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『齋藤孝のざっくり!万葉集』 齋藤孝

「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」

・・・、令和ってことですね。

中村草田男さんが「降る雪や明治は遠くなりにけり」と読んだのは、元号が昭和に移り変わってのことだそうです。大正ではないんですね。元号が大正に変わって、明治に生まれ育った人たちは過去に追いやられてデモクラシーを論じる時代になります。それでも世の中を動かしている人たちは明治の人たちで、懐かしむのは明治だったわけです。

それが昭和になる頃、明治の人たちはそろそろ第一線から引き、後進に道を譲ります。 彼らが明治を懐かしむのは同じでも、それは大正を懐かしむ影に隠れてのことになってしまいます。

昭和35年生まれの私も、今年の3月いっぱいで第一線を引き揚げました。4月で平成が終わって、5月からは令和になりました。しばらくすれば、平成が懐かしく思い起こされるようになるでしょう。そうなれば、私たちは昭和が遠のいたことを、強く意識することになるでしょう。

“中国”ではなく、日本の古典に元号の典拠が求められるっていうのは、とてもいいですね。なかでも、万葉集っていうのがいいとおもいます。

日本っていう国は、世界に稀な国。なにしろ古代と現代が、途切れずにつながっているって言われます。民族も、文化も、言語も、・・・。それこそ神話から現代までがつながっていると。

だけど、それにしては、神話の世界というのが曖昧模糊としすぎています。それに歴史がつながっているとはいいながら、日本の原型である大和朝廷っていうのがどのようにして成立したのかが分かっていません。正史としての『日本書紀』があるにも関わらず、ヤマト朝廷がこの国を支配する正当性を、そんないちばん大事なことを語っていない。

本当におかしなことです。・・・わけがあるに違いありません。



祥伝社  ¥ 1,650

令和の時代だから知っておきたい教養。古代の歴史・万葉仮名・鑑賞ポイント・万葉人の暮らし…。
第1章 仰天!国家プロジェクト―万葉集の編纂事業はこうして実現した
第2章 探訪!万葉仮名ワールド―やまとことばに漢字を当てるという「神業」
第3章 古代の歴史が透けて見える―後継者をめぐる血なまぐさい事件がてんこ盛り
第4章 恋の歌に知性キラリ―万葉人が歌で楽しんだ「恋愛ゲーム」
第5章 万葉人に共感―庶民の暮らし・思いはいまも同じ


これは建国に問題があるのではなく、『日本書紀』が書かれた時代に問題があるということになります。その、『日本書紀』の成立に大きく関わるころ、大和朝廷ではとんでもない事態が起こっていました。それがちょうど、《第3章 古代の歴史が透けて見えるー後継者をめぐる血なまぐさい事件がてんこ盛り》の時代に該当します。

聖徳太子という人物には実在感が乏しく感じます。さらに、その子とされる山背大兄王に関しては、さらに実在感が乏しいように思います。何しろ跡形もなく消えてしまうんですから。

大和には 群山あれど とりよろう 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立つ立つ 海原は 鷗立つ立つ うまし国そ 蜻蛉島 大和の国は

舒明天皇の国見の歌です。明るくて伸びやかですね。著者の齋藤孝さんは蘇我蝦夷が山背大兄王を支持する境部摩理勢を殺したことで、田村皇子が舒明天皇になれたことを取り上げています。蝦夷の専横がエスカレートしていく中で読まれた歌にしては、“音読して気持ちのいい作品”と言っています。

どうなんでしょうねぇ。おそらくこの時代の一番の焦点は、一つには律令の導入に伴う公地制への移行、もう一つが親百済外構から全方位外交への移行にあったと思うんです。蘇我政権こそ、それを進めていました。

山背大兄王は、このあと蘇我入鹿に滅ぼされたことになってます。改革への反動勢力であり、偉大な聖徳太子の子である山背大兄王を跡形もなく滅ぼした、非道な蘇我氏であるから、これを滅ぼす中大兄皇子と中臣鎌足に正義はあるというのが、正史『日本書紀』の主張です。

だとすれば、そんな状況でこんなにも明るさと躍動感に満ちた歌を読んだ舒明天皇は、どこか性格に異常なところでもあったわけでしょうか。

その天智天皇(中大兄皇子)と中臣鎌足体制を覆したのが、壬申の乱で二人の体制を継承した大友皇子をやぶった天武天皇ですね。天武によって改革は進められることになりますが、その後、天智天皇の娘の持統天皇と中臣鎌足の息子の藤原不比等が、天智・鎌足体制を継承・発展させるんですね。『日本書紀』はそのような状況で世に出ます。

本当のことを言ってるのは、『万葉集』の方でしょう。

『万葉集』には、まだまだ隠された魅力があるように思います。




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万葉仮名『齋藤孝のざっくり!万葉集』 齋藤孝

《和何則能尓 宇米能波奈知流 比佐可多能 阿米欲里由吉能 那何列久流加母》

縄文以来の“やまとことば”を漢字で表現したのが万葉仮名です。その時、日本人は、けっして大陸の言葉の構造は取り入れず、漢字だけを拝借したんですね。

中国文学の専門家の高島俊男さんが、著書『日本人と漢字』の中で、「日本語と漢字はもともと似ても似つかないもの。人間の結婚に例えるなら、「性格の不一致」も甚だしい。ところが長年連れ添ってきた以上、今さら分かれることもできなくなってしまった」って書いておられるそうです。

