めんどくせぇことばかり 2019年11月
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御前山から鋸尾根 奥多摩初雪

山茶花梅雨はよく降りました。ようやく青空がもどった。てぐすね引いたかのように奥多摩へ。台風で被災した人がたくさんいるのにどんなもんかと最初は思ったりもしたんだけど、奥多摩は観光の街だもんね。

夏、息子との登山の下見にと浮橋からの三頭山に向かった私。浮橋が渡れない(当時)ことにがっかりしてすっかり意気消沈。せっかく奥多摩まで来たので、「御前山でも登っとくか」って、この“でも”が良くなかったらしく、サス沢山手前で熊に遭遇。熊くんは、バイバイって尾根から下りて行きました。私も山を下りました。

台風19号後の奥多摩復帰戦は、御前山にしました。・・・そんな大仰なことでもないんですけどね。とりあえず、熊くんもおネムになったと信じて。
IMG_5620.jpg (7時ちょうど 
 奥多摩発丹波行き)

イタチの最後っ屁というのが本当にあるのかどうか知りませんが、山茶花梅雨は最後の一晩に、奥多摩の山にも雪を降らせました。

奥多摩湖バス停でバスを降りたのは私一人。準備を整えてダムを向こう側に渡ろうと歩き始めると、水道局の事務所の人が窓を開けてなんか言ってます。

「初雪だよ初雪。ほら、あそこ」って指差す先を見ると、ダムの上流の方の山の上のほうが白い。
「三頭山ですか」って聞いたら、「三頭だね。三頭が真っ白だ」って、とても嬉しそう。
IMG_5621.jpg (真っ白な三頭山に日があたって・・・)

登山口で靴を登山靴に変え、登山開始。
IMG_5623.jpg (登山口すぐ上の展望台から 石尾根にも日が当たる)

今年の春先から、お事主様かというような巨大猪に脇を走り抜けられ、突然の私の出現に驚いたニホンカモシカに目の前を横切られ、夏に入って熊に遭遇したのをきっかけに、けもの対策をはじめました。笛と、熊鈴と、蚊取り線香です。蚊取り線香は、スズキサトルさんの『森の生活図集』という本を読んで、自分で考えました。熊くんはおネムと信じますが、まさにその場所を通るので、念の為、蚊取り線香もつけました。

このコース、すごい急登なんですよね。《初心者でも気楽に登れる》ってどこかで見ましたけど、本当でしょうか。十分厳しい上りだと思うんですが。
IMG_5624.jpg (こんなところを登ってきて)

IMG_5625.jpg (こんなところを登っていくっていうのに)

まあ、その分、高度は稼げます。高度を上げていくと、・・・真っ白く雪をかぶった山が、樹林の向こうに見える。れれれ、三頭山?違う。もしかしたら、大菩薩だ。

どこか、よく見える所があれば写真に・・・と思っているうちに、サス沢山の展望台に着いた。大菩薩が真っ白だ。その割に、奥秩父には雪がない。北側は降らなかったのか。
IMG_5630.jpg (サス沢山の展望デッキから 大菩薩カッコいい)

IMG_5628.jpg (小河内ダムも見下ろせました。まだ、色がおかしいですね)

さらに先に進むと、霜柱だと思っていた足元の白いのが、気がつくと雪。御前山も降ったんだ。最初は落ちた葉っぱの上にごま塩をまいたような白いのが、だんだん広く、濃くなっていきました。まあ、・・・cmって言うより、《積雪あり》止まりですが。
IMG_5632.jpg (惣岳山に向けての登りは、お日さまに向かって 足元の落ち葉にごま塩のような)

IMG_5635.jpg (ごま塩がはっきり雪に)

IMG_5636.jpg (登るにつれて、雪がはっきり)

IMG_5637.jpg (伸びた霜柱が天然パーマで)

IMG_5638.jpg (惣岳山 一面に白い)

IMG_5641.jpg (道標にも雪が張り付いている)

惣岳山あたりからは、寒さがひとしお。この日の寒さは、冬の寒さでした。御前山の手前、おそらく雲がなければ富士山が見えるのはここだなってところで、ラーメンを食うことにしました。ラーメンは、いつもなら後半のお楽しみなんですが、この日の寒さには、やはりラーメンです。後半は高度も下がるから大丈夫でしょう。そのうち雲が切れるかも知れないし、山頂は吹きっつぁらしみたいなので、風のこないここでラーメンを食いました。
 IMG_5643.jpg (御前山手前 小高いところが山頂 寒そうなので、こちらで)

IMG_5644.jpg (この寒さに我慢できずに御前山ラーメン)

IMG_5645.jpg (なんか貧相ですね 十分幸せなんですが)

山頂は、北側の展望が見事でした。石尾根の続く先は雲取かな。一個向こうの尾根は長沢背稜か。
IMG_5646.jpg (石尾根からをたどった先が雲取かな 一枚奥が長沢背稜)

IMG_5648.jpg (とにかく寒い 景色はいいんだけど、長居できずに下山します)

御前山からは、次第に高度を落とします。その分気温が上がって、風は冷たいものの、血があたたまって、足先、指先にまで感覚が戻ります。
IMG_5649.jpg (下山と言っても、鋸山に向けて)

IMG_5652.jpg (鋸山への最後の上りは、ずいぶん無理矢理な感じがして)

鋸山でおむすびを食べ、ここからは鋸尾根を慎重に下って奥多摩駅を目指しました。
IMG_5653.jpg (鋸尾根に上がって、慎重に下ります)

IMG_5654.jpg (東に見えるピラミッドは奥の院かな)

IMG_5655.jpg (鋸尾根後半から 位置的には六ッ石山かな)

IMG_5656.jpg (御前山 こう見ると暖かそうなんだけど、寒かったんだよなあ)

IMG_5658.jpg (愛宕神社まで下りてきました)

IMG_5660.jpg (頑張れ奥多摩! またね)

この日歩いたのは、以下のようなコース
御前山 地図



テーマ : 登山
ジャンル : スポーツ

国家神道『日本人は本当に無宗教なのか』 礫川全次

教皇フランシスコが来日した。

戦後、彼ほど政治的な教皇はいないだろう。政治的な問題に関する発言をためらわない。彼には“大きな政府”という意識があるんだそうだ。それは国境を超えた問題に、積極的に関与していくということのようだ。核問題、戦争の問題、貧困の問題、・・・そりゃ結構だ。ただしいずれも、誰に何かを求めようとする段階から、きわめて政治的なものになる。その危険に対する意識に欠けたところがあるように思う。

