めんどくせぇことばかり 本 時代小説
FC2ブログ

『もっこすの城』 伊東潤

熊本城は、でかかったな~。

訪れたのは20年ほど前だったかな。まずは長崎を観光した。その後、雲仙に行って、普賢岳の噴火被災地に立ち寄った。それから、フェリーで有明海を越えて熊本に渡ったんだ、・・・たしか。熊本を観光した後は、柳川の水郷巡りをしたな。そこから博多で遊んで帰ったんだ。

熊本城は黒かった。

織田信長の家臣である木村忠範は、まさに安土城を築き上げた城作りの名手であった。だからこそ、信長が本能寺に斃れた後、多くの者が逃亡していく中、わずかな手勢と共に、押し寄せる明智勢に突入して果てた。その木村忠範の残した秘伝書と、城作りにかけた思いを受け継いだのが、忠範の子、秀範であった。

肥後佐々家の改易により、急遽、肥後北部十九万五千石が、加藤清正に任されることになった。三千国の知行しかなかった清正は、大急ぎで多くの家臣を召し抱えなければならなくなった。信長が殺されて寄る辺のなかった秀範は、この時、加藤家に召し抱えられることになる。

清正が、肥後北部十九万五千石の藩主として領国経営に邁進するとき、秀範が父から託された知恵と思いは、さまざまな形で役に立った。

すでに惣無事令が出され、秀吉の天下は定まった。九州征伐、小田原征伐と続き、奥州仕置きも済めば、“城”の持つ意味も変わる。ところが、秀吉は“唐入り”を言い出すことになる。残念なことに、加藤清正一世一代の活躍の場が、この“唐入り”になる。そして、秀範も、この“唐入り”に帯同することになる。

何とか命からがら帰ってくれば、今度は秀吉後の争いが始まるわけだ。家康が、豊臣政権に亀裂を入れ、その傷を広げ、少しずつ力を奪っていく。清正は、関ヶ原では東軍、つまり家康側についている。秀吉によって成し遂げられた世の太平を受け継げるのは、家康以外にあり得ないことを理解していたんだろう。それでも、秀頼だけは、なんとしても守り抜こうとしていた。

最後には大坂の陣が待っている。おそらくそれも、考えていた。だからこその、熊本城。

その熊本城が、秀範最後の仕事になる。・・・文字通り、最後の



KADOKAWA  ¥ 2,090

藤九郎は、日本一の城を築くことができるのか。日本一の城を造った男の物語。
プロローグ
第一章 蛇目紋の家
第二章 反骨の家
第三章 日之本一之城取
第四章 天下静謐


これまでにも、城作りに関わる物語をいくつか読んだ。

どちらも、佐々木譲が書いたもので、『天下城』と『獅子の城塞』。

『天下城』は、戦国時代に城が落ちたことで鉱山に送られるという辛酸をなめた佐久の少年市郎太の生涯を描いた話。難攻不落の城を築きたいという望みを抱き兵法者の小者になり各地を遍歴、師の死去により道を絶たれた後、穴太衆の親方と出会い石積みとして生きてゆく。南蛮渡来の鉄砲により戦や城のあり方が変わろうとしていた時代を石積み職人の目から見つめている。彼は、戦国時代の多くの城作りに関わり、最後は安土城にも関わった。

『獅子の城塞』は、その市郎太の次男で、信長から命じられて、”南蛮の城作り”を学びにヨーロッパに渡った男の話。貪欲に西洋の技を身につけ、たちまち名を上げていくんだけど、ごく当たり前に、ヨーロッパは宗教戦争の時代。つまりは、城作りが意味を持つ時代だった。片や日本は、徳川の世が定まる時代になるわけだ。

どちらも、面白い話だった。城作りというのは、戦いの時代であればこそ、あえて“城作り”であるんだろう。だけど、そうそうお城が必要となる時代ではなければ、建築家だな。土木業者ということになる。

石積みの穴太衆であるとか、金剛組であるとか、もの凄い昔から建築土木に携わってきた集団が、日本の場合、そのまま現代に残っている。技術だって伝わっているんだろう。

『天下城』の戸波市郎太や、この『もっこすの城』の木村秀範の技も、おそらく今に伝わっているんだろうな。これが途切れなく続いていることが、日本の強み。途切れることなく技術を伝え、受け継いできたことのよる引き出しの多さは、かならず役に立つときが来る。

「今、必要のないものは捨てる」

そんな世界の風潮に、日本も流されてしまうことを恐れる。

熊本城は西南戦争で、精強な薩摩郡を相手に五十日以上の籠城線を持ちこたえた。清正の時は完成を急ぐ必要があったが、後に細川家によって仕上げが加えられた。そのおかげもあって、まさに城としての真価を発揮したわけだ。

その熊本城も、熊本地震で、大きく被災した。

『城は戦うためにあらず、民を守るためにある』

この本の中での、清正のセリフだが、熊本城が熊本の人たちの心を支えるなら、上の言葉はそのままである。ただ、一歩進んで、“城作り”を建築土木と考えるなら、それはまさに、民を守るためにある。



テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『ワカタケル』 池澤夏樹

獲加多支鹵大王

古代の英雄たちの中でも、とりわけ馴染み深い。埼玉県の行田市に、“さきたま古墳公園”というところがあって、前方後円墳8基と円墳1基、それから小円墳がいくつかあるらしい。

ここは国の特別史跡で、古墳時代を研究する上でも大変重要な遺跡でもある。中でも稲荷山古墳から発見された金錯銘鉄剣は、115文字の漢字が金象嵌で刻まれており、古代史解明の大きな手がかりでもある。

これが見つかったのは1968年なんだけど、保護処理のためにX線による調査が行なわれたのが1978年なもんだから、それまでは金錯銘が入っていることが分かっていなかった。

私は1960年生まれだから、同じ埼玉県なんだけど、子どもの頃は埼玉古墳群のことも、そこから発見された鉄剣のことも、誰からも、何か言われた記憶はない。教員試験を受けるときに、あらためて日本史を見直して、その時にはじめて知った。

行田は、江戸時代には忍、・・・“おし”と読む、忍十万石として知られ、中期には足袋の生産で広く知られるようになった。どうやら、山奥の秩父の人間にとって、明治から大正の時分は、行田こそが最も近い文明開化だったようだ。

明治35年生、影森村の滝という地区に生まれた祖母は、薮という地区の“わけえし”が好きで好きで、縁談を押しつける親に逆らって家出した。頼った先が行田の遠縁で、大正の中頃に山奥の秩父で自由恋愛をまっとうした。

