めんどくせぇことばかり 本 小説
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『作ってあげたい小江戸ごはん』 高橋由太

日本の物語には、ある一定の型がある。

おつうは反物を織り上げてよひょうを富ませるが、よひょうに裏切られて、そのもとを去って行く。

男に羽衣を奪われた天女は、その男の妻となり男を富ませるが、ようやく隠された羽衣を見つけて、男のもとを去って行く。

なんだか、そんな話を思い出しちゃった。

苦手な厚焼き玉子をきっかけにレストランを首になる。実家の食堂をを一人で背負ってきた父親が倒れる。実家の食堂を継ぐことになるが、父の味に慣れた常連からそっぽを向かれる。

頭のどこかに、ダメかも知れないと言う思いがよぎる。

そんなときだった。父の見舞いに出かけたのはいいが、なんだか気後れして足が向かず、病院のすぐそばにある的場たぬき山公園で時を過ごす。生い茂る木々に囲まれたたぬきの置物があり、思わずお土産の、ゆで卵の紙袋をおいて手を合わせる。ふとわれに返れば、食堂の、夕方の開店時間が迫っている。さて帰ろうと思ったところ、脇に置いたはずのゆで卵の紙袋がない。袋ごときれいになくなっている。周囲を見渡してもない。首をひねりつつも、さして気に留めることもなく食堂に戻る。

どこか時代がかったバカ丁寧な言葉遣いで、二十歳ぐらいの年格好、丸顔で長い髪の、小柄な女性が食堂を訪ねてきたのは、その翌日のことだった。




角川文庫  ¥ 660

不思議な二人が切り盛りするこの店は、心も体も軽くなる、ほっこり定食屋さん物語
第一話 霜降月の泡雪ーつんつん玉子
第二話 六出花の朝ーつるつる豆腐
第三話 探梅行ーほっこり山おやつ
第四話 梅擬ーじゃない尽くし
第五話 寒卵ーおもいで厚焼き玉子


“小江戸”と呼ばれる町が、各地にある。

関東だと、栃木県栃木市、千葉県佐原市、佐原市は今、合併で香取市になってるのか。それから埼玉県川越市。他にもあるんだろうけど、このあたりしか出てこない。

私の住む東松山市から川越までは、電車で20分、車で30分。遊びに行きやすい場所で、子どもが小さい頃には良く行った。今も娘の夫婦は川越に住んでいる。

なにしろ江戸時代、川越城は親藩、譜代の大名の居城となり、その多くは大老や老中、側用人など幕政を担う重臣ばかりだった。今も目を引き蔵造りの町並みは、明治地雷の大火ののち、火災に強い町作りを進める中で今につながることになった。

須佐之男命を主祭神とし、以下、脚摩乳命と 手摩乳命、奇稲田姫命と大己貴命と、どうみても出雲系としか言えない神々を祀る氷川神社から、歩いて10分ほどのところに食堂はある。商店街の一角ではあるが、駅から遠いこともあり観光客が訪れる店ではない。

うどん380円、たぬきうどん450円、コロッケ定食450円、鮭の塩焼き定食580円、カレーライス580円、豚肉の生姜焼き680円、カツ丼880円、ミックスフライ定食980円。

最高だな、こんな店。ちょっと、本当にはないかな。これじゃあ、やっていけないだろうね。そんな店に、ある日突然、雇ってくれと見知らぬ若い女がやってくる。

この女、「た*き」と名乗る。「えっ?たまき?」と聞き直したことで、“たまき”と呼ぶことになる。たまきは不思議と、人のふところに、ふっと寄り添ってくるところがある。場合によっては、“無神経”と攻められるようなことも、相手がたまきだと、なぜか受け入れてしまう。

そしてその結果、なぜか、あきらめていたことを、頑張ってみることになる。結果はどうあれ、やってみようかと。そう思いきってみれば、そこは父が長く苦労してきた人情商店街。江戸時代から続く、商人の街。

たぬき食堂の新たな主となった大地に、そんなきっかけを与えてくれた“たまき”には、隠しておかなきゃならない謎がある。だけど、慌てふためくと、ついついあれを出してしまう。

それを大地は、見たことがあるような、ないような。


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『国道食堂』 小路幸也

ニュースを見れば、訳の分からない犯罪に手を染める輩が後を絶たない。

最近は、恥ずかしい犯罪が目につくような気がする。そんなニュースを知ると、「こんなことをやって・・・。その時、家族の顔を思い浮かべなかったんかな」と、私は思ってしまう。そして、つくづく思う。「ああ、今はもう、家族が歯止めになる時代じゃなくなったんだ」って。

頭のいい人たち(大変語弊のある言い方だけど、これでお分かり下さい)が、戦後の日本をそう作りかえたんだ。自分たちがのびのびと生きられるようにと。だけどそれは、生活にゆとりがあればこそのことで、そうでない者にとっては、孤立無援で暗闇に立っているようなもの。

それを鵜の目鷹の目で狙ってる輩は多いだろうけど、腹をへらした困ったときに、“国道食堂”にたどりつけるのはわずか。

犯罪に走る輩の多くが、“無職”と報道される。それでも大半の奴は、そこで一踏ん張りするんだ。その時、家族とか、親戚とか、仕事仲間とか、そういうしがらみを持っている奴は、その踏ん張りが効くんだ。それがない奴ほど、越えちゃいけない境界線を、たやすく越えて行ってしまう。

日本に入ってくる外国人労働者を増やしてはいけないという意見の根拠として、外国人による犯罪が増えるという話があった。そういう奴もいるだろう。実際、外国人による犯罪も起こっている。

だけど、しっかり仕事をしている外国人が犯罪を起こしているわけじゃない。その多くは、不法入国、不法滞在外国人。犯罪を犯せば送り返されちゃうんだから、日本に仕事をしに来て犯罪に走るのはまずいない。目的を持ってるから我慢も効く。一生懸命やるから能力も上がる。のほほんとしてりゃ、日本人が外国人に使われるようになる。