最近は死刑制度にまで言及しているらしい。死刑制度は容認できないということだ。なにかとリベラルと波長の合う教皇でもあるらしい。

焼き場に断つ少年の写真に感銘を受けて広島、長崎を訪問したという。結構なことだ。核兵器が廃絶されることに、尽力しているという。いろいろな意見があるが、それ自体は文句を言うつもりはない。だけど、唯一の核被害国である日本に、なんらかの働きを求めるというのは間違いだ。なぜ核爆弾を、多くの人間を一気に皆殺しにするために使用したのかを、究明するのが先だ。なぜ日本人には核爆弾を使っていいと考えたのか。それを究明する前に、唯一の被爆国なんだから日本も率先してなにかやれというなら、責任者を連れてこいと言うしかない。根本的なことを考えれば、背景にあるものが、少しは見えてくるだろう。

イエズス会だそうだ。行動するカトリック。ラテンアメリカへ、アジアへ布教の為に乗り込んだカトリックの冒険者の系譜に属する。彼らの多くは思慮に欠けた。だから、行った先で揉め事を起こした。その揉め事を収めるために、スペインの軍隊がやってくるんだ。そして、新大陸の半分は、ラテンアメリカと呼ばれるようになった。その流れが、日本に原爆を落とすんだ。

なんだか、日本人の中にもフランシスコ教皇の来日を喜ぶ人が多いようだけど、カトリックなんだろうか。それとも、ハロウィンやクリスマスに大騒ぎの渋谷の若者だろうか。
伊藤博文が憲法調査のために向かったプロイセンで、彼はハインリヒ・フォン・グナイストから憲法講義を受けている。グナイストは、教育のもとになるのは宗教で、宗教に基づいた教育により人は善になると説いた。学問のみによって成り立つ国家は、死活の状態が常に動揺するのを免れない。日本においては仏教を国教とすべきであるという考えを持っていたらしい。

それに対してオーストリアのローレンツ・フォン・シュタインは、日本には開闢以来の神道があるのに、渡来した儒教や仏教に侵食され、神道は根本が枯れ、枝葉が栄えている状態のようだと、かなり正確な理解を持っていたようだ。そのうえで、日本は国体を維持するために神道を立てて国家精神の向かうところ示すのが良いとした。ただし、神道は宗教の外に立つものとして、儒教、仏教、キリスト教などの選択は、人々の自由に任せればいいと考えていた。



平凡社  ¥ 924

かつての日本では、宗教と習俗とが人々の心を支え、社会や共同体を支えていた
第1章 かつての日本人は宗教的だった
第2章 近世における「反宗教」と「脱宗教」
第3章 本居宣長と平田篤胤の思想
第4章 幕末に生じた宗教上の出来事
第5章 明治政府は宗教をいかに扱ったか
第6章 明治期における宗教論と道徳論
第7章 昭和前期の宗教弾圧と習俗への干渉
終章 改めて日本人の「無宗教」とは


《宗教の外に立つ》という理解が難しいが、国家儀礼の典礼を神道によって行うということのようだ。そうすることで、人々を知らず識らずのうちに神道に帰依させる。宗教という意識さえ持たせる必要がない。仏教やキリスト教などを信仰することとは別問題ということだな。

実際、明治政府はこの方針をとっていくことになる。不思議なのは、シュタインがどのように異国である日本の宗教問題に関して、ここまで実際的な提案をすることができたのか。この本の著者礫川さんは、シュタインを尋ねた日本政府関係者、中でも伊藤博文あたりが重要な情報源だったのではと書いている。

前提には廃仏毀釈がある。神仏分離令に端を発する廃仏毀釈によって、民衆の伝統的信仰生活はかなりの程度破壊された。たしかに仏教は、江戸時代、民衆を管理する体制の側にあった。だがそれに対する反発だけではなく、明治維新という神道の“復古”という立場からも、西洋文明導入という立場からも、神仏習合をもととする、長い伝統を持つ民衆の生活は、愚昧で迷信深く、猥雑なものに見えたというのだ。

筑摩県権令の永山盛輝は教育を立県の指針とする説明で次のように言っているという。

《因果応報の邪説にこだわり、地獄・極楽などの詭説を信ずるのか。中には心得違いの者もおるだろう。そもそも仏教は死んだあとのことが大事なのであって、お寺に布施することはあっても、いま、行きている人間を教育するための学費は出さない。学校のために尽力しない。生きているより死んでいる方が楽しいのだろうか。あまりに道理に外れていて、憐れですらある》

《来世より現世》って刹那的な、きわめて短絡的な考えではあるが、そちらの方が神道の復古、西洋文明の導入というご時世にあっていたんだな。

「捨てなきゃいけない。壊さなきゃいけない」っていう、衝動のようなものだな。

そんな前提があったから、グナイストよりも、シュタインの考えが採用されることになる。さらにシュタインは、智識が発達した今日、道徳はもちろん安心立命もまた宗教によらず、哲理に帰着させるべきだと言う考えを持っていた。その哲理を、神道を国家の典礼とすることによって確立しようとしたわけだ。

ある意味では思った以上にうまく行った。ただ、戦争が始まって、戦況が厳しくなっていくに従って、天皇のもとに無理を通そうという風潮が抑えようも無くなってしまった。・・・国家神道ってやつだ。




テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

鼻曲山(奥武蔵)を歩いてきた

ここに来て、また雨の日々。山茶花梅雨と言うんだそうだ。

おまけに天気予報を当てにしていると、見事に外してくれる。と言うのも、雨が残ると言っていた25日の月曜日にお日さまが顔を出して、まさに山を歩いてくるチャンスだった。私は28日にある自治会の役員会の準備を25日に入れてしまってチャンスをふいにした。ただ、役員会の準備が25日と26日で終わったので、27日が空いた。天気はどうだ。

今度、晴れるのは29日みたいですね。その日は奥多摩でも行こうかな。27日は、雨は午後からみたいなので、近くの山を歩いてくることにしました。私にとって一番お手軽なのは、なんと言っても越生です。

越生の町役場に車を置かせてもらって、鼻曲山まで歩いて戻ってくる計画です。

まずは、西高取山。いったん無名戦士の墓に向かったんですが、手前から少し下って山道に入るコースから登りました。西高取山山頂からの景色は、当然のようにどんよりした曇り空。雨が早まったりしませんように。
鼻曲山往復_191127_0002 (西高取山より 越生や毛呂あたりまでしか見えない)

大高取山に向かう途中から一度下って、沢沿いの道の様子を見ることにしました。前に崩落の状況を紹介した黒山三滝の上、藤沢入っていう沢だってほど近いんですから当然ですが、こっちもかなり荒れてました。
鼻曲山往復_191127_0003 (やっぱり同じような現象が)

鼻曲山往復_191127_0004 (道の真ん中に深い溝ができている)

沢沿いの道は、道の真ん中を泥流が削っちゃっていて、深い溝ができて歩きにくくなっています。登山道に影響する崩落は一ヶ所。それがよく見たら、幕岩のすぐ脇から始まった崩落なんです。幕岩が動いたら大変なところだったでしょうね。
鼻曲山往復_191127_0005 (分岐に下りて、ここからもう一つの沢沿いに幕岩に向かう)

鼻曲山往復_191127_0006 (こちらにも土石流のあとが・・・)

鼻曲山往復_191127_0007 (上部の大きな岩の脇の崩落が原因らしい。・・・?)

