めんどくせぇことばかり 本 山
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『ロープワーク』 水野隆信監修

ロープが使えるというのは、人のできないことができると言うことだから、やっぱりかっこいい。

台風19号による埼玉県東松山市の被災地ボランティアで、軽トラで何度も往復して、被災荷物をゴミ集積所に運んでた。うちには軽トラはないので、同乗して積み卸しをしてた。荷物は、それこそ何でもあり。

そうそう、畳はすごかった。水をたっぷり吸った畳ってすごいんだよ。まず、重い。軽トラの積載量は350kg。ぐっしょり水を吸った畳は、男二人だと、じきに腰を悪くしそうな重さ。50kgはくだらなかったと思う。50kgだとして、7枚で350kg。7枚積んだらタイヤがかわいそうな状況になっていた。でも、これは縛る必要がない。これだけ重い畳が落ちることは考えられないからね。

それから家電。新婚の頃は1台だった大型冷蔵庫が、子どもが二人も生まれれば2台は必要になる。それが全部だめになって戸外に出されている。それを2台軽トラに乗っけて、扉を開けておく。開けた扉の中に、本当ならいろいろなおいしい食材が入るところに、ヘドロまみれのいろいろなものを押し込んでいく。これは縛らなきゃいけない。運んだ先で家電を並べていくと、ほんの二・三日でケーズデンキを遙かに上回る品揃えになった。

畳と家電を運び終えると、その後はもう選んでいられない。できるだけ同じ種類のものを選んで、軽トラに荷台に載せていく。とんがったものとか、ペラペラしたものとか、とにかく不揃いで、縛らないでは運べない。

途中で荷物を落とすわけに行かないから、強く縛らなきゃいけないけど、ほどけないんじゃ、また困る。・・・そういう荷物を縛るロープワークがあるんだな。

一緒にボランティアに携わっていたメンバーの中に、これに長けた人がいた。同じ縛り方ができる人は他にもいたけど、その人はとにかく手際が良かった。私はいつも、その人の軽トラに乗っていてので、何度もそれを見て覚えようとしたが、あんまり手際が良すぎて、最後まで分からなかった。

後からインターネットで調べたら、万力縛りとか南京縛りと言って、トラック輸送に携わる人たちの結びの技なんだそうだ。何度もYOUTUBE
見ながら習得したぞ。


『ロープワーク』    水野隆信監修

山と渓谷社  ¥ 2,420

キャンプや難所通過など、様々なシーンで使えるロープワークを徹底図解
[1]ロープの種類と結び方
[2]キャンプで役立つ結び方(テント、ツエルト、タープ、そのほか)
[3]登山で役立つ結び方
[4]登山で役立つ結び方/上級編
[5]クライミングロープワークの基本
[6]ロープのメンテナンスなど


どうも、ロープワークの本が出ると、ついつい買ってしまう。まるで、すぐに習得したはずのロープワークを忘れてしまうのは、前に買った本に欠陥があったとでも言うかのように・・・。

まあ、その都度、何かしら新しい側面が取り入れられて、読む者の好奇心をくすぐる編集になっているんだろうけど、それにしたって三冊も四冊もいるはずがない。

だけど、新しい本を手に入れて、「そうそう、こうだった」なんて思いながら結んでみると、我ながらそこそこ覚えているもんだと、密かににんまりしてしまう。そりゃさすがに、四冊目にもなればね。

ワンゲルの顧問だったときはザイルを持って行った。・・・いや、持って行かせた。一般道でも、、ちょっとしたところなら、登りでも下りでも、すぐにザイルを出させた。女の子もいたしね。怖いと思わせるのは良いことじゃないし、ザイルはお手軽に使っても良いんだと思ってないと、いざという時にね。

単にロープワークという意味でも、泊登山が中心なら、いくらでもロープワークが必要になる場面があるんだろうけど、高校生たちがテント泊をあまり喜ばなかったのでね。一度、天気が崩れるのが分かっているとき、細引きとターフを持って行って、その下でお昼にしたことがあったけど、単発じゃ覚えてもらえない。

仕事辞めて、一人で山に行くことになると、ザイルは持って行かないな。本当は装備しておいた方が良いんだろうけどね。沢を歩く時に使い道はあるけど、そのほかの方法で対処してしまう。それで済んでしまうところしか行かないしね。

次に暖かい季節を迎えたら、一人でキャンプに出かけよう。最近分かったんだ。仕事を辞めた私が家にいることは、連れ合いにとって、喜ばしいこととは限らない。おそらく、「亭主元気で外が良い」っていうのは、それなりの真理だろう。テント泊で、ロープワークを身につけよう。

使わないと、忘れるからね。そうそう、習得した万力縛り。すごいかっこいいんだけど、軽トラもないし、全く使い道がありません。




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ジャンル : 本・雑誌

『関東百名山』 小林千穂編

うちのパソコンがウィンドウズ7だったので、買い換えなければいけないって言われて、「そんなもんなのか」と思って買い換えました。

使ってみると、・・・当然、使いつけないんだから、最初から何のストレスもないというわけにはいかない。でも、今までが7で、これが10なんだから、三つ分良くなっているんだろう。・・・そういうもんなのかどうかさえ、分かっていないけど。そんなストレスと、新しいおもちゃをいじくり回す楽しさの中で、週末は過ぎていった。

週明けの12月3日火曜日は、秩父夜祭り。ここ三年は孫たちを連れて行ったんだけど、今年はつい先週孫を預かったこともあって、話が進んでない。どうも、これから行くって話にはなりそうもない。月曜日の天気はあまり良くないものの、火曜日からはいい天気が続きそうだ。夜祭りにしても、山にしても、どこかしら出かけてみよう。

さて、いい本を手に入れた。

私は埼玉県の生まれ。もうちょっとポイントを絞ると秩父。高校の時のお祭りでは屋台を引いていた。さらにもっと絞ると影森で、武甲山の麓。かつては武甲山の北参道が庭先を通っているような家に生まれた。

一番最初は、小学校4年の時に、歩け歩け運動の一環で、父や近所の友だちと一緒に登った。高校の時は山岳部にいたんだけど、新人歓迎合宿は毎年、武甲山だった。武甲山に登ることは山岳部のトレーニングの一つでもあった。

