めんどくせぇことばかり 本 小説
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『小説イタリア・ルネサンス2フィレンツェ』 塩野七生

憧れのフィレンツェで、今日はどう回ろうかと地図を広げてコーヒーを飲んでた。

お昼が近いような時間だったかな。そしたら突然、隣にきれいなお姉さんが座って、地図をのぞき込んでくるんだ。ニコニコしながら、イタリア語でわけの分からないことを話しかけてきて、地図に書かれた道を、指でたどっていく。その指先を私が目で追いかけようとすると、お姉さんはサッと地図を取り上げて、カフェの前の道の奥を指で指している。

言葉はまったく分からないんだけど、私をどこかに連れて行こうとしている。飲み残しのコーヒーを片付けて、ザックを持って立ち上がると、お姉さんは私の腕に肘を絡ませてきた。

結局、フィレンツェの町を案内してもらった。半分くらいは前の日に回ったところなんだけど、もう有頂天の私。薄暗くなってきた頃、ワインのみながらご飯食べて、グラッチェグラッチェ言ってたら、どうやら、もう一軒行こうという感じ。

ついていったら、お姉さん、地下に入る階段下りていって、先にバルに入ってしまった。あとから遅れてバルに入ると、薄暗い店で、お姉さんの姿がない。奥の方におじさんがいたので、シニョリーナはどこか聞いたんだけど、わけが分からない。仕方がないから戻ろうかと振り返ったら、私の目の高さに盛り上がった肩があるようなでかい男が、二人立っていた。

結局、有り金を巻き上げられることになった。ただ、財布以外に、ベルトの縫い目とか、帽子の内側にある返しの部分とか、ザックの肩紐の内側とか、いろいろなところにかなりの額を分散していたんで、大事には至らなかった。

とてつもなく、いい思い出だ。

今に比べれば、フィレンツェのことなんか、何も知らなかったけどな。ただ、高校の時に羽仁五郎の『ミケランヂェロ』を読んだだけだ。あれで、どうしてもフィレンツェに行ってみたかった。

あの『ミケランヂェロ』をきっかけに、私は左翼系のものの考え方に取り憑かれた。いろいろな事情があるとはいえ、羽仁五郎が作った日教組にも入ったからな。完全にわれを取りもどすまでに、10年はかかった。



新潮文庫  ¥ 1,210

「狂気の独裁者」と「反逆の天使」〝花の都〟に君臨した一族の残酷物語
聖ミケーレ修道院
半月館
晩秋の一日
硬石の器
皇帝のスパイ
トレッビオの山荘
ラファエッロの首飾り
プリマヴェーラ
陰謀の解剖学
反メディチの若き獅子
反逆天使
アルトの向こう
二人のマキャベリスト
イリスの香り
メディチ家の人々
監獄バルジェッロ
一つの考え
刑場の朝
家族の団欒
冬晴れのフィレンツェ
フィレンツェ魂
壁の中の道
糸杉の道
遠方の光
エピファニアの夜
その後




ヴェネツィア元首アンドレア・グリッティの庶子であるアルヴィーゼ・グリッティという無二の親友を失ったマルコ・ダンドロにも、その後試練が訪れる。

恋人の高級遊女オリンピアが、スペイン国王カルロス1世のスパイであったことが発覚するのだ。マルコは3年間の公職追放という処分を受け、この際ヴェネツィア以外の街も見てみようとフィレンツェにやって来た。

かつては、内部に争いを抱えながらも共和政体を確立し、民主主義の都市国家として繁栄した。14世紀後半のチョンピの乱以降、政権は上層市民が独占するようになるが、このころペトラルカやボッカチォが登場し、フィレンツェはルネサンスの震源地となった。美術では、ジョット・マサッチョ・ギベルティが活躍し、ブルネレスキがサンタ=マリア大聖堂を建設、共和制時代のフィレンツェ=ルネサンスの象徴となった。

15世紀からはフィレンツェ共和国では金融業を営むメディチ家が政権を握り、その保護のもとでルネサンスの最盛期の舞台となる。フィレンツェで活躍した人物はダンテ、マキァヴェリ、ミケランジェロ、レオナルド=ダ=ヴィンチなど、枚挙に暇がない。

高校世界史だと、このあとのヴェネツィアはじめ、フィレンツェの影響下にルネサンスを繁栄させる地域が紹介され、フィレンツェは話題から外れていく。フィレンツェはその後、大きな試練に晒されるが、たしかに世界史の主人公という立場には立てない。

15世紀後半のイタリア戦争で、フランス王シャルル8世がフィレンツェに入場し、メディチ家を追放してしまう。その後、フランス王フランソワ1世とスペイン王カルロス5世の対立が激しくなる。ローマ教皇がフランスと結んだことを理由にして、カルロス5世はローマの劫略を行い、ローマは皇帝の派遣した傭兵によって略奪された。

1529年、皇帝カール5世とローマ教皇の和睦が成立し、皇帝がメディチ家のフィレンツェ復帰を確約したため、皇帝軍のフィレンツェ攻撃は避けられない状況となった。1530年、フィレンツェはスペイン兵を主力とする神聖ローマ皇帝軍の10ヶ月に及ぶ包囲攻撃を受け、市民は焦土作戦を展開して抵抗したが、3万の犠牲を出し、8月についに降伏した。そして、カルロス5世の娘婿となったアレッサンドロ・デ・メディチが、フィレンツェ公爵としてフィレンツェに送り込まれ、独裁体制を築いた。

アレッサンドロは、枢機卿ジュリオ・デ・メディチ、のちに教皇クレメンス7世が、メディチ家の黒人奴隷シモネッタ・ダ・コッレヴェッキオに生ませたとも、ローマ郊外の農民の娘に生ませたとも言う。そんなことから、正統なメディチの血統に対して、底知れない劣等感を抱き、大きな敵愾心を持っていたことは間違いないだろう。

しかし、これは後の話になるが、1532年になると、カルロス5世はアレッサンドロではなく、コジモ・デ・メディチをトスカーナ公に封じ、後に、周辺地域とあわせてフィレンツェを首都とするトスカーナ公国が成立することになる。

この物語の主人公、マルコ・ダンドロは、そんなフィレンツェに乗り込んでいき、実在の人物たちに関わって行くことになる。


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『百年の轍』 織江耕太郎

この間、『北条五代』という本を読んだ。

北条早雲に始まり、氏綱、氏康、氏政と続き、その次の氏直で終焉を迎える。今川氏に嫁いぎ跡目争いに巻き込まれた姉の子、龍王丸を助けた北条早雲が、後に伊豆討ち入りによって伊豆一国を支配下のが1493年。そこから五代目の氏直が、小田原征伐に乗り出した豊臣秀吉に屈し、実質的に北条氏が滅びたのが1590年。

