めんどくせぇことばかり 2019年07月
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梅雨明け早々日光白根に行ってきた

蛭に食われた後遺症はまだ続いています。蛭は無理やり剥がしちゃいけないっていうのは本当でした。口が残るって言うけど、口が残ってるんだかなんだかわからないけど、食いつかれた部分に穴が二つ。まだかゆい。

これからは、山に行くのに塩を携行することにしました。梅雨明け早々日光白根山に行ってきました。でも、日光白根山には蛭はいませんでした。

天気は良さそう。ただ湿度が高く、気温が上がると雷雲が発生するという予報。登山口までくるまで2時間はかかります。コースタイムどおりだとけっこう厳しいから、とにかく家を速く出ました。四時です。四時。

沼田で高速を降りて菅沼駐車場についたのが六時一五分かな。車は四・五台止まってました。着いたときに準備を整えて出発した人もいました。二時間以上車に乗ってたので、よーく、体を伸ばして、足首まわして、股割して、ハイ出発。ゆっくり行きましょう。
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自分が向かう方角に連なると思われる尾根筋が見えます。とりあえず、あそこまで登るみたい。実際、その尾根の向こうに弥陀ヶ池があって、そこから白根山に登るようなんだけど、そこまではひたすら我慢の登り。
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それがまた、赤城にしろ、榛名にしろそうですが、火山特有のむやみな急登。私の前を行っていた茨城ダンディも音を上げていらっしゃいました。嫌な登りは足元だけを見ながら、ひたすら歩数を数えて目的の場所に近づいていることを意識します。

弥陀ヶ池から先は別世界。いや、そのまま極楽浄土と言えばよろしいでしょうか。弥陀ヶ池の向こうには、最初から惜しげもなく白根山が盛り上がっています。見えている高い山に登る単純さが嬉しいですね。
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高度を上げると燧が見えてきました。ただ、この日は山際から雲が湧きたって、周囲の山を隠してしまっていました。燧が見えたのもこの時だけでした。
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それにしてもまあ、登れば登るほどこの日光白根山って山は、登ってるこっちを試すかのように覆いかぶさってきます。気合い負けしないように自分を励ましながら足を出します。巨大なルンゼをが近づきます。

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シャクナゲはまだ咲いていました。こういうきつい上りの時、花はいいですね。振り返って、確実に高度を稼いでいることを確認して、上を向きましょう。
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上に行けば行くほど乗り越えなきゃいけない岩が大きくて、もう大変。ようやく稜線に出ると向こう側は切れていて、「おいおい」とか思いながら道探しちゃいました。慌てて動いて行き詰まらないように、そっから先、及び周辺は、しっかり道を見極めて動いた方がいいです。

山頂には、私一人。山頂、独り占め。いやいやこれはこれは、ははは、うれしい。夏空ではあるが、山際は雲が沸き立っていて、主だった山は隠されてました。上りの途中で見えた燧も、今は見えません。でも、夏空を白い雲が動く。・・・極楽でいい。
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次の人が来た。山頂は譲りましょう。それに、日光方面から湧いてくる雲が怪しい。ここまでだいぶ時間を稼いでいるけど、できればさらに稼ぎましょう。
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何か所かシャクナゲの群生がありました。中には断崖にへばりついて咲いていて、頑張るなあ。
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白根山から前白根に向けて下り始めると、中禅寺湖が見えました。そっちの方の雲がちょっと不安。しばらくすると、あれが五色沼かな。その斜面は花が多い。こまくさが咲いてました。ザレ場がおおく、何度か足を取られかけました。歩幅を小さくして下ります。
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振り返れば、ずいぶん急な斜面を下りてきたもんです。夏の空に白い雲。山肌が輝いて見えました。これが見たかった。
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鞍部には避難小屋があって、覗いてみると、利用にまったく支障ありません。ここから登り返して前白根を目指します。まったく、登りといえば、みんな急登で間違いなし。ただ、急登のあとは、これも間違いなく恵まれます。今度は中禅寺湖や五色沼が眼下に広がりました。男体山には雲がかかってました。
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前白根の登りで、弥陀ヶ池への登りで抜かせてもらった茨城ダンディに再会。五色沼、前白根を先にして、これから白根山に登るそうです。年寄り同士、お互いの年齢を交換すると、70歳とのこと。10年後、私は山に登れてるだろうか。

前白根到着。すでに日差しは雲に隠され、雨が落ちてもちっとも不思議じゃありません。一時ではあるが、ガスが巻いて白根山を隠しました。まもなくガスは上がったんですが、姿を現した五色沼に青空が写って、きれいでした。お昼ごはんは、五色沼まで行ってからにしよう。
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五色沼はとてもきれいでした。見上げる白根山も良い。日を避けるもののない場所ながら、雲が日差しを遮ってくれます。ここでスパゲッティを作ってお昼にしました。日光方面からの雲が多いけど、白根山にはかかりません。すぐすぐ降り出すようなことはなさそう。
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五色沼から弥陀ヶ池を経て、一度、白根山を振り返り、森に入ります。菅沼駐車場への帰途につきます。
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この日歩いたのは、以下のようなコースです。
日光白根地図



テーマ : 登山
ジャンル : スポーツ

『至福のどんぶりレシピ』 今井亮

梅雨明けと同時に、あまりにも暑いですね。

こんなことなら、七月二〇日あたりまでの梅雨寒が続いてくれればよかったのに。・・・今、「そうそう」って思ってたあなた、それはないんじゃないでしょうか。あんな日がいつまでも続いたら、一年をたったの一ヶ月半で暮らしている海水浴場の海の家の人たちはどうすればいいんですか。残りの十ヶ月半も、働かなきゃいけなくなっちゃうじゃありませんか。

