めんどくせぇことばかり 2019年06月
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『ひとりじめ飯』 細川芙美

《#ひとりじめ飯》

井桁は何を表すんでしょう。・・・井桁ではない?《♯さん♭さん》の♯ですか?えっ?ハッシュ?

パソコンで井桁と打ち込むと、#と変換されます。これがハッシュ記号なんだそうです。シャープと打ち込んで変換すると出てくるのが♯。#と♯。なんだかちょっと違うでしょ。

おじさんにとっては、シャープとハッシュなら、シャープのほうが馴染みがあるんですけど、シャープは純粋な音楽記号なんですね。そりゃ、音楽で習いました。習った分だけ馴染みがあるんですね。ハッシュってのは習ってません。習ってないけど、このハッシュ、なんだか私たちの生活の中のいろいろなところに登場します。

例えば、《#ひとりじめ飯》ということです。

こういう場合の“#”が何を意味するのか。あるいは、特に意味を持たないのか。そのへんのニュアンスが、残念ながらおじさんには分かりません。

一般的には、#を付けることによって、それに続く言葉なり何なりをグループ化することにつながるようです。つまりは、この本に紹介されているのは、その他の一般的な料理と違って、あくまでも《ひとりじめ飯》という特殊な料理を集めたものであるということを主張するものと考えればいいんでしょうか。


やめた。やめた。

《完璧な献立じゃなくていい。上手に作れなくったっていい。自分が自分のためだけに、好きなように作るとっておきご飯》

それが“ひとりじめご飯”だそうです。



光文社  ¥ 1,512

自分が、自分だけのために作るとっておきのごはんが「#ひとりじめ飯」
第1章 今日のひとりじめ飯
第2章 深夜のひとりじめ飯
第3章 妄想ひとりじめ飯 


著者の細川芙美さんには、#ひとりじめ飯の自分ルールというのがあるんだそうです。

1 スーパーからひとりじめ気分に酔いしれる
2 好きなものは好きなだけ入れる
3 カロリーにとらわれてはいけない
4 待ちきれないときはキッチンで食べても良い
5 絶対におなかいっぱいになる量を作る
6 ひとつのフライパンでできるとこまでやる!
7 食べ終わったあと、ダラダラしてもよい


ああ、残念なことを行って申し訳ないけど、これってちっとも真新しくないです。どうしてって、若い頃の私はずっとそうしてきましたから。そして今も、独りで食べるときには、いつでもそうしていますから。関係ないのは“4”だけです。

もちろん、著者の細川芙美さんは、日本全国で活躍するフードデザイナーということですからね。なんといっても職業名がカタカナですので、私が食ってきた料理とは、ひと味もふた味も違います。しかも、“6”にあるように、ひとつのフライパンでできるところまでやるということは、できるだけ手間を掛けないで作るということです。

いずれの料理も、そのためによく考えられているように思います。それでも、#ひとりじめ飯で“幸福な気分に浸ろう”、“思うままに好きなものでおなかいっぱいになろう”とすれば、間違いなく太ります。このに紹介されている料理は、多種多様な食材が使われていて、バランスに富んでいます。

でも、それはおそらく、細川芙美さんだからこそで、他の人が“好きなものでおなかいっぱい”食べたら、多くの場合、バランスが偏って、気がついたら固太り状態に陥ってしまうでしょう。

それを承知して置かなければいけないと思います。

もとが何でも食べる方で、偏りのない私ですが、好きなものを食べることは私の生きがいでもあります。そのためには、できる限り、将来に渡って健康を維持していきたいです。還暦手前にしてはちょっと厳しい毎朝のトレーニングも、おいしく食べるためなら我慢できます。




テーマ : 料理の本
ジャンル : 本・雑誌

うなぎ『忘れない味』 平松洋子

貧乏性もあって、滅多に外でうなぎを食いません。

よく食うのは、スーパーで売ってるうなぎですね。連れ合いに、ニラ玉で閉じてもらうの。これが美味いんです。生協で頼んだうなぎを、おかずにご飯を食べることもあります。

そんな時に、うなぎのタレが余るんですね。そのうなぎのタレが余るので取っておいて、ちょっと薄めた煮汁を作って、そのへんの山椒の葉っぱでも、実でも取ってきてその中に入れときます。なんとなく馴染んだら、ボウルに取ったご飯にかけて、小さく切ったうなぎで混ぜご飯のようにします。“ひつまぶし”みたいなもんですね。

連れ合いにゆで卵をいくつも作ってもらっておいて、うなぎのタレを少し薄めて、その中に漬け込んで味を染み込ませるんです。これまた美味い。

スーパーや生協の出来合いでも、うなぎはうなぎ。そこそこ、美味いんなら、私なんか、そんなもんでも十分です。文句言われる筋合いはありません。

さて、この本の中に、南伸坊さんの書いた《うな重はコマル》という題名のコラムが取り上げられています。

「うな重のどこが困るんだよ」とばかりに読んでみれば、イマワノキワにも「うな丼が食いたい」という方がいて、その人が、「でも、うな重はコマル」と言うのだそうです。

うな重の場合、ご飯粒が重箱の隅に滞留する可能性が生じる。イマワノキワに「重箱の隅をつつくような人間にはなりたくない」ということなんだそうです。その点、うな丼の丸いどんぶりなら、そのような心配もないと。そんな事を言うと、うな重の怒りの雷が、その方を襲うことになるんじゃないかと心配です。

