めんどくせぇことばかり 本 山
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『「日帰り登山」を楽しむ本』 今泉忠明

ああ、山、行きてー!

ずいぶん、山に登ってないような気がするな。連休前から、奥武蔵から秩父の山を抱える自治体のほとんどが、「しばらく来ないでね」って言うもんだから、仕方がないよね。埼玉県北部なんかほとんど群馬なんだから、群馬で受け入れてくれないかな。

ずいぶん前の本、2009年の本だ。だけど、いい本だよ。なにしろ、今泉忠明先生の本だからね。

今泉先生は、動物学者だよね。この本の“はじめに”にも、そんな自己紹介が書かれていて、それを読んで思いだした。もともと私は、それが誰が書いた本かってことに、本当に無頓着なので、この本を手にして先生の名前を見ても気づかなかった。


いずれも、今泉先生が書いたか、監修で関わっている本。

先生は、動物を追い回して、山を歩き回ったんだな。生態や行動を調査したり、観察したりすることが先生の本業だからね。そんな仕事で訪れたのは、北は利尻山や大雪山に日高山地から、早池峰山、富士山、南は西表島の御座岳などを調査して回ったんだそうだ。

だけど、動物を追いかけてのことだから、道が無いよね。あっても、けもの道。夜行性の動物を見るためには、当然、夜の森。道の無い夜の森を歩くのか。

イリオモテヤマネコの調査をした若い頃は、5万図しかなかったんだそうだ。5万図の3km四方に100m間隔で直線を引き、ヤマネコの痕跡を探しつつ、森の中を直進するんだそうだ。森を直進するってのは、難しいし、恐ろしい。地図を見たって、何が待ってるか、実際のところは行ってみないと分からないからね。

こういう体験が背景にあるから、今泉さんの本はおもしろいんだな。



PHP文庫  ¥ 時価

中高年からでも気軽に始められる低山を中心に、山歩きの醍醐味をレクチャー
プロローグ 日帰り登山のすすめ
第1章 日帰り登山の魅力
第2章 日帰り登山のプランニング
第3章 山歩きのテクニック
第4章 知っておきたい山の天気
第5章 低山の四季と自然
第6章 雪山物語、アニマル・トラッキング
第7章 日帰り登山の安全対策
第8章 日帰り登山の楽しい記録


日帰り登山と言ったって、どこから登山を開始するのかによって、ずいぶんと違う登山になる。

富士宮ルートなら、5合目は2400m。3776mの山頂までの標高差は1376m。空気が薄くなるけど、まあ、このくらいなら、ごく当たり前に、いつもの日帰り登山で歩いている。標高だけ考えても、2500mを越える場所に行くなら、やっぱり泊を伴う登山を考えた方がいいでしょうけどね。

いずれにせよ、一口に日帰り登山と言っても、ケースに応じて、いろいろな装備とか、体力とか、経験とか、知識が必要になる。

もし、これから日帰り登山を始めようかという中高年の方がこの本を手にしているとしたら、怖がらずに、人がたくさん歩いている高尾山でも、御岳山でも、歩いてくるといい。不安に感じたら、すぐ下りちゃえばいいんだから。

第1章の《日帰り登山の魅力》、第2章の《日帰り登山のプランニング》、第3章の《山歩きのテクニック》あたりは、山の中を歩いてくることで、段違いに実践的に読むことが出来る。

私は、第4章の《知っておきたい山の天気》に一番惹かれた。いや、それを読むために、この本を買ったと言ってもいい。観天望気を磨きたい。夕焼けは晴れ、朝焼けは雨とかね。レンズ雲が出たら山を下りろとかね。

ニュース番組を見ていると、気象予報士という身分の方々が、今日の天気を、明日の天気を教えてくれる。あれに疑問を持っている。以前と違い、詳細な天気図を元に、それ故に、このあとの天気は、このように変化すると解説するのが天気予報ではないのか。

スーパーコンピューターがはじき出した答えを読み上げるだけなら、気象予報士はいらない。先日、予報にはなかった雨に、「私も濡れてしまいました」と言ってた恥知らずな気象予報士がいた。

高校の、それも高校1年の時は、ほぼ毎日天気図を書かされた。最初は宿題として家に持ち帰って、仕上げて翌日先輩に提出。もちろん山に行ったときも。3年になると、その天気図で翌日の天気を予報し、行動を決めた。痛い目に遭ったこともいくらでもある。だから、天気予報の精度が上がったことはとてもうれしい。だけど、スパコンまかせって言うのは、いかがなものかと思うな。

そこに、天気図を見て自分の判断を加えて、さらには観天望気。必死の思いで翌日の天気を推しはかった先人の知恵は、きっと元代の天気予報の強みにもなる。

若い頃は、翌山をほっつき歩いていた頃は、晴れた日に雨の匂いを感じることがあった。・・・そして最後は、勘だよね。




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ジャンル : 本・雑誌

『山の霊異記 黒い遭難碑』 安曇潤平

『山の霊異記』ファンなんだけど、なんかの巡り合わせで、この《黒い遭難碑》は読んでなかった。

でもなぁ、怖いのは嫌だしな。実際、私は山に行くからな。今年からは、山中に一人で泊まることになるし、・・・そんなとき、怖くなるのは目に見えている。だけど、読まずにいられない。ど、・・・どうしよう。

そうじゃなくたって、若い頃は、怖い目に何度もあった。剣の岩壁とか、八峰キレットが怖いって言うんじゃない。・・・いや、剣も八峰キレットも怖い。かなり怖い。涙が出るほど怖かった。だけど、そっちの怖いじゃない。ヒュー、ドロドロの方の“怖い”の話。

山でのそういう思いの一つは、高校1年の正月、1月1日の武甲山。山岳部仲間の横田君とご来光を見に行ったとき。初めての個人山行での夜間登山。高ぶる気持ちを抑えられず、紅白が終わってから、まもなく横田君に電話して出かけてしまった。うちは影森という武甲山の麓、横田君の家は荒川村。都合上、浦山鍾乳洞で待ち合わせて、バイクで登り口に向かった。真っ暗な登山道をヘッ電で照らしながら登るのは、本当にしびれた。しびれすぎたせいか、ゆっくり登ろうなんて気は、まったくなかった。

だけど、やっぱり、ご来光には早すぎた。1月1日のご来光は7時前後。おそらく私たちは、4時には山頂にいた。そんな時間じゃ、山頂に人がいるはずもない。テントなんかもってきてないし、もちろん寝るには寒い。一杯飲みながら時を過ごした。

私が大学の2年の時に、武甲山本来の山頂には入れなくなり、その後、その山頂は崩された。その直前に登って以来、武甲山には登っていない。だから今の山頂を私は知らないが、当時の山頂は、山頂直下の急登がすごかった。山頂からは、最後の厳しい登りが見下ろせた。

しばらく飲んでから、何かの拍子に見下ろすと、ヘッ電の光が二つ登ってくるのが見えた。まだ、だいぶ下の方だった。だけど、20分もすれば、十分登ってくるだろう。5時、それでも早すぎるくらいだ。まだ夜明けの気配すら始まらない。

