムが最初の預言者だと考えていて、その神の宗教はすべてイスラームと考えているんだそうです。つまり、ユダヤ教もキリスト教も、すべてイスラームなんだそうです。・・・?

つまり、モーセを最も偉大な予言者とするのがユダヤ教で、イエスを最も偉大な予言者とするのがキリスト教ですが、彼らも神の教えを伝えていたのです。それはイスラームなんです。でもだんだん教えが歪曲されて、その後、ムハンマドが現れて最終的にそれを正し、本来のイスラームに帰したということなんです。

本当の意味で普遍的な宗教という概念が生まれるのはイスラームからで、イスラームは多神崇拝、偶像崇拝などさまざまな信仰と行為の体系を“宗教”として一般化し、イスラームもその中の一つとして相対化したうえで、中でもイスラームこそ、唯一の正しい宗教であるという立場をとるんだそうです。中田考さんのおっしゃるところです。

ただ、正義を主張する以上、他者を非正義と糾弾しなければなりません。そのことも、中田さんはおっしゃってます。「場合によっては、その教えを守り広げる手段として戦争も起きてくる」と。

もちろん、イスラーム教徒がのべつ幕なし“教えを守り広げる”使命感を持って歴史を刻んできたわけでもありません。ときにそういうこともあったという意味でしょう。だけど、原理的に考えれば、そう言うことになるということですね。これは一神教ですから、イスラームだけでなく、キリスト教だってそのはずですね。


『一神教と戦争』    橋爪大三郎 中田考

集英社新書  ¥ 929

これほど緊張感に満ちた、火花の出るような対談を読んだのは、実に久方ぶりであった

第1章  戦争観の違い イスラームvsキリスト教
第2章  ナショナリズムと戦争
第3章  キリスト教徒はなぜ戦争がうまいのか
第4章  ヨーロッパのシステムは普遍的なのか
第5章  核の脅威と国際社会
第6章  イスラームは国際社会と、どのように調和するのか
第7章  破滅的な核戦争を防ぐ智慧を持てるか


この中で、“テロ”という言葉の使い方が話題にされているんですが、私は中田考さんの考えに賛同できました。「恐怖を背景として政治的な目的を実現しようとする行為」という定義です。

フランス革命の時のロベスピエール独裁を“la Terreur”、恐怖政治って言いましたよね。まさにあれです。最近の、“テロ”っていう言葉の使い方は、たしかに、特定の国家の法律に反する非合法な暴力をも、安易にテロと呼んでいるように思えます。

恐怖を背景に政治的な目的を達成しようとする行為を“テロ”とするなら、憎しみや復讐心から相手に暴力を加えることはテロではありません。自分の欲望を満たすためにレイプをすることはテロではありません。暴力そのものを目的とする行為は、犯罪ではあってもテロではありません。金もうけのための強盗や誘拐も、テロではありません。

ロベスピエールは、権力を握って、政敵をギロチン台に送って排除しました。人々はそのやり方に恐怖を感じ、ロベスピエールの独走を許しました。これは“テロ”です。

国家もテロ”犯します。軍と警察という実力組織は、その力を使われる側の恐怖を与えます。当然のテロです。「恐怖を背景に政治的な目的を達成しようとする行為」が、テロなんですから。

橋爪さんは《主権国家がかりに恐怖を背景にしていたとしても、少なくとも正統性を体現しています。そのために、人民の安全や福利をはかろうとさまざまに努力しているわけなので、そんな努力をなにもしていないテロリストと、ごっちゃにするのは暴論》とおっしゃいます。そしてテロリストを、言論で政治的主張を述べるべきなのですが、そういうプロセスをすっ飛ばして、暴力を手段とし、無差別行動によって恐怖を掻き立てようとする》ルール違反を犯すものと定義しています。

しかし、テロを言葉として定義する場合、“正統性を体現”しているかどうか、“言論で政治的主張を述べる”機会を与えられていたかどうかは主観的に過ぎる判断基準とならないでしょうか。

もちろん、通常、民主主義国家においては、国家は、たとえ対立する勢力が国内にあったとしても、簡単に相手に暴力を使えないような形になっています。それを決して良しとしない、国民の常識にも支えられています。それでも、国家というのは、暴力を独占したうえで政治的目的を達成しようとする組織である以上、根本的にテロだという自覚が必要だと思います。

