めんどくせぇことばかり 本 日本語 言語
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『漢字は生きている』 笹原宏之

①常用漢字のうち、一画の漢字は二つだけ。一つは「一」、もう一つはなに?

②常用漢字のうち、一番画数の多い漢字はなに? 

③「春夏冬中」は、なんと読む?

答えは(続きを読む)へ

「春夏冬中」に関しては、実際、店で見かけた。今、《晴天を衝く》で話題になっている、渋沢栄一の出身地である埼玉県深谷市。その深谷市の岡部という町にある、“うな和”といううなぎ屋だ。たしか、「春夏冬二升五合」とあった。

「春夏冬」は上記の通り「あきない」で、「二升」は升(ます)が二つで「ますます」で、「五合」は一升の半分だから「はんじょう」と言うことで、「あきないますますはんじょう」と読む。

あるいは、「一斗二升五合」だったか。「二升五合」はそのまま「ますますはんじょう」で、問題は「一斗」。「一斗」は十升で五升の倍、そういうわけで、「ごしょうばいますますはんじょう」、「御商売益々繁盛」となる。

文字や絵に、ある意味を隠したものを判じ物と言い、それを考えさせて楽しんだ。あるいは、そのまま言うと不吉な意味に通じるので、言い換えをしたりした。

たとえば、「櫛屋」の「く」は「苦」に、「し」は「死」に通じるので、「9+4=13」として、「十三屋」なんて言い替える。「質屋」を「六一銀行」なんて言い替えるのも同じこと。

NHKの《日本人のお名前》って番組で、「小鳥遊」という苗字の人がいると紹介されていた。これで「たかなし」と読むそうだ。鷹がいないから小鳥が遊んでいられると言うことのようだ。

「四月朔日」と言う苗字は何って読むと思う。4月1日は、旧暦ならば5月の連休が終わったあたり。寒い地方でも暖かくなり、そろそろねんねこから綿を抜く頃と言うことで、「わたぬき」さん。

「一」は「にのまえ」さん、「九」は「いちじく」さん。「十」はどう?一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つと来て、「十」だけが「つぬき」さん。



東京新聞  ¥ 1,320

「漢字博士」笹原先生に挑戦! クイズで楽しみながら漢字の雑学が身につく!
1 こんな字がある?
2 この形って?
3 この字の読みは?
4 この字の意味は?
5 外国のこの漢字って?

常日頃、若い人たちが、なんだかわけの分からない言葉を使ったり、文字作っちゃったりしていることに、私は目くじらを立てている。

だけど、わけの分からない言葉を使ったり、文字を作っちゃったりしているのは、とても日本的なことであることに気がついた。日本語というものが、本来そういうものだったようだ。日本人は、昔からそれを繰り返してきた。

だいたい、漢字を受け入れたものの、それで大和言葉を書き表すために万葉仮名を産み出した。その段階で、日本人はわけの分からない言葉を使ったり、文字を作り出したりしてきたわけだ。

実際、歴史の中で、いろいろな文字が作られてきた。残っているものもあれば、消え去ったものも数知れないんだろう。

「因囚」ってなんだか分かる?

これは最近、女子中高生が作っちゃった漢字だそうだ。ただの、「大人」だって。国構えには、何の意味もないんだって。「一」を「①」にしてみたり、「モークング娘。」だったりするのと同じなんだって。決して「物事に囚われた因果な大人」を哀れんだ言葉ではないらしい。

この本にあるわけじゃないけど、無賃乗車を「薩摩守」と言った。薩摩守平忠度(ただのり)に引っかけたものだな。河豚のことを鉄砲と呼ぶのは、当たると死ぬから。サツマイモを十三里と呼んだのは、「九里四里うまい十三里」から。

もともと漢字は、言葉の通じないもの同士が意思を通わせるために作られたもの。意思が通うことが重要なのであって、多少の姿形は、本来そんなに問題ではない。

私たちの世代は、「止めはね」を厳しく指導されたけど、実際、歴史を振り返っても、かっちりとした決まりなど存在しないんだそうだ。常用漢字とは言うものの、それが標準なのではなく、あくまでも目安なのだそうだ。埼が、碕になったり、嵜になったり、嵜になったりするのが、漢字の自然な姿というべきなんだろう。

この間、テレビで「石榴坂の仇討ち」っていう映画を放送してた。おもしろかったな~。討たれる立場の阿部寛さんが明治になって「人力車」引きに身をやつしているんだけど、その半纏に「俥」と書かれていた。「くるま」とか、「じんりきしゃ」と読むんだろう。

あれは日本で生まれた漢字で、そういうのを国字という。この本にもいくつか出てたかな。峠、榊、畑、辻なんかがそうらしい。ただ、「俥」に関しては、日本には伝わっていなかったが、“中国”にも同じ漢字があったそうだ。その場合、純粋な国字とはならないようだ。

これからも、もっともっと味のある、面白い新漢字を作ってもらいたいもんだ。



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『恥ずかしい日本語』 山口謠司

「かったるい」は、「かった+るい」ではなく、「かっ+たるい」だそうだ。

実際、この言葉を口にするときは、「・・・ったりいな」って、「か」を省略してしまっているな。そうなると、「っ+たるい」と、なんだかわけが分からない。漢字を当てて正確に言うと、「腕だるい」、「かいなだるい」という言葉なんだそうだ。肩がこって、腕が上がらないような状態のことだな。

本来、漢字を当てて表現できるものが、いつの間にか音が変化してしまって、本来の語彙が忘れられてしまうんだな。

たとえば、「おっとり刀」なんて言うと、大きく、ゆったりと刀を構えている様子に思えてしまう。だけど、この“おっとり”はのんびりしている様子を表わす“おっとり”ではないんだそうだ。これも本来は、「押し取り刀」、「おしとりかたな」という言葉なんだそうだ。「おしとりかたな」の“し”が“っ”に変化して、“押し取り”感覚がなくなってしまったわけだ。

これはなにか、火急の場面に遭遇し、急いで刀を取って出かけていく様子をいう言葉なんだそうだ。ちっとも、おっとりしていないんだな。

「ひとりぼっち」なんて、年季が入った言葉だな。ヒロシという芸人さんが、“ぼっちキャンプ”って言葉を流行らせている。一人でキャンプするって、なんだかピンとこない。一人でテントを張って泊まることはあっても、それ自体が目的じゃなくて、山かなんか歩くのが目的だからな。・・・まあ、いいや。

