めんどくせぇことばかり 2013年08月
FC2ブログ

情報操作・宣教師の侵略(覚え書き) 『世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』 田中英道

『世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』 田中英道『世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』 田中英道
(2013/06/01)
田中 英道

商品詳細を見る
これまで数多く書かれてきた世界史は、西洋人の見方で書かれた歴史だった。
覚え書き
情報操作
スペインが世界に覇を唱える過程で行った略奪、殺戮の悪辣さは、あますところなく伝えられています。では、世界に植民地を広げたイギリスはどうだったでしょうか。スペインと大同小異であったことは確かです。中国支配を目論んで仕掛けたアヘン戦争の汚さは、その一端を示しています。しかし、その実態はスペインのようには広まっていません。そこにはロイター通信社に象徴されるユダヤ資本の情報操作があったことを知らなければなりません。
日本人の弱いところで、多くを語らずとも“分かる人には分かる”と考える。「巧言令色鮮し仁」と、逆に多弁を戒める。しかし、論語の国、支那は多弁である。事実、蒋介石の多弁に呆れ果てているうちに、国際世論は反日に傾いた。なら、今の日本はどうかと思えば、んんん~。

大航海時代、日本はヨーロッパにどう対処したか
スペインやローマ教会は、イエズス会の宣教師を送ってキリスト教化して徐々に力を及ぼし、現地で教徒への弾圧が加えられるのを待って、教徒保護の名目で軍を派遣する。中南米は総なめにされ、略奪者マゼラン一行を撃退したパロパロの島も支配され、フィリペ2世をたたえてフィリピンと呼ばれるようになった。

日本はどう抵抗したのか。一五八七年、豊臣秀吉がバテレン追放令を出した。数多く来日し、大村純忠の寄進によって長崎はイエズス会の領地となっていた。だからすべての宣教師を追い出した。それでもスペインが、“教徒保護”の名のもとに軍を派遣できなかったのは、日本がそれに対抗出来るだけの軍事力を持ち、銃も国産化していたということだ。
一五〇〇年台から一八〇〇年代にかけて、三〇〇年の奴隷貿易に苦しめられる西アフリカは、日本の戦国時代さながらの部族抗争の時代だった。彼らは鉄砲の代金を、捕まえておいた敵の捕虜で支払った。日本は一五四三年に種子島に鉄砲が伝えられると、翌年には国産化を始めた。また、鉄砲を購入しても、金や銀の算出があり、列島単位の交易が存在していた。大村純忠よりもこの日本国を見渡せる豊臣秀吉という天下人が存在した。

ちなみに、イエズス会やスペインが、日本の植民地化と、日本兵を使ったシナ侵略を考えていたことは、歴史的事実である。秀吉が九州征伐を終える頃には、長崎はほとんど“軍事要塞”の名がふさわしい状況となっていた。

一五八二年、日本に三年ほど滞在したイエズス会東インド巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノは、フィリッピン総督のフランシスコ・デ・サンデに下記のような手紙を出している。
私は閣下に対し、霊魂の改宗に関しては、日本布教は、神の教会の中で最も重要な事業のひとつである旨、断言することができます。なぜなら、国民は非常に高貴かつ有能にして、理性によく従うからです。もっとも、日本は何らかの征服事業を企てる対象としては不向きでしょう。なぜなら、日本は、私がこれまで見てきた中で、最も国土が不毛かつ貧しい故に、求めるべきものは何もなく、また国民は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練を積んでいるので、征服が可能な国土ではないからです。しかしながら、支那において陛下が行いたいと思っていることのために、日本は時とともに、非常に益することになるでしょう。それゆえ日本の地を極めて重視する必要があります。
彼らの布教は、彼らにとっては“布教”であっても、後援者であるスペインにとっては、一義的に“植民地化”にあったことが分かる。しかも、植民地に出来ないまでも、日本兵を、“支那において陛下が行いたいと思っていることのために、日本は時とともに、非常に益することになるでしょう”と、スペインの支那侵略の尖兵にしようとしていることが明白だ。これが、宣教師の役割だ。


   

