めんどくせぇことばかり 2019年09月
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『ガンプラ凄技テクニック』 林哲平

本日発売!

先日、毎月28日に川越の成田山別院で行われる蚤の市に行ってまいりました。

土曜日ということもあって、大変賑わっておりました。半年ほど前、長男のお嫁さんをもらいに大阪に行く機会がありまして、その際、帰りに京都によって、立体曼荼羅を見ようと東寺に行ったんです。三〇年くらい前、一度、それを目当てに寄ったことがあったんですが、期せずしてその日は三月二一日、蚤の市が立つ日だったんですね。

そこで連れ合いは大好きな黄色い着物と、九谷焼の獅子を見つけ、上気した顔で「どう思う?」っていうんです。もはや留めるすべはないじゃありませんか。着物は自分なりに仕立て直して、お獅子は玄関に鎮座ましましてます。

川越で蚤の市が立つ日があるというのは、おそらく連れ合いも知っていたんですが、自分からは言い出しにくかったのかもしれません。私から水を向けると、「じゃあ、行こう」、「すぐ、行こう」ということになったわけです。

会場の成田山別院に着いたのは九時。とりあえず、一〇時に山門で合うことにして中に入りました。私は鉈や魚籠、竹製のかごなんかを見つけましたが、しっくり来るものはなく、三〇分ほどで見終わってしまいました。

ちょうどその頃、連れ合いにあったんですが、すでに丸々膨れ上がったビニール袋をかかえています。着物のたぐいのようです。私に気づくと、「一〇時じゃなくて、一〇時半にしよう」と言って雑踏に消えていきました。



ホビージャパン  ¥ 1,620

週末だけでもカッコいいガンプラが作れる究極テクニックガイド
つくる前に知っておきたい揃えておきたいオススメ工具17選
MGザグ・キャノン×砂漠ウェザリング
MG量産型ズゴック×水垢ウェザリング
MGジム・スナイパーカスタム×宇宙ウェザリング
MG量産型ゲルググVer2.0×バトルダメージ
MG RX-78-2ガンダムVer.2.0×フレームモデル
MGザグⅡVer.2.0×湿地帯
MGギラ・ドーガ×冬季迷彩
RE/100ガンダム試作4号機 ガーベラ×スプリッター迷彩
MGユニコーンガンダム3号機 フェネクス×メッキウェザリング
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MGジム・スナイパーⅡ×ガンダムアメイジングレッドウォーリア
MGジム ジオン鹵獲仕様「CMS03Jゲム0082北アフリカ」
RE/100ハンマ・ハンマ×らいだ~Joe風塗装法
MGセカンドVダッシュガンダム
MG RX-78-2ガンダムVer.Ka×セイラマスオ風ディテールアップ&塗装法


そこから一時間、私は少しでも興味の持てるものを探して、市の中をさまよいました。、

歩いてみると、それがあるんですね。昔遊んだメンコやベーゴマ、あとは物置にあったような農機具とかね。唐箕なんかもあって、丹念に見ていくと結構時間を費やすことができました。

そういえば母が言ってました。田舎の物置を物色に骨董屋が回ることがあるらしいんです。「アイツラは泥棒みたいなもんだ」

だまって物置に入って物色しているんだそうです。母が見咎めると、お金を渡して目についたものを持っていこうとしていたそうです。隣の“ワケーシ”に声をかけて追っ払ってもらったって。

それを思い出したら、そこにあるものが、同じようにして持ってきたもんに見えてきて、とてもじゃないけど買おうかという気持ちにはなれなくなってしまいました。

メンコのことは、私の在所では“パース”って呼んでいたんです。どういうわけだか知りませんが、ずいぶん持ってたはずなんですが、母がなんかの際に頼んだ職人にせがまれて、みんなくれてやったっていうんです。レコードもくれてやったって言ってました。レコードと一緒にステレオもくれてやったって言ってました。求められるとなんでもやっちゃうんです。だったら、骨董屋に売ったほうが良かったんじゃないでしょうか。

そういう母なんです。もうずいぶん前に亡くなりましたけど。

私が子供の頃には、ガンダムというのはありませんでした。もしもあったら、のめり込んでいたでしょうか。

そんな、ガンダムに謂れも曰くもない私が、なぜこの本を取り上げたのかと言うと、この本の著者、実は私の縁者なんです。それもかなり近しい・・・。そんなわけで、どうぞよろしくおねがいします。

何がお願いしますなのか、よく分かりませんけどね。




テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『季語を知る』 片山由美子

高校三年の8月、夏休みも終盤に入ろうという頃、私は受験勉強から逃げ出しました。

「ちょっと山に行ってくる」と言ってでかけた先は、北アルプスの涸沢です。山岳部の一番小さいテントを持ち出して、それを張って、周辺の山を・・・、何ていうのかな。登るとか、山頂を極めるとかじゃないんですね。フラフラしてたんです。3日目、ヒュッテに幕営料を払いに小屋に行ったら声をかけられて、忙しい時間帯だけ手伝いをさせてもらったりもしました。もとがバカなもんですから、そのうち自分の立場も忘れて・・・、いや、分かっていたのに忘れたことにしておいて、涸沢に居続けました。

ある朝、朝食後の片付けも終わってお客さんを送り出し、ヒュッテから出て青く晴れた空に向けてそそり立つ山を見ていると、何かそれまでとは違う、爽やかな風が吹きました。ヒュッテに戻ってカレンダーを確認すると、その日は9月3日でした。

まあ、分かっていたことなんですが、逃げ回るのもそのへんが限界で、その日のうちに埼玉に帰りました。涸沢にいたのは、10日間だけでした。

あの風は、明らかに夏の終わりを感じさせるものでした。

それ以来、何よりもあのときと同じ爽やかな風と高い空に秋を感じます。

この本にも、秋の季語として、高い空が取り上げられています。“秋高し”、“天高し”と使われてるケースが多いそうです。「天高し、馬肥ゆる秋」という言葉がありますね。これは秋の爽やかさを称える言葉ではないんだそうです。「馬が肥える秋が来た。臭覚を狙って騎馬民族が侵入してくるぞ」という警戒の言葉だそうです。

