めんどくせぇことばかり 2019年03月
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『ここから世界が始まる:トルーマン・カポーティ初期作品集』

高校のときに、映画の《ティファニーで朝食を》を見ました。

《ローマの休日》を見て、オードリー・ヘップバーンの可愛らしさに魅せられてしまい、その後、名画座にかかった《ティファニーで朝食を》を見に、いそいそと映画館に足を運びました。だけど、人生に酸いや甘いがあることさえ知らないような若造に、一四歳で結婚だ、男をとっかえひっかえだ、ゲイだ、ホモだとなると、まるで他の星の話でした。印象に残るのは、ただただ、ポスターにあったオードリー・ヘップバーンの正面からの、どこか小悪魔的でさえある魅力的な顔ばかりでした。

その後、ずいぶん経ってから、トルーマン・カポーティという人の書いた『遠い声 遠い部屋』という本を読みました。《ティファニーで朝食を》を見てから、“ずいぶん経って”とは言うものの、まだまだどっぷり大人の常識に胡座をかくところまではいけない中途半端さを残した頃でした。そのせいか、カポーティの描く少年の心のひだが、まるで自分の中にあるものであるかのように感じさせられたのです。

映画《ティファニーで朝食を》の元になる本を書いたのが、『遠い声 遠い部屋』と同じ、トルーマン・カポーティであるということは、その時ようやく知りました。

それをきっかけに、トルーマン・カポーティの書いた本を何冊か読みました。中には、私にとってはめくりたくない心のひだもあって、・・・と言うのは身につまされてしまってね。それでも、外国の作家さんで、追いかけて読んだのは、トルーマン・カポーティくらいかなぁ。


新潮社  ¥ 2,052

恐るべき才能の原点。「早熟の天才」は、デビュー前の若書きも凄かった!
分かれる道
水車場の店
ヒルダ
ミス・ベル・ランキン
もし忘れたら
火中の蛾
沼地の恐怖
知っていて知らない人
ルイーズ
これはジェイミーに
ルーシー
西行車線
似た者同士
ここから世界が始まる
編集後記 デヴィッド・エバーショフ
作品解題 ヒルトン・アルス
カポーティ略伝
訳者あとがき 小川高義
天才作家の天才的習作 村上春樹


短編集はとてもいいですよね。

カポーティがそうだったみたいで、不遇の幼少年期をおくったみたいですね。そのせいか、いつもカポーティの描く人間像は、社会の隅の方を生きてきた、あるいは生きてます。《ティファニーで朝食を》の主人公もそうだったけど、カポーティはそういう人間の心に寄り添うことができるんですね。

書き手はその人自身であったり、あるいはまた、その周辺で、その人を気にかけながら行くている存在だったりします。“その人自身”である場合、やがてくる結末を、心の何処かで必然として受け止めていて、なんでもないことにもビクつき、精神的に自分で追い詰めていってしまったりします。どこか、『罪と罰』のラスコーリニコフの屈折に似ているようなきもします。

この、『ここから世界が始まる:トルーマン・カポーティ初期作品集』 は、本当に初期も初期。なにしろ、このうちの七作はカポーティが高校生の時の文芸誌に掲載されたもので、すべたが二十代はじめまでのものだそうです。

なんか、読みながら感じた手応えからすると、まあ、短編集ですから短いんですが、本当に短いんです。一個一個の話に書かれているのは、多くが、一つの場面なんです。その場面で、どう書けば、読む者の心を動かせるのか、それを模索しているような、手探りしているような気がしました。

そうやって書くたびに、もっといろいろなことを試してみたいって、そんな時期だったんじゃないでしょうか。




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『神は詳細に宿る』 養老孟司

生きそびれないようにすること

情報化社会と言われるけど、「情報とは、すなわち過去である」と、養老さんの言われる通りです。その朝配達された新聞を読んで、朝食の時間帯のNHKのニュースを聞いて、新しいなにかを自分のものにしたように感じるけど、それは全部終わったことばかりです。その上、情報を流す側が、その情報を流そうとした段階で、その情報は情報を流す側によって選択されています。

すでに終わってしまっている事柄の中から、他人によって選び出された情報を与えられている私たちです。それは、自分の生きる指針とできるようなものとは違います。

じゃあ、なんなんでしょうね。自分らしく生きるっていうのは。

養老さんは、“真に生きる”という言い方をしています。「それは案外難しい」とも。そりゃそうかな。過去に起こったことの中から人に選んでもらった情報を与えられて、「だいたいこんな生き方でどうでしょう」ってところに合わせて生きていけば、まあ、大きな間違いではないでしょうというところなんでしょうか。

大きかろうが小さかろうが、間違いは間違いですからね。大きく間違ってれば開き直ることもできるけど、小さな間違いではそれもできません。あとは「これでいいのだ!」って、バカボンのパパ風に誤魔化すしかありません。「真に生きていない」としても、・・・です。

それが、私にしたところで「真に生きてはいない」ということなら、私は仕事人生三六年の後ろ半分は、真に生きてはいませんでしたね。

自分に向いているという確信があってこの仕事についたわけですが、往々にしてそうですが、仕事のほうが変わっちゃうってことがあるじゃないですか。

変わりました。とっても、変わってしまいました。なにしろ、本気になっちゃいけないって言うんですから。


『神は詳細に宿る』    養老孟司

青土社  ¥ 1,512

私たちはこれからどこへ向かうのか? ニヒリズムに陥らないための現代社会の手引き
1 煮詰まった時代をひらく
2 世間の変化と意識の変化
3 神は詳細に宿る
4 脳から考えるヒトの起源と進化
5 「科学は正しい」という幻想
6 面白さは多様性に宿る
7 虫のディテールから見える世界
8 ファーブル賛歌

