めんどくせぇことばかり 2013年09月
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“使徒”あるいは“キリストの貧者”  『カタリ派』 アンヌ・ブルノン

『カタリ派』 アンヌ・ブルノン『カタリ派』 アンヌ・ブルノン
(2013/08/26)
アンヌ・ブルノン

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中世ヨーロッパ最大の異端
970年ころブルガリアの司祭コズマがボゴミール派を激しく批判
10世紀後半領主の暴政や略奪に対し、キリスト教を精神的支柱として抵抗した民衆の“神の平和”運動が始まる
1000年ころ黙示録の予言が成就するのではないかという風聞がキリスト教世界に広まる
11世紀頃この世は絶えず、善と悪とが対立する世界という世界観(善悪二元論)が浸透する
1022年オルレアンの司教座聖堂参事会員12名が、聖体の秘跡を否定したため、異端として火刑に処せられる
11世紀半ば三位一体論の解釈の違いにより、西のローマ・カトリック教会と東の正教会に分裂する
11世紀後半教皇グレゴリウス7世が原始キリスト教会の理想を掲げ、聖職者の綱紀粛正をはかる
11世紀末以降異端と並んで、イスラム教徒などが敵視されるようになり、十字軍の結成につながっていく
12世紀初頭ボゴミール派のバシレイオスという医師が、皇帝アレクシオス1世の命で火刑となる
1135年前後神聖ローマ帝国領リエージュで、司教命令により異端者の一斉捕縛、火刑が行われたという記録
1145年ベルナルドゥスや教皇特使がアルビやトゥールーズを訪れ、反教権主義を唱える民衆に説得に乗り出す
12世紀半ばアルビやトゥールーズで福音主義を唱える異端者が男女混成のコミュニティを形成する
ラングドック地方では、カタリ派教会が公然と黙認され、精力を広げる
1165年ロンベールにカタリ派のミュニティがあらわれ、カトリック高位者とカタリ派代表の公開討論が行われる
1194年トゥールーズ伯レーモン6世が、カタリ派教会に対するあらゆる強圧的行為を中止させる
1208年教皇特使ピエール・ド・カステルノーが暗殺される
教皇インノケンティウス3世はトゥールーズ征伐のためアルビジョワ十字軍を招請する
1209年アルビジョワ十字軍がこののち20年にわたり、ローヌ渓谷からケルシーに至る地域を蹂躙
1215年インノケンティウス3世の命で第4ラテラノ公会議開催
1229年トゥールーズ伯レーモン7世が十字軍を率いるフランス国王ルイ9世に降伏。パリ条約を結ぶ
1242年アビニョネでの異端審問官惨殺を機にレーモン7世が民衆暴動を引き起こして再起、戦争に突入
1243年レーモン7世、ルイ9世に降伏。
1244年カタリ派の牙城、モンセギュール城が陥落し、200名以上のカタリ派完徳者が火刑となる
1300年オクシタニアに生き残ったカタリ派が異端審問官の捜査、処刑で完全に消滅
14世紀末ブルガリアやボスニアのカタリ派も姿を消す
15世紀初頭イタリアのカタリ派が、完全に一掃される
1950年以降カトリックによって語られたカタリ派に対し、その本来の姿を研究する動きが活発化
佐藤賢一の書いた『オクシタニア』

13世のフランス南部。ピレネー山脈を望むこのオクシタニアの人々は、古くからの秩序にもとづいて生きていた。独自の文化に根付いた福音主義的キリスト教はインノケンティウス3世に目をつけられ・・・

フランス南部、中でもイタリアからオクシタニアガスコーニュ地方にかけての地域は独自の文化を保持してきた。村人の家は、丘の頂に立つ領主の城館を取り巻くように並んでおり、その家々を囲む形で城壁がめぐらされていた。こうした形態の村をカストルムといい、南ヨーロッパでは要塞化した村を意味した。カストルムは住民から選ばれた執政官が行政を担当し、貴族階級も活気にあふれていた。

このような村の形態のせいか、この地域では、村人が気軽に役人や騎士と交流した。ローマ起源の慣習法を残すこの地域では、分割相続が続けられ、時期に貴族も麓の村に住んだ。村人に混じって生きたのである。だからこそ、貴族階級にカタリ派が広がれば、それはすぐに村人の間にも広まった。
モンセギュールカタリ派が、同じようにローマ教会の腐敗への嫌悪から生まれたフランシスコ会やドミニコ会のように、修業者の生き方を求めるものであるなら、カトリック教会も黙認できる部分があったろう。しかし」、カタリ派は妥協しなかった。だから追い詰められ、吊るしあげられ、根絶やしにされた。

←モンセギュール城
現在わかっているカタリ派は、想像以上にカトリック教会に近い考え方をしていた。カタリ派信徒や修道者の真の姿は、ごくふつうのキリスト教徒だった。ただ、教権主義的なカトリックに対して、彼らは福音にそった非暴力や清貧を貫いた集団でしかなかった。