だけど、気持ちはわかります。こう暑いと、食欲もなくなっちゃいますよね。

そんなあなたには、この本の《第3章 21時過ぎなら夜遅どんぶり》、《第4章 火を使わずに作れるいきなりどんぶり》に出てくるレシピがおすすめです。

《くずしやっこ》は、ボウルに入れた絹ごし豆腐を一口大に崩し、ねぎ、鰹節、おろしショウガ、醤油を混ぜて、ご飯に乗っけるだけ。

《もずくごま豆腐》は、同じように、絹ごしと、もずくと、ごまと、めんつゆを混ぜてご飯に乗っけるだけ。

《三つ葉コンビーフ》は、ボウルに三つ葉とコンビーフをあえてご飯に乗せ、わさびを添えて醤油を回しかけるだけ。

《めかぶオクラみょうが》は、その三者をボウルに入れてめんつゆとごま油で和え、ご飯に乗っけるだけ。

《イワシ梅とろろ》は、蒲焼き缶のイワシをご飯に乗せ、粗みじんの山芋と叩いた梅をボウルに混ぜて、イワシの上に乗っけただけ。

ね。かなりいいでしょう。自分でも実証済みです。そうめんもいいけど、それだけじゃ力が出ないからね。ご飯も食べましょう。これで夏を乗り越えましょう。



立東舎  ¥ 1,512

にすぐに作れて、食べれば体の中から幸せが満ちる10分どんぶりのレシピ集
第1章 ふわとろどんぶり
第2章 まんぷくどんぶり
第3章 夜遅どんぶり
第4章 いきなりどんぶり
第5章 やりくりどんぶり
第6章 さらさらどんぶり
Column1 たまにはぜいたくどんぶり
Column2・3 お湯を注ぐだけ、レンジでチンするスープ 



“どんぶり”ですから、ご飯に乗っけるわけです。

ご飯に乗っけてうまいものは、皿で出してもうまいです。たしかに、“どんぶり”と名前がつくだけで、私のようにかっこんでご飯を食べる人間には魅力が倍増して感じられます。ですが、どんぶりのご飯の上からから下りたとしても、ご飯に乗っけてうまいものは、皿で出してもうまいんです。

《しらすオムレツ》、《高菜の炒り卵》、《桜えびと玉ねぎの卵とじ》、《牛ごぼうの甘辛煮》、《鶏ももと大根の辛子醤油炒め》、《レバニラ》

ほうらね。彼らはご飯の上から下ろしても、確実にうまいです。上記は、いずれも立派なおかずになります。そういうものの他に、「もうひと皿、なにか欲しいなあ」って時にふさわしいものも数多く紹介されています。

《ツナマヨかいわれ大根》、《ツナキャベツ昆布》、《和風チキンサラダ》、《甘辛はんぺんこんにゃく》、《いかセロリのポン酢炒め》なんてところが揃ってます。

しかもこの本、いずれの料理も「10分でいただきます」といううたい文句のもとの考案されているんです。《レバニラ》も一〇分です。

簡単に、短い時間で作るために、いろいろな工夫がされています。例えば、少ない食材で作ることもその一つ。惣菜や缶詰を上手に工夫すること、卵の利用、肉も薄めに切ったり、ひき肉を使ったりね。

そういうのを、ご飯から下ろして、いろいろに組み合わせることで、いろいろに活用できそう。料理の本を参考に、そのまま作るってことは、実はそんなに多くありません。頭の引き出しに入れておいて、なんかのときに引っ張り出せればいいと思ってるんです。でもこの本からは、手間暇かからない料理ばかりなので、実際に作ってみたものが多かったです。

一番のおすすめは、《桜えびと玉ねぎの卵とじ》です。




テーマ : 料理の本
ジャンル : 本・雑誌

『ひとりメシの極意』 東海林さだお

私は駄目でした。

ご飯を外で、一人でお店に入って食べるというのが苦手です。やっぱり、人目が気になるんです。自分には自信がないくせに、人のことになると、心の中で不当な評価を下している私からすると、私も人から不当な評価を下されているに違いないと考えてしまうんです。いや違う。仮にその評価がどんなに低いものであったとしても、それを不当であると退けられるような価値のある人間ではないんです。

「その通りで御座います。恐れ入りました」と縄打たれて、八丈に向かう船に引かれて行く私です。お客ヅラしてお店に入って、偉そうにうまいものを食おうなんて、出来るわけがないんです。ましてや、酒まで飲もうなんて・・・。

何も分かってない若い頃は、この店がどうとか、あの店がどうとか、いつの間にか店と勝負して、意味もなく勝ち誇っていたりしました。かと思うと、逆に触れて、上のように卑屈になってね。結局は、どちらにしても、人目が気になって、素直に自分らしく振る舞えないんです。そうなると、美味いもまずいもありません。

だから、一人でお店に入って食べるというのが苦手です。かと言って、誰か人と一緒にお店に入って食べるというのも、よっぽど親しい人ならいいけど、そこそこの人と一緒にお店に入って食べるというのも、実はもっと苦手なんです。

というわけで、外に食べるなら、一人で店に入ります。

もう、昔みたいに、店と勝負に出ることはありません。勝ち誇ることもありませんし、卑屈に頭を垂れることもありません。だけど、それでも人目は未だに気になります。人目を気にしない傍若無人な客を見ることもありますから、そのくらいの緊張感はあった方がいいんだろうと思います。


『ひとりメシの極意』    東海林さだお

朝日新聞出版  ¥ 983

ひとりの食事を心底楽しめれば、人生最大の課題「孤独」もなんのその
特別対談 東海林さだお×太田和彦【前編】
第1章 冒険編 一番手っ取り早くできる冒険が「食」だ
第2章 孤独編 いじけても、ひがんでも、うまいものはうまい
第3章 探求編 小さいことにこだわらずに、大きいことはできない!
特別対談 東海林さだお×太田和彦【後編】
第4章 煩悶編 「メニュー選びにくよくよ」は、至福の時間
第5章 郷愁編 懐かしいもの、ヘンなもの大集合
第6章 快楽編 ああ!あれも、これも、ソレも食いたい!

