めんどくせぇことばかり 本 山
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『もっともっと ゆる山歩き』 西野淑子

『ゆる山歩き』はシリーズ化されていて、これで3冊目。

1冊目が出されたときに、紹介している。2冊目も買ったんだけど、ブログでは紹介しなかった。特別大きな理由はないんだけどね。1冊目を紹介してから、間がなかったからだろうな。

1冊目が出されたのは2016年の3月。私が股関節の手術を受けたのがその年の10月27日だから、3月頃は、まだ1日に2~3回、座薬で痛みを抑えながら仕事をしていた。仕事場にも杖を持ち込み、身体を傾けながら歩いていたころだ。

きつかろうが、ゆるかろうが、山を歩くなんてとてもじゃなかった。

股関節の手術は、そのあたりで突然、大きな変化があった。その少し前、私がかかっていた医者は、その道の権威と言われた人だけど、レントゲン写真を見て、「この状態なら、もう少し手術を待った方がいい」と繰り返した。「そんなに痛くないはず」なんて言われて悔しい思いもした。

おそらく骨に置き換える素材の耐用年数の問題だったんだろう。痛みに耐えられず、医者を変えたら、「一刻も早く手術」と言うことになった。いち早く新しい素材に切り替えた医師だったのだろう。

本当は仕事の区切れのいい2017年の年度末に手術を受けようと思ったんだけど、股関節の骨頭の状態が急激に悪くなり、少し早めることになった。

私の左足にはチタン合金で作った股関節が入っている。私が多少長く生きたとしても、生きている間に人工股関節の耐用年数が切れることはない。術後、股関節の痛みは一切ない。

もし悩んでいる人がいれば、今すぐにでも手術を受けるべきだ。

足が痛い時期でも、いや、足が痛いからこそ、希望を持っていた。いつかまた、山に登ってやる。手術を受けて、もう一度山を歩く。そうでも考えないと、痛くってやってられなかったからな。山に登るってことを支えにしていたけど、それは言わば観念的なもので、具体的に、どこの山を、このルートで登ろうってものではなかった。

そういうことを考えるようになったのは、手術後、足の痛みが消えてからのこと。最初は、恐る恐る、近くにある“こども動物園”を歩くことからだった。なにしろ山をやめてから20年以上経ってる。四六時中痛かったわけじゃないから、当初はそれなりの運動もしていた。痛みがひどくなって、杖に頼って歩くようになったのは、最後の5年くらいのもの。

それでも足は弱くなってたからね。最初は本当に、恐る恐る歩いた。ただ歩いているだけで、よく転んだ。膝を打って、けがをしたこともある。年が明けて2017年、奥武蔵の山を歩くようになった。山岳部で山に登ってたんで、逆に、奥武蔵の地味な山はあまり知らなかった。歩いてみると、地元の低山もいい。歳を取ったせいか、山の中を歩いているだけで、それだけで気持ちいい。

そんな時期に、この『ゆる山歩き』シリーズの1冊目に目を留めたんだな。「ああ、こういう、素人でも気軽に出かけられるコースだけを紹介している本があるんだ」って、なんというか、“我が意を得たり”ってところだな。





東京新聞  ¥ 1,320

ゆっくり歩いてとっておきの景色へ。首都圏から行けるおススメの全50コースを紹介

高尾城山 多摩森林科学園 金冠山(静岡) 渋沢丘陵
富士山(茨城) 武山(神奈川) 浅間嶺(東京) 相模嵐山 
硯岩(群馬) 官ノ倉山(埼玉) 檜原都民の森 西沢渓谷

金倉あじさい寺巡り 箱根湿性花園 塩原渓谷遊歩道 簔山(埼玉)
竜門峡(山梨) 霧ヶ峰 たんばらラベンダーパーク 夕日の滝(神奈川)
湯滝(栃木) 那須茶臼山 鳩ノ巣渓谷(東京) 横谷峡(長野) 縞枯山(長野)

踊子歩道 川津七滝 飛龍の滝(神奈川) 富士山御中道
神ノ主山(栃木) 多峯主山(埼玉) 千畳敷カール 吹割の滝(群馬)
赤城山沼巡り 大山寺(神奈川) 鎌倉アルプス 八王子城山

三十槌の氷柱(埼玉) 越生七福神 城ヶ島 をくづれ水仙郷
寄ロウバイ園 祇園山(神奈川) 国営昭和記念公園 入笠湿原(長野)
箱根駒ヶ岳 荒崎潮騒のみち(神奈川) 川津城山 高尾梅郷 曽我梅林   





この本で紹介されているコースは、だいたいが2時間以内で歩けるコース。越えても2時間半。3時間を越えるコースは例外的に2・3あるかどうか。

山歩きのコースだけで考えれば、3年前ならともかく、今の私には物足りない。ただいずれも、長くても3時間に納めるコースになっているが、周辺と合わせて5~6時間のコースに作り直すことも可能。ミドルコースやロングコースから、ハイライトだけ切り取ってショートコースを作ったようなもんかな。

それに、あまりアウトドア好きというわけでもない連れ合いと一緒に歩くなら、この程度で十分だし、これらのショートコースに近隣の観光を合わせれば、1日の日程を作ることも可能だろう。

どちらかと言えば、今はそういう意味で、このシリーズに頼っている。

手術から3年半、このシリーズの本をはじめ、首都圏からの日帰りコースを紹介する本にはけっこうお世話になった。そして、よく歩いた。昨年あたりから、ようやく足も出来てきたように思う。

さっきも書いたけど、当初はよく転んだし、5~6時間も歩くと足がパンパンになって、翌日は歩くのにも苦労しているような状態だった。今はもう、そういうこともない。

とりあえず、埼玉県東松山市に住む私には、奥武蔵という強い見方がある。

このシリーズでも何カ所か紹介されたが、2時間前後のショートコースで、春夏秋冬、四季に合わせて、それなりに見栄えのいいコースを作れと言われれば、いくつか思いつくところがある。

春の花、夏の沢や滝、秋の紅葉には事欠かない。冬と言っても雪景色が楽しめることは多くないが、なにしろ奥武蔵は、尾根や山頂と行っても樹林の中で展望がない場合が多い。そうなると、葉が枯れ落ちた冬こそ、奥武蔵は展望を楽しむ季節になるんだな。

さて、アウトドアなら、さほど感染の恐れもないだろう。人が多くなる週末と、人気の観光地は避けて、ちょっとマイナーそうな場所を選んで、出かけてみようかな。




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『つりが好き』

夏休みは、竿とビクを持って、よく浦山川に釣りに出かけた。

朝から行って、10時ころまで釣って、良けりゃ20~30匹くらい雑魚を釣り上げて帰った。オイカワとか、ハヤとか、ヤマベとか呼ばれている魚だろう。私はただ、雑魚としか言ってなかった。ひれが大きくて、色の濃い奴はバカ雑魚って、ひどい名前で呼んでいた。

熊谷の叔父に釣りを教えてもらった。一番単純で簡単な釣り方で、竿と人とハリだけでいい。餌は、川の石の裏にくっついているチョロっていう奴。カゲロウの幼虫だな。これの口からハリを入れて、あとは川に入って、流れに沿って竿を揺するだけ。雑魚が食いつけば、腕を引くとき、ビクビクッとあたりが来る。

謂われは知らないが、あんま釣りって言っていた。みんなでバケツ一杯の雑魚を釣って、腹を出して洗い、母に素揚げにしてもらって、塩をふって食べた。アレは本当にうまかったな。

