めんどくせぇことばかり 2016年11月

『日本人の甘え』 曽野綾子

曽野綾子さんの本を読んで、「腹が立つ」っていう人がもしもいるなら、・・・仕方がない。年寄りの戯言として受け流していればいい。そのうち、しっぺ返しを食らうことになるだろう。因果応報・・・って、じつは、世間をあおって“甘え”のタネをばらまいている人って、うまく逃げるんだよね。・・・というか、しっかり自分の身の安全は、確保してるんだよね。

保育園落ちた、日本死ね
なにが少子化だよクソ
そんなムシのいい話あるかよボケ


たまげたな~。「ときには、汚い言葉も必要」とかって意見まであったんですね。最近の世の中って、とことん、“下”に引きずられるんだな。こんなのばっかりになって、それでもなんとか世間を支えようとするのは、こういう意見に同調しようとする人たちじゃないんだよね。そういう人たちって、とことん、自分の身の安全の確保は徹底しているからね。

そんな人物として、まず頭に思い浮かぶのは、私の場合、民主党、野田政権時代に厚労大臣を務めた小宮山洋子さん。東大総長の娘ということと、NHKのキャスターだったということが自慢だった人ですね。選択的夫婦別姓の導入や、女性の“自立”支援に積極的な人物ですよね。ただし、その背景には、父親や、その師匠から引き継いだ、日本社会に対する怨念があり、その最初の犠牲者になるのは、実は、“日本死ね”とまで罵らなければならない、憐れな女なのではないか。
以下、民主党政権時代の過去記事です

彼女の自慢の父加藤一郎の師匠は、我妻栄。彼を中心とする東大法学者は、「個人以外の人間関係は障害にすぎない」と『家族』『地域』『国家』に癒しがたい楔を打ち込んだ。『家族』を崩壊に向かわせた張本人である。

その彼の師匠、鳩山秀雄は由紀夫ちゃんの尊敬するおじいちゃんの弟。なんか、狭い範囲で連携してる。反吐が出そう。

小宮山洋子は、「夫婦別姓制度」を主張して、「家族という絆」に最後の鉄槌を下す役割を自認する人物である。全てはつながっているのだ。そんな彼女にとって、「『主婦』だの、『専業主婦』だのに軸を置く女」など唾棄すべき存在に他ならない。
小宮山洋子には「男に頼って生きる他に生きるすべを持たない女」にしか見えない。

「男と女が、慈しみあって、支えあって、育て上げていく家庭」とは、小宮山洋子にとっては、「男が女を性的奴隷とし、男の血を引くこどもを育て上げることを強いられる場」と翻訳される。そんな状況に甘んじている女に、彼女は蔑み以外の感情を持つことはない。夫婦別姓により、家族を「男」「女」「子供の男や子供の女」に分解し、『主婦』を不安の海に放り出す。

恵まれた環境に育ってきた小宮山洋子たち女には、それが生きやすい社会なのだ。生きていけない女は、「あわれみ」の対象として保護を受けることができればいい。

新潮新書  ¥ 799

《ユートピア》とは、どこにもない場所のこと。なのに、手に入るのが当たり前と思っている日本人がいる
第一話  動物の原則に逆らう覚悟はあるか・・・待機児童問題が内蔵する嘘
第二話  打算的処世術と権威主義の臭い・・・日本社会の体質変化
第三話  マスコミの思い上がり、退化、幼児化を憂う・・・庶民の無言の選択
第四話  「理解」は人間性の見事さではない・・・アラブ的思考を学ぶ
第五話  人間が極言の生きる力を出し切る時・・・難民の現実的困難
第六話  痛みに耐えて歩く人々と「道の人」・・・「小さなパン三個」の精神
第七話  自ら選ぶ自由と可能性を贈る・・・医師が患者を治す意味
第八話  日本を許してあげてください・・・国家的対応の限界
第九話  目の前に立ちはだかる絶対の障壁・・・積乱雲の記憶
第十話  神は人生のすべての瞬間の立会人・・・人生の原型
第十一話  原則を守るためには適用も要る・・・物事の基本
第十二話  過保護が心身の免疫力を失わせる・・・不潔と不順のめぐみ
第十三話  破壊的にではなく、穏やかに個性を貫く・・・服装が語る過去と現在
第十四話  食事には餌の摂取以上の意味がある・・・会話とものを大切に
第十五話  人間のすべてのことは、いつか終焉が来る・・・人の世の理


もう、ニュースを見ているのが嫌になるくらい、わけの分からないニュースが洪水のように押し寄せる。ここまで毎日毎日だと、ちょっと神経が麻痺してしまうくらい。そして、その大半が、小宮山の父親や、その師匠の我妻が、日本社会が長年の経験をもとにして形作ってきた家族の絆と地域の連帯を中心とする社会の仕組みをぶち壊し、私達の経験の中にはどこにもない、個人を軸にしたもの、・・・欧米であれば、個人主義と言っても、精神的には神とのつながりによって補償されているが、日本の場合には、弱き者を天涯孤独に突き落とすだけの制度に置き換えた。

