めんどくせぇことばかり 2013年10月

『聖灰の暗号』  帚木蓬生

聖灰の暗号〈上〉聖灰の暗号〈下〉
帚木蓬生

新潮文庫

歴史学者須貝彰は、南仏の図書館で世紀の発見をした。異端としてカトリックに憎悪され、十字軍の総攻撃を受けた清く、貧しく、つましい人々は・・・


以前に一度読んでいます。調べたら、2007年のことで6年ぶりの再会でした。当時はブログの“ブ”の字も知らない時だったんで、ぜひここで紹介したいと思いました。

1ページ、2ページと読み進むと、・・・。あっという間に6年前の興奮が蘇りました。そうだった。6年前も読み始めたら興奮して眠れなくなって・・・。

中世フランスの歴史を研究する日本人の学者須貝彰が、南仏トゥールーズの市立図書館の古い歌と地図の書かれた古文書を発見する。それは須貝が専門とする“カタリ派”の真実に通ずる扉を開けるための“鍵”に相当するものだった。扉は限りなく、おそらく世界一重厚で、こじ開けようとするものを頑なに拒んだ。

須貝彰は、ペール・ラシェーズ墓地で偶然に巡りあった精神科医クリスチーヌ・サンドルとともにカタリ派の真実を追い求める。カタリ派を追い詰め、徹底的に滅ぼし、文書を残すことさえ許さなかったのはローマ教会だった。ローマ教会はカタリ派の真実にたどり着こうとする二人を頑なに拒んだ。

偶然に導かれ、二人は南仏サン・リジエの町で再会する。固く結ばれた二人。しかし、真実を覆い隠そうとする魔の手は、すでに二人の背後に忍び寄っていた。

カタリ派については、6年前にこの本を読むよりも前に、佐藤賢一の書いた『オクシタニア』で呼んでいる。これも大変面白い本で、夢中で読んだ記憶がある。『聖灰の暗号』で語られているのはアルビジョワ十字軍後の、言わば残党狩りに等しい時代であるのに対して、『オクシタニア』はまさに南仏トゥールーズにおけるカタリ派の拠点がアルビジョワ十字軍に根こそぎにされ、ラストでは最後の攻防を繰り広げたモンセギュール城が陥落し、1244年の開城とともに225名のカタリ派信徒が焼き殺されるまでの歴史を背景にした物語だったように記憶している。
事実を見れば、インノケンティウス3世がカタリ派に対する十字軍を起こしたのは1208年、隠れカタリ派最後の火刑は1330年頃とされている。つまりカタリ派は120年あまり、ローマ教会の追手を逃れて生き延び、ついには息絶えたことになる。

『聖灰の暗号』の物語の中で、後世へのメッセージを残したレイモン・マルティは、カタリ派の両親を火刑で殺されたドミニコ会に属する通詞であるという設定になっている。ローマから派遣された司教にオキシタン語を通訳する彼は、めぐりあわせとはいえ体制派の人間として登場する。しかし、いつしか審問をうけ、火刑台に送られるカタリ派信徒に思いを寄りそわせ、彼らの存在を後世に伝えようとする。その思いを700年後の須貝彰たちが受け取ることになる。

レイモン・マルティの筆として、著者は火刑に処せられるカタリ派信徒の姿を以下のように描いている。
檻から出されたとき、追い立てられるのではなく、まるでそこに澄んだ水をたたえた救いの泉や、温かいシチューの鍋が置かれているような、嬉々とした顔で、自ら火刑台まで、よろよろしながら辿りつき、棒に縛りつけられる間も、まだ気を失ってはいけないと、自らを奮い立たせるように眼を見開き、それは牧に火がつき、炎が身体全体を覆うまで続き、縄が焼けて、両手が自由になると、やっと思いがかなったという安らぎの顔で、手のひらを合わせて祈りの姿となり、その手が燃え、顔が燃え、目鼻立ちが分からなくなり、黒い炭となり、ところどころは骨が露出したまま、火の勢いが弱くなりだすと、パコー大司教がまた手をあげ、もっと燃やせ、灰になるまで燃やしつくせというように顎を突き上げるので、執行人たちは脇のほうにとってあった薪を継ぎ足し、やがて再び燃え盛る炎の中でようやく形を保っていた炭と灰になった人の身体を、鉄の棒で突き崩してしまう。・・・
ああっ、きっとそうだったんだ。

感情移入しやすい質なのはもともとのことなんですが、そう思わされてしまったのは主人公須貝彰という歴史家の姿勢にもあったように思います。彼の恩師アリエス教授のこんな言葉が出てきます。
『歴史家の仕事は、あそこに葬られている偉人たちの歴史を顕彰することではない。それは誰か、他の連中に任せておけばいい。私たちはそれまで見えなかった過去を見えるようにしなければならない。見えているのに気づかなかったり、見ようともしなかった過去を明瞭にするのが任務だよ。ちょうど科学者が顕微鏡をのぞいて細胞を発見したり、病原体を見つけたりするのと同じだ』
著者は、これを《歴史学の核》と名づけています。

作家の立場からとはいえ、ある意味で広く知られていない事実を世にアピールする点では、この『聖灰の暗号』も同じ役割を果たしている。著者はこの物語を書く自分の役割を《歴史学の核》と位置づけたのではないだろうか。