    

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『神変 役小角絵巻』 山本兼一

2011年8月31日の記事に加筆修正
「役小角」という題名だけで手にしてしまった。修験道には縄文の匂いがする。古くから、おそらく我々にも内在するマルチな自然崇拝。しかも仏教と習合し、その奥行きを深めた。

天武により確立された皇祖神崇拝。おそらくそれは大幅にゆがめられて藤原神道として強制され、それまでの自然崇拝としての神道の姿は、その影を薄められた。同時に修験道が登場する。それまでの自然崇拝としての神道は、おそらく山にこもり、仏教とも習合して修験道を成立させたのだろう。奥深い山で大成されていった修験道は、やがて藤原神道の限界とともに山を下り、日本人の精神世界を融和的な、極めて豊かなものにしていく。

そして、明治に入っての神仏分離、廃仏毀釈の時代を迎える。ここで捨てられたのは仏だけではない。
縄文から引き継がれた神も捨てられたのだ。修験道そのものも、また捨てられたのだ。

そしれ残されたものは・・・。藤原神道である。国家神道への可能性を秘めている藤原神道が、明治政府によって選択されたのだ。

この物語は、そんな話とは、全く関係ありません。持統天皇期の律令国家体制建設と、国家による人民管理に反発する山の勢力のリーダーとしての役小角の戦いが、役小角の人間的成長、小角の持つ力の中に実体として表出する鬼や蔵王権現とともに描かれるお話です。                                                                                                        

それ以上でもそれ以下でもありません。著者の飛鳥時代理解の中には、日本の歴史の本質に迫ろうというような野心は感じられません。まるで、白戸三平の『カムイ伝』と『カムイ外伝』の関係のよう。

1/3ほど読んだところで、その傾向の期待は放棄しましたが、時に垣間見える失われた歴史への慟哭に、「せっかく、背景としておもしろい時代だと思うんだけど、残念」という思いが高まりました。

一万年を優に超える日本の縄文期。その間に形成された日本人の自然に対する感覚は、その後の数千年の社会変化の中においても、容易に失われるものではなかった。動物にも虫にも、植物にも風にも、土や石に対してさえ共感する能力は、日本人に数々の成功をもたらすとともに、時に大きな失敗をももたらした。

良きにつけ、悪しきにつけ、それが日本人らしさであり、この列島で生きていこうとする者の知恵の塊だった。

しかし、戦後、暮らしやすい日常と引きかえに、それらの多くは失われた。欧米文化に翻弄されて、自然を足元にかしづかせ、電気のスイッチを押し、アクセルを吹かし、携帯の画面を眺めた。手に入れたいものがあれば、山を崩し、海をも埋めた。

共感する力など、もはや残されているのだろうか。日本人自身が日本人を疑った。
東日本大震災は、そんな状況で起こった。とたんに共感する力が湧きあがった。それは、死んではいなかった。日本人の縄文はつながっていた。その同一線上に役小角がおり、私たちがいる。伝わってきたものを自分の所で途絶えさせるのは悲しいことだ。徳川慶喜も悲しいし、ビザンツ帝国をとだえさせたコンスタンティヌス11世も悲しい。私たちはもっと悲しい、ということになってはいけない。
  

    

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『カタリ派』 アンヌ・ブルノン

聖ドミニコドミニクニクニク心やさしく強いひとで すべての人の幸せのため歩くのでした
よその国の悪い人たちも ドミニクの話を聞きました

ドミニクニクニク神の言葉を教えました どこでもみんな彼の話を聞きにきました
遠い道もかまわずドミニクは 歌を歌いながらどこまでも

ドミニクニクニク村から村へ町から町へ らくだに乗らず馬車にも乗らず歩くのでした
食べ物なくて苦しい時も 天使が助けてくれたのでした

ドミニクニクニク不思議なことよ天使があらわれ おいしいおいしいパンを彼にくれたのでした
子どもたちをあつめて話します 皆、心ゆたかに育つよに

ドミニクニクニク貧しいけれどいつもいつも 歌を歌い人を助けて歩くのでした
ドミニクの言葉はいつまでも 私たちを導き守ります

ドミニクニクニク貧しいけれどいつもいつも すべての人に神の言葉を話すのでした

おそらく子供の頃に「みんなうた」で覚えたんだろうと思うんだけど、そんな記憶さえないのに、気がつくと♫ドミニクニクニク♫ って口ずさんでる。ペギー葉山も歌っていたらしく、歌詞を調べていたら、ペギー葉山バージョンが先に出てきた。それによると・・・。
ドミニクニクニそまつななりで旅から旅へ どこに行っても 語るのはただ 神の教えよ
他宗のものと 教えをきそい 力の限り それと戦い
ここで言っている“他宗のもの”というのがなにもイスラム教徒とは限らない、ドミニコが向かい合い、“教えを競い、力のかぎり戦った”相手というのは、・・・『カタリ派』ですね・・・
『カタリ派』 アンヌ・ブルノン
『カタリ派』 アンヌ・ブルノン