誰かと視線がぶつかるっていうのは、人間にとってとてつもなく大きな問題なんですね。

例えば、店に入って、雰囲気を探るためもあって全体を見渡して、空いている席に適当に座って、何を食べようか壁にかかるお品書きを見渡そうとし線をあげた時、誰かと視線がぶつかったら。なぜその人は、自分の方に視線を向けていたのか。その人が見ていた何かとの間に私が割って入ってしまったのか。実は、ここは誰かが座っていた席で、たまたまトイレに立っているんだということを、視線で教えてくれているのか。こんな店に一人で入ってきた私を鼻で笑って視線を向けたのか。視線のぶつかったその人に対して、自分は今、どのような態度に出るべきなのか。

ずっと考え続けてきましたが、歳をとってきて、最近ようやく分かりました。

どうでもいいことでした。仮に、本当に何か意味があってこっちを見ていたんだとしても、間違いなく大したことではありません。

お店の人にしても、どんな客であっても、注文して、ご飯を食べて、お金を払ってくれる以上、お店の人が客に敵意を向けるとか、速く帰ってくれないかなとか、そんなこと思ってるはずがありません。思っているとしたら、その店は一刻も早く廃業したほうがいい。私の人生の中で、そんな店は一軒しかありません。

札幌にありました。さして遅くもない時間に店に入って、おつまみを注文してビールを飲んで、二本目を注文したところで、「それ飲んだら帰ってください」って言われました。

その店だけです。だから、ごはん屋さんで、また居酒屋で、あなたの周りを飛び交う視線は数限りなくありますが、そのいずれもが、あなたに悪意を抱くものではありません。人生の中で一度だけ、悪意を含んだ視線にぶつかるかもしれませんが、その時は仕方がない。討ち死にしましょう。

とても面白く、とても読み出がありました。食べることは、人生ですね。




テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『鬼とはなにか』 戸矢学

祇園祭のひと月が終わります。

正式名称は、祇園御霊会。その始まりは八六三年、貞観五年です。貞観と言えば、二〇一一年三月一一日の東日本大震災と同じ場所、同じ原理で、この貞観年間に地震が起きてましたよね。その時も、沿岸を津波が襲い、さらには川をさかのぼりました。現在の神社の多くも、その貞観年間の地震の際にも、津波の難を免れた場所に建てられていたって話を聞きました。

その千年以上前の八六三年、すでに藤原氏は権力基盤を固めた時代ではありますが、そこまでには数多くの人々を追い詰めて滅ぼし、まさにその権力は、恨みの上に恨みを積み重ねるようにして築き上げたものでした。折から都には疫病が蔓延し、その被害は猖獗を極めていたそうで、怨霊の祟りではないかという恐怖が広がっていたそうです。

事実、この御霊会は、早良親王、伊予親王、藤原夫人、橘逸勢、文室宮田麻呂、藤原広嗣らの怨霊を鎮魂するってのが具体的な理由として行われています。

どうやらそれでもことは収まらず、八六四年には富士山がドカーンと大噴火、八六九年には陸奥国三陸沖大地震ですからね。「怨霊の力が強くてどうも鎮魂できそうもありません」で尻尾を巻くわけに行きませんから、意地になっても、毎年ハデハデしく鎮魂にかかっているうちに、祇園祭として定着していったんでしょうか。

そう言えば、富士山に関わる面白い考察がありました。日本の古くからの信仰は、森羅万象を神とする思想で貫かれるものです。中でも山は、代表的な神奈備で、神霊が宿る依代です。さらにその中でも最大の神奈備が富士山であることは言を俟ちません。その富士山を依代とする神様が、ドッカーンと噴火して、溶岩で周辺を焼き尽くす富士山の神様がコノハナノサクヤヒメでは、誰が納得するでしょうってことですね。たしかに、縄文の雄々しい神が、この山を依代としていたと考えたほうが良さそうです。

編纂を主導した藤原不比等がいくら消し去ろうとしても、実在する富士山を消せないように、その神も消せなかったって言うんです。その神は、然るべき名前で日本書紀に登場していると言うことなんです。こんな文章があります。

「山も川もことごとく鳴動し、国土すべてが震動した」

まさに富士山の噴火、あるいはそれにともなう地震を思わせるような文章じゃありませんか。これ、アマテラスに合うために高天原に向かうスサノオの様子を表すものです。そう、著者の戸矢学さんは、スサノオこそ富士山の神というんです。魅力的な話です。


『鬼とはなにか』    戸矢学


河出書房新社  ¥ 1,998

日本人の精神史の中で気にされてきた鬼 まつろわぬ民か、縄文の神か
第1章 鬼のクーデター あずまえびす、ヤマトに叛逆す
第2章 音量は鬼か 鬼となる怨霊、ならぬ怨霊
第3章 鬼を祀る神社 温羅伝説と国家統一
第4章 女が鬼になる時 舞い踊る夜叉
第5章 ヒミコの鬼道 神の道と鬼の道
第6章 鬼門という信仰 都人の祟り好き
第7章 異世界のまつろわぬ民 山人・海人・平地人
第8章 鬼の栖 縄文神への追憶


祇園祭は八坂神社の祭礼ですが、その八坂神社に祀られれるのが牛頭天王です。京都を開いた人々は、この牛頭天王を信仰する渡来系だそうです。この渡来系の人々が、政争を繰り返し、権力をめぐる攻防から人を追いつめ、滅ぼして恨みを残しました。折からの流行病に天変地異。これを祟りと恐れたわけですね。著者は、祟を恐れる習俗・気質は、百済人特有のもので、和人はそこまで人を追いつめないと言います。

「和人は人を追い詰めない」という点に関しては、そのとおりだと納得できます。しかし、祟を恐れる習俗・気質に関してはどうでしょうか。

日本列島は災害の多い、同時にここでなら十分生きていける、なおかつここからの移動は難しい場所です。ここで行きていくべき場所だと思うんです。それだけに、逃れがたい災害に対処した生き方が求められます。そのためにも、自分だけでなく、人のことを考えて生きる術を身につけてきたんじゃないでしょうか。逃れがたい災害に対処した生き方こそが、「和を尊ぶ」という生きる姿勢を生んだんだと思うんです。

その「和を尊ぶ」という生きる姿勢が、人を追い詰める渡来人のやり方に遭遇した時、それをことさら強く戒める物語として怨霊信仰を生んだんじゃないでしょうか。

縄文から弥生への移り変わりの中には、いろいろな物語があったんでしょう。現代の日本人は、平均的に一五%ほど、縄文の血を引いているんだそうです。そして、政治的には大和政権によって、縄文人は駆逐されてきました。そのなかで、鬼の伝説が生まれたんでしょう。鬼は、まつろわぬ縄文人ということですね。

だけど、弥生の血をより濃く引く私たち日本人ですが、精神的な部分では「和を尊ぶ」縄文人の気質が受け継がれているようです。それを考えると、著者の、「この事実を明瞭に解くのは、人種・民族の入れ替わり以外にないのではないか」って言う単純な話でもなさそうな気がします。