そのあと、大きな石の下にいるヤマメをヤスで突いて捕ることに熱中した時期があった。細い竹にヤスを差し込んで、1mくらいの長さにして川に入った。小学校の1年上の子が、それをやっていて、自分の足を突いて大けがをしたことがあって禁止された。

そのあとも隠れてやっていて、2匹いっぺんに突いて、大興奮したことがある。しかし、学校の決まりを破っていたので、みんなに自慢できず、家族にだけ聞いてもらった。案の定、兄に怒られて、その年の“突き”は諦めることになった。



『つりが好き』


河出書房新社  ¥ 1,815

川、海、釣り堀で、つれなくてもつれても、やめられない24人の釣りアンソロジー
辻まこと 春の渓流
桂歌丸 噺百編  矢口高雄 二重の呪文
沢野ひとし ザリガニ釣り  佐藤垢石 春饌譜
福田蘭童 オクラとアユ釣り  井伏鱒二 ワサビ盗人
幸田露伴 釣魚談一則  幸田文 鱸  林房雄 釣人物語  
團伊玖磨 黒鯛釣り  西園寺公望 釣魚迷の「人民公社反対論」  
大場みな子 アラスカの鮭釣り
開高健 セーヌ川の雑魚にナメられ、手も足もだせなかったこと
獅子文六 釣りの経験  坂口安吾 釣り師の心境
森下雨村 不具の蟹  北杜夫 食用蛙
火野葦平 ゲテ魚好き  長辻象平 脇役たち
三遊亭金馬 釣友今昔  今西錦司 魚釣り
宮本常一 一本釣り  永井荷風 日高基裕『釣する心』序


24人の釣り話を読んでいて思った。

釣りって言うのは、10人いれば10通りの、100人いれば100通りの釣りがある。それぞれの人に、それぞれの釣りのスタイルがある。

釣りにまつわる話にしたって、こうやったからうまく釣れた、たくさん釣れたなんて話にはならない。そんな手柄話どころか、どっちかって言えば恥ずかしい話が多い。「本当のところ、人に言うのもはばかられるんだけど、今日は楽しい酒の席だから、ちょっとだけ聞いてもらおうかな」なんて言いながら話し始めるような、そんな話。

沢野ひとしさんの《ザリガニ釣り》なんて、完全に子どもの頃の失敗談。私の子どもの頃もザリガニを釣った。なんかの紐だけ持って行って、まずは蛙を捕まえた。蛙を石にたたきつけてつぶし、足をひっぱんてちぎり、紐にそれを結んでザリガニを誘った。いくらでも取れたけど、かえるには悪いことをした。

小さい生き物に対する子どもの残酷というのはひどいもので、捕まえた蛙の肛門に爆竹を突っ込んで、火をつけて人に投げつけていた。

自分の子どもたちは、そういう酷いことをしなかった。少ないとはいえ、それなりに蛙でも、ザリガニでも、虫でもいたんだけど、それらで遊ぶことはなかったな。下の長男なんか、喜ぶと思ってセミを捕ってやったり、昆虫捕ってやったりしたんだけど、なんだか嫌だったみたい。それはずっと後から聞いたんだけどね。

獅子文六さんの話なんか、どうも「釣りが性に合わない」って話だからね。自分はどうも、釣りにはむかない。実際、友人と釣りに出かけてもつれたことがない。川の中のどこにいるか分からない魚を釣り上げようという了見からして、並々ではない。そういうところ、釣り師というのは好色家に似て、女の習性や天候の潮目を読んでたらし込むようなものなんて。・・・たしかに釣りにはそういうところがある。

井伏鱒二さんの話は、天城山麓の渓流に釣りに出かけて、ワサビ泥棒を捕まえた話だ。結局、その話にはほとんど釣りの話は出てこない。だけど、かつての貧しい日本には、そういう裏話がたくさんあった。そのワサビ盗人だって、それが一本二本持ち帰るという話なら、事を荒立て足りはしなかったはず。

竹の子がなくなったり、まんじゅうが消えていたりすることはよくあった。祖父母や父母は、食い物を持って行く人がいるのは、「それはそれでいいんだ」と言っていた。

矢口高雄さんの話がすごい。矢口さんは子どもの頃から、食料調達のために魚を釣ったそうだ。そのために、餌として蜂の子を使うようになったんだそうだ。アシナガバチの子だそうだ。ところが、蜂の子を手に入れるためにはアシナガバチに指されなければならない。

そんな様子を見て、おじいさんがハチに刺されない呪文を教えてくれたという。一息に心の中で三度呪文を唱えれば、巣を手づかみにしても蜂には刺されない。ただし、呪文を人に教えれば、その効き目はなくなる。

だから、おじいさんは自分の特権を矢口さんに譲ってくれたわけだ。

矢口さんが一息に三度その呪文を唱えると、アシナガバチが動かなくなったように見えたらしい。矢口さんは小さく一度、とどめの呪文を唱えて手を出した。

・・・矢口さんの顔は豚のように腫れ上がったという。

私も実は、お金ほしさに、毛布をかぶって、スズメバチの巣に手を出したことがある。そのあとの記憶ははっきりしないのだが、私は豚の顔くらいでは済まなかった。 



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ジャンル : 本・雑誌

『山岳捜査』 笹本稜平

武漢発感染症の流行で、しばらくの間、山登りも控えていた。

緊急事態宣言が解除されて、6月に入り、山登りを再開した。県境を越えての移動ははばかられるので、地元埼玉の山ということになる。奥武蔵は手軽で人気のあるところなので、週末は避ける。秩父に入っていく西武鉄道、寄居に向かう東武鉄道、それから名栗に入っていくバスは利用しない。

秩父郡市は医療が貧弱で、高齢者の多いところ。つまり過疎地。宣言期間中は「しばらく来ないで」と観光駐車場まで閉じていた。今は、閉鎖は解かれたが、「県外は遠慮して」と警戒を続けている。

埼玉県がそうなんだから、群馬も栃木も長野もそうだろう。奥多摩だって警戒してるだろう。それを思えば、埼玉の山に、こぢんまり登ろう。その気になれば、都県境でもいい。「あそこは埼玉!」と言い張って。

『山岳捜査』・・・山の本?警察の本?

山の話しや警察の話しを書いていた笹本さんが、それをあわせた話を書いちゃった。『駐在刑事』だったそうか。ただ、『駐在刑事』に比べて、こちらはサスペンス感たっぷり。

なんだか最初から、怪しい場所にテントを張っている連中がいる。休暇を取って春先の鹿島槍北壁登攀にやってきた長野県警山岳遭難救助隊に属する2人が、テントを張った稜線上から、それを見ていた。翌日、登攀を終えて戻ると、怪しいテントはすでになく、そこには死体が一つ転がってるんだ。

なんだか最初から、ずいぶんチョロそうな事件なんだけど、これがビックリ、先へ読み進めば進むほど、わけが分からなくなってくるんだ。3分の2ほど読んだところで、私は思ったな。

「これ、残りの紙数で終わらせるのは、無理じゃないかな」

表紙を見直してしまった。『山岳捜査 上』だったんじゃないかと思って。でも、“上”とは書いてない。「終わるんだ」って、ホッとしたような、がっかりしたような思いで、次のページに進んだ。


