めんどくせぇことばかり 2019年01月
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『戦争の経済学』 ポール・ポースト

アメリカ合衆国では1932年の選挙で、民主党のフランクリン・ローズヴェルトが大統領に当選し、ニューディール(新規まき直し)と呼ばれる経済復興政策を実施した。まず銀行の救済をはかるとともに、金の流出を防ぐため金本位制から離脱した。また、農業調整法(AAA)で農業宣さんを調整し、農産物の価格を引き上げて農民の生活を安定させ、全国産業復興法(NIRA)では工業製品の価格協定の公認して、産業の復興を促すとともに、テネシー川流域開発公社(TVA)に代表される公共事業によって失意業者を減らそうとした。他方、35年、ワグナー法によって労働者の団結権と団体交渉権を認め、労働句にあいの結成を助長した結果、38年に産業別組織会議(CIO)が成立した。これら一連の政策による経済復興の効果は限られていたが、国民の不安を軽減し、ファシズム諸国に対抗して民主主義を守った意義は大きかった。
これ、なんの記述だと思います。・・・泣く子も黙る、山川出版社、『詳説 世界史B』の《第14章二つの世界大戦》、〈4 世界恐慌とファシズム諸国の侵略〉、「ニューディールとブロック経済」の冒頭です。

「日本における“世界史”は山川出版の『詳説 世界史B』に書かれている」と言われているわけですから、日本における“世界史”は、まさに上記のようになってるわけです。・・・ど、どうしよう。

“ニューディール”なんて言いながら、国家予算をジャブジャブつぎ込んで「経済の立て直しを優先していくのかな」なんて思えば、労働運動を助長して企業の首を絞め揚げる。かと思えばジャブジャブ国家予算をつぎ込んで、・・・

こんなことでは経済復興なんてありえません。ジリジリと社会にジレンマが蓄積されていきます。コミンテルンのエージェントたちの思惑通りですね。

『戦争をすると儲かる』ってことになるためには、いくつかの条件があるそうです。
①戦争前のその国の経済状態
戦争で経済効果が期待できるときは、その国が不況であることが前提となる。戦争により政府支出が増え、それがGDPを押し上げる。
②戦争の場所
戦場はなるべく本国から遠い所が良い。
③戦争資源、兵士の動員の量
戦争に動員できる労働力がどれだけ残っているか。端的に言えば、失業率が高い時ほど戦争の経済効果が高い。インフラと民間生産力に、どれだけ戦争に向ける余力が残っているか。
④戦争の期間と費用及び資金調達法
不況で、デフレ下にあれば、通貨発行がもっとも適している。インフレ状態であれば、通貨発行はインフレに歯止めがかからなくなる。

    お、まさに当時のアメリカは、戦争を始めるにうってつけじゃないですか。

    『戦争の経済学』    ポール・ポースト

    バジリコ  ¥ 1,944

    経済理論を使って、巨大な公共投資である戦争のバランスシートを丸裸にする
    第1部 戦争の経済効果
    (戦争経済の理論;実際の戦争経済:アメリカの戦争 ケーススタディ)
    第2部 軍隊の経済学
    (防衛支出と経済;軍の労働;兵器の調達)
    第3部 安全保障の経済面
    (発展途上国の内戦;テロリズム;大量破壊兵器の拡散)
    付録 事業・プロジェクトとしての戦争

    アメリカは、山川出版がほめたたえるフランクリン・ディラノ・ルーズベルトのニューディールによってではなく、第二次世界大戦によって世界恐慌から脱出し、経済を大発展させるきっかけとしたわけです。

    この本に、第二次世界大戦およびその後のアメリカが関わった戦争と、アメリカ経済とのかかわりを教えてくれています。


    《アメリカの戦争にみるGDP当たりの戦争の割合》
    第二次世界大戦 132%
    朝鮮戦争       31%
    ベトナム戦争     8%
    湾岸戦争        1%
    イラク戦争       1%未満

    《アメリカの戦争にみる経済成長率》
    第二次世界大戦 69%
    朝鮮戦争      11%
    ベトナム戦争   10%
    湾岸戦争     -1%
    イラク戦争      2%


    労働集約型戦争からハイテク兵器による資本集約型戦争に変化したため、戦争に失業者を吸収することが難しくなり、平時の生産能力を戦争に奪われるというマイナス面が出てきたようです。

    この傾向はさらに進むでしょうから、戦争に経済的メリットを望めなくなっていくでしょう。ディメリットが大きければ、戦争をする意味がなくなります。ルーズベルトは、まさにそのために戦争をしたんですから。オバマが大統領だったとき、アメリカがシリア問題、ウクライナ問題に及び腰なのは、そのような理由です。それは、基本的には、トランプになっても同じです。

    ただ、世界のあちこちで、主導権をロシアや“中国”に渡すわけにはいきませんからね。

    それでも、戦争をしても得にならないと判断せざるを得ない状況に相手を追い込めば、戦争は起きないということです。ただね、そういう判断に至っても、相手国が国内問題から戦争に打って出ざるを得ないっていう場合もありますからね。

    なんか、北朝鮮だ、“中国”だって国は、そういう傾向が強そうです。




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『55歳からのやってはいけない山歩き』 野村仁

「おい、お前。お前だよ、お前。そうそう、お前。俺だよ、俺。お前の目の前に置かれている俺だよ」

そう、本屋で声をかけられたんです。・・・この本に。どうやら、自分を買って帰れということの様でした。

「えー?私は+3歳だし、なにもこれから山登りを始めるんじゃなくて、すでに山登りを再開して2年半になるし、30代まではかなりやってたわけだから、いまさら・・・」なんて言い訳めいたことを考えたわけです。しかし、そう言えば先日も書きましたが、未だに変な意地を張って無様な思いをすることもあるわけですからね。やはり、常に謙虚な姿勢でいるためにも、この手の本の前を素通りするのはやめましょう。