これは本来、「ひとり法師」という言葉だそうだ。特定の教団に属さず、ひとりで修行をしている僧侶のことをいう言葉だったんだという。お坊さんは頭を丸めているけど、江戸時代までは、男の子も剃髪していた。それで、男の子のことを法師と呼んだらしい。そう言えば、一寸法師は「いっすんぼうし」だな。起き上がり小法師も「おきあがりこぼし」だ。

“ぼっちキャンプ”も、本来は法師キャンプになるわけか。一人で山の中に泊まって、火を見つめて過ごすのは、修行みたいなものと言えなくもない。

新しいは「あたらしい」と読むが、本来は、改めるなどと同じ語源で「あらたしい」と読まれていた。これは知ってた。こういう逆さ言葉みたいな言い方は、隠語として自分の集団内で流通させた言葉が多い。ヤクザ言葉で、たとえばダフ屋なんて一般にも広く知られるものもある。あれは、ふだ屋、切符屋ね。

雰囲気は「ふんいき」と読むが、この言葉は漢字も読みも、変化してそういう言葉になったんだそうだ。もともとは、不陰気という言葉で、「ふいんき」と読んだ。意味は、陰気ではないと言うこと。つまり、明るい漢字をイメージした言葉。

それが言いにくかったのか、「ふんいき」という発音になり、それに合わせて雰囲気という漢字が当てられた。その漢字から、「周囲を取り囲む空気」のイメージを持つようになり、その場の気分や状況を指す言葉になったらしい。



廣済堂出版  ¥ 1,540

語彙力・社会人力アップだけでなく、思わず人に話したくなる日本語知識満載の一冊
第1章 聞いたことがある言葉の語彙を知る
第2章 漢字の意味が分かると語彙が分かる
第3章 二つの言葉から語彙を知る
第4章 うまく説明できない言葉の語彙を知る
第5章 人に話したくなる言葉の語彙


“やけくそ”か、漢字だったらどう書くかな。焼糞とか、自暴糞とか言う書き方がある。でもね。違うんだって。もともとは「嫌気こそ」という言葉なんだって。「こそ」は強調する言葉。嫌気はそのまま嫌なこと。だから「やけくそ」って言葉は、絶対嫌だ!って言う叫びなんだな。

この人の話は、知ると人に話したくなる。私の犠牲者は、連れ合いと、このブログを読んでいただいている方ということになる。「うなぎとあなご」の話には感動した。これも言ってしまいたい。「U・N・G」と「A・N・G」で、ほとんど同じ・・・。ごめんなさい。あとは我慢。ぜひ読んで。

『恥ずかしい日本語』って言う題名だけど、最後まで分からなかった。なにが恥ずかしいのか、分からなかった。どうやら、使い間違えると「恥ずかしい」と言うことのようだ。私は読んでいて、恥ずかしいなんて思う暇もないくらいに面白かった。『恥ずかしい日本語』という題名は、この本にふさわしいとは思えない。

言葉の本に、言葉でケチをつけて申し訳ない。

この間、前半の1章と2章で扱われている言葉を紹介したので、後半も紹介しておく。

《第3章 二つの言葉から語彙を知る》
犬兎の戦いと漁夫の利達磨と灰汁うなぎとあなご馬喰と伯楽群集と群衆
終息と収束保健と保険封鎖と閉鎖追討と追亡感染と伝染
雰囲気と不陰気五輪とオリンピック停滞と瀦隊思いやりと心やり我慢と辛抱
禍と災愛嬌と愛敬やばいとあわや暴力と暴露


《第4章 うまく説明できない言葉の語彙を知る》
羽化登仙灼熱牢乎胡乱逐電
欣幸の至りにやけるひとりぼっちあっけらかんたまげる
いかさまおっとり刀うんともすんともこだわる韋編三絶
いちかばちかねこばばとろへろはめをはずす


《第5章 人に話したくなる言葉の語彙》
無聊を託つ三密あらくあざらかちょっかい
したたか半髪頭かったるいすっぱぬくぎこちない
へなちょこはすっぱやけくそいびつ土壇場
きぬかつぎあらぬ思い観光七三歩き


ってなところ。


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漢字『恥ずかしい日本語』 山口謠司

《ことのほか》は、《事のほか》ではなく、《殊のほか》。

歹は「しにがまえ」と言って、肉を削り取ったあとに残る骨を意味するんだそうだ。・・・なんともおぞましい。この字を偏として構成される漢字は、死や障害に関することを表わす。

朱の方は、まさかりで木を切り倒すことを表わすそうで、合わせて、木を切り倒して「殺す」こと。周りを皆殺しにして最後に残るものと言うのが、“殊のほか”の本来の意味なんだそうだ。

面白いから、歹の他の字も調べてみた。

《列》は歹に「刂(りっとう)」。「刂」は刀。刀で肉をそぎ落として骨が出てきた様子。肋骨が規則正しく並んでいる様子から、「連なる」こと。

《残》は歹にに「戔(さん)」。部首で言うと「戈(ほこづくり)」。「戈」は矛。矛を合わせて、戦うこと。あるいは矛を重ねて切り刻むこと。戦場の残る死体。その様子は無残。

《我》は「戈(ほこづくり)」の漢字だそうだ。左側の「ノ」に「手偏」のような文字は鋸のようなギザギザした形状を表わし、それに矛を合わせて、鋸のようなギザギザした刃を持った矛ということになる。この文字の持つ「われ」という音だけを取り上げて、私を表わす名詞である「われ」を表わす漢字として使われた。

《義》は、鋸のような刃のついた矛で、生け贄にするための羊を殺すこと。そこから厳粛な作法であるとか振る舞い表わす文字となり、良いとされる行動や考え方を表わすようになる。

さらに、義に言偏が加わった《議》は、良いとされる行動や考え方を求めて発言することを意味する。

面白いな、漢字。



廣済堂出版  ¥ 1,540

語彙力・社会人力アップだけでなく、思わず人に話したくなる日本語知識満載の一冊
第1章 聞いたことがある言葉の語彙を知る
第2章 漢字の意味が分かると語彙が分かる
第3章 二つの言葉から語彙を知る
第4章 うまく説明できない言葉の語彙を知る
第5章 人に話したくなる言葉の語彙

