めんどくせぇことばかり 2019年12月
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鷹ノ巣山 早起きした自分を褒めてやりたい

奥多摩で、ドカーンという富士山に恵まれたことが、あまりない。大岳山であったけど、それだって確率は三分の一。御前山も二分の零。御前山では富士山には会えないのに、熊さんには一度会った。三頭山は一分の零。川苔山は三分の零。川苔山は富士山どころか、景色が見えたことがない。富士山が見えるはずの山で、確率は九分の一。それが、私が登山を再開した3年前からの“奥多摩で富士山”実績だ。

峰谷から鷹ノ巣山に登って奥多摩駅までっていうコース、今の自分ならなんとか歩ききれるだろうと、いつかやってみたいと思ってた。まだ20日だから、登り納めってわけでもないんだけど、天気予報もいいことだし、期待して行って見ることにした。

鳩ノ巣駅近くの観光駐車場に車を置いて、5:54の始発で奥多摩駅へ。峰谷行きのバスは6:15。これに間に合うようにするには自宅を4:30には出なければならない。準備は前日に整え、荷物は車に積んだ。朝は、着替えてそのままで出かければいい状態にした。

4:30に出られなければあきらめるつもりでいた。だけど、間に合っちゃった。4:20には家を出て、5:45には鳩ノ巣に着いた。奥多摩駅についてもまだ暗い。
IMG_5802.jpg (6:15発 峰谷行きのバス) 

峰谷行きのバスの中で、次第に明けてくる。・・・あれ、山にはガスがかかっている。この間の川苔山もそうだった。晴れという予報で出かけたが、どんよりとした一日だった。

峰谷についたのは7時少し前。晴れている。大丈夫そうだ。私が乗ってきたバスは、小学生たちが乗って発車した。ここまでは親御さんが車で送ってきたようだ。帰りも親御さんがここまで迎えに来るのだろう。
IMG_5803.jpg (峰谷バス停) 

身繕いして、体操をして出かける。この先1時間ほど歩くと、“奥”という集落があって、そこから鷹ノ巣山に登る。でも、林道と山道を繰り返して、そこまでの1時間も、十分登山。
IMG_5811.jpg ( “奥”という集落に来た。向こうに見えるのは峰谷かな)

IMG_5814.jpg (この日最初のお日さま) 

最後の林道から山道に入って、浅間尾根にとりつく。入り口は浅間神社の鳥居。ここから山頂まで3.8kmだそうだ。祠の脇を通って、登りは徐々にきつくなる。ぐんぐん標高を稼ぐ。標高1300まではひたすら我慢して登る。
IMG_5815.jpg (浅間神社の鳥居 ここから浅間尾根が始まる)

IMG_5816.jpg  (祠の脇を抜けて、だんだん登りが厳しくなる)

IMG_5817.jpg (ダムの方面は雲海の下)

IMG_5818.jpg  (ようやく平坦含みの道に 一時的でもうんと楽)

左手に見えるピークはおそらく鷹ノ巣山に連なる尾根上の山。ずいぶん上に見えていたそのピークが、だんだん肩を並べるように近づいてくる。いつの間にか道は尾根筋を左手に外れ左手に見えたピークとの鞍部に向かう。急斜面の細い巻き道のどん詰まりに水場があり、その先を少し進めば、鞍部に建つ避難小屋だ。避難小屋からは20分で山頂に着いた。
IMG_5820.jpg (急斜面の細い道の向こうに、・・・水場かな)

IMG_5821.jpg  (おいしい水でした)

IMG_5822.jpg (避難小屋)

IMG_5824.jpg  (先ほどの細い巻き道あたりから、上からパラパラと何か落ちてくる。「こんな急斜面で落石の予兆かな」って焦ったが、木々の小枝の霧氷が日に当たって落ちて生きていた。キラキラしてて、美しい)

IMG_5825.jpg (本当にきれい) 

すでに、背中の方角、樹林越しに富士山は見えていた。見えたいたが、できるだけ目を向けないで登ってきた。避難小屋からの登りで、ついにでっかい富士山がそのまま見えるようになった。まさにドカーンだ!
IMG_5826.jpg (思わず息をのむ)

IMG_5827.jpg  (富士の右手は権現山か ならその奥は扇山)

IMG_5828.jpg (とりあえず山頂に向かう。道を覆うのは溶けて落ちた霧氷) 

山頂からの富士山もすごかった。大菩薩の向こうの南アルプスもいい。今年登った大岳山、御前山、三頭山が目の前に見える。苦しかった尾根ルートがそのまま見える。
IMG_5836.jpg (富士山と三頭山)

IMG_5829.jpg  (三頭山 大きいなあ。今年歩いたヌカザス尾根もくっきり分かる)

IMG_5830.jpg (大岳山と御前山。大岳山から鋸山、御前山から鋸尾根も、今年歩いた道)

IMG_5831.jpg  (大菩薩と南アルプス)

IMG_5832.jpg (山頂 最高の天気だった)

IMG_5834.jpg (南アルプス)

IMG_5835.jpg  (今日登ってきた浅間尾根。出発地の峰谷も)

今年の9月、山梨の山に登った。富士山がでっかく見えた。あのときの富士山よりも、今日の富士山に感じ入っているのは、なぜだろう。

山梨の山は近すぎるのか。登らなくても見えるからか。・・・たしかに、今日の富士山は苦しい思いをして登らなければ見えない。そして、幾多の山並みの向こうの富士山ってのもいいのかもしれない。

山頂で鷹ノ巣山スパゲッティを食べて、石尾根を奥多摩駅に向かった。御前山、大岳山に向かって下っていくような感じがいい。この道は特別だ。ずっと富士山が一緒について来てくれる。今日は平日。人も少ない。音も、・・・自分の足音だけ。
IMG_5837.jpg (御前山・大岳山に向かうように石尾根を下りていく)

IMG_5838.jpg  (鷹ノ巣山を振り返る)

IMG_5841.jpg (尾根の左後ろに見えてきたのは、雲取か) 

下りはコースタイムよりもだいぶ早く進む。コースタイムが時間を取りすぎなんじゃないかな。六ツ石山までで1時間。誰もいない山頂を楽しめた。IMG_5842.jpg (六ツ石山山頂に到着)

IMG_5843.jpg  (まだ富士山はついてきてくれている)

IMG_5844.jpg (一人きりの山頂でおむすびを食べる) 

時間的に余裕が出来たので、そこからは狩倉山、三ノ木戸山の山頂をしっかり踏んで奥多摩駅を目指した。
IMG_5845.jpg (狩倉山山頂 向こうはやっぱり雲取か)

IMG_5846.jpg  (まだまだ下る。正面のピラミッドは奥の院だな)

IMG_5847.jpg (御前山が真正面にドカーン! 先行する登山者がいる)

