『小説イタリア・ルネサンス2フィレンツェ』 塩野七生
憧れのフィレンツェで、今日はどう回ろうかと地図を広げてコーヒーを飲んでた。
お昼が近いような時間だったかな。そしたら突然、隣にきれいなお姉さんが座って、地図をのぞき込んでくるんだ。ニコニコしながら、イタリア語でわけの分からないことを話しかけてきて、地図に書かれた道を、指でたどっていく。その指先を私が目で追いかけようとすると、お姉さんはサッと地図を取り上げて、カフェの前の道の奥を指で指している。
言葉はまったく分からないんだけど、私をどこかに連れて行こうとしている。飲み残しのコーヒーを片付けて、ザックを持って立ち上がると、お姉さんは私の腕に肘を絡ませてきた。
結局、フィレンツェの町を案内してもらった。半分くらいは前の日に回ったところなんだけど、もう有頂天の私。薄暗くなってきた頃、ワインのみながらご飯食べて、グラッチェグラッチェ言ってたら、どうやら、もう一軒行こうという感じ。
ついていったら、お姉さん、地下に入る階段下りていって、先にバルに入ってしまった。あとから遅れてバルに入ると、薄暗い店で、お姉さんの姿がない。奥の方におじさんがいたので、シニョリーナはどこか聞いたんだけど、わけが分からない。仕方がないから戻ろうかと振り返ったら、私の目の高さに盛り上がった肩があるようなでかい男が、二人立っていた。
結局、有り金を巻き上げられることになった。ただ、財布以外に、ベルトの縫い目とか、帽子の内側にある返しの部分とか、ザックの肩紐の内側とか、いろいろなところにかなりの額を分散していたんで、大事には至らなかった。
とてつもなく、いい思い出だ。
今に比べれば、フィレンツェのことなんか、何も知らなかったけどな。ただ、高校の時に羽仁五郎の『ミケランヂェロ』を読んだだけだ。あれで、どうしてもフィレンツェに行ってみたかった。
あの『ミケランヂェロ』をきっかけに、私は左翼系のものの考え方に取り憑かれた。いろいろな事情があるとはいえ、羽仁五郎が作った日教組にも入ったからな。完全にわれを取りもどすまでに、10年はかかった。
ヴェネツィア元首アンドレア・グリッティの庶子であるアルヴィーゼ・グリッティという無二の親友を失ったマルコ・ダンドロにも、その後試練が訪れる。
恋人の高級遊女オリンピアが、スペイン国王カルロス1世のスパイであったことが発覚するのだ。マルコは3年間の公職追放という処分を受け、この際ヴェネツィア以外の街も見てみようとフィレンツェにやって来た。
かつては、内部に争いを抱えながらも共和政体を確立し、民主主義の都市国家として繁栄した。14世紀後半のチョンピの乱以降、政権は上層市民が独占するようになるが、このころペトラルカやボッカチォが登場し、フィレンツェはルネサンスの震源地となった。美術では、ジョット・マサッチョ・ギベルティが活躍し、ブルネレスキがサンタ=マリア大聖堂を建設、共和制時代のフィレンツェ=ルネサンスの象徴となった。
15世紀からはフィレンツェ共和国では金融業を営むメディチ家が政権を握り、その保護のもとでルネサンスの最盛期の舞台となる。フィレンツェで活躍した人物はダンテ、マキァヴェリ、ミケランジェロ、レオナルド=ダ=ヴィンチなど、枚挙に暇がない。
高校世界史だと、このあとのヴェネツィアはじめ、フィレンツェの影響下にルネサンスを繁栄させる地域が紹介され、フィレンツェは話題から外れていく。フィレンツェはその後、大きな試練に晒されるが、たしかに世界史の主人公という立場には立てない。
15世紀後半のイタリア戦争で、フランス王シャルル8世がフィレンツェに入場し、メディチ家を追放してしまう。その後、フランス王フランソワ1世とスペイン王カルロス5世の対立が激しくなる。ローマ教皇がフランスと結んだことを理由にして、カルロス5世はローマの劫略を行い、ローマは皇帝の派遣した傭兵によって略奪された。
1529年、皇帝カール5世とローマ教皇の和睦が成立し、皇帝がメディチ家のフィレンツェ復帰を確約したため、皇帝軍のフィレンツェ攻撃は避けられない状況となった。1530年、フィレンツェはスペイン兵を主力とする神聖ローマ皇帝軍の10ヶ月に及ぶ包囲攻撃を受け、市民は焦土作戦を展開して抵抗したが、3万の犠牲を出し、8月についに降伏した。そして、カルロス5世の娘婿となったアレッサンドロ・デ・メディチが、フィレンツェ公爵としてフィレンツェに送り込まれ、独裁体制を築いた。
アレッサンドロは、枢機卿ジュリオ・デ・メディチ、のちに教皇クレメンス7世が、メディチ家の黒人奴隷シモネッタ・ダ・コッレヴェッキオに生ませたとも、ローマ郊外の農民の娘に生ませたとも言う。そんなことから、正統なメディチの血統に対して、底知れない劣等感を抱き、大きな敵愾心を持っていたことは間違いないだろう。
しかし、これは後の話になるが、1532年になると、カルロス5世はアレッサンドロではなく、コジモ・デ・メディチをトスカーナ公に封じ、後に、周辺地域とあわせてフィレンツェを首都とするトスカーナ公国が成立することになる。
この物語の主人公、マルコ・ダンドロは、そんなフィレンツェに乗り込んでいき、実在の人物たちに関わって行くことになる。