もうちょっと、「漢字の面白さ」の紹介を続ける。

“一人旅”というのは、おかしな言葉なんだそうだ。なにしろ、《旅》という漢字は、旗の下に人が集まっていることを表わしているんだという。

《方》は、本来、農具の鋤を表わす形だと言うが、方偏の《方》は、方角を現わすと共に、吹き流しが風にひらひらゆれる旗の意味を含んでいる。旗にはご先祖様の霊が宿っており、その下に多くの人が集まっている文字が《旅》。この旗は軍旗で、人は兵士たち。軍隊が戦地に移動していく様子を表わしているんだな。だから、“一人旅”ではおかしなことになる。

《族》も似ているが、ご先祖様の霊の宿る旗の下に、同じ矢を持っている人々が集まっている。同じ血筋の仲間を表わす言葉だな。

面白いな。まだ、第1章と第2章しか読んでないんだけど、どれも面白いものばかり。なにしろ、日頃普通に使っている言葉や、最近、聞かなくなった面白い言葉、それらの由来って言うのを考えると、それがどうもはっきりしない。

この本でその語彙を知ると、なんだかそれらの言葉が、今までよりも愛おしく思えてしまう。どんな言葉が扱われているのか、紹介しておくことにする。

《第1章 聞いたことがある言葉の語彙を知る》
ことのほかたぶらかす裏をかくのべつ幕なしひとり旅
見繕ういじめぞっこんぎゃふんてんやわんや
すき焼きはにかむずぼらおめおめ耳ざわり
さわりケチをつける首ったけすごい楽しかった

《第2章 漢字の意味が分かると語彙が分かる》
九牛一毛英才教育生産無用狂濤大通端座団長手前味噌緊急
課金生憎累計宣言危機影響継母訃報

ってな感じ。



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『よくわかる俳句歳時記』 石寒太

山下りて一輪二輪の雪柳
山の神見下ろす里に桃の花
コロナ禍や小学生になりにけり
コロナ禍や幼子のため雛飾る
夜明け前ヒバリの声も闇の中
霞しも遠くに白き山見えて
鉢荒し隣の猫の仕業なり
スカンポをしゃぶって遊びを続けおり
薮椿山の中にも光差し
野遊びに弁当持って老夫婦
霜の果てぬかるむ泥も暖かく

この本、句会・吟行、必携の一冊だそうだ。おそらく今後、そういうものと縁を結ぶことはないだろうけど、何年かに一度、こういう本が欲しくなってしまう。なんの心得もないのに、駄作を作りたくなってしまう。まあ、人に迷惑をかけず、駄作を作って一人で喜んでるんだから、こんなにおめでたいことはない。

猫って言うのは、春の季語として登場することが多いようだ。
《猫の恋、恋猫、猫さかる、猫の契り、浮かれ猫、春の猫、猫の妻、猫の夫、孕み猫、通ふ猫、猫の産、猫生まる、猫の子、子猫、子持猫、親猫》

それが、ちょっと様子が変わると、冬の季語としても使われる。
《竈猫、ヘッつい猫、灰猫、かじけ猫、炬燵猫》・・・“かじけ”というのは、かじかむこと。寒がっている猫と言うことだそうだ。それで、少し暖かくなると、ナーゴ、ナーゴと鳴き始めるわけだ。

じつは明け方の暗闇の中でヒバリの声を聞いたのは、ほんの何日か前のこと。朝のトレーニング中のこと。同じ時間に同じ場所を走っていたら、今日もヒバリの声。それがほんの何日かの違いで、今日は薄明るくなっていた。まあ、ヒバリを見つけられるほどではなかったんだけど、朝がどんどん早くなってきている。

先日、釣り竿を持って川を歩いていたら、鶯が鳴いているのを聞いた。とても下手くそで、笑っちゃうのだが、彼らは鳴いてうまくなる。下手くそな鶯鳴いてうまくなる。・・・おお、そのまま五七五になっている。私もそういう生き方をしてくればよかったなぁ。




ナツメ社  ¥ 2,310

テレビで紹介された話題の歳時記 持ち運びできるサイズに、充実の6630語
基本的な季語 多彩な季語 
基本的な季語 多彩な季語
基本的な季語 多彩な季語
基本的な季語 多彩な季語
新年
基本的な季語 多彩な季語
忌日
二十四節気表

鶯や光る川面の美しく
山道やちょうちょうふわりふんわりと
引っ越しの車見送る雪柳
かわやなぎみどり子の頬やわらかく
夕長し飯の支度が遅くなる
尾根歩き花粉の風が吹くを見る
日に一度桜つぼみの程を聞く
感染症収束しない夕長し
城跡を下りて青空馬酔木咲く
沈丁花香り訪ねる散歩道


「感染症が収束しない」と連れ合いが暗い声を出している。「収束しようがしまいが、ちょっと他県に旅行に行くかどうかくらいで、私たちの生活にさほど大きな変化はない」と言ったら、「子どもたちがかわいそう」と大所高所に立ったお言葉をいただき、私は恥じいるばかり。そんな気持ちも詠んでみた。

この本に載ってる季語をもとに、その日の出来事を盛り込めばいいんだ。季語ありきでやってみれば、意外と行けるのかも知れない。

そうだなぁ。この本で季語を確かめつつ、その日その日に見たこと、聞いたこと、感じたことを駄作に残すのもいいかもしれないな。

あくまでも、人に迷惑をかけない範囲でな。



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『日本語の奥深さを日々痛感しています』 朝日新聞校閲センター

《内助の功》は、今の世の中には受け入れられないのか。

まあ、「男が外で働いて、女は家庭を守る」では、家計が成り立たないし、共働きが多数派になって、配偶者控除の是非が議論される世の中。あからさまな性差別ではなくても、夫が主役で妻はそれを支える立場が夫婦の形と押しつけるような言い回しは、校正の人たちも神経を使うところのようだ。

それどころじゃない。性別役割分業の意識を助長する言い回しもチェックが入るそうだ。女の人が、ある分野において男と同じ実力を持ちながら損をするっていうのは、こりゃ差別だからな。これがダメというのは分かる。

競馬の騎手だろうが、とび職だろうが、レスキューだろうが、土建業だろうが、配達業だろうが、引っ越し屋だろうが、そりゃなんだって同じ。実力のある女を、男の後に回すのは差別。

たしかに一般論から言えば、向き、不向きはある。しかし、現場ではいつでも、現実に起こっている状況によって、対応すればいいだけの話。そこに男だから、女だからを持ち出すのは、受け入れてはいけない。

