めんどくせぇことばかり 2019年10月
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榛名山 紅葉真っ盛り

東松山は台風19号で被災しました。何度か被災地ボランティアに行って、水に浸かった家財や畳、・・・ありとあらゆるものがゴミになっちゃったんですが、それを集積地に運んでいます。今日のボランティアは仲間たちに任せて、私は榛名山に行かせてもらいました。

榛名湖の南駐車場に車をおいて、まずは天目山、氷室山を縦走します。一旦、下山して、舗装道路を10分ほど歩いて、湖畔の宿記念公園から掃部ヶ岳に登ります。下山は硯岩から北側に向かって、ここでも一旦舗装道路に出ます。そこから三度山に入り、今度は鬢櫛山、烏帽子ヶ岳を縦走します。さらに一旦下山して、最後に榛名富士に登って南駐車場に戻るコースです。コースタイムどおり歩くと、下山は15:30を過ぎます。翌日の被災地ボランティアを考えると、少しでも早く下山して、翌日に備えたいところ。場合によっては、どこかをカットしてもいいくらいの気持ちで歩きましょうかね。
IMG_5373.jpg (榛名湖南駐車場 山は掃部ヶ岳)

事前に調べたところでは、掃部ヶ岳から下山して、鬢櫛山登山口が、どうも分かりづらいらしいということだったんですが、いきなり天目山の登山口が分かりません。行ったり来たりしながら、見つけるまでに10分かかりました。天目山登山口は、南駐車場から道路を挟んだ反対側の駐車場の、白い建物の後ろです。登山口の表示はありません。・・・榛名山は、全体的に登山口が分かりづらい。

最初の天目山と氷室山の縦走路の特徴は木段です。天目山の稜線上まで上がると、氷室山から下りるまで、次から次へと木段が顔を出します。昨日の雨で濡れています。試しに足をスライドさせると、もう、ツルッツルです。特に下りでは。まっすぐ足を降ろさないと、本当に危険です。氷室山から榛名湖に向かって行くような下りを楽しみにしていたのですが、安全第一で下りました。
IMG_5374.jpg (低い笹原に木段が続いています)

IMG_5375.jpg (この間の赤城に比べ、ちょうど紅葉の時期に当たったかも)

IMG_5377.jpg (景色が抜けて鬢櫛山と烏帽子ヶ岳 あそこまで行けるかな)

IMG_5378.jpg (天目山山頂)

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IMG_5380.jpg (氷室山山頂)

掃部ヶ岳は、春に登っているコースです。登りつつ思い出しました。とても、・・・とても、とても、とても急な登りでした。山頂からの景色は、春の時ほどではありませんでしたが、紅葉はいいですね。掃部ヶ岳の下りは、紅葉が楽しめました。秋の山歩きは、“旅”ってく感じが、より強まるような気がします。紅葉のおかげかも知れません。
IMG_5383.jpg (赤いですね)

IMG_5389.jpg (掃部ヶ岳山頂)

IMG_5387.jpg (掃部ヶ岳より 目の前の山が赤い)

IMG_5390.jpg (掃部ヶ岳より うっすら八ヶ岳)

IMG_5391.jpg (掃部ヶ岳より 浅間山)

IMG_5393.jpg 掃部ヶ岳ちょっと手前より 一番右下が登り口の湖畔の宿公園)

IMG_5395.jpg (掃部ヶ岳ちょっと手前より 榛名富士と、その向こうは相馬山)

掃部ヶ岳からの下山路は、ずっと紅葉が楽しめました。
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IMG_5407.jpg (すみません。私です)

鬢櫛山の登山口はすぐ見つかりました。T字路になっているのですが、落石よけに、斜面に貼ってあるブロックが低くなってきている部分をよく見ると、見つかりました。T字路のぶつかりを、10mほど左に行ったところです。
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分かりづらいのは登山口だけじゃなくて、その先も、道は不明瞭です。しかも笹に覆われています。頼りになるのはテープです。まもなく稜線に登るのですが、稜線に出る直前は、「本当にこれでいいの」ってテープに語りかけてしまいました。稜線に出ると、しばらくゴジラの背中みたいなところが続きますが、その先は、笹に覆われながらも、道はしっかり付いています。

やがて山頂ですが、樹林の中なのでそのまま進みます。ところどころ、紅葉が目を引きます。烏帽子ヶ岳への鞍部に下ります。それが、ずいぶん下っちゃうんです。「なんでこんなに下っちゃうの」ってぼやきながら下りましょう。榛名湖の南側よりも、やっぱりこっちのほうが紅葉してますね。
IMG_5410.jpg (鬢櫛山山頂)

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やがて鞍部を越えて、烏帽子ヶ岳の登りにかかります。お狐様の鳥居をすぎると、次第に登りが急になります。榛名湖外輪山の山々は、とにかく登りが急ですね。だけどここの急登は、杭が打ってあってロープがつなげてあります。最後の急登部を除けば、それが続いていますので、思ったよりも安全に登れる山ですね。山頂を過ぎて少し進んだところに展望台があります。ここまでこないと損ですね。
IMG_5416.jpg (お稲荷さんのお狐さま)

IMG_5418.jpg (頂上直下)

IMG_5419.jpg (烏帽子ヶ岳山頂)

IMG_5420.jpg (烏帽子ヶ岳展望台から 榛名富士)

IMG_5421.jpg (烏帽子ヶ岳展望台から 天目山と氷室山)

IMG_5422.jpg (烏帽子ヶ岳展望台から 掃部ヶ岳)

ここで、家でつけてきた使い捨てのコンタクトレンズが外れてしまいました。念の為メガネを持ってきてよかった。

ここまで、ずいぶん時間を稼ぎました。烏帽子ヶ岳を下りて、榛名富士の登山口に着いたのは12:10です。コースタイムよりも2時間位早い。ただ、休憩時間も削ってますので、体に負担も来てるでしょうけど。
IMG_5423.jpg (烏帽子ヶ岳から下山します)

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(ためいき)

IMG_5427.jpg (ありがとうございました)