その方がイマワノキワに何を食ったか知りたかったが、残念ながら、いや失礼。喜ばしいことに、まだご存命のようです。


『忘れない味』    平松洋子

講談社  ¥ 1,944

「食」の面白さ・奥深さを探り、個々の作品の魅力を届ける食文学アンソロジー
・佐野洋子「天井からぶら下がっていたそば」
・伊藤比呂美「歪ませないように」
・旦敬介「初めてのフェイジョアーダ」
・野呂邦暢「白桃」
・林芙美子「風琴と魚の町」
・町田康「半ラーメンへの憎悪」
・深沢七郎「カタギの舌で味わう」
・鏑木清方「胡瓜」
・江國香織「すいかの匂い」
・野見山暁治「チャカホイと軍人と女 ――“林芙美子”」
・間村俊一 「ぞろり――食にまつはる十一句」
・堀江敏幸「珈琲と馬鈴薯」
・中島京子「妻が椎茸だったころ」
・益田ミリ 『マリコ、うまくいくよ』より「会社では、なんだか宙ぶらりん」
・吉村昭「白い御飯」
・山崎佳代子「ジェネリカの青い実」
・友川カズキ「眼と舌の転戦」
・平松洋子「黒曜石」
・石牟礼道子『椿の海の記』「第八章 雪河原」より
・美濃部美津子「菊正をこよなく愛した」
・南伸坊「うな重はコマル」
・高橋久美子「仲間」
・川上弘美「少し曇った朝」
・山田太一「食べることの羞恥」
・石垣りん「鬼の食事」
・吉本隆明「梅色吐息」
・ハルノ宵子「最後の晩餐」


でも、私のような貧乏性でも、時々、無性に外でうな重を食いたくなることがあります。そんな時は、前の日に予約を入れて、車で一時間ほどのところまで食いに行きます。

《うな和》っていう店です。店に行って注文したのでは、それからさばき始めますから、一時間くらいは待たされるそうです。そんなことで、事前に予約を入れるわけです。到着時間を行っておくと、それに合わせて仕事を始めておいてくれます。お茶が出て、骨せんべいが出て、それを楽しんでいるうちに、まもなくうな重が運ばれてきます。

ここのうな重は、食って美味いのはもちろんながら、食ってる間に身体に変化が現れます。身体が熱くなって、発汗が促進されます。明らかに身体がポカポカして、ついつい汗拭きを取り出します。

ああ、考えてたら食いたくなってしまいますね。

でも、ずいぶん行ってないな。前に行った時、就職を決めて家を出ることになった息子 を連れて、私と連れ合いと三人で《うな和》に行きました。私自身、ちょっと気負いがあったんでしょうか。《うな和》まで一〇分という踏切で、一時停止無視でおまわりさんに止められてしまいました。

自分は確実に左右を確認した意識があったんですが、捕まえるつもりで影に潜んでいたおまわりさんには何を行っても無駄です。息子にいいところを見せようとして、とんでもない無様を晒してしまいました。

それでも、うなぎは美味いので、なんとか面目を施す事ができました。《うな和》様様です。

《うな和》のうな重は、いくらでも値段に合わせて出してくれます。百円単位だそうです。二〇〇〇円なら二〇〇〇円のうな重。二五〇〇円なら二五〇〇円のうな重です。

私の感覚では、二五〇〇円のうな重は、重箱の隅までご飯が顔を出すところはありません。二〇〇〇円だと隅の方にご飯が顔を出しています。そんな感じです。

でも、二五〇〇円はお腹いっぱいになります。だから、二〇〇〇円のうな重で、ご飯少し少なめ。これがベストの注文のように感じています。

梅雨が抜けたら、すぐ《うな和》に行こう。




テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『韓国への絶縁状』 髙山正之

髙山正之さんが週刊新潮に書いている『変見自在』という連載、もう八百回を越えたんだそうです。私は週刊誌を読む習慣がないので、いつも一冊にまとめられたものを読んでいます。だいたい年に一回出版される『変見自在』シリーズが出るのを、喉から手が出るような思い出楽しみにしています。

八百回を越えるコラムの中で、出来る限り敬遠したいところではあるものの、どうしても避けて通れないためにやむを得ず綴った“あの国”に関するコラムを三〇本、集めたまとめたのがこの本、『変見自在セレクション 韓国への絶縁状』ということです。

三〇本のコラムなんですが、二〇〇四年のものから二〇一七年までのものの中から選ばれています。それにしても韓国は、この間、通奏低音としての他には考えられない国民性だけでも十分面白いのに、加えて常に新しい言いがかりを準備してくれるところが憎い程です。

その国民性を、“病気”と表現する本を読みました。“病気”であれば、その病状を観察し、原因を突き止め、それを除去して養生すれば、治ることもありえます。

しかし、それは“病気”でしょうか。どうもそうは思えません。だから、“国民性”と書きました。“性質”、性(さが)、質(たち)、なんでもいいんですが、治療とか手術くらいのことでは変えられない何かのように思えるんです。

李承晩が、いわゆる李承晩ラインを引いて竹島を分捕り、日本漁船に銃撃を浴びせて三九二九人の日本人漁民をしています。その際四四人の死者を出しています。抑留された人たちの境遇も悲惨なものだったようです。

李承晩ラインの設定と、日本漁民の漁船への銃撃、拿捕、抑留は一九五二年に始まります。それって朝鮮戦争のさなかじゃないですか。李承晩は朝鮮半島の戦争をアメリカにおっかぶせて、日本から竹島を取りに行っていたんですね。


『韓国への絶縁状』    髙山正之

新潮社  ¥ 1,404

これ以上関わってもロクなことなし。不快の元凶よ、さようなら
第1章  日韓関係を正しい歴史で知る
第2章  マネとパクリの偽物国家
第3章  恥を知らぬも程がある
第4章  朝日と韓国はここまで似ている