私の職場は“高校”でした。学校という組織の中で三六年間仕事をしてきました。

学校で行われることはシステム化されていて、生徒が変わっても、教師が変わっても、毎年、同じようなことが行われていきます。人が変わっても、学校自体は同じ形で存続していくんですね。

大概のことはマニュアル化されていて、それを見て、読んで、理解できる人間なら、誰がやっても昨年、一昨年と同じような事が行われていくんです。最近の教師で、それを見て、読んで、理解できないのは、まずいません。子供の頃からそういうふうに訓練されてますからね。

だけど、子どもの方は、まだまだいびつな奴もいて、そういう子どもは教師から嫌がられます。嫌がられた子どもは、できる限り当たり障りないように対応されて、できる限りベルトコンベアーにのせたまま、出っ張りを少しずつ削って矯正します。

養老さんの言う“具体的な事物”、ここではその他大勢と違う“具体的な一人”ですね。本来、“具体的な一人”は時を超えて同じであることはできない、諸行無常です。諸行無常はシステムを崩壊させてしまうんですね。・・・あぶない、あぶない。

《金にもならなきゃ、GDPも増えない。傍で見ている私は、あいつらは馬鹿じゃないかと思うのだが、本人たちは嬉しくてしょうがないのである》

そう、養老さんが言っているような生き方は、少々、いびつなくらいじゃないと、ちょっと難しいんでしょう。

せめて、此処から先の人生は、生きそびれることがないように、やっていきたいもんです。




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『変見自在 プーチンよ、悪は米国に学べ』 髙山正之

まったく、またやってしまいました。

なんというのか。子供の頃に、あんまり落ち着きが無いので、学校の先生から「医者に見てもらった方がいい」って言われちゃったんです。もちろん、母がですよ。母は、またなにを言われるかわからないから、祖父母には内緒で、こっそり私を医者に連れていきました。

症状としては、《人の話をまったく聞かない》、《指示に従わない》、《忘れ物の王様》ってところなんですが、何か一つのことに心が囚われると、他のことがまったくお留守になっちゃうんです。

今ならアスペルガーなんでしょうが、当時、もし病名をつけられるようなことがあったら精神薄弱か、知恵遅れですかね。でも、「そのうち落ち着きますよ。高学年になっても変わらなかったら、また来てください。あんまり思いつめないように」って医者は言ったみたい。

“そんな子を生んだ”とか、“親の躾がなってない”なんてことになったら、母は大変です。母からよく、言い諭されて、父や兄たちにも協力してもらったみたいで、一生懸命いい子にするように努力して、ずいぶん良くなったんです。でも、なにかに夢中になっちゃうと、それを中断するのは、なかなか難しかったですね。

この間、本屋さんに行って、この本を見つけました。「あっ、髙山さんの本だ」。その題名から、「まだ読んでない」って思ったら、そのまま買っちゃいました。ちょっと、ペラペラしてみれば、すぐ分かったはずなのに。

この本は、二〇一四年に出された『プーチンよ、悪は米国に学べ』を改題しただけのものでした。それも、加筆修正とかのない、純粋な改題みたいです。私って、・・・

二〇一四年、この本を読んで、どんなブログを書いていたのかというと、・・・。

ということで、使いまわしです。・・・あっ、本そのものは今のものにしておきました。文庫になって、五〇〇円ちょっとで、お安いですからね。


新潮文庫  ¥ 529

ウソが蔓延る世の真実を明かす人気コラム。『プーチンよ、悪は米国に学べ』改題
はじめに 平気でウソを書く新聞に騙されるな
第一章  世間は今日もウソばかり
第二章  米国人はどこまで下劣か
第三章  新聞では正しいことは学べない
第四章  米中が接近するのも頷ける
第五章  日本人は世界一


題名にもなっている『プーチンよ、悪は米国に学べ』は第五章に含まれてます。ウクライナがEUにすり寄るなかで、黒海の要衝クリミアが住民投票でウクライナからの分離独立を求め、希望するロシアに併合されちゃいました。

スターリン時代にいじめ抜かれたウクライナへの、クリミアはフルシチョフからのプレゼントであったという。ウクライナがEUにくっつきたいなら、クリミアは置いて行けと、その程度の話。アメリカが、メキシコからテキサスをかすめ取ったやり方に比べれば、プーチンが聖人にさえ思えるくらいですね。
一八二〇年代、メキシコ領テキサスははコマンチやアパッチの土地で、緑豊かでバイソンが群れていた。

メキシコ系住民は一万にもみたず、メキシコは米人の移民受け入れに積極的だった。条件は順法と反奴隷制。十年後、米系入植者は三万を越え、おまけに五千の奴隷を持ち込み、税も払おうとしない。

サンタアナ将軍は約束を守るよう軍を送ったが、待ち伏せされ兵士を殺された。

米系入植者は住民投票を行って独立を宣言した。サンタアナ将軍は自ら兵を率いて最前線のアラモ砦を攻めた。二週間の包囲戦で立てこもる三百人の米人を殺害した。アラモ全滅を待って、米国は正規軍からなる義勇軍を派遣した。めでたくテキサスはメキシコから分離独立して、すぐに米国に併合された。