おかげで、みんな結構厳しい状況におかれている。曽野綾子さんは、“日本人の甘え”と断罪するが、家族っていうのが、今、すごく弱くなっている。私も仕事上、様々な家族に関わるが、仕事を始めた30年前に比べれば、ウソのように、家族の力が弱い。家族の力があれば、なんとかなったはずのことが多い。小宮山洋子の顔を思い出して、悔しくなる。
以前から思ってるんだけど、どうもマスコミの報道で憂慮されている様々なことと私の感覚の間には大きなずれがある。私がテレビや新聞に向かって何を言ったところで、テレビの向こうでしゃべっている人や新聞の記事を書いている人の耳に届くわけじゃないから、言うだけ無駄。

そんなこと分かってるけど、口に出していないと、とんでもないことが起こる。私の連れ合いは素直な女なので、テレビやラジオが繰り返すと、そんなもんかと受け入れる。受け入れたうえで、私に「・・・だもんね」と同調を求める。連れ合いに同調を求められると、私としては・・・、ときどき困る。困らないように、私には同調を求めないほうがよさそうだと、連れ合いに思わせておく必要があるから、テレビやラジオに対して、時々叫ぶ。「ふざけたことを抜かしてんじゃねえ」




にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

朱子学・封建制(覚書)『日本人の武器としての世界史講座』 茂木誠

ちょっと、表紙と、それから題名自体が、硬すぎる。たしかに最近、“世界史”がもてはやされているような感じがある。実質的には、“地政学としての世界史”なんだけどね。だからといって、油断してはいけない。一般の方々は、できれば、世界史とは一生関わりを持たずに生きていこうとしている。“地政学”がどうの、“世界史”がどうのって少しでも食指を動かしているのは、もともとが、かつて世界史をかじった人だろうと思う。

だから、そんなに自信を持ってはいけない。少しでも食指を動かしているお客さんを逃してはいけないし、今はまだ、そこまでいかなくても、国際ニュースには関心を持っているって人たちを惹きつけなければならない。それなのに、この四角四面の表紙の図柄。それに題名。題名に“世界史”なんて言葉を入れちゃあダメだよ。お客さんが逃げちゃうよ。“世界のできごと”とかさ。“海外のあれこれ”とかさ。

でも、内容は分かりやすいよ。構成もいい。私たち日本人の、世界に関わる関心を軸に構成されている。シナ、おまけに韓国は、どうしてあんなに偉そうなのか。イスラム世界はどうしたあんなにも混乱しているのか。欧米がリードする社会とは、どのようにしてできあがり、今後はどうなっていくのか。アメリカをリーダーとする世界は、このあとも続くのか。今、日本人が関心を持っていることって、そんなところですよね。そこから離れた余分なことには触れないで、多くの人の疑問に答えるために書かれている。

だから、読んでもらえば大丈夫。だけど、この表紙と題名じゃ、もしかしたら手に持ってもらえないんじゃないか。私の不安は、まさにそこにある。

ビジネス社  ¥ 1,080

世界史の知識があると、ニュースがこんなに面白くなる
第1章  日中・日韓関係史を理解する
第2章  一神教を理解する
第3章  ヨーロッパ文明の源を理解する
第4章  近代ヨーロッパを理解する
第5章  アメリカ合衆国を理解する


日本列島に稲作が伝来したのは、紀元前5世紀。それは、呉王夫差が越王勾践に滅ぼされた時期に当たる。この呉越の動乱で発生した難民が、東シナ海を越えて日本に稲作を伝えたと考えられる。実際、日本で作られている稲のDNAを調べた結果、その起源は長江下流域、呉越の存在した地方であることが確認されている。そういえば、日本には、呉もあれば、越もある。魏志倭人伝のに書かれる邪馬台国の黥面・文身の風習は、まさしく呉越の人の風習であるという。

日本列島にとっては、きわめて大きな影響があったろうが、日本列島にはその根底に、縄文という分厚い歴史がある。日本列島がそれを受け入れたのであって、その逆ではないということだ。それは元来、この列島に備わった能力なのだろう。

大きな影響を及ぼしたということでは、朱子学もそうだ。世界は物質(気)から発する感情(情)を、宇宙の法則(理)から発する理性がコントロールして人となる。ゆえに、森羅万象について、理と気の割合によって上下の序列をつけることができる。上位のものが下位のものを、支配指導すると考えるのが大義名分論である。

はてさて、なんでシナや韓国が、日本に対してあんなにも偉そうなのか。なんか、そのへんに関係がありそうですね。ピンポーン、その通り。

宇宙の秩序の一番下が木や石。木や石には理性がないからね。・・・もうこのへんから、日本の考え方とは根本的に違うんだよね。次が禽獣。鳥や動物は自分の意志で動くものの、理性ではなく、食欲や性欲に支配されている。その上が人間。だけど、人間にも序列があって、一番上が聖人で、完全に理性だけに従っていて、感情をコントロールしている。次の君子は聖人をめざしている人。・・・この関係は、仏と菩薩の関係と一緒だな。知識人や、科挙受験生、インテリがこれに当たる。その下が小人。読み書きもできず、日々の生活に追われる一般庶民。その彼らでも、聖人の教えを守れば、君子を目指せる。その下が夷狄。そもそも漢字も知らない異民族。この連中は日本足で歩く禽獣のようなもの。

小人以上が中華で、夷狄は禽獣のようなもの。日本人はここに属する。文明人と野蛮人の区別(華夷の別)をはっきりし、夷狄が中華を圧迫するようなことがあってはならないという教え。