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なんて思ってたら、身体への負担はてきめんでした。榛名富士の登りで、一気にその影響が出ました。むすびを二個、それからフランスパン半分を食ってるんですが、烏帽子ヶ岳ではパンではなく、ラーメンを食っておくべきでした。榛名富士の登りで、エネルギーが尽きました。シャリバテです。

ヒーコラ言いながらなんとか榛名富士を登りきりました。榛名山ラーメンをしっかり食べて、・・・身体に力が戻るのが分かるもんですね。目の色を変えて、餅入りラーメンをがっついているジジイを見て、ここを訪れたみなさん、なにを思われたでしょうか。本当にすみません。
IMG_5433.jpg (榛名山ラーメン)

榛名富士からの下りも、やはり紅葉が和ませてくれました。その向こうに見える榛名湖がキラキラしてて、とてもいい。
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紅葉のおかげかな、いい山旅ができました。
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明日のボランティアはがんばります。




テーマ : 登山
ジャンル : スポーツ

『名作で楽しむ上高地』 大森久雄編

芥川龍之介は、島々から徳本峠を越えて行ったのか。

まあ、当時はそれ以外になかったんだから、当たり前ですけどね。

私がはじめて上高地に入ったのは、高校一年のときでした。中学三年の時に、新田次郎の『孤高の人』を読んで、高校では山岳部に入った私は、その年の、山岳部の夏合宿で上高地に行きました。コースは富山からです。富山に着いたのは朝でした。名物だという《鱒の寿し》を買って朝ごはんにしました。《鱒の寿し》は、こんなうまいもの食ったことないってくらいうまかったです。

折立までバスで行き、そこから太郎平を目指しました。当時の山岳部は、ずいぶん重い荷物を担いでいました。しかも、太郎平までの登りはけっこう厳しいのですが、そこで苦しい思いをした記憶がないんです。少し後、大学の一年の時に、ほとんど遭難に近い大ブレーキを起こすことになるんですが、高校では一切苦しい思いをした記憶がありません。

太郎平にテントを張ったあと、一年生部員だけで薬師岳まで往復しました。先輩や顧問の先生から解放されたこともあって、“何かと話し好き”な新人たちははしゃぎながら薬師岳に登り、その帰り、なにかの記念碑によりかかりながら休んでいるうちに、結局昼寝をしてしまいました。目が冷めてから、それが遭難碑であることに気づき、そこからはお喋りもせず、太郎平まで戻りました。その晩、同じ1年部員のMが、夜中にテントの中でうなされていました。祟られたのは、Mだけで済んだようです。

翌日は、北ノ俣岳を経て黒部五郎岳。息を呑むようなカールの見事さに圧倒され、その日は黒部五郎岳小屋まえデテントを張るものの、この日の景色の見事さに、興奮して、なかなか寝付けませんでした。

それは翌日も同じこと。しかも三俣蓮華を経て双六小屋泊まりという余裕の日程でした。さらに翌日は、槍ヶ岳泊まり。今考えると、頼りない一年坊主に、顧問の先生や先輩方は、ずいぶん気を使ってくれていたんですね。

だから、この日に一度、翌早朝に一度、槍ヶ岳の山頂に立つことができました。槍から下りたら、そのまま上高地まで駆け下りて、小梨平で最後のテント設営。これがはじめての上高地体験でした。



ヤマケイ文庫  ¥ 1,100

上高地再発見!  登山家、文学者の紀行・エッセーと歴史エピソードの名作集
第一部 エッセーで味わう上高地
浦松佐美太郎 松方三郎 尾崎喜八 串田孫一 田中澄江
第二部 早期登山者たちの見た上高地
W・ウェストン 小島烏水 辻村伊助 田部重治
第三部 青春の上高地・槍・穂高
板倉勝宣 書上喜太郎 三田幸夫 今井喜美子 北杜夫
第四部 上高地を訪れた文人たち
窪田空穂 若山牧水 芥川龍之介 山崎安治 高村光太郎 大町桂月
第五部 上高地と槍穂高連峰の歴史
山崎安治 岡茂雄 穂苅三寿雄 穂苅貞雄 三井嘉雄 

その夏合宿のあと、先輩に連れられて雁坂峠小屋への歩荷とアルバイトに行き、なんとかそこそこお金をためて、夏休みの間に、もう一度上高地を訪れました。北鎌尾根を目指してです。朝、上高地について、その日は槍沢ロッジ泊まり。翌日、水俣乗越まで行って、この先に行程を考えて、あきらめて、槍ヶ岳に登って帰りました。帰りは、また小梨平のテントを張って、穂高を見ながら、登る山がたくさんあることを、つくづく感じさせられました。
芥川龍之介の槍ヶ岳登山は一度きりで、一高に進んでからは山からはまったく離れてしまい、文学一筋に打ち込んでいったんだそうです。彼にはそちらの方が魅力的だったんでしょうか。

北杜夫は終戦間際、ほとんど人影のない上高地に入ったそうです。やはり徳本峠からだったんでしょう。長い道を歩いて上高地に入ったそうです。彼は、近い将来、本土決戦で玉砕するつもりだったそうです。その前に一度、上高地を歩きたかったと書いています。

当時は上高地重歩き回っても、ほとんど人には合わなかったそうです。そして西穂に登って、稜線上から上高地を見下ろしたとき、そこは公園のように小さく写ったそうです。そこに流れる梓川の清流。・・・これは時を経た今でも分かります。

上に書いたように、高校一年の時に、はじめて上高地を訪れました。山岳部の合宿で行ったもんですから、当時は厳しく指導されていて、記録は細かく取らされました。おかげで、その記録を見ることで、今でもその時の気持ちが蘇ります。

最初の長期合宿での北アルプスでの経験、薬師岳の雄大さ、北ノ俣岳からの北アルプス最深部の山々、黒部五郎のカールの美しさ、槍を目指して進んだ三俣蓮華に双六岳。槍に登るワクワク。上高地のからの穂高。山をあとにする時の切ない気持ち。