五代、おおよそ百年。

この物語では、その“百年の轍”を矢島家四代が受け継いでいく。

矢島泰介と、彼の子、孫たちを翻弄したのも、やはり戦争という時代だったと言っていいだろう。泰介、裕一、健介、周平と受け継がれる矢島家“百年の轍”。

矢島泰介が終戦間際に二次招集されるところから、矢島家を翻弄するボタンの掛け違いが始まる。なぜ矢島泰介は二次招集されたのか。二次招集されるものがいる一方で、終戦に至るまで招集されることなく終戦を迎えたものもいる。じつは、この招集の仕組み、細かいところはよく分かっていない。

招集の要求は師団から県、群を通して市町村役場に下ろされる。当時は役場に兵事係が設置されていて、その兵事係が戸籍簿と徴兵検査の結果を参考にして対象者を絞り込む。そして決定し、召集令状を届ける。その基準、たとえば年齢、健康状態、学歴、職業、家族関係などに統一されたものがあったのか。そういったことは、終戦間際に書類が破棄されてしまって、名簿等をもとにした地道な研究が続けられているんだとか。

ただし、招集に関わる事項は秘中の秘で、兵事書類は兵事係谷尊重などの限られた人間しか見ることができなかったらしい。それは当たり前のことで、“誰が決めている”、“何らかの基準がある”なんてことが村の人に分かってしまえば、それこそただでは済まない。

それでも情報は流れるし、兵事係の方から忖度することもある。招集しやすい奴と、招集しにくい奴はいるということだ。

矢島泰介は、残念ながら、招集しやすかったんだろう。


『百年の轍』    織江耕太郎

書肆侃侃房  ¥ 1,650

戦争から高度成長、さらには産業構造転換期を通して、時代に翻弄される家族の歴史
プロローグ 風に舞う手紙
第一章 九月の雪解け
第二章 ある疑念
第三章 異国に点る光
第四章 憤怒の行き先
第五章 推論
第六章 九月のざわめき
エピローグ 九月十三日 終焉


《戦争と女》というのは、いつの世でも大きなテーマになる。

韓国人の言う“従軍慰安婦”の話ではない。あの国の人は、よく嘘をつく。これは私が韓国人に嘘をつかれて言っているのではない。李朝時代の朝鮮に漂着したオランダ人が、『朝鮮幽囚記』を著している。その中で、「朝鮮人は嘘が上手だ。人を騙すことを恥ずかしく思わず、むしろよくやったと思う」と書いている。韓国の教育者として有名な安昌浩は、韓国人は嘘と人を欺く行為をやめるべきだと訴えた。

2000年に韓国で偽証罪で起訴された人は1198人、誣告罪は2956人、詐欺罪は5万386人だったが、2013年には偽証罪が3420人、誣告罪が6244人、詐欺罪は29万1128人に急増したと指摘したそうだ。もともと、取っても多いところからの急増だから、今の韓国はすごい勢いで嘘を付き合っているんだろう。

それはともかく、《戦争と女》というテーマに戻る。あれだけの大戦争に負けた日本は、多くの女たちが、とても悲しい思いをした。命を落したものも多かった。悲劇の多くは、戦後にまで影を落した。それを呑み込んだまま、日本人は戦後を生きてきた。韓国人とは、ずいぶんな違いだ。そして、戦後復興を成し遂げて、それらの人たちの多くは、すでに鬼籍に入った。

あとは、思いやるしかない。

この話にも、直接的なものではないが、《戦争と女》という大きなテーマが絡む。舞台となるのは大分県の日田、言わずと知れた林業の町。この物語も、その林業が絡む。戦後の経済成長の中、木材需要が急増するが、戦中の乱伐による森林の荒廃もあり木材供給はまったく追いつかなかった。そのため木材価格が急騰していた。

国は、広葉樹林帯や原野を針葉樹中心の人工樹林に置き換え、成長の早い杉や檜を植林していった。同時に、昭和30年代からは木材輸入の自由化が段階的に進められ、国内林業は衰退していくことになる。

物語の舞台である日田は、その木材輸入の自由化と戦っていた。その戦いと《戦争と女》というテーマが絡み合って、事件が起きる。

その悲しみを、家族たちは引き受けてきた。軽いものではないが、それを受け入れたのは、懸命に生きた父母たちへの思いがあればこそ。それに、悲しみが結んだ縁もある。

戦後の女たちは、最初から語られるべきではない物語を抱えたものも多かったろう。でも、語られる必要のある物語だって少なくはない。その物語は、おそらく必要があるからこそ受け継がれ、それが途絶えるのは、受け継がれる必要がなくなったと言うことなのだろう。

物語の進行に、疑問の思う部分もないではないが、最後の1ページまで、とても面白く読ませてもらった。



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『小説イタリア・ルネサンス1ヴェネツィア』 塩野七生

『ギリシャ人の物語』を書き上げた塩野七生さんが、今度は新たに『イタリア・ルネサンス』に取り組むものと、単純に考えていた。

そうじゃないみたい。

たとえば、今、『小説イタリア・ルネサンス1ヴェネツィア』を読み終えたところなんだけど、これは1993年に刊行された『緋色のヴェネツィア 聖マルコ殺人事件』を大幅改稿して改題したものだそうだ。“イタリア・ルネサンス”とはいうものの、同時代人としてティッツィアーノが登場するものの、“ルネサンス”のなんたるかがテーマになっているわけでもない。

『小説イタリア・ルネサンス2フィレンツェ』、『小説イタリア・ルネサンス3ローマ』もすでに発売されていて、これもそれぞれ過去に刊行された、『銀色のフィレンツェ メディチ家殺人事件』、『黄金のローマ 法王庁殺人事件』を改稿の上、改題したものだそうだ。

そして『小説イタリア・ルネサンス4再び、ヴェネツィア』のみが書き下ろしの新作で、これでルネサンス時代のイタリアを描き上げることになる。完結編ということだな。

この本について、塩野さんの思いを読んでみた。

『ギリシャ人の物語』でアレクサンダー大王を書き上げて、「これで死ぬな」と思ったんだそうだ。だけど、人間、そう都合良く死ぬこともできないようだ。

アレクサンダーで、“やり遂げた感”があったんだろう。80歳をずいぶん前に超えた方だから、それは分かるけどな。だけど、“やり遂げた感”に合わせて死ぬのは難しいだろう。

結局は、秀でたものを持った人は、死ぬまでそれをやり続けるしかないんじゃないだろうか。事実、塩野さんご自身、「生きているのに何もしないというのも、けっこう疲れるんです」と言っている。

