めんどくせぇことばかり 2019年04月
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『冬こそ登りたい山』 PEAKS特別編集

へへへ。この間、準備している途中で、うっかり表に出しちゃった記事だ。・・・「知る人ぞ、知る」ってやつだな。

ああ、自治会長の仕事が、めんどくさい。自治会の清掃であるとか、ゴミ出しであるとかの、こまごまとしたことを決めたり、苦情を聞いたり、回覧板の受付やらのとりまとめ。同時に区長として行政地区内の会合と、地区内の行事や祭りにかり出される。かり出されると、ほとんど小間使い、あるいは雑用係。立場さえ違えば年配者として大事にされるはずなのに、区長であるがためにそれもない。加えて行政パートナーという名称の市政の末端まで担うことになる。江戸時代であれば岡っ引きか、下っ引きかってところ。

長老様みたいな人から、「こういう仕事だから仲良くやりましょう」って慰労会がちょくちょくあるんだけど、それがまた負担。地域に対して責任を取らなきゃいけないことだからね。気の使い方が違うんだよね。

務めてるわけじゃないんだから、一日仕事、八時間労働というのはないんだな。中途半端な半日仕事、半日もかからない仕事ばかりなんだけど、山に行けない。・・・あー、もう!

“あー、もう!”と言えば、この本なんかまさしく“あー、もう!”。十月に出た本を、“ドサッ”っと積んでしまった。この本の上に“ドサッ”っと。・・・というわけで、この本の本格的活用は、来シーズンということだな。

たしかに、この本に紹介されているのは、伊豆・箱根、丹沢・湘南、三浦半島、房総の低山。一〇〇〇メートルを超える山があっても、ほぼ雪が降った直後でもなければ積雪を心配しなければならないようなところじゃない。

家の近所、・・・というのは奥武蔵・奥多摩を指す・・・も似たようなもんだけど、家の方だと一〇〇〇メートル前後から上は、思いがけず雪が残ってることもあるからね。雪を目当てに行くなら行くで、それなりに準備も必要だけど、「あー、今日は時間が取れたから、山でも歩いてくるかな」って言って雪山には行けないからね。

それで、しかも、冬は空気が澄んでるし、夏の葉が茂ってるときには見えなかった山の景色が、冬には見えてくることもあるからね。それがいい。

『冬こそ登りたい山』  PEAKS特別編集

エイ出版社  ¥ 1,512

冬の山のなかには、積雪も少なく身構えずに登れる山も多数存在します
【伊豆・箱根】
沼津アルプス/天城山/岩戸山/湯河原城山/幕山/石垣山/浅間山/明星ヶ岳
【丹沢・湘南】
大山/弘法山/渋沢丘陵/大野山/高麗山
【三浦半島】
鎌倉アルプス/源氏山/衣張山/鷹取山/大楠山/三浦富士/三浦アルプス
【房総】
鋸山/富山/烏場山


じつは、ここに紹介されている方面、ほとんど行ってない。丹沢の山にいくつか登ったくらい。

山を始めたのが秩父高校山岳部だから、まずは地元の奥秩父。次に、秩父鉄道で寄居に行って、八高線で上信越の山々へお邪魔する。西武鉄道で池袋に出るなら、新宿から中央線で、・・・せっかく秩父から出てきて、低山を目指さないもんね。ということで八ヶ岳、南アルプス、中央アルプス、北アルプスへ。奥多摩だって、飯能経由で行くんじゃなくて、秩父の山から奥多摩に、そのまま山伝いに入って行った。

そういう始まりだったからだと思う。この本に紹介されている山で登ったことのあるのは大山だけだ。山域から言っても、丹沢以外は入ったことすらない。

そう思って、ワクワクしながら買ったのに、“ドサッ”っと本を積んでしまって、そのまま忘れていた。旧年度で仕事をやめることへの期待と、新年度から自治会長をしなきゃいけないっていうことへの重圧の間で、それっきりこの本のことを、つい先日まで思い出すことさえなかった。

この時期ならまだ登ってもいいんだけど、冒頭で書いたとおり、細かい自治会長としての仕事がちょこちょこあって、今は厳しい。六月だな、時間が取れるようになるのは。その頃の晴れ間っていうと、もう低山は暑いな。

そう思うと、やっぱり、来シーズンか。

天城山はなんとしても歩いてみたい山だな。




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『敗者の生命史38億年』 稲垣栄洋

息子が理工学部、しかも物理学科を選んだときは、私は本当に驚いた。

なにしろ私は根っからの理科音痴。面の皮を何枚めくってみても、理系の取っ掛かりさえ出てこない。「なんで?」って聞いたら、彼が中学生の頃、私が買ってきて読んだ本が面白かったって。そこから理科に興味が湧いたってことらしい。
う~ん、なんだろう。私が理系の本なんか読むはずがない。内容を聞いてみたところ、「どうも、この本のようだ」ってのが思い当たった。『空想科学読本』・・・私は決して理系の本として読んだわけではなかったんだけど。
この本に触発されて科学に興味を持った息子は、今は自動車部品メーカーの技術屋として働いている。きっとそのうち、夢も希望もある自動車が世の中を席巻することになるだろう。

さて、この本。『敗者の生命史』と、歴史の“史”がついているものの、著者の稲垣栄洋さんは農学部の先生で植物学が専門みたい。つまり、理系の先生。[近現代日本]、[近現代東アジア]、[近現代世界]、[日本 思想]、[世界 思想]とかって、いろいろと本の分類を作ってあるんだけど、この手の本にふさわしいものはない。仕方がないので、[本 その他]に分類。[理系]とか作ってみたところで、この本が最初で最後になる可能性もある。

とは言うものの、面白かったな~。もちろん、理系音痴を悩ませる言葉が並ぶところは読み飛ばしてしまったけどね。読み飛ばしておいてこういう言い方もなんだけど、読み飛ばしても、ちゃんと面白く読めるんだからすごいね。