この本を読んでいて、ちょっと思い出しちゃいました。





テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『神霊の国日本』 井沢元彦

悔しいなあ。

「日本がアメリカに負けるのは当然なのである」なんて言われちゃあなぁ。でも、しかたがないなぁ。たしかにその通りだもんなぁ。

日本には、言霊信仰があります。言葉は神聖なものであり、言葉には力があるという考えです。口に出したことは現実化するという意識が、頭で考えていなくても、どこかにあるんです。そのため次のようなことが起こります。四個大体なければ戦えないところに三個大体しかないにもかかわらず、帳簿には四個大体として足りない分は「欠一」と呼んで、存在しないことを明らかにしないんです。

これを評論家の山本七平さんは員数主義といったそうです。帳簿の上で数があっていれば、その数が存在することにしてしまうんです。それを追求されると、精神主義を持ち出すわけです。4対3なんですから、最初から勝てるはずがないのに、それで戦争をしてしまうんです。

しかも、その言霊信仰に加えて、怨霊信仰があります。

大東亜戦争においては、戦没者を“英霊”と呼んでいます。井沢さんは、この“英霊”を、怨霊の候補と言っています。昭和16(1941)年、アメリカが提示した日米交渉の覚書「ハル・ノート」では、日本は“中国”から一切手を引くことを要求してきました。“今”ではなく、“当時”を基準にすれば、これは非常識な要求でした。米大統領FDRにも、この「ハル・ノート」で、日本を対米戦争に踏み切らせようという意図があったのは、まず間違いありません。

FDRは、あまりにも大きな譲歩を日本に求めることで、日本を追い込もうとしたんでしょう。しかし、日本が対米戦争を覚悟したのは、迫られた譲歩の多少によるものではありませんでした。たしかに、日本は当時、“中国”に抜き差しならない権益を持っていました。・・・もちろんそれが関係するんですが、その“多少”そのものではないということです。

それらの権益は、当時で言えば、戦争を含む正当な国際関係の中で日本が手に入れたもので、そのために日本は多くの兵を失っていました。それを放棄することは、それら戦没者の犠牲を無にすることになります。戦没者の霊は怨霊となり、災いをもたらすことになります。

かつて国のために死んだ人たちを勝手に見捨てるのは、日本人の考えからすれば、一番やってはならないことです。英霊が怨霊になってしまうからです。

日本においては、人間は死んでも無にならないんです。


秀和システム  ¥ 1,540

令和の時代にあらためて読みたい。日本人の行動原理を歴史に学ぶ
第1章 日本人と神と霊
第2章 日本人と独裁者
第3章 日本人と英雄と名将


「死んで護国の鬼になる」と言って、本当に死んでいった人たちがいたわけです。せっかく護国の鬼になってもらったって言うのに、その人を裏切れますか?

楠木正成は、足利尊氏に追い詰められて自刃するに当たり、「何度でも生まれ変わって国のために尽くす」と言い残したと言います。「七生報国」って言葉がそうですね。そう書いた鉢巻を頭に巻いて、特攻隊として突っ込んでいった兵もいたわけです。

怨霊信仰が朱子学の大義名分論に補強されてしまってますね。

元寇が神風によって打ち払われたという伝説は、そうして死んでいった者たちの霊によって日本は守られているという考えと相まって、《神風特別攻撃隊》を生み出していくわけです。

たしかに、そんな考えを持ってたら、アメリカに負けますよね。明治維新から日露戦争までは、その考えを封印して富国強兵に邁進した日本でした。そういう時代もあったんです。ただ、それで油断したら、もともとの日本人を隠しきれなくなっちゃったんですね。

まったく、日本人はやっかいな信仰心を持っているもんです。

だけど、日本人の信仰心は、相手を許せない、他宗教の神の存在を認められない一神教が多数を占め、争い合う世界に、矛を収めさせるヒントを提示できるかも知れないと、井沢さんは書いています。

「天皇制を含む多神教を受け入れる日本のフレキシブルな思想需要構造は、もっと評価されていいし、特有の文化としてあぴーるしていい」って。

先日の天皇の即位正殿の儀における今上陛下のお言葉も、十分そんなヒントを提示しているように、私には思えたんですけどね。





テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『ミカタレシピ』 阪下千恵

滋賀の会社に努めている息子が入院してしまいました。

この間、お嫁さんから連絡をもらって、翌日、埼玉から車で様子を見に行きました。肺気胸だそうで、肺の風船に穴があいて、中の空気が漏れちゃうんです。漏れた空気は肋骨の内側に貯まるから、風船が縮んで空気を上手に吸えなくなっちゃうんです。

実は、私も36歳のときに、肺気胸になってます。ひょろっと背が高くて、痩せた人がなりやすいみたいで、当時の私も、今の息子もまったく同じ。実は叔父も若いときに肺気胸になっていて、やはり同じような体格だったそうです。

埼玉から滋賀は、やはり遠いですね。休憩を入れると6時間かかっちゃいました。もしも、お嫁さんがいなかったら、向こうにウィークリーマンションでも借りなきゃならないところでした。そんな事になったら、・・・伊吹山に登れるな。武奈ヶ岳もいいみたいだし、三井寺に比叡山、行きたいところがたくさんありますね。

それにしても、病院に行ってみて思ったことがあるんです。23年前とは違って、2016年に足の手術をしたとき、タオルやパジャマを準備する必要がなかったんです。そういうのがレンタルで、一つのパック商品になってるんです。ですから、それこそ身一つで、身の回りの世話をする人間がいなくても済んじゃうんです。

それが、滋賀の病院はそういうスタイルになってないみたいなんです。世話をする人が周りにいるってことが前提になっていて、実際それで物事が回っているようです。

お嫁さんは、今はまだ仕事はしていないんだけど、女の人が仕事をしていてもそれをサポートする身内が周辺にいるってことでしょうかね。

そういうサポートがいても、あるいはいなくても、仕事をしている女の人、しかもお母さんだったりしたら、この本は強い味方になってくれます。そんな、“ミカタレシピ”が、この本です。



