めんどくせぇことばかり 2018年11月
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『絶滅危惧種 昭和の少年』 酒井克

著者さんは、1946年のお生まれですね。田舎生まれで、もしも、戦後、多くの方がさらされた食糧難の苦難がなければ、日本史の中で、一番いい時代を生きた方々かもしれませんね。

私も、そこからそう遠くない時代の生まれではあるんですが、残念ながら、“昭和の少年”の範疇には入れてもらえないようです。もちろん、「著者の定義づけによれば・・・」と言うことなんですが。

その定義と言うのが前書きにありますので、ご紹介しておきましょう。
  1. 年齢にかかわらず、“少年の心”を持ち続けていること
  2. 田舎に生まれ、田舎に育ち、幼稚園や保育園にはいかず、朝から晩までの山で遊び続けた少年であること
  3. 遊びに出かけるときは必ず“かくし”(ポケット)に肥後守と言う“折り畳み式ナイフ”を入れて遊んだ少年であること
  4. ランニングシャツ(あるいは上半身裸)にダブダブの半ズボン、麦わら帽子をかぶった少年であること
  5. エビガニや魚釣りの竿、または蜘蛛の巣で作ったセミ取りの篠を担いだしょうねんであること

と言うことです。残念ながら私、著者よりもずいぶん田舎の人間で、著者さんのようにおしゃれではなかったんですが、なにしろまがりなりにも幼稚園に行っていたもんですから、“昭和の少年”ではありません。

そんな“昭和の少年”、なかでも、もしかしたら最後の“昭和の少年”が、そのような少年がいたことを後世に伝えられるべく取り組んだ自分史。それも、「自分史も 満足するのは 自分だけ(自作川柳)」で終わらないよう、心掛けながら書いた自分史であるようです。


まつやま書房  ¥ 1,620

僕はこのような少年がいたことを後世に伝えられる最後の少年になるだろう
1 少年時代(幼年期)
2 少年時代(小学校低学年)
3 少年時代(小学校中学年)
4 少年時代(小学校高学年)
5 少年時代(中学時代)
6 少年時代(高校・大学時代)
7 少年時代(教え子は少年)
8 少年時代(孫は少年)


私は、おそらく老い先短くなっても、・・・すでに短くなっているけど、これ以上に短いと感じるようになっても、このような本を、あとに残そうとは思わないと思います。

私には歴史がなかったからじゃなくて、書こうと思っても、何かと差しさわりがたくさんあり過ぎて、書くに書けません。差しさわりの部分を除いて書けばいいかもしれないけど、その差しさわりの部分を除いてしまうと、そこには本来の私とは全く違う人物が登場することになりかねません。

つまり、その差しさわりの部分こそが、本来の私をあらわすのに必要不可欠な要素であると言いうことです。

この本の著者さんだって、数々の差しさわりがあっただろうと思うんです。ですが、読ませていただいても、書かれていることは、《こんなこと書いてもいいんですか?》と顔を赤らめるような話はありません。

ここに書かれているのが著者さんの本質であるなら、本当にお幸せな人生を過ごされたんだと、うらやましい限りです。

私は“昭和の少年”の範疇にはありませんが、それでも数多く共有できる思い出がありました。そんな数々を懐かしく思い出すことができました。




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テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

美空ひばり『芸能の不思議な力』 なかにし礼

つくづく、美空ひばりっていう人は、すごい歌手だったんですねぇ。

なかにし礼さんが詩を描いた曲のレコーディングん時の話が紹介されてました。
ひばりのレコーディングとなると、レコード会社は有名オーケストラのトッププレイヤーを集めているのだが、オーケストラ連中の態度といったら尊大この上なしだ。彼らはいかにもアルバイトできているのだと言わんばかりに、椅子の背にもたれてニタニタ笑っている。腹の底では歌謡曲なんぞと蔑視していることが顔にありありだ。ひばりはそんなことに構わず、指揮者に軽く挨拶し、ほんの少し言葉をかわしたのち、衝立で仕切られた自分のブースに入る。その頃すでに当たり前になっていたカラオケでのレコーディングをひばりはやらない。レコーディングは絶対にオーケストラとの同時録音だ。自分の歌でオーケストラを自在に導き操ってみせるのが歌手の本領であると、ひばりは頑なに信奉している。

指揮者が棒を振り下ろす。曲目は『むらさきの涙』。前奏が鳴る。

ひばりが歌う。それまでアーともウーとも咳払い一つしていなかったひばりの声は完全にできあがっていた。私は心底驚いた。この声量、音程とリズムの正確さ、ニュアンスの多様さ、詩を理解する並外れた力、細やかな心理描写、こんな歌手がこの世に存在することの不思議さに心打たれていた。

歌はすでにして完璧である。ここで私は奇妙な光景を見ることになる。それは、最初のうちは椅子の背にもたれて演奏していたプレイヤーたちの目の色が変わり始め、それが次第に尊敬の眼差しになり、ひばりの緊張感と霊感と完成度に追いつこうとして慌てふためき、ついには前のめりになって懸命に演奏する様である。
本書p20
まるで、協奏曲と一緒ですね。まえに、ヴァイオリンの神尾真由子さんがチャイコフスキー国際コンクールで優勝したとき、優勝を決めた最後のシベリウスのヴァイオリン協奏曲は圧巻だった。

眉間にシワを寄せて、せつなそうに演奏する神尾さんにオーケストラの人たちが演奏途中から、その表情を変えていったんです。なかには、互いに顔を見合わせる人たちまでいました。その様子に、神尾さんの演奏がオーケストラを圧倒しているのが、素人の私でも分かりました。

