めんどくせぇことばかり 2019年02月
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『われは歌えどもやぶれかぶれ』 椎名誠

安打製造機と呼ばれた野球選手がいる。ヒットをたくさん打つ人なんだけど、ただ、打率がいいというのとも違うんですね。強打者というのとはちょっと違って、巧みなバットコントロールの出来る選手です。

外角の球は引っ張らずに流して、内角の球は上手にバットをコントロールして、引っ張りながらもヒットゾーンへ、中頃の球はセンター返し、ちょっとくらいタイミングを外されても、うまく芯に当てて、内野の頭を超える、そんなバットコントロールの出来る選手。

イチローが筆頭ということになるかもしれませんが、イチローは足で稼ぐ部分もありますからね。ちょっと古くなるけど、張本勲。私と同世代では篠塚和典がピッタリ来ます。

教員になりたてのころ、野球好きの生徒にせがまれて、日曜のデーゲームに一緒に野球観戦に行きました。とは言っても、その生徒たちは、朝からチケットを買うために並ぶんです。そして私の分も買っておいてくれるんです。私は試合開始のちょっと前に行けばいいだけ。行くや否や、ビールを飲み始めてね。その生徒の中の一人の女の子が、篠塚の大ファンでした。

その後、巨人に興味がなくなるとともに、プロ野球そのものへの興味が薄れてしまい、プロ野球に関する知識が、今の監督やコーチをやっている人たちのところ以降、更新されておりません。

変な話から始まりました。椎名誠さんが、ご自分のことを“粗製乱造作家”と自負?してらっしゃるのを読んで、ついつい連想してしまいました。どんな球が来ても、椎名さんなりに受け止めて、ふさわしい方向に、上手にバットコントロールしてらっしゃるもんですから、・・・ついつい。



集英社  ¥ 1,512

老いてもなお椎名誠! なめんなよな。シーナさんの日常と非日常。最新エッセイ集
極悪ピロリ完全掃討戦記
標高二万七千メートルの山
こんな話でいいのだろうか
サスペンストイレ


《肥満の人はなぜ食い続けるのか》なんて、すさまじいですよ。“肥満”の国際比較というボールが、あの方向に打ち返されるとは、ビックリ仰天です。

とりあえず、それは置いといて、やっぱりアメリカなんですね。私は行ったことないんですけど、「一〇〇キロ越えは当たり前、二〇〇キロ越えも珍しくない」っていうんですからすごいですね。大相撲の千代丸ですら二〇〇キロはありませんよ。それを超えるような連中が、両国だけじゃなくて、どこでも当たり前のようにほっつき歩ってるっていうのは、考えてみればすごいことですね。

食べ続ける肥満人間が、食べ続けても太らない草食動物と比較されて、巨体を支えるために睡眠時間をけずって食べている像が登場する。像のうんこは、乾燥させれば良質の燃料として用いられる話が出てくると、いよいよ、椎名さんのバットコントロールの見事さが現れる。

人間でも太ってたくさん食べる人は、たくさんのうんこをするのか?

・・・こんなバットコントロール、他の誰にできるでしょう。

《とりわけたくさん食べる一〇〇きろ超の人に「一回の排便でどれくらい出るんですか」とあからさまに聞いたことがある。「一度、様式便所の便槽が、いっぱいになったときがあるよ」》

私、朝、走ってるんですが、冬場も、懐中電灯をもって、暗いうちから走りました。そのせいか、昼過ぎ、仕事中にもかかわらず、とてつもなく眠くなります。それはいいとして、ウィンドブレーカーを着て走っても、お腹が冷えるんですね。この冬の間に、二度ほど、外のトイレで用を足しました。一度は駅の、一度は公園のトイレです。

駅のトイレを利用したときのことです。まだ一番の列車の走る前の時間でした。その時は、けっこう、せっぱつまって、駆け込む形でトイレに入りました。終わったときの安心感はたとえようもありません。・・・しかし、流れなかったんです。そのトイレ、詰まってました。水が便槽のふちまで達しようというところで、清掃用具入れから、棒の先に黒いゴムのカップがついたやつを持ってきて、必死でパッコンパッコンやりました。

多少、自分の汚物が攪拌された水が後退するものの、トイレ詰まりは完全に解消しません。一様、水は後退したので、このまま放置して撤退すべきか。もうひと汗かくべきか。とりあえず、あと30回、パッコンやってみて、だめなら撤退と決めました。あとから流した水が、気持ちよくスッと流れたのは、21回目のパッコンの後でした。

椎名さんは、先ほどの話を、「人間の大便は像よりも役に立たない」とまとめています。




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テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

炭火で馬券『味見したい本』 木村衣有子

まだ、山をやめる前の話だけど、競馬にハマった十数年ほどの日々がありました。

・・・祖母に言われたことがありました。

お前たち3人兄弟のひいおじいちゃんの、そのお父さんという人が3人兄弟で、3人で博打にハマって身上を潰した。たくさんあった土地も全部人手に渡って、ひいおじいちゃんはとても可愛そうだった。お前たちのおじいちゃんが頑張って、なんとか今あるだけの土地を買い戻したんだ。お前たちは、それ以来の男だけ3人兄弟だ。絶対に博打に手を出すんじゃねえで!