(2013/08/26)
アンヌ・ブルノン

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中世ヨーロッパ最大の異端

ニケーアの公会議(325年)やコンスタンティノポリス(381年)の公会議で正統派の教義が確立され、それ以外の聖書解釈が禁止された。初期教会の教父たちは、異端の指導者の弾圧をはじめ、ローマ帝国は“異端狩り”にお墨付きを与えた。384年、禁欲主義をとなえる司教プリスキリアヌスが異端として斬首されたのを最後に、長い間、神学論に関わってくるような異端は途絶えた。

11世紀、中世温暖期に拠る温暖化と、開墾、新農業技術の普及と言ったできごとは、農業生産力の向上や人口増加を引き起こし、人々の経済関係に変化が現れ、新たな生き方を後ろから支える新たな宗教観が求められた。
当時、クリュニー会は、修道院を天の光、金、香、天使の歌で満たし、神の王国において約束されていたあらゆるものを聖職者の間で独占していた。

そんなカトリック教会に対し民衆は、使徒時代の教会の良識や純潔さを求め、抗議の声をあげた。あるいは教会を批判し、嘲弄した。そこには男も女も、一般信徒も聖職者もいたが、誰もが共通の意思を持っていた。使徒のみを範とし、福音書の教えのみに従おうとする意志である。彼らは、教会組織が、後につけ足した余計や制度や、制度に基づかない秘石や迷信による慣行を拒否し、教区聖職者のだらしない生活習慣や高位聖職者の世俗的な要求に否を突きつけた。
 
当時の聖職者たちは、上記のような立場に立つ者たちをさまざまな名で呼んだ。“魔術師”、“好色物”、“近親相姦者”、“不信心な輩”、“無学な農民”、“うさんくさい老婆”、“悪魔の使い”、“マニ教徒”、“悪のしもべ”、“サタンの使徒” ・・・。それらのなかで、12世紀、南フランスで急激に力を伸ばしたのが、《カタリ派》であった。

ちょうど、ドミニコの生きた時代と一致している。ドミニコは、カタリ派の中心地域で宗教活動を行うなど苦労しているが、1206年にドミニコ会を設立して普遍的、使徒的活動を目指した彼こそ、逆に強く語り派の影響を受けたように思えるんだけどな。


    

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米軍の焦土作戦 『「靖国」と「千鳥ヶ淵」を考える』 堀内光雄

私は日本の民間人を殺したのではない。日本の軍需工場を破壊したのだ。日本の都市の民家はすべて軍需工場だった。ある家がボルトをつくり、隣の家がナットをつくり、向かいの家がワッシャをつくっていた。木と紙でできた民家の一軒一軒が、すべて我々を攻撃する武器の工場になっていたのだ。これをやっつけて何が悪いのか・・・
カーチス・ルメイ『回想録』
『「靖国」と「千鳥ヶ淵」を考える』 堀内光雄『「靖国」と「千鳥ヶ淵」を考える』 堀内光雄
(2013/08/02)
堀内光雄

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さまよう霊があるかぎり、戦争は終わっていない

1944年11月に始まる東京空襲は、当初、ヘイウッド・ハンセル准将に率いられて行われた。この時期の空襲は軍需施設中心に行われたものであったが、ジェット・ストリームの強い冬季の高高度爆撃は非常に命中精度が悪く、十分な戦果をあげることはできなかった。そこへ抜擢されたのが、ドイツ本土への爆撃で大きな戦果をあげたカーチス・ルメイであった。ルメイの作戦は、夜間低高度で焼夷弾無差別爆撃で、文字どおり木と紙でできた日本の都市を焼きつくすことを目的としたものであった。標的となった日本の都市は、軍需工場、民間住宅地の区別なく徹底的に焼き払われ壊滅的な打撃を受けた。冒頭に紹介したルメイの考えは、“そういうことにしておく”という、あとづけの、見たわけでもないのに手前勝手な前提にすぎない。
それにしても、日本政府は、このカーチス・ルメイに1964年12月7日、勲一等旭日大勲章を授けている。航空自衛隊の育成に貢献があったというわけのわからない理由による授与で、参議院議員で元航空幕僚長源田実と小泉純也防衛庁長官からの強力な推薦によるものであった。あまりにも非人道的な焦土作戦と原爆投下に自責の念を持つ米国から、「謝罪や賠償を要求しない」ことを目に見える形で明らかにすることを求められてのことと考えられている。
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3月10日の東京大空襲を境に、空襲は市街地への無差別絨毯爆撃に変わった。名古屋、大阪、神戸などの大都市、また地方の中小都市も含め、被災都市の数は8月15日までに全都道府県200歳以上に及び、焼夷弾による被害者と原爆による被害者を合計すると、犠牲者は50万人を超えた。それもほぼすべてが民間人、つまり非戦闘員であった。被災人口は1000万人を超え、全戸数の約2割に当たる223万戸が罹災、消失している。