いろいろ考えさせられる、面白い本でした。




テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『不都合な日本語』 大野敏明

雑誌を読まないもんですからね。

この本は、著者の大野敏明さんが、雑誌の『正論』に同名の『不都合な日本語』というタイトルで書いていたコラムをまとめたものだそうです。『正論』を読んでれば、もっとめぐりあうのが早かったんでしょうけどね。

大野敏明さんは、産経新聞の社員として仕事生活を始め、その後、大学の講師や客員教授を務めながら、著作活動をしている方のようです。経歴に出てくる著作の題名だけ見ても、ずいぶん面白そうな本を書いていらっしゃるのに、これまで一冊も読んでいません。まあ、縁がなかったんでしょう。

産経新聞の記者から評論活動している人というと、私は髙山正之さんの本にはずいぶんいろいろ教えてもらってます。髙山さんは主に国際政治から、この本は“言葉”からと、本来切り口が違います。ですが、ものの捉え方とか、感性が、お二人はよく似ているように感じられました。

題名のとおり、このコラムは“言葉”にこだわるところから始まったもののようです。その始まりは平成二二年です。当初は、文字通り、“日本語”にこだわったテーマ選定のもとに社会問題を絡めたコラムが書かれていたもののようです。

それが平成二五年あたりから、取り上げられる言葉自体が、問題化している社会事象の中から選定されるようになったもののようです。

この本を取り上げるのは二度目なんですが、そのへんの移り変わりもわかったいただけるよう、前回は目次を全部紹介しませんでしたが、今回は紹介しておきます。移り変わりをお分かりいただけると思います。



展転社  ¥ 1,728

現在の日本語」を取り上げながら時局を批評し、おかしな現代社会を痛快にぶった斬る
序の巻
「であります」は陸軍ことば 「シナ」はなんで嫌われる
「マジっすか」はマジ?  「マジっすか」はマジ?
ぶっちゃけの時代  粛々
チョーとメッチャのセレナーデ  普通
想定外  ハンパねー
しっかり  メド
真逆  政治生命
テンパる  あけおめ、ことよろ 
破の巻
ばっくれる  愛
適材適所  最高顧問
どや顔  清廉潔白
オコのプン  熱烈歓迎
独島  中国
応援宜しくおねがいします  訓示
平和憲章  中国詣で
朝鮮民主主義人民共和国  厚顔無恥
おねえ言葉
急の巻
藩属国  太平洋戦争
参議院  反戦平和
ありがとうございます  ザップ将軍
虚偽表示  自重と譲歩
A級戦犯  二月入試
東海  国民的コンセンサス
軍事忌避  従軍慰安婦
個人情報  朝日新聞
強制連行  土井たか子
挺身隊  大学の自治
プールサイダー  日本国憲法前文
朝日新聞・二  ドイツの反省
痛切な反省  七十年談話
十八歳選挙権  徴兵
十八歳飲酒喫煙  ノーベル平和賞
世界記憶遺産  言論弾圧
水爆実験  弾道ミサイル
学校推薦  民進党
朝鮮労働党大会  在沖縄米軍
野党共闘  植民地支配
社民党  死刑廃止
トランプ大統領  ポケモンGO
一つの中国  二十二世紀


長々と、目次を全部あげてみました。

前半の、“日本語”にこだわったテーマの選定で書かれたコラムも面白いですよ。私はどちらかと言うと、こちらの方が好みです。還暦間近のおじいさんですからね。どうにも、テレビやラジオで耳慣れない“日本語”を聞くと、気持ち悪くなっちゃうんですよ。仕事してても、若い教員の連中がそういう言葉を使ってるのを聞くと、ニコニコしてても“オコのプン”です。

「・・・です」とか、「・・・ます」といった語尾の二語を強調する言い方が流行りのようなんです。なんか変な言い方だな~と思ってたら、若い女の教員が放送による生徒の呼び出しで、「*年*組**さん、今すぐ職員室前までお願いします」ですって。もう、身の毛がよだちます。

一番最初に取り上げらている《「であります」は陸軍ことば》なんか、コラムで終わらせるのがもったいないくらいですね。「自分が悪くありました」と言えば陸軍。これが海軍なら、「自分が悪かったです」。陸軍は「自分がやるであります」。海軍は「自分がやります」。どうも、陸軍ことばは癖が強いですね。

それもそのはず、陸軍ことばとは、つまりは長州方言なんだそうです。陸軍を創設したのは長州の大村益次郎。大村益次郎が殺された後も、山県有朋が、ずいぶん後まで幅を利かせますからね。しかも、軍なら、どうしたって言葉の統一は必須ですから、長州方言に統一されたということでしょう。

海軍は志願ですが、陸軍は徴兵です。徴兵され、陸軍で長州方言でしばかれ、兵役を終えた人々が、癖のある「であります」言葉を全国に撒き散らしたということのようです。

菅直人元首相が「内閣総理大臣の菅直人であります」と挨拶したのを、菅さんは高校二年まで山口県で育ったと種明かしする大野さんですが、これはどんなもんなんでしょう。

初代の総理大臣である伊藤博文も「内閣総理大臣の伊藤博文であります」と言ってるはずですよね。薩長藩閥が長く続く中、もしかしたら政治ことばにも長州訛りが染み込んじゃったんじゃないでしょうか。

いろいろ考えさせられて、とても面白かったです。後半は問題化している社会的事象の中から言葉が選定されることになりますが、まあ、そういうのもいいんですが、今でも日々新たに、年寄りを苦しめる“不都合な日本語”が生まれてきている気がするんです。




テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『ロシアを知る。』 池上彰×佐藤優

先週、町の図書館に行くと、いつもと違って駐車場が一杯になっています。

いつもガラガラのはずなのに何だこりゃと思ったら、図書館の二階が期日前投票の投票所になっているんです。ずいぶん期日前投票の人が多いんですね。驚きました。

私は二一日に、朝ごはん前に行ってきました。投票のたびに思うんです。日本共産党って、どうして党名を変えないんでしょう。だってもともとは天皇制の解体をうたい、ブルジョワ革命を通してプロレタリア革命につなげようとしたわけです。ロシア革命を由とする人たちですから、皇族は殺され、有産者は奪われ、スターリンの手先がすべての日本人の生殺与奪の権を握ったわけです。