美空ひばりという人は、声を、楽器として完璧に扱えるんですね。なかにし礼さんが言うには、そこに、“ニュアンスの多様さ、詩を理解する並外れた力、細やかな心理描写”が加わっては、使う楽器が、意味のこもった言葉を乗せた声なんだから、ある意味では最強ですね。

だから、美空ひばりが歌うときには、彼女は、いつもオーケストラを従えて、自分の必要とする音を出させながら歌っていたということなんですね。

本当にすごい歌手だったんですね。いくつか、好きな歌もあります。だけど、残念ながら、同じように昭和に思い入れがあっても、だいぶ時間のずれがあるので、その世代の人たちのようには入れ込めないです。


『芸能の不思議な力』    なかにし礼

毎日新聞出版  ¥ 1,836

芸能を、人間の最も素晴らしい表現ととらえるなかにし礼が、その神髄を語り尽くす
第1章 わが畏敬せる美空ひばり
第2章 芸能の不思議な力
第3章 古典の斬新
第4章 異境からの衝撃
第5章 芸能的な文芸論
第6章 石原裕次郎追想


それにしても、ここに書かれている、なかにし礼さんと美空ひばりさんの関係一つを見ても、芸能の世界に女王として君臨するというのは、とてつもないことだということが、よく分かりました。

なかにし礼さんが言う通り、美空ひばりの才能は特別なものなんですね。

《あなたは絶壁の突端に立って歌っている。人々はあなたを見上げて共感し喝采を送る。しかしそれ以上のものを求めるのは贅沢であり傲慢なことです。絶壁の突端であなたは歌い続けなければならない。そこは寒い風が吹き、嵐ともなれば死の淵に立たされる。太陽がじかに当たって身を焦がすこともあるであろう。が、それがあなたの宿命なのです》

そう、なかにし礼さんは美空ひばりさんに言ったそうです。

《マリア・カラスだって、エディット・ピアフだってあなたと同じように過酷な運命を強いられていた。しかし、最後まで歌い続けた。あなたも歌い続けること、それ以外を望んではいけない》

そう言ったんだそうです。これって、「死ぬまで歌え」ってことでしょう。そして、美空ひばりは、そのとおり、死ぬまで歌って、死にました。なかにし礼さんにとっても、重い十字架ですね。





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テーマ : 読んだ本
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『世界の歴史はウソばかり』 倉山満

奴隷解放宣言っていうのは、いわば窮余の策っていうやつですね。本書でも、その事に触れられています。

フランスがいち早くアメリカ連合国を承認してしまったので、リンカーンはイギリスに接近したわけです。その時かかげた大義が「奴隷解放」で、もちろんタテマエです。リンカーンの考えは一貫していて、奴隷制そのものではなく、南北の対立そのものを問題視していました。

1862年3月には、奴隷制を廃止した州には財政的支援によって補償するとまで勧告していますが、その8月にニューヨーク・トリビューンに寄せられた公開質問には、以下のように答えています。

「この戦争における私の至上の目的は、連邦を救うことにあります。奴隷制度を救うことにも、亡ぼすことにもありません。もし奴隷は一人も自由にせずに連邦を救うことができるのならば、私はそうするでしょう。そしてもしすべての奴隷を自由にすることによって連邦を救えるならば、私はそうするでしょう。また、もし一部の奴隷を自由にし、他はそのままにしておくことによって連邦が救えるものならば、そうもするでしょう。私が奴隷制度や黒人種についてすることは、これが連邦を救うに役立つと信じているためなのです」

連邦の統一こそが第一で、奴隷制度は二の次ということですね。フランスがアメリカ連合国を承認したことで、奴隷は一人も自由にせずに統一を維持するという最上の策は、諦めざるを得なくなったということです。

だいたい、この奴隷解放という策を取るに当たり、リンカーンは、それに変わる苦力という中国人労働力を確保しているんですから、準備のいいことです。


ビジネス社  ¥ 1,512

世界が知られたくない暗黒史を暴露 史上最も格調高いヘイト本
序章  日本人がまったく知らない国民国家論
第一章  典型的な「国民国家」フランス
第二章  国民国家の理論でナチズムをやっている中国
      主権国家にすらなれていない韓国
第三章  常に異ネーションをかかえた帝国ロシア
第四章  国体と政体の区別がない「人工国家」アメリカ
第五章  「民族主義」のヒトラーに破壊された国民国家ドイツ
第六章  エンパイアから始まった国民国家イギリス
第七章  七世紀には国民国家だった日本
おわりに 「史上最も格調高いヘイト本」


第二次世界大戦におけるアメリカの盟友と言えば、本当はロシアですけど、表面上はフランクリン・D・ルーズベルトと、ウィンストン・チャーチルがタッグを組んでいたみたいな言われ方をしてますよね。

そのイギリスについてなんですが、チャーチルは、18世紀初頭スペイン継承戦争で戦功を立てたマールバラ公の子孫で、本人も軍人出身。キューバやインドの反乱軍鎮圧に従軍し、ボーア戦争の従軍体験記で有名になります。第一次大戦前後から重要閣僚を歴任し、陸海空相や植民地相も務めました。第二次世界大戦では首相になり、ヒトラーと戦うことになるわけです。

ネヴィル・チェンバレンは、対ドイツ宥和政策でヒトラーを増長させたと非難されることが多いですね。しかし、チャーチルがソ連と組んでドイツと戦うことを選んだのに対して、チェンバレンはドイツ以上にソ連を警戒し、独伊との戦争回避に動いたという状況です。