この後、米国はハワイを盗みとっていくわけです。んで、《リメンバー・アラモ》は、《リメンバー・メイン》になって、メキシコからキューバやフィリピンをもぎ取っていくわけです。そんでもって《リメンバー・パールハーバー》っとね。・・・んんん、やっぱりプーチンは聖人かもしれませんね。・・・もちろん、アメリカに比べればね。そう思えるくらいに、アメリカは汚いことをやってきたってことです。

支那人を犠牲にアヘンで稼いだデラノ家の血を引くF・D・ルーズベルトがいい人ぶって蒋介石に香港を返還させようと英植民地相のオリバー・スタンレーに掛け合ったという話が本書のなかに出てきます。

「香港は中国から対価を払ってお買いになったわけではないですね」と返還をほのめかしたルーズベルトに、スタンレーはこう答えたという話。「はい、米国がメキシコの領土半分を奪った頃でしたか」・・・、ちょうど上記の話ですね。

そうそう、たまげたよ~❢❢ こんなにたまげることもめったにないくらいにね。それは、以下の記事。
時事通信 2014/12/15
過酷な尋問「ちゅうちょせず」=日本の戦犯と比較は侮辱―米前副大統領
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2014121500457
(抜粋)
司会者はこの中で、米国はかつて第2次大戦中に水責めを用いた旧日本軍の将兵を戦犯として裁いたと指摘。チェイニー氏は「彼ら(旧日本軍)は水責めだけでなく多くのことに手を染めた。司法省が拷問には当たらないと判断した(CIAの)水責めと、(米兵多数が死亡した)『バターン死の行進』や南京略奪(南京事件)などを道徳的に同じ地平で論じるのは侮辱だ」と反発した。

チェイニーはモノ知らずらしから教えてやりましょう。日本軍はそういう真似はいたしません。そうに違いないと思うのは、米軍にこそそういう体質があるから。バターン死の行軍? 女の子のハイキングでもこのくらいは歩きます。ちょっと長い目の遠足程度。“死の行軍”?ちょっとみんなで行ってみましょうか。多分恥ずかしくなるはずです。これで、“死の行軍”とはね。あっ、私はダメだけどね。足がいかれているから、十分歩くと壊れちゃう。
そうか、二〇一四年の私は、まだ手術前で、股関節の痛みを抱えていたでした。今の私なら、“バターン死の行軍”なんて朝飯前ですね。

それから、チェイニー米前副大統領のほら話の新聞記事は、もう消えちゃいました。




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『作り込まない作りおき』 ワタナベマキ

ワタナベマキさんの《わたし流作りおき》は、「旬のものを切って塩もみするなど、簡単な仕込みをしておくだけ」ってのは、本当なんです。

今朝、みそ汁を作ろうと野菜室を探っていると、・・・トマトが二個残ってるんです。先日、トマトとサバ缶のスパゲッティを作ったときに二つ使って、残りは一個と思ってたんですが、・・・それが二個。今、トマトが安く出てるんで、連れ合いが買ってきたのが残ってたみたいです。

みそ汁に使っちゃってもいいんだけど、今日のみそ汁は、たらとアスパラとしめじのみそ汁に決めちゃってるし、・・・そうだ。
ということで、この『作り込まない作りおき』の出番です。これの最初の方に、「フレッシュトマトソース」がありました。トマトを一センチ角に切って、玉ねぎのみじん切りと一緒にして、塩とオリーブオイルによく混ぜ合わせるだけなんです。「他の料理の片手間に・・・」ってワタナベマキさんが言ってるとおりです。みそ汁の片手間にできました。トマト
レシピには、完熟トマト五個、玉ねぎ一個とありますが、トマトは一個、玉ねぎ小さいの半分です。もちろん適当です。
『作り込まない作りおき』   ワタナベマキ

KADOKAWA  ¥ 1,490

切って塩もみしたり、マリネしたりという簡単さで、他の料理にアレンジがしやすく
野菜とキノコの作りおき
肉・魚・卵の作りおき
乾物の作りおき
自家製調味料


おとといの夕食に、連れ合いがポテトサラダを出してくれました。ポテトサラダを作る時、連れ合いは必ず多めに作って、あとでサンドイッチにするんですね。そのポテトサラダが残ってるので、今日の昼はサンドイッチにしようと言ってたんです。

まさに渡りに船とはこのことで、このフレッシュトマトソースも、そのときのサンドイッチに使ってしまおう。パンはバケットにして、にんにくバターつけて焼いて、その上にポテトサラダやフレッシュトマトソースをのっけて食べるようにしよう。ってことで、私はもう、ワクワクです。
バケットは、山に行くとき持っていこうと思って買っておいたやつ。山用は、また買いに行けばいいや。にんにくバターをつけて、オーブントースターに入れて三分ほど、カリカリに焼いて、フレッシュトマトソースを乗っけて、・・・できた!トマトパン
うまいー!

