めんどくせぇことばかり 2015年05月

『腸が寿命を決める』 澤田幸男 神矢丈児

腸? んんん、“はら”ね。 大事にしてるよ。“はら”こそ、自分そのものだからね。

•腹が黒い •腹を決める •痛くもない腹を探られる •自腹を切る •私腹を肥やす •腹蔵無い •茶腹も一時 
•腹悪し •腹が癒える •腹が痛む •腹が大きい •腹が来た •腹が北山 •腹が下る •腹が据わる 
•腹ができる  •腹が膨れる •腹が太い •腹に一物 •腹に収める •腹に落ちる •腹に据えかねる 
•腹は借り物 •腹も身の内  •腹を合わす •腹を痛める •腹を抱える •腹を固める •腹を切る •腹を括る 
•腹を下す •腹を拵える •腹を肥やす •腹を探る •腹を据える •腹を立てる •腹を召す •腹を捩る 
•腹を読む •腹を割る •腹の虫がおさまらない •腹の虫の居所が悪い •腹心を布く ・小腹が立つ 
•湯腹も一時 •御中を痛める •腹筋を切る •腹筋を縒る •腑が抜ける •腑に落ちない


ねっ、やっぱり人間、“はら”だよね。

『腸が寿命を決める』 澤田幸男 神矢丈児

集英社新書 ¥ 799

腸の健康が身体全体の健康に直結
序章  汚れた腸が健康を破壊する
第一章  腸は栄養素と水分を吸収する大切な臓器である
第二章  腸は病気を防ぐ「免疫システム」を備えている
第三章  大腸の汚れはあらゆる病気の引き金になる
第四章  大腸をきれいにすれば病気にならない

外人さんは体臭がきつい人が多いじゃないですか。そんなに多く知り合いはいないけど・・・。あれも食い物の違いなんだね、やっぱり。腸内の温度は三七度位だって言うから、そこに肉を放置すれば腐って悪臭を放つのは当然。さらに動物性蛋白質は悪玉菌のえさになって有毒腐敗ガスや有毒物質を大量に作るんだって。それが血流に乗って体の隅々まで運ばれ、皮膚から大量に排泄されるからクサイんだってさ。

結局は、欧米食に偏らないバランスの良い食事、食物繊維豊富な食材や発酵食品を意識して摂り、加工食品は疑ってかかる。白砂糖も、摂り過ぎは怖いんだってよ。もし甘みが欲しかったらさ。麹の甘酒をつくってみない。簡単だよ。週一でつくって、冷蔵庫に常備。料理なら、砂糖代わりにも使えるよ。それに漬物にもいいよ。甘酒に塩をぶち込んで、そこにきゅうりだのかぶだのを入れとくだけ。でも、息子が漬物好きだから、漬けるのが忙しい。何回かつけてるうちに、漬け汁は乳酸菌の香りがプンプンしてくる。もちろん程々で更新するけどね。

ああ、昼飯は何にしよう?そうそう、この間、佃島の《丸久》っていう店で買ってきた佃煮があるんだ。うんまいんだ、これが。“あさり”と“キャラブキ”。それから漬物、きゅうりとらっきょうでもきざんで、お茶漬けなんてどうだ。よし、「俺の腹は決まった」・・・、そんなオーバーな。





    




 


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『岡田英弘著作集 Ⅵ 東アジアの実情』

中華人民共和国って国が、ささやかな海を挟んですぐ隣にある。幸か不幸か・・・。幸でも不幸でも、どちらにしたってそこにある。「なくなってほしいなぁ」って思わないでもないけど、なくなったって、いずれおんなじことが繰り返される。おんなじことが繰り返されるって言っても、それはまったくおんなじってわけじゃない。その存在の強烈さに、その後に決定的な影響を与える歴史もある。

支那の北西にあって、北狄と罵られながら力をつけ、やがて支那に入ってその主となった満州人。彼らの建てた清朝は、まさにそういう存在だった。

『岡田英弘著作集 Ⅵ 東アジア市の実像』

藤原書店 ¥5,940

ーシナの影響下で盛衰してきた地域ー
第Ⅰ部  清朝とはなにか
満洲族はいかに中国をつくったか
清朝史研究はなぜ重要か
満洲族、支那制覇の第一歩 サルフの戦いを検証するー後金国ハン・ヌルハチと明国
帝国を築き上げた三名帝 康煕帝、雍正帝、乾隆帝とはどんな人物だったのか
康煕帝 、朱筆の陣中だより
清朝の多様性を理解するためのキーワード
第Ⅱ部  台湾はどんな歴史をたどってきたか
台湾通史ー台湾人はこうして誕生した
「ニクソン訪中声明」直後の台湾を訪れる
田中訪中に蒋経国が言うべきだったこと
日台空路はこうして切れたー大平外相がもたらした、北京も望まなかった断絶
鄧小平はついに「二つの中国」を認めた
国民党と台湾人と『美麗島』事件
第Ⅲ部  台湾の命運を握るものー一九八〇~九〇年代の情勢分析
李登輝の登場と「台湾人の台湾」への道
高揚する「一つの中国、一つの台湾」論
李登輝の深謀、江沢民の焦燥
総統選挙直前になぜ中国は軍事威嚇を強行したのか 総統直接選挙と台湾海峡危機
台湾をめぐるコラム三題
第Ⅳ部  近隣諸国の歴史と社会
近隣諸国は安保存継続を望んでいる
韓国史をどう見るか
高句麗の壁画発見余話
チベットの運命ーダライ・ラマ一四世のノーベル平和賞受賞に寄せて
パンチェン・ラマの悲劇
イリのシベ族、広禄先生のことー中華民国時代の新疆の風雲
東南アジアが意識する文化大国日本
ベトナム五百年の執念ー歴史に見るカンボジア征服の経緯
東南アジアの心と言葉
中曽根ASEAN歴訪と日中関係
この本は、“中華”周辺の象徴として『台湾』に多くのページを割いている。その台湾に関しては《覚書》に残すために、すでに書いた。さらに《第Ⅳ部》では『朝鮮』、『チベット』、『ウイグル』、『ベトナム』という辺境にも言及している。

