めんどくせぇことばかり 本 小説
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『まずはこれを食べて』 原田ひ香

緊急事態でステイホームが続き、解除にはなったものの、地元自治体の「しばらく来ないで」って言うお願いが解除にならない。

遊びに行くのに公共交通機関を使って“密”を作るわけにも行かない。私は平日登山なんだから、問題は少ないが、働いてる人に悪い気がする。だから、車で行きたいところなんだけど、自治体が駐車場を閉じている。どうも、5月中は無理なようだ。

そんなわけで、連れ合いと二人の生活が、変化もなく続く。仕事を辞めてから、朝と昼の食事は、私が担当することになった。「今日は何にしよう」と考えるのが主婦の負担の一つと聞くが、私は何が負担なのか分からない。あれも作りたいし、これも作りたい。

今、スーパーが混んでいる。対応で誠実さが分かる。ロピアという独特の商法のスーパーによく通ったが、4月になってスーパーの“密”が問題になって、他店が対応策を打ち出しているのに、さらに集客を呼びかけた。その直前に行ったとき、見事に“3密”な上、レジの行列が30分を超えた。以来、一度も行ってない。

午後1時~2時くらいの時間がいいらしい。もっとも客足が遠ざかる時間帯のようで、それを教えてくれるスーパーもある。その時間帯に農産物直売所に行って、大根を買ってきた。立派な葉っぱのついた大根で、とりあえず湯がいておいた。だけど、あんまり立派すぎて、なかなか減らない。

今朝、刻んで油炒めにしてご飯に混ぜて食べたが、それも残ってしまった。というわけで、今日のお昼は大根葉の油炒めのおにぎり。油炒めのさらに細かく刻んで、天かすを混ぜようと冷蔵庫を開けると、ちょっとだけ使った永谷園のお茶漬けがある。えい、こいつも混ぜてしまえ。それに、鰯のつみれ汁。つみれは出来合いのもの。充実したお昼であった。

表紙だけで購入してしまった。

目玉焼きをご飯にのっけて、しょうゆを垂らしてある。「私なら、もうひと加減、目玉に火を入れたいところだ。まったく!」などと購入してしまった。もう、料理の本だろう。レシピ本だろうと疑いもせず、ペラペラページをめくって、ビックリ。料理に関係するものではあったけど、レシピぼんじゃない。料理エッセイ?・・・エッセイでもない。目次を見ると、第一話から第六話、さらにはエピローグ?

どうやら、小説のようだ。一貫した物語をもった短編集だな。・・・まてよ、作者は?“原田ひ香”さん?

原田ひ香さんの本は読んでた。しかも、ほぼ半年前の昨年12月3日に、ブログで紹介してた。




双葉社  ¥ 1,540

家政婦の筧みのりは、無愛想ではあるが、いつも心がほっとする料理を作ってくれる
第一話 その魔女はリンゴとともにやってきた
第二話 ポパイじゃなくてもおいしいスープ
第三話 石田三成が昆布茶を淹れたら
第四話 涙の後でラーメンを食べたものでなければ
第五話 目玉焼きはソースか醤油か
第六話 筧みのりの午餐会
エピローグ 


ったく、このブログは本の紹介を通していろいろな思うところを書かせてもらってるのに、私は誰が書いたかってことに、本当に無頓着。まったく、お恥ずかしい。

原田ひ香さんの本で前に読んだのは、『ランチ酒 おかわり日和』という本だった。主人公の女性の生き方に共感できない部分があって、全体として心を動かされるには至らなかった。

それにしても、その『ランチ酒 おかわり日和』とこの本は、一貫した物語をもった短編集という意味で、作りが一緒。それからもう一つ、前は“深夜、依頼人の家に赴いて一緒に過ごす「見守り屋」”という奇妙な職業だった。仕事が仕事だけに、客にも癖があって、癖のある客との関わりで、主人公も影響を受けていくという設定がおもしろかった。

今回は職業自体は奇異というわけではないが、学生時代の友人たちが一緒に起業して、30歳になろうというところで、半ば成功を手にしつつあるという設定である。今回も、仕事が一つのテーマになっている。そして、年齢から行っても、もう一つの隠された事情から言っても、彼らは明らかに微妙なところに来ているんだな。そこに、会社専属の、一人の家政婦がやってくる。

家政婦の作る料理は、学生時代の友人たちが一緒に起業して、30歳になろうというところで、半ば成功を手にしつつあるという微妙なところに来ている若者たちの、微妙な部分に触れていく。そして、少しずつわだかまりを解かしていく。

第一話から第四話までは、そのまま短編として読める物語になっている。第五話で、突然、それまで若者たちのわだかまりを解かす存在であった家政婦の話しにつながっていく。

それが若者たちの抱く、隠されたもう一つの事情と絡み合って、終章に進む。そこで、若者たちは決心する。過去の自分を乗り越えようと。

大事にしている大学時代の思い出が、私にもある。そのまま友人たちで起業して・・・、なんて言うことになっていたらどうだったろう。うまく行くことはなかったろうな。個性が強烈すぎて。青春の尻尾って、オタマジャクシじゃないけど、早く切った方がいい。

そうだ。そのころから一人だけ、今も一緒に暮らしている人はいるんだ。



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ジャンル : 本・雑誌

『蛍の唄』 早乙女勝元

もとは、早乙女勝元さんの書いた『戦争と青春』という小説だそうだ。

それを、同じ名前で早乙女さん自身か脚本化して、1991年に映画化したんだそうだ。文庫になったのは、ずいぶん遅れて、2016年のことだという。

物語の舞台は、戦後45年目の下町ということになる。高校2年生の花房ゆかりは夏休みの課題、《身近な人たちの戦争体験》をまとめるために奔走していた。彼女が取り組んだのは、今は認知症の進行しつつある伯母の、東京大空襲の時の体験を調べること。もっぱら取材の対象は、その時一緒に行動していた伯母の弟であるゆかりの父になるが、なぜか父は、それを語りたがらない。

