めんどくせぇことばかり 2017年02月
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東吾野~天覚山~飯能アルプス

地図
今回の山歩きは仕事をさぼっていったんじゃありません。土曜日に行きました。天気は曇り。翌日の日曜日がいい天気だっただけに、少しもったいなかったです。連れ合いは、孫のお守りにかり出されて、抱っこしてひざを痛めたので、この日は一人。朝、7:30前に家を出て、車で高麗駅へ向かう。高麗駅の近くの500円駐車場に車を入れて、8:04発の下り“三峰口行”に乗る。まず、電車から降りてくる人の多さにびっくり。しかも、その多くが登山の格好をしている。日和田山登るのかな。電車に乗るとでかいザックの人が寝てる。70Lのザックがパンパンになってる。奥秩父の縦走でもすんのかな。私は、ちょっとした山歩きとはいえ、子供用みたいなリュックサック。ちょっと、気持ちが萎縮しつつ、東吾野到着。 8:15、登山開始。
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東吾野駅は、高麗とは違って下りる人も少なかった天覚山への道標。ルート全般を通じ、しっかり道標が整備されている。ロープ付きの急坂。きついのはもちろんだけど、心が躍ってる。

じつは、地図に示した赤のルートは先に作っちゃったんだけど、実際に行ってみて、違うルートを取った。駅を出てから間もなく、尾根がせり出している位置があるでしょ。そこに取り付いて、尾根に上がった。赤のルートは沢沿いらしいんだけど、この日は曇ってたんで、尾根に上がることにした。
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頂上直下まで来ました。木の根が
大きな岩を抱え込んでました。
天覚山山頂です。ずいぶん急な登りでした。9:00到着。クッキー、干しブドウ東側から南西方向にかけては抜けていていい景色。曇り空が残念。

このルートの面白さは、ここからでした。いくつもいくつも小さなピークを登っては下り、上っては下りしていきます。何人ものトレイルランニングの人とすれ違いました。通常の登山者は、東吾野駅で一組、天覚山頂で一人だけ。トレイルランニングの人たちも、気持ちのいい人ばかりでした。
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道標によると、いったん尾根から離
れて、樹林を下る。
その尾根を直進。道ははっきりしていて、最後は鎖で降りる。舗装道路に出て、ここが東峠。樹林を下っても同じだ。

じつは、十分研究した地図を、車の中に置き忘れてきた。上の地図の★の位置。頭に入っていたけど、迷った。地図によれば、いったん下る。道標に従って、下り始めたんだけど、舗装道路に出る前に引き返し、尾根を進んでみる。結果は同じだったけど、地図を忘れるという凡ミスが恥ずかしい。
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釜戸山への分岐。こういうの見ると、
ついつい行ってみたくなる
久須美坂。地図がないため、位置
分からず。ああ、もう❢
東峠を過ぎてしばらくしてからこの
辺りまで、ずっと右手にゴルフ場

位置はわからないが、「尾根歩きの終わりが近づいているのは間違いない」というあたりで10:15。多峯主山を越えても11時過ぎには高麗駅につけるだろう。
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ここには饅頭のようなケルンが。
一休み、クッキー、干しブドウ
飯能アルプスの表示。以外にも、面白
い道だった。
山道は、最後、ニュータウン沿いに
なって、下ってきました

ああ、よく歩いた。まあ、こういう整備されたコースだから良かったものの、地図を車に置き忘れるというのは、・・・ったく❢

上の地図はYAMAP作ったもんだけど、YAMAPだと、こんな図が出せて面白い。・・・ほらほら
高低 
それとか、こんなのも出せる。・・・ほらほら
3D 
何かとすごいね。  



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テーマ : 登山
ジャンル : スポーツ

ベルサイユ体制(覚書)『戦争を始めるのは誰か 歴史修正主義の真実』 渡辺惣樹

1918年春、アメリカの参戦で、ドイツ軍の戦意を大きく削いだ。10月には講和条件を探る事態となった。宰相のマクシミリアン・フォン・バーデン伯が14か条の平和原則による講話をアメリカに打診すると、ウィルソン大統領は、英仏の軍事的優位の確保と皇帝の退位を条件に、英仏との間を取り持った。11月11日、休戦協定が成った。

仏は140万の命を失った。英は70万の命を失った。英仏は、ウィルソンからの持ちかけにいい顔をしなかったという。米国の単独講和をちらつかせて、ようやく休戦に納得させた。イギリスは、港湾封鎖により独の食料欠乏策を継続することを条件とした。仏は、独に完全なる賠償を求めることを条件とした。