原始的な生命体が、植物と動物に分かれていくところなんかすごかった。共生っていうの、本当にすごいね。もとは独立した生命体だったものが、他の生命体の細胞に取り込まれて、その中で生きるってね。葉緑体を取り込んだのが植物として進化していって、ミトコンドリアを取り込んだのが動物になっていく。植物は自分で栄養を作り出せるから、動物みたいにチョロチョロ動き回る必要はなかったって、そういう物の考え方、したことがなかった。



PHP研究所  ¥ 1,728

悠久の生命の歴史の中では、最終的に生き残ったのは常に敗者の方であった
プロローグ 敗者が紡いだ物語‒‒‒‒‒38億年前
競争から共生へ‒‒‒‒‒22億年前
単細胞のチーム・ビルディング‒‒‒‒‒10億~6億年前
動く必要がなければ動かない‒‒‒‒‒22億年前
破壊者か創造者か‒‒‒‒‒27億年前
死の発明‒‒‒‒‒10億年前
逆境の後の飛躍‒‒‒‒‒7億年前
捲土重来の大爆発‒‒‒‒‒5億5000年前
敗者たちの楽園‒‒‒‒‒4億年前
フロンティアへの進出‒‒‒‒‒5億年前
乾いた大地への挑戦‒‒‒‒‒5億年前
そして、恐竜は滅んだ‒‒‒‒‒1億4000万年前
恐竜を滅ぼした花‒‒‒‒‒2億年前
花と虫との共生関係の出現‒‒‒‒‒2億年前
古いタイプの生きる道‒‒‒‒‒1億年前
哺乳類のニッチ戦略‒‒‒‒‒1億年前
大空というニッチ‒‒‒‒‒2億年前
サルのはじまり‒‒‒‒‒2600万年前
逆境で進化した草‒‒‒‒‒600万年前
ホモ・サピエンスは弱かった‒‒‒‒‒400万年前
進化が導き出した答え
あとがき 結局、敗者が生き残る


だいたい、題名、この『敗者の生命史』っていうのが、けっこう理系音痴の心をそそる。見事なもんだ。敗者こそが旅に出るんだね。負けたからさ、そこでは生きていかれないわけだ。だから旅に出る。

鮫みたいな強いのは、旅には出ないのさ。ただ、君臨していればいいからね。負けた魚は強い奴らが行かない場所に旅に出る。そこが川の河口、汽水域だったんだそうだ。浸透圧で体の中が薄まっちゃうから、ウロコを持ったんだって。ウロコで水が入ってくるのを防いだんだって。さらに腎臓を発達させて体内の塩分濃度を適性に保って真水の中でも生きられるようになったいったんだそうだ。つまり川魚になっていくんだ。

そして次の大きな変化は骨。ミネラル豊富な海から川に登るには、カルシウムなどのミネラル分を体内に蓄積しなければならない。それを蓄積する機関が骨なんだそうだ。この骨が魚たちに敏捷性を与えた。

川に行けば行ったで、そこにも戦いはあって、負けたやつはまた上流へ登る。なかには、どこに行っても食われるなら、いっそ海に戻って食われてやるとばかりに海に戻ったやつもいる。でも、川の、それも上流で生存競争を戦った彼らは、海のライバルにはない俊敏性を身に着けていた。

面白い。

さらには、その上流に追い詰められていった奴らの中から、陸上に上がるやつまで出てくることになる。

ううっ!ご先祖さま!

もはや、ここまで来ると、涙なしには語れない。だってさ。人間はアフリカで生まれて、旅に出たわけでしょう。旅に出たのは、生き残るためでしょう。生存をかけて敗れたものは、生き残るために旅を続ける。遠く離れた、この日本列島に生きるものとしてはさ、やっぱり涙なしには語れない進化の歴史だな。


面白かった。こういう本は読み慣れていなかったけど、自分には無理って敬遠するのはやめにしよう。自分の中の新しい興味が引き出されるかもしれない。うちの息子みたいなパターンもあるしね。とんびが鷹、瓢箪から駒、塞翁が丙午。なにがどんなことに繋がるかは、それこそ私なんかの想像の外のこと。



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『逆襲される文明 日本人へⅣ』 塩野七生

ブレグジッドを巡ってヨーロッパがギクシャクしてる。イギリスもドッタンバッタンしているように見えるけど、本当に正念場を迎えてるのはヨーロッパ連合の方かも。

ブレグジッドが表面化する前、難民問題があまりにも深刻化して、時を同じくしてイスラム国が関与したテロがヨーロッパで頻発するようになるよりも前、ヨーロッパの問題はギリシャだったよね。

そう、《ギリシャは救済する必要があるのか》って問題。

ギリシャが入っていないとヨーロッパ連合とはいえなくなる。なにしろ「ヨーロッパ」という言葉からして、二五〇〇年前のギリシャ人が発明したもの。言葉を創造したということは、理念を創造したということ。どうやらそういうふうに考えちゃってるみたい。

古代ギリシャ語を受け継いだ古代ローマ人がラテン語に直し、そのラテン語を語源にして生まれたのが、英語、仏語、独語のなどの言語。理工科系の言語はギリシャ語を直接語源にしたものが多いので、これまで加えれば、現代の欧米人の言語とそれによって立つ理念の八割までが、古代のギリシャ人に負っているとしても間違いではない。

とは言え、二五〇〇年前のギリシャ人と現代のギリシャ人が似て非なる民族であるのはもちろんのこと。深い敬愛の想いなしには語ることもできないギリシャは、その文明の象徴であったオリンピックがテオドシウス帝によって四世紀末に廃止されたときに死んだのである。

そう、今のギリシャと名のる国は、かつてのギリシャとはまったく別のもの。そういうパターンってけっこう多いんじゃないかな。例えば“中国”なんて典型的。漢民族なんてもはや死に絶えている。