入門書みたいな本であっても、最近、以前にはなかった、いろいろな新しい楽しみ方や、身体の鍛え方なんかが書かれていることがあるじゃないですか。やっぱり、この本にもそういうのがありました。

山歩きのための体の鍛え方に関することなんですが、最近、《メッツ》っていう考え方があるんだそうです。メッツっていうのは運動の強度の単位で、「安静時を1メッツとして、その何倍のカロリー消費をしているか」を表しているんだそうです。

《消費カロリー(kcal)=1.05✖メッツ✖時間✖体重(kg)》

 1メッツ 座位安静
 2メッツ 立位安静
  2.5メッツ 散歩
 3メッツ 普通歩行
 4メッツ やや速歩、自転車
 5メッツ かなり速歩、ジョギングと歩行の繰り返し
 6メッツ ハイキング、ゆっくりジョギング
  6.5メッツ 山に登る(荷物0~4kg)
 7メッツ ジョギング、登山
 8メッツ サイクリング(20km/時)
 9メッツ ランニング(8.3km/時)

そんな表も、ネットで出てます。同等から+αのトレーニングをやっていけば、山に行ってから楽なわけですね。

ほら、ね。こういうの、私、知りませんでしたもの。入門書だからって知らんぷりしていると、知るチャンスに巡り合うことはできなかったです。


青春出版社  ¥ 1,080

低山でもケガ、体調不良、事故、あわや遭難…とトラブルに直面する人が続出中
序章 トラブルなく安心して楽しむために
1章 山歩きは「老けない心と体」に最適!
2章 「疲れずケガしない足腰」になる
3章 ハイキングで「歩き方の基本」をマスター
4章 命を守る最新「シューズ、ウェア、用具」の選び方
5章 未知の自然を楽しむ「計画、歩き方、地図の読み方」
6章 トラブルになる人、ならない人の違い
7章 山を10倍楽しめる「1泊2日」の魅力
 
私は、ほぼ毎朝、走ってます。だいたい、45分くらいです。距離は5.5km~7.0kmくらいの範囲でしょうか。メッツでいうと9くらいかな。山登りは、ハイキングがメッツ6、荷物0~4kgでメッツ6.5、登山っていう項目がメッツ7なんですよね。いつも背負ってるのは10kg弱だと思うので、メッツ9くらいのトレーニングでちょうどいいんじゃないかな。

じつは、この間、奥武蔵を歩いたんですが、そうそう、ブログでも1月20日付で紹介しました。西吾野駅から関八州見晴らしに上がって、尾根筋を南に向かい、日和田山から高麗駅までのコースです。ちょうど20km歩きました。高低差は681mで、累積の登りが1255m、下りが1379mでした。

以前、ちょうど1年ほど前にも歩いたコースなんですが、その時は、山を再開してから1年ちょっとの頃です。まだ、身体ができてなかったかもしれませんが、身体が疲れて、家に帰ったから悪寒に震えが止まらなくなりました。

今回、同じコースで歩いてみたのは、その時と比べてどうかってのを知りたかったからなんです。同じような結果になるなら、もっと抑えた山登りにした方がいいでしょうからね。

でも、思ったよりも楽に歩けました。ペース配分や食糧計画にも神経を使ったことも、大きかったと思います。翌朝、いつも通りのトレーニングをこなすことができました。ああ、こういうやり方でいいんだなって分かりましたし、今はこの程度の登山ならできることが確認できました。

この本、入門書ではありますが、55歳から山歩きを始めようという人を、ずいぶん遠くまで行かせようとしているみたいです。もちろん、「自分の実力をオーバーしない範囲で」と注意をしているわけですが、その実力を高めていくことによって、「山歩きの楽しみは、無限に広がる!」とも、“!”付きで言っているわけですから。

もちろん、この小冊子の中で55歳から山歩きを始めようという人を案内できるのは、第7章の「一泊二日」までではありますが・・・。




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『コミンテルンの陰謀と日本の敗戦』 江崎道朗

不思議な話ですが、反戦であるとか、人権であるとかの旗印を掲げる活動家の人たちは、何かと目立った行動を好むようです。と金はヘルメットを被り、時には顔を隠し、物を投げ、車を揺すってひっくり返し。まあ、珍しい話じゃありません。

現在でも「反戦平和」を訴える活動家たちが、自分の主張を通すために暴力に訴えることも厭わないのは、コミンテルンの遺伝子を引き継いでいるんですね。

コミンテルンは、平和のためには、戦争を引き起こす資本主義国家を滅ぼすしかないというのが、まあ前提です。そのためには共産党の手で国家権力を資本家から奪取しなければならないと訴えました。コミンテルンにすれば、資本家がいる限り戦争が起こるのだから、戦争を抑止するためにも、武器を手にして共産党独裁を実現する革命を行わなければならないということになるんです。

レーニンは、1920・7・28に《民族・植民地問題についてのテーゼ》を発表しました。その中で彼は、植民地開放を徹底して応援することによって、イギリスやフランス、オランダと言った資本主義国に対する反乱を煽っていけば、「資本主義に対する勝利を保証」できると主張しました。見事な作戦です。

