めんどくせぇことばかり 本 小説
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『カレーライス』 重松清

教室は、つらいところなのか。

高校の教員をしていて、最後の年が3年の担任だった。最後まで担任をやるつもりも無かったんだけど、その学年で1年2年と担任をしてきた教員が転勤をする都合で、急遽、年寄りが引っ張り出されることになった。

「はい、このクラスです」ということになって、授業ですら関わったことの無い学年だったので、他の先生が気にして、気になる生徒について色々と教えてくれようとする。

何人かの話は聞いたけど、結局、あってみなきゃ分からないし、名前の出なかった中にくせ者がいるケースもいくらでもある。話は聞いたものの、先入観を持たないようにして初日を迎えた。

初日というのは、つまり3年1学期の始業式と言うことだ。始業式が終わったら、生徒指導の教員が私のクラスの一員である、ある男子生徒を呼んでくれという。始まった早々、問題発生のようだ。

春休み中のバイト先で、年長者とビールを飲んだらしい。その写真をネットに上げたところ、それに気づいてご注進に及んだ者がいたらしい。自己紹介が生徒指導上の事情聴取の席となり、処分申し渡しのために保護者に来校いただき、数日後には家庭訪問。他のどの生徒よりも、その生徒と濃密な日々を過ごした。

彼は、“気になる生徒”の筆頭に上がっていた生徒だった。「つかみ所が無い」という。「友人もない」という。・・・3年に進級する段階で、なんともあり得ない話。その進級も、赤点がついて、追試を受けての進級だったらしい。

彼の中学からうちの高校に進学してきた者は、彼の他に誰もいない。距離が離れている。その間に、うちの高校と同レベルで、似たような雰囲気の学校が2つはある。彼は、うちの高校への進学を自分で決めたという。しかも、かなり離れた距離を、2年間、自転車通学してきた。

なんて単純な話なんだ。中学時代にいじめられたんだ。中学の同級生と同じ学校には行けないし、電車で一緒になるのも嫌なんだ。

「中学でつらい思いをしてますね」って親に聞いたら、「分かりません」って、暗い顔をされた。

高校に入ってからは、虐められることはなかったんだろう。あれば、とっくにやめている。ただ、誰とも、友人の関係を築くことができなかったようだ。2年で行く修学旅行では、担任が他の生徒に話して、無難な班に入っていたようだ。友人はいないが、激しく嫌われたり、虐められるようなことはない。

〈中学の同級生が誰もいない高校に進学する〉って言うのは、彼が考えた最良の選択だったに違いない。


新潮文庫  ¥ 649

「カレーライス」をはじめとする、教科書や問題集でおなじみの九編の名作集
カレーライス
千代に八千代に
ドロップスは神さまの涙
あいつの年賀状
北風ぴゅう太
もっひとつのゲルマ
にゃんこの目
バスに乗って
卒業ホームラン


進級して、新しいクラスになって、今まで知らなかった者とも同じクラスになる。当初の一週間は、虐められた経験を持つ者にとっては、戦々恐々とした日々を過ごすことになる。座席の前後左右にチラチラと目をやったり、委員や係を決めながら、人の言葉や視線、表情に一喜一憂する。

高校も、それも3年にもなれば、踏んだ場数も数多い。担任が卒業に向けてのイメージを持たせてやれば、あとは生徒だけでも何とかやってくれる。

これが、中学生や小学生となると、大変なんだろう。

どうして著者の重松清さんは、その機微に、ここまで敏感なんだろう。子どもの弱さ、子どものもろさ、子どもの未熟さ、子どものずるさをよく知っている。それを純真さ、一途さに織り交ぜて、描き出している。

この人の書いたお話は、教科書や、問題集、模擬試験や、入試の問題として使われることが多いんだそうだ。受験勉強をすれば、もれなくついてくる作家さんなんだそうだ。誰でも共感できるような話であることも、その理由の一つだろう。

還暦を過ぎた、この私でも共感できたんだから、すごいもんだ。だけど、私は、未熟者たちの一喜一憂というのが、実は嫌いだ。あんまり、心の細かいひだの中まで入り込んでいく話はちょっと苦手だ。

だから、この本に収められた重松清さんの9個の短編のなかで3つほど、苦手な種類の話があった。

さて、私のところの問題児。心機一転、新しいクラスに馴染みたい最初の一週間を謹慎で棒に振り、完全に意気消沈。授業でも後れを取り、中間試験で、自ら結論を出してしまった。中間試験開けの金曜日がディズニーランドの遠足。穏やかな生徒のそろう無難な班に、彼との付き合いを頼んでおいたんだけど、欠席。それきり、学校に来なくなった。

定時制にいた時期があるので知っててあたりまえなんだけど、高校を卒業するのに必要なのは74単位。だけど通信制でもないと、その年の単位を全部修得しないと、その年度を修了したことを認めない。

彼は全日制の2年まで終えているのだから、74単位に残る単位はごくわずか。全日の高校から私立の通信制に転校すれば、不足している分の授業だけを集中して行ない、おそらくほんのひと月、ふた月で、不足単位分を補って、全日制の卒業式前に、高校卒業にこぎ着けられる。

あるいは、1科目、2科目ならば、高校卒業程度認定試験を受けてもいい。試験に合格すれば、大学や専門学校の受験資格が得られる。

彼は、学校に行けなくなったことがやはりショックだったようで、しばらくグズグズしていた。電話にも出なかったんだけど、親を説得して何度か面会し、高卒認定試験を受けさせた。

赤点で追試認定だけど、英語の単位を2年で取っていたのが大きかった。なんと、高卒認定試験は現代社会の1科目だけで、何とか合格。今は、大学3年生。

何とかなるもんだ。



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『作ってあげたい小江戸ごはん 2』 川原真由美

娘家族が、川越に住んでいる。

夫婦と子ども二人の4人家族。両親とも、物作りを仕事にしていて忙しい。子どもは、上が今年小学校に入った。下は保育園通い。仕事が立て込むと、「週末、預かってくれないか」ということになる。

今年は、そのパターンが多かった。感染症流行下でもあり、また娘のところには車がないので、爺婆が車で送り迎えする。東松山から国道254号線を南に進み、山田の交差点で右側の市街地へ向かう道に入る。2キロほど進んだ信号を左折すると、左手に現れる裁判所前の三叉路を右折して娘の家に向かう。ここから3キロほどの区間が、観光客の多い通りで、車の運転にも気を遣う。

裁判所近辺で、最近、着物を着た女性をよく見かけるようになった。、・・・いやいや、女性だけじゃない。カップルで着物を着て歩いている。着物を着た人は、川越駅方面から裁判所に向かって歩いてきて、裁判所前を右に曲がって行く。