講和会議のなかで、独は海外領土のすべてを失ったのに加えて、ヨーロッパ大陸の領土も切り刻まれた。
  • アルザス・ロレーヌは普仏戦争で独領となったが、仏領に戻された
  • ザール地方は国際連盟の委任統治領となった
  • ベルギーはプロシア時代からの領土であったオイペン・マルメディ地方を得た
  • ラインラントは非武装化された。ここには、ケルン、フランクフルト、マンハイムを含む
  • ユトランド半島はデンマークと争っていたが、住民投票が強行された結果、半島北部はデンマーク領となった
  • 上シレジアでも住民投票が強制され、東部はポーランドに編入された
  • ポズナンはプロシア時代からの領土であったが、ポーランドに割譲された
  • ダンツィヒは、その住民の9割以上が独系であったが、自由都市として国際連盟の管理となった。同時に陸からのダンツィヒに通ずる地域がポーランド領(ポーランド回廊)となったため、ダンツィヒは完全に孤立した。第二次世界大戦は、独によるダンツィヒの回復要求がこじれたものである
英仏は賠償金に自国兵士への離職手当や退職年金のコストまで含めるよう要求した。独を休戦に引き込んだ米の立場にすれば、戦争コストを賠償金の計算に入れることには反対であったが、結局、対独復讐心に燃える英仏に押し切られた。

ベルサイユ条約第231条
「連合国とその国民が被った犠牲の原因はすべてドイツの侵略行為に起因する」

ベルサイユ条約賠償金問題を検討する委員として参加したケインズを含め、良識ある者によれば独の支払い可能限度額は100億ドルと見込まれたが、実際ドイツに押し付けられた賠償金は330億ドルであった。しかし、実際にこの額が決定したのは1921年である。


ルサイユ条約の調印式は、1919年6月28日にベルサイユ宮殿鏡の間で行われた。この日は、オーストリア皇太子フェルディナントが暗殺された日であった。この日のドイツ代表は外務大臣に就任したヘルマン・ミューラーであるが、その調印の文書には、まだ賠償額は書かれていなかった。


文春新書  ¥ 1,188

チャーチルとルーズベルトがいなければ、第二次世界大戦は起こらなかった
第一章  第一次世界大戦の真実
第二章  第一次世界大戦後の歴史解釈に勝利した歴史修正主義
第三章  ドイツ再建とアメリカ国際法務事務所の台頭
第四章  ルーズベルト政権の誕生と対ソ宥和外交の始まり
第五章  イギリスの思惑とヒトラー
第六章  ヒトラーの攻勢とルーズベルト、チェンバレン、そしてチャーチル
第七章  ヒトラーのギャンブル

本書p83に、米の歴史家のシドニー・フェイが1928年に発表した『第一次世界大戦の起源』をもとにした、ものすごく簡単な、ものすごく常識的な、同時にあまりにも無視されてきた、第一次世界大戦の原因が書かれているので“覚書”として残しておく。

《1914年6月28日のオーストリア皇太子フェルディナントの暗殺の責任はひとえにセルビアにあり、その責任を追及するオーストリアにドイツが加勢したこと。セルビアを支援するロシアがまず軍の動員をかけたこと。動員解除のドイツの要請を拒否したのはロシアであり、ロシアの態度を煽ったのがフランスであったこと。いつまでも態度を鮮明にせず、体裁だけの仲介に終始し、どちらの陣営にも期待を持たせながら最後に露仏側についたイギリスの外交政策は失敗であったこと》

独の賠償金支払いの遅延に業を煮やしたフランスが強硬策に出たのは1923年1月11日。ベルギーの一歩兵部隊を含む仏軍6万が、ドイツのルール地方を占領した。この地域の炭鉱を手中に収めることで賠償金に変えるという強制措置である。この地域に住む14万7000人が強制退去させられ、この過程で命を失った者は120人にのぼった。

独における仏占領地区で、黒人セネガル兵による独女性に対する強姦事件が多発した。過大な賠償金や強姦事件は独国民のプライドを著しく傷つけた。

こういった出来事の一つ一つの重なりが、ヒトラーの登場を準備していく。




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ジャンル : 本・雑誌

越生梅林で梅見

今日(2/26)の午前中に、越生の梅林に行ってきました。ちょっと肌寒い感じだけど、さほどでもなく、連れ合いの苦手な花粉も本格化手前で、絶妙なタイミング。梅まつりの1か月は、地元の梅農家の稼ぎ時。週末の土日が、寒すぎず、いい天気になれば、落ちるお金は数百万円。・・・いやいや、桁がもう一つ上だな。いい天気でよかったね。
地図
梅林に行く前に、まずは、梅林を通り過ぎて先の山の中、上谷(かみやつ)の大楠を見に行きました。巨木ですね。どんなもんだろうと思っていってみたんですが、これがものすごい。あまりの大きさに、言葉を失うほどでした。幹周り15m、高さ30m。・・・そう行っても実感わかないでしょう。ぜひ見に行ってみてください。

地図の中、黒◯が梅林、赤◯が大楠です。最勝寺から先は舗装ですが、細い道で、できれば対向車に合いたくない道です。歩いて1分のところまで来るまでいけます。駐車場もあります。途中で、馬を2頭見ました。写真で迫力が伝わるでしょうか。そうそう、この木、埼玉県第1位、全国第16位だそうです。

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その後、梅林に行きました。梅林についたのは9:30頃で、まだまだ、道路にも、駐車場にも、余裕がありました。入園料300円で、JAFカードで100円引き。入園するなり、甘酒の無料サービスで、入園料を取り戻した感を感じるのは貧乏人根性の証拠。見頃ちょっと手前って感じだけど、過ぎるよりましだもんね。来週あたりが最高潮かな。
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 左はしだれ梅の写真。へへへ、けっこういいでしょ。自慢です。右は、舞台でやってたお神楽の“ひょっとこ”さん、“おに”さん、“きつね”さん。舞台が終わったあと、「さあ、いっしょに写真を取りましょう」って言ったら、舞台前にいたちびっこが全速力で逃げていきました。
 
