めんどくせぇことばかり 2015年12月
FC2ブログ

ただの人種差別(覚書)『恐怖の環境テロリスト』 佐々木正明

「殺し屋たちが出て行った。不幸の一日がまたはじまるのよ」
「今日は波が穏やか。イルカにとっては最悪の状況よ」
「賢く美しい創造物が、無慈悲に命を奪われている。イルカは、海の生態系にとってとっても大事な動物。人間が搾取してはいけない」
「私たちは肉や魚を食べない。私は、動物たちの生きる権利を守りたいの。自分がどうなってもいい。信念のために死ぬ用意はできているわ」
「なんでお前たちはここにいるんだよ」
「家に帰れよ」
「世界中の人達があんたらを嫌いなんだよ」
「イルカを殺さないで」
「このままみんなに一生、殺人鬼と言われたいの?」
「イルカを殺すのをやめたら、私たちもいなくなるし、また静かな街に戻るわよ」
「職を探して新しい仕事をしたらいいのよ」
「やましいことをしているから恥じているのだ」
「完璧な臆病者ね。写真をとられるのが嫌だったら、そのまま帰ってよ」
「あなた達のやってることはこの国の恥なのよ」
「あなた達のおかげで1億人の日本人が恥ずかしい思いをしているのがわかっているのか?」
「その手でイルカの赤ちゃんを殺しているのね。あんた、自分の子供を殺したりもするの?」
「これは、あなた達の文化なのか?海を血で染めて、環境を破壊することがあなた達の文化なのか?」
「目の前でイルカが殺される悲しみは、人間が殺されるのと同じ辛さだ。赤い血で海が真っ赤に染まる光景は、残虐極まりない。非道な漁師たちは野蛮な殺し屋にすぎない」
「キリスト教会は長らく、コペルニクスやニュートンを信じなかった。ガリレオは迫害された。しかし、科学は地球が丸いことを突き止め、地球が太陽の周りを回っていることを証明した。そうして、人々が地動説を受け入れた。漁師たちも、イルカを殺してはいけないことを認めるときがかならずやってくる」
「太地町でイルカをいたぶる変質者と、岩手でネズミイルカをいたぶる変質者の行動は常軌を逸しており、決して許されるべきではない」

“一体何だ”と、びっくりされたでしょうが、ここまで読まれればお分かりでしょう。来日したシー・シェパードの連中が、太地町の漁師の方々に吐いた呪詛の数々です。まったくなんてことでしょう。人口三二〇〇人しかいない大地町。そのなかで数十人の漁師で作る「いさな組合」こそが、シー・シェパードの攻撃対象。かたやシー・シェパードはアメリカの社会や政治だけでなく、世界的企業をも動かしうるパワーを持っている。
『恐怖の環境テロリスト』  佐々木正明

新潮新書  ¥ 時価
エコのためなら人でも殺す。彼らはカルト思想と違法手段で武装した環境テロリスト

ネプチューンの声が大空に雷のごとくとどろき渡り
神は怒りを込めて深き海底の床を打ちのめした
沿岸の地から、死者を悼む人類の嘆きの声がこだまする
・・・海は盛り上がり、疾風迅雷のごとく沿岸の地に打ち付けた
日の昇る東の地より
海という海が下した恐ろしい天罰が、大地にはじけた
心構えすることも逃げることにもわずかな時間しかなく
力に耐える人間は皆無なり
『Tsunami』ポール・ワトソン
あの男の書いた詩です。解説の必要はありませんね。日本人が死ぬことには、何の心の動きもないようですね。いや、間違いました。心が動いてますね。・・・うれしそうだ。

ちなみにあの時、シー・シェパードの連中が被災した岩手県大槌町でイルカ漁にかかわる漁師や魚市場などをビデオやカメラで撮影していたそうですね。その日、メンバー6人が乗用車で監視活動中で、地震後、津波から逃れるため高台に避難。その後、宿泊先のホテルがある約50キロ離れた遠野市に向けて徒歩で移動を始め、途中から地元住民の車に乗せてもらい、食事の提供も受けていたそうですね。彼らも天罰が下っちゃったんだね。



にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

12/30のツイートまとめ

  復刻 わしみみずく 鯉のぼり
娘が作っている張り子です。
良かったら立ち寄ってやって下さい。
 
http://hayashiya.shop-pro.jp/     
 DSCF0871.jpg


安田さん拘束情報、「国境なき記者団」が撤回 https://t.co/ShwgmdB6LA  
記者犠牲、今年は67人…国境なき記者団発表 最多はイラク、人質なお54人 - 産経ニュース https://t.co/KnXQbGkA3J