鼻曲山往復_191127_0008 (その岩が幕岩でした。・・・動かないだろうな)

深い溝があって歩きにくくはあるんだけど、崩落の影響は大きくないし、あとは多くの人に歩いてもらうんですね。場所は、越生の虚空蔵尊から沢沿いに幕岩に上がるルートです。

幕岩に着いて、やっぱり天気はどんよりした曇り空。でも、さっきより少し明るいかな。おむすび食べて、大高取山へ。ここでも曇り空だけど、少しずつ明るさが増している感じ。幕岩で休んだばっかだから、そのまま桂木観音に向かう。途中、桂木山あたりでマウンテンバイクの三人連れに合う。「自転車で山を走るのか。嫌だなあ」って気持ちが顔に現れていただろうなぁって思いつつ、まもなく桂木観音到着。誰もいない。二個目のおむすびを食べる。猫がおねだりに来るが、私はやらない。
鼻曲山往復_191127_0009 (幕岩上からの展望。 相変わらずどんより)

鼻曲山往復_191127_0010 (あそこが大高取山の山頂)

鼻曲山往復_191127_0011 (桂木観音まで下りてきました)

鼻曲山往復_191127_0012 (このあたりはゆず畑がたくさん 《ゆず之助》は毛呂山名物) 

雨を考えて、ここから戻るのも手だなあって思ったんだけど、空は明るさを増している。鼻曲山まで、ちょっと頑張って時間を稼ぐことにして出発。鼻曲山からは樹林越しに越上山が近くに見えました。だけどそれ以外には何もないので、早々に退散です。
鼻曲山往復_191127_0017 (椎ノ木山を越えて鉄塔下に出たら、鼻曲山ももうすぐ)

鼻曲山往復_191127_0013 (ひと登り)

鼻曲山往復_191127_0014 (ふた登りと踏ん張ると・・・)

鼻曲山往復_191127_0015 (鼻曲山山頂です。なんだかゴルゴダの丘みたい)

鼻曲山往復_191127_0016 (越上山が透けて見える)

鼻曲山往復_191127_0018 (名残の秋が・・・)

結局、2時間かけずに往復できました。戻ってみると桂木観音の展望台は団体さんで埋まってました。ここでパンを食べる気でいたんだけど、場所はありません。上の境内に上がって、ブランコでパンを食べました。
鼻曲山往復_191127_0019 (桂木観音境内より 階段下の展望台では団体さんがお昼ごはん)

あとはラーメンだな。ラーメン、ラーメンって掛け声を声に出さずにかけながら歩いていると、大高取山方面から声に出したおしゃべりをしながら下りてくる一行が。どうしよう、おしゃべりに夢中で私に気づいてくれなかったりなんて思ってたら、直前で気づいてくれた。人数多いな。桂木観音にいた人たちも人数多かったしな。

西高取山にはいないといいな。いませんように、いませんようって掛け声を声に出さずにかけながら歩いていくと、私の願いをお山が聞き届けてくれたようで、ひとりで黙々とラーメンを食べて、幸せなひと時を過ごしました。鼻曲山往復_191127_0020

鼻曲山往復_191127_0021

満足して、家に帰ります。
鼻曲山往復_191127_0022 (帰りは高取山経由 かつて高取城というのがあったらしい スダジイの大木が二つ)

鼻曲山往復_191127_0023 (また来ます)

この日歩いたのは、以下のようなコース
鼻曲山 地図




テーマ : 登山
ジャンル : スポーツ

『ぼくたちのP』 にしがきようこ

“P”とはなんだ。

“パンツ”・・・『ぼくたちのパンツ』では話にならない。“ボケモン”・・・『ぼくたちのポケモン』なんて本当にありそうだけど、私はまもなく還暦だ。“パプリカ”・・・この間、孫が音楽に合わせて踊っていた。『ぼくたちのパプリカ』はすでに現実のものとなっているようだ。何度も言うようだけど、私はまもなく還暦だ。

“パラダイス”・・・『ぼくたちのパラダイス』、これが正解。パラダイスという向こうの言葉、キリスト教世界の言葉だな。辞書によれば天国であるとかエデンの園であるとかが出てくるが、日本人のイメージからすれば“楽園”何ていう言葉がふさわしいか。

かつて、挨拶で使ったことがある。

私は定時制高校に勤務した時期があった。とある全日制高校での勤務が10年を超え転勤を考えなければならない頃、諸般の事情から迷った挙げ句に定時制高校を希望した。おそらく今でもそうだが、定時制高校を希望すれば、ほぼ間違いなくその希望は叶う。希望する者はいないのだ。

希望する者がいないにはそれなりの理由がある。それなりの理由っていうのに馴染むまでの間は苦労もあるが、基本的に定時制高校っていうのは、私にとって水があった。まだ定年までに10年を超える年数があったが、定時制で終わりでいいと思っていた。ところがその定時制のほうが無くなってしまうことになり、私は県内でも学力が中程の全日制高校に転勤することになる。

転勤したのは定時制がなくなる2年前で、まだ二つの学年を残したまま転勤した。4月の下旬に離任式に呼ばれ、残る二つの学年、四年生と三年生を前に離任の挨拶をした。

「全日制高校の仕事になれるのは大変だけど、いつか必ず今の仕事場を自分にとってのパラダイスに変えてみせる。みんなもあきらめるな」

県内でも学力が中程の全日制高校っていうのは、私の教員人生の中では一番楽なところのはずなんだけど、私にとっては厳しかった。定時制高校っていうのは、教育ってものの本来持ってる姿に近いものがあって、それが肌にあっていた。でも、新しい学校は、それとはだいぶ違った。「パラダイスに変えてみせる」と言いながら、結局私の方から逃げ出した。

今、学校が求められているものって、どんどん、本来の教育から遠ざかっているような気がしてならない。
『ぼくたちのP』というこの本。くくりで言うと、児童文学ということになる。

私がこの本を手にした理由は、言わずと知れた、この装丁にあある。登山靴があしらわれているからね。“P”が何を表すか分からなくても、山に関わる話であることは間違いないだろうからね。


『ぼくたちのP』    にしがきようこ

小学館  ¥ 1,540

ユウタは人には言えない弱点があった。そのせいで人が苦手で、あまり友だちがいない
プロローグ
一日目 別荘への道、光る池塘、山の男たち
二日目 道普請、ぼくの秘密
三日目 ヒメさん登場
四日目 山を守る
五日目 山の生きものたち、避難小屋で、夜の嵐
六日目 下山
エピローグ


9月1日に自殺する子供が多いそうだ。なんて世の中なんだろう。

樹木希林さんの娘さん、内田也哉子さんが『9月1日 母からのバトン』という本をお出しになった。樹木希林さんとの共著という形になっているようだ。9月1日に自らの命をたってしまう子どもたちが後をたたないことを知った樹木希林さんの憤りを、娘の内田也哉子さんが引き継いで綴った本だそうだ。