少しして、様子を見に行ってみる。ヘッ電の光は、さっき見たあたりから動いていない。休憩か。横田君が「おーい」って声をかけた。すると、ヘッ電の光が上を向いて、その直後に消えた。

「えっ、なになに?」

・・・実は、それだけの話なんです。

当時は、今のような登山ブームからはほど遠い時代で、人もさほど多くなかった。この1月1日の朝も、結局、山頂は私たち二人だけ。ご来光は二人占めだった。日の出間際の温度は零下10度を下回った気温が徐々に上昇して、ポカポカ温まってくるまで山頂で過ごした。あの、夜明け前の出来事を忘れるために。

あの、いったん上を向いて消えた二つのヘッ電の光がなんだったのか、その後もまったく分からない。




角川文庫  ¥ 748

心身ともに強靭な山男たちを震撼させる、恐ろしくも不可解なできごと
顔なし地蔵    青いテント   三途のトロ
山ヤ気質     真夜中の訪問者 大弛峠
ポニーテールの女 霧幻魍魎    黒い恐怖
鹿神旅館     霧限の彷徨   釜トンネル
目        青い空の記憶  滑落
はないちもんめ  裏山      乾燥室
ひまわり     櫛       八方温泉
山神トンネル


不思議な出来事と、恐ろしい出来事は違う。

私が若い頃に体験したのは、ふしぎな出来事だな。

山の方からキャンプ場に向かって、「おーい、おーい」って呼びかける声が聞こえる。

夜、満月に向けて歩いていたら、いつの間にか月は後ろにあって、じゃあ、前にある明かりはなあに?

後ろからザックを引っ張るのはだあれ?

瞬く星々の中で、ほんの三つ四つだけが、変に動いているとか。

なんか、ちょっと前なら、狐に化かされたってことで済まされちゃうような出来事だな。

ヒュードロドロで恐ろしいっていう質の悪いのは、登山にかこつけて谷底に蹴落とされたとか、東京で殺されて、秩父の山に埋められたとか、そういう希有な霊なんだろう。

山で死んじゃうっていうのは、もちろん不本意な死であったろうけど、好きで来た山だからね。それが成仏できないっていうのは、まずないでしょう。だから、遭難碑を見ても、それ自体が恐ろしいとは思わない。

自分が死んだことに気づかずにさまよってるってのは、あるかも知れないね。だけどそれなら、人をビックリさせることはあっても、こっちの世界に引きずり込もうという悪意はないはず。

まあ、『山の霊異記』は怪談話の本だからね。追いかけてきたり、引きずり込もうとしたり、取り憑いてみたり、そういう霊たちばかりを登場させる。もう、恐ろしくて、恐ろしくて。

ただ、不気味さを感じさせる場所っていうのはあるね。早く遠ざかりたい場所。なんだか、後ろから気配の感じられる場所。さっきまでそんなじゃなかったのに、そこに通りかかったら、急に冷気に包まれるような場所。なんだかざわつく場所。

もしも、この話に出てくるような、通りがかる登山者に災いしようという霊があるとしたら、それは・・・。

理由は分からない。その理由を創作して、怪談話にまとめ上げるのが安曇潤平さんの仕事ということだな。

あの、いったん上を向いて消えた二つのヘッ電の光。あれはやっぱり、死んだ人だろう。つい、自分が死んだことを忘れて、ご来光を見に現れちゃったんだろう。だけど、二人はいつまで経っても、山頂にはつけなかったんだ。山頂につけずに死んだから。急登にあえいで、息が苦しくて苦しくて、・・・そんなとき、山頂から「おーい」って呼びかけられて、自分たちが遭難して死んだことを思い出したんだろう。

「おっと、いけねえ」って、ヘッ電の明かりが消えたんだ。



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『白き高峰の殺意』 森村誠一

2006年にワンツーマガジン社から出された本だけど、もとは1991年に天山出版から刊行されたものだそうだ。

私が31歳の時だ。まだ、山をやめてない頃だな。

まだ、最初に赴任した高校に勤務していた。その学校の新設2年目に新任で赴任して、翌年、十歳ほど年上の先輩に声をかけられて、一緒に山岳部を作った。若かったこともあって、どんどん鍛えて、山に連れて行った。自分がそうされたような新人いびりは、絶対させない山岳部にしたかった。それなりに、いい山岳部だったと思う。だけど、最後は管理職ともめてしまって、山岳部の顧問を降りる羽目になってしまった。

潮目だったんだな。ちょうど股関節の痛みが強くなってきた時期でもあって、そういう形で山から離れるきっかけを作ったと言えなくもない。

それから二十数年、56歳で股関節を手術して、57歳からその時勤めていた学校で、山岳部の顧問を再開した。この間に生徒の質もだいぶ変わってきていて、山岳部員といってもそんなに山に登りたがらない。???不思議な人たちを相手に、山岳部の顧問をすることになった。

あまり遠くに行きたがらない。日帰りがいい。泊があるなら、山小屋がいい。電波の届かないところには泊まりたくない。

日光湯元は電波が届く。夜通しゲームをしていた奴がいて、翌日、たたき起こして日光白根に向かったが、外山の登りで寝そうになり、ガレ場で転倒。全員登山を中止して、引き返した。

尾瀬ヶ原は電波が届かない。テントを張ったあと、電波を求めて尾瀬ヶ原を右往左往する部員たち。良く歩いたと見えて、この日はよく寝たようだ。翌日全員で至仏山に登頂できた。

そいつらも、この3月で卒業する。私は1年先に学校を去ってしまったが、卒業式にはお祝いに駆けつけるつもりでいた。先日、学校から便りをもらった。新型コロナウイルスの影響で、今年の卒業式は、卒業生と教員だけで行なうそうだ。
《山岳ミステリー傑作選》と銘打った六つの話。場所は、いずれも北アルプス。“K岳”、“H岳”、S岳”、M岳と表されるが、唐松、穂高、白馬、三俣蓮華と想像がつく。多くは垂直に切り立った岸壁や、冬山の視界もままならない吹雪の中で、事件が起こる。

そしてその時、どう振る舞うかが問われる。生きるために、変節するのか。生きるために、奪い取るのか。生きるために、置き去りにするのか。生きるために、命をかけるのか。

〈いやいや、山も“下界”も、人間の欲望に変わりはない。たかだか標高を二、三千メートル上げたからといって、人間の欲望は浄化されない。されると思うのは、ことさらに山を美化して眺めようとする人間のロマンティシズムにすぎない〉