外国人にしろ日本人にしろ、犯罪に手を染めるのは、仕事のない奴だ。実は仕事っていうのは、面白い仕事がいくらでもあるんだけど、それが世の中に知られていない場合が多い。そういう意味合いで、職業教育って本当に大事だと思う。

英語教育に血道をあげるより、そっちの方がよっぽど大事だと思う。

賑やかな町を離れ、国道沿いにある通称「国道食堂」。

ドライブインというより、大衆食堂という感じだからか、そう呼ばれている。おまけに、店の中には、リングがある。そう、プロレスで使うヤツ。なぜかというと、店主が元プロレスラーだからだ。

この店の食事は、どれも旨くて美味しい。だからか、近隣だけでなく、遠くからも客が来る。その中には、ちょっとワケありな客も……。


『行動食堂』    小路幸也


徳間書店  ¥ 1,870

賑やかな町を離れ国道沿いにある国道食堂。なぜか、店の中にはリングがある
二方将一 三十三歳 配置薬ルート営業マン
本橋十一 五十七歳 国道食堂店主 元プロレスラー
二階堂浩 四十二歳 巡査部長 小田原警察署 皆柄下錦織駐在所
高菜祐希 三十二歳 株式会社ミコー 第三営業部係長
二方将二 二十八歳 マンキュラスホテル東京 料飲部レストラン蒼天ホール
山田久一 五十九歳 トラックドライバー
篠塚洋人 三十八歳 株式会社ニッタ 機器オペレーター
友田金一 七十五歳 国道食堂従業員
地崎裕  二十二歳 大学生
久田充朗 五十七歳 私立高校体育教師
野中空  十八歳  治畑市立東第一高等学校三年
見村豪  五十五歳 元スタジオミュージシャン ライブハウス経営者
橋本卓也 三十一歳 トランスポーター
蓑原顕司 六十七歳 俳優
本橋十一 五十七歳 国道食堂店主 元プロレスラー




実はこの物語、その“仕事”っていうのが、一つの大きなテーマになっている。

上の目次、・・・面白いでしょう。人の名前が並んでいる。そして、年齢と職業が添えられている。それぞれの項目は、そこにある名前の人の語りで進行することになるんだ。その中で、その人の人となり、これまで歩んできた道のり、その職業がどんなものであって自分がどう取り組んでいるかってことが、語られていく。

作家の小路幸也さんは、それぞれの職業について、本当によく調べていて、その仕事に絡んでその人の人となりが、はっきりとした姿で浮かび上がってくる。

“1st seazon”とあるから、次回作も期待していいんだろうか。

この“1st seazon”は、最初に名前の登場する二方将一の、新たな挑戦を縦糸にして話が進められる。彼はかつて、高校生の時の話だが、俳優になりたいと、おぼろげながら考えたことがあった。どうにもならない事情でそれを断念した彼だったが、国道食堂店主本橋十一との出会いを通して、その店にあるリングに上がることを思い立った。一人芝居の役者として。

リングに上がる階段に向かうと、二方はすでに自分の演じる人物になりきっている。周囲にも、それが明確に感じられる。彼はそういう、希有な才能の持ち主だった。

この物語には、14人の主役が登場する。そしてその項目の始まりと共に、彼は語り始める。まるで、二方が自分の演ずべき人物になりきっているかのように、作家の小路幸也さんが、その14人を演じているようにも思える。

どんな仕事でもそうだろうけど、良いときもあれば、悪いときもある。その仕事に関する世の中の認識も、長い間には変わってしまうこともある。

私は高校教師だったけど、仕事に就いた1980年代と今では、本当に大きく変わった。トラックドライバーの仕事も変わったという話がこの本にも出てきたけど、私の仕事の変化も大きかった。

ある時期から仕事がマニュアル化されるようになって、これには最後までなじめなかった。それでも生徒や親の、教師に対する認識が大きく変わってきたので、教師が一人の人間として生徒に向き合うのは、絶対必要であるにもかかわらず、時には危険も伴うケースになってしまった。

何度か揚げ足を取られた。すべて問題化させずに処理できたが、危なかった。弱者に、彼らだけが使える最強のカードを持たせてしまったんだから、この問題はおそらく解決はできない。マニュアルに従って、“隙を見せない”、“関わらない”ってことだけが、唯一の対策だ。

それでもなんとか、職業教育だけは実現して欲しいもんだな。



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『抵抗都市』 佐々木譲

永代通りがロジェストヴィンスキー通り、日比谷通りがクロパトキン通りか。

『抵抗都市』の言う“都市”とは、東京。

どうやら日本は、日露戦争に負けたようだ。あの、世界最強の陸軍と言われたロシア軍を、大日本帝国陸軍は、押し戻すことができなかったと言うことだな。乃木希典大将はクロパトキンの軍門に降り、ロジェストヴィンスキー率いるバルチック艦隊に敗れたとすれば、あの東郷平八郎のことだ、ロジェストヴィンスキーのように生き長らえず、旗艦三笠と共に海に沈んだんだろう。

この本は、そういった日露戦争の顛末を語るものではない。とにかく、日本は負けたと言うことだ。

しかし、当時の日本人が考えていた、最悪の状況ではないらしい。とにかく、日本という国がある。残っている。皇室も保持されている。「講話に関して揉めた」とある。ポーツマス条約のことだろうか。その講話で、戦争に負けた日本は、ロシアの保護国になったようだ。属国という者もいるという。

しかし、名義上は同盟国。皇室とロマノフ朝による二帝同盟と呼ばれるらしい。しかし、日本には外交権と軍事権がない。東京には日本統監府が置かれ、ロシア政府から派遣された日本統監が赴任する。