『山岳捜査』    笹本稜平


小学館  ¥ 1,870

吹雪の北アルプスでの壮絶な捜索行。その果てに明かされた真実とは―。
長野県警山岳遭難救助隊に所属する桑崎祐二は、鹿島槍北壁からの下山途中、谷あいに倒れている人物を発見する。すでに死亡していたその女性の首には、索条痕と吉川線があり、他殺死体だと認められた。しかし桑崎らをヘリコプターに収容する直前、雪崩が発生し、死体は飲み込まれてしまう。桑崎は、死体を発見する前日、同じ場所で不審な三人組を目撃していた。さらに三月の気温の上がる時期にもかかわらず、死体は完全凍結していた。三人組と女性との関係は?なぜ死体は凍ったまま発見されたのか。


鬼気迫る救助シーンが何度も出てくる。季節はいずれも春先の、転向の不安定な時期。

北アルプス五竜岳に向かう遠見尾根、大遠見山。中央アルプス主峰宝剣岳。八ヶ岳主峰赤岳。いずれも厳しい現場での救助活動で、梅雨入り前の蒸し暑さの中で読んでいても、背筋が凍えるような、足がすくむような感覚を覚えながら読んだ。

らすとは吹雪の北アルプスでの壮絶な捜索行。場所は北アルプスの五竜岳と鹿島槍ヶ岳のあいだの深く切れ落ちた鞍部で、八峰キレットと呼ばれる危険な縦走路。

折しも太平洋岸を北上する大型の低気圧に加え、日本海にも低気圧が発生し、二つ玉低気圧の様相を見せ始めている。二つ玉低気圧は春先、まさにこの頃発生し、台風なみに発達する。これが連休に当たったりすると、山では大量遭難が起こりやすい。

そんな中、夜中に向けて、八峰キレットに突入していく、3人の山岳遭難救助隊員。救助対象者はまさに事件の核心をしる二人の人物。

おお、背筋が凍る。足がすくむ。八峰キレットは、若い頃に一度越えたことがある。もちろん、夏場。それでも十分恐かった。足場もホールドもしっかりしてたけど、私はこの高度感に“慣れる”ということはないだろうな。

高度感に対する人間の恐怖は、人間にとって本能的なもののはず。この本の主人公は、その恐怖心をときめきに変えてしまう触媒のようなものを体内に持っているかどうかと言っている。

なんだか分かるような気もする。道に迷いかけたとき、困ってるはずなのに、なんだかときめいていることがある。

あるいは、『言ってはいけない 残酷すぎる真実』という本にあったが、安静時心拍数の低い人が反社会的行為に走る確率が高いという話があった。高度感に恐怖を感じないというのも、それと似ているかも知れない。

通常、人にはそれぞれ最適な覚醒度があって、心拍数が低いとなかなかそこに到達できず、必然的により強い刺激を求めて反社会的行為に走りやすいというような話だった。

それが、反社会的行為ではなく、通常ならば恐怖を感じる高度感によって、心拍数があがり、最適な覚醒に達して“ときめく”のではないか。

だったら、反社会的行為に走りやすい奴は、みんな八峰キレットに連れて行くか。・・・ダメだよね。

早く県境を越えて、山に行きたいな。




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『「日帰り登山」を楽しむ本』 今泉忠明

ああ、山、行きてー!

ずいぶん、山に登ってないような気がするな。連休前から、奥武蔵から秩父の山を抱える自治体のほとんどが、「しばらく来ないでね」って言うもんだから、仕方がないよね。埼玉県北部なんかほとんど群馬なんだから、群馬で受け入れてくれないかな。

ずいぶん前の本、2009年の本だ。だけど、いい本だよ。なにしろ、今泉忠明先生の本だからね。

今泉先生は、動物学者だよね。この本の“はじめに”にも、そんな自己紹介が書かれていて、それを読んで思いだした。もともと私は、それが誰が書いた本かってことに、本当に無頓着なので、この本を手にして先生の名前を見ても気づかなかった。


いずれも、今泉先生が書いたか、監修で関わっている本。

先生は、動物を追い回して、山を歩き回ったんだな。生態や行動を調査したり、観察したりすることが先生の本業だからね。そんな仕事で訪れたのは、北は利尻山や大雪山に日高山地から、早池峰山、富士山、南は西表島の御座岳などを調査して回ったんだそうだ。

だけど、動物を追いかけてのことだから、道が無いよね。あっても、けもの道。夜行性の動物を見るためには、当然、夜の森。道の無い夜の森を歩くのか。

イリオモテヤマネコの調査をした若い頃は、5万図しかなかったんだそうだ。5万図の3km四方に100m間隔で直線を引き、ヤマネコの痕跡を探しつつ、森の中を直進するんだそうだ。森を直進するってのは、難しいし、恐ろしい。地図を見たって、何が待ってるか、実際のところは行ってみないと分からないからね。

こういう体験が背景にあるから、今泉さんの本はおもしろいんだな。



PHP文庫  ¥ 時価

中高年からでも気軽に始められる低山を中心に、山歩きの醍醐味をレクチャー
プロローグ 日帰り登山のすすめ
第1章 日帰り登山の魅力
第2章 日帰り登山のプランニング
第3章 山歩きのテクニック
第4章 知っておきたい山の天気
第5章 低山の四季と自然
第6章 雪山物語、アニマル・トラッキング
第7章 日帰り登山の安全対策
第8章 日帰り登山の楽しい記録


日帰り登山と言ったって、どこから登山を開始するのかによって、ずいぶんと違う登山になる。

富士宮ルートなら、5合目は2400m。3776mの山頂までの標高差は1376m。空気が薄くなるけど、まあ、このくらいなら、ごく当たり前に、いつもの日帰り登山で歩いている。標高だけ考えても、2500mを越える場所に行くなら、やっぱり泊を伴う登山を考えた方がいいでしょうけどね。

いずれにせよ、一口に日帰り登山と言っても、ケースに応じて、いろいろな装備とか、体力とか、経験とか、知識が必要になる。

もし、これから日帰り登山を始めようかという中高年の方がこの本を手にしているとしたら、怖がらずに、人がたくさん歩いている高尾山でも、御岳山でも、歩いてくるといい。不安に感じたら、すぐ下りちゃえばいいんだから。

第1章の《日帰り登山の魅力》、第2章の《日帰り登山のプランニング》、第3章の《山歩きのテクニック》あたりは、山の中を歩いてくることで、段違いに実践的に読むことが出来る。

私は、第4章の《知っておきたい山の天気》に一番惹かれた。いや、それを読むために、この本を買ったと言ってもいい。観天望気を磨きたい。夕焼けは晴れ、朝焼けは雨とかね。レンズ雲が出たら山を下りろとかね。

ニュース番組を見ていると、気象予報士という身分の方々が、今日の天気を、明日の天気を教えてくれる。あれに疑問を持っている。以前と違い、詳細な天気図を元に、それ故に、このあとの天気は、このように変化すると解説するのが天気予報ではないのか。

スーパーコンピューターがはじき出した答えを読み上げるだけなら、気象予報士はいらない。先日、予報にはなかった雨に、「私も濡れてしまいました」と言ってた恥知らずな気象予報士がいた。

高校の、それも高校1年の時は、ほぼ毎日天気図を書かされた。最初は宿題として家に持ち帰って、仕上げて翌日先輩に提出。もちろん山に行ったときも。3年になると、その天気図で翌日の天気を予報し、行動を決めた。痛い目に遭ったこともいくらでもある。だから、天気予報の精度が上がったことはとてもうれしい。だけど、スパコンまかせって言うのは、いかがなものかと思うな。