一番新しい論考でも一九九六年のもので、大半は七〇年代、八〇年代。驚くのは、著者本人も言っていることではあるんだけど、内容が古びていないんだよね。それってどういうことなのかって考えると、・・・けっこう悲しいよね。まだまだ日本の歴史学会は、四〇年前の岡田英弘にさえ、いまだに追いつけないでいるんだ。
中央日報 2015/5/26 
日本の歴史学者6900人「慰安婦強制連行を認めるべき」
http://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=200865&servcode=A00§code=A10
(抜粋)
 声明の核心は大きく3つ。
 1つ目は「河野談話」の正当性だ。16団体は「強制連行された慰安婦の存在はこれまでの多くの史料と研究によって実証されてきた」とし「これはインドネシア・スマラン、中国山西省で確認され、韓半島(朝鮮半島)で多数の証言が存在する『無理に連れて行った事例』だけでなく、当事者の意思に反した連行事例がすべて『強制連行』に含まれると見なければいけない」と強調した。また「したがって昨年、朝日新聞が『戦時中に済州から女性を強制的に連行した』という日本人の吉田清治の発言に関する記事を取り消したことが河野談話の根拠を覆すことにはならない」と評価した。 
  2つ目は「性的奴隷」状態の認定だ。声明は「最近の研究では(慰安婦)被害者が動員過程だけでなく慰安所で人権をじゅうりんされる性的奴隷状態にあったことまで明らかになった」とし、慰安婦制度の反人道性を指摘した。また「売春契約があったとしてもその背後には不公平で不公正な構造が存在した」とし、当時の政治的・社会的な背景を考え(慰安婦)問題を全体的に見なければいけない」と述べた。 
  3つ目は「学問の自由の侵害」に警告を投じたことだ。歴史学者は「一部のメディアが慰安婦問題に関与する大学教員などに辞職や講義の中止を要求するのは学問の自由に対する侵害であり、決して認めることはできない」と懸念を表した。

これだもんなぁ、永遠に追いつけないね。ああ、この人達はいったい・・・。

それにしても中華人民共和国と名のる今の支那は、寄生虫みたいで怖いね。





 




 


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『東京 下町・山手 ウォーキング』 大人の遠足BOOK

この記事がアップされる頃、私はこの本を持って、東京のとある街角で疲れ果てている。あるいは、いろいろなものをあきらめて、居酒屋の喧騒の中でホッピーをあおっている。・・・つまみはレバフライがいいかな。

東京に行かないといけないんですよ。しかも、大半の時間を暇つぶしに当てなきゃいけない仕事。しかもしかも、最初と最後だけ、緊張を強いられる仕事。つまり、もっとも効果的に時間を費やせる“飲んでしまう”というポピュラーな作戦が使えない仕事なわけです。

だから、ずいぶん前から、あいだの五時間をどう過ごそうか考えている。時々こういう仕事があるんだけど、だいたい無駄に歩いて・・・、翌日は足が痛くて寝たきり状態。足にダメージを与えることなく、少しでも楽しい時間が過ごしたい。・・・やっぱり飲むか
『東京 下町・山手 ウォーキング』
大人の遠足BOOK

JTBパブリッシング ¥1,620
街歩き&お散歩 テーマ&エリア別50コース
新旧東京
皇居・丸の内 銀座・有楽町 浜松町・虎ノ門 東日本橋・神田・御茶ノ水 秋葉原・上野 錦糸町・押上
江戸モダン
日本橋・小伝馬町 向島・墨東 両国・浅草橋 瑞江・船堀  
横丁・路地歩き
谷中 田原町・日暮里 神楽坂 築地・月島・佃島 
坂巡り
四谷・九段界隈 九段下・番町界隈 乃木坂・赤坂見附 麻布十番・広尾 白山・根津 中井・高田馬場
芸術・美術
上野の杜 表参道・青山 駒場東大前・代々木上原  
門前町・旧街道
蔵前・浅草 清澄白河・門前仲町 護国寺・雑司が谷 亀戸天神社・七福神 金町・柴又 新宿・四谷
学生街
春日・御茶ノ水 御茶ノ水・神保町 早稲田・高田馬場
建築散歩
池袋西口 牛込 青山一丁目・信濃町 白金高輪・恵比寿 代官山・中目黒 田町・品川 池上・西馬込
社会科見学
国会議事堂・日比谷公園 市ヶ谷・九段下 東京ドーム・水道歴史館 東京都庁・歌舞伎町 王子・駒込
やっぱり題名に《ウォーキング》と入った本を選んだのは大きな間違いだったか。でも、この間見た本よりは距離が短くていいかなと思ったんだけど・・・。

スタートからゴールまでの距離と標準的な歩行時間、歩数が載っていて、なかには8kmなんて、私には無謀なものもあるけど、大抵が3、4kmで、1時間程度の歩行時間、歩数にして8000歩くらい?

そうね、4kmで1時間ってのは妥当かな。私なら倍の時間が必要になるけど。歩数にして8000歩なんだ。ということは1歩50cmか。これは今の私にはちょうどいいかな。

スタートとゴールは、鉄道の駅。《歩き方のヒント》っていうお節介なコーナーが50コース全てに付いている。これがけっこういい。《サブコース》のコーナーではショートカットや他のコースへの接続を紹介。《COLUMN》はそのコースのプラスアルファってところかな。

決めた。《築地から月島・佃島コース》と《清澄白河から門前仲町コース》のミックスはどうだ。深川不動で「アサリご飯」食って、深川あさり味噌せんべいをおみやげに買って、佃大橋近くの天安とかって店で佃煮を買う。

あるいは、《御茶ノ水から神保町コース》・・・と言うより、最初から神保町に向かう。懐かしい「さかいやスポーツ」でもよって、山の道具でもちょっかい出してみるか。そんでもって古本屋で山のガイドブックでも買い込んで、喫茶店に退避。“さぼうる”なら大盛りナポリタンでもがっついて、ゆっくり。

それとも、適当な公園で昼寝でもしてるか。・・・あやしいオヤジが寝てると、捕まったりするかな。





 




 


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サウジの狙い(覚書)『長谷川慶太郎の大局を読む 緊急板 大波乱』

ロイター 2014/11/29
米シェール油に価格戦争宣言、OPEC総会でサウジ石油相
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKCN0JC1XQ20141128
(抜粋)
 サウジアラビアのヌアイミ石油鉱物資源相が前日の石油輸出国機構(OPEC)総会で、米国のシェール油ブームに対抗する必要があるとして、減産に反対していたことが分かった。
 減産を主張していた当局者に近い筋は「ヌアイミ氏は米国との市場シェア争いに言及した。サウジが市場シェア争いを望んでいるため、減産を主張していた加盟国はサウジの意向に沿うしか選択肢がなかった」と明かした。