藤原正彦さんが、『祖国とは国語』っていう本を出してますけど、漢字仮名混じり文で書かれた日本語は、まさに私たちにとって祖国です。

冒頭の漢字の羅列は、万葉仮名で書かれた万葉集の和歌の一首です。大伴旅人の歌だそうです。旅人といえば、万葉集を編纂したとされる家持の父親ですね。藤原氏に目をつけられて大宰府に左遷されて、なんだか酒に溺れた歌を残してますよね。最後は屈したものの、“反藤原”は家持にも引き継がれて、万葉集にはそんな色合いが込められているとか。

ごめんなさい。冒頭の一首ですね。著者の齋藤さんは「一字一音だし、有名な歌なので比較的読みやすい」っていうけど、私には充分難しかったです。

漢字仮名混じり文だと、次のようになります。
《わが園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも》

どうも、万葉仮名というのは、平安時代には、すでに読めなくなっていたらしいですよ。万葉集は万葉仮名で書かれているわけですよね。成立が奈良時代末でしょ。家持の時代ですから。「鳴くようぐいす平安京」で、平安京遷都が794年です。斎藤さんは10世紀には読めなくなっていたと言ってますから、百年余りの間に忘れられていったということです。

10世紀初頭に完成した古今和歌集にはひらがなが使われているので、万葉仮名はそのあたりで急速に衰退したんですね。

その万葉仮名を丹念に解読し、私たちが万葉集に触れることができるようにしてくれたのが、江戸時代中期の国学者、賀茂真淵大先生ということです。賀茂真淵が万葉仮名で書かれた万葉集を解読し、後継者の本居宣長が古事記の研究を大成させてくれました。さらに折口信夫が、漢字仮名混じり文に口語訳をつけた『口訳万葉集』を出してくれたおかげで、万葉集は広く普及していったんだそうです。



祥伝社  ¥ 1,650

令和の時代だから知っておきたい教養。古代の歴史・万葉仮名・鑑賞ポイント・万葉人の暮らし…。
第1章 仰天!国家プロジェクト―万葉集の編纂事業はこうして実現した
第2章 探訪!万葉仮名ワールド―やまとことばに漢字を当てるという「神業」
第3章 古代の歴史が透けて見える―後継者をめぐる血なまぐさい事件がてんこ盛り
第4章 恋の歌に知性キラリ―万葉人が歌で楽しんだ「恋愛ゲーム」
第5章 万葉人に共感―庶民の暮らし・思いはいまも同じ


《石激 垂見之上乃 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨》

万葉仮名は、冒頭の一首のように音読みもしますが、同時に訓読みもするんですね。そこから、漢字仮名混じり文が生まれるんでしょう。だから、上の一首なんかは、漢字万葉仮名混じり文ということになるでしょうか。志貴皇子の歌ですね。

《石ばしる 垂水の上の さ蕨の 萌え出づる春に なりにけるかも》

“激”を「はしる」ってところが味噌ですね。“激”には「そそぐ」っていう読みも、昔はあったんだそうですよ。これを「そそぐ」って読むと、垂水はちょろちょろと垂れるように流れる水ってことになります。「はしる」って読むと、やはり、小さな滝のように激しい流れになりますね。斎藤茂吉は『万葉秀歌』の中で、「ここはこう読みたい」って、そんな言い方で後者を推奨しているんだそうです。

《東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡》

これになると、もう、最初から最後まで「こう読みたい」 の連続みたいな感じですね。

《東の 野に炎の 立つ見えて かえり見すれば 月傾きぬ》

異説もあるそうですが、私もこれが好きです。それにしても、“月西渡”を「月傾きぬ」って読むのって、なんか素敵ですね。

万葉集には防人の歌や東歌があります。庶民の歌ですよね。彼らが万葉仮名を操れたなんて、到底考えられません。誰がこれらの歌を収集したのか知りませんが、収集して、後に万葉仮名としての漢字を当てたわけでしょう。漢字を当てるまでは文字になってないわけですから、覚えていなきゃいけないわけでしょう。録音器具のある今とは違いますからね。

万葉集は4500を越える和歌があるんだから、それを思うと、本当にすごい財産を、私たち日本人は持ってるもんですね。




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『季語を知る』 片山由美子

高校三年の8月、夏休みも終盤に入ろうという頃、私は受験勉強から逃げ出しました。

「ちょっと山に行ってくる」と言ってでかけた先は、北アルプスの涸沢です。山岳部の一番小さいテントを持ち出して、それを張って、周辺の山を・・・、何ていうのかな。登るとか、山頂を極めるとかじゃないんですね。フラフラしてたんです。3日目、ヒュッテに幕営料を払いに小屋に行ったら声をかけられて、忙しい時間帯だけ手伝いをさせてもらったりもしました。もとがバカなもんですから、そのうち自分の立場も忘れて・・・、いや、分かっていたのに忘れたことにしておいて、涸沢に居続けました。

ある朝、朝食後の片付けも終わってお客さんを送り出し、ヒュッテから出て青く晴れた空に向けてそそり立つ山を見ていると、何かそれまでとは違う、爽やかな風が吹きました。ヒュッテに戻ってカレンダーを確認すると、その日は9月3日でした。

まあ、分かっていたことなんですが、逃げ回るのもそのへんが限界で、その日のうちに埼玉に帰りました。涸沢にいたのは、10日間だけでした。

あの風は、明らかに夏の終わりを感じさせるものでした。

それ以来、何よりもあのときと同じ爽やかな風と高い空に秋を感じます。

この本にも、秋の季語として、高い空が取り上げられています。“秋高し”、“天高し”と使われてるケースが多いそうです。「天高し、馬肥ゆる秋」という言葉がありますね。これは秋の爽やかさを称える言葉ではないんだそうです。「馬が肥える秋が来た。臭覚を狙って騎馬民族が侵入してくるぞ」という警戒の言葉だそうです。

