めんどくせぇことばかり 2017年11月
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笠山・堂平山

12月3日は秩父夜祭❢
長く続いた、“山に行こうとすると雨が降る”という嫌なパターンも完全に終わった模様。11月の25日の土曜日、とてもいい天気に恵まれて、晩秋の登山を楽しめた。

歩いてきたのは東秩父の笠山から堂平山。12月に若い人たちを連れて行くので、下見を兼ねてね。最初は、ときがわトレッキングコースから堂平山を考えてみたんだけど、どうも、山道の一部が崩落でもしたのか、使えなくなってる模様。一番いい季節なのに、教えてくれた観光課のお姉さんも残念そうな口ぶり。
地図
本番同様、切通しから白石車庫まで歩く。切通しまで車で行って、河原に置かせてもらう。夏場はバーベキューをする人が多い場所。この日は、帰りに自分の車ともう一台止まってた。帰りは白石車庫からここまでバス。

人に合わないように早出をしたため、寒い。歩いている途中で、ようやく日が昇ってきた。路肩は霜柱が立って、ザクザクと気持ちいい。奥武蔵の山並みの中でも、最も山容に特徴のある笠山。表参道の道は、その山容の北側のシルエットをそのまま登っていく感じ。つまり、つらい登りと、すごくつらい登りしかない。

登り口から山道に入るが、林道プラスアルファといった感じの道。結局、舗装道路に合流して、本当の登り口はもう少し先の笠山神社下社。

30分ほど歩いて尾根に取り付くと、“すごくつらい登り”の始まり。あんまり急すぎて、足首の角度が間に合わないくらい。切り立ってるわけじゃないけど、両側には急傾斜の斜面。変にバランスを崩すと危ないので慎重に。転倒で股関節脱臼したら、それこそ元の木阿弥。こういう道に差し掛かると、いつも考えてしまう。

やはり昔とは違う。登りはきつい。手術以来、一年間山歩きをして、よ~く思い知らされた。私は弱い。弱い私の登り方を、次のちゃんと作っていきたい。まずは、動けなくなった時のための無線の携帯。こんど講習を受けることにした。
 

登山口手前にあった、廃校になった小学校の分校。これは旗立台の礎石かな。《国威宣揚》と刻まれている。笠山・堂平 (19)
舗装道路もつながっているんだけど、山道を越えて笠山に近づいた。突然前が開けて、笠山がドーンと現れた。笠山・堂平 (3)
少し進んで、今度はとなりの笹山とのそろい踏み。笹山もずいぶん立派に見える。笠山・堂平 (4)
今日も人に合わないように早く出たせいか、朝は寒かった。手袋しても、手がかじかんでしまった。

晩秋とはいっても、次の日曜日は秩父夜祭だからな。・・・冬だな。
笠山・堂平 (5)
笠山・堂平 (6)
上の下社から表参道の急坂を登って、左の奥宮へ。急な坂道でカメラを出す余裕もなかった。この道を確認できてよかった。
 笠山・堂平 (7)
笠山山頂からの景色。“山に行こうとすると雨”パターンは、完全に終わった。笠山・堂平 (8)
笠山・堂平 (9)
上は笠山の下りからの堂平。右は堂平の登りからの笠山。
 笠山・堂平 (10)
堂平から見た両神。手前の町は皆野あたりだろうか。笠山・堂平 (11)
堂平から見た浅間。ひさしぶり~。浅間はさ、時効だから言うけど・・・、時効じゃないといけないから言うのやめた。笠山・堂平 (12)
堂平から、両神と浅間が一緒に。笠山・堂平 (13)
堂平から筑波。夏に連れ合いと息子と三人で登った。・・・雨の中。

いま息子は上海。今朝、北朝鮮がミサイル打ち上げてた。たまや~ってわけでもないだろうに。
笠山・堂平 (14)
分かりにくいけど、甲武信。うっすら雪化粧。笠山・堂平 (15)
とりあえず、名前入れとく。

「ここまで来たぞ、孫悟空」・・・なにごとも、証拠は大事。
笠山・堂平 (16)
白石車庫直前から、白石峠方面を振り返る 笠山・堂平 (18)
白石車庫まで下りてきた。11時23分発。次のバスはずいぶん先。え~と14:03。2時間半先。ここから小川町まで630円。 P8250004.jpg
若いころを含めても、表参道から笠山に登ったことはなかった。急な登りはつらかったけど、やっぱり初めての道は興味深くて楽しい。


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テーマ : 登山
ジャンル : スポーツ

『本能寺の変 四二七年目の真実』 明智憲三郎

え~、実はこの本も、深~い事情があって押し入れの段ボールに投げ込んであったシリーズの中の一冊。当時でも話題になって、けっこうワクワクして買っておきながら、いざ読み始めて見ると、なぜだかページが進まない。前にも書きましたが、そんなとき私は、すべてを本のせいにして、押し入れの段ボールで眠ってもらう。そして、心機一転、違う本に手を付ける。

ごめんなさい。そんなとき、大半は本のせいではなく、私のせい。ページが進まないのは、私の体調不良であったり、仕事からくるストレスであったりが原因。この本の場合もそう。おそらくは後者。

そんなわけで、この間押し入れに頭を突っ込んだ時に、そんな仲間たちの中から何冊かを取り出しておいた。いま私、ワクワクしてる。・・・もう、あの時は本当に申し訳ないことをしました。