だから、現場ではよく分かっている。一般論と個別のケースは、現場に判断を任せていかなければ、事は進まない。だけど、校正の仕事の人はそうは行かないか。しかも、朝日新聞だからな。何かあったら、ポリティカル・コレクトネス“とか”の立場を貫くしかないんだろう“っていうか”。

夫が妻をなんと呼ぶか、妻が夫をなんと呼ぶか。

これも、よく話題になるね。目を三角にして怒ってる人が、ちょっと前にテレビに出てたな。その人は、他の女の人が、夫のことを“主人”と呼ぶのも許せない。歴史性、社会性なんてまるで関係なく、“遅れた女”を真実の神に目覚めさせたいようだ。

そうなると、もうそれは一神教だから、そんな女は滅ぼすのが真実の神に仕えるものの使命であり、正義となる。《民衆を導く自由の女神》っていうドラクロアの絵がある。七月革命の時のようすを描いたものだな。左手に銃、右手にフランス国旗を持って、乳房もあらわに人々を自由に導く女神マリアンヌ。立ち塞がるものは、排除するのみ。




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日常語・新語・難語から言い回し・使い方まで、ことばの最前線から、その核心に迫る
1 ことばは生き物。変身もする、盛衰もある(
2 ことばの最前線!新語が生まれるとき
3 知るたのしみ、使うたのしみ…語彙力で心豊かになる
4 ことばは物語をもっている。歴史の断面が語られる
5 語感、言い回し、使い方…日本語はおもしろい


“旦那”という呼び名も、マリアンヌは許しはしない。妻が夫に対して使う場合、それは“一家の主”という意味になる。もともとは敬意を込めた言い方のはずだが、“主人”に比べると、いくらかくだけた感じに捉えられているようだ。

旦那は、檀那とも書く。

もともとは、サンスクリット語で「施し、与える」という意味で、意訳は「お布施」。日本では特定の寺院に属して、その経営を助ける「布施をする人」を意味するようになったようだ。さらにそこから転じて、「生活の面倒を見る人」という意味を持つようになり、奉公人にとっての主、妻にとっての夫の尊称になったようだ。

この檀那、サンスクリット語では「ダーナ」と発音する。

サンスクリット語を使うアーリア人は、インド・ヨーロッパ語族。ヨーロッパのラテン語もそう。ラテン語から変化した英語では与えることを「ドネイション」、寄贈者を「ドナー」と言う。

「檀那」と「ドナー」は、同じ語源を持つんだそうだ。

《在外公館名称位置給与法》の改正法が成立し、外務相が使う外国名から「ヴ」がすべて消えたそうだ。

これでカーボヴェルデはカーボベルデに、セントクリストファー・ネーヴィスはセントクリストファー・ネービスになったそうだ。まだまだ、外務省にとっての外国名が対象になっているに過ぎないが、地名や人名も、早く対象にして欲しいと思う。そうすれば、昨年、生誕250年だったベートーヴェンもベートーベンになる。

教員やってるときに、生徒に話してたんだ。

「ヴェネツィアなんて、書かなくていい。ベネチアでいい」って。あれじゃあ、嫌になっちゃうよね。だいたい、日本語には“う゛”なんて発音はないんだから、無理する必要はない。

議会答弁術というのも面白い。

官僚や、政治家の言葉だな。ここで紹介されているのは、「いずれにいたしましても」。これは、応えるべき内容がなく、前置きをいろいろ述べて、時間を稼ぐときに使うんだそうだ。「可及的速やかに」というのも良く聞く。拒否できる状況ではなく、かと言って実際にやる気はないが、その場をしのぐときに使われる言葉と言えばいいかな。

そうそう、私は、「~と言わざるを得ない」という言い方が嫌い。

テレビやラジオのニュースを聞くと、最近、後出しジャンケン同様の意見を述べる人が多い。自分じゃ、ズルをしていることに気づいていないのかな。



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若者言葉『日本語の奥深さを日々痛感しています』 朝日新聞校閲センター

分からない言葉は、辞書で引いて調べた。

そういう世代。だけど、“若者言葉”というのは、そう言うのとは違う。自分が若い頃にも、“若者言葉”などと言うものがあったんだろうか。まあ、仲間内で通じる“隠語”のようなものは存在したが、それを楽屋の外では使わない。

自分が若者と言われなくなった頃、若い連中の話す言葉に、分からないものがあることに気がついた。高校の教員をしていたから、そういう言葉に触れる機会は、他の“大人”より多い。よく、放課後の教室で、生徒たちにその意味を教えてもらった。

大半は一時的流行で、その言葉を使っていた人たちも、いつしか使わなくなる。だけど、その中のいくつかは、後々までその世代によって使い続けられるものもあるそうだ。その場合、年長者が、それに煩わされることはない。

さらには、その世代の間で生き残った言葉が、それに続く若い世代でも使われていく言葉もある。こうなると、年長者も、多少の影響が出てくることは間違いない。このあたりの言葉になると、私なんか、若者たちの話し言葉にイライラしてしまう。

さらには、若者たちが使う言葉が一般化してしまって、いつの間にか年長者も使っている。私はイライラを、世の中に向けることになる。そのくせ、ちょっと前まで「なんだ、その言葉は!」なんて怒っていたのに、いつのまにか、自分まで使うようになってしまっている。

“イライラ”以降の言葉でも、たとえ一般化しても、自分はまず絶対使わないだろうというものも多い。「ディスる」なんて絶対使わないな。これは、世の中であたりまえに使われるようになっても、なにを言ってるのかまったく分からなかった。『翔んで埼玉』を見て喜んでいる埼玉県民なのに。「なんで埼玉県民はディスられて喜んでるの?」って、なにを言われているか分からなかった。

だいたい、dis~なら、disarmだって、distrustだって、disableだって、いくらでもある。なのになんで、disrespectだけに限定してるの。わけが分からない。

だいたい、「ディスる」って、音が良くない。・・・ぼやくのは、このくらいにしよう。特定の言葉に「る」をつけて、特定の動きを意味するってのは、江戸時代からあったという。「ちゃづる」、漢字込みで書くと「茶漬る」。つまり、「お茶漬けを食べる」。「おい、〆にその辺りで、茶漬ってかえろうぜ」なんて酔っ払いが、お江戸の町を歩いていたかも。

「~る」言葉なら、私たちの時代にもあった。「江川る」、これは「ずるをして他人に迷惑をかける」こと。「田淵る」、これは「太り気味である」こと。「ジュリる」、これは「気取る」こと。「バドる」、これはバドリオ政権が連合軍に寝返ったように、「仲間を裏切る」こと。