そちらに進むと、川越の総鎮守氷川神社がある。なんでも、縁結びの神さまとして訪れる人も多いという。市内には何軒か、着物のレンタルショップがあって、着付けからヘアセットまで、頭からつま先までそれらしく整えて、3000円もかからないサービスをしているらしい。

自分の子どもが小さい頃は、ときどき川越に遊びに連れてきた。丸広の屋上であるとか、菓子屋横町であるとか。だけど、最近の観光客の多さはどうだ。以前とは比べものにならない。車を運転していると、道路に人があるれているように見える。

ただ、川越は“小江戸”と呼ばれるとおり、街自体が観光客を集めている。だから、道から車を排除するのは難しい。現状でも車で走るときは気を遣う。これ以上観光客が増えるようなら、やはり対策は必要だろう。

『作ってあげたい小江戸ごはん 2』を読んだ。

小江戸川越の氷川神社の近くにある信楽食堂。昔ながらの定食屋だが、その名前から《たぬき食堂》と呼ぶ人もいる。主の入院で東京で修行していた息子が帰ってきたが、父と息子の間には、亡くなった母への想いを巡る心のすれ違いがあった。

複雑な思いを抱えたまま、信楽食堂の厨房に立った息子の大地だが、思わぬ味方が現れる。やたらに古風なしゃべりを繰り返す、ひたすら前向きな天然娘が、いつの間にか信楽食堂に居着いてしまう。



角川文庫  ¥ 660

川越の定食屋「たぬき食堂」、絶品定食を求めて、今日もお客さんが訪れる
第一話 節東風ーまんぷくトマトスープ
第二話 桜湯ーごまねぎポン酢
第三話 春祭ーびっくり焼きおにぎり
第四話 祝言ーえんむすびのサツマイモ
第五話 掻餅ーぼた餅とおはぎ


いつの間にか信楽食堂に居着いてしまった娘は、すぐに店の看板娘になってしまう。名を、“たまき”と言うが、ふと油断をした瞬間に、尻尾をだす、・・・これは慣用句としてではなく、本物のふわふわとした尻尾を出してしまうことが時々ある。

ただ、“たまき”がいることで、信楽食堂の雰囲気は、いつしか変わっていった。お互いの気持ちがすれ違い、ぎくしゃくしていた父と息子が分かり合えるようになったのも、“たまき”の能天気なまでに楽天的な考え方の影響によるところも大きい。

さて、3人がそれぞれの役割を果たして切り盛りする信楽食堂を舞台に、『作ってあげたい小江戸ごはん』も第2巻となった。

第一話では、かつて大地が世話になった、銀座の有名洋食店《洋食屋近藤》の主、近藤が現れる。大地に会うために、わざわざ川越まで足を運んだのだ。一体、なんのために・・・。

第二話では、母を亡くし、その母に支えられていたことを、今更ながら思い知らされた芸能タレントが、番組をすっぽかして信楽食堂にやってくる。そこには、なんと、母の面影が・・・。

第三話では、店の常連大築が、死にそうなほどの沈んだ顔でやってくる。離婚したときの約束で、大築と一緒に暮らしている娘が中学を卒業するとき、あらためて父と暮らすか、母と暮らすかを決めるという。状況は、大築に不利だった。

第四話では、大地の初恋の人、岡野理沙子が信楽食堂にやってくる。結婚式の日の、簡単な食事を頼みたいという。話を聞くと、理沙子の父親は、この縁談に乗り気ではないらしい。

第五話では、《洋食屋近藤》の主、近藤が、信楽食堂にやってきたわけが明らかになる。

この第二巻で、すでに『作ってあげたい小江戸ごはん』も、“人情食堂物語”の形を確立しつつあるように思われる。なにしろ、気軽に読めるのがいい。

ひたすら時間を過ごさなければならないようなとき、こんな本があるといいな。

それから、料理ってところに注目すると、今回、圧倒的に、第一話の《まんぷくトマトソースごはん》だな。“たまき”が作った《卵の黄身の醤油漬け”もいい。すでに“卵の黄身の醤油漬け”は作った。かなりうまい。



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『龍神の子どもたち』 乾ルカ

秩父に大企業の地方工場があった。

父はそこで働いていた。戦争中に、中卒で、小間使いとして雇われたんだという。工場の掃除をしたり、たばこや新聞を買いに走らされたそうだ。定時制で高校を卒業して、ようやくまともな仕事が出来るようになった。結婚して、子どもも生まれ、管理職試験にも受かったけど、地元を捨てられず、課長より上には上がれなかった。

それでも、ずっと同じ工場で働くことになったことで、秩父工場のことは隅々まで掌握していた。工場には、本社から同年配や、それより下の人たちが派遣されてきて、数年間を秩父工場で頑張って、本社に戻って出世していく。そういう人たちは、秩父工場のことなら何でも分かっている父を頼りにしていたようだ。地元を捨てて本社に行っていれば、ライバルになったはずだが、その道を諦めた父は、安心して頼れる存在だったのだろう。

そういう人たちは、立派な社宅で家族の人たちと生活していた。その子どもたちは、私と同じ小学校、同じ中学校に通った。同じ学年には二人いて、小学校の終わり頃から、中学校一杯をともに過ごし、そのあとは東京に帰っていった。おかしな話し方をする人たちだと思ったが、父からは仲良くしてやるように言われていた。
そういう人たちの生活の利便を図ることも、父の仕事のうちだったようだ。


父はその人たちの誘われてゴルフをするようになった。「お父さんは、まだゴルフが下手なんだってね」って、父を誘った人の子どもから言われて、不愉快になったことがある。
もともと、テレビの人みたいな話し方も、どこかすかしているように感じていた。そいつともう一人の子を、釣りに連れて行ってやれと、父に頼まれたことがある。気が進まなかったけど、仕方がない。

竿を三本もって、バケツを自転車にくくりつけて、浦山川に連れて行ってやった。笹竹の竿に垂らした釣り糸に針を付けただけで、エサは川虫を現地調達。川に入って、川下に向かって竿を振る。あんま釣りという。おそらく今は、その名前が変わっているだろう。

二人はどうやら、それなりの仕掛けとエサで釣るものと思っていたようで、「そんなので釣れるの」と疑わしげ。だけど、始めてみれば釣れる。私だけじゃなくて、彼らも釣れた。ただ、川虫に触るのが嫌なようで、エサはその都度、私が付けた。

昼前だけでずいぶん釣れたので、私の家に行って、食べることにした。二人が気持ち悪がったので、はらわたは全部私が抜いた。母に揚げてもらって食べた。面白かったし、おいしかったようで、これを機会に、それなりに打ち解けて話すようになった。