アジア・アフリカの植民地開放闘争を利用して、世界の共産化を進めようとしたんです。そして実際、欧米列強の植民地支配に苦しんでいたアジア・アフリカの独立運動の指導者たちは、コミンテルンの呼びかけに積極的に呼応したわけです。

利用されたわけですから、幾分、差し引くべきかもしれませんが、まあ、彼らもリトル・レーニン、リトル・スターリンになって偉そうにするわけですから、その必要はないでしょうか。



PHP研究所  ¥ 1,058

コミンテルン。それは恐るべき思想と悪魔的手法に裏打ちされた組織であった
はじめに  コミンテルンの謀略をタブー視するな
第1章  ロシア革命とコミンテルンの謀略――戦前の日本もスパイ天国だった
第2章  「二つに断裂した日本」と無用な敵を作り出した言論弾圧
第3章  日本の軍部に対するコミンテルンの浸透工作
第4章  昭和の「国家革新」運動を背後から操ったコミンテルン
第5章  「保守自由主義」VS「右翼全体主義」「左翼全体主義」
第6章  尾崎・ゾルゲの対日工作と、政府への浸透
おわりに  近衛文麿という謎 


さらに、「封建的諸関係、あるいは家父長制的=農民的諸関係が優勢を占めている遅れた国家や民族については、共産党は民族解放運動を行為によって援助するとともに、地主に反対し、大土地所有に反対し、農民運動に出来るだけ革命的な性格を与えることに務めよ」と命じています。

世の中にはこういう人もいるんですね。

自分たちが、敵である資本家と、その社会を倒すことを最優先して、そのためには常に手段を選ばず行動してきた経験を持っていますからね。違う社会構造を持った国家に対してであっても、どこをどう突かせれば、自分たちが成し遂げたと同じ効果を、その社会に及ぼすことができるか、分かるんですね。

天才というよりも、レーニンは悪魔的です。コミンテルンに対しては、無条件の忠誠を求めるわけですが、それは常に、手段を選ばない行動を求めることでもあったわけです。つまり、その人にも悪魔になることを強いるわけです。


なにしろこれは、家族を基礎とした社会的・道徳的基盤を支える地主と資本家を殺し、その財産を奪うことで植民地的支配から開放し、宗主国たるイギリスやフランスを追い詰めようとするものであるわけですから。

そのようにして植民地支配から開放された地域も実際にあります。だけど、だいたいボロボロになりましたね。

また、ソ連が植民地開放闘争を支援して、その国が独立したとします。当然ですが、その国を独立に導いた独立運動家が権力を握ることになるでしょう。レーニンは、それを容認する気がないわけじゃないんです。ただし、その旧独立の英雄にして、新たな国家指導者は共産党員であるべきだと言うんです。いや、共産党員でなければならない。それを受け入れないならば、容赦なく粛清の対象とすべきだとしているんです。

やっぱり、悪魔的ですね。




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『対話 日本および日本人の課題』 渡部昇一 西尾幹二

この本が出たことは、ネットじゃなくて、本屋さんで知りました。

あんまり本屋さんにはいかないようにしているんです。本屋さんに行くと、ついつい買っちゃうじゃないですか。だいたい、いつも、これから読まれる本たちが、私の周りで順番待ちをしているような状態ですからね。「買おうかな、買うまいかな」って、結局買わなかったにしても、買いもしないのに数時間も本屋さんで過ごしたことを、あとから必ず後悔するからです。「ああ、こんな事なら、うちで本読んでりゃよかった」ってね。

だから、ネットで調べた方が、本は買いやすいような気がします。ただ、ずっと以前に出た本とか、思いもしなかった本との出合いっていうのは、ネットでは難しいですね。だから、本屋さんにも行くし、図書館も行くし、古本屋さんも行きます。

この本は、本屋さんで出会った本です。

渡部昇一さんが亡くなったのは、平成29年の4月でした。ですから、まもなく2年が経とうとしているところですね。もう、渡部昇一という名前で新しい本が出るなんて、思ってもいなかったもんですから、ちょっと驚きました。「ずっと以前の本を、新刊のところに並べちゃったのかな」とかね。「ずっと以前の本の焼き直し版かな」とかですね。

でも、間違いなく新刊です。《2018年11月1日第1刷発行》です。

この本は、渡部昇一さんと西尾幹二さんの、1990年以来の8つの対談を収録したものです。対談の主題は下記、目次の部分をご覧ください。初出一覧を参考に、いつ行われた対談かも、添えておきました。



ビジネス社  ¥ 1,728

その言論で何度も日本を救った二人は何に共鳴し、何で対立したのか
第1章 敗北史観に陥った言論界(『Will』2009年5月号)
第2章 自由で教育は救えるか(『知識』1991年4月号)
第3章 ドイツの戦後と日本の戦後(『諸君!』1990年11月号)
第4章 国賊たちの「戦後補償」論(『Voice』1994年1月号)
第5章 日本は世界に大東亜戦争の大義を説け(テレビ東京、1995年5月21日)
第6章 教科書をモミクチャにしたA級戦犯たち(『諸君!』1997年11月号)
第7章 「朝日」「外務省」が曝け出した奴隷の精神(『諸君!』2001年5月号)
第8章 人権擁護法が日本を滅ぼす(日本文化チャンネル桜、2005年6月15日)