にほんブログ村 本ブログへ一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
読書
記事一覧


テーマ : 歴史関係書籍覚書
ジャンル : 本・雑誌

『鎮魂の旅 - 大東亜戦争秘録』 早坂隆

鎮魂の旅 - 大東亜戦争秘録鎮魂の旅 - 大東亜戦争秘録
(2013/07/09)
早坂 隆

商品詳細を見る
暗いほど青い紺碧の空に一機、生も死も超越して飛ぶ
第一章  玉音放送後に刻まれた哀傷-樺太看護婦集団自決事件
生き残ったのは十七名、亡くなったのは婦長の高橋のほか、石川ひさ、真田和代(二十歳)、久住キヨ(十九歳)、佐藤春江(十八歳)、瀬川百合子(十七歳)の六名。生き残った者はその罪悪感に終生苦しんだ。
第二章  B29搭乗員を介錯した武士道の顛末-千葉県日吉村・俘虜斬首事件
東京市民を無差別に焼き払ったB29。撃墜された一機には、生き残ったものもいた。満淵正明陸軍中将は、生きながらえる可能性のない俘虜を哀れに思い、あえて介錯を命じ、首を落とさせた。戦後、彼は横浜軍事法廷に呼び出された。
第三章  Uボート内に散った日本人技術者-庄司元三海軍技術中佐の最後
より高度な航空技術を導入するためヨーロッパで研究を続けた庄司元三。終戦間際、日本に向かうUボート234で彼が運ぼうとしたのは“U235”。しかし、ドイツ降伏とともに武装解除を受けるためアメリカに向かうUボートのなかで、彼は自決した。彼を待ちわびる妻と子を、日本に残して。“U235”は“ウラン235”だった。
第四章  特攻隊発祥の地を歩く-敷島隊員・谷暢夫の生涯を負って
「精一杯生き抜いたのではないでしょうか。生への執着を拭う事は難しかったでしょうが」・・・母が息子が沈んだ海を訪れ、用意した花束を投げた。その刹那、不意に大きな白波が押し寄せ、彼女のからだに飛沫がかかった。「ああ、ノンちゃんがきた」
第五章  函館俘虜収容所第一分所でなにが起きたか-陸軍大尉・平手嘉一の事例
彼は物資を盗み、仮病を偽るイギリス人俘虜に規定の懲罰を課した。不運にもイギリス人はなくなり、戦後、彼は横浜軍事法廷に呼び出された。下された判決は死刑だった。彼の友人は法定で叫んだ。「そんな馬鹿なことがあるか❢」
第六章  知られざる特攻兵器「震洋」が描いた航跡-とある元搭乗員の追懐
震洋は終戦間際に海軍が戦場に導入した特殊兵器。ベニヤ製の小型モーターボートの先端部に炸薬を搭載した究極の一手。誰もが零式による特攻を思い描いて海軍を目指した少年兵たちだった。
第七章  特攻にまつわる然る夫婦の相聞歌-日本人の死生観に関する一つの記録
熊谷陸軍飛行学校生徒隊第二中隊中隊長藤井一。生徒たちを特攻に送り出す時、「中隊長もかならず行く」と約束した。そんな夫の思いを遂げさせるため、妻の福子は、二人の娘を道連れに入水した。
第八章  埋もれた史実「モンゴル抑留」の実態-ウランバートルに隠された悲話
シベリアではなく、モンゴルに抑留された者たちがいた。その数一万二〇〇〇から一万五〇〇〇。うち、一五〇〇から三〇〇〇が帰国を果たすことなく、モンゴルの土となった。ウランバートルの中心部スフバートル広場に面した市役所、証券取引所、オペラ劇場は日本人捕虜が作った。
第九章  敗戦の責任は何処にありや-肥田武中尉が示した魂魄の行方
陸軍航空技術中尉肥田武は、多くの民間人が被災したこと、戦争に敗れたことを、明確に“軍人の責任”と捉えていた。何より自分の責任と捉えた。「私も武士の子、敵に解除せらるるほどの腰抜け刀は持ちません」と、くもんの跡すら留めることなく、腹を切った。
第十章  台湾で神になった日本人兵士-台南市・飛虎将軍廟を守る人々
昭和十九年十月五日に戦われた台湾沖空中戦。現台南市上空でも、数にまさる米軍が時間の経過とともに優位を確立していった。杉浦茂峰の零戦も被弾、機体は大きな集落に向けて落下していった。杉浦はなんとか機を立て直した後に脱出。しかし時すでに遅く、彼のからだは大地にたたきつけられた。地元の人々は、村を救ったと、彼を神として祭り上げた。

この本の表紙、零式だろうか。青すぎて暗いほどの空を、たった一機、どこまでも飛ぶ。一瞬のようで永遠。果てしない未来のようで遠い過去。追いかけられそうで決して届かない。そんな終戦の一こまを蘇らせてくれた本でした。
【主張】硫黄島の遺骨 国は「帰還」に総力あげよ - MSN産経ニュース(2013-08-27 15:15)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130827/plc13082703180004-n1.htm
硫黄島だけじゃなく、東南アジアでも、南太平洋でも、支那でも、朝鮮でも、満洲でも、シベリアでも、モンゴルでも・・・、多くの日本人が、ありえないまでの絶望に、血の涙を流して死んでいった。

“一つがすべてであり、すべてが一つである”・・・どのような死も、すべてを昇華して、自分のこととして受け入れる。『いま、私がこうしてあるのは、あなたが生きてくれたお陰です』

    

テーマ : 精神世界
ジャンル : 本・雑誌

海老沼、反則のりこえ金 世界柔道

金メダルをかけた決勝は、カザフスタンのムカノフ選手との一戦。選手のムカノフ選手の反則は、立ち技のなかで脇固めの状態に入り、そのまま体重をあずけて投げたことだ(動画4分45秒)。通常であれば、技に入った時点で反則負けになるはず。審判が試合を止めなかっため、ムカノフ選手は寝技に入ってからも腕ひしぎを続ける。海老沼選手は倒れた時点でかなりのダメージがあったはずだが、待てがかからず、そのまま締めあげられた。結局、審判は、ムカノフ選手の反則を取らなかった。

左腕を痛めた海老沼は、審判に対して右でをあげて痛みをアピールするが、審判は一向に意に介さず、“はじめ”をかける。

すでに異常であるが、驚くべきは、この直後にムカノフ選手が、ふたたび脇固めから海老沼を投げようとしたことだ。袖を抜いて事無きを得たが、技に入ろうと動いた時点でムカロフ選手の反則負けのはずだ。にもかかわらず、審判団には何の動きもない。苦悶の表情を浮かべる海老沼選手。“はじめ”の声が非常に響く。

