めんどくせぇことばかり 本 山
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『下山の哲学』 竹内洋岳

ヒマラヤやカラコルムの8000m峰14座を登った人の書いた本に、こんなにも共感できるとは思わなかった。

なにせ、こちらは日頃、その8分の1にもとどかない山をふらふらしているだけで、酸素も薄くならないし、今年は雪を踏んだのもほんの2~3回。氷壁のトラバースもなければ、エイト環を使っての懸垂下降もない。

それなのに、なぜか共感できた。

シシャパンマ、8027m。ガッシャブルムⅡ峰、8035m。ブロードピーク、8051m。ガッシャブルムⅠ峰、8068m。アンナプルナ、8091m。ナンガパルバット、8126m。マナスル、8163m。ダウラギリ、8167m。チョ・オユー、8201m。マカルー、8463m。ローツェ、8516m。カンチェンジュンガ、8586m。K2、8631m。エヴェレスト、8848m。

全部登ったって言うんだから、これはすごい。装備が良くなった。隊の組み方に幅が持てた。昭和の時代のそれとは違うと言っても、デスゾーンにはいることは一緒。8000m越えると生き物が生きていけるだけの酸素が、そこにはない。

なにも8000mを越えなくても、2000mを越えた段階で、すでに影響が出る人もいる。私の連れ合いがそう。

ずいぶん前だけど、鹿沢にテント張ってキャンプしたとき、高原の湿原を家族に歩かせてやろうと思って、池ノ平湿原まで車で上がって、歩き始めたんだ。ちょうど標高2000mくらいのはず。1周1時間くらいだからちょうど良いと思っていたところ、30分くらい歩いたところで、連れ合いが座り込んでしまった。

頭痛とめまい。その直前までなんでもなかったんだから、2000mぽっちと言っても、高度障害を心配した方がいい。運悪く、駐車場から、ちょうど一番遠いところまで来てた。やむを得ず、連れ合いを背負って、子ども二人に声をかけながら駐車場に戻り、とにかくテントを張る予定だった休暇村まで下りた。今調べたら、標高1200mくらいだな。

そこでテント張って横になると言う連れ合いに言い聞かせて、呼吸を意識させてゆっくりゆっくり、一緒に周辺を歩いた。最初は苦しそうだったんだけど、30分も歩いたら、だいぶ回復したので、子どもと一緒に焚き火用の薪を拾い集めながら、テント場に帰った。

私の方は、富士山でも、まったく高度障害が出たことがない。8合目、9合目あたりになると、道ばたに座り込んでいる人は、行く度に何度も見たな。人によるんだな。


『下山の哲学』    竹内洋岳

太郎次郎社エディタス  ¥ 1,980

頂上は通過点に過ぎない。そこから下ってきて完結するのが登山だ
Ⅰ 「役割」から「愉しみ」へ 1995~2001
Ⅱ クライマックスとしての下山 2003~2005
Ⅲ 生還するために 2005~2007
Ⅳ ヒマラヤへの復活 2008~2009
Ⅴ 14サミット完全下山 2010~2012


富士山が3776mで、4000mになり、5000mになり、6000m、7000mと、空気はどんどん薄くなる。富士山の段階で、平地の6割。デスゾーンでは3割ちょいだそうだ。空気が薄くなるから6000mを越えるとヘリは飛ばないそうだ。竹内さんは、何を考えたもんだか、14座初登頂時のマカルーで凧揚げ実験をしたんだそうだ。・・・上がらなかったそうだ。

それにしても、マカルーの下山の時は、大変だったようだ。山頂を踏んで、7350mのC6で一泊したら、高度順化が不十分で、翌朝は倦怠感一杯だったそうだ。時々懸垂下降を織り交ぜる下山で、寝てしまいたい欲望と、寝てしまえば絶対帰れないと言う理性の戦いだったそうだ。そんなところに竹内さんは、凧を持っていって、凧揚げをしたのか。

それでも、高度の上げ下げを繰り返しつつ、徐々に高地になれることで、順化することも可能。だけど、それが効かないのがデスゾーン。8000mから上の世界。そこでは、いかに活動時間を短くするかだけが問題になる。

生きて戻るのが登山という信念を貫く竹内洋岳さん。

その登山の中で、デスゾーンに足を踏み入れ、登頂を果たして生きて戻ると言うのが、竹内洋岳さんの登山スタイルということだ。BCから徐々に高度を上げ、極力、変わりやすい天候の下、高度障害の影響を避けられる最適のタイミングでサミットプッシュし、生きてBCに帰る。そのためには、サミットプッシュに出かける段階で、BCまで戻るエネルギーを計算に入れておく必要がある。

たしかに、竹内洋岳さんの登山は、はっきりとそれを意識している。 

通常、登山をテーマにした本やドラマでは、登頂をクライマックスにして物語が語られていく。しかし、この竹内さんの本で語られるのは、サミットプッシュと呼ばれる登頂から下山する本だ。

登頂を成功させた14の下山と、登頂に失敗した3つの下山。そして、もう一つ、自力で下山できなかった遭難の話からなっている。

17の下山と、1つの遭難の物語と言うことだ。

その遭難は、3人のメンバーと共に雪崩に巻き込まれ、2人が死亡した。竹内さん自身、掘り起こされたものの、ほとんど助かることは諦めなければならないような状況だったようだ。周囲の人たちによる必死の努力で、何とか命がつながった。なにせ、背骨が折れたって言うんだから。

何とか命がつながったものの、車椅子生活になることも覚悟した遭難から、1年で竹内さんは遭難したガッシャーブルムⅡ峰に戻ってくる。そして登頂を成功させ、無事BCに帰還した。

先輩にマッターホルンに誘われたことがある。でも、もう股関節の痛みが始まっていた時期で、考える余地もなくお断りした。海外の山なんて思ってもみない私が、どうして竹内洋岳さんの登山に共感できたんだろう。

もう一度“おわりに”を読んでみた。

「登山の成功したときだけ、自分にとって都合の良いところだけ、しかも試合の途中の登頂までしか見せないことは、アンフェアだと感じたのです。下山までが登山であり、登った頂上から下りてくることこそ登山なのです」

そんなことが書かれていた。たしかにそうだね。読んでみると、BCまで計算した下山なんだ。予想外のことがあれば、ギリギリの下山になる。そこまですべてさらけ出す姿勢の潔さに惹かれた。竹内洋岳さんという人間全体で、山に向かい合っている姿勢に感銘を受けたと言うことかな。

私という人間全体を、すべて山に向けてしまうわけにはいかないし、だいたい登る山はまったく違う。それでも、下山しながら次に登る山のことを考えているって、そこだけは同じだな。