ここで言ってる騎馬民族とは匈奴でしょうか、鮮卑でしょうか。いずれにせよ、警戒している側は、長城の内側に住む農耕民に違いありません。つまり、“中国”の話です。“中国”では古代において、すでに高い空に秋を感じていたんですね。

なんて考えながら読んでいたら、この本にはそのことについて書かれていました。たとえば『漢書』です。その中の《趙充国伝》に「到秋馬肥変必起矣」(秋に到れば馬肥ゆ、変必ず起こらん)とあるそうです。これから「到秋馬肥」という言葉が生まれ、「秋高馬肥」として伝わったんだそうです。

さらに、同じく『漢書』の《匈奴伝》には、「匈奴は秋に至って、馬肥え弓勁し」とあるそうです。騎馬民族は、どうやら匈奴だったようですね。


『季語を知る』    片山由美子

角川選書  ¥ 1,728

季語の歴史と本意を古今の歳時記を比較しながら丹念に考察 秀逸にして野心的「季語論」!
第1章 春の詞
第2章 夏の詞
第3章 秋の詞
第4章 冬・新年の詞
第5章 季語という言葉


俳句をやってみたいって、ずっと思ってて、なんか俳句を始めるにふさわしい本でもあればと、そのたびに読んで見るんだけど、いつもそれきりで終わってしまうんです。本気さが足りないんですね。

実は、この本もそんな、“本気さが足りない”適当な気持ちで買ってみたんです。しかし、“本気さの足りない”私のような者が読む本ではありませんでした。

季語を、それが季語として認識されるようになった時期にさかのぼって、古典で、時には“中国”の故事に求めて、どのように使われていたのかということを考証していこうという取り組みをまとめたのがこの本です。

上記の、「秋高し」にしたって、『漢書』にさかのぼって、北方騎馬民族匈奴の農耕地帯への侵入に、その源を求めることになったわけです。同じように、宇宙の底を見つめているかのようにどこまでも高い空に秋の到来を感じたとしても、それは匈奴侵入の脅威に直結する言葉だったわけです。「秋の到来」までは同じでも、そこから引き出されるのが、「爽やかさ」だったり、「実り」であったりする日本人とは違うもんです。

この本は、そこまで求めます。この本を入門書として俳句に入ろうというのは、ちょっとふさわしくなかったみたいです。

それにしても、「秋高し」ということがから「脅威」を思い起こした人々の感情は、高い空と爽やかな風に大学受験の現実に引き戻された私の状況に近いような気がするんですが・・・。

もう一つ、秋といえばさんま。不漁と言われながらも、スーパーで見かけるようになりました。それでもまだ高いですね。昨日は1尾200円で売ってました。150円を切ったら買ってみようかな。どうせだったら、河原に行って炭火で焼いて食べたいな。

いつ食おう 今日のさんまは 200円




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『俳句必携 1000句を楽しむ』 宮坂静生

ご先祖もこの台風で足止めか

ずいぶん大きな台風で、しかも、お盆を直撃とあって、盆休みの帰省であるとか、旅行であるとかに大きな影響が出てしまいました。娘の家族は娘婿の実家である徳島に飛行機で帰ると行っていました。だけど、今朝のニュースでは四国、中国地方への飛行機はみんな欠航になると行っていました。どうするんでしょう。

一三日に迎え火でお迎えしたのはいいけれど、明日の一六日にお送りできないと、いったいどうなるんでしょう。釜の蓋が閉まってしまっては大変です。

帰省する息子のために梨を買う

最近は、冷凍技術が上がって、夏の始まりの頃まで、そこそこ美味しい林檎が食べられます。だけど、ぎりぎり梨には間に合いません。朝、起き抜けの果物は、うちでは欠かせません。この間をつなぐのが、キウイフルーツ。最近は、ニュージーランドのものが安く出回るようになりました。

それでもお盆には梨が間に合いました。もう、うちの方の梨は美味いんですよ。爽やかな歯ざわりと、あのみずみずしさはまるで水の玉。

滝一つ越えた鼻先の蜻蛉かな

夏は沢登り。いやいや、二〇〇〇メートルを超えれば涼しいんだけど、そこまで行くのにお金がかかります。たまにはそんな贅沢もいいけれど、普段の遠出は控えましょう。かと言って地元の低山ではあまりにも暑いので、沢を歩いて、滝でもよじ登りましょう。誰もいない沢。時々、上の林道を走る車の音が聞こえる程度です。沢を誰から歩いていようとは、誰も知りません。

一人ですから危険は避けますが、大丈夫と踏めば、頭から水を浴びるような滝を思い切ってよじ登ります。「越えた」とは言え、まだ両手は岩を掴んでいます。そんな私の鼻先に蜻蛉。こっちが手も足も出せないのを知っているかのようです。



平凡社  ¥ 3,024

古今を行き来し、句の背景や作者の個性、日本の自然・文化・ことばの奥深い世界を紹介
新年 冬 春 夏 秋 冬
一月一日 二月二日 三月一日 四月一日
五月一日 六月一日 七月一日 八月一日
九月一日 一〇月一日 一一月一日 一二月一日
炬燵 雪 梅 雛 花・桜 時鳥 虹 蛍 七夕 盆
秋の風 望月 かなかな 秋分 小鳥来る 林檎
秋の暮 小春 切干 枇杷の花 一二月八日
聖夜・クリスマス 行く年 
[季語の橋]
新年から冬へ 冬から春へ 春から夏へ
夏から秋へ 秋 晩秋から歳晩へ