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日常語・新語・難語から言い回し・使い方まで、ことばの最前線から、その核心に迫る
1 ことばは生き物。変身もする、盛衰もある(
2 ことばの最前線!新語が生まれるとき
3 知るたのしみ、使うたのしみ…語彙力で心豊かになる
4 ことばは物語をもっている。歴史の断面が語られる
5 語感、言い回し、使い方…日本語はおもしろい


最近は、人の顔色を気にしすぎることから生まれた、特殊な言葉の使い方を、多く耳にするような気がする。

この本の中で取り上げられているのは、「大丈夫です」という言葉。それを書いている校正員の方も、スーパーで「箸をおつけしますか」と聞かれたとき、自分が口癖のように「大丈夫です」と答えているのに気づいたという。・・・若い人だろうか。

本来、大丈夫は、「立派な男子」のこと。そこから、「健康であるようす、危なげないようす、心配いらないようす」の意味でも使われるようになる。

「箸をつけますか」もそうだけど、何らかのサービスの提供を申し出られたとき、何らかの勧誘を受けた時に、この「大丈夫です」が使われているようだ。

「箸をつけますか」「大丈夫です」・・・つけなくても大丈夫なのか、つけても大丈夫なのか。

「コーヒー、お注ぎしましょうか」「大丈夫です」・・・注いでいいのか、悪いのか。

「飲みに行こう」「大丈夫です」・・・行くのか、行かないのか。

今の若い人は、人に迷惑をかけることに敏感で、相手から自分への働きかけに対して、「問題ありません」と気遣っている配慮が、「大丈夫です」と言わせているようだ。

だとすれば、一概に、“拒否”と受け取っていいのか。コーヒーはもう欲しくないし、飲みにも行かないのか。遠回しな断りなら、「結構です」という言い方がある。一時、強引なセールスに対して、「結構です」では、「結構」という言葉にある“満足なさま”と揚げ足取りをされる危険があると言う話があった。「いりません」って言った方がいいって。

だけど、サービスの提供や勧誘に対して、「結構です」は、「いりません」と同義。その、「結構です」にも、相手を突き放してしまっているように、若い人たちは感じてしまうらしい。それじゃあ、「いりません」とか、「行けません」と、はっきり断わるのは難しいだろうな。

校正員の方は、「相手を不快にさせないよう慎重な人が多い」で済ませているが、「大丈夫です」には危うさを感じる。若い人たちは、どこでそこまでの処世を身につけなければならなかったのか。

「・・・っとか」、「・・・って言うか」、「・・・みたいな」、これらの、なんだか曖昧な言い回しは、“とか弁”って言われるそうだ。

「オガワ製作所という会社から電話がありました」と伝えた場合、それが“トガワ製作所”だったら責任を問われる気がするが、「オガワ製作所とかいう会社から電話がありました」なら、責任を問われないような気がするらしい。

つまり、逃げ道を作っておかないと、不安なようだ。・・・いったい、誰に対して?

これって、心配してやった方がいいんじゃないだろうか。



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虎秀川周辺『秩父の地名の謎 99を解く』 髙田哲郎

先日、埼玉県飯能市の東吾野駅近くのパーキングに車を置いて、周囲の山々を歩いてきた。

まずは、東吾野駅から虎秀川を遡るように歩いて行く。虎秀川はここで高麗川に合流することから、落合という地名がある。虎秀川の両岸はすぐに山が迫っており、川沿いに、ずいぶん上流まで点々と集落がついている。集落の名前を落合から追っていくと、中居、虎秀、新田、間野と続き、しばらく途切れてその上に、阿寺という地名が見える。

この日は、中居から川の右岸を登り、虎秀山山頂に上がり、尾根伝いに阿寺に向かった。これがまた良い道で、なにより人がいない。人はいないけど、熊はいるようで、未消化の柿の種(煎餅ではない柿の種)が混ざった黒いウンコが登山道に転がっていた。

樹林に囲まれた低山ではあるけれど、植林や伐採の都合で、ときどき景色が広がるところがある。もとから山の中のことだから、景色が広がるとこれがすごい。良い場所なんだ。

ここは関東平野の終わるところだから、山を見るなら西側がいい。このルートでは西から南にかけての景色が広がるところがあり、秩父の山から埼玉と東京の境をなす長沢背稜はじめ奥武蔵の山々。南に目を向けていくと奥多摩の山と、その向こうに富士山が頭をのぞかせている。

関東平野から立ち上がる最初の壁は、南は日高市の日和田山に始まり、北は寄居町の釜伏山まで続いていく。ずっと、奥武蔵グリーンラインという舗装された道が走る。山襞はいくつもの谷や入に隔てられ、主立った谷や入には川沿いに集落が作られた。山はまさに生活の場だった。

そういった谷あいを谷津という。先日読んだ、『龍神の子どもたち』という小説は、とても面白い物語だった。都会からさほど遠くない龍神伝説を持つ山里が、ニュータウンとして開発されていく中での話だった。

ニュータウンに立つ都会的な住居に住む子どもたちと、谷津流という山里の旧住民の子どもたちが、同じ中学校に通う中で起こるさまざまな出来事を通し、地域の抱える問題に直面していく話。

ニュータウンに住む人たちと、谷津流に住む人たちが、まさに典型的な形で描かれる。谷津流地区はくみ取り式のボットン便所で、ニュータウンは水洗トイレ、もちろん腰掛け式。谷津流の子どもたちが、そのトイレの使い方が分からずに恥をかいたりする。ニュータウンの子どもたちは優越感を隠そうともせず、谷津流の子どもたちは劣等感に苛まれ、粗暴な行動に出る者もいる。それをニュータウンの親たちは、野蛮と非難がましく言い立てる。

学校でも対立することばかりの子どもたちだが、ある時、ニュータウンの子どもたちと谷津流の子どもたちが、一緒になって、地域が抱える本質的な問題に立ち向かうことになる。




埼玉新聞社  ¥ 1,210

秩父の地名は、一つ一つに秩父ならではの生活や文化、歴史が深く刻まれている
赤柴―河口・川沿いの水が運んだ石場から生まれた柴・芝地名
赤谷・赤屋・赤田・赤城―赤羽=赤埴と同様に赤い土の色から
阿熊―アグの付く地名の原点は“上ぐ”で高い所をいう
新志―新居・新井・荒井などと同様に、新しく開拓した土地
麻生―麻の自生地ばかりでなく、大方は湿地か大地の縁が崩れたところ
集人―狩人たちの祭祀の場
天沼―高知にある沼。または雨によって拡大縮小を繰り返す雨沼
新木―荒れ地を開墾する意味の古語「新墾」を残す地名
飯塚―飯を山盛りした形の飯盛塚を略したもの
伊古田―伊古田は類語をたどると池田にたどり着く
ほか


