めんどくせぇことばかり 2013年03月
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面白かった料理本 『石巻ボランティアハウスの橋本ごはん』 『新 丼本』

『石巻ボランティアハウスの橋本ごはん』『石巻ボランティアハウスの橋本ごはん』
(2013/02/18)
橋本信子、INJM 他

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とにかく、うまそう❢

石巻の被災者、橋本信子さん。あの絶望の中で、やっぱり打ちひしがれていたと思う。だからこそ、「この人達に、何かしてあげんきゃ❢」って思ったんだろうな。
でもね、みんなドロドロになりながら一生懸命、一生懸命、本当に働いてくれてね・・・・何なんだろう、この人達は、ボランティアっていうのはすごいものだなと思った。自分が逆の立場だったら、たとえばテレビで観たからといって、現地に行くかといったら、出来ないと思うのよ。だから自分にしてあげられることがあるならしてやろうと考えたら、食べ物しか思いつかなかった。だって、あれだけ働くのに、ろくな食事をしてないんだから・・・
お湯を沸かしてインスタントコーヒー、カップラーメン。店が営業を始めれば具沢山の温かい味噌汁。場所が使えるようになってからは、色々な料理をだして・・・。

仙台あぶら麩丼
材料
あぶら麩、玉ねぎ、卵、万能ねぎ
煮汁
親子丼と同じ
1 あぶら麩を昆布だしでもどす
2 あとは親子丼と同じ
私好みの手間のかからないものをご紹介したが、牛タンシチューみたいな手間のかかるものもいっぱい。

「一生懸命助けてくれてる人たちに、せめて温かいご飯を、少しでも元気の出るのもを・・・」って作ってくれるごはんが、美味しくないはずはない。

この本は、そんなふうにして始まった橋下さんとボランティアの人達の交流と、彼らをつなぎあわせた橋下さんの料理レシピが紹介されている本です。


新丼本 (TWJ books)新丼本 (TWJ books)
(2013/02/26)
小嶋貴子

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やっぱり、丼❢


「欲しい料理の本は、こういう本」っていう見本みたいな本。

まず、うまいこと。次に、簡単なこと。そして、ありきたりの材料であること。
同じ“丼”でも、その辺、勘違いしている本も数多い。
この本は、まあ、その辺の条件はクリア。難を言えば、油で揚げるのはちょっと面倒かな。
かき揚げ丼なんて、なんかで、かき揚げが残った時で十分。

『汁なし ピリ辛坦々丼』
材料
豚ひき肉、たけのこ、しいたけ、にんにく、しょうが、唐辛子、ごま油
煮汁(醤油・酒・砂糖・すり胡麻・甜麺醤・豆板醤・味噌・ごまペースト)
九条ねぎ
1 みんなみじん切り
2 香り系とひき肉・野菜の順に炒める
3 煮汁を加えて煮詰める
こんなの何にでも応用出来る。マーボー丼でもいい。ひき肉とニラ丼ならもっと全然簡単に作れる。色々なヒントが得られてとても面白かった。

当然のことだけど、やっぱり、米のごはんがないとどうにもならない。韓国は米食からだいぶ離れてしまったらしいけど、日本ではありえない。米が食えない日本なら、それはもう日本ではない。

腹減ったー❢

    

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テーマ : 料理の本
ジャンル : 本・雑誌

江戸~維新~日清・日露~恐慌~支那事変~大東亜戦争 『日本は中国(シナ)にどう向き合うか』 渡部昇一

『日本は中国(シナ)にどう向き合うか』 渡部昇一『日本は中国(シナ)にどう向き合うか』 渡部昇一
(2013/02/13)
渡部 昇一

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渡部昇一氏を“右翼”という人がいるが、それは間違っている。

著者の渡部昇一氏は昭和五年生まれ。亡くなった私の父が昭和三年生まれでほぼ同世代。終戦の年、氏は十五歳で、父は十七歳。

父は中学を出て、大手企業の秩父工場に小間使いとして雇われながら定時制高校に通った。その後、管理職の道に進み本社から呼ばれるが跡継のため秩父を離れられず、それでもいつしか会社を背負って地元の顔役になった。退職しても地域の仕事につき、無くなる直前まで何かを背負って働いた。同じ年生まれの母はそんな父を支えながら苦労し、父より早く亡くなった。私は、父を憎く思った時期さえあった。父や母の人生って何だったんだろうか。彼らの生き方からは、“幸せになろう”という価値観が感じられないのだ。

渡部氏もそうだが、父も戦争に入ってない。父の友人の中には志願した方もあったらしいが・・・。氏の生まれた昭和五年、一九三〇年を考えれば、世界恐慌の発生した翌年で、年を追うごとに暗雲がたれこめていく頃だ。一九三七年には支那事変が始まり、徐々に周辺にも召集を受ける者が出てきたはずだ。戦況は徐々に深化し、その流れのままに大東亜戦争へ流れ込む。そして終戦が十五歳。この年令であれば、自我はほぼ完成に向かっているはずだ。大人の目を持って事態を認識できたということだ。、つまり父や渡部氏よりも若い、自我の完成以前にこの未曾有の敗戦に遭遇した人たちの中には、事態を受け止めきれず、またアメリカの宣伝効果もあって、日本を見る目を歪ませてしまった者も多い。多いというか、そんなのばっかりだ。時を追うごとに、その傾向は強まった。

昭和三十五年生まれの私も、ご多分にもれない。父や母、祖父や祖母に囲まれて育ったにもかかわらず、情けない話だ。歪みを正されたのが、渡部氏を始め、その世代、それ以前の世代の人達の書いた本だった。残念ながら、父にはその時代を言葉にして表すことはできなかった。しかし、同世代の渡部氏らの著作を読むと、父や母が、さらに祖父や祖母の生きた時代を感じることが出来る。父や母が、大東亜戦争敗戦後の時代をどう生きてきたかが見えてくるように思えるのだ。経済成長期に入り、徐々に豊かになる生活の中でも、やはり父や母は“幸せになろう”というチープな価値観は持っていなかった。
第1章 日本文明とシナ文明
第2章 皇神の厳しき国
第3章 江戸・漢学者の論争
第4章 日清戦争
第5章 三国干渉とシナの悲劇
第6章 日露戦争
第7章 シナをめぐる日米の対立
第8章 コミンテルンの赤い魔手
第9章 満州事変前夜
第10勝 満洲建国の正統性
第11章 盧溝橋事件の真相
第12章 シナ事変
終章 シナとどう向き合うか

『日本は中国(シナ)にどう向き合うか』という題名ですが、支那との関係を書いただけの本ではありません。日本近現代史全般について書かれています。“歪みは正された”つもりでいても、渡部氏の本を読んでいくと、まだまだ自分の考えが何者かにとらわれ、氏のように道理にかなった、自然な筋道のたった考え方ができていない部分があることに気づかされます。