日曜日に縁側で山を眺めると、中腹に丸山というところがあったんだけど、そのあたりを登っている人が見えた。その道は、今はない。武甲山は北側斜面をごっそりと削られた。

「痛々しい」と言われることもある。「日本の発展を支えた」と言われることもある。心ない言葉は論外ながら、真摯な言葉にも、地元の者の心は複雑に揺れるのだ。・・・どうしてこの山は石灰岩の塊だったんだ。

どのような姿になっても、地元の者にすれば、心の山であることに違いない。・・・そんなことを言っている私はどうかといえば、大学2年の時、山頂を崩す前に上って以来、一度も武甲山には登ってない。

この本に出ている関東を代表する山々、いずれも同じように、地元の方の心の山であるに違いない。


『関東百名山』    小林千穂編

山と渓谷社  ¥ 2,420

関東地方各地の山々から「名山」にふさわしい100山を「関東百名山」として選出
[群馬]
朝日岳、谷川岳、仙ノ倉山、白砂山、四阿山、黒斑山
浅間隠山、鼻曲山、吾妻耶山、嵩山、岩櫃山、榛名山
至仏山、武尊山、アヤメ平鹿俣山、赤城山(黒檜山)
鳴神山、妙義山1(裏妙義縦走路)、妙義山2(表妙義縦走路)
荒船山、鹿岳・四ツ又山、立岩、赤久縄山、諏訪山
大山・天丸山、帳付山 

[栃木]
鬼怒沼山、日光白根山、男体山、太郎山、霧降高原・丸山
皇海山、鳴虫山、石裂山、三本槍岳、茶臼岳、日留賀岳
高原山、古賀志山、晃石山、三毳山、雨巻山

[茨城]
八溝山、男体山、神峰山、佐白山、難台山、筑波山
[千葉}
鹿野山・マザー牧場、大福山・梅ヶ瀬渓谷、鋸山、伊予ヶ岳
御殿山、富山、烏場山・花嫁街道、高塚山

[埼玉]
二子山、両神山、和名倉山、甲武信ヶ岳、城峰山、宝登山
簑山、笠山・堂平山、武甲山・大持山、日和田山、伊豆ヶ岳
天覧山・多峯主山、棒ノ折山、雲取山

[東京]
蕎麦粒山、鷹ノ巣山、川苔山、高水三山、御岳山、大岳山
御前山、三頭山、浅間嶺、陣馬山、高尾山、三原山、天上山
八丈富士、生藤山 

[神奈川]
石老山、大室山、檜洞丸、蛭ヶ岳、塔ノ岳、大山、ミツバ岳
不老山、大野山、金時山、明神ヶ岳、幕山、鎌倉アルプス、大楠山











百名山と言えば、深田久弥の『日本百名山』。

「あれは山を題材にした文学作品だが、同じ百名山でも本書は登山ガイドブックだ」と書かれている。楽しく安全な登山のヒントとして役立ててほしいという観点からの選考だそうだ。基本的に日帰りを前提としているが故に、選考から漏れたものもあるようだ。島の山は無理だろうけど・・・。

確かに公共交通機関でも、日帰りが可能な計画になっている。時間的に厳しい場合のコース短縮案も添えられている。同時にマイカー情報があって、車で行った場合のコース、駐車場情報もあって便利だ。

それでも、この山なら、ここで一泊した方がいいって山も、実は選ばれている。そういう山の場合は、山小屋情報も添えられているので、是非こちらを使いたい。

深田久弥は山を文章で表した。「この山は、・・・のような山だ」と書いた。山と真っ向から向かい合わないと、なかなかそれは書けない。山の姿は一様ではない。どこから、どんな季節に、どんな天気の中を登るかによっても、その姿は全く違うものになる。

この本は、『日本百名山』とは違って文学作品ではない。楽しく安全な登山のヒントとして役立てるためのガイドブックだ。そう、これをヒントに、山と向かい合ってはどうだろう。

いずれ、このガイドブックである『関東百名山』を土台にして、文学作品である『関東百名山』が生まれ出る日が来るかもしれない。

さて、天気の悪い明日、月曜日は手術した足の経過観察のために病院に行くとして、それ以降、天気がいいようなので、どこかしらの山に登りたい。この本を見て、ゆっくり決めてみようかな。




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『ぼくたちのP』 にしがきようこ

“P”とはなんだ。

“パンツ”・・・『ぼくたちのパンツ』では話にならない。“ボケモン”・・・『ぼくたちのポケモン』なんて本当にありそうだけど、私はまもなく還暦だ。“パプリカ”・・・この間、孫が音楽に合わせて踊っていた。『ぼくたちのパプリカ』はすでに現実のものとなっているようだ。何度も言うようだけど、私はまもなく還暦だ。

“パラダイス”・・・『ぼくたちのパラダイス』、これが正解。パラダイスという向こうの言葉、キリスト教世界の言葉だな。辞書によれば天国であるとかエデンの園であるとかが出てくるが、日本人のイメージからすれば“楽園”何ていう言葉がふさわしいか。

かつて、挨拶で使ったことがある。

私は定時制高校に勤務した時期があった。とある全日制高校での勤務が10年を超え転勤を考えなければならない頃、諸般の事情から迷った挙げ句に定時制高校を希望した。おそらく今でもそうだが、定時制高校を希望すれば、ほぼ間違いなくその希望は叶う。希望する者はいないのだ。

希望する者がいないにはそれなりの理由がある。それなりの理由っていうのに馴染むまでの間は苦労もあるが、基本的に定時制高校っていうのは、私にとって水があった。まだ定年までに10年を超える年数があったが、定時制で終わりでいいと思っていた。ところがその定時制のほうが無くなってしまうことになり、私は県内でも学力が中程の全日制高校に転勤することになる。

転勤したのは定時制がなくなる2年前で、まだ二つの学年を残したまま転勤した。4月の下旬に離任式に呼ばれ、残る二つの学年、四年生と三年生を前に離任の挨拶をした。

「全日制高校の仕事になれるのは大変だけど、いつか必ず今の仕事場を自分にとってのパラダイスに変えてみせる。みんなもあきらめるな」

県内でも学力が中程の全日制高校っていうのは、私の教員人生の中では一番楽なところのはずなんだけど、私にとっては厳しかった。定時制高校っていうのは、教育ってものの本来持ってる姿に近いものがあって、それが肌にあっていた。でも、新しい学校は、それとはだいぶ違った。「パラダイスに変えてみせる」と言いながら、結局私の方から逃げ出した。