そんな日本共産党が、なぜ未だに、その名を名乗って恥じないのか。その理由の一端は、次のようなことであったかもしれません。

日本共産党は、ソ連崩壊の時、ソ連を見放して生き延びたんだそうです。

赤旗は「(ソ連共産党の)終焉を歓迎する」と大見出しを打ち、宮本顕治は党員に、ロシア革命とかソ連共産党とかから離れた、日本共産党員としての自分の物語を語らせたんだそうです。

佐藤さんが、ソ連の功罪というか、ロシア革命とソ連という巨大な実験の失敗の総括がされていないということに触れています。ロシアの功罪と言って、私なんかじゃ罪ばかりを並べ立ててしまうでしょう。でも、ロシア革命の衝撃っていうのは、その共産主義の非人間的な側面だけじゃなかったわけですよね。佐藤さんは、ソ連という巨大な実験の“功”の部分がとても大きかったことを指摘しています。

“教育の無償化”、“社会福祉”、“女性の労働参加”、いずれも、まずソ連で行われ、それに対抗するために資本主義国で取り入れられたものです。修正資本主義なんて言われますけど、修正が行われたのは、ソ連という存在があったればこそです。

宇宙開発については、ずっと、ソ連がアメリカをリードしてきました。一九五七年に人工衛星スプートニクを打ち上げて、有人宇宙飛行でもソ連のガガーリンに先を越されました。「地球は青かった」にまさる言葉を、アメリカは未だ宇宙開発史に刻めていません。一九七〇年代までは、社会福祉や医療でも先を行っていたようです。


『ロシアを知る』    池上彰×佐藤優

東京堂出版  ¥ 1,728

北方領土問題、プーチン、ソ連について最強の二人が語りつくす異色のロシア本
序章  動き始めた北方領土交渉のゆくえ
1章  蘇る帝国「おそロシア」の正体
2章  「ソビエト連邦」の遺産
3章  ソ連社会の実像ー繁栄から崩壊へ
4章  独裁化する国家権力
5章  ソ連・ロシアの幻影を追う日本
6章  帝国の攻防ー諜報と外交の舞台裏


逆に、“罪”は以外に少ないと言うんです。

そのまず最初にあげたのが、スターリン時代のソ連では三〇〇〇万人の国民が死んだのに対して、東条英機首相の日本では三〇〇万人の国民が死んでいます。佐藤さんは、これは程度のであるととらえています。

ちょっと違うような気がしますね。日本の死者数は、ほぼ全て、戦争で死んだもの。しかも、無様な戦争指導による死者は二三〇万ですね。八〇万は、アメリカの卑劣な銃後への無差別攻撃による死者です。スターリン時代のロシアの死者には、戦争指導による死者だけで二〇〇〇万人でしょう。しかも、三〇〇〇万の中には、スターリンの性格を根拠とする、多数の粛清による死者が含まれているはずです。

これは程度の差ではないと思います。

ロシア人の特質はとても興味深く読みました。一年間を通して、日本人が三五五日分積み上げたものを、ロシア人は最後の一日だけで三六六日分積み上げるだけの能力があるという話。それだけの能力と集中力があるということですね。だけど、民族ジョーク等によく出てくる話ですが、雑な仕事はロシア人の特徴のようにも言われているところです。そのへんのところはどうなんでしょうね。

この本は、池上彰さんと佐藤優さんとの対談物です。このコンビ、最近何冊か読んでます。それらの本と比べても、今回のこの本はちょっと異質。『ロシアを知る。』は、完全に池上さんが聞き役に回っています。同調する役割といえばいいんでしょうか。それにしても、池上さんの《笑い》とあるところに、なんだか本心を隠した“笑い”を感じるんです。

それに、全般を通して、佐藤さんはロシアに甘いように思います。ロシアに対して甘くて、日本に厳しい。沖縄のご出身ということからくる日本への厳しさかと勘ぐりたくなるくらい、日本に厳しい。かなり手厳しい。沖縄県民の被った悲劇は極めて残念なことですが、ロシアへの甘さを考えると、日本への厳しさが際立っているように思えます。なかでも、安倍政権に対してもは、ずいぶん厳しい。それも、これまでの佐藤さんと政権の関わりと関係するんでしょうか。

時には教条主義的かなと思われるほど、基本的な部分をものすごく大事にしながら現状を分析される方なので、よく著作を参考にさせてもらっています。ただ、今回は、上記のバランスが気になりました。







テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『精日』 古畑康雄

多くの友人は、歴史問題への反省について、日本の態度はドイツほど誠実でも深刻でもないという。私もこのような見方に反対はしない。だが同時に、このような味方をする人も、次の三つの点について理解してほしい。

第一に、同様な反省の前提は、同様な罪を犯したか、ということだ。ニュルンベルク裁判では、ドイツは人道に対する罪で裁かれた。だが東京裁判では、日本への人道に対する罪は成立しなかった。この点は非常に重要だ。

ドイツの首相は、かつて跪いて謝罪したが、それは戦争への罪ではなく、反人類の罪への謝罪だった。彼はユダヤ人が虐殺された記念館で、ホロコースト政策と行為に対して謝罪したのであり、ドイツ国内では必ずしも良い評価ばかりではなかった。ドイツは戦争を始める前にホロコースト政策を始めており、日本にはこのようなことがなかったことが、東京裁判で確定している。

植民地や戦争に対して謝罪したのは、歴史的には日本だけだ。第二次世界大戦の前後に、英米仏蘭はアジアに植民地を持っていたが、日本を除けば、植民地について謝罪した国はない。

日本は歴史問題について、社会の主流や政府も、東京裁判の結果を覆そうとはしていない。多くの人が、当時の裁判が「罪刑法定主義」「刑事法の不遡及」など法学の基本原則から見て勝者による政治的な裁判であり、中立な法的裁判ではないと見ている。が、日本政府や社会にとっては、東京裁判は、日本が連合国による占領を終わらせて国際社会に回帰する条件だった。政治的な妥協として、日本はこの条件を受け入れた以上、少なくともこれをひっくり返すことはできない。

歴史的な罪が異なれば、歴史的な責任も異なる。それゆえ、何かに付けてドイツと日本を比較する人は、この点について基本的に理解してほしい。さもなければ日本の右翼から誤りを正され、中国人が最も愛するメンツを失ってしまうだろう。
本書p122

