めんどくせぇことばかり 2018年08月
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『平成の重大事件』 猪瀬直樹 田原総一朗

《日本はどこで失敗したのか》ですって。私は、それこそ自分の人生すらままならない人間ですから、“日本の失敗”についてあれこれ論じる立場にありません。この本で対談している猪瀬直樹さんや田原総一朗さんがそういう立場におありなら、お任せしましょう。

だけど、この手の本は、これから先1年くらいの間に、次から次と出てくるんでしょうね。平成も、あと半年ちょっとですね。

“あとがき”で猪瀬さんが取り上げていますが、そうそう、誰もがどこかで耳にしている一句です。

《降る雪や 明治は遠く なりにけり》

中村草田男さんという方の俳句だそうです。高浜虚子に師事した方で、有名な俳人の方なんですね。昭和6年、1931年に詠まれたものということですから、明治が終わって20年ほどたっていたわけですね。

平成は30年ですから、昭和はもっと遠くなったでしょうか。それとも、あと半年ちょっとで平成が終わって、まだ見も知らない新たな元号の世になって、そこから振り返ったときに、昭和は遠くなるんでしょうか。

そう思うとき、やっぱり“雪”は必要でしょうね。こんな夏の炎天下の中では、陽炎の向こうにこれから訪れる不安が広がるばかりで、二度と取り戻せない面影は浮かんできません。おかげで私の体は汗疹だらけで、昨夜も背中のかゆみに目を覚ましてしまいました。

あの懐かしい時代は、しんしんと降る雪で見通せなくなっている向こうにこそ、きっと浮かんでくるでしょうね。


『平成の重大事件』    猪瀬直樹 田原総一朗

朝日新聞出版  ¥ 821

作家とジャーナリストの大激論から見えてきた、日本がこれから進むべき道とは?
序章 昭和天皇崩御を想いかえして
第一章 大山鳴動して何が残った?
第二章 「官僚主権国家」との三十年戦争
第三章 経済敗戦を総括する
第四章 アメリカ・原発・徴兵制
第五章 タブーなき「天皇制」激論!


この間、この本を読み始めたときに、「そうかあ、平成って本当にいろんなことが起こったんだな」って思って、先日は、本当に目についたものだけ、時系列でまとめてみました。

その最初の年に、ベルリンの壁が崩壊しています。“ベルリンの壁”は、生まれたときからありました。それが崩れて、人々が歓喜の声をあげてました。そんなにうれしいんなら、なぜもっと早くそうできなかったんでしょう。・・・そうはさせない人たちがいたからこそ、・・・ということですよね。

それは、“そうはさせない人たち”が敗れ去っていく途中で起きた、象徴的な事件だったわけです。予兆は10年ほど前から始まってましたよね。ワレサが出てきたりしてね。ソ連や東欧は、どうにもならなくなっていたわけです。すべては昭和に原因があったわけですね。その結果が平成であると。

面白いもんですね。この本を読んでいる時に、同調したり、発見したり、腹を立てたりして、そういう事について書いてみようかななんて思ったんだけど、読み終わってみると、それらがさしたる問題ではなかったように思えてくるんです。

《日本は“あの戦争”を自分たちで総括することができてない》って意見がはたくさんありますね。本当にその通りです。でも、《自分たちの手で戦争を総括する》ってどういう事でしょう。東京裁判は勝者の裁判で、日本に対する勝者の報復に過ぎないっていいますね。その通りだと思います。

東京裁判はめちゃくちゃです。でも、日本人が日本人の手で総括するって、当時なら誰によって、何ができたでしょうか。“旧勢力”に代わる“民主勢力”が、その総括を行うんでしょうか。今なら、その総括はできるんでしょうか。・・・できませんよね。

勝ったアメリカでさえ、その歴史の修正が極めて困難であるなかで、負けた日本がそれをひっくり返して“総括する”なんてできるはずがありません。

海外は無理でも、せめて国内だけでも総括が必要ですか?

大賛成です。平成の原因が昭和にあるなら、昭和の原因は、大正・明治にあるわけです。もう一度、そこから見つめ直しましょう。私は、それが一番いいと思います。

それともこの本の帯にあるように、誰か“戦犯”を血祭りにあげることが必要ですか。官僚で結構ですが、それで日本が変わりますか。




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山『山頭火俳句集』 夏目番矢編

このあたりはまことに高原らしい風景である。霧島が悠然として晴れわたった空へ盛り上がっている、山のよさ、水のうまさ。

西洋人は山を征服しようとするが、東洋人は山を観照する、我々にとって山は科学の対象ではなく芸術品である。若い人は若い力で山を踏破せよ、私はじっと山を味わうのである。
本書p192
かさなって山のたかさの空ふかく

霧島にみとれてゐれば赤とんぼ

朝の山のしづかにも霧のよそほひ

こうして旅の山々の紅葉

山に向かって久しぶりの大声

しぐれて山をまた山を知らない山

しっかとお骨いだいて山また山

月あかりして山がやまがどっしり

霧雨のお山は濡れてのぼる

人に逢わなくなりてより山のてふてふ

ふるさとはあの山なみの雪のかがやく

『山頭火俳句集』    夏目番矢編

岩波書店  ¥ 1,145

日本人に広く親しまれるだけでなく、世界で愛読されている前衛詩人
俳句
日記
随筆


NHKの《にっぽん百名山》とか、他にも山を紹介するテレビ番組が多いですよね。ガイド役の人が、いつもいいウェアを着ていたり、高そうなザックを背負っていたりして、とてもうらやましい。悔しいから、絶対メーカー品の装備なんか買わないんだ。