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『山の観天望気』 猪熊隆之 海保芽生

武甲山が隠れたら雨。

生まれた家は武甲山の北西側の影森というところで、近くを武甲山に端を発する押堀川が流れていた。武甲山の表参道は、最寄りの横瀬駅からでも、生川沿いの道をかなり歩かなければ、登山口につけない。横瀬駅は武甲山の北側にあって、登山口は南東側にあるので、大きく回り込むことになる。

影森からの登山道は、おそらく裏参道と呼ばれたものだろうが、押堀川沿いに登る道で、途中からぐんぐん高度を上げていく道だった。当時、武甲山は東側の山頂から、徐々に高度を下げて鞍部に至り、西に向けてもう一度高度を上げて浦山口側に落ちていく山だった。かっこいい山だった。裏参道をぐんぐん高度を上げると鞍部にいたり、そこから裏、・・・私たちにとっての裏側に回り込み、たしか長者屋敷って言うところから頂上を目指した。秩父線のお花畑か、西武秩父駅からなら、ひつじ山を経て、このルートに合流することになる。

小学校の4年の時に、父と登ったのが最初だった。最初の頃は家族と登っていたが、中学校からは友達と登ったり、一人でも登るようになった。

高校からは山岳部だからね。武甲山は練習になった。

そう言えば、山岳部に入部したあと最初の日曜日の朝、1年先輩の青野さんが武甲山に登ろうって迎えに来た。何人かの1年が、先に誘われて庭先で待っていた。慌ててナップザック引っ張り出して、むすび作ってもらって、水を持って出かけた。いきなりの誘いで歩いたのは、裏参道から武甲山に登って、小持山、大持山、妻坂峠から武川岳、二子山を経て、芦ヶ久保に下った。今考えると、すごいきびしいコースだな。翌週の土曜日、新人歓迎合宿で橋立川にテントを張り、武甲山に夜間登山をしたのも懐かしい。

私の家は南に向いて、つまり武甲山に向いていて、休みの日に縁側で日向ぼっこをしながら、ありのような登山者が少しずつ登って行く様子を見るのが好きだった。

以前も、このことは書いたなぁ。二度と会えない人、二度と取り戻せないものって、それだけに切ないほどに懐かしい。

その武甲山の上から3分の1くらいが隠れると、まず雨になる。

私にできる観天望気は、そのくらいかな。残念ながら秩父を出てしまったので、今の家から武甲山は見えない。それじゃ何にもできないってことだな。


『山の観天望気』    猪熊隆之 海保芽生

ヤマケイ新書  ¥ 1,100

山で見かける雲を知る楽しみや、急変する山の天気から身を守るリスクマネジメント
1章 観天望気の基本
2章 悪天を報せる雲とさまざまな現象
3章 気性のリスクから身を守る


著者のお二人は、山岳気象専門会社ヤマテンの関係者だそうだ。

特に猪熊隆之さんは、ヤマテンの代表取締役だという。登山家としても相当な人のようだ。残念ながら、足を悪くされて山を諦め、一念発起して、気象予報士の資格を取ったんだそうだ。さらに“山の天気予報”をビジネスにつなげることを思いつき、ヤマテンの設立に至ったんだという。

山で降られると嫌だからね。雷なんかもっと嫌。できれば避けたい。だけど、今の私は隠居の身分だから、晴れの日を選んで山に行く。奥武蔵や奥多摩あたりの山なら、一般の天気予報を確認しておけば、まず大丈夫。それに私の登山は、雷雲が発生するような時間帯には、まず行動を終えている。

それでも昨年、晴れの予報で出かけた谷川岳ではそれが外れ、視界もおぼつかないガスと篠突く雨に体温を奪われた。谷川は特に天気が変わりやすいからね。その時の予報は、天気の良化が半日ほど遅れたことが原因だった。

若い頃は、休みに合わせて登るから、当然だけど天気の良くないときもある。次第に寒くなる秋山で、冷たい雨に打たれるのは嫌だよね。首筋からツツーっと雨だれが背中に回ったりしてさ。奥秩父を2泊3日で縦走した時は、ずっと雨の中だった。雨の中で冷たいテントを収納し、雨の中で濡れたテントを張るのはつらかった。まだ、帆布地のテントだったからね。重かった。

観天望気って、いろいろな方法がある。風の吹き方を感じたり、空気の匂いを嗅いだり、先に書いたけど、山が隠れると雨とかね。あとはツバメが低く飛んだら、カエルが鳴いたらなんて、生き物を観察する方法。猫が顔を洗うと雨ってい言うのもあったけど、14歳で死んじゃった家のミィミィは、全然あてにならなかった。

観天望気の中でも、もっとも普遍性のあるのが、やはり雲を見ることだろう。雲を知ることは、そのまま天気を予想することにつながるから、ヤマテンに関わる二人の著者の専売特許って言うことだな。

そんなわけで、観天望気と言っても、この本は“雲”の本。雲は奥深く、難しい。この奥深さ、難しさを克服するためには、おそらく実践しか無いだろう。

さらにはその雲が、どんな状況で発生し、どのような結果をもたらすか。見晴らしのいいところで、雲でも見に出かけてみよう。この本でも持って。


3月13日の土曜日、朝から雨が降っていたが、お昼を過ぎ2時くらいから風が強くなり、雷が鳴りはじめて荒れた天気になった。6時を過ぎると雨音がやみ、そのあとは急に天気が回復した。

この前線の、どこにどんな雲が発生して、天気がどのように変わっていくか。

この本を読むと分かるよ。
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『はじめよう!ソロキャンプ』『ソロキャンプごはん』

ギアっていうのは、自転車の歯車のことだと思ってた。

なんだか、違う意味合いで使ってる人たちがいて、どうやらそれは“道具”という意味のようだ。私がこんなことを書くのは、それは私がくそじじいだからこそなのだが、言葉を変えることによって新しい価値を生み出そうと言うやり方が、嫌いなのだ。

道具をギアと呼び変えて、同調しない者を置き去りにして平然としていられる人がいたら、私はその人が嫌いだ。大したことじゃないのに、そういう姿勢だから私は嫌がられるんだそうだ。そう、連れ合いが、私によく言う。

くそじじいの戯言はそこくらいにして、“ソロキャンプ”の本を二つ。まずは、『はじめよう!ソロキャンプ』

私には到底似合いそうもないこの本を、なぜ手にしたか。それは、こんなかわいいお嬢さんが、一人でキャンプをしていることに驚いたから。本格的なキャンプにはまったのは大学2年の時ということだけど、アウトドア好きな家族の影響で、子どもの頃からすでにキャンパーだったそうだ。