ということで、本能寺の変の427年目の真実なわけですが、本が出たのが今から8年前の2009年だから、実質、435年前の真実ということになる。

「イチゴパンツに本能騒ぐ」なんて言ってる場合じゃないぞ。
著者は明智光秀の子孫なのか。本能寺の変以来、そりゃあ一族の方は苦労したことだろう。なんでもおじい様は、学校で“逆賊”とあだ名されたとか。それはそれは、・・・さぞ。
七つの謎
1 謀反の動機
2 信長はなぜ無警戒で本能寺にいたか
3 なぜ光秀はやすやすと変を成功させ得たか
4 家康の安土訪問と上楽が、なぜあれほど無警戒であったか
5 光秀にはどんな政権維持策があったのか
6 変直後、甲斐・信濃を攻め取った家康が責められないのはなぜか
7 秀吉の「中国大返し」は、なぜあれほど見事に成功したのか
最初に著者が提示した本能寺の変に関わる七つの謎。著者はこの七つの謎を一つの線でつなぎ合わせることに成功し、はじめて本能寺の変の真実を解明して、世に問うたのがこの本ということ。


プレジデント社  ¥ 1,646

今、四二七年目に明かされる驚愕の新シナリオ❢ 驚天動地。事実は小説よりも奇なり
第一部 作り変えられた歴史
第1章  誰の手で史実は歪められたか
第2章  通説とは異なる光秀の前半生
第3章  作られた信長と光秀の不仲説
第二部 謀反を決意した真の動機
第4章  土岐氏再興の悲願
第5章  信長が着手した大改革
第6章  盟友・長曾我部の危機
第7章  衝撃の「家康潰し」計画
第三部 本能寺の変は、こう仕組まれた
第8章  二つの企て
第9章  信長が導いた謀反同盟
第10章  家康の謎の策動
第11章  手際のよすぎる秀吉の「中国大返し」
第12章  光秀の苦悩、そして滅亡
第四部 新設を裏づける後日譚
第13章  フロイス証言の真偽
第14章  家康が残した暗示

どうも、俗に語られている本能寺の変の顛末には、元になった本があるらしくて、『惟任退治記』という。本能寺の変から4か月後、秀吉が家臣に書かせた事件報告のような性質のものらしい。変が、光秀の単独犯行であること、動機は個人的怨みによること、光秀は天下取りの野望を抱いていたという話は、この本によって公式化されたらしい。

怨恨説に合わせて信長像も脚色されているそうで、信長が本能寺で淫乱にふけっていたと書かれているらしい。本来、“乱丸”と記されていたものが“蘭丸”と定着させたのもこの本だそうだ。・・・ゲイが細かいね。
「事実は小説よりも奇なり」

とは言うものの、後世に伝えられる本能寺の変は、それ自体が《“奇”中の“奇”》。肝になるのは信長の長期政権構想と、「土岐桔梗一揆」といって良さそう。それを軸としてこの本に書かれた諸般の事情を総合すれば、本能寺の変をめぐる七つの謎は、いずれも合理的に説明され、“謎”ではなくなる。

私たちの知っている本能寺の変は秀吉が作り上げた筋書きということになるが、秀吉にその好機を提供したのは細川藤孝であり、家康が承認したからこそ、それは定説となりえた。

2009年にこの本が出てから、もう何回か、信長の登場する映画やドラマを見た。その時は、この本のことを知らなかったわけだけど、それ以前の“本能寺の変”に解釈の変更があったようには感じなかった。いずれにせよドラマチックな時代なのだ。秀吉にしろ、家康にしろ、または信玄にしろ、謙信にしろ、この時代に触れようとするなら本能寺に触れないわけにはいかない。

『四二七年目の真実』をもとにして定説に逆らって書くよりは、なかったことにして書くほうが、少しは心が楽だ。これが時間の重みだ。覆すためには二の矢、三の矢が必要だが、そのへんはどうなんだろう。

はやり、定説の解釈に変更を加えて本能寺の変を描くことには勇気がいる。それだけ、時間がたちすぎた。




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テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

『辞世 108選』 長生馬齢

大津皇子 「ももつたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」

日本書紀は隠しているものの、やはり、大津こそが次期天皇だったんだろうな。ところが、自分の子供の草壁皇子を天皇位につけたい鵜野讃良皇女が大津皇子を陥れる。おそらく、天武が死んで思いついたことではなく、前々から準備していたことなんだろうな。鵜野讃良の母心に付け入って筋書きを書いたのは、藤原不比等で間違いないだろう。

才能に恵まれて、父から愛され、重く用いられていた大津皇子は24歳。見慣れた風景を懐かしみ、死に臨んで威厳を失わない様子に、王者の風格を感じさせる。

有間皇子 「磐代の浜松が枝を引き結び真幸くあらばまた還り見む」
       「家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」


中大兄皇子の謀略により囚われた、先帝孝徳天皇の遺児有間皇子。南紀に移送される際、岩代の海岸で読んだ歌。一人、難波宮に置き捨てられた孝徳天皇を憤死に追いやったのは中大兄皇子。中大兄にすれば、自分を恨むに違いない有間皇子を放置できなかったのだろう。それにしても、有間皇子この時19歳。

愛育社  ¥ 時価

辞世とはいえ、本当に死の間際に読まれることは少ない そろそろ私も・・・


鑑真 「我若し亡ぜんときは願わくは座して死なん」

鑑真すごいな。753年、戒律を日本に伝えるために来日。周囲の静止を振り切った来日のその時、すでに65歳。今の私より7歳上。鑑真すごいな。死が迫ったことを予感してなおこの気迫。享年は76歳。

阿倍仲麻呂 「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも」

遣唐使として唐に渡り、玄宗皇帝に使えるが、あんまり有能すぎて手放してもらえず、帰国を許されたは56歳。その送別の席で読んだ歌だそうだ。船の遭難で帰国は叶わず73歳の生涯を長安でとじることになるが、この歌はしっかり日本に帰り、日本人の心に染み付いた。

在原業平 「ついに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思わざりしを」

六歌仙の一人。こんなに冷静に言われてしまうと困ってしまうが、自分もきっとそう思ってその日を迎えるんだろう。享年56歳。

西行 「願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」

北面の武士として鳥羽院に仕える。23歳で出家して後に西行と称す。桜の名所吉野に住み、人一倍桜を愛した。歌のとおりに二月16日に73歳で入寂。まったく、そんなに都合良く死ねるのか。