そういえば、1年前に奥日光に行ったとき、ほら、去年の夏は雨が多かったじゃないですか。私も日光白根に登るのをあきらめて戦場ヶ原を歩くことにしてバスに乗ったんです。そしたらバスの中で、ザックカバーの使い方が分からないという年配のご婦人がいて、聞かれたんですね。そもそもザックの調節そのものからしておかしかったんで治してあげたんですが、そしたら私も、私もって、バスから下りたら私の前に行列ができました。

それはともかく、そういうテレビ番組を見て、「ああ、あそこは若いころに歩いたな~」なんてところが出てくると、胸がキューっとなってね。切なくなります。

そういう時に思うのは、「もう一度山を歩きたい」ってことで、「山に登りたい」ってことじゃないんですよね。これは不思議な感覚でした。若い頃は、けっこう登ることにこだわったのに。

でも、どうでしょうね。「穂高に登った」っていうのと、「穂高を歩いた」っていうの。今の私は、完全に、「穂高を歩いた」って方なんですけど。

かつて、日本人は、死ぬと山に行ったみたいですね。

山あをあをと死んでいく

月よ山よ私は旅で病んでいる

病んで寝てゐてまこと信濃は山ばかり

山のまろさは蜩がなき

家がとぎれると水音の山百合

山の仏には山の花

しめやかな山とおもへば墓がある

乞ふことをやめて山を観る

また見ることのない山が遠ざかる

分け入っても分け入っても青い山

を歩くと、墓に出くわすことが多い。かつては人家のすぐ近くにあって、日々手を合わせる人が通った墓も、人家はすでになく、手を合わせに訪れる人もいない。そんな墓に、時々、出くわすことがある。意外と恐怖を感じない。なんどもなんども手を合わせられて、すっかり成仏してしまったか。
P4210007.jpg山登りの人たちには登山道でも、かつてはただの道。そのお地蔵さまは全身すっかり苔むして、登山者から苔地蔵と呼ばれている。登山道沿いの馬頭観音は、裏から成長した木に食われたようになっている。4月14・15日 (16)
いずれにせよ。ここは登山道じゃなくて、かつては人の歩くところ。




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『おそロシアに行ってきた』 嵐よういち

また、こんな題名をつけて! しかも、この表紙、プーチンがヒグマに乗っています。これじゃあ、“おそロシア”過ぎます。

世界のちょっと怖いあんな所や、こんな所を旅している著者の嵐よういちさんが、今回いよいよロシアに乗り込んだわけです。ロシアに乗り込む前の印象を絵にしたら、この本の表紙のように、プーチンがヒグマにまたがってのしのし歩いているようなものになるわけでしょうか。

やっぱりなんといってもロシアですからね。その前はソ連。ソ連とは第二次世界大戦末期の“あの”思い出があるし、ロシア革命後のいろいろなすったもんだもありました。その前はロシア帝国。ロシア帝国とは日露戦争を戦いました。さらにその直前のロシア帝国は当時、イギリスの覇権に挑戦する国家で、イギリスに対抗して力をつけていく中で“ウラジオストック”じゃなくて、《ウラジ・ヴォストーク》、つまり「東方を征服せよ」を実行しつつあったわけですね。

つまり、近代以降の日本とロシアの関係なんて、残念ながら、ろくなもんではない状況なわけです。かといって、ロシアと“ろくなもんではなくもない”関係を結んだ国家と言うのは、残念ながら聞いたことがありませんけど。

ところが、そんな“おそロシア”を旅してきた著者の嵐さんが、なんとロシアを「好きになっちゃったよ」ですって。あの、ロシアをですよ。1991年まではソビエト社会主義共和国連邦で、1917年まではロシア帝国だった今のロシアを、嵐さんは「好きになっちゃった」んだそうです。

いったいこの旅で、いったい嵐さんになにがあったんでしょう。・・・あっ!もしかしたら、あんなことや、こんなことをしてきたんじゃないでしょうか。だとしたら、許せませんね。



彩図社  ¥ 1,296

不愛想?威圧的?英語が通じない?実際に訪れたロシアは面白すぎる国だった!
第1章 日本から一番近いヨーロッパ『ウラジオストック』
第2章 ロシアが実効支配を続ける『樺太(サハリン)』
第3章 ロシアの飛び地『カリーニングラード』
第4章 ヨーロッパ最大の都市『モスクワ』
第5章 世界遺産都市『サンクトペテルブルク』
第6章 極寒のシベリア『イルクーツク』


ロシア人っていうのは、洗練されてなくて、つまりは粗野で、不愛想なんだそうです。どうやらこれは間違いないみたいですね。普段、知らない人間には笑顔を見せないそうです。日本に生活するロシア人に言わせれば、逆に日本人はおかしくもないのに笑うって写るそうです。ロシア人にそういうふうに写る所は、日本人に言わせれば愛想笑いというもので、人間関係を円滑に進めるための方便というものですね。

