『北条五代 下』 伊東潤
上巻を読んだあと、松山城跡に行ってきた。
すぐ近くにある吉見百穴の駐車場に車を止めて、まずは、ポンポン山と呼ばれている場所を目指した。そこまでの道程は、舗装道路の登り下りを繰り返す。完全に開発されているが、ここはじつは、奥武蔵の山々から関東平野に向けて張り出した丘陵地帯。
ポンポン山と呼ばれるのは高負彦根神社という神社の境内で、裏手は断崖絶壁になっている。かつて、荒川がその下を流れて作られた断崖のようだ。その先には、関東平野が広がっている。つまりは、奥武蔵のから伸びた、丘陵地帯の末端。
じつは、松山城跡のある山も同様で、そこから先は関東平野。いくつもの溜め池の点在する湿地帯から、見渡す限りの田んぼが広がっていく。
下巻は、北条氏にとっても、まさに乾坤一擲の戦い、 河越合戦から始まる。
山内上杉憲政、扇谷上杉朝定、鎌倉公方足利晴氏の連合軍は、よく言われるところでは総勢8万。多すぎるような気もするけど、まあ、そこそこの数だったんだろう。北条氏が武田と同盟した今川に背後を突かれている内に、上記の連合軍が、川越城を囲んじゃったんだな。
北条氏康側は川越城内に3000、武田が信州に関心を向けたことで、ようやく氏康が小田原から駆けつける。率いた軍勢は5000。相手側の数字が本当なら10倍の大軍勢だが、本気でヤル気なのは、もともと河越城を拠点としていた扇谷上杉朝定で、上杉憲政も足利晴氏も、あくまでも加勢の立場。結局は寄り合い所帯。しかも、前年9月から4月に至る長陣で、兵士の厭戦機運も高くなっている。
そこへ、晩に到着して、翌未明には総攻撃。その対象とされた扇谷上杉勢は一気に崩れ去る。逃げ惑う扇谷上杉勢に巻き込まれて山内上杉勢も何もできずに後退。足利晴氏勢は城守備隊によって、これも一気に敗走に追い込まれる。
一番の激戦となった東明寺口の合戦が行なわれた東明寺の境内には、《川越夜戦跡》の石碑があるが、ここはさいたま地裁川越支部の真裏にあたる分かりやすい場所。
戦いの様子が描かれたあとに、小田原への帰還ルートが示されている。はっきり書くんだから、きっと資料があるんだろう。そのルートとは、「高坂を経て毛呂で“山の辺の道”に入り、椚田から津久井方面を迂回し、小田原に入る」というもの。
私の家は“高坂”なので、このあたりを北条氏康が通ったんだな。ここから“毛呂”に出て、今の八高線伝いに八王子の椚田、津久井っていうのは津久井湖のあるところでしょ。機動力がすごいな。
氏康の後半生から、氏政、氏直の時代を描いて、北条氏は五代で滅亡する。
信長による“天下布武”に目安が付いたあたりから北条氏を考えれば、行き着く先は滅亡であるのだから、物語そのものも悲観的なものにならざるを得ない。
ただ、天下統一を軸にする歴史ばかりを見ていると、小田原評定に明け暮れる北条勢が愚かしくさえ思える。しかし戦いというのは、常に相手があるもの。秀吉は自分の都合から、里見や宇都宮は残すことはあっても、北条を後世に残す気は、最初からさらさらなかった。
どうしてもっと早く、手を打たなかったのか。秀吉のもとにはせ参じなかったのか。あまりにも時勢を見る眼がなかったのではないか。そんなことはいくらでも言える。早雲自身は朝廷や幕府に対するアンテナが高かったようだが、その後は少し緩んだか。その辺が充実していれば違う目もあったかもしれないが、やはり地の利、時の利がなかったとしかいいようがない。
同じように、アメリカとの戦争に、なんでもっと早く戦争をやめなかったのか。もっと早く負けを受け入れていれば、あんなにも死者を増やさなくて済んだのではないか。そういう声がある。