『長谷川慶太郎の大局を読む 緊急版 大波乱』
長谷川慶太郎

徳間書店 ¥1,512
逆オイルショックという言い方があるそうで、原油価格の暴落で原油生産国の経済が苦境に陥る現象を言うんだそうだ。

オイルショックの時は中学に上がったばっかりで、学用品を買えなくなった。ノートね。でも当時、新聞の折込広告は、両面刷りなんてなかったよね。だから広告を束ねて学校に持っていった。二人の兄も同様だから、字は小さく書いたね。トイレットペーパーの話がよく出るけど、うちはちり紙を使っていた。白い紙は高くて、うちはもともと黒い紙だった。それすら買えなくなって新聞を使った。くみ取り式だからこそ出来たことだね。新聞をよ~くもんでね。柔らかくなるようにね。もみすぎて穴が開いちゃうことも・・・。

そんな切なくなるような話はともかく、ここでは逆オイルショックの話ね。

ここんところずっと、中東の混乱ぶりと、支那・インドの経済成長による需要増から原油価格は上昇してましたよね。日本人にとっては二〇一一は忘れられない。ガソリン価格は、あそこでびっくりするほど上がって、あとは高止まりって感じだったよね。それが下がり始めた。日本人の生活実感はともかく、原油価格は二〇一四年六月のバレル一〇七ドル突破のあと下がり始めた。十一月下旬には七三ドル。二〇一五年が開けた途端に四〇ドル台。

本来、OPECは、こういう事態を回避するための価格カルテル。なのに、最初に紹介した記事のように、OPECの中心国のサウジアラビアは減産を受け付けなかった。それによって原油価格の下落に拍車がかかった。・・・上記のとおりである。サウジアラビアは、OPECの価格カルテルとしての役割を放棄した。

昨年11月のOPEC総会の様子を取材した記事では、『シェールオイルへの価格戦争』としているが、シェールオイルの生産コストには幅があって、バレル一ドルから三十ドルとか。三十ドル割してもまだ足りない。長谷川さんは、あれは“シェールオイルつぶし”ではないと言っている。

最近の報道、どう見てますか。目立つのは北朝鮮、支那、イスラム国、ギリシャ、・・・そしてロシア。みんなに共通するのは、やばいところほどパフォーマンスに走るってことだね。プーチンの跳ねること、跳ねること。
毎日新聞 2015/5/17
プーチン露大統領:アイスホッケーでも「マッチョ」8得点
http://mainichi.jp/select/news/20150518k0000m030008000c.html
(抜粋)

 プーチン大統領が16日、露南部ソチで開かれたアイスホッケーの元選手らによる親善試合に登場した。自ら8点を入れ、18−6で相手チームに勝利した。
 今月9日のロシアの対独戦勝70周年を記念し、プーチン氏ら参加者全員の背番号は「70」。国民の愛国心を盛り上げるイベントとなった。
プーチンの
観客席まで付き合わされたメドベージェフのあきれた顔つき。あいつ、もうプーチンを見切ってるんじゃないかな。

長谷川さんが言うには、サウジアラビアの狙いはロシアだという。たしかに今年に入って、ルーブルの価値は急降下した。それ以来、ウクライナ危機以来目立つようになったプーチンのパフォーマンスに、明らかに拍車がかかったよね。対独戦勝ち七〇周年のお祭りもひどかったね。仲良くヒトラーと一緒にポーランドを好き放題にした国だもんね。あそこに参加できる恥知らずって、そうは多くなかったね。

ソ連崩壊後のロシア経済を支えたのは石油とガス。サウジアラビアが減産を拒否したことで、原油価格は急落。それはロシアの国家収入の急落を意味する。影響はすぐに、ルーブルの急落となって現れた。平静を装っても、国家収入がもとのように落ち着くまでは、プーチンに平穏は訪れない。それは原油価格がもとのように上がること、つまりはサウジアラビアが減産に応じることだ。

そのためにはプーチンがサウジアラビアの前に膝を屈すること、具体的にはOPECへの加入だ。そうすることで、サウジアラビアの原油統制を受け入れることが、ロシアの生き残る唯一の道だというのだ。そのためには、東ウクライナだけではなく、クリミアをも諦める必要が出てくる。それはヨーロッパの、・・・アメリカの軍門に屈することを意味する。つまり、二度目の敗北だ。

一度目の敗北で自由経済に移行したはずのロシアであったが、実はそれは十分ではなかったという。国際競争力を持つ工業製品も農業製品もなく、唯一国際競争力を持つ原油とガスに依存した。その力がサウジに次ぐ大きなものであっただけに、経済の自由化は不徹底に終わった。この二度目の敗戦では、ロシア経済は徹底した自由化の洗礼を受けなければならない。その向こうにしか、ロシアの未来はない。長谷川さんはそう言っている。









 


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台湾(覚書)『岡田英弘著作集 Ⅵ 東アジア市の実像』

NETIBNEWS  2015/2/20
台湾次期総統選の行方は?
http://www.data-max.co.jp/politics_and_society/2015/02/30941/0220_sn1/
(抜粋)
 野党・民進党は、蔡英文主席が、総統選挙の候補者を決める党内の予備選に出馬する意向を明らかにし、、このまま蔡氏が、民進党の候補者となる公算が大きい。
 民進党は、総統選の前哨戦とも言われた昨年11月の統一地方選で大躍進し、8年ぶりの政権交代への気運が高まる。
 一方、中国大陸は、独立派の民進党の動きはほぼ「無視」状態。このまま、台湾総統選で、民進党が勝利した場合、都合の悪いことにはフタをする傾向が強い中国大陸の報道は「無視」を決め込む可能性が高くなっている。