祖母は恥ずかしがって、一度しかその話を聞くことができなかった。それでも、私にとっての行田という名前は、明るい将来を保証してくれるようなひびきが感じられる、そんな名前なんだ。


辛亥の年七月中、記す。ヲワケの臣。上祖、名はオホヒコ。其の児、タカリのスクネ。其の児、名はテヨカリワケ。其の児、名はタカヒシワケ。其の児、名はタサキワケ。其の児、名はハテヒ。 其の児、名はカサヒヨ。其の児、名はヲワケの臣。世々、杖刀人の首と為り、奉事し来り今に至る。ワカタケルの大王の寺、シキの宮に在る時、吾、天下を左治し、此の百練の利刀を作らしめ、吾が奉事の根原を記す也。

これが、私の憧れる行田にあるさきたま古墳群の、稲荷山古墳から発見された金錯銘鉄剣に刻まれた115文字の漢字。そこにある“獲加多支鹵大王”という漢字、「ワカタケルオオキミ」と読む。



『ワカタケル』    池澤夏樹

日本経済新聞出版  ¥ 2,200

神話から歴史への淡い時代に、森羅万象を纏った若く猛る大君が出現した
一 弑逆と決起
二 服喪の日々
三 暗殺と求婚
四 即位と統治
五 王國の構築
六 隣國と大國
七 文字の力
八 天と空
九 時は流れゆく


著者の池澤夏樹さんは、2014年に『古事記』の現代語訳を出している。

原文の力のある文体を生かしたストレートで斬新な訳と、大きな評価を受けたらしい。 まったく、『古事記』そのものが、もの凄い物語である。 のっけから、イザナギ・イザナミは“共寝”によって国を作り、神々を生み出していくわけだ。 それを“原文を生かしたストレートな”訳とは、いったいどんなものだろう。 機会があれば、読んでみようか。

その本を前提にして、『ワカタケル』という物語が生まれたようだ。

“原文を生かしたストレートな”訳は、どうやら『ワカタケル』にも反映されているようだ。 読み始めた最初に感じたのは、「ちょっと、おどろおどろしすぎるんじゃないか」と言うことだった。

淡泊な私には、どうにも、くどすぎる、・・・申し訳ないが、そう感じてしまった。

ただ、さまざまな形で、雄略天皇に関する逸話、エピソードが、いろいろなところに、おそらく余すことなく組み込まれていた。 それが、雄略天皇の性格を裏付けていて、物語に奥行きを加えているように思われた。

なかでも、万葉集の冒頭を飾る雄略天皇の歌。

籠もよ  み籠持ち 掘串もよ み掘串持ち この岳に 菜摘ます兒 家聞かな 告らさね そらみつ大和の国は おしなべて我こそ居れ しきなべて 我こそ座せ 我にこそは告らめ 家をも名をも

この歌が詠まれた状況が、物語に組み込まれている。それが、まさに、そうではなかったかと思わせられる状況に思えた。

たしかに、雄略天皇は、稲荷山古墳の鉄剣と、江田船山古墳の鉄刀から、考古学的に実在が確認された、最古の天皇である。 同時に記紀の記述からも、たんなる豪族連合だった大和朝廷を、葛城氏や吉備氏と言った有力豪族の力を削いで、天皇を中心とする体制に変えていった天皇でもあった。

その分、反発も多く、それを封じるために強権を振るうことも少なくなかったようだ。 それでなくても、皇位を確実にするためには肉親さえ容赦なく手にかけた。 反抗する豪族を誅伐し、周囲の者に恐れられることを好んだ。

雄略につけられた大悪天皇というあだ名を、なんと読むか分かるだろうか。 「はなはだあしきすめらみこと」と読むそうだ。

さてこの本、私にはちょっと油っこすぎる感じたしたけど、雄略天皇がより身近になったのは、間違いない。



テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『チーム・オベリベリ』 乃南アサ

ちょっと勘弁して欲しいなぁ。

いや、この本、厚すぎるんだ。なにせ、最後は667ページだよ。さっきメジャーで測ってみたら、4cm8mmもあった。重さは・・・、もういいや。

私は行儀のいい人間ではないので、いろいろな姿勢で本を読む。本を読んでいる姿は、出来ればよその人には見せたくない。だいたい、家の中で読むときは、どこかしらに寝っ転がっている。ただ寝っ転がっているのではない。寝っ転がって、変な恰好をしている。

外で読むときもある。居心地のいい公園のベンチなんかでも、最初は座っていても、最後は寝っ転がってしまうかな。さすがに変な格好にはならないが。そこに行くまでは、歩きながら読んでいる。

寝っ転がって読む場合、だいたいは、本を片手で持っている。片手で持つには、ちょっと重すぎるんだ、この本は。腱鞘炎になってしまう。

もう一つ困ったことがある。私は早起きをして、日の出前に1時間ほど外を走る。お昼を食べて、片付けを終えて、寝っ転がって本を読み始めると、本当にウトウトしてしまうことが多い。授業中に寝落ち寸前の学生が、自分の頭が落ちるのに驚いて目を覚ますことがあるように、私は片手に持った本を取り落としてビックリする。落とした本が、顔に落ちてくることもなきにしもあらず。その本が、総ページ数667ページ、厚さ4cm8mmであることを考えて欲しい。

それはまさに危険と紙一重。

その物語が300ページを越えるときは、是非、前編、後編の2冊に分けよう。

最初は、なんだと思った。

いや、何って、この題名。“オベリベリ”って、なに?