奇跡はその直後だ。海老沼が真っ向から痛い左腕を伸ばして相手の襟をとり、一瞬の大内刈で一本。


一体この試合は何だったろう。脇固めからの投げは大変危険な反則技。反則技は禁じ手であると同時に選手を守る。ところがこの試合を見る限り、それを禁じ手とされているのは海老沼選手だけであり、ムカロフ選手には禁じ手とはされていない。 そんなことがありえるか。

不思議なのは、二度目の反則だ。ムカロフ選手は確信を持って技に入っている。この時、審判の意向がムカロフ選手に流れているのを確信した。 いったい、この不正はどの規模で行われているのか。

日本が嫌われるのは哀しいが、「嫌うな❢」と言ったって相手の感情を強制できるわけじゃなし、仕方がない。だからといって、この試合は酷い。スポーツすら正々堂々と出来ないのか。

柔道は、日本人の心を、Judoに伝えることは出来なかったのか?これでは日本人選手がかわいそうだ。


  

にほんブログ村 本ブログへ一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
読書
記事一覧


テーマ : 日本の良いところを守りたい
ジャンル : 政治・経済

『世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』 田中英道

〈共同宗教と個人宗教〉
著者は宗教を分類するのに、“民族宗教と世界宗教”という言い回しを使わず、“共同宗教と個人宗教”という言い方をしている。表すのは同じものなのだが、“民族宗教と世界宗教”がその外面を表すのに対して、“共同宗教と個人宗教”は内面を表す。すると、このようなキリスト教の説明が可能になる。
キリスト教が、基本的には旧約聖書を元にしているということは、共同宗教としてのユダヤ教と、個人宗教としての新約聖書との整合性という点で、いろいろな矛盾が生じてくることになります。一神教である共同宗教を守ることが、個人を守る宗教となるというわけですから。それが逆に言えば、キリスト教の大きな特徴でもあります。この矛盾から生じる葛藤が、キリスト教の強さ、面白さにもなっているのです。

神の絶対を唱えてるあの頃でさえ、ジャンヌ・ダルクが神の声に動かされたあの頃でさえ、キリスト教は決して乗り越えることの出来ない矛盾を抱え続けてきた。だからこそ強いし、面白い。

『世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』 田中英道『世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』 田中英道
(2013/06/01)
田中 英道

商品詳細を見る
これまで数多く書かれてきた世界史は、西洋人の見方で書かれた歴史だった。

〈日本の宗教・文化の特殊性〉
四大文明が成立する頃、日本はすでに狩猟採集と濃厚を融合した生活が営まれるようになっていく。そうしたなかで形成されていったのが、“自然との調和”という思想である。自然を神々とする宗教として“神道”は生まれた。そこに祖先信仰が重層化した。民族の統治者を敬う皇祖神信仰は、そこから派生的に誕生したというべきだろう。神話は、歴史、さらに現代にまでつながり、それが神話の時代と同じ場所で、同じ血を引く者によって語り継がれるという特異なケースが、先進国の中では日本にだけ残った。

言葉を必要としたユダヤ教やイスラム教と違い、そこに済むものの宗教として成立した神道は、言葉による説明を必要としなかった。 感じればいい宗教であるからこそ言葉を持たず、普遍化もされず、いまだに経典すら無い。“日本人の世界史”を世に訴えていこうとするなら、神道の考え方を、感じ方を言葉で表し、世界に伝えていくのは、現代日本人の責務ということになる。

〈仏像にみる人間理解〉
秋篠寺 
仏像という名で造られた独立像は、人間像である。深い内面を表す人間像でなければ、仏像は人に感銘を与えない。仏教の深奥を理解し難くても、“自然と調和”した奥深い人間像を表せられれば、人に感銘を与える仏像となる。聖徳太子の十七条憲法は、それまでの神道的共同宗教的倫理観に、仏教の個人宗教的倫理観を融合させたことでも意味深い。ユダヤ教やイスラム教は、そういった人間への視点という芸術を持たない。偶像崇拝禁止と同時に、基本的に個人宗教的見地が欠けているので個人の煩悩、迷いから人間を考えるという思想が抜けている。

キリスト教の場合、偶像を必要とした一時期の存在と、何より共同宗教に個人宗教が重層化することによって日本仏教と同じように、それぞれの文化に人間理解の深さをもたらしている。

〈自然科学の発達と一神教〉
イスラム文明は、十字軍の頃に、その文明の頂点を迎えた。アッバース朝時代のバグダードに造られた「知恵の館」では、アリストテレスやヘレニズムの科学書がアラビア語に翻訳され、インドの天文や数学を受け継いで発展させた。

ヨーロッパの近代文明は、このようなイスラム文明を発展させたものである。イスラムの文明をキリスト教の文明がすんなり引き継いだところに、一神教的共通性がある。一神教では、神が自然を含む世界全体の創造者であることから、自然の中に神の摂理を探す志向が生まれる。自然の作り出す様々な状況を分析し、そこに神の摂理を見出そうとする。

日本のような多神教世界では、最初に自然があり、そこから神々や人間が生まれでた。自然はともにあるものであって、探求の対象ではない。


    