単に、封建制度と言っても、シナ古代のものもあり、ヨーロッパ中世封建制度、江戸時代の幕藩体制も封建制度と言われる。ここで取り上げられるのは、シナ古代、周王朝時代から春秋戦国時代の封建制度に関して。

日本の江戸時代や、ヨーロッパ中世の封建制度に比べて、土地支配の認可を媒介とする主従関係という意味では同じだが、シナの特殊性は、主君と地方支配を任された臣下との間にも、基本的には血族の関係が働いているという点にある。とにかく、血のつながりっていうのが、なにを差し置いても重要なのね。

“封”は、領地の周りに目印として巡らせた盛り土のことだそうだ。いわば、国境線ですね。中国の都市国家、“邑”は、周りを城壁に囲まれていて、南側に門がある。邑の住民は城壁の外側に土地を持っていて、昼間は農作業に出かけ、夜は邑に戻る。

原則的に、同じ邑に住むものは血縁により結ばれた大家族。これを宗族といい、同じ祖先を祭り、同じ姓を名のる男系血族集団。

その邑に暮らす女は、未婚か、他の邑から嫁いできた女で、女は嫁いでも、自分の親と同じ姓を名のる。つまり嫁いだ女は嫁ぎ先の一族に入れてもらえず、その産んだ子から、一族の一員になる。嫁いだ女は、嫁ぎ先にとっては、人質の役割も果たしていた。

だから嫁いだ女にとって、嫁ぎ先の一族とは、名目的には死ぬまで溶け合わないし、自分の父の一族との紐帯のほうが強い。漢の呂后、唐の則天武后、清の西太后のように、国を簒奪するような女が現れる理由もそこにある。




にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

選民思想・排神思想(覚書)『アメリカはなぜ日本を見下すのか』 ジェイソン・モーガン

彼らは、日本人が神道を信じるからこそ戦争を仕掛けたと批判するが、アメリカは宗教を捨てたからこそ、日本を、意図的に戦争に仕向けるような真似ができたのだ。そして、神の存在を無視できたからこそ、罪のない日本人を、原爆によって一瞬にして大虐殺し、道徳と真実をお作りになった神への冒涜とも言える茶番の裁判をすることができたのだ。

それにもかかわらず、未だ、「神道があったから日本が悪い」と、まるで、日本文化を憫笑するかのようなアメリカエリートの態度は、「驕り」と「無知」の極みではないかと思う。
本書P119

たしかに、彼らを“神を捨てた者”と呼ぶことに異論はない。しかし、当時、アメリカの中枢に食い込んでいたコミンテルン系のコミュニストは、もとから神を捨てている。彼らに感化されたルーズベルトやトルーマンがそうであった可能性もある。それでも、マニフェスト・デスティニー、神の使命の名のもとに、彼らはインディアンを駆逐して、フロンティアを太平洋に持ち出したのではなかったか。

それは、ヨシュアの笛のもとに約束の地のすべてを聖別し、処女に自分の子を孕ませて民族浄化を成し遂げた時代から、神を信仰するものはそうではなかったか。

ワニブックスPLUS新書  ¥ 896

米国の大嘘を喝破 間違いだらけの対日歴史観を正す

中世という分厚さのなかで、キリスト教は地域地域の、様々な人間の生き方を受け入れてきた。寛容は、キリスト教の清貧に、歴史という厚みを加えた。教会機構は、寛容につけ込んで堕落した。堕落への反作用のなかで生まれたのが、寛容をそぎ取ったキリスト教に帰ろうとする運動、原理主義であり、もっとも先鋭的なのがピューリタンだった。

アメリカ人は、ピューリタンとしてインディアンに対した。日本との戦争に向かうなかで日本人に対するとき、少なくともそこには寛容性はない。卑劣であるという点でも、インディアンに対してもそうであったから、日本に原爆を使用した彼らが、ピューリタンとして神を愛していたことを否定することはできない。

彼らが神を捨てていたにしろ、ピューリタンとして神を愛していたにしろ、日本人は、彼らが自分たちをインディアンと同様に、フィリピン人と同様に扱うであろうことは分かっていた。

連合国が、対独、対日政策を話し合う会合がいくつも続く。大西洋会談、カサブランカ会談、カイロ会談、テヘラン会談、ヤルタ会談、ポツダム会談。比較的、話題に上らないカサブランカ会談だけど、きわめて重要な発表が行われている。「連合国は、枢軸の国対して無条件降伏を要求する」という発表である。・・・日本人は確信した。

戦後、アメリカ歴史学会における“リベラル”とは、“リベラル”に名を借りた反日思想、人種差別主義を意味している。彼らの思想は、ピューリタンの選民思想とコミュニストの排神思想の双方を合わせ持った、目的のためには手段を選ばない恐ろしさが感じられる。