ちなみに、台湾の次期総統選は2016年の1月。たったの半年後。
『岡田英弘著作集 Ⅵ 東アジア市の実像』

藤原書店 ¥5,940

ーシナの影響下で盛衰してきた地域ー
歴史舞台への初登場
一六二四年、オランダがここに東シナ海交易の根拠地を置いたのが最初。今の台南市の安平あたりにゼーランディア城を、入り江の対岸にプロヴィンシア城を築いた。この案平あたりに居住していたタイオワンという部族名が台湾という名称の起こり。
鄭氏三代の台湾支配
清朝の太宗ホンタイジが亡くなった一六四三年、わずか六歳のフリンが跡を継いで順治帝となった。その翌年、明朝最後の皇帝が反乱軍に北京を占領されて自殺。明朝からの要請を受けて順治帝が北京に入って紫禁城の玉座につく。支那の南部では明朝の皇族が抵抗した。その一人が魯王で、その魯王を担いだのが国姓爺・鄭成功である。鄭成功は福建省の沖合の島を根城にしたが、一六六二年、二万五千の兵を率いてオランダ人を降伏させる。鄭成功はこの年に死ぬが、息子と孫は台湾に亡命政権を立てて、二二年間抵抗した。一六八三年、清朝の満洲軍が台湾に侵攻し、鄭成功の孫はこれに降伏した。
清朝の台湾支配
 清朝は満洲人とモンゴル人が連合して、支那の外に作った政権で、そのあとで支那を支配した。第一公用語は満州語で、必要に応じてモンゴル語と漢語が併用された。科挙の試験に受かって役人になった漢人は支那の行政を担当するだけで、満洲やモンゴルの統治には関与できなかった。後にチベットとウイグルも版図に入れるが、やはりこれにも漢人は関与できなかった。言いかえれば、清朝という帝国の中で、支那は満洲人に支配される植民地の一つだった。だから、一六八三年に征服された台湾は、満洲人の支配下にはいったのであって、支那の領土になったのではない。
 清朝は台湾渡航を制限したが、人口過剰の福建省からの密航は後を絶たなかった。台湾の極端に悪い治安は、入植者同士の仲が悪く、背景には土地の奪い合いがあったらしい。泉州人、廈門人、潮州人、客家が入り乱れて争った。清朝はそんな台湾を持てあまし、二〇〇年間にわたって何の施策も行われなかった。
台湾征伐ー清仏戦争ー日清戦争
 琉球処分で日本に編入された琉球人の一団が、海上遭難して漂着した台湾の牡丹社という村で殺害されていたことの責任を清朝に追及。清朝が「化外の地」と責任を回避すると、一八七五年、日本は軍を差し向けて牡丹社を征伐。清朝から賠償金をとって撤兵。
 一八八四・八五年の清仏戦争ではフランス艦隊が台湾の西側の諸港を封鎖して福建省との連絡を絶った。清朝は初めて、台湾の国防上の重要性を認識。八五年には台湾巡撫という支那内地並みの行政機関を置くが、わずか十年、一八九五年の下関条約で台湾は日本に割譲された。、清朝が日本に譲り渡したのであって、日本が支那から奪ったのではない。 
日本による統治の特徴
 日本は法律を尊重し、法律に従って統治をおこなった。内地の法を事情の違う台湾にそのまま適用せず、台湾総督が特別に法を定めた。法の運用は公平で、不当な逮捕、連行、監禁、処刑などはまったくなかった。
 日本は教育に熱心だった。教育の普及により、台湾の住民は始めて日本語という共通言語を持った。日本語を通して世界の近代文明を吸収し、現在の「台湾人」というアイデンティティの基礎を築いた。
国民党の台湾支配
 『犬(日本人)さって豚(支那人)来たる』・・・日本の撤退と国民党の入島は、そう言われた。豚は食って食って、食いまくるだけで、次第に国民党の横暴が目立つようになった。
 一九四七年二月二八日、専売局巡視官の台湾人いじめがもとで台湾人が立ちあがった。行政長官陳儀が武力行使を容認すると抗議行動は暴動に発展した。台北占領の方が伝わると、台湾のあちこちで台湾人が立ちあがった外省人はことごとく殴打された。台湾人は通行人を誰何し、「君が代」を歌わせて、外省人をあぶりだした。
 陳儀は蒋介石に軍の派遣を要請した。誰もかれもが、令状もなしに逮捕、連行され、裁判もなしに銃殺され、闇から闇に葬られた。一説では二万人ともいう。
 二・ニ八事件は、台湾人の“中国人”に対する怨念を抜きがたいものにして、“中国人”を前提にした“台湾人”という民族意識を固める機会となった。
清朝の支配と台湾の帰属
 清朝皇帝は、満洲人に対しては部族連合会議の議長である。モンゴル人に対してはチンギス・ハーン以来の大ハーンである。漢人に対しては始皇帝以来の皇帝であり、チベット人に対してはチベット仏教の保護者であり、ウイグルのイスラム教徒に対してはジューンガル帝国の後継者として統治権を行使する立場にあった。要するに、支那は植民地の一つだった。支那が清朝であったわけではなく、清朝が中華帝国であったわけでもない。
 この状況が変化したのが、一八世紀半ばのイスラム教徒の大反乱である。さらに西方のコーカンドからヤアクーブ・ベクという英雄が進出し、イスラム王国を作った。新疆は清朝の手から離れた。清朝では新疆放棄も話し合われた。これを止めたのは、漢人の左宗棠という将軍である。彼は配下の湖南人の義勇兵を率いてヤアクーブ・ベクのイスラム王国を滅ぼした。
 「いままでどおりのイスラム教徒の自治では、もはや反乱は防げない」という左宗棠の意見により、ウイグルは支那内地化され新疆省が置かれた。これは清朝の性格を根底から変える大事件であった。それまでの満洲人とモンゴル人の連合統治体制が、満漢一家の国民国家化への動きの始まりである。満洲人は、同盟の相手をモンゴル人から漢人に切り替えた。
 日本は大東亜戦争に負けたあとも、台湾を支那に返還していない。サンフランシスコ平和条約には、「日本は台湾に対するすべての権利、権限および請求権を放棄する」とあるだけである。この規定通り、日本は台湾を放棄した。もともと台湾は清朝から譲渡されたもので、返還となれば満洲人に返還することになるが、その満洲人の国がないのだから、ただ放棄したのみだ。台湾の帰属は、台湾人が決めればいい。





 




 


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「WAZA除名」で日本敗北

【海外の反応】パンドラの憂鬱 2015/5/22
海外「日本は正しい決断をした」 BBC 日本が追い込み漁のイルカ入手を中止へ
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-1551.html
(抜粋)
JAZAの荒井一利会長は、追い込み漁によるイルカ調達禁止を発表する一方、「協会が追い込み漁や捕鯨文化を批判しているわけでは決してない」、「いったい追い込み漁のどの部分が残酷なのか」と疑問を呈す場面もあり、BBCでは荒井会長の上記の言葉を記事内で紹介。その上で、今回のJAZAの決定を歓迎するシー・シェパードの声や、「これは日本のイルカ漁の終わりの始まりになる」という、豪州のイルカ保護団体の会長の言葉を紹介し、記事を締めくくっています。

