『100年後に残したい❢マンガ名作』 日本漫画家協会
ものごころついた頃から、いつも傍らには心を熱くさせるマンガがありました。昭和35年生まれの私は、ちょうど、テレビでマンガを見るようになる時期と重なっていて、まさにマンガが豊かな文化に成長するなかで、一緒に大人になりましたからね。
だけど、この間、私よりも3歳年上の方とマンガに関わる話をしていて、微妙な年の違いだけではない“ズレ”を感じたんです。とても残念なことなんだけど、その“ズレ”っていうのは、私が、本来ドンピシャなはずのマンガのことを、知らない場合が少なくないってことなんです。
私が生まれ育った秩父は、私が子供の自分まで、どうも物理的に文化の流入に時間的なずれがあったようなんです。その後、そのズレはなくなったようですが、私が秩父を出て生活するようになったからも、やけに10歳ほど年上の方と話があうんです。これは秩父育ちで、外で生きるようになった者の多くが経験することなんです。
だけど、マンガに関する“ズレ”はどうもそれとは無関係なようです。・・・もう、解決済みです。分かりました。
小学校はもとより、中学、高校、それこそ仕事をするようになるまでは、私がマンガを読んだのは、人から借りるか、人がすてた本か、あるいは立ち読みだ。自分でお金を出して買って読んだこともあっただろうけど、たまたま・・・だな。
だから、どうしたって読んでないことも、少なくないんだ。
だから大人になって、子供の頃に読んだと思っていたものも、あらかた読み直したんだな。いつの間にか、その後、脳の中で記憶の杉合わせが行われているのかもしれない。


高校の時に、手塚治虫の全集の編纂が始まって、なんとか全部揃えたいと思って書い始めた。歩荷や山小屋のバイトで、場合によっては金を持ってることがあったからね。でも、すぐ続かなくなって、“中途半端”とは呼べないほど早い段階であきらめた。
結局は、拾ったもんだろうが、人から借りたもんだろうが、立ち読みだろうが、あるいは自分で買ったものであろうが、機会があるたびに、最大限読み漁った。私のマンガ体験は、結局そうして出来上がったもんなんですね。
さて、この本。文句のつけ用はありません。ここに取り上げられているようなマンガには100年後にも、200年後にも残っていってほしいもんだと思います。
中には、そうですね。私の知らないマンガもありました。もちろん、比較的新しいマンガですね。
バブルが弾けたあたりで、マンガを読んだらすぐに捨てる人がいなくなったんですね。人から借りようにも、以前のようにマンガを持ってる人もいなくなって、その頃よりもずっと前に、立ち読みは難しくなってました。
だったら自分で買って読むしかないんだけど、子供が成長していく中で、いろいろとお金がかかるもんだから、マンガに割くお金がなくてね。あの頃から、マンガに触れる機会が、極点に減ったんだ。
私が読む、読まないに関わらず、面白いマンガは登場してたんですね。子供も独立したことだし、・・・これからそういう本を読む機会がやってくるかな。・・・読んでないということは、とても楽しみなことだな。

一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
だけど、この間、私よりも3歳年上の方とマンガに関わる話をしていて、微妙な年の違いだけではない“ズレ”を感じたんです。とても残念なことなんだけど、その“ズレ”っていうのは、私が、本来ドンピシャなはずのマンガのことを、知らない場合が少なくないってことなんです。
私が生まれ育った秩父は、私が子供の自分まで、どうも物理的に文化の流入に時間的なずれがあったようなんです。その後、そのズレはなくなったようですが、私が秩父を出て生活するようになったからも、やけに10歳ほど年上の方と話があうんです。これは秩父育ちで、外で生きるようになった者の多くが経験することなんです。
だけど、マンガに関する“ズレ”はどうもそれとは無関係なようです。・・・もう、解決済みです。分かりました。
小学校はもとより、中学、高校、それこそ仕事をするようになるまでは、私がマンガを読んだのは、人から借りるか、人がすてた本か、あるいは立ち読みだ。自分でお金を出して買って読んだこともあっただろうけど、たまたま・・・だな。
だから、どうしたって読んでないことも、少なくないんだ。
だから大人になって、子供の頃に読んだと思っていたものも、あらかた読み直したんだな。いつの間にか、その後、脳の中で記憶の杉合わせが行われているのかもしれない。
『100年後に残したい❢マンガ名作』 日本漫画家協会 玄光社 ¥ 3,240 マンガファンと名作マンガとの出合いの一助になる、そんな1冊であれたら・・・ |
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高校の時に、手塚治虫の全集の編纂が始まって、なんとか全部揃えたいと思って書い始めた。歩荷や山小屋のバイトで、場合によっては金を持ってることがあったからね。でも、すぐ続かなくなって、“中途半端”とは呼べないほど早い段階であきらめた。
結局は、拾ったもんだろうが、人から借りたもんだろうが、立ち読みだろうが、あるいは自分で買ったものであろうが、機会があるたびに、最大限読み漁った。私のマンガ体験は、結局そうして出来上がったもんなんですね。
さて、この本。文句のつけ用はありません。ここに取り上げられているようなマンガには100年後にも、200年後にも残っていってほしいもんだと思います。
中には、そうですね。私の知らないマンガもありました。もちろん、比較的新しいマンガですね。
バブルが弾けたあたりで、マンガを読んだらすぐに捨てる人がいなくなったんですね。人から借りようにも、以前のようにマンガを持ってる人もいなくなって、その頃よりもずっと前に、立ち読みは難しくなってました。
だったら自分で買って読むしかないんだけど、子供が成長していく中で、いろいろとお金がかかるもんだから、マンガに割くお金がなくてね。あの頃から、マンガに触れる機会が、極点に減ったんだ。
私が読む、読まないに関わらず、面白いマンガは登場してたんですね。子供も独立したことだし、・・・これからそういう本を読む機会がやってくるかな。・・・読んでないということは、とても楽しみなことだな。