文春新書  ¥ 994

まるでローマ帝国の滅亡を思わせる激動の時代に、私たちは生きている
1 国産で来た半世紀 イタリアの悲劇 帰国してみて ほか
2 一神教と多神教 ローマに向けて進軍中 テロという戦争への対策 ほか
3 「保育園落ちた日本死ね」を知って EU政治指導者たちの能力を問う ほか

近代ギリシャは、ローマ帝国東西分裂以降は東ローマ、つまりビザンチン帝国に属し、後にはオスマン・トルコの版図になる。でも、そのギリシャというのは、もうずっと前から、古代のギリシャとはまったく違う人達の国。ところが、そうとは捉えられない人がたくさんいるんだな。

1821年のギリシャ独立戦争は、英・露・仏がオスマン・トルコ領だったギリシャを独立させようとした戦い。ヨーロッパではわけもなくギリシャに肩入れする人が多く、イギリス詩人バイロンは、「ヨーロッパ文明の源であるギリシャを異教徒から取り戻す」とこの戦争に身を投じ、現地で熱病にかかって死んだ。

ああ、そんな状態だから、その後もヨーロッパは、ギリシャに出来もしない期待をかける。

近代ギリシャは、1829年にアドリアノープル条約で独立。正式独立以前の1827年に、カボディストリアス伯爵を初代とし、初代限りとなる大統領制を施行。31年、大統領暗殺。32年、君主制に移行。バイエルンやデンマークから王を招くが混乱が続く。

今でもギリシャは、ヨーロッパから援助を受けて当然と思ってる。自力再生を求めるヨーロッパに怒ってる。どうも半島の人間っていうのは始末に負えないところがある。

日本の近くにも、なんだか似たような国がある。

産業も、観光以外に存在しないこの国を、自力再生で自らの血を流すことなく助けるということは、結局は永久に援助し続けることを意味する。ギリシャを、産業が全くない京都とでも思って。

しかも、その京都に住んでるのが王朝時代の京都人ではなく、あらかた戦後ドサクサの中であちらこちらから新しく入ってきた人だとしたらどうだろうか。




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創世記『謎解き 聖書物語』 長谷川修一

『旧約聖書』は、イスラエルの人たちがある時代に征服したといわれる都市の名を列挙してるけど、それらの都市の遺跡を発掘したという。ある都市では確かに破壊された痕跡があったけど、多くの都市では破壊の痕跡はまったく見つからなかったそうだ。ときには、その時代には、そこには人が住んでいなかった場所もあったそうだ。つまり、聖書に書かれたことは、必ずしも過去に実際に起ったことではないということ。

聖書に書かれた史実ではないできごとは、史実ではなくても、書いた人にとっては、そこに書いておくことが必要だった。聖書の研究っていうのは、そういう見地でやっていくもんなんですね。

旧約聖書においては、まず“創世記”が冒頭にある。私たちは、そこで神によって創造された世界の成り立ちをしり、まるで歴史を追いかけるようにして、人類がこの世界に広がっていく様子を見る。

でも、本当はそうじゃない。旧約聖書のなかで創世記が最古の書物であるわけではない。そんなことを言われると困ってしまう。いったん、旧約聖書の物語を歴史を追いかけるように理解してしまうと、「最初の話はあとから書かれた」なんて言われると、「“最初”がなければ“あと”が生じるはずがない」なんて、頭が混乱してしまう。

つまりは、「出エジプト記」が古い時代に書かれていて、新しい時代、なんかしらイスラエルの人々に大きな出来事があって、その出エジプト記よりも前に、出エジプト記以降の内容に食い違いが出ないように、創世記を付け足すことになった。・・・そういうことか。
この世界と人間は神様が作ったんだよ。

でも、人間は悪いことばっかりやってたので、神様は一度、ノアの家族以外の人間を滅ぼしたんだ。

かつて人間は広く世界に広がらず、協力してバベルの塔を作ろうとしたが、神様が人々の言葉を乱し、お互いの言葉が通じないようにしたので、広く世界に広がることになったんだよ。

人々の中でもずっと神への信仰を忘れなかったアブラハムから、また新しい神と人との関係が作られていったんだよ。

そして、イサク、ヤコブ、ヨセフと神と人との物語が続けられていったんだよ。
・・・とした上で、第二章《出エジプト記》に続くってことになるんだけど、実は上記の創世記は、出エジプト記やその後の話に矛盾を来さないように、あとから書かれて一番最初に置かれたと。


『謎解き 聖書物語』   長谷川修一

ちくまプリマー新書  ¥ 929

旧約聖書につづられた物語は史実なのか、それともフィクションなのか?
第1章 アダムとイブ―人類誕生の謎
第2章 ノアの方舟―試行錯誤する神
第3章 バベルの塔―文明へのまなざし
第4章 出エジプト―それは本当に起こったのか?
第5章 ダビデとゴリアテ―永遠のヒーロー誕生


なんでそんな、めんどくさいことになったのか。その景気になったのは、《バビロン捕囚》っていう出来事のようですね。

紀元前五八六、強国新バビロニアのネブカドネザル二世によりエルサレムを破壊され、支配層は軒並み新バビロニアの首都バビロニアに連行された。幽囚生活は紀元前五三九にアケメネス朝ペルシャが新バビロニアを滅ぼすまで続くんだけど、バビロニアで幽囚生活を送るユダヤ人はビックリしちゃったわけだ。なにしろそこは、メソポタミア文明の中心地だからね。

自分たちは異なる、思いもよらない高度な文明が、そこには展開されているわけだ。自分たちの故郷であるエルサレムなんか比べ物にならないくらい物にあふれている。人々は都会人で、立ち居振る舞い、物の考え方もスマートで、いかにも自分たちがみすぼらしい。宗教だってそう。自分たちの信仰が煤けて見えてくる。