本所横川国民学校の教員石川有一さんは碑文に以下の言葉を書き残している。
アメリカB-29夜間東京を空襲す。暗黒の東都たちまち火の海と化す。江東一帯は焦熱地獄となり、ここ本所横川国民学校に避難する人一千有余、猛火の包囲に老若男女声なく、再度脱出の気力もなし。舎内火のため昼の如し。鉄窓も一挙に破壊され、一瞬の破裂音とともに舎内たちまち火と化す。一千の難民逃げるに所なく、金庫の中の如し。親は愛児をかばい、子は親に縋る。「おとうちゃーん」子は親にすがって親を呼べども親の応えは呻きのみ。全員一千折り重なり、教室校庭に焼き殺される。夜明け、火焼き尽き、静寂虚脱。余燼瓦礫のみ、一千難民ことごとく焼殺さる。一塊の炭素は猿の黒焼きの如し。白骨死体は火葬場の如し、生焼け女人の裸腹裂け、胎児露出す。悲惨ここに極まれり。生残者は虚脱し、声涙湧かず、嗚呼何の故あってか無辜を殺戮するのか。翌十一日トラック来たり、一千死体トラックへ投げ上げる。血族の者の叫び声、今も耳にあり。右、昭和二十年三月十日未明、米機東京大空襲。当夜下町一帯無差別爆撃の死者実に十万。我前夜横川国民学校宿直にて奇跡的に生き残る。倉庫内にて聞きし親子断末魔の声、終生忘るなし
一体どうしてくれんだよ。アメリカさんよ。

日本は、戦後世界の基調となった冷戦体制下において、アメリカの陣営に属して復興と経済成長を遂げ、今に至る。世界を見渡しても、生きることにおいて不自由を強調するような位置にはいない。それでも抱えている問題は、決して小さなものではない。世界における日本の位置も、抱えている問題も、大雑把な言いようだけど、すべてはあの敗戦に発している。‘今だけ’を土台に今後の「世界における日本」を構築すべきだという意見もあるけど、すべてを引きちぎるような、そんなまねはできないよ。目には見えないけど、英霊をはじめ全戦没者の無念と、彼らが後世に残した希望の上に今の世があると思うから・・・。青臭いけどさ。

    

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安倍清明・北辰・スサノオ 『神道と風水』 戸矢学

陰陽道は風水の発展形で、同郷の方術である天文と地理風水が日本独自の発展を遂げた原理。陰陽道抜きに日本の歴史が語れないほどになるのは、六七五年の天武天皇の陰陽寮設置に始まるが、陰陽寮の設置自体がすでにここまで陰陽道やその前身である風水が日本に深く根付いていたことを意味する。そして陰陽寮の設置は、それを公式に調停の管理下に置いたということである。

“風水”という用語の初出は三世紀、晋の郭璞(カクハク)の著した『葬書』。「風水之法 得水為上 蔵風次之」が“風水”の用語の起こり。水で隔て山で囲んで風で木が散じないような所を見出すことを得水法といい、陰宅風水の基本原理を表す。起こりは古く、紀元前二〇〇〇年にはその原理が知られていたという。

大自然の根元のエネルギーを「気」と言い、その流れや勢いを「脈」と言う。この気と脈は「天」「地」「人」をつらぬき、相互に関わる。大事なことは人は地に拠り、地は天に拠る。すなわち天文を無視して地理を判ずることはできない。
神道と風水神道と風水
(2013/08/21)
戸矢 学

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風水は神道の原型を成立させた原理であって、いわば“一心同体”
覚え書き
陰陽師 安倍晴明
安倍保名(清明の父の名は益材、保名は創作)に命を助けられた狐は、人に姿を変えて保名のもとに現れる。やがて保名の子が誕生。安倍の童子である。しかしある日、母は童子に正体を見られてしまい、歌を残して姿を隠す。
『恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森の うらみ葛の葉』
悲しむ父と子は、信太の森に会いに行くが、もはや戻ることはできないという母なる狐から秘符と秘玉を与えられる。その霊験霊力によって、安倍の童子は、特別な力を持った陰陽師、安倍晴明になる。宿敵、蘆屋道満との戦いでも、まさにその力を発揮する。 

公式の記録においては、九六七年までには陰陽師となり、天文博士として天文の異変を直接天皇に奏上する地位にあった。また、大膳大夫として朝廷の食を司る大膳職の長官も務めた。

天皇と北辰
天皇という尊称は「天皇大帝(てんおうだいてい)」から来るが、天皇大帝とは北辰(北極星)を示し、北斗七星は北辰の乗り物とされる。北辰とは「北天の星辰」の意で北極星をさすが、言葉として北辰の方が古い。

さまざまな民族の持つ神話の性格は始祖神に決定づけられるが、日本神話では『古事記』で一番に登場するアメノミナカヌシ(天之御中主)がそれにあたる。その意味するところは‘天の真ん中にいる神’ということで北辰をあらわす。『古事記』は北辰から始まって、太陽(アマテラス)と月(ツクヨミ)にいたる天文神話でもある。