出店は、ごく一般的なお祭で店もありますが、お焼きとか、焼き栗、焼ニンニク、三陸産わかめ、干し芋とかもありました。ちょっと、お腹がすくには早い時間で、時間が合えば、ここでお昼にできたのにと、残念に思いました。

1時間ほど、梅見を楽しんで、帰ろうと出入り口に向かおうとすると、園内はすごく混んでいた。10:30です。見れば、出店にも行列ができ始めてました。これは、お昼に来るよりも、朝飯を抜いて来るのが正解だと思いました。ようやく園内から出ると、今度は、車が行列を作っていました。

おじさん、おばさん、大喜びですね。




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『ゼロからわかるキリスト教』 佐藤優

《フランダースの犬》で、ネロがアントワープ聖母大聖堂で、どうしても見たかったルーベンスの絵を見ることができたとき、彼は神の愛に満たされていることを実感していたろう。神を信じてるわけでもないのに、ネロがそういう状態にあることは、疑えなかった。

イスラム国につかまって殺された後藤健二さん。佐藤さんと同じ、日本基督教団に属しているんだそうです。そういう立場で、佐藤さんが後藤さんに言及しているのね。

ジャーナリストとしての実績もあり、その前に拘束された湯川さんのことも前から知っている。日本政府も、NPOも助けに行けない。マスコミも世論も、どこか湯川さんを「しょうがねぇな」扱いにしている。

ちょっと変わったところのある人だけど、日本から遠く離れた砂漠の中で、一人殺されようとしている。放っておけば、誰からの手も差し伸べられないまま、間違いなく殺される。万が一の可能性しかないけど、自分が交渉に立てば、この人を助けられるかもしれない。だけど、自分が殺されたら残された妻や、生まれたばかりの子をどうする。

佐藤さんは、《後藤さんは召命を受けた》と言うんです。神に召し出されたと。召命は、《外部から、超越的な声が聞こえる》って言うんです。そして、召命に従うことは、《義務なのだ》と。

あの時の、後藤さんの、悲壮感にあふれながら、しかも堂々とした、・・・武士のような表情。ネロと同じく、後藤さんも、神とともにあったということか。

佐藤さんにも、聞こえたことがあるって。そうあの時、鈴木宗男さんとのできごとの時。



新潮社  ¥ 1,296

神の居場所を知っていますか? 全日本人の弱点・キリスト教の核心を早わかり!
第一夜  神はどこにいるか?
第二夜  神の声が聞こえるとき
附録  ヘーゲル法哲学批判序説 カール・マルクス


《宗教がアヘン》であるなら、宗教がある以上、人はそれに酔わせられ続けることになる。酔った人間は、自分が鎖につながれたことさえ気づくことができない。しかし、アヘンは取り上げられた。それは、鎖につながれた現実に絶望させるためではなく、鎖から解き放たれる希望に奮い立たせるため。

ガリレオ・ガリレイらの時代、神は居場所をなくしたんだって。カトリックは、新知識に圧力を加えて、見ないふりをしたけど、プロテスタントはフリードリヒ・シュライエルマッハーによって、神の居場所を外部から“人間の心の中”に転換することに成功した。

さらに、カール・マルクスは、神に対する観念の分水嶺になる。「宗教が人間を作ったのではなく、人間が宗教を作った」というマルクスの宗教批判は、現代の神学者が神を語るときの前提で、当たり前のことなんだって。
・・・どうも最近、読んでみると、「書かれていることが思ってたのと違う」ってことが多い。“神”に関して、いろいろな人の考えが引用されてくるんだけど、カール・バルト、ディートリヒ・ボンヘッファーなど、ほとんどの神学者は、名前さえ知らない。

もともと、佐藤さんはわかりやすく書ける人で、“セクハラ・パワハラ”へのたとえであるとか、“妖怪ウォッチ”のたとえであるとか、“アダムとイブの原罪”であるとか、おもしろく書いてくれるので何とかついていったって感じ。ただ、《キリスト教がゼロからわかった》っていう実感はない。これじゃあ、本の紹介になってないな。その点、題名が張ったりかまし過ぎ。 ・・・お前の方に原因があるんじゃないかって? ・・・ごもっともで。

カトリック世界という枠組み、共産主義社会という枠組み、そしてイスラム国という枠組み。その世界にはその世界特有のルールがあって、“民主主義社会”という枠組みのルールは、そこでは何の意味も持たない。ときには“独裁”が称賛され、異教徒の処刑は合法であり、異教徒の女を奴隷のするのは当たり前である。こういう考え方は、甘えを取り去ってくれるね。

「民主主義は嫌いだけど、ほかの方法よりも、まだまし」って、チャーチルがそんなこと言ってたっけ。




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テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