この“オベリベリ”と同様の言葉をいくつかあげてみるね。だんだん分かってくるかな。

①チパシリ   ②イシカラペツ   ③エベット   ④オタルナイ

⑤クシュル   ⑥シュムカプ    ⑦シリペツ   ⑧ニカプ

私が調べた資料では、“オベリベリ”ではなく、“オペレペレケプ”とあった。



講談社  ¥ 2,530

オベリベリこと「帯広」と呼ばれた新天地で、彼女はいかに生き抜こうとしたのか
第一章
第二章
第三章
第四章
第五章
第六章
第七章
第八章
終章


そう、これらは、アイヌ語の地名。

北海道の地名は、アイヌの人たちがつけた地名に漢字を当てて、和人が読みやすいものに変えたもの。“オベリベリ”、私の資料で“オペレペレケプ”であったものには、帯広という漢字が当てられて、“おびひろ”と呼ばれるようになった。

同様に、上に上げた①~⑧は、以下の通り。

①網走 ②石狩 ③江別 ④小樽 ⑤釧路 ⑥占冠 ⑦後志 ⑧新冠

さて、『チーム・オベリベリ』。

これは明治時代の、北海道開拓の話で、当時はまったく手つかずの帯広に入った人たちの話。実在の人物や団体の史実を基に書かれた小説だという。

帯広に入った開拓団は、晩成社という会社形式を採ったんだな。その中心となったのが、伊豆の大地主の次男であった依田勉三。地元の小作人たちに働きかけ、未開の十勝の原野に向かう。

晩成社の中心人物に、没落士族の鈴木銃太郎と渡辺勝がいた。立場の違いを超えて、依田勉三、鈴木銃太郎、渡辺勝は、帯広の開拓に情熱を傾けた。

その鈴木銃太郎の妹で、渡辺勝の妻であるカネという女性が、この物語には登場し、彼女の語りによって、物語は進行する。

分かりきっていることだけど、北海道開拓っていうのは、きつい。想像を絶するきつさであろうけど、想像の範囲内でも十分きつい。今年を乗り越えれば、・・・ここを乗り越えれば・・・という難局が続き、物語の展開とともに、いつか希望の光が見えてくることを疑わずに読み進めた。

しかし、残り100ページを越えても、事態は悪化するばかり。

この物語、・・・言ってしまおう。この物語、良いことなんか何にもないままに終わる。最初に抱えた苦労は、最後まで苦労で終わる。北海道の開拓は、そのくらいのものがあった。そういうものだと言うしかない。では、希望は?

それは、今、切り開かれた帯広があるということ。物語にそんなことは書かれていないけど、・・・だってそこにしか光を見出しえない。

やはり、アイヌの関わりには触れなければ“片手落ち”になる。なにしろ、オベリベリはアイヌ語なのだ。

明治時代の日本には、もと武士階級をはじめ、豪農や商家を中心に高い倫理意識を有するものと、そうではないものが混在している。学問に寄るところが大きいと思うが、それと一致するわけではない。もと武士階級を除けば、貧富の違いに寄るところが大きいと思うが、それと一致するわけでもない。

昔話でも、良いおじいさんと、強欲なおじいさんがいた。要は人間性だ。もとの長州藩は、明治政府はじめ、日本中の要衝に人を送り込んだ。その中には、強欲なおじいさんもいた。

それはいろいろな場面で、日本の歴史に影響を残した。明治政府の上層においても、それは変わらない。権力を一部で独占して、私利私欲に走ったものが、いくつかの成功の後に、結局日本をダメにした。

そのグループの力は、残念ながら、北海道でも、アイヌの人たちに災いをもたらした。この物語の中心でもある、鈴木銃太郎、渡辺勝のような者たちが、つねにアイヌの人たちに寄り添っていたことが救いである。

教員だった頃、とある高校で3年間同じ学年を担当した先輩教師がいる。3年間を通じて、その方が学年主任で、私は担任の一人だった。その学年の卒業が間近に近づいたある日、二人だけになった休憩室で、はじめて打ち明けられた。

「あなただから言うけどね、私はアイヌです」

広島から来たお父さんとアイヌのお母さんの間に生まれ、一家で北海道を離れたそうだ。3年間、いろいろな厳しい状況を一緒に乗り越えた、懐かしい先生だ。


テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『天穹の船』 篠綾子

今、地図で戸田港を見て驚いた。

伊豆半島の西側に、深く切れ込んでいるのが駿河湾。その北東部に三角形に切れ込んだ戸田港がある。特筆すべきは、その戸田港を隠すように、港の入り口の半分を超えて、南から北へと御浜岬が伸びていることだ。この細長く伸びた岬、おそらく砂州だろう。その内側に入ってしまえば、もう、港の外から見ることは不可能だろう。

1854(嘉永7)年7月9日、現在の三重県伊賀市を震源に、死者1500余を出す大きな地震があった。続いて、1954(嘉永7)年11月4日、安政東海地震、死者2000~3000。さらに12月24日に安政南海地震、死者数千~1万。26日、豊予海峡地震、死者不明。1855(安政2)年に入って、3月18日に飛騨地震、死者不明。11月11日に安政江戸地震、死者8000~1万5000。1856(安政3)年に入って、8月23日に安政八戸沖地震、死者90余。ちょっと飛んで、1858(安政5)年4月9日、飛越地震、死者300余。

1854年は、年の瀬も迫ってから安政に改元している。その場合、1月1日にさかのぼって安政に数えるという解釈で、一連の地震を安政の大地震と呼ぶ場合があるみたい。

プチャーチンのディアナ号は、11月4日の安政東海地震で破損し、曳航中に沈んだんだよね。なんの本で読んだのか、そのためにロシア人の技術者と日本の船大工で協力して、外洋を航海できる船を作ったって。

それが主題ではないお話で、その部分を何度か通り過ぎるたび、「これは話になる」という確信があった。いつか、誰かが書くだろうって思ってたら、篠綾子さんだった。

なにしろ、この1854年といえば、3月にペリーの脅迫で日米和親条約が結ばれている。そうそう、私、歴史の教員のくせに、年号を覚えるのが、とても嫌いだった。何十年もやってたから、そりゃ今なら、大半の年は頭に入った。歳を取ったら、頭に入ったまま出てこないものあるけどね。若い頃は、生徒たちと一緒になって、語呂合わせを作って覚えてた。なかでも、ペリー来航は秀逸。

嫌でござんすペリーさん。1853年ね。

この1853年から、ヨーロッパでは、クリミア戦争が始まっている。トルコと、・・・当時はオスマン帝国ね。オスマン帝国とロシアの戦いね。遠く離れた極東といっても、イギリス船とロシア船が遭遇するっていうのは、まずいわけね。ディアナ号が壊れて、新しい船を日ロの協力で作ってるなんてことが分かれば、必ずイギリス船が邪魔しに来るんだから。

だけど、それでもこの戸田港なら、見つからない。


『天穹の船』    篠綾子


角川書店  ¥ 2,035

言葉を超え、船を造る者達が胸に抱いた夢とは。気鋭による傑作青春時代小説
一章 大地震
二章 投げ文
三章 韮山代官屋敷
四章 人斬り士郎
五章 峠の闇討ち
六章 城の溜池
七章 でぃあな号
八章 峠の富士
九章 船おろし前夜
十章 ツキノフネ、アメノウミ