命を断つことにつながるのかどうか分からないが、中学二年生のこの物語の主人公も、すでに自分と自分を囲む周囲に対するどうにもならない無力感にとらわれてしまっている。

そんな状態で彼は、山に関わった。大学教授のかたわら、山の保全活動に勤しむ叔父を持っていたことは、彼にとって幸運だった。小学生の頃、雷に敏感で、極度な怖がりを笑われたことがトラウマとなっていたが、それは山では特技だった。これも幸運だった。

弱点だと思っていたその力で、彼は山において、それまでの自分を乗り越えた。彼が学校に戻ってどんな行動を取れるのか。もう、そんなことは関係ない。何も変わらないかも知れない。でも、彼は自分が無力であるとは、もはや思っていない。自分の周囲が無力でないということも、おそらく受け入れられるだろう。

羨ましいような幸運が私にないのは悔しいが、そこまでの幸運に恵まれなくても、きっと山には、そんな少年に、自分を乗り越える機会を与えてくれるだろう。

高校生になると、もう少し情緒が安定してくる。しかし、そこまでの段階で、通常、いくつもの淘汰が行われている。ほとんど全員が、傍目に、あるいは真っ向から、そういった状況を経験してきている。だから、他人に足を引っ張れれるような言行を取らないよう慎重で、他人の足を引っ張れるチャンスにはきわめて敏感である。それを利用するかどうかはともかく。あとは程度の差ってところかな。

数は多くないと信じたいが、時には教員の足でも平然と引っ張るやつまでいる。必要ならば涙を流しても見せる。男でも女でも、関係ない。そこまでいくと、怪物だ。

定時制では、小学校や中学校段階で淘汰されちゃったやつ、高校に上がってからいろいろな事情で退学したやつ、グレて高校を卒業してないやつ、若い頃に高校進学の機会がなかった年配者、日本に働きに来た外国人の子弟、中卒で相撲部屋に入ったが続けられなくなったやつ、いろいろな段階の学習障害・知能障害を抱えたやつ、とにかくいろいろな生徒がいた。

いろいろな事情と向き合わなければならない彼らを指導する能力は私はあったが、怪物を指導しようとして足をすくわれかかった。・・・危なかった。





テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『貴乃花 我が相撲道』 石垣篤志

この間書いたことなんだけど、大相撲九州場所12日目、白鳳と遠藤の相撲はひどかった。

遠藤がひどいわけじゃない。白鵬の相撲だ。日刊スポーツは《白鵬かち上げで遠藤圧倒 初の「日本人優勝」見えた》と題名をつけているものの、「パタリと前に落ちた遠藤は、鼻の上を抑えながら土俵の上で数秒動かず、KOされたようのも見えた」とも書いている。

白鵬は、「まず(相手を)起こしてから攻めたいというね。最終的にはたき込みになりました」とわけのわからないことを言っていたようだが、これは誤魔化しだ。相手の体を起こした上で、カウンターの張り手を顎に入れた。最初からの狙いに違いない。

遠藤は、白鳳のはたきで落ちたのではなく、カウンターの右を顎に食らって脳を激しく揺さぶられ、土俵上にダウンしたんだ。行事は白鳳に軍配を上げるのではなく、カウントを数えるべきだった。10秒以内に遠藤が立ち上がれば、試合は継続だ。

気をつけろ。白鵬がここ一番で狙っているのは、右カウンターだ。

本当にモンゴル勢は汚い相撲を取る。

伝説の武蔵丸との一番の後、貴乃花は膝の手術とそれに続く長いリハビリによる休場が続く。どんなやっかみがるのか知らないが、世間は貴乃花に、必要以上に厳しい対応を取る。手術から一年経った2002年7月場所のあと、横綱審議委員会は貴乃花に、翌9月場所の“出場勧告”っていうのを出したんだそうだ。・・・呆れる。

稽古総見でも土俵に上がれないような状況で、貴乃花は9月場所に臨んだ。それでも10日目までに勝ち越しを決め11日目の朝青龍戦になったんだそうだ。これはよく覚えている。さっき動画でも見直した。



文藝春秋  ¥ 1,650

私がずっと内に秘めていた心境をここまで詳らかに語ったことはありません
第一章 父・貴ノ花との絆
第二章 「貴花田」誕生
第三章 千代の富士と激突
第四章 宮沢りえとの婚約と破局
第五章 曙との死闘
第六章 綱取りと嫁取り
第七章 若乃花との兄弟対決
第八章 洗脳騒動の真相
第九章 武蔵丸との伝説の一番
第一〇章 “絶縁”の母へ
第一一章 死に場所を探して
第一二章 現役引退を決断
第一三章 横綱相撲の極意
第一四章 早すぎる父の死
第一五章 我が師匠論
第一六章 決起!貴の乱
第一七章 野球賭博と八百長
第一八章 “営業マン”貴乃花
第一九章 日馬富士暴行事件の内幕
第二〇章 角界引退
最終章 家族のこと、弟子のこと、そして…






この場所に向かう貴乃花は、稽古場においても四股とすり足、それに鉄砲に専念し、実践的な稽古はまったくできていなかった。不完全な状態で場所に入っていたわけだ。そんな状態で迎えた朝青龍戦だ。

その相撲の様子は、この本でも詳しく取り上げられている。1年4ヶ月前の小結の時の初対戦では、横綱に格の違いを見せつけられている。しかし、この日はの朝青龍は次世代を担う新大関として、貴乃花を上回る9勝を上げて、初対戦の雪辱を果たすべく挑戦した。

朝青龍はとうしむき出しに貴乃花に挑んでいく。強烈な喉輪に突っ張り、張り手を繰り出すさまは、その後も長く続くモンゴル勢の相撲そのものだ。貴乃花はそれらの攻撃をすべて受け流した上で朝青竜を両上手で抱え込むように捕まえた。この大勢、通常ならもろ差しで有利な局面にも関わらず、朝青龍は身動きが取れず苦し紛れの外掛けにいってバランスを失い、ざいごは右上手で土俵下に叩きつけられた。

朝青龍は負けて引き上げる花道で、場内に響く「ちくしょう」という捨て台詞を上げて支度部屋に戻り、「怪我をした(横綱の右)足をガーンと言っとけばよかった」と言い放ったという。

稀勢の里が一矢報いてくれたものの、今でもそのモンゴル相撲の時代が続く。

宮沢りえとの婚約と破局が世間を騒がせた。兄である若乃花との確執が取り沙汰された。それと関わって、整体師に洗脳されているという親方の発言があった。・・・当たり前だったら、とっくに潰れている。