韓国の警備艇は、李承晩ライン近くを航行する日本漁船に襲いかかり、日本人漁民を釜山港に連行しました。棒で叩くなどの拷問で自白を強要し、一方的な裁判で判決を言い渡しました。

人間の行動と想像力というのは、民族とか国民によって性格が違うんですね。朝鮮人が併合期に日本人にやられたと言っていることは、日本人には思いもよらない事であるし、当然そのような行動に出るというのも考えられないわけです。その、日本人にやられたということを、彼らが抑留した日本人に対してやっているわけです。

つまり、朝鮮人が日本人にやられたと言っていることは、自分なら日本人に対してこういうことをするということを、口に出しているということなんだろうと思います。

有罪判決を受けた日本人漁民は雑居房に詰め込まれ、食事の不潔さは言語に絶していたそうです。書かれたものがありますが、口にするのもはばかられます。ほぼ全員が栄養失調になって死線をさまよい、餓死者まで出したそうです。

五四年以降は、イカサマ裁判の刑期が終わっても釈放せず、日本に無理難題をふっかける時の人質として使われています。

条件が揃えば、朝鮮人っていうのは、ここまでやります。これを病気と呼ぶのは間違っていると思います。それを承知しておくべきです。これまで彼らが日本にふっかけてきた多種多様、さまざまな言いがかりは、常に状況が許す範囲ギリギリで行われていることが分かります。

ロンドンオリンピックで、オリンピック憲章に触れる行動に出た韓国人選手がいました。韓国の論調は、それを旭日旗を問題化することで、相対化しようとしていました。

最近の徴用工問題でも、世界の常識から大きく逸脱しているにもかかわらず、それでも韓国政府は、なんとか日本に譲歩を迫っています。そう、いつもギリギリを狙っているわけです。

第二次世界大戦で世界から嬲りものにされた当時の日本であれば、韓国人のギリギリは、日本人を殺していいというところを遥かに越えてしまっていたわけです。

彼らはいつも、ギリギリを狙ってくるんです。







テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

日王『韓国「反日フェイク」の病理学』 崔 碩栄

最近、とんでもない言葉を聞きました。「まるで、韓国人みたいな人だな」という言葉です。

私も、その発言者も、同じ社会的集団に属しているのですが、その中で完全に自分の責任を放棄して他の人にそのつけを回した人物に対する発言でした。たしかに、ひどい言い方だは思います。韓国の方を一絡げにして見下しているのですから。韓国の人たちがこれを知れば、間違いなく憤りを感じるでしょう。

しかし、現在、韓国を代表する人物といえば、文在寅大統領です。韓国最高裁による日本企業への徴用工賠償問題では、三権分立を盾に問題を解決しようという姿勢を見せていません。

だけど、一九六五年の日韓基本条約で、“徴用工への賠償問題は解決済み”であることは、両国が確認している事項です。だからこそ、あの反日のバラ色大統領盧武鉉ですら、この問題では日本にイチャモンをつけることができなかったわけです。

《約束は守らなければならない》ことは、国と国との関係においても変わりません。「政権が変わりましたから、前の約束はなしになりました」っていうのは、国と国との関係において、本来通用しません。

その“約束を守る”という責任を放棄しているのが、文在寅です。

レーザー照射問題もそうね。韓国側が引き起こした問題について日本が指摘すると、韓国は謝らずにイチャモンをでっち上げて問題化させ、韓国が引き起こした問題を相対化させようとするんですね。

旭日旗が取り上げられたのもそうでした。今回も同じですね。韓国の駆逐艦が、自衛隊のP-1哨戒機に火器管制レーダーを照射したことを日本から抗議されると、それを否定した上で、P-1哨戒機が異常に低空飛行をしていたと逆に抗議をしてきました。

韓国に配慮して、火器管制レーダーを照射されたという極めて重大な問題を日本が引っ込めたあとでも、韓国は低空飛行への抗議を言い募っていました。

重大な責任ある組織がです。

責任を取るべき立場にあるものが、それを放棄して、他人にそのつけを回すようなやり方を、「まるで韓国人みたい」と考える日本人がこれ以上増えないように、韓国の責任ある立場の人は頑張って欲しいもんです。


小学館新書  ¥ 907
レーダー照射事件や、徴用工賠償命令など、韓国で再び反日ムードが高まっています
第1章 韓国マスコミの反日報道はこうして捏造された
第2章 なぜ天皇を日王というのか
第3章 慰安婦の隠された歴史
第4章 徴用工の嘘
第5章 北朝鮮の影
第6章 本当は日本が好きな韓国人


若宮啓文さん。ああ、前に朝日新聞の主筆をやってた人ですね。その若宮啓文さんが、二〇一五年に、韓国日報への寄稿コラムで次のようなことを書いていたんだそうです。
勝手につけた《日王》という呼称に、ほぼすべての日本人が侮辱されたような気持ちになるに違いない。可能であれば、韓国政府とすべてのメディアが意見をまとめて「天皇と呼びます」と宣言しよう。それだけで、日本国内の韓国に対するイメージは遥かに良くなるに違いない。
本書p70

間違えないでくださいね。彼が心配しているのは、天皇のことでも日本国民のことでもありません。日本国内における韓国に対するイメージ、ひいては韓国人の利益です。

それに、この《日王》という呼称を彼らが用いる問題の本質をはき違えています。彼らは以前から、《日王》という呼称を使っていたわけではないし、日本に併合されていた時代に、その起源があるわけでもありません。

日本に統治を受けた過去があるために、《天皇》という文字を見るだけで傷つけられたような思いになり、反感を抱いてしまうというわけではないということです。さらに、日本の統治が終わってからも数十年に渡り、韓国人は天皇という呼称を使ってきているのです。