欧米の方も、人間関係を円滑にするために“笑顔”を活用されますよね。そうなると、日本人はじめ外国人から、「ロシア人は冷たい」と思われるでしょうね。

だけど、ロシア人にしてみれば、われわれの愛想笑いは、《形式的微笑》と呼ばれて、偽善的で裏がある人物ととられかねないものなんだそうです。つまり、こちらが「ロシア人は冷たいな」と思っている時、ロシア人は「裏のあるわけの分からないアジア人」と思ってるようなんです。

《こちらが笑顔を見せるほど、相手がこちらをにらんでくる》、そんなことがロシアではよくあるようなんです。だけどロシア人は、本当に困っている人間を見ると、にこりともせずに手を貸してくれる、助けてくれるんだそうです。それ以外の時は、他人との間に取る距離が長いんですね。どうも、人と人との間の距離感が、ロシア人は独特なようです。

どこに行っても、「中国人か?」って聞かれるようなんですね。それくらい、ロシアでも中国人は存在感があるってことです。サンクトペテルブルクでは、ビールを買いに入った雑貨店で「中国人〇☓~」と差別的な言葉をかけられたそうです。お店の人も、“中国”人に嫌な思いをさせられたのかも知れませんけどね。

それから、最後に、トイレが汚いみたい。急にお腹が痛くなってトイレに駆け込んでも、余りの汚さに脳みそが危険信号を発して急な便意を止めてしまうのだそうです。おお、最近、通勤の車の中で急な便意に冷や汗をかいている私ですが、どこかにそんなトイレがないものでしょうか。




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平成年表『平成の重大事件』 猪瀬直樹 田原総一朗

昭和64年1月7日の朝、私は、先輩と一緒に泊まっていた、簡保センターの部屋で目を覚ましました。おきるや否や、前夜、飲み切れなかったビールの栓を抜き、早速二人で迎え酒を始めました。あっという間に前夜の深酔いがよみがえり、さらに景気をつけに、大広間に繰り出して飲み始め、かってにカラオケをセットして《憧れのハワイ航路》を歌い始めました。

🎶 はーれたそら~、そーよくかぜ~、みーなとーでふねの~、どーらのねたかくー 🎶

そこまで歌うと、必死の形相の所長が現われて舞台に駆け上がり、カラオケ機材の裏側に滑り込んで、そのままコンセントを《ブチッ》と抜きました。まるで、引きちぎるように・・・。

「カ・カ・カ・カラオケは、・・・か・歌舞音曲は、じ・自粛します」と、顔面蒼白で仁王立ちです。

私の“平成”は、そんな思い出とともに始まりました。ったく、30年前の私ときたら、そんなどうしようもない奴でした。まあ、今でもそんなに変わってないでしょうけどね、・・・おそらく。


『平成の重大事件』    猪瀬直樹 田原総一朗

朝日新聞出版  ¥ 821

作家とジャーナリストの大激論から見えてきた、日本がこれから進むべき道とは?
序章 昭和天皇崩御を想いかえして
第一章 大山鳴動して何が残った?
第二章 「官僚主権国家」との三十年戦争
第三章 経済敗戦を総括する
第四章 アメリカ・原発・徴兵制
第五章 タブーなき「天皇制」激論!

元年ー1989 
(1月8日)平成に改元
(4月1日)消費税3%開始
(11月10日)ベルリンの壁が崩壊する
(12月2日)マルタ会談で冷戦終了

2年ー1990

(10月3日)東西ドイツ統一

3年-1991
(1月)湾岸戦争勃発
(9月)韓国と北朝鮮が国際連合に加盟
(12月)ソビエト社会主義共和国連邦崩壊
*バブル崩壊
4年ー1992
5年ー1993
(5月)Jリーグ開幕
6年ー1994
7年ー1995
(1月17日)阪神淡路大震災発生 M7.3
(3月20日)地下鉄サリン事件
8年ー1996
9年ー1997
(4月1日)消費税が5%になる
(7月)イギリスが、香港を中華人民共和国に返還する
10年ー1998
(2月)長野オリンピック開催
11年ー1999
(9月10日)東海村JOC臨界事故
(12月)ポルトガルが、マカオを中華人民共和国に返還する
12年ー2000
(6月)三宅島噴火13年ー2001
(3月)USJ開業
(9月11日)アメリカ同時多発テロ
(10月)アフガニスタン戦争が始まる
(12月)愛子内親王誕生
14年ー2002
(9月)日朝首脳会談で拉致被害者問題が明らかになる
15年ー2003
イラク戦争始まる 自衛隊をイラクへ派遣
16年ー2004
(5月)日朝首脳会談で拉致被害者の一部が帰国
(10月)新潟県中越地震
17年ー2005
(4月)JR福知山線脱線事故
(10月)郵政民営化
18年ー2006
19年ー2007
(7月)新潟県中越沖地震
20年ー2008
(9月)リーマンショック
21年ー2009
(9月)鳩山由紀夫民主党内閣が誕生
22年ー2010
(9月)尖閣諸島中国漁船衝突事件
23年ー2011
(3月11日)東日本大震災
24年ー2012
(5月)スカイツリー開業
(9月)尖閣諸島国有化
25年ー2013
26年ー2014
(3月16日)クリミアの住民投票でウクライナのクリミアがロシアに編入
(4月1日)消費税が8%になる
(6月29日)中東にイスラム国が登場
(8月5日)朝日新聞が慰安婦強制連行の記事を取り消し、謝罪
27年ー2015
(1月)イスラム国により、二人の日本人が拘束され、処刑される
28年ー2016
(5月)バラク・オバマ米大統領が広島を訪問
(6月23日)イギリスが国民投票でEU離脱を選択
(11月)米大統領選挙でドナルド・トランプが次期大統領に選出される
29年ー2017
(6月16日)天皇の退位等に関する皇室典範特例法の公布
30年ー2018
(6月12日)米朝首脳会談