“ピューリタンの神”を、“コミュニストのイデオロギー”に置き換えれば、それだけで説明がつくよな気もするのだが・・・。




にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

12月3日は秩父夜祭り

毎年おんなじ内容ですが・・・
12月3日は秩父夜祭りです。
お祭り1秩父の生まれです。もう秩父を出てから34年が過ぎました。それでもいまだにこの時期になると、なんというのか、居ても立ってもいられない気持ちを持て余します。そんなに遠くに住んでるわけではないので、仕事が終わってから駆けつけたこともあるのですが。ふるさとの祭りって、そんなもんですよね。
かつて秩父は“お蚕”に食わせてもらってる山里でした。秩父銘仙と呼ばれた絹の市に合わせて行われたのが、お祭りの始まりだそうです。養蚕が盛んなところほど、他には何もない証拠。時代の移り変わりで“絹”がすたれると、秩父はただの山里です。
そんな秩父を支えたのが武甲山です。全山、石灰岩からなるこの山は、我が身を削って秩父を支えました。12月3日の夜、この山の神である龍神が秩父神社に祀られる妙見様に逢いに山から降りてきます。逢瀬の場所が御旅所と呼ばれる秩父公園の玄武石の上。お祭り3
*ずい分前の写真をそのまま使ってるから、昔の市役所が写ってる。懐かしいな
各町から出張った六台の屋台は、ここ御旅所に集結して二柱の逢瀬をお祝い申し上げるのです。

秩父夜祭り最大の見所は、これら屋台が御旅所への最後の難関、急な団子坂を引き上げられる場面です。折しも無数の花火が冬の夜空を焦がします。
お祭り4ギーィギーィと縦材、横材を軋ませる屋台の中から聞こえる屋台囃子というエンジン音が、引き手や観客の腹に直接振動を響かせます。五台が団子坂を登り、最後を飾るのが本町屋台。団子坂の急斜面で、本町屋台が斜めにかしぐとき、秩父の子らは呼吸さえ忘れて熱狂に取り込まれていくのです。
お祭り5はじめての方、それも昼間訪れていただける方にお勧めな場所があります。秩父駅を降りて目前のロータリーを抜け、30mほど行った交差点です。3日の11時、この交差点を下郷の屋台が通過します。秩父駅を背中に交差点から北の方角に真っ直ぐな道が続いています。六台の屋台を持つ在の中でも下郷は一番遠く、この真っ直ぐな道の向こうから秩父公園橋を越えて、下郷の屋台がエッチラオッチラ時間をかけてやってきます。貧しい山里に一年を過ごした在の人々が、待ちに待ったお祭りに、逸る気持ちを抑えながら、自慢の屋台とともに坂を登ってこの交差点にやってきます。
私はこのお祭りを象徴する場面の一つだと思っています。五年ほどこの場面を見ておりませんが、だんだん人に知られて集まる人も増える傾向にありました。混んでいるようでしたら、気をつけてご観覧下さい。
この場面を見たら、屋台について秩父神社に行くといいでしょう。この間、宮地や他の町の屋台も見られるでしょうし、神社の境内では当番の町の屋台が舞台を広げて田舎歌舞伎を奉納している様子を見られるかも知れません。正面の番場通りあたりでしけこんで、一杯やりながら通りを見れば、お祭りを楽しんでいただけると思いますよ。
お祭り6 おまつり7
おみやげは秩父駅に併設された“地場産センター”に売ってる「豚の味噌漬け」なんかいかがでしょう。500円のやつ。近所にお配りしても喜ばれてますよ。
どこからでも見えます。武甲山。山肌は削られて、無残な姿を晒しています。でも、神の山なのです。秩父を救ってくれた秩父人の誇りです。この山を馬鹿にする人には来ていただきたくはありません。
お祭り8武甲山1 
秩父はもう冬。とても寒いです。どうぞ、暖かくしておでかけ下さい。



にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

テーマ : 日記
ジャンル : 日記

『るすめしレシピ』 上田淳子

「るすめし」は、留守番している家族用の料理。料理研究家の上田淳子さんも、子育てしながら働いてきたんだそうです。仕事は料理だけど、家族のための料理となれば、これは大変。かと言って、料理研究家が、家族のための料理は手抜きってんじゃ、お話にならない。試行錯誤を重ねるうちに増えていった、留守番家族のための料理のレシピを大公開したのがこの本。

働くお母さんの味方ですね。まあ、たとえ手抜きの料理でも、一生懸命やってるお母さんなら、子どもは分かるだろうけどね。

留守番の対象は、・・・? けっして子供向けってだけではないみたい。紹介されている料理を見ると、子供向けに限定された料理とは思えない。・・・あれっ? だけど、「大学生になった今・・・」って話の展開。基本的にはお子さん向けに考えられた料理みたいだね。だけど、子ども限定とは思えない料理が並んでいるのは本当だよ。

いずれにせよ、大学生になったかつての子供も、《るすめし》で食育されて、しっかりした大学生になったみたいね。


自由国民社  ¥ 1,404

すぐおいしい。作るの楽ちん。これで留守番のご飯は安心。
1章  冷蔵庫から取り出してすぐ食べられるおかず
2章  電子レンジであたためるおかずセット
3章  鍋ごとあたためて食べる簡単煮込みおかず
4章  留守番する人が仕上げの調理をするおかず
 *パスタはこうして「るすめし」に
 *実はお楽しみの一人鍋
 *スキレットでイベント焼きめし