この本の著者の宮坂さんは、日本農業新聞に俳句鑑賞のコラムを書いているんだそうです。

この本は、平成二一年から一〇年の間に、宮坂さんがそのコラムに取り上げた一五〇〇余句の中から一〇〇〇余句の俳句鑑賞コラムを一冊にまとめたものだそうです。

日本農業新聞には週に三回掲載されているそうです。その中で、宮坂さんは、新聞を朝、手にする農家の人たちに「おはよう」と呼びかけるようなつもりで書いているものだそうです。実際、農業や農業を取り巻く自然に関する俳句が比較的多くなっているそうです。俳句は、もともと季節の移り変わりにともなう心の動きを表すことが多いものです。

宮坂さんは、そのあたりを、「もとより俳句は、こころの表現である。私の思いや考えが季節の移ろいや社会の変化に触発され、ことばにいのちが託される」とおっしゃってます。

時々、思うんですよね。私もその時時のこころの動きを俳句にしてみたいって。季節の移ろいを感じるのは、私だって感じるんです。農業で暮らしていれば一番なんでしょうが。農業を職業としてない私では、農業に触れるのはスーパーの野菜置き場くらいのものです。出来る限りスーパーで農業に触れて、季節のものを食べるようにしたいと思います。季節外れのものが並んでいることも少なくありませんが。

山に行くのに季節を感じますね。そんなときのこころの動きを言葉で表せばいいんでしょうけど、言葉にこだわる習慣を持たずに来ちゃいましたので、なかなか難しいですね。せめて、人の読んだ良い句に触れて、なんとなく真似でもしてみましょうか。

それにしても今日は八月一五日

これじゃ俳句とは言えないのかな。この日付だけで、どうしたってこころが動くのは間違いないんですけど。




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責任回避『不都合な日本語』 大野敏明

投票日は明後日ですか。明日あたり街に出かければ、アチラコチラで演説会にぶつかるかもしれません。

そんなときに参考になるかもしれない話が載ってました。大学や高校の弁論部に入ったりすると、最初に先輩から言われることの一つに、「修飾語をすべて省いて話してみろ」というのがあるんだそうです。

選挙演説でよくありそうな修飾語というと、「本当に」と「しっかり」。下手な候補者の中身のない演説ほど、「本当に」と「しっかり」が多用されるそうです。そして最後は、「頑張らさせていただ」くんです。

《私は国民の皆様の生活が、本当に保障された、本当に豊かで本当に明るい社会をしっかりと建設していくことが、本当にわが党と私に課せられた最大の使命であると、しっかりと訴えさせていただきたいと思います。最後の最後まで本当にしっかりと頑張らさせていただきます》

あ~、くどくどしい。その上、この「させていただく」って言い回しが、嫌いなんです。嫌いというか、間違いですね。「さ」が余分です。「さ」入れ言葉、専門用語では過剰修正って言うんだそうです。上記の「頑張らさせていただきます」なら、「頑張らせていただきます」が正しいわけです。

弁論部なら、以下のようになりますね。

《私は国民の皆様の生活が保障された、豊かで明るい社会を建設していくことが、わが党と私に課せられた使命であると思います》

似たような言い回しで、「務めさせていただく」とか、「引受させていただく」なんていい方があります。なんで、「務めます」「引き受けます」じゃないんだろうと思うんです。

なんか、言葉の中に見えるはずの人の存在が薄いです。

第三者を権威として登場させて、その依頼、あるいは許可を前提にしたような言い方です。そこに責任が預けられているんですね。

大したことじゃないのに、責任を取らされることが怖いんでしょうか。言葉の端々に、突っ込まれたときのための保険がかかってるような言い方が増えてます。なんか、いやらしく感じます。ビビリから始まったそんな言葉が、いつの間にか肩で風を切ってあるいてますから、自分もいつの間にか使ってたなんてことにならないように、気をつけてはいるんですが・・・。



展転社  ¥ 1,728

現在の日本語」を取り上げながら時局を批評し、おかしな現代社会を痛快にぶった斬る
序の巻
「であります」は陸軍ことば
「シナ」はなんで嫌われる
「マジっすか」はマジ? ほか
破の巻
ばっくれる

適材適所 ほか
急の巻
藩属国
太平洋戦争
参議院 ほか

「コーヒーで大丈夫でしょうか」って、確認されたんだそうです。

この本の著者の大野敏明さんがです。大野さんは、コーヒーを頼むと、なにか大丈夫ではないことが起こるんだろうか、と考えてしまったそうです。あるいは、ウェイトレスさんは“私”がコーヒーを飲んではいけない病気か何かをしているのではないかと察して、聞いたのかもしれない。それとも、今日はコーヒーを飲んではいけない日にあたっているのかな。・・・などなど、いろいろ考えた挙げ句に、つい、「大丈夫です」と答えてしまったんだそうです。

これは、恥ずかしいですね。大野さんは、どんなウェイトレスさんの杞憂を晴らすために、「大丈夫です」と答えたんでしょうか。

「私はコーヒーを飲んではいけない病気ではないので大丈夫です」でしょうか。「今日は男はコーヒーを飲んではいけない日ですが、私はオカマなので大丈夫です」でしょうか。

だいたい、喫茶店でコーヒーを頼んで“大丈夫”でない何かがありえるでしょうか。

あります。このウェイトレスさん、ボーッとしてたもんで、“たぶんこのお客さん、コーヒーを注文したと思うんだけど、ココアだったかもしれない。一応確認しておこうかな”。「お客さん、コーヒーで大丈夫でしょうか」

「コーヒーでいいですね」、「コーヒーで間違いございませんか」と言えばいいところ、ここでも責任の所在を相手側に押し付けているんですね。《大丈夫か、大丈夫でないかは、私の責任ではありません》ってところです。