北辰ははじめ、道教の最高神である鎮宅霊符神(天皇大帝)として信仰され、日本ではそれが仏教の妙見信仰と習合し、神道のアメノミナカヌシとも習合していった。

三貴子の異分子、スサノオ
スサノオは三貴子でありながら皇祖アマテラスと対立する存在として描かれる。高天原で罪を犯し、髭と爪を切られて下界へ追放される。スサノオは新羅の曽尸茂梨に降るが「この地に吾居ることを欲さず」と言って東に向かい出雲国に入り八岐大蛇を退治するという展開になる。

八岐大蛇を退治したスサノオは、その尾から草薙の剣を発見し、須賀の地に宮居を建設して住まわれた。『古事記』を素直に読めば、この国に天下った最初がスサノオということになる。

『古事記』によれば、その六世の孫がオオクニヌシとなる。オオクニヌシは「国譲り」によって天孫にこの地上の支配を譲ったことになっている。「国譲り」という美名によって糊塗されているが、実際は「服属」であったろう。オオクニヌシはオオナムチ以下多くの別名を持つが、それは出雲を中心に盤踞したスサノオの末裔たちで、オオクニヌシはそれらの統合神として創造され、まとめて出雲大社に鎮魂されたのであろう。

    

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あの戦争が六ヶ月前に終わっていれば…『「靖国」と「千鳥ヶ淵」を考える』 堀内光雄

覚え書き
先の大戦では、軍人・軍属のほか民間人も含めて、三一〇万人を超える人々が亡くなった。その内の三分の一に当たる約一〇〇万人が、昭和二十年二月から八月十五日までの半年間と終戦直後の混乱のなかで命を落とした。しかもそのうちの約七割が非戦闘員の老若男女だった。
『「靖国」と「千鳥ヶ淵」を考える』 堀内光雄『「靖国」と「千鳥ヶ淵」を考える』 堀内光雄
(2013/08/02)
堀内光雄

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さまよう霊があるかぎり、戦争は終わっていない
悲劇を生んだ四つの問題点
第一に、戦争の早期終結を決断できなかった日本の戦争指導者の優柔不断、意志薄弱、無為無策がある。彼らが六ヶ月前に決断を下していれば、硫黄等で戦死した約ニ万人、沖縄で亡くなった民間人を含む約一九万人。焼夷弾による無差別爆撃や原子爆弾によって命を落とした約六〇万人の一般国民、ソ連が参戦した満洲や蒙古で虐殺され、自決した十数万人、シベリア抑留によって亡くなった約六万人の命は助かったはずである。

第二に、残虐非道なる原子爆弾の投下。現在、広島の原爆死没者名簿には約二八万人、長崎の原爆死没者名簿には約一六万人が記載されている。

第三に、米軍の焼夷弾による無差別都市爆撃の焦土作戦。全国二〇〇都市への焼夷弾爆撃によって一般市民が殺戮され、わずか半年の間に二五万人以上の死者・行方不明者を出した。

第四に、日ソ中立条約を破棄したソ連の違法な参戦。満洲・蒙古在住の邦人を多数殺戮したのみならず、約六〇万人を不法に勾留し、シベリアで強制労働をさせた。その極寒の環境で、約六万人が命を落とした。

昭和二十七年、沖縄で開かれた世界連邦アジア会議に招かれたパール博士の発言
《広島、長崎に投下された原爆の口実はなんであったか》
《日本は投下されるなんの理由があったか》
《当時、すでに日本は、ソ連を通じて降伏の意思表示をしていたではないか》
《それにもかかわらずこの残虐な爆弾を“実験”として広島に投下した》
《同じ白人同士のドイツにではなくて日本にである》
《そこに人種的偏見はなかったか》
《しかもこの惨劇については、未だ彼らの口から懺悔の言葉を聞いていない》
《こんな状態でどうして彼らと平和を語ることができるのか》
『安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから』という碑文の意味を知らされたパール博士
この〈過ちは繰り返しませぬ〉という“過ち”は誰の行為をさしているのか。もちろん、日本人が日本人に誤っていることは明らかだ。それがどんな“過ち”なのか、私は疑う。ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、その原爆を落とした者が日本人でないことは明瞭である。落とした者が責任の所在を明らかにして〈二度と再びこの過ちは犯さぬ〉というならうなずける。この“過ち”がもし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のために撒いたものであることも明瞭だ。さらにアメリカは、ABCD包囲陣をつくり、日本を経済封鎖し、石油禁輸まで行なって挑発した上、ハル・ノートを突きつけてきた。アメリカこそ開戦の責任者である。

原爆を投下した者と、投下された者との区別さえもできないような、この碑文が示すような不明瞭な表現の中には、民族の再起もなければ、また犠牲者の霊もなぐさめられない。

    