《手羽元のマリネ煮》《チキンとブロッコリーのオーロラパスタ》《鶏とミニトマトの炒め物》《さつまいものオレンジジュース煮》《手羽先のバーベキューソース》

いくつか並べてみただけでうまそう。大きな特徴は、いくつかのソースや煮汁、またはたれ。いくつかだけ、《覚書》として残しておく。これは何かのときに絶対に役に立つ。
《マリネ煮》
すし酢 100cc
水 200cc
サラダ油 小さじ1
《オーロラソース》
マヨネーズ 大5
ケチャップ 大5
ヨーグルト 大1.5
塩コショウ
《サルサソース》
トマト・ピーマン・セロリ・玉葱 適量
オリーブオイル 大1.5
酢 大1
胡椒・唐辛子
《南蛮ダレ》
醤油 大2
酢 大2
砂糖 大1
水 大1
《ケチャソーマリネ》
ウスターソース 大6
ケチャップ 大6
醤油 大1
以前に購入した本で、有元葉子さんの『家族のごはん作り 2』と同じような感じの本だったな。働きながら、子供の食べるものをしっかりと準備するって、いずれにしたって大変だよね。
もう一つ、《るすめし》に大きな力を与えるのは道具のたぐいだね。電子レンジも含めてね。使ったことがないんだけど、マキレットっていう小型のフライパンは使い勝手が良さそう。なにより《るすめし》の強い味方になりそうなのが、iwakiの「パック&レンジ」っていうタッパね。これは、私も欲しいな。




にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

テーマ : 料理の本
ジャンル : 本・雑誌

『地図から読む歴史』 足利健亮

『地図から読む歴史』を解き明かそうとするだけで、ときには“神”に触れなければ話が進まない。しかも、その神ってのが、途中から歴史に割り込んできた神じゃあなくて、この国の創生そのものに関わる神。未開時代を引きずる部族社会ならいざしらず。近現代の世界史で常に大きな存在感を示し続けた国家。それらの国の中ではあまりにも異質であるがゆえに袋叩きにされた国家。にもかかわらず、世界の一角に、大きな影響力を保ち続ける日本。そんな国家でありながら、創生以来の歴史に現代のルーツを保ち続ける。そんな国は、日本を除いて、他にはありえない。

おそらくは、文字で記されていない、その前からの連続性が、私たちが使用する地図の中にも存在している。ものの考え方、日本人のものの考え方の土台には、おそらく縄文の支えがある。

そこまでを語ろうとする本ではないが、ごく当たり前に使用する、たとえば《飛鳥》という地名の中にさえ、もう一度、古典に丁寧に由来を求めなければ、埒が明かない。

さて、ここでは部分的な紹介にとどめるが、ある意味で、読んだ後の方が、知的な意味で、渇きが激しい。
“百済”・・・〈くだら〉って読んじゃうよね。・・・知ってるからさ。でも、知らなきゃ、とてもそうは読めないよね。日本読みなら〈ひゃくさい〉、韓国語読みなら〈ぺくちぇ〉、どうひっくり返っても〈くだら〉にはならない。『日本書紀』の古訓には〈くだら〉の他に、〈くだらく〉っていうのがあるという。〈くだらく〉が出てくれば、〈ふだらく〉につながるのは不自然じゃない。仏教の補陀落、普陀落はインド南海岸にある観世音菩薩の住む山のこと。仏教が、百済によって日本に持ち込まれたことを考えれば、〈ふだらく〉→〈ふだら〉→〈くだら〉は、最初から対象外にするのは、むしろ不自然。
講談社学術文庫  ¥ 1,036

過去の景観の残片は、さまざまな形で地図に姿を留めている

序章 地図と地名に残された先人のシグナル
第1章 聖武天皇の都作り
第2章 平安京計画と四神の配置
第3章 古代地方行政の中心地、国府
第4章 古代の大道は直線であった
第5章 条里
第6章 荘園の範囲を確定する手順
第7章 織田信長の城地選定構想を読む
第8章 天下の大道と隠れ道の並走
第9章 豊臣秀吉の「首都」作り 1
第10章 豊臣秀吉の「首都」作り 2
第11章 徳川家康の江戸選地理由
第12章 「野」とは何か
第13章 溜池分布の謎を解く
第14章 新しい地名解釈から見えるもの
第15章 耳納山・伊吹山・浅間山
第16章 小字「心蓮寺」が発信した情報
第17章 都市内道路名称の意味を解く



《“飛鳥”は、なぜ〈あすか〉と読むか》って言うのも、考えてみれば、きわめて難解ですよね。《とぶとりのあすか》というように、本来、“飛鳥”は〈あすか〉の枕詞。確かなことは、〈あすか〉と呼ばれる地名があった。著者によれば、漢字が当てられた当初は、〈安宿〉に違いないだろうという。光明皇后は安宿媛(あすかべのひめ)と言った。

安宿は「やすやど」ではなく、「やすらかなやど」。ならば、飛ぶ鳥も、好んで羽を休めたに違いない「安らかな宿」から、「飛ぶ鳥のあすか」という言葉が成立したのではないか。著者はそう言う。

それでは、安宿と漢字が当てられる前の「あすか」と言う音の起源を考える。幾つかの説がある。
①鳥が群生
②ア(接頭語) スカ(住処=集落)
③アス(崩地) カ(処)
④ア(接頭語) スカ(洲処)
⑤朝鮮系渡来人の安住の地(安宿)