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『あなたのプレゼンに「まくら」はあるか?』 立川志の春

立川志の春ってお名前の落語家さんをご存知ですか?

1976年大阪府生まれ、千葉県柏市育ち。渋谷幕張高校を経て、イェール大学へ進学。卒業後は三井物産に入社。鉄鉱石部に働く毎日を過ごした3年目、たまたま聴いた立川志の輔の落語に衝撃を受け、半年の逡巡の後に三井物産を退社し、志の輔門下に入門という経歴の持ち主。

嫌な経歴ですね。

今、最も注目される落語家の一人で、志の輔をして「最初の2年間での伸び幅が、今までのどの弟子よりも大きかった」と言わしめたそうですから、スタートの位置がとびっきり低かったようです。

テレビで何度かお目にかかりましたが、たしかに面白かったです。一度は英語の落語をやってる人ということで取り上げられたりしてました。

この本は、そんな落語家の立川志の春さんが書いた本で、どっちかっていえば落語の入門書って感じです。“どっちかっていえば”っていうのは、『あなたのプレゼンに「まくら」はあるか』っていう題名にもある通り、それこそビジネス書として読んでもいいくらいの内容を持ってるからなんです。

志の春さんの経歴、嫌らしいでしょう。おそらく本当に嫌らしい部分を、大分引きずっていた人物のようなんです。通常であれば3カ月ほどで師匠から落語家としての名前をもらい、前座として高座に上がる機会を与えられるようになるんだそうです。それをなんと、志の春さんは1年3カ月もかかってるんです。

そんだけ志の春さんは我が強く、落語家になるには邪魔にしかならない我の強さをそぎ落とすのに、それだけの時間がかかったってことでしょうね。志の輔さんも辛抱強く待ったし、志の春さんもよく耐えたってことなんでしょう。面白いのは、サラリーマン時代から付き合っている奥様が、「師匠に弟子入りしてから性格がましになった」と喜んでおられるというんです。




星海社新書  ¥ 886

天職を掴んだ落語家がおくる若手ビジネスマンのための思考と発想を変える落語入門
一章 イェール、三井物産、立川流
二章 落語に仕事を学ぶ
三章 まくらに学ぶ雑談
四章 リズム、間、調子を獲得せよ!
五章 最強の趣味、落語への誘い


学生のころに、よく新宿の末廣亭に行きました。・・・よく行ったというほどには行ってないか。でも、それなりに行きました。北アルプスや南アルプスに行くのに、新宿から電車に乗ったんですけど、いつも電車の時間よりも何時間も早く新宿につくようにして、末廣亭で時間をつぶしてました。

高校の時の山岳部の先輩に連れて行ってもらったのが最初ですね。面白くてね。大学で東京で暮らすようになってからも、山に行くときはいつも落語を聞いてからってことになっちゃいました。

山と落語は関係ないように思うでしょ。でもね。あるんですよ。だいたい、でっかいザックを持ってるわけです。でっかいザックを持ってると、どこに行っても人の迷惑になるんですね。喫茶店なんてとんでもありません。

そんなとき、寄席はピッタリなんです。当時は、ガラガラでしたから。

それからだいぶたって、娘が大学生でしたから10年ほど前になりますか。娘の希望で池袋の演芸場に行ったとき、早めに行ったんで楽に座れたんですが、そのうち満員になって、おどろきました。寄席が満員になるなんて経験は、はじめてでしたから。

・・・世の中って変わるもんですねぇ。


サラリーン時代から付き合っていたという奥様に「師匠に弟子入りしてから性格がましになった」と喜ばれたという志の春さん。そのサラリーマン時代から、今の志の春さんまでの落差を考えれば、師匠が「最初の2年間での伸び幅が、今までのどの弟子よりも大きかった」と言われるのも当然かもしれませんね。そんな中で、志の春さんは思ったわけです。

「もしも、サラリーマン時代の自分が、今の自分のような気持ちで仕事をしていたら」

そんなところもあって生まれたのがこの本。落語入門書ではありますが、ビジネス書としても読めますよ。




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正丸駅-伊豆ヶ岳-子の権現-吾野駅

昨日、8月25日(土)
8月25日地図
台風が通り過ぎた日本列島は、また7月の、あの過ぎる暑さがぶり返してしまいました。それが分かってるのに、遠出するのが面倒なので、近場の、暑~い奥武蔵に行ってしまいました。