日本の外交権と軍事権を握るのが統監。それは外務大臣、防衛大臣という立場とは訳が違う。日本の外交と軍事において、日本政府に命令する立場にある。

この本を読みつつ、頭に思い浮かべていたのは、伊藤博文よりも寺内正毅。伊藤博文では政治色が強く出過ぎる。やはり軍人の寺内正毅の方がイメージに合う。

もしも朝鮮統監寺内正毅が、朝鮮人活動家に殺されるようなことがあったら・・・。


『抵抗都市』    佐々木譲


集英社  ¥ 2,200

警察小説の旗手たる著者が、魂を込めて描いた、圧巻の歴史改変警察小説。
ロシア統治下の東京で、身元不明の変死体が発見された。警視庁刑事課の特務巡査・新堂は、西神田署の巡査部長・多和田と組んで捜査を開始する。だがその矢先、警視総監直属の高等警察と、ロシア統監府保安課の介入を受ける。そして、死体の背後に、国を揺るがす陰謀が潜んでいることを知る―。


今はない万世橋駅前の、三角形の広場には、日露戦争における日ロ双方の海軍軍人たちの優先ぶりを称える銅像が建っている。銅像は、帝国海軍の広瀬中佐、杉野兵曹長、そしてロシア帝国海軍のセルゲーエフ大尉、クードレウィチ少尉の4人で、みな、旅順工をめぐる海戦で戦死した。4人は背中合わせで輪を作るように立っており、その姿は共通の危難に立ち向かっているように見える。

ロシア、そして日本の上層部は、日ロは日露戦争という両国にとっての危機を乗り越え、“同盟”という新たな関係を結んで未来に向かうという筋書きを、日本人に飲み込ませようとしていた。

実際、それを進んで飲み込んだ者も多く、講和後に生まれた子どもたちの中には、ロシア人にも通じる名をつけられたものも増えてきているという。

さて、そんな中、国を運営できなかった朝鮮が保護国化されたのとは違う。ロシアの傲慢を満州で阻止しようとして、日本が負けたと言うだけのことだ。戦争で多くの隣人が死んだのも、そのためだ。

著者の佐々木譲さんは、主役の警視庁捜査係で日露戦争に従軍した新藤に、「放っておけば日本の存立が危ないと言われても、結局最後まで、自分は祖国を守るために戦ったのだと言う意識を持つことができなかった」と言わせている。

いろいろな立場があったろう。しかし、どんな立場があっても、日本がロシアに支配されることを受け入れるのは、あまりにも難しい。それでも、戦場でロシア陸軍の圧倒的な強さを見せつけられた新藤には、その惨劇が東京で繰り返させるわけにはいかない。

第一次世界大戦が始まっている。

ロシアは、この戦争を、途中で離脱することになる。革命が発生するからだ。『抵抗都市』の話は、その直前のことになる。ヨーロッパの戦場で追い詰められつつあるロシアが、日本軍の派兵を求めた。

“お願い”ではない。“命令”である。

派兵反対市民大会が呼びかけられる。それが大きなうねりとなり、日本警察の手で抑えきれなくなれば軍が出る。警察や軍によって、日本人が殺傷されることにでもなれば、うねりはもっと大きなものになる可能性がある。ロシア軍が戒厳令を敷けば、・・・

日本から、日本語も、皇室もなくなるかも知れない。

さらに、それに合わせて、統監殺害計画が進行していた。

佐々木譲さんは、なぜこんな話を書こうと思ったんだろう。今の日本のあり方に、かなり危機を感じていると言うことだろうか。ロシアが“中国”に置き換えられるかも知れないけどね。



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ジャンル : 本・雑誌

『まずはこれを食べて』 原田ひ香

緊急事態でステイホームが続き、解除にはなったものの、地元自治体の「しばらく来ないで」って言うお願いが解除にならない。

遊びに行くのに公共交通機関を使って“密”を作るわけにも行かない。私は平日登山なんだから、問題は少ないが、働いてる人に悪い気がする。だから、車で行きたいところなんだけど、自治体が駐車場を閉じている。どうも、5月中は無理なようだ。

そんなわけで、連れ合いと二人の生活が、変化もなく続く。仕事を辞めてから、朝と昼の食事は、私が担当することになった。「今日は何にしよう」と考えるのが主婦の負担の一つと聞くが、私は何が負担なのか分からない。あれも作りたいし、これも作りたい。

今、スーパーが混んでいる。対応で誠実さが分かる。ロピアという独特の商法のスーパーによく通ったが、4月になってスーパーの“密”が問題になって、他店が対応策を打ち出しているのに、さらに集客を呼びかけた。その直前に行ったとき、見事に“3密”な上、レジの行列が30分を超えた。以来、一度も行ってない。

午後1時~2時くらいの時間がいいらしい。もっとも客足が遠ざかる時間帯のようで、それを教えてくれるスーパーもある。その時間帯に農産物直売所に行って、大根を買ってきた。立派な葉っぱのついた大根で、とりあえず湯がいておいた。だけど、あんまり立派すぎて、なかなか減らない。

今朝、刻んで油炒めにしてご飯に混ぜて食べたが、それも残ってしまった。というわけで、今日のお昼は大根葉の油炒めのおにぎり。油炒めのさらに細かく刻んで、天かすを混ぜようと冷蔵庫を開けると、ちょっとだけ使った永谷園のお茶漬けがある。えい、こいつも混ぜてしまえ。それに、鰯のつみれ汁。つみれは出来合いのもの。充実したお昼であった。

表紙だけで購入してしまった。

目玉焼きをご飯にのっけて、しょうゆを垂らしてある。「私なら、もうひと加減、目玉に火を入れたいところだ。まったく!」などと購入してしまった。もう、料理の本だろう。レシピ本だろうと疑いもせず、ペラペラページをめくって、ビックリ。料理に関係するものではあったけど、レシピぼんじゃない。料理エッセイ?・・・エッセイでもない。目次を見ると、第一話から第六話、さらにはエピローグ?

どうやら、小説のようだ。一貫した物語をもった短編集だな。・・・まてよ、作者は?“原田ひ香”さん?