それでも潰れずに、横綱相撲を取り続けた。

貴乃花という相撲取りに関する、それが真実だ。

親方になってからも、“貴の乱”、野球賭博問題、八百長問題と、常に貴乃花はもう一方の側にいた。その“もう一方の側”を相撲協会は受け入れられなかった。そして日馬富士暴行事件をきっかけに、貴乃花を大相撲から排除した。貴乃花は、弟子たちの相撲人生を守るためにそれを受け入れたのであって、弟子たちを捨てたのではない。

貴乃花に関しては、あれだけの逆境においても、横綱相撲を取り続けた。それが真実だ。




テーマ : 料理の本
ジャンル : 本・雑誌

『∞小鍋』 SHIORI

立冬は11月8日だったのか。

柏木山に登った日だ。意識すらせずに過ごしてしまった。だけど、時候の挨拶で言うと、晩秋、暮秋、深秋とならんで、秋の範疇。先日は、奥武蔵の山々で見事は紅葉を楽しんだ。あれから一週間、木々はもう葉を落としたろうか。

標高の低い奥武蔵では、山頂と言っても展望の効かない山もある。しかし、木々が葉を落としたあとは、周囲の山々が見えるのだ。低山は、これからが旬。

秋の範疇と入っても、先日から寒気が入って、ひときわ寒くなってきた。身体が冬の準備に入ってる感じだな。ということなら冬晴れを期待したいところだけど、なぜか先日から雨の混じったはっきりしない天気。こういうのを“さざんか梅雨”というんだそうだ。

それにしてもこの寒さ、ちょっと高い山なら雪かな。

こんだけ寒けりゃ、やっぱり鍋。ということで、鍋の本。“∞”っていう8が横になってるのは何だろう。具合が悪くなって入院でもしたんだろうか。なんて8の心配をするのは、暇を持て余した私くらいのもんだな。これは“無限”を表すマークだ。

「小鍋」が無限だってことなんだけど、なにが無限かって言うと、バリエーションが無限ってことだそうだ。バリエーションが無限ということは、どんなスープ、又はだし汁で、どんな具材を、どんな工夫で入れて食ってもいいってことになってしまう。

・・・でも、「なんでもいい」ってことになると、この手の本は成立しなくなっちゃうよね。そこには、天地創造以前の混沌があるばかりで光すらない。つまりはすべてが闇鍋になる。巨人の星の青雲学園野球部の闇鍋はひどかった。カエルやスリッパ、下駄まで入っていて、箸に架けたら絶対に食わなきゃいけないっていう恐るべき闇鍋。・・・そんなものが食えるか!

だから、本当の意味合いで“無限”ではない。この本に紹介されているのは、下の目次にあるようなテーマに沿った73種の鍋だけど、著者SHIORIさんの言いたいところは、さらにこれらのレシピにも縛られてほしくない。さらにどんどん工夫してみてねってところでしょう。


『∞小鍋』    SHIORI

講談社  ¥ 1,210

好きなものを好きなだけ!だって、ひとりから楽しめる小鍋だから! とにかく気楽に♪
1 大胆アイデア鍋
2 旅する鍋で世界旅行
3 定番を制するものは鍋を制する!!
4 魅惑のあんかけ倶楽部へようこそ
5 癒やしのほっといたわり鍋
6 ぜいたくぅ~鍋
7 放ったらかしでコトコト


寒くなってきて、もちろんのことながら、朝食には温かいみそ汁が欠かせない。朝食なので、あくまでみそ汁なんだけど、それを除けば、なんだかこの本に紹介されている“小鍋”たちにきわめて近いように思うところがある。

食事は連れ合いと二人だから、六人家族のときと違って、一番小さい両手鍋で作る。ほんの少し残してしまうのが嫌なので、塗のお椀で二杯分の水を計って入れる。水の出やすい具を使うときは、水の量を最初から加減する。

心がけているのは、できるだけ動物性タンパク質を入れるようにしていること。肉の場合、豚肉・鶏肉が中心で、あまり牛肉は入れませんね。これは個人的に牛肉はなんでだか食べつけてないってだけのこと。肉団子、鳥のつくね、イワシのつくねもいいね。お手軽なのは練り物で、ちくわ、かまぼこ、カニカマ入れても美味しいです。魚も入れます。鮭やたら、塩サバ入れてもうまいです。

例えば、昨日買い物に行ったらロシア産の塩たらを一切れ100円で売ってたのを買ってきた。それを4つに切り分けで味噌汁に入れました。塩気が出るので味噌はほんの少しにした。合わせたのは豆腐と春菊。味噌味の湯豆腐って感じだったな。

例えば、少し分量を増やした両手鍋をそのままテーブルに出して、中の具を食べた跡、その出汁で素麺でも食ったら、さぞうまかろうと常々思っていた。・・・でも、そんな事をしたら、朝ごはんと言うよりも、朝鍋になってしまう。何か間違って一杯飲んでしまったら、それで一日が終わってしまう。

それはそれでいいかも知れないが・・・。

各種類の肉や魚、それからそれらの加工品って、冷凍庫に入れて保存することが多い。朝使う量ってほんの少しなので、それらを買ってきたら、かなり小さな小分けにして保存している。そうするとね。本当に、その時々の思いつきで、思いの外美味しい味噌汁になるんです。

シメにうどん、ラーメン、素麺、そば、それとも雑炊にしましょうか。とりあえず、明日の朝のみそ汁は、さつま揚げかな。さつま揚げにはキャベツが合うかな。




テーマ : 料理の本
ジャンル : 本・雑誌

『生還者』 下村敦史

舞台はカンチェンジュンガ。

標高8586mは、エベレスト、K2に次いで3番目。挑戦者の死亡率の高い山で、エベレストの4%に対して、カンチェンジュンガは22%。すでに、舞台はカンチェンジュンガであると言うだけで、誰かが命を落とす物語であることがはっきりするような山なわけだ。

冒頭から、積雪が液状化したような、雪山の半分が滑り落ちるような雪崩で、この物語は始まる。日本人登山者7名が、この雪崩に巻き込まれる。7名の内、4名の遺体は早々に発見された。その中に、この物語の主人公増田直志の兄、謙一の遺体も含まれていた。

兄の遺品を片付けるうち、直志は兄がカンチェンジュンガで使っていたザイルに細工がされているのに気づく。彼は兄の遭難に疑問を持ち始める。生存が絶望視された中、ひとりの遭難者の生還が確認された。奇跡の生還を果たした彼は、兄たちのパーティーに見捨てられた、見殺しにされるところだったと語った。そんな自分が生還できたのは、いまだに発見されていない最後の一人に助けられたからだと語った。最後のひとりは、兄たちパーティーのメンバーとたもとを分かってまで自分の命を救ってくれたと。

世間は、兄たちの非道を詰り、自業自得、天罰という声まで聞こえた。

だがその後、もうひとりの生還者が現れる。兄たちのパーティーのメンバーで、その証言は最初の証言者のものと真っ向から食い違っていた。その最後のひとりこそ卑怯者で、この遭難の責任はすべて彼にあると。

この遭難の背景には、過去に起こったもう一つの遭難事件が関係している。その過去の遭難に、兄謙一は深く関わり、それが原因で、彼は全く山を離れた。完全に山を離れたはずの兄が、なぜヒマラヤの高峰の中でも危険度の高いカンチェンジュンガに挑戦したのか。過去の遭難事件こそが、謙一がカンチェンジュンガに登らなければならない理由だった。

このくらいにしておこう。なにしろ、山岳ミステリーだからね。いくらなんでもネタバレはまずい。

『生還者』    下村敦史

講談社文庫  ¥ 792

兄の死は事故か、それとも・・・。ヒマラヤを舞台にいくつもの謎が絡み合う傑作山岳ミステリー
二人の生還者はどちらが真実を語っているのか?
兄の死の真相を突き止めるため、増田は女性記者の八木澤とともに高峰に隠された謎に挑む!


