めんどくせぇことばかり 2016年08月

『はじめての哲学』 石井郁男

子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順ふ。七十にして心の欲する所に従ひて矩を踰えず

本書で取り上げられている14人の哲学者。それぞれ、《何歳の頃にどんなことを・・・》ってことが紹介されていて、一人ひとりの生涯を、孔子の人生観に照らし合わせて見てみたらどうかっていうんですね。そう言われて気になるのは、「自分がどうか」ってことですよね。

どうだったかなぁ~、私は・・・。学に志した覚えはないし、立った憶えはない。惑いっぱなしの人生ながら、50で天命は知った。・・・ような気がする。「どうだ、デカルト」って、デカルトに勝負を挑んでも無駄か。整然とした学問の再統一の原点こそ「我思う。故に我あり」であると目を輝かすようなやつだからな。

哲学者って呼ばれる連中が、時代に新しい視点を与え、そこから見つめなおすことで、人は新しい世界認識を得る。まるで上手に焦点を合わせた双眼鏡を与えられたように、細部まで世の中が見えるようになったって感じかな。それが哲学者たちの役割でしょ。

あすなろ書房  ¥ 1,512

哲学って、「いろいろ考えるのが好きだった人たちの歴史」ってことでしょ?・・・まぁ、そうね
第1章  古代ギリシャの哲学
タレス  ソクラテス  プラトン  アリストテレス
第2章  イギリス経験論と大陸合理論
ベーコン  デカルト  カント
第3章  ドイツ哲学の全盛期
ヘーゲル  ショーペンハウエル  ニーチェ
第4章  現代世界への挑戦
ダーウィン  マルクス  デューイ  サルトル
哲学者たちの役割が、世界の本当の姿を人々に明らかにするための視点を与えることにあるとしても、それが妥当なものであって、そこから見えた世界がたしかに世界の本当の姿であるとは限らない。もしも人々が、哲学者の歪んだ目によって誤った視点を与えられ、それを本来の世界と勘違いした者たちが、その勘違いをもとにして新たな世界をつくりあげようとしたならば、人々は無駄に、本来は味わう必要のなかった悲劇に叩き込まれることになるだろう。

哲学者たちってすごいと思うんだ。頭よくてさ。必死になって“知の格闘”に身を置いて、世界の解釈に道標をつける。ヨーロッパキリスト教社会には幾多の優れた哲学者が登場し、優れた業績を残した。にも関わらず、彼らの仕事はヨーロッパキリスト教社会を幸福に導いたのか。

世界の、他の地域を支配下に置き、その犠牲のもとにいい生活を送ったってことを幸福と呼ぶならば、哲学者たちの仕事は大成功だったわけだ。・・・、そんな結果から、哲学者の仕事をさかのぼるやり方は邪道かな。

そんな視点で考えたなら、マルクスの仕事はどういうことになるのやら。

「いったい人間が大事なのか、木が大事なのか。人間の権利は、木の権利の前に屈してはならないし、人間が木という偶像の前に敗れて、その犠牲になってはならない」とマルクスは語ったそうだ。この話、ドイツなら簡単なことなのかもしれないが、日本ならそう簡単には片付かない。
つまらない方向へ話を持って行ってしまいました。ごめんなさい。一杯やりながら書いているもんですから、なにが何のことやら。

そうそう、この本。「はじめての・・・」ということだから、そういうものとして購入してね。この本を読んだからといって、デカルトのなにがしかが分かるとか、そういう本じゃあありません。哲学と歴史との関連とか、古代から現代に至る哲学や思想の流れとか、そういうものを期待して読んでもらう本でもありません。

「はじめての・・・」なんですからね。“はじめて”なんだから、「ああ、プラトンという名前を教えてもらってよかった」と、「カントという哲学者がいたのか」と、そういうことが分かって「良かった、良かった」っていう本なんだから、そういうものとして考えてください。




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幸せな国の証(覚書)『世界が称賛する日本人が知らない日本』 伊勢雅臣

とりあえず本書でも取り上げられている《英語教育》について触れておこう。
読売新聞 2016/08/03
【読売新聞】 学習指導要領 国際化に対応できる力養おう
http://editorial.x-winz.net/ed-21148
(抜粋)
2020年度から小中高校で順次実施する次期学習指導要領について、中央教育審議会が中間報告を公表した。英語を教え始める時期を小学5年生から3年生に前倒しし、5、6年生は正式な教科にする。中間報告は、始業前の15分程度の短時間学習を積み上げたり、45分授業を60分に延長したりする方法を提案した。
この記事は、8月8日にも当ブログで取り上げ、『英語化は愚民化』という本に関するかつての記事とともに紹介した。民族的特性として、《自分が人からどう見られているか》を気にするところがあり、かつてそれが世界の流れを敏感に感じ取ることにつながり、国家的危機を乗り越えることにもつながった。その反面、外からの目を気にするあまり自らを卑下し、多くの貴重な文化を失った。

上記の記事は、今まさに同じ流れの中で、大切なものを失おうとしていることへの警告としてとりあげた。この記事に展開されている理屈は(・・・文科省主導で英語化が進められる中、読売の社説を責めるのは悪い気もするけど・・・)、明治以降の翻訳の取り組み、日本民族の特殊性を無視して進められている。

“翻訳の取り組み”に関しては過去に何度も書いてきたところなので、今進められる英語教育と日本民族の特殊性についてね。上記の読売の記事、〈続きを読む〉のなかに全文を入れてあるのでそっちで読んでほしいんだけど、《中間報告には、思考力や表現力を培う授業を普及させる方針が盛り込まれた。子供たちが討論や意見発表を通じて、答えを探究する能動的学習(アクティブ・ラーニング)が例示されている》とある。