ここで言ってる騎馬民族とは匈奴でしょうか、鮮卑でしょうか。いずれにせよ、警戒している側は、長城の内側に住む農耕民に違いありません。つまり、“中国”の話です。“中国”では古代において、すでに高い空に秋を感じていたんですね。

なんて考えながら読んでいたら、この本にはそのことについて書かれていました。たとえば『漢書』です。その中の《趙充国伝》に「到秋馬肥変必起矣」(秋に到れば馬肥ゆ、変必ず起こらん)とあるそうです。これから「到秋馬肥」という言葉が生まれ、「秋高馬肥」として伝わったんだそうです。

さらに、同じく『漢書』の《匈奴伝》には、「匈奴は秋に至って、馬肥え弓勁し」とあるそうです。騎馬民族は、どうやら匈奴だったようですね。


『季語を知る』    片山由美子

角川選書  ¥ 1,728

季語の歴史と本意を古今の歳時記を比較しながら丹念に考察 秀逸にして野心的「季語論」!
第1章 春の詞
第2章 夏の詞
第3章 秋の詞
第4章 冬・新年の詞
第5章 季語という言葉


俳句をやってみたいって、ずっと思ってて、なんか俳句を始めるにふさわしい本でもあればと、そのたびに読んで見るんだけど、いつもそれきりで終わってしまうんです。本気さが足りないんですね。

実は、この本もそんな、“本気さが足りない”適当な気持ちで買ってみたんです。しかし、“本気さの足りない”私のような者が読む本ではありませんでした。

季語を、それが季語として認識されるようになった時期にさかのぼって、古典で、時には“中国”の故事に求めて、どのように使われていたのかということを考証していこうという取り組みをまとめたのがこの本です。

上記の、「秋高し」にしたって、『漢書』にさかのぼって、北方騎馬民族匈奴の農耕地帯への侵入に、その源を求めることになったわけです。同じように、宇宙の底を見つめているかのようにどこまでも高い空に秋の到来を感じたとしても、それは匈奴侵入の脅威に直結する言葉だったわけです。「秋の到来」までは同じでも、そこから引き出されるのが、「爽やかさ」だったり、「実り」であったりする日本人とは違うもんです。

この本は、そこまで求めます。この本を入門書として俳句に入ろうというのは、ちょっとふさわしくなかったみたいです。

それにしても、「秋高し」ということがから「脅威」を思い起こした人々の感情は、高い空と爽やかな風に大学受験の現実に引き戻された私の状況に近いような気がするんですが・・・。

もう一つ、秋といえばさんま。不漁と言われながらも、スーパーで見かけるようになりました。それでもまだ高いですね。昨日は1尾200円で売ってました。150円を切ったら買ってみようかな。どうせだったら、河原に行って炭火で焼いて食べたいな。

いつ食おう 今日のさんまは 200円




テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

扇山・権現山へ、富士山を見に

 先日、奥武蔵を歩いて秋を感じました。景色の透明感もだいぶ増しているように思いました。なにしろ、野末張見晴台から、午後になってもスカイツリーが見えてましたから。

今日は、ちょっと贅沢をして、山梨県まで足を伸ばしてみました。秀麗富嶽十二景の一つ、扇山です。若い頃を含めても、はじめて登る山です。地図でコースを調べていたら、時間的にも随分余裕がありそうなので、もう一山加えてみることにしました。

車で行くので、結局、戻らなきゃいけないから、行動が制限されてしまうんですが、少し頑張って扇山の向こうにある権現山まで行って戻ってこようという計画です。

車を置くのは扇山梨の木平登山口にある無料の駐車場。7時半には歩き始めたいので、家を5時半少し過ぎに出ました。到着したのは7時少しすぎくらい。6~7台置けそうな駐車場です。脇にあるポストは登山届かなと思ってみてみたら、扇山整備のための協力金を依頼するポストでした。IMG_5258.jpg (梨の木平登山口の駐車場。ポストには帰りに100円入れました)

扇山までの道は、整備されていて、とても歩きやすい道でした。中間点あたりに水場があって、その上に山の神が祀られています。そこからはつづら折りの急登。ひたすら登ります。
IMG_5260.jpg (空が高く見えるようになりました。これなら期待できそうです)

IMG_5266.jpg (沢の水を管で通して桶に汲んでいます。美味しくいただきました)

IMG_5272.jpg (花は知らないんだけど、葉っぱと茎はイタドリのような気がする)

IMG_5273.jpg (ようやく百蔵山との縦走路、尾根上に出ました)

IMG_5274.jpg (尾根に出てからも急な上り。あそこが山頂みたい)

IMG_5275.jpg (広々とした山頂ですね。振り向くと・・・)

山頂に出ると、ドカーンと富士山です。そうか。山梨からだと、富士山はこんなにでかいんですね。この間の大菩薩よりもでかいみたい。
IMG_5277.jpg 
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朝、家で作った梅のおむすびを食べて、権現山に出発しました。草を踏み分けて権現山に向かう道に入ると、・・・道がありません。・・・いや、ありました。それにしても、道が薄いです。ピンクや赤のテープがありますが、油断すると、道を見失いそうです。
IMG_5281.jpg (曽倉山は浅川峠手前の小ピーク)