大学2年から本格的・・・、いったい今、おいくつなんだろう。・・・まあ、いいや。それにしても、キャンプに行って遊ぶことが仕事になるなんてね。

山岳部だけど、山と関係の無いキャンプを、高校の時からやっていた。だいたい山岳部の仲間と一緒だった。キャンプ場にテントを張ったことはない。キャンプのためのキャンプ場があるなんて考えたこともない。武甲山の山ノ神の下や、浦山川の河原の高くなったところにテント張ってた。

浦山川の河原は、山岳部の新人歓迎合宿の時に使う場所で、合宿の時は、そのまま武甲山に夜間登山をした。でも、キャンプの時は、高校生なのに酒を飲んでたな。いつも仲間と一緒。どちらにしても、他に人はいないから静かだった。

一人でキャンプというのはなかったな。一人でテントを張って泊まることはあっても、それは山行の一環としてだから、キャンプじゃないよね。それ以降も、キャンプなら誰かと一緒だな。

定年してみると、なにかとものの見方が変わってくる。なにがしかの目的を定めて人生ではない。言わば、暇つぶしだな。暇つぶしなら、キャンプもいい。山を歩いてもいいけど、歩かなくてもいい。ただ、テント張って、焚き火して、つまみをやりつつ酒を飲む。

よし、このお姉さんを参考に、“ソロキャンプ”か。・・・ギアは買わないけどな。





山と渓谷社  ¥ 1,430

忙しい日常を離れて、静かに流れる時間をひとりで楽しむソロキャンプが人気

徳間書店  ¥ 2,530

野草やハーブを活用して、ちょっとスペシャルに!ハーブ王子流ソロキャンプごはん

もう一冊は、『ソロキャンプごはん』って言う本。

開いてみてびっくり。キャンプごはんの参考にと思ったんだけど、著者の山下智道さんはハーブ研究家、“ハーブ王子”と呼ばれる人だそうだ。

すごい。あらゆるキャンプごはんに、いろいろな葉っぱが入っている。えっ、沢がにの炊き込みごはん?沢がにを炊き込んじゃっていいの?

・・・ちょっと調べた結果、寄生虫がいるので生食は危険だが、しっかり火を通せば食べても大丈夫だそうだ。唐揚げや素揚げが紹介されていたが、潰しながら取った出汁でみそ汁にしてもうまいらしい。

からし菜、タンポポ、ふき、イタドリ、ユキノシタ、ひるがお、つゆくさ、ほながいぬびゆ、のかんぞう、しろざ、よもぎ、すべりひゆ、たで、山椒、くず、せり。

・・・知らないのもあるけど、確実に知ってるやつならね。じつは、キノコでひどい目にあったことがある。

人に教えてもらったイッポンシメジ。その人はウラベニホテイシメジのことをイッポンシメジと呼んでいたんだけど、一般に、イッポンシメジは毒があるんだよね。まあ、いずれにせよ、両者の見分けがつかずに、山でうどんに入れて喰ってしまった。その後下痢と嘔吐に苦しんだ。

だから、山野草でも、本当に確実なやつしか手を出さないようにしている。

だけど、タンポポやふき、イタドリにユキノシタくらいなら、いくら何でも分かるからね。テント張ったら、焚き火の火をおこす前に周囲を散策して、確実な食材を見つけてきてもいい。

ああ、なんだか少し、ワクワクしてきたぞ。

でも、最近のブームで、ギアを揃えたソロキャンパーの大群にお目にかかるのは嫌だな。人の来ない、・・・やっぱり山かな。



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『マタギに学ぶ登山技術』 工藤隆雄

先日、わな猟師に関わる番組をテレビで見た。

その方は、主にイノシシや鹿を獲る猟師で、獲った獣の肉を、自分と息子で経営する料理屋で、ジビエ料理として出している。人気は猪鍋で、60キロにとどくような大きなイノシシが獲れれば、10日間は食材に困らないという。

2年前に次男坊が一緒に猟に出るようになるまでは、一人で山に入っていたという。ご自身は小柄な方で、おそらく60キロの体重はないだろう。

わなにかかったイノシシは、足一本をわなに取られている。そのイノシシに前から接近する。怒り狂ったイノシシが、猟師に突進しようとして足にかかっているわなに阻まれる。それでも何度も突進を繰り返す。そのイノシシの突進を利用して、イノシシが鼻先をぶつけると、その鼻にワイヤーがかかる道具を持って、一人近づいていく。

私たちは、人間の世界、文明の世界に生きている。しかし、猟師がイノシシに対峙したとき、猟師という文明とイノシシという野生が激突する。

イノシシの鼻先にワイヤーを掛け、それを猟師の背後にある木に掛けて引っ張る。すると、足にかかるわなと、鼻にかかるワイヤーで、イノシシの身体が伸び、イノシシは身体を横たえる。

猟師は、横たわったイノシシの背中側に周り、後ろ足の付け根、腰の部分を、片方の膝で押さえつける。そうするとイノシシは、身動きが取れなくなるのだそうだ。

その状態で足をロープで結んでいく。四つ足を一カ所で束ねる。今度は口の部分にワイヤーを掛けて、嚙みつかれないようにする。ガムテープで顔をおおって視界を奪う。視界を奪われると、ついにイノシシは身動きをやめてしまうと言う。

そのイノシシを車に積んで店に帰り、店でいよいよイノシシの命を奪う。興奮状態で命を奪うと、血が身体に回り、肉が臭くなるんだそうだ。だから、イノシシが落ち着くのを待って、心臓をひと突きにする。

その肉が、猟師と、その家族の生活を支えている。

その、わな猟師の様子だけで、驚き桃の木山椒の木なのに、マタギは熊を追って冬の山に入る。何日も何日も、熊を追って山を歩き、山を走る。

わな猟は、待つ猟だが、マタギは追いかける猟だ。・・・想像を絶する。



ヤマケイ新書  ¥ 979

山のエキスパート集団「マタギ」が教えてくれる、サバイバル登山技術集
第1章 マタギは私たち登山者の大先輩
第2章 下界の摂生した生活がマタギの始まり
第3章 着実にしかも自然を壊さずに歩く術
第4章 軽快に山を歩くためのウエアと道具
第5章 マタギ料理はダイエット料理
第6章 山中で快適に暮らす術
第7章 秘伝、自然の工夫・利用術
第8章 マタギ流SOSからの回避

かつて、普通の暮らしをする日本人は、山には入らない。

山を仕事の場とする人たちはいる。しかし、彼らの仕事の領域は、多くの場合、里に接している。さらにその奥に入るのは行者とマタギくらいのものだろう。

まさに、マタギは私たち登山者の大先輩。

だけど、現代の登山者は、マタギほど山を知らない。かつてのマタギには、登山靴はない。テントもない。シュラフもない。ゴアテックスのレインウェアもない。ガスバーナーもない。ダウンジャケットもない。アルファー化米もない。レトルト食品もない。便利なものは何にもないのに、マタギには山に関する知識がある。