渡辺綱「世を経ても わけこし草の ゆかりあらば あとをたずねよ むさしののはら

摂津源氏の源頼光に仕え、頼光四天王の筆頭に数えられた。大江山の酒呑童子退治、羅城門の鬼を切り落とした逸話で有名。なんでも鴻巣の箕田氷川八幡に歌碑があるという。綱は鴻巣由なのか。知らなかった。享年73。

後鳥羽上皇「いま一度 身ざりつるこそ 妄念なれ」

第82代天皇。承久の乱に敗れ、鎌倉の裁定によって隠岐の島に流され、沖で60年の生涯を閉じる。屈指の歌人としても知られるが、「妄念」という言葉に思いの強さを感じる。きっと怨霊になったんだろうな。

日野俊基「古来の一句 死も無く 生も無し 万里雲尽き 長江水清し」

後醍醐天皇に仕え、鎌倉幕府討伐のための謀議に加わる。諸国を巡って反幕府勢力を募るが元弘の変で捕らえられ、鎌倉に送られて処刑される。どうやらその時読まれた歌らしいが、死を目前にして、ずいぶんと清々しいね。

一休 「仮り置きし 五つのものを 四つ返し 本来空に 今ぞもとづく」

生まれたときにあずかった五つのもののうち地・水・火・風は返して残ったのは空。その空に、ようやくたどり着いたってことかな。ようやくたどり着いたその境地、・・・返さないのかな。死んで空に戻ったら、それこそ空そのものになって返せないよね。享年88歳。


太田道灌 「かかる時さこそ命の惜しからめかねてなき身と思い知らずは」

扇ヶ谷上杉氏の家宰で、武蔵・相模を代表する武将。ちょうど戦国の入口に生きてるんだけど、いい人だから下克上に突っ走れない。逆に、あんまり有能すぎて主家から恐れられ、誘い出されて殺害される。辞世の句は槍で突かれて討ち死にするときに詠んだって。さすがだな。享年55歳。
かつては、・・・と言うのは若い時分の話。高杉晋作や坂本龍馬に自分を重ねた。高杉晋作や坂本龍馬が大仕事を成し遂げながらも、若くして、しかも志半ばで死んでいったことに、「それに比べて自分は・・・」と才なき我が身を呪った。ああ、晋作の死んだ年を過ぎた、龍馬の年に近づいたと鏡にしたものの、それを過ぎてあまりに時間がたちすぎると、想いに登らせるのも馬鹿らしい。

時間的に余裕を持つなら太田道灌と思ってたんだけど、久しぶりに思い出したら、道灌の享年をとっくに通り過ぎていた。ハハハ

いまさら享年88の一休さんに切り替えたところで、いつそれが目前に現れるか分からない。それこそ、「昨日今日とは思わざりしを」ということ。




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テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

東松山市高坂の動物園あたり

昨日(11/25)、笠山登ってけっこう歩いたんで、今日はブログのことでもしてようかと思ってたのに、連れ合いに出かけようと言われて、いつも通り言いなりの私。どうも、年賀状の準備を考えているらしい。うちの年賀状は、干支の写真を使う。その写真を動物園に取りに行こうというわけだ。自分の年賀状も全部連れ合いに任せっぱなしの私ですので、逆らうなんてとんでもない。もちろんお供いたします。ワン。
これはヤブイヌという犬。一般的な犬たちの、ご先祖様のような存在らしい。ところが少し寒かったのか、いつもは歩き回ってるヤブイヌが、日向ぼっこでなんだか眠そう。

これじゃあ、年賀状にならないか。
動物園・正法寺 (8)
樹上のレッサーパンダ。これを“犬”と言い張るほど面の皮は厚くない。そのうち使おうにも、レッサーパンダ年はない。パンダなら熊年・・・、熊年もない。漢字で書けば大熊猫。猫年もない。動物園・正法寺 (4)
これかなあ。ネズミじゃないんだよ。プレーリードッグっていう生き物。かわいいよね。だけど、この年賀状もらった人が犬だと思ってくれるかな。

やっぱりネズミかな。だったら戌亥子で、3年後に使えるか。
動物園・正法寺 (1)
通り道にシロフクロウがいたので、酉年のために取っておいた。・・・今年が酉年だった。

12年後にこれを使おうか。
動物園・正法寺 (14)
いい天気、いい景色。東松山って、きれいなところがけっこうある。動物園・正法寺 (20)
動物園の奥、西門を出て、平和資料館の下にある公園。紅葉が見事なところなんだけど、隠れた穴場過ぎて、誰もいない。動物園・正法寺 (16)
ほらね。人目に触れないのはもったいなさ過ぎる。せっかく公園として整備したのに、しかもこんなにいい天気で、私たち夫婦だけ。動物園・正法寺 (17)
公園の行き当たりが物見山で、見上げると緑と赤と青空の見事なこと。動物園・正法寺 (18)
最後は岩殿観音こと、正法寺の大銀杏。この季節でもまだ、うっすら緑が残ってる。これが真っ黄色になって散り始めると。途端に雨が降るように、サーと音を立てて散るんだよね。それは見事だよ。

一週間後でもまだ早いかな。
動物園・正法寺 (19)

さて、来週末は2日(土)、3日(日)。いよいよ、秩父夜祭り。もう秩父には太鼓の音が響いているはず。心が高ぶる。



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テーマ : 日記
ジャンル : 日記

一神教『世界の裏側がわかる宗教集中講座』 井沢元彦

まずは、ユダヤ・キリスト・イスラムの一神教三兄弟。だんご、だんご、だんご、だんご、だんご3兄弟、だんご❢

人の言動の背景には宗教がある。それが井沢さんの心情で、宗教を理解することなく歴史を理解することはできないという姿勢には確固たるものがある。いろいろな機会に、いろいろな本の中でその姿勢が貫かれるが、その度その度、角度を変え、材料をいろいろに工夫して話を展開していく。だから内容が重なっても面白く読めますね。