アメリカのせいで切れてしまった日英の再同盟を模索していたのもチェンバレンでした。大英帝国の経済的命綱だったインドに関しても、植民地統治から自治拡大を目指していました。チャーチルはこれに強硬に反対していたわけです。

政権がチャーチルの手に渡り、チャーチルはヒトラーという化物を潰すために、フランクリン・D・ルーズベルトという化物とヨシフ・スターリンという二人の化物に世界を委ねることになるわけです。

そして、大変残念なことながら、日本はフランクリン・D・ルーズベルトという化物とヨシフ・スターリンという二人の化物に、最初に捧げられた生贄みたいなもんだったわけですね。




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『「身体」を忘れた日本人』 養老孟司 C・W・ニコル

私は、本当によく怪我をする子でした。

「注意が足りない」ってよく言われましたけど、注意が足りないんじゃないんです。足りないどころじゃなくて、まったくしてないんです。注意しなければいけないって気持ちが、働いてないんですね。

川に落ちて死にかける。スズメバチの巣を取ろうとしてぼこぼこにされる。自転車ごと側溝に飛び込んで頭を強打する。草のついた急坂を転げ落ちてふくらはぎの肉をそぎ落とす。

よく生きていたもんだというのだけで、そんだけあります。いずれも、小学校の時ですね。考えてみると、3年・4年・5年のときですね。その後は、自分でもわかってきたんです。自分が、何かに心を囚われると、それ以外のことが、全部、頭からどっかに行っちゃうことを。

だから、そうなりそうなときは、まず、安全を確保してから、そうなるようにするようになったんだと思います。その後は、酒を飲んだだ時に、ときどき、まずいことがありました。もう、極力、外で飲まないようにしたし、飲んでも酔わないようにしました。

それがなんだか最近、歳を取ってきたせいか、我慢が効かなくなる時があるんですよね。「ああ、夕焼けに染まった山がきれいだな~。いけね。運転中だった」ってね。あぶない、あぶない。

はさみで父のネクタイや、背広を切ってしまいました。切るのが、気持ちよかったんです。ナイフなんか誰にも教わってません。何度も指を切りました。火遊びも好きでした。大大大好きでした。ちょっとここでは書けない失敗もありました。

自動車が急激に増えてきた時期でもありましたから、子どものころは、そういう面でも危険な時代でした。いつだったか、兄も言ってましたね。「よく五体満足で大人になれた」って。


『「身体」を忘れた日本人』    養老孟司 C・W・ニコル

山と渓谷社  ¥ 1,404

自然と触れる機会もなくなった現代人は、嗅覚、免疫といった身体機能も衰えている
【1章 森と川と海のこと】
【2章 食べること、住まうこと】
【3章 子どもたちと教育のこと】
【4章 虫のこと、動物のこと】
【5章 五感と意識のこと】
【6章 聞くこと、話すこと】
【7章 これからの日本のこと】


もう、還暦手前ですから、死ぬことも、以前と違って身近です。考えてみれば、子どものころに死んでても、ちっともおかしくなかったんですから、儲けたような気分です。できれば、この先も、もう少し儲けたいもんです。

そんなに儲けさせてもらってばかりでは申し訳ないですから、少しは世の中に貢献したいところなんですが、これといって能がありません。

養老さんやニコルさんのように苦言を呈そうにも、そんだけの器量がありませんから、とりあえずは勉強させてもらうだけんなっちゃうけど、こんなブログだけど、なんとかこういういい本でも紹介できればね。

“死ぬこと”を前提にして、話は進めてほしいんですよね。人間は、とかく便利を求めて、他の生きものから隔絶してしまったけど、“死ぬ”っていう事を考えたときに、ようやく、他の生きものの仲間になれるような気がします。

「理由はともかく、どうせ死ぬんだから・・・」って考えると、割といい方法が思い浮かんだりするんじゃないかと思うんです。どうせ死ぬんだから、そんな生き方をしなくてもいいと思うんです。

養老さんが言ってるんだけど、今の日本人は生き物として作っているエネルギーの40倍のエネルギーを使ってるんですって。1964年の東京オリンピックのころは10倍くらいだったそうです。

さらに、これから労働生産性を上げていくって言ってるわけですから、もっとたくさんのエネルギーを使うようになるわけでしょう。「ほら、私にはこんなすごいことができる」って、とんでもない勘違いをする人が出てくるんでしょうね。嫌だな、そういうの。

私は、山や川で遊んで、分相応に、もう少しおまけの人生で儲けて死のう。




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尊攘派『日本史上最高の英雄 大久保利通』 倉山満

《第二章 尊攘派に翻弄された「激動」の幕末》に、アメリカ公使館通訳のヘンリー・ヒュースケンが薩摩藩の伊牟田尚平らに暗殺された件が取り上げられています。

1860年12月の事件ですね。翌1861年にはイギリス公使のオールコックが襲撃されているし、更に1863年には高杉晋作らが建設中のイギリス公使館を焼き討ちしています。

このあたり、幕府は尊攘派に鼻面を引きずり回され、次第に体力を失っていきます。

伊牟田尚平に殺されたヘンリー・ヒュースケンは、いい人だったみたいですね。日本はオランダを通して世界を見てましたから、西洋の学問は蘭学として学んだんですね。ところが、残念ながら、西洋は英語で日本に迫ってきたわけです。