彼らは、本当は、秩父には来たくなかったんだそうだ。・・・そりゃ、そうだ。



祥伝社  ¥ 1,760

大人になって忘れてしまっているかも知れない人を思いやる物語
第一章 谷津流とニュータウン
第二章 仲良くなれない
第三章 その意味は
第四章 都会の子になるんだよ
第五章 林間学校
第六章 山崩れ
第七章 山中を行く
第八章 帰還、そして


『龍神の子どもたち』という題名と、目次にある各章の章題を見れば、だいたいの内容は想像できる。そして、その通りの内容の物語である。

この物語を読んでいて、上に書いたような、東京の学校から転校してきて、社宅に住んでいる子どもたちとの関わりを思い出した。生まれて、成長してきた環境が違うんだから、子ども同士がすぐになじめないのは当たり前。それでも、きっかけがあれば、いずれはね。

だいたい、秩父では、奥まで入りすぎで、ニュータウンを作ったって入る人はいない。遠すぎる。ニュータウンやゴルフ場は、平野のヘリ。へりから立ち上がる山を崩して作るもんだ。

それは、今私が住んでいる場所が、まさにそう。関東平野のへり。ヘリから立ち上がる山を崩して、ここにはニュータウンが2つ、ゴルフ場は4つ。

パソコンの地図を見ながら、近くのゴルフ場を確認した。5キロ圏内で4つ。30キロ圏内にすると10個もあった。

さて、子どもの行った小学校、中学校は、地元の子どもとニュータウンの子どもが入り交じる。ニュータウンのために作られた小中学校で、こちらに近い地元の地区からも通うようになった。

私の家はというと、地元側。地元地区に越してきた新住民である。地元とニュータウンでは、人の付き合い方が違う。それ以前に、人が違う。ニュータウンの人たちは、東京で仕事をしている人たち。一戸建ての家を持つために、東京から引っ越してきた。地元の人にも、東京で仕事をする人が増えてきているが、元からここにいる人たちは、やはり違うのだ。

学校でもそう。ニュータウンの子どもたちは、勉強がよく出来る。地元の子どもたちは、そうでもない。近隣の小中学校が手狭になって、校区をニュータウンの学校に変えるという話が出たとき、地元の親たちの大反対でつぶれたこともあった。同じようなもんなんだな。

何が違うかと言えば、ここには白鷹山も黒蛇山もないと言うことだけだ。だけど、それがないからと言って、ここが安全な場所というわけじゃない。昨年の台風19号では、都幾川と九十九川が氾濫し、多くの家が水に浸かった。

秩父にある武甲山は石灰岩を採掘し続けている。私が子どもの頃の立派な山容は、今、見る影もない。武甲山の神さまは龍神である。しかし、龍の怒りは下ったことがない。それを良いことに、今でも山を削り続けている。山を崩して、ニュータウンを作り、ゴルフ場を作っている。最近では、山の木を伐採して、太陽光パネルを並べている。

太陽子パネルを苦々しい思いで見ていると、《監視カメラ作動中》の看板が目に入る。私がいずれ惚けてしまったら、きっとこんな看板は無視して、太陽光パネルに石を投げてしまうだろう。

私だって、龍神の子だから。


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『食王』 楡周平

子どもの頃は、怖いものがたくさんあった。

なんだか、怖いものだらけだった。なんて言ってもノストラダムスの大予言。「1999年の7の月に人類は滅亡する」という予言。1999年と言えば、自分は39歳。40歳目前で死ぬのか。だけど、その歳なら、滅亡してもいいかな。もう結婚しているだろうし、子どももいるだろう。自分は良くても、子どもはかわいそうだな。そんなことを考えていた。

自分が大人になる頃には、お爺ちゃんとお婆ちゃんは死んじゃうだろうな。お父さんやお母さんが早く死んじゃったらどうしよう。

石油はあと30年でなくなるって言ってたな。石油がなくなっても石炭なら取れるみたいだし、いざとなったら、山に行けばいくらでも木が生えているから大丈夫だろう。

水俣病っていうのはずいぶん酷いらしい。四日市ぜんそくも酷い。向上の煙が悪いんだろう。あんなの塞いじゃえばいいのに。そう言えば、修学旅行で東京に行った真ちゃんが、光化学スモッグで息が出来なくなったって言ってたな。息が出来ないのに、東京の人はどうして大丈夫なんだろう。公害って、そのうち秩父にも来るのかな。

武甲山は、石灰の取り過ぎでなくなるらしい。酷い話だ。向こう側が見えちゃったりしたら、どんなことになっちゃうんだろう。

チクロって毒なの?だって、この間までジュースに入ってたのが、禁止になったらしいよ。発ガン性?ガンになるの?え~、もの凄いたくさん飲んじゃったよ。僕はガンになって死ぬのかな。

あんなにたくさん怖いことがあったのに、本当にそうなったのは、二つ。祖父母と父母は、たしかにみんな死んだ。武甲山は、まだあるにはあるが、向こう側が見えつつある。

さて、この本。今の日本は、さまざまな問題に直面しつつあり、その困難の度合いは、まさにこれから高まっていくことになることを、つくづく感じさせられた。


『食王』    楡周平

祥伝社  ¥ 1,980

食の世界から日本の抱えるさまざまな問題と、未来に向けての明るい展望を探る
序章
第一章
第二章
第三章
第四章
第五章
第六章
終章



北陸の小京都と称される金沢にある会席料理の老舗料亭《万石》も、大きな課題を抱えていた。それはかつて隆盛を極めた西陣の織物、京友禅などにも共通する問題であった。

私たちの生活環境は、伝統技能が隆盛を極めた頃とは大きく変わった。消費者にとってそれらの伝統技能は、その重要性は認めつつも、実生活の中に取り入れるには及ばない。つまり買わない。敬して遠ざける対象となってしまった。

完全にそうなってしまってから慌てても遅い。伝統技能が自ら変わっていかなければならない。しかし、そこには数多くの抵抗が予想される。

抵抗があっても、今始めなければ、もう間に合わない。

2011年3月11日、あの地震の時、私は定時制高校の職員室にいた。前の晩に、その歳の卒業式を終えたばかりだった。その後、テレビで見た津波に言葉を失った。被災の様子が明らかにされるに至って、自分のその後の人生が、この出来事によって決定づけられたと感じた。

被災地の復興は進んだが、町がもとの活気を取りもどしたわけではない。若者は仕事を求めて都会へ移住し、仕事のない被災地を去って行った。その傾向が現れ始めると、徐々に速度をあげていく。