ったく、バカにはかなわない。“JAZAが投票で決定”ってさ、ふざけるな。JAZAに日本文化の何たるかに、いかなる形にせよ、影響をあたえるような決定を出すことは許されない。例え、イルカ漁はその僅かな一端であるとしてもだ。いや、イルカ漁を巡っては、すでにJAZAが独自で何らかの決定を出せるような状況にないことは、当たり前の状況じゃないか。どうしてそんなことが、わからなかったのか。
日本経済新聞 2015/5/21
超サクッ❢ ニュースまとめ イルカ漁がピンチ 追い込み漁の捕獲が禁止に
http://www.nikkei.com/article/DGXZZO75366460X00C14A8000077/

一連の流れは、上記の《超サクッ❢ニュースまとめ》でつかんでもらえると思う。それはそれとして、このWAZAの日本に対する横暴はなんだ。一〇年来の交渉を続けながら、四月に会員資格停止、五月までに改善されなければ除名とは、何がしかの強い意志により狙い撃ちにされたことはあきらか。
産経ニュース 2015/5/9
「称賛する」シー・シェパードのワトソン容疑者 イルカ漁めぐる日本の世界動物園水族館協会資格停止で
http://www.sankei.com/life/news/150509/lif1505090022-n1.html
産経ニュース 2015/5/20
「追い込み漁の終わりの始まりだ!」 圧力かけた豪イルカ保護団体が勝利の声明 
http://www.sankei.com/life/news/150520/lif1505200043-n1.html

S.S.のポール・ワトソンは犯罪者だけど、日本を標的にしたことで世界中の多くの人から支持を受け、きれいなオネイサンと結婚して幸せな生活を送っている。彼や、彼の仲間達のやっていることは、太地町や日本を踏みにじることで成立している経済活動だ。JAZAだって、これまでも関係者として色々と考える立場にあったはずなのに・・・。今回のことは、彼らの大きな勝利である。この決定は、取り返しがつかない。

彼らは、今回のJAZAの対応に、日本の敗北パターンを認識したはずだ。これまで以上の攻勢に出てくるはずだ。なんといても、稼ぎどきだってさ。
過去記事です


なんでそう人の嫌がること嫌がることをするの。日本人に嫌がることをすると、お金が入ってくるから?

まずSSの連中は、日本人の“捕鯨文化”を攻撃することで、ただそれだけで“寄付金”というお金が入ってくるのだから、むしろ日本人には頑張って捕鯨を続けて欲しいと思ってるでしょ。

クジラ資源枯渇を心配しての捕鯨反対なら、話し合える。過去、現在、未来にわたってクジラ、いやそれだけでなく海産資源をどう管理していくか。国家間でよりよい結論を導きだしていくことは、簡単ではないが、可能で有意義だ。

「クジラがかわいそう。日本人はなんであんな残酷なことを続けるの」という人たちは質が悪い。動物や植物の命とどう向き合ってきたか。食をどう捉えてきたか。自然とどう向き合ってきたか。私たちは、その判断を“神”の一言二言に委ねてきてしまった人たちとは違う。その時、その時、真剣に考え、悩み、今の社会を築いてきた。文化の問題であり、宗教の問題でもある。過去を振り返り、キリスト教社会がクジラにどう対してきたかをよく勉強し、これからのあり方を考えていくべきだ。

作家の山本一力さんが、近作『ジョン・マン 大洋編』の中で、1800年代中期にピークを迎えたアメリカ捕鯨の様子を、“万次郎”の口を借りて嘆いている。ごく短いワンシーンでしかないが、よろしければ読んでいただきたい。


「クジラ云々はともかく、日本人が嫌いだ」という人々。おそらく、決して少ない数ではないと思う。シー・シェパードもいいところに目をつけたと、本当に思う。白人社会のかなり不快そうに潜むであろうその感情に、“捕鯨問題”は、格好の材料を与えたのだ。これで日本を批判する限り、“人種差別”と捉えられて自分が攻撃を受ける心配はないからだ。白人至上社会に風穴を開け、自らは一敗地に塗れたものの、すべての白人帝国を崩壊に導いた日本を、白人社会が簡単に許そうなどとは毛頭思ってはいない。もちろん白人社会でも、良心的な人々の力はどんどん大きなものになっている。そういった人達と手を握ろう。

SSは、今でも白人社会から絶大な支持を受けている。
ボブ・パーカーボブ・パーカー  1967年から20年間、ミス・ユニバース世界大会、ミスUSAの司会、さらに1972年から35年間、『ザ・プライス・イズ・ライト』の司会を務めた。 シー・シェパードの活動に協力し、500万ドルの資金を献金した。
ショーン・コネリー  『007』シリーズの初代ジェームズ・ボンド役で一躍有名となり、その他のアメリカ映画にも多数出演している。
ショーン・コネリー
ショーン・ペンショーン・ペン  2003年公開のクリント・イーストウッド監督作品『ミスティック・リバー』でアカデミー主演男優賞を受賞した。また、2008年公開のハーヴェイ・ミルクを演じた『ミルク』でもアカデミー主演男優賞を受賞。過激な抗議活動で知られる反捕鯨団体シーシェパードを支援している。
ピアース・ブロスナン  1995年に007シリーズ第17作『007 ゴールデンアイ』にジェームズ・ボンド役で主演。 1997年の『007 トゥモロー・ネバー・ダイ』では、サターン賞主演男優賞を受賞した。2001年から、ユニセフのアイルランド国内大使を努めている。また、非営利環境保護団体シーシェパードを支持している。
ピアース・ブロスナン
他にも、SSの後援者にはシンガーのミック・ジャガーやアンソニー・キーディスらも名を連ねる。SSは、広く白人社会に支えられているのだ。








 


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『国際情勢判断 半世紀』 岡崎久彦

巻頭にあるのは、最後に《平成二十七年三月一日 記す》とした内閣総理大臣・安倍晋三氏からの追悼の辞。

岡崎氏最後の大仕事が、二十六年七月一日に集団的自衛権だったんですね。閣議決定のあと、岡崎氏は次のような漢詩を首相に送り、安保法制懇有識者構成員の立場を辞したそうです。
曠古の敗戦 久しく志を奪う
だれにか託せん 民族安危の事
父子三代 憂国の情
遂に顕かにす 集団自衛の義