その知恵が詰まっているのがこの本と言うことだな。

何を着て山に入るのか。

何日も何日も山を歩くのに、何を食べるのか。

テントもないのに、どこに寝るのか。

シュラフもないのに、寒くないのか。

そういった知識は、現代の登山者にとっては、宝と言っていい。なにも、そのまねをしようとは思わない、登山靴があるのに、テントがあるのに、シュラフがあるのに、ゴアテックスのレインウェアがあるのに、ガスバーナーがあるのに、ダウンジャケットがあるのに、アルファー化米があるのに、レトルト食品があるのに、そういった便利な物を何にも使わないで、マタギのように、知識で山に入るのがいいなんて思わない。

ただ、その知識は、山で生き抜くために考え抜かれた、きわめて合理的なものだ。私たちが使う道具の成り立ちを思うと、マタギの知識の合理性に驚いてしまう。だからその知識に触れることで、道具に対する理解が、間違いなく深化する。

ただ、もっと大事なことが書かれている。

彼らは、大切なものを、「山にいただいている」という意識が強い。獲物はもちろんだけど、山菜や水。その川の水が流れ下って、里の人々ののどを潤すことにも感謝している。

だから、獲物も山菜も、再生が可能な範囲でしか獲らない。決して余分には獲らない。さらに、山を壊さない。自分たちの歩いたところが、しばらく後には、その足跡まで残らないように歩く。

山と共に生きていく。それが、彼らの知恵である。

再生可能エネルギーのために、山を丸ハゲにしようなんて、思いも寄らないだろう。




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『ソロ登山の知恵』 山と渓谷編集部

水袋、保温ポット、テーピングテープ、ヘッドランプ、エマージェンシーシート、ろうそく、ライター、ガスカートリッジ、バーナー、クッカー、非常食、折りたたみ傘、スリング・カラビナ、防寒着、ツエルト、トレッキングポール、ザック、防水スタッフバッグ。

登山ガイドの木元康晴さんの、基本装備だそうだ。もちろん、これに、食料や飲料水が入る。

難しいよね。荷物は軽くしたい。だけど、山ではなにが起こるか分からないから、どんな事態にも対応できるように準備しなければならない。そう思うとどうしても、荷物が増える。単独なら、全部、自分持ち。装備が重くなれば、体力を消耗する。

木元さんは、かつて、3度きびしいビバークを経験し、それを含める数々の経験を通して厳選された装備が、上記の18点。

エマージェンシーは、テーピングテープとエマージェンシーシートだけか。私は、ごちゃごちゃと、色々なものを持ちすぎだな。テーピングテープは、本来の使い方はもちろんのこと、他に、なにに使えると思う?

ケガをしたとき、テープで直接傷口を塞ぐ。登山靴のソール剥がれの修理等、使い道はさまざまあるらしい。なんと、火起こしの着火剤にも使えるという。

エマージェンシーシートは、私は持たない。ツエルト持ってるから、いいと思ってるんだけど、寒い時期にビバークしたことないからな。重いもんじゃないし、エマージェンシーケースに入れとくかな。

ろうそくは持って行かないな。考えてみれば、ろうそくがあれば、ツエルト内の保温になるし、電池の節約にもなる。スリングは持たないけど、細引きを使ってるな。防水スタッフバッグは、やっぱり使うべきか。ええっ!枕としても使えるって。

《単独登山はやめましょう》っていう表示を出している自治体もあるそうだ。私は見たことがない。禁止されているわけじゃないし、道徳的に考えても、おかしいことじゃない。人が死に至る原因の中で、それが避けうるものであるにもかかわらず、放置するべきではないという姿勢なんだろうか。

登山遭難者の死亡率を見たとき、ソロの場合が16パーセントで、パーティの場合が8パーセントだそうだ。遭難死のリスクが、ソロの場合2倍になる。共通する8パーセントは、遭難の時点で死んでいる滑落等だろう。残る8パーセントは救助できるか、あるいは、救助が呼べるか、その違いだろう。

孤独死が、話題になった時期があった。今でも、そうかもしれない。年寄りであれば、あるいは、何らかの病気を抱えている人であれば、山に登るまでもなく、突発的な事態になって、助けも呼べずに命を落とすこともある。

とはいえ、こんだけ高齢化が進み、かつ家族が分解され、コミュニティのつながりが緩やかになった状況にあっては、珍しい事態ではない。なんとしても避けたいのであれば、施設に入ればいいんだし、そうでなくても万が一の場合の準備をするだろう。あとは覚悟の問題だと思う。

一人で山に入るのも同じ。たしかに、捜索のことも考えなきゃいけないけど、それも含めて、“覚悟”だと思う。“はじめに”に書かれているとおり「危険度の高さと天秤にかけても、実戦する価値のある、魅力的な行為」であるし、死にに行くわけじゃない。ワクワクしながら、輝いて生きるために、一人で山に行くんだ。

もちろん、死なないために色々な準備をするし、実際、緊急事態に至っても最後の最後まで手を尽くす。そこまでやって、なお、残念ながら生還できないとなったら、それはすべての人の死とまったく同じ。


『ソロ登山の知恵』    山と渓谷編集部

山と渓谷社  ¥ 1,100

その魅力やリスク、必ず身に着けておきたい登山技術を解説。ソロ登山者必読の一冊
第1章 ソロ登山の意義
私が考える「ソロ」 私のソロ登山スタイル
第2章 ソロ登山実践の知恵
ソロ登山の計画術 歩行技術 ペース配分 ナビゲーション 天気
第3章 ソロ登山の遭難事例
「滑落」「ビバーク」「ビバーク」「ヒヤリハット体験集」
第4章 ソロ登山の安全管理の知恵
入山前の遭難対策 状況把握と進退判断 ビバーク
ファーストエイド 救助要請


『山と渓谷』は、毎年、ソロ登山の特集を組むそうだ。

それがソロ登山を煽ってるという声もあるらしい。しかし、『山と渓谷』の主張の通り、雑誌が特集をやめてもソロ登山は減らない。山岳会などの組織に属さず、技術や知識習得の機会を得にくい人も多い。だったら、単独のリスクを明確にした上で、役立つ知識を掲載した方が、遭難防止につながる。

そうした意味で、この本が出された。

よく、山岳遭難発生状況を、埼玉県警のHPで見ることがある。

ちなみに、さっきも、12月1日現在の状況を確認してみた。埼玉県内で、11月のひと月だけで、10件の遭難が発生している。滑落が2件。小鹿野の二子山と越生の鼻曲山。鼻曲山は、どこで滑落したんだろう。二子山は4人パーティ、鼻曲山は300人とあるから、越生や毛呂山町が開催したハイキング大会だろうか。