では、私たちの周りには、《見えない過去》、《見えているのに気づかなかった過去》、《見ようともしなかった過去》は・・・?ほんの70年足らず前、焼き殺された数十万の人々。南方の海に、孤島に散った人々。北の大地に・・・。光を当てなければならないものは、意外と身近に・・・。


    

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蘭印・仏印進駐(覚書)『GHQ焚書図書開封2』 西尾幹二

オランダ領インドネシア
著者の西尾氏は、欧州による植民地支配は三段階を経て展開されているという。第一段階は、凄まじい「脅迫」と「殺戮」。第二段階は分断統治。植民地にされた地域自体が抱える様々な矛盾を功名に利用して現地勢力を分断、統治する。第三段階はたくみな慰撫政策。もちろん、そうすることによって生産効率をあげ、自らの利益を増やす範囲においての慰撫である。

オランダ領インドネシアにおいては、十九世紀の前半から半ばまでは第一段階に入る。脅迫と殺戮で、オランダ人がインドネシアに作り上げたのが、強制栽培制度である。ヨーロッパ市場における換金作物であるコーヒーやサトウキビの栽培を強制したのである。現地の人々は、米の生産低下による餓死者を出しながら、コーヒーやサトウキビを作り続けた。

幾多の反乱、現地人による嘆願等により、徐々に強制栽培制度は自由生産に移行する。自由生産の導入により、給与所得者が生まれてジャワが豊かになり、生産効率も上がった。

日本の明治維新からロシア戦争に至るおよそ四十年間、オランダはアチェ戦争に苦しめられた。一八七三年から一九〇八年まで続いたこの戦争により、オランダは国力を浪費することになる。

本来、インドネシアとマレーシアには、あえてそこを二つに分けなければならないような違いは存在しなかった。両地域とも多様な種族からなり、イスラム教を信仰し、小国が分立しており、華僑の活動が目立っていた。

十七世紀以来の対立から学び、英蘭はナポレオン戦争と英蘭ロンドン条約(一八二四)によってこの地域での住み分けを決めた。結局、オランダ支配地がインドネシアになり、イギリス支配地がマレーシアになったのである。

事実上、この時期、イギリスはアチェ戦争を焚きつけてオランダをインドネシアに押し込み、オランダの国力を消耗させるとともに、オランダがアメリカやフランスと連携することを阻むことの成功している。この間にイギリスは、インドから利益を上げつつ中国に食指を伸ばしていく。
参考  『蘭印・仏印史』 大江満雄
『GHQ焚書図書開封2』 西尾幹二『GHQ焚書図書開封2』 西尾幹二
(2008/12)
西尾 幹二

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抹殺された本を甦らせることなしに、歴史の回復はない

フランス領インドシナ進駐
“仏印進駐はアメリカとの対決の導火線であり、対決を不可避にする愚かしい政策であった”という、いわば常識がある。本書は焚書図書を紹介する本であるが、現代における歴史書である、北岡伸一氏の書いた『政党から軍部へ』からの引用で、その雰囲気を紹介している。
(北部仏印進駐に関して)
アメリカのハル国務長官が、「現状を破壊し、かつ威力によって達成された結果は認めない」と言明した。そしてアメリカは、28日くず鉄の対日輸出禁止、蒋介石に対する2500万ドルの借款供与を決定した。モーゲンソー財務長官やスティムソン陸軍長官は石油の禁輸を主張したが、ハル国務長官らは慎重論であり見送られた。

(南部仏印進駐に関して)
7月14日、日本はフランスに対し南部仏印に日本軍を入れることを要求し、21日にフランスは屈服した。23日には現地で細目の交渉が成立し、28日には南部仏印に日本軍が上陸した。これに対し、アメリカはただちに反応し、7月25日、在米日本資産凍結に踏み切った。これは戦争一歩手前の措置である。

これを読めば、日本が今で言う北朝鮮であるかのように思われる。対米戦争の原因は、アメリカの怒りの度合いを見誤った日本当局の愚かさにある。そのようにしか読み取れない記述である。しかも、ドイツとの戦争に敗れたフランスの、その本土からさえ遠く離れ、頼るすべのない仏領インドシナ当局を武力で威嚇していうことを聞かせたかのような書かれ方だ。

本当にそうか。

ナチス・ドイツによるフランス占領により、フランスにはペタン元帥を首班とする傀儡政権が成立した。政権はフランス中部の町ヴィシーを首都としたことからヴィシー政権と呼ばれた。支配能力を著しく低下させたフランスは、フランス領インドシナの処遇についてもヴィシー政権下に日本と交渉した。
だから「フランスは今や、独力にて印度支那の防衛に当たる能力もなく、故に日本の好意ある申し出を応諾し、日本と協力して、仏印防衛のことに当たらんと決意したわけである」と言う、ダルラン副主席の率直な声明を読んだ時、何かしら、ぐっと喉元に突き上げてくる熱いものを禁じ得なかった。「戦争には負けるものじゃあない」と私はつくづく思った。
『仏印進駐記』の著者大屋久壽雄は、上記のように書いている。日本の仏印進駐は、親独傀儡のヴィシー政府との交渉により進められたのである。


    

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カタリ派撲滅の歴史的背景(覚書) 『聖灰の暗号』 帚木蓬生