《天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ》

柿本人麻呂の歌だよね。この歌が、物語に関わってくる。月の船、つまりディアナ号が沈んで、新しい船を作る。船は、戸田港の船大工によって、生まれ変わるんだ。

なにしろ、時は1854年、ペリーの恫喝で、日米和親条約を結んだ年だからね。しかも、前年のペリー来航を受け、老中の阿部正弘は、朝廷はじめ、今まで政治に関与させなかった外様大名のみならず、幕臣から市井にいたるまで、広く意見を求めた。

何が明治維新の始まり下って言われれば、やはりこれしかない。パンドラの箱が空いちゃった。

沈んでしまったプチャーチンのディアナ号に変わる船を作るにあたり、韮山代官の江川太郎左衛門が建造取締役を務めることになる。それだって、パンドラの箱が開いたからこそだ。もちろん、江川太郎左衛門も、この物語に重要な役割を果たすことになる。

一気に攘夷熱が高まり、その高まりは水戸藩から、あっという間に全国に広がっていく。まるで、“中国”発の感染症が世界中に広がったみたいに。

そんな攘夷ブームも、この物語に関わってくる。

「阿部正弘があんなことをしなければ・・・」なんて、井伊直弼なんか考えたろう。だけど、江戸幕府は変わるべきだったんだな。たとえ、幕府がつぶれようと、変わらざるをえなかった。それは、実際につぶれちゃったけど、ゴルバチョフが危険を承知でペレストロイカを始めたのと一緒だな。中国共産党みたいに、無理をして押しとどめようとすると、跡形もなく吹っ飛ぶことになるかも。

ロシアの船を作ることで、日本も外洋に飛び出す船を作るようになる。船が生まれ変わる。そして、明治維新という形で、日本も生まれ変わる。

生まれ変わる。

これが、この物語の主要なテーマになる。船大工の平三と攘夷浪人の士郎は、かつて生まれ変わりを体験した。そして、『天穹の船』を作り上げることを通して、もう一度、生まれ変わることを、・・・・いやいや、ここまでにしておこう。




テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『もののふの国』 天野純希

“もののふ”という言葉に反応して、読んでみた。

“さむらい”ではなくて、“もののふ”。“さむらい”には、どこかしら卑屈なひびきがある。朝廷や貴族に仕え、護衛者として、庭先に控えた。護衛者として控えることを、“侍ふ”と言った。ここから“さむらい”という言葉が生まれる。どこかしら卑屈なひびきが感じられるのは、そのせいだろう。

“もののふ”には、それがない。“さむらい”は、自分の意に反する戦いに臨まなければならない。いや、その前に、“自分の意”を持つことさえ認められない。その点、自分の戦う能力に持つ誇りが、“もののふ”からは感じられる。

“もののふ”の語源は、ヤマト朝廷成立当時から朝廷に使えた豪族、物部氏に由来する。豪族としては“もののべ”と呼ばれるが、“もの”を相手にする氏族と言うことだろう。人相手ではなく、“もの”相手というんだから大変。なにしろ、あちらの世界の方々だから。

というわけで、物部氏は、あちらの世界の方々に対処する氏族として、朝廷に使えた。あちらの世界に通じると言うことは、宗教を司ると言うことだけど、それは同時に、治安、つまり軍事に関わることも意味した。そこから、武勇を持って世に立つ者という意味で、“もののふ”という言葉が使われるようになったんだろう。

武士という一団は、一所懸命に自分の土地を守ろうとする開拓者が武装したことから始まった。彼らは、中央での立身をあきらめ、地方に下った元皇族、元貴族を頭領にいただいて集団化し、地方勢力としての地盤を築いていった。

なにしろ大和朝廷と、その政治システム及び権力を独占する藤原氏は、いかに地方で力を持とうが、地方勢力の土地所有は認めなかった。平氏を頭領にいただく武士集団が、源氏を頭領にいただく武士集団が、地方でいかに力をつけようが、彼らは自分の土地の正当な所有者にはなれなかった。

そんな理不尽極まりない体制に、最初に牙をむいたのが、平将門だった。この『もののふの国』という壮大な物語は、その平将門の乱から始まる。



『もののふの国』    天野純希

中央公論社  ¥ 1,980

源頼朝、足利尊氏、明智光秀、大塩平八郎、土方歳三…命を懸けた果てなき争いの先に
源平の巻
黎明の大地
担いし者
相克の水面
南北朝の巻
中興の秋
擾乱に舞う
浄土に咲く花
戦国の巻
天の渦、地の光
最後の勝利者
幕末維新の巻
青き瞳の亡者
回天は遠く
渦は途切れず




平将門は、なにか不思議な力に突き動かされるように兵を挙げ、常陸の国府が差し向けた追討軍を蹴散らしていく。これが始まりだった。しかし、将門は志半ばで藤原秀郷に敗れる。秀郷と共に将門鎮撫軍に加わった平貞盛の放った矢に眉間を貫かれて、将門は死ぬ。遠ざかる意識の中で、彼を謀反に突き動かした不思議な力から、こう言われる。

「案ずるな。お前は役割を果たした。安らかに眠るが良い」

しかし実際には、将門の首は、京都に運ばれて晒される。その首はやがて歯ぎしりを初め、不気味に笑い、地鳴りをおこし、稲妻を呼んだ。ついには、「躯つけて一戦させん。俺の胴はどこだ」と叫んで坂東に向けて飛んだそうだ。人々の意識の中では、将門は怨霊化した。

この物語は、そちらには走らない。将門を武士政権への萌芽として、次に登場するのが源頼朝ということになれば、それをもって《武士が政権を握った時代》をテーマにしていることが明らかになってくる。

さらには、楠木正成に足利高氏、足利義満から戦国末期へ飛び、徳川家康の江戸幕府開幕を経て、幕末から戊辰戦争、さらには西南戦争の終結を最終章とする。

つまりは、武士階級が、この日本を動かしていた時代を、物語の舞台としているわけだ。言わば、武士の時代を通史として、物語化しているんだな。今までにない、おもしろい取り組みだと思う。

歴史の変わり目で、けっこう、斬新な解釈が用いられている。たとえば、源頼朝の死に方、足利義満の死に方、坂本龍馬の死に方なんて、さらっと書かれているが、大胆で興味深かった。

その物語を牽引する不思議な力。その力は、歴史の要所要所に現れては、時代を“終わらせる”者に、あるいは時代に“拍車をかける”ものに、「思うがままに生きよ」と、その背中を押す。