思い過去が隠されていたわけだな。映画化に当たっては、工藤夕貴が現代っ子のゆかりと若き日の伯母花房咲子の二役を務めたそうだ。さぞ可愛らしかったことだろう。

戦後45年目といえば1990年、私は30歳で歴史の教員、高校生に同じような課題を出す立場にあった。伯母の咲子さんは65歳か。・・・実は、私の連れ合いの両親は、義父も義母も、あの3月10日を逃げ惑い、生き残った人だった。物語の中の咲子さんよりも義父は2歳、義母は1歳下と言うだけの同年配だった。

義父は何度か話をしてくれた。橋を渡って逃げようとすると、人に死体が山のようになってるんだって。それを踏んづけて、手でかい分けて進んだって。だけど火に巻かれて、もうダメかというところで、清澄庭園の池に飛び込んで難を逃れたって。

義母は最後まで話してくれなかった。何度目か、聞いたとき、「歴史の先生だから話してやりたいけど、思い出そうとしただけで、あの時の匂いが、本当に鼻の奥に残っているようで、気持ち悪くて立っていられなくなるの。ごめんなさいね」と言われた。

焼夷弾の油の匂い、火事の匂い、なにより人が焼けていく匂い。・・・それきり、義母に聞くのはあきらめた。

そうだ。1990年なら、終戦前に人格形成を終えていた人たちも、まだ生きてたんだ。今は2020年、あれからさらに30年も経ってしまった。1990年ですら、「昔むかしその昔」、「大昔のことだよ、時代モノ」、「時代モノと言ったら、まるでチョンまげよ」とゆかりの友人たちが言っている。ゆかりはじめ、その友人たちも、取材を進めるうちに、それが“今”を生きている人の人生の一コマであったことに気づいていく。

今はどうだろう。義父も、義母も、もう何年も前に亡くなった。




『蛍の唄』    早乙女勝元


新潮文庫  ¥ 時価

昭和20年3月10日、炎の中で何があったのか。思い過去を背負い続けた父は
第一章 蛍こいの唄
第二章 勇太の回想
第三章 謎は火中にあり
第四章 三月十日のこと(勇太の手記)
第五章 チマ・チョゴリの人


30年近く前に書かれたものだけど、この文庫版に早乙女勝元さんが“あとがき”をつけたのは2015年11月。

《「いつか来た道」と重なるこんにちの不穏な状況》とは、いったい何をさして言っていることであるのか。

早乙女さんが書いたこの物語は、いくつもの対照が行なわれて物語が進行していく。いくつもの対照が行なわれて、二つに分けられていく。早乙女さんたちの側と、そうではない側。

幼いときに小児麻痺を患い右足が不自由になった末ちゃんのお母さんと、隣組長の黒川金次。

戦闘帽を目深にかぶって身体の弱い子どもをなじる教師と、負けるが勝ちと励ましてくれる温和な教師。

微笑ましい姉とその思う人の様子と、姉と歩いていた兄をわけも聞かずに殴った上官。

兄の戦死の弔問に、戦死は名誉という隣組長と、親身になってやりとりを交わす姉の思い人。

女は人間としての権利がゼロ日かかった昔と、今。

夕張炭鉱と朝鮮人徴用工。

小林多喜二と特高。

憲兵隊と非国民。

天皇制軍国主義と、中国人。

日本と、日本の植民地だった朝鮮。

朝鮮人を半島人と呼んで差別する戦時中の日本人と、チマチョゴリを着て歩く在日の娘たちに見とれてしまった現代に生きているゆかり。

人にはそれぞれ、複雑な事情ってものがあるから、そうきれいに分けちゃうと、物語が嘘っぽくなる。分けたくなるけど、本当は分けられない。そこに物語が生まれる。・・・はずなんだけどなぁ。

ゆかりの父、伯母の咲子と3月10日を逃げまわった父は、“暗黒の時代”と言い切る。早乙女さんは12歳で東京大空襲に遭ってるけど、12歳までの早乙女さんは、やはり同じように“暗黒の12年間”を過ごしたのか。

東京大空襲を題材にしながら、早乙女さんが攻めるのは、米軍だったり、カーチス・ルメイだったりするわけではなく、その矛先はひたすら“天皇制軍国主義”とやらに向けられている。

「一般市民への無差別爆撃は、日中戦争の初期に日本軍が先にやっているということも忘れちゃいけないことなんだね。すべて天皇制軍国主義の責任だが、たとえば中国の重慶なんていう町は、日本軍により200回以上も爆撃されて、散々な目に遭っている」と、東京大空襲という民間人大量虐殺という世紀の戦争犯罪を、重慶爆撃を持ち出して相対化してしまっている。

だいたい重慶の責任なら、日本よりも蒋介石に取らせるべき問題だ。それに、ここで持ち出すなら、銃後を直接攻撃するというやり方はアメリカがインディアンを絶滅させたときに使った手であったことの方がふさわしい。

戦後75年、この物語からでも30年近く、早乙女勝元さんの中では何も変わってないのかな。・・・それが不思議。




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ジャンル : 本・雑誌

『鉄の楽園』 楡周平

閉塞感という言葉がある。

今の日本社会に閉塞感を感じている人は、ずいぶんたくさんいるだろう。逆は開放感という言葉になるか。いや、閉じ込められているわけではない。閉じ込められているなら、閉じ込めている何者かを標的にすればいい。閉じ込められているわけではないのに、気持ちが晴れ晴れとせず、心が塞がりがちなのだ。