山の仲間も、仕事の仲間も競馬をやってる中で、私は祖母の言いつけを守っていました。しかし、その仲間たちがいつもの夏の旅行コースに新潟競馬場を盛り込んだんです。緑のターフ、疾走する馬たちの怒涛ようなトドロキ。・・・一発で持っていかれました。

競馬をはじめて間もなく、パット方式とか言うのを知って、パソコンで馬券を買えるということを知り、まずはパソコンを購入しました。20代の中頃の話です。ボタンをポンで、財布を傷めずに馬券を買いました。あっという間に、2つほど定期預金を切り崩しました。私はすでに結婚していましたが、これは連れ合いの知らない話です。

そのままでは追われません。ここからやり直しです。-200万からのスタートです。

・・・競馬で負けないためには、馬券を買わないことが一番です。でもまあ、十数年もあつい競馬を続けて、すったもんだの七転八倒。七回転んで、八回倒れたのでは、首を吊るしかない。七転び八起きにしておきましょう。そして、当時ほどではないけれど、今もほそぼそ続けてますので、長い趣味になりました。

30代の半ば近くで、山をやめなければならなくなって、・・・いい歳ですからね。自暴自棄になるとかではなくて、なんかやらなきゃいけないと思ったんだけど、そのなんかが競馬ということにはなりませんでした。当時、だんだん、子どもにもお金がかかるようになりつつありましたからね。高校や、大学に進むようになって、徐々に、・・・ね。

まあ、残ったのが、本を読むことと、料理だったってことです。


『味見したい本』    木村衣有子

ちくま文庫  ¥ 799

読むだけで目の前に料理や酒が現れるような食の本に巡るエッセイ
1 少し昔の食卓
2 台所で読む
3 食堂を読む
4 カレーを一皿
5 おやつの時間
6 コーヒーを一杯
7 飲みにいきましょう


この本の中で紹介されている『かぼちゃを塩で煮る』という本ですが、読んだ記憶があります。それが、さっき、押し入れに頭を突っ込んで探してみたんですが、・・・途中で面倒になってやめました。きっと、どこかにあると思います。その気になったら、なんとか見つけ出して、もう一回読み直してみたいと思います。

その本でも紹介されていた、《まずいまぐろのうまい食べ方》は、私も実践したところです。買ったまぐろの刺身がまずかった場合、もしくは、食べ残して、翌日に持ち越してしまった場合、しょうがを効かせた甘辛いしょう油味でねぎま鍋にして、煮て食べるというものです。そう、完全に別料理にしてしまうことです。これはうまいです。

この時、やはり、ねぎは入れたいですね。「“ねぎま鍋”のねぎが好き。むしろ、ねぎだけ食べたい」という人も、広い世の中にはきっといると思います。広い世の中からそんな人を探し出さなければならない理由は、ちっともございませんが・・・。

もしくは、ごま醤油漬けにして食べるのもおいしいです。この時、ごま油も一タレさせておきます。まぐろでなくても、翌日に持ち越した場合、これで食べるとおいしいです。大分の食べ方のようですが、なぜか名称が“りゅうきゅう”なんですね。

『かぼちゃを塩で煮る』という本のことを思い出したのは、『味見したい本』の著者が「これは私の暮らしには取り入れられない」と言っている、“炭火を晩酌の同伴にして、となりに座って二・三時間飲む”という部分を読んだからです。

競馬をやってる頃、多くの場合、家で、パソコンで馬券を買って、テレビ観戦していました。山行のない日曜の午後は、昼過ぎから七輪に炭火をおこし、するめやめざしを炙ったり、燗をつけたりしながら、馬券を買い、テレビ観戦をしておりました。まさに、至福の時間でした。・・・馬券が外れなければ、・・・ですが。

・・・そんな至福の時間を放棄したのは、やはり、山に行かなくなってからですね。山に行っていることが張りになっていたからこそ、“炭火で馬券”が楽しかったんですね。

そうだ。だから、山を再開した私は、その時間を取り戻してもいいということになりますね。あいかわらず、バカだな。そんなことにも気がつきませんでした。・・・この本、読んどいてよかった。




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テーマ : 料理の本
ジャンル : 本・雑誌

『国家の盛衰』 渡部昇一 本村凌二

《テルマエ・ロマエ》っていう映画がありましたが、あれは面白かったですね。ローマ、五賢帝時代の公共浴場設計士が、現代の日本にタイムスリップしてきちゃうんですね。んで、日本のお風呂やトイレに入って感動しちゃうんですね。泡がブクブク出ていたり、便座がとってもポカポカだったりしてね。

設計士はローマに帰って、古代ローマに現代日本の知恵を持ち込むんだけど、さすがに電気がないですからね。だから、なんか見えないところで、奴隷が棒を回していたり、「ふうふう」と、懸命に息を吹いていたりするんです。

そういうことなんですね。現代の伝記に代わる、古代のエネルギーは、奴隷だったわけです。

ここからは、渡部昇一さんがこの本に書いていることをもとにしたお話です

古代にも機織り機や簡単なクレーンなどがありましたが、それを動かすのは奴隷でした。つまり、奴隷は、現代の石油や石炭に匹敵するエネルギーだったのです。《テルマエ・ロマエ》そのものですね。

しかし、中世になると奴隷制は消えていきます。農民たちは農奴、コロヌスなんて呼ばれますけど、基本的に奴隷ではありません。そして、長い歴史の中で、領主との関係を、じょじょに有利に改善していきますよね。

ところが、古代よりたちの悪い奴隷制を大規模に復活させたのは、1600年代にイギリスからバージニア植民地に入植した、のちにアメリカ人と呼ばれる人々でっした。そして、奴隷制は1865年に廃止されるまで、200年以上続き、1860年のアメリカの国税調査によれば、奴隷人口はおよそ400万人に達していたそうです。

では、なぜアメリカで奴隷制が復活したのでしょうか。それは、アメリカがイギリス国教会の改革を唱えたピューリタンによって建国されたからとされています。ピューリタンはマルティン・ルターによる1517年の宗教改革後、ローマ教皇庁を中心とするカトリックから分かれたプロテスタントに属します。したがって、カトリックの支配した中世の歴史を理解できないのです。


『国家の盛衰』    渡部昇一 本村凌二

祥伝社  ¥ 907

難問が山積する現在の日本。日本はこのまま衰退するのか。我々は何をすべきか
序章 国家繁栄と覇権の条件
第1章 ローマ―世界帝国の典型
第2章 スペイン、オランダ―海上覇権と貿易
第3章 イギリス―工業技術による産業立国
第4章 アメリカ―実験国家、人工国家の活力
第5章 中国―覇権国家になりうるか
第6章 日本―これから歩むべき道