単独山行は5件で、道迷いが4件に、疲労が1件。いずれも無事救出されている。武甲山が2件、両神山1件、雁坂峠1件、棒の嶺1件。

雁坂峠、単独、道迷いは、良く無事救出できましたね。他の山は、いずれも登山者が多く。手がかりも多そうだけど、雁坂だと、山が深いからね。

私は、土日を避けて登山しているし、人がたくさんいない山を選んでいる。だから、緊急事態を招かないように、それなりに努力している。一番ありそうで、注意しているのは、滑落や転倒による骨折。

まずは、滑落しない、転倒しないで歩くこと。若い頃は、考える必要すら感じてなかったけど、バランス感覚と身体の柔軟性は、間違いなく落ちている。

この本の第2章にも出てくるんだけど、いま、歩き方を見直している。

ナンバ歩きという方法で、筋肉の力で地面を蹴って前に進む方法ではなく、筋肉よりも骨を意識して、身体の軸を移動させながら、前に進む。着地はかかとからつかず、足裏全体を置くようにして地面につける。この歩き方は悪い道に向いていて、雪道を滑らず歩く方法の一つである。さらに歩幅が狭くなるので、軸を移動させるときにバランスを崩しにくくなる。

以前の山行で感じたんだけど、地下足袋で歩くと、岩を蹴ったり、とがったところに足を置くと痛いから、歩きが丁寧になる。ただ、寒い時期は足が冷たくなっちゃうからね。ナンバ歩きをマスターして、歩幅を小さく、一歩一歩、丁寧に歩くことを身につけたいと思う。

感染症流行下、他の都県に出かけるのを控えて、顔なじみの地元の山を歩いている。こんな時こそ、同じ山でも、新しいテーマをもって、丁寧に歩くことにしよう。


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『山とあめ玉と絵具箱』 川原真由美

そうか、山で絵を描くというのも、ひとつだな。

山の楽しみ方には色々ある。《山をたのしむひと》という項目で、著者が書いている。

百名山を目指して山に登る人。名もないひっそりとした山に登る人。ただ山道を歩く人。同じ山を何百回と登る人。ひたすら高い山を目ざす人。登山ルートをすべて制覇しようと試みる人。高山植物をたのしむ人。花の名所を巡る人。バードウォッチングをたのしむ人。キャンプを目的とする人。山小屋を満喫する人。

「山の楽しみは、行くほどに増えていく。この先、定まっていくのか。それとももっと広がるのか、もしかしたら山には登らずに、麓から眺めるようになるかも知れない。山の匂いを吸い込んだときに体中に広がるもの、それが今の楽しみだ」

そう書いている。

私は、・・・どうだろう。山にはじめて登ったのは、・・・山頂をめざしたのは武甲山だけど、それ以前に、遊び場が山だった。自分では記憶にないのだが、幼稚園から帰った後、一人で山、そのまま登山道を詰めれば武甲山山頂に至るのだが、その山に入り、帰れなくなったことがあるそうだ。地域の人に、山狩りされて助けられてしまったらしい。

そんなわけで、“山のいる”ということが、なにより好きなのかも知れない。高校で山岳部に入り、あちこちふらつくようになるわけだけど、記憶に残る多くのことは、極めた山頂よりも、そこに至る行程が多い。あの頃は、友達と山を歩けることが嬉しくて仕方がなかった。いつの頃からか、どうも性格が歪んでしまったようで、人と一緒に歩くことが苦手になってしまったが。

そうだな。それから人がたくさんいる山は、ちょっと避けてるな。土日は出かけないようにしているしね。もちろん、気持ちが広がるような、雄大な景色には出逢いたい。そのためには、高い山に登りたい。深い山を彷徨いたい。

それでも、いろいろなものをそぎ落として、最後に残るのは何かなって考えると、残るのは“山にいる”ってことのような気がする。




リトル・モア  ¥ 1,980

あの色、あの匂い、あの音。山を歩くのは、なんてたのしいのだろう。
鈍行電車に乗って三十年前の上高地から
山の上の誕生日ケーキ突風と雪の蝶ヶ岳
テント場さがしの八ヶ岳のら猫と旗振山
野口五郎岳山で絵を描く
高尾山の朝ごはん八方尾根のバッチ
RCCの伯父を辿って犬とイタツミ尾根
山をたのしむひと冬の河童橋
木曽駒のおじさん雪ノ平へ
地図とトレイルと線白いモンブラン
柱のにおい雨の北八ツと双子池
南御室小屋のテント場六甲山を越えて有馬温泉へ
こいのぼりと残雪の奥穂家からみえる山
山に行くのはおっくうだ光る石のある山
十月の雪先輩の麦草岳
島々谷を歩く高取山で会った人
お正月の森







あめ玉と小ぶりの手帳とペンを、いつもポシェットに入れて持って行くんだという。あめ玉は疲れを癒やす糖分として、手帳とペンは、道中であったことや天気、歩いた時間やルートをメモするんだという。

山岳部出身の者なら、誰もがそういう登山を知っている。最近は、便利なものがあるからね。だけどこの間、久し振りにタイムを記録している人を見たな。

何泊かするときは、スケッチブックと色鉛筆、絵具箱がプラスされるんだそうだ。この本には川原真由美さんが描いた絵がたくさん紹介されている。

いいなぁ、山で絵を描くって。

高山植物を描いたものもある。ハクサンフウロ、ニッコオウキスゲ、キンガサソウ、クロユリは荒川だけのカール、ミヤマキンポウゲは千枚小屋と、それを見た場所も描かれている。

うらやましいな。だけど、私は絵が下手だから無理だな。

この本は、山のエッセイ集。山に登るようになったのは40を過ぎてからで、どんどん山に惹かれていったようだ。テントをかついで行くこともあれば、山小屋を利用することもある。ソロもあれば、仲間と一緒のこともある。形にとらわれず、思うがままに山をたのしんでいる感じだな。

私がいつも持っていくものって、なんかあるかな。・・・せいぜいカメラくらいのものか。

今年から泊登山を始めようと思ってた。感染症の流行で、だいぶ気持ちがしぼんじゃったけど。それでも何度か出かけたけど、そんなとき、ついつい酒を飲んでしまう。

三ツドッケにいったときは、避難小屋の前に宴会場を設定して、日が暮れるまで、そこで呑んだ。ときどき、鹿が現れる。何してるんだって顔でこっちを見て、やがて平然と去って行く。寄っていってくれればいいのにね。あれは楽しかった。

あれは、感染症が下火になって、久し振りに電車とバスを使って、日原に入ったんだ。今また、感染症の流行がひどくなって、遠出する気になれない。

やむを得ず、行き慣れた地元、奥武蔵の低山に出かける。「なんかワクワクしないな~」なんて思いつつ、無理やり出かけることもある。それでも山を歩いているうちに、なんだかいい気分になってくるんだから、不思議なもんだ。

