めんどくせぇことばかり 本 その他
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『妻と私』 江藤淳

死と競うように看病は続く。甘美な思い出、底知れぬ苦悩。そして妻が逝った時、自らも死の淵に立つ。生死の深淵を描く感動的作品。

江藤淳が『妻と私』を書いていることは、ずいぶん前に知っていた。確かではないが、江道淳が自殺して間もない頃に、この本の存在を知ったと思う。いつか機会があれば読みたいと思っていたが、最愛の妻の死を看取る、おそらく実際にあった状況をそのまま書いたであろう話しとなると、本屋で目にしても手を出しそびれていた。

この本は、古本屋で見つけた。今度は、すっと手が伸びた。今まで、手を出しそびれていた時とは、やはり色々なことが変ったのだ。私たち夫婦の四人親はすべて見送った。子どもたちは独立し、時々孫を連れて顔を出してくれるが、“妻と私”二人きりの日常が続いている。

もう、“私たちの順番”が巡ってきていた。どちらが先になるか知らないが、明日それが訪れても誰に文句を言うわけにもいかない、そういう年齢になっていたということだ。

大きさは四六版、ハードカバーの単行本で、平成十一年八月二十日第五刷発行とある。装幀は中島かほるさん。装画には渡辺明さんの「風景の彩」の部分が使われている。中程のページをめくってみると、見開きの端は三センチほどまで外からの日焼けが染み入って、鼻を近づけると古本独特の香りが漂う。

本棚に立てて置いてみれば、白地に銀色で書かれた「妻と私」という題名は外からの光を反射して不明瞭で、どこか儚さ、あるいは危うさを感じさせる。装画が見えなくなるが、こうして立てて置いてもいい。

最後のページに丸に“杉”のサインがある他は大変きれいで、古本らしい貫禄がある。本として、格好いい。


『妻と私』    江藤淳

文藝春秋  ¥ 時価

人生を連れ添って生きてきた最愛の妻が、余命半年と末期癌を宣告されて
一~十
エピローグ


十一月に奥さまを見送って、直後にご自身も生死の淵をさ迷う。ようやく退院にこぎ着けたのは、年が明けてからのこと。妻の死を書き残そうと書き始めたのが二月五日で、書き上がったのが三月十四日。文藝春秋平成十一年五月号に掲載され、大きな反響を生んだそうだ。単行本の“あとがき”には、五月十三日という日付が書かれている。

江藤淳は七月二十一日に亡くなっている。奥さまが亡くなってからは、この本を書き上げるためだけに生きていたと言ってもいいだろう。

「心身の不自由は進み、病苦は堪え難し」。梅雨明け前の雷雨の夜、文芸評論家の江藤淳氏はこう書き遺して自裁した。昨年11月に最愛の妻であり、執筆活動を支えてきた慶子夫人を失い、今年6月には自らが軽い脳梗塞で入院するなど、心身ともに疲れ果てていたのだろう。読者に向けた「遺書」とも読める本書は、江藤氏自身が「どうしても書きたい」と望んだものだったという。

奥さまが最後の時を迎えようとする病室。そこでの夫婦の濃密な時間は、”生と死の狭間”に過ぎたのか。江藤淳は、そうではないと、のちに気付いた。やがて妻が死んだ後は、自分はひとり、日常的な実務の時間に帰ると思っていたのは、あまりにも軽薄極まる早計であったと。

自分は“生と死の狭間”ではなく、“死の時間”に長く、深く浸りすぎた。自分は今も、死の時間に浸ったまま、絶望的に生きている。

そして江藤淳は、またあの病室に戻っていったのか。


テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『えんとつ町のプペル』 にしのあきひろ

妻が以前読んで、私に勧めてくれた本。

絵本だからいつでも、思いついたときにサッと読めると、少々軽く見ていた。絵本の棚に並べておいたら、案の定、そのまま忘れてしまった。先日、ふたりでテレビを見ていたら、この本を書いた方のことが話題に取り上げられて、「そう言えば、読んだ?」と問いかけられた。

私は何のことか分からず、「済みません、一体何のことでしょうか」と問い返すと、「ほら、お笑い芸人さんが書いた絵本が話題になったことがあったでしょう。なくしてないでしょうね」とのこと。

まずい。嫌な汗が浮かんできた。「記憶にございません。・・・いや、ございます。ここにございます」と、ギリギリセーフで、絵本の棚から取りだした。《2020年10月30日 第52冊発行》とある。なんと、2年半も眠らせてしまった。

妻に呆れられながら、部屋に置いたロッキングチェアをいつもより若干大きくゆらしながら、二年半眠らせたこの本を読んだ。


『えんとつ町のプペル』    にしのあきひろ

幻冬舎  ¥ 1,980

ペン一本で描いたモノクロ絵本を、完全分業制によるオールカラー絵本へ
他の誰も見ていなくてもいい。

黒い煙のその先に、お前が光を見たのなら、行動しろ。思い知れ。そして常識に屈するな。お前がその目で見たものが真実だ。

あの日、あの時、あの光を見た自分を信じろ。信じ抜くんだ。たとえひとりになっても。


本を読むその前に、表紙の絵の緻密さに目を奪われた。題名と共に、その表紙の絵から思い出したのは、世界名作シリーズで放映されたアニメの、《ロミオの青い空》。あれは、なんだか、切ないお話だったけど、やはり“えんとつ”には、なんとも言えない切なさがまとわりつく。
夜空を駆ける配達屋が、“えんとつ町”のえんとつの煙を吸って咳き込んで、配達中の心臓を、“えんとつ町”に落としてしまう。心臓は、“えんとつ町”のゴミが集まるゴミの山に落ちた。ドクドク暴れる心臓に、まわりのゴミがくっついて、生まれ出たのがゴミ人間。

ゴミ人間はハロウィンの街に繰り出して、似たようなバケモノと夜を過ごす。ところがそれは、バケモノの格好をした子どもたち。ゴミ人間を本当のバケモノと知った子どもたちは、それこそゴミ人間をバケモノ扱いして、酷い言葉を投げつける。

そんなゴミ人間に優しい声をかけてくれたのは、煙突掃除のルビッチだけ。プペルと名づけられたゴミ人間と、母と二人暮らしのルビッチの、ちょっと切ない友情の物語。

とまあ、そんな話しなんだけど、もとは、作家の”にしのひろあき”がペン一本で描いたモノクロ絵本だったんだそうだ。すごい画力だな。めくるページめくるページ、まずは絵に圧倒される。