最後に、最近、支那の横暴に眉をしかめ、認識を新たにする人が増えているようですが、支那はかつてとなにも変わっていません。アメリカも、ロシアも、白人世界はなにも変わっていません。日本に勝った連中はなにも変わっていません。日本に勝ったわけではないけど、朝鮮人もなんにも変わりません。変えられてしまったのは、戦争に負けた日本人です。そして、そんなことになる前の、かつての日本でさえ、支那との向き合い方を誤ったのです。今の日本では・・・、ということです。

       

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テーマ : 歴史全般
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覚書(征韓論・壬午軍乱・露清密約・乙未の変後・義和団・乙未の変前後・義和団・九カ国条約・ブロック経済・通州事件)『日本は中国(シナ)にどう向き合うか』より

江戸時代の漢学者
藤原惺窩
幼い頃、寺にはいって仏教と儒学を学び、のちに朝鮮の役で捕虜になって日本に幽閉された姜沆について儒学を本格的に学んだ。強烈に支那に憧れ、「日本の武士は盗賊」とまで言った。
林羅山
藤原惺窩の一番弟子。支那に対して「中華」「中国」という言葉を使っている。しかし、「皇統一種百三十綿々として周や漢に劣らない」ということを書いている。(周ー姫、秦ー瀛、漢ー劉)
熊沢蕃山
「中華は天下の中心である。その周囲に東夷、南蛮、北狄、西戎があり、その数三十。その中で東夷が一番優れている」…年齢がいってからの著作『三輪物語』の中で、「日本と天竺と支那は三つの光。日本は日の光、天竺は月の光、支那は星の光」と言っている。
山崎闇斎
朱子学に学ぶが易姓革命を王位簒奪として名分論の矛盾を指摘。垂加神道をおこす。「中国という名前は各国とも自らを言う。だから、我が国でも豊葦原の中国(なかつくに)というのである」
佐藤直方
山崎闇斎の弟子だが、闇斎が垂加神道を唱えると門下を去った。支那を中華と呼び、日本には聖人、賢人がいないと主張している。


征韓論
明治元(1868)年
明治政府は諸外国に日本の王政復古を通告。朝鮮に対しては対馬の宗氏に命じて通告と、修好の意志を伝えた。朝鮮はこれを拒否した。
理由 1 日本の出した手紙に「皇」「勅」「朝廷」という字が使われている。
理由 2 書式や判が江戸時代のものと違う。 
明治2(1869)年
再度、宗氏を送って説明を試みるが、朝鮮の態度は変わらず。
明治3(1870)年
「皇」「勅」「朝廷」の文字を避けた文書を送るが、宗氏を通さなかったこと等、江戸時代と違うやり方を拒絶。朝鮮ではわけもなく反日運動が高まり、江戸時代から釜山にあった日本の外交事務所に薪水、食料の提供を拒否、日本を侮辱する立て看板がたつ。
明治6(1873)年
太政大臣三条実美のもとに、「釜山の居留民保護のため若干の兵と軍艦を派遣し、後に使節を送る」案が審議される。西郷隆盛は、軍派遣に先立って自分を派遣して、もし自分が殺されるようなことがあれば、それから軍を派遣しても遅くないと主張。これが“征韓論”と呼ばれるものである。
明治7(1874)年
外務省役人を派遣し、「新たな文書を朝鮮は受け取る」という約束を取り付ける。日本国旗を渡し、日本船への配慮を依頼。
明治8(1875)年
使節が朝鮮に赴き文書を渡すが、洋式の汽船や大礼服を理由に交渉を拒否。一時力を失った排外主義の大院君が、この年勢力を盛り返していた。
軍艦雲揚が水の提供を求めて江華島に接近。砲台から砲撃があったため応戦。陸戦隊を上陸させ、武器没収。
明治9(1876)年
日鮮修好条規


壬午軍乱(明治14(1881)年)
軍政改革で廃された軍の兵が暴動。大院君が煽って閔妃一派の重臣が殺される。同時に多くの日本人も殺され、公使館も襲撃された。清国が五千の兵を出して鎮圧。大院君を清国へ抑留。日本は済物浦条約で公使館への若干の兵の駐留と50万円の賠償金を得る。しかし、10年割賦の支払いで、最初の2年間だけ受け取り、残りは改革費用として朝鮮政府に返還。汽船や大砲もつけた。清は三千の兵を朝鮮に残し、そのもとに朝鮮は改革路線を放棄。

露清密約
  • 日本がロシア極東・朝鮮・清に侵攻した場合、露清両国は陸海軍で相互に援助する。
  • 締約国の一方は、もう一方の同意なくして敵国と平和条約を結ばない。
  • 戦争の際には、清の港湾は全てロシア海軍に開放される。
  • ロシアが軍隊を移動するために、清はロシアが黒竜江省と吉林省を通過してウラジオストクへ至る鉄道を建設することを許可する。鉄道の建設と経営は、華俄道勝銀行(露清銀行:ロシアが設立した、中国における利益を代表する金融機関)が引き受ける。
  • 戦時あるいは平時に関わらず、ロシアはこの鉄道により軍隊と軍需物資を自由に輸送できる。
  • この条約は15年間を有効期限とし、期限満了の前に双方は条約を継続するか協議する事ができる。
明治30(1897)年、ドイツ人宣教師殺害事件を口実に、ドイツ海軍が膠州湾を占領し、翌年、租借権並びに山東省の鉄道敷設権、鉱山採掘権を得る。続いて、ロシアは旅順、大連を押さえ東清鉄道の延長を認めさせる。さらに、フランスは広州湾を租借、イギリスは威海衛と九龍半島を租借。イギリスは揚子江沿岸。フランスは海南島、広西省、雲南省。日本は福建省。以上のようにその権益を、清は他国に渡さないと約束させられる。「夷を以て夷を制す」策が仇となる。

乙未の変前後
三国干渉後、韓国では侮日派が勢力を伸ばし、親日派を動揺させた。乙未の変で閔妃が殺される事件は、その状況に憤った親日派主導で行われた。それに関係した公使三浦梧楼ら日本人もいたが、関係者は重罪ではないが裁判で有罪判決を受けた。

いったんは親日派内閣ができるが、駐韓ロシア公使ウェーバーは親露派と謀って国王を王宮からロシア公使館に移すことに成功した。政権を握っていた金弘集、魚允中は惨殺され、多くの親日派が日本への亡命を余儀なくされた。国王はロシア公館から詔勅を下し、親日派を捕まえ、改革案を全部撤廃した。日本人三十数名が殺され、日本の財産十余万円が失われた。この状態は、一年に渡って続いた。