著者は、①⑤は漢字に引きずらているので問題外と言うが、まさにそのとおりだね。さらには、“阿修羅王”の「あしゅら」、“阿閦”の「あしゅく」が、「あすか」という音の起源ではないかと言っている。・・・後出しジャンケンのようだけど、私は以前から、そういう考え方に同調している。
《“野”とは何か》というテーマも面白い。奈良の吉野、京都の北野、嵯峨野、滋賀の蒲生野、うちの方では武蔵野。、まあ、どこにでもある“野”。

“野”と呼ばれるのは、比較的平らな地形だが、小高いところにあるため水がかりが悪く、耕地にすること、特に水田にすることが困難で、そのため雑木林や竹林になっているところが多い。必ずしも小高いところに限らないが、低湿地であったり、他の理由で未開拓となり、それがゆえに“野”と呼ばれた。

つまり、“惜しい”場所なんだな。




にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

『アメリカはなぜ日本を見下すのか』 ジェイソン・モーガン

だいたいが、アメリカは建国のルーツそのものが問題である。建国をになったピューリタンの教えが、そもそも独善的なものであった。

ジョン・ウィンスロップは、宗教の自由を求めて大陸へ移住し、マサチューセッツ湾植民地初代知事となった。彼の行った《丘の上の町》という演説は有名で、「清教徒は神と契約を交わした民で、“丘の上の町”に住み、彼らは世界の模範にならなければならない」というものであった。“丘の上の町”とはつまり、“約束の地”であり、契約の民は聖地への巡礼を試みるピルグリム・ファーザーズであった。

“宗教改革”に関する世界史の講義のようだが、カトリックにおいては、聖書の解釈権は教会に集中され、人々は教会に対して、神による救いを求めた。しかし、聖書主義の名のもとに、人々がそれぞれの立場で神とつながっていったことにより、宗教改革後の教えは、次から次へと分裂していった。

自分の離婚願望を満たすため、ヘンリー8世はローマ教会と袂を分かち、イギリス国教会を設立したのがイギリスの宗教改革であった。だからイギリスの宗教改革は、本来、その本質であるべき教義を問題としていなかった。当初はカトリックの形式がそのまま使われていた。今でも、ウィリアム王子の結婚式なんか見ていると、ずいぶんと伝統的な形式に傾いているように感じられる。そのため、教義をめぐる様々な主張は、あとから登場し、次から次へと分裂していき、中でも原理主義的な考え方は危険視されて、排除された。それがピューリタンである。

ワニブックスPLUS新書  ¥ 896

米国の大嘘を喝破 間違いだらけの対日歴史観を正す
序章 私が日本研究を始めた理由―先の大戦で戦った祖父から学んだ日本人の精神
第1章 なぜアメリカは日本を見下すのか?―「誤った対日歴史観」が生まれた背景
第2章 反日思想に染まったアメリカの歴史学会―日本研究を通してわかった学会の真実
第3章 アメリカの「対日歴史観」を正す―中国・韓国の歴史認識との相違点、類似点
第4章 日米関係強化に必要なこと―より良好な関係を築くために

著者のモーガン・ジェイソンは1977年生まれの、アメリカの歴史学者で日本史の研究者。彼自身、アメリカの、リベラルという名の人種差別主義的、似非進歩主義的な学問の世界に身を置いていただけに、その主張するところには真実味を感じさせるとともに、切実さがにじみ出る。学会や報道界がいかにひどい状況になっているかは、あとから紹介するとして、今日のところは、アメリカが日本を見下す理由として、アメリカの本質に関わる部分を、いくつかあげているところである

さて、まずは、ピューリタンの独善性について紹介した。続いて、アメリカには本質的に、君主制国家を憎悪する性格があるという点についてである。単純な問題であるが、アメリカは、君主制国家イギリスから、信仰の自由を求めて逃亡した者たちが建設した国家である。同時に、君主制国家イギリスへの反乱によって生まれでた国家である。

さらに、アメリカには中世がない。これは20世紀初頭のイギリスのジャーナリスト、セシル・チェスタトンも、同様のことを言っている。ある意味では当然である、アメリカ建国の理念はいきなり啓蒙思想家によっている。なかでもロックであり、モンテスキューであり、ルソーらの革命思想によっている。しかし、古代、中世は歴史の厚みであり、アメリカにはそれがない。日本は古代、中世、近現代に断絶がない。ヨーロッパには古代と中世に断絶があり、ペスト大流行で失われたものも多いが、歴史のなかで苦労して近代を築き上げた。それがないだけに、アメリカは過去や伝統に重きをおくことができず、軽視しがちである。

アメリカが日本を見下す理由として、アメリカの本質に関わる部分を、以上のように3点あげておく。




にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

ドイツとチェコ(覚書)『「世界大波乱」でも日本の優位は続く』 長谷川慶太郎

1938年、ヒトラーがチェコスロバキアにズデーテン地方の割譲を要求した。ヒトラー、チェンバレン、ダラディエ、ムッソリーニがミュンヘンに集って会談を催し、ズデーテン地方をドイツに譲るように、チェコに促すことになった。ミュンヘン会談であり、チェンバレンの宥和外交と呼ばれる。