『シベリア抑留』 富田武

本書は、シベリア抑留を、かつて考えられていたよりも、より大きな地理的広がりと歴史的文脈に位置づけなおす試み。

・・・いきなりそんなこと言ってもわかんないですよね。ソ連の崩壊以後の公文書の閲覧解禁が進むにつれ、まずはロシア人研究者の研究が進んでいったらしい。日本の研究は立ち遅れてしまっているらしい。《シベリア抑留とは、軍人・軍属の問題で、ソ連による非道な所業である》と、すでに結論づけられたことも、研究が進まなかった理由のようだ。

抑留されたのは、朝鮮人や台湾人の軍人・軍属もいた。ドイツおよび、同盟国軍の捕虜も抑留された。独ソ戦の前半にはソ連軍の将兵も捕虜となって苦しんだ。抑留先はソ連・モンゴルに加え、南樺太、北朝鮮、旅順・大連も、ソ連・モンゴルの抑留者数に匹敵する。特に、南樺太、北朝鮮においては、日本人民間人が抑留されていた。

より大きな地理的広がりとは、上記の状況を意味する。さらに、歴史的文脈とは、ソ連による抑留と収容は、革命後の強制労働収容所をモデルにし、独ソ戦の中での相互の経験が日本人抑留者にも適用されているという点である。

シベリア抑留は、日本人固有の悲劇ではなく、内外数千万人の人を苦しめた「スターリン独裁下の収容所群島」の一環という世界史的視野を必要とする問題ということである。


『シベリア抑留』    富田武

中公新書  ¥ 929

スターリン独裁下、「収容所群島」の実像 抑留されたドイツや日本など400万人以上の将兵
序章  矯正労働収容所という起源
第1章  二〇〇万余のドイツ軍捕虜ー侵略の「人的賠償」
第2章  満洲から移送された日本軍捕虜ーソ連・モンゴル抑留
第3章  「現地抑留」された日本人ー忘却の南樺太・北朝鮮
終章  歴史としての「シベリア抑留」の全体像へ

20世紀は戦争と革命の100年だった。たしかに特別な100年だった。それでは19世紀はどんな100年だったか。産業革命を成し遂げた欧米が世界に拡張し、植民地化を進めた100年か。18世紀は、17世紀は、・・・?

まあさ。後に時代の人間が前の時代の付けを払うのは当たり前のことで、だいたいそういう風に考えること自体がけち臭い。だけど、自分がつけを十分に払い終わった以上、「お前らも早くつけを払え」くらいは言ってやりたい。そうしないとあの連中、四六時中、つけを払わずに済む方法を考えてるような奴らだからな。逃げられないように、付け馬を貼り付けておいた方がいい。

欧米にとって、20世紀はたまった付けの代償じゃあない。それまで100年以上続いたお祭りが終わりを告げたのが20世紀だ。21世紀に入り、これからつけを返してもらう時代が始まるのだ。借金の質と量には、おのずから違いがあるが、それにしても、そろいもそろって、よくもこんなに人の金で勝手なことができたもんだ。

スターリン時代のロシア人ってのは、まさに地獄だな。「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」っていう戦陣訓の言葉。その起こりも知らずに「捕虜になるくらいなら死ねなんてひどい」とかっていう人がいる。でも、もしかりに、そのような短絡的な理解であっても、スターリン時代のロシア人よりもはるかにまし。

なにしろ、兵は捕虜になることを禁じられ(???)、捕虜の家族は手当や補助金を剥奪される。さらに成人家族は刑事責任を問われ、遠隔地に流刑にされる。まったくスターリンってのは、本当に肝っ玉の小さい、猜疑心の強烈に強いおチビさんだったようだ。

そういった姿勢が、日本人やドイツ人の捕虜の扱いにも反映されるわけだな。あいつの個性によって、日本人もずいぶんひどい目に合わされたってことだ。

ロシアのつけも、すさまじいね。安倍さんにお願いしたい。次にお友達のウラジミル君に合ったら、こう言ってあげて下さい。「北方領土? いらねぇよ、そんなもん。とりあえず、つけを払って、すべてはそれからだよ」って。

柿は熟せば落ちる。ものごとには“時節”ってもんがある。それまで日本は、地道に毎日を過ごして、間違っても国力を落とさず、世界の国々と仲良くし、かつベールに包まれた過去を暴き出し、決して忘れない。

さあ、今日も仕事を頑張ろう。・・・この間は、さぼって山に行っちゃったけどね。




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『縄文の奇跡 東名遺跡』 佐賀市教育委員会

バスケットがぞろぞろ出たんだ。それもすごいね。装飾性に富んだ上物ですね。今あっても決しておかしくないものを、8000年前に作って、使ってたんだ。

日本で一番古いものは滋賀県粟津湖底遺跡から出た破片で1万200年前のものなんだそうだ。だけど、それは破片で、この東名遺跡のものは原形をとどめてますからね。模様のはっきりしたものも数多いしね。

それに、ツヅラフジやテイカカズラと、素材もはっきりしていて、技法までわかってるんだって。

この遺物を見ても、欲しいもんね。

かご作りの技法は、基本的に今と同じで、素材をよく理解して、加工方法や使用目的が考えられていたっていうんだからね。ものづくりのルーツは、とても古いですね。

おっと、・・・****んん千年の歴史とかって言わないでね。お隣の方と間違われちゃうからね。
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第1章  日本最古! 最多! 縄文バスケット
第2章  激変する環境を生き抜いた縄文人
第3章  縄文人の食生活
第4章  縄文人のものづくり
第5章  縄文人の外見と内面
第6章  歴史の中の東名遺跡
第7章  東名遺跡を理解する
附録  ぶっちゃけ東名トーク