進むにつれて道ははっきりしてきました。浅川峠から先は、扇山までの整備された道とは大違いながらも、しっかりした道がついていました。今度の敵はさっき以上の急登です。浅川峠からは400メートルの登り返しです。山頂直下で尾根に出るのですが、上を見ると、尾根が近づいているようの思えるところが何度かあって、「これは違う」、「また違う」、「これも違う」と、何度かがっかりを繰り返して、ようやく山頂です。
IMG_5282.jpg (最後の一時間の上りは本当にきつかった)

富士山が見えてのは山頂についた直後だけで、雉子を撃ってる間に富士山は雲に隠されてました。季節は一進一退、少し湿度が高い用です。「残念」と思いながら南の方角を見ると、こっちは山がよく見えています。「こっから見える山って」って思いながら権現山ラーメンを作りつつ地図を確認すると、中央にドカーンとでかいのは三頭山、その左手は雲取に始まる奥秩父の山々、右側の端正な姿は御前山?
IMG_5283.jpg (富士山が雲に隠されてしまう)

IMG_5286.jpg (ゆで卵、キャベツ、ゴーヤ入り。今、家にはゴーヤがたくさんある)

IMG_5284.jpg (三頭山、大きいですね)

IMG_5285.jpg (奥は奥秩父の山々。一番右が雲取)

IMG_5287.jpg (三頭山の東側だから御前山ですよね)

この日は扇山でも、権現山でも誰にも合わず、山頂を独り占めでした。それどころか、駐車場から権現山をピストンして帰ってくるまでの間、誰にも合いませんでした。
IMG_5288.jpg
 (目玉の親父なら、傘として使えそう)

両方とも山頂からの景色はとても魅力的なのですが、山頂以外は景色は見えません。このピストンのコースは、それがちょっと残念ですね。

帰りにも感じたんですが、浅川峠と扇山の間が、やはり道が薄いですね。どうやらここを歩く人は、あまり多くなさそうです。
IMG_5268.jpg (扇山を経て、水場まで下りてきました。この山行もまもなく終わり)

この日歩いたのは、以下のようなコース
扇山・権現山地図



テーマ : 登山
ジャンル : スポーツ

前方後円墳『仕組まれた古代の真実』 関裕二

考古学により確かめられたことで言うなら、三世紀後半、現在の奈良県桜井市、三輪山麓の纏向に前方後円墳の箸墓古墳が作られました。四世紀になると前方後円墳は各地に伝播し、埋葬文化を共有する緩やかなつながりの連合体が出現しました。

これが、ヤマト建国であったようです。

“前方後円墳はヤマト建国のシンボル”と著者の関裕二さんは言ってます。ヤマトという緩やかなつながりの連合体に連なるものは、前方後円墳に首長を葬るという方法を取ることで、その証としたということのようです。

当時、移動の際、人は食器を携えて行ったそうです。食器は土器です。時には地域による特徴があって、纏向に、どこから人が集まってきたか分かるそうです。この間読んだ関さんの本の紹介でも書きました。

纏向にもたらされた外来土器の内訳は、東海四九%、山陰・北陸一七%、河内一〇%、吉備七%、関東五%、近江五%、西部瀬戸内三%、播磨三%、紀伊一%だそうです。東海と関東で過半数を超えます。東国は、ヤマト建国に強く関わっていたんですね。

さらに、纏向には九州の土器がほとんどないんだそうです。つまり、九州はヤマト建国に関わっていない。そうなると、日本書紀に書かれた「初代神武天皇は、九州からヤマトにやってきた」という神武東征の話は、一体どうなるんでしょう。



辰巳出版  ¥ 1,188

日本史、特に古代に真実を知らずにいる日本人は不幸である
第1章 古墳から読み解く古代の真実―前方後円墳とヤマト建国の謎
第2章 縄文から読み解く古代の真実―縄文人と現代人はつながっていた!
第3章 天皇から読み解く古代の真実―天皇と縄文の海人との意外な関係
第4章 女性から読み解く古代の真実―古代は女性が牛耳っていた!
第5章 記紀から読み解く古代の真実―『古事記』と『日本書紀』、そして『万葉集』の秘密
第6章 神社から読み解く古代の真実―神社と豪族はどう関わっていたか
第7章 事件から読み解く古代の真実―事件はこうして歴史をつくった

前方後円墳というのは、お墓なんですからそんなはずないんですが、どこかふざけた形してませんか。

誰でも思うのは、鍵穴の形ですね。でも、最初にその形ありきじゃなくて、原型は円墳だったそうです。その周りに溝を掘ってあちらの世界とこちらの世界を分けました。さらに、円墳部分に葬られた被葬者を参拝するために、溝を越える通路を作り、この通路が前方後円墳の“前方部”に発展したということのようです。

さらにそこには、各地の埋葬文化が寄せ詰められているんだそうです。墳丘上に並べられる特殊器台形土器は吉備から、墳丘をおおう葺石は出雲の四隅突出型墳丘墓から、古墳周りの周濠は近畿の方形周溝墓からというふうに。そう考えると、まさに前方後円墳は緩やかな連合体として成立したヤマト政権のシンボルということになりそうです。

土器で纏向に足跡を残した地域は、銅鐸文化圏に重なります。一方、一部地域を共有して西側に広がるのが銅矛文化圏です。銅鐸文化は、ほぼヤマト政権が成立したと思われる頃に突然消滅し、それに替わって前方後円墳が登場します。

これを、西の銅矛文化の一部が東征して銅鐸文化を滅ぼし、前方後円墳による祭祀を始めたという説があります。北九州が朝鮮半島南部で取れる鉄を独占して発展していたことを考えれば、うなずけないでもありません。

しかし、土器による足跡は、明らかにそれを否定しています。逆に、東の土器が北部九州にどんどん流れ込んでいたこと、考古学の発見によって証明されているんだそうです。

どうやら、北九州が独占したかに見えた鉄が、独自の航路を開拓した但馬、丹波によって近江、そこから近畿、東国に流され、銅鐸文化圏を勢いづけ、纏向への集結につながったようです。彼らは結束を示すために前方後円墳という新たな祭祀を始め、それまでの銅鐸による祭祀を捨てます。そして、軍を西に進めて吸収に圧力をかけたのです。