その力は、「武士の世の中は、二つの力のせめぎ合いによって、前に進んできた」という。

二つの力とはなにか。

これに関しては、もっと深いところから考えて欲しかった。その設定によっては、物語を武士政権の時代だけじゃなく、古代から現代にいたる、もっと壮大なものに出来たんじゃないかと、ちょっと残念。

その二項対立については、・・・物語を読んでのお楽しみ。





テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『朝嵐』 矢野隆

源為朝という怪物を知ったのは、『椿説弓張月』だったんだろうな。

だけど、どんな本で読んだのか、それがまったく記憶にない。昔はよく、“なんとか読本”なんていうのがあったので、おそらく簡単に読める、そんな感じの本だったんじゃないかと思う。私の人生の中でも、源為朝は、かなり早い段階で巡り合ったヒーローということだったろう。

歴史上のヒーロー遍歴でいうと、為朝から同じ源氏の義経に移行する。その後は、大河ドラマで取扱われるような人物を、頼朝と家康を除いて、一回りするような形になった。海外勢も時々顔を出して、最初はなんといってもアレクサンダーだな。中学2年の時だ。アレクサンダーをきっかけに世界史に興味が移り、ハンニバルやカエサルに惹かれるようになった。

そう、思い出してみると、なんだか源為朝というのは、なんだか異質な気がするな。おそらく私が読んだ『椿説弓張月』は、子どもでも面白く読めるように書かれたものだったろうけど、今、こうして『朝嵐』で源為朝の人生をたどってみると、やはり怪物というしかない。

純粋な強さだけを追い求めたその生き方は、当時の武士の中にあっても、やはり異質なものだったろう。あんなにも純粋に、強さを追い求めた生き方が、本当に可能だったのか、そのへんは少し疑わしい。

平安時代に入り、権力は藤原家に独占された。奥羽の蝦夷討伐後、平安政権は治安維持を放棄し、中央以上に地方は混乱した。地方の土豪は武装して自衛する武装農民化する。しかし、それだけでは足りず、自らの土地を権力者に寄進して、その保護下に入ることになる。

藤原家の荘園ばかりになってしまって、税も集まらない状況では、皇族にも臣籍降下するものが少なくなかった。彼らが平氏、源氏の名で地方に下ると、地方の土豪は彼らの“平”、“源”の名の下に集まり、それなりの勢力を持つようになる。

それでも結局、彼らは荘園の寄進を受けた権力者の庇護のもとに、その戦力となることで、自分の土地と立場を守らなければならなかった。“一所懸命”に生きる武士たちの棟梁たる源氏の者として、為朝のような生き方があり得たとは、なかなか思えない。

為朝の父、為義は、八幡太郎義家の孫にあたる。前九年の役、後三年の役で活躍した義家だけど、東国武士の信頼を勝ち得た義家の末裔を、平安政権はどこか警戒していったように見える。なんだか、このあたり、平安政権は源氏に冷たい。逆に平氏を優遇して源氏の先行を押さえようとしている。


『朝嵐』    矢野隆


中央公論新社  ¥ 1,870

源八郎為朝。武士として生きるため、異常な弓の鍛錬を続けた男
壱 兄と弟
弐 鎮西
参 乱
肆 鬼の住まう島


『朝嵐』の中で、為朝が一途に強さを追い求めるきっかけを作ったのは、兄の義朝だった。どうやら義朝は、父の為義から煙たがられていたらしい。京で権力におもねる道を選択した父から東国に追いやられたのは、義朝にとっては幸運でもあったろう。

私の家は、埼玉県東松山市、畠山重忠の本拠とした菅谷館はほど近い。かつては菅谷村と呼ばれたが、ここを訪れた本多静六博士が近所を流れる槻川の景観にふれ、「嵐山のようだ」と言ったことから、町制施行するにあたり、嵐山町と名乗るようになった。

その嵐山町に大蔵神社というところがある。

東国を新天地として力を伸ばす義朝に対し、それを牽制するために為義は、義朝の弟の義賢を東国に差し向ける。権力者から力を押さえられようとすると同時に、源氏は内輪でももめ事を繰り返した。

義賢は現嵐山町にあった拠点である大蔵館を、義朝の子にあたる悪源太義平に襲われて死んでいる。それが、今、大蔵神社になっているところである。
その時、家臣が助けた義賢の子が、のちの木曽義仲になる。近くにある鎌形八幡宮には木曽義仲産湯の清水とされるものが残されている。

平氏の軍勢を最初に京都から追い落とすのは義仲と言うことになるわけだから、
それを考えると、やはり源氏には、強い武人を産む血が受け継がれているように感じられる。

為朝の生き方はハチャメチャだ。保元の乱で崇徳上皇方に組みして逆賊となったのはやむを得ないとしても、九州時代にもその傾向があったが、伊豆大島に流されてのちは、あえて逆賊として生きている。

やはり、大河ドラマでは使い切れないところだろう。

それでも、為朝の血を引く子が琉球に渡り、琉球王家の祖、舜天になったというのは、説として捨てがたい。なにしろ、為朝が嫌い抜いた、義賢の子でさえ義仲という怪物になった。



テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『熱源』 川越宗一

新型コロナウイルスには、参りますね。

うちの方の小学校の卒業式も中止にすると、今さっき(23日)、区長会の連絡網で回ってきた。卒業式を翌日に控えて、ギリギリの判断であったようだ。卒業生たちも可哀想ではあるけれど、その分きっと、何か良いことで、あなたたちの人生が埋め合わされることを、おじさんは信じているよ。

この『熱源』という本を読むことになったのは、全くの偶然。何しろ私が買った本じゃない。連れ合いの本。しかも、たまたま身近に真新しい本がなかったので、ここ数日間、連れ合いが熱心に読んでいたこの本をペラペラめくってしまっただけのこと。

だいたい、『熱源』という題名からでは、内容は類推もできない。表紙に書かれた犬ぞりが走る様子から、“冒険”という言葉は浮かんだ。「植村直己みたいな探検家を取り上げているのかも知れない」なんていう思いもあって、ペラペラめくってしまったわけだ。

めくってみると、まずは題名と作者の名前があり、続いて目次が現れる。“サハリン”、“日出づる国”・・・、明治期の樺太が舞台かもしれない。さらにめくると、北海道と樺太を注進とした地図が現れる。ロシア領には、ウラジヴォストークも記載されている。ロシアも絡んでくるようだ。

さらにめくると、登場人物の紹介がある。ここまで来ればはっきりする。この物語は、欧米列強と新興国家日本の台頭の中で、徐々に故郷を奪われ、その存在自体を問われるようになっていく樺太アイヌの様子を描いた物語だ。