それに、この“えんとつ町”を鳥瞰した様子。どこか郷愁をそそられる。この思い、まだピッタリくるものを思い出すことができない。

まだ、読んだことのない人、ネット上に全ページ無料公開しているようなので、ぜひご覧ください。


テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『本能』 小原嘉明

私は一九六〇年の生まれ。

二人の兄は五〇年代。末の私が一番先に仕事をやめてしまったが、兄たちも、その準備にかかった。その子供たち、つまりいとこ同士になるのだが、まるで兄弟のようにして育った。一〇年ほど前から適齢期を迎え、ここのところ出産が続いている。いとこ同士の一番下が、私の息子だったが、そこにも第一子が誕生した。

分娩室に入ったという連絡の直後の連絡に、実は少し身構えてしまったのだが、なんとあまり時を移さずに生まれ出てくれたのだった。お母さん思いのいい子だった。それでもママさんは、「大変だった」と言っていた。

実際、人間のお母さんは命がけで子供を産む。生物として考えれば、本来一人で完遂しなければならない、メスに求められる最低限の生殖行為である。他の生物はみんなそうしているが、人間のお母さんは助産婦や産科医の助けを必要とする。これは生物学的に見て、異常な事態であるという。

その原因は一つ。脳が大きすぎるから。それが原因で、時には母子が命を落す。

脳の大きさは、妊娠期間と相関関係があるという。本来人間の脳の大きさに見合った妊娠期間を考えると、一八ヶ月ほど必要だという。しかし、一八ヶ月の妊娠期間が大きな脳にとって合理的であったとしても、無事出産をすることを考えれば現実的ではない。自然淘汰は、少し短めの妊娠期間でより安全に出産する“早産”体質に味方したんだろうということだ。

大きく育てて産むという原則と、無事に産道を通すという必要との妥協が、一〇ヶ月の妊娠期間になったのか。

まあ、どちらにせよ、お母さん思いのいい子で良かった。

進化の過程で生物が預かった能力は、まったく驚くべきものだ。以前から何度か話題にしたが、人類は数百年間にわたって、肉食獣に捕食される立場にあった。今でも人間は、暗闇や森に入ったときに影や音、そして気配を感じると、一気に警戒レベルを上げ、防御態勢に入る。

これらの危険を予知させる状況に、自律神経は一気に活動を高め、アドレナリンやコルチゾールなどのホルモンを放出させる。体は敏感に反応し、心臓は拍動速度を高めて体中に血液を巡らす。肺は多くの空気を吸い込んで、血液に酸素を供給する。

これら緊急時の生理的反応は、訓練して得られるものではないのだそうだ。無意識下で自動的に発生し、進行する、本能的な生理的反応なのだそうだ。


『本能』    小原嘉明

中公新書  ¥ 946

本能に基づく驚くべき行動の数々を紹介し、その本能の成り立ちを解説する
序章 動物の行動を支える本能
第1章 本能の深遠なる奇計
第2章 餌取り行動の収支決算
第3章 奮闘するオス
第4章 したたかに操り、選ぶメス
第5章 オスとメスの立場と都合
第6章 行動を組み立てる多様な組織期間
第7章 行動の司令塔
第8章 人間の本能


年が明ければ、北京オリンピックが始まる。ウイグル民族へのジェノサイドが行なわれる中、日本政府は外交ボイコットを求めるアメリカにも、“中国”にもそれなりにい配慮をした対応を取ろうとしているみたい。

何だか情けない。こんなんじゃ、先々日本は“中国”にしてやられる。なくなってしまうかもしれない。そんな状況をかかえながらのオリンピックだから、思いっきり応援する気にもなれない。とても残念だ。それでも、スキージャンプの小林陵侑選手には期待したい。

あのスキージャンプって言う種目、動物行動学的に見て、とても難しい種目らしい。目もくらむような急斜面のアプローチを時速一〇〇キロ近いスピードで滑走し、その先端でシャンツェを蹴って空中に飛び出す。人の進化史上初めての行動だそうだ。・・・確かに。

数百万年間に及ぶ進化の歴史の中で、あんなに高いところから身を投げ出すような無謀な行動は、どんな祖先も求められたことはない。空中に飛び出して外敵から逃げる?空中に飛び出して獲物を捕らえる?・・・やはり、ない。

人の進化史の中で定着したのは、飛び出しの瞬間に、危険に備えて身を守る行動だろう。身体は本能的にその行動を取ろうとする。しかし、スキージャンプは防御行動を押さえ込んで、頭から前に突っ込んでいく。本能に逆らって、それとは違う行動を取る。それ故にスキージャンプの修得は、至難の業であるという。

中国共産党がどんな事を企むか分からないからな。小林陵侑選手、競技はともかく、他の日本選手ともども、無事に帰ってきて欲しい。

それにしても、動物の本能って言うのはすごい。だけど、様々な驚くべき行動の本質を、“本能”という言葉で覆い隠してしまっているのではないか。動物行動学に携わってきた著者に言わせると、そんな思いもあるんだそうだ。

ならいっそ、その“本能”と向き合って、それが動物の驚くべき行動にどう関係しているのか考え抜いてみようという思いがあったという。そこに、中公新書からおあつらえ向きに、「本能についてまとめて欲しい」という話が舞込んだ。そのようにしてこの本が生まれた。

まずは、生き物の生存に必須の餌取り、採餌行動というそうだ。これだけでも、動物の行動はすごい。続いて、生殖行動。オスはオスの立場で、メスはメスの立場で、自分の遺伝子を後世に残すための、最良の行動を取る。なぜその行動が最良であると確信できるのか分からないが、やはり結果を知ることができる私たちからすると、確かにそれが最良なのだ。

次に、動物の行動が、同本能と関連付けられるのか。どんな仕組みで形付けられるのか。さらには感覚神経→中枢神経→運動神経という神経系の連動はどう起こるのか。

最後に人間。学習がすべてと考えられがちな人間の行動であるが、そこに本能はどう関与しているのか。

確かに難しい話もあった。だけど、動物たちの、もの凄い驚き行動がたくさん語られているので、そちらに引っ張られておもしろく読んだ。

・・・なかでも、セアカゴケグモのオスは、もの凄いぞ!