聖灰の暗号〈上〉聖灰の暗号〈下〉
新潮文庫

歴史学者須貝彰は、南仏の図書館で世紀の発見をした。異端としてカトリックに憎悪され、十字軍の総攻撃を受けた清く、貧しく、つましい人々は・・・



一二〇〇年頃、現在のフランス国土は大別して三つの領域から成立していた。フランス王とその諸侯が治める地域はパリから東の方を占めるに過ぎず、西半分が英国領、そして南仏には、トゥールーズ伯爵が独立した領土を確保していた。

それが十三世紀の後半になると、英国領はわずかにボルドー周辺に残るまでに縮小され、トゥールーズ伯爵領も全てフランス王に掌握されてしまう。わずか百年足らずの間に起こったこの勢力地図の大きな変化こそ、カタリ派の台頭と衰退に密接な関係があった。ひとことで言えば、当時トゥールーズやアルビを中心に信仰の輪を広げていたカタリ派を、ローマ教皇がフランス王の武力を使って殲滅しようとしたのだ。

大舞台の立役者は、ローマ教皇側がインノケンティウス三世とホノリウス三世。フランス王の方はフィリップ・オーギュストと息子ルイ八世が二代にわたってイギリス軍を駆逐するとともに、教皇の命を受けてカタリ派の一掃に務める。フランス王にとっては南仏への領土拡大、教皇にとっては異端排除という二つの思惑が、見事に一致した。

迎え撃つ側の役者は、トゥールーズ伯爵のレモン六世と息子のレモン七世、およびその一族と家臣たちだった。

実際の十字軍を率いたのはシモン・ド・モンフォール伯爵であり、彼の没後は息子のアモリ・ド・モンフォールが父の任務を引き継いだ。

オキシタン地方の悲劇を考える時、まず頭に入れて置かなければいけないのは、カタリ派の信徒であり、その擁護者であったトゥールーズ伯一族の側から戦いを挑んだのではないということである。当時のオキシタン地方は独立した平穏な日々を送っていたのであり、その意味で侵略者はローマ教皇だった。

カタリ派が真の意味で異教徒であったのならまだしも、カタリ派がより処としたのはあくまでも聖書であり、自らをキリスト教徒だと信じて疑わず、それにふさわしい信仰生活を送ろうとしていた。ただし、ローマ教会が押し付けるいくつかの教義としきたりを認めようとしなかった。ローマ教皇はそれを教義への挑戦と反逆の意図と決めつけ、異端の烙印を押した。あとは自らの権威を振りかざして宣戦布告をすればよかった。



    

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海外の人にも読んでもらいたい・・・『世界が語る大東亜戦争と東京裁判』

【10/26ツイートまとめ】で紹介したニュースの中で“海外「衝撃を受けた」 『大東亜戦争の真実』に外国人から賛否両論”という記事を紹介した。 その中で取り扱われている動画も秀逸なものだったが、ここでは同様の内容の違う動画を紹介する。 『8分半で自虐史観の洗脳が解ける魔法の動画』という題名です。



これらの動画は、以前このブログでも紹介した『世界が語る大東亜戦争と東京裁判』という本と同様の内容のものである。ここで語られているのは「大東亜戦争と東京裁判の真実」である。

それを支那、韓国がその内容を受け入れられないのは別事とする。問題なのは当時の日本の真実の敵である。実際日本と戦った国々も、日本を敗戦に追い込むことによって、それまでの歴史に違う意味をもたせた。戦後の世界で戦勝国が勝利を誇ることが出来たのは、歴史を書き換えることに成功したからだ。矛盾が生まれるのは当然であるが、それはすべて敗戦国日本に押し付けた。

以下は、2012年8月19日の記事に加筆修正したものです。
世界が語る大東亜戦争と東京裁判―アジア・西欧諸国の指導者・識者たちの名言集世界が語る大東亜戦争と東京裁判―アジア・西欧諸国の指導者・識者たちの名言集
(2012/07/14)
吉本 貞昭
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大東亜戦争を日本の降伏までとそれ以降の二つに分けて考えるという歴史観。
第一部 封印された日清・日露戦争と大東亜戦争
ここで語られているのは、第一に、戦後語られている日本の近現代史は、戦勝国の都合のいいように捏造されたものであるということ。それが占領の最大の目的であったということ。第二はきわめて重要で、大東亜戦争は日本の降伏までを第一幕、それ以降のアジア・アフリカ地域の独立を第二幕と見るという歴史観が語られている。そしてこのように見ると、世界の近現代史が大変わかり易くなる。

第二部 世界の指導者と識者が語る大東亜戦争の真実
110人の各国指導者、識者の意見が65ページを使って紹介されている。

第三部 封印された東京裁判の正体
*東京裁判はいかにして成立したのか
*東京裁判の正体とは何か

第四部 世界の指導者と識者が語る東京裁判の真実
58人の各国指導者、識者の意見が36ページを使って紹介されている。

“出色”と感じたのが大東亜戦争を日本の降伏までとそれ以降の二つに分けて考えるという歴史観。19・20世紀という、人間にとってきわめて難しいこの時期が、この見方によって、きわめて分かりやすくなる。見えてくる世界は非常に鮮明で、色鮮やか。しかし、そのごまかしの効かない世界では都合の悪い人たちがいたわけだ。だから、歴史は作り変えられ、しかもモザイクまでかけられて、むしろ“よく分からないこと”こそが、歴史の真ののあり方であるかのように思わされてきた。パウロではないが、目から鱗が落ちると新しいものが見えてくる。