繁栄を誇った北九州が危機を迎えます。ヤマトが大きな脅威となった頃、北九州は外構に活路を見出そうと、朝鮮半島に進出してきたばかりの魏に朝貢の使者を送ったのです。

しかし、それでも、ちょうど三世紀後半から四世紀にかけて、北九州でも前方後円墳が作られていったそうです。

卑弥呼の邪馬台国、神武東征の真実、日本書紀編集の最終責任者は、一体何を隠そうとしていたんでしょう。




テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

秋海棠を見に。山を越えて

近場に良いコースをいっぱいかかえておけば、何よりお金を使わなくて済みます。たまには贅沢はしようと思うけど、なんせ無収入ですからね。

ヤマップ見てたら、埼玉県ときがわ町の椚平で秋海棠を見てきたという行動記録を見つけました。越生の麦原に無料で車を置ける駐車場があるので、山越えの周回コースを考えてみました。

平日ですので、駐車場は私のロシナンテ一台だけ。麦原川沿いの道をさかのぼって、住吉神社を経由して登山口へ。そして大築山を目指します。
IMG_5201.jpg (とても広い駐車場。かつてはあじさいを見に多くの人が訪れたんでしょう)

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(住吉神社 村社だそうです)

IMG_5204.jpg (大築山の登山口)

道中、汗はかきますが、空気が乾いているのを感じます。風が抜けるところでは、風が汗ばんだ体を冷やしてくれているのを感じます。今年、初めて感じる風です。

大築山からは赤城がくっきり見えました。これからの季節は、空気が変わりますからね。山に登るには、いい事ずくめです。ただ、次からは防寒具を持つことにします。
IMG_5205.jpg (こちらは小築山山頂。大築山のすぐ隣です)

IMG_5206.jpg (大築山から 赤城山がくっきり ということは隣は日光白根かな)

IMG_5207.jpg (大築山から 源氏ゆかりと言われる弓立山です)

IMG_5213.jpg (下り始めたところに見晴らしがあって、そこから見た椚平)

IMG_5214.jpg (堂平と笠山ですね)

大築山から椚平に下りるのははじめてです。釣りをしてみたいようなとっても気持ちよさそうな沢を渡って林道に出ます。この道を少し下って、今降りてきた大築山の斜面と反対側の斜面が椚平ですね。
IMG_5215.jpg (十字路です。真っ直ぐが野末張 左が麦原 右が椚平)

第一村人の話を聞いて、秋海棠の群生地を確かめ、先へ進みます。IMG_5218.jpg 
(椚平の集落に入りました 大築山が間近です)

着きました。すごいです。まずは、秋海棠という花がかわいいのにびっくり。群生地が大きいことにびっくり。これは、わざして見に来る価値があると感じました。
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IMG_5230.jpg (秋海棠西瓜の色に咲きにけり 松尾芭蕉の俳句だそうです)

これを見れば、ほぼ目的な達したわけですが、ずいぶん上まで上がってきましたので、このままぶな峠、飯盛山を経由して、野末張見晴台に向かいたいと思います。IMG_5227.jpg (椚平の集落を上がってくると、大築山と小築山が並んで見えました)

IMG_5226.jpg (集落の一番奥のバス停)

IMG_5235.jpg (さらにその奥にあるバス停 こちらはネコバス用 山猫電鉄の経営のようです)

IMG_5233.jpg (バス停近くの杉の大木 越沢の大杉)

IMG_5234.jpg (神々しいばかりです)

椚平からぶな峠までの道は登山道と言うより林道。オフロードバイクが近隣に迷惑かけてるような道で、一部は石混じりの固い舗装道路。林業の道だろうけど、残念だけど、山歩きしようと思えば、違う道を選びますね。IMG_5236.jpg
(ぶな峠に向かう道のほぼ中間点にあった砥石の大ひのきと呼ばれる大木です)

IMG_5239.jpg (奥武蔵グリーンラインから 大岳山)

野末張見晴台についたのが13時過ぎ。赤城は見えましたが、少し霞んだ感じが強くなってました。小築山、大築山がすぐそこに見えました。振り返れば、なんだ、・・・スカイツリーも見えてます。やっぱり空気が替わったんですね。今、完全に秋です。IMG_5240.jpg (野末張見晴台から 朝より赤城が霞んでます)
 
IMG_5241.jpg (野末張見晴台から 弓立・小築・大築)

IMG_5243.jpg (野末張見晴台から 堂平天文台)

IMG_5242.jpg (この時間にスカイツリーが見えるのは珍しい)

戸神集落に下山して、林道を麦原の無料駐車場の向かいます。麦原地区は、以前、あじさいの里として多くの観光客を集めたそうです。しかし、病気であじさいが全滅し、季節になっても往時の賑わいはありません。
IMG_5245.jpg (戸神の集落まで下りてきました)

IMG_5246.jpg 
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でも、ここ、いいところです。私、大好きです。

駐車場からの行動開始を八時にしましたが、距離が一九キロと長かったので、七時に行動開始で考えるべきでした。

この日歩いたのは、以下のようなコース
椚平 地図




テーマ : 登山
ジャンル : スポーツ

『デルタ』 杉山隆男

NHKの番組で見た。

若い人たちがどんどん故郷を離れて、もはや墓を管理するものなく、墓じまいするしかない。墓どころじゃなく、地域の人々の信仰を支えてきた寺さえ持ちこたえることができず、廃寺にして、本尊と檀家は一門の大きな寺に配属される。