それに懲りて、この『小説イタリア・ルネサンス』シリーズを書き上げたからと言って、“やり遂げた感”はほどほどに・・・。




新潮文庫  ¥ 1,210

外交官マルコと元首の庶子アルヴィーゼ。二人の若者が地中海世界の命運を決する
夜の紳士たち      恥じいる乞食
元首グリッティ     ローマからきた女
舞踏会         船出
「C・D・X」      地中海
コンスタンティノープル 君主の息子
奴隷から宰相になった男 スレイマン大帝
二枚の図面       後宮の内と外
ロシア人形       エメラルドの指輪
選択の最初の年     海の上の僧院
迷路          謀略
金閣湾の夕陽      断崖
オリエントの嵐     柳の歌
帰郷          牢獄
謝肉祭最後の日     エピローグ



さて、『小説イタリア・ルネサンス1ヴェネツィア』だが、この物語は、どうみても実在の人物であるアルヴィーゼ・グリッティの話。しかし、主人公は架空の人物であるマルコ・ダンドロが務める。

聖マルコを守護聖人とするヴェネツィアであるから、“マルコ”の名を持つマルコ・ダンドロは、ヴェネツィアを象徴する人物ということになる。マルコ・ダンドロは、元首の息子ながら庶子として生まれたがゆえに、父のことしてヴェネツィア人として胸を張れなかったアルヴィーゼ・グリッティの親友として描かれる。

いや、ヴェネツィアの象徴たるマルコ・ダンドロの目を通して、アルヴィーゼ・グリッティが描かれたのが、この『小説イタリア・ルネサンス1ヴェネツィア』ということになる。

マルコ・ダンドロは架空の人物ながら、ダンドロ家は実在した。実在したどころか、あまりにもヴェネツィア的な家柄だ。実際、かなり時代をさかのぼるが、エンリコ・ダンドロというヴェネツィアの宰相を務めた男がいた。彼は、第4回十字軍において、軍資金不足に陥った十字軍に資金を提供し、その代わりに、十字軍にコンスタンティノープルを攻略させた。

これでヴェネツィアは、東ローマ領であった東地中化における拠点をヴェネツィア領に加えた。これでヴェネツィアが東地中海の制海権を握ることになり、このあとヴェネツィア共和国は、国際的立場をどんどん高めていくことになる。つまり、エンリコ・ダンドロは、ヴェネツィア発展の、大きなきっかけを作った人物ということになる。

それにしても、十字軍の遠征は本来、イスラム勢力セルジューク朝に圧迫された、東ローマ皇帝からの要請によって始まったものである。その十字軍が、救援を要請した東ローマを、一時的なこととはいえ滅ぼしてしまう。この第4回十字軍というのは、本末転倒、まったくヴェネツィアの利益のために行なわれたことになる。

実は、その下りも、この物語の中に出てくるのだ。マルコ・ダンドロはコンスタンティノープル駐在の副大使としてスレイマン大帝に謁見するのだが、その際、スレイマン大帝から、コンスタンチノープルで死去し、ハギア・ソフィアに埋葬されたエンリコ・ダンドロのことが話題に出されている。

そして著者は、スレイマン大帝を通して、次のようにエンリコを語る。

「われわれトルコ民族は、ハギア・ソフィアはモスクに変えても、あなたのご先祖の墓は残した。八十歳を超える高齢でありながら、しかも両眼とも視力が非常に劣っている身ながら、あれほどの大事業の先頭に立って、国家の繁栄の基礎を築いたあなたのご先祖を、キリスト教徒ということを超えて尊敬してきたからだ」

第4回十字軍を、本末転倒と切り捨てるのはやめよう。今だって世界は、常に自国の利益を最大限にすることを求めて動いているのだし、それを忘れて身を滅ぼした東ローマが愚かなのだ。

親友を失ったマルコ・ダンドロは、どうやら、ヴェネツィアを離れてフィレンツェに向かったようだ。ただ、『小説イタリア・ルネサンス2フィレンツェ』は、少し時間をおいて読むことにしよう。



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『カレーライス』 重松清

教室は、つらいところなのか。

高校の教員をしていて、最後の年が3年の担任だった。最後まで担任をやるつもりも無かったんだけど、その学年で1年2年と担任をしてきた教員が転勤をする都合で、急遽、年寄りが引っ張り出されることになった。

「はい、このクラスです」ということになって、授業ですら関わったことの無い学年だったので、他の先生が気にして、気になる生徒について色々と教えてくれようとする。

何人かの話は聞いたけど、結局、あってみなきゃ分からないし、名前の出なかった中にくせ者がいるケースもいくらでもある。話は聞いたものの、先入観を持たないようにして初日を迎えた。

初日というのは、つまり3年1学期の始業式と言うことだ。始業式が終わったら、生徒指導の教員が私のクラスの一員である、ある男子生徒を呼んでくれという。始まった早々、問題発生のようだ。

春休み中のバイト先で、年長者とビールを飲んだらしい。その写真をネットに上げたところ、それに気づいてご注進に及んだ者がいたらしい。自己紹介が生徒指導上の事情聴取の席となり、処分申し渡しのために保護者に来校いただき、数日後には家庭訪問。他のどの生徒よりも、その生徒と濃密な日々を過ごした。

彼は、“気になる生徒”の筆頭に上がっていた生徒だった。「つかみ所が無い」という。「友人もない」という。・・・3年に進級する段階で、なんともあり得ない話。その進級も、赤点がついて、追試を受けての進級だったらしい。

彼の中学からうちの高校に進学してきた者は、彼の他に誰もいない。距離が離れている。その間に、うちの高校と同レベルで、似たような雰囲気の学校が2つはある。彼は、うちの高校への進学を自分で決めたという。しかも、かなり離れた距離を、2年間、自転車通学してきた。

なんて単純な話なんだ。中学時代にいじめられたんだ。中学の同級生と同じ学校には行けないし、電車で一緒になるのも嫌なんだ。

「中学でつらい思いをしてますね」って親に聞いたら、「分かりません」って、暗い顔をされた。

高校に入ってからは、虐められることはなかったんだろう。あれば、とっくにやめている。ただ、誰とも、友人の関係を築くことができなかったようだ。2年で行く修学旅行では、担任が他の生徒に話して、無難な班に入っていたようだ。友人はいないが、激しく嫌われたり、虐められるようなことはない。

〈中学の同級生が誰もいない高校に進学する〉って言うのは、彼が考えた最良の選択だったに違いない。


新潮文庫  ¥ 649

「カレーライス」をはじめとする、教科書や問題集でおなじみの九編の名作集
カレーライス
千代に八千代に
ドロップスは神さまの涙
あいつの年賀状
北風ぴゅう太
もっひとつのゲルマ
にゃんこの目
バスに乗って
卒業ホームラン


進級して、新しいクラスになって、今まで知らなかった者とも同じクラスになる。当初の一週間は、虐められた経験を持つ者にとっては、戦々恐々とした日々を過ごすことになる。座席の前後左右にチラチラと目をやったり、委員や係を決めながら、人の言葉や視線、表情に一喜一憂する。