彼らが理想としたのは、中世を飛び越えてギリシャ、ローマなどの古代国家でした。その証拠に、ということで渡部昇一さんがあげていたのが、とても面白かったんです。

中世は彼らにとって「暗黒時代」と思われていたので、建築物もローマ帝国を模し、中世のゴシック建築のように尖ったものを作ることはなかったんだそうです。また政治システムは古代のアテネやローマを模範としています。

あれ、たしかにそうですよね。合衆国議会議事堂はローマ風ですか。キャピタルって呼ばれるそうですが、キャピタルはもともと神殿の置かれていたローマの丘、カンピドリオがもとですよね。リンカーン記念堂なんか、ドーリア式の柱が並んでますよ。中世を否定するあまり、古代ギリシャ・ローマに傾倒しているんですね。

そして、ローマの奴隷制に倣い、アフリカから黒人を大量に輸入し、奴隷としたのです。その結果、黒人奴隷は広大な綿花畑を有する、アメリカ南部を中心に増加していきました。また、鉄道建築などの重労働のために、中国から苦力という奴隷を輸入したのです。リンカーンが奴隷解放宣言を出したのは、それに代わる苦力という新しいエネルギー源を確保していたからということです。

つまり、アメリカを近代の帝国と定義するのであれば、その興隆を支えるエネルギーとして、黒人や苦力などの奴隷が重要な役割を担っていた、と言えるでしょう。

二〇世紀初頭のイギリスのジャーナリスト セシル・チェスタトンは、『アメリカには中世がない』と言ってます。また、二〇世紀初頭のフランスの首相 ジョルジュ・クレマンソーは、『アメリカは歴史上、文明という段階を経ずに、野蛮から堕落へと走っていった唯一の国だ』と言ってます。この先、アメリカには何があるんでしょう。

ちなみに、奴隷をラテン語では「セルブス」といいますが、これは英語の「サービス(奉仕)」の語源になったものです。そして、奴隷を意味する英語「スレイブ」の語源は、スラブ民族に由来しており、これは神聖ローマ帝国の初代皇帝オットー大帝が東方を攻め、スラブ民族を大量に奴隷としたことが由縁になっているそうです。




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テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『ごはんのきほん』 有元葉子

「レシピを見ないで作れるようになりましょう」という本の第二弾ですね。

なんといいますかね。私の場合ですが、レシピを見ないで作れる料理しか作りません。調味料は?・・・「だいたい、このくらいでいいだろう」っていう程度で何とかなる料理しか作りませんから、あまり関係ありません。使うのも、塩、みそ、しょう油、酢、砂糖、胡椒くらいの調味料しか使いませんから、《だいたい》で十分です。・・・あくまで、私の場合です。

どうせ、私と連れ合いだけですから、それで十分です。

でも、有元葉子さんも言ってくれてますよ。
  1. ごはんとみそ汁をおいしくする
  2. 季節の野菜のおかずを作る
  3. 塩、しょうゆ、みそ、酢で食べる
  4. パスタを味方につける

パスタはともかく、1~3はそれなりに努力はしています。でも、有元さんは「お櫃を使え」って言ってるんですよ。これはめんどくさいなぁ。お櫃にうつすだけで、ご飯は断然うまくなるんだそうです。お櫃ないしなぁ。いちいち洗って乾かすの大変そうだしなぁ。

ご飯はできるだけ、食べる分を炊くようにしてはいますけどね。私と連れ合いで1合ですね。みそ汁の出汁は煮干しです。めんどくさいから、粉末にして、そのまま飲んじゃいます。

季節の野菜は、近所の畑から、・・・いやいや、近所の畑にある無人販売所で買ってきます。家の周辺だと私の活動範囲に5カ所ほどありますが、どの畑のおじさんが野菜作りが上手かってのが分かります。今は大根が安く出てますね。毎日大根を食ってます。有元さんの言う調味料なら、私の守備範囲です。旬の野菜を、守備範囲の調味料で食う。

さて、ここまではいいとして、パスタはどうでしょう。ああ、だから4番目に《野菜を食べるパスタ》って項目があるんですね。


『ごはんのきほん』    有元葉子

SBクリエイティブ  ¥ 1,620

大好評を得た『レシピをみないで作れるようになりましょう。』第二弾です
白いごはん、味つきごはん
だし、みそ汁、うどん
旬の野菜をサッと食べる
野菜を食べるパスタ


めんどくさいことは嫌いですが、「レシピなんか見ないで作れるものしか作りません」という私のやり方は、決して間違ってはいなかったようです。

今日の朝ごはんには、冷蔵庫に使いかけのエノキが残ってたので、醤油をかけて電子レンジでチン。しょう油味を良くなじませて、大根おろしと和えて食べました。とてもおいしかったです。今は、季節がら、なんでも大根です。なかでも大根おろしで、何かを和えて食べるのがいいですね。なんでもかんでも、さっぱりしちゃいますけどね。

あと納豆で合えるってのも、紹介されてました。青菜納豆、古漬け納豆、ひじき納豆、きんぴらごぼう納豆などが紹介されてました。私のおすすめは、切り干し大根納豆です。これうまいですよ。実際、市販されているのも見て、家でやってみたら、結構うまいんです。

野菜の食べ方は、この間も書いたけど、とても勉強になりました。そんな野菜料理を並べて、あと一品、肉か魚でも焼いて出せば、十分な食卓になります。

《ごはん、みそ汁、野菜、当たり前の調味料》

これがこの本のすべてです。考えようによっては、なにも買ってまで読まなくてもいいかもしれません。だけど、今よりも、ちょっとだけでも、うまいごはんが、うまいみそ汁が、うまい野菜料理が、うまいパスタが食べたいと思うなら、ぜひ、手に取ってほしい本です。