新星出版社  ¥ 1,320

帰ってからでもあっという間に完成 料理の素でも一工夫で我が家のご飯 !!
PART1 おなかもこころも満たされるメインのおかず
PART2 卵&大豆製品でパパっと作れる小さなおかず
PART3 野菜をとりたいときはこれ!サラダ&あえもの
PART4 ひと皿で大満足!ラクうま!ご飯&めん
PART5 ボリュームも栄養もたっぷり!スープ&みそ汁


「便利なものは、どんどん使う」

まずはこれですね。“ミカタ”はスーパーにも、コンビニにも、たくさんいます。

たとえば食材。カット野菜や冷凍物がたくさん並んでいます。すでに食べられる状況で並んでいる惣菜だっていいじゃないですか。そういう物をどんどん使いましょう。

それからぜひ使ってほしいのが、ボトル入りの小麦粉。これは本当に便利です。いちいち袋から必要だと思われる分量を取り出すのは、どうしたって面倒じゃないですか。そんな面倒くささを完全になくしてくれたのが、これです。肉や魚は、塩コショウして小麦ををなじませて、フライパンで焼けばそれだけです。ボトル入りの小麦粉、これはほとんど発明です。同様の商品でボトル入片栗粉っていうのもあります。ちょっととろみを付けたいときに最適です。これもまた、発明。

この本でも紹介してますが、今はこれのパン粉版で、ボトル入パン粉ってのがあります。このパン粉、小麦粉と卵が必要ないパン粉ってことなんです。肉にまぶして、そのままとんかつです。

味付けも、めんつゆ、ポン酢、ドレッシング、市販のものをどんどん使いましょう。いわゆる料理の素、これも今、ものすごく充実しています。私がよく使うのは、キッコーマンの《うちのごはん》シリーズ。

ものすごくいろいろな種類があるんですが、一番好きなのは、《あんかけ塩もやし》。卵二個ともやし一袋でできるんです。二人分のおかずに、一皿100円かかりません。しかも、それが2袋入ってるんですから、ますますお得です。

包まない餃子、皮をまぶしただけの焼売、冷凍ハンバーグのトマト煮、惣菜で買ったとんかつのカツ丼。料理はもっと自由になりそうですね。

さて、今日の昼飯は、昨日、作ってもらったけんちん汁に、冷凍のうどんを入れて、ちょっと煮込んで食べてみよう。すだちを絞って、唐辛子かけてね。・・・うまそう。息子にも食わせてやりたいけどな。




テーマ : 料理の本
ジャンル : 本・雑誌

『天使と悪魔の絵画史』 春燈社編

人の子が栄光の中にすべての御使いたちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。そして全ての国民をその前に集めて、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らを選り分け、羊を右に、山羊を左に置くであろう。

そのとき、王は右にいる人々に言うであろう。「わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国をうけつぎなさい。あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、乾いていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに訪ねてくれたからである」(中略)それから、左にいる人々にも言うであろう。「呪われた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使いたちとのために用意されている永遠の火に入ってしまえ。あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせず、乾いていたときに飲ませず、旅人であったときに宿を貸さず、裸であったときに着せず、また病気のときや、獄にいたときに、わたしを尋ねてくれなかったからである」(中略)そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう。
《マタイによる福音書 25章31-46節》

キリスト教における“最後の審判”の捉え方ですね。とっても単純で、分かりやすいですね。最後にこう付け加えてもらえると、もっといいんじゃないかと思います。

「文句がある奴は、かかってこい!」

右側に置かれた羊さんなんてのは、まず、いるはずがありません。「自分は右側の羊さん」なんて安心している人がいるとすれば、それは記憶力がないに等しいか、よっぽど図々しいか、あるいは人の皮を被っただけの聖職者かのいずれかでしょう。

みんな、どこかに左側の山羊さんという思いがあるからこそ、この本に出てくるような天使と悪魔の絵画に恐れ入るわけでしょう。



辰巳出版  ¥ 1,430

キリスト教美術の深淵に触れる。神々しく美しい、また不気味で妖しい世界
はじめに 天国と地獄、天使と悪魔 その敬虔で魅惑的な世界
天国か地獄か!?「最後の審判」の世界(「最後の審判」の世界観 ほか)
第1章 天国と地獄(七つの大罪と天国、地獄;天国のヴィジョン ほか)
第2章 天使の系譜(旧約聖書の天使たち 天地創造と天使;天使の階級 ほか)
第3章 悪魔の系譜(反逆天使と悪魔;堕天使ルシファー ほか)


それにしても、こうしてこの本であらためて見てみると、まず100対0で悪魔のほうが魅力的ですね。

その形態も千差万別。圧倒的な存在感を持つものもあれば、いろいろな獣の特性を備えたもの、ただただ不気味なもの、どこか滑稽なもの。非常にバラエティ豊かで、個性的です。

描く側の人間にしてからが、まばゆいばかりの天上世界よりも、暗く沈んだ地獄界の方がイマジネーションが膨らむようですね。描かれている人々にしたって、喜び、幸せ、憧れ、優しさよりも、悲しみ、苦しみ、悔しさ、絶望の方が、表情が豊かです。

最後の方に出てくる、“ペストが生み出した悪魔”なんて、とっても魅力的ですね。さらには“悪魔と交わった女性”をモチーフにした絵画なんて・・・。たまりませんね。

キリスト教美術、天使と悪魔の絵画と言っても、ひたすら頭の中で作り上げたものですから、人間の世界の焼き写しでしょう。「アリもしないことを・・・」って言って、風呂敷で一まとめにするつもりは毛頭ありません。その組織も含めたキリスト教会はじめ、キリスト教世界そのものが、“文化”ですからね。そして、その土台になっている時代が中世ですよね。

その中世を持っていることが、ヨーロッパの強さだと思います。それは日本も同じです。日本もヨーロッパも、その中世を自ら否定しようとした時代がありました。でも、現代においても、私たちは自分たちの持っている文化の中に、中世が色濃く残っていることを自覚することができます。それが、おそらく今後、私たちの強さになるんじゃないかと思います。