少子高齢化。経済成長を続ける“中国”はじめアジア諸国の活気から取り残されて、消費が伸びず低迷する経済。東京一極集中はますます進み、空洞化する地方。そのいずれもが、現実に、まさに私の目に見えていることだ。

たかだか50軒足らずの自治会で、この1年で3軒が空き家になった。いずれも高齢の方のお宅だが、亡くなるか、子どもに引き取られて去って行った。最近はやりの商法は、住宅にしろ、車にしろ、いいものを得るためにお金を使わせるのではなく、お金を使わない方法を模索したものばかりだ。山から下りてくる途中、最初に目にするのは、人の住まなくなった寂しい集落だ。

抜け出す道もない。これで閉塞感を持たないのはまれに見る成功者か、よっぽどの変わり者か。どちらにしても、ろくなもんじゃない。

でも、意外と簡単に、この閉塞感から解放される道もある。ないようである。

歳を取ることを由とする。よく働いた手を由とする。顔や手のしわに刻まれた年月を由とする。なんとか食べていけるだけのものがあることを由とする。次の世代に受け継がれていくことを由とする。テレビから流れてくるコマーシャルとは逆のことを由とする。

今の世が気にくわないといっても無駄だから、せめてこれから死ぬまでの間の生き様で表現しようと決意する。意外と簡単なことなんだけど、配偶者には、きっと反対される。

さて、楡周平さんの『鉄の楽園』という本。楡周平さんを追いかけているわけじゃないんだけど、ちょっと前にも一冊読んでる。『和僑』という本。その前にも『プラチナタウン』って本を読んでる。


『鉄の楽園』    楡周平


新潮社  ¥ 1,980

R国の高速鉄道受注に向け、中国の莫大な資金力に劣勢を強いられる日本企業
再生の鍵は「ソフトパワー×専門職大学」日本流観光列車で中国から覇権を奪還せよ! 東南アジアのR国の高速鉄道建設に向け、中国と熾烈な受注競争を繰り広げる四葉商事。一方、経営破綻寸前の海東学園に突如、中国企業への身売り話が舞い込む。打倒中国――。四葉と海東の想いは合致し、経産省を巻き込んだ世界初・鉄道専門大学の実現に向け奔走するのだが……。鉄道産業を予見する、痛快経済エンタメ小説。



これはたまたまなんだけど、『プラチナタウン』と『和僑』はいずれも閉塞感の中にある地方都市の再生をテーマにしたもの。『和僑』は『プラチナタウン』の続編というような立場の本だからテーマが重なるのは当然なんだけど、『鉄の楽園』もまた、地方都市の再生というテーマに日本経済の再生をつけ加えれば、同じ枠の中に当てはまる。

鉄は鉄道の鉄。一つの舞台は北海道、太平洋を臨む町にある鉄道専門学校。かつては多くの人材を輩出した学校も、地方経済の不振によるローカル線の廃線や少子化による定員割れで、経営難にあえいでいた。そんな中、リゾート開発をもくろむ“中国”企業による学校買収の話が持ち上がる。メインバンクである北海銀行は、経営者の相川隆明に即時売却を進める。隆明は、相川家長女千里の夫であった。

もう一つの舞台は、商社の中でも日本最大手の一つ四葉商事。折しも、東南アジアはR国の高速鉄道建設にかかわる“中国”と受注競争が行なわれていた。それに関わる若手社員の一人に相川翔平がいた。彼は学校経営を受け継ぐことを強く求める父に反発し家を出た。そのまま勘当の身となっていた。

“中国”の金満攻勢に劣勢が続く受注競争に、一筋の光明が差し込んだ。R国の王族の血を引き、国の将来を憂え、教育に力を注いで多くの尊敬を集めるキャサリン・チャンが次期首相選に意欲を見せているという。

先ほど、『和僑』のときに書いたブログを見直したら、《「都合のよすぎる話の展開」というなかれ。実際の人生も、けっこう都合よくできていることもある。》とある。

同じことを、もう一度言おう。ただし、その都合の良さというのは、求めなければ見つからないものだ。見つけたければ、求めることが必要だ。

最後に、《経済再生》と言われるが、一帯どの時点に再生しようとするのだろう。その時が良くて、今が悪いという根拠はなんだ。

一昨年の3月下旬、すでに桜が咲き始めていた頃、孫を連れて埼玉県の熊谷から長瀞まで、汽車に乗っていった。車窓から、鉄道沿いの様々なところに鉄男や鉄子が群がっていた。春の日差しの中で、彼らは喜びに輝いて見えた。





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『新 青春の門 第九部 漂流篇』 五木寛之

参った小説だったんだ。・・・私にとってね。

そう感じている人間は、決して少なくないと思うよ。1960年生まれだから、第一部の『筑豊篇』が単行本で出た1970年は10歳だ。もちろん10歳では読んでない。だけど、高校生の兄は読んだようだ。家にこの本があったんだ。私が何歳の時にその本が読んだのか、ちゃんと覚えているわけではないが、高校に入る前には、もう読んでいた。

そういうケースって、少なくないと思うんだよ。兄や姉、叔父や叔母が読んだ本が家に置いてあって、その本を読むにお似合いの歳よりも、だいぶ早い段階で読んでしまうってこと。しかも、歳は不似合いにもかかわらず興味関心の方向性が一致していたりすると、もうこれは参ってしまうわけだ。

私にとっては『青春の門』、それから漫画の『影狩り』だ。

『影狩り』は面白かった~。十兵衛と月光と日光の三人ね。日光が女に弱くてね。お約束のようにそういうシーンが出てくるわけだ。この『影狩り』にしろ、『青春の門』にしろ、完全に悪いことをしているような気分で読んでたからね。隠れてね。