著者が、「山の匂いを吸い込んだときに体中に広がるもの、それが今の楽しみだ」って言ってるのと同じかな。


テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『剱岳ー線の記』 髙橋大輔

思わぬところで三角点を見つけることがある。

この間登った虎秀山で、三角点を見つけたときも驚いた。三角点には一等から四等まであるという。一等は1500㎢に一点、二等は55㎢に一点、三等は8㎢に一点、四等は2㎢に一点といった間隔で設置しているという。

その三角点が何等かは、側面に書いてあるんだそうだ。今度見つけたら必ず確認しよう。ただし、風雪で消えている場合もあるらしい。そんなときは一辺の長さを測る。一等は18㎝、二等と三等は15㎝、四等は12㎝だそうだ。

虎秀山の三角点は、いったい何等のものだったんだろう。おそらく三等か、四等だろう。ああ、確認したい。

『剱岳ー線の記』の著者である髙橋大輔さんが、誰が、どのルートから剱岳初登頂を果たしたのかに興味を持つきっかけとなったのは、もちろん、『劔岳〈点の記〉』にある。“点の記”とは、三角点設置の記録のこと。

宗教登山による開山となった山をのぞき、日本の山のほとんどは、明治時代に陸地測量隊によって初登頂がなされている。そして、最後に残された山が、弘法大師がワラジ3000足を使っても登れなかったという剱岳だったわけだ。そこで陸地測量隊が、何度もの挫折を乗り越えてようやく登頂を果たしたとき、そこに修行僧の使う錫杖の頭を見つけたわけだ。

“いつ” 山頂に立ったのは何年か
“誰が” 山頂に錫杖頭と鉄剣をおいたのは誰か
“どのように” どのようにして山頂を極めたのか
“どの” どのルートから山頂にたどり着いたのか
“どこに” 山頂のどこに錫杖頭と鉄剣をおいたのか
”なぜ” なぜ山頂に立とうとしたのか

髙橋大輔さんは、それを知りたくなった。分かっていることもある。

“いつ” 古代 奈良時代から平安時代
“誰が” 山伏
“どのように” 登攀技術や装備のない、空身で登った
“どの” 別山尾根ルートか早月尾根ルート
“どこに” 剱岳山頂
“なぜ” 仏教の祭事か修行のため

だけど髙橋さんは、これでは満足できなかった。だから、とりあえず、剱岳に登ってみた。



『剱岳ー線の記』    髙橋大輔

朝日新聞出版  ¥ 1,870

岩と雪の殿堂、剱岳。誰が、どのルートから。探検家髙橋大輔がその謎に挑む
点から線へ
剱岳のファーストクライマーを追う
「Z地点」はどこか
立山開山と剱岳
もうひとつの山岳霊場
失われた山の古道を求めて
立山三山をゆく
謎のトンガリ岩
ハゲマンザイへ
推理
時を超えた邂逅
線から面へ



髙橋さんの一連の探求は、2016年に始まった。

そして、その成果の一部であるルートの探求に関しては、すでに2018年11月にNHKの特注番組で放映されている。ロッククライミングの技術も、近代的な装備もない平安時代のことだからね。靴だって履いてない。わらじだよ、わらじ。

ただし、山岳修行で鍛え上げたとてつもない体力と、真理を目ざす宗教的探究心があふれ出すような人だったに違いない。それはまさしく、技術や装備の欠落を補ってあまりあるものだったということになる。

私は、それを見ていた。ガイドの案内で、立山川をハゲマンザイと呼ばれる場所まで遡行し、そこから45度の谷筋を上がって早月尾根に合流する。

先日読んだ、地名に関する本にもあった。ハゲマンザイの“ハゲ”は、岩崩れでできた地形を意味する。見るからに、これは厄介だった。上部まで行けば木があるが、まあ、それなりに薮をこぐことになるが、木があれば掴まることができる。しかし、そこより下では、草付きに頼るほかはない。これは怖い。

でも、このルートで髙橋さん一行が剱岳登頂を果たしたことで、1000年前の平安時代でも、剱岳に登ることができると、実証されたことになった。

そのテレビ番組の記憶をもとに、この本を読んだ。

ルートの探求は、とても面白いものだった。その過程で、髙橋さんは、色々なことに気づかされていく。ハゲマンザイのハゲだけでなくマンザイにも、実は深い意味があった。その他にも色々とね。 

だけど、テレビで放映されたのはあくまでもルート探索であった。でも、雄山から登って、大汝山、富士ノ折立、別山と歩いた人なら、そして別山から剣を見た人なら、誰でもがドキッとすることを、髙橋さんが書いている。ここが縦走路としてつながっていることに、大きな意味があるというのだ。

雄山山頂の神社の拝殿での参拝は、剣を拝むことになる。縦走の半ば、富士ノ折立には「不死の世界におり立つ」という意味があるらしい。雄山に登ってから別山に向けて歩く途中、剣の見所はさまざまある。だけど、別山について気がつく。これ以上、剣がかっこよく見えるところはない。

そしてそこで思うのは、地獄を恐れることとは考えにくい。魂の未来営業を祈ったのではないかというのだ。

なんだか、主峰の月山を過去、羽黒山を現在、出羽三山の奥宮の湯殿山を未来とし、月山で死とよみがえりを体験し、湯殿山で再生を体験する三山信仰に、よく似てるじゃないか。

読んでもらえば、もっと奥が深い。


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ジャンル : 本・雑誌

鎌北湖周辺の山でリハビリ

この間、山を歩いてきたのが12月8日。

その2日後、10日の木曜日だな。早朝のランニング中に、右ふくらはぎを痛めた。軽い肉離れだろう。2kmほど行って、身体も温まったので、そろそろスピードを上げていこうかと思ってから、ほんの2・3歩のところでの激痛。2kmを家まで帰ってくるのが、とってもつらかった。

木金土日と我慢を重ねて、痛みも取れた。火曜日の山歩きに向けて、月曜の朝、暗いうちに歩きに出た。大丈夫そうなので、早歩き。異常はないので、本当にゆっくり走り出してみる。・・・・・・・あれ、右ふくらはぎの奥の方に、・・・なんだか。

残念ながら、まだ完全には直っていなかった。ちょっと力を加えたことで、ほんの少し痛みが出た。2日前、土曜日あたりの状況に戻った感じ。

結局その後、月火水を完全休養、木曜日に歩きに出て、5kmほど歩いても異常なかったので、今度はリハビリに、近くの山に出かけてみた。鎌北湖から蟹穴山へ、そこから茶嶽山、スカリ山、北向地蔵と廻って下りる、いつもながらのおなじみのコース。