山をやってる人にも、嫌な人はいくらでもいる。

道端でおしっこしちゃう人。これはいる。男だけじゃなく、女の人でもいる。とある山頂で、私がいるにも関わらず、景色を眺める私の後ろで、お尻を出しておしっこはじめたご婦人がいた。ジャーという音に後ろを見ると、まあるいお尻が見えた。終わると、何ごともなかったかのように、平然と山頂を通り過ぎていった。どうしたってしたくなることはある。山じゃトイレがないことも多い。仕方がないことだから、形だけでも薮に入ればいいのにね。

がれ場で、ガラガラ石を転がしながら歩いている人。落石に無頓着すぎる。これは高校生と山に登る時、口が酸っぱくなるくらい注意した。でも、がれ場をガラガラ歩く人って本当にいるから怖い。

息を上げながら登っている時、前からくる人が勢いよく下ってくる。まるで、お前が道を開けろって、勢いで示しているかのような人。石の下にゴミを隠す人。岩の間に吸い殻を押し込む人。ザックのポケットに野草を刺している人。

でも、昔に比べると、山に来る人のマナーは遥かに良くなった。山岳部なんかどうなんだろう。昔はひどかった。山岳部にはいじめがつきものだった。いい人もいたんだけどね。ひとつ上の人から、あからさまにいじめられた。どうにも我慢できなくなって、私は復讐をした。食当だった私は、彼に、人が本来口に入れてはならないものを食わせた。

それ以降もいじめは続いたが、ちっとも悔しくなくなった。平然と受け止めて、彼に、本来口に入れてはならないものを食わせた。時期に彼がいじめをしなくなったのは、なにかに気がついたのかも知れない。

もしかして、本来口に入れてはいけないものが、いい薬になったのかも知れない。

ただ、何人かの先輩を彼の道連れにしてしまったことは、今でも心が痛い。

この物語、当初、山で遭難者に出会った時に取るべき行動ってのが問題になっている。昔からあるテーマだと思う。遭難者に会うかどうかはともかく、誰がより重い荷物を担ぐのか、弱い人達には分け合うべきなのかどうかとか、山では人間性があからさまにされる機会が、一般社会よりも多い。ずるい人はいくらでもいる。私もそのひとり。でも、本質的に悪いやつっていうのは、幸運なことに今までお目にかかった試しがない。

この話、クライマックスに向けて、どんどん読めてしまう。そうなったらもう止められない。止まらなくなった時、止まらなくなってもいい環境にいればいい。止まらなくなってはいけない環境にいたら、それは不運と言うしかない。

ただ、この物語の終わり方、私はちょっと作りすぎの気がした。どちらの本が先なのか知らないけど、この間読んだ『失踪者』の方が後味が遥かに良かった。その感じ方は人それぞれかも知れないが。




テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『日本人として』 倉本聰

朝、走ってる。

5時頃、まだまだ暗い町に出て、今年になってLEDライトに付け替えられた街灯に照らされた道を、できる限り選んで走る。その白い光はずいぶん遠くまで届く。しかし、明け方の、まだ暗い町には、オレンジ色の灯りもある。家の玄関先を照らしている、ホッとするような優しい灯りである。

白い光とオレンジ色の灯りの中を走る。たまには最低限の明るささえないところを走ることもあるので、懐中電灯を持っていく。懐中電灯は、自分の足元を照らすことももちろんあるが、それ以上に、自分の存在を車の運転手に伝えることに、より高い必要性がある。

大きな交差点が近づいた。私がそこに到着する頃、信号はちょうど青で、私はそこで止まらずに交差点を渡ることができそうだ。信号が青に変わった、向こう側でそれを待っていた車が二台、信号を直進し私とすれ違う。交差点に踏み出す。斜め後ろから右折車が来ている。私は懐中電灯をそちらに向けて上下させ、私の存在を伝える。ところがその車は、止まろうと減速するどころか、先に行こうとアクセルを踏んだ。横断歩道のちょうど真ん中あたりでたたらを踏んだ私の前を車が通り過ぎる。私は悔し紛れに懐中電灯を運転手の顔に向ける。懐中電灯と言ってもサイクリング用の強力ライトなので、横から当てられてもそれなりに眩しかったはず。若いお姉さんだった。さらに走り去る車の後ろ姿に、懐中電灯を向けた。

こんな早くに仕事に行くんだろうか。それとも始発電車で出かけた家族を駅まで送っていった帰りだろうか。お父さんを駅まで送ったお母さんかも知れない。家には子どもがひとりで寝ているのかも知れない。だいたい、こんな明け方に走っているやつなんて、暇に決まっている。私が止まって、先に車を通せばよかった。いい歳をして、私のやっていることは、薄らみっともなかった。今日は、家に帰って玄関先の落ち葉掃きをする時、両隣の分も掃いておこう。
倉本さん同様、《お笑いタレントが席巻する騒がしく軽薄なおふざけ番組》が、私も嫌いです。

倉本さんは、《俗悪タレント、俗悪プロデューサー、俗悪ディレクター、俗悪テレビ局が、あたかもこの国をどこまで下げられるかと競い合うかの如く、言葉・行動・態度・礼儀、あらゆるこの国の良俗を破壊》している状況に、同じ放送人として穴があったら入りたいと思っているそうです。私は放送人ではありませんが、本当にひどいもんだと思っています。



財界研究所  ¥ 1,650

日本人は一体どうなってしまったのだろう。絆という言葉はどこへ行ったのだろう
覚悟
馴れる
ゴミに非ず
一億総懴悔
70センチ四方
断捨離
夜鳴きゼミ
マグロ
卑怯の原点
不都合な真実
ほか


だけど、相容れない部分も少なくない。

とても残念だけど、倉本さんのものの考え方は、イデオロギーが先行しているように思います。

日本国憲法第九条が、ノーベル平和賞の候補としてノミネートされたという事に関する見解には、まさにそれを感じさせられました。ノーベル賞というものそのものに関しても、考えるべきことは数々あると思いますが、中でも平和賞というのはひどすぎます。