今、何か手を打たなければ、もうその流れは止められない。

割烹料理の老舗料亭《万石》の花板を務める森川順平。彼は築地で仲卸を仕事にする桶増の次男に生まれ、料理人を志して《万石》の門をくぐった。

3・11の津波は、小学校6年生だった滝沢由佳の町にも押し寄せた。高台の学校で難を逃れた由佳だが、3歳年下で、早い時間に下校していた弟と、祖父母が自宅にいて、津波にのみ込まれた。由佳は父母の頑張りで東京の大学に進み、バイトをこなしつつ就職活動の年を迎えていた。

二人をつなぐことになるのが、梅森大介。彼は全国に110店舗を展開する外食チェーンのオーナー社長。成功を収めた彼も、人生の終盤を迎えて、事業の新たな展開を必要としていた。

森川は父を通して梅森に結びつき、由佳は森川の店舗の一つでアルバイトをしていた。

生き馬の目を抜くような世界で事業を成功させていくためには、甘いことは言っていられない。だけど、義理人情を抜きにして、世の中を語っても意味がない。


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ジャンル : 本・雑誌

『夏の騎士』 百田尚樹

少年は、昭和最後の夏に手に入れた勇気を頼りに、人生を切り開いてきた。

平成が過ぎ去り令和となり、12歳の少年は43歳の中年男になった。彼は時々、31年前のあの夏の日々を、ずっと彼の人生を支えてくれていたあの夏の日々を思い出しているようだ。

そこから、さらに17年たった、60歳の初老の男が私なわけだ。だけど、43歳の中年男も60歳の初老の男も、認識には大して違いがないということが、あらためてよく分かった。

これは、かなり大きな収穫だった。

子どもっていうのは、本の小さな子とをきっかけに成長したり、あるいはダメになったりする。主人公の少年や少女にとっても、それはどこの教室でも起こりうる、さほど珍しくもない減少だったに違いない。

それはいじめとまでは言い切れないような嫌がらせであったり、他愛ない言い争いであったりする。いつもなら、相手の本気度を測りながら、卑屈な笑顔を作って引き下がったり、ついつい言い過ぎて、逆に自分の方が自責の念に苛まれたりする。

だけど、あるとき、彼らは踏ん張った。嫌がらせや、相手の悪意に立ち向かった。立ち向かったと言っても、戦ったのではない。文字通り、踏ん張ったのだ。引かなかった。それが彼らが、教室全体に示した、はじめての“勇気”だった。

主人公の少年たちと同じように、私も子どもの頃に秘密基地を作ったことがある。冬になると枯れ草と枯れススキが広がるばかりの原っぱに、隣の大工さんからもらった端材を持ち込んで小さな部屋を作り、枯れ草や枯れススキで偽装した。

2~3歳違いの範囲の近所の子どもたち数人で、特にそこで何をやるというわけでもなかった。せいぜいトランプでもするのが関の山。後は、遊び道具の置き場に使っていた程度。

正月は楽しかった。そこでゲームをして遊んだ記憶がある。火を入れた七輪を持ち込んで、餅を焼いて食った。今考えれば恐ろしいな。ほどよく乾いた原っぱが全焼してしまう。


『夏の騎士』    百田尚樹

新潮社  ¥ 1,524

百田尚樹、待望の長編小説。勇気――それは人生を切り拓く剣だ。
あれから31年の歳月が流れたが、ぼくが今もどうにか人生の荒波を渡っていけるのは、あの頃手に入れた勇気のおかげかもしれない。 昭和最後の夏に経験した、少女殺害の謎をめぐる冒険、友情、そして小さな恋。 稀代のストーリーテラーが書き下ろした百田版「スタンド・バイ・ミー」、ついに刊行。


秘密基地は、そう長くは持たなかった。

誰かが人なつこい野犬を拾ってきて、それにポチという名前をつけて、秘密基地で飼い始めた。当然、エサが必要になる。何とか親に内緒で、残り飯を持ち寄ったりした。朝は交代で散歩に連れ出した。学校が終わってからは、ポチを中心に遊んだ。

ただ、秘密基地の中で遊んだり、餅を焼いて食うわけにはいかなくなった。なにしろ、秘密基地は、ポチの犬小屋になってしまったからだ。

しかも、ポチのエサの持ち出しは、まもなく親にバレ、ポチの処遇が問題になった。ポチが殺されると震え上がった私たちは、山に連れて行って離そうと、親の前に行動を起した。山の神の前でエサを食べているうちに走って逃げたが、まもなくポチの追いつかれた。

もう一度、山に離すことを話し合ったが、翌日、仲間の一人の家で飼うことになった。秘密基地は、ポチの糞尿で使い物にならなくなっていた。

落ちこぼれ状態の小学生が、アーサー王物語に憧れて、騎士団を結成する。騎士はレディを守らなければならないと、クラス一の人気の女子を“レディ”に見立てる。

私の感覚でも騎士団まではあり得る。ただし、結成するなら、新撰組か白虎隊あたりだろう。もちろん、レディを守ろうという発想はない。むしろ、遠ざけただろう。それが私の年代の、おそらく大きな弱点だ。

教員の仕事をしていて、平成時代の子どもたちが羨ましいと思ったことはほとんどない。唯一、男子と女子の距離が近くなったことは、いいことだと思った。

私の入学した高校は共学校だけど、共学校なのに男子クラスと女子クラスが分かれていた。それが私たちが3年になるときに、共学クラスになることになった。女子たちがどうだったかは知らないが、男子は激しく動揺した。

私にも小学生の時に好きな子がいた。だけど、関わることなく時が流れただけだった。それに関しては、平成時代の子どもたちは羨ましいと思った。

子どもの頃の成功体験は、掛け替えがない。そのためには、小さな勇気が必要になる。その小さな勇気を支えるのは、誰かを思う気持ちであることが多い。家族であったり、友人であったり、先生であったりする。

私は小学校4年の時の、産休代替の若いきれいな先生だった。クラスのいたずら者が、朝の会にやってきた先生の頬に輪ゴムを飛ばしたのだ。急なことに動転した先生は、顔を押さえて教室から出て行った。気がついたら私は、いたずら者につかみかかっていた。私は、すぐに教室に戻った先生に、引き離された。

40歳を超えたって人生は厳しいが、頑張れヶそれなりの答えが出ることを知ってる人間は、何とかやっていける。余力があれば、それを世の中に返すことも出来るようになる。40代から50代の中頃は、子どもの教育費で何かと大変だったが、その後はだいぶ楽になった。40代よりも、今の私の方が、世の中に返せるものは多いだろう。

そんなことより、あの先生は、関わりを持つことさえ出来なかったあの娘は、その後どんな恋をしたのだろう。



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『あかり野牧場』 本城雅人

感染症が流行してから、いろいろなスポーツの大会が中止になったり、延期になったりしている。最近、ようやく、対策を施して、いろいろなスポーツの大会が再開されつつあるけどね。