蟹穴山の展望スポットからは、富士山がよく見えた。8日にもここから富士山を見たが、その時よりもくっきり見えた。雪の上にジグザグの登山道まで確認できた。
IMG_7440.jpg (山頂に続く、ジグザクの道が見える)

IMG_7441.jpg (大岳山を左に、御前山を右に)

IMG_7442.jpg (蕎麦粒山と三ツドッケ)

東には筑波が見えているので、富士山と筑波山に挟まれて、なんだかいい気分だ。
IMG_7439.jpg IMG_7438.jpg (キリッとした空気で関東平野一望)      (冬にならないとこの方角は見えない)

IMG_7443.jpg (ほら、ここはこんな感じ。この写真にも富士山が写っているんだが・・・)

今週に入ってから、超冬型の気圧配置になって、関東はいい天気が続いた。肉離れで出かけられなかったのは残念だったが、感染症流行下でもあり、もうしばらく、近くの山を巡ることにしよう。

スカリ山からは、日光方面、赤城、尾瀬、上越方面の、雪をかぶった山が見えた。上越はもの凄い積雪で、生活に支障が出る状態だという。あれらの麓では、そんな人々の苦労があるのか。あそこに、そんなにも雪を降らせて、乾燥した冷たい空気が関東平野を覆い尽している。どうやら、それがウイルスに力を与えているらしい。
IMG_7444.jpg IMG_7445.jpg (日光方面)                 (赤城山)

IMG_7446.jpg IMG_7448.jpg (尾瀬から上越方面)              (関東平野、右に筑波、左に日光)

IMG_7447.jpg (手前左が茶嶽山、鉄塔はさんで右が蟹穴山。鉄塔の上に越上山。その奥に重なるように関八州見晴台)

樹林に囲まれた山道だけど、葉が落ちて、ずいぶんと見通しがよくなってきた。まさに、“冬の低山”だな。

半日にも満たない山歩きだけど、右ふくらはぎは、奥の方に多少の違和感を感じるものの、何とか持ってくれた。週明けの天気のいい日に、もう少し距離を伸ばして歩いてみようか。

この日歩いたのは、以下のようなコース。

地図


テーマ : 登山
ジャンル : スポーツ

50代から始めるトレッキング サポートBOOK 2020』

朝、走ってるんだ。

そうすると、いろいろなことを考えさせられる。今は明るくなるのが遅いから、腕と足に反射板つけて、ライトも持ってる。自分で見るよりも、車の人に気づいてもらうために。

5時くらいになると、暗い中で、ウォーキングをしている方を見かける。年配の方が多いようなんだけど、だいたいが、闇の中から唐突に現れる。黒・・・ではないかも知れないが、黒っぽい服を着て、闇の中から現れられると、ビックリする。まるで、あちらの世界からいらしたのではないかと・・・。

何人かの人が、夜中にコンビニでカップラーメンを買って食べたのか。空のカップと、箸と、お手拭きみたいなものが散乱してることもある。心貧しき者たちめ!

ここは箱根駅伝出場を目ざす大学が近くにあるので、学生が走っている場合もある。そういう人たちは、やはり速い。でも、彼らは、真っ暗なうちは、まだ走らない。・・・はずなのに、とても速い足音が、後ろから迫ってくる。邪魔にならないように、ライトをつけて存在を報せる。ところが、なかなか抜いていかないんだ。足音はとても速いのに、いつまでも後ろから聞こえてくる。そして、いつの間にか消えるんだ。

電灯が遠い暗い道を走っていると、視角の一番端を、何かが動いたのを感じることがあるんだ。そちらに目を向けると、ただ闇が広がっているだけ。長い間、捕食される立場にあった人類の遠い記憶が、闇の中でうごめくものに敏感にさせているに違いない。

そんなことを考えているうちに、そろそろ身体が温まってきた。この辺から少しスピードを上げてみようか。そう思って歩幅を広げて、ほんの2~3歩目、右ふくらはぎに激痛が走る。

立ち止まって、右足をおろし、体重をかけてみる。・・・やってしまった。おそらく重くはないと思うけど、肉離れっぽい。突き方によっては、右足も使える。家から2キロほどの場所。その距離を、1時間ほどかけて帰った。

これじゃ、明日の山は、行けないな。

月に6回くらいのペースで、山歩きに出かけている。ほとんどは日帰り。明日の天気が良さそうなら、「行ってみようかな」って感じ。《山高きがゆえに貴からず、樹あるをもって貴しとなす》ってことで、山の中を歩けることに喜びを見出している。高山を目ざそうとすれば、その分準備が必要になる。

時には準備をして出かけることもあるが、面倒くさければ、近くの山を歩く。「なんか、ワクワクしないな」なんて思って出かけても、歩いているうちに嬉しくなってくる。人間が、安上がりにできているらしい。




ネコ・パブリッシング  ¥ 1,320

トレッキングで健康寿命を延ばそう。絶景山30選 やっぱり山って気持ちいい!
Scene リフレッシュトレッキング
Scene 爽快達成トレッキング
Scene チャレンジトレッキング
トレッキングHow-to
フィールドの知識とトレッキングの装備
トレッキングと身体の関係
トレッキングをシミュレーションする


そんな安上がりな私に、この本は、ほんのちょっぴり遠出をすることを進めてくれる。ほんのちょっぴり遠出をすれば、「ほら、こんなに良いところがあるよ」って、そういう本だな。

最初の《リフレッシュトレッキング》で紹介されているコースは、以下の通り。
《尾瀬ヶ原、白駒池~高見岩、毛無山~破風山、西ノ湖、双子山~双子池、宝永山、刈込湖~刈込湖、羅漢寺山~昇仙峡、高尾山、鉄砲木ノ頭、赤城自然園、八千穂高原自然園、那須平成の森、栂池自然園、蓼科御泉水自然園、日光澤温泉》

このコースは高低差も小さく、1日に歩く距離も短い。一番長い尾瀬ヶ原は、10キロ歩くけど、高低差のない木道歩き。帰り、山の鼻から鳩待に上がるときに、ちょっとのぼるだけ。

次の《爽快達成トレッキング》で紹介されているコースは、以下の通り。
《金冠山~達磨山、杓子山、黒斑山、にゅう、湯ノ丸山~烏帽子岳、北横岳、大野山、日の出山、那須岳(茶臼山~朝日岳)》

これは、汗をかき、弱音をこらえて歩くコース。だけど、10キロを超えるコースはなく、登りの累積も3桁を超えることはない。しかも、歩行時間も5時間以内ってことだから、大変お手頃だな。