《ちょこっと残った野菜を塩でもんでおく、サッと茹でてオイルでマリネする・・・。忙しい日々の合間に「これをしておくとごはん作りが楽になるから」と自然に習慣になった》

そういうことで始まった、“常備菜一歩手前のスタンバイ食材”なんだそうです。上で紹介したフレッシュトマトソースにしたって、本当に簡単です。本の中ではパンにつけるのは紹介されてません。紹介されているのはトマトの冷製パスタなんですが、これもうまそうです。

でも私の頭に浮かんだのは、そうめんです。少しめんつゆを足して、そうめんとあえて食べる。もう少し暑くなったら、ぜひやってみたい。

長ネギのポン酢しょうゆづけが紹介されてますが、私以前からねぎ味噌ならぬ、ねぎ醤油を作っておりまして、ずっとねぎと醤油を継ぎ足し継ぎ足ししています。冷奴はもちろん、魚や肉にも合うんです。

塩キャベツ、塩もみなす、塩もみ大根。・・・いや、これ作っておくと、本当に良さそう。なにしろ野菜を余さず食えそうなのが嬉しい。




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『知っておきたい教科書に出てくる故事成語3』 全国漢文教育学会

この本は、インターネットで買っちゃったんです。

「買っちゃった」っていう言い草はないですね。“買いました”。副題に、『歴史から生まれた言葉』とあったもんですから、ついつい衝動的に、“ポン”ってことです。

衝動的に“ポン”といえば、ただ一度の“ポン”で、滝のような冷や汗を流したことがありました。ただのビギナーズラックだった大穴馬券を自分の博才と勘違いした私が、JRAの電話投票権を手に入れて、今に比べるとばかに大きなノートパソコンを購入し、パソコン通信で馬券を買い始めた頃の話です。

当時は、とにかく穴馬を見つけて、倍率の大きな馬券ばかりを狙っておりました。データを収集し、いろいろな角度から光を当てて穴馬探しに奔走しました。いろいろな本を読んで、血統にも関心をもつようになっていきました。そこまで深入りするのは、もう少し後のことなんですが、ことはパソコン通信で馬券を買うようになった間もなくのことでした。

そんな傾向の馬券購入でしたので、どうしても堅い馬券を買う仲間を鼻で笑うようなところがあったんです。何年だったか、すぐ出てきませんが、菊花賞でビワハヤヒデが買ったレースです。その菊花賞には期待できる穴馬がいたんです。単勝三〇倍を超えるステージチャンプという馬でした。私はステージチャンプこそ、世代一番のステイヤーだと信じ、三〇〇〇メートルの菊花賞こそ本領発揮の場と、大勝負に臨みました。

私は、ステージチャンプに一〇万円と入力し、“ポン”です。もし来れば今までにない大儲けです。大金持ちジャー。とんでもない、「取らぬ狸の皮算用」でした。その“ポン”の直後、おかしな違和感がありました。・・・数字が違う。私がステージチャンプのつもりで打ち込んだ数字は八番(実際には何番だったか覚えてません)。競馬新聞でステージチャンプの馬番を確認すると、・・・なんと一二番(実際には何番だったか覚えてません)じゃありませんか。

なんの勘違いだったか、今はもう思い出せませんが、とにかく違う馬券を買ってしまいました。「ええっ、じゃあ、八番は?」・・・八番は、一番人気のビワハヤヒデでした。ビワハヤヒデは、単勝二倍ちょっと。当たれば二十万になりますが、・・・。もちろんその瞬間から、ビワハヤヒデ応援団です。これまで自分が鼻で笑ってきた、堅い馬券を買って大騒ぎする人物になっておりました。

レースが始まると、好位差しのビワハヤヒデの安定したレース。にもかかわらず、この緊張感はなんでしょう。堅い馬券に大金を突っ込むことの恐怖が、ようやく、この時わかりました。さらに、四コーナーでは前の馬を捕まえにかかって直線に、ってところで、なんだか後ろからすっ飛ばしてくる馬がいます。ステージチャンプです。「く、く、く、来るな-」

結果からすれば、ビワハヤヒデの圧勝で、突っ込んできたステージチャンプは二着止まり。この時から、堅い馬券をばかにするよう
なことは、絶対にしないと誓いました。・・・一体何をくだらない話をしてるんでしょう。



汐文社  ¥ 2,367

語彙力アップのために、おぼえておきたい故事成語。基本的な表現、意味や出典を紹介
臥薪嘗胆
漁夫の利
鶏鳴狗盗
捲土重来
呉越同舟
虎穴に入らずんば虎子を得ず
ほか

そうでした。この本を、インターネットで“買っちゃった”話でした。

この本、小中学生向けの本でした。全国漢文教育学会というところが出している本ですね。「我が国の漢字漢文教育の充実発展をはかり」っていう団体のようです。研修会のテーマっていうのを見たら、なんだか結構面白そうです。湯島聖堂や二松学舎でやってて、一般でも参加できるみたいですね。

とりあえず、この本は、『知っておきたい教科書に出てくる故事成語』というシリーズの三冊目。1が《生き方を考える言葉》で、2が《学びを深める言葉》で、この3が《歴史から生まれた言葉》ということになります。

3の《歴史から生まれた言葉》で紹介されているのは、一四の故事成語。それぞれ、今の小学生や中学生の立場でも分かりやすいように、「こういうケースで使う言葉だよ」って、その故事成語が使われる現代的な場面が紹介されてます。もちろん、出典も分かりやすいです。

《四面楚歌》の、小中学生にも分かりやすい現代的な場面花んだと思います?
さくらさんはスポーツ観戦が大好きで、いつかお気に入りのチームの試合を会場まで見に行こうと思っていました。夏休みにお父さんに頼んでチケットを取ってもらったさくらさんは、期待で胸が一杯になりながら試合会場に向かいますが、そこで大変なことがわかりました。なんと、お父さんが取ってくれたのは相手のチームの応援席だったのです。