ただし、この間書いたけど、この本は前に一度読んだ本だったんでね。ハハハ。

それでも、「前に読んだときに、書いてあったっけかな」って、書いてあったに決まってるんだけどね。そんなことも少なくなかった。

一神教の神は、英語で《The Creater》って表すんだってね。造物主。すべてを造った神様ってことだけど、そうなると、人間もただの《作品》に過ぎない。だから、作品をどうしようが《The Creater》の勝手。・・・だから、ヨブ記みたいな話が生まれるのか。

ユダヤ人を表すのにいくつかの他の言葉があるよね。例えばイスラエル。これはアブラハムの孫のヤコブの別名だよね。神とプロレスかなんかやって強かったんで、神から与えられた名前。「神に勝つ者」の意。

それから、ヘブライ。問題はこっち。この本に載ってたんだけど、《向こう岸の人々》って言う意味なんだって。偶像崇拝の多神教徒の中にあって、唯一、偶像崇拝を戒める一神教とのユダヤ人。つまり、多神教徒にしてみれば、みんなが太陽だの、月だの、雲だの、風だのといった豊かな自然に恵まれたさまざまな神々をいただく世界に住んでいるのに、ただユダヤ人だけが彼らを戒めるばかりの面白みのない唯一の神とやらを信仰している。

「自分たちとは違う世界に住んでいる」という意味で《向こう岸の人々》、つまりヘブライ人と呼ばれたんだ。

それから、マリアという名前。これはキリスト教圏だけでなく、イスラム教圏でも人気があるんだって。まあ、イスラム教では、キリスト教みたいに、マリアまで神格化して信仰の対象にしたりしていないと言うだけで、人気はあるみたいね。背景には、古代の大地母神信仰みたいなものをもとにした女神崇拝みたいなものがあるんだと思うんだけどな。

ちなみにマリアは、ヨーロッパ語圏だけでもマーリア、マリーア、マリー、メアリー、モイラ、マライヤ、マリカと変化する。アラビア語ではマリアン、バトゥール、アズラも、元を正せばマリアのことだって。

そう言えば、真理亜ちゃんみたいに、日本でも最近、キリスト教徒がどんどん増えているみたいだ。



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世界の人間は宗教で動いている 宗教を知らずしては、国際親善も相互理解もあり得ない
第1章 ユダヤ・キリスト・イスラム 一神教の世界はこうなっている
第2章 ユダヤ・キリスト・イスラム 一神教それぞれの言い分
第3章 仏教集中講座 日本における仏教の変容
第4章 神道集中講座 「和」と「穢れ」と「言霊」と―神道の無自覚な信徒たる日本人
第5章 儒教集中講座 「儒教の毒」と儒教の国「中国・韓国・北朝鮮」

第一部の一神教三兄弟の後半に、《それぞれの言い分》として、井沢さんと各宗教の代弁者との対談が掲載されている。・・・前に読んだ時、これあったかな~?

ちょっと、興味深く感じられた部分がある。とりあえず、キリスト教の言い分は、相変わらず押し付けがましい。

宗教という物自体、特に一神教は本質的に、一番基本的なところに大きな嘘を抱えているから、そこに触れようとすれば、結局理解不能に落ち入る。ユダヤ教の言い分も、イスラム教の言い分も、???ってところがある。だけど、その“言い分”にとても興味深いことがあった。

ユダヤ教の代弁者の発言に以下のようなものがある。
神道は日本の伝統です。それはあなた方の話し方、行動の仕方、どういう服を着るか、なにをどう食べるかなど、生き方、行動、思考、生活すべての根底を流れているものです。この事自体、非常にユダヤ的です。ユダヤ的な伝統と言ってもいい。

キリスト教は宗教です。しかしユダヤ教は、ユダヤ教というよりは、むしろユダヤ道なのです。(中略)神道とユダヤ道は非常によく似ている。

ユダヤ教は、苦難の歴史の中で、独特の民族思想をまとっていくことになるが、宗教としての根源的な部分で、神道となりたちを同じくする部分があるのかもしれない。

イスラム教の代弁者の発言にも、とても興味深いものがあった。
もし神が、すべてイスラム教になるべきだと考えているならば、そうなっているはずで、そうなっていないということは、それが神様の思し召しである。

宗教はもとは一つで、人は生まれつき信仰を持っている。いずれはそれを自分で見つけ出すから、信仰を強制してはいけない。その人が自分の宗教を実行できる環境を整え、命、財産、教育、節操、貞節、モラルがきちんとしている。それこそがイスラム国家なのです。

このイスラムの代弁者の言っているところは、日本を指しているように思えるんだけどな。



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拉致『逆説の日本史23 明治揺籃編』 井沢元

一見、常識人そうな顔をしている私だが、実はもともと“普通”じゃない。そんな私でも、人の書いたものをそのまま断りもなく自分の書いたものに使っちゃいけないってくらいは分かる。だけど、あえて書かせてもらう。井沢元彦の『逆説の日本史』。まだ読んでる途中なんだけど、文章が私に「これを少しでも多くの人の目に触れるように」と、訴えかけてきているように感じられたので、“少しでも多くの人の目に触れるように”紹介する。

朝鮮学校で使われている歴史教科書を日本語訳した萩原遼という方がいて、その人と井沢さんの共著で『朝鮮学校「歴史教科書」を読む』という本が出ているという。これから紹介するのは、本来、その本に書かれていることだそうだ。

まずは、歴史教科書の記述から、1987年の大韓航空機爆破事件についての記述
1987年11月28日、イラクのバグダッドを出発しソウルに向かった南朝鮮旅客機が、タイーミャンマー国境付近上空で疾走した事件。南朝鮮当局はこの事件を「北朝鮮工作員金賢姫」が引き起こしたとでっち上げ、大々的な「反共和国」騒動を繰り広げ、その女を第13代「大統領選挙」の前日に移送することによって盧泰愚「当選」に有利な環境を整えた。
(本書p126)