歳相応の大学生になるまえに、すでに主人公の信介は“堕落篇”の中にあった。そして1980年、二十歳の時の『再起篇』までは追いかけるようにして読んでいた。この『再起篇』が第六部。

ずいぶん間をおいて、1993年に第七部の『挑戦篇』っていうのが出てるんだ。・・・33歳の時か。下の子が生まれた年か。記憶にない。おそらく読んでない。さらにずいぶん間をおいて、2016年に第八部『風雲篇』ってのが出てるんだ。・・・知らなかったな。そっちを知らない間に、この『漂流篇』を読んでしまった。

五木寛之さんだって、久しぶりに伊吹信介や牧織江のことを書いているんだろうけど、私は第六部『再起篇』以来の伊吹信介や牧織江のことを読んでいるわけだ。二十歳で読んでいた信介や織江を、今は59歳の私が読んでいる。

これはなんとも変な気分だ。



講談社  ¥ 1,980

シベリアで学びと思索の日々を送る信介、新しい歌を求めてチャレンジする織江
バイカル湖への道
シベリア無宿
差別のない世界
伝説のディレクター
オリエの涙
夜の酒場にて
新しい年に
シベリア出兵の幻
ロマノフ王朝の金塊
福岡への旅
オリエの告白
嵐の前夜
ルビヤンカの影
《二見情話》の夜
艶歌の竜
奇妙な報せ
二人きりの生活
川筋者の末裔
破綻から生まれたもの
暗黒の海から


話はまだ、1961年。

私の生まれた次の年だ。懐かしい時代が書かれていることになる。貧しい時代だけに、人々はいろいろな工夫をして生きていた。それらの工夫の中には、今の人が聞けば、驚くようなものも少なくない。

すでに高度経済成長が始まっている。経済成長によって豊かになるにつれ、生きていくためにやむを得ず行われていた工夫のいくつかは、誰も知らないうちに捨て去られていく。

ある意味じゃあ、難しい時代でもある。慣れ親しんだ懐かしい貧しさと、まばゆいばかりの豊かさが同居していた。

五木寛之さんも、この第九部『漂流篇』でそれを匂わせようとしたんじゃないかと思う。

バイカル湖のほとりの町まで漂流した信介は、雌伏の時を送っている。この『漂流篇』を通してそれは変わらない。織江は歌手を目指した。そのレコード業界に変化の兆しが現れる。その変化の兆しに、織江は深く関わることになる。織江が関わったレコード業界の変化の兆しに、実は信介も帰国して関わっていくことになりそうだ。

その変化の兆しは、貧しい時代と豊かな時代の狭間で動き始める。懐かしい時代と、まだ見ぬ時代の狭間で。

さてさて、私にとって『青春の門』は参った小説なんだ。しかし、かつて同じような年代だった信介は成長して私よりも年上になり、再び同じような年齢になったが、・・・。

私にとって参った小説だった『青春の門』は、そこで終わった。今、信介と織江はあの頃のまま。私は59歳になった。信介の母タエでも出てくるならまだしも、“参った小説”としての『青春の門』として付き合っていくのは無理だろう。

どんな付き合い方になるのか。それはこの『漂流篇』だけでは判断がつかない。




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『三体』 劉慈欣

自治会の仕事に、高齢の会員の方々に声をかけて、月に一度は集まって、体操したり、お茶会をしたり、なにがしかのレクリエーションを楽しんでもらえるように準備することがある。

自治会長になってから、隣近所の人たちに関心を向けることを、ようやく大事なことだと思えるようになってきた。・・・なんて言いながら、この高齢者向けの準備は、ほぼ全面的に連れ合いに任せてしまってるんだけど。

そんな取組の一環として、連れ合いが地元のボランティア団体に大正琴の演奏の鑑賞会を企画した。そんな話を聞いた時、最初に頭にあったのは、お琴の演奏にあるように、自治会館の座敷、上の方に斜に置かれたお琴の向こうに着物の女性が座り、演奏している姿だった。下座には隣近所の高齢者が座ってうっとり鑑賞するというイメージだ。夫婦というのは頭の構造や程度も似てきてしまうもののようで、連れ合いの頭の中にもほぼ同様の様子が描かれていたようだ。

そんなイメージのままボランティアを依頼したところ、先方は快く引き受けてくださり、当日は演者10人で来ていただけることになった。・・・10人で。

その10人の方々に、本日の午前中に来ていただいた。会は10時に始まり、前半1時間が体操の時間、後半1時間が大正琴の時間。私は体操の途中でおいで頂く方々をお迎えする役割だった。いらして頂いたグループの方々は、今日集まっている自治会の方々同様のご高齢の方ばかり。

座卓に大正琴をおいて、プラグでアンプにつなげて演奏するもののようだ。しかも、事前に歌詞カードが配られて、私たち聞く側も一緒に歌を歌う。大正琴の演奏会っていうのはこういうものだった。もちろん大きな声で歌った。

私にとって異次元とも言える、この日の出来事だった。
この、『三体』という本は、次元がどうのこうのという話が出てくるんだが、そういう話が出てくる部分は、どうしても私には退屈で仕方がなかった。コンピューターのプログラミングがどうのこうのという話も同様で、それがために、この『三体』という本の面白みを、おそらく私は半分くらいしか味わえていないだろう。・・・おそらく。


『三体』    劉慈欣

早川書房  ¥ 2,090

三つの太陽を持つ異星を舞台にしたVRゲーム『三体』の驚くべき真実とは?
第一部  沈黙の春
第二部  三体
第三部  人類の落日


とっても壮大な話で、構想自体はきわめて興味深い。だから、かなり頻繁に現れる退屈な時間を我慢しながら、全体としての筋立ては楽しむことができた。

地球外知的生命体からのメッセージが送られてくる。かなり、忌々しいメッセージである。このメッセージに最初に接触したのは、葉文潔という女性科学者であった。葉文潔は、文化大革命の激しい内ゲバと壮絶な糾弾集会で、自らの尊敬する父親をなぶり殺されていた。