当然、周りにいるのは相手チームのファンばかり。お気に入りのチームを応援するわけにもいかず、さくらさんはがっかりしながら試合を最後まで見たのでした。

息子が学生の時、東京ドームでアルバイトをしていたんですが、巨人阪神戦で、阪神応援席側の係になると、帰ってからの話の面白かったこと。もしもその中に、巨人ファンとして紛れ込んだりしたら、本当に無傷では帰れそうもないと言っていました。

今思うと、これらの言葉は、やっぱり子供の頃に頭に入れておくのが良いですね。




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『物語を忘れた外国語』 黒田龍之助

司馬遼太郎が懐かしいな。

明治維新や戦争の時代の捉え方に異論を呈されることもありますが、時代と人の関わりを書かせたら、とにかくうまくて、多くの人を歴史に惹きつけました。

昔からちょこちょこ読んでたんですが、肺気胸で入院生活を強いられた三五歳の時、連れ合いに図書館の司馬遼太郎全集を第一巻から借りてきてもらって読み始めたら止まらなくなって、五十数巻ある全集を全部読んでしまいました。『胡蝶の夢』はその時に読んだんだと思います。

まあ、幕末青春群像って言えばいいんでしょうか。主人公といえば、医の道に生きる松本良順ということになるでしょうか。ただ、良順を描くのがこの物語の主題じゃなくて、なんて言えばいいんでしょう。本当の主役は、“時代”の方って言えばいいんでしょうか。

この物語の主な登場人物として、良順に並んで書かれているのが、蘭方医の関寛斎、もう一人が語学の天才である島倉伊之助でした。その時は、「はあ、ここまでの語学の天才ってのが、本当にいるんだ」って思ってました。

でも、本当にいたんですね。そして、今も。

この本の著者の黒田龍之助さんという方は、まさにそうでしょう。もともとが、ロシア語の先生みたいですね。大学で教えるだけじゃなく、テレビやラジオをロシア語講座をやってる人だって言うんだから、それだけですごいです。

ところがそれだけじゃなくて、英語の先生としても大学で教えてて、ウクライナ語やベラルーシ語の参考書を出していて、フランス語、イタリア語、ドイツ語に関するエッセイを書いていて、チェコではチェコ語で公園をしたっていうんですよ。ボ・ボヘミアン。

「読むならウクライナ語が楽で、小説に限って言えばフランス語のほうが親しんでいる。旅行会話ならイタリア語、セルビア語、クロアチア語に根拠のない自信を持っている」というのは自慢なのか。

こういう人は、伊之助同様、“天才”ということにしておきましょう。そうでもしないと、最近、日本語すら危うい感じの時分が惨めになります。


『物語を忘れた外国語』    黒田龍之助

新潮社  ¥ 1,728

いつもかたわらに物語を。小説や映画と一緒なら、語学はもっと面白い!
犬神家の英文講読
ボッコちゃんの動詞活用
横道世之介の和仏辞典
細雪のウクライナ語?
砂の器の日本語の器
スウェーデン語の謎
モルバニア国へようこそ!
エストニア語行き星の切符
マイ・フェア・言語学者?
太陽系共通語のルーツ
ほか


外国語ができる人には、できない人間にはない世界の広がりがあって、その分、人生の楽しみっていうのも、自然と豊かになっていくようですね。

自分が日本語で読んで親しんだ本が、外国語に翻訳されて出版されていて、それを読む機会があるなんて、面白そうですよね。いまさら私が面白そうだなんて言ったって、もうどうにもなりませんけどね。

黒田龍之助さんがチェコ語での講演を依頼された際、今ひとつ自信の持てないチェコ語に慣れるために読んだのが、少年の頃から好きだった星新一だったそうです。こういう楽しみがあるなんて、羨ましいですね。

そのうち仕事でも必要になるらしくって、息子なんかはTOEICっていうんですか。いい点数を取るためにいつも勉強をするようにしているようですけど、黒田さんは、そういうのには馴染めないっていうんです。「日本の外国語学習は体育会系だ」って。

「TOEIC対策問題集とか、およそつまらない教科書を使っている。そういうものが推奨される不幸な時代である」ですって。

そういえば、福沢諭吉はアメリカに行って、女をナンパしてましたね。

黒田先生は面白い映画やドラマを見たあとで、その原作を読むんだそうです。映画やドラマをDVDで何回も繰り返してみて、その上で原書を読むんだそうです。分からないところがあったら、どうすると思います。分からないところがあったらね、読み飛ばせばいいんだそうです。

「テストをされるわけでもなければ、邦訳を出版するわけでもない」って。自分が楽しめればそれでいいってことですね。

しかも、先生は、それを仕事としてできるってことを、喜んでおられます。楽しめればそれでいい。・・・確かに体育会系ではないですね。

私、語学はさっぱりですが、面白いエッセイ集でした。




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早春の奥武蔵 風は冷たかったけど

高校生を連れて、奥武蔵を歩きました。

東飯能駅を集合場所にして、西武線で西吾野に向かいました。天気は絶好ですが、冬に逆戻りしたような寒さです。パノラマコースから高山不動をめざします。
西吾野駅から登山口へ

ここ二年間、高校生と奥武蔵を中心に歩いてきましたが、すごく人気のコースであるにもかかわらず、高山不動から関八州見晴台、傘杉峠、顔振峠といったコースは歩いていませんでした。