国王が王宮に戻ってからも、基本的にこの状況は続いた。ロシアは軍を送って韓国軍を訓練する。ロシア語学校を作る。朝鮮北部の鉱山採掘権を得たりもした。鴨緑江周辺の伐採権も得た。ロシア士官百六十名を朝鮮に雇用させた。かつてしなの属国であった朝鮮は、ロシアの属国になったかのようだった。

義和団事変
公使館に駐在した軍人は、英82人、米56人、独58人、仏78人、露74人、墺35人、伊41人、日25人だった。イギリスのマクドナルド公使が最高司令官になるが、柴五郎率いる日本兵の活躍は抜群だった。

各国派遣軍のなかでも日本軍の働きは群を抜いていた。天津攻撃における死者は、日400人、米120人、仏120人、英90人、独・露0人。英軍シーモア提督は福嶋安正少将に「英国兵は貴下の指揮で戦ったことを光栄に存じます」と讃えている。

北京分割占領においては、やはり日本占領地区が最もよく治安が保たれていた。『文明の戦争』の著者ジョージ・リンチは「イギリス、アメリカの管轄区域はフランスやロシアの状態よりは良かった。しかし、日本軍のそれと比べると、遠く及ばなかった」と言っている。
ロンドン・タイムズ社説
公使館区域の救出は日本の力によるものと全世界は感謝している。列国が外交団の虐殺とか国旗侮辱を免れえたのは、ひとえに日本のおかげである。日本は欧米列強の伴侶たるにふさわしい国である。
スタンダード:社説
義和団鎮圧の名誉は日本兵に帰すべきである、と誰しも認めている。日本兵の忍耐強さ、軍紀の厳正さ、その勇気はつらつたるは真に称賛に値するものであり、かつ他の追随を許さない。


石井・ランシング協定(1917)の意味
アメリカは支那、特に満州における日本の特殊権益を承認。日本はフィリピンにおけるアメリカの特殊権益を承認。しかしこれは、アメリカがヨーロッパでドイツと戦う間、極東における日本の行動を抑えるためのその場しのぎの便宜的政策であった。1922年のワシントン会議における九カ国条約で支那における平等がうたわれ、石井・ランシング協定は存在意義を失い、翌年破棄された。

ブロック経済と社会主義伸長
ホーリー・スムート法がアメリカ議会に提案された一九二九年、ニューヨーク市場株価大暴落を持って世界恐慌が始まる。法案の通過した一九三〇年から三一年までの統計では、この間の世界の貿易量は半分に落ち込んでいる。
世界恐慌は‘資本主義の必然性’によってではなく、自由貿易の阻害によって発生したと考えるべきである。ホーリー・スムート法によってアメリカ経済はいち早くブロック経済に移行し、イギリスフランスがこれに続いた。オランダはインドネシアに膨大な資源を有し、ロシアは広大な領土に支えられている。資源の乏しい日独伊が追い詰められていった。

通州事件(1937年)
在留日本人380人中260人が惨殺される。実行したのは冀東防共自治政府保安隊。盧溝橋事件の三週間後、当時、日本軍惨敗のデマが流されていた。国民政府の御用放送は、執拗に冀東防共自治政府への脅しをかけてきており、恐怖に駆られた保安隊が日本人を血祭りに上げることで、蒋介石の怒りを解こうとしたのではないだろうか。

『日本は中国(シナ)にどう向き合うか』 渡部昇一『日本は中国(シナ)にどう向き合うか』 渡部昇一
(2013/02/13)
渡部 昇一

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渡部昇一氏を“右翼”という人がいるが、それは間違っている。


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世界史関係の本を読んでみた

ここのところ、世界史関連の本を三冊読んだけど、それぞれ特色があって、まあまあ良かった。ちょっと特徴をまとめておきます。

世界の歴史は高校世界史で十分 『やりなおし高校世界史: 考えるための入試問題8問』 津野田興一世界の歴史は高校世界史で十分 『やりなおし高校世界史: 考えるための入試問題8問』 津野田興一
(2013/01/09)
津野田 興一

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世界の歴史は「高校世界史」で十分。
現代世界における諸問題を理解するなら、高校時代の世界史の教科書を読めばいい。
有名大学の、入試における世界史の論説問題を紹介。特に、現代世界の諸問題を理解するためには、「高校世界史」の教科書を読み込むことは大変有効であり、その知識で十分対応できるほど、「高校世界史」のレベルが高いことを証明している。

たしかにそのとおり。「高校世界史」のレベルはものすごく高い。ただし、それだけに高校の授業という枠の中で学ぶことがきわめて難しくなっている。よって、数多くの“世界史嫌い”が作り出されるという事態も発生している。この本は、そういった問題には触れない。

当時書いた記事
だけど、『高校世界史』からここまで読み取る事が出来るのはごく一部の学生だけで、大半はとてもそこまで至らない。一般の方も、自分が高校時代に使っていた教科書を読み込んでいけばここまで世界認識が広がるということはご存じなかった方が多いと思う。そして、『高校世界史』にそこまで求めなくてもいいのではないか、と思われるのではないだろうか。

私もそう。なぜここまでやるのか。やる必要があるのか。そう思う。

世界史は、・・・というより、歴史は面白い。それを教えたい。historyは“歴史”と同時に“物語”。「覚えればいい」と、最初からそう思い込んでいる学生の認識を変えたいのだが、これが難しい。だから、歴史をあえて物語りとして伝えたい。物語を伝えないと学生には響かないと思うのだ。

現状で、著者の先生の姿勢は正しい。本書で、「もう一度、高校の時の世界史の教科書を読みなおしてみよう」と考える一般の方があれば、これはとても素晴らしい。


教科書では学べない 世界史のディープな人々教科書では学べない 世界史のディープな人々
(2012/08/01)
鶴岡 聡

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でも、こういう‘人々’を学ばなきゃ、世界史なんて面白くないよなぁ。

その点、この本は面白い。歴史にも名を残す人物のエピソードを綴れば面白いに決まっている。誰をとっても、一本の映画として十分見応えがあるだろう。レオニダスはもう映画になってるし、“デカブリストの妻たち”なんていうのも面白そう。中世のヨーロッパのおどろおどろしい世界が多く取り入れられているのもいい。フランス革命から“戦争と革命の20世紀”も面白い。でも、面白さを感じるためには知識が必要だ。面白さを失わずに基礎知識をつけるにはどうしたら良いか。それが問題なわけだな。

もう一点。著者の歴史観はたいへん常識的であると感じた。常識的という言葉は当を得ていないかな。キリスト教の捉え方や、ロシア革命の捉え方に、なんとなく、“戦後民主主義教育”における良識的歴史観の香りを感じるんだけど・・・。