私が中学生の頃、英語の授業が嫌いなわけじゃなかったけど、「リピート・アフター・ミー」って先生に続いて大きな声を出すことを強制されるのはつらかった。場合によっては、人前で恥をかいたこともある。バカなんだからしょうがないと勉強したけど、心が折れたこともある。さらに今度は〈アクティブ・ラーニング〉だからね。これは、「リピート・アフター・ミー」どころじゃ済まないよ。

何が能動的学習だよ。〈討論〉しない、〈意見発表〉しない勉強は受動的学習であると文科省た切って捨ててるのは、正しい答えよりも争わないことを第一とするこれまでの私たちそのものじゃないか。ちょっと前まではディベートを強引に押し付けていた文科省が、今度はその反省をすることもなくアクティブ・ラーニングだ。ディベートとアクティブ・ラーニング、似ているのはともにカタカナってことだけじゃないと、私は思うんだけどね。

育鵬社  ¥ 1,620

自分の中の「見えない根っこ」を見出し、自分の言葉で「日本を語る」必要がある

《英語ができないのは、幸福な国の証》
この本の著者はそこまで言ってますよ。日本は、アジアにおけるTOEIC上位国のように、かつてイギリスやアメリカの植民地になっていないしね。それらの国のように英語によらなくても大学教育まで受けられる。英語を駆使できないからと言って教育による格差はないから、経済的にも差はつかない。当たり前だな。日本語だけで各分野の最先端の学問にふれることができるんだから。TOEIC上位国においては英語を使えないことが大きなハンデキャップになるけれども、日本ではそうではない。切実さが違う。

仮に海外で仕事をすることになっても、仕事に必要なのは、《一に専門能力、二に誠実さ・真剣さなどの人格、三にコミュニケーション能力》と著者は言ってます。しかも、コミュニケーション能力において最も必要なのは、やはり人柄で、英語能力はそれを生かすための道具に過ぎない。

なまじ英語の勉強に時間を割こうとしても日本国内ではロスが多く、その時間は他のことに回した方が効果的。中学・高校で英語の基礎をしっかりやっておけば、あとは必要によって対応する。大学でエリートの道をめざすなら、そこからみっちり取り組めばいい。社会人でも、第一に必要なのは専門分野の勉強。その先に、もしも英語を必要とするごくわずかな道が待ち受けているならば、そのときになって必死に英語漬けの生活を送ればいい。

まあ、私もずいぶんと無駄な時間を使ってまいりました。何年か前は、一年間、《リトル・チャロ》聞いちゃいましたしね。でも、“チャロ”は可愛かったからいいけどね。でも日本には、日本人の書いた素晴らしい本や、海外のものでも邦訳された日本語で読める本がいくらでもあるんだから、それで知識や人格を学ぶことだね。

いつか、本当に本物の英語力が必要になるときがあったら、そのときは腹をくくって英語の世界に飛び込みましょう。日本人として高い見識を育て、それに耐えうる人間としての鍛錬が行われていれば、なんらおそるるに足りず。・・・それが著者の考えのようです。

どうも、教員免許法の改正の時からそうなんだけど、安倍首相のやることは、こと教育に関してはどうにもねえ。




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アクティブ・ラーニング(覚書)『はじめての哲学』 石井郁男

この間もちょっと書いたんだけど、こと教育に関する限り、私は安倍首相のやってることに懐疑的、いや否定的な立場です。《教育再生実行会議》、・・・これって安倍首相の私的諮問機関って言う位置づけですよね。その開催趣旨は・・・。
21世紀の日本にふさわしい教育体制を構築し、教育の再生を実行に移していくため、内閣の最重要課題の一つとして教育改革を推進する必要があります。このため、「教育再生実行会議」を開催しています。
っと言うことのようです。

「再生する」って言う趣旨は、「日教組によってぶち壊された教育を立て直す」って意味だと思うんだけど、そこで持ち込まれたのが“アクティヴ・ラーニング”ということになる。じゃあ、そのアクティブ・ラーニングとは何か。ということですが、なかでも“学び合い”の推進者のひとりである西川純さんと言う方が上越教育大学教職大学院にいらっしゃるそうです。その人の意見が、《教育zine》というHPにありましたのでご紹介します〈http://www.meijitosho.co.jp/eduzine/opinion/?id=20150946〉。
今回のアクティブ・ラーニングは文部科学省主導で動いているのではありません。教育再生実行会議発であり、それらは経済・産業界から発しています。そのため、アクティブ・ラーニングの真意を文部科学省の中でも、教育再生実行会議に出席する副大臣や審議官レベルの人、そしてその人達から直接指示を受けている人しか理解していません。ましてや教育委員会の人が不安になるのも当然です。

今回の改革を一言で言えば、「少子高齢化の日本において30年後、40年後の国民が飢えないようにするためには、国際的にも活躍できる国民を早急に育成する」ための改革です。
「日教組に壊された戦後日本の教育を立て直す」というのとは少し違うみたい。経済・産業界の要望から発していて、官邸主導で進められているということですね。〈国民が飢えないようにするためには・・・〉という部分は、これを書いた西川純さんご自身の言葉なのか、西川さんと志を同じくするお仲間との間で交わされる言葉なのかは分かりませんが、どうにも、現状にとてつもない危機感を持っているようですね。

ブラウン大学、コロンビア大学、コーネル大学、ダートマス大学、ハーバード大学、ペンシルベニア大学、プリンストン大学、イェール大学の8大学をアイビーリーグって呼んでいて、そこで行われているのがアクティブ・ラーニングって学習方法ってことみたい。そういう学習方法で学んだ人しか相手にされなくなるから、それこそ、「アンテナの高い子どもたちは東京大学を見放し始めているのです」とまで言ってますからね。そこまで行くと、脅しにしか聞こえませんけど。