原田ひ香さんの本は読んでた。しかも、ほぼ半年前の昨年12月3日に、ブログで紹介してた。




双葉社  ¥ 1,540

家政婦の筧みのりは、無愛想ではあるが、いつも心がほっとする料理を作ってくれる
第一話 その魔女はリンゴとともにやってきた
第二話 ポパイじゃなくてもおいしいスープ
第三話 石田三成が昆布茶を淹れたら
第四話 涙の後でラーメンを食べたものでなければ
第五話 目玉焼きはソースか醤油か
第六話 筧みのりの午餐会
エピローグ 


ったく、このブログは本の紹介を通していろいろな思うところを書かせてもらってるのに、私は誰が書いたかってことに、本当に無頓着。まったく、お恥ずかしい。

原田ひ香さんの本で前に読んだのは、『ランチ酒 おかわり日和』という本だった。主人公の女性の生き方に共感できない部分があって、全体として心を動かされるには至らなかった。

それにしても、その『ランチ酒 おかわり日和』とこの本は、一貫した物語をもった短編集という意味で、作りが一緒。それからもう一つ、前は“深夜、依頼人の家に赴いて一緒に過ごす「見守り屋」”という奇妙な職業だった。仕事が仕事だけに、客にも癖があって、癖のある客との関わりで、主人公も影響を受けていくという設定がおもしろかった。

今回は職業自体は奇異というわけではないが、学生時代の友人たちが一緒に起業して、30歳になろうというところで、半ば成功を手にしつつあるという設定である。今回も、仕事が一つのテーマになっている。そして、年齢から行っても、もう一つの隠された事情から言っても、彼らは明らかに微妙なところに来ているんだな。そこに、会社専属の、一人の家政婦がやってくる。

家政婦の作る料理は、学生時代の友人たちが一緒に起業して、30歳になろうというところで、半ば成功を手にしつつあるという微妙なところに来ている若者たちの、微妙な部分に触れていく。そして、少しずつわだかまりを解かしていく。

第一話から第四話までは、そのまま短編として読める物語になっている。第五話で、突然、それまで若者たちのわだかまりを解かす存在であった家政婦の話しにつながっていく。

それが若者たちの抱く、隠されたもう一つの事情と絡み合って、終章に進む。そこで、若者たちは決心する。過去の自分を乗り越えようと。

大事にしている大学時代の思い出が、私にもある。そのまま友人たちで起業して・・・、なんて言うことになっていたらどうだったろう。うまく行くことはなかったろうな。個性が強烈すぎて。青春の尻尾って、オタマジャクシじゃないけど、早く切った方がいい。

そうだ。そのころから一人だけ、今も一緒に暮らしている人はいるんだ。



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ジャンル : 本・雑誌

『蛍の唄』 早乙女勝元

もとは、早乙女勝元さんの書いた『戦争と青春』という小説だそうだ。

それを、同じ名前で早乙女さん自身か脚本化して、1991年に映画化したんだそうだ。文庫になったのは、ずいぶん遅れて、2016年のことだという。

物語の舞台は、戦後45年目の下町ということになる。高校2年生の花房ゆかりは夏休みの課題、《身近な人たちの戦争体験》をまとめるために奔走していた。彼女が取り組んだのは、今は認知症の進行しつつある伯母の、東京大空襲の時の体験を調べること。もっぱら取材の対象は、その時一緒に行動していた伯母の弟であるゆかりの父になるが、なぜか父は、それを語りたがらない。

思い過去が隠されていたわけだな。映画化に当たっては、工藤夕貴が現代っ子のゆかりと若き日の伯母花房咲子の二役を務めたそうだ。さぞ可愛らしかったことだろう。

戦後45年目といえば1990年、私は30歳で歴史の教員、高校生に同じような課題を出す立場にあった。伯母の咲子さんは65歳か。・・・実は、私の連れ合いの両親は、義父も義母も、あの3月10日を逃げ惑い、生き残った人だった。物語の中の咲子さんよりも義父は2歳、義母は1歳下と言うだけの同年配だった。

義父は何度か話をしてくれた。橋を渡って逃げようとすると、人に死体が山のようになってるんだって。それを踏んづけて、手でかい分けて進んだって。だけど火に巻かれて、もうダメかというところで、清澄庭園の池に飛び込んで難を逃れたって。

義母は最後まで話してくれなかった。何度目か、聞いたとき、「歴史の先生だから話してやりたいけど、思い出そうとしただけで、あの時の匂いが、本当に鼻の奥に残っているようで、気持ち悪くて立っていられなくなるの。ごめんなさいね」と言われた。

焼夷弾の油の匂い、火事の匂い、なにより人が焼けていく匂い。・・・それきり、義母に聞くのはあきらめた。

そうだ。1990年なら、終戦前に人格形成を終えていた人たちも、まだ生きてたんだ。今は2020年、あれからさらに30年も経ってしまった。1990年ですら、「昔むかしその昔」、「大昔のことだよ、時代モノ」、「時代モノと言ったら、まるでチョンまげよ」とゆかりの友人たちが言っている。ゆかりはじめ、その友人たちも、取材を進めるうちに、それが“今”を生きている人の人生の一コマであったことに気づいていく。

今はどうだろう。義父も、義母も、もう何年も前に亡くなった。




『蛍の唄』    早乙女勝元


新潮文庫  ¥ 時価

昭和20年3月10日、炎の中で何があったのか。思い過去を背負い続けた父は
第一章 蛍こいの唄
第二章 勇太の回想
第三章 謎は火中にあり
第四章 三月十日のこと(勇太の手記)
第五章 チマ・チョゴリの人


30年近く前に書かれたものだけど、この文庫版に早乙女勝元さんが“あとがき”をつけたのは2015年11月。

《「いつか来た道」と重なるこんにちの不穏な状況》とは、いったい何をさして言っていることであるのか。

早乙女さんが書いたこの物語は、いくつもの対照が行なわれて物語が進行していく。いくつもの対照が行なわれて、二つに分けられていく。早乙女さんたちの側と、そうではない側。