IMG_5848.jpg  (三ノ木戸山手前から、この日最後の富士山 付き合ってくれてありがとうってところ)

IMG_5849.jpg (三ノ木戸山山頂 向こうは御前山)

IMG_5851.jpg  (奥多摩駅から鳩ノ巣駅へ ここから車で帰ります)

この日歩いたのは、以下のようなコース。
12月20日鷹の巣山地図






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ジャンル : スポーツ

『一宮の秘密』 戸矢学

山を崩して団地にしたり、ゴルフ場にしたり、最近は山の木を切り払って太陽光パネルを並べるという東京電機大学なんて大学まである。

私の住む埼玉県東松山市は台風19号で被災した。早俣、川辺など、おそらく古くから水害と闘ってきたであろうと思われる地名を持つ場所が、残念ながらこの台風で被災地になった。そこはハザードマップにおいても、危険が明示されていた。

古くから人が住んでいる場所でもそういうことがある。だけど、それらの地域に隣接して、新たに街が作られた。それらの中にも被災した家がある。古くからの住宅に並んで、まるで昨日今日作られたような、真新しい家も被災していた。

小さな子どもを抱えた若夫婦の家だ。その家を手に入れるために、どれだけのお金を払っただろう。ハザードマップで危険が明示され、地元の人間が手を出さない土地に家を建てるのに、業者はいくらの金を払ったんだろう。

この本を読んで思った。

古代日本の信仰は、そのほとんどが神奈備に発している。山岳、森林、巨岩を神の依り代として信仰するのが、神社信仰の原型なんだ。明治になって、政令によって、ほぼすべての神社に鏡をご神体として祀るように強制されたけど、それは《記紀神道》だと著者の戸矢さんは書いている。そして《記紀神道》は、山岳、森林、巨岩を神の依り代として信仰する《古神道》とは違う。たしかに《記紀神道》の成立は8世紀初頭だろうからね。


『一宮の秘密』    戸矢学

方丈社  ¥ 2,035

最も古き神々の痕跡を残す「一宮」を訪ね、縄文から続く日本人の精神文化を探る
一章 畿内の神々
賀茂社  大神神社  枚岡神社  住吉大社
二章東海道の神々
真清田神社  富士山本宮浅間大社  浅間神社  寒川神社
氷川神社  安房神社・玉前神社  香取神宮・鹿嶋神宮
三章 東山道の神々
日吉大社・南宮大社(仲山金山彦神社)  諏訪大社
一之宮貫前神社(抜鉾神社)・二荒山神社(補陀落神社)
志波彦神社鹽竈神社・都々古別神社(八槻都々古別神社)
鳥海山尾大物忌神社
四章 北陸道の神々
白山比口神社・雄山神社 若狭彦神社・氣比神宮・氣多大社
五章山陰道の神々
出雲大神宮  籠神社  粟鹿神社・宇倍神社  出雲大社(杵築大社)
六章 山陽道の神々
伊和神社・中山神社  吉備津神社  厳島神社(伊都岐島神社)・住吉神社
七章南海道の神々
日前宮(名草宮)(日前神宮・國懸神宮)  大麻比古神社  
田村神社・大山祇神社・土佐神社
八章西海道の神々
宇佐神宮  鹿児島神宮  宮崎宮・高良大社  西寒多神社・阿蘇神社






それでは、その起こりは縄文にまで遡るという《古神道》において、人々が祈念したものとは一体何だろう。

日本列島は、大陸プレートと海洋プレートがぶつかる場所にあり、なんと地球を覆う10枚のプレートのうちの4枚までがひしめく場所にある。今朝もラジオが緊急地震速報を流していたが、それが常態で、定期的に大地震に見舞われるという宿命を背負っている。

それはどの程度の規模で、いつ起こるのか、分からない。分からないことにおいては現代人も縄文人も同じだが、縄文人はそのメカニズムも知らない。祈るしかなかったのだ。

延喜式神名帳に記されているような古社、すでに1100年以上前からそこに鎮座しているわけだが、その場所は地震とはほとんど無縁だったという。地震で倒壊したことがないんだそうだ。かつて、この列島に住むものは、そのような“聖地”を見つけ出すことが出来たようだ。

日本列島はフォッサマグナという巨大断層で東西に真っ二つに分かれている。さらにこのフォッサマグナと交差するように東西の列島を縦断しているのが中央構造線である。フォッサマグナと中央構造線が交差している場所に出来た断層湖が諏訪湖である。人々は大地の怒りを静める役割を諏訪大社に託した。

中央構造線は茨城県と千葉県の境目から熊本県と鹿児島県の境目まで続くという。そのライン上に、常陸国一宮鹿島神宮、信濃国一宮諏訪大社、三河国一宮砥鹿神社、伊勢神宮、紀伊国一宮丹生都比売神社、紀伊国一宮伊太祁曽神社、紀伊国一宮日前宮、阿波国一宮大麻比古神社、肥後国一宮阿蘇神社、薩摩国一宮新田神社が並んでいるんだそうだ。

遙か昔からそこに鎮座しているこれらの神社は、「荒ぶる神を鎮めるために建っている」と戸矢さんは言うが、古代の日本人は、一体何を知っていたのだろう。

それを知ろうとすることは、平然と山を崩し、森を切り開らき、危ない土地を他人に売りさばく今の日本人には、無理な話か。




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ジャンル : 本・雑誌

『今昔物語集 天竺篇』 国東文麿

“本朝”と呼ばれるのが、この日本にあたる。

“震旦”が“中国”。これは古代インド人が“中国”の秦王朝を秦の土地という意味で「チーナスターナ」と呼び、これに漢字が当てられたもの。

“天竺”がインド。文明の成立したインダス川のことをイラン語でHindu、あるいはHindukaと言ったらしい。イラン人も、インドに南下した人々と同じインド・ヨーロッパ語族だから、古代インドでもこう呼んでいたんだろう。ヒンドゥー教のヒンドゥーだな。

中国人がインドに関する情報に触れた最初は、張騫による西域探検によるものだが、司馬遷は『史記』の中でHindukaをもとに身毒の名でインドを表しているという。天竺も、同じくHindukaに漢字を当てたもので、後漢書は天竺を使っているという。

インドとヒンドゥーは、両方ともインドを表す語だが、単に発音の問題と思っていたが、違うようだ。インドは古代ギリシャ語を経てラテン語でIndusとなり、ここからインディア、さらにインドとなった。発音上の問題ではあるが、経路が違った。

12世紀と言えば平安末期から鎌倉という時代。その時代に成立したのが、この『今昔物語集』という巨大説話集。全体がまず、天竺・震旦・本朝の三部に大きく分けられていて、さらにそれぞれが仏教説話と世俗説話に二分されている。