なんだか、ずいぶん以前に、同じような”脅し”を掛けられたことがあるような気がしませんか。あん時は、《ディベート》でした。あん時も推奨者という人が出てきて、いろいろとなんだかんだやってましたが、日本人には向いてませんでしたね。

《アクティブ・ラーニング》も、日本人には向いてないと思います。でも、そういう視点がないから、《ディベート》失敗も省みられることなく《アクティブ・ラーニング》なんでしょうね。・・・もしかしたら、《ディベート》は”失敗”と位置づけられていなかったりして。・・・持ち込んだ誰かさんの立場を慮って。そうでなきゃ、《アクティブ・ラーニング》を持ち込んで、あえて「同じ轍を踏む」ってのは、あまりにも愚かしいもんね。

ただし、《アクティブ・ラーニング》の導入は、《ディベート》の導入とはわけが違います。《ディベート》はいつの間にか淘汰されましたが、《アクティブ・ラーニング》の導入は、学校教育の土台からの総とっかえです。

教員の仕事に関して言えば、《アクティブ・ラーニング》はこれまでの教員の延長線上にはありません。授業の組み立てだけの問題じゃなく、評価の方法や、それに即した入試方法まで変わってしまいますからね。

あすなろ書房  ¥ 1,512

哲学って、「いろいろ考えるのが好きだった人たちの歴史」ってことでしょ?・・・まぁ、そうね
「そもそも、《アクティブ・ラーニング》とは?」ってところから考えると、中央 教育 審議会(2012年8月28日)の報告書は次のようにあります。
「生涯にわたって学び続ける力、主体的に考える力を持った人材は、学生からみて受動的な教育の場では育成するこ とができない。従来のような知識の伝達・注入を中心とした授業から、教員と学生が意思疎通を図りつつ、一緒になって切磋琢磨し、相互に刺激を与えながら知 的に成長する場を創り、学生が主体的に問題を発見し解を見いだしていく能動 的学修(アクティブ・ラーニング)への転換が必要である。すなわち個々の学 生の認知的、倫理的、社会的能力を引き出し、それを鍛えるディスカッションやディベー トといった双方向の講義、演習、実験、実習や実技等を中心とした授業への転換によって、学生の主体的な学修を促す質の高い学士課程教育を進 めることが求められる。学生は主体的な学修の体験を重ねてこそ、生涯学び続ける力を修得できるのである」
・・・こういうの読むと、《ディベート》も失敗とは位置づけられていないみたいですね。「実践できなかった教員の質が悪い」くらいのところかな。

《アクティブ・ラーニング》の一つの形態で、西川純さんもご推奨の〈学び合い〉。“実践者が多く、経験知が蓄積されていてマニュアル化も可能”ということのようです。ただ、方向性としては、これも〈ディベート〉と同じ。“同じ”というより、〈学び合い〉、〈ディスカッション〉、〈ディベート〉って言ったところが《アクティブ・ラーニング》の方法論なんだから、“同じ”なのは当たり前。
デューイと言うと、・・・あまり良く知らない。プラグマティズム哲学の人って認識しかないんだけど、「経験、実験を重視し、試行錯誤しながら有益性を求める哲学」って認識は間違ってるかな。

この本を読んでて、デューイが教育にも深く関わってることを知りました。教育をactivity(活動)、process(過程)、growth(成長)の三要素でとらえ、経験の不断の改造と未熟な経験を、知的な技術と習慣を備えた経験に発展させていくことを目的としていくもの。デューイの教育理論は、いまの《アクティブ・ラーニング》の説明とほとんど変わらない。

どうして、アメリカのやり方が好きなんかな~。こういう言い方はなんだけど、雑多な人間が集まってできたアメリカ。デューイは、そこでのコミュニケーションという経験が想像を刺激し、多様性に富んだ進歩を生み出すと考えたようだが、日本は違う。すでにある程度の共通性を前提として、みんなにとって有益なその先を考えられる環境にある。

デューイは来日しているが、日本での受けがあまり良くなかったのは、そのへんが原因ではないか。デューイ自身も当時の日本社会に奇異の目を向けたそうだ。ところが、シナではとても受けが良かったんだそうだ。時代的には、五四運動に始まる日本製品不買運動が盛んな時だったそうだ。デューイ自身ご満悦で、シナには2年間も滞在したそうだ。

大体アメリカの教育って、あんまりいい状況じゃないよね。エリート層を除けば・・・。やっぱり《アクティブ・ラーニング》は、やめにしませんか。




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大相撲巡業《東松山場所》

DSCF3956.jpg大相撲地方巡業が、地元の東松山市にやって来ました。根っからの相撲好き、おそらくこんな機会は二度とないだろうと、連れ合いと二人で出かけてきました。

と言っても、チケットを手配したのは、もう何ヶ月も前。連れ合いが朝一で並んでくれて、なんと先頭。最前列を避けて、たまり席、前から二番目の砂かぶりです。
私同様相撲好きの連れ合いは何度か両国へでかけておりますが、私は足のこともあってここんところまったくです。それが、大相撲の方から私のところへ来てくれました。

正直なところ、“たまり席”に長時間座ってるのはきつかった。場内には6時間いたんだけど、結局自分の席にいたのはそう長い時間じゃない。自分の席と、壁ぎわのを往復しながらの観戦になりました。

今は、相撲観戦の翌日午前中。夕べは、痛くて眠れませんでしたが、いまだに昨日の興奮が続いています。うれしかった~、相撲観戦。ちなみに下の写真四枚は、土俵上の稽古風景ね。遠藤も土俵下に顔を見せてたけど、四股を踏むだけで上には上がらなかった。まだ膝がおかしいのかな。
DSCF3912.jpgDSCF3914.jpgDSCF3915.jpgDSCF3925.jpg
『生きざま』  貴乃花光司
ポプラ社  ¥1,512