イラク軍、ラマディ「解放」を宣言 政府庁舎に国旗掲揚 https://t.co/Bj7SFwi9cO

イラク軍、要衝ラマディを「イスラム国」から奪還 https://t.co/Kx8JxB6ydl

ベルギーで大みそかに攻撃計画か、家宅捜索で2人逮捕 https://t.co/3wROAAhI20

大気汚染の悪化で交通規制 イタリア・ミラノ 写真6枚 https://t.co/h67inrJFqI

残土計画図を20カ月提出せず| 福島民報 https://t.co/G7NGVpiCSy

不況深刻、五輪に波及=支持率低迷で混乱拍車-苦境の大統領、就任1年・ブラジル 写真1枚https://t.co/ii0fEqhkLT  

サーチナ|「軍隊生活を耐えられなかった若者」を処罰 教育の機会、出国の権利を剥奪=中国 https://t.co/vE6HT6EUk2

中国でプロパガンダ氾濫 文革の紅衛兵世代実権握ったためか│NEWSポストセブン https://t.co/N6bQDdCBDr

中国、日本国土の11倍超が「砂漠」…無秩序開墾など原因 5年前よりは減少  - 産経ニュース https://t.co/j9c4hSum8J

オバマ大統領が南沙諸島に軍艦を送らない理由 https://t.co/x5cZ4Vg9Ku

米警官また黒人射殺、19歳と55歳の2人死亡 シカゴ市長の責任問う声も - 産経ニュース https://t.co/R34PUS13K9

対テロ戦争、「勝者はテロリスト」 米世論調査 https://t.co/rY0Eqm4aK3

:NY原油 供給過剰の見方で36ドル台半ばに下落 NHKニュース https://t.co/wFGEma1cZX

有志連合とロシアの空爆を一緒にしてはいけない理由 https://t.co/R79krWCZEK

赤の広場、大晦日に初めて封鎖へ ロシア https://t.co/SS9dNJrTyU

慰安婦問題の日韓合意、韓国メディア「日本政府が世論操作」と一斉非難―中国紙 https://t.co/ZFJPPLiZaJ

韓国、遺産登録不参加は事実無根 慰安婦資料で https://t.co/LTdiDeq1pF

【「慰安婦」日韓合意】中国、にじむ悔しさ…歴史共闘、韓国“離脱”の動き - 産経ニュース https://t.co/KtULNTJMvW  

「事前に協議なかった」 元慰安婦女性が韓国次官に抗議 https://t.co/2wHpHSGdKu

韓国次官が日本との合意内容を説明 慰安婦被害者は反発 https://t.co/jhaMALbYKe

時事ドットコム:「不可逆的」は相互の約束=韓国当局者 https://t.co/BT3eHPh7uN

日韓こじれたのは日本の硬直的立場に原因…米紙https://t.co/Dgg3nQhbP2

台湾の元慰安婦にも措置を…日本側に協議要求 : 読売新聞 https://t.co/SAJC4Abpt6

中国の元慰安婦も「適切な解決」を…中国外務省 : 読売新聞 https://t.co/yxkvO56J6j

【「慰安婦」日韓合意】妥結促してきた米国「蒸し返しなし」に期待感 独豪など歓迎声明続々 - 産経ニュース https://t.co/yvNsndPldj

【「慰安婦」日韓合意】インドネシア 「対話を歓迎」日韓関係改善に期待感 - 産経ニュース https://t.co/Ydm2iCc8P5

【「慰安婦」日韓合意】豪政府も歓迎声明「不可欠な和解、達成への指導力たたえる」 - 産経ニュース https://t.co/WwNJA3Gdvo

【「慰安婦」日韓合意】アムネスティが批判「正義の回復よりも責任を免れるための政治的取引だ」 - 産経ニュース https://t.co/bxEtWsD2An

ボコ・ハラム、2日間で50人超殺害 ナイジェリア 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News https://t.co/6JeYMUwIta

沖ノ鳥島サンゴ礁回復作業に英FT紙「南沙の人工島と同じ」 https://t.co/5yzRov3MhX

海外「なんて神秘的な国なんだ!」 神話の舞台にある参道の美しさが話題に https://t.co/JxzBibn15Q

時事ドットコム:自爆テロで26人死亡=パキスタン https://t.co/sKKQYO1URy

北朝鮮、脱北を幇助した民間人5人を銃殺刑に https://t.co/D9ebETGdW5





にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
 

マスコミの餌食(覚書)『ドキュメント 道迷い遭難』 羽根田治

地元にいてはわからなかったが、そこから出てみると分かる。地元って、埼玉県の秩父なんだけど、よその人から見れば、秩父自体が山。しかも、秩父の象徴でもある武甲山の山麓の生まれ。そんな私だけど、高校で山岳部に入るって言った時は、家族みんなから反対された。
以前書いたことがあるかもしれないが、そのとき祖母は、「探しづらいところで遭難するな」っていうような意味のことを言った。「お前は死んでも・・・」なんて意味で行ったわけじゃないんだけど、遭難救助の費用負担で田畑売って家が潰れることもあるってことを言っていた。

だから、もし、万が一、遭難するようなことがあっても、探してもらえないかもしれないし、探してもらって家が潰れたりしたら困るから、そういう時は探してほしくないなって思ってた。・・・まあ、大前提として、遭難するなんて思って山に行ってないけどね。

山と渓谷社  ¥ 1,728
「おかしいなと思ったら引き返せ」「道に迷ったら、沢を降りるな」
どんなに人命が尊ばれようが、どんなに行政が登山道を整備しようが、好き好んで山に行くならば、基本的に自己責任。もしも最悪の事態を迎えたとしても、自己責任。また、探されてしまっても、救助されてしまっても、それは自己責任なんだな。

この本には七つの遭難の事例が紹介されている。その六つ目が《房総・麻綿原高原 二〇〇三年十一月》という“できごと”。今、“できごと”としたのには意味がある。“遭難”には、代償がつきまとう。自分の身体や、時には命が代償となる。多額の救助費用を要求されることもある。だけどそれだけじゃない。救助が始まれば、赤の他人に予定外の苦労を強いることもある。人にその身を危険に晒させてしまうことも、決してないわけじゃない。

だけど、これは遭難か?
雑誌『新ハイキング』会員を中心に、雑誌に掲載された該当の山行計画につどった会員以外からも参加できる「合同山行」と呼ばれる山行にすぎない。そこには何の金銭関係も発生していないんだから、当然ツアー登山ではない。コースは石尊山から麻綿原高原までの縦走ルート。
三十人の山行だったそうだ。雑誌会員の企画、募集で始まった山行という性質上、リーダーシップの所在は自ずから定まる。また各参加者にしても、それを前提として参加した以上、リーダーの指導が常識の範囲であればそれに従うのが参加者の節度である。今回の場合、リーダー側にも、参加者側にも著しい落ち度のようなものはない。

道迷いと、幾つかのちょっとした不手際と不運な巡り合わせから、日帰りのはずが林道近くでビバーク。結果として救助が始まってしまった。
高取山
救助活動が始まってしまったが、予定外の苦労、あるいはその身を危険に晒させるような事態にも至っていない。万が一、そういった事態が発生したとしても、遭難者が頭を下げなきゃいけないのは救助関係者であって、マスコミじゃない。