ご逝去は二十六年十月二十六日とのこと。「成し遂げられて逝かれた」・・・そういうことなんでしょう。なんとも羨ましい。


『国際情勢判断半世紀』  岡崎久彦 

育鵬社 ¥1,836

ー鷲鳥は群れずー
追悼  岡崎久彦大使と父子三代・・・安倍晋三
序文  岡崎久彦大使の思いを伝えるために・・・本書の成立事情
第一部  戦後外交の回顧録・・・岡崎久彦
第一章  岡崎家に生まれて・・・少年・学生時代
第二章  外交官人生の始まり
第三章  情勢判断の道を進む
第四章  国際政治と官界のただなかで
第五章  駐サウジアラビア大使時代
第六章  駐タイ大使時代
第七章  外務省を退官して
第八章  日本の未来のために
第二部  主要な論説と証言
①戦後五十年と「誠が感じられない」
②歪められた戦後の「歴史問題」
③苦節三十五年、集団的自衛権の時がきた
④強大中国にいかに立ち向かうか
⑤友人、知人が見た岡崎久彦
あとがき  家庭から見た岡崎久彦

《主要な論説》のなかでも、『②歪められた戦後の「歴史問題」』は秀逸。最近はリビジョニズム・・・、歴史修正主義か?・・・なんだかんだとうるさくて仕方ない。いくら日本が、「おいおい、それは違うだろ」といっても、端から“歴史”という認識が違う。いかに汚い手を使おうが、“歴史”は勝ったものが書く。“勝ったものの自己正当化の理屈”。それが支那にとっての“歴史”。“将来に活かすべき過去の記憶”なんて考えを日本がぶつけようもんなら、「修正主義だ」となる。

でもさあ、こと、あの戦争に関しては、もう一度戦争をやり直すくらいの気構えがないとね。こと、あの戦争に関しては、日本に“侵略者”の汚名をひっかぶせたすべての連中が支那同様の歴史観。「それはそれ、これはこれ」っていう理屈すら通らない。それこそ“味噌も糞も一緒”って状況で、習近平もプーチンも、クソごとムシャムシャだもんね。

ドイツが日本に忠告しようってのも困りもの。お前らとは違うよ。

さてさて、巧妙な占領政策もあったけど、《一九七〇年代に「戦後」は終わっていた》と岡崎さんはいう。そう、そのとおりですね。七〇年安保で反対世左翼は完全に逼塞した。もともとがアメリカの占領政策を原点にした左翼理論だから、歴史の歪曲が根っこにある。だから必ず矛盾する。だからどこかに罪悪感を抱えるのだろう。やたらと声がでかいのはそのせいか。

国内で行き場を失った左巻きが、海外に賛同を求める。お笑いのような展開だが、それに呼応するものがいた。支那と韓国だった。八二年の教科書問題と八五年の靖国問題は、日本のマスコミが先導して支那、韓国の干渉を招いた。

ヤッタ-❢❢❢生き延びる場があった❢❢❢

支那・韓国の側にも支那・韓国らしく彼らの事情があって、支那は天安門事件で地に落ちた中共への信頼は、“反日”を持ち出す以外に取り戻し用もなかった。韓国も、大統領の支持率が落ちると“反日”に頼った。朴槿恵なんか、最初っから“反日”に頼りっぱなし。

支那と韓国と、・・・それからヤサグレ左翼の利害が一致した。そうそう、最近は沖縄もヤサグレ左翼と仲がいい。

こちらとしても、彼らに対して“味噌の糞の一緒”ってことになっちゃいけないと思うけど、かれら、・・・左翼さんよ。その人達の目的は、ソ連共産党、あるいは中共に日本を進呈することだったってことは、忘れちゃいけないよね。









 


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関東大震災の朝鮮人虐殺目撃 『日本はアジア最大の加害者』

2015/5/21  Record China
関東大震災の朝鮮人虐殺目撃者の娘「日本はアジア最大の加害者」=韓国ネット「とても残忍な民族」「すべての日本人が頭を下げて反省を!」
http://www.recordchina.co.jp/a109467.html
(抜粋)
関東大震災後に起こった朝鮮人虐殺の目撃者の娘が「日本はアジア最大の加害者であったことを忘れてはいけない」と訴えた。 「母は、朝鮮人を殺害したのは間違いなく日本人だったが、自分の兄弟を助けてくれたのも日本人だったと言っていた」とも述べた。
1923年の関東大震災当時、「朝鮮人が暴動を起こした」、「朝鮮人が井戸に毒をまいた」などのデマが広まり、数千人の朝鮮人が日本軍や警察、民間人などに虐殺されたとされている。デマの流布に政府関係者が関わったことまで日本政府の資料で明らかになっているが、政府は真相究明に動いておらず、正確な犠牲者数の把握や遺骨の調査も行われていない。
『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』 工藤美代子『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』 工藤美代子
(2009/12/02)
工藤美代子

商品詳細を見る
「朝鮮人が暴動を起こす」


2009年の本だけど、関東大震災の“朝鮮人虐殺”に関して語るなら、まずこの本を読もう。でも、今は中古でしか手に入らないみたい。amazonの中古で、 \1,718 から、カバー付きなら \5,156 だよ。うちのは、・・・、カバー付きだよ~ん。いま、確認しちゃったよ~ん。でも、やっぱり売らないも~ん。自分のもんだも~ん。

増刷すればいいのに、・・・ねえ。
以下、過去記事

藤野裕子助教へのおわび 2013-04-05

民団新聞3月20日付4面の「関東大震災加害者調書を公開」の記事は、早稲田大学文学学術院の藤野裕子助教に直接取材したかのような印象を与え、なおかつ、「藤野助教は『軍隊がデマを流したことを裏付ける決定的な証拠』と話している」など、一部に不正確な内容が含まれていました。

同記事は藤野助教の了承を得て掲載したものではなく、同記事に関する責任の一切は本紙にあります。関係者にお詫び申し上げます。
(2013年4月5日)
http://www.mindan.org/shinbun/news_view.php?page=10&category=2&newsid=17233

3月20日の記事(すでに削除されてます)
 関東大震災時の朝鮮人に対する虐殺経過を加害者から直接聞き取った調書の存在がこのほど、明るみとなった。
発見した早稲田大学文学学術院の藤野裕子助教によれば、歴史研究者がこのような裁判記録を明らかにしたのは初めてではないかという。
藤野助教は「軍隊がデマを流したことを裏付ける決定的な証拠」と話している。

 タイトルは「伊藤金次郎外九名殺人事件」。
1923年10月7日から28日までの警察聴取書、検事聴取書、予審調書、死体検案書、巡査報告書などからなり、全部で370枚。
資料調査にあたっていた藤野助教が08年、東京弁護士会・第二東京弁護士会合同図書館で偶然見つけた。