高校も、それも3年にもなれば、踏んだ場数も数多い。担任が卒業に向けてのイメージを持たせてやれば、あとは生徒だけでも何とかやってくれる。

これが、中学生や小学生となると、大変なんだろう。

どうして著者の重松清さんは、その機微に、ここまで敏感なんだろう。子どもの弱さ、子どものもろさ、子どもの未熟さ、子どものずるさをよく知っている。それを純真さ、一途さに織り交ぜて、描き出している。

この人の書いたお話は、教科書や、問題集、模擬試験や、入試の問題として使われることが多いんだそうだ。受験勉強をすれば、もれなくついてくる作家さんなんだそうだ。誰でも共感できるような話であることも、その理由の一つだろう。

還暦を過ぎた、この私でも共感できたんだから、すごいもんだ。だけど、私は、未熟者たちの一喜一憂というのが、実は嫌いだ。あんまり、心の細かいひだの中まで入り込んでいく話はちょっと苦手だ。

だから、この本に収められた重松清さんの9個の短編のなかで3つほど、苦手な種類の話があった。

さて、私のところの問題児。心機一転、新しいクラスに馴染みたい最初の一週間を謹慎で棒に振り、完全に意気消沈。授業でも後れを取り、中間試験で、自ら結論を出してしまった。中間試験開けの金曜日がディズニーランドの遠足。穏やかな生徒のそろう無難な班に、彼との付き合いを頼んでおいたんだけど、欠席。それきり、学校に来なくなった。

定時制にいた時期があるので知っててあたりまえなんだけど、高校を卒業するのに必要なのは74単位。だけど通信制でもないと、その年の単位を全部修得しないと、その年度を修了したことを認めない。

彼は全日制の2年まで終えているのだから、74単位に残る単位はごくわずか。全日の高校から私立の通信制に転校すれば、不足している分の授業だけを集中して行ない、おそらくほんのひと月、ふた月で、不足単位分を補って、全日制の卒業式前に、高校卒業にこぎ着けられる。

あるいは、1科目、2科目ならば、高校卒業程度認定試験を受けてもいい。試験に合格すれば、大学や専門学校の受験資格が得られる。

彼は、学校に行けなくなったことがやはりショックだったようで、しばらくグズグズしていた。電話にも出なかったんだけど、親を説得して何度か面会し、高卒認定試験を受けさせた。

赤点で追試認定だけど、英語の単位を2年で取っていたのが大きかった。なんと、高卒認定試験は現代社会の1科目だけで、何とか合格。今は、大学3年生。

何とかなるもんだ。



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『作ってあげたい小江戸ごはん 2』 川原真由美

娘家族が、川越に住んでいる。

夫婦と子ども二人の4人家族。両親とも、物作りを仕事にしていて忙しい。子どもは、上が今年小学校に入った。下は保育園通い。仕事が立て込むと、「週末、預かってくれないか」ということになる。

今年は、そのパターンが多かった。感染症流行下でもあり、また娘のところには車がないので、爺婆が車で送り迎えする。東松山から国道254号線を南に進み、山田の交差点で右側の市街地へ向かう道に入る。2キロほど進んだ信号を左折すると、左手に現れる裁判所前の三叉路を右折して娘の家に向かう。ここから3キロほどの区間が、観光客の多い通りで、車の運転にも気を遣う。

裁判所近辺で、最近、着物を着た女性をよく見かけるようになった。、・・・いやいや、女性だけじゃない。カップルで着物を着て歩いている。着物を着た人は、川越駅方面から裁判所に向かって歩いてきて、裁判所前を右に曲がって行く。

そちらに進むと、川越の総鎮守氷川神社がある。なんでも、縁結びの神さまとして訪れる人も多いという。市内には何軒か、着物のレンタルショップがあって、着付けからヘアセットまで、頭からつま先までそれらしく整えて、3000円もかからないサービスをしているらしい。

自分の子どもが小さい頃は、ときどき川越に遊びに連れてきた。丸広の屋上であるとか、菓子屋横町であるとか。だけど、最近の観光客の多さはどうだ。以前とは比べものにならない。車を運転していると、道路に人があるれているように見える。

ただ、川越は“小江戸”と呼ばれるとおり、街自体が観光客を集めている。だから、道から車を排除するのは難しい。現状でも車で走るときは気を遣う。これ以上観光客が増えるようなら、やはり対策は必要だろう。

『作ってあげたい小江戸ごはん 2』を読んだ。

小江戸川越の氷川神社の近くにある信楽食堂。昔ながらの定食屋だが、その名前から《たぬき食堂》と呼ぶ人もいる。主の入院で東京で修行していた息子が帰ってきたが、父と息子の間には、亡くなった母への想いを巡る心のすれ違いがあった。

複雑な思いを抱えたまま、信楽食堂の厨房に立った息子の大地だが、思わぬ味方が現れる。やたらに古風なしゃべりを繰り返す、ひたすら前向きな天然娘が、いつの間にか信楽食堂に居着いてしまう。



角川文庫  ¥ 660

川越の定食屋「たぬき食堂」、絶品定食を求めて、今日もお客さんが訪れる
第一話 節東風ーまんぷくトマトスープ
第二話 桜湯ーごまねぎポン酢
第三話 春祭ーびっくり焼きおにぎり
第四話 祝言ーえんむすびのサツマイモ
第五話 掻餅ーぼた餅とおはぎ


いつの間にか信楽食堂に居着いてしまった娘は、すぐに店の看板娘になってしまう。名を、“たまき”と言うが、ふと油断をした瞬間に、尻尾をだす、・・・これは慣用句としてではなく、本物のふわふわとした尻尾を出してしまうことが時々ある。

ただ、“たまき”がいることで、信楽食堂の雰囲気は、いつしか変わっていった。お互いの気持ちがすれ違い、ぎくしゃくしていた父と息子が分かり合えるようになったのも、“たまき”の能天気なまでに楽天的な考え方の影響によるところも大きい。

さて、3人がそれぞれの役割を果たして切り盛りする信楽食堂を舞台に、『作ってあげたい小江戸ごはん』も第2巻となった。

第一話では、かつて大地が世話になった、銀座の有名洋食店《洋食屋近藤》の主、近藤が現れる。大地に会うために、わざわざ川越まで足を運んだのだ。一体、なんのために・・・。

第二話では、母を亡くし、その母に支えられていたことを、今更ながら思い知らされた芸能タレントが、番組をすっぽかして信楽食堂にやってくる。そこには、なんと、母の面影が・・・。

第三話では、店の常連大築が、死にそうなほどの沈んだ顔でやってくる。離婚したときの約束で、大築と一緒に暮らしている娘が中学を卒業するとき、あらためて父と暮らすか、母と暮らすかを決めるという。状況は、大築に不利だった。