あまりに高度な文明に圧倒されて、すっかりバビロニアの色に染められて、ユダヤ人がユダヤ人でなくなっていく。どうやら一部の人たちが、そのことを恐れたようだ。

これまでユダ王国の人々が信仰してきたのは、自分たちの民族の神。昔から自分たちの神だったヤハウェという神。この時点で、ヤハウェは唯一神ではない。ユダ王国の、イスラエル人の神であるに過ぎない。

国が負けて滅びるというのは、神の敗北も意味した。ヤハウェという神を消滅させないためには、ヤハウェは自分たち民族だけの神ではなく民族を超えた神と昇華させなければならない。そうすればヤハウェへの信仰を守れるし、ヤハウェがバビロニアの神であるマルドゥクに負けたと考えなくても済むようになる。

ただそれだと、ヤハウェへの信仰を維持しているイスラエル人の国が異教の神を信仰するバビロニア人に負けたのか、説明がつかない。そこで導き出されたのが、自分たちがヤハウェの教えを守らなかったから罰を下した。バビロン捕囚の苦難は、これを乗り越えて本来に信仰を取り戻すまで、イスラエル人にヤハウェから与えられた試練である。そういう考えだな。

神に選ばれて、祝福されるが、未熟ゆえに神の教えに背き罰を与えられる。《これまでもそうだった》って話が、創世記として、前に付け加えられたわけだ。「今度の試練も、選ばれた民だからこそ、ヤハウェから与えられた」ってね。





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千億の夜『敗者の生命史38億年』 稲垣栄洋

「ここからここまで」と区切りをつけられても、私の知っている世界には、その向こうがある。たとえ、決して打ち破れないほどの高くて分厚い壁を作られようとも、間違いなくその向こうはある。
何もない世界にそれは生まれた。
そこには前も後ろもない。縦も横もない。そこには空間が存在しないのである。
そして、そこには昔も今もない。長いも短いもない。そこには、時間さえ存在しないのだ。
そんななにもない世界に宇宙が誕生した。百三十七億年も昔のことである。
p003

でも、宇宙というところは、違うんだそうだ。“はじまり”には、その向こうがないんだそうだ。なんにもないところに、一が生まれた。零だったところに、一が生まれた。なんにもないところに何かが生まれるっていうのは、どういうことなんだろう。わけがわからない。

生まれたときのことなんか覚えてないけど、母から生まれた時が私の始まりであることは、もちろん受け入れる。始まりがある異常終りがある。終わってしまうのは嫌だけど、みんなが終わっていくのを見て、受け入れざるを得ないものだと分かってきた。終わってしまったその向こうは、何があるんだろう。

おそらく、なにもないんだろう。何もないってなんなんだろう。宇宙の始まりのその向こうには、何もなかったという。宇宙の始まりのその向こうの何もないって、私の終わりのその向こうのなにもないと同じなんだろうか。

だったら、宇宙って、生きるってことなんだろうか。



PHP研究所  ¥ 1,728

悠久の生命の歴史の中では、最終的に生き残ったのは常に敗者の方であった
プロローグ 敗者が紡いだ物語‒‒‒‒‒38億年前
競争から共生へ‒‒‒‒‒22億年前
単細胞のチーム・ビルディング‒‒‒‒‒10億~6億年前
動く必要がなければ動かない‒‒‒‒‒22億年前
破壊者か創造者か‒‒‒‒‒27億年前
死の発明‒‒‒‒‒10億年前
逆境の後の飛躍‒‒‒‒‒7億年前
捲土重来の大爆発‒‒‒‒‒5億5000年前
敗者たちの楽園‒‒‒‒‒4億年前
フロンティアへの進出‒‒‒‒‒5億年前
乾いた大地への挑戦‒‒‒‒‒5億年前
そして、恐竜は滅んだ‒‒‒‒‒1億4000万年前
恐竜を滅ぼした花‒‒‒‒‒2億年前
花と虫との共生関係の出現‒‒‒‒‒2億年前
古いタイプの生きる道‒‒‒‒‒1億年前
哺乳類のニッチ戦略‒‒‒‒‒1億年前
大空というニッチ‒‒‒‒‒2億年前
サルのはじまり‒‒‒‒‒2600万年前
逆境で進化した草‒‒‒‒‒600万年前
ホモ・サピエンスは弱かった‒‒‒‒‒400万年前
進化が導き出した答え
あとがき 結局、敗者が生き残る

いつ頃のことだったろう。『百億の昼と千億の夜』という本を読んだ。中学生だったかな。高校生だったかな。すごい怖い話で、あまり宇宙のことは考えないようにしようと思った。

考えないようにしようと思ってたら、そのお話が漫画になって現れた。私がいつも、友人から借りて呼んでいた少年チャンピオンに、《がきデカ》のこまわり君に並んで連載されたいた。萩尾望都さんの絵で、阿修羅がかっこよかった。

宇宙の起源であるとかを扱った物語の中で、私に一番大きな影響を与えたのはこの本かな。あるいは、半村良の『妖星伝』かな。いずれにせよ、宇宙に意味を考えるってことで共通しているように思う。でも、どうだろう。意味って、本当にあるのかな。“ある”と思うことにすると、それは宗教になっちゃうな。たしかに、ここまで面白いと、“ある”ことにしてもいいかなって思っちゃうけどね。

実際、私に連なる命の起源は三十八億年前にあるわけで、この三十八億年間、途切れることなく累々と遺伝子を受け渡しつつ、命は私にまで繋がってきた。それじゃあ、三十八億年前の零から生まれた一は、一体何者が、どんな状況で、どんなふうに、・・・。

「それ考えてると、一晩中眠れなくなっちゃうの」(春日三球さん風に)




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『知りたくないではすまされない』 江崎道朗

戦後の日本は、恐ろしく腰が引けてきたんだな。あらためて振り返ると、本当にゾッとする。

ケネディ大統領時代のアメリカは、共産主義に対して、遅ればせながらではあるんだけど、大きな危機感を持っていた。この本によれば、ジョンソン副大統領がケネディ大統領に次のように断言したそうだ。