それにしても、その当時で言えば、天竺・震旦・本朝とは、世界のすべてであったはず。つまり、世界中の説話を集めたのが『今昔物語集』と言うことになる。世界中の興味深い話、教訓になる話が集められたって言うんだから、こりゃすごい本だ。

まだ新米教員だった頃、私は歴史の授業で宗教の話をしていたが、年配の倫理の先生から、宗教的な話を避ける人が多くて困ると言う話をされたことがある。戦後の社会科教育では、日本の神話とか宗教とか、そういうものは日本を戦争に導いた良くないもののような捉え方が一般的だったからね。その人は、日本神話や仏教の話も、たくさん授業で取り上げていた。

「面白い話がたくさんあるんだ」って、私にも宗教の話をどんどんするように勧めてくれた。「たとえば」と言って、その先生は“魔羅”の話をし始めた。「生徒に受けるんだよ、これが!」って自慢そうに。

そりゃ、陰茎の俗語だからね。

鴦屈魔羅は、あるとき師の不在中に師の夫人に誘惑された。怒った師は彼に、千人を殺し、千の指で鬘を作るよう言い渡す。彼は諸国を遍歴して目標に近づき、千人目に自分の母親を殺そうとしたとき釈尊に会い、邪法を捨てて正法を聞くに至った。

その学校は、威勢のいいのばっかり集めたような男子校だった。



講談社学術文庫  ¥ 2,321

十二世紀に成立した、仏教譚を集めた巨大説話集のうち天竺を舞台にするもの
巻1 釈迦如来、人界に宿り給える語 ほか
巻2 仏の御父浄飯王死にたまいし時の語 ほか
巻3 天竺の〓舎離城の浄名居士の語 ほか
巻4 阿難、法集堂に入る語 ほか
巻5 僧迦羅・五百の商人、共に羅刹国に至る語 ほか


仏陀が息子のラーフラを出家させようとしたとき、母親のヤショダラーはそれを妨害した。「女は愚かな心ゆえに子を愛するが、死んで地獄に堕ちてしまえば永久に別れ別れになって、後悔してもどうにもならない。ラーフラが悟りを開けばかえって母を救い、永久に生老病死の苦の根本を断ち、私のようになれるのに」って仏陀は言ったそうだ。

このとき、ラーフラは9歳。

ヤショダラーは言い返したそうです。「仏陀が太子であったとき、私を娶り、私は妻になりました。私は天神に仕えるようにして太子に仕えました。そしてまだ3年も経たないうちに、太子は私を捨てて宮殿を出て行かれました。その後、国に帰ることもなく、私にお会いにもなりませんでした。今になって我が子を取り上げてしまってもいいものでしょうか」

その通りです。それでも周りはよってたかってヤショダラーを説得し、ラーフラを取り上げるのです。

この段階での仏の教えって言うのは、麻原彰晃の言うことと同じだな。

ラーフラが麻原彰晃に感化されちゃって家のお金まで持ち出す騒ぎになっちゃって、そういうのが結構いるもんだから、ヤショダラーと母親たちは、弁護士の方に相談した。

弁護士の方はとても人間的で有能な方で、ヤショダラーや母親たちの苦しみに寄り添い、なんとか子どもを取り戻すことが出来るように努力した。

麻原彰晃はヤショダラーや母親たちの愚かさにあきれ果てた。そして邪法によって子どもたちを取り戻そうとする弁護士を、弟子たちに命じてその家族もろともポアさせた。

社会的背景が違うわけだから、上記のような切り貼りは当たらないと言われるかもしれないが、私は本質的な部分では違わないと思う。

仏陀の教えは悟りを開くための作法だ。本質的には悟りを開かなければ苦しみから解放されることはない。悟りを開いた人を拝んだからと言って、本来は何の効果もない。ただ、人々は仏陀の教えを自分たちに受け入れ可能なものに作り替えた。作り替えられた教えにこそ“仏陀の教え”の価値がある。私の考えだ。

まあ、そんなことはどうでもいいや。怖い話、哀れな話、シンドバッドのような冒険譚。この巨大説話集、どこまでも奥が深い。




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『新 青春の門 第九部 漂流篇』 五木寛之

参った小説だったんだ。・・・私にとってね。

そう感じている人間は、決して少なくないと思うよ。1960年生まれだから、第一部の『筑豊篇』が単行本で出た1970年は10歳だ。もちろん10歳では読んでない。だけど、高校生の兄は読んだようだ。家にこの本があったんだ。私が何歳の時にその本が読んだのか、ちゃんと覚えているわけではないが、高校に入る前には、もう読んでいた。

そういうケースって、少なくないと思うんだよ。兄や姉、叔父や叔母が読んだ本が家に置いてあって、その本を読むにお似合いの歳よりも、だいぶ早い段階で読んでしまうってこと。しかも、歳は不似合いにもかかわらず興味関心の方向性が一致していたりすると、もうこれは参ってしまうわけだ。

私にとっては『青春の門』、それから漫画の『影狩り』だ。

『影狩り』は面白かった~。十兵衛と月光と日光の三人ね。日光が女に弱くてね。お約束のようにそういうシーンが出てくるわけだ。この『影狩り』にしろ、『青春の門』にしろ、完全に悪いことをしているような気分で読んでたからね。隠れてね。

歳相応の大学生になるまえに、すでに主人公の信介は“堕落篇”の中にあった。そして1980年、二十歳の時の『再起篇』までは追いかけるようにして読んでいた。この『再起篇』が第六部。

ずいぶん間をおいて、1993年に第七部の『挑戦篇』っていうのが出てるんだ。・・・33歳の時か。下の子が生まれた年か。記憶にない。おそらく読んでない。さらにずいぶん間をおいて、2016年に第八部『風雲篇』ってのが出てるんだ。・・・知らなかったな。そっちを知らない間に、この『漂流篇』を読んでしまった。

五木寛之さんだって、久しぶりに伊吹信介や牧織江のことを書いているんだろうけど、私は第六部『再起篇』以来の伊吹信介や牧織江のことを読んでいるわけだ。二十歳で読んでいた信介や織江を、今は59歳の私が読んでいる。

これはなんとも変な気分だ。



講談社  ¥ 1,980

シベリアで学びと思索の日々を送る信介、新しい歌を求めてチャレンジする織江
バイカル湖への道
シベリア無宿
差別のない世界
伝説のディレクター
オリエの涙
夜の酒場にて
新しい年に
シベリア出兵の幻
ロマノフ王朝の金塊
福岡への旅
オリエの告白
嵐の前夜
ルビヤンカの影
《二見情話》の夜
艶歌の竜
奇妙な報せ
二人きりの生活
川筋者の末裔
破綻から生まれたもの
暗黒の海から


話はまだ、1961年。

私の生まれた次の年だ。懐かしい時代が書かれていることになる。貧しい時代だけに、人々はいろいろな工夫をして生きていた。それらの工夫の中には、今の人が聞けば、驚くようなものも少なくない。