これを最後の要求とすることを条件に、ズデーテン地方はドイツに割譲された。これによってズデーテン地方に住むドイツ人には、ドイツ国籍が与えられた。

ズデーテン地方には400万人のドイツ人が住んでいた。第二次世界大戦が終わり、再びチェコスロバキアに帰属すると、チェコスロバキアはズデーテン地方のドイツ人を追放処分とした。チェコスロバキアがはドイツと戦っていないが、戦争が終わると、戦勝国の一員としてズデーテン地方のドイツ人に、非人道的な報復をした。

その上で、チェコスロバキアは法律を作って、ズデーテン地方で行われた民族浄化に関わる犯罪行為については、国家は訴追しないことを決めた。すべての非人道的行為が、無罪となった。

・・・似たような国が、日本のすぐ近くにある。

PHP研究所  ¥ 1,620

英EU離脱ショック、チャイナ・バブル崩壊、ロシア・北朝鮮の暴走。それでも安泰な日本

ドイツ人が、《ズデーテンの悲劇》と呼ぶ事件により、ドイツはチェコスロバキアがEUの共通通貨「ユーロ」に入ることを認めない。だから、チェコスロバキアは今でも、独自通過の“コルナ”を使っている。ヨーロッパの中央部にあり、技術力をもつ工業国であるチェコスロバキアである。他のヨーロッパ諸国と共通通貨となれば、そこからもたらされる利益は、当然、大きい。にも関わらず、チェコスロバキアがユーロに加盟できない理由はたった一つ、ドイツが反対するからである。

チェコとスロバキアが分裂した際、農業国のスロバキアは、間もなくユーロに加盟した。これを問題とする国は、ドイツも含めて一つもなかった。しかし、チェコの加盟は許されない。

ドイツは、「ユーロに入りたいのであれば、ズデーテン地方における民族追放犯罪を無罪とする法律を取り消せ」と主張していてる。
第二次世界大戦後、ドイツに占領された地域に住んでいたドイツ系住民はすべて追放された。膨大な数のドイツ系難民が発生した。その数は、おおよそ1200万人にも及ぶと言われる。

ヨーロッパに溢れたドイツ系難民に対する戦勝国による仕打ちは過酷で、4分の1に当たる300万人が亡くなったという。




にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

『神々の山嶺 下』 夢枕獏

27日、左股関節をチタン製の人工物に取り換える手術を受けた。午後の1時15分に手術室に入って麻酔、・・・。次の瞬間手術は終わってた。なぜか時計が目に入って、それが4時だった。大きな声をかけられて術着を着せられ、術後の処置を施されて集中治療室へ。口の中に食いしばったときに噛んでしまった傷がある。一瞬で終わった手術のはずなのに、食いしばった記憶だけがわずかにある。

頭を左右に動かしてみる。ようやく見えるべきものが見えてくる。苦しくて、つらい時間が続く。看護婦が声をかけてくれる。連れ合いが付き添ってくれている。左下半身に大きな痛みの塊みたいのが覆いかぶさっていて、重くて動かない。つらい。こんな手術受けるんじゃなかった。

9時になった。看護婦が身体を起こしてくれる。麻酔科の許可が出たとかで、水が飲める。・・・生還❢
オーバーな物言いでしたね。大変な思いをしている人はいくらでもいるだろうにね。手術に向かう直前までに上巻を読んで、手術が終わった翌日から、痛がりながら下巻を読んだ。

正直、上巻で終わっていても不思議はなかった。それでもいいんじゃないかと思ってた。でも、下巻を読み始めるなり、その思いは消し飛んだ。


集英社文庫  ¥ 864

 なぜ人は山に登るのか? 永遠の問に応える畢生の大作!

エベレスト南西壁単独無酸素登頂。

下巻、その後半の大半は、羽生と深町の、その挑戦に費やされる。とは言っても、読者が辿るのは、上記の羽生の挑戦を見届けようとする深町の困難な足跡である。

深町は、羽生に追いすがって7600mの高度に達する。そこで、ブリザードの中、岩壁に苦戦する深町をさらに落石が襲う。その岩壁で深町は、羽生とザイルを繋いで死んだ岸との間に起こった真実を知ることになる。深町は、そこで降りた。降りて南西壁を正面から捉えられる場所にカメラを構えた。そこで、ファインダーは捉えた。エベレスト南西壁でも最悪の危険地帯、誰も挑戦したことすらない、そこを避けたとしても誰からも攻められることなどありえない、そこまでの危険地帯、南西壁頂上直下ウォール。羽生はそこにいた。ありのような速度で上に向かい、それでもあと250mまで達した。その時、南西壁にガスが巻いた。羽生は、見えなくなった。

2年後、エベレスト山頂を単独無酸素で目指す深町の姿があった。深町はそこで、ヒマラヤのジャイアンツにかけた男たちの物語に終わりはないことを思い知ることになる。
著者は、「ど真ん中の話を書いてしまう」と、自分のことをいう。そのど真ん中が、まさに下巻にあった。どれだけの読者が、南西壁7600mの氷壁でブリザードに吹きさらされた極限状況の中、自らの死に直面しかけたことだろう。

自分が一流とみなされないことに我慢がならないという種類の人達が、この世の中にはいる。この物語は、そういったことのみにくさ、、むなしさを書いている。だけどそれ以上に訴えるのは、ただひたすらに、誰もたどり着いたことのない高みを目指すことの純粋さ。