パノラマコースで高度を上げていって、三〇分位のところから急登が始まります。一五分位でしょうか。そこから少し平坦なところを歩くとお地蔵さまです。お地蔵さまで小休止を取って高山不動に向かいました。 
パノラマコースから上がってお地蔵さま お地蔵さまで小休止
高山不動への道

相変わらず高山不動のお堂はでかい。迫力があります。朝が早くて忙しかったので、ここでトイレを借りました。トイレは穴に落とすタイプですが、それでもきれいにされていて、快適でした。ありがとうございました。 高山不動

高山不動では人にあいませんでした。その後、関八州見晴台に登ったら、ずいぶん人がいました。関八州見晴台に来たのなら、高山不動にも寄っておいた方がお得です。不動明王に高校生たちの将来をお願いしましたが、高校生たちは自分の将来にあんまり関心がないみたいです。・・・信心がないだけでしょうか。

関八州見晴台からの景色は最高でした。ご飯を食べたあとで、一年生の人たちを呼んで、そこから見える山を教えてあげました、いつか登れるといいねって。中でも口に出すのもはばかられるあの名前。・・・富士山ですね。白くて神々しかった。 関八州から富士山

 関八州から武甲山と両神山

高山不動奥の院  

ここから顔振峠に向かう道は人気の道ですね。そのまま日和田山までいけば、ゴールデンルートですね。今日もずいぶん多くの人に道を譲りました。そのわりに、譲られることは、あまりありませんでした。

舗装道路では歩いている人、走っている人、自転車の人、バイクの人、車の人、・・・みんな楽しそうですね。良かった、良かった。
傘杉峠へ 

春

奥武蔵・奥多摩・丹沢の山並み 
上の写真は、顔振峠の少し北側の舗装道路から南西方面の山並みを撮ったもの。

顔振峠の雨乞塚から諏訪神社へはピンクテープの怪しい道を進んだんですが、一年生君たちも頑張って道を探してくれました。 下の写真は、顔振峠の雨乞塚から東、関東平野方面を撮ったものです。顔振峠雨乞塚より

諏訪神社でお昼を食べて、先に進みます。越上山は時間の関係で山頂をカットして、ここからは人気のルートを離れて、一本杉峠、貝立場から毛呂の阿諏訪に下山します。 一本杉峠へ

一本杉峠

あまり人のいないコースだけに、みんなでおしゃべりして、冬眠明けのくまさんに鉢合わせしないようにしましょう。里の近くまで来たら、登山道のど真ん中に異常にぶっというんこがありました。私はあんなのしたことありません。

貝立場から阿諏訪の中間点あたりに、下の写真の苔地蔵があります。一見の価値ありです。機会があったら、ぜひ!
苔地蔵

阿諏訪に下山したました。ここが花でおおわれるのは、おそらくあと二週間くらいかな。その頃また来ます。 登山道終了

八坂神社


ここから毛呂駅までは四五分くらいだったでしょうか。この日歩いたのは、以下のようなコースです。西吾野駅~毛呂駅 地図




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『死生論』 曽野綾子

ずい分前だけど、西部邁さんの『死生論』という本を読みました。

題名に、そのまま“死生”という言葉がついていると、なんだかやっぱり異様です。死んだ人が“死生”を見つめると、主に“生”を見つめることになるんでしょうが、生きている人間が“死生”を見つめると、それはやはり“死”を、余分に見つめることになると思うんです。

西部さんの本も、しっかり意識に残ってるわけじゃないんですが、“死”をどう捉えるかという本だったように思います。一九九四年の本ですね。私は個人的に悩み多い頃だったんですが、本音を言うと、“死”を考えるというのは、個人的には怖くて嫌なんですが、当時、話題になっていた、がんの告知、尊厳死、脳死、臓器移植について、西部さんの考えを知りたくて読みました。

だけど、それらのことよりも、記憶に残っているのは、この本の中で、西部さんが自殺を意思的な死として、肯定していたということです。そして、その考えの通り、西部さんは二〇一七年に、意思的な死を実行に移して亡くなりました。

曽野綾子さんは、西部さんのように、自分の意識で死を選び、それを実行に移すということはないでしょう。キリスト者ですからね、曽野綾子さんは。でも、ずいぶんと“死”に近寄りすぎているように思います。

ちょっと、心配です。

長い高校での教員生活の中で、何度か生死に関わる問題に遭遇しました。それらの中で、二人ほど、“死”に、自分から近づきすぎた生徒がいました。近づきすぎた理由は、いじめであったり、容貌に関する劣等感であったり、複合的なものだと思います。だけど、いったん近づきすぎた“死”に、その子たちはとらわれて、逃れられなくなっちゃったんです。

一人の子は卒業しましたが、“死”にとらわれた生活からようやく抜け出すことができたのは、高校を卒業して一〇年も過ぎてからのことであったようです。もう一人は、高校を卒業する前に、自分でけりをつけてしまいました。

『死生論』 曽野綾子

産経新聞出版  ¥ 1,080

人間には自分が果たすべきだった任務を果たして死ぬという大きな使命がある
①  途方もない解放
②  人間の弱さといとおしさ
③  「不便さ」の効用
④  善良で最悪な社会
⑤  どこまでが「ひとごと」か
⑥  スローモーションの生き方
⑦  危機に学ぶ
⑧  職業に適した年齢