大韓航空機爆破事件では、乗員乗客合わせて115人全員が死んでいる。日本にある青少年の育成機関で、日本で生きていく青少年に対して、あれは韓国の謀略だと、大統領選を有利に運ぶために自国民115人を殺した事件だと語られている。

小泉訪朝で北側がはっきり認めた拉致問題に関しては、以下のような記述になる。
2002年9月、朝日平壌宣言発表以後、日本当局は「拉致問題」を極大化し、反共和国、反総連、反朝鮮人運動を大々的に繰り広げることによって、日本社会には極端な民族排他主義的な雰囲気が作り出されている。
(本書p128)

「盗人猛々しい」という言葉がある。北朝鮮という国、そして総連という組織は、「盗人猛々しい」を地で行く連中の巣窟だな。萩原遼さんは、日本人拉致の実行部隊について次のように述べている。
拉致に対して総連の内部からもいろいろな意見が出てきた。「我われが実際に謝るべきではないか」という意見書です。手先になって上陸地点などを在日が調べなければ拉致などとてもできない。誰かを拉致する場合は、ここの岩場に隠れなさいとか、海岸の西側の陰がいいとか、全部総連が指示するわけです。(中略)松本京子さんなどは勤めから帰って、お母さんと一緒に夕食を取り、編み物教室へ行く、という日課をずっと尾行されていた。その上で何時何分頃にここを通ると、尾行者は拉致犯を手引きするわけです。そういうふうに日本における幇助者、拉致を助ける人間なしには絶対に成功しないのです。
(本書p132)

めぐみさんについても、バドミントン部の部活を終えて、学校から自宅への帰り道、何度も何度も尾行して確認し、北朝鮮の拉致犯に、拉致実行の最適の場所と時間を教える総連側の人間がいた。そしてめぐみさんは拉致された。


小学館  ¥ 1,728

木戸孝允が病死し、西郷隆盛が戦死し、大久保利通が凶刃に倒れた。そして、日本の近代が始まる
第1章 近現代史を考察するための序論 近現代史を歪める人々
第2章 大日本帝国の構築1 琉球処分と初期日本外交
第3章 大日本帝国の構築2 廃仏毀釈と宗教の整備

学生の頃、私の通った大学には朝鮮文化研究会、略して朝文研というサークルがあって、そこに所属するのは大半が朝鮮高校出身者だった。私は帰化した朝鮮人の友人がいて、そのつてで朝文研の人たちと交流を持った。

いま考えると、彼らが朝鮮学校で受けた教育は、何かにつけ上記のような、極端なものだったろうから、その教育を受けた彼らが私と付き合ったというのは、彼らの意識の中では私は“許されて”いたんだろうな。どうして許されなきゃならないのかは、納得できないけどね。

朝鮮学校で教育を受け、洗脳されて工作員にされるところだった在日朝鮮人の元知彗(ウオンチヘ)は次のように同胞に呼びかける。
在日の皆様(帰化した人も含めて)、拉致事件をこのまま何も進展がないまま放っておくつもりですか。

北朝鮮のような野蛮な国家を、ただ眺めているだけですか。朝鮮総連の実態を内外に告発するべきではないですか。

そのような邪悪なものから、わが子を守るべきではないですか。ただ組織から離れて自分の道を歩めば、それでよいのですか。そして何も行動を起こさないつもりですか。

日本の方にも問いたい。我々のすぐ傍らにこのような学校という名の工作員養成所が存在するというのは、おそろしい限りではありませんか。無償化うんぬん以前に、存在そのものを消す必要があるとは思いませんか。
(本書p133)

無償化問題に関しても、多くの朝鮮人生徒児童やその親たちが訴えている。朝日新聞、毎日新聞、また進歩的知識人、“市民”の皆さんが、それを応援している。だけど、朝鮮人生徒児童やその親たちは、場合によっては親類縁者が人質に取られている。総連に不都合な言動があれば、どんな目に合されるかしれない。彼らの言動は、それを考慮するべきだ。

???、じゃあ、朝日新聞、毎日新聞、また進歩的知識人、“市民”の皆さんっていったいどんな立場なの。・・・おめでたい部類?それでいて、一番残酷な・・・。 
産経ニュース 2017/10/17
朝鮮学校「無償化」 対象外に産読「妥当」 疑問示す朝毎
http://www.sankei.com/column/news/171017/clm1710170005-n1.html
(全文)
朝鮮学校を運営する学校法人などが国を相手取った裁判で今年7月、広島地裁は、国の措置を適法として訴えを退ける初の判断を示した。

産経は、北朝鮮や朝鮮総連の影響下にある学校運営の実態を踏まえ、当然の判決だと評価し、「拉致被害者を解放しない北朝鮮の独裁体制を支える教育内容などを不問にして、公金を使うことが妥当なのか。今回の判決を厳しく受け止めてもらいたい」と求めた。読売も「不透明な学校運営の実態を踏まえた妥当な判断だと言えよう」と支持し、「政府が公金を投入する以上、不適切な使用を排除しなければ、国民の理解は得られまい」と指摘した。

これに対し、朝日は「教育の機会を公平に保障するという制度の理念に立ち返って判断すべきなのに、あまりに粗雑な論理で導いた判決だ」と厳しく批判。「朝鮮学校が総連と関係があるとしても『不当な支配』とまでいえるのか」と指摘した。毎日も「今回の裁判所の判断は、無償化制度の趣旨に合っているのだろうか」と疑問を示した。

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テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

『誰が第二次世界大戦を起こしたのか』 渡辺惣樹

この本を材料に、すでに何回か書いているのに、「いまさら」って言わないでね。読んでいるうちに、ついつい、その都度書き残しておきたくなってしまってね。でも、ちゃんとこの本の紹介はしてなかった。・・・と、言うことで。