 これらは加害者の弁護人が同図書館に寄贈したもの。
調書を読んだ藤野助教はあまりの凄惨さに正気でいられず、何回も席を立ったほどだったという。
コピーは許されず、タイプライターを持ち込んで2カ月がかりで写し取った。現在はマイクロフイルムにして早稲田大学で公開している。

 舞台は東京府南葛飾郡南綾瀬村字柳原(現在の東京都足立区柳原)。
1923年9月3日、自警団を構成していた伊藤金次郎らが同胞労働者9人が居住する4軒長屋の1軒を取り囲み、7人を殺害。
虐殺したことで新たな恐怖にかられ、翌4日朝にもかろうじて茄子畑に逃げ延びていた1人を死に追いやったというもの。

 死体検案書によれば、被害者はいずれも24〜26歳の男子。犠牲者2人については名前も明らかとなっている。
 直接のきっかけは軍によるものであり、その虐殺が軍の流したデマに信憑性を与えたのは確かなようだ。伊藤金次郎は第1回予審調書で次のように述べている。

 「朝鮮人が爆弾を投げたり、綿に油をつけたものを家へ投げ込んで火災を起こしたり、
日本人を殺したり悪いことばかりするので、四ツ木方面でだいぶ軍隊のために殺されたというような話を兵隊から聞いた」

 同じく、四ツ木の土手で朝鮮人の犠牲者多数を目撃した田口精造は、付近に綿や石油の入った瓶が転がっているのを見て朝鮮人による放火を事実と信じ、
「このように殺されているのなら自分もやっつけてみたいというような気を起こした」と検事の取り調べに答えている。
軍隊の行為が民間に伝播し、虐殺の連鎖を招いたのだ。

 法務省によれば刑事確定訴訟記録法による保管年限は、
「死刑又は無期の懲役若しくは禁固に処する確定裁判の裁判書」であっても保管期間は100年。
「有期の懲役又は禁固に処する確定裁判の裁判書」に至っては50年でしかない。誰に見せるのかは法務大臣の裁量とされている。
それだけに、弁護士会の合同図書館が保管していた今回の裁判記録は貴重なものといえよう。


(2013.3.20 民団新聞)
謝罪は、民団新聞読者のみなさんへのものではなく、ましてや日本国民のみなさんへのものではありません。“藤野裕子助教へのおわび”です。どうやら民団は藤野裕子助教の論文を、本人に取材することも、ましてや裏付けをとることもなく、しかも本人に了承を得ることもなく記事として掲載したもののようです。

でも大丈夫。日本が嫌いな韓国人の間に、さらに日本人への根拠のない怒りをかきたてることには、すでに大成功を収めていますから・・・、きっと藤野助教も同じ気持ちでいるだろう。《民団の心の声》

ちなみに藤野裕子助教というのは、早稲田大学の助教で日本近代史が専門だそうです。

早稲田大学大学院文学研究科出身。大学院では安在邦夫に師事。大学院在籍中にハーバード大学客員研究員としてアメリカに留学。早稲田大学東アジア法研究所助手、早稲田大学文化構想学部社会構築論系助手を経て、現在、早稲田大学文学学術院助教。専門は日本近代史。早稲田大学東アジア法研究所研究所員も務める。(Wikipedia)

上記の本一冊で、関東大震災における“朝鮮人大虐殺”なるものが、たいした検証もなく受け入れられてしまっていたことが分かる。たしかに朝鮮人も少なからず死んだ。しかし、それが“虐殺”によるものであるという確たる証拠はない。多くの日本人が地震被害で死んだように、そこに住んでいた朝鮮人が死んだのだ。比率から考えれば、朝鮮人の死者は地震被害によるものと考えていいはずだ。たしかに朝鮮人への警戒は行われた。しかし、朝鮮人による暴動が実際に行われていた報道は複数ある。ならば、警戒は当たり前である。たしかな検証が必要である。
新聞1 新聞3 新聞2 クリックして大きな写真でご覧ください。

韓国で、関東大震災時の“朝鮮人大虐殺”の証拠なる写真がマスコミに取り上げられたことがあった。たいへん馬鹿馬鹿しい捏造写真だった。こんなものを証拠として取り上げざるをえないくらい、何もなかったということだ。

『関東大震災朝鮮人大虐殺証拠写真? こんなレベルで日本が辱められるとは・・・』
http://jhfk1413.blog.fc2.com/blog-entry-1510.html
まあ、何が出てくるんだか先入観を持たない検証を、しっかりやりましょうよ。 








 


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満州族の遺産(覚書)『岡田英弘著作集 Ⅵ 東アジア市の実像』

2015/5/21 Record China
チャイナドレスを15万人が披露❢艶やかにギネス申請ー中国
http://www.recordchina.co.jp/a109175.html
(抜粋)
この報道に対するインターネット上の反響で最も目立ったのは、「チャイナドレスは中国人(漢民族)の民族衣装ではない」との概念に関する意見。確かにチャイナドレスというのは漢民族の伝統的な衣装ではなく、満州族の衣装をベースに発展してきたものである。「美しいんだからいいじゃないか」「チャイナドレスも立派な民族衣装のひとつ」などさまざまな意見が飛んでいた。
そうだよね。チャイナドレスって、本来は胡服、満州服だよね。・・・あっ、いけない。満洲服だ。五行説では清朝は水の徳を持った王朝で、ために「さんずい」が使われるんだそうだ。本来の支那の女性は、京劇に出てくる女優さんが来ているようなものだそうだ。右のような・・・京劇
でも、その京劇も満州人が作り出した芸術だそうだ。あの役者のさえずるような滑からな“中国語”は、清朝時代の北京場内の人々が話していた純粋な北京語=北京官話なんだそうだ。“官話”というのは、・・・なんだろう。“官”の言葉ってことなら、役人の言葉か?