この「大丈夫ですか」ってのは、教員でも若い人たちは抵抗なく使ってます。「**さんのお宅で大丈夫でしょうか」とかってね。「頑張らさせていただきます」なんて言ってないでしょうね。真逆ね。

“まぎゃく”じゃなく、“まさか”って読んでね。




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『生きる力』 種田山頭火

三月いっぱいで、仕事をやめました。退職です。

大学を出てから、ずっと公立高校の教員をやってきました。“先生”になるのは小さい頃から考えていたことなんですが、・・・よく考えると、母の洗脳だったかもしれません。なにしろ、男三人兄弟のうち、長男と三男の私の二人までが教員をやってるのは、どうも偶然とは思えません。

それにしても、教員、とくに“高校の先生”ってのは、私にあっていたと思います。子どもの頃から本を読むのが好きで、中でも歴史に関わる本が大好きでした。性格といいますか、どうも好きなことではないことに我慢して取り組もということができない質なんです。高校二年の通知表なんか恥ずかしいばかり。世界史と体育が“5”で、あとは全部“2”。留年しなきゃいいやってやつですね。そんな私ですので、好きな歴史のことを高校生に語って仕事になるなら、願ったり叶ったり。好きな山歩きも山岳部の顧問に活かせました。若い未熟者たちと真剣に向き合うってのも、好きなことの一つでしたしね。

高校の歴史の先生として、同時に山岳部の顧問として、若い人たちと向き合ってその成長を促していくという仕事は、やりがいのある仕事でした。

ただ、学校っていうのも、結構めんどくさい場所でした。日教組っていうのが幅をきかせてました。私も左寄りの時代はありましたが、イデオロギーがかると、好きな歴史がつまらなくなるんですよ。家族や、好きな本のおかげで路線を修正しましたが、日教組が後退したら、今度は教育委員会がなんだかんだと・・・。

それやこれやというのも、結局は世の移り変わりなんですね。まあ、自分に向いていると思った仕事も、いつの間にかね。生徒のことでムキになると、損しちゃうっていうんです。今や学校の仕事っていうのは、本末転倒です。

それに、教員になって十数年で、変形股関節症の痛みで山に登れなくなったんですが、一昨年の手術で、また山に登れるようになりました。若い頃の山を取り戻すことはできないけど、この四半世紀の空白を取戻せないことは分かってるんですが、山を歩きたくて、仕事なんかやってる場合じゃなくなっちゃいました。

・・・で、退職です。


『生きる力』    種田山頭火

春陽堂書店  ¥ 1,512

生きていくことが虚しいと思った時。 山頭火の句は、心にぽっと灯りをともしてくれる
一人自分を見つめる
水の如く生きる
「死」をうたい「生」へ歩む
自然とともに暮らす
ふるさとを想う


若い頃から山頭火に惹かれたのは、その自然の中を歩く姿に自分を重ねることができたからかもしれません。辛い時でも、山頭火の句に支えられたことも少なくありません。

私は、歩いている山頭火の句が好きです。山頭火の句の多くは、歩いている山頭火のによって詠まれているものですが、いかにも、歩いていることがまざまざと頭に浮かぶような句が好きです。

どうしようもない私が歩いている

水音のたえずして御仏とあり

かすんでかさなって山がふるさと

この本は、種田山頭火のふるさと、山口県防府市に、《山頭火ふるさと館》がオープンしたことをきっかけの一つとして、山頭火の歌ににじみ出る「生きる力」を、多くの人に届けようと編纂されたもののようです。ですから、“山頭火ふるさと館”の編集となっています。

さらに、最終章には《ふるさとを想う》という名前がつけられ、山頭火のふるさとへの想いを詠んだ句が集められています。

私は、“帰れない”わけではありませんが、やはり“ふるさと”への想いは格別です。私の生まれ故郷は山里なので、ついつい私は“峠”に来ると、“ふるさと”を想ってしまいます。

わかれきて峠となればふりかえり

そして、やはり、・・・

故郷を忘じ難し、そして留まり難し




一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

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あなたへ『生きる力』 種田山頭火

先日、高倉健さんの最後の主演映画となった《あなたへ》という映画を、テレビで放映していたのを見ました。
北陸の刑務所で指導技官として勤務する倉島英二(高倉健)のところに、亡くなった妻・洋子(田中裕子)が生前にしたためた1通の手紙が届く。そこには故郷の海に散骨してほしいと書かれており、英二は洋子が生前には語らなかった真意を知るため、車で彼女の故郷・九州へと向かう。その道中で出会ったさまざまな人々と交流するうちに、妻との思い出が頭をよぎり……。

あらずじは、シネマトゥデイのものを借りてしまいました。この二年後に、高倉健さんは亡くなるわけですね。そうそう、同時にこの映画、個性的な漁師役で登場する大滝秀治さんの遺作でもあるそうです。

生前の妻の思いを追いかけて、その故郷である平戸に旅する高倉健さん演ずる倉島英二が、旅の途中で何人もの人と出会うんですね。行きずりの、それらの人の人生に、亡き妻と過ごした日々が重なっていきます。

キャンピングカーで旅するビートたけし演ずる杉野輝夫が、どうやら倉島になにかを感じたようなんです。“関わろう”としてくるんですね。同じオートキャンプ場に車を入れた二人が、夕日を背景にテーブルを挟んで座ります。退職した国語の先生だという杉野が倉島に山頭火の話をします。

「松尾芭蕉は旅。山頭火は放浪」「旅には目的がある。放浪にはそれがない」「旅には帰る場所がある」

そして、持っていた山頭火の草木塔を倉島に渡すんです。

その後、二人は再会します。しかし、倉島の目の前で、杉野は警察官に逮捕されるんです。なんと杉野は車上荒らしの常習犯で、どうやら手配が回っていたらしいんです。杉野が倉島に“関わろう”としたのは、そういうことだったんでしょうか。