そこに、天気図を見て自分の判断を加えて、さらには観天望気。必死の思いで翌日の天気を推しはかった先人の知恵は、きっと元代の天気予報の強みにもなる。

若い頃は、翌山をほっつき歩いていた頃は、晴れた日に雨の匂いを感じることがあった。・・・そして最後は、勘だよね。




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『山の霊異記 黒い遭難碑』 安曇潤平

『山の霊異記』ファンなんだけど、なんかの巡り合わせで、この《黒い遭難碑》は読んでなかった。

でもなぁ、怖いのは嫌だしな。実際、私は山に行くからな。今年からは、山中に一人で泊まることになるし、・・・そんなとき、怖くなるのは目に見えている。だけど、読まずにいられない。ど、・・・どうしよう。

そうじゃなくたって、若い頃は、怖い目に何度もあった。剣の岩壁とか、八峰キレットが怖いって言うんじゃない。・・・いや、剣も八峰キレットも怖い。かなり怖い。涙が出るほど怖かった。だけど、そっちの怖いじゃない。ヒュー、ドロドロの方の“怖い”の話。

山でのそういう思いの一つは、高校1年の正月、1月1日の武甲山。山岳部仲間の横田君とご来光を見に行ったとき。初めての個人山行での夜間登山。高ぶる気持ちを抑えられず、紅白が終わってから、まもなく横田君に電話して出かけてしまった。うちは影森という武甲山の麓、横田君の家は荒川村。都合上、浦山鍾乳洞で待ち合わせて、バイクで登り口に向かった。真っ暗な登山道をヘッ電で照らしながら登るのは、本当にしびれた。しびれすぎたせいか、ゆっくり登ろうなんて気は、まったくなかった。

だけど、やっぱり、ご来光には早すぎた。1月1日のご来光は7時前後。おそらく私たちは、4時には山頂にいた。そんな時間じゃ、山頂に人がいるはずもない。テントなんかもってきてないし、もちろん寝るには寒い。一杯飲みながら時を過ごした。

私が大学の2年の時に、武甲山本来の山頂には入れなくなり、その後、その山頂は崩された。その直前に登って以来、武甲山には登っていない。だから今の山頂を私は知らないが、当時の山頂は、山頂直下の急登がすごかった。山頂からは、最後の厳しい登りが見下ろせた。

しばらく飲んでから、何かの拍子に見下ろすと、ヘッ電の光が二つ登ってくるのが見えた。まだ、だいぶ下の方だった。だけど、20分もすれば、十分登ってくるだろう。5時、それでも早すぎるくらいだ。まだ夜明けの気配すら始まらない。

少しして、様子を見に行ってみる。ヘッ電の光は、さっき見たあたりから動いていない。休憩か。横田君が「おーい」って声をかけた。すると、ヘッ電の光が上を向いて、その直後に消えた。

「えっ、なになに?」

・・・実は、それだけの話なんです。

当時は、今のような登山ブームからはほど遠い時代で、人もさほど多くなかった。この1月1日の朝も、結局、山頂は私たち二人だけ。ご来光は二人占めだった。日の出間際の温度は零下10度を下回った気温が徐々に上昇して、ポカポカ温まってくるまで山頂で過ごした。あの、夜明け前の出来事を忘れるために。

あの、いったん上を向いて消えた二つのヘッ電の光がなんだったのか、その後もまったく分からない。




角川文庫  ¥ 748

心身ともに強靭な山男たちを震撼させる、恐ろしくも不可解なできごと
顔なし地蔵    青いテント   三途のトロ
山ヤ気質     真夜中の訪問者 大弛峠
ポニーテールの女 霧幻魍魎    黒い恐怖
鹿神旅館     霧限の彷徨   釜トンネル
目        青い空の記憶  滑落
はないちもんめ  裏山      乾燥室
ひまわり     櫛       八方温泉
山神トンネル


不思議な出来事と、恐ろしい出来事は違う。

私が若い頃に体験したのは、ふしぎな出来事だな。

山の方からキャンプ場に向かって、「おーい、おーい」って呼びかける声が聞こえる。

夜、満月に向けて歩いていたら、いつの間にか月は後ろにあって、じゃあ、前にある明かりはなあに?

後ろからザックを引っ張るのはだあれ?

瞬く星々の中で、ほんの三つ四つだけが、変に動いているとか。

なんか、ちょっと前なら、狐に化かされたってことで済まされちゃうような出来事だな。

ヒュードロドロで恐ろしいっていう質の悪いのは、登山にかこつけて谷底に蹴落とされたとか、東京で殺されて、秩父の山に埋められたとか、そういう希有な霊なんだろう。

山で死んじゃうっていうのは、もちろん不本意な死であったろうけど、好きで来た山だからね。それが成仏できないっていうのは、まずないでしょう。だから、遭難碑を見ても、それ自体が恐ろしいとは思わない。

自分が死んだことに気づかずにさまよってるってのは、あるかも知れないね。だけどそれなら、人をビックリさせることはあっても、こっちの世界に引きずり込もうという悪意はないはず。

まあ、『山の霊異記』は怪談話の本だからね。追いかけてきたり、引きずり込もうとしたり、取り憑いてみたり、そういう霊たちばかりを登場させる。もう、恐ろしくて、恐ろしくて。

ただ、不気味さを感じさせる場所っていうのはあるね。早く遠ざかりたい場所。なんだか、後ろから気配の感じられる場所。さっきまでそんなじゃなかったのに、そこに通りかかったら、急に冷気に包まれるような場所。なんだかざわつく場所。

もしも、この話に出てくるような、通りがかる登山者に災いしようという霊があるとしたら、それは・・・。

理由は分からない。その理由を創作して、怪談話にまとめ上げるのが安曇潤平さんの仕事ということだな。

あの、いったん上を向いて消えた二つのヘッ電の光。あれはやっぱり、死んだ人だろう。つい、自分が死んだことを忘れて、ご来光を見に現れちゃったんだろう。だけど、二人はいつまで経っても、山頂にはつけなかったんだ。山頂につけずに死んだから。急登にあえいで、息が苦しくて苦しくて、・・・そんなとき、山頂から「おーい」って呼びかけられて、自分たちが遭難して死んだことを思い出したんだろう。

「おっと、いけねえ」って、ヘッ電の明かりが消えたんだ。



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『白き高峰の殺意』 森村誠一

2006年にワンツーマガジン社から出された本だけど、もとは1991年に天山出版から刊行されたものだそうだ。

私が31歳の時だ。まだ、山をやめてない頃だな。

まだ、最初に赴任した高校に勤務していた。その学校の新設2年目に新任で赴任して、翌年、十歳ほど年上の先輩に声をかけられて、一緒に山岳部を作った。若かったこともあって、どんどん鍛えて、山に連れて行った。自分がそうされたような新人いびりは、絶対させない山岳部にしたかった。それなりに、いい山岳部だったと思う。だけど、最後は管理職ともめてしまって、山岳部の顧問を降りる羽目になってしまった。

潮目だったんだな。ちょうど股関節の痛みが強くなってきた時期でもあって、そういう形で山から離れるきっかけを作ったと言えなくもない。

それから二十数年、56歳で股関節を手術して、57歳からその時勤めていた学校で、山岳部の顧問を再開した。この間に生徒の質もだいぶ変わってきていて、山岳部員といってもそんなに山に登りたがらない。???不思議な人たちを相手に、山岳部の顧問をすることになった。