Wikipediaによると、『政官界で使われた言葉』という意味で、清朝時代の首都の置かれた北京の言葉だそうだ。・・・以下は、岡田英弘さんの本に教えてもらった話ね。

もともと、共通する言語もない広範な領域を支配する便利なツールとして発展したのが漢字。だから、伝達すべき内容に意味があったのであって、発音にはあまり頓着がない。というより、発音がバラバラだからこそ漢字が必要となったんだからね。その読みは、その時々の支配王朝の首都における発音が基準になった。清王朝時代の場合では北京における発音がそれで、これが北京官話ってことね。
『岡田英弘著作集 Ⅵ 東アジア市の実像』

藤原書店 ¥5,940

ーシナの影響下で盛衰してきた地域ー

17世紀、・・・まだ明王朝の時代ね。マゼランの切り開いた太平洋航路で、スペインの銀が大量に支那に流れ込んだ。支那は一気に銀で決済するようになり、猛烈な勢いで支那人の生活レベルが向上した。私たちが知っている中華料理のほとんどがこの頃に生まれたものだそうだ。うまいものを食って、きれいな女を侍らせるのが男たちのステータスとなり、満洲族の朝鮮人参がよく売れた。

満洲族も、頭目ごとに明の朝廷と結びついて利益を上げた。その中に清の太祖ヌルハチがいたわけだ。ヌルハチは取引上のトラブルから満洲族をまとめ上げることになり、そうしてできたのが後金であった。

その前、17世紀を目前にして行われた秀吉の唐入りによって明の軍は消耗しており、遼東地域には軍事的空白が生じていた。これがヌルハチに都合よく働いた。次のホンタイジの代には山海関の外に住む満洲族、モンゴル族、漢族は後金を大清にあらため、ホンタイジを皇帝とした。

そんな折、1644年、明が滅ぶ。四川省で起こった東方に波及し、首都北京が反乱軍の手に落ちた。皇帝は首をくくり、北京に力の空白が生まれた。明の大臣、官僚が瀋陽に使いをやり、山海関を開いて北京に招いた。このとき、ホンタイジはすでに亡く、7歳の順治帝が紫禁城の玉座についた。

その彼らが支那を支配するために身に付けた支那語が北京官話。

さて、
辛亥革命前後から、日本に留学したインテリたちは、こぞって共通語の必要を感じるようになり、魯迅などが中心になって、北京官話を基礎にして作ったのが現在の支那の共通語とされる「普通話」ね。だから、この「普通話」って満洲なまりなんだって。

どうやら、現代の支那というのは、濃厚に《満洲族》を残した国家なんだな。よく、「中華は周辺の蛮族に征服されるが、文化面では逆に蛮族が中華に支配されていく」とかって言われるけど、全然違ったんだね。支那が“蛮族”に染め上げられ、支那はそれを、もともと自分のものであるかのように詐称しているに過ぎなかったんだな。

領土もね。





 




 


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追悼 岡崎久彦様 『国際情勢判断半世紀』 岡崎久彦 

岡崎さんは昭和五年生まれだったのか。親父とおんなじ世代だな。親父は昭和三年だからさ。その親父が死んで、はや一〇年か。何だかさ、この本読んでいて、ところどころで親父の顔が思い浮かんだ。

敗戦は一五歳でしょ。親父は一六歳。でも立場は違うけどね。親父は貧乏公務員のこせがれで七人兄弟の二番目の長男。国民学校高等科を出て、昭和電工に小間使いとして働きながら定時制を出て兄弟姉妹の面倒を見た。

岡崎さんは、紀州藩出身で農林相も務めた立憲政友会の重鎮、岡崎邦輔の孫。邦輔は陸奥宗光の従兄弟に当たるっていうんだからね。

でもね。そんな立場を超えて、同じ時代を生きた日本人を感じるんだ。この二人の、今は亡き日本人には・・・。

敗戦を一五・一六歳で迎えたってことは重大だと思うんだ。人格はほぼ完成されていて、そこまでに受けた教育は戦前の者。・・・ということは戦前の人間なんだな。しかも、岡崎さんはもうしばらくの間、学生として自由な思考力をはぐくむ時間に恵まれる。生活に追われてはいても、岡崎さん同様、親父も社会的責任からは自由な立場にあり、占領軍に精神の自由を侵される心配もなかった。そのあたり、祖父は多少、苦しんだらしいが・・・。

そのせいか、健全だよね。精神が・・・。
『国際情勢判断半世紀』  岡崎久彦 

育鵬社 ¥1,836

ー鷲鳥は群れずー

 戦後、昭和二二年、二三年頃には、東大でもマルクス主義が復活しました。その背景には、米国による初期占領政策とマルキシズムの意図が。ぴたりと合ったことがあります。アメリカの初期占領政策は、今までの敵だった日本が精神的に復興しないこと、自分の国を守れるような国にしないことが目的だったからです。
 共産党の政策は、中国やソ連が日本を占領するときに備え、あらかじめ抵抗精神を奪っておくことですから、目的は同じです。そしてGHQの言うとおりに日教組が学校で教えることになるわけです。
本書p35
だから、その世代の人たちって、そういう教育を受けてるわけだよね。もちろん学校教育だけじゃなく、GHQは公職追放や私信を含めた徹底的な検閲、多種多様な社会教育を通して日本人を精神的に支配した。

そんな精神支配から自由でいられたのは、やっぱり生まれた時代も微妙に関係しているんだろうな。もっと早い大正世代は戦争まっただ中の世代で戦場体験はあまりにもリアルすぎる。戦後になると、彼らや明治後半世代は、社会的にその指導的立場から、人生を左右されることになる。

国民学校世代なら、墨塗り教科書で戦前日本を否定させられる経験を持つわけだし、さらに若けりゃちょうど上記の世代になる。

たとえば大江健三郎なんて昭和一〇年生まれなわけよ。ちょうど一〇歳で精神は激震を受けたんだろうね。もしも、そこを通りぬけてりゃあ、何かが違ったかもよ。

なんだか、長い間 ”左じゃなきゃ右”って言われてさ。最近、少し雰囲気が変わったかなって思ったら、“右じゃなきゃ左” っていう言い方もあるとか、ないとか。

岡崎さんは“保守派の論客”?・・・そのあたりにご自身が触れている部分があった。というのも、もともと岡崎家は大正デモクラシーを体現するリベラルな家系なんだそうだ。そう、リベラルって、別に“個人主義”とか“反国家”であることを求められるわけじゃないよね。親父もそうだったけど、右だろうが、左だろうが、私を捨てて公のためを図るっていう姿勢に変わりはなかったよね。 
『戦前の人はみんな愛国者です。戦後左翼の盛んなころは、そういう考え方をオールドリベラリストと呼びました。そういう意味では私は根っからのオールドリベラリストと言えるでしょう』


私は、安易に左に走って、親父に迷惑をかけた経験がある。何にも言わなかったけど、親父はがっかりしたことだろう。・・・ちょっと、墓参りでも言ってくるかな。父の日がどうのってわけじゃないけどさ。








 


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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本












































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