福沢諭吉は、死にものぐるいで勉強したオランダ語が、役に立たなかったわけですから、残念だったでしょうね。福沢諭吉はそこから英語に切り替えて、おそらくまた、死にものぐるいで学んだだんでしょう、しかし、なかには絶望して、蘭学で止まってしまった人も少なくないそうです。

そこで、ヒュースケンの登場です。ヒュースケンらオランダ系移民は、けっこう厳しい経済状況にあったようです。そんな時、《英語とオランダ語が出来て、日本で働く仕事》という募集があったんだそうです。それに応募して、ヒュースケンはハリスの助手という形で、日本で働くことになりました。

ヒュースケンは、日本人を好意的に受け止めていたようです。だけど、ヒュースケンは、残念ながら、日本人に殺されて死にます。殺したのは、薩摩藩士の伊牟田尚平たちでした。



徳間書店  ¥ 1,350

西郷を殺してまで、守らねばならなかったものとは? 大久保の「未来への意思」
第一章 世界情勢の中の幕末日本
第二章 尊攘派に翻弄された「激動」の幕末
第三章 怪物・一橋慶喜との死闘
第四章 大久保利通の「未来への意思」
第五章 なぜ西郷を殺したのか
第六章 英雄たちの死と近代国家の誕生

同じようなことが、ずいぶん起こってたんですね。確実に、このときの日本は分裂していて、イギリスにしろ、フランスやロシアにしろ、つけ込みどころ満載でした。もちろんアメリカも、・・・ですが、アメリカは、イギリスあたりの国からすれば、悪人にしては人が良すぎるくらいだったんでしょう。

そんな列強に対して、やはり日本は力がなかったわけです。なんにしても、根本にそれがあります。力がなければ、無様にこびを使うか、高飛車に出て鼻で笑われるしかないわけです。「****は立派な人物」なんて上から目線の褒め言葉には、なんの意味もないわけです。

だから、国を変えなきゃいけないわけです。本書にもある通り、大事なことは《富国強兵と政令一途》です。本当に正しく国を憂える者たちが国を動かせればいいわけですが、そこには当然権力の問題が絡みます。

江戸幕府の支配の論理である朱子学の立場から、江戸幕府を追い詰める方法が、尊王攘夷ですね。それにしても、今にしてみれば、みっともないことです。彼らのやってることは、日本を危機的な状況に追い込むことですから。

なおも、伊牟田尚平や益満休之助は、西郷隆盛の手駒として働きました。何しろ、彼らが江戸市中を混乱させるために集めた無頼の輩は500名を超えるっていうんですから。

500名を超える無頼の輩が、強盗や放火を繰り返したんですよ。革命家西郷隆盛の真骨頂ですね。革命家は、人の命なんてなんとも思わないんです。

レーニンがどんな世の中を作りました。そこでスターリンはなにをしましたか。第一次世界大戦で一千万人を超える人がなくなる中で、彼れはこれを、好機到来と捉えていたわけですね。

伊牟田尚平や益満休之助に集められた相楽総三は、年貢半減を言いふらした偽官軍として殺されますね。益満休之助は上野戦争で流れ弾にあたったと言われますが、いったい誰が打った玉だったでしょう。伊牟田尚平は、強盗殺人の罪を問われて、どうやら薩摩藩邸で自刃。

うまい具合に口封じ。

尊皇攘夷という大義名分は、とても、使い出が良かったんですね。





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テーマ : 読んだ本
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『猫なんかよんでもこない4』 杉作

実業之日本社  ¥ 972

ブキヨウさにニヤニヤ、ゆるゆるなごんで、最後にホロリ。大人の実録猫マンガ
漫画です。

七年前、高三の娘が子猫を拾ってきた。学校帰りの娘の自転車の前に、ミィミィと泣きながらヨチヨチと歩み出たらしい。どうやら入れられていた紙袋から這い出したらしい。生まれたばかりの黒猫だった。

娘は幼い頃から色々な生き物を拾ってきた。雀の子や、燕の子、トカゲや昆虫類にミミズ、ダンゴ虫。いつも言っておいた。「猫や犬は絶対拾ってくるな。うちでは飼えない。」子猫を胸に抱いた娘が私に言った。「私が拾おうとしたんじゃない。この子が私に拾われようとしたんだよ。」「・・・」

三日で私は子猫の虜になった。この本の表紙の黒猫は、ミィミィ(うちの猫の名前)の小さい頃にそっくり。そして私は、この本の虜になりました。主人公の杉作の猫に対する態度が、ミィミィがうちにやってきた頃の私にそっくりだったから。その通り、“猫なんかよんでもこない”し、呼ばないのに、かまって欲しかったり、腹が減ったりすると寄ってくる。こちらの都合にはお構いなしに。

朝、明るくなって腹が減っていると、「ちょっと、ちょっと」と私の顔に触ってくる。無視して朝寝を決め込むと、顔にスリスリしてくる。それでも無視していると、ドスンと私の顔に横倒しになって、自分の腹で私の口と鼻をふさぐ。熱帯夜を過ごした夏の不快な朝にこれをやられると、これから始まる一日を台無しにされたような気分になる。

主人公杉作(作者ご本人のようだが)が猫に翻弄されながら、猫の世話をするようになり、「猫なんかよんでもこない。まったく勝手な生き物だ」なんて言う頃には、すっかり猫に支えられている。かつて自分にあった変化を、追体験するようにこの漫画を読んだ。ただ・・・、最後は涙を流した。みなさんも気をつけてお読みください。