六つの山岳ミステリーの中の、『裂けた風雪』の中で、山で起きた殺人事件に関して、山小屋の主人二宮の犯行ではと疑う緒方が、心の中でそうささやく。

六編の話に、共通して流れる、作者森村誠一の“山と人”に関わる思いのようだ。


『白き高峰の殺意』    森村誠一


ワンツーマガジン社  ¥ 時価 582より

岸壁の登攀や、悪天候の冬山登山が、リアリティ豊かに描かれた山岳ミステリー傑作選
夢の虐殺
高燥の墳墓
挑戦の切符
裂けた風雪
垂直の陥穽
北ア山荘失踪事件


『垂直の陥穽』で、父親から大学山岳部に入ることを反対された息子が、父親も若い頃山に登ってたじゃないかと反論する。「奥秩父や奥多摩くらいのところだったとしても」と言っているのが引っかかった。危険を顧みず、先鋭的に難しいルートや季節に挑戦するのが登山家のあり方と、彼は思っていたようだ。

物語は、そのことに一切立ち寄ることなく通り過ぎるが、この問題、実はこの本のテーマに深く関連している。「たかだか標高を二、三千メートル上げたからといって、人間の欲望は浄化されない」ことはその通りだと思う。

だけど、登山シーズンの奥秩父や奥多摩を歩いてみるといい。傑作選の中で、なんとなく批判を向けられているように思える“山の世俗化”がそこかしこに見られる。だけど、そこに見る多くの顔は輝いている。絶景に心打たれ、ここまで歩いてきた自分の脚を賛美し、心が打ち震えていることを隠そうともしない。

・・・“二、三千メートル”じゃない。あの人たちは、たった標高305mの日和田山で浄化されてる。

たしかに、かつての登山ブームにおいて、本当にあったひどい話のいくつかを聞いたことがある。道標を動かしちゃうとか、ベースにしているテントに勝手に入ってものを盗むとか。女の子のパーティーに嫌がらせするとか。夏山で翌朝3時起きだってのに遅くまで騒いでるテントに頭にきて、全部ペグを抜いてテントをつぶしてやったこともある。二十数年ぶりに山歩きを再開したけど、今の方が圧倒的にマナーがいい。女の子が一人で歩いているのも、よく見かけるもの。

浄化されないのは、浄化される能力に乏しいやつが山を歩いているからに他ならない。

殺人事件を取扱ったドラマの中で、犯人はよく、秩父の山に死体を捨てに行く。私の故郷だ。東京の人であれば、“秩父の山”というだけで、すでに「絶対見つからない」という意味を持たせることができるのかもしれないが、“秩父の山”はもともとは、上州、信州、甲州への街道の通っていた場所。山を歩く人は少なくないし、車が入れるところであれば、釣り人や沢登りが入る。

本当に絶対に見つからないのは、和名倉山の西側だ。あそこは、ほとんど人が入らない。今でも狼が居るとすれば、あそこしかないだろうという場所だ。そこまで行くのが大変だけど。

だったら、やがて死体になる人に、そこまで歩いてもらって、そこで死んでもらうのが楽でいい。ガレ場で先を行き、上から岩を落とすのが一番いいだろう。確実に殺したら、あとは和名倉山の西側の谷間に落としておけばいい。

高校の頃、山岳部の部室でそんな話をしていた。浄化される必要すらない、汚れを知らぬ時代だった。


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『山岳遭難の傷痕』 羽根田治

昨日、地域の人がうちに来て、Sさんのお宅におかしな人たちがやって来ていたと教えてくれた。

Sさんは一人暮らしの高齢女性で、認知症がだいぶ進んでおられる。東北に嫁いだ娘さんがめんどうを見に帰ってくるわけにも行かず、すでに施設へ入所する話が進められているはずなんだけど、その進行がはかばかしくないのでやきもきしていたところだ。地域の人が、そのお宅の前に見かけない車が止まっていたので覗いたところ、二人の女性が上がり込んでSさんにまんじゅうを食べさせていたという。

どうやら宗教の人らしく、Sさんとは旧知であると言い張ったという。しかし、Sさんの家族構成を知らず、ご主人が最近亡くなられたことも知らなかったという。認知症らしいと気がついて、それにつけ込んで旧知などとウソを言う。あんまり質が悪いので、区長を呼んでくるとうちへ向かったら、車で逃げたという。

最近、埼玉県でもなにかと悪い噂の立っているあの宗教か?

著者の羽根田治さんは、山岳遭難に関わる本を、いくつも出している方ですよね。

今までにも、『道迷い遭難』、『気象遭難』、『滑落遭難』っていう羽根田さんの本を読んでいる。こういう本って、本当に貴重ですよね。なにしろ、それを読むことで、“遭難”を疑似体験することが出来るんだから。

誰だって、山での失敗はある。私も今までに、山でいろいろな失敗をしている。上記の本を読むと、そのいろいろな失敗が、時には本格的な“遭難”の入り口になり得るんだなってことが分かる。そして、一つの失敗が、遭難となるかならないか、その違いはさほど大きなことではないということが分かる。

「ああ、あの失敗をしたときに、・・・」こういう心理で行動していたら、遭難につながった可能性がある。このようにリカバリーしようとしたら、もっと悪い事態に陥ったかもしれない。

この疑似体験は、かなり有用だ。

最近、いい歳をしてようやく、山の中でも自分の行動を冷静に、第三者の目で見つめることができるようになってきた。羽根田治さんの本のおかげも大きいと感謝している。体力はじめ、体の機能が落ちてきているんだから、精神的な面で少しは成長できないとね。

ちなみに私、脚の病気で一度登山をやめる直前に、富山県の岩山から下山中、小屋までもう少しというところで脚の痛みが始まった。自力で下山できなくなり、通りかかった人に、山小屋に救助の要請をお願いした。あれは、遭難だな。


『山岳遭難の傷痕』    羽根田治


山と渓谷社  ¥ 1,870

遠い過去のものとなりつつある山岳遭難事故も丹念に再検証する必要がある
1章 1913年の「聖職の碑」木曽駒ヶ岳集団登山事故
2章 1930年の東京帝大の剱澤小屋雪崩事故
3章 1954年の富士山吉田大沢の大量雪崩事故
4章 1955年の前穂高東壁で起きたナイロンザイル切断事故
5章 1960年の谷川岳一ノ倉沢宙吊り事故
6章 1963年の薬師岳愛知大学大量遭難事故
7章 1967年の西穂独標で起きた高校生落雷遭難事故
8章 1989年の立山で起きた中高年初心者の大量遭難事故
9章 1994年の吾妻連峰スキー遭難事故
10章 2009年のトムラウシ山ツアー登山事故


さて、今回の『山岳遭難の傷痕』は、過去に実際にあった山岳遭難、それも大きな話題となった山岳遭難をもう一度掘り起こし、事故当時では詰め切れなかった原因の究明、その後の措置の検証を振り返り、遭難事故回避の教訓としようとするものである。

最新で2009年のトムラウシ山ツアー登山事故が取り上げられている。これに関しての原因究明や検証は、不十分とされるところでもないだろうが、あえて取り上げられたのは、やはり“十大事故”から外せなかったからだろう。2017年の那須高校生雪崩遭難は、あまりにも生々しすぎるから取り上げられなかったんだろうか。