冒頭の“本書刊行に寄せて”は、東條由布子さんが書いている。
「ここに書かれている内容を日本人が知ったら、きっと占領軍による洗脳が一気に解けてしまう、珠玉の名著」「待った甲斐がありました」と書かれている。


    

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戦後レジームの確立(覚書) 『GHQの検閲・諜報・宣伝工作』 山本武利

最も大きな問題は、GHQの強制力によって行われた検閲が、やがて自己検閲化することにより“自ら慎む”ようになり、それが当たり前、それが常識となったことだ。最近はそれを“戦後レジーム”と呼ぶ。
GHQの検閲・諜報・宣伝工作 (岩波現代全書)GHQの検閲・諜報・宣伝工作 (岩波現代全書)
(2013/07/19)
山本 武利

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独立後60年を越えた日本は、GHQの行なった検閲・諜報・宣伝工作から解き放たれるべき時だ。
CCD(民間検閲局)が書ける検閲の行政処分で、一番重いのが発行禁止処分である。重い順から発行・発売禁止、公表禁止、削除、保留と続く。また検閲で削除されたことを暗示するような“空白”は許されなかったため、“空白”を埋めなければならない。新聞の場合、削除処分も致命傷となるわけである。また、保留処分も同様だ。

一九四五(昭和二〇)年九月十九日、二十日の両日、朝日新聞は発行禁止処分を受けた。記事内容は直近の数日間に起きた米兵による暴行報道と原爆報道であった。

さらに九月二十九日号の東方経済新報が、米兵による日本人婦女暴行の記事で発禁処分となった。この二つの発行・発禁処分により、日本のマスコミはGHQに対して一気に従順になった。

発行禁止から保留まで一切の処分理由は公表されなかったため、マスコミ各社は自らGHQの判断基準を研究し、自社でGHQ以上に厳しい検閲基準を設定することで検閲処分を免れるよう努めた。

つまり、日本のマスコミ各社はGHQによる事後検閲による処分を免れるため、はるかに厳しい事前検閲の基準を内在化することにより、事後検閲をはるかに上回る検閲効果をGHQにプレゼントしたのである。

なんて言っても日本は戦争に負けたのだ。そのことに関する経験不足はどうしようもない。前々時代のように殲滅と奴隷化、前時代の植民地化による社会的隷属とはならないまでも、日本民族としての存立は著しく脅かされるだろうくらいの危機感は持てなかったのかな。つまり、歴史と文化を奪われることに関する危機感を。

持っていただろうな。だけど、その危機感を持っていた人々を排除する手もGHQは打っていた。公職追放である。“公職”とは言うものの、民間も含めた社会的リーダー二十万人以上が表舞台から排除された。

東京裁判で歴史を書きかえられ、教育改革によって文化を奪われ、検閲によって黙らされ、公職追放によって意志を失った。

特に影響の著しいのはマスコミ界と教育界で、追放された第一人者に代わる新たなリーダーは検閲への迎合そのままに、GHQの意を迎えることにより、あるいはその立場を持って自らの地位を確保してきた。彼らこそが戦後レジームそのものであった。


    

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韓国が越えられない日本文化の壁 『韓国が漢字を復活できない理由』 豊田 有恒

ハングル教育にこだわる韓国。しかし、韓国の国語教育は単に漢字を排斥するにとどまらない。

併合時代、日本は朝鮮において学校教育を普及させた。朝鮮人の忌み嫌う伊藤博文の業績である。そのなかで漢字ハングルまじり文が定着した。明治維新で日本が漢字表記した西洋の語彙を含め、“日本の漢字”が朝鮮語の中に急速に流入した。

独立後、韓国人の自尊心はハングル教育をすすめることになるが、その際、すでに韓国語そのものに取り入れられていた日本文化の排除にかかった。それは日本人が全ての語彙を“やまとことば”に読み替えるに等しい。しかし結局、その概念を表そうとする時、日本人が作り上げた漢字の概念にとらわれることになる。
ZAKZAK 2013.10.24
【新・悪韓論】韓国が越えられない日本文化の壁 反日的「国語醇化」の限界
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20131024/frn1310240724000-n1.htm

以下は、2012年7月1日の記事に加筆修正したものです。
『韓国が漢字を復活できない理由』 豊田有恒『韓国が漢字を復活できない理由』 豊田有恒
(2012/07/01)
豊田 有恒

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そもそも、「にほんのはいせんによって、かいほうされた」と、そのじてんでかんがえたかんこくじんは、それほどおおくはなかったようである。むしろ、いっしゅのむちつじょじょうたいが、しはいてきだった。げんごもどうようで、いざぼこくごをとりもどしたとあっても、すでにかんこくごそのものが、にほんごによっておおはばにへんようしているため、にほんごのたすけなしにはせいりつしえなくなっていたのである。

本書、16ページの冒頭の段落を平仮名だけで書いてみた。私は本文をみながら書いたのですぐに分かるが、これを初見した人はどうだろうか。何ともまどろっこしい思いをしているのではないだろうか。[確認はどうぞ本書をご購入ください]