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ジャンル : 本・雑誌

『生物学的に、しょうがない!』 石川幹人

人前に身をさらすと、捕食動物に狙われていた、かつての人類の記憶がよみがえる。

気候変動で密林が減少し、草原が拡大していった時代、私たちの祖先は、危険を冒して草原に踏み出した。そこから、捕食動物に狙われ、多くの仲間たちが餌食になっていく、数百万年に及ぶ時代が始まる。

隠れるもののない草原に身をさらした私たちの祖先は、最大限の警戒感を身につけていく。何者かが迫っていないか。遠くから自分を見つめる目がないか。茂みに隠れる者がないか。

そんな警戒感が、今でも発揮されることがある。見知らぬ人ばかりの中で、一人、身をさらさなければならないとき、そして何らかのスピーチをしなければならないとき、たいがいの人は緊張する。あれはまさに、隠れるもののない草原に一歩を踏み出さなければならなかった祖先の、その時の緊張の再現なのかもしれない。

早朝、夜明けにはだいぶ間がある頃、まだ暗い街に走り出す。そして一時間ほど走って、周りが明るくなった頃帰ってくる。今は日の出が五時二〇分くらい。走っているのは四時から五時くらいか。

暗い道に入るときは懐中電灯をつける。街路樹の並ぶ歩道はけっこう痛んでいて、ちょっとした凹凸が危ない。そういう道では、懐中電灯は必需品である。

新しい、良く整備された道は、気持ちよく走れる。街路樹の根が歩道を持ち上げるようなこともなく、交差点でもできる限りフラットになるように整備されている。そういうところは街灯も工夫されていて、街灯の光が薄くなると次の街灯の光に受け継がれるようになっているようだ。もちろん、そんな道ばかり走っているわけではない。

暗い道を走っているときは、やはり街灯の明かりはありがたい。近づけば、足元もより明るく照らされて、安心できる。街灯の下を通り過ぎて、ほんの少し行った瞬間だ。背中の上部、肩甲骨と肩甲骨の真ん中あたりから頭頂部に、電気を流されたかのように緊張が走る。

自分が街灯の左側を通り抜け、ほんの少し行った瞬間、私の左後方から黒い影が私に襲いかかる。それを左目の視界の隅に捉えた瞬間に、背中の上部から頭頂に電気が走り、同時にそれを避けて右へ飛ぶのだ。その一瞬の後、黒い影は街灯に照らされた私の影が、左前方に伸び始めたものだと気がつく。

理解の前に、まずは恐怖が走る。夜行性の捕食動物に餌食にされてきた祖先は、後ろから来る黒い影に敏感に反応できる警戒感を養ったのだろうか。




サンマーク出版  ¥ 1,650

人生は悩みの連続。しかし、それらの悩みは全て生物学的に、しょうがないのです
第1章 人間だから、しょうがない!
第2章 ダラダラしたいの、しょうがない!
第3章 気にしちゃうの、しょうがない!
第4章 欲望がわくのは、しょうがない!
第5章 自分をよく見せたくなっちゃうの、しょうがない!
第6章 生きるのつらいの、しょうがない!


私たちの感情や欲求、そして無意識の思考や反射的な行動の大部分は、遺伝子の司令のもとに作動しているという。

それは捕食動物に餌食にされることから生き延びるため。頻繁に襲いかかる死の恐怖に打ち勝っていくため。いつも栄養が足りず、飢えに苦しんできたため。自分の身を守るためにも、集団の団結を優先しなければならなかったから。子孫を残さなければならなかったから。

そういった生存や生殖に関わる本能が、生き残る、子孫を残すという事実を持って、それにふさわしい遺伝子を後世に残してきた。その遺伝子の司令のもとに作動する感情や欲求、無意識の思考が、現代を生きる私たちにも体の反応となって現れ、、反射的な行動を取らせることにつながる。

だから、・・・「浮気するのはしょうがない」、男が多くの子孫を残すためなんだから。「整形したくなるのはしょうがない」、人はより健康なパートナーを求めて外見の美しさを求めるのだから。「期間限定に目がないのはしょうがない」、いつ死ぬか分からない将来よりも現在の楽しみが大事なのだから。・・・ということになる。

しょうがないけど、人の世の中が変化して、社会が高度化してくる中で、それを全部「しょうがない」こととして放置するわけにはいかなくなった。生物学的に「しょうがない」ことなんだけど、現代を生きる人間としては「しょうがなくない」ことにしていかないといけない。

そうすると、イライラする。暴れて、暴力でも振るえば解消されるんだけど、そこに理性を働かせて理屈で考えて、抑えていく。それを担当するのが、人類において進化した新しい脳である前頭前野なんだそうだ。まだ未完成の前頭前野が一生懸命働こうとすると、人間は無防備になりがちなんだそうだ。生存や生殖に関わってきた古い脳は、この無防備な状態を作り出している前頭前野を妨害するためにイライラを発動しているんだという。

しょうがねぇな!

学校で教わるのは、前頭前野を働かせろということばかりだな。なかなか我慢できない子どもたちも多い。それでも、背景に、「しょうがない」生物学的な本能が機能しているという事実を認識することで、学ぶことの本質が見えてくるような気がするな。

そうそう、オリンピック前に森喜朗さんが言ってたね。「女性がたくさん入っている会議は時間かかる」って。

男の精子ばらまき戦術は、生殖の本能。成功率は低くても、イチかバチかで、後は女にまかせるだけ。成功率の低いことに挑戦するのも男の進化の形。それに対して、自分で時間をかけて産み育てる女は、イチかバチかというわけにはいかない。未来を考えて、よりいい選択をしようと慎重になる。

最近、上場企業では役員会議のメンバーに女の割合を高めようとしているという。男ばかりの権力機構でろくな検討もなく決めてしまうよりも、女の慎重さを導入することで、会議の時間がかかったとしても危険を排除した成功率の高い結論を導き出そうとしているらしい。

「女性がたくさん入っている会議は時間かかる」って、本当のことを言ってた森さんは、排除されちゃったけどね。



 

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いじめ『生物学的に、しょうがない!』 石川幹人

オリンピック直前になって、開会式作曲担当者の一人に名を連ねていた方の、過去に行なっていたいじめが問題になった。

その方、一九九〇年代に受けた雑誌のインタビューで、自分が過去にクラスメートや障がい者に行なったいじめを話題にしていたという。それが、反省するという観点からではなく、つまりはただの面白い話題として平然として語っていたらしい。

結局は辞任することで決着したらしいが、驚いたことに、この方、五二歳だそうだ。一九九〇年代のインタビューだということだから、少なくとも二二年前、三〇歳になる以前に受けたインタビューということになる。それが世間で問題になっても、ことの重要性に気がつかなかったようだ。比較的早くから活躍できたのは出自にあるのか、本人の才能によるものか知らないが、生育過程においても、音楽においても、人間性は育たなかったようだ。