今、学校が求められているものって、どんどん、本来の教育から遠ざかっているような気がしてならない。
『ぼくたちのP』というこの本。くくりで言うと、児童文学ということになる。

私がこの本を手にした理由は、言わずと知れた、この装丁にあある。登山靴があしらわれているからね。“P”が何を表すか分からなくても、山に関わる話であることは間違いないだろうからね。


『ぼくたちのP』    にしがきようこ

小学館  ¥ 1,540

ユウタは人には言えない弱点があった。そのせいで人が苦手で、あまり友だちがいない
プロローグ
一日目 別荘への道、光る池塘、山の男たち
二日目 道普請、ぼくの秘密
三日目 ヒメさん登場
四日目 山を守る
五日目 山の生きものたち、避難小屋で、夜の嵐
六日目 下山
エピローグ


9月1日に自殺する子供が多いそうだ。なんて世の中なんだろう。

樹木希林さんの娘さん、内田也哉子さんが『9月1日 母からのバトン』という本をお出しになった。樹木希林さんとの共著という形になっているようだ。9月1日に自らの命をたってしまう子どもたちが後をたたないことを知った樹木希林さんの憤りを、娘の内田也哉子さんが引き継いで綴った本だそうだ。

命を断つことにつながるのかどうか分からないが、中学二年生のこの物語の主人公も、すでに自分と自分を囲む周囲に対するどうにもならない無力感にとらわれてしまっている。

そんな状態で彼は、山に関わった。大学教授のかたわら、山の保全活動に勤しむ叔父を持っていたことは、彼にとって幸運だった。小学生の頃、雷に敏感で、極度な怖がりを笑われたことがトラウマとなっていたが、それは山では特技だった。これも幸運だった。

弱点だと思っていたその力で、彼は山において、それまでの自分を乗り越えた。彼が学校に戻ってどんな行動を取れるのか。もう、そんなことは関係ない。何も変わらないかも知れない。でも、彼は自分が無力であるとは、もはや思っていない。自分の周囲が無力でないということも、おそらく受け入れられるだろう。

羨ましいような幸運が私にないのは悔しいが、そこまでの幸運に恵まれなくても、きっと山には、そんな少年に、自分を乗り越える機会を与えてくれるだろう。

高校生になると、もう少し情緒が安定してくる。しかし、そこまでの段階で、通常、いくつもの淘汰が行われている。ほとんど全員が、傍目に、あるいは真っ向から、そういった状況を経験してきている。だから、他人に足を引っ張れれるような言行を取らないよう慎重で、他人の足を引っ張れるチャンスにはきわめて敏感である。それを利用するかどうかはともかく。あとは程度の差ってところかな。

数は多くないと信じたいが、時には教員の足でも平然と引っ張るやつまでいる。必要ならば涙を流しても見せる。男でも女でも、関係ない。そこまでいくと、怪物だ。

定時制では、小学校や中学校段階で淘汰されちゃったやつ、高校に上がってからいろいろな事情で退学したやつ、グレて高校を卒業してないやつ、若い頃に高校進学の機会がなかった年配者、日本に働きに来た外国人の子弟、中卒で相撲部屋に入ったが続けられなくなったやつ、いろいろな段階の学習障害・知能障害を抱えたやつ、とにかくいろいろな生徒がいた。

いろいろな事情と向き合わなければならない彼らを指導する能力は私はあったが、怪物を指導しようとして足をすくわれかかった。・・・危なかった。





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ジャンル : 本・雑誌

『生還者』 下村敦史

舞台はカンチェンジュンガ。

標高8586mは、エベレスト、K2に次いで3番目。挑戦者の死亡率の高い山で、エベレストの4%に対して、カンチェンジュンガは22%。すでに、舞台はカンチェンジュンガであると言うだけで、誰かが命を落とす物語であることがはっきりするような山なわけだ。

冒頭から、積雪が液状化したような、雪山の半分が滑り落ちるような雪崩で、この物語は始まる。日本人登山者7名が、この雪崩に巻き込まれる。7名の内、4名の遺体は早々に発見された。その中に、この物語の主人公増田直志の兄、謙一の遺体も含まれていた。

兄の遺品を片付けるうち、直志は兄がカンチェンジュンガで使っていたザイルに細工がされているのに気づく。彼は兄の遭難に疑問を持ち始める。生存が絶望視された中、ひとりの遭難者の生還が確認された。奇跡の生還を果たした彼は、兄たちのパーティーに見捨てられた、見殺しにされるところだったと語った。そんな自分が生還できたのは、いまだに発見されていない最後の一人に助けられたからだと語った。最後のひとりは、兄たちパーティーのメンバーとたもとを分かってまで自分の命を救ってくれたと。

世間は、兄たちの非道を詰り、自業自得、天罰という声まで聞こえた。

だがその後、もうひとりの生還者が現れる。兄たちのパーティーのメンバーで、その証言は最初の証言者のものと真っ向から食い違っていた。その最後のひとりこそ卑怯者で、この遭難の責任はすべて彼にあると。

この遭難の背景には、過去に起こったもう一つの遭難事件が関係している。その過去の遭難に、兄謙一は深く関わり、それが原因で、彼は全く山を離れた。完全に山を離れたはずの兄が、なぜヒマラヤの高峰の中でも危険度の高いカンチェンジュンガに挑戦したのか。過去の遭難事件こそが、謙一がカンチェンジュンガに登らなければならない理由だった。

このくらいにしておこう。なにしろ、山岳ミステリーだからね。いくらなんでもネタバレはまずい。

『生還者』    下村敦史

講談社文庫  ¥ 792

兄の死は事故か、それとも・・・。ヒマラヤを舞台にいくつもの謎が絡み合う傑作山岳ミステリー
二人の生還者はどちらが真実を語っているのか?
兄の死の真相を突き止めるため、増田は女性記者の八木澤とともに高峰に隠された謎に挑む!