相撲道、若貴ブーム、家族のこと…「土俵の侍」がそのすべてを初めて明かす、衝撃の自伝。

ちょっと前の本だけど、たしか2012年だったな。2011年に八百長や賭けごとが露見して相撲界に衝撃が走った。若貴ブームを頂点として低下傾向にあった人気が、それをきっかけにして急落した。私は大の相撲好きだから、当然ブログに危機感を記した。

八百長・震災不況…国技館、連日の不入り

相撲協会は、力士たちが「いい相撲」をとり続けられる環境を整えればいい。力士は八百長問題などという小さなことは、吹き飛ばしてしまうほどの相撲を取り続ければいい。

朝青龍がいる頃から、日本人力士だけに声援を送り続けてきた。 といって、外国人力士の存在は否定しない。白鵬はすばらしい横綱だ。ただ、栃東引退後、何か大事なものを背負って相撲をとっていると感じさせる日本人力士がいなくなったのは確かだし、当然、見ておもしろく感じられる相撲は極端に減った。魁皇が相撲を取り続けることが、その日一番の見所なんて言うのは異常事態だった。

稀勢の里に期待する。初日の鬼気迫る顔つきは、先場所までの彼には見られなかったものだ。何か心に期すところがあるに違いない。日本を背負って相撲を取ってみろ。

今場所はおもしろい。日本の相撲が変わる、とても大事な場所になるかもしれない。こんな時に相撲を見ない奴の気が知れない。

2011/09/17


八百長に甘いように思われちゃうかな。八百長はまずいだろうけど、相撲に人情が絡むのは当たり前のことで、そこにまで言及する当時の風潮が、私は嫌でね。“気心相撲”っていうのかな。千秋楽に勝ち越しがかかってるときに、ついつい踏ん張る気力がいつも程ではないなんてことは当たり前でさ。

問題はそこじゃあなくて、相撲が弱くなってたよね、あの頃・・・。人生っていうか、自分が生きていくことの全部を相撲につぎ込んでるって日本人関取がいなくなった。モンゴル勢は、ここにいる事自体に人生がかかってるから、にじみ出るもんが違った。白鵬が走ったのは、明らかに周りが弱くなったからだ。どうしてありとあらゆる手を使って勝ちを取りに行かないんだ。・・・旭道山なら間違いなく・・・。
DSCF3916.jpgDSCF3929.jpgDSCF3944.jpgDSCF3917.jpg
それでも稀勢の里は、ずいぶんと風格が出てきた。私の目の前で四股を踏み始めた時は、「こいつに勝てる奴がこの世にいるのか」って思ったよ。でも、そのあと白鵬が出てきたら、悔しいけど、オーラが違った。
昨日は、公開稽古があって、子供稽古があってね。よくやるでしょ。あの小さい子を相手にお相撲さんが遊んであげるの。本当にお相撲さんたちはサービス精神旺盛でね。その後、序二段・三段目の取り組みがあって、相撲甚句に初っ切り、櫓太鼓打分。そのあと髪結い実演があって、なんとそのモデルが遠藤。DSCF3940.jpg
DSCF3939.jpgで、十両と幕内の取り組み。巡業だから、怪我しないように踏ん張らないし、全力を出すわけじゃない。だけどその分、客をあきさせないように気を配ってね。みんな、どっか笑ってるんだ。臥牙丸なんか大笑いだよ。どうやら桶の水の中に塩を入れちゃったらしいんだ。
ご当地力士はことごとく勝ったね。それが巡業相撲ってもんだし、お客も大喜び。三段目に“湊竜”っていう寄居出身のご当地力士がいて、「お父さん来てるぞ」とか声がかかってね。お客も一緒に場所を盛り上げてんのよ。本当に楽しかった。たとえ、翌日一日を、足の痛みで棒に振ってしまったとしてもね。




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朝鮮半島(覚書)『地政学入門』 村山秀太郎

世界の成り立ちを知ろうってときに、地政学はとても重要な事を教えてくれるよね。戦後の日本は、そういうところが弱かった。なにしろ、軍事学においても、地政学的はもっとも重要な部分だからね。内容は世界史とそう変わるわけじゃないんだけど、地政学となると、それは戦略に直結する学問だからね。戦争の“せ”だけで悪者扱いだから、世界史は許されても、それを地政学につなげていくことなんか許されるはずもなかった。

にも関わらず、これだけ《地政学》と名のついた本が出てるのに、左翼系知識人はなんにも言い出しませんね。「そんな本を書く奴は、右翼反動勢力だ」ってやっつけてしまわなくてもいいんでしょうか。それとも、そんなことは、もう忘れちゃったんでしょうか。

今回は、くどくどと、そんなことを言いたかったわけじゃあなくて、ちょっとこの本、朝鮮半島に関する捉え方について、ちょっと覚書に残しておこうかな。

この本の、朝鮮半島の項目につけられた題名は、《地政学的難所に立たされた朝鮮半島の苦悩》。通常、半島は、そのつけ根を抑えられれば手も足も出せない。誰がつけ根を抑えたかによって、抑えたもののやり方を受け入れるしかない。

そんな中で民族の独自性を維持していこうと思えば、生じっかなことではいられない。誰になにを言われようが、卑劣であろうがなかろうが、民族的生存の前にすべてが優先される。バルカン半島なんかもそうで、だからこういう場所は、“火薬庫”になりかねない。日本にとっても、そうだったようにね。
『地政学入門』    村山秀太郎
洋泉社  ¥ 1,620