目からウロコの逆さま世界史目からウロコの逆さま世界史
(2013/01/25)
島崎 晋

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世界史ばなれを食い止める。読みだしたら止まらなくなる世界史。
この本は、できごとの因果関係を重視することにより、単なる記憶ではなく、知識と知識を関連づけることによって、学ぶものの興味を持続させると主張する。確かに面白い。これを続けていくことで、やがて核融合反応が起こり、個別の知識が幾つもの触手を出してつながりあって一つの歴史観へと昇華する。射精時の快感にも似た達成感を感じる瞬間である。もちろんさらに学習を続けることにより、それがいかに底の浅いものであったを知ることになるのだが・・・。この方法なら、面白さを失わずに知識を習得できる。でも、結構言い古されたことが多かったけど、・・・贅沢を言うのはやめよう。

当時書いた記事
17 アヘン戦争の敗北はサツマイモとトウモロコシ、落花生の普及が原因だった
18 フランス革命は火山の噴火が原因で起きた
22 「君臨すれども統治せず」の伝統は国王ジョージ1世の無気力にはじまる
24 スペインの経済破綻はレコンキスタが原因だった

歴史は詰将棋と違って、思わぬところで思わぬ展開を見せる。まさしく‘塞翁が馬’。さらに‘人’が絡んで不規則性を高め、予想外の展開となる。上記の4項目はまさしくそんな展開。教科書の内容と整合性をつけていけば、実際に面白い授業になっていくと思う。もちろん、他にも使える項目は数多いが、すでに真新しさに欠けるものも含まれる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
35 十字軍を生んだ要因は気候変動にあった

前半にも、“17 アヘン戦争の敗北はサツマイモとトウモロコシ、落花生の普及が原因だった”、“ 18 フランス革命は火山の噴火が原因で起きた ”と、 つまり「飯が食えるか」という問題から社会が動いていることに注目した項目があった。やはりこれが一番大きいのだ。飯を求めて人間が動く。それまでの領域を超えて、国境を超えて動く場合もある。“激動する歴史”の一こまである。無軌道に暴力的手段を行使しつつ動くか、ルールを作って秩序だって動くかの違いはあれ、これからもこういうことは起こるはずだ。

いかにルールを作ろうと“動き”には混乱がともなう。だからこそ、「みんな飯が食えているか」に興味を持たなくてはならないのだろう。そして「みんな」というのは、世界中の「みんな」でなければならない。

「高校世界史」は、余りにも充実しすぎている。ここまで細かい知識は、大学に進んで、世界史を専門とするものがやればいいと思えるものがたくさんある。やっぱり大胆に精選すべきだと思う。ただし、宗教に関しては、日本の「高校世界史」は淡白過ぎる。突き詰めていけば宗教に行き当たることは、ほんとうに数多くある。例外を探すほうが難しい。その割に、「高校世界史」における宗教からのアプローチは弱い。この点、きわめて不十分だ。これらの本でも、そのことには触れられていなかった。

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ディープな拓 『教科書では学べない 世界史のディープな人々』

生き急いだ天才数学者
ガロアエヴァリスト・ガロアは、1811年、パリ南郊に生まれた。王党派のアルトワ伯に押されっぱなしのルイ18世復古王政。アルトワ伯が跡を継ぎ、シャルル10世となってからは反革命の嵐が吹き荒れた。両親のもとに自由な教育を受けたガロアにとっては不遇の時代であった。7月革命によってオルレアン公ルイ・フィリップが王位につくが、まもなく「株屋の王」と呼ばれるようになった。ガロアの学問は、常に政治活動とともにあった。にも関わらず、時代の標準を軽く飛び越えた。加藤文元は『ガロア 天才数学者の生涯』にこう書いている。「ガロアは代数方程式論をつうじてまったく新しい音楽を聴きだしていた。・・・しかし、ガロアの音楽はそれらのどの(古典的な)形式によっても表現できない種類のものだったのである。」・・・彼の理論は、まだだれも理解できなかったのである。

幻視に天国をみた修道女
ヒルデガルトヒルデガルトは1098年生まれ。病弱のため、幼くしてライン川中流のマインツから30kmほど南にある修道院に預けられ、のちに修道院長となった。『スキヴィアス』にある彼女の幻視が始まったのは、1141年であったという。“・・・なにか大きな、鉄色の山のようなものを見たその上に栄光の輝きに目がくらむほど光まばゆいものが君臨していた。この君臨者の両方からくすんだ影のように、幅も長さも驚異的な翼のようなものが生えていた。・・・”彼女自身あまりにも悪魔的な幻に恐れおののいた。カタリ派やアルビジョア派などの活動が活発化し、異端審問も行われた時代、彼女の幻視は危険であった。しかし、教皇エウゲニウス3世はヒルデガルトの幻視力を祝福した。『スキヴィアス』、『自然学』、『病因と治療』などの書籍、また彼女の作曲したおびただしい宗教曲が後世に残された。

場末のワルツ
古い権威に反抗し、古典理論の禁じ手を平然と無視して音楽に新しい地平を開き、その新しい響きは当時の音楽界からは異端視されたというドビュッシー。そのドビュッシーがエリック・サティーにこう言ったそうだ。「君は形式の感覚を持つべきだ」・・・最大限の賛辞としか言いようが無いだろう。場末のキャバレーのピアニスト。彼のめざした音楽は、聞き流しの出来る、周囲の雑音に加わって、その分を計算に入れて作られている家具ような音楽だったという。そう言えばこの“ジュ・トゥ・ヴー”まさしくまわりに溶け込んで・・・

妻の名声に隠れた男の気迫
キュリー夫妻ピエールの父は開業医で、2月革命ではバリケードで戦い、パリ・コミューンにおいてはコミューン側の戦医を務めたという。確かに伝記で読んだのは『キュリー夫人』だった。夫人であるマリー・キュリーの方が有名なのは間違いない。しかし、夫のピエール・キュリーも1度目のノーベル賞受賞の時は夫妻とアンリ・ベクレルの共同受賞だったし、この研究は、それまで最小単位とされていた原子が変化することを突き止めた物理学のパラダイム転換だった。ピエール・キュリーの業績自体偉大なものだ。夫人の2度目の受賞も、ピエールとの共同研究なしにはありえなかっただろう。

封印列車の旅
レーニンウラジーミル・イリイチ・イリヤーノフ・レーニン。確かに孫文よりはマシだ。しかし、人類史に共産主義という大きな汚点を残したことは間違いない。スターリンの独裁は彼の死後のことではあっても、共産党独裁がスターリン独裁を招いたのは必然だった。社会民主労働党のプレハーノフ(メンシェヴィキ)とならぶ理論家であるレーニン(ボリシェヴィキ)。1917年の3月革命当時はスイスのチューリヒで亡命生活を送っていた。同志の努力でドイツの通行許可を得、祖国へに向かうレーニン。ペテログラードの駅で、彼は群衆の「ウラー❢」の声に迎えられた。ちなみに今でも薬漬けで遺体を保存されている奴ら・・・レーニン、孫文、毛沢東、金日成、金正日、ホーチミン