過去に日本の統治を受けたということが、韓国人にとって屈辱であるという感情は分かります。韓国の責任を考えたとしても、他国に支配されることが悔しくないはずありません。でも、その感情と天皇は、長い間、強く関連付けられてはいなかったんです。

ところが、戦後数十年が過ぎてから、唐突に天皇アレルギーが起こったというんです。

日王という呼称が急激に使われるようになったのは、昭和天皇危篤のニュースが流れた一九八八年から、崩御の九九年です。それを契機に日王という呼称が定着し、天皇という呼称は、逆に禁句扱いされるようになったようです。

日本統治時代を知っている韓国人は、仮に天皇に反感を持っていたとしても、呼称を変えることでその人の権威や存在を引きずり降ろそうという発想はなかったんじゃないかと著者は言います。ある意味では、日本的価値観を知っている人たちですからね。

昭和天皇の崩御というのは、日本でも一つの時代の終わりを意味するように、戦争を知っている世代が後ろに退く時代です。韓国でもそう。戦後世代が社会の主役の座につきます。教育やマスコミの論調から“反日”を空気のように呼吸してきた彼らは、日本の足を引っ張り、日本を引きずり下ろすためなら、手段は選びません。今、自分たちに出来る、ギリギリのところまでやります。

その一つが、日王という呼称だったんでしょう。

そうそう、でも、韓国人はいつでもどこでも、日王という呼称を使っているわけじゃありません。使ってもいい場所。つまり国内向けです。だから、韓国人が天皇のことを日王と呼んで蔑んでいるなんてこと、知らない日本人はたくさんいると思いますよ。若宮さん。知らせてやった方がいいんじゃないでしょうか。




テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

梅雨空連続の前に川苔山に行ってきた

そうそう。この前、川苔山に登ったのは、そんなに前のことじゃないんです。昨年の一〇月です。昨年は夏から秋にかけての天候が不安定でしたよね。その時も、“晴れ”の予報に勇んでで出かけたにもかかわらず、蓋を開けてみれば“雨”。山頂で巡り合った人と、「最高の天気だね」と言い合ったことを覚えています。

さて、二七日からしばらくは、梅雨空が続くという予報。二五、二六は梅雨のさなかの貴重な青空になりそう。二七、二八が区長会の視察旅行に、心の底から喜んで参加することになってるので、その前に山に行って、事前にうっぷんを晴らしておくことにしました。

というわけで、奥多摩の鳩ノ巣観光駐車場に向かいました。
川苔山_190625_0023 (鳩ノ巣駅から 靄が上がっていく)

鳩ノ巣駅から奥多摩駅に行って、バスで川乗橋バス停で降ります。このバスで川苔山を目指すのは、色とりどりの南国の鳥のようなウインドブレーカーを着込んだ四人連れのマダムと私の五人だけでした。
川苔山_190625_0022

念入りに足首と肩を伸ばし、股割りをして、私が先に出発です。ああ、熊鈴忘れた。のっけから笛を吹きながら歩きます。ピー!

この間の名栗に続いて、ここも沢沿いの林道。沢そのものが、すべて滝ですね。この音は・・・。川苔山_190625_0020
(細倉橋 橋の向こう側を、右手の山道に入ります)

四〇分ほどで山道に入って、沢にかかる木橋を何度も渡ります。昨日までの雨で濡れているので、滑り具合をその都度確かめました。足の下には沢がしぶきをあげています。名前があろうがなかろうが、鮮烈な滝が繰り返し現れます。ときには、はるか下に沢を見ながら、高度を感じる細い道です。
川苔山_190625_0019 
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小一時間で百尋の滝。おお!
川苔山_190625_0016

百尋の滝から上に上げる道は、何度か滑落事故の起こるところみたい。おそらく、下りのときでしょうね。

いったん沢に下って、しばらくすると分岐があります。どちらも川苔山に向かう道ですが右手は足毛岩を経由するコース。こちらは前に歩いたので、左側のコースを選択。前も辛かったけど、今度も辛かった。
川苔山_190625_0015

ああ、なんか出そう。ピー! 笛を吹きすぎて腹筋が痛くなりそう。あえぎあえぎ登るうち、ようやく尾根筋に出ました。山頂はもうすぐです。
川苔山_190625_0014 
川苔山_190625_0013

百尋の滝から一時間少しで川苔山山頂に到着。ちょっとペースが早かったかな。
川苔山_190625_0012 川苔山_190625_0011

下は晴れてたのに、百尋の滝あたりでも青空が広がってたのに、その後、樹林の中で上を見ると雲が広がってました。山頂もやっぱり雲。恵まれないな。

でもまだ一〇時くらい。もちとしめじと人参とにんにくの芽が入った川苔山ラーメンを食べて、雲が上がって青空が広がるのを、山頂のベンチで昼寝をしながら待ちました。川苔山_190625_0009
川苔山_190625_0008

ベンチの上に、すぐそばの木が枝を伸ばしているんですが、顔の上、一メートルくらいのところに枝があるんですね。羽音がしたと思ったら、そこに小鳥が来たんです。
川苔山_190625_0007

「このやろう、私が寝てると思って、甘く見やがって」なんて思うわけないじゃないですか。かわいい。写真を撮ろうとスマホを取り出せば、絶対どこかに行ってしまうと思ってたんですが、ふと考えてしまったんです。

うんこしないかな。

邪念が浮かんだ瞬間、小鳥は飛んでいってしまいました。でもその後、また近くの枝に止まったので写真を取りました。

昼寝に飽きました。西側だけ、少し青空が覗きましたが、これがせいぜいでしょう。雲はどいてくれませんでした。下山します。鳩の巣に向かう樹林には、ハルゼミの重量感のない声が響き渡ってました。川苔山_190625_0006