国際情勢の「なぜ」に答える 世界の「いま」と「未来」は地政学で見通せ❢
半島は陸から攻められれば、袋のネズミになってしまうという地政学的な不利を抱えた地形だ。その反面、「海に出やすい」というメリットはあるが、朝鮮半島の場合は、日本列島や中国、台湾などが海を塞いでいるため、シーパワーも活かしにくい。それに加えて、周辺には大国がずらり。東に日本、西に中国、北にはロシアがいて、政治的にはアメリカも深く関与している。19世紀までは、周囲の大国は中国くらいだったので、東部ユーラシアの各王朝の属国になることで国を維持してきたが、利害の対立する4ヵ国に囲まれてしまうと、話が複雑になる。韓国・北朝鮮は「どこの国と、どれくらいの距離感で接するか」という立ち回りに頭を悩ませているのである。
本書p158~

その上で韓国を、《陸路は北朝鮮に塞がれ、海路は日本との兼ね合いがある。北朝鮮を警戒しつつ、中国の様子をうかがい、日米とも仲良くやる。そんな日米と中国との間で揺れ動く状況の中で、韓国は二股外交を続けてきた》のであり、近年、シナが力を伸ばしてくる中で、《日米の国力・影響力が低下し、国民の反日感情が高まるなかで、中国よりに舵を切り始めた》と捉えている。

たしかに韓国であれば、そういう考えられないような事態もないとはいえない。それが朝鮮民族の、朝鮮民族らしいところとしか言いようがない。

スターリンと毛沢東と金日成というこの世のものとも思われない組み合わせならば、北朝鮮という、ああいう国の存在もありうるわけだ。《スターリン+毛沢東+金日成=いろいろな困ったこと+金正恩》なわけだ。もはや、深く考えるのはやめよう。その自滅に巻き込まれないように、とばっちりを食わない準備だけは必要だけど。

だけど、韓国はそうも行かないよ。《中国に舵を切る》って、そんなふざけたこと、・・・だけど、韓国だからね。北朝鮮の存在を、この本は、《陸路を塞がれ・・・》って捉えるけど、それ以上に大きいのは、国境沿いのシナからの圧力がなくなったわけだ。シナから自由な政策決定が可能になった。アメリカの圧力は、むしろ日本にあって、その経済力で韓国経済は成長した。

たしかに韓流も、韓国経済も、いまはシナ頼りなんだよね。だけど、さすがに政治的にまでシナよりに舵を切るというのは、ありえない・・・はず・・・。半島人だからね。なにがどうなるか分からないってところはあるものの、北朝鮮の国境が崩れたとき、・・・ねえ。




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『翔んで埼玉』 魔夜峰央

『埼玉県民にはそこらへんの草でも食わせておけ
『私たちは牛じゃない・・・』
・・・
『サイタマラリアだ
・・・
『埼玉狩りだー

内容の一部が表紙に使われていて、そこに書かれているセリフね。・・・どうですか。私?私は埼玉県民ですが、遠慮なくおっしゃってください。なにしろ埼玉県民の私自身が、これらの衝撃的な言葉に、快感を味わっているんですから。

ページをめくってみれば、もっともっと刺激的な言葉が飛び交います。アッウッヘッ
っと、めくるめく世界があなたの目の前に広がること、間違いありません。
『翔んで埼玉』   魔夜峰央
宝島社  ¥ 756

我々は埼玉県民を見つけ出すための特殊訓練を受けているのです
翔んで埼玉 Part1
翔んで埼玉 Part2
翔んで埼玉 Part3
時の流れに
やおい君の日常的でない生活
埼玉県についての風土的考察
あとがきに代えての作者の身勝手な作品紹介

この漫画、むかし読んだことある。いやー、面白かった。ここまで興奮したのは久しぶりだな。しかも、この種類の興奮は癖になるんだよな。

かつて私も東京都内の“埼玉県民居留地”に住んでいた。都民からは「お前の話す言葉は分からない」と方言を蔑まれ、銭湯も都民の入浴時間とは別に設定されていた。許された入浴時間はわずかに5分。それを越えれば、裸のままでも路上に放り出された。

夜間は“居留地”から出ることができず、定められた時間内に“居留地”に帰らないと、それだけで都内生活パスを没収された。“居留地”に帰りつけなかったある日、都民の家の敷地に潜り込んでいるところを見つかり、酔っぱらいをよそおってトラ箱に入り、なんとかごまかした。

私より一年遅れて“居留地”暮らしを始めた幼なじみは、都民の娘に恋をした。あれほど「あきらめろ」と言ったのに、都民の娘を埼玉に連れて行こうとしたところで都民の娘が豹変したらしい。あれからどうしたろうか。都民の娘は、その後、何事もなかったように都民の男性と結婚したらしいが・・・。幼なじみの消息は、それきり知れない。
魔夜峰央さんは、一時期、所沢にいたんだね。そこで、『翔んで埼玉』三話を書いた。ところがそこで、埼玉脱出に成功し、横浜に居を構えた。埼玉で『翔んで埼玉』を書く分には感じなかった良心の呵責も、横浜で『翔んで埼玉』を書こうとすると魔夜峰央さんの心を苦しめたんですね。

そんなんがあるかー描けー描いてくれ-『犬以下の埼玉県民』となじってくれ- 

秘境埼玉。そこに住む埼玉県民から、「埼玉じゃない」と仲間はずれにされ続けた秩父。いまだに、「北部、南部、秩父」とわけの分からない分類をされる秩父。埼玉県民から埼玉県民と名乗ることを許されず、「秩父原人」と名乗ることを強いられた秩父生まれの私ではありますが、お願いです。四半世紀以上の時空を超えて、この先を描いてもらえないもんでしょうか。




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別れには餃子か麺か(覚書)『「暗黒・中国」からの脱出 逃亡・逮捕・拷問・脱獄』 顔伯鈞

顔伯鈞さんの逃亡劇における一幕。彼は地方の名士“馬おじ”の世話になる。まるで『三国志演義』、『水滸伝』のような“義”の世界がそこにある。どうのこうのじゃあなく、権力に追われて逃げている人間がいれば、理由も聞かずにかくまう。