物語は、いきなり、その糾弾集会の場から始まる。その糾弾集会の忌々しさは、著者劉慈欣の小説家としての力を感じさせる。教え子が恩師を、子が親を糾弾集会の場に追い込むこの文化大革命と呼ばれる時代。物語の中では妻が夫を糾弾した。まさに狂気の時代であるが、1960年代後半から70年代前半を生きた中国人であれば、多かれ少なかれ、この狂気の時代をくぐり抜けた。

毛沢東が死んだからといって、容易にもとに戻れるものでもない。その後遺症は、まだまだこれから“中国”を苦しめることになるだろう。それが物語にも、色濃く反映されている。父をなぶり殺しにされた葉文潔は、人間の世の中に対して復讐を思いとどまることはなかった。それが、地球外知的生命体から送られてきた忌々しいメッセージと、忌々しく絡み合っていく。

文革が一段落ついた後、葉文潔は父に直接手を下した紅衛兵たちを呼び出した。当時、15歳ほどの小娘でしかなかった紅衛兵たちは、葉文潔が思っていたような、自分が過去にしでかした罪の重さに打ちひしがれた加害者たちではなかった。ここにもやはり、忌々しさがつきまとう。

この忌々しさこそが、重奏低音のように、物語全体をまとめ上げている。この『三体』は三部作の第一作で、重奏低音は最後まで鳴り止むことはないだろう。だから、この三部作の結末は、当然忌々しいものになる。

その結末に、文革の忌々しさにはとても耐えられない私は、耐えることができるだろうか。

ずい分前から、最新の科学知識が理解できないなんてことはもちろんのことながら、日常生活で目の前に登場する様々な機器さえ使いこなすことができないようになっている。

これまでのSF小説では、ここまで深刻に感じたことはなかったんだけど、この『三体』を読んで、危機感を新たにしている。今後は、SF小説を読むことが、退屈な長い時間になってしまうんだろうか。





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『龍の棲む家』 玄侑宗久

猫のミィミィが死んで、今週土曜日で一ヶ月経ちます。

最初の兆候は、水を器が空になっていることに気づくようになったことです。
「最近、よく水を飲んでない?」
「急に水ばかり飲むようになったら、危ないって聞いてるけど」
そんな会話をしてまもなく、食べる量が減りました。最初は餌にあきたのかと変えてみたり、さらに食が細くなったのでグレードを上げてみたり、今まで考えても見なかった缶詰などの餌を試してみたりしました。そしてそんなことをしているうちに、なんにも食べなくなってしまったんです。

でも、ミィミィは食べる量が減るようになってから、ひと月近く頑張ってくれました。今は、私たち夫婦が一番良く使っている部屋から、窓を開ければ見える場所に眠っています。

夫婦で最後まで看取ると覚悟を決めてからは落ち着きましたが、最初はミィミィの変調を受け入れられず、あたふたしました。死なれてみれば、これは食べないか、あれならどうかと買い集めた猫の餌が残されています。

仕方がないから、目につくものから処分して、あまり使いもしなかった猫タワーも分解しました。最後に残ったのが猫用のケージです。ミィミィはなにかあると、すぐこのケージの三階に逃げ込んでました。

そのケージを、山の道具置き場に使うことにしました。あちこちに点在した山道具をかき集め、猫ケージにまとめることにしました。けっこういい感じになりました。

そんな過程で、押入れだの天袋だのを引っ掻き回す中で、この本を発見しました。認知症になった父親の介護をテーマにした本です。玄侑宗久さんの、すっと心に入ってくるような文章が好きで買いましたが、介護をテーマにした本であることが分かって、身につまされて、読めなくなっていた本でした。


『龍の棲む家』    玄侑宗久

文春文庫  ¥ 時価

呆けた父と暮らすことになった幹夫は介護に詳しい佳代子と出会い、新しい世界を知る
父が痴呆症で徘徊をするようになった。ミサコという人を探しているらしい。記憶が断片になり、ある時は小学生、ある時は福祉課の課長にと次々変身する父に困惑する幹夫。だが介護のプロの佳代子に助けられ、やがて父に寄り添うようになり、ともに変化してゆく。無限の自由と人の絆を、美しい町を背景に描く。


身につまされたと言えば、お分かりですね。うちにも、龍がいたんです。

文庫が出たのは二〇一〇年です。二〇一〇年といえば、私たち夫婦は四人の親のうち三人までを見送っておりました。最後に残ったのが連れ合いの父親です。一四年前に連れ合いの母親が亡くなったときには、すでに認知症の症状が進んでいる状態でした。二〇一〇年といえば、どうにもならない所まで来て、私たち夫婦が追い詰められた思いになっている頃でした。

そんなわけで、押し入れの肥やしのような状態になっていましたが、そんなこの本も今なら読めそうです。連れ合いの父親は、一年半前に亡くなりました。

物語は、主人公の幹夫の父親が認知症が明らかになった頃から始まります。自由な立場の幹夫は、長男の哲也から父親の面倒を見ることを依頼され、それを受け入れます。父親は、時に徘徊をします。生き場所は決まって龍が淵公園。幹夫はただ黙って、その徘徊に付いていきます。そこで、二人は、一人の女声にめぐり逢います。それが、認知症患者の介護に詳しい、介護士経験のある佳代子でした。