即座に、頭に浮かんだ本がある。

それは、船戸与一の『蝦夷地別件』。1996年の本で、とてつもなく面白かった。

商人による苛烈な搾取、謂れのない蔑みや暴力、女たちへの陵辱…。和人の横暴にあえぐアイヌたちが、ついに和人に対して蜂起したクナシリ・メナシの戦いの前後を描いたものだった。



『熱源』    川越宗一


文藝春秋社  ¥ 2,035

樺太アイヌの戦いと冒険を描く、前代未聞の傑作巨編!
序章 終わりの翌日
第一章 帰還
第二章 サハリン島
第三章 録されたもの
第四章 日出づる国
第五章 故郷
終章 熱源


全権プチャーチンとの間にかわされた、日ロの最初の約束事、日米和親条約においては、千島列島では択捉島とウルップ島の間に境界が設けられた。樺太においては境界を定めず、混住の地とすることが定められた。それが安政2年、1855年のことだ。

そのあと、明治8年、1875年に千島樺太交換条約が結ばれる。この間、樺太においては、“混住”、つまりなんの定めもない中でロシアによる樺太開発が本格化していた。日ロは、再度、境界線画定のための交渉を行なうが、またも不調に終わる。両国は自国の優位を確定するため、競って移民を樺太に入れている。先住民であるアイヌにしてみれば、いい迷惑だ。事実、、日本人、ロシア人、アイヌの間での摩擦が増え、不穏な情勢になっていたという。

そこで、日本がロシアに持ちかけたのが、千島樺太交換条約であった。遠隔地である樺太でロシアと争うよりも、千島列島を確保して北海道開拓に全力を注ぐことを重視したものである。面積から、外交における弱腰を攻める意見もあるが、まずは極東の小国からの申し出を、ロシアに受け入れさせたことに大きな意味があると思う。

ロシアにしてみれば、ウルップ島から北の千島列島を確保したまま、混住地の樺太の全部を自分のものとする可能性もあったわけだ。日本は、その可能性を、ロシアにあきらめさせた。

当時、バルカン半島への影響力と黒海の制海権をめぐって、ロシアとオスマン帝国の間で長い戦いが続いていた。東ヨーロッパに食い込んだオスマン帝国の領土は、帝国の弱体化とともに、列強の間でも懸案の地となっていた。なかでもロシアの南下政策は、イギリスの覇権への挑戦という側面もあり、列強の注目を集めた。クリミア戦争はその一環であった。それが終結した平穏な時期に、ロシアは樺太開発を本格化させたわけだ。

千島樺太交換条約が調印された時期、1,875年だな。実は、ロシアとオスマン帝国の対立の地であるバルカン半島に、新たな事態が持ち上がっていた。ボスニア・ヘルツェコヴィナに住むスラブ系キリスト教徒が、ムスリムの地主による搾取に反発して農民反乱が起きていた。それはブルガリアにも飛び火し、半島全体に反オスマン帝国の機運が高まっていく。そんな時期だった。

クリミア戦争の敗北をおして、ロシアはバルカン半島への進出を狙っていた。露土戦争が始まるのは1877年だが、すでにロシアの意識はバルカン半島にあっただろう。樺太の小競り合いに決着をつけることは、バルカン半島に集中したいロシアには降ってわいた幸運だったはずだ。

そのようにして、千島樺太交換条約が結ばれる。この『熱源』は、そこから始まる話である。

「弱肉強食の摂理の中で、我らは戦った。あなたたちはどうする」 「私たちは、いや私は、その摂理と戦います。あの島の人々が持っている熱が失われないように」


『蝦夷地別件』を読んだときも思ったんだよなぁ。田沼意次の改革が続いていれば、ロシアとの関係はもっと良好な状態で始められたであろうし、松平定信時代のように、むやみにアイヌを追い詰めることもなかったろう。状況によっては、北方の諸民族の状況も大きく変わっていた可能性もあったと感じている。



テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『道鏡』 三田誠広

道鏡は、看病禅師として病に伏した孝謙上皇の看病に当たり、それをきっかけに上皇とただならぬ関係となり、朝廷において大きな影響力を持つほどに出世した。重祚して称徳天皇となった女帝は、道鏡に行為を譲ろうとするが、和気清麻呂が宇佐八幡の信託を受けて、それは阻まれた。

道鏡は 座ると膝が 三つでき

道鏡に 根まで入れろと 詔

道鏡に 崩御崩御と 称徳言い

江戸時代には、そんな川柳が楽しまれるほどに、野心旺盛な道鏡が称徳天皇と男と女の関係になって出世したってことが常識になっていた。道鏡の巨根に称徳がメロメロにされちゃったなんて、ずいぶん言われちゃってる。

こういった説は、『日本霊異記』や『古事談』といった説話集で、面白おかしく取り上げられるようになったもののようだ。いずれも平安時代に入ってからのもので、信頼できる一次資料にあるものではないという。

さらに、鎌倉時代に成立した『水鏡』の異本には、称徳天皇は、道鏡だけでは飽き足らず、もろもろの法師のものを受け入れてセックスに耽ったため、女性器の中が極楽浄土になったとか。

さらには、道鏡の巨根になれて、さらなる刺激を欲した称徳天皇が、山芋をペニス型に削って楽しんでいたところ、それが膣内で折れて、取り出せなくなって、そのまま亡くなったとか。

ここまでひどい話になると、多くの人が疑問を抱く。あまりにも茶化しすぎだ。しかも下ネタで茶化しているので、言い逃れできない過去の人物である道鏡と称徳にしてみれば、風評被害も甚だしい。二人が男女の関係にあったなど、一次資料には何も見られない。

面白おかしい話に茶化しているが、そのもとである、称徳天皇が道鏡に皇位を譲ろうとしたというのは、ある種の道理にかなっていたのではないか。道理にかなった話であっ誰がために、それが排除されたとき、その排除にこそ、後付けで理由をつけなければならなくなったのではないか。



『道鏡』    三田誠広


河出書房新社  ¥ 時価 2,500より

有数の知識と学識を持ち、同時に呪禁力も兼ね備えた道鏡とは?
第一章 婆羅門僧正が宙に昇る
第二章 悪行は仏道の精華なり
第三章 女帝に憑いた魔を祓う
第四章 法王となり国政を担う
第五章 弓削宮に響く歌垣の声