「今世界を主導しているのは・・・」と考えれば、アメリカと“中国”を挙げざるを得ませんが、その両国が、ともに中世を持たない国であることは、現代世界を理解する上で、非常に重要なように思えます。





テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『齋藤孝のざっくり!万葉集』 齋藤孝

「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」

・・・、令和ってことですね。

中村草田男さんが「降る雪や明治は遠くなりにけり」と読んだのは、元号が昭和に移り変わってのことだそうです。大正ではないんですね。元号が大正に変わって、明治に生まれ育った人たちは過去に追いやられてデモクラシーを論じる時代になります。それでも世の中を動かしている人たちは明治の人たちで、懐かしむのは明治だったわけです。

それが昭和になる頃、明治の人たちはそろそろ第一線から引き、後進に道を譲ります。 彼らが明治を懐かしむのは同じでも、それは大正を懐かしむ影に隠れてのことになってしまいます。

昭和35年生まれの私も、今年の3月いっぱいで第一線を引き揚げました。4月で平成が終わって、5月からは令和になりました。しばらくすれば、平成が懐かしく思い起こされるようになるでしょう。そうなれば、私たちは昭和が遠のいたことを、強く意識することになるでしょう。

“中国”ではなく、日本の古典に元号の典拠が求められるっていうのは、とてもいいですね。なかでも、万葉集っていうのがいいとおもいます。

日本っていう国は、世界に稀な国。なにしろ古代と現代が、途切れずにつながっているって言われます。民族も、文化も、言語も、・・・。それこそ神話から現代までがつながっていると。

だけど、それにしては、神話の世界というのが曖昧模糊としすぎています。それに歴史がつながっているとはいいながら、日本の原型である大和朝廷っていうのがどのようにして成立したのかが分かっていません。正史としての『日本書紀』があるにも関わらず、ヤマト朝廷がこの国を支配する正当性を、そんないちばん大事なことを語っていない。

本当におかしなことです。・・・わけがあるに違いありません。



祥伝社  ¥ 1,650

令和の時代だから知っておきたい教養。古代の歴史・万葉仮名・鑑賞ポイント・万葉人の暮らし…。
第1章 仰天!国家プロジェクト―万葉集の編纂事業はこうして実現した
第2章 探訪!万葉仮名ワールド―やまとことばに漢字を当てるという「神業」
第3章 古代の歴史が透けて見える―後継者をめぐる血なまぐさい事件がてんこ盛り
第4章 恋の歌に知性キラリ―万葉人が歌で楽しんだ「恋愛ゲーム」
第5章 万葉人に共感―庶民の暮らし・思いはいまも同じ


これは建国に問題があるのではなく、『日本書紀』が書かれた時代に問題があるということになります。その、『日本書紀』の成立に大きく関わるころ、大和朝廷ではとんでもない事態が起こっていました。それがちょうど、《第3章 古代の歴史が透けて見えるー後継者をめぐる血なまぐさい事件がてんこ盛り》の時代に該当します。

聖徳太子という人物には実在感が乏しく感じます。さらに、その子とされる山背大兄王に関しては、さらに実在感が乏しいように思います。何しろ跡形もなく消えてしまうんですから。

大和には 群山あれど とりよろう 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立つ立つ 海原は 鷗立つ立つ うまし国そ 蜻蛉島 大和の国は

舒明天皇の国見の歌です。明るくて伸びやかですね。著者の齋藤孝さんは蘇我蝦夷が山背大兄王を支持する境部摩理勢を殺したことで、田村皇子が舒明天皇になれたことを取り上げています。蝦夷の専横がエスカレートしていく中で読まれた歌にしては、“音読して気持ちのいい作品”と言っています。

どうなんでしょうねぇ。おそらくこの時代の一番の焦点は、一つには律令の導入に伴う公地制への移行、もう一つが親百済外構から全方位外交への移行にあったと思うんです。蘇我政権こそ、それを進めていました。

山背大兄王は、このあと蘇我入鹿に滅ぼされたことになってます。改革への反動勢力であり、偉大な聖徳太子の子である山背大兄王を跡形もなく滅ぼした、非道な蘇我氏であるから、これを滅ぼす中大兄皇子と中臣鎌足に正義はあるというのが、正史『日本書紀』の主張です。

だとすれば、そんな状況でこんなにも明るさと躍動感に満ちた歌を読んだ舒明天皇は、どこか性格に異常なところでもあったわけでしょうか。

その天智天皇(中大兄皇子)と中臣鎌足体制を覆したのが、壬申の乱で二人の体制を継承した大友皇子をやぶった天武天皇ですね。天武によって改革は進められることになりますが、その後、天智天皇の娘の持統天皇と中臣鎌足の息子の藤原不比等が、天智・鎌足体制を継承・発展させるんですね。『日本書紀』はそのような状況で世に出ます。

本当のことを言ってるのは、『万葉集』の方でしょう。

『万葉集』には、まだまだ隠された魅力があるように思います。




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ジャンル : 本・雑誌

『日本の民族信仰を知るための30章』 八木透

自治会長にとって、神社の行事はとっても大変です。

おそらく少し前まで、自治会の活動と神社の関わりは密接不可分だったんです。だから、会計を一つにしていても、何ら問題なかったんでしょう。でも今はどんなもんでしょうねえ。古くからの人はそれを当然のこととしていますから、自治会費から神社の運営や行事に支出するのは当然のことなんです。そこで神様を祀ることが、地域の紐帯そのものなんですから。

だけど、新しく越してきた人たちなんかにしてみれば、それはけっして当たり前のことじゃないわけです。この地域では、表立った反対の声が上がっているわけじゃありませんが、このご時世から言えば、時間の問題でしょう。でもねぇ、神社の行事なんて言ったって、その紐帯を受け継いでいくことが行事の目的そのものなんですよ。お父さんたちは酒のんで赤ら顔して、お母さんたちはお喋りの興じて、子どもたちにはおみやげを渡して遊ばしておくんです。それそのものが目的なんです。

神さまは、みんながそうしているのを眺めて、「これなら大丈夫」ってにこにこしてるんだと思うんです。・・・ダメですか?

