『新・沖縄ノート―誰も語れなかった沖縄の真実』 惠隆之介
『新・沖縄ノート―誰も語れなかった沖縄の真実』 惠隆之介 (2011/12/21) 惠 隆之介 商品詳細を見る |
このところの沖縄を考えれば、まるで“小さな韓国”を見るようで、その上で韓国のように突き放して考えることもできない。自分の体の一部であるのに動かそうとすると痛みを伴う。かと言って、切り取ってしまおうなんて考えることもできない。
“琉球処分”とそれ以前の歴史について触れるつもりはないが、19世紀末の世界事情の中で考えてみれば、双方にとって悪い選択ではなかったのではないかと思う。しかし、沖縄の本土並みの近代化には大変な時間がかかったし、結局日本は大東亜戦争でアメリカに負け、やり通すことはできなかった。琉球処分で完全に日本に編入された沖縄は、やはり本土との間には文化的にも歴史的にも大きな差があったといういうことである。
敗戦後、沖縄を支配した米軍政府は、日本が71年かかっても出来なかった沖縄の開発振興を、わずか27年で成し遂げた。戦勝国の地位を背景としていたとはいえ、悔しいけどアメリカの保つ力を認めざるを得ない。そして1972年5月15日、沖縄は日本に復帰した。
著者の惠隆之介氏は、1954年、コザ市の生まれ。返還の時は、高校2年死だったという。幼少時、「国語の勉強なんて不要ではないのか」という疑問に、彼の祖父は「日本はたしかにアメリカと戦争して負けた。しかし日本人は勇敢で優秀だった。いずれ国力を回復してこの沖縄住民を迎えに来るだろう。貴君らはその時のために日本人としての矜持を一時も失うな。国語を重点的に勉強せよ」と語ったそうである。
その著者がいま、沖縄の教育界、言論界では少数派として苦戦を強いられている。彼の戦いの対象は、沖縄県教職員組合、地元マスコミを主体とする極左勢力による異常なまでの言論統制である。話題になった“教科書採択”に関わる問題は、沖縄における“言論統制”を全国に明らかにした点においても重要であった。それら極左勢力に、支那が盛んに働きかけている。
返還以後、日本政府は13兆円以上の補助金を沖縄に投下してきた。他県民の“自責の念”と沖縄県民の“当然の迷惑料”という気持ちがそれを許し、それが沖縄県民をダメにした。各界で活躍する沖縄県民は多いが、この各種補助金の額はあまりにも異常である。
地上戦に巻き込まれたのは沖縄県民だけではない、千島列島から、北方領土から、樺太から、満州から、朝鮮半島から、家族や仲間を殺されたり強姦されたりしながら、故郷を追われて本土に逃れてきた者もいる。すべてを呑み込んで、死にものぐるいで生きてきた人達もいる。苦労したという事なら、決して沖縄だけが特別ではない。ガンバレ沖縄県民。
本書の構成
第1章 沖縄に迫る危機
第2章 普天間基地問題は解決できる
第3章 歴史のなかに見る沖縄の姿
第4章 米軍政下で味わった贅沢
終章 沖縄をどう統治するか
「沖縄ノート」と間違えないで。この『新・沖縄ノート』こそ、本当に沖縄のことを考えぬいた、沖縄人の書いた本だと思います。各章とも大変面白いが、第3章の「歴史のなかに見る沖縄の姿」が大変重要であると感じました。
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