その前の1994年の吾妻連邦スキー遭難事故、1989年立山中高年初心者大量遭難事故は記憶にあるものの、それ以前の七つの遭難事故は、物語や記念碑で知るだけのものだった。

そういった遠い過去の遭難事故をあらためて原因を追及し、その後の措置の検証をすることは、遭難事故回避の教訓とする上で大変に意義深いものと感じられた。

いつ頃読んだか記憶にないんだが、《1章 1913年の「聖職の碑」木曽駒ヶ岳集団登山事故》をもとにした、新田次郎の『聖職の碑』には、強く感銘を受けた。おそらく、高校の教員になりたいと考えていた、かつ山岳部の顧問になりたいと考え始めていた高校生の頃だと思う。嵐の中を必死で登り下りし、次々倒れていく子どもたちに天を仰いでいるのは、私だった。

本のヒットか、映画のヒットのあとか、それに似た物語で、『雪の湯浴み』という物語を読んだ記憶がある。同様の学校登山の遭難を題材とした物語で、最後に死を意識した女生徒が、雪で湯浴みをして身を清めるというラストシーンなんだ。まだ汚れを知らぬ膨らみきらぬ胸を、女生徒は雪で清めて、その上で衣服を整える。全てを終えて、ようやく彼女は意識の薄れゆくのに身を任せるんだ。『聖職の碑』を意識した、同人誌かなんかに載ってた話かもしれない。決して私が書いたものではない。

《6章 1963年の薬師岳愛知大学大量遭難事故》にも思い出がある。高校1年時の夏山合宿初日、夜行で富山に向かった私たちは、折立から太郎小屋に入り、1年部員は幕営や食事の準備を命じられ、それが終わってから薬師岳ピストンに向かった。薬師岳からの帰り、まだ時間に余裕があったので、太郎平でしばらく昼寝をした。みんな、初めての夜行列車体験で、しかも厳しい初日を終え、疲れていたので、・・・小一時間、・・・すやすや寝た。

先に起きたMが、何かをみんなに伝えたいらしく、「おいおい」とみんなを揺すり起こした。私たち全員が足を向けて寝ていたケルンは、愛知大学遭難碑だった。私たちは無言で身なりを整え、それぞれ手を合わせて、太郎小屋まで無言で帰った。その夜、Mは何度もうなされた。

Mもその後、高校山岳部の顧問となり、一度も遭難を出すことなく務めを果たした。



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ジャンル : 本・雑誌

『奥多摩・奥秩父』『関東の名山』『地図読みドリル』

22日に行なわれた息子の結婚式に向けて、先週は山に行くのを自重した。

結婚式の披露宴っていうもの、ずいぶん変わった。自分たちの結婚から、もう36年経ってるんだから当然なのかもしれないけどね。披露をするのは親だよね。親が子どもの結婚を披露するのであって、自らひけらかすものではない。でも、今は、そんなことはお構いなしなんだね。

招待するのは双方の親族と友人たち。仕事の関係の方は呼ばないんだって。仕事関係の方でも、それが当たり前になってるんだそうだ。変わったのは結婚式や披露宴だけじゃなくて、世の中そのものが変わってるんだな。

それでも披露宴をするってだけでも、親としては安心できる。息子は7人のいとこの中の一番下で、一番最後の結婚式。軽重の違いこそあれ、それぞれしっかり披露宴を行なって、その連れ合いを親族に紹介してきた。

親から、何があっても兄弟は助け合えって育てられた私たちにとって見れば、これはとても大事なこと。実際に困ったときに、親族に泣きつくかどうかは別として、助けてくれる可能性のある人がいると言うことは大きい。“家”が壊されて、すでに久しいが、今、雨に降られても、屋根のないところで濡れっぱなしの人も少なくない。“家”に代わる何かは、まだ私たちの前に現れない。国に全てを求めるのは虫が良すぎるだろう。だったら、つながりは、たとえ細くなっても保っておいた方がいい。

何度も何度も式場に足を運んで、打ち合わせをしたようだ。なにしろ埼玉の家を出て、滋賀県の会社に勤めたもので、お嫁さんも大阪の人ということで、大阪での結婚式。私たち夫婦も一度は顔を出したし助言もしたが、細かいところは任せるしかしょうがない。ああでもない、こうでもないと、時には新郎新婦が角突き合わせることもあったらしい。


ようやく本番を迎えようって時に、親父が山で死んじゃわないまでも、骨折でもして、結婚式に水を差すようなことになったら悪い。だから先週は天気が良くても山に行くのを自重した。




山と渓谷社  ¥ 2,750

奥多摩・奥秩父の一般登山コースを対象とした登山ガイドブックです


息子の結婚式が終わったというのは、私たち夫婦にとって、とても意味が大きい。

と言うのも、私は早期退職で、仕事を辞めている。教員という仕事が、私の思うものから大きく外れてしまったこともあるが、山登りはじめ、好きなことをやって、この先は生きていきたいと思ったからだ。もちろん、分にあわせてのことではあるが。

この1年は、身の回りの整理に加え、地元の自治会長をやっていたこともあり、週に一度プラスアルファくらいしか登っていない。しかも、泊登山は一度もなかった。

私は30代半ばで、体の故障で一度山をやめた。そこまでは、ほぼ日帰り登山というのをしたことがなかった。56歳で手術を受けて、そこから再開することになるが、萎えてしまった脚を引きずって、近所を散歩するところからの始まりとなった。

あれから3年、ずいぶん登れるようになってきた。日帰りとか泊登山とか、こだわるわけじゃないが、暖かくなったら、今まで以上のことをやってみたい。やっぱり“奥”に入るためには、歩けるだけじゃなくて、担げるところまで持って行かないとね。





JTBパブリッシング  ¥ 1,980

日帰り、前夜泊、小屋泊まりなど、登山経験がある中・上級者向けの内容


ホームグラウンドは奥武蔵。

埼玉県中西部、関東平野の西の縁に住んでいます。生まれは秩父、地元の山岳部で山をはじめて、当時のホームグラウンドは、もちろん秩父。カブで大滝まで入って、雲取ヒュッテ、甲武信小屋、雁坂小屋に歩荷、山小屋の手伝いをして小遣いを稼ぎ、いける範囲の山に登ってた。

秩父からだと、目は北に向いたね。南の方面の山は、地味に見えた。寄居から高崎線で高崎に出て、そこからって感じ。あとは新宿に行って、そこから南アルプス、八ヶ岳、北アルプスだな。

だけど、土曜日半ドンの当時、土曜の午後から奥秩父に歩荷ってわけにいかない。連休じゃなきゃ行けない。連休に、コツコツ歩荷と山小屋の手伝いで稼ごうと思っても、せいぜい二日で
6000円。雲取ヒュッテの親父が特別な荷物を準備しておいてくれて、それを下ろして5000円もらったことがあって、8500円が最高。