《東南アジアで力と決意を持って共産主義に対し戦いを開始しなければならない。さもなければアメリカは必ず太平洋を明け渡し、自分たちの国土で守りにつかなければならなくなる》《フィリピン、日本、台湾の安全は失われ、巨大な太平洋は赤い海となる》

その上でケネディ大統領は、来日した際に、池田勇人首相に、「日米両国は・・・共産主義のアジア支配を阻止するためにどんな役割を果たすことができるか」と意見を求めたんだそうだ。

池田首相は、「日本人の大部分は自分たちを侵略者だと思って・・・」と、そんな答えしかできなかったんだそうだ。ああ、米による
War Guilt Information Programと、ほぼ亡国に近い敗戦の相乗効果とはいえ、同盟国がこんな腰抜けではアメリカも大変だったろう。

一九六四年には“中国”が核保有国となり、一九六七年には水爆の実験にも成功している。これらはみんな、新疆ウイグル自治区でやってるんでしょ。あの“さまよえる湖”ことロプノールこのあたりでやってるんでしょ。

この頃アメリカは、ベトナム戦争に介入して疲弊し、自信を失いつつあった。アジアの共産化が進む中、ニクソン大統領は、日本が憲法を改正してアメリカとともに共産勢力と戦うつもりならば、日本の核武装も認めることを検討していたらしいという。“中国”が水爆実験に成功した一九六七年のことだ。

そしてその年、ニクソン大統領の思惑をあざ笑うかのような動きがあった。佐藤栄作首相に対して公明党議員から、非核三原則を明確にすることを求める質疑があった。さらに社会党議員が小笠原諸島への核兵器の持ち込みを追求し、佐藤首相は非核三原則を明らかにした。

一九六九年、佐藤首相の訪米で、一九七二年の沖縄返還が決まる。そんなやり取りの中でも、ニクソン大統領は盛んに日本の核武装容認を匂わせる。核武装云々は、実際には核そのものよりも、かつて、・・・と言うのはアメリカが日本をぶっ潰してしまう前のことだけど、その頃のように、日本に共産勢力と戦う気概を示してほしいということだろう。そんなニクソン大統領に、佐藤首相は、「日本の国会と国民の圧倒的多数が核兵器に反対している」と弁明せざるを得なかった。

かつて日本は、アジアでも拡大するソ連の驚異に、孤軍奮闘で立ち向かってた。その日本に後ろから切りつけたのがアメリカだった。アメリカが悪い。とはいうものの、日本もここまで豹変しなくても良さそうなもんだけど。

《日本がアメリカとともに戦う意志がないことを知ったニクソンは、ソ連の脅威と戦うために、次善の策として、中国共産党と組むことを決断した》

・・・そういうことだったんだ。



KADOKAWA  ¥ 1,512

知りたくないけれども、これを学ばなければ日本と世界の未来は見抜けない!
第1章 国家は同盟国を見捨てることがある
第2章 海外メディアの報道を信じてはいけない
第3章 日本人が知らない、もう一つのアメリカ史
第4章 国際情勢を先取りする米インド太平洋軍
第5章 インテリジェンスが国際政治を揺るがす
第6章 政治を左右する経済・景気の動向
第7章 アメリカは敵と味方を取り違える天才だ
第8章 未来を読み解く「DIME」という考え方
終章 日本だけが手にしている「三つのカード」


レーガン大統領と中曽根首相のときは、二人は「ロン」「ヤス」と呼び合って、「日本はアメリカの不沈空母」なんて中曽根さんが言ってたみたいに、通じ合ってたように思ってた。でも、だいぶ違ってたんだな。著者が、《当時のレーガン政権と中曽根政権は、蜜月のように良好な関係だったかのような印象を抱いている方が多いだろう》とかいているが、私なんかまさしくそうだった。

レーガン大統領も、かつてのニクソン大統領のように、アジアの安定のためにも強い日本を望んでいた。なにしろソ連がアフガニスタンに侵攻し、東欧諸国にも圧力を強めていた。日本だって、ソ連の北海道侵攻を前提とした自衛隊の防衛計画があったくらいの時代だった。

レーガン大統領は、ソ連との冷戦に打ち勝つために、同盟国である日本に防衛協力を求めた。しかし、中曽根首相はその求めに応えなかった。そのかわり中曽根首相がやったことは、アメリカの武器をたくさん買った。お金を払って勘弁してもらったんだな。そんな日本の姿勢に、レーガン大統領も“中国”を選択した。米中の秘密協力は、レーガン時代に頂点に達したという。

《アメリカから「ソ連の驚異にともに立ち向かおう」と呼びかけられたとき、その申し出に日本は真剣に向き合わなかった。その一方、中国は呼びかけに応え、アメリカとともにソ連の驚異に対して武器を手に戦った。そこでアメリカは[同盟国]の中国に惜しみなく軍事援助を行い、軍事技術を提供した。その結果が、現在の中国の軍事的対等なのである》

・・・ということのようなんです。今、“中国”、韓国、北朝鮮、ロシアとの間に問題を抱えている。・・・周りの国全部だな。四面楚歌ってやつだ。そういう状況にもかかわらず、何一つ自己決定できない。

「国民が望んでいない」ってのは本当だった。嘘じゃない。だけど、国をあげて逃げてきたから、今のような状況になったんだな。それは間違いなさそうだ。




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東学党『逆説の日本史』 井沢元彦

日清戦争は、朝鮮をめぐる日清の関係から発生する。その日清戦争が起こる直前、朝鮮で東学党の乱というのが発生している。私の頭の中では東学党の乱なんだけど、今はそういう呼び方をしていないみたいですね。

甲午農民戦争

いかにも、あの人たちらしい呼び方だな。歴史教育の世界は、一九八〇年代までよりも、それ以降の方がイデオロギー色が強くなってるんだな。八〇年代とそれ以降に分けたのは私の都合で、私が歴史教育を受けたのはその頃までだったってだけの話。私の頃も組合運動に熱心な歴史の先生もいたけど、その上の人たちがまだいたからね。その後、その人たちがだんだんいなくなっていくんだな。