《少人数の特殊部隊が目的を果たして基地に帰投した場面で、最後の場面は立った二つの言葉で締めくくられていた。「ミッション・コンプリート」(任務完了)という意味だ。私はこの簡潔な表現に思いがけず感動した。私が死んだとき、誰かが私の胸の上に、手書きで書いたこの言葉を載せてくれないかと思う。人間の任務は、キリスト教の私から言うと、神から与えられた任務だ。どんなに小さなものでも、汚れたものでもいい。神からの命令はどれも重く、深い意味がある》(p56)

《人間として生まれたかった魂は他にも数限りなくあって、「私」はその中の途方もなく幸運な一人だった、という説を読んだことがあるが、そうした現世に生きているうちには分からなかったカラクリが、生死の境目に、一瞬にせよ明確に見えたら、それはまた途方もないドラマに立ち会えることになるだろう。私は現世の一部を味わって生きた。しかし真実の意味は、少しも分かっていなかったとも思えるのである》(p62)

《物が多いのは、要るものと要らないものとの仕分けができていないからだ。私は昔より少しそれがうまくなった、と思ってはいる。死に際になったら、もっと瞬時にそれができるようになる筈だ。ならなくても、すべては要らないものになる、ということが分かる。人間に生きる時間が与えられているということは、そんな単純なことさえまだわかっていないからだ。だから自殺はいけない》(p80)

っていうような具合なんです。曽野綾子さんはキリスト者ですからね。自殺なんてしないと思います。だけど、ご自身の命の終わる瞬間を、「楽しみにしている」というか、「心待ちにしている」ってのは、何だか間違いないように思えるんです。

今生きていることよりも、やがて死ぬ時を心待ちに生きるって、今の私には、とてもその心境にはなれそうもありません。私は死ぬその直前まで、明日はそんな面白いことをやろうか考えている方がいいです。




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『がんに打ち勝つ「命の野菜スープ」』 髙橋弘

たしかに、この手の本はたくさんありますよ。

かつて、股関節痛の痛みに苦しんでいる頃は、本屋さんでも、図書館でも、古本屋さんでも、少しでも関係している本があれば、すぐに買って、手に入れて帰りました。なかには、たしかにひどい本もありました。そう、「こっちの弱みに付け込んで・・・」って思うような本です。そういう本に腹が立っても、また関連している本があれば、手に入れました。

母が脳溢血で倒れたのは、私が三五歳のときでした。この頃は、足の痛みで山をやめるかどうかって頃でした。「今年の夏山はどうしよう」なんて考えてた六月のことでした。

急を聞いて駆けつけると、母はピーコン、ピーコン言ってる機会をつけられて寝てました。手術が難しい位置で、「出血した血が散ってくれるのを待つしかない」と言われました。

実は、今、振り返ってもあまり良く覚えていないんですけど、かいつまんで言うと、母は、医師が諦めかけた頃に目を覚ましたんです。左だか、右だかが動かなくなりましたが、気持ちも前向きになって、リハビリを始めたんです。ですが、母は結局、八月の終わりになくなりました。いったん、回復を喜んでいただけに、衝撃は大きかったです。死因は胃がんでした。がんは体中に転移していて、脳溢血もその影響ではなかったかと言うことでした。

気づいてやれなかったどころの話ではなく、三五歳にもなって、まだまだ心配ばかりかけている甘ったれでした。

パーキンソン病を患っていた母は、薬を飲んでいまいたが、父の話では、あまり医師の診察を受けたがっていなかったようなんです。カーテン一枚で、医師の声が筒抜けの当時の医院では、母の病が近隣の人の口にのぼることを防げず、医師にかかること自体を嫌がったそうです。気がついたときには末期がん、しかも、そこからはひと月も持ちませんでした。


アスコム  ¥ 1,404

日本きってのガンの名医が考案、治療の現場で患者さんが飲んでいる「命の野菜スープ」
第1章 免疫力アップ!血管も若返る!がんに打ち勝つ「命の野菜スープ」の作り方
第2章 「命の野菜スープ」でがんにならない体を手に入れる!
第3章 「命の野菜スープ」で体が変わった!
がんに負けない体、健康な体を手にした体験談
第4章 がん予防だけじゃない!
あらゆる生活習慣病を遠ざける「命の野菜スープ」の底知れぬパワー
第5章 これが決定版!がんを予防し健康に過ごすための生活習慣!


私は、股関節変形症による足の痛みで、山を始めいろいろなものを諦めていき、徐々に人と同じことができなくなっていく中で、ようやく、少し人の気持ちが理解できるようになったような気がします。それまでの自分ときたら、今考えると恥ずかしくなるようです。なんにも分かってなかったです。・・・母のことも。

現在の私はと言えば、五六歳で手術を受けて、諦めてきたものを、少しずつ取り戻そうという今日このごろです。酒が好きなこともあり、それ以外のところでは健康に気を使っています。ですが、こういう本を読んでいるからと言って、なにも、自分が長生きしたいわけじゃないんです。長生きしたいと考えるとか、考えないとかじゃなく、死ぬときまでやりたいことをやっていきたいと思っているだけです。

これまで厳しい時を支えてくれた連れ合いと一緒に、やりたいことをやっていきたいということですね。連れ合いの母は、三〇代で乳がんを患っていて、連れ合いも常々警戒しています。

母に関して言えば、心配のかけっぱなしで、逆に死期を早めてしまったかもしれない私です。今はただひたすら、連れ合いに元気でいてもらいたいです。できるだけのことはしたいです。