この谷津流という地域も、古くから水害、土砂災害と戦い続けてきた地域だった。そして先日、虎秀川にそった地域を歩いているとき、地域の掲示板に、《虎秀谷津》という文字を見た。おそらく、落合、中居、虎秀、新田、間野と続き、阿寺に至る谷筋を、《虎秀谷津》と呼ぶのだろうと思われた。

虎秀谷津の話ではないが、以前読んだ『埼玉の川を歩く』という本に、虎秀川より8キロほど北を、同じ尾根筋から流れ落ちる北川という川の話が載っていた。北川は、檥峠付近から流れ出し、西吾野駅近くで高麗川に合流する。その途中に全昌寺という寺がある。この境内のお地蔵さまは、昭和43年の大洪水で行方不明になった。この時、一人の子どもも流されたが、木の枝に引っかかり無事だった。、その後、夜になると、子どもが救出された川の付近から泣き声が聞こえるようになる。川底を掘ってみると、行方不明だったお地蔵さまが出てきた。

お地蔵さまは、子どもの身代わりになって、川に沈んでくれたと考えられるようになり、それ以後、「夜泣き地蔵」と呼ばれるようになったという。

虎秀川沿いの水害・土砂災害を現わす話というわけではないのだが、北川沿いの風景と、虎秀川沿いの風景は、本当にうり二つなのだ。

下流から地名を確認していくと、落合は川の合流部であることを意味し、合流により水量が増えることを意識させる。

中居は、ナカイと読むが、ヌクイからの転化の可能性がある。ヌクは“貫く”の意で、土砂崩れや山崩れがあった場所を現わす。

虎秀を飛んで、新田は新田開発を思わせるが、この山の中には田んぼはない。アラキダと読んで新しく開墾された畑を現わす場合もあるが、ニタはヌタと同じで、湿地や沢を現わす。

間野はマノと読むが、ママ、マメからの転化の可能性がある。ママは崩れたところや崖を現わす古語。

一番上部に位置する阿寺はアジと読む。アズからの転化の可能性があり、アズは谷川に沿った険しい崖か、土砂崩れのあった場所を現わす。実際、《阿寺の岩場》という、クライマーが訪れる岩場がある。

どこもかしこも、地形との戦いの場だった。

さて、飛ばしておいた虎秀だが、これが分からない。著者の、髙田さんの意見を聞いてみたい。



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ジャンル : 本・雑誌

『秩父の地名の謎 99を解く』 髙田哲郎

私の生まれた家は、秩父市の、大字下影森、字田の沢、小字薮というところにある。

影の森で、田の沢で、しかも、薮。明るいイメージは一切なし。というより、暗い森の中に流れる、ジメジメした沢沿いの薮だ。出来れば違うところに住みたいもんだ。

先日、紅葉を見に、奥武蔵の山に出かけた。大持山に登って、ウノタワという人気の場所を通るコース。いったん、武川岳という山に登り、そこから妻坂峠に下る。意味ありそうな名前の峠でしょ。畠山重忠が鎌倉に出仕するとき、いつも妻がここまで見送ってくれたことからついた名前だそうだ。

おっと。この本でも、歴史上の人物を引き合いに出した地名はたくさん出てきたんだ。そのほとんどは、後付けだって。この妻坂峠の場合は、“つま”が味噌だな。つまがつく地名というと、嬬恋、吾妻なんてのがある。どうもこれも、日本武尊に結びつけられて語られてしまうようだ。

“つま”にはものごとの端という意味がある。“つま”が“つば”からの転化なら、崖地や崩壊地形を意味する。妻坂峠から武川岳に登るにしても、大持山に登るにしても、もの凄い急坂を登ることになる。特に、武川岳と峠の間の斜面は、何カ所か崩落しかかっている場所がある。峠は秩父と反応を結ぶが、どちら側に下っても、昨年の台風19号で崩落した斜面がある。

また、“つま”には建物の、棟と直角をなす壁面を意味する場合もある。たしかに、武川岳への登りも、大持山への登りも、垂直の壁のように見えないこともない。

地名の考察って難しいな。

そうそう、その妻坂峠から大持山に登り、少し戻って大持山の肩で休んでいるときのこと。妻坂峠からエッチラオッチラ登ってきたお父さんがいて、その人と少し話した。なんだか武甲山周辺の話になって、私の生まれた家のことを話すと、「じゃあ、田の沢かい」って言うんだ。

国土地理院の地図にも載ってないし、番地にも「字田の沢小字薮」は使わないのに、知っている人がいることの驚いてしまった。年齢は私より少々上に見えた。そういうことを知ってる人と話をするのは楽しい。



埼玉新聞社  ¥ 1,210

秩父の地名は、一つ一つに秩父ならではの生活や文化、歴史が深く刻まれている
赤柴―河口・川沿いの水が運んだ石場から生まれた柴・芝地名
赤谷・赤屋・赤田・赤城―赤羽=赤埴と同様に赤い土の色から
阿熊―アグの付く地名の原点は“上ぐ”で高い所をいう
新志―新居・新井・荒井などと同様に、新しく開拓した土地
麻生―麻の自生地ばかりでなく、大方は湿地か大地の縁が崩れたところ
集人―狩人たちの祭祀の場
天沼―高知にある沼。または雨によって拡大縮小を繰り返す雨沼
新木―荒れ地を開墾する意味の古語「新墾」を残す地名
飯塚―飯を山盛りした形の飯盛塚を略したもの
伊古田―伊古田は類語をたどると池田にたどり着く
ほか


明治以降、合併やらなんやらで、ずいぶん地名が失われたんだろうな。上で紹介した、私の生まれた地域も字も小字も、まったく使われれてない。

大字は江戸時代の村を継承した範囲であり地名。私のところは、もともと影森村で、祖父はその助役を務めていた。祖父の時代に合併があって、だいぶ苦労をしたんだそうだが、それ以降、大字下影森になったようだ。