山をやってる人にも、嫌な人はいくらでもいる。

道端でおしっこしちゃう人。これはいる。男だけじゃなく、女の人でもいる。とある山頂で、私がいるにも関わらず、景色を眺める私の後ろで、お尻を出しておしっこはじめたご婦人がいた。ジャーという音に後ろを見ると、まあるいお尻が見えた。終わると、何ごともなかったかのように、平然と山頂を通り過ぎていった。どうしたってしたくなることはある。山じゃトイレがないことも多い。仕方がないことだから、形だけでも薮に入ればいいのにね。

がれ場で、ガラガラ石を転がしながら歩いている人。落石に無頓着すぎる。これは高校生と山に登る時、口が酸っぱくなるくらい注意した。でも、がれ場をガラガラ歩く人って本当にいるから怖い。

息を上げながら登っている時、前からくる人が勢いよく下ってくる。まるで、お前が道を開けろって、勢いで示しているかのような人。石の下にゴミを隠す人。岩の間に吸い殻を押し込む人。ザックのポケットに野草を刺している人。

でも、昔に比べると、山に来る人のマナーは遥かに良くなった。山岳部なんかどうなんだろう。昔はひどかった。山岳部にはいじめがつきものだった。いい人もいたんだけどね。ひとつ上の人から、あからさまにいじめられた。どうにも我慢できなくなって、私は復讐をした。食当だった私は、彼に、人が本来口に入れてはならないものを食わせた。

それ以降もいじめは続いたが、ちっとも悔しくなくなった。平然と受け止めて、彼に、本来口に入れてはならないものを食わせた。時期に彼がいじめをしなくなったのは、なにかに気がついたのかも知れない。

もしかして、本来口に入れてはいけないものが、いい薬になったのかも知れない。

ただ、何人かの先輩を彼の道連れにしてしまったことは、今でも心が痛い。

この物語、当初、山で遭難者に出会った時に取るべき行動ってのが問題になっている。昔からあるテーマだと思う。遭難者に会うかどうかはともかく、誰がより重い荷物を担ぐのか、弱い人達には分け合うべきなのかどうかとか、山では人間性があからさまにされる機会が、一般社会よりも多い。ずるい人はいくらでもいる。私もそのひとり。でも、本質的に悪いやつっていうのは、幸運なことに今までお目にかかった試しがない。

この話、クライマックスに向けて、どんどん読めてしまう。そうなったらもう止められない。止まらなくなった時、止まらなくなってもいい環境にいればいい。止まらなくなってはいけない環境にいたら、それは不運と言うしかない。

ただ、この物語の終わり方、私はちょっと作りすぎの気がした。どちらの本が先なのか知らないけど、この間読んだ『失踪者』の方が後味が遥かに良かった。その感じ方は人それぞれかも知れないが。




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『峠を歩く』 中川健一

私は埼玉県の秩父の生まれです。

秩父は盆地です。盆地の中は、外からは隔絶されているとは言え、それなりの文化を持って開けているんです。ただ、秩父に入るためには、その周辺の山岳地帯を越えなければなりません。今は、通常、車や電車で越えることになります。私がはじめて連れ合いを両親に合わせたとき、西武秩父線で秩父に向かいました。吾野あたり、山に挟まれた渓谷沿いを列車が進んでいる時に、連れ合いが言いました。「ここよりも、もっと先なの?」

“先”なんです。

その“先”で正丸峠を越えて、秩父に入るんです。列車は正丸トンネルをくぐることになります。私がガキンチョの頃、西武鉄道は、すでに吾野まで来ていました。でも、秩父には通じていなかったんです。正丸トンネルができたのは、私が小学4年のときです。秩父市内の小学校に通う子どもは、西武鉄道に招待されて、電車で正丸トンネルをくぐりました。あの時の感動は、今も記憶に残ります。

来年還暦を迎える私の世代なら、その多くは青年期を迎える時に秩父を出ます。大学教育を受けるためであったり、秩父では得られない仕事の機会を見つけるためであったりします。その時、秩父の若者は皆、なにがしかの峠を超えるんです。

この本は峠の本。著者の中川健一さんは、建築業という仕事から断層に興味を持ち、その露出している峠を訪れるようになったんだそうです。その後、峠そのものの魅力に引かれるようになり、日本に3773ヶ所あるという峠のうち、現在普通の人が歩いて訪れることができる2954ヶ所を完全制覇したんだそうです。・・・すばらしい!


『峠を歩く』    中川健一

内外出版社  ¥ 1,760

戦国時代から現代まで、人の暮らしの歴史が刻まれた峠を歩き方
峠って面白い!
峠の楽しみ方-奥深い峠の魅力
効率よく回るために乗り物に工夫を重ねた
厳選峠!33の物語
絶対行きたい峠120
僕が回った峠リスト2801


“峠”という漢字は和製漢字、日本で生まれた漢字ですね。うまいこと作ったもんです。「山偏に登って下る」ですからね。登りきったところが峠で、そこから道は下って、そこには違う世界が広がるわけです。こっちの世界とあっちの世界を分けるのが峠なんですね。同時にこっちの世界からも、あっちの世界からも、一番遠いのが峠です。しかも、深い山の中。危険もあります。だから、峠にいる道の神さまにお供えを手向けて守っていただいたんだそうです。

「たむけ」、それが「とうげ」の語源だそうです。

馬に乗せられた花嫁は親族に守られて峠に向かい、そこで夫の親族に受け渡されていきました。峠を通って、絹織物などの大事な品物が江戸の町に運ばれていきました。少女たちは、峠を越えて街に出て、女工として働きました。峠に陣を張り、敵に対峙しました。父親は息子のために峠を越え、病気平癒のお札をもらって帰りました。

そう思えば、峠には多くの人々の思いが漂っているに違いありません。

《厳選峠!33の物語》においては、この間行った大菩薩峠が初っ端です。続いて天城峠、金精峠、雁坂峠、安房峠と、私の山体験の中に登場する峠が続きます。中でも雁坂峠には、高校時代にたびたび歩荷やアルバイトに通った山小屋があります。広々としている明るい峠です。・・・そうかぁ、ここは武田信玄の軍用道路の一つの要衝だったんですね。