すでに高度経済成長が始まっている。経済成長によって豊かになるにつれ、生きていくためにやむを得ず行われていた工夫のいくつかは、誰も知らないうちに捨て去られていく。

ある意味じゃあ、難しい時代でもある。慣れ親しんだ懐かしい貧しさと、まばゆいばかりの豊かさが同居していた。

五木寛之さんも、この第九部『漂流篇』でそれを匂わせようとしたんじゃないかと思う。

バイカル湖のほとりの町まで漂流した信介は、雌伏の時を送っている。この『漂流篇』を通してそれは変わらない。織江は歌手を目指した。そのレコード業界に変化の兆しが現れる。その変化の兆しに、織江は深く関わることになる。織江が関わったレコード業界の変化の兆しに、実は信介も帰国して関わっていくことになりそうだ。

その変化の兆しは、貧しい時代と豊かな時代の狭間で動き始める。懐かしい時代と、まだ見ぬ時代の狭間で。

さてさて、私にとって『青春の門』は参った小説なんだ。しかし、かつて同じような年代だった信介は成長して私よりも年上になり、再び同じような年齢になったが、・・・。

私にとって参った小説だった『青春の門』は、そこで終わった。今、信介と織江はあの頃のまま。私は59歳になった。信介の母タエでも出てくるならまだしも、“参った小説”としての『青春の門』として付き合っていくのは無理だろう。

どんな付き合い方になるのか。それはこの『漂流篇』だけでは判断がつかない。




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小川町 仙元山から城跡巡り

先週のお山でちょっと疲れてたんだけど、火曜日は雨が降るという予報なので、今日(月曜日)、近くの山を歩いてきた。小川町にある仙元山という山。298.9mと、300mにも満たない山。

ただこのあたりは秩父から出て関東平野の始まりに当たり、北関東とも通じていて、関東の南北を結ぶ要衝だ。仙元山の一角にある青山城跡を通り、いくつかの小ピークを経て、最後に北西に細く長く突き出た尾根に進むとその尾根そのものが小倉城跡。

まずは、“道の駅おがわまち”に車を置かせてもらって仙元山に出発。道の駅の裏手に回る。道の駅の裏にある臨時駐車場は、被災ゴミの集積所になってた。すぐ裏を流れる槻川が土手を越えてあふれ出した。私の娘がお世話になってる和紙職人の方も被災した。
IMG_5766.jpg (カタクリとオオムラサキの林の入り口 その先に、仙元山への道が続く) 

登り口はすぐ。カタクリとオオムラサキの林に入っていく道を上ると、そのまま仙元山への道につながる。こちらのコースは展望台、見晴らしの丘公園を経て山頂に向かう道。この展望台からの景色が素晴らしい。男体山、雪をかぶった日光白根、赤城山、谷川岳など上越の山は真っ白。
IMG_5767.jpg (赤城山・日光白根・男体山 白根山は雪化粧)

IMG_5768.jpg  (赤城山と』谷川連峰 谷川が白い)

IMG_5769.jpg (笠山と堂平山 わずかに飛行機雲が)

IMG_5770.jpg (仙元山山頂手前の百庚申)

展望を楽しんだ時間も合わせて、山頂までは小一時間。山頂からも上越の白い山が見えた。ここまでにすれ違った三人の方は、ストックだけで歩いていた。完全に朝の散歩だな。小川の町の人たちにとって、この山はそういう山なんだな。
IMG_5771.jpg (山頂からの谷川連峰)

IMG_5772.jpg  (私です)

山頂からしばらく行くと青山城跡に入っていく。山に不自然な凹凸が出来ている。掘り割りだ。そこを越えると掘り割りと急斜面に囲まれた平地に出る。これが郭。掘り割りと郭が山の形状に合わせて配置されて、堅固な城となる。おお!
IMG_5773.jpg (掘り割り この上が三の郭)

IMG_5774.jpg  (掘り割り この上が本郭)

IMG_5776.jpg  (掘り割り この上が二の郭)

IMG_5775 (2) (赤線のように歩いた) 

感動しつつ、先へ進む。樹林の中の静かな道。あとあと記憶に残るほどの急な登り下りもなく、ただ、山を歩くことを楽しめる。

ただ、景色はない。途中、大日山から一度だけ、樹林に邪魔されることなく笠山が見えた。それだけ。・・・そう言えば、大日山の手前の小ピークに小日山とあった。そういう問題だろうか。
IMG_5777.jpg (大日山からの笠山) 

ここは一つの山塊に、二つの仙元山がある。その二つ目の仙元山に到着。立てられた岩に、小御岳山と彫り込まれている。そういう名前もあったんだ。隣には仙元大日神と彫られた石碑も。仙元は、浅間か。なら、大本は富士山か。
IMG_5778.jpg (小御岳山とある)

IMG_5780.jpg  (上が火山で下が太陽か)

などと考えつつ、小倉城跡に向かう。小倉峠でくびれるが、そこから先に長細い尾根が続く。その尾根の上に沿うように小倉城という城があったんだ。細長い尾根を回り込むように、槻川が流れ、街道は槻川に沿っている。鎌倉時代にはすでに街道の監視をしていたという説明書きもあった。

IMG_5783.jpg (おお!掘り割り)

IMG_5782.jpg  (またも掘り割り)

IMG_5784.jpg (郭には小倉城の由来が) 

IMG_5799.jpg ( 小川町教育委員会の資料からの写真。これが小倉城のあった尾根。ここを抑えたら強いね)

尾根を下りて、舗装道路に出る。脇を槻川が流れる。いわゆる嵐山渓谷だ。帰りは川を遡ろうと思ったが、さすがは嵐山渓谷、とりつきもない。
IMG_5785.jpg (尾根から下りて、舗装道路に出る)

IMG_5786.jpg  (浅間山の上にくっきりと飛行機雲 やはり明日は雨か)

川に沿って舗装道路を歩き、取り付けるところから川岸に下りる。下りてみると、水害の跡が見える。川沿いの木の、異様な高さに川ゴミが引っかかっている。明らかに川岸のブロックを超えている。
IMG_5788.jpg (瓦礫が土手の上の木に引っかかっている。水はあそこまで上がったのか)

IMG_5789.jpg  (向こうに見える橋から下りて、河原を歩いてきた)

IMG_5791.jpg (鷺は高い木にとまるのか) 

なんとか良さそうなところを探して、お昼にした。もう、今日のゴールの“道の駅おがわまち”が近いところだ。今日のお昼は雑炊。ここで増水って変換したら怒られる。
IMG_5793.jpg (槻川雑炊)

IMG_5797.jpg  (槻川 川を歩くって言うのも、・・・楽しい)

IMG_5798.jpg (“道の駅おがわまち”臨時駐車場の災害ゴミ その向こうは仙元山)