お昼が近いような時間だったかな。そしたら突然、隣にきれいなお姉さんが座って、地図をのぞき込んでくるんだ。ニコニコしながら、イタリア語でわけの分からないことを話しかけてきて、地図に書かれた道を、指でたどっていく。その指先を私が目で追いかけようとすると、お姉さんはサッと地図を取り上げて、カフェの前の道の奥を指で指している。
言葉はまったく分からないんだけど、私をどこかに連れて行こうとしている。飲み残しのコーヒーを片付けて、ザックを持って立ち上がると、お姉さんは私の腕に肘を絡ませてきた。
結局、フィレンツェの町を案内してもらった。半分くらいは前の日に回ったところなんだけど、もう有頂天の私。薄暗くなってきた頃、ワインのみながらご飯食べて、グラッチェグラッチェ言ってたら、どうやら、もう一軒行こうという感じ。
ついていったら、お姉さん、地下に入る階段下りていって、先にバルに入ってしまった。あとから遅れてバルに入ると、薄暗い店で、お姉さんの姿がない。奥の方におじさんがいたので、シニョリーナはどこか聞いたんだけど、わけが分からない。仕方がないから戻ろうかと振り返ったら、私の目の高さに盛り上がった肩があるようなでかい男が、二人立っていた。
結局、有り金を巻き上げられることになった。ただ、財布以外に、ベルトの縫い目とか、帽子の内側にある返しの部分とか、ザックの肩紐の内側とか、いろいろなところにかなりの額を分散していたんで、大事には至らなかった。
とてつもなく、いい思い出だ。
今に比べれば、フィレンツェのことなんか、何も知らなかったけどな。ただ、高校の時に羽仁五郎の『ミケランヂェロ』を読んだだけだ。あれで、どうしてもフィレンツェに行ってみたかった。
あの『ミケランヂェロ』をきっかけに、私は左翼系のものの考え方に取り憑かれた。いろいろな事情があるとはいえ、羽仁五郎が作った日教組にも入ったからな。完全にわれを取りもどすまでに、10年はかかった。
新潮文庫 ¥ 1,210 「狂気の独裁者」と「反逆の天使」〝花の都〟に君臨した一族の残酷物語 |
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ヴェネツィア元首アンドレア・グリッティの庶子であるアルヴィーゼ・グリッティという無二の親友を失ったマルコ・ダンドロにも、その後試練が訪れる。
恋人の高級遊女オリンピアが、スペイン国王カルロス1世のスパイであったことが発覚するのだ。マルコは3年間の公職追放という処分を受け、この際ヴェネツィア以外の街も見てみようとフィレンツェにやって来た。
かつては、内部に争いを抱えながらも共和政体を確立し、民主主義の都市国家として繁栄した。14世紀後半のチョンピの乱以降、政権は上層市民が独占するようになるが、このころペトラルカやボッカチォが登場し、フィレンツェはルネサンスの震源地となった。美術では、ジョット・マサッチョ・ギベルティが活躍し、ブルネレスキがサンタ=マリア大聖堂を建設、共和制時代のフィレンツェ=ルネサンスの象徴となった。
15世紀からはフィレンツェ共和国では金融業を営むメディチ家が政権を握り、その保護のもとでルネサンスの最盛期の舞台となる。フィレンツェで活躍した人物はダンテ、マキァヴェリ、ミケランジェロ、レオナルド=ダ=ヴィンチなど、枚挙に暇がない。
高校世界史だと、このあとのヴェネツィアはじめ、フィレンツェの影響下にルネサンスを繁栄させる地域が紹介され、フィレンツェは話題から外れていく。フィレンツェはその後、大きな試練に晒されるが、たしかに世界史の主人公という立場には立てない。
15世紀後半のイタリア戦争で、フランス王シャルル8世がフィレンツェに入場し、メディチ家を追放してしまう。その後、フランス王フランソワ1世とスペイン王カルロス5世の対立が激しくなる。ローマ教皇がフランスと結んだことを理由にして、カルロス5世はローマの劫略を行い、ローマは皇帝の派遣した傭兵によって略奪された。
1529年、皇帝カール5世とローマ教皇の和睦が成立し、皇帝がメディチ家のフィレンツェ復帰を確約したため、皇帝軍のフィレンツェ攻撃は避けられない状況となった。1530年、フィレンツェはスペイン兵を主力とする神聖ローマ皇帝軍の10ヶ月に及ぶ包囲攻撃を受け、市民は焦土作戦を展開して抵抗したが、3万の犠牲を出し、8月についに降伏した。そして、カルロス5世の娘婿となったアレッサンドロ・デ・メディチが、フィレンツェ公爵としてフィレンツェに送り込まれ、独裁体制を築いた。
アレッサンドロは、枢機卿ジュリオ・デ・メディチ、のちに教皇クレメンス7世が、メディチ家の黒人奴隷シモネッタ・ダ・コッレヴェッキオに生ませたとも、ローマ郊外の農民の娘に生ませたとも言う。そんなことから、正統なメディチの血統に対して、底知れない劣等感を抱き、大きな敵愾心を持っていたことは間違いないだろう。
しかし、これは後の話になるが、1532年になると、カルロス5世はアレッサンドロではなく、コジモ・デ・メディチをトスカーナ公に封じ、後に、周辺地域とあわせてフィレンツェを首都とするトスカーナ公国が成立することになる。
この物語の主人公、マルコ・ダンドロは、そんなフィレンツェに乗り込んでいき、実在の人物たちに関わって行くことになる。