《絶対に行きたい峠120》には、歩きなれた奥武蔵の妻坂峠が取り上げられています。いい名前でしょう。秩父の荘官であった畠山重忠が鎌倉に出向くとき、ここまで妻に見送らせて別れを惜しんだのが由来とか。ここは大持山と武川岳の鞍部で、上杉謙信が大持山に陣を張って北条氏に対峙したとか。

峠には、人の跡が感じられます。

これも一つ、山の歩き方になりうるかも知れません。




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『失踪者』 下村敦史

ラグビーワールドカップも、残すところ三位決定戦と決勝の二試合のみとなりました。今日、三位決定戦。明日はいよいよ決勝戦ですね。

まったく、これが始まった頃は、あまりの蒸し暑さの中の試合で、汗が滝のように流れ、滑ってノックオンが続発。練習の時から手に油を塗って、それでもボールを落とさないように訓練したなんて言ってました。開幕戦となった日本対ロシアの試合は9月20日でした。

ここ二日ほどは、夜明け前に走っていても、後半は手がかじかんできて、そろそろ軍手が必要かななんて思ったりします。10月12日の台風19号と25日の豪雨には埼玉もやられましたが、千葉はそのひと月前の9月9日には台風15号にもやられています。日本対ロシアの試合の11日前のことですね。

その翌日、私は台風一過の晴天を狙って上越の山、平標と仙ノ倉に登りました。そこに向かう車の中で、ラジオは、停電している地域の人々に向けて、猛暑を避けて冷房施設のある場所に避難するよう呼びかけていました。

ラグビーの各国代表選手も、外国から応援に駆けつけた人々も、日本の豪雨災害や季節の移り変わる様子に、さぞビックリされていることでしょう。

今日ご紹介するのは、『失踪者』という本です。この本を選んだのは、・・・いつもながら、たまたまです。

下村敦史さんという作家さんは、推理小説を書く人だそうです。

その下村敦史さんが、山を舞台に書いた推理モノ、いわゆる山岳ミステリーというやつですね。私も山好きとは言え、ここに出てくる山はエベレストだのK2だのって山ですから、そういうところで感情移入できるわけではないんですが、ヒヤッとして経験はいくらでもありますからね。山とひたすら向かい合うってところでは、一緒だと思うんです。

さてこの物語、二人の男の物語です。一人は山岳カメラマンの真山道弘。もう一人は大学時代からの山の友人で孤高のアルピニストの樋口友一。物語は10年前にペルーのブランカ山群、シウラ・グランデ峰でクレバスに落ちた樋口友一の遺体を10年ぶりに回収しようと、真山道弘がペルーにやって来たところから始まります。

10年前に樋口が落ちたクレバスに懸垂降下し、真山はクレバスのそこに立ちます。そこに倒れ伏す樋口を発見し、真山は樋口と対面します。しかし、・・・


『失踪者』    下村敦史

講談社文庫  ¥ 858

ありえない、そんなはずはない。10年前、あいつは死んだはずだった

極寒の氷雪峰に置き去りにされ、
“時”とともに氷漬けになったはずの友。
しかし、対面した遺体は明らかに歳をとっていた……


10年前にクレバスのそこに叩きつけられて死に、そのまま氷漬けになったはずの樋口の遺体は、明らかに10年前よりも歳をとっていたんです。

真山は動揺します。樋口は10年前に死んでいなかったとしか考えられません。クレバスに落ちたものの命を落とさなかった樋口は、傑出した登坂技術と強靭な精神力でクレバスを脱出し、生還を果たしたんです。生還を果たしながら何らかの理由で真山に連絡も取らずに生活し、後に、自分が以前に落ちたクレバスに入って自ら死んだということになります。

山岳ミステリー作家は、このありえないような出来事を、どう形作っていくんでしょうか。・・・うまいもんですね。ワクワクしながら読んじゃいました。

樋口はすでに死んでいます。ですから、樋口は、ほぼ真山の思い出の中にしか登場してきません。先に、この物語は二人の男の物語と申し上げましたが、言い直します。この物語は、真山という親友を得たことで自分の人生にはじめて意義を見出した、樋口友一という男の物語です。

「人の人生は、もっと単純でいい」

この本を読んで、つくづくそう感じました。仕事をしていると、かつ、家庭を持っているとね。なかなか単純に割り切れないことが多くてね。

たとえば仕事なら、組織で仕事してれば、「そりゃ違うだろ」ということも受け入れなきゃいけないこともあるわけです。好きで一緒になった連れ合いに関しても、可愛くてしかたない子どもたちに関しても、それだからこそ、つまらないぶつかりあいをすることもあるわけです。なにしろ、玉はとんでもないところから飛んできますからね。

だけどそんなことに関わっていると、だんだん、意味もなく削れてきちゃうんですよね。そうなると、次第に見失っていってしまう。

そういうことを考えると、仕事をやめたことはいい機会です。単純な人生を送ることは、今なら可能な気がします。




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ジャンル : 本・雑誌

『名作で楽しむ上高地』 大森久雄編

芥川龍之介は、島々から徳本峠を越えて行ったのか。

まあ、当時はそれ以外になかったんだから、当たり前ですけどね。

私がはじめて上高地に入ったのは、高校一年のときでした。中学三年の時に、新田次郎の『孤高の人』を読んで、高校では山岳部に入った私は、その年の、山岳部の夏合宿で上高地に行きました。コースは富山からです。富山に着いたのは朝でした。名物だという《鱒の寿し》を買って朝ごはんにしました。《鱒の寿し》は、こんなうまいもの食ったことないってくらいうまかったです。

折立までバスで行き、そこから太郎平を目指しました。当時の山岳部は、ずいぶん重い荷物を担いでいました。しかも、太郎平までの登りはけっこう厳しいのですが、そこで苦しい思いをした記憶がないんです。少し後、大学の一年の時に、ほとんど遭難に近い大ブレーキを起こすことになるんですが、高校では一切苦しい思いをした記憶がありません。

太郎平にテントを張ったあと、一年生部員だけで薬師岳まで往復しました。先輩や顧問の先生から解放されたこともあって、“何かと話し好き”な新人たちははしゃぎながら薬師岳に登り、その帰り、なにかの記念碑によりかかりながら休んでいるうちに、結局昼寝をしてしまいました。目が冷めてから、それが遭難碑であることに気づき、そこからはお喋りもせず、太郎平まで戻りました。その晩、同じ1年部員のMが、夜中にテントの中でうなされていました。祟られたのは、Mだけで済んだようです。