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後退する現場の力 『日本人はどう住まうべきか?』

【隈】 日本にお上のコントロールが機能していた時代は、今も昔もないんですけど。
【養老】 その主体は、日本の場合には「世間」のような気がしますね。暗黙の了解ということが、日本の場合には大事。
【隈】 その世間の質が下がっちゃったから、困ってます。
【養老】 まさにそこが問題なんだよ。
『日本人はどう住まうべきか?』『日本人はどう住まうべきか?』
(2012/02/02)
養老孟司、隈研吾 他

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私たちが“都市”とよんでいるのは、アメリカが20世紀の最初に自動車と一体となって作ったものです
『教師がいじめに気がつかないなんて・・・』
いじめによる自殺しが発生したりすると、そのたびにこのような声を聞く。はっきり言おう。教員ではあっても、気づかない奴は気づかない。そういう奴に限って、生徒と接触する時間が足りないから、余計に気づかないし。生徒にも、そういう教師の人柄が感じられるから、頼ろうともしない。

気づく教師は、・・・こちらのほうが多いと信じたいが、実は最近そうでもないらしい・・・なんで気づくかというと、説明は難しい。生徒の振る舞いに「アレッ」って、違和感を感じることがあるのだ。“職人の勘”とも言うが、なんとなく感じ取れるのだ。雰囲気という言葉よりも、“におい”と言った方がいい。

ところが“世間”からの攻撃を受けて学校は、問題解決の方法の一つとして《教育相談》を取り入れた。はっきり言って、学校における教育相談にさしたる意味は無い。だいたい、心を病んだ学生が、学校での教育相談くらいでなんとかなることはありえない。例えば高校では、こういった生徒は、結局、進路変更することになる。教育相談は、その際、「学校も手をつくしましたが」という免罪符にほかならない。あるいは、自殺した時のね。

アンケート調査をこまめに取ると、世間は安心するようだが、まともな教員ならわかる。いじめられている生徒がいれば、アンケート調査なんて、その子を追い込む効果しかない。しかも、教員がそんなものに頼るようになったら、余計に感じ取る能力を退化させてしまう。
かつて、日本の大工さんといえば、クライアントの家に絶えず出入りしていて、生活の癖を知り尽くしていたので、そこに住んでいる人のニーズを汲み上げて、プランニングもアフターケアもできたんですけど、今はそうではない。作ったら全部おしまい。工事の時だけの使い捨ての存在で、その前もその後も、住んでる人と関係がない。

昔の大工さんは、クライアントからニーズを聞いたり、図面を引いたり、といった作業を全部自分でやりましたから、責任感だって当然強くなる。だから、地震でその家が壊れたら申し訳ないと思うわけです。でも今の大工さんは、組み立てるだけを請け負っているから、責任なんか感じ用がない。仮に責任があったとしても、断片化された中でも部分的な責任ですから。継続する時間という一番大事なものを見失ってしまった今のシステムの中でしたら、そういう無責任なメンタリティになっても不思議じゃないですよね。

jima-man.jpg全米を揺るがせたジマーマン無罪判決の意味
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2013/07/post-575.php
常に目に見える変化を求めてきたアメリカ。いろいろな意見があるだろうけど、多人種、多民族国家はそうせざるを得なかった。せざるを得なかったとはいえ、本当は、差別をしてきた心を変えていくべきだったんだ。

まったく状況が異なるにもかかわらず、わけの分からない“世間”にいろはを教えてやる努力を放棄して、日本もその後を追ってきた。わけのわからないことに成果を求められて、まったく本質を見失っているのが現状である。嘆かわしい。




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『「靖国」と「千鳥ヶ淵」を考える』 堀内光雄

 
この間、古市憲寿という若き社会学者が書いた『誰も戦争を教えてくれなかった』っていう本を読んだ。今日紹介する本は、古市憲寿さんがいう《勘違いしているおじさん》の書いた本ということになるだろう。エッ❢わたし?・・・もちろん、《勘違いしているおじさん》ですよ。
『「靖国」と「千鳥ヶ淵」を考える』 堀内光雄『「靖国」と「千鳥ヶ淵」を考える』 堀内光雄
(2013/08/02)
堀内光雄

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さまよう霊があるかぎり、戦争は終わっていない
大東亜戦争における戦没者は、軍人・軍属・民間人を合わせて約三一〇万人を数え、そのうち海外戦没者数は約二四〇万人となる。その約半数一二七万柱のご遺骨は帰還したものの、未帰還のご遺骨は約一一三万柱にのぼる。
千鳥ヶ淵戦没者墓苑は未だ収容されていない英霊のご遺骨、また一般邦人のご遺骨を祀るべく建てられた慰霊の聖地意である。全戦没者のご遺族にとって、靖国神社と並ぶ象徴的墓苑としての役割を果たしている。