権力と言うものに関するとらえ方、対し方がまったく違うんだな。同様のものが、日本にもまったくないとは言わない。言わないが、日本の場合、政治担当者と人々を、最初から対立する存在とはとらえていない。場合によっては協力者という側面を持つ場合もある。だから、権力者が捉える世界と、人々が捉える世界との間に違いがない。しかし、シナは違う。権力者が捉えている世界とは違うもう一つの世界が、人々の間にはあるわけだ。

“馬おじ”は、そんな世界の扉を開いて見せてくれている。その“馬おじ”にしても、以下のような経験を持っているそうだ。
2005年ころ、地方政府が農地の売却をめぐって立ち退き補償金を大量にピンハネする事件が起き、村人の抗議運動も武力で鎮圧された。当時尊重を務めた馬おじは、それでも村人側を弁護したことで郷政府に恨まれ、カネで雇われた遠縁の青年に暗殺されかけた。とっさに刃物から身をかわして、村長は死なずに済んだ。一方、村長の入院中、例の青年は地元のある党幹部の親戚から暗殺を依頼された事実を「村長を殺し損ねたことで、5万元の成功報酬が4万元に減らされた」と友人に漏らした。数日後、青年はなぞの交通事故で死んだ。真相はわからない。

だから、別れには、いつも特別な意味が付きまとう。それが、「去る者には餃子を贈り、来たる者には麺を贈れ」という言葉を生んだわけだ。・・・だから、「去る者には餃子を贈り、来たる者には麺を贈れ」という言葉を生んだんだよ。・・・そうに、“馬おじ”が言ってたんだよ❢
文春新書  ¥ 842

凄まじい人権侵害と闘い続ける若者群像を描いた現代の『水滸伝』

この本で紹介されている、ごく当たり前の、シナにおける日常の、ほんの一こま。
たとえば施工を始めた数日後、市の城管(地方政府が運営する半官半民の治安維持組織)の男がやってきて、路上を塞いだ電動バイクの罰金500元を支払うことを要求された。以降、2周間ほどの間に、現地の協警(協助警察-警察業務を補助する民間人)や治安管理人員を自称する者たちが5回もやってきて、そのたびに200~500元ほどを管理費の名目で要求した。環境保護局を名のる者はゴミを廃棄した罰金600元、停電のあとにやってきた電力関係者は検査費300元を要求した。その他にも地元のチンピラとしか思えない連中が、やってきては何の名目もなくそれなりの金額を要求した。

城管の横暴が暴動の発火点になったって言う話は、実際にある。さらにはシナの話じゃないけど、アラブの春の発火点になったチュニジアの 
暴動も、その始まりは城管と同じような、女性係官の行為だったそうだ。あっぶねえな。

かつて、資本主義国家の迫害から免れ、独立を望む第三世界の人々の間で、共産主義が希望の光となった時代が存在した。だが、やがて時間が経ち判明したことは、共産主義なるものは単なるユートピア幻想であったのみならず、実際には少数の人々が政権を奪取して統治を行うための宣伝ツールにすぎないという現実であった。すでに崩壊したソ連や東欧社会主義圏の各国はもちろん、ベトナムやカンボジアやラオスなどの東南アジア各国においても、共産主義はその実践において人類文明への巨大な災厄をもたらす結果のみを残してきた。

各国が失敗した理由は、為政者の無能や貪婪のみではない。彼らが用いたマルクス・レーニン主義の統治思想そのものに、人間性が根本的に欠落していた点にこそ求められる。

だが、中国共産党はいまだに、本質的にこうした思考スキームに基づいた統治を継続している。そのことが、あのような問題だらけの社会を作りあげることになった。

さらに、中国共産党による一党独裁体制は、歴史上のあらゆる独裁政権と同じく、権力者たちの貪欲な本性がその政治に反映される。独裁者たちは、国民による政権の奪取を恐れる。ゆえに彼らの国民監視は厳しいものとなる。中国共産党は独裁的な権力を握りつつ、社会のあらゆる部分をコントロール下に置き、全国民に対しる監視を強めている。一方、中国共産党は資金の輸出や経済協力関係を通じて他国の政府を買収し、自らの側に引き寄せ続けている。これらの状況を生かして中国共産党は、いかなる手段をも辞さずに統治者としての地位を保持し続けている。




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『地政学入門』 村山秀太郎

リオデジャネイロ・オリンピックも終わっちゃいましたね。これからパラリンピックが始まるとは言うものの、“夏の名残りをいかにとやせん”、虫の声が高まるとともに、寂しさは募るばかり。それにしてもリオデジャネイロという町はとんでもない町でしたね。いったいどんな事件が、どれだけ起こっていたんでしょうか。ブラジル人にとっての厳しい時代は、むしろこれから始まるはず。リオデジャネイロ・オリンピックは将来、どんな評価を加えられることになるんでしょう。
時事通信 2016/08/05
24年五輪、招致合戦に熱=候補地抱える首脳らリオへ〔五輪〕
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016080500100&g=spo
(抜粋)
【リオデジャネイロAFP=時事】5日開幕するリオデジャネイロ五輪に合わせ、東京の次となる2024年の五輪開催地候補を抱える各国の首脳や有力閣僚が、次々とブラジルに到着している。開催都市の決定は1年以上先だが、早くも招致合戦が熱を帯びているようだ。
(全文)は、“続きを読む”に入れてあるからね。2024には4都市が立候補していてね。どこだと思う。・・・すごいよ。パリ、ローマ、ロサンゼルス、ブダペストの4都市。・・・パリは決して冗談ではなくて、オランド大統領が「パリ2024」ってロゴ入りの航空機でリオに乗り込んだんだってさ。まったく本当になにを考えてるんだろう。正直なところ、怖すぎてものが言えないよ。