あまり遠くに行きたがらない。日帰りがいい。泊があるなら、山小屋がいい。電波の届かないところには泊まりたくない。

日光湯元は電波が届く。夜通しゲームをしていた奴がいて、翌日、たたき起こして日光白根に向かったが、外山の登りで寝そうになり、ガレ場で転倒。全員登山を中止して、引き返した。

尾瀬ヶ原は電波が届かない。テントを張ったあと、電波を求めて尾瀬ヶ原を右往左往する部員たち。良く歩いたと見えて、この日はよく寝たようだ。翌日全員で至仏山に登頂できた。

そいつらも、この3月で卒業する。私は1年先に学校を去ってしまったが、卒業式にはお祝いに駆けつけるつもりでいた。先日、学校から便りをもらった。新型コロナウイルスの影響で、今年の卒業式は、卒業生と教員だけで行なうそうだ。
《山岳ミステリー傑作選》と銘打った六つの話。場所は、いずれも北アルプス。“K岳”、“H岳”、S岳”、M岳と表されるが、唐松、穂高、白馬、三俣蓮華と想像がつく。多くは垂直に切り立った岸壁や、冬山の視界もままならない吹雪の中で、事件が起こる。

そしてその時、どう振る舞うかが問われる。生きるために、変節するのか。生きるために、奪い取るのか。生きるために、置き去りにするのか。生きるために、命をかけるのか。

〈いやいや、山も“下界”も、人間の欲望に変わりはない。たかだか標高を二、三千メートル上げたからといって、人間の欲望は浄化されない。されると思うのは、ことさらに山を美化して眺めようとする人間のロマンティシズムにすぎない〉

六つの山岳ミステリーの中の、『裂けた風雪』の中で、山で起きた殺人事件に関して、山小屋の主人二宮の犯行ではと疑う緒方が、心の中でそうささやく。

六編の話に、共通して流れる、作者森村誠一の“山と人”に関わる思いのようだ。


『白き高峰の殺意』    森村誠一


ワンツーマガジン社  ¥ 時価 582より

岸壁の登攀や、悪天候の冬山登山が、リアリティ豊かに描かれた山岳ミステリー傑作選
夢の虐殺
高燥の墳墓
挑戦の切符
裂けた風雪
垂直の陥穽
北ア山荘失踪事件


『垂直の陥穽』で、父親から大学山岳部に入ることを反対された息子が、父親も若い頃山に登ってたじゃないかと反論する。「奥秩父や奥多摩くらいのところだったとしても」と言っているのが引っかかった。危険を顧みず、先鋭的に難しいルートや季節に挑戦するのが登山家のあり方と、彼は思っていたようだ。

物語は、そのことに一切立ち寄ることなく通り過ぎるが、この問題、実はこの本のテーマに深く関連している。「たかだか標高を二、三千メートル上げたからといって、人間の欲望は浄化されない」ことはその通りだと思う。

だけど、登山シーズンの奥秩父や奥多摩を歩いてみるといい。傑作選の中で、なんとなく批判を向けられているように思える“山の世俗化”がそこかしこに見られる。だけど、そこに見る多くの顔は輝いている。絶景に心打たれ、ここまで歩いてきた自分の脚を賛美し、心が打ち震えていることを隠そうともしない。

・・・“二、三千メートル”じゃない。あの人たちは、たった標高305mの日和田山で浄化されてる。

たしかに、かつての登山ブームにおいて、本当にあったひどい話のいくつかを聞いたことがある。道標を動かしちゃうとか、ベースにしているテントに勝手に入ってものを盗むとか。女の子のパーティーに嫌がらせするとか。夏山で翌朝3時起きだってのに遅くまで騒いでるテントに頭にきて、全部ペグを抜いてテントをつぶしてやったこともある。二十数年ぶりに山歩きを再開したけど、今の方が圧倒的にマナーがいい。女の子が一人で歩いているのも、よく見かけるもの。

浄化されないのは、浄化される能力に乏しいやつが山を歩いているからに他ならない。

殺人事件を取扱ったドラマの中で、犯人はよく、秩父の山に死体を捨てに行く。私の故郷だ。東京の人であれば、“秩父の山”というだけで、すでに「絶対見つからない」という意味を持たせることができるのかもしれないが、“秩父の山”はもともとは、上州、信州、甲州への街道の通っていた場所。山を歩く人は少なくないし、車が入れるところであれば、釣り人や沢登りが入る。

本当に絶対に見つからないのは、和名倉山の西側だ。あそこは、ほとんど人が入らない。今でも狼が居るとすれば、あそこしかないだろうという場所だ。そこまで行くのが大変だけど。

だったら、やがて死体になる人に、そこまで歩いてもらって、そこで死んでもらうのが楽でいい。ガレ場で先を行き、上から岩を落とすのが一番いいだろう。確実に殺したら、あとは和名倉山の西側の谷間に落としておけばいい。

高校の頃、山岳部の部室でそんな話をしていた。浄化される必要すらない、汚れを知らぬ時代だった。


テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『山岳遭難の傷痕』 羽根田治

昨日、地域の人がうちに来て、Sさんのお宅におかしな人たちがやって来ていたと教えてくれた。

Sさんは一人暮らしの高齢女性で、認知症がだいぶ進んでおられる。東北に嫁いだ娘さんがめんどうを見に帰ってくるわけにも行かず、すでに施設へ入所する話が進められているはずなんだけど、その進行がはかばかしくないのでやきもきしていたところだ。地域の人が、そのお宅の前に見かけない車が止まっていたので覗いたところ、二人の女性が上がり込んでSさんにまんじゅうを食べさせていたという。

どうやら宗教の人らしく、Sさんとは旧知であると言い張ったという。しかし、Sさんの家族構成を知らず、ご主人が最近亡くなられたことも知らなかったという。認知症らしいと気がついて、それにつけ込んで旧知などとウソを言う。あんまり質が悪いので、区長を呼んでくるとうちへ向かったら、車で逃げたという。

最近、埼玉県でもなにかと悪い噂の立っているあの宗教か?

著者の羽根田治さんは、山岳遭難に関わる本を、いくつも出している方ですよね。

今までにも、『道迷い遭難』、『気象遭難』、『滑落遭難』っていう羽根田さんの本を読んでいる。こういう本って、本当に貴重ですよね。なにしろ、それを読むことで、“遭難”を疑似体験することが出来るんだから。

誰だって、山での失敗はある。私も今までに、山でいろいろな失敗をしている。上記の本を読むと、そのいろいろな失敗が、時には本格的な“遭難”の入り口になり得るんだなってことが分かる。そして、一つの失敗が、遭難となるかならないか、その違いはさほど大きなことではないということが分かる。

「ああ、あの失敗をしたときに、・・・」こういう心理で行動していたら、遭難につながった可能性がある。このようにリカバリーしようとしたら、もっと悪い事態に陥ったかもしれない。

この疑似体験は、かなり有用だ。

最近、いい歳をしてようやく、山の中でも自分の行動を冷静に、第三者の目で見つめることができるようになってきた。羽根田治さんの本のおかげも大きいと感謝している。体力はじめ、体の機能が落ちてきているんだから、精神的な面で少しは成長できないとね。