ハングル文章実際、韓国では左写真のような表現が当たり前になっている。我々から見れば、文章表現というよりも、むしろ“発音記号のかたまり”である。

不便でないはずがないように思えるが、“不便”よりも“反日”が優先するのが韓国としか言いようがない。

大体、金九とか李承晩とかいった国民の生活も顧みることのない連中によってはじめられた国家なんだから、そうなってしまうのもしかたがないといえばしかたがないんだけど・・・。
なんともやるせないことだが、ハングルの奨励、漢字の追放は、朝鮮が日本だった時代、併合時代に変容した韓国語から日本語を、さらには日本語の気配を一掃するために行われたことだという。本書ではこれを「日本隠し」と呼ぶ。そしてそれだけが、人々からの支持をえる一番確実な方法だった。確かに歴代韓国政権は、当初は日韓の未来志向というようなスローガンを掲げるものの、支持率を落とした政権末期、必ず得意の反日を持ち出し、実際にそれによって支持率を回復する。同じことが言語教育の分野でも繰り返されているわけだ。

戦後の日韓関係は、すべてが「日帝による強奪」から始まっている。万事そうである。著者がこう書いている。
「現在の反日は、彼らが観念的に作り上げた、いわばヴァーチャルな日本人を念頭に置いたものである。悪逆非道、残忍無比な日本人を想定して、その架空の日本人像に対して、さらに反感を募らせているのである。」まさしくその通りだろう。さらにヴァーチャルな日本人像で日本統治時代を再構成し、現在の韓国人の観念に適合する歴史観を作り上げ、そこに生まれる怒りがさらに彼らを反日に駆り立てるのだ。まさに‘反日の拡大再生産’である

上記の‘平仮名文’を見れば明らかだが、このような文章では、特に観念語の理解は不可能なのではないか。
「はいせん」=敗戦、配線、廃船、配船、杯洗、盃洗、肺尖、廃線、肺腺。
「かいほう」=解放、開放、会報、快方、介抱、解法、海宝、海北、回峰・・・。

こういった状況は韓国語だって大差はないだろう。理解はかなり限定されざるを得ないはずだ。異常とも思える自己主張とナショナリズムの強さが、韓国が背負ってきた歴史的背景により形成されたものであることは理解できる。さらに著者はこうも語っている。「韓国では、多様な意見が存在しにくい。なぜなら、過酷な歴史だったから、少しでも異分子の存在を許せば、外国が干渉してきて、その少数意見をバックアップして、自国に都合のいい政権を打ち立てるかもしれないからだ。国論が二分するような事態を何よりも嫌うのである。」たとえそうだとしても、それが現代韓国人を自らの手によって傷つけるものであるなら、未来にために変わるべきだ。漢字ハングル混じり文の復活は韓国人のためである。
韓国のハングル政策は以前に呉善花の本で読んだ。
 
大変な事態が進行しているものだとつくづく韓国の状況を心配したものだが、この本を読んで、この言語政策が、竹島問題や‘慰安婦’問題と根を一つにするものだという理解を深めることができた。


    

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バターン死の行進(覚書)『GHQ焚書図書開封2』 西尾幹二

やがて、溢れて来る米兵の捕虜に目をとめられた。広場にも、難民たちとならんで、数百の米兵が腰をいだいて並んでいた。森の中から、林の小径から、米兵は列をなして現れてきた。いづれも背は高いが、疲れた顔つきをし、重い足取りで続いてきた。なかには、髭面の巨大漢や、刺青を入れたものも交じっていた。(中略)

実はこんなに米兵がいるということは、すこしも思いがけぬことであった。それだけ米兵がいながら、なぜ戦わないのか。これらの兵隊は、我々の祖国にいわれのない侮辱を加え、我々の祖国の存立をさえ脅かそうとした傲慢な国の国民なのだ。私は米兵の捕虜の波を見ているうちに、それは不純な成り立ちによって成立し、民族の矜持を喪失した国の下水道から流れ出して来る不潔な汚水のような感じを受けた。このような時ほど、日本の兵隊が立派に見えるときはない。米兵百人に一人か、二百人に一人、日本の兵隊がつきそって、引率していく。日本の兵隊は米兵の肩までしかない。顔は陽と埃とによごれ、軍服も帽子もぼろぼろになり、軍靴も口をあけて、ぱくぱく鳴っている。その姿は銅像にしたいほど立派である。そうして、彼は終始、微笑をうかべ、米兵とならんで歩いてゆく。兵隊はわれながらおかしくなったように、米兵のやつ、こんな小そうて汚い兵隊にどうして負けたんじゃろうかと言うとるやろな、と呟く。その闊達さは微笑ましい。

自動車が道もせまいくらい無数に遺棄されてあった。動けるものは、早速、兵隊が動かし始めた。難民をトラックやバスで送ってやることになった。

火野葦平『バタアン半島総攻撃従軍記』より

『GHQ焚書図書開封2』 西尾幹二『GHQ焚書図書開封2』 西尾幹二
(2008/12)
西尾 幹二

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抹殺された本を甦らせることなしに、歴史の回復はない
過酷な炎天下、日本軍が捕虜とした大勢の米兵やフィリピン兵に、バターン半島南端のマリべレスからサンフェルナンドまでの百十二キロを歩かせたため、二千人を越す将兵が死亡した。戦後、日本軍を道徳的に非難する声が上がった。これが「バターン死の行進」と呼ばれるできごとである。