左翼系の人に言わせれば、国の重税に苦しめられ、官僚の賄賂や不正が横行する封建社会においては、農民は常に苦しめられる存在であり、何かをきっかけに圧政が強まれば、農民は自動的に社会変革に立ち上がる。それがセオリーだと思ってるってのは、井沢さんの言われるとおりだと思う。実際、教科書にはそんな感じで書いてあるしね。

確かに自暴自棄の暴動は起こるかもしれないけど、国や社会を変えていこうという“戦い”は、農民側にそれを正当化する思想が波及していないと起こらないんだよね。

井沢さんは、フランス革命と明治維新を例に上げている。フランス革命が成功したのは神の下ではすべての人が平等という思想が波及していたからであり、明治維新が成功したのは天皇の前ではすべての民が平等という一君万民の思想が波及していたからということ。

ドイツ農民戦争もフランス革命同様の思想のもとに始まるけど、神の下の平等を世の中が確信するには、ちょっと早すぎた。でも、ジョン・ウィクリフやヤン・フスの頃とは違い、マルティン・ルターによる宗教改革は誰かの助けを借りなくても自力で動き、世の中を巻き込んでいた。

ルターはこの時、政治的に動いて、農民戦争の攻撃対象である領主の保護下にあった。ルターは農民の戦いを鎮圧するよう進言するが、たとえルターがそちらに回って、農民戦争は鎮圧されても、ルターの生み出した動きは、どんどん拡大してフランス革命につながっていく。



小学館  ¥ 1,674

日本はなぜ“眠れる獅子”に勝てたのか?
第一章 大日本帝国の構築Ⅲ 
帝国憲法と教育勅語ー知られざる「陰のプランナー」
第二章 大日本帝国の試練Ⅰ
条約改正と日清戦争への道ー「文明と野蛮の対決」のリアル
第三章 大日本帝国の試練Ⅱ
台湾および朝鮮統治ー「同化政策」の成功と誤算


あちら側の人たちが“甲午農民戦争”と呼ぶ動きは単なる暴動ではなく、明らかに世の中を変えていこうとしていた。あまりにも激しい身分差別に、ついに否の声を上げたのだ。しかし、士農工商という身分とそこに発生する様々な格差は当然のことであって、人間が平等などということはありえないと考える朱子学にすべての人が支配されていたならば、この変革を求める動きは起こりえない。それが起こったということは、それを否とする思想があったということだ。

それが、東学であり、その信者の集団が東学党。ということになれば、やはりこの社会変革運動は、“東学党の乱”と呼ばれてしかるべきということになる。

創始者は崔済愚。かれは厳しい身分差別と戦う思想を西学(キリスト教)には求めず、東洋思想である儒教、仏教、道教を折衷した思想で朱子学に戦いを挑んだ。だから、東学であった。

《一八九四年三月初めに、東学教団の幹部全琫準によって全羅道で結成された農民軍はまたたく間に強大な勢いとなり、全羅道の警備軍に続いて中央から派遣された討伐軍も打ち破り、四月末には道都の全州を占領した。暴動なら食糧など欲しいものを奪ったところで終わりになる。処罰が恐ろしいから逃散し軍としてまとまることもない。農民軍が戦闘を続けることができたのは、「天と人が一体になれる」つまり官も民も人として違いはないという東学の思想があったからなのである。》

崔済愚は、朱子学社会の揺るがすものとして、国家の手で処刑された。

左翼系の人たちは、特にこういうような宗教的な背景っていうのを嫌うね。本当は共産主義っていうのも、根っこのところで十分宗教的だと思うんだけど、自分はそうでも、他人のそれは許さないってところが、いかにも共産主義だな。




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『謎解き 聖書物語』 長谷川修一

連れ合いと一緒になって三十五年もたっちゃった。子どもは二人。女の子と男の子。娘は結婚して、今は二人のこのお母さん。一時間ほどのところに住んでいる。息子は滋賀県の会社に就職して、家を出た。家は埼玉なんだから、なにも滋賀県まで行かなくてもいい会社はいくらでもあったろうに。・・・まあ、そこに行きたいっていうんだから仕方がない。向こうで大阪のいい娘を見つけて、今度一緒になるらしい。

誰でもがそうだったように、私たちは歳をとった。父母も、祖父母も、・・・なにも、アダムとイブまで逆上ることもないんだけど、せっかくこんな本を読んだんだからね。

私は父と母によって作られたんだけど、アダムは土から作られた。土のことをヘブライ語でアダーマーというらしい。アダーマーから作られたアダムには、英語のtheに当たる定冠詞がつくという。I am Adam.ではなく、I am the Adam.であれば、アダムは《アダムちゃん》とか《アダムくん》といった名前、固有名詞ではない。アダムは一般名詞、「ひと」と訳すべき言葉だって。

《うめよ、ふえよ、地に満ちよ》そして、“大地を従わせる”のが、神が人に与えた指名。これを自然を支配して好きに使っていいと取ることも可能である。ただこの本では、同時に、《ヤハウェは彼をエデンの園から追い出し、彼がそこから取られた土に従わせた》とあるそうです。人は大地を従え、同時に、大地に使える存在なんだな。

聖書にはいろいろなことが、いろいろな方角から書かれているから、部分を取り出して、自分の好きなように解釈することもできるわけだ。

では、イブは。イブはどうか。

イブは、アダムのあばら骨から作られた。男と女はやっぱり違うんだな。西アジアの古代において、男と女ってそう捉えられていたんだ。つまり、男のために女が作られた。イブはヘブライ語でハヴァー。意味は命だそうです。女にふさわしいと思う。