特別な荷物って、やばいものじゃないよ。・・・いや、ある意味でやばいかもしれないので、一応、内緒。

この本を読んでると、そんな思いをしながら登っていた当時が懐かしい。






山と渓谷社  ¥ 990

地形図を使用した実践的な問題で、実際に登山を行なっているように技術を学べます


高校1年の時、まだ、夏の合宿にも行ってないってのに、ちょっと難しい山に登ったことがある。

奥秩父の主脈からは外れているんだけど、変に存在感の大きな和名倉山って山。山岳部に入って知り合った4人の新人だけで、学校のテント借りてどっか行こうということになって、先生にどこがいいか聞きに行ったんだ。そして山岳部の顧問の先生が教えてくれたのがこの山。和名倉山。

歩荷ほど重い荷物担ぐわけじゃないから、土曜日の授業が終わったらすぐに出発。まだ、バイクの免許持ってなかったから、この時は、メンバーの一人のお父さんに二瀬ダムの登り口まで車で送っていってもらったんだ。

イヤだけど、先生のおすすめだけど、この山は難しかった。夕方近くなったところで、どうやら今で言うリングワンデルング。同じところを何度も回っちゃうやつ。「ここ、さっきも歩いたよなあ」って最初に言ったのはMくん。山の北東側斜面を歩いているので、暗くなるのが早い。結局、平らなところを見つけてテントを張っちゃった。

これが大正解。東の方角に秩父の明かりが見える。そちらに向かって、好きな女の子の名前を叫びました。月曜日にまた、逢えますようにって。

さて翌朝、とっとと朝ごはんを食べて、地図と磁石に首っ引きで、必死で道を探しました。あの必死さが良かった。必死で頭を働かせて、方位、方角、地形、送電線、対象物の位置、植生と、必死で確認しながらリングワンデルングから脱出。原因は、倒木の手前に道がついていたので、そちらに進んだことでした。本当の道は、倒木の向こうに続いてました。

あの時の気持ち、今でも良ーく覚えています。山頂は薮の中でした。同じ道を通って、二瀬ダムにおり、今度はバスで帰りました。好きなこの名前は、お互いに秘密にすることを誓い合いました。


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『山の安全管理術』 木元康晴

まだ若い頃の話なんだけど、滑落現場に居合わせたことがある。

高校の教員になって、新設2年目の学校に赴任した。当初、山岳部はなくて、サッカー部の顧問になった。中学校でサッカーをやっていたから、なんとかなったけど、山に登ってる時間がまったく取れなくなってしまったのは困った。日曜日もぜんぶ試合や練習が入ったからね。

そのうち、ずっと山部の顧問をしてたという人、この人とは一生の付き合いになるんだけど、その人と仲良くなって、山部を作ろうと持ちかけられた。こうなったら、渡りに舟。授業で生徒に呼びかけると、早速何人か飛びついてきた。学校と掛け合うと、どうやら校長は、山岳部を作るのがいやらしい。いやだろうがなんだろうが、生徒会規定に則ってやれば、部活は出来る。校長にどう楯を突くかは、一緒に山部を作った先輩から教えてもらった。

最初の年の1月には同好会を立ち上げて、2月には合宿を行なった。この成り行きの中で、サッカー部は代わってくれる人が見つかってた。最初の合宿から雪山だった。埼玉県の低い山だけどね。山頂に無人小屋があって、そこに泊まった。笠山っていう山だ。今でも小屋はあるけど、この間覗いてみたらひどい状況だった。泊まれないな、あれじゃ。30年以上前の話だからな。

その後、週末になるたびに、あちらこちらの山につれ回って、4月になったら新入部員が7・8人。部費も確保して最低限の装備をそろえ、5月には県大会に出場した。一様、全国大会の補欠校にはなったんだ。補欠のまま終わったけど。厳しいってほどじゃないけど、毎日そこそこの練習はさせてたからね。

とにかく、近場でもいいからテント泊の経験を積ませて、夏合宿は北アルプスに行ったんだ。富山に回って折立から入って薬師岳からずっと縦走して、槍ヶ岳から上高地に下りるコース。自分が高校生の時にもやったコースで、その時の達成感を自分の生徒にも味わわせてやりたかった。

天候にも恵まれ、とてもいい夏合宿が出来たんだ。合宿自体はね。

3日目だったと思うんだけど、黒部五郎の小屋から三俣蓮華に向かう途中のこと。前の日に若い女の二人連れと知り合って、テントで飲んだ。翌日はお互いにゆったりした計画で、双六小屋泊まり。そこから二人は笠ヶ岳に向かうということだった。「じゃあ、双六までは一緒に行きましょう」ってことになった。

時間的にゆとりのある日だからゆっくり出かけて、僕らが前、二人は後ろ。しばらく行って、岩稜帯の北側に雪渓が張り付いている道を歩いているとき、後ろで「あっ」って声が聞こえて、振り返ったら、二人のうちの一人が雪渓を滑り落ちていた。

雪渓は10mもないくらいで、下は岩がゴロゴロしている感じ。ヘルメットもしてないのに、運良く無事。どっちか忘れたけど、膝を岩にぶつけていた。先輩と二人で下まで下りて、おぶって尾根まで上げた。外傷はひどくないけど、立ち上がれる状態じゃなかった。三俣蓮華の小屋までは先輩と二人でおぶって運んだ。

私たちはそのまま、双六岳に向かうんだけど、この人たちとはもう一度会う。合宿を無事終えて、松本駅で電車の時間を待っているホームで。女の人は翌日も歩けなかったので、結局、ヘリを呼んだんだそうだ。松本の病院で一泊して、翌日には良くなったので後は東京の病院にかかるという話だった。

そんなわけで、電車の中で一緒に飲みながら帰った。脚をけがした人とは、今も付き合いがある。もう一人の人は亡くなった。


『山の安全管理術』    木元康晴


山と渓谷社  ¥ 1,100

山での事故予防やトラブル対処に欠かせない安全登山の基礎知識
第1章 だれもが遭遇する山での危険
第2章 実例と対策
第3章 セルフレスキュー
第4章 救助要請とその後


こういった本の中で、ここまで書いている本ははじめてだ。誰でも、遭難しうるという前提に立っている。唯一の絶対的な方法は、山に登らないことだ。

遭難とは、難に遭遇すること。山で難に遭遇したことなら、いくらでもある。でも、ここでいう遭難をそのように理解したら、・・・きりがない。だから一般的に、自力で下山できない状態とする。難に遭遇したことなら数知れないが、自力で下山できなくなったのは一度だけ。股関節変形症からくる痛みが出て、山中で動けなくなった。通りかかった人に、山小屋に連絡してもらい、救助された。

だけどそれ以前の、難に遭遇したことを一つ一つ思い出してみると、この本が言っている多くのことが分かる。

一番多いのが道迷いによる遭難だそうだ。それが焦りを呼び、滑落、転倒、転落につながる場合もある。《第2章 実例と対策》にある道迷いの詳細だけピックアップしてみる。

・どのようにして道に迷うのか
・現在位置の確認法とスマホGPSアプリ
・ナビゲーションとルートファインディング
・道を間違えやすい状況と地形を知ろう
・コースの目印
・なぜ道を間違えてしまうのか
・なぜ引き返せないのか
・道迷いからのリカバリ
・どうしてもリカバリできないときはどうするか
・低山こそ気をつけたい道迷い
・深山での道迷いはリカバリが困難
・滑落や転落に結びつく高山や岩山での道迷い