『生きる力』    種田山頭火

春陽堂書店  ¥ 1,512

生きていくことが虚しいと思った時。 山頭火の句は、心にぽっと灯りをともしてくれる
一人自分を見つめる
水の如く生きる
「死」をうたい「生」へ歩む
自然とともに暮らす
ふるさとを想う


杉野は倉島に、自分と同じ、放浪の質を見たんではないでしょうか。

杉野は放浪を続けるために、車上荒らしを繰り返していました。国語教師の話はともかく、定年後は一緒に日本中を回ろうと語り合った妻に先立たれたというのは、本当のことではないでしょうか。そして彼は、妻の死によって帰る場所を失ないました。

「旅には帰る場所がある。」

妻を失った彼は、キャンピングカーで、妻と回るはずだった日本中のいろいろな場所を回り始めます。そして、いろいろな場所を回るうちに、彼は気づくのです。自分には帰る場所がないことに。

放浪のための放浪が続くうち、彼はその放浪のために車上荒らしを始めます。繰り返し繰り返し、人の車を漁る杉野。彼にとっての放浪は、妻への思いを断ち切れていないところにあるように思えます。

そんな時、杉野は倉島にあいます。最初は、いつもの通りの目的で、“関わろう”としたんでしょう。しかし、生前の妻の思いを追いかける倉島に、杉野はかつての自分の姿を見るわけです。そして今は、ひたすら車上荒らしを繰り返しては放浪を続ける自分の惨めさに打ちひしがれ、杉野はあらためて思ったんじゃないでしょうか。

妻のところに帰ろうと。

警察に捕まったのは、彼なりの方法によって放浪を終わりにするためだったでしょう。倉島はと言えば、山頭火の『草木塔』を託されたからには、彼は放浪するのでしょう。でも、その放浪は、杉野の放浪とは、少し違うものになるように思えます。

この映画、見るものの想像力とその方向性によって完成されるタイプの映画のようです。

とりあえず、私なりの完成には至りましたので、原作を読んでみようかな。

・・・『生きる力。』という本からは、離れた話になっちゃいました。すみません




一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

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『知っておきたい教科書に出てくる故事成語3』 全国漢文教育学会

この本は、インターネットで買っちゃったんです。

「買っちゃった」っていう言い草はないですね。“買いました”。副題に、『歴史から生まれた言葉』とあったもんですから、ついつい衝動的に、“ポン”ってことです。

衝動的に“ポン”といえば、ただ一度の“ポン”で、滝のような冷や汗を流したことがありました。ただのビギナーズラックだった大穴馬券を自分の博才と勘違いした私が、JRAの電話投票権を手に入れて、今に比べるとばかに大きなノートパソコンを購入し、パソコン通信で馬券を買い始めた頃の話です。

当時は、とにかく穴馬を見つけて、倍率の大きな馬券ばかりを狙っておりました。データを収集し、いろいろな角度から光を当てて穴馬探しに奔走しました。いろいろな本を読んで、血統にも関心をもつようになっていきました。そこまで深入りするのは、もう少し後のことなんですが、ことはパソコン通信で馬券を買うようになった間もなくのことでした。

そんな傾向の馬券購入でしたので、どうしても堅い馬券を買う仲間を鼻で笑うようなところがあったんです。何年だったか、すぐ出てきませんが、菊花賞でビワハヤヒデが買ったレースです。その菊花賞には期待できる穴馬がいたんです。単勝三〇倍を超えるステージチャンプという馬でした。私はステージチャンプこそ、世代一番のステイヤーだと信じ、三〇〇〇メートルの菊花賞こそ本領発揮の場と、大勝負に臨みました。

私は、ステージチャンプに一〇万円と入力し、“ポン”です。もし来れば今までにない大儲けです。大金持ちジャー。とんでもない、「取らぬ狸の皮算用」でした。その“ポン”の直後、おかしな違和感がありました。・・・数字が違う。私がステージチャンプのつもりで打ち込んだ数字は八番(実際には何番だったか覚えてません)。競馬新聞でステージチャンプの馬番を確認すると、・・・なんと一二番(実際には何番だったか覚えてません)じゃありませんか。

なんの勘違いだったか、今はもう思い出せませんが、とにかく違う馬券を買ってしまいました。「ええっ、じゃあ、八番は?」・・・八番は、一番人気のビワハヤヒデでした。ビワハヤヒデは、単勝二倍ちょっと。当たれば二十万になりますが、・・・。もちろんその瞬間から、ビワハヤヒデ応援団です。これまで自分が鼻で笑ってきた、堅い馬券を買って大騒ぎする人物になっておりました。

レースが始まると、好位差しのビワハヤヒデの安定したレース。にもかかわらず、この緊張感はなんでしょう。堅い馬券に大金を突っ込むことの恐怖が、ようやく、この時わかりました。さらに、四コーナーでは前の馬を捕まえにかかって直線に、ってところで、なんだか後ろからすっ飛ばしてくる馬がいます。ステージチャンプです。「く、く、く、来るな-」

結果からすれば、ビワハヤヒデの圧勝で、突っ込んできたステージチャンプは二着止まり。この時から、堅い馬券をばかにするよう
なことは、絶対にしないと誓いました。・・・一体何をくだらない話をしてるんでしょう。



汐文社  ¥ 2,367

語彙力アップのために、おぼえておきたい故事成語。基本的な表現、意味や出典を紹介
臥薪嘗胆
漁夫の利
鶏鳴狗盗
捲土重来
呉越同舟
虎穴に入らずんば虎子を得ず
ほか