東名遺跡の発掘は平成5年から始まって、一次調査で終わるはずのものが、貝塚の発見によって二次調査が開始され、国内最古の湿地性貝塚として、出るわ出るわ、国内最古級の遺物がぞろぞろ。それらの発見は、8000年前の物質的、精神的文化において、これまでの縄文観をぬりかえることにつながった。この本は、その状況を広く知らせるための、第二次調査の報告書みたいなものらしい。

貝塚の写真も出てるんだけど、貝塚ってすごいね。そうそう、この東名遺跡、竪穴住居の跡が見つからないんだって。つまり、柱を立てたはずのくぼみがないんだって。本書では、住居だけ別な場所にあったとか、近くにあったけどのちの時代に削られたとかの可能性が上げられているけど、竪穴住居ではない住居に住まってた可能性が高いんだって。平地式住居っていうらしい。

じつは九州では、東名遺跡に時代の遺跡からは、竪穴住居跡がまったく発見されていないんだそうです。この本に出ている図で見ると、確かに平地式住居の方が、作りさえしっかりしていれば、機能的に優っているように思える。

驚いたのは、面の遺物。その形状から、棒の先に括り付けて祭りなどに使われたものではないかと考えれれたが、国内ではほかに出土例がなく、不明木製品に分類されたんだそうです。ところが、足元の佐賀県内のお祭りに、そういうのがあったんだそうです。佐賀県の有明海が満潮になると潮が遡上してくる地域で、有明海の潮水を天狗の面に振りかけ氏神に迎え入れることで、地区の安泰を祈願するお祭りが、今もあるんだって。「シェーとり祭り」っていうんだって。主役はイヤミか?

もし、もう一つ二つ似たようなものが発見されて、関連が明らかにることがあるとしたら、これはすごいね。《佐賀県、8000年の祭り》って、堂々言えるね。お隣の、“半万年”っていうわけのわからない年の数え方の“歴史”の上を行っちゃいますね。




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第一次大戦(覚書)『戦争を始めるのは誰か 歴史修正主義の真実』 渡辺惣樹

1914年
6月28日 
サラエボ事件発生
7月23日
墺がセルビアに最後通牒を発する。暗殺事件の調査要求と墺も調査に参加することを要求。セルビアは墺の参加を拒否。この時点で墺は独の、セルビアは露の支援を取り付けていた。
7月28日
墺、セルビアに宣戦布告
7月29日
墺、ベオグラード攻撃開始
7月30日
露、全軍に動員命令
7月31日
独、露に対して動員解除を求める最後通牒
8月1日
独、露に宣戦布告。仏に対して中立を要求するが、仏は拒絶
8月3日
独、仏に宣戦布告
8月4日
独が仏攻撃のためにベルギー領の通過を求めるが、ベルギーが拒否。独軍、ベルギー侵攻。ベルギーの中立保障条約を根拠に英が対独宣戦布告
イギリスがベルギーの中立を保証する条約は、この時から70年も前のもので、対ドイツ戦争を始める根拠とするには的外れとは言わないが、教条主義に過ぎるとは言っていいだろう。

イギリスの参戦は、学校の授業でも、セルビアを支援するロシアとオーストリアの戦いが始まったことで、独墺同盟対三国協商の関係からそのまま巻き込まれたように扱われている。だけど、確かに協商は軍事同盟じゃないんだから、それだけを根拠に戦争しなきゃならないってのはおかしいよね。

そこで、念のため、“協商”っていうのが何なのか調べた。もとは、Ententeっていうつづりで、そのまま協商って言葉が出てくるけど、「親善関係を結んで協力しようという約束」っていう程度で、Treaty=条約というほどでもない場合に使う言葉らしい。ということなら、なおさらそれだけで巻き込まれるわけじゃないんだな。戦争するなら、それなりの根拠が必要。それが、70年前の中立保障条約くらいじゃ根拠つしてはふさわしくないってことね。

じゃあ、ドイツの攻撃を受ける立場にないイギリスが、わざわざ大陸のいざこざに首を突っ込んだ本当の理由はいったい何なのか。

例えば英仏協商は、その根拠にはならないとは言っても、ドイツの強大化の前に、英仏で喧嘩してる場合じゃないねってことだよね。ロシアやフランスがドイツと戦争を始めたから、この機に乗じてドイツをやっちまえと。ナポレオンの時もそうだったけど、大陸に強国が登場すると、その反対に回ってつぶしてしまう。それがイギリス外交の国是だというんだな。つまり、イギリスの参戦はパクス・ブリタニカを守るため、ひとえにイギリスの国益のための戦争だった。

そして、この時は誰も知らないけど、結果として、イギリスはじめ、ヨーロッパ全体の地盤沈下につながるドイツとの戦争を、最も強烈に主張していったのが、若き日のウィンストン・チャーチルだったそうだ。