幼いときに小児麻痺を患い右足が不自由になった末ちゃんのお母さんと、隣組長の黒川金次。

戦闘帽を目深にかぶって身体の弱い子どもをなじる教師と、負けるが勝ちと励ましてくれる温和な教師。

微笑ましい姉とその思う人の様子と、姉と歩いていた兄をわけも聞かずに殴った上官。

兄の戦死の弔問に、戦死は名誉という隣組長と、親身になってやりとりを交わす姉の思い人。

女は人間としての権利がゼロ日かかった昔と、今。

夕張炭鉱と朝鮮人徴用工。

小林多喜二と特高。

憲兵隊と非国民。

天皇制軍国主義と、中国人。

日本と、日本の植民地だった朝鮮。

朝鮮人を半島人と呼んで差別する戦時中の日本人と、チマチョゴリを着て歩く在日の娘たちに見とれてしまった現代に生きているゆかり。

人にはそれぞれ、複雑な事情ってものがあるから、そうきれいに分けちゃうと、物語が嘘っぽくなる。分けたくなるけど、本当は分けられない。そこに物語が生まれる。・・・はずなんだけどなぁ。

ゆかりの父、伯母の咲子と3月10日を逃げまわった父は、“暗黒の時代”と言い切る。早乙女さんは12歳で東京大空襲に遭ってるけど、12歳までの早乙女さんは、やはり同じように“暗黒の12年間”を過ごしたのか。

東京大空襲を題材にしながら、早乙女さんが攻めるのは、米軍だったり、カーチス・ルメイだったりするわけではなく、その矛先はひたすら“天皇制軍国主義”とやらに向けられている。

「一般市民への無差別爆撃は、日中戦争の初期に日本軍が先にやっているということも忘れちゃいけないことなんだね。すべて天皇制軍国主義の責任だが、たとえば中国の重慶なんていう町は、日本軍により200回以上も爆撃されて、散々な目に遭っている」と、東京大空襲という民間人大量虐殺という世紀の戦争犯罪を、重慶爆撃を持ち出して相対化してしまっている。

だいたい重慶の責任なら、日本よりも蒋介石に取らせるべき問題だ。それに、ここで持ち出すなら、銃後を直接攻撃するというやり方はアメリカがインディアンを絶滅させたときに使った手であったことの方がふさわしい。

戦後75年、この物語からでも30年近く、早乙女勝元さんの中では何も変わってないのかな。・・・それが不思議。




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『鉄の楽園』 楡周平

閉塞感という言葉がある。

今の日本社会に閉塞感を感じている人は、ずいぶんたくさんいるだろう。逆は開放感という言葉になるか。いや、閉じ込められているわけではない。閉じ込められているなら、閉じ込めている何者かを標的にすればいい。閉じ込められているわけではないのに、気持ちが晴れ晴れとせず、心が塞がりがちなのだ。

少子高齢化。経済成長を続ける“中国”はじめアジア諸国の活気から取り残されて、消費が伸びず低迷する経済。東京一極集中はますます進み、空洞化する地方。そのいずれもが、現実に、まさに私の目に見えていることだ。

たかだか50軒足らずの自治会で、この1年で3軒が空き家になった。いずれも高齢の方のお宅だが、亡くなるか、子どもに引き取られて去って行った。最近はやりの商法は、住宅にしろ、車にしろ、いいものを得るためにお金を使わせるのではなく、お金を使わない方法を模索したものばかりだ。山から下りてくる途中、最初に目にするのは、人の住まなくなった寂しい集落だ。

抜け出す道もない。これで閉塞感を持たないのはまれに見る成功者か、よっぽどの変わり者か。どちらにしても、ろくなもんじゃない。

でも、意外と簡単に、この閉塞感から解放される道もある。ないようである。

歳を取ることを由とする。よく働いた手を由とする。顔や手のしわに刻まれた年月を由とする。なんとか食べていけるだけのものがあることを由とする。次の世代に受け継がれていくことを由とする。テレビから流れてくるコマーシャルとは逆のことを由とする。

今の世が気にくわないといっても無駄だから、せめてこれから死ぬまでの間の生き様で表現しようと決意する。意外と簡単なことなんだけど、配偶者には、きっと反対される。

さて、楡周平さんの『鉄の楽園』という本。楡周平さんを追いかけているわけじゃないんだけど、ちょっと前にも一冊読んでる。『和僑』という本。その前にも『プラチナタウン』って本を読んでる。


『鉄の楽園』    楡周平


新潮社  ¥ 1,980

R国の高速鉄道受注に向け、中国の莫大な資金力に劣勢を強いられる日本企業
再生の鍵は「ソフトパワー×専門職大学」日本流観光列車で中国から覇権を奪還せよ! 東南アジアのR国の高速鉄道建設に向け、中国と熾烈な受注競争を繰り広げる四葉商事。一方、経営破綻寸前の海東学園に突如、中国企業への身売り話が舞い込む。打倒中国――。四葉と海東の想いは合致し、経産省を巻き込んだ世界初・鉄道専門大学の実現に向け奔走するのだが……。鉄道産業を予見する、痛快経済エンタメ小説。



これはたまたまなんだけど、『プラチナタウン』と『和僑』はいずれも閉塞感の中にある地方都市の再生をテーマにしたもの。『和僑』は『プラチナタウン』の続編というような立場の本だからテーマが重なるのは当然なんだけど、『鉄の楽園』もまた、地方都市の再生というテーマに日本経済の再生をつけ加えれば、同じ枠の中に当てはまる。

鉄は鉄道の鉄。一つの舞台は北海道、太平洋を臨む町にある鉄道専門学校。かつては多くの人材を輩出した学校も、地方経済の不振によるローカル線の廃線や少子化による定員割れで、経営難にあえいでいた。そんな中、リゾート開発をもくろむ“中国”企業による学校買収の話が持ち上がる。メインバンクである北海銀行は、経営者の相川隆明に即時売却を進める。隆明は、相川家長女千里の夫であった。

もう一つの舞台は、商社の中でも日本最大手の一つ四葉商事。折しも、東南アジアはR国の高速鉄道建設にかかわる“中国”と受注競争が行なわれていた。それに関わる若手社員の一人に相川翔平がいた。彼は学校経営を受け継ぐことを強く求める父に反発し家を出た。そのまま勘当の身となっていた。