この日歩いたのは、以下のようなコース
12月16日仙元山地図




テーマ : 登山
ジャンル : スポーツ

映画界五社協定『掟破り』 大下英治

奥武蔵の山々には、かなり山の奥の方に集落がある。

林業に関わった人たちの集落だろうか。それらの集落への道があり、集落と集落をつなぐ道があり、林業の道があって、奥武蔵の山中にはたくさんの林道が延びている。

中には山上集落と呼ばれるところがあって、独特の、とてもいい雰囲気を醸し出している。それらの山上集落の一つにユガテというところがあって、ハイカーに人気がある。

この間、木曜日のこと。鎌北湖から上がって奥武蔵を歩いたとき、目的地を出る時間になっても11時半、ゆとりがあったのでいったんユガテに下りて、そこから北向地蔵を経て、車をおいた鎌北湖に戻ることにした。ユガテについたのは12時を少し過ぎた頃じゃないかと思います。そこまでは順調だった。

ユガテにつくと、ベンチなどがある場所に数人の人がいるようだったので、そちらには寄らず、山上集落の雰囲気だけ味わわせてもらって、早々に北向地蔵に向かうことにした。すると、ユガテを抜けるあたりで、向こうから年配のハイカーが数人やってくる。道を譲って通過を待つが、どうも勝手が違う。だいたい、道を譲っているこちらの存在に、まったく意識が向いていない。たっぷり汗をかいているのに、薄めながらもダウンジャケットを来たまま歩いている。

当然、そのままやり過ごし、ユガテを出て、最初はしばらく下っていく。すると、また、向こうからやってくる人がいる。三人、いや、その後ろにも何人か続いている。断続的に20人近い人が、道を譲る私の傍らを通り抜けてユガテに向けて登ってくる。先ほどの方と同じ年配者もいれば、比較的お若く見える方もいる。ただ、いずれも、山を歩くことになれている方には見受けられない。20人近い人に道を譲るというのは正直苦痛なんだけど、・・・「済みません」という人がいないわけじゃないんだけど、私を先に通らせるなんて思いもよらない感じ。

何なんだろう。

沢まで下りきって、登りにかかる。ここでもどんどん人が下りてくる。先ほどの人たちは、山は登り優先なんて理解はありそうになかった。今度はどうか。・・・やはり同じ。断続的に、後から後から続いている感じなので、この登りで道を譲りたくない。譲らず登っていくと、すれ違おうとする。すれ違える場所はいいけど、危ないには違いない。すれ違えない場所でこっちが譲る気配を見せないでいると、向こうが止まった。脇を通過。そんなことを繰り返す。

また、向こうが止まって道を空けた。だけど、その人は谷川に足を下ろして道を空けている。私のザックがぶつかれば落ちるかもしれない。仕方がないから、山側によけて、先に行ってもらった。

イライラしてきていた。

細い道で、また、何人もの人が下りてくる。譲らずに登っていったら、相手もそのまま進んできた。お互いに立ち止まってしまった。

「山は登りが優先ですよ」って言ったら、慌てていた。

また下りになって、ようやく、すれ違う人に道を譲ったけど、釈然としない。しばらく行ったら、トランシーバーを持った人がいた。・・・なんかの企画だと分かった。その人に声をかけて、いろいろと分かってもらった。

山には山のルールがある。


『掟破り』    大下英治


水王舎  ¥ 1,650

日本社会を形作る掟のメカニズムと反逆者たちの行動原理に迫る
第1章 やくざ同士の安全保障
第2章 岸信介の密約
第3章 高倉健
第4章 広島やくざ戦争
第5章 小池百合子
第6章 孫正義
第7章 田中角栄と竹下登


映画の世界にもルールがあったそうだ。

《五社協定》というきつい縛りだったそうだ。五社というのは松竹・東宝・大映・新東宝・東映が結んだ協定。

主な内容は、専属の監督・俳優の引き抜きを禁止する、監督・俳優の貸し出し特例も廃止するというものだったそうで、日活の引き抜き攻勢に対抗して作られた協定だったそうだ。結局、その日活が協定に仲間入りし、新東宝が潰れて、五社協定はそのまま。「スターを借りない。貸さない。引き抜かない」なんて標語まであったそうだ。

山本富士子と田宮次郎は、その掟を破って映画界から干されたんだそうだ。

山本富士子と言えば第一回ミス日本。彼女は大映の専属だった。その山本が10年契約の満期でフリーとなった。途端に映画界から干された。女優引退を考えるまで追い込まれたが、その彼女を救ったのはテレビだった。

田宮次郎も大映専属だった。勝新太郎と共演した『悪名』で一躍スターダムにのし上がった田宮次郎だったが、いつまで経っても扱いは大部屋俳優のまま。これで社長ともめて大映を辞めた。五社協定で映画界から干され、テレビに活躍の場を求めた。

結局、映画界はテレビによって追い込まれ、五社協定は自然消滅する。

この掟はつまらない。こんな方法で弱いものいじめをしないで、映画界は切磋琢磨すべきだった。いい映画を作るべく、努力すべきだった。

石原裕次郎の『黒部の太陽』は、その五社協定に挑戦して作られた映画だったという。好きな映画の一つなんだけど、映画界は『黒部の太陽』を作らせないように努力していたわけだ。

それが世に出た背景には、兄である石原慎太郎の助力があったんだそうだ。

黒四ダムに関連の深い関電や、黒部に参加した大手の建設会社を巻き込んで、フリーの映画館と上映装置のある公共施設を抑えて映画を配給できる段取りを整え、五社を脅迫したんだそうだ。

掟が自らの地位や利益を守るため作られたものなら、それはいつか必ず崩れる。・・・だけど山のルールは、そうじゃない。




テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

伊豆が岳ー子の権現縦走 高校生と一緒に

顧問の先生が立てたの2学期の山行予定では、12月の山行は今日歩いたコースではなかった。小川町の切り通しから笠山に登り、堂平を経由して白石峠から白石車庫に下山するコースが、当初の予定だった。

しかし、台風19号によって東秩父のバス路線が被災した。道路が崩落して皆谷バス停から終点の白石車庫バス停までのおよそ2キロが、未だに通行止めになっている。バスは皆谷バス停で折り返し運転になっている。

ちょっとロングコースになるけど、皆谷から笠山に登って、堂平ー白石峠ー川木沢の頭ー定峰峠ー大霧山ー皆谷というコースはどうかと歩いてみたんだけど、大霧山から皆谷途中の林道が崩落している。なんとか通れないことはないが、高校生を歩かせるわけにも行かない。皆谷から1kmほど下の橋場というバス停に下山するという手もあるけど、日の短い冬場に20キロを超えるコースになるということで却下。