第四話では、大地の初恋の人、岡野理沙子が信楽食堂にやってくる。結婚式の日の、簡単な食事を頼みたいという。話を聞くと、理沙子の父親は、この縁談に乗り気ではないらしい。

第五話では、《洋食屋近藤》の主、近藤が、信楽食堂にやってきたわけが明らかになる。

この第二巻で、すでに『作ってあげたい小江戸ごはん』も、“人情食堂物語”の形を確立しつつあるように思われる。なにしろ、気軽に読めるのがいい。

ひたすら時間を過ごさなければならないようなとき、こんな本があるといいな。

それから、料理ってところに注目すると、今回、圧倒的に、第一話の《まんぷくトマトソースごはん》だな。“たまき”が作った《卵の黄身の醤油漬け”もいい。すでに“卵の黄身の醤油漬け”は作った。かなりうまい。



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『龍神の子どもたち』 乾ルカ

秩父に大企業の地方工場があった。

父はそこで働いていた。戦争中に、中卒で、小間使いとして雇われたんだという。工場の掃除をしたり、たばこや新聞を買いに走らされたそうだ。定時制で高校を卒業して、ようやくまともな仕事が出来るようになった。結婚して、子どもも生まれ、管理職試験にも受かったけど、地元を捨てられず、課長より上には上がれなかった。

それでも、ずっと同じ工場で働くことになったことで、秩父工場のことは隅々まで掌握していた。工場には、本社から同年配や、それより下の人たちが派遣されてきて、数年間を秩父工場で頑張って、本社に戻って出世していく。そういう人たちは、秩父工場のことなら何でも分かっている父を頼りにしていたようだ。地元を捨てて本社に行っていれば、ライバルになったはずだが、その道を諦めた父は、安心して頼れる存在だったのだろう。

そういう人たちは、立派な社宅で家族の人たちと生活していた。その子どもたちは、私と同じ小学校、同じ中学校に通った。同じ学年には二人いて、小学校の終わり頃から、中学校一杯をともに過ごし、そのあとは東京に帰っていった。おかしな話し方をする人たちだと思ったが、父からは仲良くしてやるように言われていた。
そういう人たちの生活の利便を図ることも、父の仕事のうちだったようだ。


父はその人たちの誘われてゴルフをするようになった。「お父さんは、まだゴルフが下手なんだってね」って、父を誘った人の子どもから言われて、不愉快になったことがある。
もともと、テレビの人みたいな話し方も、どこかすかしているように感じていた。そいつともう一人の子を、釣りに連れて行ってやれと、父に頼まれたことがある。気が進まなかったけど、仕方がない。

竿を三本もって、バケツを自転車にくくりつけて、浦山川に連れて行ってやった。笹竹の竿に垂らした釣り糸に針を付けただけで、エサは川虫を現地調達。川に入って、川下に向かって竿を振る。あんま釣りという。おそらく今は、その名前が変わっているだろう。

二人はどうやら、それなりの仕掛けとエサで釣るものと思っていたようで、「そんなので釣れるの」と疑わしげ。だけど、始めてみれば釣れる。私だけじゃなくて、彼らも釣れた。ただ、川虫に触るのが嫌なようで、エサはその都度、私が付けた。

昼前だけでずいぶん釣れたので、私の家に行って、食べることにした。二人が気持ち悪がったので、はらわたは全部私が抜いた。母に揚げてもらって食べた。面白かったし、おいしかったようで、これを機会に、それなりに打ち解けて話すようになった。

彼らは、本当は、秩父には来たくなかったんだそうだ。・・・そりゃ、そうだ。



祥伝社  ¥ 1,760

大人になって忘れてしまっているかも知れない人を思いやる物語
第一章 谷津流とニュータウン
第二章 仲良くなれない
第三章 その意味は
第四章 都会の子になるんだよ
第五章 林間学校
第六章 山崩れ
第七章 山中を行く
第八章 帰還、そして


『龍神の子どもたち』という題名と、目次にある各章の章題を見れば、だいたいの内容は想像できる。そして、その通りの内容の物語である。

この物語を読んでいて、上に書いたような、東京の学校から転校してきて、社宅に住んでいる子どもたちとの関わりを思い出した。生まれて、成長してきた環境が違うんだから、子ども同士がすぐになじめないのは当たり前。それでも、きっかけがあれば、いずれはね。

だいたい、秩父では、奥まで入りすぎで、ニュータウンを作ったって入る人はいない。遠すぎる。ニュータウンやゴルフ場は、平野のヘリ。へりから立ち上がる山を崩して作るもんだ。

それは、今私が住んでいる場所が、まさにそう。関東平野のへり。ヘリから立ち上がる山を崩して、ここにはニュータウンが2つ、ゴルフ場は4つ。

パソコンの地図を見ながら、近くのゴルフ場を確認した。5キロ圏内で4つ。30キロ圏内にすると10個もあった。

さて、子どもの行った小学校、中学校は、地元の子どもとニュータウンの子どもが入り交じる。ニュータウンのために作られた小中学校で、こちらに近い地元の地区からも通うようになった。

私の家はというと、地元側。地元地区に越してきた新住民である。地元とニュータウンでは、人の付き合い方が違う。それ以前に、人が違う。ニュータウンの人たちは、東京で仕事をしている人たち。一戸建ての家を持つために、東京から引っ越してきた。地元の人にも、東京で仕事をする人が増えてきているが、元からここにいる人たちは、やはり違うのだ。

学校でもそう。ニュータウンの子どもたちは、勉強がよく出来る。地元の子どもたちは、そうでもない。近隣の小中学校が手狭になって、校区をニュータウンの学校に変えるという話が出たとき、地元の親たちの大反対でつぶれたこともあった。同じようなもんなんだな。

何が違うかと言えば、ここには白鷹山も黒蛇山もないと言うことだけだ。だけど、それがないからと言って、ここが安全な場所というわけじゃない。昨年の台風19号では、都幾川と九十九川が氾濫し、多くの家が水に浸かった。

秩父にある武甲山は石灰岩を採掘し続けている。私が子どもの頃の立派な山容は、今、見る影もない。武甲山の神さまは龍神である。しかし、龍の怒りは下ったことがない。それを良いことに、今でも山を削り続けている。山を崩して、ニュータウンを作り、ゴルフ場を作っている。最近では、山の木を伐採して、太陽光パネルを並べている。

太陽子パネルを苦々しい思いで見ていると、《監視カメラ作動中》の看板が目に入る。私がいずれ惚けてしまったら、きっとこんな看板は無視して、太陽光パネルに石を投げてしまうだろう。