教科書では学べない 世界史のディープな人々教科書では学べない 世界史のディープな人々
(2012/08/01)
鶴岡 聡

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でも、こういう‘人々’を学ばなきゃ、世界史なんて面白くないよなぁ。


 

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ディープな戦 『教科書では学べない 世界史のディープな人々』

ローマを撃破した完璧な一戦
ハンニバル前264年、シチリアの領有をめぐってカルタゴとローマは激突した。ポエニ戦争の開始である。第1次ポエニ戦争に敗れたカルタゴが敗戦の恥辱に耐え雌伏している頃、カルタゴ将軍ハミルカル・バルカの長男としてハンニバル・バルカ(前246~前183)が生まれた。前218年、ハンニバルは5万の兵士を率いてピレネー山脈を越えた。第2次ポエニ戦争の開始である。前216年、ハンニバルはカンネーの戦いで数的優勢を誇るローマ軍を撃破した。騎兵を有効に使った見事な戦術だった。結局、ポエニ戦争はローマの勝利に帰結する。ローマは地中海を「われらの海」とし、帝国への道を一気に突き進む。そんなローマ人にとってもハンニバルの名は畏敬と恐怖の対象であり続けた。親たちは言うことを聞かない子供たちを行為って脅すのだ。「悪いことをするとハンニバルに連れて行かれちゃうよ」

ジェントルマンの国も千年前は無法地帯
ノルマン・コンクエストノルマンディー公ウィリアムによるノルマン・コンクエスト。それを決定づけた戦いがヘースディングスの戦いであった。それまで、イングランドは民族移動に翻弄され続けた。先住ケルト人を征服しつつアングロ・サクソン人が移動してきたのが5世紀前半。その後の7王国時代を統一したウェセックス王エグモントがイングランド王国を建てたのが9世紀。今度はノルマン人ヴァイキングが荒らしまわる。アルフレッド王はデンマークを本拠とするデーン人を撃退し、カトリックに改宗させて大王と呼ばれる。しかし、1016年には結局デーン朝が成立する。サクソン人はエドワードを王としてイングランドを復興する。そしてノルマン・コンクエストである。

ムッソリーニに敗北した詩人
ダヌンツィオガブリエーレ・ダヌンツィオは、第一次大戦後の混迷するイタリアに現れ、イタリア人の国家意識を高揚させた。南チロルとアドリア海沿岸の、いわゆる「未回収のイタリア」を餌に、第一次大戦に引きこまれたイタリアは、結局お預けを食わされた。ダヌンツィオのパフォーマンスはイタリア国民を熱狂させた。「もしことならずば、イタリアとフィウメの間に、血に染んだわが屍が永久に立ちふさがるであろう❢」・・・彼はどこまで言っても詩人だった。1924年、ムッソリーニはやすやすとフィウメを併合した。

ワールシュタットの戦い
ワールシュタットバトゥ遠征軍が1236年に遠征開始。ワールシュタットの戦いが1241年。“ワールシュタット”とは「死体の山」の意味である。
モンゴル軍はそんなにも残虐だったか。交易はもとより、文化交流への貢献ははかり知れないモンゴル人は、遠征に関しても慎重に事を運んだ。謀略工作はもちろん、兵站の確保や諸部族の調整には神経を使った。出来る限り戦う前に敵が崩れるか、自然になびいてくるよう仕向けたという。キリスト教を信仰しない異教徒に支配される彼らは、その悔しさをモンゴル人は残忍だと決め付けることによって、紛らわしたのだ。
 

戦争にまで発展したサッカー試合
サッカー戦争1969年7月、中米のエルサルバドルとホンジュラスの間で実際に戦争が勃発した。「おろかな戦争」の代名詞のように“サッカー戦争”と呼ばれるが、背景にはスペイン時代からの負の遺産があった。「アシエンダ」と呼ばれる大農園経営がそれである。極少数の者が大農園を経営し、現地農民は小作、あるいは農奴と呼ばれるに相応しい境遇に甘んじた。農地の狭いエルサルバドルの農民が比較的余裕のあるホンジェラスに不法移民として流れ込み、両国の懸案となっていた。W杯予選の試合は対決のきっかけになったに過ぎない。双方合わせて2000名の死者。両国の規模からすれば、驚くべき数字である。

ヒトラーの師
エッカートディートリヒ・エッカート。ヒトラーが“悪魔”のように言われるその多くは、エッカートから引き継がれたものだった。「・・・復讐の雷鳴の中で激しく、激しく荒れ狂わねばならぬ。鐘打ち鳴らして死者たちを墓穴から呼び起こせ❢ドイツよ目覚めよ、目覚めよ❢」ナチスの標語として利用されたこの言葉こそ、エッカートのものである。「奴ら(=ユダヤ人、共産主義者)が国を乗っ取りに来る」という強迫観念に突き動かされて書いたものだ。エッカートの人脈と政治的直観は、全てヒトラーに預けられた。エッカートこそがヒトラーという怪物を怪物たらしめた真の怪物であった。


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(2012/08/01)
鶴岡 聡

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ディープな民 『教科書では学べない 世界史のディープな人々』

ロダンの傑作《カレーの市民》
カレーの市民1328年、フィリップ4世の死によってカペー朝断絶。甥のシャルル・ド・ヴァロアがフィリップ6世として王位につきヴァロア朝が始まる。イングランド国王エドワード3世の母イザベルはフィリップ4世の娘。エドワード3世はフィリップ4世の孫である。1337年、エドワード3世はフィリップ6世のフランス王位を僭称と決めつけ、臣下の礼を取り消してフランス王位継承を宣言。百年戦争の始まりである。1346年9月にはじまるイングランド軍によるカレー包囲戦は1347年8月にカレーの開城で決着する。エドワード3世は住民の命と引き換えに、6人の要人の出頭を命じた。彼らは裸体に近い恰好で首に荒縄を巻く姿で出頭し、降伏の意思を示した。(臨月を迎えたエドワードの妻の懇願で彼らの命は救われた。)

デカブリストの妻たち
デカブリストの妻写真の人物はアニー・ムラヴィヨフ、デカブリスト(12月党員)セルゲイ・ムラヴィヨフの妻である。ボロディノの戦いはナポレオン没落のきっかけとなった。しかし、翻弄されたのは彼だけではない。このロシアにおける‘祖国防衛戦争’は、貴族も、町人も、農奴も、一人のロシア人意識を抱くきっかけとなった。彼らの一部はナポレオンを追ってパリに入り、自由を呼吸してロシアに帰った。しかし、皇帝アレクサンドル1世は、ナポレオンをやぶった勢いそのままに強圧的にロシアを支配した。ツァーリズムはかつてないほどの苛烈さで民衆を威圧した。これが‘デカブリストの反乱’の背景である。1825年11月、アレクサンドル1世の死去の混乱の中に彼らは蜂起した。蜂起は失敗し、首謀者5名が絞首刑、121人がシベリアへ流刑された。人々の涙を誘ったのは流刑者の妻たち9名が、貴族の称号と、豪奢な生活を捨て、夫を追ってシベリアに向かったことだった。「流刑者の妻」たちは1万kmの旅の果てにネルチンスクの鉱山で働く夫たちに出会うのである。