《ごはん、みそ汁、野菜、当たり前の調味料》への向き合い方から言ったら、何だか哲学的ですらありますよ。




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テーマ : 料理の本
ジャンル : 本・雑誌

芦ヶ久保駅-丸山-刈場坂峠-関八州見晴台-西吾野駅

土曜日は天気が崩れると、週の初めころから言ってましたよね。それが、どうも、さほど悪くならないらしい。それも、9時ころには晴れ間も出そうという予報に代わったのは、前日のことでした。・・・でも、まあ、行くとすれば、3月24日に高校生と行く山行の、気になるところの確認、まあ、下見ですね。行き場所に迷うことはないわけです。

2月23日丸山~関八州見晴台地図

3月24日に高校生と歩くコースの下見もかねて、西武線の芦ヶ久保駅から西吾野駅まで歩いてみました。

高校生と行くときは、このコースの飯盛峠から大平尾根の方に入って、越生方面に下りる予定です。でも、今回は高麗駅近くに車をおいて、電車で芦ヶ久保駅に向かったので、飯盛峠から関八州見晴台を経て、西吾野駅に下りるコースにしました。
1 芦ヶ久保駅

高麗駅発が6時42分。芦ヶ久保まで30分位でしょうか。身なりを整えて、軽く準備運動をして、7時20分位に歩き始めました。まずは、丸山めざして、駅の目の前から始まる舗装された坂道を登っていきます。

3 鹿柵 

山道に入ってしばらくすると、鹿柵が張ってあって、人が入口を開けて中にはいるようにしてありました。あちこちで苦労してるんですね。

そういえば、このコースは、ずっと舗装された道路と並走しているんですよね。奥武蔵グリーンラインですね。舗装道路を歩かざるを得ない箇所も結構あって、車、自転車、ランナーと、結構、すれ違いました。だけど、山道に入ってみると、基本的に奥武蔵の山ってのは、低山ではありますが、険しいんですね。

芦ヶ久保の駅に降りたのは5人かな。うち、3人が二子山方面かな。丸山方面を目指したのは、私と、もう一人。ほぼ同じペース。ちょっと間を置くために、私は丸山手前で小休止。おむすびと生姜湯で温まりました。風が強かったんです。しかも、気温も低かったみたいで、顔が凍りそう。


4 武甲山 5 武甲山とその向こう
丸山山頂に着くと、先程まで一緒だった方がいて、お話しました。昨年、同じ時期に来たときには、雪がべったりだったんだそうです。

芦ヶ久保まで来ると、武甲山をこの角度から見ることになるんですね。上の写真では和名倉や奥秩父の山々、下の写真では長沢背稜、奥多摩の山々が見えています。

5 両神6 両髪とその向こう 

丸山からの景色は良かったです、武甲山はもちろん、さらにその西に連なる山々、両神山と、その向こうには、白く雪をかぶった山も見えました。さて、ここも風が強い。一日中そうでした。このあとも、休憩するときは、風が来ない場所を選んで取りました。

7 アンテナ 
向こうにアンテナの立った、三角形の山頂があります。飯盛山だと思うんですが、今日はあの先まで行くんですね。

8 大野峠へ 
大野峠に向かう途中、東の方角が開けているピークがあって、なんだかハンググライダーの出発点なんでしょうか。もし、ここから飛び立つとしたら・・・。考えただけで身の毛がよだちました。

このあたりはいい道でしたよ。なんか“山旅”って感じさせてくれるところです。途中、白石峠方面への道と別れて大野峠へ。舗装道路に下りたところが大野峠で、ここからはいよいよ舗装道路と並走してカバ山に向かいました。

9 カバ山 91 刈場坂峠
カバ山を過ぎて、刈場坂峠に向かう途中、二箇所ほど、岩場の気になる場所がありました。どうしようかな。高校生連れてく時はどうしようかな。ザイル張ろうかな。なんにも言わないで歩かそうかな。舗装道路行かそうかな。

92 ツツジ山 93 向こうは武甲山
刈場坂峠も風が強いので、ツツジ山まで行って、風が来ないところで休みました。今度はラーメンです。ちなみに、ここは、詳細地図だと刈場坂山と記載されていて、本来それが正しいようです。 ちなみに下の写真、木と木の間に武甲山が見えます。

94 ぶな峠 
ラーメン食べて、檥(ぶな)峠に向かいます。行ってみると、《山毛欅峠》って表示があったんですが、これで「ぶな」って読むんですね。ああ、《檥》は、普通じゃ、「ぶな」って読みませんよね。

95 飯盛山96 飯盛峠 
上の写真、標識の向こう、木々を通して鉄塔の足元が見えています。高校生を連れてくる時は、飯盛峠から大平尾根を通って越生に下りる予定。この日は、関八州見晴台を経て、西吾野駅に向かいます。

飯盛山、飯盛峠を経て、関八州見晴台へ。ちなみに、飯盛山は、本当は“飯森山”で、飯盛山は飯盛峠の先にあるピークとしている地図もあります。

97 関八州見晴台から
 98 カレーパン
関八州まで来ると、武甲山も見え方が、大分代わってきます。二子山のことは、私たち秩父の子は、お尻山と読んでました。こんなにゴツゴツしたおしりじゃないんですよ。タモリさんみたいなきれいなお尻です。

今日、三度目のお昼は、カレーパン。

99 関八州見晴台 
下り始めて、高山不動奥の院のある関八州見晴台を見返ります。

991 お地蔵様 
西吾野駅に降りる途中、分岐にあるお地蔵さま。

992 西吾野 
ああ、よく歩きました。ここまで来ても、まだ風が強い。下山中、木の高い杉の梢が擦れあって、不気味な音を出していました。風は唸るし、ちょっと怖かったです。落石じゃなくて、落木がありそうで・・・。