それにしても見て、上の地図。・・・とても見にくいでしょうけど。等高線緩いしさ。緩い範囲で高低差が激しそうでね。見るからに厄介で、とても楽しそう。ここを歩くんなら、多少のことは“ある”ことが前提になりそう。そんなこと知りもしないマスコミが、「何人くらい死んだかな」って食らいついてきたことが、原因の八〇%かな。
  • 麻綿原高原に下りて行くと、待ち構えていた大勢の報道陣が嶋田らに殺到した。数えきれないほどマイクをつきつけられ、「なんで連絡しなかったんだ」「非常識だ」「無責任だ」という言葉が次から次へと浴びせられた。「私が話をするから、ほかの人は勘弁してくれ」と島田が言っても、誰も聞いてくれなかった。
  • 護送車で対策本部の置かれた清澄寺に搬送された。そこもまたテレビ局や新聞社の巣窟となっていた。報道陣からは「記者会見しろ」という声が上がり始めた。
  • 会見では「計画が不備だったのでは?」「どうして連絡しなかったのか?」「責任は?」と言った質問に終止した。下山してくる途中から同じような質問を浴びせられていた嶋田は最後にとうとう堪忍袋の緒が切れて、「批判はあると思うが、私の判断は間違っていなかった」と言い切ってしまった。嶋田はマスコミから袋叩きの格好となり、最後はお巡りさんが「もうやめろ」といって会見をうち切った。
  • 会見の後、大手新聞社の記者が「ちょっとお話を」と嶋田に近づいてきた。「今は手が離せないからかんべんしてくれ」と言ったら、こう捨て台詞を吐いた。「話してもらえないならそれでも構いませんよ。それなりの書き方がありますから」
  • テレビのニュースでは、ちゃんと始末したはずの焚き火の燃え残りが地面の上に積み上げられていたということだった。「焚き火の燃えカスが残っています。ここで一夜を明かしたのでしょう」というナレーションがその映像に重ねられていた。
  • 名簿は公表しなかったにも関わらず、参加者の何人かの家には報道陣が押しかけた。嶋田の家の縁側には靴底の後がついていた。

ここに出てくる“嶋田”さんという方が、リーダーの方。このできごとののち、心因性の神経症にかかってしまい、安定剤を手放せたのはずいぶんと経ってからだという。

これは遭難じゃなく、マスコミが作り上げた騒動だね。・・・まあ、マスコミにしてみれば、期待してたのに一人も死なずに帰ってきたことが許せなかったんだろうね。


にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

福沢諭吉の反論(覚書)『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』 施 光恒

産経ニュース 2015/12/24
日本語は世界で唯一“植民化”されなかった言語 国際人たる前に「立派な日本人」であれ
http://www.sankei.com/west/news/151224/wst1512240009-n1.html
(抜粋)
日本の文化力が、なぜ世界中で図抜けているかと問われれば、「人類史を通じて、日本語が唯一、植民化されなかった言語であり、そこに独自の客観的世界観が凝縮されているから」と答えられるでしょう。
今年読んだ本の中でも、もっとも感銘を受けた、衝撃を受けた本の一つ。夏に読んだ本なんだけど、この本だけで、今回を含めて六度目の記事になる。そんだけ危機感が強いということ・・・。えっ?本が読めてないんじゃないかって?ななっ、なんてことを・・・、なんてことを・・・。・・・ああ~

ただ、強く危機感を持ってるのは本当よ。とくに文科省の進めている大学改革。実は、ついこの間、十二月十五日の記事に、『池上彰の“ニュースそうだったのか”』に寄せて書いたんだけど、大学では今、原則英語による授業を計画している学校が多い。これがグローバル化? 馬鹿もほどほどにして欲しい。

上の産経ニュースの記事、ぜひ読んでね。相手の勝手なルール改正に鼻面引っ張りまわされるのは、そろそろうんざり。

集英社新書  ¥ 821

漱石、諭吉もあきれた明治の英語公用語化論の再来 進んで「植民地」に堕ちるのか
薩摩出身の森有礼は“英語公用語化論者”として知られる。その森有礼が初代文部大臣になったんだから、英語公用語化って本当にありえたんだな。森有礼は明治五年にはそういう考え方を表明していたらしく、けっこう論議されたらしい。この本に、福沢諭吉の反対論が載っていて、それを紹介しておこうと思う。
森有礼氏の如きは(・・・中略・・・)西洋流のスピーチは西洋語に非ざれば叶わず、日本語は唯談話応対に適するのみ、公衆に向かって思うところを述ぶべき性質の語に非ず云々など反対するゆえ、余は之を反駁し、一国の国民がその国の言葉を以て自由自在に談話しながら公衆に向かって語ることが出来ぬとは些少の理由なきのみならず、現に我が国にも古来今に至るまで立派にスピーチの慣行あり。君は生来寺の坊主の説法を聴聞したる事なきや。説法を聞かずとなれば寄席の軍談講釈にても滑稽噺にても苦しからず。すべて是れ一人の人が大勢の人を相手に我が思うところを述ぶるの法なれば、取りも直さずスピーチなり。
明治七年六月七日集会の演説
たしかに一八八〇年ころまでは、日本語で書かれた教科書もなく、西洋の学問をおさめた日本人もいないんだから、日本語で教えられる教師がいない。先生はみんなお雇い外国人でね。明治最初期の知識人である岡倉天心、内村鑑三、新島襄らは、みんな英語で学問を学んだ。それ以外の方法がなかったから必死さが違ったのか、いずれも英語で名文が書ける。おそらくしっかり学問を表現しようとしたら、日本語は不便でたまんなかったろうね。言葉がないんだから・・・。