フーバーは、真珠湾攻撃の段階で、ルーズベルト大統領が何かやらかしたということを直感したらしい。FDRは、ニューディールによる経済政策の失敗に直面していた。この失敗は致命的なもので、埋め合わせるためには戦争しかない状況だった。しかし、大統領選挙の公約により、ヨーロッパの戦争には参加できない。

ベルサイユ条約のゆがみを取り戻そうとするドイツを東進させることは、英にとって暗黙の了解事だった。ところが、ドイツがポーランド回廊とダンツィヒを要求した時点で、ドイツの圧力に対抗すべくもないポーランドがなぜか突っ張ってきた。背景にはFDRの圧力があった。圧力は英仏にもかかっていた。これが第二次世界大戦の原因である。

1940年11月、FDRはアメリカ史上初の大統領三選を果たした。「アメリカの若者を船上には送らない」という嘘の公約を引っ提げての快挙だった。大統領選を前にして、FDRは必死に国民に訴えた。「ドイツがやってくる。ドイツはアメリカ大陸にやってくる」と国民にドイツへの恐怖を植え付けようとした。「参戦しなければ民主主義はこの世から消える」と国民にドイツとの対決の決意を求めた。

それでもアメリカ国民は、ヨーロッパの戦争には参加しないことを求めた。投票日を前にして、FDRは以下のように演説したという。
《今私の話を聴いている父や母の皆さんに、もう一度はっきり申し上げる。私はこれまでも述べてきたように、そしてこれからも何度でも繰り返すが、あなた方の子供たちが外国の地での戦争に送り込まれることは決してない》



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ヒトラー、チャーチル、ルーズベルト… 悲劇の元凶はいったい誰だったのか?
第一章 ハーバート・フーバーの生い立ち
第二章 『裏切られた自由』を読み解くー共産主義の拡散とヨーロッパ大陸の情勢
第三章 『裏切られた自由』を読み解くーチェンバレンの「世紀の過ち」とルーズベルトの干渉
第四章 『裏切られた自由』を読み解くールーズベルトの戦争準備
第五章 連合国首脳はなにを協議したのか

そんなFDRの次善の策が、武器貸与法だった。「アメリカ防衛に役立つと考えられる場合は、外国政府に、旧式新式を問わずあらゆる武器を、ほぼ無制限で供給できる権限を大統領に与える」ものであった。この法律の成立で、アメリカから武器貸与を受けた大口国家は、イギリスとロシアである。

アメリカに圧力をかけられてドイツと戦う羽目になったものの、前任のチェンバレンはベルサイユ条約のゆがみを取り戻すドイツが、東へ向かう限り、それを容認していた。そのドイツと戦う羽目になって退陣し、あとをチャーチルに譲った。しかし、FDRと同様、チャーチルも狂っている。

《ソ連が犯した過去の罪、愚かな行為とそれが生み出した悲劇。こんなものは水に流す。いまロシアの兵士が、太古の昔から祖先が耕してきた大地を必死に守っている。そして兵士の母や妻が祈りをささげている。愛する者が無事に帰ってくるように、家族を守る稼ぎ手が傷つかないように祈っている。ナチスの支配と戦う人々、あるいはそれと戦う国を、わが英国は惜しみなく支援する。いかなる国家いかなる人間も、ヒトラーと手を携える限り我が国の敵である》

これじゃあ、フーバーの言う通り、ただ「敵の敵は味方」というだけのことだ。

そして武器隊予報という次善の策を成立させるのと並行して、FDRはもう一つの手を打っていた。フーバーはその動きに懸念を持っていた。だからこそ、真珠湾攻撃の段階で、FDRが何かやらかしたということを直感したのだ。しかし、その段階のフーバーは、FDR政権が日本をそんなにも追い詰めていること、最終的には最後通牒であるハル・ノートを付きつけつ日本を追い込んだことを知らない。

“知らない”が、そこにFDRの陰湿な関与を感じ取ったフーバーは、その後、FDR外交の実態を明らかにするための長い戦いを始めた。その作業は20年にわたり、最終原稿を完成させ、出版を目前にして、1964年にフーバーは亡くなった。その本がようやく出版にこぎつけたのは2011年。その日本語版が今年出た『裏切られた自由』である。

この本は、『裏切られた自由』を紹介するために書かれたものであり、同時に『裏切られた自由』のガイドでもある。・・・そういう位置付けて書いたと著者が言っている。ちなみにその著者である渡辺惣樹さんこそが、『裏切られた自由』日本語版の訳者であるそうだ。渡辺さん、本当に大活躍だな。




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『日本人のおなまえっ❢①』 森岡浩監修

ネタバレだけど、一度、テレビでやった内容だからいいよね。テレビで見たときから面白くて、話の種に“覚書”として残したおきたいんだ。テレビの番組になるってことは、それだけ“磨かれる”っていうところがあるんだな。今までにもあった、メジャーな名字は徹底調査して、そうでもない名字に関しては“それなりに”って感じのものとは違う。

「他説もあり」という但し書きがついたとしても、必ずみんなを納得させる結論を出している。やっぱりそうしなきゃ、視聴率上がらないよね。

司会がこれまた、古舘伊知郎だからね。彼が言うと、何気ない言葉も、なぜか熱を帯びるようだ。《名字はお先祖様からのタイムカプセルだった❢》

鈴木さん。たくさんいるよね。その始まりは和歌山県熊野地方。1150年に鈴木家第25代が熊野古道入口の藤白に移り住むが、初代は900年台の鈴木真人という人だという。「スズキ」と言うのは熊の地方の言葉で、収穫後に組み上げた稲藁のことなんだそうだ。それを組むことは、種籾に魂を宿らせて五穀豊穣を祈るという意味があって、鈴木さんは神に収穫を祈る神事を行う神官だった。

たった一人から始まった鈴木さんは、今や約175万人。どうやら熊野信仰が全国に広がるのと一緒に鈴木さんも広まった。・・・と言うより、鈴木さんたちが熊野信仰を広めようと全国に飛び出していったらしい。