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テーマ : 登山
ジャンル : スポーツ

『蒼い空へ』 木本美紀

あの人の指に絡んでいた ゴールドの指輪を引き抜き この僕とともに歩いてと 無茶を言ったあの日
恐れなどまるで感じないで はげしさが愛と信じた 立ちどまることも許さずに 傷をつけたあの日
振り向けばあの時の 目に染みる空の青さを思う 悲しみの旅立ちに まぶし過ぎた空思い出した

いたずらで人を泣かせるなと 大人から頬を打たれた あの人も遠く連れ去られ 愛が消えたあの日
少しだけ時が過ぎ もう過去と言える恋の日々を 青空が連れてきた もう二度と会えぬあの人だろう

悲しみの旅立ちに まぶし過ぎた空思い出した

青空よ心を伝えてよ 悲しみはあまりにも大きい 青空よ遠い人に伝えて さよならと 

この《ブルースカイブルー》が、やっぱり一番かな。・・・もちろん、個人的にね。

男性歌手にしろ、女性歌手にしろ、私は歌謡曲が全盛期を迎える時期に、一緒に成長していった世代ですから、思春期の思い出の中に、これらの人たちは食い込んじゃってるんですよね。

《情熱の嵐》が流行ったのは、・・・1973年か。中学の2年ですね。サッカー部の部室で、エキスパンダーを引っ張るような振り付けを真似て踊ってたのを覚えてます。こっちのインパクトも大きいけど、年上のあの人を追いかけまわした私としては、《ブルースカイブルー》が頭の中を駆け巡ってましたからね。

ああ、今日も空が青い。

『蒼い空へ』    木本美紀

小学館  ¥ 1,512

63才という早すぎる人生の幕をおろした西城秀樹。妻が語る17年の壮絶なる闘病
第1章 最期の日まで綱渡りの3週間
第2章 芸能人との結婚
第3章 明かせなかった病状
第4章 家族全員で闘った
第5章 そして、今


奥さまは、2001年に、28歳で、17歳年上で、当時45歳の西城秀樹さんと結婚したんですね。

男女のことは、縁あってこそのものですしね。お二人には縁があったということですし、同時に、それだけ西城秀樹、じゃないんですね。木本龍雄さんが魅力のある男性だったと言いうことでしょう。

2003年に最初の脳梗塞を発症し、周囲の予想を裏切るほどに早めの再起を果たしたものの、2011年に2度目の脳梗塞を発症。以降は、厳しいリハビリを重ねつつ、できる限りの芸能活動をつづけたが、2018年5月に亡くなる。

これが、私の知るすべてでした。

西城秀樹も脳梗塞で倒れたのに、よく頑張ってるな。奥さんは、結婚してまもなく西城秀樹が脳梗塞で倒れてしまって、たいへんだっただろうな。その時期、お子さんも三人も生まれてたんだよね。

・・・なんてね。

そう思ってたんですよ。だから、やはり奥さまは、この本を出してよかったと思います。いや、とりあえず私は、出していただいてありがたいです。最初の脳梗塞以降、壮絶な闘病の日々だったんですね。

そのような体質をかかえていたからこそ、お二人は、とっても濃密な18年間の結婚生活を送ってきたんだろうと思います。その18年間が、必ずや奥さまの、そしてご家族の、一生の支えになっていくものと信じます。

秀樹に、感激!




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テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『体幹 ウォーキング』 金哲彦

ご親切な方がいてね。私がメタボだからって、メタボ検診を受けろって・・・。ただでいいからって・・・。

運動ができない時期が、けっこう長く続いたもんで、しかも私、以前は元気のいい人間だったもんですから、食事を減らすことで体重を落とすってのが抵抗があったんですね。つまり、元気なころ同様に食ってたわけです。それでいて運動できないんですから、当然太ります。

2年前に足の手術をして山にも登るようになったんですが、行っても週に一度のことです。それだけでは体重は落ちません。「山言ってるだけじゃ、体重落ちないな」って思ってるうちに、「メタボだよ」って声をかけられることになったわけです。

30代で山はやめましたが、しばらくの間は、四六時中足が痛かったわけじゃないんです。痛みがなければ、3kmくらいまでなら、走ることもできました。本当に、いっつも痛みがあって走れなくなったのは、50歳くらいからです。

じつは、それ以前も含めて、なんどか太っていた時期があって、そのたびに、朝ランニングをすると、あっという間に体重が落ちるんです。そういう体験を持ってたもので、「メタボ検診だよ」ってお誘いに、めんどくさいから乗っからなかったんです。「走ればいいや」って思ってましたので。

そんなわけで、朝、走り始めたのが、昨年の6月のことです。走ってみてびっくり。・・・走れません。そりゃそうか。ずいぶん走ってませんでしたからね。“走る”って動作に入りたいのに、身体がそういう風に動かないんです。だから、最初は、歩きです。距離も、3kmまで。そのうち、歩きが主、走りが従。そこから、歩きが従、走りが主。走りも、ゆっくりゆっくりでした。

なんとか、ゆっくりでも走れるようになって、一週間くらいで、背中が痛くて、呼吸が苦しくなりました。若い頃に、肺気胸って病気にかかっていて、その時の苦しさにちょっとだけ似てたので、しばらく走るのをやめました。そしたらすぐ直ったので、単に、身体が走ることの拒否反応を起こしていたようです。もう一度、歩くことから始めて・・・。

今度、ビックリしたのは、体重が落ち始めないことでした。ああ、そういう身体になっちゃったんですね。我慢して、我慢して、朝は知るのを続けて、ようやく体重計の針が動き始めたのは、2カ月ほどしてからでした。

毎朝走って、週末は山。これを繰り返していたんですが、山のためにより実践的なトレーニングをしようと、9月からは荷物を背負って走ることにしました。ホームセンターに行って15キロの小石を買ってきて、それをザックに入れて、まずは歩き始めました。一週間ほどで、歩きに走りを入れてみたら、右の膝が壊れました。