JRAの競馬は、レースをやめなかった。走るのは馬だからね。人間の感染症のせいで、競走馬として走れる短い期間を棒に振らせたらかわいそうだもんね。お金が絡んでくる部分もあるけど、それ以上に競馬という一つの文化、競馬に関わる一つの社会が途切れてしまう可能性だってあったろうからね。

競馬場に観客は入れないで、レースはそのまま行なわれていった。競馬界って、かなり限定された社会だから、流行が中に入ってしまったら大変なことになるだろうから、関係者の緊張感は並大抵のものじゃなかったろう。

週末になっても、テレビでも、まったくスポーツ観戦が出来なくなった中、競馬だけはやってた。本当、競馬中継に救われたようなところがあった。

武豊がデビューした頃に競馬を始めた。オグリキャップが活躍してた頃だ。一時はかなりのめり込んだけど、子どもの教育費が馬鹿にならなくなって、馬券からは離れてしまったけど、上記のような理由で、また1レース100円、200円で遊ばせてもらうようになった。競馬って、本当に面白いね。

さて、この本。

あかりの牧場で生まれたサラブレッドのキタノアカリ。私も最初、ジャガイモみたいとか、小麦みたいとか思ってしまった。この本の中にも出てくる話だけど、ジャガイモならキタアカリ、小麦ならキタノカオリだった。そのキタノアカリに関わるさまざまな人間模様が描かれたこの物語、とても面白かった。

家族経営の生産牧場、馬主、調教師、騎手、それぞれの関係者に、それぞれの人生があるんだな。まさに『騎手の一分』であり、牧場主の一分、調教師の一分、馬主の一分だ。

『優駿』に連載されていたものを、一冊にまとめたものだそうだ。


『あかり野牧場』    本城雅人

祥伝社  ¥ 1,760

ダービーのスタンドが、ファンで埋め尽くされる日が戻りますように
第1話 馬産地のざわつき
第2話 家族牧場の意地
第3話 噂の女
第4話 最後の連絡
第5話 初めての嘘
第6話 町のあかり


物語でもドラマでも、最近は現実的であることが求められることが多いらしい。

私のように、人生に躓きながら生きてきた人間にすれば、本当のところ、そういったものには夢を見させてもらいたいという気持ちが強い。馬券を買うときも、ついつい夢を見がちで、・・・つまりは外してしまう。現実は厳しい。

競馬を始めて間もない頃、最初に入れ込んだ馬が、ライスシャワーだった。

的場に乗り変わった皐月賞から追いかけるようになった。皐月賞と、それに続くNHK杯で大敗し、その次がダービーだった。ミホノブルボンの一番人気のレースで、スタートから逃げるミホノブルボンを番手でライスシャワーが追いかける展開。

結局、このレースは行った行ったの決着になって、一着ミホノブルボンに続き、ライスシャワーは4馬身差の二着に残った。前の二走を大敗していただけに、馬連300倍近い万馬券。菊花賞ではミホノブルボンを逆転して一着に入り、ステイヤーとしての才能を開花させた。

しかし、ライスシャワーはミホノブルボンの三冠を、最後の菊花賞で邪魔したと、とらえたファンも多かった。天皇賞春では連覇を狙う一番人気のメジロマックイーンまで破ってしまった。連覇を邪魔しちゃったわけね。鞍上は人気絶頂の武豊。どうも、ライスシャワーは、悪役ムードが漂っていた。漆黒の小さな馬体でね。だけど私は、大好きだった。

そのライスシャワーは1995年の宝塚記念で、3コーナーで骨折して転倒、レース場で予後不良と判断され、殺処分となった。落馬した的場騎手は、馬運車で運ばれるライスシャワーを最敬礼で見送っていた。的場を男にした馬だからね。

武豊が乗ったサイレンススズカは、他馬を大きく引き離して逃げる4コーナーだった。鞍上の武豊が突然手綱を絞って馬を止め、下馬。その脇を、後ろから追ってきた他馬が通り抜けていく。

レース終了後、4コーナーで、顔を蒼白にした武豊とサイレンススズカがテレビ画面に映し出される。えっ、サイレンススズカまで!

物語やドラマでも、リアルであることが求められるご時世、私はこの物語のラストに描かれるダービーの場面、キタノアカリが、ただ無事に走りきることだけを祈りつつ読んだ。

そして、歓声を上げた。


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『北里柴三郎 ドンネルの男』 山崎光夫

たしかに、北里柴三郎の伝記は、大人になってからは読んでない気がする。

子ども向けのものしかなかったんだそうだ。それが、この本の著者である山崎光夫さんが、北里柴三郎のもとで経理を担当し、秘書を務めた田畑重明が、日常を克明に記した日誌を入手したんだそうだ。それを機として、この本が生まれたようだ。

私も子どもの時分に、子ども向けに書かれた、北里柴三郎の伝記を読んだ。この本にも登場してくる野口英世の伝記も読んだ。日本の偉人たちの伝記は、子どもの時分に、子ども向けの伝記であらかた読んだ。海外の偉人の伝記も含めて。

その子ども向けの伝記の先は、中学校以降の歴史の授業になってしまって、教科書に名前が登場する程度で終わってしまう。その偉人の生涯について、子ども向けのもの以上に掘り下げたものが、どうもないようだ。大河ドラマで取り上げられるような、歴史の変わり目の武将たちの話を除いてはね。

とくに文人に関しては、子ども向けのものさえおぼつかない。

だから、自分から求めて、情報を引き出さなきゃならない。北里柴三郎の情報をどうやって引き出したものか、良く覚えていないけど、歴史の教師をしている頃は、年に一度は彼の話を持ち出した。

世界史ならば、ペスト大流行に絡めて、日本史ならば、明治期の日本人の活躍として。

その話の中でも、北里柴三郎が第一回ノーベル医学・生理学賞の候補に選ばれながら、受賞できなかったことを、生徒に伝えた。

当時、北里柴三郎はドイツのベルリンで、師であるロベルト・コッホの支持で、エミール・フォン・ベーリングと共同研究をしていた。北里柴三郎は、破傷風に関わる研究で成果を出していた。それは破傷風免疫動物の血清のなかには、破傷風の毒素に対抗してこれを無毒化する物質があることを確かめたことだった。当時、柴三郎はそれを「抗毒素」と呼んだが、今は「抗体」と呼ばれている。

まさに、免疫血清療法の基礎を呈示する、すぐれた研究成果だった。

そこで、師のコッホは、当時、多くの人を絶望の淵に追い込んでいたジフテリアの研究を進めるベーリングと柴三郎を組ませた。ジフテリアに対して柴三郎の研究成果を応用するというのが、コッホの指示であった。二人の研究は、免疫血清療法の夜明けを告げる画期的な成果となって表れた。