参拝者数は、各種式典参拝者、一般参拝者を含めて、年間およそ二一万人くらいになる。しかし、靖国神社の年間参拝者数およそ五〇〇万人とは比べ物にならない。
序章   八月十五日の玉音放送と日本人
第一章  靖国と千鳥が淵を結ぶ「桜花の絆」
第二章  あの戦争が六ヶ月前に終わっていれば・・・
第三章  生と死の運命をかけた一瞬
第四章  敗戦時に突きつけられた悲惨な現実
第五章  残虐を極めた米軍の「焦土作戦」
第六章  見捨てられた「海の墓標」六万柱
第七章  占領支配で大きく変わった日本人の心
覚え書き
“大東亜戦争”という呼称
ヨーロッパでは第二次世界大戦の開始時期を、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告した一九三九(昭和十四)年九月三日とし、ドイツが無条件降伏した一九四五(昭和二十)年五月八日に終結したとしている。日本が降伏する八月までの三ヶ月間は、ヨーロッパでは付け足し扱いである。アメリカがこの戦いを“Pacific War”と呼ぶのも、それ以上に日本との戦争を的確に表現する言葉がないのだから当たり前だ。ただし、“太平洋戦争”は、日本の戦争を的確に表現できていない。“大東亜戦争”のほうがより的確である。こちらの呼称を使うべきである。占領下において、戦勝国アメリカの呼称に合わせるのは仕方なかったろうが、いまだに“太平洋戦争”と呼ぶあたり、マスコミや学問の世界の人たちに、大きな責任があるということだな。
堀内光雄堀内光雄
衆議院議員を一〇期務めた政治家。労働大臣、通産大臣、自民党総務会長などを歴任。平成二十五年四月、公益財団法人千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会会長に就任。
面白かったんで似顔絵出したんだけど、わかってもらえた?
引退後、千鳥ヶ淵戦没者墓苑奉仕会会長に就任した堀内光雄氏が、慰霊の現状を前提にこれからの慰霊のあり方を問いかけた本。なんか、“靖国まで来たんだったら、こっちも寄ってよ”って感じ。でも、千鳥ヶ淵に民間人の戦争犠牲者を含めた大東亜戦争での全戦没者をお祀りして、道一つ隔てた靖国と合わせて一つの慰霊空間とすることができたら素敵ですね。


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『日本人はどう住まうべきか?』

 1937年鎌倉市生まれ。東大医学部から解剖学教室。95年、東大医学部教授を退官し、98年には同大名誉教授に。  89年、『からだの見方』  2003年、『バカの壁』
yourou.jpg
kuma2.jpg 1954年横浜生まれ。東大建築学科から、2009年より東大教授。建築関係各賞を受賞。2010年には、『根津美術館』で毎日芸術賞受賞。
『日本人はどう住まうべきか?』『日本人はどう住まうべきか?』
(2012/02/02)
養老孟司、隈研吾 他

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常に現場から物を考える、脳医学者と建築家の対談です
十七歳離れた二人ながら、二人には、同じ“栄光学園中・高”の生徒であったという共通項がある。同校はイエズス会の経営する学校で、そこでの教育には“アンチ宗教改革”の精神が色濃く残されていたという。そんな様子を、隈研吾さんが書いた“あとがき”の中から拾ってみる。
royora.jpgイエズス会の創設は1534年。当時、ヨーロッパはルター、カルヴァンらによる宗教改革の嵐が吹き荒れていた。イエズス会は、スペインのイグナティウス・デ・ロヨラや、日本でも馴染みの深いフランシスコ・ザビエルらによって、アンチ宗教改革をテーゼに掲げて設立された、反宗教改革(カウンター・リフォメーション)の雄であった。

イエズス会の理念は、一言で言えば現場主義に尽きる。逆に言えば、彼らが批判し、敵対したルターたちの宗教改革は、一種の頭でっかちであった。聖書を徹底的に読み込んで自省することで、天国に迎え入れられるというのが、宗教改革のテーゼであった。お金で免罪符が手に入るまでに腐敗していた既製のカトリック教会への批判として、ルターたちは徹底した内省主義を主張し、個人が個人の内省によって神の国に至るという、近代的個人主義を宗教に導入したのである。

それに対し、イエズス会は現場主義で闘おうとした。個人主義、内省主義は、人を頭でっかちな観念主義者に貶めると、ロヨラたちは考えた。ロヨラはそもそも軍人で、しかも若いころはプレーボーイで鳴らしていた。軍人もプレーボーイも、観念主義、個人主義から最も遠い人たちである。観念主義、個人主義では絶対に戦争には勝てないし、女をものにすることは出来ない。現場主義者だけが戦いを勝ち抜き、女をものにすることができるのである。

現場主義者はまず肉体を重視する。強靭な肉体を持っていなければ、現場という過酷な場所を生き抜くことは絶対に出来ないからである。我らが栄光学園も、徹底した肉体主義であった。真冬でも校庭を走らされ、「お前たちは運動が不足しているから、余計な妄想にとらわれる」と、スペイン人修道士から怒鳴られ続けた。