最後に《チャレンジトレッキング》で紹介されているコースは、以下の通り。
《燕岳、蓼科山、硫黄岳、蝶ヶ岳、富士山(吉田ルート)》

山頂で迎える感動を想像しつつ、期待を込めて長いルートをたどるコース。燕岳、蝶ヶ岳、富士山については、泊登山を前提にしたコース設定。それでも、1日の登りの累積が4桁になることはない。蝶ヶ岳に関してのみ、1日の距離が行き帰りとも10キロを超える。登りの11キロはきついけど、下りの16キロは、後半は惰性で歩ける道だから大丈夫。

出かけてみようかな。2020年からは、実際、お泊まり登山も始めている。テントや、避難小屋泊まり。こんなご時世だから、避難小屋泊まりの時も、念のためテントを持っていった。

遠出するときは、遠出した分だけ、楽しみたい。だから時間を有効に使えるように、車中泊もした。そうすると、早朝から行動できるからね。車中泊が人の迷惑にならない場所を探さなきゃ行けないけどね。

この本にあるようなコースを元にして、自分なりのコースを作り、遠出をするなら、やっぱり車中泊か、泊登山で考えていきたいな。

とりあえず、右ふくらはぎの肉離れが治ってからね。



テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『日本菌類百選』 日本菌学会編

えー!! ホコリタケって食べられるんだ。

山を歩いていて、ホコリタケを見かけると、ついつい、つついてみたくなるんだよね。真ん中の穴から吹き出すように胞子を飛散させる様子が面白くてね。・・・そうか、胞子を飛散させるような形態になったのは老菌で、こうなるともう、食用には適さなくなるんだそうだ。

その前の未熟なうちは全体がクリーム色で、表面は褐色で円錐状の突起ばブツブツ突き出しているんだそうだけど、このくらいの時期が食用に適すんだそうだ。

残念だけど、それをフクロダケだと思って、見たことはない。・・・やはり、食べるのはやめておこう。

ずっと以前のことなんだけど、キノコ採りのおじさんに指導してもらって、一緒に山を歩いた。中に、食用として比較的分かりやすいイッポンシメジというのを教わった。実際、うまかった。後に、一人で歩いているときに、その時教わったイッポンシメジにまず間違いないキノコを採って、その日、テントを張ってから、うどんに入れて食べた。そして、当たった。

あとから調べたら、おじさんに教わったのはウラベニホテイシメジというものだったらしく、地方によってはこれをイッポンシメジと呼ぶんだそうだ。それでもって、似ているキノコには、毒キノコもあるんだそうで、どうやらそれを採って食べてしまったらしい。

あの時は苦しかった。ものを知らない頃だったので、死んじゃうこともあるなんて考えもしなかった。

そんなわけで、私はスーパーで売ってるキノコ以外は、まず食べない。キノコ自体は大好きで、冷蔵庫にキノコを切らすことは、まずない。シイタケ、ブナシメジ、エノキダケ、マイタケあたりのキノコ。ちょっと、みそ汁の具が足りないなとか、炒め物にもう少し何か足したいななんて思ったときに、すぐになにがしかのキノコを取り出して、使ってしまう。

“シイタケの・・・”とか、“マイタケの・・・”という料理を作るのではなく、いろいろな料理にも、なにがしかのキノコを、ついつい放り込んでしまうっていう感じかな。

だけど、野性のキノコは、やはり食べない。それでも、山でキノコを見つけると、なんだか楽しい。珍しい形や、きれいな色をしているものもあるので、花と同じで、名前を知っていれば、なお楽しい。

食べられるキノコだと思っても食べないが、「おお、こんなところにタマゴダケが・・・」などと思えれば、山を歩くことが、またさらに一つ二つ楽しくなりそうだ。


『日本菌類百選』    日本菌学会編

八坂書房  ¥ 1,980

この菌、知ってる!?日本人と深い関わりを持ち、学術的にも重要な100種を厳選
タマゴタケ
テングダケ
ホテイシメジ
ナラタケ
オニフスベ
マイタケ
クリタケ
ブナシメジ
ホコリタケ
ナメコ
ヒラタケ
マツタケ など100種




それにしても、毒キノコに与えられている異名がすごい。

タマゴテングタケは毒性が強く、1本で複数名を死に至らしめることが出来るそうだ。「名実ともに毒キノコ中の毒キノコ」と書かれている。しかも、症状が出るのは食後半日前後から、腹痛、嘔吐、下痢、・・・私も“イッポンシメジ”を食べたとき、そうなった。だけど、タマゴテングダケの場合、そこから一旦回復するんだそうだ。ところが体内では肝臓や腎臓を中心に内蔵の破壊が進行していって、次第に黄疸、血尿、下血が始まり、4~7日後には肝不全及び腎不全で死に至る。・・・ひえ~、こわっ!

ご安心を・・・。日本にはあまり見られないものらしい。《世界に名だたる殺し屋キノコ》

その立ち姿が美しい、ドクツルタケ。さっきのタマゴテングダケと違い、国内でふつうに見られるキノコで、中毒例も多い。「野性の白いキノコを食べた」と詳しい者が聞けば、瞬時に緊張が走るというくらいのものだという。

どうやら中毒の症状が、相当壮絶なものらしい。《デス・エンジェル(死の天使)》または、《デストロイング・エンジェル(殺しの天使)》

なんだかかっこいい。毒にしろ、無毒にしろ、菌類は、この自然界で大切な役割を果たしている。それは植物や動物が死んだとき、その遺体を分解するという役割だ。自然界の掃除やと呼ばれているそうだ。

菌類による分解の過程で生まれた栄養は、他の生物にも利用される。それによって、自然界の物質循環に貢献しているというわけだ。

とは言うものの、キノコ、カビ、酵母だからね。特にカビは嫌われる。菌類は、その仕事である分解、吸収の過程で、人間にとって必要なものを黒ずませたり、分解しちゃったりするからね。

だけど、菌類の働きがなけりゃ、自然界は死体だらけになっちゃうからね。

松本零士のマンガに、『男おいどん』というのがあった。

九州男児の主人公は、中学を出て上京し4畳半暮らしをする若者で、かつては定時制高校に通いながら仕事をしていた。しかし、その仕事先がつぶれたことから学校もやめてしまい、それでも何とか生活を建て直して定時制に戻ろうとしている。そんな主人公の、生活に追われるばかりの毎日を描いた漫画だった。

主人公の暮らす4畳半の押し入れには、彼のパンツが山積みになっており、ジメジメした季節には、そこにサルマタケというキノコが生えてくる。たしか主人公は、あまりの貧乏から、そのサルマタケを食っていたはずだ。

あのサルマタケは、何を分解し、自然界の物質循環に貢献しようとしていたんだろうか。やっぱり、パンツを分解してたのかな。


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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本






























































































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