だけど、主たる相手である、アメリカに辞めるつもりがなかった。それはフランクリン・D・ルーズベルトが、カサブランカ会談で「無条件降伏以外認めない」発表したことでも分かる。無条件降伏とは、国民の生殺与奪の権を相手に渡すと言うことだから、到底受け入れられることではない。ドイツのように、政権が完全に崩壊した状態でのみあり得ることだ。
だから、北条氏直は、相手である豊臣秀吉が北条氏を滅亡させると決めた状態で、秀吉と家臣たちとの間で板挟みになっていたことになる。
早雲、氏綱、氏康にあった荒々しさが、たしかに氏政、氏直には無くなるような気がする。それでもこの混乱の時代の五代というのは、おそらくもの凄いことだろう。それも一介の浪人から始まって、一国一城の主というのと止まらず、関八州の覇者を目指し、それを成し遂げる。さらには、《第五章 太虚に帰す》ことで、戦国時代の終焉に貢献する。そこまで戦乱の時代を終わらせようという思いを、五代にわたり引き継いできたと言うこと、それ自体がもの凄い。
だけど、これは火坂さんと伊東さんの筆力とは無関係に、下巻の時代の方が面白い。
私自身、天下統一を軸にする歴史ばかりを見てきたことで、自ら滅びの道を選択していく氏直のすごさを見誤っていた。下巻は、なにしろ河越合戦で北条氏が関東の旧勢力に致命的な打撃を与えるところから始まる。氏政が苦しみながらも関八州を制した頃には、すでに信長の天下布武に道筋がつき始める。そして、氏直の時代だ。
胸が締め付けられるのは、下巻だ。
すぐ近くにある吉見百穴の駐車場に車を止めて、まずは、ポンポン山と呼ばれている場所を目指した。そこまでの道程は、舗装道路の登り下りを繰り返す。完全に開発されているが、ここはじつは、奥武蔵の山々から関東平野に向けて張り出した丘陵地帯。
ポンポン山と呼ばれるのは高負彦根神社という神社の境内で、裏手は断崖絶壁になっている。かつて、荒川がその下を流れて作られた断崖のようだ。その先には、関東平野が広がっている。つまりは、奥武蔵のから伸びた、丘陵地帯の末端。
じつは、松山城跡のある山も同様で、そこから先は関東平野。いくつもの溜め池の点在する湿地帯から、見渡す限りの田んぼが広がっていく。
![]() | 滑川と合流した市野川は丘陵の谷間を削り、松山城跡のある丘にぶつかって、そこを避けるようjに大きく蛇行する。在りし日の松山城は、まさに天然の要害だったろう。 |
下巻は、北条氏にとっても、まさに乾坤一擲の戦い、 河越合戦から始まる。
山内上杉憲政、扇谷上杉朝定、鎌倉公方足利晴氏の連合軍は、よく言われるところでは総勢8万。多すぎるような気もするけど、まあ、そこそこの数だったんだろう。北条氏が武田と同盟した今川に背後を突かれている内に、上記の連合軍が、川越城を囲んじゃったんだな。
北条氏康側は川越城内に3000、武田が信州に関心を向けたことで、ようやく氏康が小田原から駆けつける。率いた軍勢は5000。相手側の数字が本当なら10倍の大軍勢だが、本気でヤル気なのは、もともと河越城を拠点としていた扇谷上杉朝定で、上杉憲政も足利晴氏も、あくまでも加勢の立場。結局は寄り合い所帯。しかも、前年9月から4月に至る長陣で、兵士の厭戦機運も高くなっている。
そこへ、晩に到着して、翌未明には総攻撃。その対象とされた扇谷上杉勢は一気に崩れ去る。逃げ惑う扇谷上杉勢に巻き込まれて山内上杉勢も何もできずに後退。足利晴氏勢は城守備隊によって、これも一気に敗走に追い込まれる。