先日の、御即位関連行事。ずいぶんと政教分離の原則っていうのに神経を使ってますね。上皇様の即位のときには、だいぶ裁判沙汰に持ち込んだ人が多かったんだそうですね。政教分離の原則に関わる捉え方が間違ってます。人間の言うこと為すこと背景にゴッドとの関連があることは、ゴッドを信仰するすべての人の常識ですから、ゴッドを政治の場から排除しろなんて誰が言いますか。この原則は、けっして新教を信仰することを禁止しない、相手の信仰を邪魔しないというのが本意でしょ。

新しく入ってきた人たちも、赤ら顔での飲み会に、お喋りの場に、なんとか参加してくれないかな~。今はもう、かつての村のように外の人をどうこうするなんてことはまったくありません。一緒に神社ごとをやっていきたいって思ってるんです。神社ごとってのは、仲間になろうって思いそのものなんですから。



淡交社  ¥ 1,980

四季のまつりや、年中行事を通して、その背後に見え隠れする仏や神について
春(旧暦と新暦;めぐり巡礼と御朱印 ほか)
夏(茅の輪くぐりでケガレを祓う;祇園祭をめぐる二つの謎 ほか)
秋(津軽岩木山信仰とお山参詣;重陽は菊花の節供 ほか)
冬(師走の仏名会と節季候;討伐され祀られる鬼たち ほか)

端午の節句に鯉のぼりをあげますが、言われてみれば、魚に空を泳がせるっていうのは、どうも不思議な風習ですね。

3月3日の上巳の節句、桃の節句は女の子の成長を祝う節句で、端午の節句は男の子の成長を祝う節句ですね。粽を食べたり、武者人形を飾ったりします。うちの長男には、団地用の鯉のぼりしか揚げてやれなかったので、武者人形はそれなりのを飾りました。それから菖蒲を風呂に浮かべましたね。

どうもこの日、かつては「女の家」と呼ばれていたらしいんです。旧暦の5月は田植えのための重要な月で、田植えを行う早乙女たちがHな田の神を迎えるための忌み籠もりして精進潔斎する日、女は働かなくてもいい日だったらしいんです。それがどうして男の子の成長を祝う日になったんでしょう。

節句は、奇数が重なる厄が強くなる日なので、強い植物の力を借りて厄を払う日です。上巳の節句では桃の、端午の節句では菖蒲の力を借りるんですね。結局、その菖蒲の節句が勝負の節句、さらには尚武の節句にすり替えられたということなんです。そうして、もとは女の日であったものが、男の子の節句に置き換えられてらしいです。

日本らしいですね。ここにも“言葉の力”が働いてます。

だけど、まだまだ、魚が空を泳ぐことにはなりません。鯉のぼりが生まれたのは、江戸時代の末だと言います。いつしか尚武を事とする武士の子の成長を祈る日になった端午の節句には、武士が戦場に掲げた幟旗が掲げられるようになったそうです。同時にこの日に掲げられた武者絵には滝を遡って龍になると言われる龍の絵が、縁起がいいと飾られたのかも知れません。この鯉の絵を鯉のぼりに結びつけたのは、戦場で軍の陣地を表す標識とされた吹き流しだろうと言います。吹き流しは今でも鯉のぼりたちの第一番目に掲げられますね。

そう、宗教には関係ないかに思われる端午の節句だって、民間信仰にほかならないんですから。




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赤城山は当たり前に登れた

先週は台風の後、二度ほど、地元、奥武蔵の山の様子を見に行きました。二度ともかなりひどい状態に遭遇して驚かされました。ヤマップでも、奥武蔵の投稿が少ないし、あってもかなり状態が悪いというものが多いように思います。

久しぶりに晴れるという23日(水)、台風の影響が比較的軽微と思われる赤城に行ってみることにしました。今回は様子見ではなく、素直に山を楽しみたいです。

朝、5時過ぎに埼玉の自宅を出て、6時半過ぎには赤城公園ビジターセンターに着きました。いや~、今日は予報どおり快晴です。それにしても、この時間でずいぶん車が止まってます。覚満淵の朝の様子を写真に取りに来てる人たちみたいです。赤城山はごく当たり前に登れた_191023_0001

ここから大沼湖畔沿いの道路を歩いて、黒檜山の登山口に向かい、黒檜山から駒ケ岳を経て、ここに下りてくる予定です。風が強いです。キャップが飛びそう。どっちかって言うと晩秋の装い。
赤城山はごく当たり前に登れた_191023_0002 (赤城神社あたりから)

黒檜山登山口で身なりを整え、おむすびを一個食べて登山開始です。いきなりの急登。春、ツツジの時期に鍋割山と荒山に登ったけど、あのときも急登でした。一個一個の岩が大きくて、間々に木の根が這っていてね。地道に楽な足場を探して、できる限りリズムよく登ります。赤城山はごく当たり前に登れた_191023_0003 (登山口から急登 先行する黄色いザックが一人)

赤城山はごく当たり前に登れた_191023_0004 (急な分だけ高度が稼げる)

最初の30分ほどを頑張って、見晴らしのいいところにでると、・・・おお、昨日初冠雪の富士山じゃありませんか。地蔵岳を挟んで反対側には南アルプスと八ヶ岳。ああ、埼玉の山の土砂崩れを忘れさせてくれる景色です。
赤城山はごく当たり前に登れた_191023_0005 

赤城山はごく当たり前に登れた_191023_0006 

赤城山はごく当たり前に登れた_191023_0007 (黒檜山を見上げたところ)

登山口から1時間位で黒檜山山頂につきました。ありゃ、ここは景色がいいんですね。筑波がくっきり。関東平野は北東半分くらいが雲海の下。その先にある展望ポイントからは日光方面の山がよく見えました。男体山、皇海山、日光白根山。尾瀬、上越の方の山も見えてるんだけど、一番上のあたりに雲がへばりついちゃって、どこがどこだかいまいちはっきりしませんでした。
赤城山はごく当たり前に登れた_191023_0008 (筑波山方面)