にほんブログ村 本ブログへ一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
読書
記事一覧


テーマ : 歴史関係書籍覚書
ジャンル : 本・雑誌

B29搭乗員介錯:タトヘ判決ハドウアロウトモ 『鎮魂の旅 - 大東亜戦争秘録』 早坂隆

オ前ト一緒ニ暮シタノハ僅カニ四ヶ月今カラ思ヘバソノ短イ期間ガ私ノ人生花ダッタ

殊ニ刑ガキマッテカラハ他ノ人ト話モ出来ナイ孤独ノツレヅレナルママニイツモオ前トアソンデイルツモリニナッテハネンネンコロリノ子守唄ヲ童謡デ歌ッテ過シタ

昭彦ヨ、ヤガテオ前ハ父ガドウシテ死ンダカ教ヘラレルトキガコヨウ。(略)タトヘ判決ハドウアロウトモソレハ当時ノ敵国トシテノ目カラ見テノコト、私ハ日本人トシテ何ラ良心ニハヅルトコロハナイ

昭彦ヨ、コンナコトデ早ク父ヲ失ッタ悲運ヲ徒ラニナゲイテハイケナイ。又単純ニ勝ニオゴル敵ヲウラムヨウナセマイ考ヘモイケナイ。日本ニハ今新シイ光ガサシテイルノダ。タトヘ武力ハ有シナクテモ世界ノ最高文化国トシテ、アメリカ等も見返スヨウナ国ニナルコトニヨッテハジメテ父ノ恨ハハラセルノデアルコトヲドウカ覚エテイテオクレ

筆ヲオク。今目ヲツムルトキ瞼ニウツルノハ節子ニ抱カレタオ前ノ可愛イ笑顔、ソシテ場面ガ一転シテ立派ナ青年ニナッタオ前ト相変ラズ節子ノ母子相対シテ楽シク何カ語リ合ッテ居ル美シイ幻ダ
鎮魂の旅 - 大東亜戦争秘録鎮魂の旅 - 大東亜戦争秘録
(2013/07/09)
早坂 隆

商品詳細を見る
暗いほど青い紺碧の空に一機、生も死も超越して飛ぶ

千葉県長生郡長柄町榎本長栄寺鎮魂碑
大東亜戦争の昭和二十年五月廿五日米軍B29が日吉村榎本地区に墜落搭乗員十一名中死亡六名の内エムリー少尉が日本駐屯兵のなかの境野鷹義曹長により斬首されその後満淵正明中隊長が全責任を負い巣鴨にて絞首刑となりすでに五十年。ダーウィンTエムリー少尉と満淵中隊長の鎮魂と世界平和を祈念し茲に碑を建立す。平成八年五月二十五日 天台宗福壽山長榮寺第三十八世権大僧正 大橋慈恒」

昭和20年5月26日午前0時頃、B29一機が日吉村榎本に墜落する。偶然、長栄寺に駐屯していた満淵中隊が現場に駆けつけ鎮魂碑に記されているように敵軍少尉の首をはねた。「長い間、苦しむのはかわいそうだから楽にしてやれ」と満淵中尉は瀕死のエムリー少尉の介錯を境野曹長に命じた。なお、死体は初年兵に銃剣で突かせる訓練に使われた後、他の亡骸とともに寺の墓地に丁重に埋葬された。

米軍横浜法廷で行われた戦犯裁判では、死にかけた俘虜の苦痛を取り除くための介錯としての斬首を、検察側は「残忍非道の凶行」として厳しく非難。満淵正明は死刑判決を下される。判決の権威は「勝者」という一点でのみ担保されている。

以下、満淵正明死刑囚の家族のその後の顛末。
未亡人となった妻節子は、刑の執行からまもなく再婚を果たした。遺児である昭彦は満淵家へと引き取られ、叔父の手によって育てられたが、京都大学に進学した後、自殺。満淵の“美しい幻”は、幻のまま終わった。

なにも言いたくない。それが“戦後の日本”だったということだ。

    

テーマ : 精神世界
ジャンル : 本・雑誌

『世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』 田中英道

「“日本人による世界史”が書かれなくてはいけない時代がきた」と著者は言う。難しい話だよなぁ。土台、世界史というもの自体が、西洋史に合わせた世界の歴史ってだけのもので、そうではない種類の世界史ってものが世の中に存在したことはないんだからね。アジア、アフリカ、ラテン・アメリカの記述を増やしたからといって、骨組みは同じこと。なら、“日本人による世界史”とこれまでどおりの“西洋人による世界史”の根本的な違いは何なのか。まず、そこからはじめないとだよね。

ヘーゲルの歴史哲学のもとに確率する進歩史観。歴史は古代、中世、近代と進むに連れて個人主義が確立し、市民主義の時代を迎える。それを無理やり階級闘争に結びつけたマルクスの唯物史観。西洋近代社会が最も発展した社会であって、その先に階級闘争を必然とする社会主義社会へと向かう。

進歩史観は、必然的に過去に対して否定的である。過去は、常に“発展する前”に過ぎない。その根底にはあるのが“原罪”であるとするなら、まさしくキリスト教的だ。“原罪”がある限り、それを前提とした過去に対する性悪説を出発点とせざるを得なくなる。それが西洋人にとっての世界史で、それは社会主義的発展段階に進むはずというのが、西洋人にとっての世界史か?なら、その社会主義的発展段階が幻と消えた今、彼らはどこへ向かおうというのか。なんか、危ないな。