熊野信仰と結びついて栄えた鈴木一族の中でも一番勢いがあったのが三河の鈴木家だった。それが松平家の草創期からの家臣で、家康の関東入りに伴って鈴木一族が関東に広がった。



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お名前、名字の秘密がわかると、より豊かな生き方ができる
PART 1. 鈴木さんは、平凡ではない!
PART 2. 東西南北 方角名字の謎
PART 3. さいとうさんの秘密
PART 4. 山田さんの摩訶不思議な魅力
PART 5. 不思議な読み方名字
PART 6. ○子さんお名前盛衰記

“藤”のつく名字は、みんな藤原さんに由来するのは分かる。伊藤さんは、伊勢に行った藤原さん。近藤さんは、近江に行った藤原さん。遠藤さんは、遠江に行った藤原さん。加藤さんは、加賀に行った藤原さん。佐藤さんは、下野国の佐野に行った藤原さんだって。後藤さんは、肥後や豊後の“後”を取ってるらしい。江藤さん、やはり近江の“江”だろうね。

工藤さんは、またちょっと変わってて、宮殿の造営を担当する木工寮という職掌があって、そこに務めた藤原さん。つまり仕事が名前になる。武藤さんも、武蔵に行った藤原さんというケースのほかに、武者所に関与した藤原さんっていうケースもあるって。そういや、犬飼さんや錦織さんも名前が名字になったんだよね。

地名や職業だけってわけじゃなくて、例えば、安藤さんは、安芸に行った藤原さんってケースもあるけど、安倍氏と藤原氏が合流して安藤になったケースもあるって。そうそう、日本人の名字は自由だからね。

そしたら、斎藤さんの“斎”はなんだろう。そんな地名があるんかな。・・・と思ってたら、地名じゃなくて、仕事。伊勢神宮に仕えた斎王の御所を斎宮と言ったらしいんだけど、そこに務めた藤原さんらしい。

欧米は、仕事に由来する名字が多いんだってね。スミスが鍛冶屋。ミラーが粉屋。ベーカーがパン屋。ライトが大工。メーソンが石工。

でも、日本の名字もそういうのが少なくないけど、それ以上に地形に由来する名字が多いんだそうだ。名字が名乗られるようになる室町時代。日本人の9割が農民で、山、海、川といった自然に囲まれて生活していた。そこには多種多様な自然環境があった。日本人の名字が多種多様なのは、それだけ豊かな自然環境に、時には恐ろしい、時には恵み深い自然環境に囲まれて生きてきたという証でもあるんだな。




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近現代へ『逆説の日本史23 明治揺籃編』 井沢元彦

《『逆説の日本史』においては近現代史の始まりを、1878(明治11)年の大久保利通が暗殺された時点ととらえている》で、23巻は始まる。つまり、西南戦争までは、近世の脈絡の中で語れる歴史であるということだ。依存はない。

明治維新は、世界史の中で見回しても、おどろくほどの大変革だ。しかも日本は、それをいともたやすく成し遂げた。・・・大変革のきっかけとなった黒船来航からたったの15年。旧勢力との戦争とは言っても、人・場所・時の観点から見ても限定戦の枠に留まる。

そして変革が成った時、日本人は一斉に同じ方向を向いていた。

ただ、最初の10年間は、そうはいかなかった。それはそうだ。一見単純に見えるこの変革は、実は、本当に複雑な背景と、分かりづらい思想の対立の中で遂行されたものであった。決してたやすく成し遂げられたものではなかった。今の日本もそうだが、かつてに日本も、大変革を成し遂げるのが難しい環境があった。なにより、日本人の思想が、大変革を難しいものにしていた。それを打ち破るには、巨大な力が必要だった。

西郷隆盛は、幕末の最後の数ヶ月、この大変動における“悪”のすべてを引き受けたのだろう。数々の矛盾を、その大きな体に吸収し、大変革の体裁を整えたのだ。“維新の三傑は”と言い換えてもいい。彼らは“悪”を引き受けたまま、明治に移行した。多くの者たちが敵味方に分かれて闘い、そして倒れた。彼らは新たな世を迎えることができなかったのに、彼ら三人だけが生き残ったのだ。

彼らは申し合わせたかのように、時期を同じくして、しかもまったく違う状況のもとに死ぬ。その10年間は、生き残った三人が、残された役割を遂行するために必要な時間だったのだろうか。

そして明治10年に始まった西南戦争が終わった時、日本人のほぼ全てが、同じ方向を向いて進もうとしていた。その先頭に立ったのが、伊藤博文、大隈重信、板垣退助といった、かつての小僧っ子たちだった。

この黒船来航からの15年、将来の日本を背負うべき多くの者たちが、新たな世を迎えることなく倒れていった。もしも彼らが、新たな時代に力を発揮することができていたら、日本の歴史は違うものになっていただろう。彼らが倒れた理由の背景には、多くの場合朱子学がある。それでも日本は、なんとか15年で変革に向けての体制を作り上げた。そのために15年かかった。この15年は、短くて済んだ15年なのか、長すぎた15年なのか。



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木戸孝允が病死し、西郷隆盛が戦死し、大久保利通が凶刃に倒れた。そして、日本の近代が始まる
第1章 近現代史を考察するための序論 近現代史を歪める人々
第2章 大日本帝国の構築1 琉球処分と初期日本外交
第3章 大日本帝国の構築2 廃仏毀釈と宗教の整備

『文部省が教科書検定において「侵略→進出」の書き換えを強制した』という誤報を流し、日中関係、日韓関係が著しく損なわれた。その時の朝日新聞中川昇三東京本社社会部部長の言い訳

《一部にせよ、誤りを犯したことについては、読者にお詫びしなければなりません。・・・ところでここで考えてみたいのは、中国・韓国との間で、外交問題にまで発展したのは、この誤報だけが問題なのか、という点です。つまり事の本質は、文部省の検定の姿勢や検定全体の流れにあるのではないでしょうか》