東洋経済新報社  ¥ 2,420

破傷風菌の純粋培養、ペスト菌の発見、日本近代医学の父・北里柴三郎
第一章 立志の道
第二章 ベルリンの光
第三章 疾風の機
第四章 怒濤の秋


1901(明治34)年、「血清療法の研究、特にジフテリアに対する応用」を評価され、ベーリングは第一回のノーベル賞医学・生理学賞を受賞した。

この本でも、その時、なぜ北里柴三郎が受賞できなかったかに触れている。ジフテリアが飛沫感染で人から人に移り、その大流行は社会的混乱をもたらし、患者数は破傷風の数百倍に及ぶ。つまり、北里柴三郎の研究テーマであった破傷風よりも、ベーリングの研究テーマであったジフテリアの方が、目立ちやすかった。

この本も、その点を上げている。だけど、評価されているのが、「免疫血清療法」であるからには、北里柴三郎が受賞すべきところであった、あるいは、同時受賞が妥当としている。

「なによりも」と強調しているのは、「有色人種に対する差別意識と、極東の小国に過ぎない日本への軽視」であるとしている。

そう、私が授業で取り上げたのも、それを生徒に伝えるためだった。そんな中で、極めてすぐれた研究成果を残したからこそ、「北里柴三郎はすごい」と、生徒に伝えた。

もう一つは、福沢諭吉のものすごさと、官僚機構のいやらしさだ。

祖国に恩返ししたいと、諸外国からの好条件での招聘を蹴って帰国した北里柴三郎に、官僚機構は力を発揮する場所を与えなかった。それを、福沢諭吉は救った。身銭を切って、さらには生涯を通して築き上げた人間関係をフル回転させて、北里柴三郎を後援した。危機に陥ることがあっても、そのたびに福沢諭吉は北里柴三郎を救った。

北里柴三郎は、福沢諭吉の後援で立ち上げた伝染病研究所での活躍で、明治時代、日本の医学を先頭に立って引っ張りつづけた。

福沢諭吉が亡くなったとき、北里柴三郎は男泣きに泣いたそうだ。

福沢諭吉亡き後、福沢諭吉の彼岸であった慶応義塾大学医学部を立ち上げたのは、北里柴三郎であった。

そんな話を、授業でしてた。

伝染病研究所では、何かと言えば弟子たちを思い切り叱り飛ばすのが、柴三郎の常であったそうだ。「莫迦者!」・・・それを弟子たちは“ドンネル(雷)”と呼んだそうだ。落とされた方は辟易とするしかないが、弟子たちも柴三郎の庇護のもとに自由な研究を行なうことが出来た。なによりも、柴三郎は弟子たちに愛された。柴三郎の研究精神は、確実に弟子たちに受け継がれた。

この本は、2003年に上下二巻で発行されたものを、一冊にまとめて、あらためて発行したものだそうだ。おりしも、武漢発感染症の流行で、世界が揺れている。医療従事者にとっては、その存在が試される時となってしまった。

1894(明治27)年、香港でペストが流行し、日本からも調査隊が送られた。北里柴三郎も調査団に加わり、実際、世界ではじめてペスト菌を確認した。この時、ゴム手袋というものはなかったそうだ。薬品で皮膚に薄い皮膜を作って感染防止としているだけで、実際、生還したものの、調査団の中にもペストに感染して苦しんだものがいたそうだ。

今も奮闘している医療従事者の方、・・・どうも、ありがとう。


テーマ : 料理の本
ジャンル : 本・雑誌

『カエルの楽園2020』 百田尚樹

前の『カエルの楽園』を紹介したとき、登場カエルの名前に意味があるなんて思わずに、「日本を壊すデイブレイクは、さながら筑紫哲也あたりか」なんて恥をさらしてしまった。

“デイブレイク”は夜明け、つまり朝日新聞のことだったんだな。また一つ、恥を増やしてしまった。・・・まあ、今更いくつか増えたところで、“恥ずかしきことのかずかず”で一括りに変わりは無いが。

ナパージュが、NAPAJで、日本を表すことに気づいたときに、ほかの名前もよく検討するべきだった。だけど、検討しても分からない。北の山に住むワシのスチームボードが米軍、あるいはアメリカのことだってのは分かるんだけど、どうしてスチームボードなんだろう。

ハンニバル兄弟は自衛隊でしょ。長男のハンニバルはカルタゴのハンニバル・バルカ、次男のワグルラはスー族クレイジー・ホース、三男のゴヤスレイは、アパッチ族のジェロニモ。まあ、戦う存在ってことでいいんだろうか。

プロメテウスはナパージュの元老の中でもっともタカ派で、ナパージュを「三戒」(カエルを信じろ、カエルと争うな、争うための力を持つな)にとらわれない国に変えていくとしている。この三戒、もとはスチームボードがナパージュのカエルに押しつけたものと言うことだから、マッカーサーに押しつけられた憲法だな。これを変えるって言うんだから、プロメテウスは安倍首相でしょう。ギリシャの神様がなんの関係があるのかな。

プロメテウスにことごとく反対し国政をかき乱す元老の一人カルディアン、その先祖はヌマガエルらしい。何でも、カルディっていう韓国食材の店があるとか。今回もプロメテウスの“チェリー広場のパーティ”をしつこく追求して、武漢ウイルス問題を放置してしまった。“チェリー広場のパーティ”は桜を見る会・・・カルディアンは福島瑞穂か。

ウシガエルの沼で新しい病気が流行ってることに、早くから注意喚起をし、「ウシガエルをナパージュに入れるな」と主張していたイエストールは分かりやすい。メスガエルの顔を美しく整え、若いオスガエルのちんちんも整えると言えば、「イエス高須クリニック」の先生だな。

“ハエの評論家”を自称するエコノミン。もとは貧しかったウシガエルは、ナパージュからハエの幼虫を送ってもらったことで、今ではとても力をつけたなんて話があるくらいだから、どうやらハエというのは経済のことのよう。その評論家、経済評論家だな。

西の林のリーダーのノツボさん。ウシガエルに水仙の花を100個送ってるんだけど、香川県や兵庫県の知事が、“中国”にマスクを送ってる。香川が2万7千枚で兵庫が100万枚だから、西の林のリーダーのノツボさんは兵庫県知事の井戸敏三さんか。

じゃあ、弱った身体に効くニラの葉を300枚もウシガエルの国に送った東の池のリーダーであるスモールグリーンさんは誰?東の池はナパージュで一番大きな池で、たくさんのツチガエルが住んでると言うんだから東京か。東京都知事だから小池百合子さんか。たしかに最初の知事選の時に、イメージカラーとして緑色を使ってたけど。ニラ300枚は、防護服33万着か。