私は高校3年あたりからの10年間くらいかな。社会主義に強い関心を持つようになって、ものの考え方がそちらに偏っていっていました。ですが、大学に行ってみると学生運動はもう完全に下火でしたし、自治会に所属しようと考えたこともありません。ただ、文化系サークルに足を突っ込んで、活動の拠点を学生会館に置いていた関係で、自治会からの依頼をむげに断ることもできず、横須賀港とか、三里塚にかり出されることはありました。強い関心を持ち、ものの考え方がそちらに偏っていただけの話です。

仕事をし始めてからも、偏っている状況は続いていました。仕事をし始めてからの方が、まだ、職場闘争ってのが生々しい頃でしたので、自分の立場を鮮明にすることを迫られて、組合活動に精を出すような頃もありました。

逆に、思想としては“純”に見えた社会主義も、組織として動いてみるとすごく雑なものの考え方であることが分かってきました。すると“純”に見えた思想も、悪意と憎悪に満ちたものに見えてきて、げんなりでした。でも、仕事をしていく中で、そちら側の立場の人間関係もできちゃいましたからね。踏ん切りがつかなかったんですが、まあ、なんとなく、・・・ね。

自分の気持ちに正直になって以来、かつて自分が眉をひそめたいたさまざまなものが、逆に愛おしく思えるようになりましたね。活動や組織からは完全にはなれました。それで切れる関係ならそれでいいし、切れない関係もいくらでもありました。考えてみれば、家族であるとか、周囲の方々のおかげで気づけたのかなぁって思います。

それからもう一つ、渡部昇一さんのおかげでもあるんです。渡部さんの本で、『日本史の法則』ってのがあるんですが、ちょうど自分の偏った考えに疑問を持ち始めたころかな、ふらふらしている頃に読んだんです。

昨年、4月、渡部さんが亡くなって1年が経った頃に、『日本史の法則』を材料に書いているので、ちょっと、一部をご紹介します。
そのまま青年期を迎え、左翼系の思想にかぶれて、日本史には後ろ足で砂を引っ掛けるような状態で、あえてその価値を貶める方向でしか触れることはなかったですね。・・・そんな状況が、7、8年も続いたでしょうか。

わりと律儀な性質で、「日本史は貶めるべきもの」という根拠を探り続けました。でも、結局、そこにたどり着けず、疑問をふくらませるばかりの時間でしたね。そりゃそうです。ないんですから。年齢的にも、反発を続けた親世代に対する気持ちが溶解していく時期だったかもしれない。そうなってくると、すでにその頃、行き着くべき先は見えていたと思うんですが、きっかけとなるべき衝撃が必要でした。それがこの一冊でした。

そうなると、もう止めどがなくなりました。高校3年の頃に心を揺さぶられた羽仁五郎の著作を読み返しても、もはやまったく同意できませんでした。「そんなに親や祖父母たちは、愚かなのか?」

私を救ってくれた本の一冊が、この本です。いや、この本ではないですね。装丁が違う。・・・よく覚えていない。・・・、分かりました。この本は平成17年に再販された本で、“まえがき”、“あとがき”に「元本は若かった頃の私の著作で、・・・30年近くたった今も」とある通り、元の本は昭和54(1979)年に刊行された『歴史の読み方』という本だそうです。・・・題名も違ったんですね。

昭和54(1979)年と言えば、まだまだ、私は向こう側にいました。羽仁五郎の『ミケランヂェロ』にドップリという状態の頃ですね。その頃に読んでいれば、私の人生は、また違ったものになっていたかもしれません。・・・今の私は、今の思いに揺るぎはありませんが、おそらく私の場合は、そういった若い頃が必要だったんでしょうね。そういった時間の迷いがあったから、今の地盤を固めてくれているんでしょうね。

この本に載ってるのは、渡部さんと西尾さんの対談した時のもので、雑誌に掲載されたり、テレビで放映されたりしたもので、一冊の本にまとめられたのは初めてのものの様です。だから、そんな渡部さんの考えに触れるのは、初めてです。初めてだけど、ちっともそんな気がしないな。

渡部さんの考えを、今また、新しく読めて、とてもうれしかったです。




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また、高尾山から景信山

1月26日高尾山 (11) 
関東平野。でかいな。やっぱり、秩父盆地とは違うな。当たり前だな。平野と盆地なんだから。
1月26日高尾山地図
予定通り、高校生を高尾山に連れていきました。

まあ、この間、下見したコースの内、景信山までですね。そこから小仏のバス停に降りるコースです。

山で賑やかなのは、あんまり好きじゃないし、しかも、景信山までで、この間はその後、静かな北高尾を歩けたけど、今回は景信山で下りちゃいます。だから、コースだけ考えれば、なんの新鮮味もありません。
1月26日高尾山 (3) 1月26日高尾山 (2) 1月26日高尾山 (4)
でもまあ、高校生の希望でもありますしね。やっぱり、人が集まる場所が好きなんでしょうね。若い人たちは。ということで、高尾山に来ちゃったわけですが、「えー、ケーブルカーには乗らないんですか?」って。・・・ねえねえ。

1月26日高尾山 (5) 
ただ、天気が良かったですからね。富士山もでっかく見えました。高校生も、富士山見て喜んでいたので、それは良かったですね。

ただ、直前まで天気が心配だったんです。曇り基調の予報でしたし、気温9度、風8mと予報されてました。「日差しがなくて、気温が下がって、風が吹いたら、ちょっとやだな」って思って、前日の打ち合わせで、しっかり防寒、防風の準備をするように伝えました。