幹夫は、父の認知症の症状の変化に戸惑います。それを佳代子が支える形で話が進みます。しかし、佳代子も、介護士としての過去に、大きな問題を抱えていました。

認知症の症状が、少しずつ進んでいく父親。その症状の変化に戸惑う幹夫。幹夫の父親の介護を通して自分の過去と向き合おうとする佳代子。困難に直面しながらも、認知症を人の自然な帰結の一つと二人が受け入れていく様子が心地良い。

身近な者が認知症であることが分かる前にこの本を読んでも、分からないかもしれません。一番のタイミングとしては、身近な者が認知症であることが分かったころに、ちょうどこの本に出会えればいいでしょうね。

私は一度、夜中に便を漏らしたて廊下に佇む連れ合いの父親に、舌打ちをしてしまったことがあります。あの時の父の悲しそうな目が、今でも忘れられません。




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『まつらひ』 村山由佳

《恋愛と官能小説の第一人者》なんだそうです。・・・そう、この『まつらひ』の著者の村山由佳さんという作家さん。

どんな作家さんが人気があるかってことに疎いので、やはりこの本も作家さんで選んだわけではありません。選んだ理由は、『まつらひ』という題名です。

まつらふ 
「奉る・祀る」の未然形に継続の接尾語「ふ」の付いた形。柳田國男はこれを「祭」の語源であるとした。

様々な地方の祭に絡んだ男と女の短編小説集であるこの本の冒頭、物語が始まる前に、上のように書かれています。古い時代の信仰のあり方に興味があったんです。

神に供物や踊りなどの行為を捧げて豊穣を感謝する。または、大地の神、海の神、火の神など、荒ぶる神々を鎮めるために行われますね。そんな祭の夜、男と女が一線を越えるのは、不思議な話ではありません。なにしろ神さまに喜んでもらわなきゃいけないわけですからね。男と女の交わりが嫌いな神さまは、いないでしょ。・・・日本にはね。

神さまがそれを好んで歓喜してくださるなら、どうして人間の男女が抗うことができるでしょうか。


『まつらひ』    村山由佳

文藝春秋  ¥ 1,620

次々に問題作に挑んできた恋愛と官能小説の第一人者が、多様な〝性〟を描きつくす
夜明け前
ANNIVERSARY
柔らかな迷路
水底の花
約束の神
分かつまで


女の人の書く官能小説か。

最近は、官能小説を読む機会そのものが減少しておりますが、決して嫌いなわけではありません。いや、好きです。すでに中学の頃から、手を変え品を変え、感のいい母親の目をあざむきつつ、みだらなお話を喜んでおりました。

でも、それらは、いずれも男の立場で書かれた官能小説で、この本のような女の目線で書かれた官能小説というのは読んだことがありませんでした。

そうかあ、女はセックスの時、こういう風に感じるものなのか。

そんなことを思いながら読みました。早くこういう立場から書かれた官能小説を読んでおけばよかったです。そうすれば、もう少し女の人を思いやってセックスできたかもしれません。・・・もちろん、連れ合いのことですが。

官能小説がお祭りを背景に書かれるのは、おそらく自然なことなんでしょう。その時、男の血はたぎっているからです。もともと、祭というのは、そういう時間だったんだろうと思います。

たとえば盆踊りというのは、盆帰りした先祖を踊りによって供養し、おそらく先祖も一緒に踊ってるんですね。盆踊りというのは不思議なもので、海外のダンスのように、手足の接続がおかしくなってるんじゃないかというような、複雑な動きを求められることはありません。単純な動作の繰り返しですね。ところが、単純な動作を繰り返すうちに、身体のうちからふつふつと、熱いものが湧き上がってくるんです。

その時、その輪の中に見初めた女が、あるいは男がいれば、その手を引いて、その輪から抜けていくんですね。もともとがぼんぼりくらいの薄明かりの中の話ですから、誰がいなくなったってわかりゃしません。ご先祖さまも、それを喜んでいるに違いありません。いやいや、ご先祖さまも、誰かの手を引いて暗がりに溶け込んでいるかもしれません。

私の故郷の一番のお祭りは、“夜祭”と呼ばれる夜の祭で、山の龍神と神社の妙見菩薩が、一年に一度、お祭りの夜に逢瀬を楽しむという言い伝えがあります。お祭りが近づくと、徐々に血のたぎりを感じるようになります。お祭りの日ともなれば、それはもう抑えの効くものじゃなくなります。夜祭は、逢瀬の瞬間に向けて、関わる人たちの思いを高めていきます。そしてその時を迎える頃、興奮は頂点に達します。

お祭りが終わり、血のたぎりだけが残されます。その時、誰かが隣りにいたら・・・。




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ジャンル : 本・雑誌

『砂塵の掟 オッドアイ』 渡辺裕之

《“オッドアイ”朝倉俊暉シリーズ》と呼ばれるシリーズ物なんだそうです。

“オッドアイ”というのは、虹彩異色症と呼ばれる疾患のことだそうです。頭部への打撃による後遺症で眼球中の虹彩と呼ばれる組織に含まれるメラニン色素が減少し、つまり、黒目が黒くなくなってシルバーの瞳になってしまうもののようです。それゆえに、異相を抱えることになった男が朝倉俊暉、このシリーズの主人公です。

朝倉は、陸上自衛隊のエリート特殊部隊員として将来を嘱望されながら、“オッドアイ”となってしまった負傷をきっかけに警察官に転身します。そして、折から防衛問題に直結する自衛隊絡みの事件に臨む、特別な捜査組織が結成されます。その経歴から、防衛省と警視庁の双方から選抜されたチームである特別強行捜査班のチームリーダーに抜擢されたのが“オッドアイ”朝倉俊暉という筋立てです。