二人が男と女の関係でなかったとしたら、この時代のなり行きは説明できないのか。

たしかに、二人がそういう関係にあったからこそ、道鏡の出世があり、皇位を譲るという“突拍子もない話”が出てくるとするのは、分かりやすい説明ではある。しかし、安易だ。道鏡を政策に関与させ、さらには皇位も譲るという状況は、称徳天皇から道鏡に対する尊敬と信頼があれば、不可能ではない。二人は精神的に結びついていたが、男女の関係ではなかったとしても、この成り行きは十分説明できる。

説明はできるが、十分ではない。それは、道鏡でない者に皇位を譲ると言うことが、一体どういう意味を持つのかを考える必要がある。

ことの起こりは、藤原不比等と言っていいだろう。天武朝には藤原氏の出る幕はなかった。しかし、持統、元明、元正という三人の女帝の時代は男系は天武朝であっても、女系は天智朝になっている。天智系と藤原氏というタッグで天武朝の田の皇子たちに皇位を渡すことを阻止するのが、持統、元明、元正の成すべきことだったのだろう。

藤原不比等にすれば、天武朝の皇親政治を崩し、自らが天皇家の外戚となることで、政治の実権を握っていく。それは短期間に、着実に進められる。女系天智系の文武に不比等の娘宮子を妻合わせ、生まれたのが女系藤原系の聖武天皇だ。さらに、聖武天皇に、かさねて不比等の娘光明子を妻合わせ、生まれたのが孝謙、重祚して称徳天皇となる。

聖武と孝謙は、藤原氏を外戚とする天皇である。天皇家よりも藤原氏の一族であることに甘んじることができれば、楽に生きることができただろう。

鍵を握ると思われる女性がいる。県犬飼橘三千代である。早くから命婦として宮中に仕え、最初、美努王に嫁して葛城王をはじめ、佐為王、牟漏女王を産む。その後、美千代は美努王と分かれて藤原不比等の後妻となり、聖武の皇后となる光明子を産んでいる。

当時は、多くの古代豪族が、藤原氏によって没落させられていく中で、長屋王、橘諸兄と、皇族及び皇族出身の者らが藤原氏による権力掌握に抵抗を繰り返していた。

そのどちらにも関係している女性である。しかし、父のもとから離れ藤原不比等に身を寄せた母を、橘諸兄は容易に受け入れるであろうか。彼は、もとは葛城王と名乗った。臣籍降下するに及び、母方の橘姓を継いでいる。母が父のもとを去り、藤原不比等の後妻に入ったことを、やむを得ぬことと捉えていたからこそ、彼は橘姓を受け継いだのではなかったか。

“やむを得ぬ”なにがしかの思いが、三千代から光明皇后に、光明皇后から孝謙・称徳に受け継がれていたとしたらどうだろうか。藤原氏の支配下にある者に皇位を譲ることに、もはや称徳は絶望していたのだとしたら。

彼女に称徳の名を贈り名した者は、彼女の怨霊かを恐れていた。称徳は、殺されたのではないか。その後、天智系の光仁天皇が立てられ、井上内親王の子他戸親王が立太子されるが、二人が光仁天皇を呪詛したと訴えられ、幽閉されて殺される。いずれも、式家の藤原百川の影が浮かぶ。

ここまで書いて、困った。本のことを何も書いてない。・・・仕方がない。そんな時代を、著者の三田誠広さんがどう書いたか、お楽しみ下さい。



テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『新釈にっぽん昔話』 乃南アサ

うちの子供たちは、なかなか寝てくれなかった。

特に、娘を寝かしつけるのは難しかった。夕ご飯のあともなかなか眠くならない。こっちが先に眠くなってしまう。本を読んでやっても、まだ寝ない。部屋を暗くして、お話をしてやる。部屋を暗くしてあるから、なおのこと、こっちが眠くなってしまう。話をしている途中で、ふと寝てしまうらしい。話が止まってしまったことで、それが娘に気づかれてしまう。

娘は「寝ないで.寝ないで」といいながら、私の顔をピシャピシャ叩く。頬ではない、上を向いている顔の真上から手を振り下ろす。私は鼻をつぶされて、飛び起きる。「お話し、お話し」と促されて話そうとするが、とっさに何をどこまで話したか出てこない。

適当に桃太郎の話をすると、「違う!桃太郎じゃない」と怒られる。「青鬼があばれたの」と言われて、“泣いた赤鬼”の話だったことを思い出す。再開して、頑張って終わりまで話しきる。娘は静かだ。寝たかと思って顔をのぞき込むと、目をあいたまま天井を見ている。

「寝るよ」と声をかけると、「どうして青鬼はあばれたの」と返してくる。何度話しても、そう聞いてくる。仕方がないから、何度も話した青鬼の気持ちを繰り返す。青鬼の気持ちを私から聞くことが、娘のお好みだった。他のお話をしてもそれは同じ。誰かの気持ちを聞くのが好きだった。それを聞くと、納得して、娘は寝た。

そんな娘も、今は自分の息子や娘を相手に、そんな毎夜を過ごしているのだろう。

子供を授かるのは大変なことだった。花咲かじじいも、一寸法師も、犬と猫とうろこ玉も、実は話はそこから始まっている。健康な親の元で、子が心身ともに健康に育つのは、なおのこと大変だった。三枚のお札も、笠地蔵も、実は話はそこから始まっている。

結婚して、子供を授かって、健全な家庭で健康に育って、成長した子供が結婚して所帯を持つ。そうして世代が引き継がれていく。今の時代は、それが当たり前のことと捉えられている。祖父母の世代から父母の世代へ、父母の世代から私たちの世代へ、私たちの世代から子供たちの世代へ、なんとか受け渡すことができた。当たり前のように見えて、ちっとも当たり前じゃなかった。

あとは祖父母と同じように、父母と同じように、私たちも消えていけばいい。




文春文庫  ¥ 902

誰もが知る昔話が、大人も楽しめるエンタテインメントに大変身
さるとかに
花咲かじじい
一寸法師
三枚のお札
笠地蔵
犬と猫とうろこ玉


2011年3月11日、著者の乃南アサさんは、仙台市の郊外にいたそうです。被害の大きさや津波の惨状、原発の状況などを知ることができたのは、運良く東京まで帰り着いた翌日以降のことだったそうです。でも、その恐怖の記憶と東北を襲った惨状から脱出したことが、ご自分の中ではある種の後ろめたさとしてこびり付いてしまったそうです。