ちなみに私、脚の病気で一度登山をやめる直前に、富山県の岩山から下山中、小屋までもう少しというところで脚の痛みが始まった。自力で下山できなくなり、通りかかった人に、山小屋に救助の要請をお願いした。あれは、遭難だな。


『山岳遭難の傷痕』    羽根田治


山と渓谷社  ¥ 1,870

遠い過去のものとなりつつある山岳遭難事故も丹念に再検証する必要がある
1章 1913年の「聖職の碑」木曽駒ヶ岳集団登山事故
2章 1930年の東京帝大の剱澤小屋雪崩事故
3章 1954年の富士山吉田大沢の大量雪崩事故
4章 1955年の前穂高東壁で起きたナイロンザイル切断事故
5章 1960年の谷川岳一ノ倉沢宙吊り事故
6章 1963年の薬師岳愛知大学大量遭難事故
7章 1967年の西穂独標で起きた高校生落雷遭難事故
8章 1989年の立山で起きた中高年初心者の大量遭難事故
9章 1994年の吾妻連峰スキー遭難事故
10章 2009年のトムラウシ山ツアー登山事故


さて、今回の『山岳遭難の傷痕』は、過去に実際にあった山岳遭難、それも大きな話題となった山岳遭難をもう一度掘り起こし、事故当時では詰め切れなかった原因の究明、その後の措置の検証を振り返り、遭難事故回避の教訓としようとするものである。

最新で2009年のトムラウシ山ツアー登山事故が取り上げられている。これに関しての原因究明や検証は、不十分とされるところでもないだろうが、あえて取り上げられたのは、やはり“十大事故”から外せなかったからだろう。2017年の那須高校生雪崩遭難は、あまりにも生々しすぎるから取り上げられなかったんだろうか。

その前の1994年の吾妻連邦スキー遭難事故、1989年立山中高年初心者大量遭難事故は記憶にあるものの、それ以前の七つの遭難事故は、物語や記念碑で知るだけのものだった。

そういった遠い過去の遭難事故をあらためて原因を追及し、その後の措置の検証をすることは、遭難事故回避の教訓とする上で大変に意義深いものと感じられた。

いつ頃読んだか記憶にないんだが、《1章 1913年の「聖職の碑」木曽駒ヶ岳集団登山事故》をもとにした、新田次郎の『聖職の碑』には、強く感銘を受けた。おそらく、高校の教員になりたいと考えていた、かつ山岳部の顧問になりたいと考え始めていた高校生の頃だと思う。嵐の中を必死で登り下りし、次々倒れていく子どもたちに天を仰いでいるのは、私だった。

本のヒットか、映画のヒットのあとか、それに似た物語で、『雪の湯浴み』という物語を読んだ記憶がある。同様の学校登山の遭難を題材とした物語で、最後に死を意識した女生徒が、雪で湯浴みをして身を清めるというラストシーンなんだ。まだ汚れを知らぬ膨らみきらぬ胸を、女生徒は雪で清めて、その上で衣服を整える。全てを終えて、ようやく彼女は意識の薄れゆくのに身を任せるんだ。『聖職の碑』を意識した、同人誌かなんかに載ってた話かもしれない。決して私が書いたものではない。

《6章 1963年の薬師岳愛知大学大量遭難事故》にも思い出がある。高校1年時の夏山合宿初日、夜行で富山に向かった私たちは、折立から太郎小屋に入り、1年部員は幕営や食事の準備を命じられ、それが終わってから薬師岳ピストンに向かった。薬師岳からの帰り、まだ時間に余裕があったので、太郎平でしばらく昼寝をした。みんな、初めての夜行列車体験で、しかも厳しい初日を終え、疲れていたので、・・・小一時間、・・・すやすや寝た。

先に起きたMが、何かをみんなに伝えたいらしく、「おいおい」とみんなを揺すり起こした。私たち全員が足を向けて寝ていたケルンは、愛知大学遭難碑だった。私たちは無言で身なりを整え、それぞれ手を合わせて、太郎小屋まで無言で帰った。その夜、Mは何度もうなされた。

Mもその後、高校山岳部の顧問となり、一度も遭難を出すことなく務めを果たした。



テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『奥多摩・奥秩父』『関東の名山』『地図読みドリル』

22日に行なわれた息子の結婚式に向けて、先週は山に行くのを自重した。

結婚式の披露宴っていうもの、ずいぶん変わった。自分たちの結婚から、もう36年経ってるんだから当然なのかもしれないけどね。披露をするのは親だよね。親が子どもの結婚を披露するのであって、自らひけらかすものではない。でも、今は、そんなことはお構いなしなんだね。

招待するのは双方の親族と友人たち。仕事の関係の方は呼ばないんだって。仕事関係の方でも、それが当たり前になってるんだそうだ。変わったのは結婚式や披露宴だけじゃなくて、世の中そのものが変わってるんだな。

それでも披露宴をするってだけでも、親としては安心できる。息子は7人のいとこの中の一番下で、一番最後の結婚式。軽重の違いこそあれ、それぞれしっかり披露宴を行なって、その連れ合いを親族に紹介してきた。

親から、何があっても兄弟は助け合えって育てられた私たちにとって見れば、これはとても大事なこと。実際に困ったときに、親族に泣きつくかどうかは別として、助けてくれる可能性のある人がいると言うことは大きい。“家”が壊されて、すでに久しいが、今、雨に降られても、屋根のないところで濡れっぱなしの人も少なくない。“家”に代わる何かは、まだ私たちの前に現れない。国に全てを求めるのは虫が良すぎるだろう。だったら、つながりは、たとえ細くなっても保っておいた方がいい。

何度も何度も式場に足を運んで、打ち合わせをしたようだ。なにしろ埼玉の家を出て、滋賀県の会社に勤めたもので、お嫁さんも大阪の人ということで、大阪での結婚式。私たち夫婦も一度は顔を出したし助言もしたが、細かいところは任せるしかしょうがない。ああでもない、こうでもないと、時には新郎新婦が角突き合わせることもあったらしい。


ようやく本番を迎えようって時に、親父が山で死んじゃわないまでも、骨折でもして、結婚式に水を差すようなことになったら悪い。だから先週は天気が良くても山に行くのを自重した。




山と渓谷社  ¥ 2,750

奥多摩・奥秩父の一般登山コースを対象とした登山ガイドブックです


息子の結婚式が終わったというのは、私たち夫婦にとって、とても意味が大きい。

と言うのも、私は早期退職で、仕事を辞めている。教員という仕事が、私の思うものから大きく外れてしまったこともあるが、山登りはじめ、好きなことをやって、この先は生きていきたいと思ったからだ。もちろん、分にあわせてのことではあるが。

この1年は、身の回りの整理に加え、地元の自治会長をやっていたこともあり、週に一度プラスアルファくらいしか登っていない。しかも、泊登山は一度もなかった。

私は30代半ばで、体の故障で一度山をやめた。そこまでは、ほぼ日帰り登山というのをしたことがなかった。56歳で手術を受けて、そこから再開することになるが、萎えてしまった脚を引きずって、近所を散歩するところからの始まりとなった。

あれから3年、ずいぶん登れるようになってきた。日帰りとか泊登山とか、こだわるわけじゃないが、暖かくなったら、今まで以上のことをやってみたい。やっぱり“奥”に入るためには、歩けるだけじゃなくて、担げるところまで持って行かないとね。