バターン半島で行われた総攻撃は、日本側にも多数の犠牲者を出す熾烈な戦いであった。バターン半島を北から南へとせめ進んだ日本軍により、米比兵は半島南端に追い詰められ、やがて多くがコレヒドール島に追い込まれた。兵八万三千に二万六千のフィリピン人難民が加わり、難攻不落を誇ったコレヒドールも食糧不足に自ら陥ちたようなものだ。

日本軍は4月9日にバターン半島を完全攻略。これ以前、マッカーサーは3月中旬にコレヒドールから魚雷艇でミンダナオ島に脱出、逃亡した。

冒頭の文章は、従軍作家として戦列に加わっていた、芥川賞作家でもある火野葦平が当時の様子を書いたものである。激しい戦闘の後、日本兵も米比兵も疲れきっている中での移動だったはずで、特に食糧不足から、栄養失調やマラリアにかかったものも少なくなかったはずの米兵には過酷な行軍だっただろう。しかし、常に不足の事態と隣り合わせの戦場でのできごとであり、そこに至る背景を無視して日本を《捕虜虐待》とののしるのは、米軍の責任回避であり、マッカーサーの無責任だ。

火野葦平が見た様を信じれば、日本兵は立派だったのだ。同じ様子を陸軍省企画の大東亜戦争四部作[『比島作戦』『ビルマ作戦』『ジャワ作戦』『マレー作戦』]の一つ、『比島作戦』のなかの、藤沢記者と署名のある「バタアン従軍誌」にはこうある。


蜿蜒と続く捕虜の群れはいつ果てるとも知れなかった。マリべレス-カブカベン-ラマオ-リマイ-バランガの軍工路を進む先頭が、もはや数キロも先を歩いているのに、まだ山の中から続々と出てくる。それは湧いてくるという感じだった。これらの捕虜はたった一人か二人のわが勇士たちに、少なくとも二百から三百名ずつが引率されていた。米兵は背が高く頑丈だった。毛むくじゃらの腕にあ女の顔や、薔薇の花を刺青し、指には金指輪が光っていた。持ち物は化粧品や毛布、天幕の類が多く、比島兵の織機代わりに缶詰の空き缶をぶら下げているほか何も持たぬ姿と妙な対照をしていた。引率していく日本兵は米兵の肩までしかなく、軍服は戦塵にまみれて薄黒く、背中には汗が噴き出して、白く地図を描いたようになっていた。

その日本兵の指図を受けながら米兵たちは卑屈そうに笑顔まで見せて、埃を浴びながら歩いてゆくのである。この哀れな姿を難民たちは驚異の眼で眺めた。昨日まで威張り散らしていた米兵が、猫のようにおとなしくなって、小さな日本兵に引きずりまわされている姿は、彼らにとってなにか小気味よいものだったに違いない。時々比島兵と米兵が同じ場所で休息した。すると、これまでは比島兵を顎で使い虐待していた米兵の方から水を汲んでやったり、日本軍情けの食事を運んでやったりしている。米兵には自分たちが散々虐待した比島兵の復讐が恐ろしいのだ。捕虜となって忽ち地位が逆転したわけであった。
陸軍省企画大東亜戦争四部作『比島作戦』より

   

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『愛国・憂国・売国』 鈴木邦夫

2011年12月19日の記事に加筆修正したものです。

『愛国と憂国と売国』

「下品で嫌な題名だなぁ。やっぱりそういうことが書いてあるんだろうなぁ」と思いつつも、読む本がなくなりそうだったので手にしました。

『愛国と憂国と売国』 鈴木邦夫『愛国と憂国と売国』 鈴木邦夫
(2011/11/17)
鈴木 邦男

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世間はそういったレッテルを貼って人を分類したがる


事前の予想通りの意味でこの題名がつけられたわけではありませんでした。「とかく世間はそういったレッテルを貼って人を分類したがる」、そんな風潮を鬱陶しく思ってつけられた題名であったようです。そのことは大賛成です。

この本を読む前には、著者の鈴木邦夫氏に関する知識はなにもありません。「あっ、あの右翼か」とも何とも思っていたわけではありません。読んで分かったことですが、何かとややこしく、レッテルの貼りにくい人物のようで、そんなややこしい人物の存在というのは、今の世相にあっては大変貴重ではないかと思いました。
第一章  右翼人の憲法論
第二章  右翼人のつくられ方
第三章  右翼人の生活と意見
第四章  私が出会った素晴らしい人々
第五章  右翼人と左翼人
第六章  右翼人にとっての三島由紀夫

改憲派、護憲派。
TPP容認派、絶対反対派。
原発推進派、反対派。

なぜだろう。最近の日本の二極分化は・・・。ひとこと言えばレッテルを貼られ、もう一言言えば裏切り者扱い。 いつお前の仲間になった。あ~あ、もうたくさん。こっちでもあっちでもない、第三の、あるいは第三.五の、不確かな道を進もう。

日本は豊かな国だとは言っても、生きていくのは結構大変で、つらい思いも、悔しい思いもかみしめて、妻の笑顔や、子どものあどけない寝顔に励まされて、また次の日も頑張ろうと・・・。