新潮文庫  ¥ 572

悪夢の翌朝、パラレルワールドに迷い込んだ二人は、新しい病気の流行する世界にいた
ウシガエルの国で「新しい病気」が流行っていたが、楽園のカエルたちは根拠なき楽観視を続ける。しかし、やがて楽園でも病気が広がり始め......。国難を前に迷走する政治やメディアの愚かさを浮き彫りにし、三通りの結末を提示する、警告と希望の書。


スモールグリーンさんにそれを促したのは、元老の一人でもあるツーステップさんだとか。うおっ、これは分かりやすい。二階幹事長。二階幹事長は2月の初めに、自民党として200万円の支援金を“中国”に送ろうとしてたからな。

外務副大臣の鈴木馨祐さんに、「敵対的な行動を行っている国そのものに支援を行うということになる」って強く反対されて、結局、有志による寄付に落ち着いた。いったい誰が寄付したかは、明らかにしなかった。名前がばれるとまずいのかな。

思わぬ側面から名前をつけられたバードテイクって人もいた。バードテイクはプロメテウスの仲間だけど、ライバルでもある。バードテイクは元老トップの座を争ってプロメテウスに負けた。その時プロメテウスが勝てたのは、ツーステップのおかげだと言われている。バードテイクはゆっくり話す。バードテイクは素晴らしそうな発言をするが、実際には何を言っているのか分からない。

あの人だよね。それがなんでバードテイクなのか。分からなかった。・・・簡単なことでした。鳥取1区選出だった。

そして最後に、何でも汚らしく食い散らかして、とにかく口が悪いハンドレット。プロメテウスのことは買っているが、そのプロメテウスであっても是々非々で、気に入らないところがあれば、切って捨てるのも厭わない。なにせ、最近のプロメテウスには、覇気が感じられないという。

このハンドレットが誰か。・・・ハンドレットだからねぇ。他にあるわけないよねぇ。それでも分かんなきゃ、答えは本書の最後のページに。

ハンドレットは、いや、この本の著者の百田さんは、この間、読んだ『危うい国・日本』の中でも、安倍首相のことを、さんざんこき下ろしていた。

「一国のリーダーの価値は、危機の時にこそ表れる」

その観点から言えば、この武漢発感染症に各国のリーダーたちがどう立ち向かったかってところに、リーダーとしての価値が表れていると言うことになる。たとえば、台湾総統の蔡英文は、すぐれたリーダーということになる。安倍首相はどうか。今年の、1月から4月にかけての対応を考えれば、その時点においては、少なくとも、優れたリーダーシップを発揮したとは言えない。

実際に、百田さんは、食事を一緒にする機会があって、それをはっきり安倍首相に伝えたそうだ。

その安倍首相が、8月28日に辞意を表明した。持病の潰瘍性大腸炎が悪化してきていると言うことだった。辞意を表明した会見において、首相の表情には飄々としたものが感じられて、会見そのものに潔さを漂わせた。立憲民主党の石垣のりこ参院議員が「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」と安倍首相を攻撃すると、逆にそれに批判が殺到した。石垣議員は悪あがきしたようだが、悪あがきの果てに、最後は謝罪に追い込まれた。

ああ言う、気持ちのない謝罪に接するのは、不愉快だな。

安倍首相は、首相という地位にこだわる人だ。それは、自分が首相という地位でなければ、成し遂げられないことがあると考えているからだ。改憲だ。その地位を降りるという決断には、苦渋のものがあったに違いない。それを飲み込んでの、あの潔さだったろう。「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」などと、よく言えたもんだ。政治における敵味方の立場を越えて、人間を見る眼を養って欲しいもんだ。

もしかしたら、百田さんが「覇気がない」って感じた頃、すでに病状が進んでたのかな。

すぐに自民党総裁選に関しては、ツーステップが菅さん支持を表明した段階で、勝負は決まってたね。テイクバードにしてみれば、面白くないだろうけどね。


テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『囚われの山』 伊東潤

私にとって八甲田山雪中行軍といえば、新田次郎の『八甲田山死の彷徨』。

書き下ろしの単行本が出たのは1971(昭和46)年。当時、11歳の私は、まだ山にも、新田次郎にもはまってない。しかも、学校の図書館の本しか読んでない。家には祖父や父、叔父叔母の読んだ本が置いてあったが、・・・じつは、ちょっと読んだ。そこから大人の世界を垣間見たりしていた。

新田次郎の本をはじめて読んだのは、中学3年の時。『孤高の人』を読んだ。

中学時代、サッカー部に入っていた。自分でも分かってるんだけど、勝負事だとついつい熱くなりすぎる。サッカーの試合でもそう。校内の球技大会でさえ、上級生と悶着を起こした。同じ郡市の中学サッカー部には、試合の時にやり合った相手が何人もいて、ばつが悪い。実際、高校に進学してみればそんなことはなく、「あれ、サッカー部じゃないの」って、何人かから声をかけられた。でも、勝負事からは離れたかった。

「山岳部なんかどうだろう。自分の家の前は、すぐ武甲山だし」なんて気持ちがあって、『孤高の人』を読んで、思いっきりはまってしまった。新田次郎をはじめとする作家さんたちの、山の本を読みあさった。だけど、『八甲田山死の彷徨』は、文庫になってなかったので、知らなかった。

1977(昭和52)年、『八甲田山死の彷徨』を原作として、『八甲田山』という映画が作られた。新田次郎が原作と知って読んでみたかったけど、文庫になってなかったのであきらめた。

封切られたのは、夏のさなかだったような記憶がある。だけど、この時、私は映画を見ていない。当時、・・・今も、私の住んでいた田舎町には、封切りの映画を上映する映画館はなく、それが入ってくるのは半年以上遅れた。しかも、大学受験の年で、上映されたのは受験時期真っ只中。

結局、見そびれてしまった。

無事大学に合格し、田舎町を出て上京した翌年に、『八甲田山死の彷徨』が文庫本で出た。それを読んで、おそらくその年の夏、どこかの映画館でやってるのを見つけて、ようやく『八甲田山』という映画を見た。どうも、人が凍え死にしていくようは映画は、寒い時期には、身につまされちゃって良くないようだ。

私は、2年遅れて、「天は我々を見放した」と夏の空を仰いだ。


『囚われの山』    伊東潤

中央公論新社  ¥ 1,980

話題の歴史小説『茶聖』の作家が、有名な「八甲田雪中行軍遭難事件」を題材に挑む
プロローグ
第一章 あてどなき行軍
第二章 忠死二百人
第三章 雪天烈風
第四章 最後の帰還兵
エピローグ