文春新書  ¥ 1,188

チャーチルとルーズベルトがいなければ、第二次世界大戦は起こらなかった
第一章  第一次世界大戦の真実
第二章  第一次世界大戦後の歴史解釈に勝利した歴史修正主義
第三章  ドイツ再建とアメリカ国際法務事務所の台頭
第四章  ルーズベルト政権の誕生と対ソ宥和外交の始まり
第五章  イギリスの思惑とヒトラー
第六章  ヒトラーの攻勢とルーズベルト、チェンバレン、そしてチャーチル
第七章  ヒトラーのギャンブル


そして、第一次世界大戦と言えば、なんといってもウッドロー・ウィルソンの登場ですね。通常、一騎打ちになる米大統領選が、このとき共和党内の問題から人気のあるセオドア・ルーズベルトが新政党を作って立候補して、三つ巴の戦いになったんだそうだ。結局は、共和党の票が割れて、あっとびっくり、ウィルソン大統領の登場なんだって。
20130921113013808.jpgこのときウィルソンを熱烈に支援していたのがサンフランシスコ市長を務めたジェイムズ・フェラン。日本人の子供が学校で白人の子供と一緒に学ぶのを嫌って、日本人の子供をチャイナタウンのシナ人の学校に隔離した人物だ。

右は、フェランが使った1920年に使った選挙ポスターで、ほら、菊の御紋が入ってる。方や星条旗。

ウィルソンは人種差別主義者で、財務長官に抜擢された娘婿も、造幣局に黒人隔離を持ち込んだような奴だったらしい。
この、ウィルソンの時に、アメリカは第一次世界大戦に、わざわざイギリス以上に広い海を越えて参戦していったわけだ。よく言われるのは、客船ルシアタニア号を沈められたことが原因ということ。でも、イギリスへの武器の輸送は貨物船だけでなく、客船も使われていて、ルシタニア号にもレミントン社製の弾丸400万発が積まれていたことが、2008年の調査で分かった。

結局は、イギリスへの武器輸出をやめないアメリカに業を煮やしたドイツが、無制限潜水艦作戦を公言したことが大きいわけだけど、ロシアの退場で《民主主義国家対専制国家》という決めつけができるようになったことも大きい。

以下、本書に掲載されている、議会に対独宣戦布告の容認を求めるウィルソン大統領の、1917年4月2日の演説の一部を紹介する。
われわれに課せられた使命を遂行するためには命も財産も捧げることができる。すべてを投げ出すことができる。我が国がいかにして生まれ、そして幸福と安寧をどう作り上げてきたか。そのことを知る者は高い誇りを持っている。我が国はその誇りを持っているからこそ、理念のために戦い、血を流せる特別な国なのである。われわれにほかに取るべき道はない。神の加護あれ。

本当のことを知ってるものなら、唖然とするしかないような演説だけど、議会は一瞬の静寂ののち万雷の拍手に包まれたそうだ。・・・呆れ返る。ともあれ、混乱したヨーロッパにウィルソンがさらなる混乱をもたらす。そしてそれこそが、第二次世界大戦の原因となる。




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東吾野から日和田山

地図 

《一盗二卑三妾四妓五妻》なんていう下種な言葉がありますが、盗んでなんかやるって、とっても気持ちいいですね。

・・・えっ? 上の話? 私は穏やかなもんですよ。お金を払ってなんて思いもよりませんし、囲うような余裕はもちろん、端女を雇うゆとりなんてあるはずもありません。すると、お付き合いの範囲は限られてしまいます。・・・

すみません。変な話から始めてしまいました。人間が下卑ているもんで、・・・お許しください。

2月に入り、突然仕事に余裕ができました。そういう仕事なんです。これが第3週からは、死ぬほど忙しくなるんです。しかも、この余裕は、3年に1度しか味わえません。そういうわけで、今回は、仕事の時間を盗んで、山に登ってきた話。

冒頭の《一盗二卑三妾四妓五妻》は、あまり関係ありません。ただ、ついつい頭に思い浮かんでしまっただけのこと。

2月に入って最初の金曜日、いったん職場に行って、アリバイ作りに騒ぎまくって、こっそり出かけて山に登ってしまいました。車で出かけて、埼玉県日高市の日和田さんの登り口にある無料駐車場に車を置きました。無料スペースは3台分だけなのですが、1台分だけ空いてました。ここから高麗駅まで歩いて電車で東吾野まで行き、そこから山へ上がって、ここへ降りてくる予定です。
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高麗川に架かる橋から巾着田方面
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高麗駅近くからのちょうど鳥居のところが見える
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麗駅。天下代将軍、地下女将軍
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東吾野駅。ここからスタート。今頃、みんな仕事中

299号線を少し戻って、吾野神社の裏手から登山道が始まります。これが、いきなり結構な急坂。いやいや、仕事をさぼった甲斐がありました。いい気になって上ります。高校のころ、この辺りは大体歩いてるはずなんだけど、「尾根伝いに舗装道路が走ってる山なんて」って見下してたので、いまさら意趣返しされてます。
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吾野神社の急な階段。地図ではこの裏から登山道のはず
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急登の男坂を経て、橋本山山頂から奥武蔵の山。武甲山だ
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ユガテの山上集落。写真だと暖かそうだけど、この日は強風
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北向き地蔵への道は杉の林。強風で折れた杉の枝が落ちてくる
落ちてきた杉の枝は太いところで直径2cmほどもありました。奥武蔵もヘルメットが必要ですね。