赤城山はごく当たり前に登れた_191023_0009 (筑波山)

赤城山はごく当たり前に登れた_191023_0013 (赤く染まる山腹)

赤城山はごく当たり前に登れた_191023_0014 (浅間山方面)

赤城山はごく当たり前に登れた_191023_0015 (男体山・皇海山・日光白根)

赤城山はごく当たり前に登れた_191023_0017 (上越方面、上の方に雲がへばりついて)

風が強く、しかも冷たい。ここでバーナーをかけるのはやめにしました。おむすびもう一つと、味噌を塗ったパンを食べて、身体が冷え切らないうちに出発しました。
赤城山はごく当たり前に登れた_191023_0018 (黒檜大神)

駒ケ岳に向けてはずいぶん下るんですね。しかも木段の下り。濡れているので滑るかと思いきや、冬場に皆さんがつけたアイゼンのあとのおかげでしょうか、まったく滑る心配なし。

鞍部まで下りて黒檜山を振り返ると、やはり紅葉は盛りを過ぎてますが、久々の青空が十分それを補ってくれている感じです。
赤城山はごく当たり前に登れた_191023_0023 (鞍部から黒檜山)

赤城山はごく当たり前に登れた_191023_0024 (鞍部から駒ケ岳)

駒ケ岳への登り返しはあっという間です。駒ケ岳からも筑波や関東平野が、南西に目を向けると小沼の向こうに富士山が見えてます。
赤城山はごく当たり前に登れた_191023_0025 (駒ケ岳 南西が開けている)

赤城山はごく当たり前に登れた_191023_0021

少し行ったところに平らな空間があって、風も収まっていたので、バーナー出して駒ケ岳ラーメンにしました。腹を膨らませて下山します。高度を下げると、葉っぱの赤いのが目につくようになりますね。
 赤城山はごく当たり前に登れた_191023_0027  (駒ケ岳ラーメン)

そこからもさほど時間かからず、駒ケ岳登山口に下山です。時間は4時間、距離は8キロ。ずいぶんこじんまりした感じの山行でした。駒ケ岳登山口からほど近い、覚満淵という水辺を一周りしてみました。草紅葉も合わせて、このあたりは十分紅葉を楽しめます。
赤城山はごく当たり前に登れた_191023_0034 (覚満淵から駒ケ岳)

赤城山はごく当たり前に登れた_191023_0035 (覚満淵の草紅葉)

ああ、それにしても・・・。とりあえず、ここの登山道に、ひどい台風の爪痕がなくてよかった。





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日本人と霊『神霊の国日本』 井沢元彦

「ある言葉を口にすると、その言葉の持つ霊力が刺激されて、その言葉通りのことが現実化する」

これが言霊信仰の、基本的な理念です。起源は計り知れないようです。万葉の宮廷詩人、柿本人麻呂は、日本は「言挙げせぬ国」、つまり、みだりに言葉を使ってはいけない国という意味ですね。軽々しく口にした言葉は、良かれ悪しかれ現実化してしまうからです。“良かれ”であるならばいいのですが。

この本では、大東亜戦争においても、この言霊信仰が大きく影響をしていると書いています。日本が戦争に負けるという言葉を口に出すと、それはどんな動機からの言葉であっても非国民の敗戦主義者にされてしまうということです。

連合艦隊司令長官の山本五十六が、「アメリカとの長期戦は絶対ダメだからやめろ」と言ったのは愛国心からであったが、それでも彼は、非国民だと命まで付け狙われる始末でした。山本五十六の主導した真珠湾攻撃とその後の戦争指導は、それこそ日本を敗戦に追い込んだと思いますが、「長期戦になればアメリカに負ける」という判断は、言霊に囚われない冷静なものだったと思います。それでは当然、最悪の事態を想定することはできませんね。

さらに日本人は穢を嫌います。古代においては、天皇でさえも武器を持って戦ったものの、支配が安定すると皇族は、さらに貴族たちも武器を捨ててしまいます。戦わなければならない時はどうするかと言うと、自分たちが蔑んでいる武士にそれを任せてしまうのも、“死の穢”、“血の穢”を遠ざけるためですね。・・・なんだか穢ってのは、現代人にとっての放射能みたい。

日本史上未曾有の危機と言われる元寇を撃退することができたのは、ひとえに鎌倉武士の健闘のおかげです。ところが朝廷はそれを認めず、亀山天皇が筥崎宮に奉納した《敵国降伏》の御宸筆にかけた願いに神が応え、風を吹かせたことで日本は守られたと、これを公式の見解としました。「大丈夫、現代の日本人には憲法9条があるから」ってところでしょうか。

明治以来、欧米列強の圧力に力をつけて対抗するしかないと、現実的な対応をした日本でしたが、アメリカとの戦争に苦しんで《神風特攻隊》なんてものを編成してしまいます。「お前ら、死んでこい」では、武士を卑下した貴族たち以下です。



秀和システム  ¥ 1,540

令和の時代にあらためて読みたい。日本人の行動原理を歴史に学ぶ
第1章 日本人と神と霊
第2章 日本人と独裁者
第3章 日本人と英雄と名将


「テクマクマヤコンテクマクマヤコン看護婦さんになーれー」と言って看護婦さんになっちゃうのはひみつのアッコちゃん。アッコちゃんが「ラミパスラミパス ルルルルル」と唱えると、もとに戻ります。「テクマクマヤコン」は「テクニカル・マジック・マイ・コンパクト」を略したものだとか。「ラミパス」は「スーパーミラー」の逆さ言葉。だけど大事なのは、「看護婦さんになーれー」なんですね。言葉にしたことが現実化するんです。

言ったことが現実化するってのは、ひみつのアッコちゃんにも反映されていたんでしょうか。こういうのを呪文っていいますが、日本人にとっては、日頃使っている言葉自体が呪文ってことになるでしょうか。