ちょっと歩くのにも苦労することになっちゃいました。最悪の時は一週間くらいで終わりました。その後、いい時と、悪い時を繰り返しつつ、“毎朝走って、週末は山”を続けました。今も、その途上にあります。

体重の減少は、落ちる時期と落ちない時期を繰り返しつつ、落ちない時期を我慢しきれば、また落ちて行くことが分かりました。


学研プラス  ¥ 1,296

歩いているのに効果が出ない人は、体の使い方が間違っている可能性があります
第1章 歩くことは人間にとっての基本運動
第2章 歩くという運動の本質
第3章 実践! 体幹ウォーキング
第4章 日常生活に体幹ウォーキングを取り入れる
第5章 体幹ウォーキングQ&A
第6章 健康寿命を伸ばすには歩くことが大切


IBMってのは、体格指数っていうんですね。IBM指数22が適正だそうです。25以上が肥満だそうです。
IBM=体重(kg)÷(身長(m)2  

ということですから、86.0kg÷(1.81m)=26.25 おお、完全に肥満だ。

適正体重は、次の式
適正体重= (身長m)2 ×22

だから、(1.81m)✖22=72.07 うわっ! 72.07kgか。 今朝の体重が74.5kg。昨年6月からで、11.5kg減ったけど、まだ太り気味なのか。

本のことに入ってませんでしたね。この本は、正しい姿勢で歩けば、その分、効果が上がる。“歩く”ということが効率的に行われるため、相対的に短い距離でも同じだけの効果が上がる、相対的に短い時間でも同じだけの効果が上がる、ってことですね。

背中の肩甲骨周辺の筋肉、腹筋、おしりの筋肉は、たしかに大きな筋肉ですよね。正しい姿勢を取ることで、これらの大きな筋肉をきちんと使って歩くということの様です。そうすることで、これらの筋肉が発達して、体重を落とすとともに、均整の取れた体に変わっていくそうです。

一挙両得じゃないですか。

当然、走ることにも応用できるはず。




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テーマ : 読んだ本
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『磐井の乱の謎』 関裕二

縄文の海人たちはさかんに玄界灘を渡り、朝鮮半島南部との間の交流を支えていました。朝鮮半島南部から北九州は、同一文化圏と呼んでも過言でないほど、親密な関係だったようです。朝鮮半島南部沿岸は多島海で、海人の活躍の場でしたし、出土品からも、日本列島との交流が確認されています。

東アジアの国際関係の中では、この一帯を“倭”と認識していた様子も見られます。『三国志』韓伝には「韓は帯方の南にあり、東西は海に以って限りと為し、南は倭と接す」とあるそうです。「朝鮮半島の東西は海に接し、南は倭に接す」ということですから、朝鮮半島南部を“倭”と認識しているわけです。

もとより外洋に出るには、海に関わる高い経験知と特殊な技能が必要なわけで、大陸から南下してきた者にそれはないでしょう。九州の海人が朝鮮半島南部をも活躍の場の一つとしていたと考えればいいようです。

弥生時代になると、倭の海人たちは、朝鮮半島南部で取れる鉄を目当てに集まってきたでしょう。伽耶諸国は鉄と交易で利益を上げていたんでしょう。もちろん、その交易の相手は“倭”の勢力であったでしょう。

ヤマト建国は、九州の海人の経済活動を、ヤマトに集まった勢力が管理するという動きでもあったわけです。九州の海人たちからすれば、自分たちが独占していた利益をヤマトによって奪われることになったわけですね。

ただ、北九州の地勢的特徴から、どうしても東からの攻撃に弱いですから、東に誕生したヤマト政権に合流するしか手はなかったわけです。

弥生時代から古墳時代を通じて、伽耶は大切な友好国でした。新羅や百済の方が有名で、ついついそちらに目が向かいますが、ヤマト政権が朝鮮半島で守りたかった権益は、そのほとんどが伽耶にあったわけです。

日本書紀には、スサノオが新羅に舞い降りたという話があります。この本の著者の関裕二さんは、おそらく、新羅ではなく伽耶だろうと言ってます。6世紀になると、伽耶の大部分を新羅が併呑しているところから混同されたものだろうというのです。ヤマト政権にとっての伽耶の重要性を考えれば、うなずけます。



河出書房新社  ¥ 1,890

北部九州の豪族・筑紫君磐井は、なぜヤマト政権に反旗を翻したのか?
第1章 磐井の乱勃発
第2章 九州と天皇とヤマト
第3章 東アジアと日本
第4章 継体天皇の立場
第5章 磐井の乱の真実


朝鮮半島南部に国が成立したのは4世紀のことで、その直前まで、南西部の馬韓、南東部の辰韓、南部の弁韓に分かれていて、それぞれが、のちの百済、新羅、伽耶諸国に発展するわけですね。西暦40年ころは楽浪郡に朝貢していて、3世紀以降は魏が朝鮮半島に進出し、半島南部まで冊封体制を敷いていたそうです。

4世紀、大陸が混乱すると、騎馬民族国家の高句麗が南下して、百済、新羅、伽耶を圧迫します。この重圧に対して、彼らは背後に憂いのない倭の軍事力をあてにするようになります。ちょうど、好太王碑文に書かれた出来事の時代です。

倭の軍団は、高句麗によって退けられることになりますが、高句麗も朝鮮半島を制圧することはできなかったわけですね。その後も、高句麗は折に触れて年かしますが、南部の国々は時には連合したり、または倭の力を借りたいして、それをしのいだわけです。

この間、朝鮮半島にもたらされた大陸の文明は、これらの地域から倭に持ち込まれていきました。倭にとっては、幸運でした。

475年、好太王の跡を継いだ長寿王が百済を潰しにかかります。都の漢城が包囲され、百済王は逃亡して多くの者たちが捕虜になりました。この時、百済の難民が、多数、伽耶諸国に流入したようです。