ただし、暑さで死んでしまうのは嫌なので、4時半に家を出ました。車で高麗駅まで行って500円のパーキングに車を置き、西武線の5:13で正丸駅へ。
18年8月25日 (1)左の写真は車内から撮ったもの。日和田山です。正丸駅に着いたのは5:40くらいかな。
18年8月25日 (24)18年8月25日 (23)
あるき始めてしばらくすると、もうアイツがやってきました。♫ 燃えるおとーこの~、暑いトラクター ♫ではなく、暑ーい、アイツ。そう、お日さまが背中の方から照らしつけてきました。栗の実る時期だと言うのに・・・。
18年8月25日 (22)18年8月25日 (19)
左は樹林の上り道から尾根に上がったところですね。だいたい1時間位ですかね。ここから登ったり下ったりになりますが、今回の台風ってだけじゃなくて、奥武蔵の木段は、どこもかしこもだいぶ土が流れちゃって、こういうところが多いですね。

雨のあとで、死んじゃいそうなキノコがあちこちに顔を出してました
18年8月25日 (21)18年8月25日 (20)
18年8月25日 (16)18年8月25日 (14)
18年8月25日 (12)18年8月25日 (11)
18年8月25日 (9)18年8月25日 (8)
18年8月25日 (17)18年8月25日 (15)
伊豆ヶ岳から山の向こうは関東平野古御岳の看板が落ちそう
18年8月25日 (10)18年8月25日 (2)
このコース、なかなか展望がないですね。東側が見えるのは伊豆ヶ岳と子の権現。関東平野が見えるのは伊豆ヶ岳だけですね。西側は高畑山と子の権現。左は高畑山近くの鉄塔下からの写真で、一番左の柔らかな山容が棒ノ嶺だと思います。右の写真、真ん中から少し右の柔らかな山容が棒ノ嶺で、左奥に突き出てるのが、たぶん大岳山。
18年8月25日 (4)18年8月25日 (6)
子の権現が見えたら少し左奥に行った所に東側の展望が開けたところがあります。ここで人にあったことがないので、あまり知られていないかもしれません。ここでお昼。右の写真のように、刈場坂峠から日和田山まで続く尾根が正面に広がります。

この時点で10時15分位。本当はここからスルギ尾根を通って大高山から東吾野まで頑張ろうと思っていたのですが、暑さが半端じゃありません。3リットル半準備した水も、ラーメンでほぼ終了。子の権現から吾野駅に降りることにしました。
18年8月25日 (7)振り返れば、今日越えてきた伊豆ヶ岳に古御岳。その向こうは武川岳でしょうか。

見るからに、・・・暑そー!
登山道から舗装道路に出る頃には、暑さがまた違うものになっていました。こんなかな、まだこれから登る人がいましたが、私じゃ無理だな。途中、沢から落ちてくる水を水筒にくんで、何度か頭からかぶりました。

吾野駅が見えるところに来たら上り電車が出ていきました。次の12:10まで30分。売店に入って、冷たいつけうどんをお願いしました。ずいぶんのぼせた顔をしていたようで、女将さんが冷水をポットで出してくれました。これはありがたかった。冷たいうどんを食べて、ポットの冷水を飲み干して、ようやく人心地つきました。本当にありがとうございました。

来週は、涼しいところに行きたいです。
 



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テーマ : 登山
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モーゲンソープラン『第二次世界大戦 アメリカの敗北』 渡辺惣樹

ヘンリー・モーゲンソーはFDR政権の第一期からずっと財務長官を務め、FDRの死(1945年4月12日)によってその座を去るまで、およそ11年間その職にあった。要職を務めた彼の取りえは、・・・FDR邸の近くに農園を持ち、何らかの偶然でFDR夫妻と知り合った、・・・ということのようです。

不動産業を営んだ父の遺産で農園を経営していたことから、FDRの縁故でニューヨーク州の農業諮問委員会委員長を務め、FDRが大統領選に当選すると、ニューディールの看板政策の一つ農業調整局の前身となった連邦農業委員会委員長となり、さらにずぶの素人のまま財務省の長官に抜擢されていきます。

財政のプロであるハリー・デキスター・ホワイトは、ずぶの素人であるモーゲンソーを通して、アメリカの国政に関わっていくことができたわけですね。二人の間には、“ユダヤ人のよしみ”という関係もあったようです。

勉強嫌いで歴史に疎かったFDRは、同じようにFDRの知り合いという以外に取りえらしいものを持たないモーゲンソーを妄信していたんですね。

日米開戦を考えるときに「ハル・ノート」は非常に重要でですが、原案を描いたのはハリー・デキスター・ホワイトですね。ホワイトはモーゲンソーの部下ですから、財務省の人間です。財務省の人間が国務長官であるコーデル・ハルの仕事に関与できたのは、なぜでしょうか。

ソ連のスパイであるホワイトは、FDRが妄信するモーゲンソーを抱き込み、以前からモーゲンソーはホワイトの意見をFDRにご注進していたわけですね。コーデル・ハルは、国務省の仕事に口を出してくるモーゲンソーを毛嫌いしていたそうです。