林道に降りる頃に気が付きました。晴れている。尾根筋にも日があたっています。あれれ。でも、山頂の雲は動きそうもなかったから駄目だろうとは思うけど、下山中、上を目指す人とすれ違ったから、晴れているといいですね。
川苔山_190625_0003 
林道に出ましたが。このあともう一度山道に入り、二〇分ほど下ります。急な下りが昨日までの雨で湿っています。足元を選びながら下ると、やがて熊野神社の赤い屋根が見えてきます。舗装道路に出て振り返ると、尾根筋に日があたっています。晴れ渡った山頂を思い描いてしまいます。
川苔山_190625_0002

鳩ノ巣の観光駐車場に戻ると、ほぼ満車状態でした。平日だっていうのに・・・。
川苔山_190625_0001 
この日歩いたのは、以下のようなコース。
6月25日川苔山地図




テーマ : 登山
ジャンル : スポーツ

『エラい人にはウソがある』 パオロ・マッツァリーノ

もしかしたら、今、とても面白い本を読んでるのかもしれない。

二〇一五年の本で、買ったまま、読まずに眠らせておいた本です。“読まずに眠らせておいた”という部分には、あまりこだわらないでください。有り体に言えば、忘れていた本です。

だってですね。表紙のを飾る絵は中崎タツヤさんのうまへた絵。著者は、パオロ・マッツァリーノとかいう怪しいイタリア人。著者紹介によれば、このパオロ・マッツァリーノさん。イタリア生まれの日本文化史研究家とか。学歴はイタリアン大学日本文化研究科卒?

父は九州男児で国際スパイ、母はナポリの花売り娘、弟はフィレンツェ在住の家具職人。本人はイタリア語で話しかけられると、何故か聞こえないふりをする。ジャズと立ち食いそばが好き。

そんなわけで、どっちを先に読もうかなって時に、いつも後回し、後回しになって、いつのまにか、どっちを先に読もうかなっていう対象としても取り上げられなくなってしまったわけです。そんなことをしているうちに、その上に読み終わった本が、ドサッ、ドサッと積み重なって、買ったことすら忘れてしまったわけです。

それがこの間、一四年飼った猫のミィミィが死んだことで、そのミィミィの身辺整理をしていたら、その余波が押入れに及び、乱雑に積まれた本を片付けているうちに、この本の発掘に至ったわけです。

みんなに押しつぶされていたから、日に焼けることもなく、ほぼ新品の姿で発掘されたこの本。「ごめんね」と声をかけながらめくってみれば、儒教の始祖、孔子を取り上げた本じゃないですか。

ええっ? 孔子は儒教の始祖なんかじゃない? いったいこりゃ、どうなっているんでしょうか。


『エラい人にはウソがある』    パオロ・マッツァリーノ

さくら舎  ¥ 1,512

『論語』をありがたい教え、孔子を偉大な人物と思っているようだが、本当にそうなのか?
紀元前中華電視台スペシャル大特番『ありのままの孔子』
第1章 歴史的に正しい孔子と論語の基礎知識
第2章 本当はかっこ悪すぎる孔子の人生
第3章 まちがいだらけの論語道徳教育
第4章 封印されたアンチ孔子の黒歴史
第5章 渋沢栄一と論語をめぐるウソ・マコト
第6章 孔子のすごさはヘタレな非暴力主義にあり


冒頭、第一章の前にある《紀元前中華電視台スペシャル大特番〈ありのままの孔子〉》は、しっかり二〇ページも割いて書かれています。内容はと言えば、それがもう、いいたい方だって感じなんです。

五年連続“抱かれたくない知識人”ナンバーワンに選ばれて殿堂入りしたとか。

ひどいことを言いますね。このイタリア人。

でも、孔子は実際、「みんながマナー(礼)を守れば犯罪も戦争もない平和な世界になります。そんな世界を作るため、私は政治家になります」って、一生懸命就職活動をしていた人物です。考えてみれば、変なやつに間違いないですね。

一部では、YDKってこき下ろされてたとか。やっぱり、駄目な孔子。

ひどいことを言うな。この変なイタリア人。

論語の冒頭を飾る一編は、「人不知而不慍、不亦君子乎」。「人知らずして慍みず。また君子ならずや」ですね。「世間の人たちが認めてくれなくても怒ったり、恨んだりしない。それが君子ってもんだからな」って、それ、孔子本人のことじゃないですか。

自分には犯罪も、戦争もない世の中を作る力があるのに、その自分を政治家として採用してくれる国はない。結局、世間は認めてくれない。だけど、私は世間に怒りを向けたり、恨んだりはしない。君子だからな。

自分には政治家としての力があることと、君子であることは、孔子の中では揺るがない前提なんですね。

面白そうだな。このイタリアン大学卒。

これから、本腰入れて読みます。





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ジャンル : 本・雑誌

国の本質『韓国への絶縁状』 髙山正之

HANKYOREH 2019/06/20
韓国政府「韓日企業の財源に基づく強制徴用被害の補償案」を日本に提案
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/33704.html
(抜粋)
韓国と日本企業の自発的出資で財源を造成し、日帝強制徴用被害者たちに賠償する案を政府が日本に提案した。日本企業に強制徴用被害者に対する賠償を命じる昨年10月の韓国最高裁(大法院)の判決に反発した日本が、国内外で世論戦を繰り広げてきたことを受け、韓国がそれなりの代案を示して、日本にボールを渡したわけだ。日本政府は拒否の意思を表明した。