隠者ピエールと民衆十字軍の顛末
民衆十~1 イェルサレム大司教シメオンから当地のキリスト教徒がおかれている立場を聞いた隠者ピエールは、フランスにもどると精力的に人々に聖地奪還を呼び掛けた。1096年、集まった人数は2万人と言われる。食い詰め者、一攫千金を夢見る者、まき直しをはかる者、いろいろな者が集まったが、もちろん宗教的情熱なしには語れない。同行する婦女子は男たちの刃にかかり、行く先々で住民とトラブルを起こし、コンスタンティノープルに到着。ビザンツ皇帝アレクシオスは厄介払いとばかりにボスポラス海峡の向こう側に彼らを送った。敵地に入った民衆十字軍は飢えに苛まれ餓鬼と化した集団だった。セルジューク朝アルスラーン1世により、彼らは捕虜となるか奴隷として売られ、雲散霧消した。


夫の遺言を50年後に伝えた妻
ブハーリンニコライ・イヴァノヴィッチ・ブハーリンは、レーニンやローザ・ルクセンブルクを凌ぐ秀才だった。1924年に死んだレーニンは、スターリンの危険性に気づき、彼を後継者から排除するよう遺言した。しかし、一国社会主義を主張するスターリンは、世界革命を主張するトロツキーを破って指導者の地位についた。この時スターリンを支持したのがブハーリンだった。秘書にスターリン暗殺を示唆したというブハーリンの逮捕理由はでっち上げだった。息子や妻の危険を避けるため罪を受入れることを覚悟した彼は「親友だったからこそ彼は憎むのだ。彼は神でいたいから彼についてなんでも知っている者は邪魔なのだ」と言って、妻にスターリンを糾弾する遺言を託した。妻、アンナ・ラリーナ・ブハーリンが夫の遺言を公表し、その名誉を回復したのは、1988年のゴルバチョフ政権下であった。アンナは1996年まで生き延びた。

悪徳教皇に挑んだ男
サヴォナローラ不正蓄財に女性関係、隠し子たちの財産をめぐるスキャンダル。“教皇”は垢にまみれたサターンさながらであった。時の教皇、アレクサンデル6世は、若い時から金と女に血道を上げ、多くの愛人に産ませたこの中にはチェーザレ・ボルジア、ルクレティア・ボルジアらも含まれていた。ロレンツォ・デ・メディチの子、ピエロの追放により、ドミニコ会修道士ジローラモ・サヴォナローラの神裁政治が準備された。彼は、メディチ家支配の間に世俗の悪徳にどっぷり浸ったフィレンツェの人々の生活を信仰に向けさせるため、風紀の引き締めをはかった。メディチ家による政権独占に嫌気が差していたフィレンツェの人々はサヴォナローラの説教に熱狂した。「希望隊」と称する行動隊が密告者の網を通じて市民生活を監視した。高価な装身具や調度品は集められて燃やされた。エスカレートする風紀粛清から、やがて人々の心は離れた。やがて彼は、かつて彼に熱狂したフィレンツェの人々の手によって絞首台の露と消えた。

ケペニック事件
ヴィルヘルム2世ナチス全盛期。茶色い制服のSA(突撃隊)。グレーの制服のSS(親衛隊)。ヒトラー・ユーゲント(ヒトラー少年団)はカーキ色のシャツに赤いネッカチーフ、黒い半ズボンに白い半ソックス。制服が魔力をもった時代だった。しかし、これはヒトラーの独創性ではない。ヴィルヘルム2世がイギリスの覇権に挑戦した20世紀初めのドイツにも同じ現象があった。ケペニックはベルリン中心から10km東南の都市だった。町を移動中の小隊が、突然大尉の制服の人物に命令を受けた。小隊兵士たちは、その人物の命令のままに市長を逮捕し、金庫のなかの金を没収した。その人物は兵士たちに「任務完了」を告げると、ケペニック駅から姿を消した。ヴィルヘルム・フォイクトという名の犯人は後に逮捕された。ヴィルヘルム2世はこう語ったという。「ドイツ人が規律というものをどう考えているかがよく分かる。この地上のいかなる国民も、我が国のマネはできない」

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西武秩父線廃止? えっ、ふざけるな❢

今週、私にとって最も大きなニュースはこの問題だ。
レッドアロー 初代レッドアロー

西武秩父線、廃止対象に 地元は戸惑いと反発 米サーベラス提案
2013.3.20
 米サーベラスが西武HDに提案するリストラ策で廃止対象になっている西武秩父線。廃止が現実となれば生活の足を失う地元では戸惑いや反発の声があがっている。横浜方面への直通運転で観光PRを強化し始めたばかりの沿線にとっては、冷水を浴びせられた形だ。

 西武秩父線は埼玉県飯能市の吾野(あがの)駅から秩父市の西武秩父駅まで約19キロメートルの区間。実質的には東京都の池袋駅からの直通特急と、飯能駅からの各駅停車で池袋線と一体運用されている。過疎化が進む山間部を走り、高齢者や学生の利用客が多い。

 飯能市の新井文雄秘書室長は「赤字だから廃線というのではなく、公共の利益のために動かしてほしい」と反発する。今回の事態に「具体的な話になれば、維持を要望することになる」と危機感をあらわにする。

 西武では16日から始まった横浜方面への相互直通運転を機に、新たな観光客を呼び込もうとPRしていた。西武秩父線は都心からも比較的近く、沿線の豊かな自然が観光の目玉となっている。埼玉県横瀬町の広報担当者は「町内を通る唯一の鉄道路線。なくなれば大変困ったことになる」と戸惑いを隠せない。

頭に来て、血が沸騰しそうだ。西武秩父駅ー吾野駅区間が廃止されれば、沿線住民はもとより、西武秩父駅の背景に広がる広範囲の“秩父”に暮らす“秩父人”の生活が大変な影響を受けることになる。外資の影響下にそれが行われるなんざ、植民地じゃねえぞ❢ふざけんな❢