残念なことだ。

この方のように、大人になっても“いじめ”なんて低級な問題から抜け出せるわけではない。前にこのブログで書いたことがあるかもしれないが、とある学校で、私と同じ社会科の教員の方の発言に驚かされたことがある。

社会科の教員は、社会的な諸問題をも取り上げる科目であることから、いじめにも関心の高いと思われがちだが、決してそんなことはないという好例である。

その先生、お子さんのことで小学校から呼び出され、父親である彼が出向いたようだ。ご夫婦で高校の教員で、子どものことを奥さまに任せっぱなしにしない、いいお父さんではある。お子さんはいじめる側だったという。学校からは善処を求められたと言うことだった。その先生は、昼休みの何気ない話題としてそれを取り上げ、同じように社会化準備室で食事をしていた私ともう一人の教員に、こう言った。

「良かったですよ。いじめられる側じゃなくて」

いじめに関しては、年寄りから年少者まで、語りたくはないが語ることの出来る、共通の話題である。程度の違いはあれ、誰もが関与したことがある。つまり、ある種の普遍性がある。それなのに言わない。話題にしない。避けて通る。

それを自嘲的に反省の弁を述べた芸能人の方が、やり玉に挙げられたことがあった。それは違うの?いじめじゃないの?取り上げ方次第で、いかようにも突っ込める。揚げ足だって取り放題の話題である。



サンマーク出版  ¥ 1,650

人生は悩みの連続。しかし、それらの悩みは全て生物学的に、しょうがないのです
第1章 人間だから、しょうがない!
第2章 ダラダラしたいの、しょうがない!
第3章 気にしちゃうの、しょうがない!
第4章 欲望がわくのは、しょうがない!
第5章 自分をよく見せたくなっちゃうの、しょうがない!
第6章 生きるのつらいの、しょうがない!


「浮気するくらいセックス好きなの、しょうがない!」、「SMプレーが好きなの、しょうがない!」、「幸せなはずなのにネガティブになるの、しょうがない!」

それらはみんな、『生物学的に、しょうがない!」。だから、無罪!

そんな勢いで、「人をいじめちゃうの、しょうがない!」まで行っちゃうかもしれないって心配したんだけど、そこまでは行かなかった。ただ、それに近いもの、いや、ほぼそれを言っているに等しいものはあった。

「マウント取ろうとしちゃうの、しょうがない!」という項目だ。「マウントをとる」とは、相手よりも上のポジションをとり、優位性を自慢したり威圧的な態度をとったりすること。もともと、マウンティングというのは、強いサルがほかのサルの上に乗るようにして自分の優位性や強さを誇示する行為。

サルのような階層社会では、群れにおける序列を明確にしておく必要があり、それを明らかにする行為としてマウンティングが行なわれる。順位闘争から逃れることは不可能で、それを避けようとすれば最下位に落されることになる。その順位付けは食べものを確保する優先順位となり、食べものが不足した状態では、最下位は群れの中で最初に飢え死にの恐怖にさらされる。上位とはいかなくても、生き残ることが可能な地位を確保するためには、自分よりも下位のものを確保することが必要となる。

「自分よりも下位のものを確保する」という点において、サル時代の生き残り戦術が、いじめにもつながってくる。しかし、サルから進化した人間は、サル時代には及ばないものの、長い狩猟採集時代の協同社会に闘争の少ない平等社会を築いてきた。つまり、闘争を協同で乗り越える遺伝子を持っている。その時代の遺伝子で、サル時代の遺伝子による「人より上を行きたい」という思いを乗り越えなければならない。

サル時代の階層的環境を排除して、親密な仲間たちと和気あいあいとした環境ならば、「マウンティングも減ってくるのでしょう」と著者は書いているが、マウンティングは、そのまま“いじめ”に置き換えられるだろう。学校社会、会社社会の見直しは、そんな観点から行なえばいいんじゃないだろうか。

私は、教えてもらう立場を終わった後、今度は教える立場の仕事を選んだので、小学校に上がって以降、ずっと学校における“いじめ”と一緒に過ごしてきた。

いじめに関わる相談は、どれだけ受けたか分からない。直接もあるし、親からもある。保健室を通してもあるし、該当者の友人からの場合もある。自分からアプローチしていったこともあった。ケースは千差万別。それだけに、過去の経験を生かせるとも限らない。

ニュースでは、いじめが悲しい結末に結びついてしまった後、「まったく気がつかなかった」という教育関係者がいるが、嘘か、あまりにも鼻がきかないかのどちらかだと思う。そういう教室には、感じるものがある。その時、「あのクラス、なんかあるよね」と誰かが言えば、自浄作用が働く。

教員生活の最後の方で、「いじめのアンケート」と言うのが始まった。微妙な気分でつき合った。「なんでも気になることを書いて」と配付したら、「先生に叩かれたと書いていい?」と質問された。「それはやめておきなさい」と注意をした。



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『私たちはなぜ「女」を面倒に思うのか』 水島広子

著者の水島広子さんは、精神科の先生。

衆議院議員など、いろいろな経歴を経て、現在は対人関係療法専門クリニックの院長さんで慶応大学の非常勤講師、それからいくつもの本を出していらっしゃる。

この本は、その精神科の先生である水島広子さんが、女に特有のものの考え方に端を発する“対人関係の悩み”に応えようという本。

私たち男にとって、女は異性。人によりけりだけど、女を性の対象として意識した場合、相手は特殊な存在となる。時間と範囲、あるいは対象とする範囲は、男の人生のかなり大きな部分を占めている。時には決定的であったりする場合もある。そういう場合もあるが、そうでない場合もある。

そうでない場合、女は家族であったり、近所の人であったり、友人であったり、同僚であったりと、いろいろな姿で登場する。それが性の対象として意識されていない場合、男にとっての女は、やはり同姓ではなく異性である。男にはあり得ないものの考え方を持った生き物である。

それは分かっていた。しかし、私の認識は、まったく足りなかった。

この本の中で水島先生は、女性の嫌な部分をカギ括弧付きの「女」と呼び、その深層心理に迫る鍵と位置づけている。女性の、ものの考え方の“いやらしい部分”や“片寄った部分”を、「女」に受け持たせているようだ。

正直、これはどんなもんかと思う。

女性は上等で、女は下等なのか。そんなことはないだろう。男性を男と呼んでも、そこに価値を引き下げるような感覚はないが、女性を女と呼ぶと価値を引き下げているような感じを受ける人がいるようだ。