ところが実際は、気温は低いものの、日差しがあって、風がない。願ってもない天気でした。

高尾山では、お湯を沸かしてココアを飲ませて、先に進みました。1月26日高尾山 (6) 1月26日高尾山 (7) 1月26日高尾山 (8)

高尾山から小仏城山までは気持ちよく歩けました。

小仏城山でお昼ご飯。アルファー化米のふりかけご飯ときのこ汁。1月26日高尾山 (9)
きのこ汁は小仏城山名物のじゃなくて、自分たちで作ったやつです。上々の出来で、写真に撮ろうと準備している間に、2つ目のコッヘルまで残り少なくなってました。
1月26日高尾山 (10) 

30分ほどいたでしょうか、そろそろ先に進もうかと思った頃です。ずいぶん寒いなと思ったら、空にはずいぶん雲が多くなってました。なんか空気が変わったみたい。でもまあ、ここまで来れば、・・・ってところですね。

1時間ほどで景信山に着きました。関東平野が丸見えです。それに驚く以前に、景信山は餅つきあり、焼き肉あり、テーブル席はほぼ埋まってました。宴会真っ盛りって感じです。その雰囲気に呆然としている間に体が冷えてきたので、早々に下山することにしました。
1月26日高尾山 (12)


小仏のバス停に着いた頃、山は、もう曇ってました。下におりたら、上の寒さはなくなりましたけど、昨日までの予報は外れたんじゃなくて、遅れたのかもしれません。1月26日高尾山 (1)

たかが高尾山かもしれませんが、私はバスに乗って、本当にホッとしました。じつは、バス停に向かう道ですれ違って、これから登る人がいたんです。えー?本当?

3時近くには、ずいぶん風が強くなって、なんだか荒れ気味の天気。皆さん無事に引き上げたでしょうか。 ちょっと、心配。



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帝国憲法『逆説の日本史24 明治躍進編』 井沢元彦

帝国憲法においては、天皇は、《宗教的概念をすべて超越した絶対的な存在》とされました。宗教的にも“絶対的な存在”じゃダメなんですよね。つまり、帝国憲法における天皇は、決して国家神道における神に祭り上げられたわけではないということです。

そうしなければならなかったのには、明らかな理由があります。日本が欧米諸国から不平等な条約を押し付けられたのは、欧米諸国が日本を、自分たちと対等の国家とは評価していなかったから、つまり、劣等国家と考えられていたからでね。

欧米諸国が対等と考えるのは、つまり自分たちと同じであるかどうかということは、彼らが“白人キリスト教国家”であるがゆえに、同様の時代、同様の思想、同様の社会変革を経験してきたということからくる安心感が前提になるんですね。

だから、一つのできごとに対して、たとえ国は違っても、同じように考えて行動するだろうという安心感です。それが前提となって国際関係が結ばれているわけで、お互いを対等と認め和えるわけですね。

そんな安心感を、欧米は日本に感じられないから、その保険として不平等な条約を押し付けることになったわけです。

よく分かります。今でも“中国”は、恣意的に外国人を突然捕まえることが良くあります。それに、幕末の武士たちは、辱められれば、腹を切るわけですから、欧米人に、その行動が理解できるはずもありません。領事裁判権は譲れないところだったでしょう。
条約改正に乗り出した日本は、鹿鳴館の茶番劇のようなことまで演じながら、欧米が経験した時代、思想、社会に、日本が対応できることを証明し、安心感を与えようとしたわけです。そりゃ嗤われたでしょう。欧米人の受け止め方は、ビゴーの風刺画の通りだったでしょうね。鹿鳴館
たしかに猿まねではあるけれど、ビゴーは猿まねって言葉を知ってたんでしょうか。知らずに猿として描いたんだとしたら、ひどいですね。猿の惑星並みですね。



小学館  ¥ 1,674

日本はなぜ“眠れる獅子”に勝てたのか?
第一章 大日本帝国の構築Ⅲ 
帝国憲法と教育勅語ー知られざる「陰のプランナー」
第二章 大日本帝国の試練Ⅰ
条約改正と日清戦争への道ー「文明と野蛮の対決」のリアル
第三章 大日本帝国の試練Ⅱ
台湾および朝鮮統治ー「同化政策」の成功と誤算


帝国憲法の制定に向けての動きも、まさにそういう一連の動きの中の一コマです。猿の惑星です。なにしろ、向こうにはキリスト教という2000年に及ぼうという体系があって、それは他宗教、他宗派との長きにわたる抗争の中で構築されたものです。さらに宗教改革を経て、新教にしろ、旧教にしろ、新たな時代に適合するだけの柔軟性まで備えました。

そんな精神的な基軸が、欧米にはあるわけです。それが統合の原理であって、同時に万人の平等を保障するものでもあったわけです。この本の中では、《平等化推進体》という言葉が使われています。

さて、日本には、キリスト教のゴッド、絶対神みたいのはいませんからね。それがないと、つまり《平等化推進体》がないと、欧米並みの、人々の平等を前提とした民主的国家は作れません。

そんな役割を、天皇は背負わされるんですね。幕末、江戸時代以降の朱子学の影響の中で、一君万民、草莽崛起の思想が湧きたつように登場し、明治維新を成し遂げました。朱子学による天皇の絶対化をそのまま推し進めて、つまり天皇という存在に《平等化推進体》としての役割を背負わせようとしたわけです。

しかし、宗教改革を経験した欧米のキリスト教は、新教にしろ、旧教にしろ、常に新しい時代の変化に適応できるような柔軟性を備えたわけです。この本の中での言葉なら、すでにキリスト教は“世俗化”したんです。