秩父市長久喜邦康氏がブログに以下の意見を載せている。

2013/03/22
サーベラスによるTOB
さる3月12日、 株式会社西武ホールディングスの筆頭株主であるサーベラスが公開株式買付けを実施するにあたり、西武鉄道株式会社の西武秩父線の廃止を提案するとの報道がありました。ご存知のとおり、西武秩父線は秩父地域の住民にとって日常生活に欠くことのできない重要な路線であります。また、観光行政の観点からも、都心からの誘客に重要な路線でもあります。現在、西武秩父線の運行は、通勤、通学、観光、産業経済などあらゆる面で秩父地域の振興・発展に、極めて重要な役割を担っていただいております。このような状況の中、報道にあるような西武秩父線の廃止は、秩父市・横瀬町・皆野町・長瀞町・小鹿野町の住民にとっては誠に遺憾であるとともに、地域の存亡にもかかわることであり、到底承服できるものではありません。つきましては、秩父地域住民にとって重要な公共交通機関であり、秩父地域の振興・発展に大きな役割を果たす西武秩父線の存続に向けて、全力で取り組んでまいりますので、市民の皆様にもご協力をお願いいたします。
市長は“地域の存亡にかかわる”という言葉を使っているが、そのとおり、これまでの“秩父人”の生活は壊滅する。利益至上主義の外資が日本の鉄道会社を株式から支配し、日本の交通機能に多大なる影響を与える事態が、現実に私の眼の前にある。

西武HDの背後にJR東海!? TOBで激化するサーベラスとの攻防に政府も参戦!
http://biz-journal.jp/2013/03/post_1736.html

政治も動き始めて入るようだが、脇が甘いのだ。まるで稀勢の里の相撲のようだ(ごめん稀勢の里)。日本はこの脇の甘さを早急に克服して行かないと、横綱になれないどころか大関を陥落し、転げ落ちで平幕維持が精一杯という状況になりかねないぞ。それに、まだニュースとしての取り上げ方が小さい。なぜだ❢どうしてマスコミは気がつかないんだ。 頭、悪いのか。
埼玉鉄道 
西武秩父線とは、上記地図の内、秩父駅ー吾野駅区間を指す。ここが開通し、“西武秩父線”という名で“西武池袋線”につながり、秩父の人間に、秩父鉄道(三峰駅から秩父を貫いて寄居、熊谷方面へ)以外の“外界へのルート”が準備されたのは1969年。翌年、私が小学校四年制の時に小学生は無料で招待され、西武秩父線に乗った。“秩父人”の生活は大きく変わった。

私は左股関節を脱臼したまま生まれてきた。親がそれに気づいたのは、私が一歳半の時。専門医を求めて飯能に行ったらしい。当時の治療は、足首から胸まで至る物々しいギブスをつけるもので、そんな私をどうおんぶしたのかしらないが、母は医者に通った。今なら、西武秩父線で40分だ。しかし当時、それはなかった。車もなかった。秩父鉄道で影森から寄居に出る。八高線に乗り換えて東飯能。西武池袋線で飯能駅到着。乗り継ぎの悪い八高線を考えれば、往復すると一日がかりに仕事になる。今も、変形性股関節症に悩まされるが、母のお陰でここまで歩いてこられた。

冗談じゃないんだ。日頃静かにしてるけど、“秩父人”怒らすと、ちょっとややこしいことになるぞ。


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『日本の文字 「無声の思考」の封印を解く』 石川九楊

『日本の文字  「無声の思考」の封印を解く』 石川九楊『日本の文字 「無声の思考」の封印を解く』 石川九楊
(2013/02/05)
石川 九楊

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漢字は無声の構成要素から成り立っている。ここに、東アジア漢字文明圏で書が独特の働きをする理由がある。

著者の石川九楊氏は、1945年福井県越前市生まれの書家。正直、難しい本だなと思った。論理建ては理路整然としていると思えるのだが、“書”をさながらにする著者の知識と感性についていけない部分が多々あった。そういった方面に疎すぎる自分が情けないが、言わんとしているところは感じ取れたとは思う。

序章 なぜ日本語だけが三種類の文字を持つのか
第一章 文字再考
第二章 漢字、ひらがな、カタカナ
第三章 書く文明、話す文明
第四章 点画の書法
第五章 文字と文体
第六章 堕ちゆく日本語の再生
文字は究極のタイムマシンである。それでもやはり文字は一つの技術に過ぎず、人間の、話し言葉を再生するために作られたらしい不完全な道具にすぎない。話し言葉を再生する手段はこれまで無数に考えだされてきたが、それらは歴史によって淘汰され、少数の「最良の」解決法だけが残った。“スティーブン・ロジャー・フィッシャー『文字の歴史』より”
西洋における、上記のような文字の定義にたいして、東アジアの書に携わってきた著者は、「文字とは文をつくり、ささえるもの」と定義する。とすれば、文字は言葉を構成する単位でしかない。その点、上記のような西洋の文字の概念とは自ずから基本を異とする。

日本は話し言葉を表記するため、漢字を借用した。その最初が万葉仮名である。
万葉仮名
漢字の力(意と音)を駆使し、漢字を吸収、変形して文“かきことば”としての和語を創りだした。
真仮名
楷書体もしくは行書体の漢字の仮名あて字。
草仮名
草書体のの漢字の仮名あて字。
ひらがな
草仮名が更に崩され、漢字とのつながりをたつに到った状態。
カタカナ
真仮名の文字を大胆に省画した文字。

日本人は、漢字、ひらがな、カタカナの三種類の文体の複合体として日本語文を成り立たせている。主に、漢字の文体を一方の極とし、ひらがなの文体をもう一方の極として日本語文は成り立つ。漢字における同音異義語を多く持つこともあり、“はなしことば”の水準が“かきことば”にとどくことは決してない。“はなしことば”の水準を高めることは、それ以上に“かこことば”の水準を高めることを必要とする。日本語の水準を上げるということは、“かきことば”を大事にするということを意味する。

最終章で著者が「日本語の再生」を訴える背景にもそのことがある。“再生”を必須とするところまで日本語は堕ちたということだ。日本語の水準を支えるのは漢字・漢語への理解、表現力であり、それが衰えれば政治、思想、宗教といった分野における抽象的思考が劣化する。もちろん、ひらがなだけでも“かきことば”の役割は果たせるわけだが、ひらがなによる豊かな“かきことば”の表現の背景には漢字・漢語への理解、表現力が必須である。

本書、最後の文章である。『書字教育からしか始まらない日本語の再生は急を要する』
 
 
はなのいろは うつりにけりな いたつらに わかみよにふる なかめせしまに
「花の色は色あせてしまった。私がむなしく世を過ごしものおもいにふけっているうちに」

「ふる」・・・経る・降る
「なかめ」・・・眺め・長雨
「わかみ」・・・我が身・若身
「よに」・・・世に・夜に

「花の色は色あせるように若かった私も年老いてしまった。夜も降り続く長雨を眺めるかのようにものおもいにふけっているうちに」

まさしく著者の言うとおり、この深さは今の日本語からは失われている。

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ディープな王たち 『教科書では学べない 世界史のディープな人々』