まんまと逃げ出してきた。

自分は何も喪っていない。

ああ、それを後ろめたく思う心情は、・・・分かると言うのはたやすいが、言っては全部嘘になってしまいそうなので言わない。言わないけど、居ても立っても居られない思い段だろうと想像する。居ても立ってもいられないから、乃南アサさんはこの本を書いた。

窮屈な避難所や仮設住宅で、互いに傷を抱え、疲れ果てながら、ひたすら肩を寄せ合って暮らす人たち。気力を失い、夢も希望も抱けずにいるかも知れない人たちが、ほんの少しでも「現実」から頭を切り離した時間を過ごせれば、その分だけ少しでも心を休ませることができるかも知れない。そんな思いから、書かれたのがこの本と言うことです。

しかも昔話なら、年齢性別問わず、時と場所を選ばずに読み始められる。事実、私はこの本をそうやって読んだ。時と場所を選ばずにね。本当は、どこか“大人の昔話うっふ~ん”を期待しているところもあったんだけど、逆にそれだと、それなりの時と場所が必要になってしまう。それはそれとして、他のなにかに託して、この本に求める必要はない。

この本で乃南アサさんは、昔話を新しい読み物にした。ある意味では新たなジャンルを切り開いたことにもなる。元から、面白いからこそ語り継がれた話。作家がその話をさらに展開したら、・・・そりゃ、面白くないはずがない。

たとえば、さるかに合戦は、元から奇想天外な話だった。そして、悪い猿をやっつけて死んだ蟹さんの恨みを晴らした一党は、自分たちにはそれができることを実証した。

そして次の相手は、狸の女房を手込めにし、首をつった女房を見て飛び出していった亭主も殺し、その娘を妾にしようとしているむじなどんらしい。一党は、仕事人になったらしい。


テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『志に死す』 人情時代小説傑作選

熱がある。・・・いや、あった。

25日に不調に陥って、その日の夕方からは熱が出た。26日には熱が高くなって、昨日27日が一番ひどかった。熱のある中で自治会の仕事をこなして、早く寝た。夕べはずいぶん汗をかいた。夜の間に2度着替えをした。今日28日はだいぶ楽になった。

ずっと家にいたので、本屋とスーパーマーケットに行きたいのだが、時節柄、控えた方がいいだろうか。ほんの四日ほどのことでそう思うくらいだから、豪華客船の客室に長く居なければならなかった人は、さぞ大変だったろう。

さて、どうしたものか。

歴史物が好き。時代物が好き。

時代小説・歴史小説が好きだな。最初、この二つの区別がよく分かっていなかったんだけど、歴史小説は歴史上実在した人物を用いて、ほぼ史実に基づいて書かれる。もちろん、それを前提として作家のその時代や人物への思いが語られることになる。

これに対して時代小説は、架空の人物が創造され、または実在の人物であっても史実に拘束されずに、面白さを前提として話が展開する。

もう、洋の東西は問わない。ただ、歴史考証がいい加減で、あまりにも荒唐無稽になると、まったく興味を持つことが出来ない。せめてその時代の人の生き方、心の持ち方はしっかり踏襲して欲しい。最低でも、その物語で他国を誹謗中傷するような、“中国”や韓国の時代小説は、ぜひ勘弁してもらいたいと思う。

歴史小説にせよ、時代小説にせよ、その時代の人間の生き方が書かれているのがいい。例えば、この『志に死す』は、いずれも江戸時代の庶民や上・下級武士の死生観が描かれている。そこから学ぶことが出来るものは、とても大きい。


『志に死す』    人情時代小説傑作選


新潮文庫  ¥ 572

“男の死"をテーマに、傑作短編5編を集めた、涙の時代小説アンソロジー
藤沢周平「木綿触れ」
笹沢左保「生国は地獄にござんす」
菊池寛「敵討順逆かまわず」
山本周五郎「城中の霜」
池波正太郎「看板」



編者は縄田一男さん。

文芸評論家でアンソロジスト。時代小説・歴史小説に造詣が深く、『時代小説の読みどころ』で中村星湖文学賞、、『捕物帳の系譜』で大衆文学研究賞を受賞している。まあ、面白い時代小説・歴史小説の面白さを世間に広めることが、この人の仕事だな。

この短編集だって、そんな縄田さんならでは。なにしろ、藤沢周平、笹沢佐保、菊池寛、山本周五郎、池波正太郎ですよ。いまさら紹介されるまでもない人ばかり。・・・そう思うでしょ。だけど、ここの紹介されている短編、読んだことのあるものは一つもない。読んだことあるものは一つもないのに、やっぱり藤沢周平の話だし、菊池寛だし、山本周五郎の話なんです。

なにしろ、笹沢佐保は木枯らし紋次郎だし、池波正太郎は鬼平犯科帳なんだからね。

全部で215ページの一冊で、私は読むのが速いわけではないが、一話読み終わるのに30分とかからない。電車に乗るときに持って幾本としては最適だな。実は先日、大阪に行くときに持って行った中の一冊なんだけど、暇そうにしている連れ合いにこれを貸して、私は違うものを読んだ。まずは池袋に向かう東上線の中で、連れ合いは最初の二話を読み終えていた。

この本、『志に死す』は、“死”に対峙した男の覚悟を一つのテーマとして、時代小説のプロが選び抜いた話。実は今回、時代小説のプロは男の覚悟と同時に女の覚悟の短編集も出している。女の覚悟は“生”を貫こうとするときに決まる。題名は、『絆を紡ぐ」。手元にあるが、今はしばらく、『志に死す』の余韻に浸りたい。


藤沢周平「木綿触れ」
最愛の妻を不可解な自死に追い込んだ真実を知ったとき、夫はある決意をする。
笹沢左保「生国は地獄にござんす」
家族に捨てられ島流しにされてなお、故郷へ戻ろうとする渡世人の悲願。
菊池寛
「男に二言なし」の言葉通りに、決して破らなれかった武士の固い約束。
山本周五郎「城中の霜」
安政の大獄、罪なき罪で斬られんとした志士の、最期の背中が語った本当の意味とは。
池波正太郎「看板」
盗みには盗みの流儀がある。道を外れた部下の過ちに、党首は潔く引退を覚悟するが……。


テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

ありがとうございました



「《めんどくせぇことばかり》は、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。」
よくお越し下さいました

イーグルス16

Author:イーグルス16

息も絶え絶えです、ぜひ応援してください


極北の自然に見せられた写真家の旅を一冊に! 
大切なことは出発することだった
カウンター
カテゴリ
こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本
























































































検索フォーム
RSSリンクの表示
最新記事