同じ時期に魔法を使っていたのが、魔法使いサリー。サリーの呪文はマハリクマハリタヤンバラヤンヤンヤン。実はこれ、魔法使いサリーのテーマ曲を作曲した小林亜星さんが生みの親なんだそうです。

もともとがスキャットの好きな方で、テーマ曲の作曲の最中に、導かれるように降ってきた魔法のフレーズなんだそうです。こりゃすごい。さらにすごいことに亜生さん、《暮らし安心クラシアン》とか、《あなたとコンビにファミリーマート》なんて呪文を生み出して、言葉にしたことを現実化させているんだそうです。

呪文の中の呪文と言えば、アブラカタブラ。2世紀のローマ皇帝カラカラ時代の医師にサンモニクスの残した書物が、このアブラカタブラが現れる最古の資料だそうです。サンモニクスは、この言葉が三角形に書かれた御札を、病気から身を守るお守りのように使っていたそうです。由緒の正しい呪文ですね。ただその先の由来はいまいちはっきりしないそうです。

一説には、これはアラム語で、その意味は「私は言葉のごとく物事を為せる」とするものがあります。また一説には、これはヘブライ語で、その意味は「私が話すように物事が創造する」とするものがあります。どちらも、《言葉にしたことは現実化する》に通じないでしょうか。

言霊信仰という、まさに地域限定のガラパゴス的信仰形態でありますが、古代においては人類普遍のグローバルなものの考え方だったのかも。・・・あるいは、言葉を現実化する強さを、もしかしたら古代人たちは持っていたのかも。




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『邂逅の森』 熊谷達也

明治生まれの祖父は、最後は寝たきりの状態になって、介護にあたった祖母と母は大変でした。

自宅介護は何年間続いたんだろう。高校生の時にそういう状態になって、大学6年の時に亡くなったんだから、足掛け6年くらいかな。その多くがまったくの寝たきりでしたからね。

祖母は私が山登りすることに反対でした。遭難でもした日には、身上つぶれるくらいに思っていたようです。「見つかりやすいところで遭難しろ」みたいなことを言ってましたから。祖父はそうでもなかったみたいだけど、やっぱり心配はしていたようです。

高校で山岳部に入って本格的に山登りを始めたんですが、大学に入って上京し、いつだったか帰省した時の話です。一番奥にある祖父の部屋に行くと、祖父は以前にはなかったベッドの上に寝てました。その方が介護しやすいからだったみたいです。

祖父に声をかけて顔を覗き込むと、祖父は目を開けていました。再度、声をかけると、「・・・おう、どうした、・・・山は」と祖父が話し始めました。ちょうどその時、祖母がお茶を持って入ってきました。「山は、もうさみいだんべ」という祖父の言葉に、私はてっきり、山に登る私を祖父は心配しているんだと思いました。“大丈夫だよ”と口を開こうとすると、それよりも早く、「鉄砲撃ちが山にへえってるから、穴から出るな」・・・???

「おじいさん、なにゆってるん。**だで、**がけえってきたんだで」と祖母がいうと、祖父は「なんでえ、**けえ、おらあ、たぬきが遊びいきたんだと思ったでえ」と、驚いたような目を私に向けました。

驚いたのは、私の方です。

『邂逅の森』の主人公、松橋冨治は秋田県北部を流れる米代川の支流、阿仁川上流の打当の集落のマタギ。大正3年に25歳だから、私の祖父よりも12歳年上です。まあ、ほぼ同世代ですね。


『邂逅の森』    熊谷達也

文春文庫  ¥ 902

マタギとして成長する冨治は地主の一人娘と恋に落ち、村を追われる。直木賞の感動巨編
第一章 寒マタギ
第二章 穴グマ猟
第三章 春山猟
第四章 友子同盟
第五章 渡り鉱夫
第六章 大雪崩
第七章 余所者
第八章 頭領
第九章 帰郷
第十章 山の神


冨治はマタギという仕事に自信と誇りを抱けるようになった頃、地主の一人娘と恋に落ち、村を追われ、マタギという仕事も失ってしまいます。鉱夫という仕事で生きて行かざるを得なくなる冨治だが、マタギという仕事に自信と誇りを持ってやってきた経験は、鉱夫の世界でも確実に生かされていきます。

鉱夫の世界で悲しい別れや大きな事故を経験し、やがて冨治は、マタギの世界に戻っていきます。そして、村を追われて以来、失われてしまった自分の人生を、取り戻していくことになります。

その冨治も時代の移り変わりの中で、マタギを続けることに疑問を抱くようになります。その問いに答えるように、彼の前に山のヌシである巨大グマが現れます。

一人の人間の仕事人生を考えてみれば、多くの場合、まずは目の前にある仕事を一生懸命にやっていくということだと思うんです。本気でやっていけば、どんな仕事でも誇りを持ってやっていくことができるようになるんだろうと思います。その誇りを持った仕事を生涯通していけるとしたら、これは幸せなことでしょう。

冨治にとってマタギという仕事は、まさにそういう仕事だったわけです。しかし、時代の移り変わりの中で、マタギという仕事も移り変わっていきます。その中で冨治も迷うわけです、迷う冨治を試すように“ヌシ”は現れるわけです。

冨治が村を追われたのは、地主の一人娘と恋に落ちたからですが、冨治が娘に夜這いをかけたんですね。実は、祖父母の話なんですが、祖母は祖父のことが好きで、どうしても一緒になりたかったんだそうです。それが、他の男と一緒にされそうになって、それが嫌で秩父から行田に逃げたんだそうです。

行だと言えば足袋。その頃はとても豊かな街だったんだそうですが、そこに何らかの縁者がいたようです。とにかくよっぽどだったみたいで、無事祖母は祖父に嫁いで、四男三女に恵まれます。

祖母がそこまで祖父にこだわったのは、やっぱり祖父は、祖母に夜這いをかけていたんでしょうか。




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前近代から近現代へと変貌し続ける世相の本質をつかみ生き方の支柱を示す。
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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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