実業之日本社  ¥ 972

クソッ 猫なんか好きになったばっかりに!
その第二弾が出ました。著者の杉作さんは、まだ漫画家を続けていました。前作、猫を買うことになるなんて思ってもいなかった私が、おそらく世界一の猫の下僕になり下がった私自身を重ね合わせながら読んだ。笑いながら読んだ。そこに油断があった。ラストでは涙が止まらなくなった。ボロボロだった。さて、今回は・・・

もうすぐ八年になるミィミィとの暮らし。高校三年だった娘は美大を出て、えっ、なになに?張り子職人?なんだそれ?食っていけんのか?とか言ってたら、卒業もしてないのに結婚? じぇじぇじぇじぇじぇ(あまちゃん)・・・たまげている間もなく挙式。娘のいない生活にもそろそろ慣れてきたかと思ったら、えっ、子供ができた?・・・・・・・・あ~あ、八年もたつのか~。

八年も一緒にいれば、そろそろなんでも分かる。まったく、年とともに愛想はなくなってくるものの、めんどくさ可愛いのは相変わらず。小さい頃に、一晩、一人にして帰ってきたら、血尿出してた。それ以来、家をあけたことはない。

猫を拾ってきた娘は、勝手に嫁に行っちまったけど、ミィミィ、ずっと私めがお仕えさせていただきますので、どうぞ、心安らかにお過ごしください。

第2巻も面白かったよ。ちまたの大ボス“キャハン”。死んじゃったクロの親友だった“ハイイロ”、野良との関わりは難しいね。もしかして、“ハイイロ”は死んじゃったの?大家さんちのデカ犬の“デカ”、大家さん死んじゃってかわいそうに。アパートの新住民“クー”。そして、もしかしたら新しい家族?捨て猫の“ポコ”。それ以上に興味深いのが、杉作さんの私生活。これって本当?

今回は、心ならずも泣かされるような展開にはならなかったけど、ペットとの付き合いって、遠くない将来の別れをいつも秘めたものだから、せつないですよね。杉作さんの猫との向き合い方にも、真正面から向かい合っている感じがして、全編に哀愁が漂っています。そのへんが魅力かな。 

クロは死んじゃったけど、チンコは杉作さんと元気に生きてた。とにかく、まだまだ話は展開しそう。

実業之日本社  ¥ 972

猫の一生は短い。だから覚えておこう。なにもかも。猫好き必読 感動の第3巻!
結局、拾い猫のポコも家族になっちゃったんですね。分かってました。本当は、誰よりも杉作さんが一番わかっていたはずですよね。

そしてウメサンまで家族に加えちゃって・・・。うらやましい。でも、新居に引っ越して、チン子がちょっとかわいそう。“猫は家につく”っていいますからね。

でも、しょせんはペットとしてしか生きられない生き物。どこまで折り合いをつけてやれるかってことですよね。チン子だってそう。少しずつ、少しずつ、ポコの存在に折り合いをつけていった。

うちのミィミィも、早いもので、もう九歳。拾い主の娘が、この間、孫を連れて帰ってきました。はじめて自分より格下を迎えたミィ。

ミルクの匂いがたまらなかったらしく、真近に寄って“ジッ”と・・・。危ない。危ない。

最後の場面、切ないね。猫は背中でモノを言うからね。どうなるんだろう、このあと・・・。


実業之日本社  ¥ 972

ときには泣きながら、ときには笑いながら、オレたちはいつも一緒だった。
第1章 新生活
第2章 シャー‼
第3章 ただならないムード
第4章 ヤブ医者
第5章 チン子、ボスになる
第6章 行方不明
第7章 今までとちがうの
第8章 赤ちゃん
第9章 あきらめの後ろ姿
第10章 最後のお別れ
最終章 ときには泣きながら ときには笑いながら


第4巻を読まずにいました。本屋さんに行っても、なんとなく忘れてて、視界にあっても、意識に上がりませんでした。4年も前にこのシリーズは終了してました。

クロとチン子から始まった話も、一つの幕切れを迎えたわけです。そう言えば、分かっていただけると思います。クロに続いて、チン子も。・・・そういう事です。

チン子は17歳だったそうです。うちのミミ、・・・本当はミィミィなんだけど、ついつい縮まってしまいます。ミィミィは17歳ですね。何かと生き物が目の前に飛び出してくる娘に拾われて、「だめだよ!」「ええ、だって~」「そんなこと言ったって」「・・・そこをなんとか」ってことで、・・・あれからもう12年。

その間に、6人家族が2人に減って・・・。もとい、6人と1匹家族が、2人と1匹家族に減ってしまいました。時は、移ろうんですね。

今年の夏でしたか、家猫のミィミィが脱走したことがありました。それは珍しくないのですが、その時は、一晩、帰って来ませんでした。そういう脱走が、今年の夏だけで、2回続いたんです。このまま、・・・そんなことも考えました。

それから、息子が家を出てからだから、2年半になりますが、あちこちにおしっこをするようになって、連れ合いをイライラさせてます。いろいろと工夫を重ねてブロックしておりますが。

ミィミィの寿命も気になりますが、逆に、ミィミィを残して私たちが逝く訳にもいきませんので、とりあえずは、こっちが元気で頑張らないと。・・・そんな日常を楽しんでいる2人と1匹家族です。




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テーマ : 漫画
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11月23日 大岳山 鋸山

9月16日に、まったく同じコースを歩いています。その時は、雨はふらなかったものの、湿度が高く、朝のうちは霧も出ていて、まるで水の中を歩いているようでした。当然、景色も全くなし。鋸山を過ぎてから、なんとか隣の御前山が確認できる程度でした。