だから多少意見が違おうが、いや、全く意見が違っていても、その人もその人なりに頑張っているんだろうと、その人を立場もろとも思いやる。

激情に流されたことがないじゃないけど、どこかでそれは恥ずかしいことと思っていた。ぐっと飲み込んで笑顔を作る私のような生き方は、おそらく著者からお許しをいただけるものではないだろう。だから激しく生きたことや激しい時代であったことをを並べ立てられても、「あらあら・・・」程度の感想しかもてない。

でも、私はこの人を受け入れられる。

第四章 「私が出合った素晴らしい人々」に登場する人物が、私からはとても「素晴らしい」とは思えない人物であったとしても・・・。

この人は、自分が言っているとおり、変化していく人物であると思えるからだ。本書で時々登場するが、間違ったと思ったら面子こだわらずに心から誤る人物に思えるからだ。

著者は勉強を続け、これからも成長する自分を意識しているという。大変結構なことで、私も見習いたい。そして著者ほどではないとしても、「誠実」であり、少しは「誠意」を示せる人間になりたいと思う。私にもっとも欠けていた部分だし・・・

あれ、私はすでにこの本からの影響を受けてしまっていた。


    

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ジャンル : 本・雑誌

日本人検閲者(覚書) 『GHQの検閲・諜報・宣伝工作』 山本武利

CCD(民間検閲局)には、最盛期で8132名の日本人がいたという。彼らは恵まれた待遇を受けながら守秘義務を墨守し、その実態はほとんど語られたことがないという。しかし、そのような語りたくない体験を50年の沈黙を破って語る日本人も現れてきた。

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山本 武利

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独立後60年を越えた日本は、GHQの行なった検閲・諜報・宣伝工作から解き放たれるべき時だ。

時期と人数
検閲者の募集は、「タイプライター係募集」とうたって行われた。CCD最盛期の1947年で8132名、翌48年には5000名に減少するが、1949年には5500人となっている。受付業務、仕分け業務、検閲業務の9割強は日本人雇用者であったという。

恵まれた待遇
給与 最高職務 4500~5500円、中級職務 4000~4500円、初級職務 3500~4000円

磯山陽子さん(日本女子大学)
1947年1月に事務員として500円で雇われる。9月には1570円の初級職員となり、48年1月には2080円の中級検閲者に昇格。上級検閲者になった48年6月で3040円、48年9月には5000円に昇給した。

主力は若いエリート予備軍
数少ない証言者によれば、CCD勤務の日本人の主力は、大学生や大学卒業まもない比較的若いエリート予備軍だった。だが、検閲者のなかで上級職を占める年配の人物は、エリートとしての戦前の職業を隠して黙々と働いていた。彼らの前歴は、大学教授、学校教師、貿易会社社員、文筆人と多彩であったという。

語りたくない仕事
仕事を始める日、磯山陽子さんは係の日本人からこう言われたという。
『この仕事のことは絶対に他言してはならない。何故ならこれは日本人同士の裏切り行為と思われて、あなたが辛い思いをしなければならなくなることを恐れるからだ。実際は裏切りどころか日本人のありのままの姿を知ることにより、マッカーサーがよりよい占領政策をとることができ、疲れきった日本人の生活を向上させるのに大切な仕事なのだ』
磯山陽子さんは、この仕事に付いている間、毎日300通の郵便物に目を通していたという。

江藤淳の『閉ざされた言語空間』に触発され、郵便検閲の体験を証言した甲斐弦の『GHQ検閲官』は極少ない勇気ある1冊である。そのなかで甲斐は「俺は米国の犬だ」、「同胞の秘密を盗み見る。結果的にはアメリカの制覇を助ける。実に不快な仕事である」と記している。

日本人を使った検閲
対日インテリジェンス活動に動員できる人数は決定的に不足していた。そこでアメリカは、アメリカに忠誠を尽くす日系人を各地の収容所から選抜し、再教育したのち、軍曹レベルで各戦域に派遣した。こうした日本語の使い手の活躍で、対日戦争は2年も短縮したとウィロビーは評価している。

さらに日本軍兵士は、捕虜として捕まった当初から、日本軍に不利な情報を敵国アメリカに積極的に提供していたことも注目されていた。これに味をしめたGHQは、占領当初から日本人を雇用して空前の規模の検閲工作を行うことを考えた。




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テーマ : 歴史全般
ジャンル : 本・雑誌

『昭和、家族の見識』  新井えり

十月十九日、祖父の三十三回忌、父の七回忌の法要で、久しぶりに兄弟とその家族、叔父や叔母といった親戚が集まった。父は七人兄弟の長男で、子供のころは何かというと親戚が集まって賑やかな家だった。七人いた父の兄弟も、父を含めてすでに四人は他界し、残された叔父、叔母も衰えた。私は男三人兄弟の末っ子だが、次世代もすべて成人し、娘は子供を授かった。久しぶりに楽しい席だった。しかし、ここまで世代の移り変わりを見せつけられると、残された歳月を考えてしまう。自分はこの先をどう生きようか。

新井りえさんの書いた『家族、昭和の見識』をブログで紹介するのは、これで三度目になる。そのたびに前に書いた紹介を読み直し、今の自分を確認している。そして、父母の遺影に語りかける。「俺、こんな生き方で良かったかなぁ。」