それをわきまえずに、ひたすら天皇の絶対化を進めれば、天皇はゴッドと力比べをしなければならなくなるわけです。そんな国を、欧米が対等と認めるはずはありません。

だから、帝国憲法時代の天皇は、「《宗教を越えた絶対的な存在》となって超越的に存在し、そのもとで国民が議会を形成し、国民には信教の自由もある」というものになったようです。

国の形がかわっちゃいました。井沢さんの言葉では《これまでまったく西洋型の憲法を持たなかった国が、しかも神仏混交という形でキリスト教以外の様々な宗教がまじりあった複合体を信仰していた国が、突然キリスト教を信仰する欧米諸国が確立した近代国家》に生まれ変わることになったわけです。

だからこそ、日本は急速に力をつけることができました。だけど、一つの物事は、それを作り上げた人の意図しなかった出来事をも引き起こすんですね。よくあることです。伊藤博文や井上毅といった、帝国憲法に関わった者たちがすべて世を去った後のことです。

日本の大崩壊です。




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サクラサク『古典歳時記』 吉海直人

こんなことまで載ってる。ほらほら、大学の合格電報。

題名に“歳時記”とあるんだから、季節を感じさせるあれこれについて書かれているんですが、大学の合格電報ってのも面白いですね。春、2月の中頃から3月の中頃までの一月の間ですね。

「サクラサク」「サクラチル」は有名ですね。慶應です。「サクラサク」は基本形として他の大学でも使われてますね。それでは次の合格電報は、どこの大学のものでしょう。

①「ゴウカク」「サクラチル」
②「サクラサク」「イナホチル」
③「アオバモユル」「ミチノクノユキフカシ」
④「オチャカオル」「コノメドキマテ」
⑤「ボウソウノナミハハルオツゲキミオマツ」「ハルマダトオシ」
➅「コマクサノハナヒラク」「シナノジハユキフカシ」
⑦「イセエビタイリョウ」「イセワンニテザショウ」
⑧「ダイブツヨロコブ」「ダイブツノメニナミダ」
⑨「クジラガツレタ」「サイキイノルザンネン」
⑩「マリアホホエム」「アスニムカッテウテ」

正解は、(続きを読む)に入れておきますのでご覧ください。

桜が咲く頃は、なぜか自然と心がウキウキしてね。そんなときに、新たな旅立ちを迎えられたら、とても素敵です。不合格の場合は、「サクラチル」というのが基本形なんでしょうね。だけど、桜が散ることには、ただ残念という想いだけじゃないんですよね。むしろ、散り際の見事さにこそ日本人の心情は引き付けられるようです。

著者の吉海さんは、“軍国主義で称賛された”とおっしゃいますが、それはあまりにももったいない。散り際に心を動かされて詠まれた俳句や短歌は、いくらでもあるでしょうに。


『古典歳時記』    吉海直人

角川選書  ¥ 1,620

百人一首、源氏物語、枕草子、徒然草……日本文化の奥深さに感嘆
第1部 正月
第2部 春
第3部 夏
第4部 秋
第5部 冬
第6部 京都文化


「春風の花をちらすと見る夢は 覚めても胸のさわぐなりけり」は西行か。「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」「散ればこそいとど桜はめでたけれ憂き世になにか久しかるべき」は伊勢物語かな。 

四月入学というのは、日本の学校制度始まったときは九月入学だったんだそうですよ。それが、政府の予算編成が四月になったのに合わせて以来、四月になったんだそうです。これって、国際的にはずれてるんですってね。世界は九月入学が一般的なんだそうです。そのことがこの本の中でも取り上げられてます。

たしかに、海外への留学や、外国人留学生を受け入れるときに、時期がずれて不便なことが多いんだそうですね。大学は九月入学を考え始めたなんて言う話をいくつか聞きました。仮に、それが現実のことになると、就職の時期もそれに合わせることになるでしょうし、高校、中学、小学校の入学、卒業の時期も変わっていくでしょうね。

もちろん、合格電報も、「サクラサク」とままというわけにはいきません。

吉海さんは、九月なら、“菊”だとおっしゃいます。たしかにそうですね。「キクサク」ではおかしいから、「キクカオル」でどうでしょうとおっしゃいます。

仮に、本当に九月になるんなら、それがいいかもしれませんね。

でも、やっぱり“サクラ”がいいなあ。




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『対話 日本および日本人の課題』 渡部昇一 西尾幹二

アメリカは、本当は、日本をもっともっと長く占領するつもりでいたでしょうね。

渡部昇一さんは“25年間ないし50年間”って言ってますけど、25年間ないし50年間という長さだと、占領をやめて引き上げるタイミングっていうのが難しくなります。そして、大正から昭和初期の人たちは、25年たったあたりから、社会の第一線から引きあげていく頃になります。

その頃まで占領が続いていたら、おそらく日本人は、もう本当のことを思い出すこともできない状態になっていたでしょう。足掛け7年の占領でも、今のようなありさまなんですから。

そして、朝鮮戦争までの占領は、文字通り長期占領のつもりで行われたことだから、財界へのプレッシャーも、公職追放も、日本国憲法も、当然、長期占領を前提としていたということです。

朝鮮戦争の勃発によって、ようやくアメリカは、アジアの共産化への防波堤であった日本を、アメリカの手でつぶしてしまっていたことに気がついて、慌てて講和条約に向かうわけですね。