このあたりの時代、じつはヤマト政権側にとっても、大きな変化の時期だったようです。王権強化をはかる雄略天皇が登場するのがこの時期にあたります。最大の権力を誇った葛城氏が、雄略天皇によって滅びます。最大の子大豪族だった吉備氏が滅んだのも、雄略天皇の時代です。

代わって表舞台に登場するのが、古くから王家に仕えて支えてきた大伴氏です。のちに、大伴家持編纂とされる万葉集が、雄略天皇の歌から始まるのも象徴的です。しかし、武烈天皇で雄略系の王家が途絶えます。そこに継体天皇を擁立したのは大伴金村でした。

その継体天皇の時代、512年に、百済がヤマト政権に伽耶諸国4県の割譲を求めてきます。継体天皇を支える大伴金村が、それを容認しちゃうんですね。百済は、高句麗によって失った領土を伽耶諸国から取り戻すことになります。

百済が伽耶諸国の割譲を要求して、ヤマト政権がこれを受け入れ、これに伽耶が激怒して、ヤマト政権から離れていく。そんなことが繰り返されている中で、磐井の乱が発生しています。ヤマト政権にやり方にたてをつく磐井氏がつぶされると、新羅が東から伽耶諸国を圧迫し、やがて併呑してしまって、日本は半島への足場を失うんですね。

磐井の乱っていうのは、どうも、なにか、ただ事ではない出来事だったようです。




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『青山に在り』 篠綾子

何度か書かせてもらいましたけど、私の読書は、なんといいますか、行き当たりばったりというか、その場しのぎというか、「面白そ」って直感的に手に入れますが、実際読んでみてどうかってのは、また別なんですね。「面白そ」って感じたことに、誰も責任を負えないんです。そう、この私自身も・・・。「面白そ」って感じること自体、まったくその場限りの感情なわけですから。

いつもながら、言い訳がましい話で始まってしまいましたが、書いた人の名前を覚えてないってことなんです。そりゃ、とても有名な作家さんなら、いくら私だって忘れませんよ。・・・言い訳をすればするほど、語るに落ちるというか、馬脚を露すというか、こんな言い方をしたら、この本の作家さんが有名じゃないって様ですよね。・・・ああ、困った、困った。

ということで、この本の著者の篠綾子さんのことです。今回は、この本を手に入れたときの直感が間違ってなかったと確信したのは、読み始めて30分ほどたったころですね。だけど、そう思っても、なんていう人が書いたのかってことには、私の場合、関心が向かわないんです。ひとえに、このお話の先に進みたい一心です。

だけど、そのうち、お話の先への関心以外に、不思議な感覚を覚えたんです。「前に、この人の書いた本を読んでいる」

それが、『武蔵野燃ゆ』であったことは、まもなく気がつきました。この本は面白かったんです。鎌倉幕府が開かれたあたりの話なんです。秩父平氏から広がった各氏の地盤であるこの武蔵野は、まさに鎌倉幕府の後ろ盾であったわけです。しかし、開幕後、支配を安定させていく中で、鎌倉は、鎌倉幕府のために尽くした有力氏族を葬り去っていくんですね。比企氏も、畠山氏も・・・。

まさに、《狡兎死して走狗烹らる》 というところですね。

じっくり腰を据えて描いていけば、NHKの大河ドラマとしても十分に楽しめる話になると、確信した物語でした。そんなにも思い入れの強い作品だったのに、情けない話ですね。なんどもなんども、作家さんの名前は見てるのに、気がつかないんですからね。


『青山に在り』    篠綾子

KADOKAWA  ¥ 1,728

まっすぐ生きようとする若者たちを清冽に描いた青春時代小説のスタンダード、誕生!
川越藩筆頭家老の息子・小河原左京は、学問剣術いずれにも長け、将来を嘱望される13歳の少年。ある日、城下の村の道場で自分と瓜二つの農民の少年と出会ったところから、運命の歯車が大きく動き出す―。


なにが、そう感じさせたんでしょう。

いやいや、さっきの話。私は、この本を読んでいて、どんなところに『武蔵野燃ゆ』の人が書いた本じゃないかという感覚を抱いたんでしょう。

あらためてそう考えてみると、・・・あまりよく分からない。

共通するのは、同じ武蔵国、埼玉県のそれも中央部ですね。そのあたりを舞台にした話であるということは共通します。『武蔵野燃ゆ』は武蔵嵐山から、川島、川越あたり。今回の『青山に在り』は川越から三芳野あたり。どちらも、一様の史実を土台に、どの時代の移り変わりに翻弄されてる人々を描いています。

まあ、武蔵野をすがすがしく描いている様子と、時代の移り変わりに影響を受けながらも凛として生きていこうとする者を描いているってところだったかもしれません。

「青山あり」は、実は、「男児志を立てて郷関を出ず、学若し成る無くんば復還らず、骨を埋むる何ぞ墳墓の地を期せん、人間到る処青山あり」の方を想像してました。幕末の攘夷僧、月性の言葉ですね。熱血坊主で、吉田松陰なんかとも交流があったらしいです。この言葉も、いかにも熱血漢という感じで、ちょっと人を駆り立てすぎかな。

こちらは、「家青山に在り道自づから尊し」という言葉で、明代の孫一元という人の作った歌の一節だそうです。意味は、「今自分のいる場所を死処と思い定めていれば、その道は自ずから尊いものになる」ということだそうです。

「どこで命を落とすことになろうが、死ぬまで前向きに生きよ」

「今自分のいる場所で出来る限りのことをせよ」

今の私には、後者の方がピッタリ来ます。歳が行ったせいでしょうか。




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『「あの世」と「この世」のあいだ』 谷川ゆに

「これほどに怪しい天地の中にある、自分自身の不思議ささえ、知覚することのできない者」――江戸後期の思想家・平田篤胤は、不思議な体験を否定する人々を指してこう言った。