だけど、それで英語を公用語にしていたら、大半の日本人は一流の学問から切り離されていた。最初期の知識人は、日本人が西欧文明を使いこなしていけることを証明して見せた。あとは言葉のハンデだけ。福沢諭吉はさらに次のように述べる。
書生が日本の言語は不便利にして文章も演説も出来ぬゆえ、英語を使い英文を用いるなぞと、取るにも足らぬ馬鹿を言う者あり。按ずるにこの書生は日本に生まれて未だ十分に日本語を用いたる事なき男ならん。国の言葉は、その国に事物の繁多なる割合に従って次第に増加し、毫も不自由なき筈のものなり。何はさておき、今の日本人は今の日本語を巧みに用いて弁舌の上達せんことを勉むべきなり。
『学問のすゝめ』

文科省は、《グローバル化の進展の中で、国際共通語である英語力の向上は日本の将来にとって極めて重要である》とかって英語で話ができないと置いていかれるように言って国民を焦らせてるけど、コミュニケーションのための英語なんて、しょせん道具でしょ。道具は道具としての役割さえ果たせればそれでいい。

問題は思考。英語で思考するということになれば、そりゃいくら頑張ったって英語文化圏には敵わない。そうやって欧米に追随せざるをえなくなったんじゃないの、AALAはさ。土着語で議論して、土着語で考える。世界の最先端に立ってね。それができるようにするのが、英語の得意な人たちが考えていかなきゃならないことなんじゃないの。・・・こら、書生・・・えっ?・・・あの・その


にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

『ドキュメント 道迷い遭難』 羽根田治

ずいぶん前の本なんだよね。二〇〇六年。・・・あれ、新しく文庫で出てるんだ。新しいのはヤマケイ文庫で、なんと今年の九月に出てるんだ。古い方で読んじゃったけど、偶然にもタイムリー。
おんなじような仕事しているやつで、私より少し十歳くらい若いのが学生つれて山に行くって言うんで、聞かれるままに谷川のルートだの、筑波や赤城だのの様子を教えてやった。なんだか百名山ばっかり聞いてくるなって思ったら、最初からそのつもりだったらしい。その方が山を知らない学生たちの受けがいいらしんだな。
それがね、すごいんだってさ。まあ、紅葉シーズの週末ってこともあるけど、谷川に行くって言うから、連れて行くそいつも初めてだって言うから、天神尾根コースすすめたの。ロープウェイ使って・・・。

そしたらね。「混んでた~」っていうからロープウェイのことだと思って、「紅葉の時期だかんね」って言ったら、それもそうだけど、登山道そのものが混んでるんだって。行列だって・・・。「富士山じゃあるまいし」って言ったら、そうなんだって。・・・本当かな。嫌気がさして、山小屋まで行く前に名誉ある撤退をしたって言ってるんだけど。ちなみに、そのあとで行った筑波はもっとひどかったって・・・。まいったな。山の一番の良さは、人がいないってことなのに。

たまんねぇな、団塊の世代。・・・根拠はないけど、勢いはすごいからな。・・・団塊の方々、・・・これは褒め言葉ですからね。ただ、山に行く前に、是非、この本読んどいてね。
山と渓谷社  ¥ 1,728
「おかしいなと思ったら引き返せ」「道に迷ったら、沢を降りるな」
南アルプス 荒川三山  一九九九年八月
北アルプス 常念岳  二〇〇一年一月
南アルプス 北岳    二〇〇一年九月
群馬 上州武尊岳  二〇〇二年五月
北信 高沢山  二〇〇三年五月
房総 麻綿原高原  二〇〇三年十一月
奥秩父 和名倉山  二〇〇五年五月 
へそが曲がってるからね。こっちって言われりゃあっち、あっちって言われりゃこっち。それじゃあ命がいくつあっても足りないけど、“道は間違えるもの”くらいの認識は必要だよね。私はよく間違えたからね。

山が好きよ。でも、それに近いくらい、地図でルートを想像するのが好き。ルートを外しそうな場所ってのは、地図でもけっこう分かる。そこで間違えて、やばい沢に下っていく自分を想像すると、・・・ワクワクする。どっちかって言うと、道を外れたほうが面白い。・・・質が悪い。

最近はずいぶんと表示が整備されたっていろいろな本に書いてあるけど、やっぱり山だからね。道って言ったってけもの道だってあるし、山仕事の道だってあるしね。本来のルートのほうが疑わしく思える場合なんていくらだってある。「おかしいなって思ったら引き返せ」って言うけど、引き返したって、まだ疑わしい。

だったら片っ端から入っては引き返し、入っては引き返しして本来の道を探す。めったにあることじゃないけど、そういう場合もある。

この本には七つの遭難が紹介されている。紹介されるくらいに詳細がわかってるわけだから、いずれも生還した。やっぱり、失敗からのほうが、遥かに勉強になる。取材に応じてくれた方々に感謝する。お陰でどれだけの悲劇を未然に防げたか。これからも防げるか。

高校の時、それも一年の時、のべつ幕なし山に登ってたんだけど、とある秋口の金曜日に、山岳部の奴らと「どこいく?」って。なかなか思いつかなかったので、顧問の先生に聞いた。・・・(言ってなかったけど、私は秩父、秩父高校山岳部)・・・その時先生が紹介したのが《和名倉》でした。
和名倉は、影森にある私の実家からも見える。まあ、先生も言ってるし、気軽に出掛けた。土曜日、当時の土曜日は学校やってたから午後から出かけて、二瀬ダムの吊橋を渡ったのはどっちかって言うと夕方。
この本の遭難記事にもある通り、和名倉はもともと山仕事の人が入るところだから、登山道とは関係なく、けっこうはっきりした、あるいははっきりしない踏み跡が縦横無尽についている。しかも展望があまりないので、自分の位置を確認するのがけっこうめんどくさい。「**先生、こんな山紹介しやがって」とか、いくら言っても来たのは自分だからね。ひたすら方位を確認して、山の東側斜面をできるかぎり上へ上へ。