翌日は、北ノ俣岳を経て黒部五郎岳。息を呑むようなカールの見事さに圧倒され、その日は黒部五郎岳小屋まえデテントを張るものの、この日の景色の見事さに、興奮して、なかなか寝付けませんでした。

それは翌日も同じこと。しかも三俣蓮華を経て双六小屋泊まりという余裕の日程でした。さらに翌日は、槍ヶ岳泊まり。今考えると、頼りない一年坊主に、顧問の先生や先輩方は、ずいぶん気を使ってくれていたんですね。

だから、この日に一度、翌早朝に一度、槍ヶ岳の山頂に立つことができました。槍から下りたら、そのまま上高地まで駆け下りて、小梨平で最後のテント設営。これがはじめての上高地体験でした。



ヤマケイ文庫  ¥ 1,100

上高地再発見!  登山家、文学者の紀行・エッセーと歴史エピソードの名作集
第一部 エッセーで味わう上高地
浦松佐美太郎 松方三郎 尾崎喜八 串田孫一 田中澄江
第二部 早期登山者たちの見た上高地
W・ウェストン 小島烏水 辻村伊助 田部重治
第三部 青春の上高地・槍・穂高
板倉勝宣 書上喜太郎 三田幸夫 今井喜美子 北杜夫
第四部 上高地を訪れた文人たち
窪田空穂 若山牧水 芥川龍之介 山崎安治 高村光太郎 大町桂月
第五部 上高地と槍穂高連峰の歴史
山崎安治 岡茂雄 穂苅三寿雄 穂苅貞雄 三井嘉雄 

その夏合宿のあと、先輩に連れられて雁坂峠小屋への歩荷とアルバイトに行き、なんとかそこそこお金をためて、夏休みの間に、もう一度上高地を訪れました。北鎌尾根を目指してです。朝、上高地について、その日は槍沢ロッジ泊まり。翌日、水俣乗越まで行って、この先に行程を考えて、あきらめて、槍ヶ岳に登って帰りました。帰りは、また小梨平のテントを張って、穂高を見ながら、登る山がたくさんあることを、つくづく感じさせられました。
芥川龍之介の槍ヶ岳登山は一度きりで、一高に進んでからは山からはまったく離れてしまい、文学一筋に打ち込んでいったんだそうです。彼にはそちらの方が魅力的だったんでしょうか。

北杜夫は終戦間際、ほとんど人影のない上高地に入ったそうです。やはり徳本峠からだったんでしょう。長い道を歩いて上高地に入ったそうです。彼は、近い将来、本土決戦で玉砕するつもりだったそうです。その前に一度、上高地を歩きたかったと書いています。

当時は上高地重歩き回っても、ほとんど人には合わなかったそうです。そして西穂に登って、稜線上から上高地を見下ろしたとき、そこは公園のように小さく写ったそうです。そこに流れる梓川の清流。・・・これは時を経た今でも分かります。

上に書いたように、高校一年の時に、はじめて上高地を訪れました。山岳部の合宿で行ったもんですから、当時は厳しく指導されていて、記録は細かく取らされました。おかげで、その記録を見ることで、今でもその時の気持ちが蘇ります。

最初の長期合宿での北アルプスでの経験、薬師岳の雄大さ、北ノ俣岳からの北アルプス最深部の山々、黒部五郎のカールの美しさ、槍を目指して進んだ三俣蓮華に双六岳。槍に登るワクワク。上高地のからの穂高。山をあとにする時の切ない気持ち。

この本を読んでいて、ちょっと思い出しちゃいました。





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『帰れない山』 パオロ・コニェッティ

町の少年が、山で牛飼いの少年と出会い、短い夏を、何度も共に過ごします。冒険を繰り返しながら、少しずつ大人になり、やがて父と決裂します。父の望むはずもない道を歩み、やがてその死の知らせを受けて、かつて一緒に夏を過ごした山に戻ります。そこで明らかにされる若き日の父と母。かつて少年だった二人は、また山で同じ時間を過ごすようになります。ですが、人生はやはりままなりません。

なんでそんな事になっちゃうんだろうって、どうにもならないことも人生にはあります。でも、きっといつか。・・・時間が流れると、氷河だって少しは流れます。

父や母の若い頃のことを、なんにも知らなかったのは、私も同じでした。

記憶に残る一番若い父や母は、たとえば母の布団の中の暖かさ。足を擦りながら歩く後ろ姿。父のタバコの臭い。ランニング姿の盛り上がった肩。

アレルギーという言葉があったかどうか知らないけど、子供の頃、私は痒い痒いで、布団の中で背中をかいてもらわないと眠れませんでした。水仕事をしている母の手はいつでもささくれだったいて、かいてもらうのにとても都合が良かった。母が何かあって手が空かないと、父にかいてもらうんですが、水仕事をしていない父の手はツルツルで、私の背中のかゆみを和らげてくれませんでした。

そういうものと切り離した父や母の姿を思い出そうとしても、なんだか写真を探しているようで、実体感が伴いません。あとは、・・・そうですね。酔っ払ってる父。泣いている母。怒ってる父。愚痴ってる母。町の運動会で走っている父。子ども会のキャンプで、他のお母さんたちと一緒にカレーを作っている母。

母の母、祖母は私が三歳の時、秩父夜祭りの夜に交通事故でなくなったそうです。その頃のことなんか他に何一つ浮かばないのに、祖母のもとに駆けつけるために、父方の祖父母に頭を下げている母の姿が頭に浮かぶんです。その祖母は三人の子を連れて再婚していたので、嫁に来た母には辛くても逃げ帰れる家がありませんでした。死んでしまえばなおさらです。「あれば帰った」って言ってたって、兄の嫁さんから聞いたことがあります。

父は、母が死んだ時、「可哀想だった」って繰り返しまいた。まるでなんにもいいことのない一生を送ったかのような言い方に、「子どもを三人生んで、それなりに立派に育てて、三人が三人とも所帯を持って孫が七人もいるんだよ」って、私は言いました。