これを書いたのは、“中国”人です。いや、かつて“中国”人だった人です。

“中国”江蘇省出身の女性で、二〇年ほど前に日本に留学し、現在は弁護士事務所で働きながら、日本人と結婚して三人の子どもを育てていらっしゃるそうです。

その仕事と子育ての合間に、“中国”の人たちに本当の日本を知ってもらいたいと、微信に、日中関係や日本の歴史や社会について書いた記事を投稿しているんだそうです。

「“中国”人は声がでかくて嫌だ」とか、「“中国”人のマナーが悪くてこわい」だとか、そんな先入観、あるいは固定観念なんか、吹き飛んでしまうような変化が、今、起こっているようですね。

『精日』    古畑康雄

講談社+α新書  ¥ 929

特権階級の中国を「あなたの国」と呼ぶ中国人はアイデンティティを失い、日本に引かれている
第1章 「精日」の時代背景
第2章 「精日」の精神的祖国
第3章 「精日」の百人百様
第4章 共産党から見た「精日」と日本
終章 「精日」に対し日本人は


二〇〇四年のサッカーアジアカップにおける反日行為。それから二〇〇五年、二〇一〇年二〇一二年の反日暴動。

やられた側にしてみれば、理不尽な暴動への恐怖心と敵意だけが残ります。そりゃそうです。そのたびに日本企業、大使館、領事館などが投石され、放火され、略奪にあうんですから。ですが、こういう意見もあるんです。二〇一二年の反日デモを最後に、その後、いかなる反日デモも起きていないと。

なぜ、反日暴動、それ以前に反日デモすら起きなくなったんでしょうか。どうやら、訪日旅行者が、その後、爆発的に増加したことの影響が大きいらしいんです。本、映画、ドラマばかりでなく、多くの“中国”人が直接日本を体験するようになりました。そうそう、爆買が話題になりましたよね。今では買い物ばかりじゃなくて、日本でいろいろな体験を楽しむようになったみたいです。

GDPで日本を上回ったとはいえ、種々の技術やライフスタイル、生活の質は、まだまだ“中国”は先進国とは言えない状況です。しかも、欧米に比べて距離も近く、文化や考え方も比較的馴染みやすいものがあるでしょう。“中国”人にしてみれば、本来、日本は抵抗なく受け入れやすい憧れの国であるはずなんですね。

この本の題名である《精日》とは、精神日本人の略語だそうです。中国共産党が当てはめた解釈では、「日本軍国主義を崇拝し自民族に恨みを抱く、精神的に軍国主義の日本人と同一視する非日本国籍の人々のこと。彼らは第二次世界大戦の日本軍服に陶酔し、日本軍の侵略遺跡で記念写真を取り、抗日戦争の英雄を誹謗する。彼らは主に、中国や韓国に存在し、低知識階層の若者が中心で、“日雑”とも呼ばれる」とされている。

バババ、バッカじゃなかろうか。

《精日》と言われる人々は、日本文化を熱愛し、日本社会のマナーを尊重するごく普通の人々のことだそうです。そして彼らの多くは、本当に日本人になりたいと思っているようです。日本に触れることにより、中国共産党から与えられていた情報が全てウソであることが分かっちゃったんです。だから彼らは、本来の“中国”というものは、実はどこにもないんだけれど、すくなくとも中国共産党が支配する“中国”に同じアイデンティティを持てなくなってしまっているようです。

これは、問題が大きそうですね。そういった状況が、“中国”の政策決定に影響を与え始めているかもしれません。

もちろん、中国共産党の与えるものしか情報がない人たちもたくさんいます。貧しい人々ですね。多数の貧しい人々は、中国共産党から与えられた日本しか知らないから、日本が大嫌いなわけです。中国共産党は、知識階層や、ある程度の経済力があり、日本を体験してしまった人々を騙せなくなっています。その中国共産党が最後に頼りにできるのは、多数の貧しい“中国”人しかいないことになります。

・・・また、文化大革命か?





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うで卵『ひとりメシの極意』 東海林さだお

この本を、準備してあるカテゴリのうち、いったんは《本 料理》に分類しました。

そのあと、なんか気持ち悪い。なんだか心の中で、小さな声がしているようなんです。その心の声に耳を傾けてみると、それは心の中の私の良心の声。「ねえねえ、ちょっとちょっと」って。

しばらくしてから気が付きました。この本を《本 料理》に分類したことの対して、私の良心が抗議の声をあげていたのでした。たしかにそうでした。これは料理の本ではありません。私は、この『ひとりメシの極意』という本を、《本 日本 思想》に分類し直しました。すると、良心からの抗議の声は、聞こえなくなりました。

「ゆでたまご」、「ゆで卵」、「茹で卵」、「茹卵」、「茹でた孫」、「うでたまご」、玉子という字を使う場合もありますし、・・・どれがお好みでしょうか。私は「うで卵」なんです。方言なんでしょうか。たしかに、「おらが方じゃ」祖父母も父母も、そう言っておりました。

連れ合いに笑われるんですが、どうもこれが矯正できません。あの、殻をむかれたツルンとした姿形にふれると、「ゆで卵」より「うで卵」の方がふさわしいという思いが頭の中にあるからでしょう。

卵は安売りの日に、10個入りのパックで買います。二人暮らしになってからは余らせ気味でした。かつての一時期、卵の食べすぎがよくないように言われたじゃないですか。コレステロールが上がるとかなんとかって。その頭が少し残ってるんですね。なんの問題もないんだそうですね。

ということで、連れ合いにうで卵を作っておいてもらうようにしてるんです。いつでも食べられるように。連れ合いの作るうで卵は、ツルッと向けるんです。これは、玉子のおしりの方、空気溜まりのある方です。茹でる前に、おしりの部分をぶつけて穴を開けておくんです。そうすると、見事にツルッと向けるんです。

そのまま塩を付けて食べるのが大半ですが、「今日のお昼はパンにしようかな」なんて思ったら、うで卵と一緒に残ってる漬物を刻んでマヨネーズであえてタルタルソースにしたりすることがあります。

あと、あれです。生協で買ったうなぎを食べたときに、どうしてもタレが残りがちじゃないですか。そのタレを少し薄めて、むいたうで卵を付けておくんです。これは滅法うまいですよ。

『ひとりメシの極意』    東海林さだお

朝日新聞出版  ¥ 983

ひとりの食事を心底楽しめれば、人生最大の課題「孤独」もなんのその
特別対談 東海林さだお×太田和彦【前編】
第1章 冒険編 一番手っ取り早くできる冒険が「食」だ
第2章 孤独編 いじけても、ひがんでも、うまいものはうまい
第3章 探求編 小さいことにこだわらずに、大きいことはできない!
特別対談 東海林さだお×太田和彦【後編】
第4章 煩悶編 「メニュー選びにくよくよ」は、至福の時間
第5章 郷愁編 懐かしいもの、ヘンなもの大集合
第6章 快楽編 ああ!あれも、これも、ソレも食いたい!