途中、中腹の秩父が見渡せる場所で幕営。おそらくここは、実家から見えるところだな。代わりばんこに好きな女の子の名前を叫んで、思い残すところなく・・・、いやいや、まったく悲壮感なく。・・・翌日は山頂を踏んで将監峠まで足を伸ばし、吊橋まで走り下りた。ちなみに私は下山家と呼ばれていた。月曜日に顧問の先生に報告に行ったら、「よく帰ってこれたね」って言ってた。

私の知り合いに二人、帰ってこなかった奴がいる。一人は正月の聖岳。一人は妙高。前者は風邪を抱えての疲労死。後者は雪崩。前者は和名倉の仲間。後者は後輩。・・・それが自分であっても、何の疑問もない。


にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

モンゴル略史(覚書)『墓標なき草原』 楊海英

Searchina 2015/12/21
政府「出先機関」襲撃事件、内モンゴル当局と甘粛省警察などが現場で「対決」
http://news.searchina.net/id/1597705?page=1
(抜粋)
中国メディアの新浪網によると、6日未明に内モンゴル自治区西部のアラシャン盟エジナ旗(漢字表記は「阿拉善盟額済納旗」)の総合執法検査站(総合公務執行検査ステーション)が襲撃された事件で、甘粛省側の警察関係者とみられる37人が13日、現場に入ろうとして内モンゴル側の警備員と「対決状態」になったことが分かった。
上のニュースなんだけど、紹介してみたけど、実は消化してないままなんだな。これがモンゴルの人々にとって、漢人にとって、共産党政府にとってどんな意味を持っているのか。もとの事件は六日に起こっていて、百人の覆面集団が政府出先機関を襲撃している《http://kabutan.jp/news/marketnews/?b=n201512070412》。死者を出してないと言っても、襲撃されたのは政府出先機関。六日に発生した事件に対して、続報が二一日。何が起こってるんだろう。

チベットやウイグルがひどい目に合わされてきたことは聞いてたけど、モンゴルがこんなにも悲惨だったなんてね。内モンゴルって呼ばれる地域ね。しかも、ヤルタ協定に基づいて内モンゴルが支那に属することになったとすれば、日本も強く関わっていることになる。

岩波書店  ¥ 3,348

内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録
はじめにー内モンゴルの文化大革命に至る道
序章 「社会主義中国は、貧しい人々の味方」ー中国共産党を信じた牧畜民バイワル
第Ⅰ部  日本刀をぶら下げた連中
第1章  日本から学んだモンゴル人の共産主義思想ー一高生トブシン、毛沢東の百花斉放に散る
第2章  「亡国の輩になりたくなかった」ー満洲建国大学のトグスの夢
第3章  「モンゴル族は中国の奴隷に過ぎない」ー「内モンゴルのシンドラー」、ジュテークチ
第Ⅱ部  ジュニアたちの造反
第4章  「動物園」の烽火ー師範学園のモンゴル人造反派ハラフー
第5章  陰謀の集大成としての文化大革命ー師範大学名誉教授リンセの経験
第6章  漢人農民が完成させた「光栄な殺戮」ー草原の造反派フレルバートル

一三六八年、大都北京にいた元朝皇帝は、万里の長城の北側の草原に撤退し、漢人の故郷には明朝が成立した。朱元璋が皇帝となり、都は南京に置かれた。

モンゴル高原に戻った遊牧民たちは万里の長城の北側に立っていした後も、引き続き、元という国号を用い続けた。一七世紀になると、今度は別の遊牧狩猟民が大興安嶺の東の森の中から姿を現した。満州人である。モンゴル人が新興勢力である満州人を草原の大ハーンとして認めたのは一六三五年のことであった。翌年、満州人が奉天を都に大清という王朝を建てた時、ゴビ砂漠の南に分布するモンゴル人たちも、その建国の儀式に参列した。

清王朝の臣民となったモンゴル人たちは、その後、大清の戦死として闘い、漢土だけでなく、チベットや東トルキスタンまでをすべて清朝の領土に変えていった。

一九世紀となり、モンゴル人は西洋の軍隊とも戦ったが、重火器の時代の前に騎馬の戦士たちは退潮を余儀なくされた。清朝時代、満州人の強い軍事同盟者だったモンゴル人たちは、清朝の準支配層の地位を与えられ、彼らの故郷である草原も手厚く保護され、漢人の流入は厳しく禁じられていた。しかし、西欧列強に敗れて莫大な賠償金を課された清朝は、ついに長城の関所を開いて草原を漢人農民たちに開放した。この時から、遊牧を続けながら草原を守ろうとするモンゴル人と、畑を開拓したい漢人との衝突が避けられない事態となる。

その最初の典型例が、一八九一年の金丹道の乱である。無数の漢人農民が内モンゴルの南東部で反乱を起こした。金丹道の乱はモンゴル人社会に大きな恐怖と深刻な影響を残した。暴力に訴えれば、モンゴル人たちは簡単に屈服し、土地も手に入る。そう漢人たちは信じるようになる。しかも漢人たちは、自分たちのその行為を、自分たちの貧困と没落の原因をモンゴル人の存在と結びつけることで正当化した。金丹道の乱で土地を獲得した彼らの社会には、いつしか虐殺は裕福になるための手段だと考える精神的土壌ができあがっていた。