地域で助け合おうにも、その土台となる信仰すら受けつでないなら、絆などいとも簡単にちぎれていってしまう。そんなことは当たり前で、分かりきっていたこと。

絆などあっては、煩わしい。

誰かが入院でもすればお見舞いをして、回復すれば快気祝いをして。季節が変わるたびに、お互いにご機嫌を伺って。なんのためにということじゃなくて、そのたびごとに顔を合わせておくのが目的みたいな付き合いを続けていく。

お寺や神社の用向きがあれば必ず顔を出して、何かやらなければならないことがあってもなくても、「ぼちぼち」の声がかかるまで一緒に時を過ごして。面倒なだけの付き合いだけど、そんな何か目的のしれない時間をともに過ごすことで維持されてきたものもある。

それが絆でしょう。

日本は強かった。日本の強さの背景にあったのは、絆によって固く結びついた社会だった。マッカーサーは、そんな日本社会を根底からくつがえそうと思った。絆の芯を抜くために様々な手を打った。皇室を除くことはできなかったが、将来に向けて手は打った。

誰もが自由で、平等で、民主的な国を作るよう促した。それまでの日本社会を大切にしようとする勢力は封建的であるとして否定して、社会から排除した。

マッカーサーに促された人々は、こういう国を作りたかったんでしょうね。

《「この国は、最後の最後という土壇場では、結局アメリカにすがるしかないんだ」
 吐き捨てるように言う門馬の声は、もはやあきらめを通り越して、悲しみを帯びているようにさえ聞こえる。
 「マッカーサーは、日本をこういう国にしたかったんだろうな」
 独立国としての矜りも、牙も、魂も・・・
 口をついて出かかった言葉を、しかし門馬はすべて呑み込んだ。》

その上で、自発的に「こういう国を作りたかった」って思ってるような日本人を、マッカーサーは作りたかったんでしょうね。


『デルタ』    杉山隆男

新潮社  ¥ 2,376

中国武装組織vs.陸自秘密部隊。これはもはや、フィクションの世界ではない!
第一章  発生
第二章  非常呼集
第三章  永田町二丁目三番地
第四章  上陸
第五章  命令下達
第六章  出撃
第七章  交戦


海上保安庁の最新鋭巡視船「うおつり」 を乗っ取った武装勢力は、愛国義勇軍と名乗る反習近平、じゃなくて、反習遠平派の武装集団だった。彼らは、僚船「りゅうきゅう」から応援に差し向けられたヘリを撃墜し、その映像をツイッター上に流した。彼らはそのまま尖閣諸島に上陸し、“腐敗堕落した習遠平政権”を糾弾した。

彼らのリーダー劉勝利の父親は、人民解放軍の伝説の英雄である劉成虎で、瀋陽軍区に身を置き、軍において大きな存在感を放っていた。その劉成虎は、習遠平の始めた反腐敗運動で摘発された。

“中国”では官僚の贈収賄が広くはびこり、桁違いの予算を配分された軍においても、上層部の公私混同は目を覆うものがあった。それは物語の中の話ではなく、実際にそうだったろう。それだけに、習近平の始めた反腐敗運動は世論の強い支持を得た。その支持を背景に、習近平は、相容れない反対勢力を不正撲滅の名のもとに摘発していったのだ。

この反腐敗運動という権力闘争が、“中国”で実際に行われていることだけに、この物語、なんだか真実味を帯びる。

劉成虎はビル屋上から飛び降りて、自ら命を断つ。これも摘発された高級幹部たちによく起こったことだ。自分から死にたいくらいの苦痛を与え続けられたのか。それとも、ビルから突き落とされたのか。

そして彼の子、劉勝利と、彼を支持する友人たちが、習遠平に一泡吹かせて、さらに・・・。

しかし、反習遠平派の反国家的行動は、“中国”に尖閣への出動のきっかけを与えることになる。これを放置すれば、確実に尖閣は“中国”に取られる。

アメリカは、・・・尖閣の防衛を拒絶した。

どこまでも有り得そうな話なんです。ただし、ここで動いた秘密の実働部隊デルタ。日本有事に備える習志野の第一空挺団、佐世保の水陸機動団、対テロ作戦に特化した特殊作戦群、それに続く第四の存在。それが、ギリシャ語で第四を表すデスタ。・・・そういう物語です。




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ジャンル : 本・雑誌

列強の脅威『ジャポニスム』 宮崎克己

一八四二年末のフランスの新聞、コンスティテューショネル紙に、「イギリス人たちと日本」と題する記事が載ったそうです。そこには次のように書かれていたそうです。

「中国を開港させ貿易を始めさせるために、イギリス人たちはアヘン売却という口実を見つけた。いまや寧波、厦門、舟山群島、香港の主人となった彼らは、日本の沿海を支配している。日本! この獲物は、彼らが奪い取ったばかりのものに劣らず富んでいる」

一八四二年の記事ということですから、アヘン戦争の直後ですね。ヨーロッパでは、アヘン戦争の結果、寧波、厦門、舟山群島、香港はイギリスのものになったと言ってます。中国は、イギリスが奪い取った獲物だと言ってます。そして、すでに日本の沿海を支配していると言ってます。

ただ、イギリス議会でアヘン戦争を主導したパーマストンと違って、グラッドストンみたいに、これを“不義の戦争”とする考えもありました。それ以上に、これまでの強圧的なパーマストン外交による無理が、あちらこちらで問題を発生させつつあったんですね。実際、それらは、インド大反乱やスーダンで発生したマフディーの乱となって、イギリスはいずれも鎮圧して支配を強化しているものの、それまでの強引なやり方はしだいに影を潜めていきます。反乱が発生する以前から、そういった強引なやり方への反発もあったんでしょう。イギリスが力づくで日本に開港を迫らなかった背景には、そういった外部的な要因もあります。