その時の心理にまで及んで、そうなってしまうことの状況分析をしている。そうそう、それで私も道を間違えて、その理由で引き返せなかった。ようやくリカバリ体制に入っても、結局、無理をして取り戻そうとしてしまう。ああ、天を仰いだこともある。

第2章の、《道迷い》以外の項目を挙げておく。
《滑落、転倒、転落》《体のトラブル》《悪天候による遭難》《野生動物の襲撃》《落石の危険》《雪渓》《火山の危険を避けるには》《装備のトラブル》《危険を未然に防ぐには》

遭難の原因を、あらかた網羅しているんじゃないだろうか。

そうだなぁ。あの時、「お前は下りろ」ってたたき返されたんだよなぁ。言うに言われぬ理由があったんだけどな。直視したくない思い出もあるけれど、やっぱり今後に生かしましょう。





テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『登山ボディ』 芳須勲

そりゃ、ひどいもんだった。

2016年10月下旬に足の手術を受けて、信じられないくらいに痛みがすっかりなくなって、二十数年ぶりに山歩きを再開した頃のこと。

山には登らなくても、生活がありますからね。なんとか歩いてはいた。ただ、山には登らなかった。とある富山方面の岩山の下りで股関節の痛みが始まっちゃって、自力で下山できなくなった。危険な箇所はすでに越えて、小屋までさほどでもないところだったんだけど、まったく動けなかった。・・・遭難だな。当時は、通常の生活にほぼ支障はないんだけど、痛みが始まると動けなくなっちゃうって状況で、それが山でさえなければ問題なかった。それでも山はあきらめることにした。

はじめの頃は走ることだって出来た。だけど、年月とともにだんだんと悪くなって、ちょくちょく痛むようになって、そのうちいつも痛むようになって、痛みも強まって、最後は座薬が切れると夜も眠れなくなった。

この間に医療の方が進歩してくれて、60歳を待たずに手術という運びになって、その後は一切痛みなし。・・・そんな顛末だ。

・・・で、いい気になって山歩きを始めるんだけど、二十有余年というのは、やはり長かった。最後の方は、仕事から帰るとほぼ寝たきりみたいなもんだったからね。

痛みはなくなっても、足は萎えてたんだな。おまけに182cmの慎重に対して86kgの体重。その後走り込んで、今は70~72kgで安定してるから、やっぱりだいぶ太かったんだな。

歩くことは出来たけど、よく転んだ。手術前は杖をついてようやく歩いているような状態だったから、筋肉が全体に不足して、足が萎えているような状態だったんだろう。なかでも、かなり危険な大転倒が3回かあった。右でも左でも、つま先が上がりきってなかったんだな。その状態で足を外側にひねるような形になる。通常であれば、よくある捻挫の原因だ。そこに、念のため足首までの登山靴を履いている。登山靴のおかげで足首をひねらないで済むものの、体はそのまま外側に投げ出されるようになって一回転する大転倒。

運が良かったのは、いずれも平地であったこと。一度だけ、山で尾根筋を歩いているときに、その時は前に投げ出されるようになったんだけど、もう片方の足が間に合った。あれは危なかった。

何しろ平地であっても、その破壊力はスゴい。3回中2回は、一回転して、引っかかった方の足とは逆の足の膝を舗装道路に打ち付けた。1度は皿が割れた。1度は皿の下の柔らかい部分がパックリ切れた。皿が割れた方は、そのうちなんとなく直った。皿の下が切れたのは深かったから医者に行って縫ってもらうべきだった。でっかい絆創膏で無理矢理治したら、今でも時々まがまがしい痛みに襲われる。

そんなことがあっても山は歩き続けたし、ランニングも始めた。時々足を滑らせて尻餅をつくことはあるが、以前のような転倒は、山を再開して1年もするとなくなった。

少しは登山ボディが出来てきたかな。


『登山ボディ』    芳須勲


山と渓谷社  ¥ 2,090

安全登山の為のトレーニングと栄養管理、やっておきたいリセットとメンテナンス
【第1章】理想の登山ボディとは
【第2章】登山ボディをつくるエクササイズ
【第3章】登山ボディをつくる歩き方
【第4章】登山ボディを維持するメンテナンス
【第5章】登山ボディのための食事


いやいや、それがどうも、そう簡単なもんでもないらしい。

そりゃ、そうか。山を始めた頃の、高校の山岳部の練習はきびしかったしな~。学校から走り出して影森に行って、巴橋を渡って長尾根走って、秩父の札所の24番法泉寺。ここの石の階段をやる。登ったり下りたり、片足跳びに肩車。学校に帰った頃にはお腹が減って、部室前でご飯を炊いて食べたりしてた。

登山ボディは二種類の体力からなるということだ。一つが行動体力。もう一つが防衛体力。行動体力はバテずに登り続ける力と危険を回避しけがを防ぐ力。防衛体力は様々なストレスに抵抗する力。

そうだな。こういうふうに考えると、今の自分に足りないものが見えてくる。今、月に6~8回登ってる。やっぱり、実際に登るのが一番いいトレーニングになると思う。それと照らし合わせて考えてみると、《危険を回避しけがを防ぐ力》が、おそらくまだまだ足りない。

危険を回避しけがを防ぐ力は、バランス感覚、敏捷性、巧緻性、柔軟性。特にバランス感覚が衰えているのを感じる。チェックポイントとして、片足立ちで左右両足の靴下をはいて、脱げるかと言うことなんだけど、これできない。

手術前は、自分で靴下をはくことも出来ないで、連れ合いにはかしてもらってた。手術したあとは自分ではけるようになったけど、それに満足して、立ってはこうなんて考えもしなかった。片足立ちすら、おそらく満足に出来ないだろう。

岩場や急斜面を、手も使ってよじ登ったあと、垂直を失っていてドキッとすることもあった。あれもきっと、バランス感覚なんだろうな。急斜面の下りを以前より怖く感じて行動が遅くなるのは、敏捷性、巧緻性が減退していることを無意識に感じているからだろう。時間をかけて行動することは悪いことではないけど、体が縮こまっては困る。

登山ボディにはマダマダだな。ちょっとその辺を、意識して体を作ってみよう。

今の段階で、この本を読めて良かった。




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ジャンル : 本・雑誌

『駅から山歩き』 おとなのえんそくブック

山に登ってる人の様子も、だいぶ様変わりしてきたように感じる。

足が悪かったからこその今の私だからなんの文句もないんだけど、それだけに手術で痛みがなくなったときはうれしかった。ここまで痛みが消えるとは思わなかった。

11月の頭に、ほぼ1年ぶりに医者に行って、股関節の手術のあとを見てもらった。股関節の骨頭部分が変形、さらに空洞化していて、そこを人工股関節に完全に変える手術をしたんだけど、今はその人工股関節の周辺の筋肉や筋がまとわりついて、非常にいい具合だと言われた。