清朝は満州人の帝国だったが、満州人の皇帝をいただく漢人たちはその支配のもとで「中国人意識」とでも呼べそうな一体感を強めた。そして清朝末期、西欧列強に有効な政策を打ち出せない満州人に“無能な支配層”と見るようになっていった。漢人は濃厚を嗜まない満州人を、モンゴル人同様、「野蛮な異族」と認識しつつも、それまでの支那のどの王朝よりも拡張した清朝の領土だけは、「中国人の領土」と認識するようになった。清朝打倒に執念を燃やした孫文は、「韃虜の駆除」をスローガンの一つとして掲げた。漢人の民族主義を鼓舞した彼と中華民国には、そもそも“韃虜”たるモンゴル人、満州人、チベット人らに合法的地位を与えるつもりはさらさらなかった。

駆逐される対象となったモンゴル人は自決の道を選んだ。一九一一年に清朝が崩壊すると、モンゴル高原の住民たちは独立を宣言した。ゴビ砂漠の南の位置する内モンゴルのモンゴル人たちも、それに呼応しようとした。しかし、金丹道の後継者である漢人軍閥は、すでに内モンゴルの草原に確固たる地位を築き、モンゴル人の独立機運を力で抑えこんだ。内モンゴルのモンゴル人に残された道は、歓迎せぬ漢人入植者との共生しかなかった。

金丹道の乱から五十数年後の一九四〇年代後半、中国共産党員たちが解放者と称して内モンゴルの草原に入ってくる。漢人共産主義者たちは広い放牧地を持つ遊牧民を「搾取階級」と認定して、その草原を奪い貧しい漢人農民に分け与えた。漢人農民たちは共産党を熱烈に擁護して、モンゴル人を殺害するという「平和的な土地改革」に積極的に呼応した。


にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

『黒部の山賊 アルプスの怪』 伊藤正一

なつかしい本だな~。いつ読んだかも、よく覚えてない。もちろん私が呼んだのは、この装丁の本じゃない。・・・徳沢の小屋だ。なんかで停滞しなきゃいけなかったとき、徳沢の小屋にコーヒー飲みに行って、そこで読んだんだ。そうそう、徳沢にテント張ってたんだ。なんか雪があったような気がする。
表紙はたしか、畦地梅太郎だったけど、さすがにamazonでも、この本はないみたい。畦地梅太郎さんの「あとりえ・う」というHPを見せていただいたら、こんな絵があって、たしかこれが表紙の絵だな。畦地
書いたのは、長く北アルプスの最深部である黒部源流の山々と、三俣、雲ノ平、水晶、湯俣などの山小屋経営にかかわってきた伊藤正一さん。その伊藤さんと山賊たち、・・・山に生きる愛すべき人々との、ビックリするような山話。
山と渓谷社  ¥ 1,296

山賊がいた!カッパもいた!?北アルプス登山黎明期、驚天動地の昔話。
山小屋だけで買えた、山岳名著が復活!

山賊たちとの出合い
山賊の舞台・黒部源流  自分の小屋に宿料を払う  山賊対策会議  山賊たちの正体
山賊との奇妙な生活
山賊一味と暮らす  山賊事件の真相  山賊たちの熊狩り  山賊とイワナ
埋蔵金に憑かれた男たち
星勇九朗の大金鉱  本当にあるのか山中の埋蔵金
山のバケモノたち
水晶だけの白骨  バケモノに呼ばれた人たち  神がくし  三本指の足跡  カッパの正体
山の遭難と登山者
薬師だけの遭難  不思議な遭難  疑われた同行者  非常な同行者  謎の手紙
山小屋生活あれこれ
山ぼけ  山小屋の費用  アルプスへの空輸  熊をならす  山で育った犬
その後の山賊たち
クロヨンと山賊たち  その後の山賊たち  

一番最初は昭和三九年に出てるんだ。東京オリンピックの年だ。私は四歳。話の始まりは烏帽子山麓濁沢小屋慈大生殺人事件で、昭和二一年のできごと。終戦直後の食糧不足の中での事件ということで、私が生まれる一四年前。そうか、私は昭和三五年生まれで、高度成長の申し子みたいなもんだからな。

戦後の混乱期に、里の混乱を写すように混乱した山に入った著者が、山賊たちとの山暮らしの様子を書いた本なわけだ。そして、里における高度経済成長の様子もまた、きっと山は写していたんだな。高度経済成長が軌道に乗るあたりまでの十七・八年間の話ということだから、一番面白いところだね。

私が初めて北アルプスに行ったのは、高校一年の時。昭和五〇年だ。三俣蓮華はそのときに通過している。でもまだ、山は静かだったな。富山から入って、薬師岳・北ノ俣・黒部五郎・三俣蓮華・双六・槍・上高地っていうルートだった。そのときから十年もすると、ずいぶん年配の登山者が増えて、山もにぎやかになったけど、そのころは、まだまだ静かだったな。

そのとき、この本にも書いてあった薬師岳の遭難事故の碑のところで休憩した。太郎小屋からのピストンで、顧問の先生もいなかったので、遭難碑に足を向けて昼寝した。部員は愛知大の遭難者と同じ十三名。その夜、三人が熱を出してうなされた。

この本は、昭和三九年に出ブルーガイド・ブラザースから出されて、平成六年には実業之友社から出されてる。で、今度は山と渓谷社から二〇一四年に出されたわけだ。

私は、いつ読んだんだっけな。表紙の絵はたしかにあの絵。平成六年よりも前なのは間違いないんだけどね。なんであの時、一人で徳沢のテントキーパーしてたんだっけな。春山だった気がするんだけど・・・。
どうしようもなく山に登りたい。それも北アルプス最深部、黒部源流の山々に行きたい。股関節を手術したら登れるかな。そんなにお金をかけられる身分じゃないけど、それでも何とか登りたい。富山からは遠いよね。上高地からだと、槍ヶ岳登るあたりで力尽きそう。新穂高から入って、鏡平・双六ってのが一番良くないかな。湯俣川沿いのルートって、一度も経験がないんだよな。