私だって、龍神の子だから。


テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『食王』 楡周平

子どもの頃は、怖いものがたくさんあった。

なんだか、怖いものだらけだった。なんて言ってもノストラダムスの大予言。「1999年の7の月に人類は滅亡する」という予言。1999年と言えば、自分は39歳。40歳目前で死ぬのか。だけど、その歳なら、滅亡してもいいかな。もう結婚しているだろうし、子どももいるだろう。自分は良くても、子どもはかわいそうだな。そんなことを考えていた。

自分が大人になる頃には、お爺ちゃんとお婆ちゃんは死んじゃうだろうな。お父さんやお母さんが早く死んじゃったらどうしよう。

石油はあと30年でなくなるって言ってたな。石油がなくなっても石炭なら取れるみたいだし、いざとなったら、山に行けばいくらでも木が生えているから大丈夫だろう。

水俣病っていうのはずいぶん酷いらしい。四日市ぜんそくも酷い。向上の煙が悪いんだろう。あんなの塞いじゃえばいいのに。そう言えば、修学旅行で東京に行った真ちゃんが、光化学スモッグで息が出来なくなったって言ってたな。息が出来ないのに、東京の人はどうして大丈夫なんだろう。公害って、そのうち秩父にも来るのかな。

武甲山は、石灰の取り過ぎでなくなるらしい。酷い話だ。向こう側が見えちゃったりしたら、どんなことになっちゃうんだろう。

チクロって毒なの?だって、この間までジュースに入ってたのが、禁止になったらしいよ。発ガン性?ガンになるの?え~、もの凄いたくさん飲んじゃったよ。僕はガンになって死ぬのかな。

あんなにたくさん怖いことがあったのに、本当にそうなったのは、二つ。祖父母と父母は、たしかにみんな死んだ。武甲山は、まだあるにはあるが、向こう側が見えつつある。

さて、この本。今の日本は、さまざまな問題に直面しつつあり、その困難の度合いは、まさにこれから高まっていくことになることを、つくづく感じさせられた。


『食王』    楡周平

祥伝社  ¥ 1,980

食の世界から日本の抱えるさまざまな問題と、未来に向けての明るい展望を探る
序章
第一章
第二章
第三章
第四章
第五章
第六章
終章



北陸の小京都と称される金沢にある会席料理の老舗料亭《万石》も、大きな課題を抱えていた。それはかつて隆盛を極めた西陣の織物、京友禅などにも共通する問題であった。

私たちの生活環境は、伝統技能が隆盛を極めた頃とは大きく変わった。消費者にとってそれらの伝統技能は、その重要性は認めつつも、実生活の中に取り入れるには及ばない。つまり買わない。敬して遠ざける対象となってしまった。

完全にそうなってしまってから慌てても遅い。伝統技能が自ら変わっていかなければならない。しかし、そこには数多くの抵抗が予想される。

抵抗があっても、今始めなければ、もう間に合わない。

2011年3月11日、あの地震の時、私は定時制高校の職員室にいた。前の晩に、その歳の卒業式を終えたばかりだった。その後、テレビで見た津波に言葉を失った。被災の様子が明らかにされるに至って、自分のその後の人生が、この出来事によって決定づけられたと感じた。

被災地の復興は進んだが、町がもとの活気を取りもどしたわけではない。若者は仕事を求めて都会へ移住し、仕事のない被災地を去って行った。その傾向が現れ始めると、徐々に速度をあげていく。

今、何か手を打たなければ、もうその流れは止められない。

割烹料理の老舗料亭《万石》の花板を務める森川順平。彼は築地で仲卸を仕事にする桶増の次男に生まれ、料理人を志して《万石》の門をくぐった。

3・11の津波は、小学校6年生だった滝沢由佳の町にも押し寄せた。高台の学校で難を逃れた由佳だが、3歳年下で、早い時間に下校していた弟と、祖父母が自宅にいて、津波にのみ込まれた。由佳は父母の頑張りで東京の大学に進み、バイトをこなしつつ就職活動の年を迎えていた。

二人をつなぐことになるのが、梅森大介。彼は全国に110店舗を展開する外食チェーンのオーナー社長。成功を収めた彼も、人生の終盤を迎えて、事業の新たな展開を必要としていた。

森川は父を通して梅森に結びつき、由佳は森川の店舗の一つでアルバイトをしていた。

生き馬の目を抜くような世界で事業を成功させていくためには、甘いことは言っていられない。だけど、義理人情を抜きにして、世の中を語っても意味がない。


テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『夏の騎士』 百田尚樹

少年は、昭和最後の夏に手に入れた勇気を頼りに、人生を切り開いてきた。

平成が過ぎ去り令和となり、12歳の少年は43歳の中年男になった。彼は時々、31年前のあの夏の日々を、ずっと彼の人生を支えてくれていたあの夏の日々を思い出しているようだ。

そこから、さらに17年たった、60歳の初老の男が私なわけだ。だけど、43歳の中年男も60歳の初老の男も、認識には大して違いがないということが、あらためてよく分かった。

これは、かなり大きな収穫だった。

子どもっていうのは、本の小さな子とをきっかけに成長したり、あるいはダメになったりする。主人公の少年や少女にとっても、それはどこの教室でも起こりうる、さほど珍しくもない減少だったに違いない。

それはいじめとまでは言い切れないような嫌がらせであったり、他愛ない言い争いであったりする。いつもなら、相手の本気度を測りながら、卑屈な笑顔を作って引き下がったり、ついつい言い過ぎて、逆に自分の方が自責の念に苛まれたりする。

だけど、あるとき、彼らは踏ん張った。嫌がらせや、相手の悪意に立ち向かった。立ち向かったと言っても、戦ったのではない。文字通り、踏ん張ったのだ。引かなかった。それが彼らが、教室全体に示した、はじめての“勇気”だった。

主人公の少年たちと同じように、私も子どもの頃に秘密基地を作ったことがある。冬になると枯れ草と枯れススキが広がるばかりの原っぱに、隣の大工さんからもらった端材を持ち込んで小さな部屋を作り、枯れ草や枯れススキで偽装した。

2~3歳違いの範囲の近所の子どもたち数人で、特にそこで何をやるというわけでもなかった。せいぜいトランプでもするのが関の山。後は、遊び道具の置き場に使っていた程度。

正月は楽しかった。そこでゲームをして遊んだ記憶がある。火を入れた七輪を持ち込んで、餅を焼いて食った。今考えれば恐ろしいな。ほどよく乾いた原っぱが全焼してしまう。


『夏の騎士』    百田尚樹

新潮社  ¥ 1,524

百田尚樹、待望の長編小説。勇気――それは人生を切り拓く剣だ。
あれから31年の歳月が流れたが、ぼくが今もどうにか人生の荒波を渡っていけるのは、あの頃手に入れた勇気のおかげかもしれない。 昭和最後の夏に経験した、少女殺害の謎をめぐる冒険、友情、そして小さな恋。 稀代のストーリーテラーが書き下ろした百田版「スタンド・バイ・ミー」、ついに刊行。