外交部は19日「訴訟の当事者である日本企業を含め、韓日両国の企業が自発的出資で財源を造成し、(裁判所の)確定判決を受けた被害者に慰謝料当該額を支給することで、当事者同士の和解がなされることが望ましいという意見が提起された」とし、「韓国政府は日本側がこのような方案を受け入れた場合、日本政府が要請した韓日請求権協定第3条1項の協議(両国間の外交的協議)の受け入れを検討する用意があり、このような立場を最近日本政府に伝えた」と発表した。チョ・セヨン外交部第1次官が先週末、日本を非公開で訪問し、この案を提示した。
(続きを読む)に全文

話にならない韓国政府の提案を、韓国の新聞がどう扱っているかということに興味があって、ハンギョレ新聞の記事を見つけてみました。まあ、“強制徴用被害者訴訟代理人団と支援団”の見解を載せているところあたりが、真新しいところでしょうか。

真新しいとは言っても、“強制徴用被害者訴訟代理人団と支援団”の言うところも、いつもながらの“韓国人の主張”なので、読んでもうんざりするばかりなんですが。

この本の“はじめに”が面白い。

アメリカの外交官で政治学者のジョージ・ケナンという人の見解を紹介しているんですが、その中に次のようなものがあるんです。

《米国が日本を中国、満州、朝鮮半島から駆逐した結果は、賢明な人々が警告したとおりになった》《今日、我々はほとんど半世紀に渡って、この地域で日本が担ってきた問題と責任を引き継ぐことになった》

このジョージ・ケナンという人は、一九四〇年代から五〇年代の末にかけての外交政策立案者で、ソ連の封じ込めを柱とするアメリカの冷戦政策を計画したことで知られる人物だそうです。ですから、ある意味では、日本がやってきたことを引き継いだ人なわけです。


『韓国への絶縁状』    髙山正之

新潮社  ¥ 1,404

これ以上関わってもロクなことなし。不快の元凶よ、さようなら
第1章  日韓関係を正しい歴史で知る
第2章  マネとパクリの偽物国家
第3章  恥を知らぬも程がある
第4章  朝日と韓国はここまで似ている


引き継いだ途端に始まったのが、朝鮮戦争。

この戦争の本質は、“朝鮮人同士が殺し合いをはじめた”というところにあります。戦後、どうやら独立を認められるらしいわけです。そういう状況になっても、彼らは日韓併合前の政権である朝鮮王朝を復活させようなんて、思いも及びません。復古王朝の王位につくべき李垠殿下がおられるにも関わらず、です。

李垠殿下は、まあ、朝鮮の歴史を日本に置き換えて、その国民性を日本人的な気質を前提に考えれば、国民の精神的な支柱となれる唯一の人物だったでしょうね。ただ、李王朝は、残念ながら朝鮮人に、あまり良く思われていなかったみたいですね。それに、皇室をいただいて尊敬の念を絶やさない日本人と違って、政治を国家の私物化くらいにしか考えない金日成やら李承晩やらの話です。

李垠殿下を半島に迎え入れることもなく、殺し合いが始まります。かつての日本は、そんなこと絶対にさせなかったわけですが
、日本を追い払って、アメリカとロシアで適当に分けるようなことをするから、殺し合いを止めることができませんでした。朝鮮人は二二〇万人が死んだそうですが、アメリカ兵も四万人も死んでるんだそうです。

《朝鮮半島で我々が陥った不幸な事態は、我々が日本をまったく理解せず、ただ日本を追い落とすことだけに固執したことへの皮肉な罰と認めざるをえなかった》

これも、ジョージ・ケナンの語ったことだそうです。

“関わった国を、片っ端から不幸にする国家”・・・それこそこの国の本質みたいですね。

そう言えば、冒頭に紹介したのはハンギョレ新聞の記事ですが、ハンギョレは、“一つの民族”とか、“一つの同胞”と言う意味だそうです。朝鮮民族の国家が北と南の二つに別れていることを指して、その統一を願う意味を持つ言葉だと思います。だったら、そうすればどうでしょう。何の障害もないのにいつまでも二つに分かれていると、自分たちが望んでそうなっているようにしか見えません。



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雨ん中、官ノ倉山に登ってきた

ったく、梅雨真っ只中ですね。高校生と山に登ると、“先に計画ありき”、・・・だからなあ。

しかも、教育委員会や登山専門部への届けは実施日の二〇日前までに提出しなければなりません。その日になってみたら、残念ながら雨だったので、「じゃあ、来週にするか」ってことになるなら、その”来週”の二〇日前までに届けを提出しなければなりません。

そんなわけで、せっかくの山だから、多少の雨なら、なんとか山を歩かせてやりたいじゃありませんか。たとえ、計画を少し縮小する形になったとしてもです。

今回はまさにそんなパターン。

顧問の先生が立てた計画は、東秩父の落合までバスで入り、官ノ倉山まで続く尾根に上がって小川町駅まで歩くというものでした。前半の行程が道の不明瞭なところもあることから、前半部をカットして、東武東上線で東武竹沢駅に行き、そこから官ノ倉山を目指すことにしました。官ノ倉山_190622_0011

そんなわけで、東武竹沢駅につくと・・・、バケツを引っくり返したような雨。東武東上線が小川駅、寄居駅間で、徐行運転しなければならないような振り方です。
官ノ倉山_190622_0010

東武竹沢駅で暫くの間、雨を見ながら過ごしました。

一時間ほどで空もだいぶ明るくなり、雨も弱くなったので、とりあえず出かけます。

しばらく、舗装道路を歩きます。すれ違った車の運転手さんが先頭を歩くリーダーに、「滑らないように気をつけて」と注意してくれました。官ノ倉山は頂上部に岩が露出していて、こんな雨の日は滑ると危険です。官ノ倉山_190622_0009

三〇〇m強の低山ですが、地元の人の心の山なんですね。だからこそ、その山に登りに来てくれている若い人たちに、怪我なんかしてほしくないんでしょうね。
官ノ倉山_190622_0008 
(三光神社)