「それでも、お母さんは、可哀想なんだよ」と、父は言いました。

『帰れない山』    パオロ・コニェッティ


新潮クレスト・ブックス  ¥ 2,255

アルプスで出会った二人の少年、山を通じて人生を描く感動長篇 大事に読みたい一冊
第一部  子ども時代の山
第二部  和解の家
第三部  友の冬


母は、姑とのことで苦労しました。

姑、私の祖母ですが、とても強い人だったんです。貧乏ではあるが能力のある祖父を支えて畑を耕してきました。身体も丈夫で四男三女を育て上げました。霊感もあって、カリスマ性の強い人でした。

母もまた、頭のいい人だったんです。嫁に来たあと、叔父や叔母は母に勉強を教えてもらったそうです。祖母に唯一欠ける、学を、母は持ってたんです。姑のことで苦労した母は、姑が亡くなったあと、あまり長く生きてくれませんでした。母がなくなってから10年ほどして、父も亡くなりました。

数年前、私よりも若いいとこが亡くなりました。叔父も叔母も、とても落胆していました。それでも、その新盆に伺った時は、だいぶ元気な姿を見せてくれました。その時、母と結婚する前の父の話を聞いたんです。父には、結婚を誓った女がいたそうです。部落の女だったそうです。

祖父母の猛反対にあい、引き裂かれるように別れさせられたそうです。その代わりに、・・・あてがわれるように嫁いできたのが母だったそうです。

今思えば、私のうちには、どこか不自然な暗さがつきまとっていました。・・・あとから考えてみればのことですが。母は、知っていたと思います。意味はまったく分かりませんでしたが、「お父さんには好きだった人がいたんだで」って幼い頃に言われたことがあるんです。あんまり幼いので、猫か、犬でも相手にするような気持ちで話したんでしょう。

父が母を、「可哀想だ」と言ったのは、やはりそのことでしょう。

残念ながら、父母の思い出と登山が重なるわけではないのですが、私にもやはり、《帰れない山》はあるのです。おそらく、私の子どもたちにもいつか、《帰れない山》を思い浮かべるしかない日がやってくるでしょう。

彼らが関わる山の様子をとても丁寧に書いてくれているので、山好きとしてはとても嬉しいところでした。また、まだ未熟な少年の、思春期の心の動きの鮮明さには目を見張らされました。そうそう、翻訳の本ですからね。もとのイタリア語が持っていたであろうニュアンスがどんなものだったかなんて、到底私なんかには分かるはずはないのですが、きっとそれを壊さずに上手に翻訳されているんだろうって思いました。だって、本当に自然に読めましたもの。

39言語に翻訳された国際的ベストセラーだそうです。




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『ぐるぐる山想記』 鈴木みき

頭の中が昭和なので、本来、糾弾されても仕方がないたぐいの人間です。

子どもが悪いことをしたら叱るべきだと思っているし、指導者の立場で若い人たちに手を上げたこともあります。ただ、もちろんのことですが、私が子どもの立場であったことも、指導される若い者であったこともあったわけです。その頃に受けた理不尽な思いは人にした覚えはないんですが、最近の世間の風潮を見れば、私は確かに糾弾され、排斥される側の人間です。

ただ、自分が一方的に悪いとは思っておりません。悪いとは思っておりませんが、そんな世間に角を立てたり、流されたりするのはまっぴらです。結局、そんな風潮にはとてもついていけないので、逃げるようにして仕事をやめました。別の次元に生きることができるわけじゃありませんけど、距離を置くことはできそうです。平成、令和のお手並み拝見です。

そんな風に吹っ切れたのは、やっぱり“山”があったからだと思います。股関節痛で山に行かないでいた二十数年があって、山を再開した時期と、世間の風潮の変化が我が身に及び始めた時期が微妙に重なっていたこともあったと思います。いずれにせよ、山に登れる人間で良かったと思います。

山を離れる前の若い頃だって、特別、強かったわけじゃありません。「お前、下りは強いね」と言われたことはあります。そのうち、下山家を自称するようになってました。

頂きばかりを目指した時期もありますが、どっちかといえば、山に居たかった方です。地図にない道があると、いつもじゃありませんが、ついつい入ってみたくなったりします。ピンクのテープなんかが続いていて、なんか意味ありげなことってありますよね。たどっていったら崖みたいなところだったり、ものすごく急な斜面だったり。沢登りの人がつけたマークとか、山仕事の人が杉の伐採のためにつけたマークとかいろいろありますからね。

安曇潤平さんの『山の霊異記』のなかに、同じようなのがありました。同じように入っていったら藪が深くなって、藪を抜けたと思ったら崖で、危うく落ちそうになるんです。すんでのところで踏みとどまったら、藪の影から、「ちぇっ!」って舌打ちが聞こえたなんてのがありました。・・・怖いですね。

話が変な方に行っちゃいましたけど、山の中で時間を過ごすのが好きです。


『ぐるぐる山想記』    鈴木みき

交通新聞社  ¥ 1,296

なんで山に登るのだろう? 山好きイラストレーターが考えるななめ45°からの山絵ッセイ
第1章 自然はすごい
第2章 なぜ歩くのか
第3章 山小屋あれこれ
第4章 山スタイル
第5章 こころもよう
第6章 下山の楽しみ


山を離れている間は、山のことは一切遠ざけておりました。目に付く装備はゴミに出したし、本も読まなかったし、・・・山に関わるテレビ番組にも、心がけて遠ざけておりました。

ついつい見ちゃったのがNHKでやってた《グレートトラバース ~日本百名山一筆書き踏破~》でした。二〇一四年のことです。この頃は股関節の痛みが強くなって、靴下は履けないわ、まともに座れないわ。家庭でも、職場である学校でも、杖を手放せない状況になっている頃です。

まだ心は決まっていなかったものの、痛みが強くなっただけに手術が近いことをどこかで感じ始めてたんでしょうか。その番組を見ながら、いつの間にか、心のどこかで、「痛みがなくなったら山に登る」っていう気持ちが強くなっていったんです。

手術を受けたのは二〇一六年の一〇月末ですから、そこからまだ、二年ほど時間が必要だったんですけどね。

手術に向かうときに、病院に本を持ち込みました。山の本を持ち込もうと思いましたが、山の本の世界がどうなっているかさっぱり分かりません。新田次郎の本は軒並み読んでましたが、そこから先は一切分かりません。