もちろん、反省なんてかけらもありません。日本人に仕掛けれれたウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムはそのままに、《過去の侵略を心の底から反省した日本人》を指導しつつ、自由主義陣営の一角に加えようというわけです。そのようにして作り上げられた戦後社会なんですね。

西尾幹二さんがおっしゃってます。「いま、アメリカは日本を守るつもりもないし、庇護するつもりもないけれども、しかし手放すつもりもないし、自由にさせるつもりもない」

その通りですね。


『対話 日本および日本人の課題』    渡部昇一 西尾幹二

ビジネス社  ¥ 1,728

その言論で何度も日本を救った二人は何に共鳴し、何で対立したのか
第1章 敗北史観に陥った言論界
第2章 自由で教育は救えるか
第3章 ドイツの戦後と日本の戦後
第4章 国賊たちの「戦後補償」論
第5章 日本は世界に大東亜戦争の大義を説け
第6章 教科書をモミクチャにしたA級戦犯たち
第7章 「朝日」「外務省」が曝け出した奴隷の精神
第8章 人権擁護法が日本を滅ぼす


しっかりしないといけないのに、日本人の“意見”がおかしなことになっていると西尾さんはおっしゃいます。それを、《アメリカに縋りつきたいという自己救済衝動》と言っています。

たしかに、アメリカに対する依存心が異常な状態ですよね。

というのも憲法の改正に関わる日本人の“意見”が、今、訳が分からない状況です。かつては、「平和憲法を守れ」という人たちは日米安保条約に反対していましたよね。ところが今は違います。

時々、街で、「九条を守れ」って言うよな言葉を見かけます。「改憲反対」じゃないんですね。
①日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

これですね。なぜか最近、「改憲反対」じゃなくて、「九条死守」。これだけがクローズアップされているんですね。・・・で、九条死守の人たちは、いまや日米安保条約に反対じゃないんです。アメリカに守ってもらえばいいから、九条死守なんですね。

すでにソ連はなくなりました。トランプ大統領は、新たな敵として“中国”とガタガタやってますが、私、トランプ大統領は特別な大統領だと思います。本質的に、アメリカは反日親中ですよ。

状況は変わりました。やっぱり、自分の国は自分で守るってことを、本気で政治の場にあげていかないとね。それでこそ、渡部曻一さんも浮かばれるってもんです。

あっ、いけない。この本がどういう本か、紹介するのを忘れた。じゃあ、また今度。




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縄文の系譜『逆説の日本史23 明治揺籃編』 井沢元彦

日本には縄文人という先住民族がいて、「動物を殺す文化」を持っていました。だからこそ、武を尊ぶサムライというのは、その系譜に連なるものでしょう。日本の文化というのは、じつは縄文と弥生の対立抗争で成り立っていると考えるのが良さそうです。「征服者である弥生人の、被征服者である縄文人に対する差別が、いわゆる部落差別の本質であろう」と、井澤さんはおっしゃいます。

征服者と非征服者というと、合衆国とアメリカインディアンを連想してしまうけど、弥生人と縄文人はそういう関係ではなかったようです。進んだ稲作技術を受け入れていく中で、弥生人の文化に塗り替えられていくわけですね。だけど、縄文的気質を地域によっては深い部分に、地域によってはより濃厚に残しながらも、新しい時代に移り変わっていったんでしょう。

「動物を殺す文化」である縄文の気質を色濃く残した武士たちが、表舞台に立つ時代がやってきました。鎌倉時代ですね。しかし、狭い日本という島国でぬくぬくと平和に酔いしれている間は、軍事力の効用を認めなくても生きていけます。江戸時代というのはまさにそういう時代で、そのトップが朝廷ではなく幕府であったにも関わらず、「ケガレ忌避」の傾向が進んでいったわけです。サムライだって、縄文の気質を色濃く残すとはいえ、弥生文化に移行しているわけですから。

一例を挙げれば、歴とした武士は罪人の首を切らなくなります。ちょうど天皇家が中大兄皇子の時代は人を斬り殺しても平気だったのに、平安時代には自ら刃を振るった天皇など一人もいなくなったのと同じような現象が起こったのでわけです。

そうした「太平の眠り」つまり平和ボケ状態の日本へ黒船はやってきました。日本人は慌てました。このままでは欧米列強の植民地にされてしまうという恐怖感を抱き、それまで弾圧していたサムライ精神を復活させました。そして日清、日露戦争に勝ったまではよかったんですが、この二つの戦役で犠牲となった死者の霊のためにも、それで得た満州国という権益は絶対に手放してはならないというのが、日本人共通の信念となってしまいました。

満州国を絶対に手放すまいと思ったのは、日本人の深層心理には怨霊信仰があり、そんなことをすれば戦役の犠牲者すべてが怨霊になってしまうという恐怖があったからだ、ということでしょう。だからこそ軍部の最高責任者東条英機は、天皇にやめろと言われ、自らも危険な作戦だと熟知しながら「英霊に申し訳ない」という感情を克服できず対米開戦に踏み切らざるを得ないわけです。その結果が大破綻。今度は数百万人が犠牲になりました。

そこで戦後の人々は、彼らの死を無駄にしてはならない、という怨霊信仰に基づき「平和憲法を絶対に守れ」が国民の目標になりました。「平和憲法」を守るためには命を惜しむべきではないという方針に転換です。変わったようで、まったく同じことが繰り返されてますね。