字は大字よりも小さい集落のまとまりにつけられたものだそうだ。集落のまとまりと言うなら、うちの場合、小字の“薮”の方がふさわしい。字の田の沢は、だいぶ広い範囲に及ぶ。押掘川に流れ込む分水を指しているような気がする。

字田の沢小字藪を飛ばして、大字下影森○○番で住所を示せるんだから、字田の沢以降には、あまり集落も人も、多くはなかったと言うことだろうな。

さて、この本。

『秩父の地名の謎99を解く』という題名だけど、おそらくこの題名でだいぶ損をしている。まるで秩父限定の“地名学”の本であるかのよう。いや、そうとしか取れない題名だと言ってもいい。

副題に、『・・・秩父が分かれば日本が分かる』とあるが、それではまったく足りない。『日本の地名の謎を解く・・・秩父の地名を例として』くらいが良かったんじゃないかな。まあ、出版元が埼玉新聞社だからね。

それにしても、7割以上が山地という日本の地形。残る3割弱の平野にしたって、いわゆる沖積平野で、河川によって運ばれた土砂が堆積して出来たもの。

水は山を滝のように駆け下って、山が終わるところで扇状地を作る。次第に斜度がなくなると、水は少しでも低いところを求めてのたうち、氾濫原となる。さらに先に三角州で海に至る。結局、平野に出たって安心な場所があるわけじゃない。

どこに住んだって安心できるわけじゃないけど、まあ、それぞれの置かれた事情によって、少しでも“まし”なところを見つけて住んだわけだ。ただ、自分の住んでいるところにどんな危険があるかは、しっかり自覚した。

火山、地震、雨に風。場所場所によって、いろいろな違いはあるだろうけど、山と沖積平野からなる日本の国土からすれば、雨は恵みであるとともに、大いなる脅威でもあった。その危険にさらされるのは自分だけでなく、子や孫も同じ。それより先の子孫も同じ。何とかその危険を知らせなければならない。

そんな思いが地名にこもった。

ならば、自分の住むところを誇る地名も良いかもしれないが、子孫に危険を知らせる地名には祖先の必死な思いがこもっていると自覚すべきだ。

この本に紹介されている話なんだけど、とある町のマンション開発業者が、市議会に働きかけて地名の変更があったんだそうだ。谷・沼・池のような埋め立て地を示唆するような地名は敬遠され、地価が下がるという理由だそうだ。その地名は“谷津”と言ったらしいが、それを“秦の杜”に変更しようという働きかけだ。

反対意見もあったものの、結局、地名は“谷津”から“秦の杜”に変わったそうだ。ご先祖様の思いは、踏みにじられた。

話は変わるけど、最近、関東平野の終わる丘陵地帯の南向きの斜面を、太陽光パネルが埋め始めた。いや、どんどん進行している。本当に、心底腹の立つ。私は今、自分がぼけたら、必ずあそこに石を投げ込むだろうと心配している。


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幼なじみ『秩父の地名の謎 99を解く』 髙田哲郎

小学校の時の同級生に、大浜君という子がいた。

苗字の通り、身体の大きな子で、性格の上でも小さいことにこだわらない、まさに、大きな海を思わせるような子だった。ところが、この大浜姓、どうも海とは関係がないという。そりゃそうだ。だいたい、私たちの生まれ育った秩父には、海はない。山なら嫌というほどあるんだけどね。

もちろんのことながら、浜のつく地名は、海岸線に多くある。ところが、それが内陸部にも見かけることがある。秩父にある大浜という地名もそうだ。

関西地方では、河川の船着き場、荷下ろし場を浜と呼ぶこともあるそうだけど、秩父を流れる荒川は、市内でもまだ上流に属する。まして、浜地名があるのはさらに奥深い、渓谷の上流部である。

種明かしに寄れば、ハマはハガが転じたものであるという。オオハマは、オオハガということになる。ハガは、その意味を表わす適当な漢字は“剥”で、剥がれるのハガ。

渓谷の両岸に、剥ぎ取られたように屹立する、切り立った険しい崖。

それが大浜君の、隠された素顔だったか。

赤岩君は、小学校の校門の目の前に店を構える、赤岩肉店の子だった。顔がまん丸で、ほっめたが真っ赤で、前髪がまっすぐ切りそろえられた、とてもかわいいか男の子だった。

赤がつく地名は数々あるが、東京の赤羽には世話になった先輩が住んでいた。「ビーフラット」というカラオケスナックによく連れて行ってもらった。

赤羽は、赤埴(アカハニ)がアカハネに転じたもので、埴とは赤土や粘土のこと。赤羽は赤土で陶器を作る職人が多く住んでいたための地名だそうだ。

関東ローム層は、古代の富士山や浅間山の噴火で堆積した火山灰が酸化して赤褐色を呈している。赤羽は赤土の崖がむき出しになった場所であり、赤坂は赤土の傾斜地である。埼玉県の羽生は、もとは埴生である。

赤石、赤岩は、同じ赤でも、土のようにこねるわけにはいかない岩石。赤い色の岩石の目立つところで、赤い岩盤が露出した、あるいは、その色の岩石がゴロゴロしている渓谷だろう。

そんな渓谷の鋭さは、赤岩君からは感じ取れなかったが。



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秩父の地名は、一つ一つに秩父ならではの生活や文化、歴史が深く刻まれている
赤柴―河口・川沿いの水が運んだ石場から生まれた柴・芝地名
赤谷・赤屋・赤田・赤城―赤羽=赤埴と同様に赤い土の色から
阿熊―アグの付く地名の原点は“上ぐ”で高い所をいう
新志―新居・新井・荒井などと同様に、新しく開拓した土地
麻生―麻の自生地ばかりでなく、大方は湿地か大地の縁が崩れたところ
集人―狩人たちの祭祀の場
天沼―高知にある沼。または雨によって拡大縮小を繰り返す雨沼
新木―荒れ地を開墾する意味の古語「新墾」を残す地名
飯塚―飯を山盛りした形の飯盛塚を略したもの
伊古田―伊古田は類語をたどると池田にたどり着く
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高校の時の友人に、五十嵐君という生徒がいた。

押掘川を挟んで隣の地区の、和菓子屋さんが彼の家だった。五十嵐姓の発祥は新潟県三条市の五十嵐川源流の五十嵐神社だという。祭神は垂仁天皇第8皇子の五十日帯日子命(イカタラシヒコノミコト)である。神社名は「五十(イガ)」と読み、祭神は「五十日(イカ)」と読む。