JTBパブリッシング  ¥ 1,980

日帰り、前夜泊、小屋泊まりなど、登山経験がある中・上級者向けの内容


ホームグラウンドは奥武蔵。

埼玉県中西部、関東平野の西の縁に住んでいます。生まれは秩父、地元の山岳部で山をはじめて、当時のホームグラウンドは、もちろん秩父。カブで大滝まで入って、雲取ヒュッテ、甲武信小屋、雁坂小屋に歩荷、山小屋の手伝いをして小遣いを稼ぎ、いける範囲の山に登ってた。

秩父からだと、目は北に向いたね。南の方面の山は、地味に見えた。寄居から高崎線で高崎に出て、そこからって感じ。あとは新宿に行って、そこから南アルプス、八ヶ岳、北アルプスだな。

だけど、土曜日半ドンの当時、土曜の午後から奥秩父に歩荷ってわけにいかない。連休じゃなきゃ行けない。連休に、コツコツ歩荷と山小屋の手伝いで稼ごうと思っても、せいぜい二日で
6000円。雲取ヒュッテの親父が特別な荷物を準備しておいてくれて、それを下ろして5000円もらったことがあって、8500円が最高。

特別な荷物って、やばいものじゃないよ。・・・いや、ある意味でやばいかもしれないので、一応、内緒。

この本を読んでると、そんな思いをしながら登っていた当時が懐かしい。






山と渓谷社  ¥ 990

地形図を使用した実践的な問題で、実際に登山を行なっているように技術を学べます


高校1年の時、まだ、夏の合宿にも行ってないってのに、ちょっと難しい山に登ったことがある。

奥秩父の主脈からは外れているんだけど、変に存在感の大きな和名倉山って山。山岳部に入って知り合った4人の新人だけで、学校のテント借りてどっか行こうということになって、先生にどこがいいか聞きに行ったんだ。そして山岳部の顧問の先生が教えてくれたのがこの山。和名倉山。

歩荷ほど重い荷物担ぐわけじゃないから、土曜日の授業が終わったらすぐに出発。まだ、バイクの免許持ってなかったから、この時は、メンバーの一人のお父さんに二瀬ダムの登り口まで車で送っていってもらったんだ。

イヤだけど、先生のおすすめだけど、この山は難しかった。夕方近くなったところで、どうやら今で言うリングワンデルング。同じところを何度も回っちゃうやつ。「ここ、さっきも歩いたよなあ」って最初に言ったのはMくん。山の北東側斜面を歩いているので、暗くなるのが早い。結局、平らなところを見つけてテントを張っちゃった。

これが大正解。東の方角に秩父の明かりが見える。そちらに向かって、好きな女の子の名前を叫びました。月曜日にまた、逢えますようにって。

さて翌朝、とっとと朝ごはんを食べて、地図と磁石に首っ引きで、必死で道を探しました。あの必死さが良かった。必死で頭を働かせて、方位、方角、地形、送電線、対象物の位置、植生と、必死で確認しながらリングワンデルングから脱出。原因は、倒木の手前に道がついていたので、そちらに進んだことでした。本当の道は、倒木の向こうに続いてました。

あの時の気持ち、今でも良ーく覚えています。山頂は薮の中でした。同じ道を通って、二瀬ダムにおり、今度はバスで帰りました。好きなこの名前は、お互いに秘密にすることを誓い合いました。


テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『山の安全管理術』 木元康晴

まだ若い頃の話なんだけど、滑落現場に居合わせたことがある。

高校の教員になって、新設2年目の学校に赴任した。当初、山岳部はなくて、サッカー部の顧問になった。中学校でサッカーをやっていたから、なんとかなったけど、山に登ってる時間がまったく取れなくなってしまったのは困った。日曜日もぜんぶ試合や練習が入ったからね。

そのうち、ずっと山部の顧問をしてたという人、この人とは一生の付き合いになるんだけど、その人と仲良くなって、山部を作ろうと持ちかけられた。こうなったら、渡りに舟。授業で生徒に呼びかけると、早速何人か飛びついてきた。学校と掛け合うと、どうやら校長は、山岳部を作るのがいやらしい。いやだろうがなんだろうが、生徒会規定に則ってやれば、部活は出来る。校長にどう楯を突くかは、一緒に山部を作った先輩から教えてもらった。

最初の年の1月には同好会を立ち上げて、2月には合宿を行なった。この成り行きの中で、サッカー部は代わってくれる人が見つかってた。最初の合宿から雪山だった。埼玉県の低い山だけどね。山頂に無人小屋があって、そこに泊まった。笠山っていう山だ。今でも小屋はあるけど、この間覗いてみたらひどい状況だった。泊まれないな、あれじゃ。30年以上前の話だからな。

その後、週末になるたびに、あちらこちらの山につれ回って、4月になったら新入部員が7・8人。部費も確保して最低限の装備をそろえ、5月には県大会に出場した。一様、全国大会の補欠校にはなったんだ。補欠のまま終わったけど。厳しいってほどじゃないけど、毎日そこそこの練習はさせてたからね。

とにかく、近場でもいいからテント泊の経験を積ませて、夏合宿は北アルプスに行ったんだ。富山に回って折立から入って薬師岳からずっと縦走して、槍ヶ岳から上高地に下りるコース。自分が高校生の時にもやったコースで、その時の達成感を自分の生徒にも味わわせてやりたかった。

天候にも恵まれ、とてもいい夏合宿が出来たんだ。合宿自体はね。

3日目だったと思うんだけど、黒部五郎の小屋から三俣蓮華に向かう途中のこと。前の日に若い女の二人連れと知り合って、テントで飲んだ。翌日はお互いにゆったりした計画で、双六小屋泊まり。そこから二人は笠ヶ岳に向かうということだった。「じゃあ、双六までは一緒に行きましょう」ってことになった。

時間的にゆとりのある日だからゆっくり出かけて、僕らが前、二人は後ろ。しばらく行って、岩稜帯の北側に雪渓が張り付いている道を歩いているとき、後ろで「あっ」って声が聞こえて、振り返ったら、二人のうちの一人が雪渓を滑り落ちていた。

雪渓は10mもないくらいで、下は岩がゴロゴロしている感じ。ヘルメットもしてないのに、運良く無事。どっちか忘れたけど、膝を岩にぶつけていた。先輩と二人で下まで下りて、おぶって尾根まで上げた。外傷はひどくないけど、立ち上がれる状態じゃなかった。三俣蓮華の小屋までは先輩と二人でおぶって運んだ。

私たちはそのまま、双六岳に向かうんだけど、この人たちとはもう一度会う。合宿を無事終えて、松本駅で電車の時間を待っているホームで。女の人は翌日も歩けなかったので、結局、ヘリを呼んだんだそうだ。松本の病院で一泊して、翌日には良くなったので後は東京の病院にかかるという話だった。

そんなわけで、電車の中で一緒に飲みながら帰った。脚をけがした人とは、今も付き合いがある。もう一人の人は亡くなった。


『山の安全管理術』    木元康晴


山と渓谷社  ¥ 1,100

山での事故予防やトラブル対処に欠かせない安全登山の基礎知識
第1章 だれもが遭遇する山での危険
第2章 実例と対策
第3章 セルフレスキュー
第4章 救助要請とその後