イブは賢い蛇にそそのかされて、善と悪とのを知る樹からその実をとって食べた。アダムもイブから実をもらって食べた。神に知られると、アダムは「あなたが私と一緒にいるようにと与えた女が私にその樹からくれたので食べた」と言い訳をする。

この言い訳、見苦しいね。女が悪い。もとはと言えば、その女を私に与えたあなたが悪いって言ってるんだから。なんだか最近、そんな見苦しい言い逃れを、いくらでも聞いているような気がする。

これが、彼らがエデンを追放される理由になるわけだけど、この物語を書いた人は、人間っていうのはそういうもんだっている認識を、ここに書き記す必要があると考えたんだね。


『謎解き 聖書物語』   長谷川修一

ちくまプリマー新書  ¥ 929

旧約聖書につづられた物語は史実なのか、それともフィクションなのか?
第1章 アダムとイブ―人類誕生の謎
第2章 ノアの方舟―試行錯誤する神
第3章 バベルの塔―文明へのまなざし
第4章 出エジプト―それは本当に起こったのか?
第5章 ダビデとゴリアテ―永遠のヒーロー誕生


アダムとイブの出会いのあと、聖書には、《男はその父と母とを捨てて、彼の女と結びつき、ひとつの肉となる》とあるそうです。そう、あえて「捨てる」という強い表現は、まさしく“あえて”使われたものだろう。私もかつて、今の連れ合いと一緒になって、新しい世帯を持って、親から離れたんだ。

ただ、完全に捨てられるわけじゃない。適度な距離を保ちつつ捨てたんだな。そして捨てつつも、関係を保ち、彼らが死ぬまでその関係を続けていく。最後の面倒を見るのがけっこうきついこともあるけど、家の場合は、なんとか面倒を見切った。もう、彼らはいなくなった。

娘も、そして今度は息子も、私たちを捨てていけばいい。どんな捨て方になるかは、その時代によるだろう。何でも受け入れるよ。

アダムとイブ、人と命は人類の代表。この本の著者も言ってるけど、彼らの行動、彼らの思考は、人類が誰でもそうである可能性があるということ。

仲間とあって喜ぶ
他人から誘惑されるとそれに屈してしまう
それが露見すると人のせいにしようとする

そんな存在だけど、人は神に祝福され、パートナーとともに日々自然の世話をしながら自然の産物を食べ、子どもを生み、そして人生を全うして死んでいく。

いいじゃないか。私は大半の役割は果たし、あとは人生をまっとうするのみだな。
 



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『名山の文化史』 髙橋千劔破

お金がかかるからね、山に行くのは。高校で山岳部に入って、夏山までにこういう装備を揃えろって言われて頭を抱えたのが始まり。結局、OBを紹介してもらって、お古をいただいた。登山靴までだからね。遠征は、何回かの山小屋の歩荷とアルバイトをつぎ込んだけど、それでも東北だの関西だのってわけにはいかないし、北アルプスだって、富山や岐阜から入山だとお金がかかる。

高校一年のときの夏山合宿が、富山からの入山だった。折立から薬師に上がって、黒部五郎、双六、槍ヶ岳と歩い て、上高地に下りるコース。夢のようだったな。装備はOBから頂いたものの、合宿費は兄に頼んでもらって親に出してもらった。

そんな山の始まりだったせいか、どうも私の登山歴は貧乏くさい。まず、金計算から始まって、「だったらいいや」ってのもしばしば。登ろうと思えばどんな山だって登れたはずなんだけどね。もったいないことをした。

高校山岳部に入ってからの最初の登山は、子どもの頃から何度も登った、かつ、家の目の前にそびえる武甲山だった。入部を申し込んだ、その週末の日曜の朝、一年先輩の青野さんが、いきなりうちに迎えに来た。そして母にこう告げだ。「お母さん、おむすび五つお願いします。大きめのやつ」

私は弁当のむすびと水と汗拭き程度のものを、中学のクラブ活動で使った手提げに入れて、その手提げ部分を肩に背負って外に出た。外に出ると、同じく山岳部に入部したての二人ほどが、青野さんと一緒に待っていた。お互いに、ちょっとはにかみ気味に、手を上げて「よっ」って感じ。

いきなりの登山なのに、けっこう厳しいコースで、家は武甲山の北斜面(今では完全に崩されてしまった斜面)の麓にあるんだけど、北からの登りはきついんだ。さらに武甲山から小持山、大持山と歩いて、大持からはいったん妻坂峠に下って、武川岳に登り返し。そこから焼山を経由して二子山へ。最後は芦ヶ久保駅に下りるというコース。

今の私なら二回に分けるコース。どんな登山だったかって、今では記憶に残ってない。だけど、そのあとの高校生活の中で、《薪割り、飯炊き、小屋掃除》を一緒のやった友人との最初の登山、バテバテになりながらも、互いに励まし合って、なんとか芦ヶ久保駅にたどり着いて笑顔を交わす。そんな物語にして胸にしまっている私です。


『名山の文化史』     高橋千劔破

河出書房新社  ¥ 時価

日本の山々の文化と歴史を、山男であり歴史・文芸評論家である著者が、渾身の名文で綴る
第1章 東北の名山
恐山―本州最果ての死者の山
太平山―おいだら山の山鬼
安達太良山―噴火と鬼女伝説
飯豊山―伝説と信仰の深山
第2章 関東の名山
谷川岳―歴史を秘めた魔の山
武尊山―日本武尊伝説の山妙義山―奇岩怪石の山塊
両神山―仏法僧の鳴く秩父の霊山
金峰山―巨石立つ奥秩父の名峰
第3章 中部・北陸の名山
甲斐駒ヶ岳―黒駒伝説の白き山
北岳―歌枕の山甲斐の白根
鳳凰三山―岩峰と女帝伝説
天城山―踊子の峠と森林の山
笠ヶ岳―静かなる飛騨の名峰
八海山―甦った修験の名山
妙高山―失われた仏教浄土
剱岳―本邦随一の岩の殿堂
薬師岳―水没した信仰の村
第4章 信濃の名山
飯縄山―秘法と忍法の山
蓼科山―牧歌の山麓と伝説
霧ヶ峰―古代遺跡と神事の高原
木曾駒ヶ岳―木曾山脈の最高峰
穂高岳―安曇族と穂高の神
常念岳―安曇野から望む伝説の山
有明山―失われた寺院と謎の神社
第5章 近畿以西の名山
金剛山―役行者と楠木一族
高野山―弘法大使の聖地
英彦山―彦山派修験の一大道場
九重山―山名争いと失われた寺
祖母山―神話のふるさとの山