同じ職場の方、Sさんが、どこか連れて行ってほしいと言うので、その時の残念な気持ちもあり、同じコースを歩きました。
地図

車で、東松山の自宅を4時50分に出ました。もちろん、真っ暗。Sさんを途中で拾って、鳩ノ巣駅の無料駐車場に向かいます。到着は6時15分位だったでしょうか。11月大岳山 (1) 11月大岳山 (11)

電車で電車、バス、ケーブルカーで、御岳山駅まで登りました。7時36分到着です。ものすごくいい天気で、スカイツリーも、筑波山も、くっきりはっきり見えました。・・・私にも写せます。

ということで、あとは楽しく歩くだけです。一人で歩いた前回とは違うので、ちゃんと、見るべきものは見て、話すべきことは話しながら歩くことを心がけました。

ただ、どうも今日は、前回よりも遥かに人が多いみたいです。前回、奥の院コースに足を踏み入れた途端、前にも後ろにも人の気配がなくなりました。今回は違います。なんだか、前からも後ろからも、なんとなくずっと、チリーンチリーンと聞こえます。托鉢の人に包囲されてしまっているかのようです。11月大岳山 (10) 11月大岳山 (9)


この前と違って、樹林越しでも、周囲の山がはっきり見えています。関東平野の向こう側に、なんだかぴっかぴかに光るなにかが見えていたんですが、海だと思います。そんなとこいておきながら、写真は撮ってないんですけど。

鍋割山を下り始めた頃から、Sさんが遅れ気味。奥の院の登りで疲れちゃったのかな。久しぶりの山歩きではあるらしいんですけど。

鎖場を回り込んで、最後の上りに差し掛かったあたりから、Sさんが目に見えてバテてます。なんとか声をかけながら、登りきりました。目に飛び込んできたのが、・・・富士山の絶景でした。11月大岳山 (7) 11月大岳山 (8)

Sさんはバテてましたが、実は私も、ここ1ヶ月ほど、膝痛に悩まさてました。今日の山歩きは先週から計画していたので、今週は月曜日からランニングも控えていたんですが、大岳山の登りで、やっぱり痛みが出てきました。

私の膝痛は、なにかが押しつぶされるような感覚があると、その後、曲げた状態では力を入れられなくなるので、山でそれが発症すると、大変困ったことになります。

もう、痛みが出始めましたので、あとは騙し騙し、できる限り右足に負担をかけないように歩くしかありません。そんなこともあり、Sさんのこともあり、昼ごはんを兼ねて長めの休憩を取りました。11月大岳山 (6) 11月大岳山 (5)

その後は、樹林越しであったり、隙間からであったり、右手に富士山を意識しながら鋸山に向かいました。膝は、平坦なところならいいんですが、段差の大きなところは、騙そうにも嘘が下手なもんで、・・・。11月大岳山 (4) 11月大岳山 (3) 11月大岳山 (2)

鋸山を通過することには、富士山も見えなくなって、御前山が大きくなります。そのうち多摩川を挟んで、向こうの鷹ノ巣山がぐんぐん存在感を増していくと、だいぶ、ゴールの奥多摩駅が近づいたような気がします。だけど、そう思ってからが長いんですよね。

Sさんも、長めのお昼で回復したかと思ったんですが、段差の大きな下りで足をつらせていました。大岳までの登りで、ずいぶん、消耗してしまったらしいです。ヤセ尾根のあたりからは、ペースを落として、時間をかけて下りました。

私の右膝はと言えば、下ってるうちに、最善の方法が身についたようで、悪化は最小限に抑えられたかと思いきや、結局、最後はかなり痛みました。

奥多摩駅には14時ちょっと過ぎくらいに着きました。予定通りではありますが、この間は12時に着きましたから、2時間余分に時間をかけました。でも、その分、いい景色を楽しめました。

*右膝は、お風呂で入念にマッサージをしたのが良かったのか、翌日は、痛みもおさまり、当たり前に歩けました。




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テーマ : 登山
ジャンル : スポーツ

『封印されたグリム童話』

なにか、とても純粋なものを感じてしまいました。

グリム兄弟の童話集は、ドイツの民衆の間に語り継がれてきた民話やおとぎ話を収集し、“お話”として完成させたものですね。ドイツの森は、黒くて、深いです。そこに語り継がれてきた民話やおとぎ話も、また、黒くて、深いんですね。

そんな黒くて、深いドイツの民話やおとぎ話ですから、ものすごいんです。グリム兄弟が手を入れてくれたから、人前に出すことができるようになりましたが、中には、手の入れようがないような話もあったわけですね。・・・いや、手を入れてこの状態なのかな。

なにしろ、この黒くて、深い森の奥では、さまざまなことが繰り返されましたからね。

グリム兄弟が、この民話やおとぎ話を収集する200年ほど前には、30年戦争なんて言うものがあって、ドイツは荒廃します。ペストの流行もあって、人口が半減してしまったとか。食料も乏しく、傭兵たちの略奪も日常茶飯事だったでしょう。

だから、ただ、森が黒くて、深いだけじゃないんですね。女や子供をさらうなんて当たり前で、それはただ凌辱を目的にしたものではなくて、食うためだったんでしょう。そんな中から集められた話なわけです。


副題には『“削除”された最も残酷でグロテスクな33話』とあります。“残酷すぎる”、“猥褻すぎる”、“グロテスクすぎる”と理由はいろいろなんですが、とにかく、“すぎる”本なんです。

《本書に収められているのは「有名作品の“本当は怖い”真の姿」ではありません。第7版までに兄弟の判断で闇に葬られた、「子どもに読ませられない物語」です。155年前、話集から外された禁断の物語》