現場主義のイエズス会は、ヨーロッパにこだわらずに「外に出ろ」と、修道士たちのケツを叩いた。ヨーロッパという小さな閉じた世界のなかで、宗教改革v.s.反宗教改革という観念的論争を続けているのは時間の無駄だ。そんなことにエネルギーを費やすくらいなら、ヨーロッパの外に出て布教活動に汗を流したほうがよほどマシだと、イエズス会は考えたのである。

今、日本では、“現場主義”が貫けない状況が、各界に広がっている。時には、非常に重要であったはずの“現場”そのものが消失している。それでも隈研吾さんがこだわる現場主義が、本書に出てくる“だましだましの思想”ということになる。

私たちは、災害の圧倒的なパワーを目の当たりにした。二度と被害を受けないようにと対策を講じようにも、これだけの自然の脅威の前に足をすくませるばかりである。一方には、完全に安全の保証された理想都市を求めて手をこまねいているなら、一つ一つの現場に足を運んで、“だましだまし”自分たちにできることは何かを必至に探ることを選ぶ者たちがいる。この手法こそが現場主義である。




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ももいろクローバーZにも『誰も戦争を教えてくれなかった』 古市憲寿

巻末には‘ももいろクローバーZ’との対談が収録されている。『戦争を知らない若者《著者》と、それ以上に戦争を知らない若者《ももいろクローバーZ》が対談するという、非常に混沌とした内容』と、著者が自ら語るところの、いわば‘この本のおまけ’である。・・・よくおまけの方が本体よりも魅力がある場合があるが、そんなところだろう。でも、ももいろクローバーZをまったく知らない私には、何の意味もないけど・・・。あっ、こんなこと言ってると、著者の『そんな大人』の枠にくくられちゃうんだろうな。
『誰も戦争を教えてくれなかった』 古市憲寿『誰も戦争を教えてくれなかった』 古市憲寿
(2013/08/07)
古市 憲寿

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「だから僕は、旅を始めた」…徹底的に歩いて考えた、28歳社会学者の本格“戦争”論❢
A 次の質問に答えなさい
①日本が最も長く戦った相手国はどこか?
②日本と同盟関係にあった国はどこか?
③日本が真珠湾攻撃を行ったのはいつか?
④広島と長崎に原子爆弾が落とされたのは、それぞれいつか?
⑤日本が終戦を迎えた日はいつか?
B ( )にあてはまる語句を答えなさい。
戦争が続くと、( ⑥ )を中心とした連合国軍の攻撃がはげしくなり、日本の各地で多くの人々が亡くなりました。ついには( ⑥ )軍が( ⑦ )に上陸し、住民をまきこんだ激しい戦いが行われました。原子爆弾が二つの都市に落とされ、多くの人が犠牲になりました。さらに満洲や樺太にも攻め込まれた日本は、降伏し、およそ15年間続いた戦争は終わりを告げました。
B ⑧都市の小学生が空襲をさけるために、地方に移り住んだことを何と言うか?
  ⑨日本の降伏の条件や戦後の支配について示した宣言を受け入れ、戦争は終わった。。この宣言の名前を何と言いうか。
C 次の問題に答えましょう。
⑩日本が満洲に立てた国の元首とされたのは誰か?
⑪フランス領インドシナへ進駐した日本に対して、アメリカなどがとった経済封鎖を何といいますか?
⑫戦争末期、それまで徴兵が免除されていた学生も招集されるようになった。このことを何というか?
D ⑬日中戦争の開始後、近衛内閣が「挙国一致・尽忠報国・堅忍持久」をスローガンに進めた教化運動を何と言うか。

事前の質問項目は20問あったらしいが、本書で紹介されているところは、以上の13問。まあ、ろくに答えられないことは最初から織り込み済みで話が進められる。著者はまったくそれを否定的にはとらえていない。『これも学校ではあまり教えないと思うんだけど、第二次世界大戦みたいな戦争と、今の世界で起こってる戦争はまるで違うんだよね』ってことになると、無知でもOK。一歩進んで無知こそ理想。『ももクロもたぶん同じで、日本のことを何も知らなかったり、もしくは日本が嫌いな人でも、ももクロをきっかけに日本をどんどん好きになっていくってことはありうると思う。ソフトパワーって言うんだけどね』ってことになると、‘日本総ももクロ’が理想か?そうなりゃ、よろこぶ連中はうようよいるだろう。日本という国は、かりにそういう名の国家が残ったとしても、今とは違うものになってるだろうけど・・・。

たしかに日本では近現代史がおろそかにされてきたが、私なら、そこで‘日本が歴史そのものを奪い取られてきた’という問題にぶつかる。 でも著者にしてみれば、≪勘違いしたおじさんのたわごと≫ということでしょうけどね。

‘ももいろクローバーZ’の大好きな皆さん。この記事読んで腹立ったらごめんなさい。でも、もともと知りもしない‘ももいろクローバーZ’。私には何の意図もございません。むしろ、著者よりもよっぽど‘ももいろクローバーZ’をむやみに馬鹿にせず、正当に評価していると思いますけど・・・。

   

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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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