そうでした。この本を、インターネットで“買っちゃった”話でした。

この本、小中学生向けの本でした。全国漢文教育学会というところが出している本ですね。「我が国の漢字漢文教育の充実発展をはかり」っていう団体のようです。研修会のテーマっていうのを見たら、なんだか結構面白そうです。湯島聖堂や二松学舎でやってて、一般でも参加できるみたいですね。

とりあえず、この本は、『知っておきたい教科書に出てくる故事成語』というシリーズの三冊目。1が《生き方を考える言葉》で、2が《学びを深める言葉》で、この3が《歴史から生まれた言葉》ということになります。

3の《歴史から生まれた言葉》で紹介されているのは、一四の故事成語。それぞれ、今の小学生や中学生の立場でも分かりやすいように、「こういうケースで使う言葉だよ」って、その故事成語が使われる現代的な場面が紹介されてます。もちろん、出典も分かりやすいです。

《四面楚歌》の、小中学生にも分かりやすい現代的な場面花んだと思います?
さくらさんはスポーツ観戦が大好きで、いつかお気に入りのチームの試合を会場まで見に行こうと思っていました。夏休みにお父さんに頼んでチケットを取ってもらったさくらさんは、期待で胸が一杯になりながら試合会場に向かいますが、そこで大変なことがわかりました。なんと、お父さんが取ってくれたのは相手のチームの応援席だったのです。

当然、周りにいるのは相手チームのファンばかり。お気に入りのチームを応援するわけにもいかず、さくらさんはがっかりしながら試合を最後まで見たのでした。

息子が学生の時、東京ドームでアルバイトをしていたんですが、巨人阪神戦で、阪神応援席側の係になると、帰ってからの話の面白かったこと。もしもその中に、巨人ファンとして紛れ込んだりしたら、本当に無傷では帰れそうもないと言っていました。

今思うと、これらの言葉は、やっぱり子供の頃に頭に入れておくのが良いですね。




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『物語を忘れた外国語』 黒田龍之助

司馬遼太郎が懐かしいな。

明治維新や戦争の時代の捉え方に異論を呈されることもありますが、時代と人の関わりを書かせたら、とにかくうまくて、多くの人を歴史に惹きつけました。

昔からちょこちょこ読んでたんですが、肺気胸で入院生活を強いられた三五歳の時、連れ合いに図書館の司馬遼太郎全集を第一巻から借りてきてもらって読み始めたら止まらなくなって、五十数巻ある全集を全部読んでしまいました。『胡蝶の夢』はその時に読んだんだと思います。

まあ、幕末青春群像って言えばいいんでしょうか。主人公といえば、医の道に生きる松本良順ということになるでしょうか。ただ、良順を描くのがこの物語の主題じゃなくて、なんて言えばいいんでしょう。本当の主役は、“時代”の方って言えばいいんでしょうか。

この物語の主な登場人物として、良順に並んで書かれているのが、蘭方医の関寛斎、もう一人が語学の天才である島倉伊之助でした。その時は、「はあ、ここまでの語学の天才ってのが、本当にいるんだ」って思ってました。

でも、本当にいたんですね。そして、今も。

この本の著者の黒田龍之助さんという方は、まさにそうでしょう。もともとが、ロシア語の先生みたいですね。大学で教えるだけじゃなく、テレビやラジオをロシア語講座をやってる人だって言うんだから、それだけですごいです。

ところがそれだけじゃなくて、英語の先生としても大学で教えてて、ウクライナ語やベラルーシ語の参考書を出していて、フランス語、イタリア語、ドイツ語に関するエッセイを書いていて、チェコではチェコ語で公園をしたっていうんですよ。ボ・ボヘミアン。

「読むならウクライナ語が楽で、小説に限って言えばフランス語のほうが親しんでいる。旅行会話ならイタリア語、セルビア語、クロアチア語に根拠のない自信を持っている」というのは自慢なのか。

こういう人は、伊之助同様、“天才”ということにしておきましょう。そうでもしないと、最近、日本語すら危うい感じの時分が惨めになります。


『物語を忘れた外国語』    黒田龍之助

新潮社  ¥ 1,728

いつもかたわらに物語を。小説や映画と一緒なら、語学はもっと面白い!
犬神家の英文講読
ボッコちゃんの動詞活用
横道世之介の和仏辞典
細雪のウクライナ語?
砂の器の日本語の器
スウェーデン語の謎
モルバニア国へようこそ!
エストニア語行き星の切符
マイ・フェア・言語学者?
太陽系共通語のルーツ
ほか


外国語ができる人には、できない人間にはない世界の広がりがあって、その分、人生の楽しみっていうのも、自然と豊かになっていくようですね。

自分が日本語で読んで親しんだ本が、外国語に翻訳されて出版されていて、それを読む機会があるなんて、面白そうですよね。いまさら私が面白そうだなんて言ったって、もうどうにもなりませんけどね。

黒田龍之助さんがチェコ語での講演を依頼された際、今ひとつ自信の持てないチェコ語に慣れるために読んだのが、少年の頃から好きだった星新一だったそうです。こういう楽しみがあるなんて、羨ましいですね。

そのうち仕事でも必要になるらしくって、息子なんかはTOEICっていうんですか。いい点数を取るためにいつも勉強をするようにしているようですけど、黒田さんは、そういうのには馴染めないっていうんです。「日本の外国語学習は体育会系だ」って。