これが、本書の宣伝の言葉です。



宝島社  ¥ 1,512

猥褻すぎる、グロテスクすぎる 理由は様々ですが、いずれも子どもには読ませたくない
サヨナキドリとメクラトカゲ
小刀を持った手
子どもたちと屠殺ごっこ
死神とがちょう番
テーブルとロバと棍棒
ふうがわりな食事会
青髭
長い鼻
マヌケのハンス
白い鳩
忠実な名付け親の雀
人食い鬼
なでしこ
・・・ほか


《本当は恐ろしいグリム童話》っていうシリーズがありました。とても面白くて、魅力的なシリーズでした。

あちらは、白雪姫だとか、雪の女王だとか、有名作品の怖い側面や、Hな側面を紹介するものでした。でも、この本は違います。《グリム兄弟がいろいろな理由で削除した問題作》ということなんです。

こちらは、子どもには、到底、読ませられないお話ということです。たしかに、《子どもたちの屠殺ごっこ》なんて、子どもには読ませられませんね。だって、肉屋の真似して、兄弟の首を描き切ってしまうんですよ。

私だって、子どもの頃には、ひどい遊びをしてました。でも、虫を虐待していた程度、・・・身近な両生類や、ちょっとした爬虫類、・・・中には哺乳類らしきものも、記憶の中には眠っているような気がしないでもありませんが、・・・まあ、そんな程度です。

冬の林の中に入って、朽ちた木に潜り込んで寝ている奴を、無理やり引っ張り出して、足を一本ずつもいでいくとか。気の皮をはいで、そこに休んでいたやつの腹を、針で刺してみるとか。

あ・あれ~。文字にしてみると、なんだか、とっても残酷。

と、まあ、そんなわけなんですが、ここに収録されている話にも、今の時代なら、人目に触れるところに出しても問題ないどころか、十分楽しめるような話も、いくつかありました。かえって、白雪姫なんかよりも純粋性が高くていいんじゃないかというような、・・・ね。

そうはいかない話も、もちろんありますよ。とっても、理不尽なの。理不尽な時代を通り抜けていますから、当然そんな話も生まれたんでしょうね。

この本、楽しめるし、興味深いですよ。




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力の真空『AI時代の新・地政学』 宮家邦彦

この本なんですが、筆者の宮家邦彦さんが二年間に渡って週刊新潮に書いていた国際問題を扱ったコラムからの選りすぐりだそうです。二〇一六年からの二年間 の国際問題ということになると、なんだかかんだか、いろいろありました。

もともとは、日々の動きを追うよりも、中長期的な問題を扱って、国際関係を見る目をやしないようなコラムにしようとしていたらしいんです。だけど、こう色々なこと、イギリスがEU離脱を選択したり、トランプ旋風が吹き荒れたり、金正恩がロケットマンに変身したりってことがあると、それを書かないわけにはいかないじゃないですか。

結局、編集者の、ひいては読者の要望に答える形で、旬のネタに関する短期的現状分析を書く形になってしまったということです。

この本に紹介されているのは、その時々の国際問題ってことになりますね。旬の話題っていうのは、それだけに難しい側面があると思います。その時はよくても、その後、違う側面が明らかになることもありますから、結果を知ったあとからそれを読み返すと、まったく的外れということもあるでしょう。

この本に掲載されているのは、選りすぐりですから、そういう事はありませんが、仮にそうであったとしても、その時の限られた情報の中で、必死に分析した結果ですから、それはそれで面白いんじゃないかと思います。

プロは、限られた情報であっても、その時々の自分の考えを、世間に晒さなきゃいけないんだから、大変ですね。

さて、選りすぐられたコラムの中には、旬の話題で、今は決して旬とは言えない季節になっているにもかかわらず、今後の世界を考えていく上で、とっても示唆に富んでいるものが、チラチラ見受けられます。

その中に、《力の真空》について、筆者の宮家さんが知見を披露しているものがあります。その力の真空は、今、北朝鮮に生まれつつあるという内容から始まる話なので、関心を持たずに入られませんよね。


新潮新書  ¥ 842

国際関係は複雑でも、「筋道」が分かれば読みやすくなります
第一章 AI革命で激変する地政学
第二章 歴史の大局観を磨く
第三章 ダークサイドの覚醒と諸帝国の逆襲
第四章 「核の脅威」の本質
第五章 蘇るナショナリズム
第六章 米国は衰退し、中国の夢が実現する?
第七章 要人へのお節介メッセージ
第八章 ちょっと変わっているが、素晴らしい国


力の真空が生じた場所でなにが起こるのか。筆者は三つにまとめています。
  • 「力の真空」状態では、基本的に、最強の部外者が最大の分前を得る。
  • 最大強者が動かない場合は、弱い部外者でも分前に与れることがある。
  • 部外者が介入しない場合には、破綻国家となるか、新たな独裁者が生まれる。
この問題の関われる部外者は、アメリカ、“中国”、ロシアの三国がまず上がる。中でも“中国”は一番濃密に北朝鮮に関わってきました。間に北朝鮮を置くことで、韓国に存在する米軍と境を共にせずに済んできましたから、北朝鮮は緩衝地帯という大事な役割を果たしていました。

ところが、ロケットマンが核武装を進めたことで、両者の中がこじれ、一時は互いに罵り合いを演じていました。北朝鮮がお荷物になって、“中国は”むしろ、トランプの要求する制裁に与してましたね。金一族だけを除去する手ってのも、おそらく本気で考えてたんじゃないでしょうか。