《第3章 探求編》の初っ端に“ゆで卵は塩?”というのがあります。

そこでは、東海林さだおさんの、うで卵に対する愛を感じさせられました。「剥いたとたん愛着を覚える」と言うんです。これ分かりますね。そこに書かれていたことは、まさに私の思いと同じでした。次のように続きます。

「しっとりとして、軟らかく、押せばへこみ、まだ命あるもののように思い、思わず何か一言語りかけたくなる。しかもなにか温かくて、思いやりのある言葉をかけてやりたくなる」

これはまるで、孫を抱いたときに湧き上がってきたあの感情と同じじゃありませんか。

「手のひらにのせたゆで卵になにか語りかけている人を見たら、なんだか微笑ましく思い、つい目元が優しくなるはずです」

こうなると、これは確信です。うで卵に対する私たちの思いは、まさに孫に対するものであったわけです。完全無欠の、あの大理石でできているかのようなあの卵の白い肌は、孫の蒙古斑の入ったお尻を思わせます。

“ゆで卵は塩?”は、目玉焼きなら、塩もあれば醤油にソースと、どれにするかで人間性を問われるような議論を展開することもありうるのに、なぜ、ゆで卵は塩なのかという問題提起です。

しかも、そのような問題提起をしておいて、東海林さだおさんは、「ま、いいや、今回は大まけにまけて“塩で”ということにしましょう」と、この問題を解決してしまうんです。「大まけにまける」というわけのわからない技こそが、まさに最強ということになりましょうか。

そして、パラパラっと塩をふりかけて、まだその一粒一粒が卵の白い大理石の上で液化せず張り付いている状態を、塩のザラっと舌にくる感触を白身から黄身まで巻き込んで、この「うでた孫」を食べるのです。ああ、




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雲の中、三国峠を歩いてきた

高校生と一緒の登山です。そのため、予報が雨でも、とりあえず決行です。青春18切符で越後湯沢に出発です。

国境の長いトンネルを抜けると、・・・けっこう明るいんです。群馬側は降ってたのに。少し期待を持ちつつ、タクシーで三国峠登山口に向かいます。
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運転手さんが登坂車線からガンガン抜いていくような気合いの入った人で、三〇分もかからずに、登山口到着です。ただそこは、ほとんどガスの中。 登山口は工事中のトンネルのわき。山道に入ると、やはり、歴史を感じさせる、いい道です。
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高校生と一緒の歩いていやなのは、ゆっくり歩くという能力に欠けること。こっちは、いろいろ考えて、念の為念の為とプラス酒で荷物が重くなりますが、経験と想像力に欠ける彼らは、荷物はできる限り軽くして速く歩くのが正解。
 
その上、石仏に思いを馳せたり、写真に残そうかなんて考えはまだ持ち合わせないらしく、そうなると、立ち止まってしまった私は、遅れを取り戻すために、なけなしの筋力を早々に使わなきゃいけない。

なんて、ぶつくさ考えているうちの、もう三国峠。ほらやっぱり速すぎる。ここもガスの中、というより雲の中。石碑にここを通った人の名が刻まれている。その先頭か、えーと、…坂上田村麻呂?おお、ついに田村麻呂と肩を並べたことに満足して三国山をピストンします。
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峠と山の往来は、木道、と言うよりは木段で、濡れていて、下るときは往生しました。ただ、ニッコウキスゲはじめ、きれいな花がたくさん咲いていて、今日の全行程の中で、一番楽しかったです。
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雨の中でも、花はいいですね。こんなこと、若い頃には思いませんでした。人間って変わるんですね。高校生も変わるかもしれません。私もかつては、速いことを第一としておりました。でも私は、先生のビールを担ぎましたけど。霧のの中にお花畑が霞んでました。晴れていればとは、思いますが、・・・。

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この直後、先に見える樹木の辺りで、先頭を歩いている部員が木道で足を滑らせ転倒。脇のがれ場にプチ滑落。

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三国峠に戻り、永井宿に下ります。この下りで私たちは、ひとつの大きなミスをおかし、ひとつの大きな災難に見舞われました。

ミスは、下山し始めてすぐに分岐があるのをうっかりして慎重さが足りず、法師温泉への道を下ってしまったことです。リカバリーする道があったので、バスを一つ逃しただけで、ほぼ所定のコースを歩くことが出来ました。
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写真は登り返しの登山口。とても分かりづらく、いったんは見過ごしてしまいました。

災難は、蛭の大群に襲われたことです。今まで、気がついたら首筋にひるが、とか、靴下の上から蛭に血を吸われたことはありましたが、今回はあまりにも数か多すぎるんです。

『☆☆☆生息域です』という表示があったんですが、☆☆☆の部分だけ消えています。「そう言えばさっき、蛭を見かけたね」と話をしていたときは、すでに遅かったんです。☆☆☆はまさに《山ヒル》だったようです。

最初に異変に気づいたのは一年生くんで、座り込んでなにか言いながら靴と足首の隙間に指を突っ込んでいます。その様子が伝染するように、他の部員、さらには顧問もかがみ込みます。中には靴を脱ぎ始める部員もいたんですが、よく見れば、周りに蛭がいます。生徒は短い靴下を履いていましたので、すでにそこに蛭が張り付いて血を吸ってました。

無理に取り除くと口が残って血が止まらなくなるという話を聞いたことがあります。ライターの火を近づけてみましたが、すぐには離れません。虫よけは、スプレーではなく、ウェットティッシュ型のものを使っていたんですが。それで上から押さえつけてみたんですが、やはりすぐには離れません。それに数も多いので、やむを得ず、軍手をして除去しました。

とにかく、蛭の巣みたいな場所のようですから、目に見えるものだけ除去して、そこを離れました。その後の生徒の足の速いこと速いこと。

一時間ほどで舗装道路に出ると、部員たちは雨の降る中、靴を脱いで蛭と格闘し始めます。屋根のあるところまで行かせたかったんですが、まあ、蛭を見るのもはじめてのような人たちですからね。気がつけば顧問も靴を脱いでました。「うわ~、何匹も入ってる」って靴を覗いて言ったのは、一年生くんです。