一番の激戦となった東明寺口の合戦が行なわれた東明寺の境内には、《川越夜戦跡》の石碑があるが、ここはさいたま地裁川越支部の真裏にあたる分かりやすい場所。
戦いの様子が描かれたあとに、小田原への帰還ルートが示されている。はっきり書くんだから、きっと資料があるんだろう。そのルートとは、「高坂を経て毛呂で“山の辺の道”に入り、椚田から津久井方面を迂回し、小田原に入る」というもの。
私の家は“高坂”なので、このあたりを北条氏康が通ったんだな。ここから“毛呂”に出て、今の八高線伝いに八王子の椚田、津久井っていうのは津久井湖のあるところでしょ。機動力がすごいな。
『北条五代 下』 伊東潤 朝日新聞出版 ¥ 2,145 氏康、氏政と、東国に覇を唱えた北条氏。五代氏直の時、秀吉の小田原征伐が始まる |
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氏康の後半生から、氏政、氏直の時代を描いて、北条氏は五代で滅亡する。
信長による“天下布武”に目安が付いたあたりから北条氏を考えれば、行き着く先は滅亡であるのだから、物語そのものも悲観的なものにならざるを得ない。
ただ、天下統一を軸にする歴史ばかりを見ていると、小田原評定に明け暮れる北条勢が愚かしくさえ思える。しかし戦いというのは、常に相手があるもの。秀吉は自分の都合から、里見や宇都宮は残すことはあっても、北条を後世に残す気は、最初からさらさらなかった。
どうしてもっと早く、手を打たなかったのか。秀吉のもとにはせ参じなかったのか。あまりにも時勢を見る眼がなかったのではないか。そんなことはいくらでも言える。早雲自身は朝廷や幕府に対するアンテナが高かったようだが、その後は少し緩んだか。その辺が充実していれば違う目もあったかもしれないが、やはり地の利、時の利がなかったとしかいいようがない。
同じように、アメリカとの戦争に、なんでもっと早く戦争をやめなかったのか。もっと早く負けを受け入れていれば、あんなにも死者を増やさなくて済んだのではないか。そういう声がある。
だけど、主たる相手である、アメリカに辞めるつもりがなかった。それはフランクリン・D・ルーズベルトが、カサブランカ会談で「無条件降伏以外認めない」発表したことでも分かる。無条件降伏とは、国民の生殺与奪の権を相手に渡すと言うことだから、到底受け入れられることではない。ドイツのように、政権が完全に崩壊した状態でのみあり得ることだ。
だから、北条氏直は、相手である豊臣秀吉が北条氏を滅亡させると決めた状態で、秀吉と家臣たちとの間で板挟みになっていたことになる。
早雲、氏綱、氏康にあった荒々しさが、たしかに氏政、氏直には無くなるような気がする。それでもこの混乱の時代の五代というのは、おそらくもの凄いことだろう。それも一介の浪人から始まって、一国一城の主というのと止まらず、関八州の覇者を目指し、それを成し遂げる。さらには、《第五章 太虚に帰す》ことで、戦国時代の終焉に貢献する。そこまで戦乱の時代を終わらせようという思いを、五代にわたり引き継いできたと言うこと、それ自体がもの凄い。
だけど、これは火坂さんと伊東さんの筆力とは無関係に、下巻の時代の方が面白い。
私自身、天下統一を軸にする歴史ばかりを見てきたことで、自ら滅びの道を選択していく氏直のすごさを見誤っていた。下巻は、なにしろ河越合戦で北条氏が関東の旧勢力に致命的な打撃を与えるところから始まる。氏政が苦しみながらも関八州を制した頃には、すでに信長の天下布武に道筋がつき始める。そして、氏直の時代だ。
胸が締め付けられるのは、下巻だ。