“中国”の金満攻勢に劣勢が続く受注競争に、一筋の光明が差し込んだ。R国の王族の血を引き、国の将来を憂え、教育に力を注いで多くの尊敬を集めるキャサリン・チャンが次期首相選に意欲を見せているという。

先ほど、『和僑』のときに書いたブログを見直したら、《「都合のよすぎる話の展開」というなかれ。実際の人生も、けっこう都合よくできていることもある。》とある。

同じことを、もう一度言おう。ただし、その都合の良さというのは、求めなければ見つからないものだ。見つけたければ、求めることが必要だ。

最後に、《経済再生》と言われるが、一帯どの時点に再生しようとするのだろう。その時が良くて、今が悪いという根拠はなんだ。

一昨年の3月下旬、すでに桜が咲き始めていた頃、孫を連れて埼玉県の熊谷から長瀞まで、汽車に乗っていった。車窓から、鉄道沿いの様々なところに鉄男や鉄子が群がっていた。春の日差しの中で、彼らは喜びに輝いて見えた。





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『新 青春の門 第九部 漂流篇』 五木寛之

参った小説だったんだ。・・・私にとってね。

そう感じている人間は、決して少なくないと思うよ。1960年生まれだから、第一部の『筑豊篇』が単行本で出た1970年は10歳だ。もちろん10歳では読んでない。だけど、高校生の兄は読んだようだ。家にこの本があったんだ。私が何歳の時にその本が読んだのか、ちゃんと覚えているわけではないが、高校に入る前には、もう読んでいた。

そういうケースって、少なくないと思うんだよ。兄や姉、叔父や叔母が読んだ本が家に置いてあって、その本を読むにお似合いの歳よりも、だいぶ早い段階で読んでしまうってこと。しかも、歳は不似合いにもかかわらず興味関心の方向性が一致していたりすると、もうこれは参ってしまうわけだ。

私にとっては『青春の門』、それから漫画の『影狩り』だ。

『影狩り』は面白かった~。十兵衛と月光と日光の三人ね。日光が女に弱くてね。お約束のようにそういうシーンが出てくるわけだ。この『影狩り』にしろ、『青春の門』にしろ、完全に悪いことをしているような気分で読んでたからね。隠れてね。

歳相応の大学生になるまえに、すでに主人公の信介は“堕落篇”の中にあった。そして1980年、二十歳の時の『再起篇』までは追いかけるようにして読んでいた。この『再起篇』が第六部。

ずいぶん間をおいて、1993年に第七部の『挑戦篇』っていうのが出てるんだ。・・・33歳の時か。下の子が生まれた年か。記憶にない。おそらく読んでない。さらにずいぶん間をおいて、2016年に第八部『風雲篇』ってのが出てるんだ。・・・知らなかったな。そっちを知らない間に、この『漂流篇』を読んでしまった。

五木寛之さんだって、久しぶりに伊吹信介や牧織江のことを書いているんだろうけど、私は第六部『再起篇』以来の伊吹信介や牧織江のことを読んでいるわけだ。二十歳で読んでいた信介や織江を、今は59歳の私が読んでいる。

これはなんとも変な気分だ。



講談社  ¥ 1,980

シベリアで学びと思索の日々を送る信介、新しい歌を求めてチャレンジする織江
バイカル湖への道
シベリア無宿
差別のない世界
伝説のディレクター
オリエの涙
夜の酒場にて
新しい年に
シベリア出兵の幻
ロマノフ王朝の金塊
福岡への旅
オリエの告白
嵐の前夜
ルビヤンカの影
《二見情話》の夜
艶歌の竜
奇妙な報せ
二人きりの生活
川筋者の末裔
破綻から生まれたもの
暗黒の海から


話はまだ、1961年。

私の生まれた次の年だ。懐かしい時代が書かれていることになる。貧しい時代だけに、人々はいろいろな工夫をして生きていた。それらの工夫の中には、今の人が聞けば、驚くようなものも少なくない。

すでに高度経済成長が始まっている。経済成長によって豊かになるにつれ、生きていくためにやむを得ず行われていた工夫のいくつかは、誰も知らないうちに捨て去られていく。

ある意味じゃあ、難しい時代でもある。慣れ親しんだ懐かしい貧しさと、まばゆいばかりの豊かさが同居していた。

五木寛之さんも、この第九部『漂流篇』でそれを匂わせようとしたんじゃないかと思う。

バイカル湖のほとりの町まで漂流した信介は、雌伏の時を送っている。この『漂流篇』を通してそれは変わらない。織江は歌手を目指した。そのレコード業界に変化の兆しが現れる。その変化の兆しに、織江は深く関わることになる。織江が関わったレコード業界の変化の兆しに、実は信介も帰国して関わっていくことになりそうだ。

その変化の兆しは、貧しい時代と豊かな時代の狭間で動き始める。懐かしい時代と、まだ見ぬ時代の狭間で。

さてさて、私にとって『青春の門』は参った小説なんだ。しかし、かつて同じような年代だった信介は成長して私よりも年上になり、再び同じような年齢になったが、・・・。

私にとって参った小説だった『青春の門』は、そこで終わった。今、信介と織江はあの頃のまま。私は59歳になった。信介の母タエでも出てくるならまだしも、“参った小説”としての『青春の門』として付き合っていくのは無理だろう。

どんな付き合い方になるのか。それはこの『漂流篇』だけでは判断がつかない。




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『三体』 劉慈欣

自治会の仕事に、高齢の会員の方々に声をかけて、月に一度は集まって、体操したり、お茶会をしたり、なにがしかのレクリエーションを楽しんでもらえるように準備することがある。

自治会長になってから、隣近所の人たちに関心を向けることを、ようやく大事なことだと思えるようになってきた。・・・なんて言いながら、この高齢者向けの準備は、ほぼ全面的に連れ合いに任せてしまってるんだけど。