いったんは除去させてますので、その後の一時間でさらに靴から登ってきたか、跳ね上がる泥と一緒に飛んできたんでしょう。おそらく私も・・・。

とりあえず、早く屋根のあるところに行かせたかったので、肌についている蛭は軍手で取らせて、靴についているのは、ライターでナイフを焼いて、それで取らせました。これはよく取れました。ナイフ二本を交互に焼いて、次々渡して、なんとか目処を立て、移動してバス停の控室に入りました。

私も自分を確認したら、靴の表面に、何匹か、もぞもぞしています。私は足首の高い登山靴に膝までの靴下をはいていましたが、その靴下の上から、4ヶ所、血を吸われていました。それをナイフでこそげ落とし、靴を確認したところ、中も含めて軽く10匹は越えてました。靴紐の裏側に隠れているような奴らがいるんです。それらを焼いたナイフで取り除いて、ほっと一息です。ふと気がつくと、靴下が赤く染まっています。蛭に吸われたところの血が止まってないのです。

バス内も含めて、この後も、「まだいた」って声を、何回聞いたことでしょう。バスを乗り継いで、上越線後閑駅につく頃には、その声もなくなりました。

後から考えてみると、蛭に血を吸われるってのは、とてつもなく嫌な経験ではありますが、血が止まってしまえばそれで終わりですね。他の毒をもった生き物や獣と違って、気持ち悪かったいい思い出になりそうです。

今、同様のルートを考えている方、いろいろな蛭対策があると思いますが、あそこの蛭は今、数が多すぎます。私は首筋に一匹いましたし、髪の毛に蛭を付けている部員もいました。下が悪く、泥が跳ね上がったときに付いたんでしょう。靴から上がってきた奴らばかりとも思えません。それに靴にスプレーで対策しても、下がドロドロですから効き目が長持ちしないと思います。梅雨明けまでは、再検討をおすすめします。

この日歩いたのは、以下のようなコース。
7月22日三国峠越え地図



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おに『鬼とはなにか』 戸矢学

埼玉県の滑川町にある高校に勤めていたことがあります。

お隣の嵐山町に、鬼鎮神社って神社がありました。畠山重忠が菅谷館と呼ばれる居館の鬼門除けとして創建されたんだとか。ここの神社、節分でも「鬼は外」とは言わないんです。「鬼は内」なんですね。「鬼は内、福は内」なんです。みんな内に入れちゃうんですね。

二月三日の節分祭は、地元の人で賑わうんですよ。豆まきは三時から。出店も出て、楽しいお祭ですから、来年は是非お立ち寄りください。東上線の武蔵嵐山駅から歩いていけます。そうそう、ついでに畠山重忠の菅谷館は埼玉県立嵐山史跡の博物館になってますので、こちらに先に寄っておくといいですね。

博物館もいいんですが、ここは館跡全体が史跡で、公園として公開されています。公園内には掘割も残っていて、砦としての堅牢さも感じさせてくれます。秩父平氏が秩父から出て、関東平野の入り口に当たるのが、この嵐山町あたり。眼の前の広大は関東平野が広がり、北の勢力との接点にもなれる位置ですから、絶好の地理的条件を備えています。

そういう場所に館を築いて、その鬼門を塞ぐためにつくられたのが鬼鎮神社ですから、歴史の一コマですよね。しかもこの神社、その鬼を排除するんじゃなくて、鬼も「我と共にあれ」とばかりに、迎えているわけです。

歴史の授業の一環と銘打って、生徒連れてお祭りに行ったことがあります。楽しかったですね。でも、学校に戻ったら、何人か消えてました。そのまま帰っちゃったんですね。

“鬼”、・・・魅力的ですね。これを、“おに”と書くと、さらに魅力的です。そのあたりのことが、この本のまえがきにありました。


『鬼とはなにか』    戸矢学


河出書房新社  ¥ 1,998

日本人の精神史の中で気にされてきた鬼 まつろわぬ民か、縄文の神か
第1章 鬼のクーデター あずまえびす、ヤマトに叛逆す
第2章 音量は鬼か 鬼となる怨霊、ならぬ怨霊
第3章 鬼を祀る神社 温羅伝説と国家統一
第4章 女が鬼になる時 舞い踊る夜叉
第5章 ヒミコの鬼道 神の道と鬼の道
第6章 鬼門という信仰 都人の祟り好き
第7章 異世界のまつろわぬ民 山人・海人・平地人
第8章 鬼の栖 縄文神への追憶


“鬼”は、本来は死人です。なんと、“鬼”という感じは、毛髪がわずかに残った状態の白骨を意味する甲骨文字だそうです。

ああ、これですね。ずいぶん頭の大きな人が座り込んでるように見えますけど、大きな頭の部分が、何本か毛が残っている白骨の頭蓋骨なんですね。鬼

甲骨文字が改良された“鬼”という漢字は、死人です。その“鬼”という漢字が日本に入ってきて、今では、私たちはこの漢字を、音読みで「き」、訓読みで「おに」と読みます。

「おに」は、大和言葉。漢字の“鬼”が入ってくる前から、「おに」はいたわけです。

「おに」の原型とされる「おぬ」には、「いない」「目に見えない」という意味があるそうです。「目に見えない」けれどもそこにいるもの。私たちはよくそれを感じます。山であったり、森であったり、川であったり、海であったり、風も太陽も月も星も、それこそいたるところでそれを感じます。

それは「もの」であり、「かみ」と呼ばれるべきものです。

ただ、それが鬼という漢字を当てて現されるようになることによって、「おに」の意味が、漢字の鬼に引っ張られちゃうんですね。本来持っていた、「目に見えない」けれどもそこにいるものの中から、神の意味が失われていくんです。

「おに」は、山であったり、森であったり、川であったり、海であったり、雲の上で太鼓を叩いていたり、大きな袋を抱えている物の怪だけを表す言葉になっちゃったんです。

だから、「鬼は外」なんですね。

だとすれば、この国古来の「おに」を取り戻そうとするならば、鬼鎮神社の「おには内」は、本来のあるべき姿なのかもしれませんね。




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Author:イーグルス16

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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本












































































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