なかでも、このハル・ノートは最たるもんだったでしょう。無理難題を吹っ掛けられて、日本民族存亡の危機ですからね。そしてもう一つ、モーゲンソーが国務省の仕事に口出しをし、ある民族を存亡の危機に立たせた件があるんです。



文春新書  ¥ 1,188

ハル・ノート、ヤルタ会談、国際連合、ブレトンウッズ体制、全てソヴィエトスパイが操った
第1章 モーゲンソープランの非道
第2章 ソビエトに最も貢献したスパイ
第3章 アルジャー・ヒス ヤルタ会談の黒幕にして国連を作った男
第4章 露見したスパイ網
第5章 ルーズベルト・トルーマン体制の破綻
第6章 ワシントン議会が暴いたソビエトスパイ
終章 「戦勝国」アメリカの敗北


それは、ドイツ民族。

戦後ドイツ占領政策は、国務省と占領後の軍制実務を取り仕切る陸軍省によって、44年夏には完成していたそうです。ハリー・ホワイトに入れ知恵されたモーゲンソーは、アイゼンハワー連合国軍最高司令官に対してドイツ占領政策案は「ドイツに寛容すぎる」と訴えているんです。

ワシントンに帰ったモーゲンソーは、「ドイツを徹底的に、しかも恒久的に封じ込め」るための占領案をFDRに提言するわけです。もちろん新たな占領案を練り上げたのは、ハリー・ホワイトです。

出来上がった占領案は、*ドイツ精神を破壊すること、*工業を根こそぎにすることを軸としたものに作り替えられます。「二度とナチスを再興させない」というロジックは、無理を通して道理を引っ込ませてしまったわけです。ドイツを再建させないことが、ホワイト案の“きも”となったわけです。

敗戦国ドイツは飢餓にみまわれます。ドイツ国内の民間人570万人、東部ヨーロッパから追放されたドイツ系民族250万人、戦争捕虜110万人、あわせて900万人が死んだとされていますが、背景にはモーゲンソーとホワイトのコンビが作った過酷な占領案があったわけです。

日本における歴史教育では、このアメリカ主導のドイツ占領政策の中で900万のドイツ人が死んだことが取り上げられることはありませんね。

トルーマンの時代になって、1946年3月、ハーバート・フーバー元大統領がドイツ視察に送られています。それにより緊急支援が始まるわけです。ただ、トルーマン大統領はフーバー元大統領の報告以前にモーゲンソープランのでたらめさを分かっていたようです。「あの野郎は、レンガ頭の能なしで、くそも味噌もわからない気違い野郎だ」とののしっていたそうです。




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『寝ている間においしくなる』 栗原友

この間、紹介した『漬けおきレシピ』は、けっこう利用頻度の高い本でした。なにしろ漬けておいて、おいしくなるのをただ待てばいいという本ですから、私みたいなずぼら人間にはぴったり。ただし、私はずぼら人間であると同時に、うっかり人間でもあるもんですから、おいしくなるのをただ待ってる間に忘れてしまったりするわけです。

「ああ、はら減った。なんか食うもんが・・・」などと冷蔵庫を開けてびっくり。これはこの間付けておいた鳥肉くん、私は決して君のことを忘れたわけでは・・・、などと言い訳するものの、忘れていたんです。

でも、私が腹が減って冷蔵庫を開けることは、1日に1度はあることですから、もちろんそんな前の鳥肉くんではありません。ただ、三歩も歩くと直前のことすら忘れてしまうもんですから冷蔵庫を開けるたびに何らかの驚きがあるわけです。

まあ、そんな私のことはさておいて、こんな題名をつけられたら、私が放っておけるわけありません。なにしろ、『寝ている間においしくなる』ですからね。

内容に関しては、本質的に『漬けおきレシピ』と同じと考えてもいいでしょう。驚きという点においては『漬けおきレシピ』の方が上だったかもしれません。ただ、お手軽さという点においては『寝ている間においしくなる』の方が上かな。

たとえば、刺身の“漬け”や、まぐろの“黄身醤油漬け”。そのまんま、漬けとくだけ、翌朝、ご飯に乗っけて食べるだけです。残った刺身を漬けだれにつけるのを“りゅうきゅう”って言いますよね。“白菜、大根、人参の浅漬け”や“新ショウガの甘酢漬け”なんてごく普通の漬物ですね。“味付け卵”なんてのまで載ってます。 どうです?お手軽でしょ。

・・・なんど口に出しても、いや、なんど文字に起こしてみても、この題名は衝撃的ですね。『寝ている間においしくなる』ですからね。どうです?・・・まだ衝撃が来ませんか? だったら、ご一緒に、一・二の三、『寝ている間においしくなる』、もう一度、『寝ている間においしくなる』、よいしょ、『寝ている間においしくなる』・・・も、もういいですか?