歩きはじめて三〇分ほど、雨は完全に上がりました。蒸し暑い雨具を脱がせて、身軽になって山道に入ります。それにしてもすごい湿気。メガネが曇ります。

尾根上に出ると、道が十字に交差していて、本来歩くはずだった道と合流です。
官ノ倉山_190622_0007 

官ノ倉山まで一〇分足らず。最後は岩が露出しています。山頂は薄日がさしていましたが、湿気は相変わらずです。水分を補給し、行動食を取るくらいで先に進みます。いつ雨が降り出すか分かりませんから。
官ノ倉山_190622_0006 
官ノ倉山_190622_0005
(官ノ倉山山頂 向こうは石尊山)

双耳峰の石尊山からは、鎖場で始まる急な下り。ゆっくり、慎重に行かせます。もう、眼鏡が曇っているのか、景色そのものが曇っているのか、判断がつかないような湿気の中、三〇分ほどで舗装道路に出ます。官ノ倉山_190622_0004

官ノ倉山_190622_0003

ここからは、生徒たちに、地図を見て小川町駅まで歩けと支持して行かせました。私たちは、十分休憩をとって、あとから出かけます。

中間点の八幡神社付近で、ふと気づくと、生徒たちが後ろからやってきます。どこかで道を間違えた生徒たちを、いつの間にか抜いてしまったようです。しかも生徒たちは、地図よりも、スマホを頼りに歩いてるじゃありませんか。

ああ・・・。
官ノ倉山_190622_0002

駅につき、解散するとまもなく、雨脚が強くなりました。お昼ご飯の時間も取らずに歩き通して良かった。ザーザー降りでしたから。そんなわけで今日は、俺んちラーメンです。もちと、にんにくの芽としめじ入りです。
官ノ倉山_190622_0001

この日歩いたのは、以下のようなコース。本当は緑のルートが前半に入るはずだったんです。残念ですが、歩いている間だけは、土砂降りを免れました。良かったです。
6月22日官ノ倉山地図



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絆『続・孤独のすすめ』 五木寛之

本当に、電車の中で本を読んでいる人って少なくなりましたね。

漫画すら、読んでいませんものね。学生の頃ですが、大きな駅で、沢山の人が降りると、一冊や二冊の漫画本が網棚に残されていました。おかげで貧乏な私でも、漫画の本にありつくことができました。三年間、東京で兄と暮らしていましたが、二人して、その日に拾った漫画本を持って帰って、交換して読むのが楽しみの一つでした。今、たまに電車に乗っても、網棚の漫画どころか、本を読んでいる人を見かけるのが稀なことになってしまいました。

スマホで読むのか、新聞すら読んでる人はいません。漫画の本や、新聞を出している会社が、潰れているに違いありません。働いていた人がどうしているのか、心配になります。

スマホですね、皆さん。小・中学生から始まり、高校生や大学生、社会人に至るまで、ラインだのフェイスブックだのツイッターなどのネットワークに費やす時間が、ものすごく多いそうです。どうしてそんなに、寸暇を惜しむようにして、つながっていたいんでしょうか。そんなに仲がいいんでしょうか。

五木寛之さんは、背景にあるのは、孤独であることに対する不安と怖れのようなものではないかと言ってらっしゃいます。“孤独”よりも“孤立”の方が近いような気もしますが、要は“一人ぼっち”でないことを、常に自らが証明していなければ、自分の心の安定が保てないということではないでしょうか。

そんなにも、“つながり”に懸命になっているにもかかわらず、世間ではいじめが跡を絶ちません。あんなにも努力してつながっているにもかかわらずです。

高校の教員でしたから、いじめにも関わりましたよ。よく、いじめを苦にした自殺とかがあって、学校は気が付かなかったのかなんてことが問題になったりしますね。「いじめを見抜けませんでした」とか、学校が謝罪したりしますが、あれが信じられません。

いじめが行われている教室というのは、空気が淀みます。臭うんです。・・・嗅覚さえあれば、感じます。まあ、いじめを炙り出せたとしても、解決なんてありません。高校なんてたったの三年間です。いじめるにしても、いじめられるにしても、ずっと彼ら、彼女らは抱えていくしかないんです。

「ああ、高校生の時の自分は・・・」って思うまでね。もしかしたら、一生、それを抱えたまま、つながりに汲々としていくのかもしれません。



中公新書ラクレ  ¥ 799

本来、孤独を恐れるべきものだろうか。あるいは、孤独はただ避けるほうがいいのか
第一章 孤独に怯える人びと
第二章 「和して同ぜず」という思想
第三章 生物としての孤独とは
第四章 老いるヒントについて
第五章 孤独を愉しむ
終 章 孤独は永遠の荒野ではない


五木さんが、その“つながり”を求める思いに関連して、東日本大震災を機に澎湃して沸き起こった“絆”を求める声を取り上げてます。

「それに対して、私はしばしば天の邪鬼的に応じてきました」

そう五木さんは言ってます。そんな五木さんが“天の邪鬼”ならば、私もまさに、“天の邪鬼”でありました。

小さい頃からなんとなく感じていたのですが、私の家は、どこか他と違うところがあったんです。土地の習わしとも絡んだ問題でもあったのですが、それにともなう重さみたいなものがありました。祖父母は落ちぶれた家を盛り返すのに生涯をかけてきました。父は家のためにいろいろなことをあきらめ、母はそんな父を支えました。それぞれに懸命だったんだと思いますが、一個人の思惑なんかでは、どうにもならない問題があったんです。