もしもその人が、そこにしか魂の昇華を求め得ない人であるならば、そこへ至るすべての営みは、純粋な行いとしか言えないものとなる。それが、どれだけの人を犠牲にし、傷つけるものであろうが、それはまた別次元の問題である。
金さえ出せば、五大陸最高峰なんて楽に登れる時代になった。羨ましいぞ、このやろう。でも、そんなことしたって人の心は動かないし、おそらく自分の心も動かない。

人の心はともかく、自分の心が動いている。新しいウォーキングシューズを買って、私は無様に歩いている。リハビリです。もう一度、山に登る。




にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

『神々の山嶺 上』 夢枕獏

「やっと読んだ」って感じだな。ここでは、文庫本で紹介しているけど、実際に読んだのは、1997年にかった単行本。買っただけで、まったく読めなかった.

当時、私は37歳。もうすでに山を諦めていた。しかも、その前の歳、36歳の時に肺気胸で手術を受けている。肺気胸は肺の風船に穴が相手、空気が胸の中に漏れちゃうんだよね。私の場合、右胸の肺に穴があいて、空気が漏れてしぼんじゃった。そうすると空気が吸えなくなるのよ。まさに片肺。まあ、片肺は生きてるんだけど、それなりに苦しくて、吸いたくても吸えないもどかしさがあって、何より激痛なのよ。

救急車で病院についたら、真っ先にやるのが、「胸に穴を開けて管を差し込み、中にたまった空気を外に出しますね」って、お医者さん。・・・先生、聞いただけで、痛い・・・

結局、手術を受けて治ったんだけど、「あなたの肺は、ほら中国製の風船みたいにゴムが薄くなってるところがあって、また気胸になるかもしれないから、すぐに救急車呼べないところにはいかないほうが良いですよ」って言われた。「どうせ山にもいけないんだし、どうだっていいや」って気分で、お医者の先生の言うことを聞いてたな。

そんな頃の本だから、買っても読んでないのが当然なんだけど、「この足の手術入院のお供には・・・」って考えた時に、真っ先に頭に浮かんだのは、この本だった。

集英社文庫  ¥ 788

 なぜ人は山に登るのか? 永遠の問に応える畢生の大作!

山には登っても、あえて、“岩”とかって思ったことはないし、大キレットを北穂に向かっても、滝谷に取り付いている人の気は知れなかった。雑誌といえば、『岩と雪』じゃなくて、『山と渓谷』を買っていた。

でも、この本に登場するのは、あえて滝谷を、あるいは一ノ倉沢を、好んで冬に、できれば誰も成功したことのないルートで登ってみたいっていう人たち。そして、この物語は、そういう話。しかも、地球上のあらゆる場所が探検しつくされた、そんな時代に、最後に残された、ジャイアンツと呼ばれる8000mを超える山嶺に挑戦した者たちの物語。そこには、何人かの日本人も名を連ねている。

その一連の挑戦の初期に、エベレストに挑み、頂上付近で消息を絶ったイギリス人登山家マロリーのカメラを、山にも人生にも打ちのめされた傷心の日本人カメラマン深町誠が、ネパールの首都、カトマンズの猥雑な街角の、雑貨屋で発見したことから始まる。

そのカメラは、遭難したマロリーが、その遭難時に持っていたと考えられるもの。それがそこにあるということは、誰から8000m以上の何処かで遭難したマロリーの遺体に対面したということ。そのフィルムに、マロリー頭頂の場面でも写っていれば、エベレスト登頂の歴史が書き換えられることになる。すったもんだのあげく、カメラはある日本人登山家と思われる人物の手に収まることになるのだが、・・・。

物語は、深町が、その日本人登山家の過去を洗い出す形で進められ、そのなかで、世界の困難な山に、果敢に挑戦してきた日本山岳会の一端が語られていくことになる。その果に、人類が、ジャイアンツと呼ばれる8000m超えの山嶺に挑戦してきた歴史に幕を下ろす役割を担った日本人登山家を登場させる。

ここまで読んで上巻が終わった。今日は入院3日目で、まもなく手術。下巻は手術の後で・・・。




にほんブログ村 政治ブログへ 一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

ありがとうございました



「《めんどくせぇことばかり》は、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。」
よくお越し下さいました

イーグルス16

Author:イーグルス16

息も絶え絶えです、ぜひ応援してください
人気ブログランキングへ にほんブログ村 政治ブログへ


言葉は人の心をあらわします。
「歌は世につれ世は歌につれ」と言いますが、言葉についても同じことが言えるでしょう。
これから出る本






































当ブログ内人気図書 
















































カウンター
カテゴリ
ブロとも一覧
アジシオ次郎の時事原論
はりこのはやしや 
ハシビロコウ
素足のアイドル達
うさぎ屋の四方山話
わくわく株式投資
プロモデラー林哲平のジャンクロボット創作ブログ『ケルバーダイン』
大好き!グラビアアイドル!
伊織のブログ
Re:BAD TASTE♥
QWERT 5w1h
「伝わる技術」オトデザイナーズ・坂本真一
歌と知恵でハッピーライフ^^
こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本












































検索フォーム
リンク
RSSリンクの表示
最新記事
応援して下さい