うちの連れ合いもそう感じているようで、必ず女を女性と言い表す。

日本語の「男と女」、「男性と女性」に厳密な規定があるかどうか知らない。あくまで私の感覚的なものだが、「男と女」には社会性が付与されているように感じられる。「男性と女性」の方が、“性”を前面に出した呼び方のように思える。それは“おしべとめしべ”であり、“男性器と女性器”であって、性交によって子どもが生まれてくるメカニズムを説明する用語のように感じられる。

すくなくとも、その“いやらしい部分”や“片寄った部分”を受け持たせる用語として、「女」がふさわしいとは思えない。このような用法がまかり通るようになれば、私が家で“女”という言葉を使った場合、今まで以上に、連れ合いの癇に障ることになってしまうのは目に見えている。




自由国民社  ¥ 1,540

女性同士の人間関係の悩みを、分かりやすい具体例から読み解く
第1章 嫉妬
第2章 表裏
第3章 決めつけ
第4章 群れ


まあ、話の進行上、ここでは“カギ括弧付きの「女」”を受け入れよう。

その上で、水島先生は次のように言う。

「カギ括弧付きの『女」は、性別としての女性を意味するのではなく、嫉妬深い、表裏のある、人のことを決めつけたがる、群れたがる、などいわゆる「女の嫌な部分」と言われるような性質のこと。女性だけでなく、男性にも見られる性質です」

私、この本を買って、読み始めて、最初は「変な本を買っちゃったな」って思った。私が読むよりも、連れ合いに回そうかなって。

だけど考えてみれば、私も先輩や同級生からにらまれて、いろいろな嫌がらせを受けたこともある。あれは嫉妬があるな。私も力のある後輩を嫉妬したことがある。そういうところ、私の中にも「カギ括弧付きの「女」が存在しているわけだ。仕事の上でも、若い奴らに声をかけていくのがとても嫌だしね。

結局、自分の中の“カギ括弧付きの「女」”を意識しながら、結構面白く読ませてもらった。

“カギ括弧付きの「女」”は男の中にもあり得るが、やはり女に多い。それにはそれなりの背景があって、女は男に選ばれて、はじめて社会的な価値が生まれる。男が仕事をする背景で、家の中の細かいところに神経が行き届くことが求められる。男が外で仕事をして、女は家庭を守る。男の社会的な地位によって、女の価値も計られる。そんなところから、“カギ括弧付きの「女」”が生まれてきたと言うことだな。

それらの原因には、女が母性を持っていることも関係する。じつは、仕事社会においては、これがけっこう邪魔になることがある。この本の中では、職場における“お母さん病”として、「あなたのことは誰よりも私がよく分かっている」という意識を持ちやすいと紹介されている。

教員だったんだけど、女の担任は、えてして自分担任するクラスの生徒に対し、“お母さん病”を発揮してしまうことがある。「この子のことは私が一番よく分かっている」気になって、「そんなに悪い子じゃない」と言い出したりする。そうなると、もう理屈じゃなくなってしまう。

“カギ括弧付きの「女」”に始まる様々な問題に対して、水島先生は決して波風を立てようとはしないんだな。かと言って、過度の我慢を強いることもない。感心させられたのは、“カギ括弧付きの「女」”に対する自分の意識を変革するってことだった。

対象のそのような言動の背景を推察し、相手の鬱屈した心理や余裕のなさを理解してやる。そうして、相手を決して追い詰めない。時には、余裕を持って相手を立ててやる。謝罪ではないが、「ごめんなさい」と声をかけてやる。

もしも背景を推察して、相手に理解してやれれば、対応に余裕を持てるってことだな。これなら、何だか、できるかも知れないね。

読み始めの“間違った感”とは違い、結構面白く読むことができた。・・・こんなこともある。




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『虫は人の鏡』 養老孟司

ここに収められて文章は、二〇年以上も前に書かれたものだそうだ。

『毎日グラフ・アミューズ』に、一九九四~九五年にかけて連載されたものだという。この間世の中は大きく変化した。AI化やIT化、すなわち情報化である。

当時の養老さんの関心事は、擬態の具体的な事例にあったそうだ。それを今風の情報化に照らしてみれば、生物は遺伝子型と神経系という二つの情報系をもっている。擬態もそこから発生してくるのだろうが、擬態を典型とするマクロ的な情報現象の分析は、基本すら、まだ成立していないんだという。

AI化やIT化は、それを押し進める大きな力となるのだろうか。

AI化やIT化が押し進められる中、私たちは情報化社会に向けて邁進している。だけど、養老さんは言うのだ。《だからといって、「情報とは」という問題がよく理解されているわけではない。擬態を見れば、しみじみそれが分かる」と。

それがまあ、しみじみ分かるどころの話じゃなくて、その実体を見れば、まずは“大笑い”ということなのだ。あんまり面白すぎて、基本すら成立しない“情報現象の分析”以前に、生き物の歴史の不思議さに頭を垂れてしまう。

以前、なんかの本で、「それこそが神の介在の証拠となる」という話を読んだことがある。神の介在なくして、いかにハナカマキリが、あの色と形状を獲得できるのか。オオコノハムシにその形状と色を可能にしたのは、外からの目と伝達が必要となる。つまりは、その情報をいかに獲得したかということになる。それが可能となる状態を考えれば、神以外には考えられないと言うのだ。

「そうそう、その色ならば、周りの花と見分けがつかないよ」とか、「いいねえ、まるで木の枝から生えている葉っぱとしか思えない」といった指示を、神が出しているという話だった。

たしかに、反論がはばかられるくらいに、花のようであり、葉っぱのようにしか見えない。

その世界にも正論があるんだという。次のようなものだ。これはカレハカマキリを例にしている。

《枯葉に似ているカマキリと、あまり似ていないカマキリがいたとする。あまり似ていない方は、たとえば鳥に食われる率が高い。長い時間のうちに、食われやすい方は、どんどん数を減らしていく。似ている方は、枯葉に似ているほど見つかりにくい。そのために、枯葉に似ているほど生き残って子孫を残すので、どんどん枯葉に似ていくことになる》

こういう説明を、「軍拡競争」というんだそうだ。



『虫は人の鏡』    養老孟司

毎日新聞出版  ¥ 2,420

初心者から本格的な虫好きまで、圧巻のビジュアルとともに自然の見方が学べる1冊
なぜ虫か        カモフラージュ
警戒色         トラが出る!
目玉模様        対談 偶然か必然か
オーストラリアの虫   アフリカの虫
メタリック       気味が悪い
堅い虫         死んだふり
ダマシとモドキ     似る努力
不思議な形       蝶の斑紋
キノコムシ       雄と雌
つがいと子育て     普通種
どこにでもいる虫    雑木林の虫
虫とヒト