登りたいな。



にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

二十三夜寺(覚書)『なぜ世界の人々は「日本の心」に惹かれるのか』 呉善花

もしも、もしも、・・・ですよ。もしもどなたか、秩父地方の皆野の方面にお出かけのことがありましたら、ぜひ、「二十三夜寺」にお立ち寄り下さい。お祭りの終わったあとの秩父は寒いので、・・・どうでしょう、暖かくなって如月の時期の二十三夜あたりに・・・。
過去記事です
故郷の秩父に車で帰る途中、皆野の三沢という山里に「二十三夜寺」という寺があって、秩父十三仏霊場の第九番札所とされる聖徳太子由来のお寺さんだそうです。地元では「三沢のさんやさま」と親しまれておりますが、場所柄、訪れにくいところが難点。でも、春のぽかぽか陽気なら、周辺の散策も含めて、とても気持ちの良い一日が過ごせます。 二十三夜寺
何と言っても、「二十三夜寺」という名前に惹かれてなんどか訪れました。名前に惹かれた割には、“二十三夜”という言葉を調べもせずにおりました。調べよう調べようと思いながら、めんどくさくて・・・。そしたら、この本に教えてもらいました。
『なぜ世界の人々は「日本の心」に惹かれるのか』  呉善花

PHP文庫  ¥ 720

「美意識の核心『いさぎよさ』」「もののあわれ」など、多くの外国人を惹きつけてやまない“生き方の美学”
それは稲作以前のことも含めてであるが,名月の晩にはお供えのだんごを子どもたちが無断でいただいてもしかられない風習が昔は広く分布した。また,十九夜や二十三夜を〈月待〉と呼び,村で近隣の同信者が集まって飲食し,歓談しながら夜を更かし,月の出を拝んで散会する風がある。
コトバンク(世界大百科事典内の月待の言及
月待には、三日月待,十六夜待,十七夜待,十九夜待,二十二夜待,二十三夜待,二十六夜待があるらしいんですが、満月ではない「不完全なものを尊ぶあたりは日本人独特の美意識と無関係ではないと思える」と呉善花氏は言っています。

稲作以前というから、縄文以来の風習ということになりますが、これらの月待の中でも、一番古くから尊ばれているのが二十三夜待ちらしいんですね。新月の月の出が日の出とほぼ同時刻で満月は日の入りの時刻。よく、夕焼けの東の空に赤い月が、まもなく日の出を迎えようとする西の空に白い月が、ポッカリと浮かんでますね。満月を過ぎると月の出はだんだん遅くなっていく。十六夜は「すぐに出ずにぐずぐずしている月」なので「いざよい」(ためらい)、十七夜は「立ち待ち」、十八夜が「居待ち」、十九夜が「寝待ち」となるんだそうです。

さて、二十三夜ですが、ニ十三夜の月は真半円の下弦の月で、ちょうど真夜中に登ってくる。その意味でも特別視され、他の月待は二十三夜待から派生したものと考えられるらしい。この夜に集まる二十三夜講は、子授け、子育ての祈願をする女たちの集まりである場合が多いという。

中でも旧暦十一月の二十三夜は冬至の時期にあたり、最も重要視され、全国各地で「大師講」が催される。冬至は太陽の力が最も衰える日と考えられた。太陽は次の日から次第に力をつけていくことから、冬至の夜から翌日の朝にかけて、新たな命の誕生を祈った。だから、十一月の二十三夜待は、月信仰と太陽信仰の融合ですね。

フランス革命で、ジャコバン派が革命暦を設定したことはとっても重要だと思うんです。暦は人々の生活のよって立つところ。革命暦を選択することで彼らは過去と決別し、まだ見ぬ理念の世界に生きようとしたんですね。西暦を使いながら、私達の生活の中には、今でも月の暦が生きています。便宜上、西洋暦の使用はやむをえないと思いますが、生活そのものは月の暦を見なおしていいと思います。月の引力を馬鹿にしちゃいけませんね。



にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

『日本人が忘れた季節になじむ旧暦の暮らし』 千葉望

♫ 夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が繁る ♫
いいですよね、季節の移ろいとともに生きる日本人は・・・。本当に恥ずかしい話だけど、今年の十一月は家と職場の往復だけで、ほとんど季節の変化を感じるゆとりもなかった。かつての日本人の生活の中なら季節の移ろいを感じられないなんて、ただのうつけ扱いだろうにね。

旧暦から新暦への改暦は明治五年。この年の十二月三日を明治六年一月一日として、そこから日本は西暦を正式な暦として採用した。ずいぶん混乱があったはずだけど、そんの幾つかがこの本の中にも書かれている。

欧米に合わせようと導入した“西暦”は“西洋暦”ですからね。なにしろ紀元はイエスの生誕。紀元前は“B.C.”と表わされるけど、これは“Before Christ”、つまり、「キリスト以前」。紀元後の“A.D.”は“Anno Domini”で、ラテン語で「主の年」。ってことは、ゴッドのイエスの年を数えてるってわけだ。ちなみに今年は西暦二〇一五年。イエスは二〇一五歳(・・・あとから+四歳ってことになってるらしいけど)。

岡田英弘さんの本を読ませてもらったところでは、《支那はいつの世でも皇帝が中心であり、皇帝が時間を支配した。暦をつくるのは皇帝の特権で、民間で暦を発行したら反逆とみなされた。年号をつくるのも皇帝と特権で、皇帝は空間を支配するだけでなく、時間をも支配したのである》と言うことで、なんか明治政府は大変なことをしてくれちゃったみたいだな。

グローバル化ってのは、本当に言ってるほど必要か。・・・安倍さん

旭日新書  ¥  778
寒さに肩をすぼめて迎える「新春」 梅雨の最中の「七夕」 「菊の節供」は汗だくで
第一章  暦を知れば、日本がわかる
第二章  大きなずれを生んだ新暦行事
第三章  それでも残った旧暦行事
第四章  浮世絵に見る旧暦行事
第五章  文学や芸能に見る旧暦