その暴力を、“国民”に対して使うことで、大勢を維持している国家もあります。そういう国は、その特定の“国民”をテロリストと呼んだりします。大笑いです。自分がテロだという自覚もなしに、バカげています。

チベットの人たちが可哀そう。




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『封印されたグリム童話』

なにか、とても純粋なものを感じてしまいました。

グリム兄弟の童話集は、ドイツの民衆の間に語り継がれてきた民話やおとぎ話を収集し、“お話”として完成させたものですね。ドイツの森は、黒くて、深いです。そこに語り継がれてきた民話やおとぎ話も、また、黒くて、深いんですね。

そんな黒くて、深いドイツの民話やおとぎ話ですから、ものすごいんです。グリム兄弟が手を入れてくれたから、人前に出すことができるようになりましたが、中には、手の入れようがないような話もあったわけですね。・・・いや、手を入れてこの状態なのかな。

なにしろ、この黒くて、深い森の奥では、さまざまなことが繰り返されましたからね。

グリム兄弟が、この民話やおとぎ話を収集する200年ほど前には、30年戦争なんて言うものがあって、ドイツは荒廃します。ペストの流行もあって、人口が半減してしまったとか。食料も乏しく、傭兵たちの略奪も日常茶飯事だったでしょう。

だから、ただ、森が黒くて、深いだけじゃないんですね。女や子供をさらうなんて当たり前で、それはただ凌辱を目的にしたものではなくて、食うためだったんでしょう。そんな中から集められた話なわけです。


副題には『“削除”された最も残酷でグロテスクな33話』とあります。“残酷すぎる”、“猥褻すぎる”、“グロテスクすぎる”と理由はいろいろなんですが、とにかく、“すぎる”本なんです。

《本書に収められているのは「有名作品の“本当は怖い”真の姿」ではありません。第7版までに兄弟の判断で闇に葬られた、「子どもに読ませられない物語」です。155年前、話集から外された禁断の物語》

これが、本書の宣伝の言葉です。



宝島社  ¥ 1,512

猥褻すぎる、グロテスクすぎる 理由は様々ですが、いずれも子どもには読ませたくない
サヨナキドリとメクラトカゲ
小刀を持った手
子どもたちと屠殺ごっこ
死神とがちょう番
テーブルとロバと棍棒
ふうがわりな食事会
青髭
長い鼻
マヌケのハンス
白い鳩
忠実な名付け親の雀
人食い鬼
なでしこ
・・・ほか


《本当は恐ろしいグリム童話》っていうシリーズがありました。とても面白くて、魅力的なシリーズでした。

あちらは、白雪姫だとか、雪の女王だとか、有名作品の怖い側面や、Hな側面を紹介するものでした。でも、この本は違います。《グリム兄弟がいろいろな理由で削除した問題作》ということなんです。

こちらは、子どもには、到底、読ませられないお話ということです。たしかに、《子どもたちの屠殺ごっこ》なんて、子どもには読ませられませんね。だって、肉屋の真似して、兄弟の首を描き切ってしまうんですよ。

私だって、子どもの頃には、ひどい遊びをしてました。でも、虫を虐待していた程度、・・・身近な両生類や、ちょっとした爬虫類、・・・中には哺乳類らしきものも、記憶の中には眠っているような気がしないでもありませんが、・・・まあ、そんな程度です。

冬の林の中に入って、朽ちた木に潜り込んで寝ている奴を、無理やり引っ張り出して、足を一本ずつもいでいくとか。気の皮をはいで、そこに休んでいたやつの腹を、針で刺してみるとか。

あ・あれ~。文字にしてみると、なんだか、とっても残酷。

と、まあ、そんなわけなんですが、ここに収録されている話にも、今の時代なら、人目に触れるところに出しても問題ないどころか、十分楽しめるような話も、いくつかありました。かえって、白雪姫なんかよりも純粋性が高くていいんじゃないかというような、・・・ね。

そうはいかない話も、もちろんありますよ。とっても、理不尽なの。理不尽な時代を通り抜けていますから、当然そんな話も生まれたんでしょうね。

この本、楽しめるし、興味深いですよ。




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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本
































































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