私が高校の頃、それが表面化したらしく、といっても私にはその本質が何だったのか分からなかったんですが、明らかに家の雰囲気が変わってしまいました。私は三人兄弟の三番目なんですが、二人の兄が就職や進学で家を出て、私一人が取り残されてしまうような焦燥感にとらわれていました。

自分がこの家を継ぐのかななんて考えた時期もあったのに、私は大学進学と同時に、父母や祖父母の思いを引きちぎるようにして家を出ました。父母も祖父母は私の進学をきっと喜んでいてくれたはずなのに、私は勝手に家族の思いを引きちぎっていたのです。

家の絆、親族の絆、地域の絆、その絆っていうのは、言い換えれば“しがらみ”ですよね。鎖のような重さを持った“しがらみ”から解放されることは、若かった私にとって、どうしたって必要なことだったんです。

『青春の門』ですよね。五木さん。

“しがらみ”が必要な時代を、祖父母も父母も生き抜いてきたわけです。私にしたって、今は分かります。自分で引きちぎった“しがらみ”だけど、それには大きな意味があって、もう一度、結び直さなきゃならないところもあるってことです。

ただそれは、孤立を恐れてむやみに繋がりだけを求めるような、安易なものじゃないと思うんだけどな。




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『世界史の大逆転』 佐藤優 宮家邦彦

「“ゆで卵”になってしまったら、いまさら“生卵”には戻せません」

おお、そりゃそうだ。“ゆで卵”は“生卵”に戻せない。“生卵”を“ゆで卵にすることは出来るけどね。外から見た分には、ゆだっちゃってるかどうか分からないから、これがまた面倒なんですよね。

上の言葉は、佐藤優さんのもの。トランプ米大統領の言行に対しての発言です。トランプ大統領の行動は戦略的に行っていることならば矯正も可能であるが、無意識に行っていることでは直しようがないです。アメリカの政治エリートが形作ってきた国際関係の常識が、トランプ大統領の無意識に圧力を加えられています。

それによって、生卵が、もしかしたらゆで卵になっちゃってるかもしれません。

例えば、朝鮮戦争の休戦協定によって作られた核を持たない北朝鮮を、韓国とアメリカが抑止する体制が、トランプと金正恩があったことによってゆで卵になっちゃったかもしれません。

イラン核合意の破棄や、エルサレムを首都に認定して大使館を移転したことで、中東問題はゆで卵になっちゃったかもしれません。

トランプ大統領はいろいろなゆで卵を、あちこちにたくさん作ってしまったかもしれません。でも佐藤さんは、それはトランプ大統領一人の個人的な無意識ではないと言うんです。トランプ大統領を支えているのは、アメリカ的なるものの集合的な無意識だと。彼の支持層はヒスパニックに仕事を奪われた白人たちで、そういう人々の期待を背負っていて、それがトランプ大統領の無意識を動かしていると言うんです。

それぞれの、“国民的な無意識”ってのは、これは“国際的な常識”と同様に重要ですね。“中国人の無常識”って、確実にありますよね。“韓国人の無意識”って、・・・嫌だな。あれですね。そういうものの前では、“国際的な常識”が蹴散らされてしまったりします。まったくね。

“イラン人の無意識”も、当然あるわけです。この間、一三日ですよね。ホルムズ海峡付近を航行中の艦船二隻、日本関係の積み荷のタンカーだったようですが、これが攻撃を受けました。アメリカ、サウジアラビア、UAEは公然とイラン関与説をぶち上げてます。このあたり、もしかしたら、中東問題がゆで卵になっちゃってるからかもしれませんね。

まずいね。ホルムズ海峡が通れなくなっちゃったら。


『世界史の大逆転』    佐藤優 宮家邦彦

角川新書  ¥ 929

なぜ世界の常識は時代後れになったか? 二人の碩学が描く新時代の航海図
第1章 米朝首脳会談後の東アジア
第2章 国際情勢は「感情」で動く
第3章 核抑止から核拡散の時代へ
第4章 混迷する中東と「脱石油」の衝撃
第5章 AIが世界の「常識」を覆す
第6章 民主主義はもう限界なのか


中東っていうのもいろいろなんですね。ただ、イラン寄りとサウジアラビア寄りなんて単純な図式じゃないんですね。例えばカタール。

一九七一年にイギリスが撤退してUAEこと、アラブ首長国連邦が誕生した時、カタールもそこに加わるはずだったんだそうです。ところが、カタールの首長は、プライドばっかり高い人だったらしいんです。「あんなレベルの低い連中とは一緒になりたくない」って断ったんだそうです。

嫌なヤツには悪いことでも起こればいいのに、世の中そうじゃないんですね。その直後に、国内から石油と天然ガスが相次いで出たんだそうです。世界一の金持ち国家になっちゃったんですね。ただ、半分はイラン側の石油を吸い上げてたので、イランと仲良くする必要があったんだそうです。・・・そういうことなんですね。

そんな事もあって、アラブでは嫌われてるんだそうです。イラン寄りで、金持ちで、プライドが高くて、働かないんですから、これは嫌われて当たり前です。

アラビア半島には格付けがあって、メッカやメディナといった聖地をもつサウジアラビア、続いてクウェート、バーレーンとあって、続いてカタールがくるんだそうです。下には、アブダビ、ドバイ、オマーンというような序列になっているんだそうです。

サウジアラビアには強い敵愾心を、UAEにはライバル意識を持っていて、事あるごとにぶつかるんだそうです。

どこでも、近隣の国との問題は難しいもんですんが、どうでしょうね。韓国があるのと、カタールがあるのと、どっちが難しいでしょう。





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Author:イーグルス16

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現代とはなぜこんなにも棲みにくいのか。
前近代から近現代へと変貌し続ける世相の本質をつかみ生き方の支柱を示す。
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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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