面白いったら、ありゃしない。

ニヤニヤしながら、「ククククッ」って笑いをこらえきれずに読んでたら、「何が書いてあるの」って連れ合いに聞かれた。擬態の話が面白いって答えたら、「次に読むから終わったら貸して」だって。

《虫は生きていくプロである。あの小さな体で、小さな脳で、現在の地球上で大いに繁栄している。それが歴史上、苦労してこなかったはずがない。その苦労が、言ってみればカレハカマキリやハナカマキリを生み出した。自然選択説とは、平たく言えばそういうことであろう》

私なんかなら、そんな養老さんの説明に、いともたやすく賛同する。《苦労しているのは人間ばかりではない》なんて言われれば、さらに身につまされてしまったりする。

そんな虫がいるかと思うと、警戒色を身につけて、返って目立つことで我が身を守ろうとする虫もいる。

せっかく毒を持っているのに、地味で、他の虫と区別がつかないゆえに気軽に食われてしまっては、せっかくの毒も“持ち腐れ”になってしまう。だから、自分を守るような毒を持つ虫は、派手な色彩をもつことが多い。派手な色彩をもつことで、「毒がある。警戒せよ」というメッセージを発して、身を守るわけだ。

そんなわけで、毒虫は派手になっていった。とは言っても、毒を持った虫が派手になっていったのか、派手な虫が毒を持つようになったのか。その過程が立証されているわけではない。

毒はなくても派手な虫はいたかも知れない。だけど目立ってしまうから、食われやすかった。それらの中に毒を持つ者が現れて生き残って子孫を残し、警戒色をもった毒虫が目立つようになったのかも知れない。だとすると、警戒色をもった毒虫の努力によって、毒を持たない警戒色の虫は大きな利益を得たことになる。

考えはじめると、夜も寝られなくなりそうだ。

この町に越してきたのは、娘がまだ〇歳の頃だ。三五年前のことだ。たったの三五年で、家を訪れる虫も、ずいぶん少なくなった。よくやってきた玉虫やナナフシも、ここ数年めっきり見かけなくなった。

関東平野の西の外れで、ここから丘陵地帯が始まり、奥武蔵の盛り上がりとなり、そのまま奥秩父を中心とする関東山地につながっていく。

こういった場所には、山を削ってニュータウン、ゴルフ場が作られていった。それらの周辺に残った雑木林も、最近はすごい勢いで太陽光パネルが並べられていく。東京電機大学鳩山校舎の周辺も、道路沿いに一重の林がカモフラージュに残されているだけで、その向こうにはたくさんの太陽光パネルが並べられている。

日本でも、利用しやすい場所から森の木を切り倒し、さらには山を切り崩してまで土地利用してきた。戻そうとしても、緑の美しいこの国を取りもどすことは「ほとんど不可能だろう」と養老さんは言う。「日本が“中国”や中東のようになるのを見たくないが、幸い、私の寿命は残っていない」ので、「見なくてもすむだろう」ってさ。

なんだか、虫に申し訳が立たないな。


テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『青春18きっぷ パーフェクトガイド』 谷崎竜

《青春18きっぷ》を利用したことはなかったんだよな。

JRが《青春18きっぷ》を売り出したのは二二歳の時。教員採用試験に落ちて、非常勤講師をしながら、鬱々のした日々を送っていた。“青春”と呼べる時期の終盤となり、手を出していいものかどうかと思っているうちに歳だけは先へ進み、そうこうするうちに車に乗る生活が始まってしまった。

まあ、特別、鉄道好き、旅行好きというわけでもなかったこともある。

教員生活最後の高校でワンゲルの顧問をやったとき、部員である生徒たちの状況が、山行のためにかける交通費にかなり神経を使わなければならない状況だった。だいたい、月一回のペースで山行を組んだんだけど、部員は山行よりもバイトを優先するような始末。交通費にお金をかけたり、泊登山を計画したりすれば、その山行は参加者がガタ減りする。

一度チャレンジしたが、JR団券の利用は、何かの時にバイトを優先するような生徒たちには不向き。割安のはずがトントンの値段になって、結局は、かけた労力が無駄になっただけだった。

結局、ほどんどの山行は、地元の山の日帰り登山。具体的には奥武蔵に奥多摩あたりの山。それなら、なんとか八割方の部員が参加する。

それでも決して、特別変わった生徒たちではない。中学までにない“ワンゲル”という部活を選んだ段階で、彼らにしてみれば、一線級の部活とは違い、時にはバイトを優先にしても許されるという感覚を持ってしまっているのだ。私が顧問を引き受けた年の上級生は、部活に対してもっと自由な感覚を持っていた。その彼らをなんとか追いやって、月一山行を、ようやく常態化することができたくらいだった。

それでも夏休みくらい、一泊でどこかいいところに連れて行きたい。そう考えると、割引切符が利用できる尾瀬や日光が、“お手軽”ということになる。

それはずっと、学校をやめるまで続いた。やめるときは、ちょっと早めに早期退職をした。ワンゲルの顧問を、登山経験のあまりない相棒に押しつけることになったので、退職一年目の山行は全部参加した。

その年の夏休み、新しい顧問の先生は尾瀬や日光をやめて、上越方面に行くという。団券を使うのかと思ったら、《青春18きっぷ》を使うという。

交通費を少しでも浮かせるとしたら、団券、割引切符、学割くらいしか思い当たらなかったので、ちょっと驚いた。聞いてみたら、《青春18きっぷ》は、一日JR乗り放題の切符が五枚綴りになっていて、五枚で一二,〇五〇円(現在)。一日あたり、二,四一〇円を超えれば元が取れるということだ。その五枚綴りを五人で分けて使える。

たとえば、谷川に行くとしたら、うちの近くの越生駅から土合まで、片道二,三一〇円だから、往復四,六二〇円を二,四一〇円で行けることになる。つまり、ほぼ半額で済む。



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交通費二,四一〇円で土合を往復できるなら、これは使える。今の私でも、十分に嬉しい。