さて、この《力の真空》。これが原因となった混乱っていうのは、とても激しい。北朝鮮が真空状態になって時、日本はその混乱に巻き込まれてはいけません。

歴史上の《力の真空》の代表例として、筆者はアレキサンダー大王逝去にともなう大帝国の分裂を上げています。外に、関われる部外者なんかいませんでしたから、内側で闘いが始まります。ディアドコイ戦争ですね。その中からセレウコス朝シリア、プトレマイオス朝エジプト、アンティゴノス朝マケドニアが生まれますが、大混乱です。

近年の《力の空白》の例を、筆者が上げてます。
  • ソ連におけるレーニン逝去後のスターリン独裁
  • 第二次世界大戦で日独敗戦による米中露の大国化
  • 一九六八年以降の英軍スエズ以東撤退とイラン台東
  • イラン革命後のソ連アフガン侵攻とイラン・イラク戦争
  • ソ連アフガン撤退後のアルカイダ台頭
  • 一九九一年以降の米軍フィリピン撤退後の南シナ海情勢
  • 二〇一一年の米軍イラク撤退後のイスラム国台頭
これらを考えれば、米中露は北の真空化の準備を始めてるでしょう。いくつかのケースは想定できるものの、国際関係っていうのは、様々な失敗の上に築かれるもの。上の近年の例から見ても、明らかないくつかの失敗が見られます。どんなケースであっても、日本は無関係ではいられません。当事者として、動いてほしいですね。

他にも、面白いコラムが、結構ありましたよ。




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テーマ : 読んだ本
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『「いのち」を養う食』 佐藤初女

ずいぶん前に、『初女さんのお料理』って本を、このブログで紹介したことがあります。その初女さんがお亡くなりになって、年が明ければ、まもなく3年になるんですね。

佐藤初女さんは、自宅を開放して、苦しみを抱え、救いを求めて訪れる人達を受け入れ、食事をともにし、寄り添う活動を続けてこられました。私は、何冊かの本を通して佐藤初女さんという方を知っているだけですから、本に書かれている程度のプロフィールしか紹介できません。

今日、紹介する本は、前回紹介した本よりも前に出されたものです。特別なことがあったわけでもないんですけど、なんだかここのところ、少し心がカサカサとささくれだっているように思えて、本屋に行って初女さんの本を探してきました。新しいものよりも、以前のもので、まだ読んでないものがあればと思って買ってきました。

それというのも、私も分別のつくとしではあるんですが、まだまだこの後も、初女さんの本の世話になることがありそうな気がするもんですから、その時のために新しいものは取っておこうというわけです。

私は、到底、初女さんのようには生きられません。この本を読んでいても、「あっ、これは私には無理だな」と思うことが、いくつもあります。サランラップも、冷凍庫も、電子レンジも使います。たまにはインスタントラーメンも食べます。山頂で食べるインスタントラーメンは楽しみでもあります。

旬のもの、新鮮なもの、地場のものばかりじゃなくて、値段を優先することも、多々あります。さすがに、“中国”の食材には手を出しませんけど。なにしろ、五つ星ホテルでさえ、雑巾でカップを拭いてしまうお国柄ですからね。



講談社  ¥ 1,512

森のイスキア開設から20年。食を通して伝えたい、心が「活きかえる」ヒント。
第1章  食はすべての基本
第2章  料理は五感で作る
第3章  ご飯を食べるのが大事
第4章  森のイスキアの「読むレシピ」
第5章  料理は手間と心づかい
第6章  食べることは生きること
第7章  ふれあい、ともに生きる


昨夜、連れ合いが、たくさんのほうれん草をゆがいてくれたので、その三分の一を分けてもらって、この本でも紹介されている“黄身和え”にしました。本の中では、“ニラの黄身和え”で紹介されていたものです。黄身と味噌と砂糖をネットリまぜんるんですが、白味噌を使ったので砂糖は入れませんでした。ただの味噌味ではなく、とっても食べやすく、味噌の香りが優しく漂いました。

“おにぎり”という呼び名の方が、最近は一般的なんでしょうか。私は、実はしばらくの間、大勢に押されて忘れていたんですが、子どもの頃からの“おむすび”派でした。“おむすび”ではなく、“むすび”ですね。

部活動で出かける時は、いつも母の“むすび”を持っていきました。高校の時は、よく山に持っていきました。母の“むすび”には、一つにつき、梅干しが一つはいってました。どんなに家を早く出る日でも、かならず“むすび”を作ってくれました。

一度、わけあって食べそびれた“むすび”を、翌日、廃棄したことがありました。思い出すたびに、心がチクチク痛みました。今も、それは変わりません。母が、何かの思いを結んでくれていたんですからね。

仕事では、たくさんの若い人たちと関わり合うことがあります。どうも、その仕事の向かうところは、私自身の思うところとは違う場所を目指しているところがあって、組織の中で仕事をすれば、ともすれば自分を見失います。

還暦を目前にする年齢になっても、達観するどころか、そのギャップからくるストレスに、自分の思いを抑えることが難しくなっています。他人事のように、心に波風立てないようにするだけで精一杯です。

ああ、この本を読んで、紹介されている料理を作ってみたりして、・・・。そうですね。今、私の心は、ささくれだってはいないようです。また、ささくれだって来ることがあったら、初女さんのところに帰ってこようと思っています。

今は、連れ合いと、一緒にいいものを美味しく食べようと、楽しく食に向き合ってます。この先、もし一人になることがあっても、私はしっかりご飯を食べるつもりです。




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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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