アル・ゴアが受賞したときは呆れ果てましたが、その後もオバマ米大統領が受賞したり、核兵器廃絶国際キャンペーンとかっていう団体が受賞したり、政治的にはリベラルの立場が優先されているようです。

九条のノミネートに関しては、神奈川県の主婦が思いつき、ノーベル委員会にメールを送ったのが発端らしいと倉本さんは書いています。候補となったことだけで、倉本さんはワクワクするんだそうです。憲法九条を見直そうという動きのある日本の識者がどんな顔をし、どんな発言をし、どんな行動を取るかを想像するだけで、ワクワクするんだそうです。

もしも受賞した場合、安倍首相はオスロで授賞式に出席することはできないだろうから、「天皇陛下に言っていただくしかあるまい」と“不敬の民”である倉本さんは結論を出したんだそうです。

大変残念です。ものすごく、政治的なお考えだと思います。

そして、そのコラムの最後で、《絶対的な座標軸として不戦の記録を更新すべきである》と雄々しく宣言します。

どうも、一つお忘れです。前の時の戦争にも相手がありました。そして、再び日本が戦争に巻き込まれることがあるとしたら、その時も、必ず相手があるということです。

そこことと憲法九条の関係を考えるなら、九条が戦争を避けるために有効に作用するであろうというお考えは、妄想です。お隣の玄関先でも掃いていた方がよろしいかと思います。




テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『昭和とわたし』 澤地久枝

白鵬っていうのは、相変わらず品のない横綱だ。

遠藤に勝った相撲は、・・・ありゃ相撲じゃない。決まりては、右カウンターだよ。横綱ではなかった旭道山でさえ引退したのに、なんで白鵬は居座ってるんだ?グローブはめてないだけ、ボクシングより衝撃は大きいはずだ。

あれは公然とした暴力。私的暴力に及んだ貴ノ富士が引退に追い込まれたが、人前で暴力行為に及んだ白鵬が、なんで横綱に居座ってるんだろう。

恥知らずは、本人か?相撲協会か? そんなこと思ってるのは、私だけか?
ものがどう見えるのか。それは見方によってだいぶ変わってくる。

自分のことを考えてみてもそうだ。自分の中に一貫したものなんてない。いろいろに移り変わってきて、ようやく今の自分がある。立場によって見る位置を使い分けたことも再々あった。“職業柄”、“子供の前では”、“世間体を考えて”、・・・いろいろだ。

この本の著者、澤地久枝さんは、満州からの引揚げだったそうだ。大陸で、敗戦国民として難民生活を送り、満州からようようの思いで引き揚げてきた。戦後の混乱期、ご両親とともに出来得る限りのことをして生活の基盤を築いて生き抜いてきた中で、澤地久枝さんのものの見方は、一貫していたようだ。・・・この本を読む限り。

終戦の段階で、日本人は軍民合わせておよそ600万人が現在の日本の外にいた。その人たちが日本を目指した。たどりつけなかった人も多い。口に出せないような思いをした人たちもたくさんいた。口に出さないまま死んでいった人たちもたくさんいる。その人たちに代わってものを言う人間が必要だ。

澤地久枝さんがそれにふさわしいかどうかは、またものの見方によりけりというところかな。



文藝春秋  ¥ 880

二・二六事件、太平洋戦争、沖縄密約・・・ 昭和に翻弄された女性たちに寄り添って
序 その仕事を貫くもの
1 わたしの満洲―戦前から戦中を過ごして
2 棄民となった日々―敗戦から引揚げ
3 異郷日本の戦後―わが青春は苦く切なく
4 もの書きになってから―出会ったひと・考えたこと
5 心の海にある記憶―静かに半生をふりかえる
6 向田邦子さん―生き続ける思い出


澤地さんは五味川純平さんの助手だったのか。

『戦争と人間』の脚注をしていたんだそうだ。ずいぶん若いとき、高校の時だったかな、全巻読んだ。長い話だった。『人間の条件』も読んだ。今では話がごちゃまぜになってしまったが、その後見た映画も含めて、ずいぶん強く影響を受けた。学生時代はマル経を学び、二十代は左翼的なものの考え方に傾いた。そういうことにも、おそらく影響していたと思う。もちろん、自分から望んでそういう本を読んだし、映画も見たんだけどね。

《戦争と人間》は、冷静に振り返ればイデオロギー小説で、特に映画になると、その傾向が強かったように思う。完全に、反日反戦映画だった。当時の日本でそういう映画がもてはやされるということは、アメリカもずいぶん喜んだことだと思う。実際に私はその影響を強く受けた。

だけど、家族はじめ身の回りの人たち、広範な読書体験やその他いろいろなことのおかげで、時間はかかったけどバランスを持ち直した。10年くらいかかったかな。ずいぶん時間がかかったな。

戦争っていうのは相手のある話で、相手を考えてみたところで、まともな国なんてない。

“中国”っていうのは何?当時、どこに“中国”なんていう一つの政治勢力があった?朝鮮はグズグズで自分の足で立つこともできない状態。ロシアは世界の共産化を狙うという、悪の権化。女子供まで根絶やしにしてインディアンを抹殺したアメリカは、やはり日本相手なら非戦闘員への攻撃も全くためらわない非道の国。この間のラグビーのワールドカップを見ても、イギリスが世界に何をしてきたか、よく分かろうってもんじゃないか。オランダはよく日本軍の捕虜への対応を批判するが、自分たちがインドネシアを植民地としていたことは思い出せないのか。

日本はいろいろな点において稚拙だった。しかも、いまだにその稚拙さを引きずっている。

戦後、日本がやるべきことは、なぜ戦争を避けることができなかったのか、なぜ負けたのかを徹底的に検証することだった。戦勝国の都合によって組み立てられた間違った前提に立っては、その検証は不可能だ。だから、いまだに行われない。

澤地さんの動機には憎悪がある。憎悪を原動力に世の中を変えようとする姿勢は、はたから見ると気持ち悪い。その発言は、さまざまな口に出せないほどの思いをした人々を代弁しようとして、その人たちをまた違うところへ誘っているように私には思える。・・・もちろんこれは、あくまでも私のものの見方。




テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

笠山・堂平山・大霧山周遊 台風の傷跡は深い

よく一緒に登る高校のワンゲルが埼玉県の笠山・堂平山に登るという。

私がその高校に務めていた時に使ったコースなので、念の為、様子を見てこようと調べていたら、下山口からのバスが使えないらしい。これも台風19号の影響だ。

今は使う人が比較的少ないクラシックルートで、笠山の表参道なんだけど、こちらの方が時間がかかる。この道を使うと白石峠から白石バス停に降りたいんだけど、白石バス停に降りてもバスは使えないし、白石峠からの下山路は沢筋なので、おそらくひどいことになってるはず。