その代用コースということで、以前にも使っているこのコースになった。顧問の先生の下見では、台風直後にあった崩落も、すでに落ち着いて道も出来ているということだった。

高麗駅から西武鉄道で正丸駅に向かう。電車の中はハイカーがたくさんいた。びっくりしたことにその多くが正丸駅で降りた。すごい人だ。トイレに行列が出来ている。まあ、私が土日に山に登るのは、高校生と一緒の時だけだから我慢する。
IMG_5728.jpg (高麗駅でレッドアローの通過と出会う。懐かしい)

IMG_5729.jpg  (ハイカーがぞろぞろ)

長岩峠との分岐は沢沿いに進む。赤土の道なんだけど、ここのところ天気が良かったおかげで、よく乾いていて滑らない。年配者への思いやりに欠ける高校生が胸突き八丁の急傾斜をどんどん登って高度を稼ぐ。
IMG_5735.jpg (台風19号の大落石現場 もう、落ち着いてました)

IMG_5740.jpg  (胸突き八丁)

胸突き八丁の上の尾根をさらに進めば、展望が開け、ゴジラの背中のような岩尾根を五輪山に向かう。ここからは、この間、高校生と一緒に登った二子山が見える。二子山と並ぶ甲仁田山の右手には御荷鉾山と思われるボコボコがあって、さらにその右に雪をかぶった山がある。上越方面のようです。
IMG_5741.jpg (胸突き八丁を上がった尾根の上。あれは正丸山かな)

IMG_5742.jpg  (この間、高校生と登った二子山 鉄塔の建ってるのは甲仁田山)

IMG_5743.jpg ( 甲仁田山の右手 ボコボコは御荷鉾山かな 白いのは上越方面か)

五輪山を過ぎて、男坂の手前でヘルメットを装着している二人の女性がいた。最近、男坂を登る人が増えているようだ。ヤマップでもそういう活動記録を見た。落石の心配から通子止めにしたようだけど、これだけ登る人が多くなっては、単に通行止めというだけじゃなく、危険の存在を明らかにした方がいいんじゃないかと思う。

山頂にもたくさん人がいた。棒の嶺以来の、人の多い山頂だ。

伊豆が岳の山頂や、それ以降の山道を歩いていて、あることを感じた。このコースは何度も歩いたが、冬枯れのこの時期、周りの山々が見えるのだ。伊豆が岳から古御岳、高畑山と歩いている間、右手に名郷から天狗岩の頭、前武川、武川岳に続く稜線が見えた。何度も歩いている道なのに、この季節には歩いてなかったようだ。
IMG_5744.jpg (伊豆が岳山頂から  三角形は愛宕山と子ノ山か)

IMG_5745.jpg (伊豆が岳山頂から こっちは武川岳)

IMG_5746.jpg  (伊豆が岳山頂から 一番左側のは浅間山かな)

歩いている間は、何人かの人に道を譲ってもらったり、何人かの人に道を譲ったりする程度だけど、ポイントで休憩すると、次から次へと人がやってくる。どれだけの人が、今、この山塊に入っているんだろう。
IMG_5747.jpg (古御岳山頂の東屋を見上げる)

IMG_5748.jpg  (古御岳から高畑山への気持ちのいい道)

IMG_5750.jpg  (高畑山から天目指峠に向かう)

IMG_5751.jpg (高畑山から少し行った見晴らしから 手前は蕨山か だったらその向こうが棒の嶺 さらに向こうは川苔?)

天目指峠の東屋で昼食を取り、子の権現に向かう。高校生君たちは、ここでも飛ばす。ポイント、ポイントで景色を見させたり、山の名前を教えたりしてるんだけど、・・・もうちょっと興味を持ってもらえるとうれしいんだけどな。子の権現手前で伊豆が岳、古御岳を振り返らせる。あそこから歩いてきたと思えば、さすがにちょっとは興味を持ってくれたようだ。
IMG_5755.jpg (天目指峠の東屋でお昼)

IMG_5759.jpg (愛宕山 この名前の山はいろいろなところにあるな) 

IMG_5762.jpg (伊豆が岳と古御山)

IMG_5763.jpg  (子の権現をあとに)

浅見茶屋手前までの山道を経て、吾野駅まで長い舗装の道を歩いて、今日の行程を終わる。吾野駅には、多くのハイカーのすがすがしい顔があった。
IMG_5764.jpg (浅見茶屋は今日も賑わっている) 

この日歩いたのは、以下のようなコース。
12月14日伊豆が岳地図




テーマ : 登山
ジャンル : スポーツ

『教養としての世界の名言365』 佐藤優

まったく、教養の鉄人みたいな人だからな。

どれだけ本を読んでるか想像もつかないが、せめて爪の垢でも煎じて飲みたい。そんなことを言ったって爪の垢が手に入るわけでもない。仕方がないから、この本でも読んで、そのエキスをいただこう。・・・考えてみれば、爪の垢を煎じた汁を飲むよりも、この本を読む方がよっぽどましだ。

《どんどん、くだらなくなっていってる。音楽もTVもどんどん低脳になっていってる。殺人も犯罪も短絡的にいなっている。警察は庶民を守ってはくれなくなった・・・誰も本当のことを言わなくなってしまった。利権やせこい金で心を閉ざしちまったのさ。面白いお国柄だ》

これ、忌野清志郎の言葉だそうだ。1998年から2001年にかけて雑誌に掲載されたコラムの中の一節だそうだ。10年も前になくなった忌野清志郎が、その10年近く前、50歳前後の頃にこのように感じていたということになる。

でも彼は世間から目を背けなかったから偉いな。私なんか、世間にあきれかえっちゃって、背を向けがちだもん。後ろ向いてちゃだめなことは分かってるんだけど、見えるもの、聞こえるもの、それこそ見たくもないし、聞きたくもないことが多くてね。そういうのを見聞きして、それでも平然とした顔をしているのはもうつらい。

「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」

人の世が住みにくいからって人でなしの国はもっとひどいに違いないから、結局は人の世で、なんとか気分良く、少しでも機嫌良くやっていくしかない。だから詩人がいて、画家がいるって夏目漱石が書いている。

そうか、忌野清志郎はそれを天職に、指名にして生きてたのか。



宝島社  ¥ 1,650

名言の由来、偉人の生涯、そのテーマ・分野が一石三鳥で学べる画期的教養本
第1章 政治・歴史
第2章 経済・経営・ビジネス
第3章 社会
第4章 哲学・思想
第5章 音楽
第6章 文学・演劇・古典芸能
第7章 美術・建築
第8章 現代視覚芸術
第9章 科学・テクノロジー
第10章 スポーツ