この間のみそ汁の本もそうですが、この本もそう。私も、健康の要は食であると思っています。しかも、野菜です。

「命の野菜スープ」は、すでに一週間続けています。朝はみそ汁にしてますので、夜の食事のときに、まず、「命の野菜スープ」をいただいてます。

めんどう?・・・めんどうではありますが、これからの私には、いくらでも時間がありますので・・・。



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『からだのことば』 立川昭二

時価の本で、何度も記事を書くのは、なんだか恥ずかしいですね。

ただ、先日は、あとになにを続けようか悩んでいるうちに、わけがわからなくなって、中途半端なままでブログにさらしてしまいました。だけど、なんと言ってもいい本ですので、古本屋や図書館で目にしたら、ぜひ手にとっていただきたくて、恥を忍んでもう一度取り上げます。

著者の立川昭二さんは、今の若い人たちが“身体感覚”を失いつつあることを、心配してらっしゃいます。今日、「からだことば」が消えていきつつあるのは、その言葉にある“身体感覚”に共感することができていないということのようなんです。理解できないと、そういうことのようです。

雑誌『広告批評』が、《からだことば体力検定》と銘打って、若い人たちのからだことばの理解度を調べたことがあるんだそうです。以下に、それぞれのことばの正解率を紹介します。

《尻が長い》二九.六%
《尻をまくる》八.五%
《舌を巻く》四二.三%
《足が出る》五二.一%
《目から鼻に抜ける》一六.九%

んんん、分からないんですか。この程度の言葉が。

そういえば、私はどうやって、これらの言葉を身に着けたんでしょう。なんだか、当たり前の言葉過ぎて、なかなか思い当たりません。読書だったら、今の若い人たちだってしてるでしょう。

《身体性を失いつつある時代そのものの空気》というものを、立川さんは問題視されています。その、“時代の空気”って、一体何でしょうか。

飛躍のように思われるかもしれませんが、私は世代間の断層だと思います。今の日本には、世代間の断層があると思います。なぜ、世代に断層が生じたのか。やはり、家が崩壊したことが、大きく影響していると思います。

二〇代までは、ただただ、煩わしいだけだった“家”だったり、“地域”だったりでしたが、その“家”だったり“地域”だったりが果たしていた社会的な役割は、実はとてつもなく大きかったんだと思うんです。それを戦後の民法学者さんたちが、寄ってたかってぶち壊して、個人を“家”や“地域”から解放しちゃったんです。


早川書房  ¥ 時価

身体観をはらんだ「からだ」に関わる言葉から日本人像を浮かびあがらせる快作
第1話 からだことばが消えていく
第2話 「腹がたつ」「頭にくる」「むかつく」
第3話 「腹」と「胸」、神経とストレス
第4話 「気」と「息」、からだといのち
第5話 「肌感覚」と「皮感覚」
第6話 「肩」の心性史
第7話 「足」の文化、「腰」の文化
第8話 見る、視る、観る、診る、看る
第9話 聞く、聴く、訊く、効く、利く
第10話 ふれる、なでる、抱く、包む
第11話 ピアノをひく、風邪をひく、汗がひく
第12話 「からだ」「肉体」、そして「身体」
第13話 身のこなし、身にしみる、身をまかす
第14話 「気持ちいい」生き方
第15話 「疲れ」社会、「痛み」人生
第16話 ことばの治癒力
補講 作家とからだことば

高校生あたりまでの学校に通っている子どもが、いじめを始め、なにか命に関わる事件を起こしたりする嫌な出来事が少なくありません。そのたびに先生方は、「命の大切さ」がどうのこうのと始まります。お定まりの言葉ではありますが、そう言われては、反論はできませんです。だけど、先生方の努力も虚しく、同様の出来事はいっくらでも繰り返すんです。

本気で関わろうとしないから、・・・って言ってしまっては先生方に申し訳ないけど、先生方が子どもたちに本気で関わろうとしたら、そのうち首になっちゃいますから仕方ありません。

“地域”も関われません。連れ合いと一緒に歩いているときに、バンバン空ぶかしするうるさいバイクが来たので、「うるせぇな!」って言ったら、連れ合いに怒られちゃいました。“家”はどうでしょう。だめですね。私たちが子供の頃のような“家”は、もうありませんからね。

今の子供は、本気で関わってくれる大人が、あまりに少ないんじゃないでしょうか。本気で関わってくれる人を通して、私たちは“身体感覚”を身に着けていくんじゃないでしょうか。人に関わるって、たしかに本当にめんどくさいものです。だけど、それを通して、私たちは“身体感覚”で社会を成り立たせていたんじゃないでしょうか。

“肌”という言葉に関わる考察が面白かったんです。現代の人たちは「皮感覚」の人たちが増えていて、「肌感覚」が失われているのではないかというのです。

だけど、夫婦とか親子っていうのは、たしかに「肌感覚」の関係ですよね。「肌感覚」の人が、もしも失われれば、“身”を切られるように辛いわけです。だけど、「皮感覚」の関係なら、誰が死んでも何でもありません。「肌感覚」だから、“腹”も立つし、“頭”にもきます。本気だから、先生だったらひっぱたくかもしれない。だけどそれをやったら、先生は首です。

「一肌脱ぐ」、「肌が合う」、「肌に馴染む」、「肌を許す」。

“肌”のつく言葉は、自分の深いところから湧き上がる相手への想い、相手に対する本気の気持ちを現しているんですね。




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Author:イーグルス16

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現代とはなぜこんなにも棲みにくいのか。
前近代から近現代へと変貌し続ける世相の本質をつかみ生き方の支柱を示す。
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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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