医学の進歩の恩恵を受けた。昔の人口股関節は寿命が短くて、手術は60歳過ぎてからって言われた。30歳の頃にね。・・・。この間、あらためてお医者さんに確認したら、今の人口股関節には寿命はない、死ぬまで大丈夫って。使い減りすることもないから、山に登っていい、ハーフマラソンくらい走っていいって。

言われるまでもなく、30代からあきらめていた山に行ってるんだけど、今のようにのべつ幕なし山に行くとなるとお金がかかる。お金がかかるから、安上がりな地元の山を大事にするようになった。

一番近い山塊は奥武蔵。車で15分の越生駅から山に入れば、・・・実はこれがスゴい。山の中だけを通って奥武蔵すべての山につながるし、長沢背稜から奥秩父、奥多摩の山にもつながる。奥秩父から大回りをして大菩薩、そこから三頭山を経て高尾山まで、あるいは南に行って山梨の山々につながることが出来る。これが一切町に下りることなく、山だけで越生からつながれる。

考えてみると、結構スゴいな。・・・やってみようとは思わないが。

さて、『駅から山歩き 関東版』、“駅”の起点とされてるのは、新宿、池袋、東京、上野。それにしても“駅から”というのは、結構ハードルが高い。駅から山って想像してみて、それだけの田舎駅。駅はもちろん無人駅、駅舎を出ると蛙の声が響いていたでしょう。駅前は牛がつながれているばかりで、人の姿は見受けられないことでしょう。



『駅から山歩き』    おとなのえんそくブック


JBCパブリッシング  ¥ 1,650

駅から歩き始められる山 初心者・ファミリーも楽しめる日帰り50コース
新宿駅起点
池袋駅起点
東京駅起点
上野駅起点


私の地元、東松山は埼玉県の真ん中あたり。

西部には丘陵地帯があり、関東平野が終わる越生町やときがわ町に隣接する。その越生町やときがわ町は、“ハイキングの町”を自称して町おこしの一策にしている。

いずれも東上線の沿線になる。だけど、越生駅は、坂戸駅から越生線への乗り換えになる。越生駅から登れる山は奥武蔵の中でも支尾根で、主脈にでるにはバスを使うのが便利になる。越生を発する越辺川は越生を象徴する越上山を源流とする。その越上山への“駅から”ルートを西武線に取られてしまったのは痛い。越生駅からだっていけるんだけど。


ときがわ町は武蔵嵐山駅からになる。、一ついいルートがあるがこの本では紹介されていない。奥武蔵の北端にとどめを刺す堂平山、笠山は、バスを使わなければならない。小川町駅から考えても、やはり同様。東上線は西側に、奥武蔵を抱えるものの東側は関東平野だからね。

そこへ行くと西武線は東も西も奥武蔵。そのまま北上して正丸峠の下をトンネルでくぐって秩父盆地に出る。周りが全部山。飯能駅以降は、どこの駅で降りても“駅から登山”が可能だ。東飯能、高麗、武蔵横手、東吾野、吾野、西吾野、正丸、芦ヶ久保、横瀬、終点西武秩父まで、どこで下りてもだ。

奥武蔵には、もう一つの山間がある。それは飯能から入間川沿いに名栗に向かう山間。ここは鉄道でカバーされていないので、この本の対象とはならない。だけど、飯能からバスが出ていて、最近はとても利用者が多い。

自分のホームグラウンドの話になってしまった。

ここに紹介されている山歩きは、“駅から登山”だけに、いずれの起点にしても、結構ハードルが高いことを承知しておくべきだろう。行き着いた駅から、ほんの少しバスを使うことで、山選びの幅は大きく広がるはず。





テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『山のぼりおり』 石田千

本屋にしても、図書館にしても、古本屋にしても、本がたくさんある場所に行くと時間が早く過ぎる。

ずいぶん前のことだけど、本当に時々だけど、仕事を休んで神田界隈の古本屋を回っていたことがある。まだ二十代の後半から三十代あたりかな。大学の時、論文を書くのに古書店の本をよく利用した。まだ若くて、そういう世界と縁が切れるのが怖かったんかな。学問って世界と何らかのつながりを持っていたいというか。それで、その都度何冊か買い込み、ビアホールでビール飲みながらペラペラページをめくってニヤニヤしていることがあった。

ビアホールに流れていたラジオで、連続幼女誘拐殺害事件の犯人が捕まったってニュースが流れていたのを覚えている。ありゃ、地元の事件だっただけに、強烈な印象に残っている。やっぱり、二十代の後半だ。

あの頃、それなりのお金を出して買った本は、その後、みんな処分した。謡曲全集なんかは力を入れたこともあったんだけど、どこか、格好をつけていた。読んでないけど取ってある本もある。それらは文字通り、その気になればいつでも読める。だけど、格好をつけて買った本は、取っておいても、変に心の重りになるだけだから。

最近訪れる古本屋ってのは、近所のブックオフ。買ってくるのも、いつでも読める本。仮に読まなかったとしても、心の重りになることなく忘れるだろう。

そんな気持ちで買ったきた本の一つ。・・・失礼かな?

山登りのエッセイだ。これは私にしてみれば拾いもの。いえ、お金を出して買ったんだけど。目次を見れば、登った山の名前が並ぶ。それぞれの山の山行記録のようなたたずまい。その点も非常に興味深い。

・・・石田千という人は知らなかった。本は好きだけど、作家にはまったく興味がないもんだから。なんだろう。山登りをする人かな。北村薫さんの『八月の六日間』とか、唯川恵さんの『バッグをザックに持ち替えて』なんかもあるから、もしかしたら作家かもしれないとは思ったんだけどね。

登山家が山のエッセイを出すより、作家が山のエッセイを出す方が、読む方にしてみればいいに決まってるよね。何しろ文章の専門家なわけだから。





山と渓谷社  ¥ 時価

のぼっておりた十の山。「山と渓谷」に連載の石田千初の「登山」エッセイ集
北八ヶ岳・天狗岳
東北・栗駒山
北アルプス・燕岳
信越国境・苗場山
高尾山稜・影信山
屋久島・宮之浦岳
北海道・大雪山
中部・御嶽山
富士山
東北・鳥海山


残念ながら、時価になってた。2008年の本だから、それもやむを得ない。だけど、古本屋でこの本に巡り会えたのは幸運だった。

目次にあるとおりの山に登った経験を、そのままエッセイにしたものなんだけど、登った山が入ってるのも興味深いよね。登ってないのは東北の栗駒山と鳥海山、それから屋久島の宮之浦岳。

山に行くのはお金がかかるから、遠方の山には登ってない。大雪山は、大学の時、先輩たちの遠征を支援するために食料を入れた缶を指定の場所に埋めに行ったとき、ついでに登ってきた。・・・部費で。