以下は、2013年4月11日に掲載した記事です。
『昭和、家族の見識』  新井えり『昭和、家族の見識』  新井えり
(2011/09/22)
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日本人が覚えておきたい10のこと
ガキだった自分が、人に揉まれてそれなりに大人になって、妻を迎えて、子に恵まれて、家族を持った。事あるごとに悩み、妻や子とぶつかり、時には無様を晒しても、身を挺して家族を守ろうと決意した。かつて、父に憎しみを抱いたこともあった。制止する母を振りきって飛び出した。自分から引きちぎるようにして、踏みにじった。“家族”を思う時、常に後悔と懺悔の念がともにあった。私を人たらしめてくれたのは、まちがいなくあの“家族”だったのに。父も去り、母も去った今、あの日、確かにあった“家族”を証明するすべは、自分の存在しかなくなった。

以下の十章からなるこの本は、あの時あった“家族”の日々を、久しぶりに思い出させてくれた。私は、父や母に恥ずかしくない人間になれたのだろうか。
一 定式のある暮らし
 しきたりを守るには、人間同士の直接的な関わり合い、交際が欠かせない。その際、さまざまな心遣いや工夫、趣向がなされて、自ずと情趣が生まれた。しきたりは、日本人の美意識の土台であったとも考えられるのである。
二 躾
 躾とは、ただ作法を教え込むことではない。子の弱さ脆さに補いをつけながら、人生の悲しみの種を喜びの芽へと変えるための術を示し、手助けしてやることである。
三 らしさ
 夫には夫の「分」、妻には妻の「分」、父や母になれば親の「分」、子供には子供の「分」。各々が己の「分」をわきまえて、少しも不自然ではない。それが昭和の家族であった。
四 縁
 互いに適度な距離を保ちながら、相手に気遣いをさせず、自分の出来る限りの力を出して助け合う。己の立ち位置と器量を心得て、謙虚でありながら、常に他者の立場と心の内を思いやる余裕をも備えている。 容易には会得できない、成熟した大人の付き合い方といえよう。
五 自由と自立
 だが、人々の内面も、経済に比例するように豊かになったわけでは決してない。むしろ公徳心や倫理観に乏しい傲慢な人間が増えて、昔日の誇るべき姿を失いつつある。 日本人は、物質的な豊かさを追い求めるあまり、「精神」を置き去りにした。さらに、「精神」を盛る器としての「規範」をも忘れ去ろうとしているのである。
六 昔話
 戦後、日本人は老人のいない家庭を作ることで、自由と気楽さを享受し始めた。その挙句、躾や昔話を含む「伝承の力」を失ったのである。
七 不便
 便利になって一番良かったものはと問われたら、私は迷うことなく「水洗トイレ」と答える。衛生的になって、匂いの心配もなくなった。 だが、汲み取り式の家で暮らした人生の初めの十年、言葉では言い尽くせない大事な事を学んだ気がする。あえていえば、恥じらい、慎み、謙虚さ。
八 叱る
 礼儀の根本は、周囲に迷惑をかけない、不快な思いをさせない、という心遣いである。親は子供の粗相を叱る中で、「世間を渡ってゆくための常識」を教えたのである
九 茶の間
 辻嘉一著『味噌汁三百六十五日』に、吉川英治が序文を寄せている。 「・・・あれは作る人自体の人間の味といってよい。でなければ家の味、あるいは女房の味、あるいは母の味、とにかくなにか重大なものが、味以前に醸されて出るものらしい。」
十 平凡の価値
 正直に律儀に、骨身を惜しまず働くことを徳とした時代が、かつてはあった。それで、たとえ報われなくとも、黙って自分の人生を受け入れる強さと器量を、昔の日本人は持っていたのである。 働き盛りに、戦争や空襲、戦後の混乱期がぶつかるという、不運に見まわれながら、人生を愚直に生き抜いた人々も少なくなかった。

私も著者と同じ「昭和ひとけた」二世。身辺の基準はやはり同じように、「昭和ひとけた」の両親から受け継いだ。

この本を読んでいて、いろいろなことを思い出した。苦労して学問し、家族よりも世間のためを優先した生真面目な祖父。自ら祖父に嫁ぐ道を選択する勝気さで、祖父を支え続けた祖母。戦後の混乱の中、首都圏の、しかしとてつもない田舎町で徒弟から叩き上げ、会社や地域に尽くすことに常に全力を傾けた父。自分を捨てて、父と三人の息子のために生きた、とても頭の良かった母。祖父母は明治、父母は昭和の、おそらくその時代を代表する価値観を持った人たちだった。

私から見れば、決して“幸せであった”とは言いきれいない人生ではある。“幸せ”というものを人生の目標の大きな要素とすること当然とする時代に生きる私に、もはや彼らの生き方を捉えることは出来ないのか。しかしそんな私でも、彼らが時代に翻弄されながらも、彼らの価値観のもとに懸命に生きたということは分かる。  

その生き方からは、“幸せであろう”という価値観を感じることはできない。むしろ、進んで“苦しみ”や“厳しさ”に向かっていくかのように、懸命に生きるのだ。そんな人達の子として育てられたことを誇りたいくらいに、“美しい生き方”をしているのだ。

あの父母を見て育った自分は、父母たちの何を自分の子らに伝えられただろうか。

価値のある一冊だと思う。


    

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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本












































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