そんな取組の一環として、連れ合いが地元のボランティア団体に大正琴の演奏の鑑賞会を企画した。そんな話を聞いた時、最初に頭にあったのは、お琴の演奏にあるように、自治会館の座敷、上の方に斜に置かれたお琴の向こうに着物の女性が座り、演奏している姿だった。下座には隣近所の高齢者が座ってうっとり鑑賞するというイメージだ。夫婦というのは頭の構造や程度も似てきてしまうもののようで、連れ合いの頭の中にもほぼ同様の様子が描かれていたようだ。

そんなイメージのままボランティアを依頼したところ、先方は快く引き受けてくださり、当日は演者10人で来ていただけることになった。・・・10人で。

その10人の方々に、本日の午前中に来ていただいた。会は10時に始まり、前半1時間が体操の時間、後半1時間が大正琴の時間。私は体操の途中でおいで頂く方々をお迎えする役割だった。いらして頂いたグループの方々は、今日集まっている自治会の方々同様のご高齢の方ばかり。

座卓に大正琴をおいて、プラグでアンプにつなげて演奏するもののようだ。しかも、事前に歌詞カードが配られて、私たち聞く側も一緒に歌を歌う。大正琴の演奏会っていうのはこういうものだった。もちろん大きな声で歌った。

私にとって異次元とも言える、この日の出来事だった。
この、『三体』という本は、次元がどうのこうのという話が出てくるんだが、そういう話が出てくる部分は、どうしても私には退屈で仕方がなかった。コンピューターのプログラミングがどうのこうのという話も同様で、それがために、この『三体』という本の面白みを、おそらく私は半分くらいしか味わえていないだろう。・・・おそらく。


『三体』    劉慈欣

早川書房  ¥ 2,090

三つの太陽を持つ異星を舞台にしたVRゲーム『三体』の驚くべき真実とは?
第一部  沈黙の春
第二部  三体
第三部  人類の落日


とっても壮大な話で、構想自体はきわめて興味深い。だから、かなり頻繁に現れる退屈な時間を我慢しながら、全体としての筋立ては楽しむことができた。

地球外知的生命体からのメッセージが送られてくる。かなり、忌々しいメッセージである。このメッセージに最初に接触したのは、葉文潔という女性科学者であった。葉文潔は、文化大革命の激しい内ゲバと壮絶な糾弾集会で、自らの尊敬する父親をなぶり殺されていた。

物語は、いきなり、その糾弾集会の場から始まる。その糾弾集会の忌々しさは、著者劉慈欣の小説家としての力を感じさせる。教え子が恩師を、子が親を糾弾集会の場に追い込むこの文化大革命と呼ばれる時代。物語の中では妻が夫を糾弾した。まさに狂気の時代であるが、1960年代後半から70年代前半を生きた中国人であれば、多かれ少なかれ、この狂気の時代をくぐり抜けた。

毛沢東が死んだからといって、容易にもとに戻れるものでもない。その後遺症は、まだまだこれから“中国”を苦しめることになるだろう。それが物語にも、色濃く反映されている。父をなぶり殺しにされた葉文潔は、人間の世の中に対して復讐を思いとどまることはなかった。それが、地球外知的生命体から送られてきた忌々しいメッセージと、忌々しく絡み合っていく。

文革が一段落ついた後、葉文潔は父に直接手を下した紅衛兵たちを呼び出した。当時、15歳ほどの小娘でしかなかった紅衛兵たちは、葉文潔が思っていたような、自分が過去にしでかした罪の重さに打ちひしがれた加害者たちではなかった。ここにもやはり、忌々しさがつきまとう。

この忌々しさこそが、重奏低音のように、物語全体をまとめ上げている。この『三体』は三部作の第一作で、重奏低音は最後まで鳴り止むことはないだろう。だから、この三部作の結末は、当然忌々しいものになる。

その結末に、文革の忌々しさにはとても耐えられない私は、耐えることができるだろうか。

ずい分前から、最新の科学知識が理解できないなんてことはもちろんのことながら、日常生活で目の前に登場する様々な機器さえ使いこなすことができないようになっている。

これまでのSF小説では、ここまで深刻に感じたことはなかったんだけど、この『三体』を読んで、危機感を新たにしている。今後は、SF小説を読むことが、退屈な長い時間になってしまうんだろうか。





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『龍の棲む家』 玄侑宗久

猫のミィミィが死んで、今週土曜日で一ヶ月経ちます。

最初の兆候は、水を器が空になっていることに気づくようになったことです。
「最近、よく水を飲んでない?」
「急に水ばかり飲むようになったら、危ないって聞いてるけど」
そんな会話をしてまもなく、食べる量が減りました。最初は餌にあきたのかと変えてみたり、さらに食が細くなったのでグレードを上げてみたり、今まで考えても見なかった缶詰などの餌を試してみたりしました。そしてそんなことをしているうちに、なんにも食べなくなってしまったんです。

でも、ミィミィは食べる量が減るようになってから、ひと月近く頑張ってくれました。今は、私たち夫婦が一番良く使っている部屋から、窓を開ければ見える場所に眠っています。

夫婦で最後まで看取ると覚悟を決めてからは落ち着きましたが、最初はミィミィの変調を受け入れられず、あたふたしました。死なれてみれば、これは食べないか、あれならどうかと買い集めた猫の餌が残されています。

仕方がないから、目につくものから処分して、あまり使いもしなかった猫タワーも分解しました。最後に残ったのが猫用のケージです。ミィミィはなにかあると、すぐこのケージの三階に逃げ込んでました。

そのケージを、山の道具置き場に使うことにしました。あちこちに点在した山道具をかき集め、猫ケージにまとめることにしました。けっこういい感じになりました。

そんな過程で、押入れだの天袋だのを引っ掻き回す中で、この本を発見しました。認知症になった父親の介護をテーマにした本です。玄侑宗久さんの、すっと心に入ってくるような文章が好きで買いましたが、介護をテーマにした本であることが分かって、身につまされて、読めなくなっていた本でした。


『龍の棲む家』    玄侑宗久

文春文庫  ¥ 時価

呆けた父と暮らすことになった幹夫は介護に詳しい佳代子と出会い、新しい世界を知る
父が痴呆症で徘徊をするようになった。ミサコという人を探しているらしい。記憶が断片になり、ある時は小学生、ある時は福祉課の課長にと次々変身する父に困惑する幹夫。だが介護のプロの佳代子に助けられ、やがて父に寄り添うようになり、ともに変化してゆく。無限の自由と人の絆を、美しい町を背景に描く。