たまに読みたくなるんですね、この手の痛快活劇ってやつが。読んでみて、やはり“痛快”でした。“痛快”ではあるものの、それだけでは済まされない問題点っていうのを、物語の中に織り込んでいますよね。それだけでは済まされない問題点がなければ、物語にならないのか。

この物語の中では、日米地位協定と言うやつです。

アメリカに流入する麻薬の大半を仕切るメキシコの麻薬カルテルと、アフガニスタンで軍事活動を継続する米軍内部に巣食う麻薬組織が、沖縄で交錯する。筋立てとしては、アフガニスタンで生産される麻薬にアメリカ市場を脅かされることを恐れたメキシコ麻薬カルテルが、沖縄で米軍内部の麻薬組織との戦いを始め、それに日本の特別強行捜査班が関わっていくっていう話になる。

その中で、日米地協定により、事実上、日本がアメリカの属国という地位に置かれているってことが、いろいろな形で明らかにされるんですね。


中央公論新社  ¥ 1,944

元自衛官の警察官が活躍する「オッドアイ」第6弾は、シリーズ最大の問題作!
フェーズ 0 夏至夏風
フェーズ 1 召喚
フェーズ 2 NCIS
フェーズ 3 チーム始動
フェーズ 4 紛争地へ
フェーズ 5 タリバン
フェーズ 6 脱出
フェーズ 7 砂塵の掟
フェーズ 8 第三の男
フェーズ 9 弾薬庫地区
フェーズ10 原生林の死体
フェーズ11 正義の代償
フェーズ12 K島にて

日米地位協定は、かつて、明治の日本が改正を目指した条約と同様に、不平等な条約であることは間違いありません。かつて沖縄は、米軍に直接統治、支配されました。これは、戦争の結果として、アメリカに取られていたわけです。昭和四七年の沖縄返還で、沖縄は日本に返還されました。沖縄県民は、埼玉県民と同じように、日本国民です。米によって差別されている実態は、沖縄県民も埼玉県民も変わりありません。

そのように差別されるのは、戦争でアメリカに負けたということの代償です。でも、同じように第二次世界大戦で敗北したイタリアやドイツは、アメリカや周辺国から差別されているわけではありません。

その違いは、やはり人種を持ち出すしかないでしょう。日本は、二〇世紀初頭まで盤石であった白人支配の世界秩序を、完全に崩壊させてしまったんです。そんな日本を、自分たちと同じ地平で平等に扱うなどありえない。日本は世界で唯一、アメリカに差別されて当然の国家なんです。

沖縄は、米軍の戦略上、多くの基地が残されました。そのため、日米地位協定の不平等性が、あからさまに見えてしまっています。アメリカによる差別が、基地を見るたびに思い知らされるわけです。そのことに埼玉県民が鈍感であるならば、「何だそんなに鈍感なんだ」と沖縄県民は、当然のように思うでしょう。

アメリカによって差別されているという実態は、本来、沖縄県民と埼玉県民の間で共有できるはずのことです。


この間、北方領土を戦争で取り返したい国会議員の方がいましたね。軽薄で、周囲に迷惑をかけるだけの発言であるけれど、腹の中にそのくらいの気概がなくて、北方領土は絶対帰ってこないです。拉致被害者も帰ってこないです。経済でも政治でも軍事でも文化でも、力のないやつの話なんか、誰も聞いてくれないです。それはアメリカに対してもそう、変わりませんよね。




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『月とコーヒー』 吉田篤弘

朝ごはんを食べたあと、しばらくしてからコーヒーを淹れるんです。そして、コーヒーを傍らにおいて、パソコンに向かいます。そう、今まさに、私の向かうパソコンの傍らから、コーヒーのいい香りが漂っているんです。

アマゾンの紹介によれば、この本の著者吉田篤弘さんは、人気の作家さんだとか。私は本を読むことが好きですが、それに関わる周辺の情報っていうのは、本当に疎いんです。今、どんな作家さんが人気だか知ってれば、その分だけ面白い本に巡り会える可能性が高くなるのにね。

もちろん、追いかけた、あるいは追いかけている作家さんもいるんですよ。面白い作家さんを、そうと認識するまでに、ちょっと時間がかかっちゃうんですね。ボーっとしてるから。

だから、この本も、作家さんの人気で選んだんじゃありません。選んだ理由は、もっと単純です。本の見た目が、とても素敵だったからです。

やっぱりそうじゃないですか。素敵な女の人だなあ。ついて行っちゃおうかなあ。なんて、そんなことを考えるときって、女の人の見た目に惹かれているわけで、その段階で内面がどうのなんて、わからないじゃないですか。

つまり、この本は“素敵な女の人”だったんです。その素敵な女の人に、私はついていきました。すると、素敵な女の人は、小さな喫茶店に入っていきました。ほんの少し間をおいて、私もその喫茶店に入りました。ところが、さっと店内を見回しても、素敵な女の人が見当たりません。私はやむを得ず、道路に面した窓際の席に座りました。私は、今日もなにも起きなかったことに少しがっかりし、少し安心しました。この喫茶店でコーヒーを飲んで帰ろう。

「いらっしゃいませ。何になさいますか」と、注文を取りに来たのは、素敵な女の人でした。


徳間書店  ¥ 1,944

寝る前の5分間、この本をめくってみてください。必ずお気に入りの1篇が見つかるはずです
甘くないケーキ
黒豆を数える二人の男
白い星と眠る人の彫刻
ジョーカーのサンドイッチ
ミヤンザワ・キートン
バナナ会議
鳴らないオルゴール
美しい星に還る人
熊の父親
三人の年老いた泥棒
セーターの袖の小さな穴
マーちゃんの眼鏡
映写技師の夕食
アーノルドのいない夜
隣のごちそう
青いインク
カマンザの朝食
世界の果てのコインランドリー
空から落ちてきた男
青いインクの話の続き
つづきはまた明日
冬の少年
二階の虎の絵
ヒイラギの青空