イギリスの歴史家アーノルド・トインビーは、文明のモデルを分類することにより世界の成り立ちを説明しようとしたが、大英博物館の総覧の域に終わった。

アメリカの歴史学者サミュエル・ハンチントンは、文明圏を宗教の観点から分類した。このなかで日本は、世界に存在する八つの文明のひとつという地位を与えられている。

日本は、明らかに、西洋人とは違う宗教観を持つ。彼らが、自然も人も神が創りだしたものとい考えるのに対して、神も人も自然から現れるとするのが日本人だ。そのような宗教観で歴史を捉えようとすれば、人間の歴史とは、進歩の歴史ではなく、文明の変化の歴史だということだ。西洋人にはできない見方で世界史を現していく。そのための試みの一つがこの本ということのようだ。

世界史の中の日本 本当は何がすごいのか世界史の中の日本 本当は何がすごいのか
(2013/06/01)
田中 英道

商品詳細を見る
これまで数多く書かれてきた世界史は、西洋人の見方で書かれた歴史だった。
第一章  日本人の視点で世界史を語ろう
第二章  四大文明と縄文文明
第三章  世界の宗教の発生と日本の神道
第四章  古代ギリシャと日本
第五章  古代ローマ、秦・漢王朝と日本の国歌形成
第六章  イスラムの勃興と日本の神仏習合
第七章  唐と宋の文化と日本
第八章  モンゴルの隆盛とヨーロッパの確立
第九章  ヨーロッパの世界侵略と日本
第十章  西洋の「近代」と日本の「近代化」 

とてもおもしろい試みだし、絶対的に必要なことだと思う。もう、“西洋人による世界史”では人類そのものが立ちゆかなくなりつつある。にもかかわらず、人類はまだ、次の“世界史”を持ちえていない。このような試みが、どんどん、行われなければならない。

各章の中に、とても面白い項目があったので、ここで紹介して、終わりにします。
*縄文文明は世界の四大文明に匹敵する❢
*ギリシャ神話と日本の神話はこんなに違う❢
*都市の誕生は戦争が始まったことを意味している❢
*なぜ仁徳天皇陵は始皇帝陵やピラミッドよりも大きいのか?
*ムハンマドのコーランと聖徳太子の十七条憲法はどう違う?
*中国の美術は日本の美術とどう違う?
*負け知らずのモンゴルを破ったのは日本の組織力だった❢
*コロンブスは黄金の国・ジパングを目指していた❢
*美術には「歴史の証拠」が残されている❢
*ヨーロッパ型資本主義と日本型資本主義は、こんなに違う❢
*フランス革命、アメリカ独立と明治維新はこんなに違う❢
*日本の歴史の特徴は、その一貫性にある❢


    

にほんブログ村 本ブログへ一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
読書
記事一覧


テーマ : 精神世界
ジャンル : 本・雑誌

関東軍は民間人を捨てたのか? 『妻と飛んだ特攻兵 8・19 満州、最後の特攻』 豊田正義

『妻と飛んだ特攻兵 8・19の満洲、最後の特攻』という題名に、いくつかの状況を連想した。しかし、残念ながら、私の想像力では、この本に書かれた事態に思い至ることはできなかった。大きなヒントは、“8・19満洲”と大きく書かれているのに。なのに私ときたら、「『妻と飛んだ・・・』? それじゃ、心中と何が違う?」などと・・・。

8月9日からの満洲、15日を経て、19日までの満洲。たった10日間の間にこの満洲でおこったことが、二人に決意をさせた。彼らがいなかったら、総体としての関東軍は蒋介石の軍と何ら変わりない。彼らがいなかったら、総体としての関東軍は・・・、言い難いが、“ゴミ”だ。そりゃ、言い難いこともあるだろう。でも多くは鬼籍に入ったし、もうそろそろ語りましょうよ。

『妻と飛んだ特攻兵  8・19 満州、最後の特攻』 豊田正義『妻と飛んだ特攻兵 8・19 満州、最後の特攻』 豊田正義
(2013/06/08)
豊田 正義

商品詳細を見る
ある者は許嫁の自決を見届け、ある者は恋人を連れ、そして谷藤徹夫は妻を乗せ、空に消えていった。
宣戦布告  8月8日の布告された、ソ連の対日参戦理由
  1. 日本政府が七月二十六日の米英中による三国宣言(ポツダム宣言)を拒否したことで、日本が提案していた和平調停の基礎は完全に失われた。
  2. 日本の宣言無視を受けて、連合国はソ連に対し、日本の侵略に対する連合国の戦争に参戦して世界平和の回復に貢献することを提案した。
  3. ソ連政府は連合国に対する義務に従って右提案を受諾し、七月二十六日の三国宣言にソ連も参加することを決め、各国人民をこれ以上の犠牲と苦難から救い、日本人を無条件降伏後の危険と破壊から救うためにソ連は対日参戦に踏み切る。
  4. 以上の理由からソ連政府は八月九日から日本と戦争状態に入る。

ソ連進行に対する関東軍の作戦計画
国境守備隊の大苦戦の様子は、逐一、関東軍総司令部に打電されていた。しかし、総司令部の指示で援軍が派遣されることはなく、むしろ国境警備隊の背後に控えていた部隊に撤退の命令が出た。最前線の国境警備隊だけが時間稼ぎのために切り捨てられた。

ソ連進行前に立案された満洲防衛計画によれば、東部山岳地帯に戦線を縮小し、持久戦に持ち込むとするものであった。実際にソ連軍が侵攻してくると、新京を頂点として大連・図們を結ぶ三角形を「防衛戦」とし関東軍部隊を要所要所に集結させた。