秘密基地は、そう長くは持たなかった。

誰かが人なつこい野犬を拾ってきて、それにポチという名前をつけて、秘密基地で飼い始めた。当然、エサが必要になる。何とか親に内緒で、残り飯を持ち寄ったりした。朝は交代で散歩に連れ出した。学校が終わってからは、ポチを中心に遊んだ。

ただ、秘密基地の中で遊んだり、餅を焼いて食うわけにはいかなくなった。なにしろ、秘密基地は、ポチの犬小屋になってしまったからだ。

しかも、ポチのエサの持ち出しは、まもなく親にバレ、ポチの処遇が問題になった。ポチが殺されると震え上がった私たちは、山に連れて行って離そうと、親の前に行動を起した。山の神の前でエサを食べているうちに走って逃げたが、まもなくポチの追いつかれた。

もう一度、山に離すことを話し合ったが、翌日、仲間の一人の家で飼うことになった。秘密基地は、ポチの糞尿で使い物にならなくなっていた。

落ちこぼれ状態の小学生が、アーサー王物語に憧れて、騎士団を結成する。騎士はレディを守らなければならないと、クラス一の人気の女子を“レディ”に見立てる。

私の感覚でも騎士団まではあり得る。ただし、結成するなら、新撰組か白虎隊あたりだろう。もちろん、レディを守ろうという発想はない。むしろ、遠ざけただろう。それが私の年代の、おそらく大きな弱点だ。

教員の仕事をしていて、平成時代の子どもたちが羨ましいと思ったことはほとんどない。唯一、男子と女子の距離が近くなったことは、いいことだと思った。

私の入学した高校は共学校だけど、共学校なのに男子クラスと女子クラスが分かれていた。それが私たちが3年になるときに、共学クラスになることになった。女子たちがどうだったかは知らないが、男子は激しく動揺した。

私にも小学生の時に好きな子がいた。だけど、関わることなく時が流れただけだった。それに関しては、平成時代の子どもたちは羨ましいと思った。

子どもの頃の成功体験は、掛け替えがない。そのためには、小さな勇気が必要になる。その小さな勇気を支えるのは、誰かを思う気持ちであることが多い。家族であったり、友人であったり、先生であったりする。

私は小学校4年の時の、産休代替の若いきれいな先生だった。クラスのいたずら者が、朝の会にやってきた先生の頬に輪ゴムを飛ばしたのだ。急なことに動転した先生は、顔を押さえて教室から出て行った。気がついたら私は、いたずら者につかみかかっていた。私は、すぐに教室に戻った先生に、引き離された。

40歳を超えたって人生は厳しいが、頑張れヶそれなりの答えが出ることを知ってる人間は、何とかやっていける。余力があれば、それを世の中に返すことも出来るようになる。40代から50代の中頃は、子どもの教育費で何かと大変だったが、その後はだいぶ楽になった。40代よりも、今の私の方が、世の中に返せるものは多いだろう。

そんなことより、あの先生は、関わりを持つことさえ出来なかったあの娘は、その後どんな恋をしたのだろう。



テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『あかり野牧場』 本城雅人

感染症が流行してから、いろいろなスポーツの大会が中止になったり、延期になったりしている。最近、ようやく、対策を施して、いろいろなスポーツの大会が再開されつつあるけどね。

JRAの競馬は、レースをやめなかった。走るのは馬だからね。人間の感染症のせいで、競走馬として走れる短い期間を棒に振らせたらかわいそうだもんね。お金が絡んでくる部分もあるけど、それ以上に競馬という一つの文化、競馬に関わる一つの社会が途切れてしまう可能性だってあったろうからね。

競馬場に観客は入れないで、レースはそのまま行なわれていった。競馬界って、かなり限定された社会だから、流行が中に入ってしまったら大変なことになるだろうから、関係者の緊張感は並大抵のものじゃなかったろう。

週末になっても、テレビでも、まったくスポーツ観戦が出来なくなった中、競馬だけはやってた。本当、競馬中継に救われたようなところがあった。

武豊がデビューした頃に競馬を始めた。オグリキャップが活躍してた頃だ。一時はかなりのめり込んだけど、子どもの教育費が馬鹿にならなくなって、馬券からは離れてしまったけど、上記のような理由で、また1レース100円、200円で遊ばせてもらうようになった。競馬って、本当に面白いね。

さて、この本。

あかりの牧場で生まれたサラブレッドのキタノアカリ。私も最初、ジャガイモみたいとか、小麦みたいとか思ってしまった。この本の中にも出てくる話だけど、ジャガイモならキタアカリ、小麦ならキタノカオリだった。そのキタノアカリに関わるさまざまな人間模様が描かれたこの物語、とても面白かった。

家族経営の生産牧場、馬主、調教師、騎手、それぞれの関係者に、それぞれの人生があるんだな。まさに『騎手の一分』であり、牧場主の一分、調教師の一分、馬主の一分だ。

『優駿』に連載されていたものを、一冊にまとめたものだそうだ。


『あかり野牧場』    本城雅人

祥伝社  ¥ 1,760

ダービーのスタンドが、ファンで埋め尽くされる日が戻りますように
第1話 馬産地のざわつき
第2話 家族牧場の意地
第3話 噂の女
第4話 最後の連絡
第5話 初めての嘘
第6話 町のあかり


物語でもドラマでも、最近は現実的であることが求められることが多いらしい。

私のように、人生に躓きながら生きてきた人間にすれば、本当のところ、そういったものには夢を見させてもらいたいという気持ちが強い。馬券を買うときも、ついつい夢を見がちで、・・・つまりは外してしまう。現実は厳しい。

競馬を始めて間もない頃、最初に入れ込んだ馬が、ライスシャワーだった。

的場に乗り変わった皐月賞から追いかけるようになった。皐月賞と、それに続くNHK杯で大敗し、その次がダービーだった。ミホノブルボンの一番人気のレースで、スタートから逃げるミホノブルボンを番手でライスシャワーが追いかける展開。

結局、このレースは行った行ったの決着になって、一着ミホノブルボンに続き、ライスシャワーは4馬身差の二着に残った。前の二走を大敗していただけに、馬連300倍近い万馬券。菊花賞ではミホノブルボンを逆転して一着に入り、ステイヤーとしての才能を開花させた。

しかし、ライスシャワーはミホノブルボンの三冠を、最後の菊花賞で邪魔したと、とらえたファンも多かった。天皇賞春では連覇を狙う一番人気のメジロマックイーンまで破ってしまった。連覇を邪魔しちゃったわけね。鞍上は人気絶頂の武豊。どうも、ライスシャワーは、悪役ムードが漂っていた。漆黒の小さな馬体でね。だけど私は、大好きだった。

そのライスシャワーは1995年の宝塚記念で、3コーナーで骨折して転倒、レース場で予後不良と判断され、殺処分となった。落馬した的場騎手は、馬運車で運ばれるライスシャワーを最敬礼で見送っていた。的場を男にした馬だからね。

武豊が乗ったサイレンススズカは、他馬を大きく引き離して逃げる4コーナーだった。鞍上の武豊が突然手綱を絞って馬を止め、下馬。その脇を、後ろから追ってきた他馬が通り抜けていく。

レース終了後、4コーナーで、顔を蒼白にした武豊とサイレンススズカがテレビ画面に映し出される。えっ、サイレンススズカまで!