こういった本の中で、ここまで書いている本ははじめてだ。誰でも、遭難しうるという前提に立っている。唯一の絶対的な方法は、山に登らないことだ。

遭難とは、難に遭遇すること。山で難に遭遇したことなら、いくらでもある。でも、ここでいう遭難をそのように理解したら、・・・きりがない。だから一般的に、自力で下山できない状態とする。難に遭遇したことなら数知れないが、自力で下山できなくなったのは一度だけ。股関節変形症からくる痛みが出て、山中で動けなくなった。通りかかった人に、山小屋に連絡してもらい、救助された。

だけどそれ以前の、難に遭遇したことを一つ一つ思い出してみると、この本が言っている多くのことが分かる。

一番多いのが道迷いによる遭難だそうだ。それが焦りを呼び、滑落、転倒、転落につながる場合もある。《第2章 実例と対策》にある道迷いの詳細だけピックアップしてみる。

・どのようにして道に迷うのか
・現在位置の確認法とスマホGPSアプリ
・ナビゲーションとルートファインディング
・道を間違えやすい状況と地形を知ろう
・コースの目印
・なぜ道を間違えてしまうのか
・なぜ引き返せないのか
・道迷いからのリカバリ
・どうしてもリカバリできないときはどうするか
・低山こそ気をつけたい道迷い
・深山での道迷いはリカバリが困難
・滑落や転落に結びつく高山や岩山での道迷い

その時の心理にまで及んで、そうなってしまうことの状況分析をしている。そうそう、それで私も道を間違えて、その理由で引き返せなかった。ようやくリカバリ体制に入っても、結局、無理をして取り戻そうとしてしまう。ああ、天を仰いだこともある。

第2章の、《道迷い》以外の項目を挙げておく。
《滑落、転倒、転落》《体のトラブル》《悪天候による遭難》《野生動物の襲撃》《落石の危険》《雪渓》《火山の危険を避けるには》《装備のトラブル》《危険を未然に防ぐには》

遭難の原因を、あらかた網羅しているんじゃないだろうか。

そうだなぁ。あの時、「お前は下りろ」ってたたき返されたんだよなぁ。言うに言われぬ理由があったんだけどな。直視したくない思い出もあるけれど、やっぱり今後に生かしましょう。





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『登山ボディ』 芳須勲

そりゃ、ひどいもんだった。

2016年10月下旬に足の手術を受けて、信じられないくらいに痛みがすっかりなくなって、二十数年ぶりに山歩きを再開した頃のこと。

山には登らなくても、生活がありますからね。なんとか歩いてはいた。ただ、山には登らなかった。とある富山方面の岩山の下りで股関節の痛みが始まっちゃって、自力で下山できなくなった。危険な箇所はすでに越えて、小屋までさほどでもないところだったんだけど、まったく動けなかった。・・・遭難だな。当時は、通常の生活にほぼ支障はないんだけど、痛みが始まると動けなくなっちゃうって状況で、それが山でさえなければ問題なかった。それでも山はあきらめることにした。

はじめの頃は走ることだって出来た。だけど、年月とともにだんだんと悪くなって、ちょくちょく痛むようになって、そのうちいつも痛むようになって、痛みも強まって、最後は座薬が切れると夜も眠れなくなった。

この間に医療の方が進歩してくれて、60歳を待たずに手術という運びになって、その後は一切痛みなし。・・・そんな顛末だ。

・・・で、いい気になって山歩きを始めるんだけど、二十有余年というのは、やはり長かった。最後の方は、仕事から帰るとほぼ寝たきりみたいなもんだったからね。

痛みはなくなっても、足は萎えてたんだな。おまけに182cmの慎重に対して86kgの体重。その後走り込んで、今は70~72kgで安定してるから、やっぱりだいぶ太かったんだな。

歩くことは出来たけど、よく転んだ。手術前は杖をついてようやく歩いているような状態だったから、筋肉が全体に不足して、足が萎えているような状態だったんだろう。なかでも、かなり危険な大転倒が3回かあった。右でも左でも、つま先が上がりきってなかったんだな。その状態で足を外側にひねるような形になる。通常であれば、よくある捻挫の原因だ。そこに、念のため足首までの登山靴を履いている。登山靴のおかげで足首をひねらないで済むものの、体はそのまま外側に投げ出されるようになって一回転する大転倒。

運が良かったのは、いずれも平地であったこと。一度だけ、山で尾根筋を歩いているときに、その時は前に投げ出されるようになったんだけど、もう片方の足が間に合った。あれは危なかった。

何しろ平地であっても、その破壊力はスゴい。3回中2回は、一回転して、引っかかった方の足とは逆の足の膝を舗装道路に打ち付けた。1度は皿が割れた。1度は皿の下の柔らかい部分がパックリ切れた。皿が割れた方は、そのうちなんとなく直った。皿の下が切れたのは深かったから医者に行って縫ってもらうべきだった。でっかい絆創膏で無理矢理治したら、今でも時々まがまがしい痛みに襲われる。

そんなことがあっても山は歩き続けたし、ランニングも始めた。時々足を滑らせて尻餅をつくことはあるが、以前のような転倒は、山を再開して1年もするとなくなった。

少しは登山ボディが出来てきたかな。


『登山ボディ』    芳須勲


山と渓谷社  ¥ 2,090

安全登山の為のトレーニングと栄養管理、やっておきたいリセットとメンテナンス
【第1章】理想の登山ボディとは
【第2章】登山ボディをつくるエクササイズ
【第3章】登山ボディをつくる歩き方
【第4章】登山ボディを維持するメンテナンス
【第5章】登山ボディのための食事


いやいや、それがどうも、そう簡単なもんでもないらしい。

そりゃ、そうか。山を始めた頃の、高校の山岳部の練習はきびしかったしな~。学校から走り出して影森に行って、巴橋を渡って長尾根走って、秩父の札所の24番法泉寺。ここの石の階段をやる。登ったり下りたり、片足跳びに肩車。学校に帰った頃にはお腹が減って、部室前でご飯を炊いて食べたりしてた。

登山ボディは二種類の体力からなるということだ。一つが行動体力。もう一つが防衛体力。行動体力はバテずに登り続ける力と危険を回避しけがを防ぐ力。防衛体力は様々なストレスに抵抗する力。

そうだな。こういうふうに考えると、今の自分に足りないものが見えてくる。今、月に6~8回登ってる。やっぱり、実際に登るのが一番いいトレーニングになると思う。それと照らし合わせて考えてみると、《危険を回避しけがを防ぐ力》が、おそらくまだまだ足りない。

危険を回避しけがを防ぐ力は、バランス感覚、敏捷性、巧緻性、柔軟性。特にバランス感覚が衰えているのを感じる。チェックポイントとして、片足立ちで左右両足の靴下をはいて、脱げるかと言うことなんだけど、これできない。

手術前は、自分で靴下をはくことも出来ないで、連れ合いにはかしてもらってた。手術したあとは自分ではけるようになったけど、それに満足して、立ってはこうなんて考えもしなかった。片足立ちすら、おそらく満足に出来ないだろう。

岩場や急斜面を、手も使ってよじ登ったあと、垂直を失っていてドキッとすることもあった。あれもきっと、バランス感覚なんだろうな。急斜面の下りを以前より怖く感じて行動が遅くなるのは、敏捷性、巧緻性が減退していることを無意識に感じているからだろう。時間をかけて行動することは悪いことではないけど、体が縮こまっては困る。

登山ボディにはマダマダだな。ちょっとその辺を、意識して体を作ってみよう。

今の段階で、この本を読めて良かった。




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イーグルス16

Author:イーグルス16

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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本












































































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