満洲全土の四分の一に当たる防衛戦の内側の地域は、満州国の中枢部であり、朝鮮半島への入路でもあった。総司令部はここを守るため、全戦力で徹底抗戦する作戦を立てた。持久戦に持ち込んで時間を稼ぐうちに講和に持ち込むことが狙いである。

しかし、この作戦が実行されるためには、必ず事前に行わなければならないことがあった。総司令部が放棄すると決めた防衛戦の外側、満洲全土の四分の三にすむ日本人居留民を防衛戦の内側に避難させることである。しかし、関東軍は、kの措置を取らなかった。居留民の避難がソ連軍への誘い水になることを恐れた。あまつさえ、国境守備隊以外の部隊は日本人居留民を残したまま駐屯地を出ていき、防衛戦の方向に撤退した。日本人居留民は、ソ連兵の暴虐にさらされるままとなった。

『孫達への証言』より「野獣の館」
〈約二五〇名の四合成開拓団が慶安満洲拓殖公社跡に避難していた時、ソ連兵がやってきて惨劇が始まったという。〉

そのとき、ソ連兵二人がドカドカと入ってきた。それが何を意味するのかわからず、誰もが固唾を呑んで目で追っていた。

“はた”と立ち止まり、一番手近にいた人の肩に手をかけた。「立てっ」という仕草だ。肩にかかった手を振り払うと、二人が銃口を突きつけた。一人が銃の先を跳ねあげて「行けっ」と合図した。

こうして、次々「女狩り」が行われた。私は同じ人間が何度も来るのかと思ったが、そうではなく、入れ替わり立ち代り来たようであった。

明かりはランプがひとつ。奥の方にいる者の顔など見えはしない。手当たり次第、運の悪い者が犠牲になった。

「わしら女のうちではない」・・・狭くて、横になる場所がなく、通路に座っておられた七〇歳に近いおばあさんも、片目義眼で神を振り乱した小母さんも連れて行かれた。

ニ日目の夜が来た。日が暮れるのが恐ろしかった。死ぬことも怖いが、ソ連兵の餌食になることはそれ以上に怖い。「ガタ、ガタ」と床を踏む足音。「ダワイ、ダワイ(命令)」という声。何日も続けば気が狂いそうだった。

時間も場所もわきまえない。空き家に連れ込まれるのは良識がある方。通路と言わず、人前と言わず、至るところで行われた。

幸い、私は遭わなかったが、

「今、そこの通路で・・・」・・・息せき切って報告に来た者もいた。

十八、九の髪の長い、体格の良い娘さんが、二人の兵隊に挟まれ、後ろの兵隊に銃口を背中に突きつけられて、空き家に連れて行かれるところだった。引き裂かれたブラウスが、わずかに肩にかかって、両手で胸を隠すようにして、うなじをたれて歩いていた。

「どうしよう、連れて行かれる。」・・・歯ぎしりするほど悔しかった。

妻が連れて行かれるのを見て、夫が、「やめてくれ」、叫んで立ち上がった途端、「ズドーン」と一発。大勢の目の前でもんどり打って倒れたそうだ。手出しは絶対にできない。ただ、見送っているより仕方がなかった。

谷藤徹夫は、会津藩士の流れをくむ。彼の数代前の先祖が、会津亡国の悲哀を味わっている。薩長兵の暴虐もひどかったが、それすら甘く思える満洲の悲劇。

どんなことがあっても避けなければならないのは、戦争ではない。戦争に負けることだ。あるいは、負けたも同然に成ることだ。


    
にほんブログ村 本ブログへ一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
読書
記事一覧



テーマ : 歴史関係書籍覚書
ジャンル : 本・雑誌

『妻と飛んだ特攻兵 8・19 満州、最後の特攻』 豊田正義

『妻と飛んだ特攻兵  8・19 満州、最後の特攻』 豊田正義『妻と飛んだ特攻兵 8・19 満州、最後の特攻』 豊田正義
(2013/06/08)
豊田 正義

商品詳細を見る
ある者は許嫁の自決を見届け、ある者は恋人を連れ、そして谷藤徹夫は妻を乗せ、空に消えていった。

  証明書

元陸軍少尉、谷藤徹夫の妻は昭和二十年八月十九日午後二時、満洲国錦州省黒山縣大虎山飛行場より神州不滅特別攻撃隊の一員たる夫谷藤徹夫の操縦する飛行機にひそかに搭乗し、敵ソ連軍戦車隊に突入自爆しました。夫徹夫に追従し自爆戦死せることを証明します。

証明者  元大虎山飛行場隊長陸軍大尉 箕輪三郎

この証明書は、平成二十二年の冬、青森県むつ市の谷藤家を訪ねた著者が、後継ぎを失った谷藤家を管理する徹夫の姪にあたる女性から、徹夫の弟勝男の遺品として見せられたものであるという。証明書には谷藤勝男宛に書かれた手紙が添付されている。それを読むと、この証明書は、終戦から二十三年後の一九六八年に送られたものであるらしい。

題名を見ても、「なにが書かれているのかよく分からない本」としか言いようがない。‘8・19満洲、最後の特攻’・・・満洲で特攻?しかも、8月19日? その上、‘妻と飛んだ’?