バス会社に確認したところ、道路が倒壊して、終点の白石バス停まで入れない。その手前の皆谷までで折り返し運転しているらしい。

そう考えると、この山域を使うなら、皆谷から笠山・堂平・白石峠・定峰峠・大霧山と回って皆谷に下りるというのはどうだろう。

ということで、皆谷の観光駐車場に車をおいて、歩いてきた。

この周回は、以前に二度ほど歩いている。二度とも、まずは大霧山に登る左回りルート。今回は、変化を求めて右回りルートにした。
IMG_5570.jpg (萩平の分岐 このあたりまでは舗装道路を歩く)

ハイキング道も、《土砂崩れ・倒木により立入禁止》になってたけど、倒木は片付けられていた。
IMG_5572.jpg  (萩平の分岐からまもなく、この本の少し先から山道が始まる 少々不安)

土砂崩れ現場はひどかった。ドキドキして、3枚撮った写真はいずれもピンぼけになってしまった。立木を乗っけたまま地面が流れていた。そのため、その上部が地盤沈下して、地割れのようになっていた。登山道も流れたんだけど、このひと月ちょっとの間に、迂回ルートができていた。
IMG_5576.jpg (この少ししたが大きな地すべりを起こしていた その分、地盤が沈下している)

IMG_5577.jpg (道は沈下した場所を通っていた 斜面の少し上に人の歩いた跡が付いていた)

IMG_5578.jpg (さらに少し上部の林道に出たところ 林道も引っ張られるように沈下し、地割れしている)

ただ、登山道に大きな変化があったのは、今日の行程を通してここだけだった。

この日の晴天は、もちろん狙った好天だけど、風が強い。終始、ヤッケを着っぱなしになったのは、今シーズンはじめて。

笠山山頂も、堂平山山頂も風が強い。だけど、景色は抜群。堂平山頂は風が強かったので、ここで食べる予定のラーメンは、白石峠まで我慢。
IMG_5580.jpg (笠山から小川町方面)

IMG_5581.jpg (笠山神社)

IMG_5582.jpg (神社前でりんごジャムをつけたパンを食べる 風が強い)

IMG_5584.jpg (堂平山への登り 色づきも終わり際)

IMG_5585.jpg (堂平山からの笠山)

IMG_5586.jpg (関東平野 スカイツリーも見える)

IMG_5587.jpg (印象的な大岳山左側は蛭ヶ岳だそうだ)

IMG_5588.jpg (両神山 左手には八ヶ岳が)

IMG_5589.jpg (武甲山の向こうは奥秩父 左手に雲取)

IMG_5590.jpg (正面に東西の御荷鉾山 右手に見えるはずの浅間には雲がかかる)

案の定、白石峠は少し風が弱い。白石峠ラーメンにする。その間、車が数台、自転車が一台。前に来たときは自転車の人が多く、自転車相手のお店が音楽を流していたが、その様子はない。
IMG_5591.jpg (白石峠まで下りてラーメン 寒いから湯気が暖かそう)

IMG_5594.jpg (白石峠ラーメン)

IMG_5593.jpg (思った以上にガラが悪いので、ちょっとショック)

ラーメンを食って体を温め、川木沢の頭に登る。今日は巻道を使わずちゃんと上を通って定峰峠を目指す。こちら側の尾根に乗ったら、紅葉が目につくようになった。黄色・・・だけじゃない。赤もきれい。IMG_5598.jpg

IMG_5600.jpg 

IMG_5601.jpg

時々、笠山や堂平山が姿を見せる。さっきまでいた場所、さっき歩いてきた場所だから、感慨もひとしおだ。そうか。右回りルートはそれが良いな。もちろん向こうからもこっちが見えるけど、笠山と堂平は山容が印象的だからな。右回りルートのほうが上かな。
IMG_5595.jpg (川木沢の頭から少し言ったところで、樹林の間から天文台が見えた)

IMG_5602.jpg (定峰峠もまもなくというところから 笠山)

IMG_5604.jpg (定峰峠もまもなくというところから 堂平山)

IMG_5605.jpg (白石車庫から定峰峠に至る舗装道路もまだ使えない)

IMG_5606.jpg (大霧山に向かい途中、何度か北東の景観が望める 男体山が見えた)

IMG_5607.jpg (旧定峰峠 神さまが見守ったのは秩父との間を往来する人々)

IMG_5608.jpg (今度は筑波山が見えました)

笠山_191120_0002 (大霧山間近から 笠山と堂平のつながりがいい 好きな風景)

大霧山山頂からの景色は基本的に堂平山と同じ。堂平のように関東平野は見えないが、それ以外なら大霧山のほうが良い。それに、堂平から見たときは雲の中だった浅間山が、ずいぶん姿を見せてくれた。最後にひと叫びして、下山にかかる。
IMG_5609.jpg (大霧山山頂にたどり着いた)

IMG_5610.jpg (右手に日光、左手に赤城、中によく見ると日光白根が)

IMG_5611.jpg (東西の御荷鉾山 今度は浅間もだいぶ見える)

IMG_5612.jpg (もう一度両神山がドカーン!午後になっても八ヶ岳までくっきり)

IMG_5613.jpg (真ん中に甲武信、右手に三宝 じゃあ、左手は木賊なのかな) 

粥新田峠を経て、皆谷バス停に向かう。ところが、舗装道路に出てからがすごかった。道路が二ヶ所崩れている。最初の崩壊場所は半壊。倒れた大木の下を抜けて通れる。しかし、次の崩壊箇所は全壊。道路がない。道路だった場所の山ぎわを抜ける。高校生を連れて行くのはどうかな。抜けることはできるが、万が一のことがあった場合、ここは弁解の余地がない。
IMG_5615.jpg (下にガードレールが見える。倒れた木の下が通れる ちょっと怖いけど)

IMG_5616.jpg (左側の山の斜面を通過した ザレザレしてて怖かった)

「でも、通れるって言えば通れるんだけど・・・」って思ってたら、すぐにその迷いはなくなった。そこを抜けると、360度カーブして、道は崩壊箇所の下を通る。その下の道がそのまま流れて無くなっていた。
IMG_5618.jpg (こんだけ地盤が流れていれば、あきらめも付きます)

これらの崩落現場より上には民家はありません。直すにしたって、地元の人の生活に関わりの深いところから順に直すんでしょう。ここは後回しになるでしょうね。もしも、このコースを使うなら、粥新田峠から皆谷は使えない。おそらく、皆谷から大霧山方面への入山とそこからの下山は、かなり長期に渡って使えないだろう。橋場バス停からの道が使えれば良いんだけど・・・。

結局、だいぶ遠回りをすることになってしまったが、安全な道を通って、なんとか皆谷の観光駐車場に戻った。

この日歩いたのは、以下のようなコース。
比企三山地図




テーマ : 登山
ジャンル : スポーツ

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あなたにとって切ない歌とはなんですか?
いい歌はたいてい切ない。あるときふとそう気づきました。
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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本












































































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