合理主義と科学全盛のもとで日本人が失いつつある霊性、その一方で、言いがたく身体に宿る無意識の古層……

琉球弧の島々から北海道まで、土地と人と自然の中にある神々や死者を想い、古代から現代に連なるたましいの水脈を探す。

カバーの折返しの部分に書かれていたこの本の紹介文です。平田篤胤という人は、そういう人だったんですね。”そういう人”っていうのは、生きるものに関わってくる「あの世」であるとか、自然に宿る神々の世界に関心の高い人っていうことです。彼の国学っていうのは、神代の世界を、そのまま自分の生きる時代につなげるもんだったんですね。

ただ、それを“霊性”って言葉で表現されると、私はとたんに分からなくなってしまいます。何なんだろう、“霊性”って。ただ、平田篤胤のような、あちらとの関わり方を言うんでしょうか。

ただ、なんとなく“霊性”っていうと、口の中からボワッって魂が抜け出していくような、幽体離脱であるとか、昔よくテレビに出ていた、ユリ・ゲラーであるとか、宜保愛子さんであるとか、ああいう人を思い浮かべてしまうんです。

合理主義と科学全盛のもとで日本人はその“霊性”を失いつつある一方で、身体の中には無意識の古層が宿っているとおっしゃいます。いまだにそれが色濃く残る、いわば“辺境”の地を訪ねて、平田篤胤がそうしたように、「あの世」であるとか、神々の世界を、そのまま自分の生きる世界につなげてみようという試みをつづった本ということのようですね。


新潮新書  ¥ 821

土地と人と自然の中にある神々や死者を想い、古代から現代に連なるたましいの水脈を探す
序  旅のはじまり
一  魂のふるさとに「かえりたい」……鹿島
二  「生まれ変わり」が救う個我と孤独……日野
三  生者を見守る風葬墓……与論島
四  聖地 御嶽で子供にかえる……宮古島(一)
五  「神と人間と自然の交渉」……宮古島(二)
六  湧き上がる水の力……伯父・谷川健一への手紙/水俣(一)
七  古代を宿した身体を軸に……伯父・谷川健一への手紙/水俣(二)
八  平田篤胤「幽冥界」と緑の中に滲み出す境界……秋田
九  古層の水脈につながる実践の旅……遠野
十  死者との踊りに満ちる愛……徳之島
十一  岩石も島も生き物……伊豆
十二  アイヌ「梟の神様」への手紙……北海道(一)
十三  生と死の連環する洞穴「アフンルパロ」……北海道(二)
十四  半島に吹きわたる「あゆの風」……能登
十五  「私の母様の橋」での共鳴を求めて……八丈島
後序  旅のあと


なんだか険のある物言いになってしまったかもしれません。

私の家は、埼玉県の真ん中辺にあるんですが、近くを関越自動車道が通っています。東京から30分も走ると鶴ヶ島インターチェンジ。続く東松山インターチェンジ、さらに嵐山、花園とインターチェンジが続きます。そのあたり、関越自動車道の西側は、ちょうど関東平野の終わるところなんです。まずは丘陵地帯から、奥武蔵の山塊、そして秩父の山々につながっていくあたりです。

このあたりの丘陵や低山は、もともと地元の人の生活圏で、山は人々の生活を支えるとともに、祈りの場でもあったはずです。そこは何かしら大切なものが存在する、神聖は場所だったはずです。

小椋佳さんの『俺たちの旅』っていう歌がありますね。
夢の坂道は 枯れ葉模様の石畳 まばゆく白い長い壁 足跡も影も残さないで たどり着けない山の中へ 続いているものなのです

夢の夕日は コバルト色の空と海 交わってただ遠いはて 輝いたという記憶だけで ほんの小さな一番星に 追われて消えるものなのです

背中の夢に 浮かぶ小舟に あなたが今も手をふるようだ 背中の夢に 浮かぶ小舟に あなたが今も手をふるようだ

なんのことはありません。このあたりの丘陵や低山において、夢の坂道の枯れ葉模様の石段を登ればその向こうには、・・・立入禁止の看板があって、金網の向こうにはゴルフ場が広がるばかりです。

私は、もう取り返しがつかないと思います。“霊性”という言葉には引っかかりがありますが、それが「あの世」であるとか、神々の世界とのつながりだとして、それは失いつつあるのではなく、失われたものだと思います。失われてしまった以上、かりに無意識の古層に何ものかが眠っているとしても、もはや「あの世」であるとか、神々の世界につなげることはできないと思います。

私の家には連れ合いの家のご先祖の霊のに手を合わせるための仏壇があります。連れ合いが毎日手を合わせるのを、子どもたちは見ながら大人になりました。私の実家に変えれば、私の方のご先祖に手を合わせる姿を見てきたはずです。

そういう姿を見て、何がしかを感じてくれていればと思います。

とかく、個人が大事にされる世の中です。親に攻め殺された娘さんは、あまりにも哀れです。夫からの暴力に苦しむ女の人たちもとても可愛そうです。貧困でご飯さえ満足に食べられない子どもたちは、なんとかしなきゃと思います。

いつも思います。おじいちゃんやおばあちゃんはどうしたんだって。おじさんやおばさんが面倒を見てくれたっていいじゃないかって。そんなにひどけりゃ、地域の人だって黙っちゃいないはずだって。ご先祖様がたたって出るぞって。

考えてみりゃ、全部ぶっ壊した成れの果てなんですね。

著者の谷川ゆにさんは、琉球弧の島々から北海道までをまわり、土地と人と自然の中にある神々や死者を想い、そのつながりに古代から現代にまでつながるその水脈を感じておられました。残念ながら、辺境以外では失われたものです。それは、辺境だからこそ残ったんだろ思います。その辺境にも私たちの社会の経済原則が当てはめられるなら、やはりそれも失われていくものだと思います。

・・・今日は仕事を休んで山に行くはずだったんですが、急な仕事で休みがご破産になりました。なぜか記事が投げやりになりがちなのは、そのためかもしれません。




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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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