すでに職場を離れて2時間が経過、まったく休みを入れてないが、昼休みが終わるまでに戻らないと、おそらくばれる。まあ、ばれたらばれたときの事。山で急いでいいことなんかあるはずもない。いよいよ日和田山を目指す。
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樹林の中の山頂、物見山。ようやくここで小休止。ソーセージを食いました
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高指山へ向かう途中の駒高集落。暖かそうだけど、あくまで強風の一日
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いったん下り、上り返して日和田山山頂。宝篋印塔は1725年建立とのこと
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金毘羅神社から、巾着田を見たところ。職場はすでに、昼休みに突入
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富士山ですね。なんで富士山がこんなにうれしいんだろう。私は秩父の人間なんです。秩父は盆地なので、山に登らないと富士山見えないんですよね。

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朝、写真に写る高麗駅からこの鳥居を見たんだよね。駅から見えるんだから、当然、ここから駅が見えて当たり前。


東吾野の駅を出てから、車を止めたところまで2時間半。ああ、疲れた。それにしても、今日はよく歩いた。おそらく、こんなに歩いたのは、・・十年ぶりだな。

この後、山から駆け下りて、麓においた車で職場に戻りました。まだ、昼休みが終わるには5分ほどの時間がありました。戻るや否や、「いや、腹いっぱい食うと眠くなるね」とか、わけのわからないことを言いながら、仕事に戻りました。
もちろん午後は、午前の分を取り戻すべく、一生懸命働きたいところでしたが、冒頭に申し上げたように、仕事がないんです。同じような人は他にもいるんですが、彼らにも仕事はないはずなのに、とても上手に、仕事をしているかの如く時を過ごしています。見事なものです。

私はすぐさま半日の有休を取得し、家に帰って休養しました。翌日は、快い筋肉痛でした。




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『教養としての日本近現代史』 河合敦

こういう本はさ。スッ・ポン・パッって、読み切っちゃわなきゃだめだよね。スッ・ポン・パッってのは,“出た・買った・読んだ”っていう具合にね。それが、なんでか、寝かしちゃったんだ。でも、そんなに前じゃないんだけどね。2015年12月に出た本。1年半まではいってないからね。

なぜ、すぐに読まなかったのか。・・・実は、覚えてないんだよね。でも、ペラペラめくってるうちに、思い当たることはあった。題名の最初に、“ニュースがよくわかる”とある。おそらく私は、「これを読めば、ニュースが分かるようになるんじゃないか」って思ったんじゃないかな。

でも、私の“分かるようになりたい”ニュースと、著者の言う“分かるようになる”ニュースが違ってたってことだな。この本が出た当時で考えれば、私の“分かるようになりたい”ニュースは、ウクライナをめぐるヨーロッパとロシアの確執。スコットランド分離問題、ギリシャ問題後のヨーロッパ。原油安と資源依存国家の状況。もちろん、中東問題。シナの経済破綻の影響。ヒラリーだけは勘弁してもらいたい米大統領選。・・・そんなところかな。

でも、そんなことは、この本には、何にも書いてない。・・・だから、寝かしちゃったんだろうな。でもそこは、『・・・日本近現代史』って題名なんだから、間違えた私が悪い。そういう題名の本なんだから、“日本近現代史”についてわかるに決まってる。



祥伝社  ¥ 1,620

慰安婦問題、南京大虐殺、尖閣諸島・竹島、・・・ なぜ不信と憎悪が続くのか?
1 「歴史レジェンド」とは何か?-ペリー来航と幕府の消滅
2 『学問のすゝめ』はなぜ空前のベストセラーになったのか-近代国家の誕生
3 ブラック企業はいつから存在するのか?-近代産業と欧米思想の移植
4 世論が暴走すると国はどうなるのか?-強大化する帝国日本
5 竹島問題を複雑にしたのは誰か?-世界の強国となった日本
6 南京大虐殺は存在しなかったのか?-恐慌の時代
7 北方領土が返還されない本当の理由とは?-太平洋戦争と日本の敗戦
8 安保関連法案のどこが問題なのか?-占領期の日本と独立
9 尖閣諸島をめぐる「知られていない歴史」とは?-経済大国日本


今になって、「『・・・日本近現代史』に関わるニュースが分かるようになるならありがたい話だ」と思い直したわけだ。せっかくお金を出して買った本だし、気を取り直して読んで、もしもためになればもうけものと考えたわけだ。だけど・・・。

最初から、違和感はあった。話が会津に及んだことだ。もちろん会津戦争に関してである。あろうことか著者は、会津人の憤りを朝鮮人やシナ人の日本人に対する感情と相対化して紹介した。これには、唖然とした。その性向からすれば、朝鮮人やシナ人は、むしろ薩長の卑劣さに相対化されるべきだ。

日本による韓国併合と朝鮮人差別。関東大震災時の“朝鮮人虐殺”も以前のままのとらえ方で「朝鮮人狩り」という言葉まで使う。“南京大虐殺”も「いずれにせよ、このように軍規の緩んだ日本兵によって、民間人を含む中国人が殺害され、かなりの数の女性が辱めを受けたのは事実だと考えてよいと思われる」と、なんとなくおっしゃるのだ。朝鮮人慰安婦に関しては、「いずれにせよ、・・・ジェンダーの問題として、人権の問題として、過去をしっかり認識する必要はあるだろう」と、やはりなんとなくおっしゃるのだ。