結局、山の本で持ち込めたのは、目についた『神々の山稜』くらいのもんだったでしょうか。

退院後、山に登れるようになりました。手術をしても山に登れるようにならなければ、それで終わっていたでしょうけどね。登れるようになったので、二十数年間に山の本の世界もだいぶ様変わりしていることが分かりました。

この本の著者、鈴木みきさんが山に惹かれるようになった頃は、私は山から離れてました。そのため、鈴木さんの本を手にするたびに、そのヤマトの関わり方を、とても新鮮に感じました。

こういう肩肘張らない山との楽な関わり方っていうのは、とてもいいですね。以前の私には、こういう山の楽しみ方っていうのはできませんでした。だけど、私の中にもそれを求める気持ちがあったんです。それもかなり濃厚に。だから、鈴木さんの本を手にするたびに、山に行くのが楽になります。

助かりますね。あくまでも、糾弾される側の人間ではありますが・・・。





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ジャンル : 本・雑誌

『シーン別 山ごはんレシピBook』

昨日、気にかかっていた敬老会がありました。

うちの自治会は、成人したお子さんが自立して他に家庭を築いている場合が多いんです。だから、老夫婦だけの過程だったり、一人だけだったり。敬老の日の三連休だと、お子さんやお孫さんが来ていて、敬老会に出られないなんてことを考えて、一日遅れで敬老会をやることにしています。

ビンゴやボランティアさんのマジックショーを準備して、けっこう楽しんでもらったようで、まあ、とりあえず肩の荷が下りました。なんてホッとしたのもつかの間、今度は10月6日の、地域の運動会のことが気がかりになりました。

とりあえず、明日は晴れそうなので、どこかの山に行ってこようと思います。以前から、尾瀬か日光にテント泊で行こうと連れ合いを誘っていたんですが、いい季節になったら、どうも首の筋がおかしくなってしまったみたいで、見送り見送りしている間に夏が終わってしまいました。

一人での泊を伴う登山は、とりあえず二人でテント泊をしてからと思ってたんだけど、なかなかその機会が来そうもないので、やむを得ず、テン泊登山を始めてしまおうと思ってます。

19日・20日がいい天気が続きそうなので、そこを利用して行ってみてもいいかなって思ってたんですが、20日の夜に体育祭の役員会があって、21日は高校ワンゲルに同行することになっていたので、テン泊登山はまた先送りですね。

さて、山での食事ですが、こういう本を読んでいると、本当にワクワクしちゃいますね。2016年に手術をして山を再開してからは、ほぼ、日帰りの登山になっています。日帰りだと、山中で食べるのは、まず、お昼ごはんの一食です。プラス行動食ですね。

最近はワンパターン化していて、お昼はほぼラーメンで固定されちゃいました。袋麺ですね。マルちゃんが大半です。餅と、その時時の野菜入り。行動食は、朝、家で作って持っていくおむすび。おむすびは梅、塩昆布を混ぜ込んで持っていく場合が多いです。最近はじめたのは、ヘシコを混ぜ込んだおむすび。あの塩っ辛さが、大量に汗を書いた身体にとっても美味しいんです。これは、本当におすすめ。

あとはフランスパンを持ってきます。安いジャムをチューブに移して持ってってつけたり、スキンミルクをつけて食べたりします。

日帰りだと、どうしても歩くことに時間を裂きたいので、ごはんに時間をかけないですね



枻出版社  ¥ 1,512

ひとりで行くか、ふたりで行くか。日帰りハイクなのか、山の上でテント泊するのか
自炊して山ごはん
ひとり山ごはん
ふたり山ごはん


でも、かつては、山に登ると言えば、まず間違いなくテン泊でした。日帰りが可能な山であっても、無理やりテン泊してたところもありました。山ん中でなんか食べながら一杯やるのが好きだったんです。

人と一緒に歩くのが苦手な私が、唯一一緒に楽しく歩ける先輩に巡り合って、私の登山はとても幅が広がりました。一人の時は、鍋ばかり。そのうち、あるもの全部鍋に入れて、オジヤにして、それをつまみにしてました。その先輩と一緒に山に行くようになってからは、たとえば徳沢ですき焼き食ったり、雷鳥沢では天ぷら上げて食いました。

その先輩は、今はもう山には登れる身体ではないので、どうやらテン泊は一人ばかりになりそうです。テン泊ならゆっくり時間をかけてご飯を楽しめそうですね。

これがいいなあ。・・・いえね、この本の《ひとり山ごはん》のところに出ている“網焼きひとつレシピ”ってやつです。ウインナーを焼いたり、野菜を焼いてます。いろいろなものを少しずつ持ってって、時間をかけて焼いて食べるのもいいですね。もちろん一杯やりながらね。

おっと、アルミホイルで蒸し焼きか。これも同様ですね。いやいや、一杯やりながらってことです。

あれ、シェラっカップに詰める弁当というのが出ている。ご飯を持って、その上に丼もののように肉だの何だのを乗せて、上からアルミホイルを被せて持ってくっていうんです。食べるときに、シェラカップごと火にかけて温めるというんだけど、それで全体が温まるのかな。ご飯だけ焦げてほかは冷たいってことはないかな。家で一度実験しておこう。ご飯に乗せるのは、焼鳥がいいな。焼き鳥をほぐしてたっぷりのねぎと一緒に温めて、タレを絡ませておいて、それを山に持ってければ、これはテンションが上がりそう。日帰りでも使える。

あとは朝ごはんだね。昔からホットサンドはよくやりました。重いホットサンドメーカーを担いで行きたくない山じゃなければの話ですけど。

連れ合いと二人で行くときは、キャンプに毛が生えた程度の山行になります。そんなときには荷物の重さなんで問題外にして、うまいものを山の中で食わせてやりたいです。でも、一人だとどうしても、鍋に行っちゃいそうな気がします。だって、鍋でいっぱい飲んで、最後にうどんでもすすってさ、翌朝は雑炊にして、全部キレイに片付けられるんだもの。

その形って、山では一つの完成された形のような気がするんですよね。




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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本
































































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