「TOEIC対策問題集とか、およそつまらない教科書を使っている。そういうものが推奨される不幸な時代である」ですって。

そういえば、福沢諭吉はアメリカに行って、女をナンパしてましたね。

黒田先生は面白い映画やドラマを見たあとで、その原作を読むんだそうです。映画やドラマをDVDで何回も繰り返してみて、その上で原書を読むんだそうです。分からないところがあったら、どうすると思います。分からないところがあったらね、読み飛ばせばいいんだそうです。

「テストをされるわけでもなければ、邦訳を出版するわけでもない」って。自分が楽しめればそれでいいってことですね。

しかも、先生は、それを仕事としてできるってことを、喜んでおられます。楽しめればそれでいい。・・・確かに体育会系ではないですね。

私、語学はさっぱりですが、面白いエッセイ集でした。




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『からだのことば』 立川昭二

時価の本で、何度も記事を書くのは、なんだか恥ずかしいですね。

ただ、先日は、あとになにを続けようか悩んでいるうちに、わけがわからなくなって、中途半端なままでブログにさらしてしまいました。だけど、なんと言ってもいい本ですので、古本屋や図書館で目にしたら、ぜひ手にとっていただきたくて、恥を忍んでもう一度取り上げます。

著者の立川昭二さんは、今の若い人たちが“身体感覚”を失いつつあることを、心配してらっしゃいます。今日、「からだことば」が消えていきつつあるのは、その言葉にある“身体感覚”に共感することができていないということのようなんです。理解できないと、そういうことのようです。

雑誌『広告批評』が、《からだことば体力検定》と銘打って、若い人たちのからだことばの理解度を調べたことがあるんだそうです。以下に、それぞれのことばの正解率を紹介します。

《尻が長い》二九.六%
《尻をまくる》八.五%
《舌を巻く》四二.三%
《足が出る》五二.一%
《目から鼻に抜ける》一六.九%

んんん、分からないんですか。この程度の言葉が。

そういえば、私はどうやって、これらの言葉を身に着けたんでしょう。なんだか、当たり前の言葉過ぎて、なかなか思い当たりません。読書だったら、今の若い人たちだってしてるでしょう。

《身体性を失いつつある時代そのものの空気》というものを、立川さんは問題視されています。その、“時代の空気”って、一体何でしょうか。

飛躍のように思われるかもしれませんが、私は世代間の断層だと思います。今の日本には、世代間の断層があると思います。なぜ、世代に断層が生じたのか。やはり、家が崩壊したことが、大きく影響していると思います。

二〇代までは、ただただ、煩わしいだけだった“家”だったり、“地域”だったりでしたが、その“家”だったり“地域”だったりが果たしていた社会的な役割は、実はとてつもなく大きかったんだと思うんです。それを戦後の民法学者さんたちが、寄ってたかってぶち壊して、個人を“家”や“地域”から解放しちゃったんです。


早川書房  ¥ 時価

身体観をはらんだ「からだ」に関わる言葉から日本人像を浮かびあがらせる快作
第1話 からだことばが消えていく
第2話 「腹がたつ」「頭にくる」「むかつく」
第3話 「腹」と「胸」、神経とストレス
第4話 「気」と「息」、からだといのち
第5話 「肌感覚」と「皮感覚」
第6話 「肩」の心性史
第7話 「足」の文化、「腰」の文化
第8話 見る、視る、観る、診る、看る
第9話 聞く、聴く、訊く、効く、利く
第10話 ふれる、なでる、抱く、包む
第11話 ピアノをひく、風邪をひく、汗がひく
第12話 「からだ」「肉体」、そして「身体」
第13話 身のこなし、身にしみる、身をまかす
第14話 「気持ちいい」生き方
第15話 「疲れ」社会、「痛み」人生
第16話 ことばの治癒力
補講 作家とからだことば

高校生あたりまでの学校に通っている子どもが、いじめを始め、なにか命に関わる事件を起こしたりする嫌な出来事が少なくありません。そのたびに先生方は、「命の大切さ」がどうのこうのと始まります。お定まりの言葉ではありますが、そう言われては、反論はできませんです。だけど、先生方の努力も虚しく、同様の出来事はいっくらでも繰り返すんです。

本気で関わろうとしないから、・・・って言ってしまっては先生方に申し訳ないけど、先生方が子どもたちに本気で関わろうとしたら、そのうち首になっちゃいますから仕方ありません。

“地域”も関われません。連れ合いと一緒に歩いているときに、バンバン空ぶかしするうるさいバイクが来たので、「うるせぇな!」って言ったら、連れ合いに怒られちゃいました。“家”はどうでしょう。だめですね。私たちが子供の頃のような“家”は、もうありませんからね。

今の子供は、本気で関わってくれる大人が、あまりに少ないんじゃないでしょうか。本気で関わってくれる人を通して、私たちは“身体感覚”を身に着けていくんじゃないでしょうか。人に関わるって、たしかに本当にめんどくさいものです。だけど、それを通して、私たちは“身体感覚”で社会を成り立たせていたんじゃないでしょうか。

“肌”という言葉に関わる考察が面白かったんです。現代の人たちは「皮感覚」の人たちが増えていて、「肌感覚」が失われているのではないかというのです。

だけど、夫婦とか親子っていうのは、たしかに「肌感覚」の関係ですよね。「肌感覚」の人が、もしも失われれば、“身”を切られるように辛いわけです。だけど、「皮感覚」の関係なら、誰が死んでも何でもありません。「肌感覚」だから、“腹”も立つし、“頭”にもきます。本気だから、先生だったらひっぱたくかもしれない。だけどそれをやったら、先生は首です。

「一肌脱ぐ」、「肌が合う」、「肌に馴染む」、「肌を許す」。

“肌”のつく言葉は、自分の深いところから湧き上がる相手への想い、相手に対する本気の気持ちを現しているんですね。




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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本
































































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