たしかに、一八世紀までは、ヨーロッパに於いて日本が特別に意識されるということは多くなかったようです。しかし、一八三〇年代のフランスのジャーナリズムには、“中国”とは明確に隔離された日本が意識されているそうです。“中国”と日本の位置関係、政治的関係の認識は、すでに明瞭にされているそうです。

たしかに、関心の第一の対象は“中国”ではあるが、その先にはさらに日本という国があり、“中国”同様に国を閉ざしていると意識されていたようです。

一八一一年から二年余り日本に囚われていたロシア人のワシーリー・ゴローニンが書いた幽囚記は、一八一八年にはフランス語訳されて刊行されます。一八二九年にフランツ・フォン・シーボルトが幕府によって国外追放されたことも、数ヶ月遅れでフランスの新聞に掲載されました。

一八世紀末から、日本周辺では列強の活動が盛んになり、中でもロシアが、日本に対する強い関心を示していました。また、この海域では、ロシア、イギリス、フランス、アメリカが接触することが増え、それが報道されることで、日本が列強の関心の対象であることが、欧米では一般に知られるようになっていきました。


『ジャポニスム』    宮崎克己

講談社現代新書  ¥ 994

「近代」の感性を生み出した源流の一つとして、「日本」の存在を再評価
第1章 ジャポニスムの「見え方」
第2章 開国のインパクト
第3章 ジャポニスムの媒介者たち
第4章 モノの到来
第5章 「日本」の濃淡
第6章 色彩のジャポニスム
第7章 空間のジャポニスム
第8章 線のジャポニスム
第9章 ジャポニスムの終息


こういう状況で明治維新、富国強兵っていう時代があったんですね。

いわば、日本が世界の舞台に出てくるのを手ぐすね引いて待っているっていう状態ですよ。しかも、明治維新前に不平等条約を押し付けられて、ゼロからのスタートどころの話じゃなくて、マイナスからの、しかもベクトル自体がマイナスに動いている状態からのスタートです。

いきなり天下を取った気分の薩長の連中の中には、女を囲って、国の金を自分のものと勘違いしているやつも少なからずいたようだけど、残念ながら、その時点で、それ以上に、国内問題に時間を費やせる余裕はありませんでした。

問題はあっても、大久保利通という有能なピンポイントに権力が集中されたことも、日本にとっては有益でした。

大久保利通の国家運営は、今風に言えば選択と集中ということだと思います。日本は欧米列強が手ぐすね引く中で開国しました。それらの国の不平等な取り扱いの中であっても、国民の絞り出した力を選択と集中によって効果的に用い、急激に存在感を増していきました。

そのときに選択されなかったものの中には、本当は日本にとって、とっても大事なものがあったはずです。だけど、上記のような欧米列強の日本に関する関心の強さは、まるで草食動物に舌なめずりする肉食動物です。生き残りをかけるのが優先だったという事情は飲み込めます。

ただ、選択されなかったものを失ったことが、第二次世界大戦の日本の敗戦にも、おそらく関与していると私は思います。

結局、日本は欧米列強の支配する世界に挑む形になりました。で、こっぴどく負けました。日本は今でも敗戦国家です。だけど、欧米列強は、美味しく貪ろうとした日本に挑まれて、形としては叩き伏せたものの、それまでの力の源泉である植民地を失いました。今また、美味しく貪ろうとした“中国”に挑まれている始末です。

現在の世界を一〇〇年、二〇〇年のスパンで見るならば、“中国”が好きだきらいだ、アメリカが好きだきらいだということよりも、違う見方があるような気がします。



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ジャンル : 本・雑誌

『旅の窓からでっかい空をながめる』 椎名誠

風速60メートルじゃどうにもならないですね。

春山の那須岳で風速40メートルというのを経験したことがあります。西風に追われながら那須岳を登ったんですが、急な上りがホイホイ登れて、その事自体が怖かったです。風が弱まるのを待って稜線に出ましたが、それでも突風に持って行かれそうになって、身を低くしてやり過ごしました。

それを超える風速60メートルですから、やはり千葉県の状況は納得できるものです。台風の東側に入れば、私の住む埼玉だって、千葉と同じ状況になったはずです。

ですが、埼玉県は自然災害に強いです。台風は山が嫌いで、海が好きですね。山岳地帯を避けて海を進んだ結果が今回のルートなら、やはり埼玉県は、台風被害にも合いにくいのかもしれません。

いずれにせよ、今の首都圏は自然災害に見舞われると、本当に脆弱ですね。便利な世の中にしすぎてしまったことも、その要因の一つかもしれません。しかも、地域の連帯どころか、家族のつながりだって希薄になってますから。

地域に何らかの問題が生じている場合には、自助、互助、共助、公助を連携させることで課題解決に向けての道筋を確実なものにしていく人用があると言われます。だけど、家族のつながり、地域の連帯が希薄な昨今、自助からいきなり公助に飛んでしまいます。

これが戦後の日本人が作りたかった世の中なんでしょうか。



新日本出版社  ¥ 1,728

旅が奏でる爽風と情味あふれるフォトエッセイ!椎名誠の世界ゆったり紀行
活気にあふれたアジアの窓1 (のたりくたり市場の昼犬;よく働くラオスの子供たち 他)
アジアの窓2(もうじきもうじきナーダムの季節;少年少女が成長していく儀式 他)
北の窓(飲み水運び;ロシアのホヤ 他)
南の窓(熱風少年団;バリ島の心地よさ 他)


ラオスの子どもたちは、よく働くそうです。

カンボジアとの国境に近いあたりでは水道など来ていないので、家で使う水を汲むのは女の子たちの毎日の仕事だそうです。水場でバケツに水を汲み、天秤棒で担いで家まで運びます。ある女の子は300メートルほどの距離を3往復くらいするそうです。

日本の民間視察団体がその村を訪れたことがあって、藪の中に入っていくのに便利なビーチサンダルを300足もプレゼントしてくれたんだそうです。そして、「可愛そうだから、子供を働かせるな」というようなことを言ったんだそうです。