織田信長は《是非に及ばず》と言い、西郷隆盛は《もうここらでよか》と言って死んだ。

簡単でいいなと思う。

どれだけのことを成し遂げたとしても、あるいは成し遂げなかったしても、ビートたけしの言うとおり《夢を持て、目的を持て、やれば出来る、こんな言葉に騙されるな。何も無くていいんだ。人は生まれて、生きて、死ぬ、これだけでたいしたもんだ》ってところだな。死ぬって言うのは、それ以上でも、以下でもない。

だから、世間に文句があったって、だからどうのと考えず、気楽に生きるのがいい。

そうそう、夏目漱石の言葉として紹介されているのは、『草枕』の冒頭ではなく、『吾輩は猫である』の中の猫の言葉。《呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこかかなしい音がする》

そうそう、世間とは相容れないとそっぽを向くのはエゴというもので、世間という総体がどんなものに見えようとも、人は一人になると、なんとも形容しがたい漠然とした寂しさや不安なものを抱えているもの。そういったものにまでそっぽを向いたら、人として生きていく価値があるか。

その究極は麻原彰晃だろうな。

彼は自分を認めなかった世間に復讐を始めた。なんとも形容しがたい漠然とした寂しさや不安なものを抱えている有名大学出身の若者を信者に獲得して家族と縁を切らせ、家族や親族とトラブルを起こすようになる。麻原を追求する坂本堤弁護士一家は、ポアと称して抹殺された。

《私は救済の道を歩いている。多くの人の救済のために、悪行を積むことによって地獄に至っても本望である》と語ったそうだ。彼は悪行を積んで地獄に落ちたのは間違いないところだが、残念ながら彼によって救済された人は一人もいない。

結局は、みんななんとか折り合いを付けて生きてるんだ。そういうところから目をそらしちゃいけないよね。私に芸術の素養がないのは残念だけどね。




テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

茶嶽山は“ちゃんたけやま”と読みます

天気予報士たちがこぞって晴れるといった月曜日は、ちっとも晴れなかった。

川苔山山頂は真っ白だった。しかも、下山を開始してまもなく、ガスにまかれ、異様な冷気に包まれた。おそらくあの冷気は、・・・の仕業に違いない。安曇潤平さんのお話にもそういうのがあった。

今日(12/12)は晴れる。しかも気温が上がると、天気予報士たちがこぞって予報した。今度は当たった。月曜日は奥多摩に出かけたし、今度は地元。鎌北湖から奥武蔵グリーンライン沿いの山を歩いてみることにした。

地元の山は、朝がゆっくりでいいから楽。7時過ぎに車で家を出て、鎌北湖の駐車場に30分ほどで到着。身繕いをして、体操して、トイレも使わせてもらって、8時頃、まずは宿谷滝に向けて出発。この時間、晴れているが、気温はさほど上がっていない。ヤッケを着て歩く。ブロIMG_5700.jpg武甲山から高麗川の工場まで石灰岩を運ぶベルトコンベア。何カ所か、地上に露出する。ここもその一つ)

宿谷滝は、相変わらず見事に流れ落ちる。誰も見ていなくても見事なのがいじらしい。
宿谷滝これはいかさまで、前に来たとき撮ったもの。今日撮ったのはみんなピンボケだった。また、魔物の仕業かも)

やはり、じわじわ気温が上がっている。物見山への急登を前にして、ヤッケを脱ぐ。物見山に着くと、すでに人がいる。日和田山の方から来た人だろう。本当に人気のあるコースなんだな。
IMG_5704.jpg (物見山への急な登り)

IMG_5706.jpg  (なんか、小さくて、きれいなものに惹かれるようになった。歳のせいだな)

IMG_5707.jpg (物見山。本当の山頂は写真の左手、50mに三角点) 

むすびを一つ食べて、北向地蔵に向かう。よく踏まれたいい道で、「高速道路みたい」なんて思って、その道を外れ、尾根筋をたどる道に移る。こっちの方が気持ちいい。
IMG_5708.jpg (北向地蔵に向かう高速道路) 

北向地蔵につくと、ここにも人が一人いる。お地蔵さまに手を合わせて愛宕山を登り始める。下から人の声が聞こえたので見てみると、複数の人が話をしている。いずれにしても、愛宕山に登ってくる気配はない。ここ、眺めいいのに、もったいない。・・・案の定、富士山、奥多摩方面がよく見える。
IMG_5709.jpg (孫が元気なように) 

IMG_5710.jpg (愛宕山の登りから 大岳の向こうに頭を出す富士山)

IMG_5712.jpg  (愛宕山)

愛宕山をグリーンラインに下りて、今度は観音岳、スカリ山と続くやせ尾根の山道に入る。どちらのピークにも人がいた。奥武蔵は来安いんだろうな。奥多摩よりもよく人に合う。スカリ山で一緒のなった年配のご夫婦は、私と同じように鎌北湖に車をおいて、北向地蔵に登り、エビガ坂から鎌北湖に戻るんだそうだ。
IMG_5713.jpg (観音岳からの赤城山)

IMG_5714.jpg  (スカリ山からの武甲山のはずが、露出を間違えて)

スカリ山でむすびを食べつつその人たちを見送り、しばらくして先行したお二人に追いつかないよう、スカリ山のガレた北斜面を気をつけて下る。エビガ坂から、私はさらに先に進む。しばらく行くと、まったく展望のない地味なピークがある。木に巻いた赤いテープに《茶之岳山》と書いてある。この山の名前は《ちゃんたけやま》と読む。
IMG_5716.jpg (スカリ山北側の急斜面)

IMG_5717.jpg  (ちゃんたけやま)

かわいいので、この名前が好きだ。《茶嶽山》と書いてある地図もあるんだけど、こっちの方が《ちゃんたけやま》というかわいい名前との落差が大きくて気に入っている。
IMG_5718.jpg (私に驚いたカモシカが、飛び降りて振り返り) 

さらに進むといったんグリーンラインに下りて、すぐに《一本杉峠・鼻曲山・桂木観音》という標識に従って山道に入る。しかし、私が目指したのは、その標識にある場所ではない。山道に入って10分ほどで、尾根上の開けた場所に出る。土台が残ってるので、かつて鉄塔のあった場所らしく、周りが刈り払われていて、このコースの中でここだけ例外的に展望が効く。ここに来たかった。

すぐ近くにその形が特徴的な越上山(おがみやま)。その向こうには奥秩父の山々。南に目を移していくと、長沢背稜から奥多摩、富士山。手前には地元の山々が、幾重にも打ち寄せる波のように連なっている。
IMG_5719.jpg (今日の目的地の展望台)

IMG_5720.jpg  (越上山)

IMG_5721.jpg (富士山バックに奥多摩三山 地元の山並み) 

3分ゆでのスパゲッティを買ってあって、これを試すのも、今日の楽しみの一つ。どれくらいの水でゆでれば、ゆで汁を捨てずに済むか、それを試しつつ作る。ゆであがりに《大人向けのパスタソース カルボ》っていうのをかけて暖めて食べた。半分に折って入れても、私の持って行ったコッヘルは、ちょっと小さかった。
IMG_5722.jpg (お昼ご飯の準備)