地政学の本が売れてるみたい。ずいぶんといろんな本がでてるよね。この本もその一つ。世界の歴史を見直そうと《世界史》と名のついた本も見かけるしね。中東、ロシア、EU、アメリカ、シナ、・・・世界は明らかに大きな曲がり角に来ているよね。何かが変わりつつある。そう感じているからこそ、地政学や世界史に関わる本が目につくんだろうな。いずれにせよ、その変化の中で、日本は重要な役割を果たす。どう動くべきなのか。地政学は、そのヒントとなりうる。

だけど、いろいろなニュースを見ると、地政学以前って話も、けっこうあるように見受けられるけどね。
『地政学入門』    村山秀太郎
洋泉社  ¥ 1,620

国際情勢の「なぜ」に答える 世界の「いま」と「未来」は地政学で見通せ❢
序章  より豊かな土地を求めて 覇権の変遷と戦争の歴史
第一章  アメリカ 最大のシーパワーを持つ世界の警察官
第二章  ロシア 不凍港を求める最大のランドパワー国家
第三章  ヨーロッパ 団結しきれない半島
第四章  中東 多くの火種を抱える世界の火薬庫
第五章  アジア 台頭する中国とアジア諸地域の地政学
第六章  日本 周辺国との関係から見る今後の戦略


シーパワー、ランドパワー、大陸、半島、島国、海洋、・・・。だから・・・、それゆえに・・・、必然となる動きが生じる。そう考えるのが地政学で、このような変化の時代にあっては、大きな、かつ貴重な示唆を与えてくれる。この本に関して言えば、とても内容が整理されている印象がある。上に紹介した目次の内容を見ても、そう感じていただけるでしょう。

そうなんです。それ故に、・・・こういう言い方をするのはとても悪い気がするんだけど、・・・つまらない。整理されていて、分かりやすいんですよ。ある意味ではおすすめです。でも、私には、悪いけど、つまらない。悪者もいなければ、正義の味方も登場しないけど、なにも間違ってない。はっきり言ってやっていいと思うんだけどね。・・・ダメならダメと・・・。
東アジア180°回転させて地図を見直すってのはよくやるけど、90°っていうのは知らなかった。求めるものは同じだけど、アメリカと太平洋を分け合おう言い出したシナにしてみれば、日本から東南アジアに至る島々の連なりってのは、本当に邪魔だね。
いま、シナが進めてる南シナ海における東南アジア諸国とのさや当てや、東シナ海尖閣諸島への進出っていうのは、邪魔者を排除する最終作戦の一歩手前ってのがよくわかるな。

こういうやり方を実質容認してしまえばどうなる。・・・でも、どうもシナに関わる書き方が生半可で、はっきりものを言わないんだ。読んでいて、その辺がどうにももどかしい。

リクルート「スタディサプリ」世界史講師をやってる人だから、こうならざるを得ないのかもしれない。整理されていて、分かりやすい。ただし、この本を読んだからといって、なにも始まらない。始まらないけど、勉強にはなる。勉強したい人にはおすすめです。ぜひ読んでみてください。




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名前(覚書)『火山列島の思想』『なるほど世界地理』『世界の名前』

ちなみに、大穴持と呼ばれる神の本性は“穴”。そこに沸々と煮えたぎるマグマの神。このあと、結局、ヤマトは出雲の神々を受け入れるじゃあないですか。つまり、祭られる神は変わらず、祭る存在だけが入れ替わったんですね。建御雷が大国主に国譲りを要求したとき、大国主はなぜか、その是非を子どもたちに託すんだよね。まず、事代主はすんなり国譲りを受け入れて、自分は十水してしまう。もう一人の建御名方は、受け入れを拒否して建御雷と戦い、敗れて諏訪まで逃げて、諏訪大社に収まるんだよね。
名前っていうのは、やはりこだわるべきだな。しっかりと意味が示されている。たとえば、事代主。事代は神事の代行者。あるいは、“シロ”を依り代の“シロ”として、神事の依り代。それを神格化したのが事代主。つまり、神格化されているものの、事代主は祭られる側ではなく、祭る側のトップ。大国主や、その尊称で呼ばれる大穴持ではなく、その神を祭る人間集団のリーダーが“国譲り”を受け入れたんだね。
それから、建御名方って言うのも変な名前で、「建き御名の方」だって。「すごい名前の人」って意味。これはすごい。匿名希望の人なんですね。なぜかって、名前言ったら、みんな分かっちゃうからでしょ。誰だろ、『古事記』のお話が作られた頃の、「名前言ったら分かっちゃうくらい有名人で匿名にしとかないとちょっとまずい人」って。

名前って言えば、国の名前だけど、グルジアをジョージアって呼ぶようになりましたね。ロシアンティーが突然缶コーヒーに変わっちゃったみたい。「前頭八枚目臥牙丸 木瀬部屋ジョージア・トビリシ出身」ってのも、、まだ耳慣れない。でも、表記は《Georgia》のまま、変わってないんですってね。ウクライナ同様、ロシアのことは嫌いみたいですね。いずれにせよ、その名の由来は、キリスト教の聖人、聖・ゲオルギオス=St.Georgiusだそうです。

国の名前も面白い。アーリア人をインド・ヨーロッパ語族と同意にとらえれば、その影響はとてつもなく広がるけど、中でも、「アーリア人の国」を表立って表明している国がある。アーリアはサンスクリット語で「高貴」を意味するアリアナから生まれたものらしいんだけどね。そこから、《aryana→ariana→Irani→Iran》と変わって、イランなんだって。イランは「アーリア人の国」って意味なんだって。