水汲みが大変な仕事であることは事実です。それがために、親が娘を学校にも行かせないような問題が一般的にあるなら、それはラオス社会が早急に取り組まなければならない問題です。ラオスの求めに応じて、日本の各階層からいろいろな協力も出てくるでしょう。

だけど、自分のものさしを相手に当てて、こうあるべきだいう思い込みは、胸糞悪いだけの話だと思います。

《水汲みの女の子などはその水汲みの往復でバランスの良い丈夫な全身の筋肉を作り、やがて健康な子供が埋めるだろう》

この椎名誠さんの言葉を受け入れがたいと思われる人がいれば、その人の窓からは、でっかい空をながめることはできないでしょう。

《子供が家の仕事をするのは当たり前》ではなくなってしまったことは、やはり日本の不幸です。私は家から解放された子どもたちが心配です。女たちが哀れです。解放を求めることが正義と煽り立てた人たちを、実は私、信用しておりません。




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ジャンル : 本・雑誌

白谷沢から棒ノ嶺 高校生と一緒に

近づく台風の影響が出始めるようで、天気予報がよくありません。でも、高校ワンゲルと一緒の登山ですから、日をあらためる訳にはいきません。

場所は、白谷沢から棒ノ嶺。昨年、まだ私が顧問だった時、やはり台風の後で中止にした計画を、一年遅れでやることになりました。曇り空ですが、午前中はなんとかなりそうです。

さわらびの湯のやませみの駐車場に車を置かせてもらって、バスでやってくるワンゲルを待つ形になりました。
白谷沢から棒の嶺_190921_0001 (やませみの駐車場。週末の7時半で私だけ。天気のせいか)

白谷沢から棒の嶺_190921_0002 (バス到着 乗ってるかな)

梅雨の終わり頃に行った三国山で山蛭の大群に襲われた苦々しい経験をしながらも、生徒は誰も山をやめていませんでした。良かった。良かった。・・・なんと、Hくんはあの日、家に帰ってからも、新たに足に吸い付いて大きくなった山蛭を発見したそうです。

そう言えば私も、人と一緒に山を歩くのはあの日以来ですね。気持ちいいコースだし、楽しく行きましょう。

有間ダムのところで、観光協会の腕章をした人が行き先を調査していました。その人から聞いたんですが、今年の夏に入る少し前と言ったから6月くらいでしょうか。白谷沢で滑落事故があったんだそうです。救急車が来たりして大変だったとか。息子と登ったのはGWでしたから、その一ヶ月後くらいですね。とにかく気をつけていきましょう。
白谷沢から棒の嶺_190921_0004 (有間山も上まで見えてます。雨は大丈夫そうです)

しばらくは左手に沢の音を聞きながら、山道を歩きます。登山口では、沢はだいぶ下に聞こえていた沢の音が、登るに従って大きくなってきます。15分も歩くと、登山道は沢に合流して、ここからしばらくは沢登りのような気分が味わえる道になります。もったいないから、ゆっくり歩きたいところです。
白谷沢から棒の嶺_190921_0005 (白谷沢登山口)

白谷沢から棒の嶺_190921_0009 (沢歩きが始まりました)

白谷沢から棒の嶺_190921_0021 (一枚岩に苔がびっしり)

白谷沢から棒の嶺_190921_0024 (これはもう、第二ゴルジュを越えたところですね)

 ゴルジュを二つ越えると、そろそろ沢登り気分も終わりが近くなります。楽しんでくれたのかな。楽しいんだったら、楽しいって言ってもらえると嬉しいし、せめて楽しそうな顔でもしてもらいたいところなんですが、顔つきは、・・・変わりません。
白谷沢から棒の嶺_190921_0027 (楽しそうですね)

白谷沢から棒の嶺_190921_0028 (沢歩きもそろそろ終わり)

でも、白谷沢では岩場を楽しく歩くことができたようです。それも私から「楽しかったろ」と聞いたら、「はい」と答えたにだけで、どうも最近の若いのは、一方に山の中でさえ「いつまでも喋ってんじゃねーよ」と叫びたくなるような傍若無人なお喋りがいるかと思えば、一方にここのワンゲルの部員みたいなコミュニケーション能力が心配になるようなのがいたりします。今の3年生はうるさかったんです。どうにも丁度いい具合に行かないもんですね。
白谷沢から棒の嶺_190921_0029 (一旦林道に出て、ここからは急登が続きます)

白谷沢から棒の嶺_190921_0030 (最初の急登のあと、トラバースしている道から、下の林の中にカモシカが休んでました)

山頂につきました。週末の棒ノ嶺の山頂とは思えないような、静かな山頂です。やはり天気予報が悪かったですからね。ゆっくりお昼を食べている間に、何組かのグループが到着し、私たちは場所を譲って下山しました。
白谷沢から棒の嶺_190921_0031 (なんだか寂しささえ感じさせる、いつもとちょっと違う棒ノ嶺の山頂)

白谷沢から棒の嶺_190921_0033 (残念ですが景色は見えませんでした)

下山路は、一旦、岩茸石まで戻り、そこから河又に下山するルートを取りました。途中で三度、林道に出て、すぐに山道に入ります。尾根下の急な杉林の巻道、すすきに埋もれた尾根道、あみだくじのように張り出した根っ子の道を下り、最後はぬかるんだ赤土の道に足を取られながら河又を目指します。
白谷沢から棒の嶺_190921_0036 岩茸石の向こう側に河又への下山道が続いています)

白谷沢から棒の嶺_190921_0034 白谷沢から棒の嶺_190921_0035 白谷沢から棒の嶺_190921_0040  (きのこや小さな花を見つけながら歩くのも楽しいのは、メンバーに女の人がいるから)

白谷沢から棒の嶺_190921_0037 (すすきの尾根道)