IMG_5723.jpg  (空に鷹)

IMG_5724.jpg (展望スパゲッティ)

IMG_5725.jpg (プルプルプルプル) 

景色もご飯も堪能して、出発準備を整えて、・・・まだ11時半。このまま十二曲峠から下りる予定だったけど、いったんエビガ坂に戻り、ユガテの集落に下って、北向地蔵から鎌北湖に戻ることにした。
IMG_5727.jpg (ユガテ)

この日歩いたのは、以下のようなコース。
鎌北湖あたり地図  




テーマ : 登山
ジャンル : スポーツ

重要史書『歴史への遺言』 渡部昇一

埼玉県の飯能市に名栗という地区がある。

その一番奥には飯能駅からバスで1時間以上かかる。今は舗装道路もあるが、妻坂峠を越えて横瀬、秩父に通じる。もちろん山伝いにも行ける。高校の頃、山岳部だった私にとって奥多摩という場所は、山を越えていくところだった。

二つのルートで奥多摩に入ったことがある。一つは三峯神社から雲取に行き、雲取から奥多摩に下りる。もう一つは、武甲山から小持・大持を越え、鳥首峠・有馬山を経て、棒の嶺から向こうは奥多摩。

私の家は、武甲山の北斜面の登山道が庭先を通るようなところにあったので、当然後者、武甲山から奥多摩に入るルートが便利。そんなことを言っても、奥多摩に行っても、結局、交通手段を使って秩父に帰ろうとするとすごく不便。奥多摩駅から青梅に行き、青梅から拝島、拝島から東飯能に行って、ようやく西武秩父線だからね。

だから、奥多摩が見えるところまでいっても、奥多摩には下りない。飯能までバス一本でいける名栗のバス路線に下りる。だから、名栗っていうところは峠を越えた向こうなんだけど、けっこうなじみが深い。

この間の台風19号で氾濫した入間川の源流は、この名栗にある。名栗の山に降った雨があちらこちらの沢から集められて入間川になる。そのどん詰まりが名郷というところだが、一番奥の方に白岩渓流園、つづいて大鳩園というキャンプ場がある。いつも大鳩園の管理する駐車場に車をおいて近隣の山を歩く。先日、山から下りて帰り支度をしていると、大鳩園の主人らしき人が集金に来ていて話をした。

下山途中にも見たが、河原のバンガローや炊事施設がだいぶやられていた。来年のシーズンまでになんとかなるのかと聞いたら、どうもそのつもりになれないらしい。温暖化の影響で気候が変わってしまい、こんな大きな台風が毎年来るのなら、川沿いのキャンプ場は整備してもどうにもならないという。父親の頃から、どんな大水が出ても、施設まで水が来たことはなかったんだそうだ。

彼の中では、キャンプ場がながされたのは、人間が二酸化炭素を慣れながしすぎたことを原因とする地球温暖化の仕業ということになっているらしい。

地球温暖化対策を話し合う国連の会議「COP25」が12月2日からスペインのマドリードで始まっている。それに合わせて、いろいろな情報が寄せられている。

北欧の山の上で30度を超える日が続き、山火事が起きた。・・・それで山火事が起こるなら、日本の山は丸裸にならないか。牛は鶏や豚に比べてメタンガスのゲップをたくさんするので、もう食べない方が良い。温暖化のせいで鳥の体が縮んでいる。暑くなると、長距離の移動が負担になる体というんだけど、・・・。大鳩園の主人の言ってることが一番まともに聞こえる。

二酸化炭素排出による地球温暖化をなんとか食い止めなければならないという論調は、もはや逆らうことのできない異常な流れのようだ。台風のあと、橋の下を流れる濁流に恐怖を感じたが、その流れのようだ。


『歴史への遺言』    渡部昇一


ビジネス社  ¥ 1,650

歴史というものは虹のごときものである。近くによれば、その正体は水玉にすぎない
第一章 「重要史書」解読
「リットン報告書」は日本を批判していない
満州国は日本の傀儡国家ではなかった
東條英機「宣誓供述書」はマッカーサーの証言と一致する
第二章  日本のこころ
「古事記」は神話と歴史が地続きであることを証明している
「令和」命名者・中西進氏の誤謬
日本文化は自然に感謝する文化である
第三章  歴史の見方
歴史は「虹」に似ている
朝日人・杉村楚人冠は「朝日」の体質を見抜いていた
団体が変わっても不動だった「天皇」の本質
真の戦闘者・徳森蘇峰


やはり世間では、リベラルってのが人気がある。

だけど、NHKが取り上げていたスウェーデンの16歳の少女のことはどうしよう。未来がないのに学校に行っても意味がないんだそうだ。だから、スウェーデン議会の前で一人でプラカードを掲げてストライキをしたんだそうだ。そのうち毎週金曜日に、少女と一緒に学校を休む子が増えて、「未来のための金曜日」運動は世界に広がってるという。

ほら、もともと温暖化対策ってのは、アル・ゴアみたいな怪しいリベラリストや原発推進団体が進めてきたが、最初は平然と嘘をついていた。IPCCだってそう。偽のデータをでっち上げて温暖化の脅威をあおってきた。

仮に彼らの言うような対策を施さなければならない事態なら、16歳の少女の行動は非の打ち所がない。非の打ち所はないが、結局行き着く先は優性論にたどり着く。たどり着いたその先で見つけるのは、おそらく人種差別だろう。

温暖化云々問題の背景に、私は人種差別を感じる。

さて、本当のことを知るって難しいですね。リベラルは平気で嘘をつく。・・・あっ、これ、社会主義者のことを言ってます。レーニン、スターリン、毛沢東、・・・彼らは目的のためには手段を選ばないどころじゃなく、平気で数千万人を地獄に突き落とした。

だけど、戦前の日本を考えるとき、これは動かせないという重要史書が三つある。渡部昇一さんは、最晩年に、三つの重要な本を残してくれた。

リベラルがいくら濁流のごとき流れで押し流そうとしても、これらに書かれたことは曲げられない。・・・はずなんだけど、まあ、いずれにせよ、できるだけ多くの人に読んでもらえると良いですね。

あっ、そうそう、NHKはポツダム気候影響研究所の所長さんの弁も取り上げていたぞ。「地球が灼熱地球に変化してしまう危険があります」

NHKは日本にも16歳の少女のいることをお忘れか。報道した以上、NHKにも責任はあると思うぞ。無責任な大人のいる限り、16歳の少女の耳は塞いどいた方がいいぞ。


 


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あなたにとって切ない歌とはなんですか?
いい歌はたいてい切ない。あるときふとそう気づきました。
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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本












































































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