身につまされたと言えば、お分かりですね。うちにも、龍がいたんです。

文庫が出たのは二〇一〇年です。二〇一〇年といえば、私たち夫婦は四人の親のうち三人までを見送っておりました。最後に残ったのが連れ合いの父親です。一四年前に連れ合いの母親が亡くなったときには、すでに認知症の症状が進んでいる状態でした。二〇一〇年といえば、どうにもならない所まで来て、私たち夫婦が追い詰められた思いになっている頃でした。

そんなわけで、押し入れの肥やしのような状態になっていましたが、そんなこの本も今なら読めそうです。連れ合いの父親は、一年半前に亡くなりました。

物語は、主人公の幹夫の父親が認知症が明らかになった頃から始まります。自由な立場の幹夫は、長男の哲也から父親の面倒を見ることを依頼され、それを受け入れます。父親は、時に徘徊をします。生き場所は決まって龍が淵公園。幹夫はただ黙って、その徘徊に付いていきます。そこで、二人は、一人の女声にめぐり逢います。それが、認知症患者の介護に詳しい、介護士経験のある佳代子でした。

幹夫は、父の認知症の症状の変化に戸惑います。それを佳代子が支える形で話が進みます。しかし、佳代子も、介護士としての過去に、大きな問題を抱えていました。

認知症の症状が、少しずつ進んでいく父親。その症状の変化に戸惑う幹夫。幹夫の父親の介護を通して自分の過去と向き合おうとする佳代子。困難に直面しながらも、認知症を人の自然な帰結の一つと二人が受け入れていく様子が心地良い。

身近な者が認知症であることが分かる前にこの本を読んでも、分からないかもしれません。一番のタイミングとしては、身近な者が認知症であることが分かったころに、ちょうどこの本に出会えればいいでしょうね。

私は一度、夜中に便を漏らしたて廊下に佇む連れ合いの父親に、舌打ちをしてしまったことがあります。あの時の父の悲しそうな目が、今でも忘れられません。




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『まつらひ』 村山由佳

《恋愛と官能小説の第一人者》なんだそうです。・・・そう、この『まつらひ』の著者の村山由佳さんという作家さん。

どんな作家さんが人気があるかってことに疎いので、やはりこの本も作家さんで選んだわけではありません。選んだ理由は、『まつらひ』という題名です。

まつらふ 
「奉る・祀る」の未然形に継続の接尾語「ふ」の付いた形。柳田國男はこれを「祭」の語源であるとした。

様々な地方の祭に絡んだ男と女の短編小説集であるこの本の冒頭、物語が始まる前に、上のように書かれています。古い時代の信仰のあり方に興味があったんです。

神に供物や踊りなどの行為を捧げて豊穣を感謝する。または、大地の神、海の神、火の神など、荒ぶる神々を鎮めるために行われますね。そんな祭の夜、男と女が一線を越えるのは、不思議な話ではありません。なにしろ神さまに喜んでもらわなきゃいけないわけですからね。男と女の交わりが嫌いな神さまは、いないでしょ。・・・日本にはね。

神さまがそれを好んで歓喜してくださるなら、どうして人間の男女が抗うことができるでしょうか。


『まつらひ』    村山由佳

文藝春秋  ¥ 1,620

次々に問題作に挑んできた恋愛と官能小説の第一人者が、多様な〝性〟を描きつくす
夜明け前
ANNIVERSARY
柔らかな迷路
水底の花
約束の神
分かつまで


女の人の書く官能小説か。

最近は、官能小説を読む機会そのものが減少しておりますが、決して嫌いなわけではありません。いや、好きです。すでに中学の頃から、手を変え品を変え、感のいい母親の目をあざむきつつ、みだらなお話を喜んでおりました。

でも、それらは、いずれも男の立場で書かれた官能小説で、この本のような女の目線で書かれた官能小説というのは読んだことがありませんでした。

そうかあ、女はセックスの時、こういう風に感じるものなのか。

そんなことを思いながら読みました。早くこういう立場から書かれた官能小説を読んでおけばよかったです。そうすれば、もう少し女の人を思いやってセックスできたかもしれません。・・・もちろん、連れ合いのことですが。

官能小説がお祭りを背景に書かれるのは、おそらく自然なことなんでしょう。その時、男の血はたぎっているからです。もともと、祭というのは、そういう時間だったんだろうと思います。

たとえば盆踊りというのは、盆帰りした先祖を踊りによって供養し、おそらく先祖も一緒に踊ってるんですね。盆踊りというのは不思議なもので、海外のダンスのように、手足の接続がおかしくなってるんじゃないかというような、複雑な動きを求められることはありません。単純な動作の繰り返しですね。ところが、単純な動作を繰り返すうちに、身体のうちからふつふつと、熱いものが湧き上がってくるんです。

その時、その輪の中に見初めた女が、あるいは男がいれば、その手を引いて、その輪から抜けていくんですね。もともとがぼんぼりくらいの薄明かりの中の話ですから、誰がいなくなったってわかりゃしません。ご先祖さまも、それを喜んでいるに違いありません。いやいや、ご先祖さまも、誰かの手を引いて暗がりに溶け込んでいるかもしれません。

私の故郷の一番のお祭りは、“夜祭”と呼ばれる夜の祭で、山の龍神と神社の妙見菩薩が、一年に一度、お祭りの夜に逢瀬を楽しむという言い伝えがあります。お祭りが近づくと、徐々に血のたぎりを感じるようになります。お祭りの日ともなれば、それはもう抑えの効くものじゃなくなります。夜祭は、逢瀬の瞬間に向けて、関わる人たちの思いを高めていきます。そしてその時を迎える頃、興奮は頂点に達します。

お祭りが終わり、血のたぎりだけが残されます。その時、誰かが隣りにいたら・・・。




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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本












































































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