白谷沢から棒の嶺_190921_0038 (有間ダムが見えました。あの下まで下ります)

白谷沢から棒の嶺_190921_0039 (まるであみだくじのように根っ子の張り出した下りの斜面)

白谷沢から棒の嶺_190921_0042 (左右できれいに植生の違う、歩きやすい尾根道)

河又まで下りたら、少し登って、バス停のあるやませみ駐車場に戻ります。いつも無料で車を止めさせてもらってるので、この日はやませみで、刺身こんにゃく250円を買って帰りました。
白谷沢から棒の嶺_190921_0043

10月は区長の仕事があって、ワンゲルの山行に参加できません。残念だな~。

この日歩いたのは、以下のようなコース。
棒ノ嶺 地図



テーマ : 登山
ジャンル : スポーツ

『地名は語る 埼玉の歴史と伝承』 埼玉新聞特別編集委員室

秩父という地名にはいろいろな説があるんだそうです。

鍾乳洞説は鍾乳石が乳房のように垂れ下がっている「ちちいし」から。イチョウ説は、秩父に多いイチョウは古語で「ちちのき」と呼んだことから。織物説は、秩父は織物が盛んで、「布が千々ある」から千々布。連峰説は、たくさんの峰々が千々に連なっていることから千々峯。アイヌ語説は、きれいな水が湧き出しているという意味。魚説は、「ちちぶ」という川魚(ハゼの仲間)がたくさんいた。

やはり、いずれもピンときませんね。

秩父市文化財保護委員の千嶋壽さんの見解がこの本にあるんですが、それがとても興味深いんです。ある意味ではなんの問題にもなっていませんが、完全に的を射抜いているように思うんです。千嶋さんは以下のように言ってらっしゃいます。

『「秩父」という言葉、地名は、今は「武甲山」と呼ばれている、この山を指している地名ではないか』

それは千嶋さんが、秩父の歴史や地理、文化、祭りなどを研究してきて、そう感じたということのようです。札所二三番は音楽寺というお寺です。その近くにある展望台からは秩父盆地が一望できるんですが、そこから見ると武甲山あっての秩父ということがわかると言うんです。

『この山以外に、ここの地名を発生させる理由はない』

こう言われちゃあ、秩父人としては逆らう理由はなにもありません。

ちなみに二三番の音楽寺。秩父事件のとき、一揆勢はこの寺の鐘の乱打を合図に大宮郷と呼ばれた秩父盆地になだれ込んでいった場所です。また、その名前から、歌手の方がヒット祈願に行くそうです。

音楽寺は荒川の左岸にあります。荒川に沿って長尾根と呼ばれる丘陵地帯が続くんですが、音楽寺から荒川左岸を三キロほどさかのぼったところに札所二四番法泉寺があります。長い石段の上に寺があるんですが、高校生の頃、秩高山岳部の練習場所で、ここまで走ってきて、この石段でね。・・・いろいろと激しいことをやってね。今思うと、ゾッとしますね。


『地名は語る 埼玉の歴史と伝承』    埼玉新聞特別編集委員室

埼玉新聞社  ¥ 972

「地名は歴史であり、地域の文化財である」 地名を知れば、見えてきます。
第一部 秩父地域以外一八町
鳩山町 神川町 吉見町 美里町 毛呂山町 越生町 伊奈町 
小川町 川島町 上里町 松伏町 杉戸町 宮代町 嵐山町 
寄居町 ときがわ町 滑川町 三芳町
第二部 秩父地域
秩父の由来 地形・地質と地名 小鹿野町 長瀞町 横瀬町 
東秩父村 旧秩父市 旧吉田街 旧荒川村 旧大滝村
第三部 さいたま市
浦和区 緑区 南区 桜区 大宮区 北区 西区 見沼区 中央区 岩槻区


この本は、埼玉新聞地域面に連載されている『地名は語る 埼玉の歴史と伝承』という人気コラムをまとめたものだそうです。

だけど、第一部は〈秩父以外の一八町〉、第二部は〈秩父地域〉、第三部は〈さいたま市〉じゃ、それ以外の三八市が頭にきちゃいますよね。大丈夫。この本にまとめられた分は、二〇一五年から二〇一六年までに掲載された分で、それ以外の三八市分に関しては、すでに二〇一八年から連載が始まっているそうです。だったら、そろそろその連載も終わって、そこから一年後ぐらいには一冊にまとめられることになるんじゃないでしょうか。

編集委員は五名で編成されていて、各地区の市史、町史編纂室や教育委員会、図書館長や資料館長といった地元の専門家や地元の資料に取材して書かれています。

かつ、たんに地名の由来だけでなく、その歴史性や伝統も同時に書かれているので、内容に厚みがあるような気がします。一例が、最初に上げた秩父のケースです。地名の由来は解明されていませんが、秩父人に共通するであろう思いは明らかにされています。

川島町は元は五四村あったそうです。それが明治の大合併で川越編入の七村を除いて四七村が六村に、さらに昭和二九年に六村が合併して川島村、のちに町制施行で川島町になったそうです。こんな大きな大改革を混乱なく成し遂げた背景には、四方を川に囲まれ、堤防で守られているという一体感があってのことだったそうです。川島の旧家には、家の中に船がくくりつけられているうちがあるそうです。堤が切れて、何度もつらい思いをしてきたんでしょうね。

ね。こういう風に、そこに住む人々の気質や風土が説明されていると、内容そのものに厚みが増すように思えます。

その地域を知るためには、字が重要なんだそうです。合併だの、開発だので、古い地名がやすやすとかっこいい地名に変えられてますけど、なかには字になって残されるケースもあるみたいです。

私の生まれた家は、大字下影森字田の沢小字藪といいます。なんだかジメジメしてて、蚊がいっぱいいそうでしょ。





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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本












































































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