むつ市はかつての大湊田名部市。田名部はかつて戊辰戦争で賊軍とされた会津藩が、斗南藩として再興を許された場所である。谷藤家もその系列に連なる。

昭和十七年九月に徴兵検査で「第二乙種」の屈辱を味わった徹夫は、陸軍が十八年に新設した特別操縦見習士官制度に転身し、一年間の訓練ののちに航空将校になる道をめざした。合格した徹夫は、福岡県大刀洗村にあった大刀洗陸軍飛行学校に入校した。福岡には義母の実家があり、最後を共にすることになる妻の朝子とは、そこで知り合った。昭和十九年の夏、初めて田名部に帰る徹夫は、結婚を約束した朝子をともなっていた。結婚式だけは、この帰郷のとき挙げた。

昭和十九年十月一日、特操一期生は飛行学校を卒業し、陸軍少尉の階級が授与された。徹夫の配属先は満洲。飛行教官として少年飛行兵に基礎操縦法を教えるという任務だった。徹夫は下関から満洲に向かう。残された朝子は、夫の言いつけどおり、義理の両親とともに下北半島の先まで列車を乗り継ぎ、長男の嫁として谷藤家で暮らし始めた。

昭和二十年七月上旬、ようやく徹夫は朝子を満洲に呼んでいる。家庭持ちの将校用に作られた官舎に空きがあったからだ。連絡を受けた朝子はすぐに満洲に向かった。九か月ぶりに出会った二人の新婚生活が始まる。飛行場に出かける徹夫を、朝子は投げキッスで見送ったという。結末を知っている私たちからすれば、残酷な光景でさえある。しかし、徹夫が勤務する大虎山飛行場でも連日のように特攻隊の壮行式が行われていた。夫の同期が特攻隊隊長になっている。夫が航空将校である限り、受け入れなければならない運命があることを承知していなかったはずはない。

本書には、徹夫の少年期からここまでの様子が、当時の戦争の進行状況とともに描かれている。どちらかと言えば、戦争の進行状況が主である。正直、なにが書きたいのかと疑った。戦争全体を書きたいのか、谷藤夫妻の特殊性を書きたいのであれば違う方法が、もっとあっさり書いた方がいいのではないかと思いながら読んだ。読み終わった今も、そういう方法もあったという気持ちはあるが、著者は二人の‘やむにやまれぬ’思いを伝えたくてこうしたのだろうと思う。第五章『夫婦-飛行教官として教え子を見送る』、第六章『特攻-谷藤徹夫、朝子と征く』は圧巻。

八月八日、ソ連軍による宣戦布告が行われ、九日にはそう攻撃が開始された。関東軍は、事情はどうあれ、辺境の日本人居留民を見捨てた。最前線の国境守備隊だけが取り残され、後方の部隊には撤退が命じられた。辺境の開拓民を見捨てる防衛作戦を実行し、敵軍との総決戦の直前に白旗を掲げた関東軍の中で、降伏を断固拒否し、ソ連軍に敢然と立ち向かった若い兵士たちがいた。第五練習飛行隊の十一人の将校たちである。その中に徹夫もいた。 居留民たちの受けた耳をふさぎたくなるような無残な現実を前に、彼らはソ連軍への怒りに燃えていた。「俺もかならずあとから行く」と言って送り出した少年飛行兵たちとの約束を果たす意味もあったろう。

彼らは自らを「神州不滅特別攻撃隊」と命名し、出撃の日を八月十九日と決めた。ソ連軍への武装解除の日だった。前日、徹夫はそれを朝子に打ち明けた。その日以外にはありえない。そしてどのような話し合いが行われたのかは分からないが、朝子が同乗することは、この時に決められたはずである。このことは仲間にも伝えられた。他にも大倉巌少尉が恋人の‘スミ子’という女性を同乗させている。岩佐輝夫少尉は許嫁とその母の自決を見届けて飛行機に乗った。

錦州飛行場に向かってソ連軍に引き渡されるはずの十機の編隊は、錦州とは逆方向の積乱雲のかなたに消えていったという。

戦後、この神州不滅特攻隊のできごとは、もと軍関係者から黙殺されてきた。「特攻隊」としても認められず、「女を乗せた」と怒りをあらわにする者もいたという。「英霊」の名簿からも削られたという。隊員たちが「戦没者」として認定されなかったため、遺族年金も給付されず、困窮する老父母もいた。

証明書を書いた箕輪三郎中尉は、第五練習飛行隊生き残り勇士たちとともに、隊員の名誉回復に奔走した。昭和四十二年五月五日、神州不滅特攻隊慰霊碑の除幕式が行われ、遺族と戦友が世田谷観音に集まった。

    
にほんブログ村 本ブログへ一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
読書
記事一覧


テーマ : 歴史全般
ジャンル : 本・雑誌

『継体天皇と朝鮮半島の謎』 水谷千秋

古代史の謎解きを主題にした本は読んでいて本当に興味深いんだけど、この本に関しては私の周辺知識が不足していて、残念ながら著者の言わんとしていることのかなりが、脳裏に実像を結ばなかった。なんといっても考古学的知識の不足は決定的だなぁ。こういった本を読んで楽しむためには、やはり少しずつでも触れていかないと行けないなと思わされた。
『継体天皇と朝鮮半島の謎』 水谷千秋『継体天皇と朝鮮半島の謎』 水谷千秋
(2013/07/19)
水谷 千秋

商品詳細を見る
遠い血縁、地方出身にもかかわらず、天皇の座についたのはなぜか。
第一章  新たな謎の始まり
第二章  近江国高島郡と継体天皇
第三章  継体天皇のルーツを探る
第四章  冠と大刀
第五章  継体天皇と渡来人
第六章  有明海沿岸勢力と大和政権
第七章  百済文化と継体天皇
終章    継体天皇とは誰か