朝日新聞はひどいな。

「ソ連は労働者の天国」、「文化大革命は人類の壮挙」、「北朝鮮経済は韓国を凌駕している」いずれも朝日新聞がまき散らかしてきた報道だそうだ。そうやって朝日新聞は、日本国民をミスリードしてきたんだ。ミスリードは朝日新聞だけじゃない。岩波書店の安江良介は、「金日成は北朝鮮を豊かにした偉大な政治家だ」と言い続けた。朝日新聞も岩波書店も、ソ連や中国共産党や北朝鮮を愛する進歩的文化人を育て上げた。

仕事場で同室の方、私より4歳上の方なんだけど、本質的にはいいおじさんなんだ。文武両道で学生時代を過ごし、残念ながら、上記の進歩的文化人に与する立場にある。一緒にニュースを見ていて、選挙で安倍政権が大勝したことに、言い捨てる。「日本人は民度が低い」

「中国や韓国よりも低いですか」って聞いたら、嫌な顔をしていた。

でも、その姿勢はおんなじなんだ。国民から真実を遠ざけた大本営発表や、自らを正義として間違いを犯しても謝ることを知らない朝日新聞。

さて、朝日新聞+岩波書店+進歩的文化人は、基本の世論形成に極めて強い影響力を持ってきた。だけど、彼らが持ち上げてきた文化大革命が多くの人を死なせたことが明らかになり、ソ連がつぶれ、北の拉致事件が明らかになっても、彼らは一切謝らない。今度は、北を持ち上げるためにこき下ろしてきた韓国に、かつてこき下ろしていたことは誤りもせず、恩着せがましく味方につく。そして焚き付けたのが、「従軍慰安婦は性奴隷」って話だった。

おい、孫。悪いことばっかりやってると、朝日新聞が来るよ❢




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ジンバブエから北朝鮮へ

CNN co.jp 2017/11/20
ジンバブエの「クーデター」、中国関与か 軍幹部が直前に訪中
https://www.cnn.co.jp/world/35110706.html
(抜粋)

(CNN) ジンバブエ軍を率いるチウェンガ司令官の中国訪問は、平時であれば異常とは見なされない。ジンバブエにとって中国は最大の投資国であり、長年の同盟国でもある。

しかしチウェンガ司令官が中国から帰国した数日後、ジンバブエの首都ハラレで同司令官率いるジンバブエ軍が政変を起こして実権を握り、ムガベ大統領を自宅軟禁状態に置いた。

(続きを読む)に全文

軍は、あそこまでやっておいて、あくまでもクーデターではないという体裁を整えている。てっきりムガベの辞任会見かと思いきや、「辞任はしないよ。おやすみなさい」だって。たしかに軍は辞任を強要していない。なんかあそこまでやっておいて、なんか間抜けな展開に思える。どうやら、事前に辞任に同意してマイクに向かったものの、結果としてあのような会見になったようだ。

ムガベ政権を支えた与党がムガベと側近を除名処分として、来月の党大会に向けて政治闘争が展開される模様。軍も、周囲も、あくまでも独裁者の自主的な退任という形に持って行きたいようだ。

ジンバブエは独裁国家である。2000年あたりから始めた白人排除政策により、農業をはじめとして白人たちが持っていた技術技能が失われ食糧危機に見舞われる。また経済もハイパーインフレおちいり、立ち行かなくなる。社会的不安や独裁政権への不満が蔓延し、社会全体が沈滞する。 反白人政策により、CNNやBBCといった欧米メディアは取材を禁止されている。米英仏は経済制裁を求めたが、チャイナとロシアが拒否権を発動した。・・・なんだか北朝鮮と状況が似ているね。

大事なのは、ジンバブエの“クーデター”にチャイナが一枚噛んでいる気配があるということだな。チャイナが噛んでいるということになれば、気になるのはチャイナの特使が北朝鮮を訪問したことだ。結局、金正恩とは会えなかったらしいが、多くの実力者たあちと会談が持たれたらしい。

News week 2017/11/20
北朝鮮問題、中国の秘策はうまくいくのか――特使派遣の裏側
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/11/post-8946.php
(抜粋)
17日、習近平総書記の特使が北朝鮮を訪問。名目上は党大会の報告だが、実際上は米朝首脳会談の模索だ。その実現のために中国は北朝鮮に対して持っているカードを切っていない。今ようやく中国の秘策を明かす時が来た。

中国の秘策とは

カード1:中朝軍事同盟の破棄

カード2:断油(原油輸出の完全停止。北への「油」の90%は原油)。

カード3:中朝国境線の完全封鎖。
(続きを読む)に全文

そんなことがあったわけだ。つまり、向こうが来るか、こっちから行くかの違いはあれ、チャイナの特使が北朝鮮に接触した。ジンバブエの場合は、軍司令官がチャイナを訪問した後、軍を動かしてムガベに辞任するよう迫った。金正恩は、軍が動いて自分に辞任を迫る状況が目に映ったはずだ。
産経ニュース 2017/11/20
元ナンバー2の黄炳瑞氏ら処罰か 韓国情報機関が報告
http://www.sankei.com/world/news/171120/wor1711200042-n1.html
(抜粋)
【ソウル=桜井紀雄】韓国の情報機関、国家情報院は20日、北朝鮮の朝鮮労働党指導部が朝鮮人民軍を監督する軍総政治局を査察し、黄炳瑞(ファン・ビョンソ)総政治局長ら幹部を処罰したとの情報を入手したと国会情報委員会で報告した。黄氏はかつて政権ナンバー2とも目された人物で、権力闘争の可能性もある。
 
(続きを読む)に全文 

いきなり動いてきた。チャイナの特使が帰ったとたんにこのニュース。金正恩は、いよいよだれも信用できない状態になったのでは・・・。

今日から、息子が仕事で、上海に研修に出かけた。10日間か。この間、なにも起こりませんように。




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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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