ただし、《青春18きっぷ》は季節限定で、春季が三月一日から四月一〇日、夏季が七月二〇日から九月一〇日、冬季が一二月一〇日から一月一〇日。

夏季、五三日の利用期間に、五枚綴りを使いこなせばいいんだな。

山にこれを使うとなると、遅くても、始発で出かけて一〇時くらいには歩き始めたい。登山口まで一時間として、九時に目的の駅に到着となると、大まかに考えて距離は一五〇キロくらいまでかな。土合が一二六キロで二,三一〇円だから、日帰りで考えればそんなもんなんだろう。

一泊の登山となると、まあ、その倍だね。たとえば松本まで行こうとすると、越生を五時半の電車に乗って松本着が一〇時一七分。通常運賃四,〇七〇円のところを、二,四一〇円で行けると言うこと。

信濃大町だったら、松本で一時間の待ち時間があって、到着が一二時一六分になる。白馬まで行くと一三時〇〇分か。このあたりだと、もうちょっとゆっくり出かけて、どこか安いところに一泊かな。

って、そんなこと、去年『青春18きっぷパーフェクトガイド 2020ー2021』を読んだときにも思ったことだった。

武漢発感染症の影響が、ジワジワ深いところまで浸透してきたようだ。他にもいろいろなことがあって、六月の下旬以来、そんじょそこいらの山にさえ登っていない。『青春18きっぷ パーフェクトガイド2021ー2022』 を読みながら、そんなことを考えている間にも、また時が過ぎた。

結局は、今年も『青春18きっぷ パーフェクトガイド2021ー2022』 の本を買いながら、《青春18きっぷ》は買ってない。しかも、夏季利用期間の“七月二〇日から九月一〇日”は、もう終盤を迎えようとしている。

もう、今年は《きっぷ》を買うこともないだろう。

《青春18きっぷ》だろうがなんだろうが、もう、私は出かけるしかない。何にも考えず、ぷらっと出かけてみようと思う。

八月も終わる。


テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『男の業の物語』 石原慎太郎

慎太郎さんは昭和七年生まれか。

終戦は一三歳、こりゃ微妙な年齢だな。終戦を何歳で迎えたか。じつはこれ、けっこう重大な問題になってくる。その直前まで、学校は、そして大人の社会は、「鬼畜米英、撃ちてし止まん」だったわけだ。それが一夜にして、軍隊は悪人にされ、正義は占領軍に独占された。

学校の先生やら、大人たちの変節を目の当たりにし、占領軍によるWar Guilt Information Programと呼ばれる洗脳を受けてなお、日本が歩んだ道をあるがままに受け止められた人たちは幸運だったと思う。

だいたい昭和七年生まれあたりが分かれ目だと思うんだけど、それよりもあとの人たちは、大東亜戦争前の日本社会の記憶がほとんどないだろうからね。戦前の日本社会を知らず、学校の先生や大人たちの変節を目の当たりにし、しっかり占領軍の洗脳を受け、占領軍にこびを売る新たなリーダーたちの指導を受けた人たちは、ほとんど分裂症に近い状態になる。

なにしろ日本の子供たちのために若い命を戦場に散らした兵隊さんたちを、軍国主義者として罵るようにしつけられていくんだから、どうしたって精神に異常を来す。

著名人や、芸能人の中にも、症状の重い方が多い。

そう言えば、サンデーモーニングでは、“中国”の強圧によって香港の“リンゴ日報”が事実上の廃刊に追い込まれたことに対して、司会の関口宏さんが、「権力を監視し続けるメディアっていうのも必要」とした上で、「リンゴ日報」の廃刊については「『これは中国だから起こってる』ばかりではなくて、世界中のいろんな国が、これを『他山の石』にしなきゃいけないなと思います」とコメント。中国の責任には触れず、他の国でもありうることとして語ったことが話題になった。

香港を見る関口さんの頭には、どんなお花畑が見えているんだろう。

関口宏さんは昭和一八年の生まれ。戦前の日本なんか知るよしもないし、生まれながらにWar Guilt Information Programというお風呂に浸かっているような状態だ。江沢民が創り上げた反日の物語は、関口さんの頭の中では実際に行なわれた日本軍の蛮行になってしまってるんだろうな。

だから、“リンゴ日報”を廃刊に追い込んだ“中国”の強圧的なやり方をみて、「日本政府にも気をつけよう」と、わけの分からないことを言い出す。


『男の業の物語』    石原慎太郎

幻冬舎  ¥ 1,760

男だけが理解できる世界。そこには女には絶対にあり得ない何かがある
友よさらば     死ぬ思い    男の執念
片思い       安藤組と私   博打
秘めたる友情    男の面子に関わる会話
男の美徳      臆病の勇気   遊びの神髄
果たし合い     無類な旅    男の自負
男の遊び場     男の約束    男の兄弟
暗殺された友    人生の失敗   男の就職
男の気負い     男の功名心   死に際
男とカネの関わり  仲間の訃報   男の強かな変節
惨殺の系譜     男にとっての海 男の一物
スタッグ      挫折と人生   初体験
自然現象との関わり 男の気負い2  男の意地・国家の意地
手強い相手     今は昔、スポーツカーノスタルジー
スポーツの効用   男の傷     喧嘩
女を捨てる



軍国少年だった慎太郎少年は、逗子の町を闊歩する米兵が、目障りで仕方がなかったそうだ。

敗戦直後のある日、下校して駅に下りたら、電車に乗っていた米兵が窓からチョコレートやガムを投げ与えていたんだそうだ。慎太郎少年は拾わなかったものの、拾った友人が、引け目があったのか、一つを慎太郎少年に押しつけたんだそうだ。慎太郎少年は一人になってからそれを口に入れ、チョコレートの鮮烈な甘さに“敗戦”を悟ったそうだ。

九月に入り、下校途中の商店街を歩いていると、前から若い米兵二人が道の真ん中を歩いてくる。慎太郎少年は癪に障って、正面から道の真ん中を進んでいく。すれ違いざま、米兵の一人が、慎太郎少年の頬をしゃぶっていたアイスキャンディで叩いたそうだ。

それがアッという間に噂になり、尾ひれがついて慎太郎少年が米兵に殴られてケガをしたことになったそうだ。慎太郎少年は共闘と数人の教師に呼び出され、“なんでそんな馬鹿なことをするのか、がっこうにめいわくがかかったらどうする”と言うことだったそうだ。慎太郎少年は、「あなた方は一年前までは、立派な海軍士官になってお国のために潔く死ねと教えていたではないですか」と反論したら、だれもものを言わなくなってしまったそうだ。