物語やドラマでも、リアルであることが求められるご時世、私はこの物語のラストに描かれるダービーの場面、キタノアカリが、ただ無事に走りきることだけを祈りつつ読んだ。

そして、歓声を上げた。


テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『北里柴三郎 ドンネルの男』 山崎光夫

たしかに、北里柴三郎の伝記は、大人になってからは読んでない気がする。

子ども向けのものしかなかったんだそうだ。それが、この本の著者である山崎光夫さんが、北里柴三郎のもとで経理を担当し、秘書を務めた田畑重明が、日常を克明に記した日誌を入手したんだそうだ。それを機として、この本が生まれたようだ。

私も子どもの時分に、子ども向けに書かれた、北里柴三郎の伝記を読んだ。この本にも登場してくる野口英世の伝記も読んだ。日本の偉人たちの伝記は、子どもの時分に、子ども向けの伝記であらかた読んだ。海外の偉人の伝記も含めて。

その子ども向けの伝記の先は、中学校以降の歴史の授業になってしまって、教科書に名前が登場する程度で終わってしまう。その偉人の生涯について、子ども向けのもの以上に掘り下げたものが、どうもないようだ。大河ドラマで取り上げられるような、歴史の変わり目の武将たちの話を除いてはね。

とくに文人に関しては、子ども向けのものさえおぼつかない。

だから、自分から求めて、情報を引き出さなきゃならない。北里柴三郎の情報をどうやって引き出したものか、良く覚えていないけど、歴史の教師をしている頃は、年に一度は彼の話を持ち出した。

世界史ならば、ペスト大流行に絡めて、日本史ならば、明治期の日本人の活躍として。

その話の中でも、北里柴三郎が第一回ノーベル医学・生理学賞の候補に選ばれながら、受賞できなかったことを、生徒に伝えた。

当時、北里柴三郎はドイツのベルリンで、師であるロベルト・コッホの支持で、エミール・フォン・ベーリングと共同研究をしていた。北里柴三郎は、破傷風に関わる研究で成果を出していた。それは破傷風免疫動物の血清のなかには、破傷風の毒素に対抗してこれを無毒化する物質があることを確かめたことだった。当時、柴三郎はそれを「抗毒素」と呼んだが、今は「抗体」と呼ばれている。

まさに、免疫血清療法の基礎を呈示する、すぐれた研究成果だった。

そこで、師のコッホは、当時、多くの人を絶望の淵に追い込んでいたジフテリアの研究を進めるベーリングと柴三郎を組ませた。ジフテリアに対して柴三郎の研究成果を応用するというのが、コッホの指示であった。二人の研究は、免疫血清療法の夜明けを告げる画期的な成果となって表れた。



東洋経済新報社  ¥ 2,420

破傷風菌の純粋培養、ペスト菌の発見、日本近代医学の父・北里柴三郎
第一章 立志の道
第二章 ベルリンの光
第三章 疾風の機
第四章 怒濤の秋


1901(明治34)年、「血清療法の研究、特にジフテリアに対する応用」を評価され、ベーリングは第一回のノーベル賞医学・生理学賞を受賞した。

この本でも、その時、なぜ北里柴三郎が受賞できなかったかに触れている。ジフテリアが飛沫感染で人から人に移り、その大流行は社会的混乱をもたらし、患者数は破傷風の数百倍に及ぶ。つまり、北里柴三郎の研究テーマであった破傷風よりも、ベーリングの研究テーマであったジフテリアの方が、目立ちやすかった。

この本も、その点を上げている。だけど、評価されているのが、「免疫血清療法」であるからには、北里柴三郎が受賞すべきところであった、あるいは、同時受賞が妥当としている。

「なによりも」と強調しているのは、「有色人種に対する差別意識と、極東の小国に過ぎない日本への軽視」であるとしている。

そう、私が授業で取り上げたのも、それを生徒に伝えるためだった。そんな中で、極めてすぐれた研究成果を残したからこそ、「北里柴三郎はすごい」と、生徒に伝えた。

もう一つは、福沢諭吉のものすごさと、官僚機構のいやらしさだ。

祖国に恩返ししたいと、諸外国からの好条件での招聘を蹴って帰国した北里柴三郎に、官僚機構は力を発揮する場所を与えなかった。それを、福沢諭吉は救った。身銭を切って、さらには生涯を通して築き上げた人間関係をフル回転させて、北里柴三郎を後援した。危機に陥ることがあっても、そのたびに福沢諭吉は北里柴三郎を救った。

北里柴三郎は、福沢諭吉の後援で立ち上げた伝染病研究所での活躍で、明治時代、日本の医学を先頭に立って引っ張りつづけた。

福沢諭吉が亡くなったとき、北里柴三郎は男泣きに泣いたそうだ。

福沢諭吉亡き後、福沢諭吉の彼岸であった慶応義塾大学医学部を立ち上げたのは、北里柴三郎であった。

そんな話を、授業でしてた。

伝染病研究所では、何かと言えば弟子たちを思い切り叱り飛ばすのが、柴三郎の常であったそうだ。「莫迦者!」・・・それを弟子たちは“ドンネル(雷)”と呼んだそうだ。落とされた方は辟易とするしかないが、弟子たちも柴三郎の庇護のもとに自由な研究を行なうことが出来た。なによりも、柴三郎は弟子たちに愛された。柴三郎の研究精神は、確実に弟子たちに受け継がれた。

この本は、2003年に上下二巻で発行されたものを、一冊にまとめて、あらためて発行したものだそうだ。おりしも、武漢発感染症の流行で、世界が揺れている。医療従事者にとっては、その存在が試される時となってしまった。

1894(明治27)年、香港でペストが流行し、日本からも調査隊が送られた。北里柴三郎も調査団に加わり、実際、世界ではじめてペスト菌を確認した。この時、ゴム手袋というものはなかったそうだ。薬品で皮膚に薄い皮膜を作って感染防止としているだけで、実際、生還したものの、調査団の中にもペストに感染して苦しんだものがいたそうだ。

今も奮闘している医療従事者の方、・・・どうも、ありがとう。


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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本






























































































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