シナや韓国の反日は、歴史の問題ではなく、政治の問題だ。“南京大虐殺”にしろ、“従軍慰安婦”にしろ、現代感覚で資料を読み、個人的感情で日本を糾弾するのはあまりにも無責任。このような、歴史家という立場の著者の政治的行為は、長い目で見れば、一時、政治的に、シナや韓国の自尊心を満足させることはあっても、結局は誰も幸福にはしない。

この著者は、私より少しだけお若い。私もかつて、この著者のような考え方にとらわれたことはあった。だけど、家族であるとか、故郷であるとか、そういったものとの関わりの中で、自分を取り戻した。著者はすでに、知命も半ばに差し掛かろうとしているはず。この考え方で稼いできているだけに、方向転換は難しいだろう。だけど、まだまだ人生先が長い。そんな考えのまま、あと何十年というのも、けっこう悲劇的だな。・・・ああ、でも、高校や大学、それにマスコミからも養われてるんなら、仕方ないか。




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『あのくたらさんみゃくさんぼだい!』 堀尾清一

なんせ、題名が『阿耨多羅三藐三菩提』ですからね。皆さんおなじみ、レインボーマンだもんね。

子供のころから、なにかと仏事の多い家なもんだから、それこそ、「門前の小僧習わぬ経を読む」ってところで、般若心経を覚えてしまった。仏様の下の引き出しが、私たち三人兄弟にあてがわれたたんだけど、ビー玉やパース(メンコのこと)に交じって、金仙寺がその都度持ってくる“心のともしび”っていう般若心経の冊子が何冊も押し込まれてた。たしか裏側は、“白隠禅師坐禅和讃”だったような気がする。

あれ、題名は『あのくたらさんみゃくさんぼだい』の間違いでした。平仮名ね。なんとなく気になって買ったけど、読み始めてみたら思っていた内容と違うので、放置しておいたものです。平仮名であることもあり、仏教の教えを易しく解説したものかなと思ったんですね。実際には、現実の生活の中で抱えたいろいろな問題を、自分がどう乗り越えてきたか、乗り越えようとしているか。そんな経験が、語られているものです。主催は、“在家仏教こころの会”。そこの機関紙、『大きな乗りもの』に、会員たちから送られた経験談が掲載されたものだそうです。

なお、一巻、二巻、同時に紹介してますが、実は読んだのは、一巻だけです。二巻が出てるみたいなんで、ネットで注文しようと思ったら、“時価”になってました。内容はさほど違うものでもないようなので、一緒に紹介します。



在家仏教こころの会  ¥ 時価

宗教ににかかわる団体の本 でも、怖がるようなものじゃありません

第一巻
お釈迦さまからのメッセージ
第一章  夫婦・・・妻の場合
第二章  夫婦・・・夫の場合
第三章  親子・・・親の場合
第四章  親子・・・子の場合
第五章  震災
第六章  自分と向き合う
第二巻
おまじない
第一章  あっ、そうか!・・・気づく
第二章  こころがほどけた・・・聞く、語る
第三章  やってみるか・・・行い
第四章  ありがとう・・・伝える
第五章  こころ穏やかに・・・幸せ

自分にもそれなりに苦しい時期があったから、この本を読んで、腑に落ちるところはいくつもありましたよ。やはり、妻とのこと、子供とのこと、近しい家族とのことが多いですね。自分の親とのことは、完全に昇華してしまった。もう、あっちの世界に行っちゃったしね。

私が苦しかったのは、どこからどこまでとは言えないけど、股関節症で山をやめたことが関係してた。心の中に、やっぱり鬼を住まわせてしまったな。いつもいつもじゃないんだけど、どこかで心が弱くなると、そいつが顔を出すんだ。そういう時は家族と一緒にいても、いや、一緒にいるからこそ苦しかった。

鬼を追い出すことができたのは、股関節症が進行して、ときどき、妻に支えられるようになってからだな。病気の進行が、自分自身を見つめなおすことにつながった。素直に、妻に頼れるようになった。決定的だったのは、妻から杖を進められて「お前、杖して歩けるかよ」って言ったとき、いとも簡単に、「歩けるよ」と言われた時だな。実際、そのあとウォーキングポールで一緒に歩いたしね。

手術で股関節症は治った。とりあえず、暖かくなったら、平日に休みを取って、筑波山でも一緒に登ろうと思う。
こういうものが、機関紙としてではなく、一般書として発行されることは意義深いですよね。仏教っていうのは、その第一の仕事は、葬式を取り仕切るものではないでしょうからね。

書いてあるのは、いずれも大したことじゃあないんです。大したことじゃあないけど、それでも生きていれば、ちょっとしたことで鬼を住まわせることはあるからね。大したことじゃあないことを読んでみる価値は、けっこう大きいと思うな。

でも、所詮は宗教団体ですから、私がお付き合いするのは、“この本を読む”というところまでです。ここから一歩踏み込むと、何かとめんどくさいからね。
 



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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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