『茶聖』で話題になった伊東潤さんの本。

なんて言っても、『茶聖』を読んでないんだけどね。この間、連れ合いが読んでいたな。私がこの本に興味を持ったのは、やっぱり、題名の“山”。カバーの絵から、おそらく八甲田山と分かる。作者の名前は、伊東潤。伊東潤、伊東潤、・・・この間、連れ合いの読んでた『茶聖』の作者だと思い出した。それなら、『茶聖』も家にあるのか。・・・あとで読んでみようかな。
雑誌「歴史サーチ」の編集部員菅原誠一は、特集企画「八甲田雪中行軍遭難事件」を担当することになった。
遭難死した兵士の数が記録によって違うことに気づいた彼は、青森で取材を開始。当時の悲惨な状況を改めて知る。

特集企画は成功を収め、社長からもう一度、特集を組むこと指示された菅原は、再び青森を訪れた。
遭難死した兵士数の違いにこだわる彼は、遭難事件の半年後に病死した稲田庸三一等卒に注目。取材のため、地元ガイドの小山内ととともに冬の八甲田に足を踏み入れた、菅原が見たものとは一体・・・。

話題の歴史小説『茶聖』の人気作家が、世にも有名な「八甲田雪中行軍遭難事件」を題材に挑んだ、傑作クライムノベル!

199人が遭難死した、八甲田山雪中行軍遭難事件。たしかに、もっと光が当てられていい。なにしろ参加者210名のうち、199名が死んでいる。

作者の伊東潤さんが目をつけたのが、あまりの軽装備に情報不足。そんな状態で雪中行軍を強行してしまうことの不自然さ。それから死者は199名であるにもかかわらず、200と書いている報告が存在すること。

ある意味では、端からでも想像のつく些細なことではあるんだけど、それらを掘り下げて、あるいはつなぎ合わせて、ストーリーを展開させている。もとから、199名が吹雪の中に命を落とすという、本当に起こった事件がもとになっている。最初からそこにある重厚さを損なうようなってんかいは許されない。

だから、雪中行軍の様子は、あるがままでなければいけない。それがあるがままであって、その上で読者を引きつけつストーリー展開は、見事なものだと思う。極限における人間の描き方も良かった。

そこに主人公の、雑誌編集部員である菅原を関わらせていくわけだけど、よく分からない世界ではあるけれど、おもしろく読めた。

ただ、最後にこの物語の中で、もっとも恐ろしく、もっとも悲劇的な、・・・あんな事実が待ち受けていようとは・・・。



テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『作ってあげたい小江戸ごはん』 高橋由太

日本の物語には、ある一定の型がある。

おつうは反物を織り上げてよひょうを富ませるが、よひょうに裏切られて、そのもとを去って行く。

男に羽衣を奪われた天女は、その男の妻となり男を富ませるが、ようやく隠された羽衣を見つけて、男のもとを去って行く。

なんだか、そんな話を思い出しちゃった。

苦手な厚焼き玉子をきっかけにレストランを首になる。実家の食堂をを一人で背負ってきた父親が倒れる。実家の食堂を継ぐことになるが、父の味に慣れた常連からそっぽを向かれる。

頭のどこかに、ダメかも知れないと言う思いがよぎる。

そんなときだった。父の見舞いに出かけたのはいいが、なんだか気後れして足が向かず、病院のすぐそばにある的場たぬき山公園で時を過ごす。生い茂る木々に囲まれたたぬきの置物があり、思わずお土産の、ゆで卵の紙袋をおいて手を合わせる。ふとわれに返れば、食堂の、夕方の開店時間が迫っている。さて帰ろうと思ったところ、脇に置いたはずのゆで卵の紙袋がない。袋ごときれいになくなっている。周囲を見渡してもない。首をひねりつつも、さして気に留めることもなく食堂に戻る。

どこか時代がかったバカ丁寧な言葉遣いで、二十歳ぐらいの年格好、丸顔で長い髪の、小柄な女性が食堂を訪ねてきたのは、その翌日のことだった。




角川文庫  ¥ 660

不思議な二人が切り盛りするこの店は、心も体も軽くなる、ほっこり定食屋さん物語
第一話 霜降月の泡雪ーつんつん玉子
第二話 六出花の朝ーつるつる豆腐
第三話 探梅行ーほっこり山おやつ
第四話 梅擬ーじゃない尽くし
第五話 寒卵ーおもいで厚焼き玉子


“小江戸”と呼ばれる町が、各地にある。

関東だと、栃木県栃木市、千葉県佐原市、佐原市は今、合併で香取市になってるのか。それから埼玉県川越市。他にもあるんだろうけど、このあたりしか出てこない。

私の住む東松山市から川越までは、電車で20分、車で30分。遊びに行きやすい場所で、子どもが小さい頃には良く行った。今も娘の夫婦は川越に住んでいる。

なにしろ江戸時代、川越城は親藩、譜代の大名の居城となり、その多くは大老や老中、側用人など幕政を担う重臣ばかりだった。今も目を引き蔵造りの町並みは、明治地雷の大火ののち、火災に強い町作りを進める中で今につながることになった。

須佐之男命を主祭神とし、以下、脚摩乳命と 手摩乳命、奇稲田姫命と大己貴命と、どうみても出雲系としか言えない神々を祀る氷川神社から、歩いて10分ほどのところに食堂はある。商店街の一角ではあるが、駅から遠いこともあり観光客が訪れる店ではない。

うどん380円、たぬきうどん450円、コロッケ定食450円、鮭の塩焼き定食580円、カレーライス580円、豚肉の生姜焼き680円、カツ丼880円、ミックスフライ定食980円。

最高だな、こんな店。ちょっと、本当にはないかな。これじゃあ、やっていけないだろうね。そんな店に、ある日突然、雇ってくれと見知らぬ若い女がやってくる。

この女、「た*き」と名乗る。「えっ?たまき?」と聞き直したことで、“たまき”と呼ぶことになる。たまきは不思議と、人のふところに、ふっと寄り添ってくるところがある。場合によっては、“無神経”と攻められるようなことも、相手がたまきだと、なぜか受け入れてしまう。

そしてその結果、なぜか、あきらめていたことを、頑張ってみることになる。結果はどうあれ、やってみようかと。そう思いきってみれば、そこは父が長く苦労してきた人情商店街。江戸時代から続く、商人の街。

たぬき食堂の新たな主となった大地に、そんなきっかけを与えてくれた“たまき”には、隠しておかなきゃならない謎がある。だけど、慌てふためくと、ついついあれを出してしまう。

それを大地は、見たことがあるような、ないような。


テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

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Author:イーグルス16

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極北の自然に見せられた写真家の旅を一冊に! 
大切なことは出発することだった
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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本
























































































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