小学館  ¥ 1,728

木戸孝允が病死し、西郷隆盛が戦死し、大久保利通が凶刃に倒れた。そして、日本の近代が始まる
第1章 近現代史を考察するための序論 近現代史を歪める人々
第2章 大日本帝国の構築1 琉球処分と初期日本外交
第3章 大日本帝国の構築2 廃仏毀釈と宗教の整備


強大なはずの大日本帝国陸海軍が日本を守れなかったという教訓がよほど身にしみたのかもしれませんね。戦後日本は平安貴族と同じです。軍隊の効用、つまり防衛力や抑止力を一切認めない考え方に戻ってしまいました。日本のまわりは敵だらけ、・・・結構、絶望的なまでに敵だらけです。にもかかわらず、それを考えたくないんです。

「ロシア君だっていいところがあるよ」とか考えてます。自分の家の畑を、以前力づくで取られているにもかかわらずです。「支那なんて呼んじゃだめだよ。嫌がってるじゃないか。わがままを言うこともあるけど、昔はこっちが悪いことをしたんだからさ」とかっていう人もいます。毛沢東という史上最悪の人殺しも、世界の偉人扱いです。「朝鮮君が怒るのは当たり前だよ。国をまるごと乗っ取っちゃったんだから」とか、なんだかこっちが悪いようなことを言う人がいます。朝鮮が隣りにあることが、日本の最大の不幸の一つだというのに、です。

アメリカ君のことは、またにします。血圧が上がりそうですから。

とりあえず、こんな敵に包囲されているような状況で、・・・核兵器も必要です。ロシア君と、中国君と、朝鮮君は、核兵器を持ってるんですから。・・・アメリカ君もね

でも、今の日本じゃ、とってもこんな話を、公の場所ではできないでしょ。

最もたちの悪いケガレである死穢にまみれているのが軍隊、つまり在日米軍であり自衛隊です。その徹底的に軽蔑すべきケガレた存在が、軍事力や抑止力で日本国の平和を守っているんです。実際。だけど、軍隊の効用、つまり防衛力や抑止力を一切認めない人たちにしてみれば、そんなことはありえないし、あってはならないことなんです。

そこで、鎌倉時代の貴族が神風を持ち出したように、戦後日本人は平和憲法を持ち出しました。モンゴル軍の猛攻を退けたのは、鎌倉武士団の戦いであったにもかかわらず、亀山天皇が筥崎宮に奉納した《敵国降伏》の御真筆に上が応え、神風を吹かせたことでモンゴル軍を退けたと、訳のわからないことを言い出しました。

「戦後の平和は軍事力ではなく平和憲法によって守られた」と一緒です。訳がわかりません。




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『列島の考古学 古墳時代』 右島和夫 千賀久

うちは埼玉県東松山市。有名な埼玉古墳群のある行田市は、すぐお隣で、東松山にも、ずいぶん古墳がたくさんあります。
kofun.png
https://kofun.info/kofunlistmap/10
上をクリックすると、上の地図のページが出ます。マークをクリック数と、遺跡の名前を教えてもらえます。ぜひ、見てみてくださいね。


なんだか、うちの近所でも、いつもどこかで遺跡の発掘してて、時々、面白いものも出ているみたいで、埋蔵文化財センターっていうところがあって、そこには面白いものが、けっこう展示されてます。
右は、三角縁神獣鏡です。・・・三角縁神獣鏡ですよ。まったく、さんか・・・、しつこいですね。

東松山市の高坂っていう地区で発見されたものです。うちの地区なんです。平成23年に高坂古墳群から発見されました。もしかしたら、卑弥呼の青銅鏡かもよ。
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河出書房新社  ¥ 3,024

近畿と東国に繰り広げられた古墳文化。遺跡から解明されるヤマト王権の波及と人々の暮らし
1章 前方後円墳の成立から巨大古墳
2章 渡来文化の波
3章 豪族と民衆
4章 埴輪は語る
5章 豪華で豊富な副葬品


地道な遺跡発掘と資料研究を続けている研究者の血と汗が、この本に染み込んでいるのが、私には見えました。見えたんだけど、こんな血と汗を滴らせながら仕事を続けて、何が面白いんだか、本当に申し訳ないんだけど、私には最後までわかりませんでした。

私の仕事上の友人に、この本に書かれているような、遺跡調査から、こつこつと新しいことを見つけ出すことの情熱を注いでいる人物がいます。彼は、埼玉県の歴史学発展の一端を担う人物でもあるんですが、・・・ごめんね、一体何が面白いの?

でも、この本を書いた右島和夫さんと千賀久さん。若い頃、奈良県の橿原考古学研究所に出入りして、そこで行われる発掘調査に参加し、発見された資料の整理や報告書の作成にも携わらせてもらって、共にその道への認識を深めていったんだそうです。

私よりも、お二人とも10歳以上上の方ですから、今はその身との大家でしょう。右島和夫さんが群馬県の考古学の世界に、千賀久さんが橿原研究所に職を得て、畿内と東国の考古学談義を一緒にしたらという観点から生まれたのがこの本ということのようです。

私は、この本の発掘過程、研究過程を読ませてもらっても、・・・いや、それは読むこと自体が苦痛ですね。そこから得られた結論だけで、正直十分です。もっと言うならば、そこから得られた結論をつなぎ合わせて、誰かにどのようなことがそこで起こっていたのか。つまり、歴史を解明してもらって、それを読ませてもらいたいと、そういう虫の良いことを、いつも考えている私です。

だけど、著者の両者の流された血と汗には、敬意を表するのに、私は少しもやぶさかではございません。 
 



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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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