スパルタ王レオニダスの気骨 
レオニダス紀元前480年、テルモピレーの戦いに火ぶたが切って落とされる。クセルクセス率いるペルシャの大軍にレオニダス率いるスパルタ軍が立ち向かう。スパルタ精鋭三百。友軍を加えても数百の小部隊がペルシャの大軍を足止めした。出陣に際し彼は妻に「神託では自分の死は避けられないから、よい夫を見つけて再婚し、子どもをたくさん設けるように」と言い残した。
酒池肉林に明け暮れた少年皇帝
エラガバルスカリグラ、ネロ、ドミティアヌス・・・。アブノーマルで残忍なローマの皇帝のなかでも、エラガバルスの名はあまり知られていない。二一八年に即位したエラガバルス。資料にはこうある。「皇帝は密偵を派遣し、巨根の男を探させて、宮廷につれてこさせ、情事を楽しむことしかしなかった。(宮廷で芝居を演じ)突然、服を足もとに落として全裸になり、片手を胸に片手を陰部に当ててひざまづき、背徳漢に向かって尻を突き出し、腰を前後に動かした」(『ローマ皇帝愚帝列伝』)
赤髭王伝説
バルバロッサ神聖ローマ帝国と呼ばれながらも諸侯の独立性が高く混沌とするドイツ。赤髭王(バルバロッサ)と呼ばれたフリードリヒ一世は、そんな中世ドイツに統一をもたらしてくれる存在と期待された。バルバロッサはイタリアに皇帝の覇権を確立することに力を尽くした。しかし、英仏で王権が確立されていくのとは裏腹に、バルバロッサが留守にする間にドイツの分裂は決定的となってしまった。彼は、一一八九年、十字軍の遠征中に不慮の死を迎える。しかし例外的に民衆に愛された彼は、伝説となる。「やがてバルバロッサは復活し、ドイツを救済する」と。一九四一年六月二二日、ヒトラーによるソ連侵攻作戦は「バルバロッサ作戦」と呼ばれた。
地獄に落とされた教皇
ボニファティウスコンクラーベの駆け引きで、たまたま担ぎあげられた教皇ケレスティヌス五世。ベネディクト十六世の生前退位は七百年ぶりと話題になったが、七百年前の生前退位がこの人。ただし、ケレスティヌス五世の退位は、次のボニファティウス八世に引きづり降ろされたものだった。野心家ボニファティウス八世は精神的に前教皇を追いこんで退位させ、自らが取って代わった。そしてあらゆる権力に優越する教皇の権威を夢見た。しかし、時代は変わり、フランス王フィリップ四世と対立した彼は、アナ―二事件で追い詰められ、二週間後に呪詛の言葉を吐きながら憤死した。
カンタベリー大聖堂の惨劇
トマス・ベケットプランタジネット朝の始祖となったヘンリー二世。二エシダ(プランタジネット)を家紋とするアンジュー家はカペー朝フランス国王の家臣にしてイギリス王となった。王の腹心トマス・ベケットは、やがてイギリス国内のキリスト教世界を管理統制しようとする国王と対立した。ベケットがカンタベリー教会大司教の座につくと、彼は国王の意を体した家臣によって殺される。カンタベリー大聖堂内での惨劇だった。惨劇から三年たった一一七三年、トマス・ベケットは聖人に列せられた。彼の血を拭き取って真っ赤に染まった布は、教会の聖なる旗として祀られた。(写真はベケットの殺された位置を示す槍)
キャロライン王妃事件
キャロライン近代イギリス史上最も法党な国王ジョージ四世。既婚の婦人に手を出して愛人として放蕩三昧。一七九三年、彼の借金は40万ポンドに達し、国王の年間宮廷歳費83万ポンドの半分がその返済に充てられた。いまだ、皇太子時代の話である。彼に嫁いだのがキャロライン王妃である。しかし彼女は夫から疎んぜられ、遠ざけられた。ジョージ四世は即位してからも、キャロラインに‘王妃’を名のることを許さなかった。離婚承認の法案を議会に提出したり、キャロラインの不倫を立証するために証言者に偽証を求めたりした。国民は王妃に同情的であった。ジョージ四世の戴冠式では、国民の「王妃万歳」の声が響いた。ヘンリー八世の時代と違い、産業革命と自由主義の時代、皇室スキャンダルは大衆の耳目を集めた。この時期から皇室にあり方にも変化が表れていく。ダイアナ妃の悲劇を思い出すな。
首はどこへ行った?
アンリ4世フランス革命が終わりルイ十八世の時、ミイラ化したアンリ四世の遺骸から首が亡くなっていることが発覚した。墓を暴くのに立ち会った人物は分かっている。アレクサンドル・ルノワール、革命政府の美術監督だ。革命戦争で弾丸の不足したフランスは、サン・ドニ大聖堂の王室の墓所を暴いた。棺に使われていた鉛を使うためである。遺骨は共同墓地に埋葬された。ルイ十八世が、それをサン・ドニ大聖堂に戻そうとしたところ、アンリ四世の首の紛失が発覚したわけである。一九一九年パリ古美術品競売上にこの首が出た。二〇一〇年、首は鑑定を受け、頸動脈をさされて死んだアンリ四世の刺し傷と一致した。
皇帝になりそびれた男
ブーランジェドイツ統一を最後まで阻んだフランス。ナポレオン三世のフランスをやぶって、ドイツ統一は成し遂げられた。ヴィルヘルム一世の即位式はヴェルサイユ宮殿で行われた。ドイツへの復讐。これ以降、フランスの政治を動かす原動力の一つとして、これが大きな意味を持つようになった。そんな状況を背景にフランス軍隊内で着々と地位をあげていったのが、ジョルジュ・ブーランジェだった。アルジェリア、インドシナ、パリ・コミューン、それぞれの戦場でけがをするたびに、彼は出世した。立ち回りも上手な彼は、国民からの人気を背景に陸軍大臣に就任する。アルザス・ロレーヌをめぐるドイツのいさかい(シュネブレ事件)も、自然と彼の手柄として転がり込んだ。人気ゆえである。グレヴィ政権崩壊後、パリ・コミューン弾圧の張本人フェリーの大統領就任がうわさされると、急激にブーランジェのクーデターへの期待が高まった。しかし、彼はベルギーに逃げた。最愛のボヌマン夫人と共に・・・。「あの方のいらっしゃるところならば、たとえどちらへでも私はお供します。私の命を捧げたのでございますから。あの方はお好きなところへ私を連れていらっしゃれたし、どう私をなさろうがご勝手だったのでございます」

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現代とはなぜこんなにも棲みにくいのか。
前近代から近現代へと変貌し続ける世相の本質をつかみ生き方の支柱を示す。
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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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