祥伝社  ¥ 1,512

簡単なのにおいしい料理、そのは「仕込み」にあります
Capter1  魚
Capter2  肉
Capter3  野菜
Capter4  その他


とりあえず、寝ている間に、何においしくなってもらおうかということで、選んだのは、《山形の“だし”》。ほら、あのきゅうりやナス、みょうが、オクラ、大葉、長ネギ、長芋、青とうがらし、昆布なんてところを細かく刻んで、酒、しょうゆ、みりんで漬け込んだもの。

実はこの本を読んでいる最中に、お隣の奥様が来て、きゅうりとナスと大葉をいただいたんです。お隣の奥様は畑を借りてらして、とても野菜作りが上手なんです。いただいたきゅうりにしろナスにしろ、売ってるものより立派ですよ。形もいいし。

という偶然もあって、《山形の“だし”》に決定。長芋、青とうがらしがなかったんだけど、オクラはあったんでネバネバするし、青とうがらしの代わりにしょうがを入れてみました。それから昆布を刻むのは手が痛くなりそうなんで、おぼろ昆布をはさみで切って入れてみました。

・・・というのが、昨夜のこと。さて、今日の朝ごはんは、もちろん《山形の“だし”》。・・・う、うまかった~!

きゅうり一本とナス一本ですから、いただいたきゅうりとナスの大量消費というわけには行かないけど、うまかった~!細かく刻むのは、手間っていえば手間だけど、刻むだけのことですからね。テレビでも見ながら指後と刻んで、混ぜ込んで、あとは、『寝ている間においしくなる』は、本当のことでした。





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テーマ : 料理の本
ジャンル : 本・雑誌

独露『おそロシアに行ってきた』 嵐よういち

第3章で扱われてるロシアの飛び地カリーニングラードは、第二次世界大戦の戦利品としてロシアに分捕られちゃったけど、もとはドイツのケーニヒスベルク。さらにはドイツのもととなったプロイセンの建国の地ですから、ナチスのあんなことがあったあらこそドイツもでかいことは言えないけど、本心を言ってみろと言うことになれば、「いつか力づくで奪い返すぞ」と言うところでしょう。

しかも、ソ連に占領された後、ドイツ系の住民は追放されるか、シベリアの収容所に送られて餓死か、病死。きれいに民族浄化されて、ロシア人が送り込まれてきたわけです。

千島列島や樺太の南半分も第二次世界大戦の戦利品としてロシアに分捕られちゃったのは一緒ですね。日本は、「せめて北方四島だけは返して」なんて下手に出て、返してもらえる気でいるみたいなところがあるけど、ドイツ人にとってのケーニヒスベルクの重さは、日本人にとっての北方領土とは比べ物になりません。ロシアにしてみれば、北方領土なんか返して、比べ物にならないくらい重いケーニヒスベルクを返さないってわけにもいきませんからね。

美しい街だったそうですよ。それが、1944年8月、イギリス軍の空襲で旧市街の大半と大聖堂や教会、ケーニヒスベルク城に大学などが破壊されたそうです。1945年1月にはソ連に包囲され、ドイツ人はパニックになってバルト海を渡って逃げたそうです。同年4月にドイツ軍が降伏し、ポツダム宣言でソ連への帰属が決まるんですね。

あの時の代表は、アメリカがトルーマン、イギリスがアトリ―、ロシアがスターリンか。



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不愛想?威圧的?英語が通じない?実際に訪れたロシアは面白すぎる国だった!
第1章 日本から一番近いヨーロッパ『ウラジオストック』
第2章 ロシアが実効支配を続ける『樺太(サハリン)』
第3章 ロシアの飛び地『カリーニングラード』
第4章 ヨーロッパ最大の都市『モスクワ』
第5章 世界遺産都市『サンクトペテルブルク』
第6章 極寒のシベリア『イルクーツク』


とは言うものの、ロシアも徹底的にやられてるからね、ドイツには。

第5章のサンクトペテルブルクは、1703年にピョートル大帝が作った街。『聖ペテロの街』を意味するサンクトペテルブルクはピョートル大帝の趣味でドイツ語風の名前になっています。それが第一次世界大戦でドイツが敵対国になったことから、ロシア語風のペトログラードに変わり、さらにロシア革命後、人の裏をかいたり、上げ足を取ることなら歴代最高の人物であろうレーニンの名を冠してレニングラードになったわけですね。さらに1991年のソ連崩壊でサンクトペテルブルクに戻って、今に至るわけですね。

ドイツにやられたことを語るなら、第二次世界大戦の時のレニングラード包囲戦ですね。大戦開戦直後、ドイツと同盟を結んでいたソ連はフィンランドに攻め込みました。しかし、ドイツが同盟を破棄してソ連に攻め込むと、フィンランドはドイツと手を組んで奪われた領土の奪還にかかるんですね。

ヒトラーはサンクトペテルブルクを地図上から消してしまうつもりだったようです。しかし、防御を崩せなかったドイツはここを包囲して兵糧攻めに入るんですね。その期間、なんと1941年夏から871日間だそうです。

取り残さラえた市民は300万人いたそうです。食べるものがなくなり、飢餓で弱り切った人がどんどん死んでいって100万人死んだという説もあるそうです。猫を喰い尽したことからネズミが大発生したそうです。

じゃあ、「ネズミを食えば・・・」って思うところなんだけど、この場合、ネズミが人を襲うらしいんです。これは嫌ですね。だから、サンクトペテルブルクに接するラドガ湖が氷結して鉄道が部分的にしろ通るようになると、猫を積み込んだ車両を走らせたそうです。