もちろんコースが違うケースも多々あるけど、自分が登った山の話だとなると受け止め方も違う。

面白いのは、この作家さんの表現。私はこういう文章は作れない。仮に同じ日に、まったく同じ道を歩いたとしても、私は“それ”に目を見ない。それを聞かない。それに感じない。

倒れた幹から、あたらしい葉が出ている。さまざまなきのこ、クローバー、苔がかさなって、小さな森をつくっている。幹は、じぶんが木だったことをだんだん忘れていくように見える。うとうとと、土となじんでいる。

石田さんは、北八ヶ岳の森の中で、そのように感じた。・・・面白すぎる。

誰かの言葉に、「」がつけられていないので、それが誰かの言葉なのか、それとも著者の心の声なのか、ちょっと迷う。時制が行ったり来たりして、いつ起こったことなのか不安定になる。

そんな揺らぎが、この人の書き方の大きな特徴なのかな。その揺らぎに身を任せるのが結構快感だった。

そのとき笹の波のおくでも、がさりと気配がした。横をむくと、黒くてまるまるした背がはねて、消えた。

これが、熊が現れたときの記述。昨年の夏に私が御前山で熊を見たときに似ている。おいおい、怖いじゃないか。

どうしよう。その後、山には登ってないのかな。山のエッセイは書いてないのかな。書いているなら、是非読みたいんだけどな。

そうそう、装丁もとてもきれいで、本としても魅力もなかなかだと思いますよ。・・・この本、もうけ!




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ジャンル : 本・雑誌

『ヒマラヤ 生と死の物語』 池田常道

なぜそこまでするのか?

私は、分からない側の人間。山で痛い思いをしたくはないし、寒い思いもしたくはない。・・・できるだけ。

股関節変形症でいったんは山をあきらめ、手術を受けて二十数年ぶりに再開したが、再開して以降はその気持ちがさらに強い。二十代終盤にマッターホルンにさそわらたけど、金の心配と準備のめんどくささで簡単に断ってたからな。山においてそこまでの高みを目指そうという気持ちは、もともと持ち合わせていないと言うこと。

今年の箱根駅伝では、たくさんの記録が出た。いくつかの区では、一人だけじゃなく、数人が区間記録を出していた。一体何なんだと思ったら、選手のみんなの履いている靴に言及している声があった。たしかに、・・・なんだろうあの厚底靴は。

厚底靴はナイキの靴で、ヴェイパーフライネクスト%って言う靴だそうだ。カーボンの反発で楽にスピードを出せるんだそうだ。たしかに多くの選手が履いているようだけど、この記録ずくめの箱根駅伝は、ナイキの靴あってこそって言うことなんだろうか。

だけど、大迫傑がそれについてコメントをツイッターに残したそうだ。「ベイパーも勿論凄いけど、やっぱり選手の能力、そして沢山まじめに練習したからこその好記録だと思います」ということだ。

たしかに、記録の出にくい1区でも区間記録に近いタイムが出たと言うことは、選手たちが気迫が感じられる。オリンピックイヤーと言うこと、さらに箱根OBがマラソン代表に選ばれたことが、選手たちのモチベーションを高めているんじゃないかと思う。

ただ、そのように言う大迫選手もナイキ所属なんだとか。ナイキは、もとはアシックスの販売代理店。そこから共同開発を通してアシックスのノウハウを身につけて独立した会社。まったく、うまくやられたわけだ。

それはともかく、ナイキが大迫のような選手を所属として抱えるのは、やはり、彼ら一流選手の意見がシューズ開発に大きな影響を与えるからだ。

山の道具でも同じ。私のような、あまり小物にこだわらない人間でも、いい山の道具は欲しい。実際、30代前半から山を離れて50代後半まで、道具の進歩には本当に驚かされた。そういう道具の進歩には、この本にあるような人たちが山を開拓していく中で、様々な登攀用具が開発されていき、それが国内の山々にもフィードバックされていく。




山と渓谷社  ¥ 1,760

奇跡の生還と遭難の悲劇。 生死を問わず困難に立ち向かった人間の物語
第1章 マロリー、アーヴィンの謎 世界最高峰は登られたのか
第2章 ジルバーザッテルの敗退
ナンガ・パルバットの血塗られた歴史
第3章 人類初という栄光の陰に
アンナプルナ初登頂物語は悲惨な逃避行だった
第4章 最終キャンプからの救出行
嵐のK2ハイキャンプから友を助けるための決死の救出劇
第5章 メスナー兄弟、生還への遠い道
ナンガ・パルバット、未知の谷への下山
第6章 人喰い鬼からの脱出
未踏の岩峰、バインター・ブラック初登頂後の苦闘の記録
第7章 ミニヤコンカ奇跡の生還
友を失い孤立無援となったクライマーが見せた生への周年
第8章 日本人エヴェレスト無酸素初登頂の葛藤
日本人初を争う結果、生死を分けたものは何だったのか
第9章 ブラックサマーの生存者 K2最終キャンプで嵐にあった7人の生と死
第10章 6000mの宙吊り
トランゴタワー頂上直下に宙吊りになった友の救出劇
第11章 公募登山隊の破綻 エベレストガイド登山の落とし穴
第12章 7400mの国際救助隊
人命救助のためにアンナプルナ南壁に集った国際クライマー集
第13章 ギャチュン・カンの奇跡 嵐につかまった山野井夫妻の生への執念



自分で行こうとは思わないけど、映像で一を寄せ付けない山々の様子を見るのは好きだ。見るのは好きだというのも無責任な話で、それをカメラに収めに、危険を冒している人がいるわけだからね。まあ、私のような人間がいるからこそ、それらの人も、山に関わることが生きるよすがにもなり得るんだろうけど。

ドキドキ、いろいろなことにときめきながら毎日を送れたらいいですよね。ドキドキときめくというのは、いわば、心拍数が上がるということ。その心拍数が上がる感覚がドキドキかんなわけだから、心拍数の上がりやすい一ほどときめくような毎日を送りやすいと言うことになる。

どうやら私は、幸運にも心拍数の上がりやすいタイプのようだ。これまでの人生を振り返ってみても、すぐいろいろな女の人にドキドキしてしまう。惚れっぽいというのかな。

そういう観点からすると、この本に出てくるような、危険をも顧みず、自分の命を燃やし尽くして未踏峰に挑む人たちというのは、もしかしたら心拍数が上がり憎いところがあるのかもしれない。

それが、生きるか死ぬかの挑戦の中で感じるドキドキしたときめきに引きつけられたとき、もう、それこそが自分の人生の喜びと感じても決しておかしくない。

私が近所の山を歩きながら、ちょっとした風景にドキドキしているのは、未踏峰に挑むような人たちが通常ではたどり着けない絶景に臨んでドキドキしているのと、基本的に変わりない。

きっとね。

さて、そろそろ今年最初のお山に出かけようと思うんだけど、そのまえにこの酒気を抜かないと。




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Author:イーグルス16

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現代とはなぜこんなにも棲みにくいのか。
前近代から近現代へと変貌し続ける世相の本質をつかみ生き方の支柱を示す。
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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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