継体天皇の出身地、近江や背景にある越の特殊性、さらには尾張との関連。政治的地位の象徴としての冠や大刀から明らかにされていく継体天皇の勢力拡大の過程。そこには常に渡来人や朝鮮半島との関係が垣間見られる。

継体天皇を支持した大伴、物部、和邇といった各氏族は大和盆地東麓に本拠を持つ。大和盆地西麓を支配するのが葛城氏である。葛城氏は雄略天皇に掣肘されたが、雄略の没後、勢力を取り戻し、継体の大和定着に抵抗していたのではないかというのが、著者の立場のようである。
 継体天皇支持勢力+有明海沿岸勢力+秦氏など渡来氏族
      V.S.
 葛城系勢力+他の仁徳系皇統

蘇我氏は、巨勢、平群氏同様、葛城氏と同系で、もとは葛城氏の傘下にあったが、葛城氏の衰退とともに同氏の権益を相続する。その蘇我氏と手を結ぶことで継体天皇の大和定着が進行している。中央の固めが整ったことによって、中央からの分離の動きを見せていた北部・中部九州の勢力を叩く余裕が出てくる。そのようにしておこったのが、「磐井の乱」ということになる。

大伴金村、物部麁鹿火という二人の実力者が「磐井の乱」の討伐に九州まで遠征している。本書ではこれを、“継体政権にとって磐井との戦いは総力戦であったことがわかる。”としている。

細かいところは知識が足んなくて何なんだけど、大筋はこんなところかな。知識不足も明らかなんだけど、ちょっと体調崩してたことも、文章が上滑りして頭に入ってこなかった原因かな。まあ、しょうがないや。著者、水谷千秋さんの本、機会があったら読んでみよう。

    

にほんブログ村 本ブログへ一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
読書
記事一覧


テーマ : 歴史関係書籍覚書
ジャンル : 本・雑誌

るるぶ 『今田知らない大阪グルメ』

知られざる街ネタを紹介してくれる関西のバラエティー番組で“今ちゃんの「実は・・・」”という番組があるんだそうです。司会の今田耕司、ご意見番の月亭八方、そして視聴者に向け、小籔千豊やサバンナ、シャンプーハットといった人気芸人が毎回笑いたっぷりに、街の“実は・・・”な情報を届けてくれる、そういうことらしいんです。その中の人気コーナー「今田知らない大坂銭湯中心の◯◯の夜は実は・・・」は、銭湯中心に集めた地元情報から、隠れた名店を紹介するコーナー。そのコーナーで取り上げられた内容が、一冊にまとめられたのが、この本。

るるぶ 『今田知らない大阪グルメ』るるぶ 『今田知らない大阪グルメ』
(2013/07/18)
不明

商品詳細を見る
やっぱりすごい大坂

るるぶを持って大坂に行こうなんて言う気はさらさらない。でも、るるぶを読むことは多い。ひとえに、なんか自分で料理するときのヒントになるようなことでも書かれていないかな、ってことで。るるぶには悪いんだけど、るるぶの目論見からは一番遠いところに、私はいる。

なんで多くのるるぶを見てる中から、『今田知らない大坂グルメ』を紹介する気になったかというと、私、思った。“大坂は、やっぱりすごい”。「とりあえず自分一人のときに、ちょっと手を加えて作ってみようかな」っていう料理だったら、いくらでも載ってる。そこらの料理本では到底勝てない内容。
【極上夜食レシピ】・・・“ラーメン・パスタ&卵スープ”
1 丼にあけたチキンラーメンとスライス玉ねぎの上からお湯を注ぎ、ラップして3分。
2 ラップの端に穴を開けてカップ焼きそばのように湯切り。
3 スープは半熟に電子レンジにかけた卵の入った器に。オリーブオイル垂らして卵スープ完成。
4 ラーメンと玉ねぎの丼に、缶詰のツナ、オリーブオイル、カレー粉を入れ、混ざればパスタ完成。

これはすごいでしょ。いろいろな店の料理が紹介されてるんだけど、あれこれ家でやってみようってのがかなりある。そのまま真似してみようかなっていうのが、焼きそば。濃い目でスパイシーに仕上げておいて、それをすき焼きみたいに、生卵につけて食べる。実は焼きそばは、卵に絡ませるとうまいんだ。

丼ものも、工夫の宝庫。だし巻きに片栗粉入れてとろみで固めるふわふわだし巻き卵。これもなんだか応用できそう。皮なし餃子なんか、普通思いつくか? 
 
これなんかもおんなじような本だったと思うんだけど、大坂はすごいよ。やっぱり新しいものを作り出していく力は、東京よりも上だろうな。

るるぶなんて、自分が行くのでなかったら、ペラペラめくって終わりでしょう。左の本より、今日紹介した本のほうが上だけど、るるぶなのに、“ジックリ”読んでしまった。工夫して取り入れたい料理が、15はありました。



にほんブログ村 本ブログへ一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
読書
記事一覧


テーマ : 料理の本
ジャンル : 本・雑誌

ありがとうございました



「《めんどくせぇことばかり》は、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。」
よくお越し下さいました

イーグルス16

Author:イーグルス16

息も絶え絶えです、ぜひ応援してください


現代とはなぜこんなにも棲みにくいのか。
前近代から近現代へと変貌し続ける世相の本質をつかみ生き方の支柱を示す。
カウンター
カテゴリ
こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































リンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
最新記事