その時、僧籍がありながら兵隊にかり出され、戻ってきたばかりの清田という先生から、「お前なあ、戦に敗れるということはこういうことなんだよ。敗れた限りは耐えなくちゃならないんだ。お前も俺も同じように辛いんだ。しかし我慢だ、今に見ていろと耐えるしかないんだよ』と言われ、慎太郎少年ははじめて素直に頷くことができたそうだ。

清田先生がそこにいたことは、慎太郎少年にとって、とっても大きなことだったな。

この本に取り上げられる話題は、一三歳だった戦争直後から慎太郎さんの壮年期あたりまでの体験がもとになっている。私の父は昭和三年生まれだから、慎太郎さんよりも少し上。ほぼ同年配だな。

その世代の実体験は、私の世代ではどれも伝説上の話しになっている。その伝説の現場に、慎太郎さんは同席したりしている。まったく驚いてしまう。

目次の項目を見て、「男・・・」「男・・・」と、辟易としてしまう人もいるかも知れない。若い人では余計にそうかも知れない。だけど、そうだったんだよ。男が男であった時代、男が男であれた時代だったんだ。

まったく、うらやましい時代だな。



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ジャンル : 本・雑誌

『明日死んでもいいための44のレッスン』 下重暁子

お知り合いのリベラル派政治家が、ガンで亡くなったそうだ。

その方はエピキュリアンで、美術や音楽を愛し、食を愛し、ワインに耽溺する舌を持っていたそうだ。最後の瞬間、心を許した人だけが枕元に集い、彼がもっとも愛した赤ワインで乾杯し、飲み干して、間もなくなくなったそうだ。

その方の亡くなり方はともかく、エピキュリアンを、「訳して享楽主義者」と言っておられる。間違いではない。ただし、使い方に注意が必要だろう。この言葉を享楽主義者として使う場合、官能的、刹那的な快楽を追い求める人のことを指すことになる。

ヘレニズムの哲学者エピクロスの学説に傾倒する者という意味でエピキュリアンというならば、本来の快楽は精神的なもので、徳に基づく節制によってもたらされる心の平安を求める人ということになる。

それが“享楽主義者”などと言われるようになったのは、「死んだ人間が復活するわけないだろう」とか、「処女が妊娠するわけがないだろう」とか馬鹿にしていたきキリスト教が、ヨーロッパを席巻することになったからだ。

つまり、キリスト教会からの復讐だ。

キリスト教が、その後の歴史の成り行きから、ヨーロッパの支配的宗教になっていったのはやむを得ないこと。それはそれとして、それ以前のヘレニズム世界には、一度死んだ人間は決して生き返らないし、処女が妊娠することもあり得ないと、パウロの教えにはっきりもの申すだけの良識があった。

幼虫が、さなぎの中で変態し、羽化して成虫になる。あの時、幼虫はさなぎの中で、一部を残して身体を溶かし、完全に姿を変える。姿の変化は、生まれ変わるに近い。

人間で言うと、第二次性徴期がこれに当たる。思春期なんて言い方もある。身体と心の平衡が取れず、自分の身体を持て余して、なんともやりきれない時期である。小学校の高学年から、ギリギリ高校入学くらいまでの時期。精神的に、自分を追い込んでしまう場面が少なくない。うまく乗り切ることができず、友人関係に行き詰まってしまう場合もある。時には、自分から死に近づこうとする少年少女もいる。

その時期を乗り越えれば、少年少女は、大人の男と女になる。通常、めったなことでは死ぬことは考えなくなる。放っておいても、最後は立派に死ぬんだから大丈夫。失敗する奴はいない。

『明日死んでもいいための44のレッスン』    下重暁子

幻冬舎新書  ¥ 924

明日死ぬとしてやり残したことはないかと問われて、戸惑わない人はいないだろう
パートⅠ 「死」をよく知ると怖くなくなる
パートⅡ 明日死んでもいいための44のレッスン


おかげさまで早期退職して、いいご身分になった。還暦も過ぎた。子どもも独立した。家族を持って頑張っている。子育ての手伝いくらいで、やらなければならないことは、何一つない。連れ合いと、ほどほどの距離感を持って、日々を暮らす。いつ死ぬのかは分からないが、それまで暇を潰していればいいというのは、とても気持ちが楽だ。

著者の下重暁子さんは、私より23歳年長の方。NHK時代は女性トップアナウンサーとして活躍。その後フリーとなり、民放キャスターを経て文筆活動に入ったという。

「おかげさまで仕事の依頼も多く、他人に必要とされていることくらい嬉しいことはない」とおっしゃる。私はそうは思わない。人に必要とされたくない。世のため人のためになるなら、それは自分が判断して勝手に行なう。

下重さんのお母さまは、自分の母親の命日である3月18日に死にたいと口癖のように言っていたそうだ。そして実際に、3月18日に亡くなった。「決して偶然ではない」と下重さんは言うのだが、たまたまだ。

西行は「願わくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃」と詠って、実際に2月15日に死んだ。何度か断食を繰り返し、自分の式をコントロールして、2月15日に死んだ。それならできるが、望んだだけで自然死をコントロールすることはできない。

《明日死んでもいい44のレッスン》にも、いくつか首をひねるところがある。

「死に装束は決めておく」必要はない。私は普段着でも逝ける。

「遺産相続は生前に決めておく」ほどの遺産は残さない。

「社会や政治に対し、意見をきちんと表明する」・・・表明してもいいけど、若い連中にツケを回すような意見が多くなるのは間違いないよ。

「自分の死のイメージを作る」というのは、お母さまの死のことを言っているのだろうけど、断食往生以外の方法で自然死をコントロールすることはできない。下重さんは、死を「最終結果」とか、「集大成」と言っておられるが、それは誰かの評価を待つ思いの表れではないだろうか。

「必要とされる幸せを味わう」・・・必要とされることが幸せとは限らない。

「自分の死を報せる連絡リストを作る」必要は感じない。

死ぬことに失敗する奴はいない。その死に様を評価する人がいるかも知れないが、自分が死んでしまえば評価は関係ない。そんな評価は待たずに、早く三途の川を渡った方がいい。多少問題のある死に方をしても、死んだあとのことは、生きている連中が勝手に何とかする。

《パートⅠ 「死」をよく知ると、怖くなくなる》は、下重さんの人生体験が書かれている。下重さんは、失敗もあったけど、人に認められ、必要とされる人生を生きてきた。そんな強い自負が感じられる。そんな自分にふさわしい、立派な死を迎えたいと、そう思っておられるようだ。おそらくそれは、執着だ。

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イーグルス16

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こんな本、あんな本
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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。

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中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。

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高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。

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今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本
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