予定調和しか収まりようがないならば、なにかに意味を持たせる必要はないでしょう。もちろん、私だって調和を求めますよ。だけど、それが予定されたものっていうのはつまりません。何でもかんでも予定調和に筋道を持ち込むために、本当はもっと身近にいた神さまは、とてつもない創造神、唯一神にまで祭り上げられてしまいました。

だったらいっその事、調和しないことも恐れない。いや、調和してほしいけど、すべては神様の思し召しなんて言われるくらいなら、調和しないこともやむを得ない。

この本に収められている二四の短編は、いずれも終わらない物語です。「これで終わりなの?」っと、ちょっと首を傾げたくなるような話ばかりなんです。あとがきを見て、ようやくわかりました。著者は、“そういう話”を書いていたのです。

《一日の終りの寝しなに読んでいただく短いお話を書きました。先が気になって眠れなくなってしまうお話ではなく、あれ、もうおしまい?この先、この人達はどうなるのだろうーと思いをめぐらせているうちに、いつのまにか眠っているというのが理想です。》

残念ながら私は、“あとがき”は、あとから読んだので、昼間、この物語の大半を読んでしまいました。あれ、もうおしまい?この先、この人達はどうなるのだろうーって考えているうちに、昼寝をしてしまいました。

そして今、私の心の中には、二四の“あれ、もうおしまい?この先、この人達はどうなるのだろう”が、それぞれの輪郭がぼやけて、なんだかぼんやりした大きな総体になって、私の心を温めてくれているような気がします。

《月とコーヒー》という題名の短編は含まれていません。なぜ、この本の題名が、《月とコーヒー》なのか。二四の短編を読んだあと、“あとがき”で納得できるでしょう。




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『あなたへ』 森沢明夫

夫婦の物語ですよね。

何年か前から、夫婦だけの暮らしになって、しかもこの春で退職して毎日仕事に行く生活ではなくなった。それこそ場合によっては、一日中一緒にいるって日々が延々と続くってことにもなりかねない。そう、ここで、この後の人生におけるお互いの距離感を測っていかないといけない。

今は自治会長の仕事があって、この仕事は夫婦で一組みたいな前提になっているから、距離感のすり合わせは、四月当初のすったもんだが一段落してからになるだろう。

映画でも、心が優しく満たされていくような感覚を味わった。小説ではどうか、と思って呼んでみた。物語が終わって、一枚ページをめくると、そこに次のように書かれていた。

《本書は、映画「あなたへ」(脚本・青島武)を原作に創作された小説です》

「もしそれを先に知っていたら、本を読まなかったかもしれない」って、原作を尊重する方も多いと思う。たしかに、同名で物語を綴るなら、原作を壊す訳にはいかない。じゃあ、同じことを書くのかと言えば、そこはそういうわけでもない。映画には映画の、小説には小説の制約と良さが、当然あるわけだから。

小説が売れて、映画化するってのはよくあるパターン。だけど、この逆のパターンもかなりいいよ。難を言えば、映画の役者に引っ張られるところは確かにある。倉島英二は高倉健だった。倉島洋子は田中裕子だった。杉野輝夫はビートたけしだった。南原慎一は佐藤浩市だった。田宮裕司は草なぎ剛だった。

読んでいるこっち側だけではなく、書いているあっち側もそういう点はあったろうと思う。でもそれも悪くない。なにしろ私の頭の中の役者さんたちは、なにしろ理想的な演技をしてくれているんだから。

『あなたへ』    森沢明夫

幻冬舎文庫  ¥ 時価

ある日、亡き妻から一通の手紙が届く。夫婦の愛と絆を綴った感涙の長編小説。
第一章 それぞれの夏の夜
第二章 受け取れない手紙
第三章 羊雲のため息
第四章 嘘つきの果実
第五章 便箋に咲く花
第六章 優しい海
第七章 かぜかぜ吹くな
第八章 あなたへ
第九章 空気のような言葉


映画でここまで語らせたらくどくなるってところも、小説ならくどくない。そのへんは心に秘めて、頭の中の役者さんは背中で十分語ってくれるわけだ。

《他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる》

この物語の核となる言葉。私はこの話を、再生の物語として読んだ。それは、“もう一度生き直す”ってことが、私にとっての当面のテーマ、おそらくこれから先の人生を通じてのテーマだと意識しているからかな。


人生を踏み誤った杉野にとっても、妻の裏切りと向き合えない田宮にとっても、偽名を使って生きざるを得ない南原にとっても、倉島との出会いは“もう一度生き直す”ための、大きなきっかけとなった。もちろん、それを活かせるか、活かせないかは、それぞれの心の持ち方次第なわけだけど。

それぞれが、変わる転機となった。だけど、本当にそれが活かせるかどうかは、この物語の論じるところではないわけだ。ただ、生きている以上、やり直すことはできるってことを伝えるだけ。

倉島にとっても、杉野や、田宮や、南原との出会いは“もう一度生き直す”ための、大きなきっかけだった。倉島自身が、もはや生きていなかったのだから。妻の死を、受け入れてなかったのだから。

亡き妻から生きている夫へ当てられた手紙は、“もう一度生き直す”気持ちを夫に持たせるために書かれたものだった。その、切実な夫への思いが、夫と出会った者の心までも変えた。

さて、夫婦の距離感がどうなるかは、向こうの考えもあるところだから、時間をかけてすり合わせていくんだろう。まあ、ぐずぐず言わずに、私は私なりに毎日を楽しんで朗らかに生きよう。

映画以上に面白かった。




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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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