サンクトペテルブルクに到着した猫たちは、すぐに軍事行動を開始したんだそうです。

だからドイツ人になにやってもいいってことにはならないでしょうけど、気持ちは分からないでもないってところもある。だったら、ロシアが日本人にやったことは何か。それを考えて、ロシア人が日本人の気持ちを分かってくれるんでしょうか。どうもそうはなりそうもないね。

著者の嵐よういちさん、面白い街を訪ねてますね。




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テーマ : 読んだ本
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『旅先のオバケ』 椎名誠

世界中のいろいろな所、それも、通常の生活を営む日本人なら一生行く機会もないような所にたくさん行ってる椎名誠さんの、その旅先でのあんな経験やこんな経験の詰まった本です。とくに、中でも、第一章と第二章は恐い、・・・怖いです。

御本人は「霊感というのはあまりない方」とおっしゃっていますので、霊感のない椎名さんにも感得させてしまうほどに強烈な存在感を持ったオバケたちとの交流のお話です。もう、嫌んなっちゃうなー。ここんところ怖い話があっちこっちにゴロゴロしてて、半分くらいは避けて通るんですけど、右から来たやつを避けて左に行けば、左の怖い話にぶつかりますからね。

最初は、椎名さんのことだからオバケとも、面白おかしく交流するんだろうと思ってたら、ただ、本気の怖い話なんだもの。しかも、買っちゃった以上、避けて通れない。参った、参った。

それにしても、海外のオバケっていうのは、日本のもののようにソーっと出てくるってことをしないんですね。ドヒャーっと出てくるやつまでいるんですね。ノブゴロドのオバケが、とにかくすごい。ノブゴロドと言えば、あのノブゴロド国のノブゴロド。ゴロドは城塞だっていうから、ノブ城塞ですね。

もともと、スラブ人が居住していたここに、リューリクに率いられたノルマン人のルーシたちが侵入し、スラブ人たちを支配するわけです。800年代の真ん中あたりですね。ロシアの古都、日本で言えば奈良みたいなところかな。

そこのホテルで、隣の部屋がとにかくうるさかったんですって。ドッタンバッタン。6・7人の身体のでかいロシア人が、ウォトカをがぶ飲みして、酔っ払って椅子だの、机だのを放り投げながら暴れまくってるような音なんですって。それが、1時間以上も続くんで流石に頭にきてピッケルみたいなもので壁叩いたら、・・・余計に暴れまくるんですって。怒鳴り込んだら殺されちゃいますからね。

椎名さんもウォトカがぶ飲みして、いつか隣の音も収まってきて、寝ちゃったそうです。翌朝、部屋を出るとき、隣に恨みの目を向けようと思ったら、隣には部屋はなかったんだそうです。

ギャー!


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椎名誠が泊ってきた「宿」を振り返る。地球を股にかけた、オドロキのエピソードが満載! 
第1章 あとになってフルエルような恐ろし宿体験 
第2章 土地に残る「記憶」を感じる旅 
第3章 アジア離島宿いろいろ 
第4章 シベリア・モンゴル・北極圏 宿泊は時にタタカイだ 
第5章 世界のあちこちでこんな宿に泊まってきた 

山を歩いていると、ごくたまに、後ろが気になることがありますね。音がするわけでもないんだけど、なんか気配だけが感じられるんですよね。奥武蔵の鎌北湖の周辺を歩いているときに、二度ほどありました。

一度は、宿谷滝から北向地蔵に向かう道。人があまり通らない道で、最初は不確かだった気配が、やがてはすぐ後ろに感じられて、怖かった~。あそこは、先にお墓もあるしね。

もう一度は、貝立場から獅子ヶ滝に降りてくる道ですね。それも、林道まで降りてから獅子ヶ滝に向かう途中で、どこかから見られてるような気配を強く感じたんですよ。これも怖かった~。

どちらも、違うときにも通ってるところなので、時間帯とか、気候とか、いろいろあるんでしょうね。

私、祖母と同じ家で暮らしている18歳までの間、いろいろなものを見たんですよ。それ以後、あまり感じなくなったんですが、また、歳をとってから感じるようになっちゃったんですよ。どうせ感じるんなら、もっと色っぽいほうで感じてみたいもんなんですけど、そっちじゃないんですよね。

椎名誠さんは、「“想い”はそこにとどまる」っていうように考えているんだそうです。んん、そうなんでしょうね。椎名さんの書いたものを読むと、読んだ上でそう言われると、椎名さんはそうだろうなって想いますね。そう思う人だからこそ、こういう本が書けるんでしょうね。

第3章以降の話も、オバケの話じゃないけど、面白いんですよ。ニューアイルランド島のツリーハウスの話はすごいよ。ツリーハウスにカップルが泊まると、情報はあっという間に広まり、集落の好色サル人間が、スルスルっと木に登って、隙間だらけの天空ハウスに群がるんですって。

これは視覚に訴えますね。聴覚にもね。椎名さんの旅の話は、五感に語りかけてくるんですよ。すごい音だったり、すごい匂いだったり。すごい暑かったり、寒かったり。今回は、特に匂いがすごかったですね。そのへんは、覚悟の上でお読みください。




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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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