願はくは花の下にて春死なんその如月の望月のころ

君がため春の野にいでて若菜摘むわが衣手に雪は降りつつ

五月雨を集めて早し最上川

天の海に雲の波立ち月の舟星の林に漕ぎ隠る見ゆ

なんかさ。そんな歌と一緒に生きていたいよね。さすがに私の故郷では、桃の節句は四月だったな。七夕は八月だった。だから星が見えたよ。もちろんお盆も八月。十五夜にはまんじゅう蒸かしてね。すすきと一緒に月に供えた。開けっ放しでね。翌朝起きた時には全部なくなってたな。

私は昭和三五年の生まれだけど、私の親たちの世代がなんとか残してくれたものを、私は子どもたちに伝えられなかったな。残念ながら・・・。

なんて言ってる場合じゃないか、少しでも、わずかでも残しておかなくちゃ。あとどれくらいの時間があるかわからないけどね。必要なのは、自然の移ろいをもっと敏感に感じられる生活をすることだな。そしてそれに、先人たちがどのように対処してきたのかを知ること。・・・けっこう難しいけど、ちょっとずつでも、こういう本を読んでいくことだな。
・・・これを書くにあたって、今まで書いた“暦”にかかわる記事を読みなおした。けっこうなんどもこういう本を読んでるんだけど、呼んでる人間が未熟だからな。なかなか先に進まない。・・・明日は、故郷の二十三夜寺を紹介した過去記事で・・・、ごめんなさい。



にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

『酒と温泉を楽しむ「B級」山歩き』 山田稔

まいったな。「山に登って、温泉入って、一杯」か。まったくおんなじだ。一九六〇年生まれもおんなじ。下に目次が紹介してあるけど、山の選び方見ればわかる。好きな山も同じかな。

人と一緒に山を歩くのが苦手で、別に喧嘩になるわけじゃないけど、なんとなく誘われなくなる。こっちも気を使わなくて済むから、その方が楽。ただ、この人の誘いだけは断れないって人が一人だけいて、大先輩で年齢の違いもあって、最初から一〇〇%その人に合わせる気持ちしかないから、気をつかうも何もない。

たぶん、この人も単独行。気が合いそうだが、単独行性向と単独行性向が一緒に山に登って、いいことがあるはずがない。
いけね。私は山に登れないんだった。ああ、山を離れてもう二〇年を過ぎる。だからといって長い間、なにも感じていなかった。それがここんところ、思いがあふれる。だから、こんな本に手が伸びる。なんか不思議。自分の山行記録を呼んでいるかのような感覚が・・・。私は秩父山地か、高崎線に乗って行く山が多かったんだけど、やっぱりおんなじような山が好きだな。

光文社知恵の森文庫  ¥ 842

酒と温泉を楽しみに、野鳥や花とふれあいながら歩きたい大人向け山ガイド
第1章  日帰りも可能  中央本線沿線の山
扇山  大菩薩嶺  入笠山  北横岳  編笠山  霧ヶ峰
第2章  高原列車に乗って  小海線沿線の山
天女山ー美森山  飯盛山
第3章  青梅線・五日市線・富士急行線沿線の山
天狗岳  鷹ノ巣山  御前山  三ツ峠山
第4章  レンタカーで訪ねる北海道の名山
大雪山・旭岳  羊蹄山  樽前山ー風不死岳
第5章  山で遭遇した「非日常」体験
第6章  山歩きを楽しく思い出深いものにするための実践編

実は、我慢しきれずに歩き始めてます。ウォーキングポールに支えられながらね。一年くらいかけて、十五分くらいの散歩から始めて、だいぶ時間が伸びてきた。やはり、左足が上がらないし、前に出ない。それでも一時間くらい歩けるようになった。それを過ぎると痛い。

第5章の《山で遭遇した「非日常」体験》。私もあるよ。高校二年の正月、初日の出を見に、秩父の武甲山に登った。御存知の方も多いと思うけど、全山石灰岩の山で、採掘が進んで、痛々しくてみてられない。当時はまだ山頂を崩す前の、かっこいい武甲山だった。

荒川村の友人と浦山ってところで待ち合わせて、バイクで・・・カブね・・・浦山川をさかのぼって登山口へ。実は紅白終わってまもなく出発したもんだから早すぎてね。三時半には山頂にいたんじゃないかな。ツェルト張って中でウイスキー飲んでたんだけど、しばらくしたら人の気配がしたので外に出た。

武甲山は山頂直前に直登に近い急登があって、そこを懐中電灯が三つ四つ揺れながら登ってくるんだ。なんか、ホッとしてね。光が揺れながら近づいてくるのを待ってた。もう、五〇m切るくらいの所まで来たんだよ。声も聞こえてた。女の人の笑い声も聞こえてきた。

登り口で思い切り待ってるのも変だから、ちょっと離れたところに下がったんだけど、いつまでたっても来ないんだ。・・・アレッ?って、友人と顔を見合わせて登り口に見に行ったら、もう光は消えていた。

三〇分ほどしてから、ようやく人が登ってきた。その話を話したら、降りてくる人はいなかったって。高校生のくせに酒なんか飲んでるから、きつねにでも化かされたんだろって言われた。 ?????
あと一年半。仕事に一区切りついたら足を手術しようと思う。そしたら、山に登れるようになるかもしれない。同伴の保護者に、まずは入笠山あたりの絶景はどうだろう。見せてやりたいな、あの絶景。・・・入笠山を入れるなんて、著者はただもんじゃないかも・・・。


にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

ありがとうございました



「《めんどくせぇことばかり》は、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。」
よくお越し下さいました

イーグルス16

Author:イーグルス16

息も絶え絶えです、ぜひ応援してください


現代とはなぜこんなにも棲みにくいのか。
前近代から近現代へと変貌し続ける世相の本質をつかみ生き方の支柱を示す。
カウンター
カテゴリ
こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































リンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
最新記事