東北の山は、こん中では安達太良、飯豊だけ。関東は全部。中部・北陸の中では、八海山は登ってない。信濃は有明山は登ってないや。近畿以西は全滅。結局、行きやすいところしか行ってないわけだな。

私は、興味を持てないことはてんでだめなんだけど、興味を持てることになら、かなりのめり込んでしまう方。自分で制御しないと人に迷惑をかけてしまう恐れがある程度。興味を持てることには、ある意味では律儀なんだな。だけどその律儀さは、「百名山を端から全部登ってみよう」っていう律儀さとはまた違うんだな。まだ登ってない山への興味はあるにはあるけど、そこに登るのがめんどくさかったりすると、「う~ん、格さんや、もういいでしょう」と、もうよくなっちゃうんだな。

それよりも、ただひたすら、山の中に身をおくことができれば、それで満足してしまう、そういう私なんだな。

日本百名山の深田久弥さんとか、この本の著者の高橋千劔破さんなんかは、その両方なんでしょうね。つまりは、欲張りな人たちなんだ。私は、そんなに欲張りではないということだ。

そんな欲張りな高橋千劔破さんのこの本を読めばわかる。日本人は山に神を感じてきたんだ。“神”というのは安直すぎるか。山は山。山に山を感じてきた。「そんなことは決まっとる」(砂の器 丹波哲郎風)。山というだけで、神に対すると同じような崇敬の対象だったんじゃないか。役行者がそこに蔵王権現を感得する前から、山というだけで、畏れていたんじゃないか。人は、死ねば山に帰ったんじゃないかな。

だからかな。山に対する日本人の思いは強かった。今でも時々、その片鱗を感じることはある。毛呂山の奥、阿諏訪から山に入ってしばらくのところに《苔地蔵》と呼ばれるお地蔵さまがある。ああいうのを見ると、山は生活の場でもあって、人がそこへ入っていけば、

今は、私にしてみれば、死んだら山に帰ろうにも、帰るべき山がない。

とっても素敵な本でした。・・・時価だけど。




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高校生の山行について行ってみた

なんだか、また高校生の山行に、一緒に行くことになりました。

八高線毛呂駅に集合して、鎌北湖、宿谷滝、物見山、日和田山という、行きなれた、歩きなれたコースです。

朝八時の集合に、いきなり一人、しかも三年生が遅刻です。チーフの方には先にみんなを連れて行ってもらって、私が駅に残って、あとから遅刻者と一緒に一行を追いかけることになりました。
毛呂駅 
(毛呂駅)
遅刻くんは、八時二十五分に現れました。仕方がありません。一緒に走ります。
走れ
(走れ)
春の穏やかな風景が広がるところなんですが、残念ながらこちらは荷物を背負った上で走ってますから、楽しむ余裕はありませんでした。
鎌北湖への途中から 
(鎌北湖への途中から)
鎌北湖で直前に一向に追いつきました。二五分の遅刻を、およそ四キロちょっとの道のりの中で取り返しました。最初からヘロヘロです。息と身なりを整えて登山開始。

以前、花の時期に、宿谷滝で滝に打たれている行者にあったことがありました。そういう場所だったんですね。この日はいらっしゃいませんでしたが。
宿谷滝 宿谷滝横から
(宿谷滝)
宿谷滝までは、人には会いませんでした。ですが、一番いい次期の週末ですからね。宿谷滝)から物見山への登りは、実はけっこう急なんです。足元も少しざれた感じの登りなんですが、さすがのおしゃべり高校生も、声が聞こえなくなりました。日和田山への途中から
(物見山に登る途中から)
物見山に登り、奥武蔵を南北に走るメインのルートに出ると、あとは人が途切れることはありませんでした。もちろん、私たちこそ、一行十五名ですから、遠慮しがちに歩かないとですね。

物見山から日和田山に向かう途中に駒高という山上集落があります。この区間、舗装された道路で、日和田山から来たハイカーと物見山から来たハイカーが、ここで出会う場所です。南西が開けているのですが、その中心に奥多摩の大岳山、御前山がいい形です。この日は富士山は見えませんでした。ここでお昼にして、日和田山に向かいました。

日和田山頂 
(日和田山山頂)
天気はいいんですが、少しもやってる感じです。日和田山山頂は、もはや混雑しているという状況で、小さなお子さんの泣き声が響きます。通過します。

神社前は少し落ち着いた雰囲気。ゆっくりと山にいることを楽しみました。高校生くんたちは、景色にもあまり関心がないのかな。おかげで私は特等席で存分に風に吹かれることができました。
日和田山神社 
(日和田山神社)
神社前でゆっくりして、今日は下山です。男坂の鎖場を下山したいという高校生がいたのですが、「自己責任でどうぞ」と言ったら、みんな女坂に来てしまいました。
日和田山下 
(日和田山下)
日和田山から巾着田に向かう道路に出たところで、一行は高麗川駅に向かうということなので、高麗駅に車をおいている私は、ここで一行とはお別れです。

高麗駅に向かう途中、日和田山が、なんだかちょっと膨らんで見えました。高麗駅への途中から日和田山
(高麗駅への途中から)
そうそう、新しく一年生くんが一人、仲間に加わったそうです。

今日歩いたのは、以下のようなコースです。
4月20日宿谷滝地図




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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本












































































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