『世界の名前』    岩波書店 辞典編集部
岩波新書  ¥ 864

世界の地域、言語、神話、物語について、名前の仕組みや込められた意味を・・・

ギリシャの月の女神セレネが前世代で、アルテミスが新世代だよね。ラテン語圏に入ってルナ、ディアナ。ディアナはダイアナって名で、今でも使われている。水泳でオリンピックに出た日本人選手にも、“月”と書いて、“ルナ”ちゃんがいたよね。そう言えば、昔どっかの校長で、“攻”と書いて“まもる”と読むという人がいたとか、いないとか。・・・いないな、そんな奴。

月は、まだある。英語の“ムーン”そのものじゃ難しいかも知れないけど、北欧なら“モーネ”に変わる。そんな不確かなものじゃなくても、確実に歴史に名を残しているのが、インド。「月に守られし者」で、“チャンドラグプタ”となる。ペルシャ帝国を打ち倒しパンジャーブ地方に侵入したアレクサンドロスに刺激されて統一王朝を築き上げたわけだから、もしかしたら、アレクサンドロスを太陽に見立てでもしたのかな。

そして、三代アショーカ王の時、インド亜大陸をほぼ統一する。そんな比類稀な軍事的成功を治めたアショーカ王だが、王になる時点ですべての兄弟を殺しており、その後も反乱の鎮圧や粛清に多くの血を流した。ようやく体制を固めたのちに行われたのがカリンガ戦争で、その死者は10万とも、その数倍ともいわれる。

アショーカ王は、その軍事的成功にともなう悲劇に恐れを抱き、仏教に救いを求める。アショーカ王が仏教を深く信仰したことは数多くの証拠から明らかであり、実際カリンガ戦争以後拡張政策は終焉を迎えた。

《ショーカ》とは“苦しみ”を意味し、《アショーカ》は“苦しみのない者”を言う。つまり、アショーカ王って、とても宗教的な名前なんだな。彼が王位につくために兄弟たちを死に至らしめていた頃、またカリンガ征服戦争に駆り立てられていた頃、彼は、アショーカ王とは呼ばれてなかったんだろう。なにしろ、そこ頃の彼は餓鬼道をさまよっていたんだろうからね。




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龍神の怒り(覚書)『民話の世界』 松谷みよ子

先ほど、台風9号は房総半島に上陸したそうです。埼玉のここでも、11頃から風雨が強まっています。この時間、西側から雨が吹き付けてますね。東日本を縦断して、夜には東北、明日には北海道に行くんかな。北海道は連続の大雨になるから、ひどいことにならなければいいけど。

埼玉は、たしかに自然災害の被害が少ないところでね。朝一で職場に行って、今日は仕事をしなくてもいいようにしていたんだけど、あとから来た連中はまったくいつものように仕事を始めるんだよね。・・・言葉を失って、ひとりで帰ってきた。今頃あいつら、どうしてるんだろう。・・・それでも埼玉。たぶん大したことにはならない。

広島の水害は、2年前の、ちょうど今頃でしたよね。
そのときの記事です

土砂災害 
74人が死亡した広島市の土砂災害から20日で1か月がたった。遺族や知人が現場で花を手向け、犠牲者を追悼したという。写真は瓦礫の撤去に当たる警察官がこの日の作業を始める前に黙祷を捧げる様子。

被災地は土砂災害の恐れのある場所だったという。 しかし、明治以降土石流被害の記録はなく、長い間、土砂災害警戒区域にも指定されていなかったという。広島県の基礎調査により、被災地の一つである八木三丁目は近く警戒区域に指定されるはずだったという。
『民話の世界』    松谷みよ子
講談社学術文庫  ¥ 908

語り継いできた、祖先たちの世界

私の生まれた家は武甲山という山麓にある。山に祀られているのは龍神である。珍しくもなんともない。日本中に祀られている。『自然の脅威を龍神の怒りと見た人々の哀しい思い』と、著者の松谷みよ子さんは言っている。

町を襲う大洪水を鎮めるために黒龍のもとに嫁いだ黒姫の伝説。龍神の忠告を破って、龍神がふと明かした洪水を村人に教えたことで湖に浮かんだ琵琶法師の伝説。幼い娘のために小豆を盗んだ男が、その罪ゆえに人柱にされる話。これらの話がこの本にも紹介されている。
土地にまつわる話には、祖先の重い吐息が語りこめられたものが多い。昔話には野放図な楽しさや、民衆の知恵や、楽しい結末が多いのに、伝説はなんと悲しい話が多いのだろう。また「水との戦いの民話」というけれども、どこかでそれは、「水に耐える民話」になっているのではないか。琵琶法師の献身によって湯の山の人々は命を取りとめた。しかし、法師は死んでいく。黒姫の物語を人身御供としてみるとき、やはり誰かが犠牲になって水を鎮めようとしたのではないか。久米路橋に残る人柱の話はあまりにもむごい。

八木蛇落地悪谷(やぎじゃらくじあくだに)

大規模な土砂災害に見舞われた広島市安佐南区八木三丁目の古い地名だそうだ。やがて「じゃらくじ」の音に上楽地の字が当てられて「じょうらくじ」と呼ばれるようになり、「八木上楽地芦谷」という時代もあったという。そして本来あった警告の意を失って安佐南区八木三丁目となる。不動産価値の問題から地名が変更されることも多いという。でも、祖先は伝えようとしているんだよね。私たちの受け取る能力がなくなっているという問題なんだ。


《気も遠くなるほどはるかな昔の記憶を、祖先は長い年月、語り継いできた。・・・私の掌に載せられた物語の厚みは、先祖からの贈り物であった。・・・この文明の世に、いや、文明の世だからこそ忘れ去ろうとしているのかもしれないが、なぜ私たちは祖先から受け継いだものをこんなに簡単に捨て去ろうとしているのだろうか。捨て去るという意識もないほどに、無関心になっているといった方がよいのかもしれない。》・・・これは、著者の言葉です。



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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本












































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