この話は、秩父市太田にある伊古田という地名との関連で、引き合いに出されている。延喜式にのる古社として、摂津国に伊古田神社がある。現在の大阪府池田市で伊古田神社をイケダ神社と呼んでいる。どうやらイコとイケは同根で、横浜市緑区には池辺とかいてイコノベという地名がある。

皆野町三沢の五十新田はイゴニタと読む。これとの関連で、五十嵐が引き合いに出されているわけだ。そこから、イカ・イガを追いかけてみると、栃木県藤原氏に五十里(イカリ)・五十里湖(イカリコ)、新潟県相川町に五十浦(イカウラ)、同県三川村には五十島(イカジマ)、兵庫県山崎町には五十波(イカバ)、愛媛県には五十埼(イカザキ)町、石川県門前町には五十洲(イギス)などがある。

五十についている文字を見ると湖・浦・島・波・埼・洲と、いずれも水に関係している。皆野町三沢の五十新田(イゴニタ)の新田は、開発田を表わすのではなくニタ・ヌタという湿地帯を意味する。

秩父市太田の伊古田は、水たまりや溜め池の多い土地を表わす言葉で、池田、五十田と書かれていてもおかしくない地名ということになる。

好きになった女の子に、新井さんという娘がいた。

次男・三男が独立し、本村、本家から分離して新たに開拓した土地であると示す地名が、新居であり、新井であり、荒井という地名だそうだ。そこに寄って立った人たちが、それを苗字として名乗ったんだそうだ。


なんと、懐かしい友達の苗字をいくつか思い出しただけでも、地名や苗字というのは、これほどまでに奥深い。


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『シルバー川柳 8』

仕事辞めちゃったから、時間がいくらでもある。

何かしようって言うんじゃない。趣味と言えば、山登りと読書、それから“えへへ”くらいのもの。安定した天気が続くなら、山に入り浸るけど、そうでもなけりゃ、本を読んで一日過ごす。あとは、“えへへ”。

数年前から連れ合いと二人暮らし。一昨年、仕事辞めると話したら、「じゃあ、私は主婦やめる」と切り替えされた。

主婦やめる?・・・あなたは主婦だったのか。主婦ってなに?漢字から推しはかるのはやめよう。碌なことになるはずがない。私は仕事を辞めて、無職になる。この間、献血に行ったとき、過去のデータの職業欄の訂正を求めたら、「卒業ですね」と言われたので、「退職です」と応えてしまった。大人げないことであった。訂正してもらったら、職業欄が無職に変わった。

連れ合いは、主婦をやめて、いったい何になるんだろう。おそらく、職業欄に主婦という分類はないだろう。最初から無職だろう。無職の主婦が、主婦をやめても、無職に変わりは無い。

そんな、不明瞭な立場で、よく30有余年もやってきたもんだ。いや、以外とその不明瞭さに甘んじてしまえば、けっこう楽な立場なのかも知れない。

「主婦やめる」っていうのは、なんだろう。私は無職になって収入がなくなるから、収入に関して私に頼っていたからこそ甘んじて我慢していたことを、これからは我慢しないと意味だろうか。なら、甘んじて我慢していたというのは、何のことだろう。

私は、料理が好きで、人のために何かを作るのを厭わない。仕事を辞めて、今は、朝と昼は私が準備する。お勝手ごとに関しては、片付けまで含めて全部やる。連れ合いが起きてくる前に、庭の掃き掃除も済ませてしまう。

まだまだ家のことに関しては、“元主婦”に聞かなければ出来ないことがたくさんある。洗濯物はたたむ。庭木の剪定は、仕事をしているときからやっていた。繕い物が出来るように、息子の使っていた針箱をもらった。

今できることはやっているし、出来ることを増やしていこうとは思っている。・・・それにしても、“元主婦”が甘んじて我慢していたこととは、いったい何なんだろう。





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口コミ人気で、シリーズ累計80万部の最新刊、第8弾がいよいよ登場
「「インスタバエ」新種の蝿かと孫に問い」
「お揃いの茶碗にされる俺と猫」
「うまかった何を食べたか忘れたが」
「朝起きて調子いいから医者に行く」


退職を するなら私 主婦やめる

買替えも これが最後と 三台目

70代 あきらめきれず 免許証

薄闇の 影は老人 散歩中

還暦は 二度目ももはや 夢じゃない

「耳の中でセミが鳴いているよう」と、連れ合いが言い出したのは1年ほど前のこと。夜、気になって眠れないと。思いもよらないことに、「耳にセミ?」と、笑い飛ばした。だけど、顔つきが深刻で、医者に行くという。

後日、「できるだけ気にしないように」と言われたと、気落ちした様子。ネットで調べて、川のせせらぎのような音を流すと眠れるらしいことが判明。早速、CDを買ったら、よく眠れたという。

耳鳴りって言うのを意識した、最初の体験だった。よくよく考えてみると、私の耳の中では、ずいぶん前からセミが鳴いている。連れ合いに言われて、はじめてそれと分かった。

虫の声 耳鳴りのセミ 収まりぬ

五十肩 片腹痛い 六十歳 

先に行く 猫の姿に ホッとする

仕事を辞めて、1年と少し。老人たちの行動パターンが、少し見えてきた。できるだけ、お金を使わずに時間を過ごすことが重要なようだ。

朝、ご飯の前に散歩だな。夫婦で一緒に散歩をしている人もいる。家に帰ってからのことは分からないが、食事の準備、後片付け、洗濯、掃除なんてやってれば、まあ、9時近い時間になるだろう。図書館が開く。もう、利用しない手はない。私は、自分の予約した本が入った時しか行かないが、10時から11時くらいの時間は、新聞・雑誌の閲覧スペースは、ほぼ満員。11時を過ぎたら、今度はスーパーマーケットに行って、その日のお昼ご飯の買い出しだな。ゆっくり選んで、家に帰れば、十分午前中はつぶれる。

感染症の自粛期間、およそ2ヶ月ほど図書館が閉まった。新聞・雑誌の閲覧スペースにいた老人たちは、行き場を失った。今も閲覧スペースは、その3分の2が利用不能。スーパーマーケットに行っても、老人は戻りきっていない。

じつは、この『シルバー川柳 8』は、ずいぶん前に刈ってあったもので、2018年度発行のもの。おそらく、『シルバー川柳 10』が出てるんじゃないかな。そこには、今年の、このご時世を詠った川柳が、多く取り入れられているだろう。

読んでみたいな。



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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本






























































































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